君主から読み解く世界の統治システム——岡本隆司・君塚直隆が語る王と皇帝、民主主義の行方、象徴天皇制
PIVOT 公式チャンネルPIVOTの佐々木氏が聞き手を務め、中国史・東洋史が専門の岡本隆司氏(早稲田大学教授)と、イギリス政治外交史が専門の君塚直隆氏(駒澤大学教授)が「君主」を手がかりに世界の統治システムを語った対談である。題材は2人の共著『君主で読み解く世界史』だ。中心にある問いは、歴史の大部分を占めてきた君主制を理解しないまま現代の国家を理解できるのか、そして日本の統治システムはどこに位置し、今後どうなるのか、である。君塚氏は、日本人の多くが自国を君主制だと意識していないこと自体が問題だと考えている。岡本氏は、歴史の大半は君主の歴史であり、君主抜きに歴史は語れないという立場をとる。
なぜ今「君主」なのか
テーマ設定の理由を説明したのは君塚氏である。第一次世界大戦が始まった1914年当時、地球の陸地面積のおよそ6割は君主国かその植民地だった。それが100年ほどで大きく変わった。現在、地図上の君主国に、チャールズ3世を君主に戴くカナダやオーストラリアなどを加えても42カ国程度であり、世界約200カ国の5分の1ほどに減ったという。
ただし君塚氏は、君主制がこのまま消えていく運命にあるとは見ていない。むしろ大統領を置く共和制のほうが、アメリカにしてもロシアにしても危うさを抱えているのではないかと述べる。君主制が万能だとは言わないが、今後どんなシステムが生き残り、有用なのかを考えるために、この対談を企画したという。
日本については、君塚氏は「日本人の大半が自分たちが君主制だと思っていない」と指摘する。憲法第1条は天皇を「象徴」と定め、君主や元首とは書いていない。しかし実態としては立憲君主制と言ってよい存在であり、先般の皇室典範をめぐる改正もあった今、日本人に自国の国家形態を考え直してほしいという意図があるという。佐々木氏が、君主制を採る国の中で日本が最大の経済規模を持つことを確認すると、君塚氏もそれを認めた。
岡本氏は歴史家の立場から補足する。今のような分布になったのはわずか100年前からにすぎない。世界史全体の何千年、中国だけでも「5000年」と言われる歴史の大部分は、ほとんどの地域が君主制で覆われていた。したがって、君主を肯定的に見るか否定的に見るか、好き嫌いを抜きにしても、君主を理解しなければ歴史は分からない。歴史は今とつながっており、日本のように君主が生き残っている国もある以上、歴史を「縦に」見るなら君主は無視できない。それを歴史家の観点から考えたのが本書の売りだと岡本氏は語る。
王と皇帝はどう違うのか
本書では「リーダーの中のリーダーが王であり、王の中の王が皇帝である」と整理している。佐々木氏の問いに対し、岡本氏は「王」と「皇帝」はもともと中国語由来の漢字であり、中国の定義ではまるきり違うものだと説明した。日本では王をキング、皇帝をエンペラーと訳してイコールと理解しがちで、さらに日本には王でも皇帝でもない「天皇」がいるため、話がかなりややこしくなる。
岡本氏が示した大まかな理解はこうである。さまざまな団体や集団、社会にはそれぞれリーダーがいる。そうした多数の集団を束ねるリーダーが「王」である。そして王がたくさんいて、その全体をさらに束ねるもう一段上の存在が「皇帝」になる。皇帝という称号は、これまでの王と一緒にしてくれるなという意識から改めてひねり出されたものであり、違う段階・違う地位に立ったことを本人も自覚し、それを表現するためにこの言葉が作られたという。
では日本の天皇はエンペラーかキングか。岡本氏は、おそらくキングと言ったほうが正しいだろうと答えた。君塚氏も、天皇はもともと「大王(おおきみ)」と称しており本来は王様であると述べた。「天皇」という称号は中国に対する外向きのものであり、しかも実際には中国に対してさえ使えていなかった。だから実態としては王と言ってよい、というのが君塚氏の見方である。
王に課された3つの責務
本書は王の責務として、外敵から民を守ること、経済的な豊かさをもたらすこと、社会正義を守ることの3つを挙げている。佐々木氏が、これは現代のリーダーに求められるものとほとんど変わらないのではないかと問うと、岡本氏は「これが基本」だと答えた。「民」や「外敵」がどの範囲を指すかにもよるが、国家でも会社でも、組織や集団のリーダーと呼ばれる人にとっての基本条件だという。集団の秩序を守り、できれば中を豊かにし、敵がいないようにして治安を守る。安全保障、経済的豊かさ、正義の3つは、リーダーが守るべき当然の基本だと岡本氏は整理した。
君主制はなぜ主流だったのか、なぜ崩れたのか
君主制の強みと弱みについて、岡本氏は古代ギリシャ・ローマから話を始めた。ギリシャのポリスには民主制のアテネもあれば、君主を置くところもあり、どちらでもよいという選択が可能だった。それはポリスという規模と数の範囲内だったからこそできた。組織が大きくなると、明確に指針を示し決定できるリーダーシップがどうしても必要になる。
人間は1人では生きられないので集団を作り、集団が機能するには合意が必要になる。その合意形成の中で、引っ張っていくリーダーシップが求められる。リーダーを明確な形で決めるのか、選択制のような民主的な形をとるのか。ギリシャでは選択的な形が現れたが、むしろ一定の形の王や皇帝が続いていくほうが広域支配には有利だった。それが歴史上ずっと続いてきた形態だったのではないか、と岡本氏は述べた。
君塚氏は弱みの側から語った。君主制といっても君主が1人ですべてを統治するわけではなく、王とその取り巻き、つまり貴族や豪族などが中心となって政治を担っていく。うまくいっていればよいが、人間はどうしても私利私欲に走りがちで、自分の家や階層に富が集中し、下の人々には圧政が敷かれ、その犠牲の上に体制が成り立つようになる。教育のない時代には、人々はそれを当たり前だと思っていた。しかし読み書きの能力を得るにつれて、自分たちはとんでもない仕打ちを受けているのだという考えが徐々に生まれてくる。その最も有名な例が1789年のフランス革命であり、そうした動きが世界に広がり、自由・平等・博愛のようなスローガンが出てくると、君主制はもろくも崩れてしまった。
だから今生き残っている君主制には柔軟性がある、と君塚氏は言う。時代とともに変わらなければならず、ずっと同じことをやっていれば滅びる。これは君主制に限らず、共和制でも企業でも同じだという。
4象限で見る世界の統治システム
番組では、国家形態が君主制か共和制か、統治のあり方が民主主義か専制主義かという2軸で世界を4つに分けた図が示された。立憲君主制で民主主義の日本やイギリス、共和制で民主主義のフランスやアメリカ、共和制で専制主義のロシアや中国、そして君主制で専制主義の中東やブルネイである。両氏とも、例外はあるにせよ大きく分ければこの4つでよいとした。
どの象限が合うかは歴史で運命づけられているのかという問いに、岡本氏は、偶発的にそうなった面も大きいが、歴史的な経緯は重要だと答えた。フランスはずっと君主制で、本来は君主制のほうがフィットしていたはずだと岡本氏は見る。ヨーロッパ大陸の国はおおむねそうした傾向がある。しかし偶発的に共和制になり、共和制こそが善だという思想まで生まれたために、共和制が広まった。歴史から見ると、フランスやロシア、中国の共和制には「かなり無理がある」というのが岡本氏の感覚である。共和制はきわめて人工的なもので、特に君主制がずっと続いてきたところで共和制になった場合には人為的な力が働いている、とも述べた。
これに対し君塚氏は、アメリカだけは特殊だと指摘した。アメリカ独立宣言から今年でちょうど250年になるが、アメリカの独立は大洋の向こうの君主からの独立だった。フランスやロシア、中国は、かつての帝国や王国の空間が地続きのまま続いており、民の受け止め方がまったく違う。アメリカには最初から民主的な風土があり、それが強まっていったという点で他の共和国とは違う、と君塚氏は語る。
韓国の位置づけについては、南北で分かれて考える必要があり、北は明らかに専制的、両方とも偏りがあって難しいという程度のやり取りにとどまった。
ロシア・中国に民主主義は無理なのか
佐々木氏が、ロシアと中国に民主主義はほぼ無理なのかと問うと、両氏はほぼ無理だという見方を示した。岡本氏によれば、中国は民主化を試みたことはあるが無残に失敗した。君塚氏も、ロシアもソ連からロシアに移ったあたりまではある意味でそうだったが、プーチン政権になってからはそうはいかなくなったと述べ、試してみてだめだった事例はあるとした。
それならなぜアメリカは民主主義を押しつけようとしてきたのか。岡本氏は、アメリカは自分たちのシステムが一番優れていると思っている国だからだと答えた。ただ、君塚氏は、それも20世紀になってからであり、それまでのモンロー主義の時代のアメリカは二流国だったと補足する。大西洋に隔てられ、ヨーロッパから直接攻めてくる相手がいなかったことも大きいという。戦後日本の世代がアメリカニズムを正しいと信じてきたことについては、アメリカの最盛期にそれが一気に入ってきたためだと君塚氏は述べた。岡本氏は、20世紀初頭のアジア諸国も、第一次世界大戦を含めて彗星のように現れたアメリカを理想視するパターンが多かったと述べ、君塚氏は、ウィルソンはヒーローだったと加えた。
ロシアと中国で民主主義がなじまない理由について、佐々木氏が国土の広さや強いリーダーシップの必要性を挙げると、岡本氏はそれも大きいとしたうえで、鶏と卵の関係を指摘した。専制的なあり方がその土地にとって必要だったから続いてきた。続いてきたから、それしか考えられなくなった。そうした循環があるという。
数百年、千年後はどうか。君塚氏は、どれくらいの大きさで残っているか次第だと答えた。中国ももともとあれほど巨大だったわけではない。統一国家として巨大な帝国のような形で残り続けるなら今と同じだろうが、群雄割拠の時代はまた違っていた、という。岡本氏は、ロシアも中国も、むしろ図の上の段、つまり君主制の側に行ったほうが座りがよいだろうと述べた。
君主制の要は「代替わり」——フランスと中国の揺り戻し
君主制の復活は可能かという話題で、岡本氏は本書の重要な論点を挙げた。プーチン氏や習近平氏も、いずれ交代する。そして「交代、相続が一番重要」なのだという。君主の代替わりこそが要であり、それは世襲でも世襲でない形でも、共和制であっても本質は変わらない。交代をいかに円滑に行うか。世襲がだめだったから共和制になった、究極的にはそれだけの話だと岡本氏は述べる。フランスでは、ルイ16世を見て「ぼんくらが出てきた」から首をはねて共和制にしたが、その後ナポレオンが出てきたり王政復古になったりし、結局ナポレオンもだめだったから共和制に戻した、という整理である。
フランスが君主制に戻ることは可能かという問いには、現在は憲法で否定されているので、憲法を改正しない限り戻れないとの答えだった。君塚氏によれば、ブルボン家、七月王政のルイ・フィリップのオルレアン家、ナポレオン家の3つの家系は今も存在する。ただ、ナポレオンやルイ14世のような偉大な人物がいた時代とは違い、今の子孫は普通の人になっているので嫌だろうと君塚氏は述べ、一方で案外望んでいる可能性もあるかもしれないと笑った。
共和制から君主制に戻った例として、君塚氏はフランスを挙げる。1871年以降はずっと共和制だが、それ以前は政体がころころ変わり、ナポレオン3世は最初は大統領だったのが皇帝になり第二帝政を開いた。岡本氏は中国の例を挙げた。中華民国になった後、袁世凱が帝政を試み、復辟のような試みもあったが、結局失敗した。共和制がまだ未知数だった時期は確かにあったのだという。
アジアで議会が根づきにくかった理由——規模と言語
佐々木氏の問いに対し、岡本氏は、アジアには帝国が多かったことが重要だと答えた。共和制や議会が機能するには一定の条件がある。それは皇帝よりも、まとまった形での「王」の側にある。本書で君塚氏とも議論したように、キングにはもともと血縁の側面が多く、ある共同体のリーダーから出発している。日本の天皇が王だというのも、天皇が本家の代表者や親玉のような存在で、皆が天皇の一族だという意識があるからだ、と岡本氏は説明する。同じ共同体のリーダーという意識があるところでは、その代表者やエリートが補佐するという形で議会が始まりうる。しかし多様な民族や集団で構成される帝国では、皇帝は王のさらに上に立つ超越的な存在であり、特定集団の選挙権を持つ人々による議会は機能しにくい、成立しづらいという。
君塚氏は言語の要素を加えた。議会を意味する「パーラメント」は、「話す」という意味の言葉から来ている。話し合いなのだから、民族が違い言語がまったく違えば喧嘩になってしまい、同じ言語を話す範囲に限られる。今でこそ共通語や標準語があるが、当時はなかった。北欧には立憲君主国が多いが、ノルウェーやデンマークは今でも人口が400万〜500万人ほどしかなく、昔はもっと少なかった。その規模で言語も同じであれば議会は機能しやすい。逆に規模が大きいと機能しがたく、ロシアのドゥーマも20世紀に出てきたがすぐ潰された。皇帝の力もあるが、言語の問題も大きいと君塚氏は見ている。
岡本氏によれば、中国でも議会を試みたが、皆が好き勝手に議論して「小田原評定」のようにまとまらず、しびれを切らした袁世凱が皇帝になると言い出した。これは中国史の非常に重要なモチーフだという。みんなで話し合ってまとまること自体が大変なことであり、民主制が機能している国はむしろ少ない。西側諸国の普遍的価値は少数派だと思ったほうがよい、と岡本氏は述べた。
EUについては、君塚氏は無理があったからこそ現在のような状況になり、イギリスも出ていったと述べた。一方で岡本氏は、曲がりなりにも成立していること自体がヨーロッパの特殊性であり、すごいところでもあると評価した。ロシアや中国は、まとまらないEU規模の空間に1つの国が存在していると考えたほうがよく、それをまとめようとすれば強力な専制的リーダーシップが必要になる。かつては皇帝、今はプーチン氏や習近平氏のような存在が必要になるという話になる、と岡本氏は語った。
アメリカの統治システムは岐路にあるのか
人口が多く、スペイン語話者など多様な人々を抱えながら民主主義でやってきたアメリカは、今危機にあるのか。君塚氏は、アメリカは常に危機を迎える国であり、復元力もあると述べた。ただし今回のように1人のリーダーが登場してめちゃくちゃにしてしまうのは前例がないという。
君塚氏は過去の揺れの例を挙げた。禁酒法のような法律が国の法律としてまかり通るのは世界史上でもまれだが、結局ギャングが台頭してアル・カポネの時代になり、すぐやめることになった。モンロー・ドクトリンや、日本人を標的にした移民規制もあった。こうしたことは一時的に起こるが、アメリカはまた我に返って戻ってきた。だからトランプ現象も、また我に返って世界に開かれた国に戻るかもしれない。ただし、国民自身が大きく変わってしまっていれば難しい。トランプ氏が単なる異常気象ではなく、今後も構造的にああいう人物が登場せざるをえなくなるなら、話は変わってくるかもしれない、と君塚氏は述べた。
岡本氏はリーダーの個性の重要性を強調した。本書でも、フランス革命の際にルイ16世が愚かだったという話をしている。君主制そのものは残る可能性があったが、振る舞いがあまりに愚かだったために王政自体がなくなった。アメリカは大きな国で大統領の権限が強く、君主に匹敵する権力を振るえる。だからトランプ氏はあれほどむちゃくちゃなことができるが、「いかにも愚か」なので、どうなってしまうのかという危惧を覚えざるをえないと岡本氏は語った。アメリカの復元力を信じたいが、良識あるリーダーが他にいるのかと問われると、大丈夫なのかと思わざるをえない部分もあるという。
見極めるポイントとして佐々木氏が「4年2期」のような慣行を挙げると、君塚氏は、今のところ憲法はまだ改正されていない、そこに手を出し、しかも賛同する人がかなり多いという状況になれば世界中が危機を感じることになるだろうと述べた。まだ大丈夫だろうとは思うし、そう思いたいとも語った。岡本氏も、なんだかんだ言ってアメリカは人類史の希望のようなところがあるので信じたい、と述べた。
AIとSNSは統治をどう変えるのか
AIの発展が統治システムに与える影響について、岡本氏は中国に強い関心を持って見ていると語った。岡本氏によれば、中国では民間がとにかく強く、意外に思われるかもしれないが、歴史的に政府の力はとても弱い。中国当局がすぐに強権を発動し、法律をむちゃくちゃに行使したり、強がりを言ったりするのは、すべて弱さの表れであり、そうしなければまとめていけない、外から付け入られるという恐怖がそうさせているという。岡本氏は講義でよく使う例として、ゴキブリが怖い人ほどゴキブリを殺す、虫に親しんでいる人や怖くない人は捕まえて逃がしたり気にしなかったりする、という比喩を挙げた。
国内の人々をいかにコントロールするかが中国政府の大きな課題だったが、岡本氏の見るところ、最近の中国人はすごく大人しくなってきている。AIやIT技術によって監視システムができただけでなく、便利なので、民間の人々が警戒感を解いている部分があるという。政府の側から見れば、専制主義が機能しやすくなっている、と岡本氏は述べた。
君塚氏は、こうしたシステムはもともと欧米で出来上がったものだと指摘した。ジョージ・オーウェルの『1984』はある程度これを見通していた。今は本当か嘘か分からない映像があふれ、嘘が本当になってしまうほど技術が進んでいる。市民の声が力を持つ欧米のほうが警戒感は強く、映画などの形にもなる。しかし同時に、市民がSNSに取り込まれてしまうこともあり、欧米はむしろ翻弄されているのではないかと君塚氏は見る。
SNSについて、君塚氏は、オーストラリアや最近のヨーロッパなどで、一定年齢以下の利用を規制する国が増えたことに触れた。岡本氏は、中国やロシアはそれとは違う意味で規制し、統制を早くから発達させてきた国だと述べた。SNSが生まれた文脈とは違う次元で、統治の道具としてどうコントロールするかを早くから考えていたという。一時期「権力の終焉」が語られたが、AIも含めると必ずしも権力を弱めないのではないかという佐々木氏の指摘に、岡本氏は同意しつつ、権力がどうコントロールするかと同時に、民間がSNSを通じて権力とどう関わるかという意識も関わってくるだろうと述べた。
「可視化」の時代の君主とリーダー
北欧の王室が中間層的な暮らしを心がけていることに関連して、現代の君主には共感を得ることがより重要になっているのかと問われ、君塚氏は、SNSなどによってあらゆるものが可視化されたことを挙げた。昔の天皇は、参議以上でなければ会えないような存在で、ほとんど誰も会うことがなく、顔も分からなかった。日本にはもともと肖像画の文化も乏しかった。ヨーロッパでは肖像画が多く、顔や食べ物がある程度分かったが、本当に現実的に分かるようになったのは現代になってからだという。
今では一般の人々は、王室や皇室が自分たちとどれほどかけ離れているかを強く意識する。だから王室や皇室は、過度な贅沢などをすれば問題が起こることを意識しなければならない。それをあまり気にしなくて済むのが中東やブルネイのような絶対君主の国だ、と君塚氏は述べた。習近平氏ら中国の指導者については、岡本氏は、統制を強めている以上、当局が出したい以上の情報は公開しないのが原則で、一般の人々も正式なルートでは情報を得られないと述べた。ただし、地下的にどこまで規制できているか、国外に出た情報がどうなるかは、まだ難しいかもしれないという。
倫理的に鍛えられた王家とそうでない家を分けるものは何かという問いに、君塚氏は、代々その教えが引き継がれるかどうかだと答えた。親や祖父母の背中を見て育つことが、急に外から入ってくる場合とは違うのだという。
企業ガバナンスに応用できるか
佐々木氏は、世襲のオーナー企業もあれば指名委員会で後継者を厳密に選ぶ企業もある日本の企業統治に、国家の歴史はどこまで参考になるかを尋ねた。岡本氏は、本質的には同じことだと答えた。先ほどの3つの責務はほぼそのまま当てはまり、君主制はオーナー企業に、共和制は一般の会社の社長選びに似ている。どちらもガバナンスの問題であり、リーダーとそれを補佐する中枢の組織にどれだけの能力が備わっているかがまず問われる。企業には特定の目的と機能があり、国家はもっと包括的だという違いはあるが、大きくは変わらないという。
岡本氏が強調したのは、個人の能力に加えて「徳」が重要だという点である。世襲であればどこかで必ず「ぼんくら」が出てくる。だから、ぼんくらが組織をかき乱さない仕組みをどう作るか、また首をすげ替える仕組みがどれだけできているかがポイントになると述べた。
君塚氏は具体的な風景から語った。収録に向かう際に歩いた明治神宮前の界隈には、一代で起こされた企業や最近できた企業が多いだろう。一方、銀座のほうに行けば、江戸時代から十数代続くような老舗があり、これはいわば君主制だという。世襲でやっていけば、どうしても頼りない当主が出てくることがある。そのときに番頭がしっかり脇を固める仕組みがあるかどうか。一方で番頭が私利私欲に走り、持ち逃げするようでも困る。それはまさに君主制そのものだ、と君塚氏は述べた。
君塚氏はさらに、世界最大級の企業であるトヨタも世襲的であり、図の左上、つまり立憲君主制の民主主義型に当たると述べた。社長交代の際に一族から「大政奉還」という言葉が使われたことにも触れた。本田宗一郎は世襲を退けたが、松下やトヨタのように創業者一族が強く、それが強みにもなっている企業がある。岡本氏は、日本には社会的に家制度がずっとあったため、こうした形に皆が納得する部分があると述べた。
財閥について、君塚氏は、三菱の岩崎家は財閥解体で表舞台からは消えたが、裏では相変わらず力があると述べた。表にサラリーマン社長を置いておけばよく、三井や住友も相変わらず強い。日本に限らず、ロスチャイルドやロックフェラーもそうだという。イギリスでも王室御用達の企業にはファミリービジネスが多い。岡本氏は、その家で育ち背中を見て学ぶという帝王学的な教育機能は普通の学習では身につかないため、その点ではひょっとすると世襲のほうが向いているかもしれない、というイメージも持てると述べた。
天皇はいつ「表」にいたのか
日本の統治システムに話が移ると、佐々木氏は、天皇が長く続き国民に愛され続けてきたのは珍しいことではないかと問いかけた。君塚氏は、「国民に愛されている」というのは現代的な感覚だと答えた。歴史的に見ると偶然続いてきた面も強く、特に鎌倉以降は利用されてきた。その時点ですでに利用されるだけの存在になっていたということでもある。江戸時代以前は誰も天皇を見たことがなく、明治天皇になってようやく一般国民の前に出るようになった。それまでは天皇の存在をほとんど知らない人のほうが多く、「公儀」といえば幕府のことだったという。
岡本氏は、天皇を君主とすれば、日本では臣下がずっと番頭的に切り盛りしてきたのが基本的な姿だと述べた。天皇はむしろ神棚に祀られているのが普通のあり方であり、天皇そのものが日本史にどれだけ深く関与してきたかは、かなり限定的に考えたほうがよいという。教科書にも天皇はあまり出てこない。天智天皇や天武天皇の時代に出てくるのは、中国との関係が悪化したり、中国の制度で国を作ろうとしたりして、天皇が中国の皇帝のようになっていた時期だからだ。しかしその後すぐに本家帰りして、藤原氏に任せる形になっていった。君塚氏も、その後は藤原氏、平清盛、源氏と続き、天皇が出てくるのはせいぜい南北朝の分裂のころくらいで、明治になって急に表に出てきたと述べた。近代化のなかで君主と国民による君主制のやり方を真似たために前面に出てきたのであって、本来の日本の姿とは違う、というのが君塚氏の見方である。現在議論されているのは、およそ150年前からの天皇のあり方だということになる。
今後について君塚氏は、1945年にまた大きく変わった以上、その後のシステムを大きく変えることはないだろうと述べた。問題は継承する人がどれだけいるかであり、受け継ぐ人がいなくなれば困る。岡本氏も、日本は日本国憲法を前提とする法治国家であり、皇室典範もあって天皇は象徴として規定され、なくてはならない存在である以上、代替わりも含めてどうするかは国民も含めて考えなければならない問題になっていると述べた。
象徴と政治の「住み分け」
国民統合の象徴という役割について、君塚氏は4象限の図を使って説明した。立憲君主制では君主が国のシンボルになってくれる。しかし共和制では大統領がその役割も兼ねなければならず、トランプ氏のような人物が出てくると、それを自国のシンボルと呼べるのかという話になり、人々が離れていく。日本の場合、ある首相が気に入らなくても、シンボルは天皇陛下だとなれば少し落ち着く。そのためには君主には人格的にも優れた徳がなければならない、と君塚氏は述べた。
岡本氏は自著『悪党たちの大英帝国』(君塚氏の著書)や自身の『悪党たちの中華帝国』に触れつつ、実際の政治家は悪党でよい、きちんと実績を出せばよいと語った。政治は手を汚してなんぼの商売であり、利害調整をしてうまく収めるのが政治だ。日本人は政治に清らかさを求めすぎているが、そこに清廉さを求めるのは本末転倒であり矛盾している、という。君塚氏はこれを受けて、国の象徴として国賓を迎えたり外国を訪問したりするのは天皇陛下に任せ、手を汚さなければならない仕事は首相や外相に任せるという住み分けができるのは、4象限のうち左上の立憲君主制だけだと述べた。右上の絶対君主制では君主が政治もすべて担い、下の共和制では大統領などが国の顔にもならなければならないので、それにふさわしくない人物が出てくると「あれでいいのか」という声が出てくる。
中東の君主は人間として尊敬されているのかという問いに、君塚氏は、そもそもそうした声は一切出てこない、言いたくても言えない世界だと答えた。共和制で倫理的な象徴を担うのは宗教なのかという問いには、キリスト教などもやや弱まっているかもしれないとしたうえで、岡本氏がイランを典型例に挙げた。宗教指導者が実際の権力を握る国もあり、政教分離を前提とする考え方は普遍的ではなく、イスラムのように政教分離でないところのほうがむしろ多いことは念頭に置く必要があるという。
日本のシステムは「完成形」か、皇位継承は誰が決めるのか
最後に佐々木氏は、日本の統治システムは完成形に近いのか、今後どう変わるのかを尋ねた。岡本氏は「完成形」という言葉は難しいとしつつ、今の日本人がこのシステムにそれほど不満を持たず、代替案をほとんど考えついていないという点では、日本人にとってはよいのではないかと述べた。外から見て日本はうまくいっていないと言われればそうかもしれないが、日本人に不満を抱かせないという意味ではこれでよいと言えるだろうという。
君塚氏も同感だとし、問題は天皇という存在が存続できるかどうかだと述べた。もしなくなった場合、代替案はまったくない。大統領制にするのか、どんな大統領にするのか。現時点では、天皇が残るのであれば一番フィットしているのではないか、と君塚氏は見る。
世論にどれだけ寄り添うべきか、女系を認めるかといった議論について、君塚氏は、憲法第1条は天皇を国民統合の象徴と定め、国民主権である以上、国民の意見をどう反映させるかが問われると述べた。国民投票の改正法もできたので、その手段もありうるという。立法府の議論は「たかだか400人かそこら」の話にすぎない。さらに君塚氏が強調したのは、皇位継承や皇室典範は皇族自身の家の話だという点である。にもかかわらず当事者の意見はほとんど聞かれず、決まったことが報告されるだけになっている。上にいる皇室自身と下にいる国民をすっぽり抜きにして、中間の立法府だけで決めているのはよくないのではないか、大変なことだとは思うが、上下を含めた話し合いが必要ではないか、と君塚氏は述べた。
岡本氏は、日本は議会制民主主義を採っているので立法府の意見が一番重いのは当然だとしたうえで、天皇の地位や機能は伝統、つまり今まで続いてきたことが大きな要因になっており、立法府がそこにこだわる部分も歴史的経緯としては分からなくはないと述べた。ただ、国民から支持されることが必要な段階にある今、議論のあり方として国民の意思をどこで反映できるのかは難しい問題になりつつある。国民統合の象徴が分断を引き起こしてしまっては意味がなく、逆効果になりかねない。そこがこれからの重要なポイントだと岡本氏は語った。継承者が多くて誰を選ぶかが問題になる状況なら話は別だが、今は皇族が少なくなってどうしようかという議論なので難しい、とも付け加えた。
継承者の徳が問われるという点について、君塚氏は、SNSなどによってすでに透明化が進んでおり、デマやフェイクを見極める必要はあるものの、昔に比べて国民の目は厳しくなり、見通しもよくなっていると述べた。
「立憲民主制」という誤解と、学ぶべきもの
締めくくりに君塚氏は、日本の国家形態を尋ねると「立憲民主制」という答えが返ってくることが多いと指摘した。本来、国家形態は君主制か共和制かであり、統治形態が民主主義的か、権威主義的・独裁的かという話とは別である。それが混同されているのは教育の問題であり、戦後日本は戦前の反動もあって天皇をアンタッチャブルな存在にしてしまった。小中高、あるいは大学でも、バランスの取れた形で天皇について学べる場が必要ではないか、と君塚氏は述べた。
岡本氏は、日本の天皇がいかに特殊かを考えるには、外国のさまざまな統治システム、共和制であれ君主制であれ、それを学ぶ必要があると語った。そうして初めて日本のポジティブな側面もネガティブな側面も見えてくる。そのためにも、世界史が統治をどう展開してきたのか、君主がどんな形態だったのかを学んでほしいという。前著『帝国で読み解く近現代史』が横の広がりで世界を見たのに対し、今回の『君主で読み解く世界史』は統治システムとして君主から始めて下へと縦に見ようとしたものであり、両方合わせて読んでほしいと岡本氏は述べた。
日本の天皇は本でも書かれてましたけど、皇帝と呼ぶより、エンペラーというより、やっぱり王。日本人の大半がね、自分たちが君主制だと思ってないんですよね。
歴史を縦に見るっていうような感じで考えれば、君主っていうのは無視できない存在だと思いますし。自分たちはとんでもない仕打ちを受けてるんだというような考えが徐々に生まれてくる。その一番有名な例が1789年、フランス革命ですよね。
フランスとかロシアとか中国とかの共和制ってかなり無理。交代、相続が一番重要なんですよね。君主の代替わりがね。ナポレオン3世、第二帝政、最初は大統領だったのが皇帝になっちゃったわけですから。
君主制ですと、先ほどおっしゃったようなオーナー企業みたいな部分に共通しますし、共和制ですと、普通の会社の社長さんを選ぶだとかっていうふうな。ボンクラが上に立たないようなシステムをどう作るか。財閥、三菱とかああいうところ、やっぱり岩崎家がもう財閥解体でなくなって、その意味じゃもうない。でも裏で相変わらず力ある。あります。
皆さん、こんにちは。PIVOTの佐々木です。今回のPIVOT TALKは、君主と世界の統治システムをテーマにお話を伺います。ゲストにお迎えしましたのは早稲田大学教授の岡本隆司さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
そして駒澤大学教授の君塚直隆さんです。よろしくお願いします。
どうもよろしくお願いいたします。
今回題材にさせていただいてるのは、この『君主で読み解く世界史』ということで、お二人の対談本なんですけれども、岡本さんが中国のご専門で、そして君塚さんが君主であったりイギリスの専門家で、縦横無尽な世界史トークで、こういった本ってありそうでなかったなと思ったんですけど、普通の世界史の勉強をするより、やっぱりこういった形で読み解くと、いろんな示唆がありますね。
対談本って割とあったりするんですけど、確かに歴史ってあんまりないかなっていう感じもしたりして。一人で喋ってるより二人いた方が、人数多い方がもっと面白いのかなって気はしますけど、あんまりたくさんいてもね。
まとまりませんからね。そうですよね。違う国の専門同士がこうやって縦横無尽に語るって、よくあることなんですか、歴史の世界ですと。
そう多くはないでしょうけども。我々はむしろどちらかというと、学問的なところでいうと、結構どこそこの専門ですって言って縦割りなんです。それで逆に言うと、仲良しグループで、その専門で寄せ集まってみたいな部分の方が多いので、それも考えてみるとあんまりないよなみたいな感じではあります。
なので新鮮なんですね、こういった議論が。
そうかもしれないですね。我々二人はそれなりに交流もあったりとかしますので、そんなに珍しいだとか奇異だとか新鮮だとかいう感じは、むしろ腐れ縁的なのが大きいかなと思ってるんで。
昔から仲いいんです。第一弾でね、こちらの『帝国で読み解く近現代史』っていうのをやりましたんで。付き合い長いんで、お互いの呼吸もそれなりにわからないではないですし、大体何言うんかなとか、何してんのかなぐらいは分かる感じですから、話しやすいっていうのは話しやすいですね。これが確かに違う専門で初対面とかですと、これは、みたいな身構えがあったりとかするんですけど、さすがにそういうところは少ないかなというところですか。
分かりました。今日は君主をキーワードにしながら、今、世界中の統治システムがいろいろ揺れてますので、歴史からどんな示唆を導き出せるのかも含めて、お二人にぜひ伺っていきたいと思っています。本日三つテーマをご用意しました。一つ目が、この君主とは何か。二つ目は世界にどんな統治システムがあって、それがそれぞれの歴史であるとか固有性にどう根付いてるのか。そして三つ目に、そこから導き出せる日本の統治システムってどういう特徴があって、今後どういうふうに変わってくる可能性があるのかっていうところの予測も含めて伺えればというふうに思っております。今回、君主制をテーマにした理由はどこにあるんでしょうかね。
そうですね。今ちょうど地図が出てますかね。今、世界にありますけども、ご存じの通り、今から100年ちょっと前ですね。第一次世界大戦が1914年に始まりますけど、その頃っていうのは実は今見ていただいてる地図の大半が君主国、あるいはその植民地。大体6割ぐらいですね、地球の陸地面積。そういう状況だったんですね。それがあっという間に100年ぐらいで、今ご覧の通り、がらっと変わってしまった。
これにもうちょっと色をつけると、イギリスの王様を兼ねてる、今のチャールズ3世がそうなんですが、カナダとかオーストラリアもそうなんで、もう少し増えますが、それでも42か国ぐらいに。大体今、世界200か国ぐらいありますからね。もう5分の1ぐらいに減ってしまったと。じゃあ、もうこのまま消え去るような運命にあるのかっていうと、そうでもないような。
逆に共和制、大統領制を取ってるようなところの方が、アメリカしかり、ロシアしかり、いろいろと危ういようなこともあるんじゃないか。もちろん君主制が万能ではないんですけど、じゃあ今後どういうようなシステムっていうのが生き残っていくか、あるいは有用なのか、なんてことを考える上で、岡本先生とお話できればというわけですね。
やっぱり日本ってかなり特殊というか、貴重なポジショニングですかね。
そう。でもね、日本人の大半がね、自分たちが君主制だと思ってないんですよね。君主制って何、みたいな。特に憲法一条でご存じの通り、象徴だと。いわゆる君主とか国家元首って書いてないわけですよね。ですから実際には立憲君主制であると言っていい。最近、例の皇室典範の改正もございましたけど、実際には君主と言っていいような、そういう存在なんで。それもあって、やっぱり日本人、もう一回自分たちの国の国家形態もちょっと考えてちょうだいねということもあるわけですね。
君主制に絞ると、日本って世界最大の経済大国ですよね。今も1位ですよね、君主制の中で。
君主制を取ってる国の中ではそういうことになりますね。
そういうことですよね。分かりました。これ、岡本さん、どういうところで君主って。
今、君塚さんからお話がありましたけど、こういうふうになったって100年前なんですよね。逆に言うと、歴史、世界史全体で何千年もあって、どこまで遡ったらええのかよう分からんところがあり、中国だけでも5000年とか言ってますけど、その大部分は、ほとんどの地域というか、国の歴史が君主制で覆われてたって言って過言ではないと思いますので。そういうふうに考えてみると、歴史そのものの大部分は君主であって、君主っていうものが分かんないと歴史は分かんないって言っても過言ではないという感じですよね。
だから現代を見るのに、日本人はもう自国が君主制であることを忘れてますし、君主っていうのがあまりイメージされない部分が多いんですが、ただ歴史を考える際には、ポジティブに見るかネガティブに見るかっていうのは別で、好き嫌いも多分あるかもしれないですけれども、そういうことを抜きにして、歴史を見るのに君主を抜きに考えることはできないと、これだけは確かに言えるのではないかと思ってまして。
そうすると歴史って今と繋がってるっていうこともあって、今も生き残ってる国、日本が典型かもしれないですけど、ということがあるとすると、歴史を縦に見るっていうような感じで考えれば、君主っていうのは無視できない存在だと思いますし。我々、歴史屋なので、その観点から考えてみたっていうのが、この本の一つの売りになるかなと思ってます。
そうですよね。その中で君主とは何かと言った時に、王なのか皇帝なのか。この定義として本の中でも、リーダーの中のリーダーが王であり、王の中の王が皇帝であるという話がありましたけれど、王と皇帝は明確に分けて議論した方がいいんですね。
そうですね。これ、王、皇帝も漢字で、中国語がそもそもの由来になってますので、私のパートかなとも思うんですけど、その中国の定義ではまるっきり違う。王が例えば西洋でいうところのキングで、皇帝がエンペラーとかいうふうな形で、我々も翻訳をして、実際それがイコールでって理解してる部分も多いので、そういうふうなことを考えてみると、話は若干というかかなりややこしくなってきたりしますし。じゃあ日本は王でも皇帝でもなくて天皇がおる、みたいな感じですと、これまたどういうふうに考えたらいいのかっていうので、かなりややこしくなるんですが。
大まかな理解として、リーダーっていろんな団体、集団あるいは社会にいるんですけれども、そういうたくさんの集団とかいうのを束ねた中で、その中のリーダーというふうな形で、王っていうのは一応定義できるんではないかというふうなことを考えてますと、その大きな集団ですね。そういう王がたくさんいて、その中の全体を束ねて、やはりもう一つ上位にいるというようなことを考えてみると、これが皇帝みたいな存在になるかなと。大体、大まかな理解としてはそんな感じになるんではないかなと。
やっぱり始皇帝が分かりやすいわけですね。
そうですね。同じ今までの王と一緒にしてくれるなって言って、皇帝って改めて考え出し、ひねり出した称号でもありますので、違う段階に、あるいは違う地位になったっていうようなことは本人も自覚してましたし、それを表現するためにこんな言葉をひねり出したということはありますね。
日本の天皇は本でも書かれてましたけど、皇帝と呼ぶより、エンペラーというより、やっぱり王、キングと言った方がより正しいんでしょうかね。
そうですね。そこはおそらくそうなんだろうという感じです。
もともと大王って言ってましたよね。大王と書いてね。ですから、やっぱりもともと王様で、岡本先生も書いてらっしゃいますけど、天皇っていうのは外向きですね。中国に対して。実際には、しかも使えてないような、そういうようなものですから、実際には王様と言っていいでしょうね。
そういうことですね。それで、王の三つの責務として、これ、外敵から民を守る、経済的な豊かさをもたらす、社会正義を守る。これは今の王というかリーダーに求められるものとも、首相も含めて、ほとんど変わらないかなと思うんですけど、ここはずっと引き継がれてるものなんですかね。
もうこれが基本ですよね。リーダーっていうかね、国とか、あるいは組織、集団の中でリーダーって言われる人たちは。その民とか外敵とかっていうふうな言葉がどのくらいの範囲を指すかにもよるんですけれども、会社でも何でもいいんですけど、それってやっぱりおっしゃったように基本的な条件かなっていうような感じですね。
安全保障であり、経済的豊かさであり、正義っていう。これが基本ってことですよね。
その集団の秩序が三番目に今来てますけれども、これは当然リーダーが守るべき基本ですし、できればその中が豊かになって、しかもがっちりと敵がいないようにする。治安が守られる。当然ですよね。
そうですよね。その中で君主制、これ強みと弱みと言いますか、ずっと君主制が主流だった中で、今はやっぱりこれだけ貴重なものになっていると。君主制がなぜ歴史的には主流だったのに退潮しているのか。とはいえ強みと弱みがあると思うんですけど、君主制の強みと弱みって何なんでしょうかね。
そうですね。難しい質問になりますけどね。やっぱり一番初めは、君主がいるのかいないのかっていうのは、割と変な話ですけど選択的な。歴史の中でも西洋史で一番初めに出てくるのがギリシャ、ローマで、ギリシャ民主制、アテネとかね。でも君主制を取ってるところもあったりとかして、割とどちらかみたいな感じで選択ができる。もうちょっと言うと、どちらでもいいよなみたいな。逆に言うと、ギリシャのポリスの範囲の人数の中ですと、それができたわけですね。
ただ、もうちょっと組織が大きくなってきたりとか、広範になってくると、これやっぱりリーダーシップがどうしても、明確に指針を指し示し、あるいは決定ができるっていう部分が必要になってくるんだろうと思われますので、その辺りが実は重要なポイントかなと思いますね。
ですから初め、やっぱり人間って一人じゃ生きていけないので集団を作りますが、その中でこの集団がどういうふうに機能していくのかっていう、当然その中で合意が必要になるんですけれども、その合意形成の中で、ある種の引っ張っていくリーダーシップがどうしても必要になってきます。
それをどんなふうな形で合意形成をし、リーダーシップに従うだとか、リーダーシップを選ぶだとかっていうふうな手続を取ってくる際に、実際にそのリーダーを血縁で決めるのか、それとも選択制みたいな形の民主主義的な、民主制みたいなものがありうるのか。その辺りがギリシャ辺りでは選択的な形で現れてるんですけれども、それがむしろ一定の形の王様だとか皇帝だとかいうような形がずっと続いていくっていうふうな方が、広域支配にはむしろ有利だったっていうのが、多分歴史的にはずっと続いてきた形態だったんではないかなというところですね。
君塚さんはどう考えますか、強み。
今おっしゃってくださったのが大きい。あとやっぱり、別に君主制と言っても王様は一人で全てを統治してるわけじゃなくて、地域とか時代によりますけど、だんだん輪ってできてくるわけですよね。いわゆる王様とその取り巻き。それは貴族であったり、あるいは豪族、いろんな言い方が出てくると思いますが、そういったような人たちが中心になって政治をやっていくと。
それでうまくいっていればいいんですが、だんだんやっぱり人間ってどうしても私利私欲に走るのが大きい。自分たちとか自分自身の家だとか、あるいは階層に富が集中しちゃう。その分、下の人たちに対しては大変圧政が敷かれる、あるいはそういった人たちの犠牲の上に成り立つような。しかもそういった人たちが、失礼な言い方をすると教育がない時代はね、これが当たり前なんだというふうに思っちゃうわけですよ。だんだん教育を、読み書き能力を得て、そうでもないと、自分たちはとんでもない仕打ちを受けてるんだというような考えが徐々に生まれてくる。その一番有名な例が1789年のフランス革命ですよね。
ああいったようなものがだんだん世界に広がってくると、自分たちはやっぱり虐げられてると。全てがいわゆる自由、平等、友愛じゃないですけどね。そういうようなスローガンが出てくると、やっぱり君主制っていうのはもろくも崩れてしまう。ですから君主の中でも、あとまたそういう話になるでしょうが、今生き残ってるのはやっぱり柔軟性があると。
これ、時代とともに変わらなきゃいけないとね。ずっと同じことをやっていたら、それは絶対、これは何も君主制に限りませんよね。共和制であれ、あるいは企業であれ、ずっと同じことをやってたら滅びるというのは大体必然なんじゃないですかね。
そういうことですね。そうすると民主主義とかも関連してくると思うんですけど、このマップを見ていくと分かりやすいかなと思うんですけど、君主制、共和制、そして政治が民主主義なのか専制主義なのかで、四つの軸で分けてるんですけれども、日本の方は民主主義で君主、立憲君主制で、日本とか英国であるとか。そして共和民主主義はフランス、アメリカ。そして共和専制主義はロシア、中国。これ、君主専制主義は中東とかが典型って考えていいんですかね。
中東もそうですし、ブルネイなんていう国もありますね。
そうですね。世界は大ざっぱに言うと、この四つに分かれてると言っていいんでしょうかね。
もちろん例外的な、ほかにもあるかもしれません。でも大きく分けたら、大体この四つでいいんじゃないですか。
そうですよね。こう考えた時に、どれが優れている、優れてないっていうのはそもそもないと思うんですけど、ここはどれがフィットするかっていうのは、やっぱりその国柄と言いますか、歴史でもうかなり運命づけられてるものなんですかね。
かなり偶発的にそうなってしまったっていうことも大きいとは思いますが、ただそういうことも含めて、歴史的な経緯っていうのがやはり重要なポイントになっているかなと思いますね。
フランスとかはかなり偶発的にというか、ずっと君主制だったはずで、多分君主制の方がフィットしてるんだろうなと思うんですけども。ヨーロッパ大陸の国って割とそんな感じがするんですけど、これはかなり偶発的なところで共和制になり、その共和制がむしろ善だっていうふうな思想もできちゃったもんですので、共和制がかなり広まってしまっているっていうふうなことはあるんだろうと思いますね。
なので、その歴史的な経緯だけでとか、そのお国柄だけでっていうふうなことは、かなり実は言いがたい部分もあって。フランスとかロシアとか中国とかの共和制ってかなり無理あるっていう、歴史から見るとそんな感じがしますね。
やっぱりこの中でだと、アメリカだけちょっと特殊。
歴史的に見てもね、いわゆる言ってみれば地続きじゃない。すなわちアメリカ独立革命が確かに、今からちょうど250年前なんですね、今年ね、なります。独立宣言からね。ところがあれは、もちろん王はいたけど、それは海の向こう、大洋の向こうなので、直接的にはあんまりない。
ご覧の通り、フランスとかロシア、中国、これ全てかつては帝国だったり王国だったのは、これはそのまま地続きでね、いくら巨大でもそのままやってきますから。やっぱりその民の恐れって全然違う。ある意味でアメリカっていうのは最初から民主的な、そういうような風土っていうのはあって、それがより強くなってというような点が、今ちょうど旗が出てるような国とは若干違いがあると思いますね。
そもそも君主がいないですもんね、最初からですね。
その同じ空間にはね。
共和制っていうのはやっぱりすごい人工的な。特にずっと君主制が続いてきたところで共和制になったってところは、かなり人工的な、人為的なところが働いてますので、そういう経緯は、これも歴史も含めてですけれども、考えていく必要はあるかなっていう感じがしますね。
韓国も左下なんですかね。共和。
そうですね。韓国はどうなんですかね。民主主義、専制主義、もうちょっと難しい。南北で分かれるかもしれません。
北は完全にね。でもどっちも割と偏ってる感じがしますね。
難しいところが出てきますね。現代を見ていきますと、アメリカがこの民主主義という価値を世界に広げようとしたっていうのが大きい構図としてありますけど、やっぱりロシア、中国と民主主義っていうのは、もうほぼ無理なんですかね。
ほぼ無理というか。
もう無理ですか。
そもそも取り入れようとしたこともないでしょう。
それはちょっと無理。中国はちょっとあるんですけど、無惨にも失敗したっていう。
ロシアもある意味でそうかもしれない。ソ連からロシアに移った辺りまではね。今のプーチンになってからそうはいかなくなりましたけど。
やってみて駄目だったっていう事例はあるんです、やっぱり。
そこまで無理筋なものを、歴史を踏まえたら必然的なものを、なんでアメリカってあそこまで押し付けようとしたんですかね。
アメリカは自分たちのシステムが一番優れてると思ってる、ある意味そういう国なので。
ただそれも、もう20世紀になってからですからね。それまではモンロー主義じゃないですけど、孤立国でしたから。しかもそれも、大西洋で隔たってるので直接攻めてくるやついないでしょ、ヨーロッパからね。最強とは言ったって、そのおかげですよね。
じゃあ戦後に育った我々の世代っていうのも、この民主主義が正しい、やっぱりアメリカニズムこそ正しいっていうところに洗脳されてる面も大いにあるんですかね。
もうそのアメリカ最盛期の時代にあたっちゃって、ガーンと入ってこられましたしね。
日本は結構そういう感じがありますね。ただ割と20世紀の初頭のアジア諸国は、やっぱりアメリカが彗星的に、第一次大戦も含めてですけど出てきたっていうこともあって、割とアメリカを理想的に見るっていうパターンは多いですね。ウィルソンなんてとってもヒーローでしたから、そういう点で言えばね。
なんでロシア、中国と民主主義はなじまないんですか。必ず専制主義的になっていくのは、やっぱり国土が広いとか、統治するのに強いリーダーシップがないと無理な国だからとか、そういうところが大きいですか。
それは大きいですし、やっぱり歴史的にそれがすごいフィットしてきたっていうような。それは鶏と卵の話になりますけど、それがやっぱり地にとって自然だったから続いてきた。続いてきたから、やっぱりそれしか考えられないっていう、そういう循環が多分あると思いますね。
お二人からご覧になると、今後数百年、千年後も、この二国が民主主義になってる可能性はほぼゼロですか。
難しいですね。どれぐらいの大きさで残ってるかね。岡本先生もおっしゃってるけど、もともと中国だってあんな巨大じゃない。ただやっぱり統一国家としての巨大な帝国というか、中国というので残り続けているんであれば、もうそうだと思いますし、もともと群雄割拠しているような時代っていうのは、もう少しまた違ってたわけですから、どんなになるのか次第ですよね。
多分なので、ロシアにしても中国にしても、むしろ上の座標に行った方が座りはいいです。
君主を一回なくした国が、また復帰ってできるんですか。
それは別に関係ないでしょうね。
新たな王様が作って、そこが広げていく。
ただ今の時代は国民の理解とか。ただしそれがロシアとか中国ではどれぐらい通用できてるかってなりますのでね。日本とは違うのでね。
一応、大統領制っていうのがありますし、憲法もありますんで。君主が復活するとか、ロシア皇帝、中国皇帝が復活したらめっちゃ面白いんですけど。でもプーチン、習近平、結構似たものだと思うんですけど、ただ交代はしますよね。
しますね。
しますので、この本でも書いたことですし、我々も語ってて深く納得する話なんですが、交代、相続が一番重要なんですよね。君主の代替わりがね。それは世襲にしても、別に世襲じゃない形にしても、共和制であってもですね、そこの本質は変わらないですね。交代をいかに円滑にやるのかっていうので、世襲が駄目ですから共和制になってるっていうだけの話なんですよね。究極的に考えてみると。
そうです。でもその中では、ルイ16世みたいなボンクラが出てきたから首ちょん切って共和制にしたっていうのがフランス革命なので。結局ナポレオンが出てきたりとか、王政復古になってみたりとか、でも結局ナポレオンも駄目だから共和制に戻したって、それだけの話ですからね。
そうですよね。フランス、君主制に戻りたいと思ったら、やることは可能なんですか、これから。
今は憲法で否定されちゃってますので、憲法改正しないと、今後は君主制には戻れないですね。一応、一族は残ってるんです。それぞれ、ブルボン朝と、それからルイ・フィリップの七月王政のオルレアン家と、それからナポレオン家の三つが、実はいるんですけどね。
嫌だと思いますね。あれだけ偉大だったから、ナポレオンとかね、ルイ14世とかいうのがいたからあれですけど、今の人は普通の人になっちゃってると思いますしね。
本人たちも嫌ですよね。
でもね、案外望んでる可能性もあるかもしれませんよ。
歴史上、共和制から君主制に戻った国って結構例はあるんですか。
だって共和制になって、そのナポレオンが出てきました。フランスは何度も政体が変わっちゃったでしょ。1871年以降はずっと共和制ですけど、それ以前はもうころころ変わっちゃいました。
そこ変えられるんですね。これからもそこは。
ルイ・ナポレオンがそうでしょ。ナポレオン3世、第二帝政、最初は大統領だったのが皇帝になっちゃったわけですから。
そういうことですね。中国も一回、中華民国になった後に袁世凱が帝政をやろうとしましたし、清の復辟みたいなことも試みがあったんですね。結局失敗しましたけど。ただやっぱり共和制が未知数だっていう時期は確かにあったんですよね。
ということですね。それ、先ほどの話とも繋がります。アジアでなぜ議会が成立しなかったのか。これは何でなんでしょうかね。
これはやっぱりアジアのいわゆる帝国が多かったっていうことが重要かなと思いますね。つまり国民国家というか、共和制、議会とかいうようなものが機能する一定の条件っていうのがやっぱりあると思うんです。それは皇帝というよりは、むしろまとまった形での王の方ですかね、君主で言えば。
これは本の中で君塚さんとも議論をしてるんですけれども、そもそも王、キングっていうのは血縁の側面が多くて、ある共同体のリーダーっていうところから出発してます。それが同じ縁ので、先ほど日本では王ですよねっていう話をしたのは、日本人の天皇がその代表者とか親玉みたいなところがありますから、みんな天皇だみたいなことでもありますけど、そういうことがあるので、やっぱり血縁っていうか、そういう同じ共同体のリーダーという意識があるところ。じゃあそこの代表者、エリート代表者がその補佐をするっていう議会が始まるだとかいうふうなことがあります。
ただ、それがいろんな諸民族、諸集団が全体的に構成するような帝国っていう形で、皇帝っていうのはそういう意味で王のさらに上にいた超越した存在になりますから、それをある一定の集団の代表、選挙権があるような連中の議会っていうのは、なかなか機能しがたいっていうか、成立しづらいっていう条件はあるんだろうなと思いますね。
その意味では規模というのも大事と言いますか、北欧には立憲君主制が多いって話もありましたけど、日本もそうかもしれませんけど、そこまで大きくない国の中で君主がいるとまとめやすいっていう、そういう特徴はあるんでしょうかね。
ありますし、今おっしゃってくださいました、あと言語ですよね。議会っていうことは、いわゆるもともとパーラメント、パーラーっていうのはもともとおしゃべりって意味でしょ。パーラー、資生堂のパーラーね。あれ同じなんですよ。もともとラテン語でおしゃべりする、そこから来てますね。そう、喋る。だから多民族で全然言語が違ったら、おしゃべりも喧嘩になっちゃうんですよ。同じ言語を喋らないといけない。そうするとやっぱり限られてきちゃう。
今でこそ、皆さんいろんな言語が、いわゆる共通語だとか標準語なんていうのがありますけども、当時そんなものありませんので、やっぱりそういうところから議会ってできてますからね。今ちょうど画面に出てるような北欧なんて、今だってノルウェー、デンマークなんていうのは400万、500万人ぐらいしか全人口いませんからね。昔なんかもっと少なかったんで、やっぱりそれぐらいの規模であると、しかも言語も同じであれば、そうなりやすい。
サイズっていうのは決定的ですね。そういう点で言えば、やっぱりでかいと機能しがたいっていうところはどうしても出てきますね。
ロシアだってドゥーマなんて、いわゆる議会っていうのは20世紀に出てきたけど、結局すぐ潰されちゃうんでしょ。皇帝の力もありますけどね。やっぱり言語っていうのは当然大きいです。
中国でも議会やってみたんですよね。そうすると、好き勝手な議論をして、船頭多くしてなんですけど、小田原評定でまとまらないんですよね。なので、しびれを切らして皇帝になるぞっていうのが袁世凱だったわけで、それは中国史の非常に重要なポイントとしてあるかなっていう感じがしますね。
みんなで話し合ってそこでまとまる、和をもって尊しとなすってすごいことなんですね。
大変なことなんです。大変です。ですので逆に言うと、民主主義が機能してる国っていうのは少ないんですよ。西側諸国の普遍的価値っていうのは、むしろ少数派だと思った方がいいと思います。
そういうことですね。そういう意味では、EUという取り組みはどう考えたらいいんですかね。EUはまさしくいろんな国が入ってきて、言語も違う中で、そこを一つの国のようにしようとしたわけじゃないですか。ちょっとそもそも無理があったんですかね。
無理があって、今そういうことになっちゃってますよね。特にイギリスなんか出ていくとなっちゃいましたしね。
ただ、あれが曲がりなりにも成立してるっていうところは、やっぱりヨーロッパっていうところの特殊性、世界的にでしょうね。
そこはすごいところでもあるわけですね。
ただ、そのヨーロッパではまとまらないEUみたいな規模で、例えばロシアとか中国っていう一つの国が存在してると考えた方がいいわけですね。なので、それをまとめようとすると、もっと強力な専制的なリーダーシップが必要になるっていうので、もともとは皇帝で、今はプーチンだとか、ああいう存在がどうしても必要だって、こういう話になってくるわけです。
そういうことですよね。そういった中で、これだけの人口を抱えながらも民主主義で曲がりなりにもうまくやってきたアメリカですけれども、この左下のエリアで今後もうまくいくのか、統治システムが岐路を迎えてるのか。言語の面でもスパニッシュが入ってきたり、いろんな多様な人が入ってきて、同じ言語で話せない人も増えてきてますよね。アメリカの統治システムは岐路を迎えてるんでしょうか。どう見てらっしゃいますか、お二人。
常に迎える国なので、そこはね、やっぱり復元力もありますよね。ただ今回みたいに一人のリーダーが登場して、それでめちゃめちゃにしちゃうっていうのは今までの例ではないですね。
やっぱり社会の現象、階層、そういった、例えば禁酒法なんていうのも、あんなの国の法律として通っちゃうっていうのも、多分世界史上でもまれですよね。でもそれも結局やっぱり駄目だったね。あれで結局ギャングが登場したって、アル・カポネの時代になってなんて、映画にはなりやすいんですけど。やっぱりそれでまたすぐやめてとか、あとモンロー・ドクトリンだとか、いろんなものが登場すると。移民を規制する、日本も食らいましたよね、やられましたよね。
そういうようなことも一時的に起こるんだけど、また我に返って戻るという。だから今現在のトランプの現象、また我に返って、また世界に開かれた国になっていくのかもしれないし。そういう柔軟性がどれぐらいまでこの後もアメリカが示せるか。ただそれはやっぱり国民との関わりっていうのは、国民自身が大きく変わってしまってるとなかなか難しい。
トランプが単なる異常現象、天気で例えると異常気象じゃなくて、この後も恒常的にああいう人たちが登場せざるを得なくなってくると、またちょっと変わってくるかもしれませんね。
リーダーの個性ってやっぱり重要でして、君主制が危機を迎えて、この本でもやっぱりフランス革命の時に、いかにもルイ16世は愚かだったっていう話をしてたんですよね。その君主制、王家そのものは多分に残る可能性はその時あったんですけど、あまりにも愚かだったので、振る舞いが。なので王政そのものがなくなってしまったっていうような現象もあったわけですね。
今のアメリカはああいうでかい国ですので、やっぱり大統領の権限っていうのはかなり強くて、それこそ君主に似たような地位というか、権力を振るえるわけで。ですからトランプはあんなむちゃくちゃなことができてるわけですが、いかにも愚かなので、じゃあどうなってしまうんだろうということは、やっぱり危惧としては我々は覚えざるを得ないっていうところはありますね。
今、君塚さんがおっしゃったようなアメリカの良識を私も信じたいですが、良識のあるリーダーがほかにいるのかって言われると、なかなか。っていう辺りで、大丈夫なのかしらんってやっぱり思わざるを得ない部分はありますよね。
今までの歴史でも見えてきた振れ幅の中に収まる程度の変化なのか、それを超えるものなのか。そこを今後見極めるポイントって何かあるんでしょうかね。例えばこれまでも、4年2期でやり続けるっていうのが、最初は創業者たちがそうして、その後法律化されて。そこに謙虚さというか、そういうのはあったと思うんですけど、トランプはそれもなさそうですし。4年2期とか、そういう法則すらもなくなってきた時に、一つ危惧するべき。
でも今のところ、ちゃんとまだ憲法は改正されてませんので。それに手を出しちゃって、しかもそれに賛同する人がかなり多いというような状況になると、やっぱりちょっとそれは私たちも、世界中が危うくなってくるのかなと思いますね。
そうするとまだ大丈夫そうですね。
だとは思います。そう思いたい。やっぱりなんだかんだ言ってアメリカは、人類史での希望みたいなところがあるので、そこは信じたいですね。
そうですね。統治システムとテクノロジーの発展とか、そういったものって大きく影響を与えてきたと思うんですけど、このAIの発展、特にAIによって民間企業の中でもGAFAみたいな人が非常に権力を握ったり、中国は統治にもAIを生かしたりしてますけど、このAIの発展は統治システムに何か影響を与えるというふうに思われますか。
今、中国の例を出していただいたので、私としてはとても関心を持って見てたりするんですよね。中国っていうのは、とにかく民間がむちゃくちゃ強くて、政治力っていうようなものが、これ意外に聞こえる方が多いかもしれないんですが、中国の政権、政府の力っていうのはもうすごく弱い。歴史的にそうなんですね。
中国当局がすぐ強権を発動して、法律をむちゃくちゃ行使したりだとか、むちゃくちゃなことをやったりとか、あるいはすごい強がりなことを言ったりするって、あれ全て弱さの表れで、ああでもしないとまとめていけないとか、すぐ外からつけ入られるっていう恐怖がそうさせているんですね。
私、よく講義とかで事例を出して言うんですけど、ゴキブリが怖い人ほどゴキブリを殺すんですよ。虫が怖い人ほど虫を殺して、そうじゃない、虫に親しんでる人は、あるいは虫が怖くない人は、ちゃんと捕まえて放してあげるだとかね。
気にしないですよね。気にしないっていうことがあって、それが。
中国政府の内外に対する態度なので、いかに中国の国内の人たち、あるいは中国人をコントロールできるかっていうのが、中国政府の大きな課題だったんですけれども、中国人、すごくおとなしくなってきてる。
国家と民間のパワーバランスが、やっぱりAIによって変わってきて。AIとかテクノロジー、コンピューター、ITの力で、監視システムとかできてるのもありますし、結構便利なので。そこに対して民間人がかなり警戒感を解いてる部分があったりとかするので、どうなっていくんかなっていうのが、とっても関心がありますね。
そうすると、やはりここの専制主義が機能しやすくなってるってことですかね。
そうですね。政府から見ると、そうなっているという感じがします。
君塚先生、どうですか。AIの影響ですね。
むしろ、もちろん中国とかロシアなんかは今すごく最先進ですけど、もともともちろんヨーロッパ、あるいはアメリカで出来上がったシステムですよね。ですから、今ここまでになっちゃってる。そこまで見通したかわからないですけど、よく言われてるのは、例のジョージ・オーウェルの『1984』みたいな、ああいうのでもうすでに見通してて。ただ、オーウェルもここまでの状況になるまで予想できたかどうかは別として、ある程度は見通してて。ご存じのとおり、もうそれ系の映画、いっぱいあるでしょ。
本当なのか嘘なのかわかんないぐらいに。嘘なのが本当になっちゃうぐらいに、今もどんどん進んでますから。むしろ警戒感、やっぱりまだちょっと市民とかそういう力がある程度声に出てくるのは欧米の方だと思いますので、そういうものには警戒感が、映画とかそういったものになっていく。逆にでもそれで、市民たちもSNSとかに取り込まれちゃうようなこともあるので、欧米っていうのは逆に翻弄されてるのかなというふうに思いますよね。
AIはこの国家を強くする方にもしかしたら行くかもしれませんけど、SNSとかこういったメディアの変化はどっちに作用するんですかね。このフランス革命のときも、やはり中間層が育ったことでもありましたけど、今まで尊敬してたと思ってた貴族とか、そういった人たちが意外とちゃんと働いてないとか、そういうふうな反感が、堕落した君主制への反感を生んだってところがあると思うんですけど。今もいろんな形でSNSで情報が出て、マスゴミとかそういうのもそうでしょうけど、お金持ちな人ほど叩かれるみたいな。
ただ、やっぱり欧米、特にオーストラリアだとか、あとヨーロッパ、最近やってますけど、いろんな国がそうなりましたけど、割と規制するようになりましたよね。何歳以上は、何歳以下は使っちゃいけないとかね。やっぱりそういう辺りの規制がどれぐらい。違う意味で中国やロシアは規制するんでしょうけども、統制だとかそういうのが早くから発達をしてきた国でもありますので。これは専制主義というか、政府の力をどれだけ強くするかっていうようなこととも絡んでますので、SNSがもともと出てきて使われてきたっていう、そもそもの文脈とは違う次元で、統治の道具としてどういうふうにコントロールするかっていうことを早くから考えてましたですよね。
一時期は『権力の終焉』みたいな形で、権力がどんどん弱くなるみたいな文脈で言われてましたけど、やっぱり総合すると、AIも含めると必ずしも権力を弱めないんですよね。
そうですね。それは権力がどういうふうにコントロールするかっていうことと、逆に民衆が、この権力との関わりをSNSでどういうふうにしていくかっていう意識も、多分関わってくるのかなっていう感じはしてますよね。
君主とSNSなんかでも、いろんな人の行動が見えてしまうっていう中で、リーダーとしてどう振る舞うか。特に北欧なんかでは、やはり中間層的な暮らしをする、贅沢をしないってことが大事っていうのも書かれてましたけど、現代の君主、リーダーっていうのは、やっぱりあんまり華美になってはいけないというか、そこの共感を得るっていうところは昔以上に重要にはなってるんですかね。
やっぱり、さっきからずっと話が出てるSNSにしろ、いろんなものにしろ、割と可視化されてますよね。だって昔は天皇だとか、いわゆる御門ですね。もう会う人なんてほとんどいないんですから、世の中でね。参議以上じゃないと会えないような、そんなような世界ですから、お顔もわかんないし。でも日本なんていうと、肖像があんまりない国なんで、もともとはね。今は違いますよ。
ですけども、ヨーロッパとかそういった肖像画が多いし、『こういう顔されてるんだ』とか、あるいは『こういうもの食べてるんだ』みたいなのもわかって。ただ、もっと現実的にわかるのは、もう現代になってからなんで。ですから、今はもう完全に可視化されてるし、何を召し上がったかまでは、別に日々のあれには出て、首相でさえも出てきませんけども、とはいっても大体想像つくようなものですよね。
だから、やっぱり一般の人たちとどれぐらいかけ離れてるのか、あるいは自分たちと同じようなものなのかっていうようなことは、一般の人たちっていうのは特に意識するようになってるわけで。それ以前は全然気にも留めないというか、もうそもそもわからない話でしたからね。だからそれは、今度は逆に君主とか王室とか皇室っていうのは、それを意識しないといけなくなる。いわゆる華美な、過度に贅沢だとかねっていうのは、ちょっと問題が起こるかなと。それをあんまり気にしなくて済むのが、今言った絶対君主の人たちであって、中東だとか、あるいはブルネイだとか、そういったような国々っていうのは、そこまでまだ考えてはいないケースも多いですよね。
習近平とか中国のリーダーって、どれぐらいそういうところを気にしてるんですか。どう好かれていくかって。
そもそもが、そういうことも含めてIT、SNSの統制を強めてますので、当局が出したい以上に情報は公開はしないというのが原則だろうと思いますし、下々の方もそれは正式なルートではゲットできないですよね。ただ、どれだけそれがアングラっていうか、地下的にどういうふうな形になっていくのかまでは、どこまで規制できてるのかっていう部分もあるかと思いますし。中国内では多分そういう情報統制は利きますけど、外に出るとどうなのかっていう部分は。ですので、その辺りはまだまだ、ひょっとすると難しいのかもしれないかなと思いますね。
そういうことですね。そういうふうにちゃんと倫理的にも鍛えられている君主、そういった王家といいますか、ファミリーと、そうではないところっていうのは何が分けるんですかね。先ほど、やっぱりどう継いでいくかっていう、統治のあり方っていうことであると。
やっぱり代々ですよね。その教えがちゃんと引き継がれるかどうか。引き継がれる。あと、親とかおじいちゃん、おばあちゃんの背中を見て育ってますから。だからそれが、急に入ってくるだとか、急に違う人が登場するっていうのと違うわけですよね。そこですね。
王家としてのってことですね。そこも含めて、この統治システムの話というのは、どれだけ企業の統治システムに応用できると思われますか。今も日本はガバナンス改革って形で、どう企業統治をうまくやるかって話が毎日のように出てくるんですけど。オーナー企業があれば、そこで世襲をするところもあれば、世襲はよくないっていうことで指名委員会みたいなのを作って、どう次のリーダーを選ぶかっていうのを厳密にやっていったりであったりとか、企業が今この統治システムって、みんな真剣に考えてるんですけど。この国家に起きたことっていうのは、結構参考になるもんなんでしょうかね。
それは同じことだろうと思うんですけど、本質的には。人々を、それこそ先ほど、何かすごいプリミティブな条件が3つ並んでましたけど、ほとんど同じですよね。君主制ですと、先ほどおっしゃったような大企業みたいな部分に共通しますし、共和制ですと、普通の会社の社長さんを選ぶだとかっていうふうなこととも似てる部分が多いので。といっても、本質的にはそれほど変わらない部分があるんだろうと思いますね。
両方ともガバナンスの問題なので。それはどれだけその人と、それからそれを補佐するだとか、中枢の組織にどれだけの能力が備わってるかっていうことが、まず問題になると思いますし。その活動、企業ですと一定の目的の機能があるわけですが、国家は割とジェネラルですけども、あんまり変わらないですよね。でもそういう部分も含めてっていうことを考えれば、かなり共通するところとして読んでいただくっていうのが。
やっぱりポイントは、先ほど申し上げたように、個人の能力は当然ですけれども、それを裏付けるような、君主にしても多分リーダーにしてもそうですが、やっぱりボンクラっていうか、悪く見せるといかんので、徳が重要ですよね。
どっかでボンクラ、絶対出てくるじゃないですか。そのとき、どうしたらいいんですか。やっぱりボンクラがトップにならないような。
番頭さんたちが。世襲の場合、どうしてもボンクラが出てくるっていうのは当然ですけれども、そのボンクラがかき乱さないようなシステムをどういうふうに作るかっていうところがポイントになりますし。そうじゃない、首をすげ替えるっていうようなシステムがどれだけできてるかっていうことも重要かなと思います。
割とこちらの界隈、今日、明治神宮前から歩かせていただきました。すごくおしゃれな、この辺りの会社さんっていうのは、企業さんは、1代で起こされたとか、あるいは最近出来上がった企業が多いと思うんですけど。逆に銀座の方に歩かれると、老舗って呼ばれるような、とらやであれ、榮太樓であれ、あるいは鳩居堂とか、いろいろ。ああいうところが大体、君主制っていうか、代々やってて、10何代、江戸時代から続いてるなんていうのだっているわけでしょ。
そうすると、大体世襲でやっていくと、今言っちゃいけない、ボンクラみたいな。でも、そうして番頭さんが、やっぱりそういう時代がそうですけども、しっかりと脇を固めてくれるような、ああいうシステムができてるかどうか。一方、その番頭さんだって私利私欲に走っちゃうとまずいわけでね。夜逃げしちゃうとかね、まずいわけですが。そういうのがどれぐらいできてるかっていうのは、やっぱりもうこれ、国政そのものなわけですよね。
一方、世界最大企業の1つのトヨタも、あれも世襲制なわけなんで。この左上みたいなもんですよね。立憲君主制。それで、今また新しい方の社長さんになったけどね、豊田の一族になったら大政奉還なんて言葉を使ってるわけじゃないですか。まさにね。だから本当に、そういう世襲っていうのがね。ホンダとか、むしろ宗一郎さんがそういうのを排しましたけども。
やっぱり松下であれ、あるいはトヨタであれ、割と創業者一族っていうのが強い、あるいはそれでまた強みになってるような、そういうところもあるので。やっぱり社会的に家制度がずっとあってっていうこともありましたので、そういうのが割と強いというか、ないしは、日本もみんな納得する部分があるような感じはありますよね。
そうですよね。いわゆる財閥系とか、ああいうところは、やっぱり岩崎家がもう財閥解体でなくなって、その意味じゃもう君主……。
でも裏で相変わらず力あるんです。
ありますか。
あります。
君主制ですか。
いや、そうですよ。表にサラリーマン社長を置いとくだけでいい。岩崎、三井とかね、住友なんて相変わらず強いんですよ。
そうか。
やっぱり、日本に限らず、ロスチャイルドだとか、ロックフェラーなんているでしょ。そういうところは相変わらず強いですよ。
日本は企業統治もこの左上がちょうど合ってるのかもしれませんね。
全てとは言いませんけど、やっぱり割とパタッとはまるのかなと。イギリスだって、例の王室御用達なんていう企業ありますよね。そうすると、割とファミリービジネスが多いですよね。
そうです。やっぱり後代が重要で、その家で育ってきた人たち、先ほど背中を見て育てたとか、教育機能が備わってるっていう、リーダー的な教育っていうの、帝王学ですけれども。そういうのって、やっぱり普通の学習では無理なので、なかなかそういう点では、ひょっとしたら世襲の方が向いてるかもしれないぐらいなイメージはできますよね。
わかりました。面白いですよね。企業に当てはめていくと、いろいろ勉強になります。これも踏まえた上で、最後、日本の統治システムっていうところで、これも踏まえた上で日本にどんな示唆があるのかっていうのを伺いたいんですけど。天皇の議論は今いろいろ行われてますけど、天皇っていうのは、これだけ長く続き、ずっと倫理的にも、いろいろあったかもしれませんけど、これだけ連綿と続き、国民に愛され続けて、これってなかなかないことですよね。国の中で。
国民に愛されてるかどうか、それはもう歴史観ですよね。それはどこまで、歴史的に見ると、偶然続いちゃったっていう部分も強いし。利用されてね、特に鎌倉以後はね。ですから、利用されるだけの存在に、もちろんその時点でもなってた。鎌倉の時点だって、500、600年もたってますから。それでそのまま来ちゃったということもありますから。
愛されるかどうかっていうのは、もう現代的な感覚。さっき言ったとおり、誰も見たことないような、江戸時代以前はね。明治天皇になってからようやく一般の国民の前に。ほとんど天皇の存在とか知らなかったっていうことの方が多いと。あと、もう全然気にもしてない。むしろ御公儀っていったら徳川とか幕府の方なんで。
それこそガバナンスに関わるような部分っていうのは、むしろずっと日本は、天皇が君主だとすれば、臣下がずっとそれこそ番頭さん的に切り盛りをしてたっていうのが基本的な姿ですよね。天皇はむしろ宗教的に、神に祀られてるっていうのが普通のあり方だったんだろうと思われますよね。そういう点では、あまり天皇そのものが、いわゆる日本史、日本の歴史っていうようなところにどれだけ深く関与しているかっていうと、かなり限定的に考えた方がいいような気がします。
ですから、佐々木さんも中国と日本史を学ばれたかもしれませんけど、教科書にどんどん天皇なんか出てこなかったでしょ。
確かに、そう言われてみればそうですね。
本当に稀な事件が、初期の大仏作った天皇だとか、あれは天智とか天武とか。なんで出てくるかっていえば、中国との関わりというか、もうちょっと言うと仲が悪くなってとか、あるいは中国の制度で国を作ろうとして、中国皇帝みたいな感じになっちゃってるのが、あの時期なんですよ。全面的に民を治めるぞとか、政府を率いるぞっていうふうな形になってますけど、あれもすぐ本家帰りして、『藤原氏に任せますよ』みたいな感じになっていくわけです。
その辺りから、多分おっしゃる藤原とか、あるいは平清盛だとか。
そう、源氏以降ですよね。
せいぜい分裂した南北の天皇が出てくるぐらいで、あとはもうしばらくほとんど出てこなくなって、ようやく明治天皇が急にぽこっと出てくる。それ以後はもうしょうがないですね。近代化されて、君主と国民国家のやり方をまねるんでっていって、前面に出てくるだけで、本来の日本の姿といえば違うと思うんですよね。
明治天皇以降がかなり異常というか、特殊ってことですね。
そうです。だから、この問い方だと、今現在のっていうんだったら、150年前ぐらいからの日本における天皇ってことになりますね。
そういうことですね。どうしていくといいんですかね。今までの明治以降のこの形、象徴的なあり方、このまま続けていくのが日本の安定のために一番いいんでしょうか。
というか、それで例の1945年でまたがらっと変わりましたんで、45年からのシステムをそう変えるようなことはないだろう。ただ、それを受け継ぐ人がどれぐらい、いわゆる継承だとか、あるいは皇族の数の話っていうのが今問題になってるわけで、それを受け継ぐ人がいなくなっちゃうと困っちゃうと。そういうこと。
立憲君主制っていうか、日本国憲法があって、一応それが、日本も法治国家なので、それが前提になってあるわけですから。典範とかもあって、その天皇、象徴という形で一応規定されてて、一応ないといけない存在でもあるので、後代そのものも含めてどうしていくのかっていうのは、かなり国民も含めて考えていかないといけない問題にはなってきてますよね、今。
ですよね。国民統合の象徴としての役割といいますか、例えば本でも、アメリカとの対比で、アメリカはやっぱり分断ってことで、何か起きたとき、統合する存在って、憲法とかはありますけど、アメリカンドリームもありますけど、人としてはあんまりいないですよね。
やっぱりシンボルっていうと、先ほど出していた4つの座標軸になっているやつでいうと、立憲君主制だったら君主っていうのはシンボルになってくれると。ところが、他の場合ですと、絶対君主制は置いといて、共和制になっちゃうと大統領がそれも兼ねなきゃいけないと。そうなっちゃうとトランプさんみたいな人が出て、あれを自分たちの国のシンボルと呼べるかみたいな。それでどんどん離れちゃうわけでしょ。
日本の場合だって、今の人の名前は言いませんよ。だけど首相が、ある首相が出てきたとして、気に入らないと。でもシンボルは天皇陛下なんだとなると、ちょっと落ち着くみたいな部分が。そのためには、さっき佐々木さんがおっしゃってくださったとおり、人格も非常に優れたような徳がないと駄目なんです、君主はね。
そういうことですね。
私の、ちょっと手前みそで申し訳ないんですけど、『悪党たちの大英帝国』とか、先生も『悪党たちの中華帝国』を書いていただいてたんですが、実際の政治家は悪党でいいんです。ちゃんと実績を示して。
政治なんていうのは、手を汚してなんぼの商売なので。私も言ってるんですけど、日本人は政治にクリーンさを求めすぎてですね。政治なんていうのは本当に汚い稼業なので、どれだけ利害調整をしてうまく収めるかっていうのが政治ですから。そこに何かクリーンさを求めるっていうのは、本末転倒というか、ちょっと矛盾なのでっていう話です。
だから、その意味で棲み分けができてるとね。国の象徴であり、あるいは実質、国家的に国賓として海外へ行かれるだとか、あるいは国賓を迎えるなんていうのは天皇陛下に任せといて。
看板をね、看板、きれいな看板で。
ちょっと手を汚さなきゃいけないのは、もう首相とか外相に任せとくみたいなね。そういうのができるっていうのは、この座標軸でいったら君主制だけでしょ。しかも実は一番左上ですよね。いわゆる右上だって、これは絶対君主、自分たちが全部やってますから、政治も。それから下は、もう全部大統領なり何なりが国の顔にもならなきゃいけないと。だから、似つかわしくないような人が出てくると、やっぱりあれでいいのかっていう声が出てきちゃうわけですね。
中東の君主なんかっていうのは、結構尊敬されてるんですかね、人間として。
いや、それは一切出てきませんよ。もう殺されちゃう。首切られちゃう、サウジなんか。あそこ、いまだに斬刑だからね、そういうね。
それは言いたくても言えない。
共和制において倫理的な何かの象徴になるのは、やっぱり宗教とかそっちになるんですかね。キリスト教であるとか。
そう。今、それもだいぶちょっと弱まってはいる部分も出てくるかもしれませんけど。イスラムの場合は、イランなんていうのは典型的なので、やっぱり宗教指導者が実際の権力っていうのも握ってたりとかっていうような。我々の普通の政治とかの考え方でいうと政教分離でやるわけですけれども、政教分離じゃないところの方が、むしろイスラムとか典型ですが、多かったりするので。そういうことは考えておく必要はありますね、やっぱり。
そうすると、やっぱり日本のシステムっていうのはかなり洗練されてるといいますか。これ最後の質問ですけど、日本の統治システムは今の日本にとってもう完成形に近いというか、かなりいい形になってるのか。それで、今後変わるとしたらどう変えていくか、変わっていくかっていうところの未来も含めた見解って、どうお持ちでした。
完成形っていうのはちょっと難しい。割と今の日本人が、この今のシステムっていうようなものにそれほど不満を持たず、それからオルタナティブ、代替っていうようなものをほぼほとんど考えついてないっていう辺りは、完成形という言葉がいいかどうかわからないんですけど、日本人にとってはいいんじゃないかなということは思います。
日本のシステムなので、日本人がどう考えるかっていうことが問題であれば、外から見て『この日本は何て駄目で、全然日本国自体がうまくいってないじゃないか』って言われたら、それはそうなのかもしれないですけれども。日本の国情からして、日本人に不満を抱かせないっていう部分でいえば、そこでいいんじゃないかなっていうようなところは、そうは言えるかとは思いますよね。
君塚先生、どうですか。
私も同感です。ですから、どうしていくか。今言った天皇という存在が存続できるかとかね。それがもしなくなっちゃった場合どうするのかって、今、岡本先生がおっしゃってくださったとおり、代替は全くないわけですよ。じゃあ大統領制にするのか、じゃあどういうふうな大統領にするとかね。だから今現在は、一応この後の天皇が残るとすれば、一番フィットしてんじゃないかなと思いますよ。
そういうことですね。柔軟性も大事と話がありましたけど、どれぐらい世論であるとか、世の中の時代の流れに適応していくべきなんですかね。今回の皇室典範をめぐる改正とかもそこに関わると思うんですけど、女系を認めるかであるとか。どれぐらい世論に寄り添うべきなんでしょうかね。
それも問題次第だとは思いますけど、やっぱり国民、まさにさっきから言ってますけど第1条ね、憲法の一番筆頭に出てくるのは、国民の象徴であるということは、国民、あるいは国民主権なんですから。国民の意見っていうのはどういうふうにしてそれを反映させて、女性だとか女系だとか、そういったものも含めてやっていくのか。だから国民投票っていう手段だって、ついこの間、改正法ができたわけですから、あり得るわけですし。立法府の総意っていうのは、たかだか400人かそこら辺の人たちの話であって。
あと実際に、私もちょっと言いたいのは、ご自身たちの話なんですよ、これはね。皇位継承だとか皇室典範っていうのはね。それを一切ほとんど聞いてない。『こうなりました』っていう報告だけで、本当はご本人たちのお宅の話なので。それについては、そもそもの天皇を中心とした皇室の方たちにも、ちゃんと意見を聞くべきなんじゃないかなとは思いますけどね。
今回、まさに自分たちがトップと言っちゃ、あんまりピラミッドと言っちゃいけませんけど、上のいわゆる皇室自身、それから下の国民っていうのをすっぽりなくして、中間の立法府と呼べる議会のやつだけで全部決めちゃってる話なので。実際にはその上下というか、そういうものをちゃんと話し合いに、それは大変なことだと思いますけども、出ていかないと本当はよくないんじゃないかなと思いますよね。
岡本先生も同意見ありますか。
難しいですよね。一応、議会民主主義を取っている日本なので、立法府の意見が一番重いというのは当然の話ですし。それから国民の総意も含めてですけれども、やっぱり地位だとか、それから機能っていうのは、それなりの伝統みたいな、今まで続いてきたというようなことが非常に大きな要素、要因になっているので。その色を、立法府の意見とかいって、こだわってはる部分があるんですけれども、それはそれなりに歴史的な経緯としてはわからなくはないわけですよね。
それがやっぱり懸念されるっていうのが、要は、今までも議論がありましたように、国民から支持されるような君主制も今必要になっているような段階で、今回決まったこととか、これから議論されるようなことの、議論のあり方として、どこで反映できるようなものになっているのかっていうのは、とっても難しい問題にはなりつつあるよなっていうふうなことですね。せっかく国民統合の象徴なのに、分断を引き起こしては意味がないというか、逆になってしまいかねないので、そこがこれから重要なポイントになるんかなっていう気もしますね。
これが、たくさん継承者みたいな人がいて、それを選ぶ方が大変だみたいなことになれば、また話は別なんですけど、今の状況は割ともう皇族が少なくなって、じゃあどうしようかっていう議論なので、なかなか苦悩なところはあるかなっていう部分がありますよね。
そうですね。それで継承者が増えたときに、先ほどの話ですけど、徳がある人であるかとか、尊敬されるかどうか、そこによってかなり大きい変化が起きますよね。
いや、それは今もう、さっきから出てきてるSNSその他でも透明化されてますので。もちろんそれはちゃんと取捨選択しなきゃいけないんでね。デマとか、いわゆるフェイクも出てきてますから。そういうのもちゃんと見極めた上で、とはいっても、昔に比べればもう全然、国民の目っていうのは厳しくもなってるし、それから、より見通しもよくなってますから。その辺りをやっぱり考えないといけないでしょうね。
わかりました。今日は君主について理解を深めることができました。冒頭にありましたけど、確かに日本が立憲君主制であるってことを意識してない人、多いですよね。
多いんですよ。日本の国家形態って何っていうふうに質問すると、立憲民主制ってことが返ってくるケースが多いんですよね。立憲民主党っていう政党ありますけども、いわゆる国家形態っていうのは君主制か、今出てきてるんですね、図が。君主制か共和制と、普通はね。統治形態が民主主義的なのか、あるいは、最近は権威主義的とかいう言い方をしますけど、独裁とかなのか、なんですよ。それがごっちゃになっちゃってるんですよ。
ですよね。
これ、やっぱり教育が駄目なんです。というか、戦後日本は割と天皇をアンタッチャブルな存在にしちゃった部分が、いろんな側面であったんで。戦前の反動もあったり、いろいろあって、もうちょっとしっかりバランスの取れた形で、小中高、あるいは大学でも、きちんと天皇についても学んでいけるような、そういう土壌も必要なんじゃないかなと思いますね。
わかりました。何かメッセージがございましたら、この本を読んでほしいというのも含めて。
日本の天皇は、日本人にとってとても重要なポイントですけれども、それが今までも出てきましたように、いかに特殊かっていうか、そういうことを考えるっていうことは、やっぱり外国のいろんな統治システムですか、それから外国の共和制であれ、あるいは君主制であれっていう辺りのことをしっかりと学ぶ必要があると思うんですよね。
それがあって初めて、日本のポジティブな側面も、あるいはネガティブな側面も見えてくると思いますので。日本が立憲民主制ではないような形態をしてることも重要なんですけれども、それを深めるためにも、やっぱり外国が、あるいは世界史がどういうふうに統治っていうのを展開してきたか、君主がどんな形態だったのかっていうのを、ぜひ学んでいただきたいと思いますね。
ありがとうございました。こちら『君主で読み解く世界史』、非常に対談形式で読みやすいですので、皆さん読んでいただければと思います。これ、あれですよね。やっぱり『帝国で読み解く近現代史』と一緒に読んだ方がいいんですよね。
そうですね。それはぜひセットで、みたいな感じで。そこにも最後に書いてるんですけど、『帝国で読み解く』っていうのは横の広がりでやったんです。君主の場合は、おっしゃったように統治システムですから、君主から始まって、我々下々っていうふうな、縦で見ようとしてますね。両方合わせてぜひという感じです。
ということで、今日はお話ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
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