君主から読み解く世界の統治システム——岡本隆司・君塚直隆が語る王と皇帝、民主主義の行方、象徴天皇制

YouTubeで開く ↗
概要

PIVOTの佐々木氏が聞き手を務め、中国史・東洋史が専門の岡本隆司氏(早稲田大学教授)と、イギリス政治外交史が専門の君塚直隆氏(駒澤大学教授)が「君主」を手がかりに世界の統治システムを語った対談である。題材は2人の共著『君主で読み解く世界史』だ。中心にある問いは、歴史の大部分を占めてきた君主制を理解しないまま現代の国家を理解できるのか、そして日本の統治システムはどこに位置し、今後どうなるのか、である。君塚氏は、日本人の多くが自国を君主制だと意識していないこと自体が問題だと考えている。岡本氏は、歴史の大半は君主の歴史であり、君主抜きに歴史は語れないという立場をとる。

26分で読めます
4:21

なぜ今「君主」なのか

テーマ設定の理由を説明したのは君塚氏である。第一次世界大戦が始まった1914年当時、地球の陸地面積のおよそ6割は君主国かその植民地だった。それが100年ほどで大きく変わった。現在、地図上の君主国に、チャールズ3世を君主に戴くカナダやオーストラリアなどを加えても42カ国程度であり、世界約200カ国の5分の1ほどに減ったという。

ただし君塚氏は、君主制がこのまま消えていく運命にあるとは見ていない。むしろ大統領を置く共和制のほうが、アメリカにしてもロシアにしても危うさを抱えているのではないかと述べる。君主制が万能だとは言わないが、今後どんなシステムが生き残り、有用なのかを考えるために、この対談を企画したという。

日本については、君塚氏は「日本人の大半が自分たちが君主制だと思っていない」と指摘する。憲法第1条は天皇を「象徴」と定め、君主や元首とは書いていない。しかし実態としては立憲君主制と言ってよい存在であり、先般の皇室典範をめぐる改正もあった今、日本人に自国の国家形態を考え直してほしいという意図があるという。佐々木氏が、君主制を採る国の中で日本が最大の経済規模を持つことを確認すると、君塚氏もそれを認めた。

岡本氏は歴史家の立場から補足する。今のような分布になったのはわずか100年前からにすぎない。世界史全体の何千年、中国だけでも「5000年」と言われる歴史の大部分は、ほとんどの地域が君主制で覆われていた。したがって、君主を肯定的に見るか否定的に見るか、好き嫌いを抜きにしても、君主を理解しなければ歴史は分からない。歴史は今とつながっており、日本のように君主が生き残っている国もある以上、歴史を「縦に」見るなら君主は無視できない。それを歴史家の観点から考えたのが本書の売りだと岡本氏は語る。

8:27

王と皇帝はどう違うのか

本書では「リーダーの中のリーダーが王であり、王の中の王が皇帝である」と整理している。佐々木氏の問いに対し、岡本氏は「王」と「皇帝」はもともと中国語由来の漢字であり、中国の定義ではまるきり違うものだと説明した。日本では王をキング、皇帝をエンペラーと訳してイコールと理解しがちで、さらに日本には王でも皇帝でもない「天皇」がいるため、話がかなりややこしくなる。

岡本氏が示した大まかな理解はこうである。さまざまな団体や集団、社会にはそれぞれリーダーがいる。そうした多数の集団を束ねるリーダーが「王」である。そして王がたくさんいて、その全体をさらに束ねるもう一段上の存在が「皇帝」になる。皇帝という称号は、これまでの王と一緒にしてくれるなという意識から改めてひねり出されたものであり、違う段階・違う地位に立ったことを本人も自覚し、それを表現するためにこの言葉が作られたという。

では日本の天皇はエンペラーかキングか。岡本氏は、おそらくキングと言ったほうが正しいだろうと答えた。君塚氏も、天皇はもともと「大王(おおきみ)」と称しており本来は王様であると述べた。「天皇」という称号は中国に対する外向きのものであり、しかも実際には中国に対してさえ使えていなかった。だから実態としては王と言ってよい、というのが君塚氏の見方である。

11:32

王に課された3つの責務

本書は王の責務として、外敵から民を守ること、経済的な豊かさをもたらすこと、社会正義を守ることの3つを挙げている。佐々木氏が、これは現代のリーダーに求められるものとほとんど変わらないのではないかと問うと、岡本氏は「これが基本」だと答えた。「民」や「外敵」がどの範囲を指すかにもよるが、国家でも会社でも、組織や集団のリーダーと呼ばれる人にとっての基本条件だという。集団の秩序を守り、できれば中を豊かにし、敵がいないようにして治安を守る。安全保障、経済的豊かさ、正義の3つは、リーダーが守るべき当然の基本だと岡本氏は整理した。

12:29

君主制はなぜ主流だったのか、なぜ崩れたのか

君主制の強みと弱みについて、岡本氏は古代ギリシャ・ローマから話を始めた。ギリシャのポリスには民主制のアテネもあれば、君主を置くところもあり、どちらでもよいという選択が可能だった。それはポリスという規模と数の範囲内だったからこそできた。組織が大きくなると、明確に指針を示し決定できるリーダーシップがどうしても必要になる。

人間は1人では生きられないので集団を作り、集団が機能するには合意が必要になる。その合意形成の中で、引っ張っていくリーダーシップが求められる。リーダーを明確な形で決めるのか、選択制のような民主的な形をとるのか。ギリシャでは選択的な形が現れたが、むしろ一定の形の王や皇帝が続いていくほうが広域支配には有利だった。それが歴史上ずっと続いてきた形態だったのではないか、と岡本氏は述べた。

君塚氏は弱みの側から語った。君主制といっても君主が1人ですべてを統治するわけではなく、王とその取り巻き、つまり貴族や豪族などが中心となって政治を担っていく。うまくいっていればよいが、人間はどうしても私利私欲に走りがちで、自分の家や階層に富が集中し、下の人々には圧政が敷かれ、その犠牲の上に体制が成り立つようになる。教育のない時代には、人々はそれを当たり前だと思っていた。しかし読み書きの能力を得るにつれて、自分たちはとんでもない仕打ちを受けているのだという考えが徐々に生まれてくる。その最も有名な例が1789年のフランス革命であり、そうした動きが世界に広がり、自由・平等・博愛のようなスローガンが出てくると、君主制はもろくも崩れてしまった。

だから今生き残っている君主制には柔軟性がある、と君塚氏は言う。時代とともに変わらなければならず、ずっと同じことをやっていれば滅びる。これは君主制に限らず、共和制でも企業でも同じだという。

17:17

4象限で見る世界の統治システム

番組では、国家形態が君主制か共和制か、統治のあり方が民主主義か専制主義かという2軸で世界を4つに分けた図が示された。立憲君主制で民主主義の日本やイギリス、共和制で民主主義のフランスやアメリカ、共和制で専制主義のロシアや中国、そして君主制で専制主義の中東やブルネイである。両氏とも、例外はあるにせよ大きく分ければこの4つでよいとした。

どの象限が合うかは歴史で運命づけられているのかという問いに、岡本氏は、偶発的にそうなった面も大きいが、歴史的な経緯は重要だと答えた。フランスはずっと君主制で、本来は君主制のほうがフィットしていたはずだと岡本氏は見る。ヨーロッパ大陸の国はおおむねそうした傾向がある。しかし偶発的に共和制になり、共和制こそが善だという思想まで生まれたために、共和制が広まった。歴史から見ると、フランスやロシア、中国の共和制には「かなり無理がある」というのが岡本氏の感覚である。共和制はきわめて人工的なもので、特に君主制がずっと続いてきたところで共和制になった場合には人為的な力が働いている、とも述べた。

これに対し君塚氏は、アメリカだけは特殊だと指摘した。アメリカ独立宣言から今年でちょうど250年になるが、アメリカの独立は大洋の向こうの君主からの独立だった。フランスやロシア、中国は、かつての帝国や王国の空間が地続きのまま続いており、民の受け止め方がまったく違う。アメリカには最初から民主的な風土があり、それが強まっていったという点で他の共和国とは違う、と君塚氏は語る。

韓国の位置づけについては、南北で分かれて考える必要があり、北は明らかに専制的、両方とも偏りがあって難しいという程度のやり取りにとどまった。

21:21

ロシア・中国に民主主義は無理なのか

佐々木氏が、ロシアと中国に民主主義はほぼ無理なのかと問うと、両氏はほぼ無理だという見方を示した。岡本氏によれば、中国は民主化を試みたことはあるが無残に失敗した。君塚氏も、ロシアもソ連からロシアに移ったあたりまではある意味でそうだったが、プーチン政権になってからはそうはいかなくなったと述べ、試してみてだめだった事例はあるとした。

それならなぜアメリカは民主主義を押しつけようとしてきたのか。岡本氏は、アメリカは自分たちのシステムが一番優れていると思っている国だからだと答えた。ただ、君塚氏は、それも20世紀になってからであり、それまでのモンロー主義の時代のアメリカは二流国だったと補足する。大西洋に隔てられ、ヨーロッパから直接攻めてくる相手がいなかったことも大きいという。戦後日本の世代がアメリカニズムを正しいと信じてきたことについては、アメリカの最盛期にそれが一気に入ってきたためだと君塚氏は述べた。岡本氏は、20世紀初頭のアジア諸国も、第一次世界大戦を含めて彗星のように現れたアメリカを理想視するパターンが多かったと述べ、君塚氏は、ウィルソンはヒーローだったと加えた。

ロシアと中国で民主主義がなじまない理由について、佐々木氏が国土の広さや強いリーダーシップの必要性を挙げると、岡本氏はそれも大きいとしたうえで、鶏と卵の関係を指摘した。専制的なあり方がその土地にとって必要だったから続いてきた。続いてきたから、それしか考えられなくなった。そうした循環があるという。

数百年、千年後はどうか。君塚氏は、どれくらいの大きさで残っているか次第だと答えた。中国ももともとあれほど巨大だったわけではない。統一国家として巨大な帝国のような形で残り続けるなら今と同じだろうが、群雄割拠の時代はまた違っていた、という。岡本氏は、ロシアも中国も、むしろ図の上の段、つまり君主制の側に行ったほうが座りがよいだろうと述べた。

24:31

君主制の要は「代替わり」——フランスと中国の揺り戻し

君主制の復活は可能かという話題で、岡本氏は本書の重要な論点を挙げた。プーチン氏や習近平氏も、いずれ交代する。そして「交代、相続が一番重要」なのだという。君主の代替わりこそが要であり、それは世襲でも世襲でない形でも、共和制であっても本質は変わらない。交代をいかに円滑に行うか。世襲がだめだったから共和制になった、究極的にはそれだけの話だと岡本氏は述べる。フランスでは、ルイ16世を見て「ぼんくらが出てきた」から首をはねて共和制にしたが、その後ナポレオンが出てきたり王政復古になったりし、結局ナポレオンもだめだったから共和制に戻した、という整理である。

フランスが君主制に戻ることは可能かという問いには、現在は憲法で否定されているので、憲法を改正しない限り戻れないとの答えだった。君塚氏によれば、ブルボン家、七月王政のルイ・フィリップのオルレアン家、ナポレオン家の3つの家系は今も存在する。ただ、ナポレオンやルイ14世のような偉大な人物がいた時代とは違い、今の子孫は普通の人になっているので嫌だろうと君塚氏は述べ、一方で案外望んでいる可能性もあるかもしれないと笑った。

共和制から君主制に戻った例として、君塚氏はフランスを挙げる。1871年以降はずっと共和制だが、それ以前は政体がころころ変わり、ナポレオン3世は最初は大統領だったのが皇帝になり第二帝政を開いた。岡本氏は中国の例を挙げた。中華民国になった後、袁世凱が帝政を試み、復辟のような試みもあったが、結局失敗した。共和制がまだ未知数だった時期は確かにあったのだという。

27:51

アジアで議会が根づきにくかった理由——規模と言語

佐々木氏の問いに対し、岡本氏は、アジアには帝国が多かったことが重要だと答えた。共和制や議会が機能するには一定の条件がある。それは皇帝よりも、まとまった形での「王」の側にある。本書で君塚氏とも議論したように、キングにはもともと血縁の側面が多く、ある共同体のリーダーから出発している。日本の天皇が王だというのも、天皇が本家の代表者や親玉のような存在で、皆が天皇の一族だという意識があるからだ、と岡本氏は説明する。同じ共同体のリーダーという意識があるところでは、その代表者やエリートが補佐するという形で議会が始まりうる。しかし多様な民族や集団で構成される帝国では、皇帝は王のさらに上に立つ超越的な存在であり、特定集団の選挙権を持つ人々による議会は機能しにくい、成立しづらいという。

君塚氏は言語の要素を加えた。議会を意味する「パーラメント」は、「話す」という意味の言葉から来ている。話し合いなのだから、民族が違い言語がまったく違えば喧嘩になってしまい、同じ言語を話す範囲に限られる。今でこそ共通語や標準語があるが、当時はなかった。北欧には立憲君主国が多いが、ノルウェーやデンマークは今でも人口が400万〜500万人ほどしかなく、昔はもっと少なかった。その規模で言語も同じであれば議会は機能しやすい。逆に規模が大きいと機能しがたく、ロシアのドゥーマも20世紀に出てきたがすぐ潰された。皇帝の力もあるが、言語の問題も大きいと君塚氏は見ている。

岡本氏によれば、中国でも議会を試みたが、皆が好き勝手に議論して「小田原評定」のようにまとまらず、しびれを切らした袁世凱が皇帝になると言い出した。これは中国史の非常に重要なモチーフだという。みんなで話し合ってまとまること自体が大変なことであり、民主制が機能している国はむしろ少ない。西側諸国の普遍的価値は少数派だと思ったほうがよい、と岡本氏は述べた。

EUについては、君塚氏は無理があったからこそ現在のような状況になり、イギリスも出ていったと述べた。一方で岡本氏は、曲がりなりにも成立していること自体がヨーロッパの特殊性であり、すごいところでもあると評価した。ロシアや中国は、まとまらないEU規模の空間に1つの国が存在していると考えたほうがよく、それをまとめようとすれば強力な専制的リーダーシップが必要になる。かつては皇帝、今はプーチン氏や習近平氏のような存在が必要になるという話になる、と岡本氏は語った。

32:58

アメリカの統治システムは岐路にあるのか

人口が多く、スペイン語話者など多様な人々を抱えながら民主主義でやってきたアメリカは、今危機にあるのか。君塚氏は、アメリカは常に危機を迎える国であり、復元力もあると述べた。ただし今回のように1人のリーダーが登場してめちゃくちゃにしてしまうのは前例がないという。

君塚氏は過去の揺れの例を挙げた。禁酒法のような法律が国の法律としてまかり通るのは世界史上でもまれだが、結局ギャングが台頭してアル・カポネの時代になり、すぐやめることになった。モンロー・ドクトリンや、日本人を標的にした移民規制もあった。こうしたことは一時的に起こるが、アメリカはまた我に返って戻ってきた。だからトランプ現象も、また我に返って世界に開かれた国に戻るかもしれない。ただし、国民自身が大きく変わってしまっていれば難しい。トランプ氏が単なる異常気象ではなく、今後も構造的にああいう人物が登場せざるをえなくなるなら、話は変わってくるかもしれない、と君塚氏は述べた。

岡本氏はリーダーの個性の重要性を強調した。本書でも、フランス革命の際にルイ16世が愚かだったという話をしている。君主制そのものは残る可能性があったが、振る舞いがあまりに愚かだったために王政自体がなくなった。アメリカは大きな国で大統領の権限が強く、君主に匹敵する権力を振るえる。だからトランプ氏はあれほどむちゃくちゃなことができるが、「いかにも愚か」なので、どうなってしまうのかという危惧を覚えざるをえないと岡本氏は語った。アメリカの復元力を信じたいが、良識あるリーダーが他にいるのかと問われると、大丈夫なのかと思わざるをえない部分もあるという。

見極めるポイントとして佐々木氏が「4年2期」のような慣行を挙げると、君塚氏は、今のところ憲法はまだ改正されていない、そこに手を出し、しかも賛同する人がかなり多いという状況になれば世界中が危機を感じることになるだろうと述べた。まだ大丈夫だろうとは思うし、そう思いたいとも語った。岡本氏も、なんだかんだ言ってアメリカは人類史の希望のようなところがあるので信じたい、と述べた。

37:23

AIとSNSは統治をどう変えるのか

AIの発展が統治システムに与える影響について、岡本氏は中国に強い関心を持って見ていると語った。岡本氏によれば、中国では民間がとにかく強く、意外に思われるかもしれないが、歴史的に政府の力はとても弱い。中国当局がすぐに強権を発動し、法律をむちゃくちゃに行使したり、強がりを言ったりするのは、すべて弱さの表れであり、そうしなければまとめていけない、外から付け入られるという恐怖がそうさせているという。岡本氏は講義でよく使う例として、ゴキブリが怖い人ほどゴキブリを殺す、虫に親しんでいる人や怖くない人は捕まえて逃がしたり気にしなかったりする、という比喩を挙げた。

国内の人々をいかにコントロールするかが中国政府の大きな課題だったが、岡本氏の見るところ、最近の中国人はすごく大人しくなってきている。AIやIT技術によって監視システムができただけでなく、便利なので、民間の人々が警戒感を解いている部分があるという。政府の側から見れば、専制主義が機能しやすくなっている、と岡本氏は述べた。

君塚氏は、こうしたシステムはもともと欧米で出来上がったものだと指摘した。ジョージ・オーウェルの『1984』はある程度これを見通していた。今は本当か嘘か分からない映像があふれ、嘘が本当になってしまうほど技術が進んでいる。市民の声が力を持つ欧米のほうが警戒感は強く、映画などの形にもなる。しかし同時に、市民がSNSに取り込まれてしまうこともあり、欧米はむしろ翻弄されているのではないかと君塚氏は見る。

SNSについて、君塚氏は、オーストラリアや最近のヨーロッパなどで、一定年齢以下の利用を規制する国が増えたことに触れた。岡本氏は、中国やロシアはそれとは違う意味で規制し、統制を早くから発達させてきた国だと述べた。SNSが生まれた文脈とは違う次元で、統治の道具としてどうコントロールするかを早くから考えていたという。一時期「権力の終焉」が語られたが、AIも含めると必ずしも権力を弱めないのではないかという佐々木氏の指摘に、岡本氏は同意しつつ、権力がどうコントロールするかと同時に、民間がSNSを通じて権力とどう関わるかという意識も関わってくるだろうと述べた。

「可視化」の時代の君主とリーダー

北欧の王室が中間層的な暮らしを心がけていることに関連して、現代の君主には共感を得ることがより重要になっているのかと問われ、君塚氏は、SNSなどによってあらゆるものが可視化されたことを挙げた。昔の天皇は、参議以上でなければ会えないような存在で、ほとんど誰も会うことがなく、顔も分からなかった。日本にはもともと肖像画の文化も乏しかった。ヨーロッパでは肖像画が多く、顔や食べ物がある程度分かったが、本当に現実的に分かるようになったのは現代になってからだという。

今では一般の人々は、王室や皇室が自分たちとどれほどかけ離れているかを強く意識する。だから王室や皇室は、過度な贅沢などをすれば問題が起こることを意識しなければならない。それをあまり気にしなくて済むのが中東やブルネイのような絶対君主の国だ、と君塚氏は述べた。習近平氏ら中国の指導者については、岡本氏は、統制を強めている以上、当局が出したい以上の情報は公開しないのが原則で、一般の人々も正式なルートでは情報を得られないと述べた。ただし、地下的にどこまで規制できているか、国外に出た情報がどうなるかは、まだ難しいかもしれないという。

倫理的に鍛えられた王家とそうでない家を分けるものは何かという問いに、君塚氏は、代々その教えが引き継がれるかどうかだと答えた。親や祖父母の背中を見て育つことが、急に外から入ってくる場合とは違うのだという。

46:32

企業ガバナンスに応用できるか

佐々木氏は、世襲のオーナー企業もあれば指名委員会で後継者を厳密に選ぶ企業もある日本の企業統治に、国家の歴史はどこまで参考になるかを尋ねた。岡本氏は、本質的には同じことだと答えた。先ほどの3つの責務はほぼそのまま当てはまり、君主制はオーナー企業に、共和制は一般の会社の社長選びに似ている。どちらもガバナンスの問題であり、リーダーとそれを補佐する中枢の組織にどれだけの能力が備わっているかがまず問われる。企業には特定の目的と機能があり、国家はもっと包括的だという違いはあるが、大きくは変わらないという。

岡本氏が強調したのは、個人の能力に加えて「徳」が重要だという点である。世襲であればどこかで必ず「ぼんくら」が出てくる。だから、ぼんくらが組織をかき乱さない仕組みをどう作るか、また首をすげ替える仕組みがどれだけできているかがポイントになると述べた。

君塚氏は具体的な風景から語った。収録に向かう際に歩いた明治神宮前の界隈には、一代で起こされた企業や最近できた企業が多いだろう。一方、銀座のほうに行けば、江戸時代から十数代続くような老舗があり、これはいわば君主制だという。世襲でやっていけば、どうしても頼りない当主が出てくることがある。そのときに番頭がしっかり脇を固める仕組みがあるかどうか。一方で番頭が私利私欲に走り、持ち逃げするようでも困る。それはまさに君主制そのものだ、と君塚氏は述べた。

君塚氏はさらに、世界最大級の企業であるトヨタも世襲的であり、図の左上、つまり立憲君主制の民主主義型に当たると述べた。社長交代の際に一族から「大政奉還」という言葉が使われたことにも触れた。本田宗一郎は世襲を退けたが、松下やトヨタのように創業者一族が強く、それが強みにもなっている企業がある。岡本氏は、日本には社会的に家制度がずっとあったため、こうした形に皆が納得する部分があると述べた。

財閥について、君塚氏は、三菱の岩崎家は財閥解体で表舞台からは消えたが、裏では相変わらず力があると述べた。表にサラリーマン社長を置いておけばよく、三井や住友も相変わらず強い。日本に限らず、ロスチャイルドやロックフェラーもそうだという。イギリスでも王室御用達の企業にはファミリービジネスが多い。岡本氏は、その家で育ち背中を見て学ぶという帝王学的な教育機能は普通の学習では身につかないため、その点ではひょっとすると世襲のほうが向いているかもしれない、というイメージも持てると述べた。

52:09

天皇はいつ「表」にいたのか

日本の統治システムに話が移ると、佐々木氏は、天皇が長く続き国民に愛され続けてきたのは珍しいことではないかと問いかけた。君塚氏は、「国民に愛されている」というのは現代的な感覚だと答えた。歴史的に見ると偶然続いてきた面も強く、特に鎌倉以降は利用されてきた。その時点ですでに利用されるだけの存在になっていたということでもある。江戸時代以前は誰も天皇を見たことがなく、明治天皇になってようやく一般国民の前に出るようになった。それまでは天皇の存在をほとんど知らない人のほうが多く、「公儀」といえば幕府のことだったという。

岡本氏は、天皇を君主とすれば、日本では臣下がずっと番頭的に切り盛りしてきたのが基本的な姿だと述べた。天皇はむしろ神棚に祀られているのが普通のあり方であり、天皇そのものが日本史にどれだけ深く関与してきたかは、かなり限定的に考えたほうがよいという。教科書にも天皇はあまり出てこない。天智天皇や天武天皇の時代に出てくるのは、中国との関係が悪化したり、中国の制度で国を作ろうとしたりして、天皇が中国の皇帝のようになっていた時期だからだ。しかしその後すぐに本家帰りして、藤原氏に任せる形になっていった。君塚氏も、その後は藤原氏、平清盛、源氏と続き、天皇が出てくるのはせいぜい南北朝の分裂のころくらいで、明治になって急に表に出てきたと述べた。近代化のなかで君主と国民による君主制のやり方を真似たために前面に出てきたのであって、本来の日本の姿とは違う、というのが君塚氏の見方である。現在議論されているのは、およそ150年前からの天皇のあり方だということになる。

今後について君塚氏は、1945年にまた大きく変わった以上、その後のシステムを大きく変えることはないだろうと述べた。問題は継承する人がどれだけいるかであり、受け継ぐ人がいなくなれば困る。岡本氏も、日本は日本国憲法を前提とする法治国家であり、皇室典範もあって天皇は象徴として規定され、なくてはならない存在である以上、代替わりも含めてどうするかは国民も含めて考えなければならない問題になっていると述べた。

56:58

象徴と政治の「住み分け」

国民統合の象徴という役割について、君塚氏は4象限の図を使って説明した。立憲君主制では君主が国のシンボルになってくれる。しかし共和制では大統領がその役割も兼ねなければならず、トランプ氏のような人物が出てくると、それを自国のシンボルと呼べるのかという話になり、人々が離れていく。日本の場合、ある首相が気に入らなくても、シンボルは天皇陛下だとなれば少し落ち着く。そのためには君主には人格的にも優れた徳がなければならない、と君塚氏は述べた。

岡本氏は自著『悪党たちの大英帝国』(君塚氏の著書)や自身の『悪党たちの中華帝国』に触れつつ、実際の政治家は悪党でよい、きちんと実績を出せばよいと語った。政治は手を汚してなんぼの商売であり、利害調整をしてうまく収めるのが政治だ。日本人は政治に清らかさを求めすぎているが、そこに清廉さを求めるのは本末転倒であり矛盾している、という。君塚氏はこれを受けて、国の象徴として国賓を迎えたり外国を訪問したりするのは天皇陛下に任せ、手を汚さなければならない仕事は首相や外相に任せるという住み分けができるのは、4象限のうち左上の立憲君主制だけだと述べた。右上の絶対君主制では君主が政治もすべて担い、下の共和制では大統領などが国の顔にもならなければならないので、それにふさわしくない人物が出てくると「あれでいいのか」という声が出てくる。

中東の君主は人間として尊敬されているのかという問いに、君塚氏は、そもそもそうした声は一切出てこない、言いたくても言えない世界だと答えた。共和制で倫理的な象徴を担うのは宗教なのかという問いには、キリスト教などもやや弱まっているかもしれないとしたうえで、岡本氏がイランを典型例に挙げた。宗教指導者が実際の権力を握る国もあり、政教分離を前提とする考え方は普遍的ではなく、イスラムのように政教分離でないところのほうがむしろ多いことは念頭に置く必要があるという。

1:00:21

日本のシステムは「完成形」か、皇位継承は誰が決めるのか

最後に佐々木氏は、日本の統治システムは完成形に近いのか、今後どう変わるのかを尋ねた。岡本氏は「完成形」という言葉は難しいとしつつ、今の日本人がこのシステムにそれほど不満を持たず、代替案をほとんど考えついていないという点では、日本人にとってはよいのではないかと述べた。外から見て日本はうまくいっていないと言われればそうかもしれないが、日本人に不満を抱かせないという意味ではこれでよいと言えるだろうという。

君塚氏も同感だとし、問題は天皇という存在が存続できるかどうかだと述べた。もしなくなった場合、代替案はまったくない。大統領制にするのか、どんな大統領にするのか。現時点では、天皇が残るのであれば一番フィットしているのではないか、と君塚氏は見る。

世論にどれだけ寄り添うべきか、女系を認めるかといった議論について、君塚氏は、憲法第1条は天皇を国民統合の象徴と定め、国民主権である以上、国民の意見をどう反映させるかが問われると述べた。国民投票の改正法もできたので、その手段もありうるという。立法府の議論は「たかだか400人かそこら」の話にすぎない。さらに君塚氏が強調したのは、皇位継承や皇室典範は皇族自身の家の話だという点である。にもかかわらず当事者の意見はほとんど聞かれず、決まったことが報告されるだけになっている。上にいる皇室自身と下にいる国民をすっぽり抜きにして、中間の立法府だけで決めているのはよくないのではないか、大変なことだとは思うが、上下を含めた話し合いが必要ではないか、と君塚氏は述べた。

岡本氏は、日本は議会制民主主義を採っているので立法府の意見が一番重いのは当然だとしたうえで、天皇の地位や機能は伝統、つまり今まで続いてきたことが大きな要因になっており、立法府がそこにこだわる部分も歴史的経緯としては分からなくはないと述べた。ただ、国民から支持されることが必要な段階にある今、議論のあり方として国民の意思をどこで反映できるのかは難しい問題になりつつある。国民統合の象徴が分断を引き起こしてしまっては意味がなく、逆効果になりかねない。そこがこれからの重要なポイントだと岡本氏は語った。継承者が多くて誰を選ぶかが問題になる状況なら話は別だが、今は皇族が少なくなってどうしようかという議論なので難しい、とも付け加えた。

継承者の徳が問われるという点について、君塚氏は、SNSなどによってすでに透明化が進んでおり、デマやフェイクを見極める必要はあるものの、昔に比べて国民の目は厳しくなり、見通しもよくなっていると述べた。

1:06:26

「立憲民主制」という誤解と、学ぶべきもの

締めくくりに君塚氏は、日本の国家形態を尋ねると「立憲民主制」という答えが返ってくることが多いと指摘した。本来、国家形態は君主制か共和制かであり、統治形態が民主主義的か、権威主義的・独裁的かという話とは別である。それが混同されているのは教育の問題であり、戦後日本は戦前の反動もあって天皇をアンタッチャブルな存在にしてしまった。小中高、あるいは大学でも、バランスの取れた形で天皇について学べる場が必要ではないか、と君塚氏は述べた。

岡本氏は、日本の天皇がいかに特殊かを考えるには、外国のさまざまな統治システム、共和制であれ君主制であれ、それを学ぶ必要があると語った。そうして初めて日本のポジティブな側面もネガティブな側面も見えてくる。そのためにも、世界史が統治をどう展開してきたのか、君主がどんな形態だったのかを学んでほしいという。前著『帝国で読み解く近現代史』が横の広がりで世界を見たのに対し、今回の『君主で読み解く世界史』は統治システムとして君主から始めて下へと縦に見ようとしたものであり、両方合わせて読んでほしいと岡本氏は述べた。