色の語彙が白と黒しかない言語の話者に、世界はどう見えるのか――サピア=ウォーフ仮説の実験が示す「小さな影響」とその使い道
ゆる言語学ラジオゆる言語学ラジオの水野太貴と堀元見は、過去の回で二つの話題を扱っている。一つは、白と黒しか基本色彩語を持たないダニ語のように、色の語彙が言語ごとに大きく違うという話。もう一つは、使っている言語が世界の認識に影響するというサピア=ウォーフ仮説である。今回の問いは、その影響が実際にどの程度なのかだ。白と黒の語彙しかない言語の話者と日本語話者とでは、見えている世界がどう違うのか。水野は心理学の実験を順に紹介し、「影響はある。ただし小さい」と答える。そのうえで、この小さな影響がなぜ一部の研究者にとって重要なのかを説明する。
ウォーフの議論から心理実験へ
以前の回で水野は、ウォーフの論証にはレトリックや誇張が含まれ、ウォーフ自身は実験をしていなかったと話していた。その後、認知心理学者がこの仮説に関心を持ち、実験で確かめようとした。水野が最初に挙げるのは、ロッシュがダニ語話者を対象に行った実験である。
この実験にはマンセルカラーシステムを使う。色相・明度・彩度に基づいて色をマス目状に並べた図で、赤から黄色、緑、青を経て明るい赤に戻るグラデーションになっている。この図から小さな色のチップを選んでダニ語話者に見せ、あとで「さっき見たチップはどれか」と尋ねる記憶テストを行った。たとえば青を見せたあとに緑を見せる。ダニ語には青と緑を区別する語彙がないので、話者は間違えたり「同じ色だった」と答えたりすると予想できる。堀元もそう予想した。ところが結果では、ダニ語話者の成績は英語話者と変わらなかった。
語彙がなくても違いは分かる
水野は、この結果に驚かない人もいるだろうと言う。過去の回で、人間は色の語彙は細かいのに味覚の語彙はそれほど細かくない、という話をしていたからだ。そこで水野は考え方のこつを示す。ある言語に区別のない語彙があると聞いたら、日本語の味覚語に置き換えて考えればよい。
例として、熟した夕張メロンを食べたあとに、マスクメロンの皮に近い部分を食べたとする。日本語ではどちらも「甘い」で済むが、片方は典型的な甘さで、もう片方は甘さと苦さの中間に近い。両者が同じ味だったかと聞かれたら、馬鹿にするなと思うだろう。語彙を持っていることと、違いが分かることはまったく別の話だ、と水野は言う。
堀元は椅子を買ったときの体験を重ねる。座り比べのできる専門店で、座り心地を表す語彙がないので「いいですね」としか言えなかった。それでも、さっきの椅子のほうがいいという感覚ははっきりあった。目隠しで二脚に座らされて同じ椅子かどうかを聞かれれば、語彙がなくても答えられる。ダニ語話者の結果はこれと同じ構造だと二人は確認する。
典型的な色と非典型的な色の名前の覚えやすさ
水野が次に紹介するのも、ダニ語話者を対象にした実験だ。英語で基本色彩語が当てはまる典型的な色と、典型から外れた色に、実在しない人工的な名前をつけて覚えさせる。典型的な赤には「あいう」、赤と呼べなくはないが典型からは離れた朱色のような色には「かきく」、といった具合である。ダニ語には赤と朱色を区別する語彙はない。
結果は、典型的な色につけた名前は覚えやすく、非典型的な色の名前はよく覚えられなかった。堀元は、子供の頃に赤とオレンジの中間のような色の名前を覚えたのはずっと後だった、優先度が低いと感じていたのと同じではないか、と言い、水野もそれに同意する。水野は解釈の一つとして、人間の知覚システムに基づいて、典型的な赤はどの文化圏の人にとっても知覚しやすいと考えることもできる、と述べる。
仮説の旗色は悪いのか
この二つの実験をまとめると、青と緑の語彙がなくても違いは分かり、語彙がなくても典型的な赤は典型的な赤として扱われている。仮説どおりなら、赤という語彙を持たない人には典型的な赤と非典型的な赤が同じになるはずだが、そうはならなかった。堀元は「今日から撤廃しましょう」と冗談を言う。水野は、話には続きがあると応じる。
タラフマラ語:語彙があるほうが引っ張られる
次の実験の対象は、メキシコ北部のタラフマラ語だ。この言語は緑と青を区別せず、同じような名前で呼ぶ。実験では、青、緑、その中間の色のチップ3枚をタラフマラ語話者と英語話者に見せ、真ん中のチップはどちらに似ているかを尋ねた。英語話者の多くは、この中間色をグリーンとみなしやすい。
予想どおり、英語話者は中間色を緑に似ていると答えた。タラフマラ語話者の回答は、完全にランダムで半々に分かれた。ダニ語の実験とは違い、この結果は仮説を支持するものだと水野は説明する。堀元は、直感とは逆の方向に支持していると指摘する。区別する語彙を持つ人のほうが鋭く感じ取れると思っていたが、実際には語彙のない人のほうがありのままに見ていて、語彙のある人はそのカテゴリーに引っ張られていた。水野は、中立的だった世界が言語によって偏った認識になっている、と言い換える。
ここで二人は、名前をつけることの弊害を雑談でふくらませる。堀元は19歳で上京したとき、愛知出身の知人が3人続けて話の面白くない人だったので、「愛知の人は話がつまらない」と自分の中で言語化してしまったという。その後に会う愛知出身者も、そういう目で見るようになった。のちに話の面白い愛知出身者に続けて会い、偏見から解放されたそうだ。愛知出身の水野は抗議しつつ、雑に言語化するとそれに引っ張られることはあるのだろうと受け止めた。
影響は「境界を少し歪める」程度
ここまでの理解として水野は、サピア=ウォーフ仮説は一定程度は正しいと述べる。ただし、その影響は広範囲で本質的なものではない。カテゴリーの境界を少し歪めたり、分類のときに注目する情報が少し変わったりする程度だという。英語話者が青と緑の区別を失うわけではなく、中間色を緑と判断する人が増える程度にすぎない。白と黒の語彙しか持たない人にも世界が白黒に見えるわけではなく、我々と同じように見えている。
水野はここで今井むつみの見方を紹介する。今井は、言語を獲得したあとの、異なる言語の話者どうしの認識の違いは重要なポイントではないとする。核心は、言語を学ぶことで起こる子供から大人への認識の変化のほうだという。英語話者の色カテゴリーが少しずれる程度の差に比べれば、言語を持たない子供と言語を持った大人の認識の違いははるかに大きい。言語は世界を認識するときのフレーミングを与えているからだ。堀元は、英語と日本語の違いのほうがキャッチーなので注目が集まるのだろうと言い、水野も、とんでもないことが起きているという驚きがあるから広まりやすいが、今の研究者が考えているのはもっとミニマムなことだと話す。
条件を少し変えると効果が消える
水野は、仮説が思ったより小さいと感じさせたところから、話を面白い方向へ転じる。まず、タラフマラ語と英語の実験の追試が紹介される。条件を変え、3枚を一度に見せるのではなく、隣り合う2枚しか同時に見られないようにした。すると、英語話者に見られた色名の効果が消えた。3枚を一度に見るとブルーとグリーンが同時に目に入るが、隣り合う2枚だけだとブルーとブルー、グリーンとグリーンにしか見えない。わずかな工夫で、英語話者はタラフマラ語話者と同じ反応に戻ったという。
もう一つは言語干渉課題である。たとえば奇数を1から順に「1、3、5、7」と声に出し続けさせながら、色の課題をやらせる。すると、言語カテゴリーによる効果がやはり消える。見た色を覚えて同じかどうか答える際に、「さっきの色は青」といった言語ラベルの処理が邪魔されて働きにくくなるためだ、と水野は説明する。最初の実験で見られた効果は、手元にある言語ラベルという基準に沿って答えたというレベルの話であり、しゃべらされるだけで消えてしまう。堀元は、もともとの影響がごく小さいから、ちょっとしたことでなくなるのだとまとめた。
バナナと信号機の色
水野は、似た現象をさらに挙げる。色のチップを並べて「バナナの色はどれか」と選ばせると、実際のバナナより明るい色を選んでしまう。「バナナは黄色」という言葉のラベルに影響されて記憶しているからだという。
信号機の真ん中の色も例になる。日本語では黄色と呼ぶが、オランダではオレンジと呼ぶ。真ん中の色を、オレンジから黄色まで6段階に変えたものを用意し、オランダ人と、黄色と呼ぶドイツ語の話者に本当の信号の色を選ばせた。ドイツの人は黄色寄り、オランダの人はオレンジ寄りを選んだ。バナナと同じく、言語に引きずられた選択である。(ここでは信号の並び順を堀元が覚えておらず、日本の信号の「青」は緑ではないかという言い合いになったが、本題とは関係しない。)
ベリンモ語の記憶実験
水野は、ネイチャーに載ったというニューギニアのベリンモ語の研究も紹介する。この言語の基本色彩語は五つで、青と緑を一つにまとめたカテゴリー(英語圏の言い方で「グルー」)を持つ。一方で、黄色と明るい緑を指す別の語があるという。英語は青と緑を区別するが明るい緑と暗い緑は区別しない。ベリンモ語は青と緑をまとめるが、明るい緑は別の語で呼ぶ。境界線の引き方が英語とは違っている。
実験では、チップを1枚見せ、30秒後に似た2枚からさっきと同じものを選ばせた。英語話者は、緑を見せて選択肢が緑と青なら間違えにくいが、暗い緑と明るい緑なら混同しやすい。ベリンモ語話者はその逆で、緑と青の選択では正答率が下がり、明るい緑と暗い緑の選択では違う名前で呼んでいるので間違えにくい。水野は、言語によって視覚のカテゴリー知覚や記憶の保持に影響が出ることがきれいに示された例だと位置づける。堀元は、我々はかなりの部分を言語にして記憶しているのだと感想を述べた。
色名を先に聞かせると弁別精度が上がる
小さなレベルの話として、水野はもう一つ実験を挙げる。円を4つ見せ、3つは同じ色、1つだけ違う色にして、違う円を選ばせる課題だ。円が表示される1秒前に関連する色名を聞かせると、参加者の弁別の精度が10%上がったという。水野は、色の弁別に使われる部位のようなものがあるとすれば、それが事前に活性化したのではないかと推測する。
なぜ小さな差が「ご馳走」なのか
ここまでの結果は、信号の色が少し黄色に引っ張られる、といった派手さのない話だった。水野は、こうした小さな影響が一部の研究者にとってはご馳走のようなものだと言う。意識と無意識について知りたい研究者である。
水野の整理はこうだ。色を知覚すること自体は言語がなくてもできる。ダニ語話者も赤と緑の違いが分かった。一方で、色の分類や判断は言語の影響を受け、グリーンという語を知っているとグリーンに引っ張られる。30秒前に見たものと同じかを判断するような記憶では、言語ラベルがあると成績が上がる。つまり、色を見ること、区別すること、思い出すことは、それぞれ異なる認知的タスクだという。
水野はさらに、色を見るのは無意識的な処理で、記憶するときには「これはブルーだ」と言語を使うので意識的な処理だ、と説明する。言語干渉課題で言語ラベルの効果が消えたのは、無意識的な処理に戻ったからだという。堀元はこれを、無意識に見たあとに言語というソフトが処理を一度挟むが、干渉課題でそのソフトがふさがると無意識の知覚に戻る、と言い換えた。水野の言い方では、言語は無意識と意識の境界線を少しだけ動かしている。意識はとらえどころがなく、取り出すことも観察することもできない。しかし言語を使えば境界が少しずれるので、そのずれた部分は取り出せる意識だ、ということになる。
堀元は、中間色を緑と認識する話がなぜ意識と無意識の境界の話になるのかと問い返した。水野は、2枚ずつ見せる条件と3枚まとめて見せる条件の違いで説明する。2枚だけなら言語に引きずられずに見えるが、3枚まとめて見るとブルーとグリーンという言語的な処理が入り、認識もそれに引っ張られる。前者は無意識の世界、後者は意識の世界だ、と水野は自分の理解として述べた。
物理学の比喩とリバースエンジニアリング
水野は、監修者の福田純也によるたとえを紹介する。物理学では、大金をかけて設備を整え、無重力空間などで実験した結果、粒子がほんの少しずれたことが大発見になる。サピア=ウォーフ仮説の実験もこれに近い。設備はいらないが、異なる言語、つまり異なるソフトを積んだ人々を集め、反応時間が少し遅れたり脳波が少し違ったりすることを見る。意識と無意識を見たい人にとって、それは大きな差になるという。
人間の認知に、最初にこういう処理が走り、その上にこういう処理がある、というモデルがあったとする。言語を使った実験で、その通りだったか、違うらしいかが間接的に分かる。堀元は、仮説そのものが目的なのではなく、人間の認知システムに迫る手段としてすごいのだとまとめ、水野も同意した。
水野によれば、言語を研究する人には大きく2種類いる。言語そのものが好きな人と、人間を知りたくて、その材料として言語がいちばん適しているから使う人である。今井や福田は後者だろうという。言語学の一分野は脳のリバースエンジニアリングや鍵のピッキングに近く、実験の反応から触れられない内部構造を復元しようとしている。堀元は、脳を分解できないから動きから予想するしかないのだと受け止めた。
具体例を求められた水野は、色名を先に聞かせる実験と言語干渉課題を対にして挙げる。前者は言語による色処理の効果をその場でオンにするスイッチ、後者はオフにするスイッチにあたる。物理的には同じ刺激を見せながら、言語カテゴリーの作用を強めたり弱めたりでき、その結果が反応時間などに現れる。そのため、感覚入力そのものと、その後に言語が上乗せする効果を分けて見ることができる。研究者は、感覚入力のあとに言語が一度割り込み、それでカテゴリー認識がずれるという実装になっているのではないか、と考えているという。
冒頭の問いへの答え
締めくくりに、堀元が自分の体験を話した。映画をぼんやり見ていると何の話か分からなくなるので、なるべく言語化しながら見るようにしている。ところが「これは事実を元にしたフィクションである」と表示されると、ぼんやり見ない傾向に気づいたという。色名の先行刺激と同じように、何かのスイッチが入るのではないかと堀元は考えた。水野は、実際の実験はもっと細かいレベルの話だが、大きくとらえればそういうことだと応じた。
冒頭の問い、白と黒の語彙しかない言語の話者に世界はどう見えているのかについて、水野の答えはこうだ。色の知覚は我々と同じである。ただし、ごく細かな違いを当てさせたり、さっきと同じ色を思い出させたりすると、成績が少し落ちるかもしれない。その程度の差である。そしてその小さな差こそが、人間が世界をどう見ていて、そこに言語というソフトがどう関わっているのかを切り分けて調べる手がかりになる。
参考文献として、今井むつみ『ことばと思考』、ケイレブ・エヴェレット『無数の言語、無数の世界』、言語と思考の章を含む『朝倉心理学講座5』、福田純也『外国語学習に潜む意識と無意識 新装改訂版』が紹介された。『朝倉心理学講座5』の章には、言語が思考を規定するわけではないとはっきり否定する節があるという。福田の本は抽象的で読みやすくはないと水野は認めつつ、今回の後半の話にいちばん近い内容だと勧めていた。
ゆる言語学ラジオ。世界の言語を見ていくと、色の語彙が結構違うんだよということを過去に話してましたよね。話したね。ダニ語っていう言語、白と黒しか持たないみたいなのもありましたけど、その後の回でサピア=ウォーフ仮説っていうのも紹介しました。どういう仮説だったかというと、自分が使ってる言語に世界の認識が引っ張られるみたいな話ですね。そうですね。影響を受けると。
これまでの回ではそこまでしか喋ってないんだけど、実際その影響ってどの程度なんだろうかっていう話、してなかったと思うんですね。あ、それ知りたいな、確かに。じゃあ例えば、白と黒しか基本色彩語を持たない言語と、僕ら日本語話者とかが見ている世界ってどう違うんだろうかということを、今日は話していきたいと思います。
少し前にウォーフという言語学者について扱った回を撮ったんですけど、ウォーフの論証って結構レトリックとか誇張が含まれているんだという話と、実験を自分でしたりしなかったんだって話をしたんですね。ちょっとだから勇み足だな、みたいな部分があったんだよね。ということですね。1990年代から認知心理学者がこのサピア=ウォーフ仮説について興味を持って、実験を始めたんですね。
まず最初に紹介するのがロッシュっていう人がした実験なんですけど、マンセルカラーシステムって覚えてます? あ、マンセルカラーチャートって前出てきたよな。そうですね。色並んでる表みたいなやつ。そうですね。グラデーション図みたいな感じで、色彩を色相と明度と彩度の3つの属性に基づいて、マス目状にできて。画面に出てるものを見てもらうと分かると思うんですけど、赤色から黄色、緑に行って、青に行って、また明るい赤に戻るみたいな。グラデーションで指させるようになってるんだね。はい、っていう図ですね。
この図から適当な色のチップ、ちっちゃなかけらですね、先ほどの白と黒しか持たないダニ語の話者に見せます。その後に、さっき見たチップってどれですかっていう、記憶テストみたいなのをしてもらうんですね。例えばダニ語の話者に青を見せて、その後に緑とかを見せるとするじゃないですか。そうすると彼らの言葉には、青と緑を区別する語彙を持たないわけですよね。そうだね。だから予想としては、どんなことを答えると思います? 間違うんじゃない? そうですね。今のチップの色、同じだったとかっていうふうに言いそうですね。実験結果としては、ダニ語の話者は英語話者とパフォーマンスは変わりませんでした。
あれ、じゃあ分かってるな、色。ちゃんと分かってますね。そうか。てっきり言語がないと区別できないみたいな話かなと思ったら、全然できてんだ。いきなりの実験結果、出ましたね。ただ、ゆる言語学ラジオを注意深く聞いてくださってる方だったら、これに驚いてない人もいると思います。
これまた色のシリーズで、「世界中の色を調べたら衝撃の事実が分かりました」っていう回で、最後の方に、私たちは色については結構語彙が細かいけど、味覚については大して細かくないという話をしましたよね。だからこの手の話を聞く時に、皆さんに1つ有効な手法を授けると、仮に色々なことを区別しない語彙があるんだなと思ったら、我々の味覚語になぞらえて考えてみましょう。味の違いは分かるもんな。
例えば青と緑ってダニ語の言葉では区別しないけども、違いが分かったって話でしたよね。似たようなもので、熟した夕張メロンを食べさせてもらった後に、マスクメロンの皮に近い部分とかを食べさせて、一緒の味でしたかって聞かれたら、どっちも甘いっちゃ甘いけれども、夕張メロンは典型的に甘いもので、マスクメロンだったら甘いと苦いの中間なんだけど、どちらかといえば甘いかなって、日本語だったら思うと思うんです。そうだね。甘いの中でも全然イメージ違うね。今の夕張メロンとマスクメロンって一緒だと思う、違うと思うって言われたら、バカにすんじゃねえって思うでしょ。色の語彙を持ってることとか、味の語彙を持ってることと、それが違うって分かることは全然違うんですね。
僕それ、椅子買う時にめっちゃ思ったわ。椅子をいっぱい座り比べて買える専門店みたいなとこで買ったんだけど、そん時に椅子の座りを表現する語彙がないから、座って「ああ、いいですね」、次座って「ああ、いいですね」って、もう「いいですね」しか言うことないのよ。でも明確に「さっきのやつのがいいっすね」っていう、椅子に座りながらずっと「こっちの方がいいな」ってのが明確にあって。でもそれを表現する語彙がないなあって、もどかしく思ったんだよね。だからそれと同じだよな、これも。まさにね、そうだと思います。語がなくても違い分かるっていうね。
座り心地の語彙を細かく分けてる言語なんて、多分ないでしょうから。そうだね。でも明らかに座り心地は違うってことだな。そうだね。だから例えば、目隠しして椅子2個座らされて、さっきの椅子と同じか違うかどうでしょうってやったら分かるじゃん。その座り心地がいいとは言って……。っていうことと同じなんですね。
そうですね。この語彙がないのがもどかしすぎて、僕ずっと「いや、これもいいっすね」って言ったから、「椅子を選びながらこいつ『いいっすね』って言ってる」って、僕その動画をYouTubeに上げたせいで、めちゃくちゃコメントでいじられて、くそって思いました。そこに気を使えばよかったっていう、意図しないダジャレになってしまったっていうもどかしさがめちゃめちゃありましたね。そこどうでもいい。そのコメントしたやつ、一生許さないと思いました。開示請求したい。IPアドレス開示請求しますんで、しっかり訴訟を送りますね。気をつけてないのに。確かに、初めてダジャレをあげつらったやつを開示請求するって、多分全インフルエンサーで僕だけじゃないですかね。
もう1個、ダニ語の話者に対する別の実験を紹介しますね。英語で基本色彩語の名前を持ってる典型的な色と、非典型的な色に対して、実際には存在しない名前を教えて、覚えるように指示をした。ややこしくなったんで言うと、赤色ってやつと朱色みたいなやつ。朱色って赤と呼ぶとは思うけれども、典型的な赤色からちょっと離れてますね。この赤い色を「あいう」ですと、朱色みたいなのを「かきく」ですみたいなふうに教える。人工的に作り出した単語を教えたってことね。はい。このダニ語話者は、赤色と朱色の区別は持っていません。
これ覚えるように指示した結果ですね、典型的な色につけられた名前は容易に覚えられたんだけど、非典型色の名前はよく記憶できなかったんですね。面白い。俺たちが子供の頃、多分朱色って覚えたのだいぶ後じゃん。優先度低いだろ、こんなやつって多分思ってたじゃない。こんな赤とオレンジの中間みたいな色を覚えるよりは、赤の名前覚えようって思ってたのと同じ現象が起きたってこと。まさにそうです。
これ色んな解釈あると思うんですけど、例えば人間の桿錐体細胞を……。何、何、何? 桿体細胞、錐体細胞、なんつった? 桿錐体細胞。そっちでも取れるように言うのやめて。どっちか自信ないからって言うのやめて。それいっつも分かんなくなるよな。どっちが主に色見てるんだっけってなるやつな。分かんないよね。痛い。カス、やめろ。もういいよ。どっちでも別に、進めばどっちでもいいんだから。
人間のそういう知覚システムに基づいて、典型的な赤色ってのはどんな文化圏の人間でも知覚しやすいのだ、みたいに考えることもできると思う。ということで、今の2個の実験の内容をまとめると、青とか緑ってのは語彙としては持ってなくても違いは全然分かるし、典型的な赤色とかは結構名前を覚えられるんだけど、典型的じゃない赤みたいなのは覚えられないと。そうすると、言語によって人の色の認識が違うっていうサピア=ウォーフ仮説って、なんか旗色悪くなる。
今の話だとね、違いちゃんと分かってるってことだから、言語によって左右されてないじゃん。そうね。白と黒しか持ってなくても、典型的な赤は典型的な赤って分かる。そうだね、あれ、本当だ。サピア=ウォーフ仮説に従うんだったら、赤っていう語彙を持たないんだったら、この典型的な赤色と典型的じゃない赤色って同じってことになっちゃいますもんね。でもそんなことなかったということで、なんかちょっと空気が。あれ、じゃあサピア=ウォーフ仮説なしです。もう今日から撤廃しましょう。Wikipediaとか消しましょう。こんなものはなかったっつって。いやいやいやいや。消しちゃいましょう。続きあるんで。なんかあるんですか? こっから続きが。こっから逆転、あんまなさそうだけど。
あります。また心理実験なので少し設定ややこしいですけど、聞いてくださいね。メキシコ北久保……メキシコ北部って言おうとした。北久保ってお前。北久保部。そんな地名ないよ。メキシコ北部のタラフマラ語っていう言語がありまして、この言語ではグリーンとブルー、つまり緑と青を区別しないです。緑も青も両方同じ。同じような名前で呼ぶと。この人たち、緑と青を区別できるのかなっていうのに興味を持った。そうだね。同じ単語で呼んでたら区別できなそうって思っちゃうよな。
ということで、青と緑とそのちょうど中間の色を3つ用意しまして、タラフマラ語話者と英語話者に見せました。「この真ん中のチップはどっちに似てますか」っていうのを聞いた。なるほどね。ポイントをもう1個言うと、英語話者の多くはこの中間のことをグリーンと見なしやすい。あ、そうなんだ。じゃあ実験結果を見る前に予測してもらいます。英語話者は多分これシンプルだと思うんですよね。だから英語話者は、真ん中のことを緑ってみんな呼んでるから、緑って答えちゃうんじゃない? そうですね。緑と青と緑の中間のやつが似ていて、青色が似ていないっていうふうに捉えますよね。
じゃあタラフマラ語話者はどうなるかというと。中間のことをどっちと呼んでるとかがないから、半々になるんじゃない? まさに。やっぱそうなんだ。おっしゃる通りで、完全にランダム。じゃあ、ちゃんとあるがまま見れてるのそっちの方か。英語の話者の方がちょっと引っ張られてますよね。引っ張られてますね、言語表現に。面白い。
ということで、今のこの結果って先ほど見たダニ語の話者への実験と、ちょっと意味合いが違うの分かりますか? さっきはサピア=ウォーフ仮説を否定するような実験結果でしたけど、今回、緑と青を区別する英語は、緑と青を区別しないタラフマラ語と結果が違ったわけだから、サピア=ウォーフ仮説を今度は支持しそうな感じ。本当だ。しかも直感と違う方に支持してる。英語で区別できる語彙がある人の方が、より鋭敏にものを感じられるだろうと思ったのに、そうじゃなくて、語彙がない人の方がむしろちゃんと正確に世界を認識していて、語彙があるとそっちに引っ張られて、偏見でジャッジしちゃうみたいな話だ。
そう、これそうですよ。まさに僕も言いたかったことはそういうことで、中立的だった世界が言語によって偏った認識になってるんですよ。そうだね、あれ、本当だ。語彙ある方がいいと思ってたけど、下手するとない方がいいのかもしれない。おかしいな。語彙全部捨てる。脳抽出する。もう語彙を司るとこ全部ぶちって引っこ抜いて語彙なくす。堀さん、この岩の……これ何色? 黒。どちらかというと白。白と黒しか言語持たない人、明るいのこと白って呼ぶから、どちらかというと白。どちらかというと白か。くそ、外した。ダニ語話者の気持ちになれなかった。でもそうだね、語彙捨てたくなる検証結果だね、これは。
ポイントはね、ダニ語とかタラフマラ語みたいな、我々が区別する色を区別しない言語ですよね。この人たちの、実態自体が分かんなくなっちゃってるわけではない。だって区別できたりしてるわけだからね。だし、等間隔に色が違うものを見たら、「いや、全部一緒だけどな」っていうふうに、むしろなんなら正しくできていた。逆に言葉を持ってる人たちは、ものの認識を言葉のカテゴリーの方に引っ張ってしまうということが、今示されたわけですね。
なんか、名付けの悲しみというかさ。名前つけちゃうと、全部「はいはい、そういう現象ね」って思っちゃって、解像度低くなることあるじゃないですか。僕10代の時、愛知県のやつって話つまんないなと思ってたの。ちょっと、聞き捨てならないな。愛知出身ですからね、あなたね。19歳の時に僕、上京してきまして、大学入ると、それまで地元一緒のやつばっかりいたのに、急に色んなとこ出身のやつが集まってくるじゃん。色んな出身地のやつと友達になったんだけど、愛知出身のやつが3人連続でつまんなかったの。
だから「愛知のやつって話つまんないよな」っていう言語化を、俺の中でしちゃったのよ。「愛知のやつ話つまんない現象」みたいな。その結果、その後会うやつも愛知県だから話つまんないんだろうなって、勝手に認識するようになってしまって。偏見ですよね、これね。その後、無事に話が面白い愛知県の人に立て続けに出会いまして、そんな偏見から解放されました。面白かったでしょ? 俺とかじゃなくてもさ、過去に言語学ラジオに出てくれた、東海高校の学とかさ。いました。そう、だから最初に3人連続、偶然面白くないやつに当たってしまったから偏見が生まれたんだなっていうのをね。僕は呪縛から自由になりましたけど。よかった。これ、そういう雑な言語化しちゃうと、それに引っ張られるっていうのあるんでしょうね。
そうですね。ここまでの話でサピア=ウォーフ仮説の理解をちょっと確かめると、一定程度は正しいです。ただ、これがすごく広範囲に及んですごく本質的なものなんじゃなくて、カテゴリーの境界をちょっとだけ歪めたりだとか、分類の時に注目する情報が少し変わるとか、そんな程度なんですよね。青と緑が分かんなくなるとかってレベルじゃなくて、青と緑のちょうどのことを緑と判断する人が増えるぐらいなんだ。そう、英語話者だったらね。なるほどね。だから白と黒しか持たない人たちは、世界が白黒に見えるかというと、全然そうではなくて、普通に我々と同じように見えてるということです。
ちなみにですね、言語心理学者の今井先生はサピア=ウォーフ仮説のことを、言語を獲得した後の異なる言語話者の間の認識の違いというのは重要なポイントではないと。じゃなくて、言語を学習することによって起こる、子供から大人への認識の変化こそが核心なのだって言ってますね。そうなの?
だって、さっきの話からすると、英語話者はグリーンっていう語があるから、青と緑の中間の色のことをグリーンって呼んじゃうなってのは、少しだけそのカテゴリーがちょっと動いてるぐらいの話ですよね。これはすごいちっちゃいんだけど、言語を習得する前の子供と言語を習得した後の大人って、全然認識違うじゃないですか。言語って、我々が世界を認識する時のフレーミングみたいなのをしてくれているわけで、その言語を持たない子供と言語を持った後の大人は、めっちゃ認識違うわけじゃん。なるほど。サピア=ウォーフ仮説で本当に大事なのって、異言語の人の認識よりは、子供と大人の差の方がでっかくねっていうことを言っていて。
なるほどね。確かに、言葉を全く習得していない状態と習得してる状態は、世界の認識全然違う気するわ。だからあんまりみんな、サピア=ウォーフ仮説っていうと、英語と日本語がこう違うとかっていうことに注目しがちなんだけど、どちらかっていうと国内で起きてることとかの方がでかくないっていうようなことを言ってて、面白いまとめ方。それ面白いね。でもやっぱ、使う言葉が違うから、この人と私は見る世界が違うんだ、の方がキャッチーだから、そっち注目したくなっちゃいますね。
そうなんですよね。バズりやすいって前も言いましたけど、すごいとんでもないことが起きてるんじゃないかっていう驚きがあるので、皆さんそういうふうに理解してるんだけど、今の研究者が考えてることってもっとミニマムなことですね。ということで、夢を持って聞いていたサピア=ウォーフ仮説ってのが想像以上にちっぽけで、あんま面白くないかもって皆さん思い始めたと思うんで、実はこれがすんげえ面白いんだぞってのが、ここからの僕が喋りたいことです。1回絶望させてからの希望をね。
先ほどの緑と青と中間のあの実験あったじゃないですか。あれを追試した実験があって、ただちょっと条件を変えてですね、3つ全部一気に見れるんじゃなくて、隣り合う2つの色しか同時に見られないようにした。なるほど。そうすると、さっきの実験で見られた色の名前による効果が、英語話者でも消えてしまったと。そうなんだ。2つしか同時に見れなくしただけでしょ。同じことになりそうだけどな。英語話者からすると、3つまとめて見るとブルーとグリーンが同時に見えるわけだけど、隣り合う色しか見えてないと、ブルーとブルーだし、グリーンとグリーンに見えるわけですね。ああ、そうだわ、本当だ。だからちょっとだけ工夫するだけで、英語話者は先ほどのタラフマラ語話者と同じ認識に戻っちゃったんですね。
もう1個、びっくりするやつがあって、言語干渉課題というのを入れると、その効果は消えたんですね。何すか、言語干渉課題。これはですね、例えば絶え間なくなんかを喋らせながら、その課題をさせる。忙しいな。ずっとなんかどうでもいいことベラベラ喋りながら。例えば、奇数を1から順に挙げていってくださいとか言って、1、3、5、7って言いながら、その色の認識課題みたいなのをやらせると。忙しい。同じように、その言語カテゴリーによる効果が消えるんですね。だから、数字数えんのに忙しいからってこと? 面白い。気を取られるんだ、そっちに。
これ要は、例えば見てる色を覚えといて、後で一緒かどうか答えてねとかってする時に、「さっきの色は青」みたいな言語ラベルの処理が走りにくくなるんですよ。邪魔するから。なるほど、数字が邪魔だから感覚的なものだけ覚えるんだ。そう。だから「これは青色だな」「これは緑色だな」みたいな言語カテゴリーの認識が邪魔されて、タラフマラ語話者と同じ認識にできるということです。「語彙ないな」みたいな状態になるんだ。そう。最初の実験、色3つ見せる実験で、「どれとどれが似てますか」っていうふうに聞かれた時に、強いて言うなら手元にある基準、つまり言語ラベルに沿って回答するっていうレベルの話であって、その言語ラベルもずっと喋らされたりするだけで消えてしまうんですね。なるほど。元々の影響がごく小さいからね、ちょっとしたことやってるだけでなくなるんだ。そういうことです。
似たような現象いっぱいあって、例えば、色のチップがずらっと並んだものを見せて、「バナナの色は何色ですか」っていうふうに色を選んでもらうと、実際のバナナの色よりも明るい色を選んじゃう。これはなんでかっていうと、みんな「バナナは黄色」っていう言葉のラベルに影響されて記憶してるからですね。それから信号機の真ん中の色、何色ですか?
自信ないな。あれ、赤が1番上か。多分そう。赤が1番目立つから1番上に置いてるはずなんだよ。1番上? 雪国想定ってこと? 1番上ってことは、縦に並んでるってこと? 縦じゃないのか、信号。ちょっと俺、雪国育ちだからさ。何にも覚えてないな、信号って。真ん中は明るくない? どっちが緑でどっちが赤かはあるとして。じゃあ赤、黄、青ってこと? 黄色ですよね。黄色だっけ? もちゃもちゃすんな、お前。それ自信ないから。全然俺、黄色端の可能性もあるなと思ってたよ。分かんない。信号の黄色、端の可能性あると思ってんの? あるだろ。だってあれ、色見てんだから。右に推移してくじゃん、だってあれ。
そうとは限らんじゃない。そうだなと思って俺は世界を認識したことはいつもない。あるがままを見てるから、俺は世界を。信号ってこうだなとか、当てはめたことないから。信号のステレオタイプに。ラベルを、言語ラベルを捨ててる。そう、信号にそんな無理やり偏見を当てはめちゃいけないでしょ。だってその、マイノリティの信号もいるわけですから。ちょっと並び違う信号とかもいるわけ。ごめん、ごめん。その色認識の話してるんじゃなくて、右方向に動くよねって話してるから、物理現象です。そうなんだっけ、こういうふうに右に動いていくんだっけ。だから「緑、黄色だと思いますけど」じゃねえよ。
そうである必然性はないですからね。別にそれ物理法則じゃないから。だって重力とかって確実に物理法則で上から下って決まってるけど、信号は別にそうじゃないから。LEDを光らせる方向を恣意的に決めてるだけだから、物理法則じゃないですからね。マネジメント失敗。失敗したの? 違うよ。普通このアンガーマネジメントって、時間置いたら冷めるって話だよ。失敗する人初めて見た。アンガーマネジメント1回やったのに。今殴りました、失敗したので。失敗したね。初めて見たな。
ともあれ、信号機の黄色。我々黄色って呼ぶんだけど、オランダではこれオレンジ色って言うんですね。へえ。黄色とオレンジの間ぐらいか。我々ちょっとね、黄色に見えてしまいますけど。この信号機の真ん中の色を6段階に変えて、オレンジとか黄色に見えるように6段階に変えて、オランダ人と、あとはドイツ人。ドイツ語は黄色って言うんでね。連れてきて「信号の色、どの色ですか」って言うと、やっぱドイツの人は黄色にかなり引きずられるし、オランダの人はオレンジにかなり引きずられると。なるほど。だからやっぱバナナの色選ぶ時と同じ失敗をしちゃうってことよね。そうですね。本当の信号の色どれでしょうって言うと、ドイツの人は黄色っぽいものを選ぶし、オランダの人はオレンジっぽいものを選んじゃうってのは、やっぱ言語に引きずられてるってことですね。
あと絶対本筋と関係ないけど、ドイツとオランダでなんで信号の色の認識違うんやっていうの、めっちゃ気になりますね。あんな近いとこなのにさ、なんでそんな感覚が変わったんだ? なんで信号、じゃあ緑って呼ぶんですか? 青じゃん。違う、違う。いや、青だよ、信号。母語話者なのに間違えたね。お前みたいな信号の順番分かんないやつに言われた。それどうでもいいじゃん。それ運用上必要ないから。人との会話で「今信号1番左だよ」って言うことないから、運用の中では関係ないんですよ。でも「信号青だよ」っていうのは運用上必要だから。ほら、信号青だよ。くそ。それ珍しいな。あれ、何秒か置いたら収まるらしいですけどね、怒り。また、ごめんなさいね。
今見た2個の実験は、サピア=ウォーフ仮説を支持するか支持しないかで言うと、支持はしそうですね。言語のラベルを消したら普通に戻ったってことは、言語のラベルがある状態だと認識がちょっと引きずられるって話だから。っていう、ちっちゃいように感じるものは他にもいっぱいありまして、これ『ネイチャー』に載ったニューギニアのベリンモ語っていう言語の研究なんですけど、ここ基本色彩語5つなんですけど、青と緑を兼ねたもの、さっきも出てきましたけど、のカテゴリーがあるんですね。青と緑をまとめて1つの名前で呼ぶと。
一応補足すると、青と緑を兼ねる言語それなりにありますんで、これ英語とかだとグルーって言うんですよ。グリーンとブルーでグルーとか言うんですけど、このグルーのカテゴリーがあるんですね。日本語でも青緑って言うしね。そうですね。さっきの信号とかもさ、緑色のこと青って言うじゃんか。そうだね。さっき誰かはちょっと分かってなかったですけどね。その言語運用上問題が出るなっていう、道案内する時に差し障りが出るなって。「今青だよ」って助手席から言う時に問題が発生して。必殺技みたいになってる。人を攻める時の技みたいになってる。
今アンガーマネジメントしてるでしょうが。そういう怒り珍しいな。「今アンガーマネジメントしてるでしょうが」っていう怒り。すごい、無限後退みたいな。アンガーマネジメントしてんだから静かにしなさい。マネジメントしたら怒んないはずなんだけどな。
このベリンモ語、ちょっとややこしいのがですね、黄色と明るい緑を指す時に使われる別の語があるんですよ。グルーとは別に。不思議だね。なのでこれ、英語と比べるとどうなってるかというと、英語は青と緑は区別するんだけど、明るい緑と暗い緑は区別しないですよね。緑は緑だもんね。グリーンはグリーンだもんね。逆にこのベリンモ語は青と緑は兼ねてるんだけど、緑の中で明るい緑は別の語で呼んでいるっていう。黄色と一緒になるってことね。すごい複雑。不思議な境界線の引き方してますね。そうですね。こんなの見たらね、やっぱみんな心理実験したくなっちゃうんですよね。微妙な色見せたりしたくなりそう。
そうですよね。まさに1枚チップ見せて、30秒後に「さっきと同じチップはどれでしょう」っていう課題をさせる。英語話者にもベリンモ語話者にも。例えば英語話者に緑のチップを見せて、30秒後に結構似てる2つのチップから「どっちが正しいものでしょう」っていう課題をさせて、一方が緑だったら正解ですよね。もう1個が青だったら、英語話者は間違えないのは分かりますか? 緑と青が区別されてるから、緑だなって思ってたら、それは緑、正解するよね。これ、ベリンモ語話者だとどうだろうっていうことですね。緑と青が区別されてないわけだから、たまに間違う人いそうだよね。ってことですね。だからやっぱこれ正答率が下がると。
逆に英語話者に例えば暗い緑を見せて、選択肢が暗い緑と明るい緑だったら、英語話者は結構混同しちゃう。間違いそう。緑だもんね。でもベリンモ語話者だったら、全然違う名前で呼んでるんだから間違わない。っていうことですね。これなんかも、すごい綺麗に言語によって視覚のカテゴリー知覚とか、それで記憶を保持する、覚えることに影響があるっていうことが見られたと。その話自体も面白いし、やっぱ我々って言語にして覚えてるんだなってこと分かるね。そうですね。記憶がもうかなり言語頼りなんだ。英語話者だったら「これブルーやな」「これグリーンやな」ってやってるから、正答率が上がるわけです。
そうだね。みんなコンピューターみたいにね、RGBの値で覚えるとかにしたら絶対間違わないのにね。その課題を解くためだけに最適化された人間は、色の語彙じゃなくてRGBの値で全部記憶するんだったらいいよね。ちなみに僕、色のリサーチ色々したんで、そのRGBだと光沢が指定できないから問題だとかっていう話もありますけど。光沢あるな、みたいな生地感みたいなものがあるのか。光沢も視覚的なね。なるほど、それもそうだね。だからRGBだけでは完全じゃないんですけどね。光沢も加えたパラメーターで覚えたらいいですよね。4つとか5つとかで値を覚えるだけでいいですよね。それ全然本質的な指摘になってないですよね。
僕が今言いたいのは、語彙によってでは不完全な記憶しかできないから、数字で覚えた方がいい。ベクトルで覚えた方がいい。アンガーマネジメント終了まで3……。ベクトルで覚えた方がいいっていうね。あれは行列みたいなも……。物理的に手出た。「アンガーマネジメント終了」っつって殴る、それいいですね。でもアンガーマネジメント終了したら、確かに怒ってても矛盾生じないから合ってます。アンガーマネジメント終了までカウントダウンしたんで、優しいと思ってください、僕のことはまだ。そっか、その間にやめてれば怒られなかったの。はい。
あと、ちっちゃいレベルの話もう1個だけすると、こういう色の区別とかの実験の時に、色を事前に聞かせるだけで色の弁別に影響が起きるとかって、そういう実験もありますね。どういうこと? 例えば4つの円を見せて、3つは同じ色で1つは違う色っていう、その違う色の円はどれでしょうってのを選ぶ課題が出されると。その円が表示される1秒前に、その関連する色名を聞かせるだけで、参加者の色の弁別の精度が10%上がったみたいですね。上がったのか。はい、上がりました。この色の名前で認識したらいいよ、みたいな補助になったってこと。
そういうことですね。というか、色の弁別とかをする時に使う部位とかがあるとして、そこが事前に多分活性化したとか、そういうことなんじゃないか。そっか。漠然と色覚えるんじゃなくて、名前つけて覚えようって気持ちになるんだ。赤とか見せられるとね。なるほどね。時そばの逆みたいな。時そばって「今何時だい」っていう時刻を言われるせいで、いくらまで数えたのか分かんなくなるって話ですけど、それの逆ですよね。これは色の名前で認識してくれっていう補助の情報を入れられることによって正答率が上がる。だから時そばに例えない方がいいか。
お家あっちです。帰らせようとしないで。ちょっと時そばっぽいじゃん。でも構想は時そばっぽかったじゃん。そう、だから出したら失敗しただけ。でも時そばと違うなっていう、「逆ですよね」っていう変な軌道修正が入りました、途中。はい、ありがとうございます。
ということで、色々実験紹介しましたけど、サピア=ウォーフ仮説は思いのほかしょぼいのだという。結果、本当にちょっとしたことだったね。信号の色ちょっと黄色に引っ張られるなとか、そういう話。このちょっとだけグリーン選んじゃうみたいなのって、役に立ちます? 立たないっす。つまんないっす。あとその話、影響が小さすぎて派手じゃないよね。と思うじゃん。これね、一部の研究者からするとご馳走みたいなものらしくて。それはどういう人たちかというと、意識と無意識について知りたい人たちですね。
ちょっとだけ説明しますと、色の知覚そのものというのは言語がなくてもできますね。ダニ語の人たちも赤色と緑色見せられたら違うって分かったわけですから。色の分類とか判断ってのは言語に影響を受けましたね。グリーンっていう語を知ってるんだと、グリーンに引っ張られちゃうと。記憶するとか、今見せられてるのが30秒前に見せられたものと同じかどうか判断するみたいなのは、言語ラベルがあるとちょっと能力が上がる。これも影響を受けるわけですよね。だから色を見てるのと、色を区別するのと、色を思い出すって、実は結構違う認知的なタスクなんですよ。
色を見る分には語彙とか関係なしに見れて、でも記憶は語彙ないと厳しいって話だもんね。そうですね。分類はちょっと邪魔されるというか、引っ張られちゃうわけですから。ということは、色を見る自体は無意識的な処理なんだけど、でも色を例えば記憶するってのは、言語を使って例えば「ブルーだ、これは」とかやるわけだから、意識的な処理なの分かりますか? もう1回まとめると、見るのは無意識、でも記憶するのは意識的なレベルの話だよね。
だからこそ、言語干渉課題みたいに数をひたすら数えさせながらなんかすると、無意識的な処理に戻っちゃうから、言語ラベルの効果が消えてたわけですもんね。だから我々は無意識的にものを見た後に、言語っていうソフトが1回処理を噛ませてきて物事を見てるんだけど、言語干渉課題をして言語ソフトをアンインストールすると、無意識的な知覚に戻るっていうのが、今ここまでの話でしたね。
そうだね。アンインストールはしてないですけどね。別のとこにタスク使われてるから、ビジー状態になってそこが機能してないっていうだけですよね。処理が1個なくなったっていうだけですけどね。アンガー。シンプルに怒りを言う人になった。怒った時アンガーというシステムになった。すいません。
だからね、言語ってこの無意識と意識の境界線を少しだけ動かすっていうことをしてるのを見てきたわけ。なるほどね。そうすると意識を研究したい研究者がいたとして、意識というのは捉えどころがなく、取り出しようもない、観察もできないんだけど、言語を使うと無意識と意識の境界がちょっとずれるのだから、このずれた部分って取り出せる意識だよねっていうことになるわけですよ。なるほどね。意識と無意識の境界ずれてるわけだから。
意識と無意識の境界がずれてんのかな? それって緑って語彙があることによって、青と緑の中間ぐらいのものを緑と認識するみたいな話って、意識と無意識の境界ずれてなくない? 言語ってのは、だから意識的なものですよね。2枚ずつ見せた時と3枚まとめて見せた時の違いとかを考えると分かりやすいんだけど、2枚ずつ見てる時ってのは2個だけを見ているから、言語に引きずられずに「どれも同じじゃない」っていうふうに見えるわけだけど、まとめて見るとブルーとグリーンっていう、言語っていう意識的な処理をしちゃうので、そのせいで認識も引きずられるっていう話。
だから2枚のカードで見せてる時は無意識の世界だし、3枚のカードで見てる時は意識の世界に変わるっていう話なのかな、と僕は理解している。福田先生が面白い例をしていて、物理学ってすごいお金かけて実験設備整えて、無重力空間とかを使って実験した結果、粒子がほんの少しだけずれたみたいなのが、すごい発見になるわけじゃん。それと、このサピア=ウォーフ仮説を確かめようとした実験って近くて、実験設備自体はいらないんだけど、違う言語を持った話者、つまり違うソフトを積んだ人たちを連れてきて、少しだけその結果、反応時間が遅れるとか、脳波がちょっと違うっていうのは、意識、無意識を見たい人たちにとってはどでかい差だから。
なるほど。だからこのちょっとした差って、言動レベルだと違いがちょっとしかなくてつまんないんだけど、その内部を探りたい人にとっては格好の差になるっていう話なのかな。そう。「粒子ちょっとずれたんや、これやばくね」っていうのと同じようなことが起きてるわけだ。確かに、その粒子のちょっとした違いみたいなの、俺たちどうでもいいもんな。何が違うの、それ。物理学者からしたら、それで理論が更新されるわけじゃない。それと同じように、意識って目には見えないんだけど、例えばこういう処理が1番下に走ってて、次にこういう処理が走ってて、この上にこれがあってみたいなモデルがあったとして、言語で実験したら「やっぱりそうだったね」とか「なんか違うっぽいぞ」っていうことが間接的に分かるわけですよね。それはだから彼らにとってめっちゃ大きいわけ。
どうしてもサピア=ウォーフ仮説っていうと、世界が全く違って見えるとか、そういうふうに捉えられがちなんだけど、研究者が見てるのはそんなでかい話じゃなくて、もっとちっちゃいレベルの変化なんだけど、そのちっちゃいレベルの変化というのは、意識とか無意識ってのを研究するでっかいレベルの話に跳ね返ってきてるわけです。だから英語話者にこのタスクやらせるとこういう反応があるってことは、どうやら人間の認知システムってこうなってるらしいっていう、でかい問題に取り組むための手がかりなわけだね。そうです。それ単体が結論なんじゃないのよ。そうか。勉強できるようになるとかじゃなくて、みんなサピア=ウォーフの仮説を目的だと思ってるけど、じゃなくて手段としてすごいって話だ。そうです。
だから僕、どっかの回でも言ったけど、言語を研究してる人って大きく2種類。一方は言語がとにかく好きだという人で、もう一方は言語が好きというよりは人間を知りたくて、そのために言語が1番格好の材料なので使ってるという人たちなんですね。だから今井先生もそうだと思うし、今ここまでの意識、無意識の話ってのは監修者の福田先生がやられてることなので、福田先生なんかもまさにこういうことがやりたい人なんだと思う。なるほどね。すごいね。言語学者って聞いた時にイメージされるものと全く違うね。全然違うでしょ。
言葉好きで研究してるんでしょうと思ったら全然違って、母語によって受けるわずかな影響の違いから人間を探るみたいなことやってんだね。そう、データ取って。全然言語学者じゃないな、それ。実験してデータ取って、処理かけて、「ちょっと違うぞ」みたいになってっていうのをやっている。イメージと合わないね。だから言語学の一分野は脳のリバースエンジニアリングとか、あるいは鍵のピッキングみたいなのに近くて、実験をしてみたらこの音が返ってきたということは、内部構造はきっとこうに違いないっていう、触れないものを復元しようとしてるような分野なんですね。そうね。脳を分解するわけにいかないから、動きから予想するしかないってことだ。
なんとなく僕は今の説明でそうかって思ったんだけどさ。具体的に、今まで言ったような色の実験結果から、人間の意識のメカニズムこうだって分かるみたいな例あります? はい。4つの円見せて違う色の円選ぶんだけど、一部の被験者に色名聞かせるとパフォーマンス上がったみたいな話あるじゃん。あれは言語によって色の処理が変わるっていう効果を、その場でオンにするスイッチみたいなものだったわけ。赤みたいな先行刺激があったら、色を名前で捉えようっていうスイッチがオンになるんだ。そう、っていう操作をしたのがその実験なわけね。
逆に言語干渉課題ってのは、その効果をオフにするものだったわけだよね。ということは、物理的な刺激は同じものを見せてるのに、言語カテゴリーの使用みたいなのをオンにしたりオフにしたり、強くしたり弱くしたりってのができて、その結果、反応時間とかに返ってくるわけだから。ということは、感覚入力そのものと、その後に言語による効果の上乗せみたいなのを分けて見ることができる。「人間の認知って、そこリソース別なんだ」っていう驚きの発見とかありますね。だし、そうすると処理もそういう順番なのかなって思うとかさ。っていうふうに研究者は考えてる。
そうだね、確かに。って考えると、すごく地味な色覚えられるかどうかの実験から、人間の認知ってこうなってんだろうなが推測できるわけだ。そう。なるほど。感覚入力の後に言語が1回邪魔をして、それでカテゴリー認識がずれるんだなっていうふうに実装されてるのかな、みたいなことを思ってるってことです。それは面白いな。明るい緑と暗い緑区別できるかできないか、どうでもええわって思ったけど、そうじゃなくて、人間の脳こうなってるわとか、認知こうなってるわは面白いね。
それを測る時に、言語というのはその無意識と意識ってのを切り分ける上でめっちゃいいツールだから、認知心理学者とかも注目したってことですね。すごい、分かりました。なるほど。サピア=ウォーフ仮説がすごいの、それによって分かる事実がすごいんだね。
そう。それ自体がね、ただちょっとおもろいんだよね。ややこしいね。
こんな人とこんな人がこういう実験をしたら、なんとこの話者とこの話者の結果が違いましたが、ちょっとおもろいせいでみんなその先を見ないっていう。その先があるんだよってことですね。
ということで、今回はサピア=ウォーフ仮説と色について語ってきました。長くなっちゃったんで、議論をもう一度おさらいすると、サピア=ウォーフ仮説の実験をしてみると、色についてなんか雲行き怪しいというか、あれ、そんな差はなさそうって思いきや、実験していくとちっちゃいレベルではありそうだったという。認識はみんなあんま変わんないけど、分類したり記憶したりするときにちょっと影響出るなっていう感じですね。
はい。そこから、色の知覚と色の分類と色の記憶ってのは、それぞれ認知的なタスクとしてちょっと違っていて、逆にこうした事実を利用して実験をすると、人間が世界をどのように見ていて、そこに言語というソフトはどうしているのかってのが切り分けて考えることができるようになると。だからサピア=ウォーフ仮説ってのは単体がちょっと面白いんだけど、実は実験結果によって得られる人間の認知メカニズムとか、意識・無意識のことに関する示唆がでかいのだ、という話をしてきたんです。
なるほどね。関係あるかどうかわかんないんだけどさ、俺、結構油断すると映画をぼーっと見ちゃうの。ぼーっと見た結果、何の話だったんだろうってなるのよ。だからなるべく言語化しながら見たいの。
この猫のアップはこの人を猫に例えてる心情描写だなとか、そういうこと考えないとぼーっと見ちゃって何も残んないから。最近気づいたんだけどさ、「これは事実を元にしたフィクションである」って出てくると、俺、ぼーっと見ない傾向にあることがわかって。
それ多分さ、その色の名前、先行刺激で与えられるのと一緒でさ、これ本当にあったことなの? じゃあ本当にあったこととして見なきゃって、スイッチが1個入ってるような気がするのよ。
なるほどね。俺の日常生活にもちょっと関係ある話かもってちょっと思った。そうかもしんないですね。
当然この手の実験ってもっと細かいレベルなんだけど、でもでっかいレベルで話すとそういうことだよね。だからさ、全部の映画にそれ出してほしいんだよね。完全なフィクションでもいいから。「この話は事実を元にしたフィクションである」って出してくれたら俺すごい気合い入って見るから。全部のものにやってほしい。アバターとかに。
あの青いナヴィが。そうそう、ナヴィが、あいつら。何を元にした? 何なの? 確かに事実を元にしたって言ってるけど、あんな人たちいないもんな。あんな青い人たち。いない。
でもほら、その中の一言とかさ、奥さんに言われたこととかから元になって多分できてるから、そういうレベルで言ったら事実を元にしてるじゃん、全てのもの。それを言ったらそうだよ。もうそれでいいじゃん。
そう、そう、そう。だからそれでいいじゃん。もう全部の映画にこれ必ず出してくれることによって、俺はスイッチが入って全部の映画集中して見れるから、ぜひお願いします、皆さん。配給会社の皆さん。後ろ向きにご検討ください。前向きに検討してほしいな。
最後に冒頭の問いに戻りますけど、白と黒しか持たない言語の話者は世界がどのように見えてるのかってのをもう一度確認しておくと、まず色の知覚は我々と同じように見えて。ただ、すごい細かいレベルの違いを当てさせるとか、記憶させてさっきと同じのどれでしょうみたいのやると、ちょっとだけパフォーマンスは落ちるかもね、というぐらいの話でした。
はい。今回参考にしたのは、1つは今井むつみ先生の『ことばと思考』。サピア=ウォーフ仮説について知りたいんだったら一番読みやすいかもしれない。あと最近出たエヴェレットの息子のね、ケイレブ・エヴェレット。『数の発明』っていう本、過去にもう翻訳されてましたけど、『無数の言語、無数の世界』っていう。これもサピア=ウォーフ仮説的な話がめっちゃ出てくるポピュラーサイエンスで、今井先生の本よりは読書筋力いるけど面白い。出てくる例がおもろいから、読み進めるのは全然難しくなかった。
めちゃくちゃ読んでるし、なんなら表紙破れてるもんな。表紙破れたのは単純に僕のミスです。違う違うじゃん。面白すぎて常に持ち歩いちゃったから破れちゃったんですよ、とかでよかったじゃん。なんでミスだって白状した? ミスで破りました。ミスで破れることあんまないけどな。
あとはこの『朝倉心理学講座5』。ちょっと待って、急にヘビー。ここら辺まで面白かった。急にこれ、最初の2冊面白そうだったのに突然ヘビーだね。『朝倉心理学講座5』。もう本、大喜利の道具だと思ってるじゃん。
まるまるサピア=ウォーフ仮説に関する章があるんで、合わせて。第8章かな、が「言語と思考」っていう章で、ちゃんと8の2とかは「言語が思考を規定するわけではない」ってはっきりと否定していますので。俗説を否定してるわけだね。はい。これも面白いと思います。
最後に監修者の福田純也先生の『外国語学習に潜む意識と無意識』。あれ、なんか柔らかい表紙。これまた難しそうじゃなかった? はい。元々開拓社選書っていうレーベルから出てたんですけど、ゆる言語学ラジオの出演とかがきっかけになって重版することになり。重版するならあのときの内容ちょっとひどすぎて直したいですって先生がおっしゃったということで、新装改訂版になって、一部、原稿も直して改めて出てます。
いいですね。じゃあだいぶ読みやすくなったってことですかね。読みやすくは……。あれ? 読みやすくは……。でもその、一般向けにすごく簡素にわかりやすく書き直してくれたわけじゃないですか? 福田先生はそう思ってらっしゃると思います。はい。
元の内容が多分むちゃくちゃ難しいから、結局難しいってことですかね? そうですね。抽象的なんですよ、やっぱりその意識とか無意識のお話って。そうか。抽象的だから、こういう議論に馴染みがない人からするとくじける部分もある。ただ逆に今回の回聞いて面白そうだって思ったら、特に最後の方の話ですね、一番近いのは実はここだと思う。サピア=ウォーフ仮説の実験とかがあって、で、どうすんのっていうところとかを先生の関心に沿って書かれているんで、もし興味があったらこれもアクセスしていただけるといいんじゃないかなと思います。
なるほどなるほど。じゃあ全て概要欄、固定コメントにリンク貼っておきますので、皆さんぜひお買い求めください。よろしく。
じゃあそんなわけで、本日も面白かった方、チャンネル登録、高評価、感想のコメントお待ちしております。聞いてて気になったこととか福田先生の本の感想などあれば、ぜひどしどし寄せてください。以上にしましょう。ありがとうございました。ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません? よくあります。そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。ぜひ皆さん買ってください。
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