人は本当に人を撃てないのか――『戦争における「人殺し」の心理学』から考える距離、条件づけ、SNSの誹謗中傷

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概要

ゆる言語学ラジオの「好きなことを喋らせろ」回で、水野太貴は一冊の本を取り上げた。デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』である。水野が最初に示したのは二つの数字だ。第二次世界大戦で実際に敵に向かって発砲した兵士は15〜20%しかいなかった。ところがベトナム戦争では、その割合が90%以上に跳ね上がる。人は本性として暴力的なのか。そうでないなら、なぜ発砲率はこれほど変わったのか。水野はこの問いを軸に、戦争、ドローン攻撃、SNSの誹謗中傷、会社組織の不正までを論じた。聞き手は堀元見である。

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なお、収録後にこの本のデータの信頼性に批判があることが分かり、動画の冒頭と最後に注意書きが加えられている。この点は最後の節で扱う。

水野は、今回は前編で本の内容を紹介し、後編では本から離れて言語と結びつけて考えたことを話すと予告した。また、この本は「人殺し」がテーマでありながら、自分の中ではキャリアや仕事の話とも深く関わっている、とも述べている。

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ゲティスバーグの銃は、なぜ弾が込められたままだったのか

最初の具体例は南北戦争のゲティスバーグの戦いである。水野によれば、本は「南北戦争コレクター事典」のような資料を引いている。それによると、戦場から2万挺を超えるマスケット銃が回収され、そのおよそ90%は弾が装填されたままだった。

突撃の途中で撃たれた、射程外から攻撃された、といった事情で撃つ前に倒れた兵士もいただろう。しかし水野は、それで90%を説明するのは難しいと言う。しかもこの時代の戦場では、装填済みの銃は非常に貴重だった。弾込めに手間がかかるからだ。落ちていれば拾って撃ってもおかしくない。それでも撃たれていない。本はここから、ほとんどの兵士は敵を殺そうとしていなかった、と結論づけている。

本には似た事例がほかにも並ぶ。ナポレオン戦争では、兵士が撃っては外すことを繰り返していた形跡がある。敵の頭上を狙って威嚇していたのだ。射撃の訓練水準と発射速度から計算すると、1分間に数百人単位を倒せるはずだった。ところが実際には1人か2人しか倒せていなかった、という計算結果も紹介されている。第二次大戦の兵士への面接調査からは、アメリカのライフル兵のうち敵に向けて発砲したのは15〜20%だったというデータも出てくる。

戦争そのものが嫌でボイコットしていたのでは、という解釈を、著者は否定している。発砲しなかった兵士は逃げたり隠れたりしていたわけではない。戦友を救出する、弾薬を運ぶ、伝令をする、といった、発砲よりも危険な仕事に自ら就いていたという。やる気はあるのに撃たない。この矛盾を、著者は同じ人間を殺すことへの強い精神的抵抗で説明する。水野はこの説明を、「人間の本性は暴力的だ」「万人の万人に対する闘争」といった言説とまったく整合しない、と評した。

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距離が遠いほど殺しやすくなる

水野が面白いと感じたのは、この抵抗が距離によって変わるという話だった。ナイフで刺すような至近距離の殺傷は精神的な負荷が大きい。遠くなるほど負荷は小さくなる。

水野はこの観点から、火薬を使う飛び道具が登場するまで、中世に至るまで剣より槍が好まれ続けた理由を考える。本が挙げる理由の一つは、槍なら少しでも距離が取れることだ。刃物を相手に突き刺すのと違い、槍は払ったり振り下ろしたりして「近づくな」と壁を作れる。そのため、明確に相手を刺して殺すという意図を否定しやすい。本にはギリシャやマケドニアの重装歩兵について、槍によって物理的な距離を獲得したという話も出てくる。堀元は、長い槍の方が強いから使われたのだとばかり思っていたと驚いた。水野は、強さも理由の一つだろうが、距離を作れることがもう一つの本質的な理由だと本は論じている、と補った。

中距離になるとライフルが登場する。自分の与えた傷がどれほどかが見えにくく、命中しても犠牲者の声を聞いたり表情を見たりすることがあまりない。さらに、ミサイル、戦車、航空機からの爆撃のような長距離の攻撃になると、精神的なトラウマを負いにくいとされる。水兵が陸上の兵士より精神的な病気になりにくいという話も本に出てくる。直接手を下すことがなく、相手からも個別に殺されそうになることが少ないからだという。

ここで堀元は一つの仮説を出した。昔から陸軍はエリートでない人が行き、海軍や空軍はエリートが行くというイメージがある。それは、精神を病みにくいポストにエリートを割り当てていたからかもしれない、というものだ。水野は、本には書かれていないが興味深い仮説だと応じた。そのうえで、陸軍の兵士は自分の命が危険にさらされ、仲間が目の前で死んでいくのを見ながら戦う。海軍は違う景色を見ている。同じ戦争でも両者の見え方がすれ違うのは当然かもしれない、と付け加えた。

前半のまとめとして水野は二点を挙げる。人は放っておくと人を殺すという言説があるが、実際には戦場に放り出されてもほとんど撃たない。そして、心理的な抵抗を乗り越えて敵を攻撃した兵士は、その後に精神的な傷を負うことが多い。堀元はこれを「希望の話」と受け止めた。

9:13

『幽☆遊☆白書』の仙水と、残虐なコンテンツへの不安

堀元はこの本を『幽☆遊☆白書』の仙水忍に読ませたかったと言う。仙水が闇落ちしたのは、人間が残虐な行為をしている「黒の章」というビデオテープを見たのがきっかけだった。人間はどこまでも残酷になれるのだと思い込み、人間を滅ぼそうとする。作中では、エリートは極端から極端に走る、と評される。堀元は、統計を見れば人間の本性はそうではないと分かるこの本を渡していれば、仙水は闇落ちしなかっただろうと冗談めかして語った。

水野はこの話を時代背景と結びつけた。本は1998年に書かれている。当時はテレビゲームが社会問題として扱われていた時期で、本にも人を撃つゲームへの問題意識が出てくる。暴力的なゲームをする子どもは残虐になるという信念が、社会にあったのではないか。仙水のキャラクター造形にも、残虐なコンテンツが人を残虐にするのではという仮説が影響していたかもしれない、と二人は推測した。ただし、実際にゲームで子どもが残虐になるのかについては、この本には書かれていないと水野は断っている。

10:34

ドローン攻撃とSNSの誹謗中傷は構造が似ている

距離の話は、現代の戦争ではドローン攻撃の倫理問題につながる。ポイントは、自分は攻撃されないまま、遠くから一方的に相手を攻撃できることだ。水野はここで『ドローンの哲学』を紹介した。この本によると、アメリカのドローンオペレーターは都市で暮らし、遠隔で仕事をして、夜は市民に戻る。飲みに行ったり、家に帰って家族と過ごしたりする。後味の悪さを感じる人もいると書かれてはいるが、働き方はホワイトカラーに近いという。

水野は、これがSNSの誹謗中傷と構造的によく似ていると指摘する。この類似を論じたのは、大山顕『新写真論 スマホと顔』である。大山の議論の要点は、対面で相手にきついことを言うのは人間にとって疲れる行為だということだ。目の前の相手をこき下ろし、罵声を浴び返す経験は精神的な負荷が大きい。しかしスマホを挟むと相手の顔が見えないので、ある程度ひどいことが言えてしまう。自分の手を汚している感覚がないまま一方的に殴れるという点で、ドローン攻撃と変わらない。さらにドローン攻撃では、対象の鮮明な映像ではなく、レーダーのような表示越しに攻撃する場合もあるらしい。水野は、相手の顔が見えないという点でますますSNSに似ている、と付け加えた。

二人はこれを自分たちの経験からも裏づける。水野は、SNSで強い言葉を使って誰かを非難している人と対面したことが何度かあり、たいていは物腰が柔らかかったと言う。堀元はもっと極端な経験を語った。SNSで自分を「頭が悪くて文章が下手」と書いていた人が、会うと「いつも見てます、応援してます」と言ってくる。本人は、堀元がそのアカウントを知っていることに気づいていない。また、ひどい罵倒を引用ツイートして「そんなこと言わなくても」と返すと、相手はすぐに投稿を消すことが多いという。二人とも、そういう人はあまり自分の言葉が相手に届くと思っていないのではないか、どうせなら最後まで戦うつもりで書いてほしい、と話した。

14:17

面と向かって批判できる人

その一方で、堀元は対面でも批判の姿勢を崩さない人をかっこいいと言う。堀元自身は、QuizKnock卒業生のこうちゃんをnoteで酷評し、イベントでも本人の前で同じことを言ったので一貫している、と自賛した。これに水野が「最低ではない」と突っ込むやりとりもあった。

水野も、面と向かって批判を貫いた人と会った経験を二つ挙げた。一つは、ゆる言語学ラジオを批判するnoteを書いた人と話す機会があった件だ。その人は媚びずに「ここが問題だと思います」と伝えてきた。言われる側としてはきつかった。当時は「ゆるとつけているのだから大目に見てやれ」「揚げ足取りだ」といった声もあった。それでもスタンスを貫く様子は人間としてかっこよかった、と水野は振り返る。

もう一つは「令和人文主義」をめぐる件である。水野によれば、人文知を教養のための義務としてではなく「普通に面白い」として本以外の場でも紹介する同世代の人たちがいる。水野自身もそこに含めてもらっていた。こうした潮流を「令和人文主義」と名付けて論じる人がいる。これに対し、小峰さんという人が「異議あり」といったタイトルのnoteを書き、「正社員のための哲学だろう」と真面目に批判した。このnoteは広く読まれた。その後、大阪のロフトで令和人文主義と呼ばれる人たちが集まるイベントが開かれた。小峰さんは一人で会場に来て、最後に客席も交えて話す場面で登壇し、周りを囲まれながら批判を続けた。「よく来られましたね」と言われると、偵察として来たし、立場の違う人ともしっかり議論すべきだと思っているから一人で来た、と答えたという。水野はこの場を配信で見て、気骨がある、言論の力を信じている人だと感じた。そのうえで、大体の人はそうではなく、スマホを挟むからこそ言いたい放題言えて、書いた後は普通の生活に戻る、と話した。

18:49

『MONSTER』の殺し屋と砂糖3個

堀元は、この距離と共感の話から浦沢直樹『MONSTER』のエピソードを思い出した。凄腕のスナイパーが、標的を「自分が殺す側、相手が殺される側」とだけ考えて、何も気にせず殺してきた。その殺し屋はいつもコーヒーに角砂糖を3個入れて飲む。ある朝、カフェにいる標的を狙っていたところ、標的も同じように角砂糖を3個入れ、うまそうに笑った。その瞬間から撃てなくなり、殺し屋を引退したという話である。堀元は、顔が見えた瞬間に殺せなくなるのだと思った、と語る。水野は、まさにそういう話がこの本にたくさん出てくると応じ、共感してしまうともう無理になるのだとまとめた。

19:38

発砲率を9割に上げた方法――条件づけとゲーミフィケーション

人は直接相手と対峙すると攻撃できない。この事実は第二次大戦の終わりには明らかになっていた、と本は述べる。本の比喩では、発砲率15〜20%というのは、校正者のうち読み書きできる者が15〜20%しかいないようなものだという。仕事になっていない。上層部はこの問題に気づき、手を打った。その結果がベトナム戦争での9割という数字である。

堀元はまず予想を出した。撃たなければ家族が投獄されるといったペナルティを課したのでは、というものだ。これは二人とも第二次大戦の後の米軍でそれはないだろうと笑って退けた。続いて「敵を宿敵だと思わせる」という予想を出すと、水野は次回話す内容なので黙っていてほしいと止めた。堀元は、ベトナム戦争はアメリカが侵略されたわけではないので大義が薄いのでは、とも指摘した。水野もそれに同意する。自分の家を守る戦いには大義が生まれやすいが、相手の土地に攻め込む場合は兵士も倫理的な咎めを負いやすい。それにもかかわらず発砲率は上がったのだ、と。

水野が示した答えは「条件づけ」、つまりパブロフの犬の原理の応用である。ベトナム戦争期のアメリカ陸軍と海兵隊の訓練では、反射的に早撃ちする能力が鍛えられた。かつての兵士は、草地に腹ばいになって丸い標的をのんびり撃っていた。新しい訓練では、完全武装でたこつぼの中に何時間も立つ。目の前には木々の茂った起伏のある土地が広がり、迷彩のような色の人型の標的が一つか二つ、定期的に飛び出してはすぐ引っ込む。兵士は瞬時に狙って撃たなければならない。命中すると、生きた人間のように標的がばったり倒れて、すぐにフィードバックが返る。成績が上がれば報酬があり、褒められる。失敗すると軽い罰がある。

水野によれば、ここで鍛えられるのは射撃術ではない。考えを挟まずに瞬間的に撃つ能力である。条件づけの用語でいえば、人型の刺激が条件刺激、それを即座に撃つことが目標行動、うまくいった時の報酬が正の強化にあたる。より本物に近い複雑な標的が使われることもあった。戦闘服を着せた風船を射撃ゾーンで動かしたり、赤いペンキを入れたミルク瓶を撃たせたりした。こうすると訓練が面白くなり、環境が変わっても条件づけられた反応、つまり撃つことが確実に引き出されるようになるという。堀元はこれを「ゲーミフィケーション」だと言い、水野も、だからこそ著者はテレビゲームに問題意識を燃やしているのだと説明した。

本には次の数字も出てくる。ベトナムでは敵兵を1人殺すのに平均5万発の弾薬が使われた。一方、同じベトナムでアメリカ陸軍と海兵隊の狙撃兵が1人殺すのに使ったのは1.39発だった。水野はこれを、発砲率だけでなく狙いの正確さも変わったことを示すものとして紹介した。堀元は、人を撃てないという人間らしい感覚を捨てさせる方法がゲーミフィケーションだというのが悲しい、と感想を述べた。

24:23

条件づけられた兵士が壊れる理由

水野は、条件づけの本質は考えない方向に人を傾けることだと言う。判断に迷わず、これが来たらこれをする。条件づけそのものは善悪のない無色透明な手法かもしれない。しかしやりすぎると、人はどんどん考えなくなる。個人とアメリカ軍という集団の境界が溶け、個人である前に兵士としてふるまうようになる。

そうなった人はメンタルを壊す、と水野は続ける。ベトナム戦争後、多くのアメリカ兵がPTSDになった。堀元は、条件反射で撃つよう訓練されたなら、撃った後も冷徹な機械のようになるのではと直感的に思ったと言う。水野は、戦場で壊れる人もいれば、戦後に壊れる人もいると答えた。

水野はベトナム戦争の特殊な事情を挙げる。まず大義が薄かった。長期化するにつれてアメリカ国内の世論は反戦に傾いた。マスコミが戦争の帰趨に影響を与えた初めてのケースとも言われ、言語学者のノーム・チョムスキーも反戦活動に力を入れていた。国のために条件づけられて戦い、帰国すると「人殺し」と国民から非難される。恋人がいなくなっていたり、離婚されたりすることもあった。さらにゲリラ戦だったので、民間人が兵士である可能性があり、いつまでも気が抜けない強烈なストレス環境に置かれた。敵兵を殺すことは倫理的に正当化しやすいが、子どもや女性を含む民間人を手にかけることは倫理的な負荷が大きい。条件づけられている間は正気を保っていないような状態で、それが終わった瞬間に「自分がやったことは何だったのか」という強烈な揺り戻しが来る、と水野は説明した。

27:09

会社員の不正と、激務の中の条件づけ

水野はこの本を、単なる興味本位で読む本ではないと言う。個人と組織の境界が溶けるのはどんな時か。組織はどのような手法で自我の境界を壊していくのか。それが書かれた本だというのだ。

これに堀元は、会社員が不正をする話を扱った本をよく読むと言って、山一證券の例を挙げた。表に出すとまずい債務があり、それを国外に飛ばして簿外債務にする方法論がいったん確立されてしまう。何度か繰り返すうちに、債務が出てくるたびに条件反射のように飛ばすようになる。気づけば何百億円も抱えて、誰にも言えない状態になっていた。堀元は、違法な操作を条件反射にしてしまうことが組織がおかしくなる一つのポイントではないか、と語った。

水野も、忙しくなると何も考えずにとりあえずこなそうとしてしまうが、それを突き詰めると会社の中の自分と個人としての自分の境界が溶けていく。だから常にチェックを利かせておく必要がある、と本を読んで思ったと述べた。堀元はこれを極端に受け取り、決算期の経理担当者も「本当にこのホッチキス105円を登録していいのか」と一枚ずつ立ち返るべきだ、とふざけた。水野は、テンポよく処理すべき時もあるが、たまに立ち返る必要がある、という程度の話だと引き取った。

29:41

2%の人間と「普通」の反転

では、それでも過去の戦争で膨大な死者が出たのはなぜか。本には、全体の2%ほどの人が後悔や自責を感じずに人を殺せるというデータが出てくる。堀元はサイコパスのようなものかと尋ねた。

水野は、ここで視点を変えると逆の結論が導けると言う。映画では兵士がためらいなく撃つ描写が多い。水野自身、この本を読むまでは、戦場に行けば葛藤しながらも撃つのだろうと思っていた。だとすれば、戦場で平気でいられる2%こそが戦争における「普通」であり、撃てない98%が「普通でない」ことになる。

水野は、知人から聞いた話として医学部の例も出した。毎年、解剖実習に耐えられずに辞める学生が数人いるという。解剖が無理だという感覚は多くの人がうっすら持っている。仮に辞める学生が2%だとすれば、その2%が普通の感覚を持っていて、医者は98%の異常者だという議論も成り立ってしまう。水野は数字は適当だと断り、医者が悪いと言いたいのではないと強調した。戦場のような極端な場でなくても、大学の医学部のような身近な場所で、普通の境界は簡単にずれる。そう言いたかったのだという。

堀元はここから、ドラキュラのモデルとされるヴラド串刺し公を思い出した。敵兵を大量に串刺しにして相手を撤退させ、英雄とされたが、後に恐れられ、イメージが悪くなった人物だと堀元は語る。残虐なことをしてでも敵を追い払える人間は2%しかいないので、戦時には貴重で称えられる。しかし平和になると、2%しかいない異様な人間として迫害される。堀元は、そう考えるとさもありなんという気がしてきた、と述べた。

33:31

なぜ戦争に反対するのか

水野は、これまで戦争に反対してきたが、借りてきた言葉で反対している感覚が少しあった、と打ち明けた。それが悪いとは思わないが、自分で理由を説明できるようにしたかった。この本を読んで、その理由の一つが見えたという。

もし堀元が突然徴兵されたら、撃つか撃たないかで延々と葛藤する。運よく生き残っても、共に戦った仲間を助けられなかったことや、人に手をかけてしまったことへの倫理的なトラウマを抱えて生きることになる。ある世代の人たちだけが貧乏くじを引き、戦後もずっと咎めを負い続ける。その意味で戦争は割に合わず、やるべきではない、と水野は語った。

堀元は、条件づけで人間性を捨てさせる構造そのものが反対の理由になると述べた。本性ではないものをねじ曲げて植えつけるのは洗脳ではないか、というのである。水野は、怖いのは兵士が訓練を楽しんでいることだと付け加えた。楽しいと思いながら訓練を受け、そのまま戦場で敵兵を1.3発ほどで殺してしまう。それを暴いたのがこの本だという。

堀元はさらに『時計じかけのオレンジ』を挙げた。性暴力で捕まった主人公が、女性の裸を見ると吐き気を催すよう条件づけで改造される。堀元の記憶では、裸を見せることと具合が悪くなる薬を飲ませることを同時に繰り返したのではないかという。堀元は、条件づけで人間を都合よく改造するのは生理的に受け入れがたいと感じ、今回の話もそれに似ていると述べた。水野は、「上司に頼まれたら1秒以内に返事をしろ」「電話には何コール以内に出ろ」といった教えも条件づけであり、世の中にまだあると指摘した。付き合い方を間違えると危ない、というのが二人の結論である。次回は、この戦争における人殺しと言葉がどう関わるかを話す予定だと予告された。

37:12

収録後の訂正――根拠にしたデータへの批判

動画の最後に、水野と堀元は収録後に判明した問題を補足した。第二次大戦の発砲率15〜20%というデータは、S・L・A・マーシャルの調査に基づいている。このデータは信憑性がかなり疑わしいと言われている。マーシャルが聞き取りをした人数が語られる場所によってぶれていたり、捏造ではないかと言う人までいたりするという。英語版Wikipediaにも、この本への批判(Criticism)の項目がある。水野はちくま学芸文庫から出ていたので信じてしまったと弁解し、堀元に「著者のWikipediaを読んでから来ればよかった」と突っ込まれた。水野は、話として面白すぎたので使いたくなってしまったとも認めている。

ドローン攻撃についても補足があった。『ドローンの哲学』の著者は、オペレーターはPTSDには定義上なりようがないという立場を取っている。しかし実際にはPTSDになったオペレーターの報道もあり、ここにも異論がありそうだという。水野と、この議論を紹介した大山顕も、その本の立場に沿って論じていた。水野は、本編でも精神的な咎めや負荷を負う人もいると断ってはいたが、改めて強調しておきたいと述べた。

水野の整理では、この回で紹介した本の主張は二つだった。発砲率が低いこと、そして物理的・心理的な距離が近いほどストレスが大きく遠いほど小さいこと。そのうち一つ目には批判がある。そのため回全体は、興味深いデータを前提にするならこういうことが言えそうだ、という水野の独自見解として見てほしいという。次回につながる前振りでもあるため、ボツにはせず注意喚起をつけて公開する判断をした。今後は、専門外の本を読んで話す時は、台本をAIに見せて内容に問題や批判がないか確認するつもりだと水野は話した。

最後に二人は、次回扱うテーマが「嘘を嘘であると見抜ける人でないと(インターネットを使うのは)難しい」という発言だと明かした。そして、自分たちこそ見抜けなかったと自嘲して回を締めくくった。