人は本当に人を撃てないのか――『戦争における「人殺し」の心理学』から考える距離、条件づけ、SNSの誹謗中傷
ゆる言語学ラジオゆる言語学ラジオの「好きなことを喋らせろ」回で、水野太貴は一冊の本を取り上げた。デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』である。水野が最初に示したのは二つの数字だ。第二次世界大戦で実際に敵に向かって発砲した兵士は15〜20%しかいなかった。ところがベトナム戦争では、その割合が90%以上に跳ね上がる。人は本性として暴力的なのか。そうでないなら、なぜ発砲率はこれほど変わったのか。水野はこの問いを軸に、戦争、ドローン攻撃、SNSの誹謗中傷、会社組織の不正までを論じた。聞き手は堀元見である。
なお、収録後にこの本のデータの信頼性に批判があることが分かり、動画の冒頭と最後に注意書きが加えられている。この点は最後の節で扱う。
水野は、今回は前編で本の内容を紹介し、後編では本から離れて言語と結びつけて考えたことを話すと予告した。また、この本は「人殺し」がテーマでありながら、自分の中ではキャリアや仕事の話とも深く関わっている、とも述べている。
ゲティスバーグの銃は、なぜ弾が込められたままだったのか
最初の具体例は南北戦争のゲティスバーグの戦いである。水野によれば、本は「南北戦争コレクター事典」のような資料を引いている。それによると、戦場から2万挺を超えるマスケット銃が回収され、そのおよそ90%は弾が装填されたままだった。
突撃の途中で撃たれた、射程外から攻撃された、といった事情で撃つ前に倒れた兵士もいただろう。しかし水野は、それで90%を説明するのは難しいと言う。しかもこの時代の戦場では、装填済みの銃は非常に貴重だった。弾込めに手間がかかるからだ。落ちていれば拾って撃ってもおかしくない。それでも撃たれていない。本はここから、ほとんどの兵士は敵を殺そうとしていなかった、と結論づけている。
本には似た事例がほかにも並ぶ。ナポレオン戦争では、兵士が撃っては外すことを繰り返していた形跡がある。敵の頭上を狙って威嚇していたのだ。射撃の訓練水準と発射速度から計算すると、1分間に数百人単位を倒せるはずだった。ところが実際には1人か2人しか倒せていなかった、という計算結果も紹介されている。第二次大戦の兵士への面接調査からは、アメリカのライフル兵のうち敵に向けて発砲したのは15〜20%だったというデータも出てくる。
戦争そのものが嫌でボイコットしていたのでは、という解釈を、著者は否定している。発砲しなかった兵士は逃げたり隠れたりしていたわけではない。戦友を救出する、弾薬を運ぶ、伝令をする、といった、発砲よりも危険な仕事に自ら就いていたという。やる気はあるのに撃たない。この矛盾を、著者は同じ人間を殺すことへの強い精神的抵抗で説明する。水野はこの説明を、「人間の本性は暴力的だ」「万人の万人に対する闘争」といった言説とまったく整合しない、と評した。
距離が遠いほど殺しやすくなる
水野が面白いと感じたのは、この抵抗が距離によって変わるという話だった。ナイフで刺すような至近距離の殺傷は精神的な負荷が大きい。遠くなるほど負荷は小さくなる。
水野はこの観点から、火薬を使う飛び道具が登場するまで、中世に至るまで剣より槍が好まれ続けた理由を考える。本が挙げる理由の一つは、槍なら少しでも距離が取れることだ。刃物を相手に突き刺すのと違い、槍は払ったり振り下ろしたりして「近づくな」と壁を作れる。そのため、明確に相手を刺して殺すという意図を否定しやすい。本にはギリシャやマケドニアの重装歩兵について、槍によって物理的な距離を獲得したという話も出てくる。堀元は、長い槍の方が強いから使われたのだとばかり思っていたと驚いた。水野は、強さも理由の一つだろうが、距離を作れることがもう一つの本質的な理由だと本は論じている、と補った。
中距離になるとライフルが登場する。自分の与えた傷がどれほどかが見えにくく、命中しても犠牲者の声を聞いたり表情を見たりすることがあまりない。さらに、ミサイル、戦車、航空機からの爆撃のような長距離の攻撃になると、精神的なトラウマを負いにくいとされる。水兵が陸上の兵士より精神的な病気になりにくいという話も本に出てくる。直接手を下すことがなく、相手からも個別に殺されそうになることが少ないからだという。
ここで堀元は一つの仮説を出した。昔から陸軍はエリートでない人が行き、海軍や空軍はエリートが行くというイメージがある。それは、精神を病みにくいポストにエリートを割り当てていたからかもしれない、というものだ。水野は、本には書かれていないが興味深い仮説だと応じた。そのうえで、陸軍の兵士は自分の命が危険にさらされ、仲間が目の前で死んでいくのを見ながら戦う。海軍は違う景色を見ている。同じ戦争でも両者の見え方がすれ違うのは当然かもしれない、と付け加えた。
前半のまとめとして水野は二点を挙げる。人は放っておくと人を殺すという言説があるが、実際には戦場に放り出されてもほとんど撃たない。そして、心理的な抵抗を乗り越えて敵を攻撃した兵士は、その後に精神的な傷を負うことが多い。堀元はこれを「希望の話」と受け止めた。
『幽☆遊☆白書』の仙水と、残虐なコンテンツへの不安
堀元はこの本を『幽☆遊☆白書』の仙水忍に読ませたかったと言う。仙水が闇落ちしたのは、人間が残虐な行為をしている「黒の章」というビデオテープを見たのがきっかけだった。人間はどこまでも残酷になれるのだと思い込み、人間を滅ぼそうとする。作中では、エリートは極端から極端に走る、と評される。堀元は、統計を見れば人間の本性はそうではないと分かるこの本を渡していれば、仙水は闇落ちしなかっただろうと冗談めかして語った。
水野はこの話を時代背景と結びつけた。本は1998年に書かれている。当時はテレビゲームが社会問題として扱われていた時期で、本にも人を撃つゲームへの問題意識が出てくる。暴力的なゲームをする子どもは残虐になるという信念が、社会にあったのではないか。仙水のキャラクター造形にも、残虐なコンテンツが人を残虐にするのではという仮説が影響していたかもしれない、と二人は推測した。ただし、実際にゲームで子どもが残虐になるのかについては、この本には書かれていないと水野は断っている。
ドローン攻撃とSNSの誹謗中傷は構造が似ている
距離の話は、現代の戦争ではドローン攻撃の倫理問題につながる。ポイントは、自分は攻撃されないまま、遠くから一方的に相手を攻撃できることだ。水野はここで『ドローンの哲学』を紹介した。この本によると、アメリカのドローンオペレーターは都市で暮らし、遠隔で仕事をして、夜は市民に戻る。飲みに行ったり、家に帰って家族と過ごしたりする。後味の悪さを感じる人もいると書かれてはいるが、働き方はホワイトカラーに近いという。
水野は、これがSNSの誹謗中傷と構造的によく似ていると指摘する。この類似を論じたのは、大山顕『新写真論 スマホと顔』である。大山の議論の要点は、対面で相手にきついことを言うのは人間にとって疲れる行為だということだ。目の前の相手をこき下ろし、罵声を浴び返す経験は精神的な負荷が大きい。しかしスマホを挟むと相手の顔が見えないので、ある程度ひどいことが言えてしまう。自分の手を汚している感覚がないまま一方的に殴れるという点で、ドローン攻撃と変わらない。さらにドローン攻撃では、対象の鮮明な映像ではなく、レーダーのような表示越しに攻撃する場合もあるらしい。水野は、相手の顔が見えないという点でますますSNSに似ている、と付け加えた。
二人はこれを自分たちの経験からも裏づける。水野は、SNSで強い言葉を使って誰かを非難している人と対面したことが何度かあり、たいていは物腰が柔らかかったと言う。堀元はもっと極端な経験を語った。SNSで自分を「頭が悪くて文章が下手」と書いていた人が、会うと「いつも見てます、応援してます」と言ってくる。本人は、堀元がそのアカウントを知っていることに気づいていない。また、ひどい罵倒を引用ツイートして「そんなこと言わなくても」と返すと、相手はすぐに投稿を消すことが多いという。二人とも、そういう人はあまり自分の言葉が相手に届くと思っていないのではないか、どうせなら最後まで戦うつもりで書いてほしい、と話した。
面と向かって批判できる人
その一方で、堀元は対面でも批判の姿勢を崩さない人をかっこいいと言う。堀元自身は、QuizKnock卒業生のこうちゃんをnoteで酷評し、イベントでも本人の前で同じことを言ったので一貫している、と自賛した。これに水野が「最低ではない」と突っ込むやりとりもあった。
水野も、面と向かって批判を貫いた人と会った経験を二つ挙げた。一つは、ゆる言語学ラジオを批判するnoteを書いた人と話す機会があった件だ。その人は媚びずに「ここが問題だと思います」と伝えてきた。言われる側としてはきつかった。当時は「ゆるとつけているのだから大目に見てやれ」「揚げ足取りだ」といった声もあった。それでもスタンスを貫く様子は人間としてかっこよかった、と水野は振り返る。
もう一つは「令和人文主義」をめぐる件である。水野によれば、人文知を教養のための義務としてではなく「普通に面白い」として本以外の場でも紹介する同世代の人たちがいる。水野自身もそこに含めてもらっていた。こうした潮流を「令和人文主義」と名付けて論じる人がいる。これに対し、小峰さんという人が「異議あり」といったタイトルのnoteを書き、「正社員のための哲学だろう」と真面目に批判した。このnoteは広く読まれた。その後、大阪のロフトで令和人文主義と呼ばれる人たちが集まるイベントが開かれた。小峰さんは一人で会場に来て、最後に客席も交えて話す場面で登壇し、周りを囲まれながら批判を続けた。「よく来られましたね」と言われると、偵察として来たし、立場の違う人ともしっかり議論すべきだと思っているから一人で来た、と答えたという。水野はこの場を配信で見て、気骨がある、言論の力を信じている人だと感じた。そのうえで、大体の人はそうではなく、スマホを挟むからこそ言いたい放題言えて、書いた後は普通の生活に戻る、と話した。
『MONSTER』の殺し屋と砂糖3個
堀元は、この距離と共感の話から浦沢直樹『MONSTER』のエピソードを思い出した。凄腕のスナイパーが、標的を「自分が殺す側、相手が殺される側」とだけ考えて、何も気にせず殺してきた。その殺し屋はいつもコーヒーに角砂糖を3個入れて飲む。ある朝、カフェにいる標的を狙っていたところ、標的も同じように角砂糖を3個入れ、うまそうに笑った。その瞬間から撃てなくなり、殺し屋を引退したという話である。堀元は、顔が見えた瞬間に殺せなくなるのだと思った、と語る。水野は、まさにそういう話がこの本にたくさん出てくると応じ、共感してしまうともう無理になるのだとまとめた。
発砲率を9割に上げた方法――条件づけとゲーミフィケーション
人は直接相手と対峙すると攻撃できない。この事実は第二次大戦の終わりには明らかになっていた、と本は述べる。本の比喩では、発砲率15〜20%というのは、校正者のうち読み書きできる者が15〜20%しかいないようなものだという。仕事になっていない。上層部はこの問題に気づき、手を打った。その結果がベトナム戦争での9割という数字である。
堀元はまず予想を出した。撃たなければ家族が投獄されるといったペナルティを課したのでは、というものだ。これは二人とも第二次大戦の後の米軍でそれはないだろうと笑って退けた。続いて「敵を宿敵だと思わせる」という予想を出すと、水野は次回話す内容なので黙っていてほしいと止めた。堀元は、ベトナム戦争はアメリカが侵略されたわけではないので大義が薄いのでは、とも指摘した。水野もそれに同意する。自分の家を守る戦いには大義が生まれやすいが、相手の土地に攻め込む場合は兵士も倫理的な咎めを負いやすい。それにもかかわらず発砲率は上がったのだ、と。
水野が示した答えは「条件づけ」、つまりパブロフの犬の原理の応用である。ベトナム戦争期のアメリカ陸軍と海兵隊の訓練では、反射的に早撃ちする能力が鍛えられた。かつての兵士は、草地に腹ばいになって丸い標的をのんびり撃っていた。新しい訓練では、完全武装でたこつぼの中に何時間も立つ。目の前には木々の茂った起伏のある土地が広がり、迷彩のような色の人型の標的が一つか二つ、定期的に飛び出してはすぐ引っ込む。兵士は瞬時に狙って撃たなければならない。命中すると、生きた人間のように標的がばったり倒れて、すぐにフィードバックが返る。成績が上がれば報酬があり、褒められる。失敗すると軽い罰がある。
水野によれば、ここで鍛えられるのは射撃術ではない。考えを挟まずに瞬間的に撃つ能力である。条件づけの用語でいえば、人型の刺激が条件刺激、それを即座に撃つことが目標行動、うまくいった時の報酬が正の強化にあたる。より本物に近い複雑な標的が使われることもあった。戦闘服を着せた風船を射撃ゾーンで動かしたり、赤いペンキを入れたミルク瓶を撃たせたりした。こうすると訓練が面白くなり、環境が変わっても条件づけられた反応、つまり撃つことが確実に引き出されるようになるという。堀元はこれを「ゲーミフィケーション」だと言い、水野も、だからこそ著者はテレビゲームに問題意識を燃やしているのだと説明した。
本には次の数字も出てくる。ベトナムでは敵兵を1人殺すのに平均5万発の弾薬が使われた。一方、同じベトナムでアメリカ陸軍と海兵隊の狙撃兵が1人殺すのに使ったのは1.39発だった。水野はこれを、発砲率だけでなく狙いの正確さも変わったことを示すものとして紹介した。堀元は、人を撃てないという人間らしい感覚を捨てさせる方法がゲーミフィケーションだというのが悲しい、と感想を述べた。
条件づけられた兵士が壊れる理由
水野は、条件づけの本質は考えない方向に人を傾けることだと言う。判断に迷わず、これが来たらこれをする。条件づけそのものは善悪のない無色透明な手法かもしれない。しかしやりすぎると、人はどんどん考えなくなる。個人とアメリカ軍という集団の境界が溶け、個人である前に兵士としてふるまうようになる。
そうなった人はメンタルを壊す、と水野は続ける。ベトナム戦争後、多くのアメリカ兵がPTSDになった。堀元は、条件反射で撃つよう訓練されたなら、撃った後も冷徹な機械のようになるのではと直感的に思ったと言う。水野は、戦場で壊れる人もいれば、戦後に壊れる人もいると答えた。
水野はベトナム戦争の特殊な事情を挙げる。まず大義が薄かった。長期化するにつれてアメリカ国内の世論は反戦に傾いた。マスコミが戦争の帰趨に影響を与えた初めてのケースとも言われ、言語学者のノーム・チョムスキーも反戦活動に力を入れていた。国のために条件づけられて戦い、帰国すると「人殺し」と国民から非難される。恋人がいなくなっていたり、離婚されたりすることもあった。さらにゲリラ戦だったので、民間人が兵士である可能性があり、いつまでも気が抜けない強烈なストレス環境に置かれた。敵兵を殺すことは倫理的に正当化しやすいが、子どもや女性を含む民間人を手にかけることは倫理的な負荷が大きい。条件づけられている間は正気を保っていないような状態で、それが終わった瞬間に「自分がやったことは何だったのか」という強烈な揺り戻しが来る、と水野は説明した。
会社員の不正と、激務の中の条件づけ
水野はこの本を、単なる興味本位で読む本ではないと言う。個人と組織の境界が溶けるのはどんな時か。組織はどのような手法で自我の境界を壊していくのか。それが書かれた本だというのだ。
これに堀元は、会社員が不正をする話を扱った本をよく読むと言って、山一證券の例を挙げた。表に出すとまずい債務があり、それを国外に飛ばして簿外債務にする方法論がいったん確立されてしまう。何度か繰り返すうちに、債務が出てくるたびに条件反射のように飛ばすようになる。気づけば何百億円も抱えて、誰にも言えない状態になっていた。堀元は、違法な操作を条件反射にしてしまうことが組織がおかしくなる一つのポイントではないか、と語った。
水野も、忙しくなると何も考えずにとりあえずこなそうとしてしまうが、それを突き詰めると会社の中の自分と個人としての自分の境界が溶けていく。だから常にチェックを利かせておく必要がある、と本を読んで思ったと述べた。堀元はこれを極端に受け取り、決算期の経理担当者も「本当にこのホッチキス105円を登録していいのか」と一枚ずつ立ち返るべきだ、とふざけた。水野は、テンポよく処理すべき時もあるが、たまに立ち返る必要がある、という程度の話だと引き取った。
2%の人間と「普通」の反転
では、それでも過去の戦争で膨大な死者が出たのはなぜか。本には、全体の2%ほどの人が後悔や自責を感じずに人を殺せるというデータが出てくる。堀元はサイコパスのようなものかと尋ねた。
水野は、ここで視点を変えると逆の結論が導けると言う。映画では兵士がためらいなく撃つ描写が多い。水野自身、この本を読むまでは、戦場に行けば葛藤しながらも撃つのだろうと思っていた。だとすれば、戦場で平気でいられる2%こそが戦争における「普通」であり、撃てない98%が「普通でない」ことになる。
水野は、知人から聞いた話として医学部の例も出した。毎年、解剖実習に耐えられずに辞める学生が数人いるという。解剖が無理だという感覚は多くの人がうっすら持っている。仮に辞める学生が2%だとすれば、その2%が普通の感覚を持っていて、医者は98%の異常者だという議論も成り立ってしまう。水野は数字は適当だと断り、医者が悪いと言いたいのではないと強調した。戦場のような極端な場でなくても、大学の医学部のような身近な場所で、普通の境界は簡単にずれる。そう言いたかったのだという。
堀元はここから、ドラキュラのモデルとされるヴラド串刺し公を思い出した。敵兵を大量に串刺しにして相手を撤退させ、英雄とされたが、後に恐れられ、イメージが悪くなった人物だと堀元は語る。残虐なことをしてでも敵を追い払える人間は2%しかいないので、戦時には貴重で称えられる。しかし平和になると、2%しかいない異様な人間として迫害される。堀元は、そう考えるとさもありなんという気がしてきた、と述べた。
なぜ戦争に反対するのか
水野は、これまで戦争に反対してきたが、借りてきた言葉で反対している感覚が少しあった、と打ち明けた。それが悪いとは思わないが、自分で理由を説明できるようにしたかった。この本を読んで、その理由の一つが見えたという。
もし堀元が突然徴兵されたら、撃つか撃たないかで延々と葛藤する。運よく生き残っても、共に戦った仲間を助けられなかったことや、人に手をかけてしまったことへの倫理的なトラウマを抱えて生きることになる。ある世代の人たちだけが貧乏くじを引き、戦後もずっと咎めを負い続ける。その意味で戦争は割に合わず、やるべきではない、と水野は語った。
堀元は、条件づけで人間性を捨てさせる構造そのものが反対の理由になると述べた。本性ではないものをねじ曲げて植えつけるのは洗脳ではないか、というのである。水野は、怖いのは兵士が訓練を楽しんでいることだと付け加えた。楽しいと思いながら訓練を受け、そのまま戦場で敵兵を1.3発ほどで殺してしまう。それを暴いたのがこの本だという。
堀元はさらに『時計じかけのオレンジ』を挙げた。性暴力で捕まった主人公が、女性の裸を見ると吐き気を催すよう条件づけで改造される。堀元の記憶では、裸を見せることと具合が悪くなる薬を飲ませることを同時に繰り返したのではないかという。堀元は、条件づけで人間を都合よく改造するのは生理的に受け入れがたいと感じ、今回の話もそれに似ていると述べた。水野は、「上司に頼まれたら1秒以内に返事をしろ」「電話には何コール以内に出ろ」といった教えも条件づけであり、世の中にまだあると指摘した。付き合い方を間違えると危ない、というのが二人の結論である。次回は、この戦争における人殺しと言葉がどう関わるかを話す予定だと予告された。
収録後の訂正――根拠にしたデータへの批判
動画の最後に、水野と堀元は収録後に判明した問題を補足した。第二次大戦の発砲率15〜20%というデータは、S・L・A・マーシャルの調査に基づいている。このデータは信憑性がかなり疑わしいと言われている。マーシャルが聞き取りをした人数が語られる場所によってぶれていたり、捏造ではないかと言う人までいたりするという。英語版Wikipediaにも、この本への批判(Criticism)の項目がある。水野はちくま学芸文庫から出ていたので信じてしまったと弁解し、堀元に「著者のWikipediaを読んでから来ればよかった」と突っ込まれた。水野は、話として面白すぎたので使いたくなってしまったとも認めている。
ドローン攻撃についても補足があった。『ドローンの哲学』の著者は、オペレーターはPTSDには定義上なりようがないという立場を取っている。しかし実際にはPTSDになったオペレーターの報道もあり、ここにも異論がありそうだという。水野と、この議論を紹介した大山顕も、その本の立場に沿って論じていた。水野は、本編でも精神的な咎めや負荷を負う人もいると断ってはいたが、改めて強調しておきたいと述べた。
水野の整理では、この回で紹介した本の主張は二つだった。発砲率が低いこと、そして物理的・心理的な距離が近いほどストレスが大きく遠いほど小さいこと。そのうち一つ目には批判がある。そのため回全体は、興味深いデータを前提にするならこういうことが言えそうだ、という水野の独自見解として見てほしいという。次回につながる前振りでもあるため、ボツにはせず注意喚起をつけて公開する判断をした。今後は、専門外の本を読んで話す時は、台本をAIに見せて内容に問題や批判がないか確認するつもりだと水野は話した。
最後に二人は、次回扱うテーマが「嘘を嘘であると見抜ける人でないと(インターネットを使うのは)難しい」という発言だと明かした。そして、自分たちこそ見抜けなかったと自嘲して回を締めくくった。
収録後に発覚したのですが、この回で典拠にした本は内容の正確性に関して批判があるようです。具体的な問題点は概要欄と固定コメントにまとめますが、音声で聞いている方に向けて回の最後にも補足をちょっと話そうと思います。こちらを念頭に入れてご覧ください。
ゆる言語学ラジオ。
ここに奇妙なデータがあります。戦争において兵士の発砲率というのは低いのだという。
あ、撃たないんだ、みんな。
そうですね。第二次世界大戦の時にはなんと15%から20%しか撃っていなかった。
うん。まあ、8割の人は撃たないってことですね。
そうなんです。さらにもう1個奇妙なデータがありまして、ベトナム戦争になるとこれが90%以上に跳ね上がると。
なんで。
今回はこの奇妙なデータについて語っていきたいと思います。
はい。ゆる言語学ラジオの定例コーナー、好きなことを喋らせろ回。帰ってきました。
はい。言語の話じゃなくてもね。
あ、これね、実は最初そう思ってたんです。でもこれ突き詰めていくとめっちゃ言語学の話やんってなったので、前半ではこのデータを示した『戦争における「人殺し」の心理学』という本がありまして、これについて話していきつつ、後編ではこの本から離れて、僕がこれを言語に紐づけて考えたことについて話したいと思います。
なるほど。じゃあ意外と言語の話になるんだね。戦争における人殺しの心理学が言語の話です。最初えっと思いました。
一見興味深いタイトルではあるんですけど、これ僕の中ではキャリアの話、仕事の話とかともめっちゃ関わってくる気がする。
人殺しの話なのに。
はい。あんまり関係ないと思わず、ちょっと試しに聞いてみていただければと思います。あとここから戦争、そして人殺しっていうワードがタイトルに入ってますので、デリケートな話が続きます。お気をつけてお聞きください。
うん。
まず具体的な例の話をさせていただくと、ゲティスバーグの戦い。
リンカーンが演説したとこだね。
そうですね。アメリカのここの戦場から2万7574挺のマスケット銃が回収された。どうやら南北戦争コレクター事典っていう事典があるらしくて。
ほう。
はい。そこに書いてあることらしいんですけど。
南北戦争で落ちてた銃とかをコレクションしたおじさんみたいな人がいんのかな。
多分そういうことだと思いますね。で、その落ちてた銃を調べるとなんと90%は弾が装填されたままだったらしいんですね。
ああ、まだ撃ってないってことだね。
撃ってないと。なんでなんでしょうね。
まあ、みんな怖くて撃てなかったんじゃない?俺が人を殺すなんてと思って撃てなかった。
そういうことですね。例えば突撃をかけてる途中で撃ち殺されてしまったとか、マスケット銃の射程範囲外から攻撃を受けたなんてことはあるかもしれない。
そうね。撃つまでもなく死んじゃったっていうね。
けど90%がそうだったとはなかなか考えられないし、その銃を回収して撃っててもおかしくないですよね。
そうだ。うん。装填したまま落ちてるんだから、それ拾って撃ちそう。ゲームとかでよくあるもんな。
あ、そうですね。この時期の戦場では装填済みの銃ってすごい貴重だったみたい。
あ、そうなんだ。装填が大変なんだね。
はい。だからすでに装填された銃っていうのは戦場においてありがたかったはずなのに、全然撃たれていない。
うん。不思議だね。
で、ここから明らかなのは、ほとんどの兵士は敵を殺そうとしていなかったという事実。
うん。出撃はしてるけど撃ってはないんだもんね。
はい。ということでですね、この『戦争における「人殺し」の心理学』に出てくる事例というのは、この戦争の時の兵士は全然戦場で敵に向かって撃ってないですよって話ばっかりまず出てくる。例えばナポレオン戦争とかでも、発砲しては外しまくる兵士の存在が示唆されてたりだとか。
だからわざと相手を撃たないようにしてるってことなのかな。
そうですね。頭上に撃つとかしてます。
おお、全然殺す気ないね。
はい。威嚇ですよね。撃つぞって言って近づかないようにわざと外すみたいなことをしたりしていて、あとは1分間に1人とか2人しか倒せなかったみたいな計算結果が出てきたりしていて、全然多くないんですね。
うん。大量の戦場の中で1分間に1人か2人しか死んでないってこと。
おそらくそういうことだと思う。その射撃練習と、あと発射速度とかを考えると、その頃とかだと計算上は100人単位とかになるはずなのに、実際は1人か2人しか倒せていない。
ぞっとするほど人は人を殺さないって話なのかな。
そう。だからよく「私たちの本性というのは暴力的なのだ」っていう言説があるんですけど。
万人の万人に対する闘争みたいな話をね。
はい。それはこのデータと全然整合しないんですよね。
あ、人って人殺したくないのかもしれないね。
で、ちなみに戦争自体が嫌だからボイコットしてるんじゃないのっていう風に考える人もいるかもしれないんですけど、それも著者は否定していて、発砲してない兵士ってのは逃げたり隠れたりしてるわけじゃなくて、戦友を救出したりとか、武器弾薬を運んだりとか、伝令をしたりっていう、発砲するよりも危険の大きい仕事に進んで行っていると。
やる気はめっちゃあるんだね。
やる気はあるんだけど撃たないっていう謎のデータがめっちゃ出てくるんですよ。他にも兵士に対する面接調査を通して、アメリカのライフル兵はわずか15%から20%しか敵に向かって発砲してないっていうデータとかが出てきたりとかするんで、とにもかくにもみんな全然撃たないということですね。じゃあ堀元さんに聞きますけど、なんで撃ちたくないってなるんですか?
まあ、やっぱり俺は人殺しだって思いたくないんじゃないの?
はい。まさにそうですね。我々はとりわけ同じ人ですよね、を殺すということにものすごい精神的な抵抗があるのだっていうのが著者の説明なんですね。
うん。まあ、直感に合ってるよね。どんなに嫌いなやつでも殺しちゃったら、なんかめちゃくちゃその後の人生罪悪感に苛まれそうだなっていう予感するもんな。
そうですね。で、ここからが面白くて、これ距離によって違うっていう話が出てくるんです。例えば戦車に乗っていて、火砲、大砲みたいなのが戦車についてますよね。あれで撃つとかってのは比較的抵抗が少ない。
ああ、まあまあまあ、ナイフで刺すとかに比べたらむっちゃ抵抗少なそうな気がする。
はい。まさにそれ至近距離ですよね。至近距離ってのは精神的な負荷がかなり大きくて、逆に遠ければ遠いほど精神的な負荷が大きくないっていうデータが出てくるんですよね。
だからね、この本読んでなるほどって思ったのは、銃剣とか刃物とか刀みたいなものに比べて槍がずっと好まれた理由って、ちょっとでも距離出せるからなのかっていう。
あ、ちょっと遠いね、槍の方が。
火薬を使った飛び道具が出てくるまで、ずっと中世まで槍使ってたんですよ。
え、槍の方が強いからじゃないの?
もちろん強いっていうのもあるんだけど、刃物を突き出すのと違って、払ったり振り下ろしたりして「近づいてくるな」っていうことができたり、壁作れますよね、槍で重装歩兵をまとめて。だから明確に相手を突き刺して殺めるっていう意図を否定できる。
ああ、兵士側は「ちょっと俺は距離取ってるだけだい」っていう、「それで刺しちゃっただけだい」みたいな言い訳になるのかな。
ていうことですね。
ああ、え、マケドニアの重装歩兵がむっちゃ長い槍を使って他の軍を圧倒したっていう話。僕それは長ければ長いほど強いもんなって思ってたんだけど、意外と兵士のメンタルに良かったって説もある。
ていう話が実際出てくる。ギリシャとかマケドニアの重装歩兵ってのは槍を使うことで物理的な距離が獲得できたのだっていう。
面白いその説。そうなんだ。
っていう話が出てきますね。
長いから強いんだとばかり思ってたわ。
それももちろんあるんでしょうけど、実は本質的な理由としてもう1個、距離が作れるというのがあると。で、それが中距離になるとライフルとかが出てくると。で、ライフルとナイフとか槍の違いってのは、自分が相手に与えた傷がどれぐらいなのかってのがあんまり見えないし、命中しても犠牲者の声を聞いたり表情を見たりすることがあんまりできないと。
うん。遠くで撃たれたなとしかわかんないってこと。
そう。だからこれ精神的に1個挟んでるわけですね。で、さらにそれがミサイルを撃つとか、戦車に乗るとか、航空機から爆撃するとかになると長距離になるので、実際にこれ精神的なトラウマも負いにくい。
うん。うん。うん。まあ、そんな感じするか。航空機で爆弾を落としただけだと、あんまり俺が殺したっていう罪悪感になりづらい気するな。
そうですね。だから陸上戦をする兵士に比べて水兵は、例えば精神的な病気になりにくいっていうような話とかも出てくる。
うん。まあ、水兵は直接人殺したりしないもんね。
そう。直接手を下すこともないし、逆に向こうが個別に直接的に殺そうともしてこないので、メンタル的に陸上戦をする兵士ほど負荷が大きくない。
うわあ。なんかその話聞くとエグいこと思ったけどさ、昔からやっぱ陸軍って、言うたらエリートじゃない人が行くイメージで、空軍とか海軍とかってエリートっぽいイメージがあるんですよね。だからそれって言うたら、精神病になりづらいポストにエリートを当てがって、そうじゃないやつを陸軍で精神病になりやすいとこにぶち込もうっていうアイデアがあったのかもしれないね。
ああ、確かにね。それは書いてはなかったけど興味深い仮説ですね。もう1個足すと、そうすると陸軍と海軍って同じ戦争でも見え方が違ってきますよね。
うん。うん。
陸軍の人たちは自分が命の危機にさらされたり、自分の仲間が目の前で亡くなっていく様を見ながら戦っているわけですけど、海軍とかは違った景色になるわけだから、なんかすれ違うのも無理はないなんていう気もする。
海軍の人は海軍の人で、船沈んだとかなって大変なんだろうけどね。精神病にはなりづらいっていうのが1個違いなのかもしんないね。
はい。そうですね。まあ、ということでここまでの話をまとめると、人の本性は暴力的であり、放っとくと人を殺すんだみたいな言説があるけれども、そんなことはないと。むしろ人は戦場に放り出された時にほとんど何もしないと。
うん。希望の話だな、それ。
そうですね。で、さらに心理的な抵抗を乗り越えて人に攻撃する、敵兵を攻撃した後、その兵士というのは精神的に傷を負うことが多いのだっていう話が、ここまでの内容でした。
すごいねこの本。仙水忍にあげた方がいい本ですね。
幽☆遊☆白書の。
幽☆遊☆白書の仙水忍がなんで悪いやつになったか覚えてる?
え、全然覚えてない。
「黒の章」っていう、めちゃくちゃ人間が残虐なことをしているビデオテープを1本見たのがきっかけなんですよ。で、それを見て人間の本性ってこんななんだと、どこまででも残酷になるのが人間なんだって思って、急に人間を滅ぼさねばならぬって言ってめっちゃ闇落ちするんですよ。
あ、そんな単純な理由で。
あいつ単純なんですよ。で、それを見て主人公は「これだからエリートってのはタチが悪い。極端から極端に走りやがる」っていうことを言うんだけど、だからそれを打ち消すためのエビデンスとしてこの本を与えてたら、これが人間の本性かと思ったけど実は統計見ると違うんだなって気づけて闇落ちしなかったんで、この本あげればよかったですね。
うん。そうですね。だからその幽☆遊☆白書が書かれた時代とこの本が書かれた時代は完全に重なりはしないけど、当時多分、テレビゲームが問題視されてた時代でもあると思うんですよね。実際この本にもテレビゲームで人を撃つみたいなゲームに対する問題意識みたいなのが出てくるんですけど、多分暴力的な残虐なゲームをしている子供は残虐になるんだみたいな信念が社会的にあったんじゃないかという気がするね。
実際にはそうなんないの?
この本にはちょっと書かれてないです。この本は1998年に書かれてる。
あ、結構古い本だね。
ちょっと前なんですけど、まあ、とにかく仙水のキャラクター造形に影響を与えたのもそういう面もあるんじゃないかな。テレビゲームって大丈夫?っていう気運とか。
こういう残虐なコンテンツによって人が残虐になるんじゃないかっていう仮説から生まれたキャラクターかもしれないですね。
てことですね。で、そうすると現代の戦争に関しても倫理的な面で気になることがあって、それがドローンですね。ドローン攻撃。
あ、ドローンで遠隔から人殺せるみたいな話あるもんね。
そうですね。これポイントとしては、自分は相手から攻撃されないのに、自分は相手を一方的に遠くから攻撃できるっていう点ですね。
うん。非人道兵器だって言われてる所以ですね。
まさに今の世の中でもそれが問題視されてるわけですけど、これについて考えようと思った時に格好の文献は、やっぱ『ドローンの哲学』という本があるんです。
あ、でもめちゃめちゃ「遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争」、まさに戦争がドンピシャのテーマだね、これ。
はい。ここに非常に興味深い事実がありまして、この遠隔でドローンを操作するオペレーターって、都市とかに出かけてって遠隔で仕事をして、普通に夜は市民に戻る。だから飲みに行くとか、家帰って家族と過ごすとかを。
人を殺してしまったみたいなテンションじゃないんだ。
ちょっと寝覚めが悪くなりますけど、そういう人もいるっていうことは書かれていました。でも一方で、アメリカとかでドローンのオペレーターをやってる人ってのは、都市で生活する、言うたらホワイトカラーみたいな感じの仕事の仕方をしている。これ何かに似てると思いません?
なんだろう?
これね、ほぼSNSの誹謗中傷と構造的によく似ているんですね。
そうかもね。それで人を追い込んでも罪悪感に苛まれないし、みんなごく普通の生活をしてる人が誹謗中傷してるもんな。
ということを言ったのが、この大山顕さんですね。
あ、どんどん出てくるな、あんた本が。え、なんで『新写真論』?全然関係なさそうだよ。
いやいや、大山さんはこの本の中でSNSの誹謗中傷とドローン攻撃の類似性を指摘してます。
大山すごいな、あの人。
うん。大山の論旨をちょっとここで説明しますと……いや、すごいなってテンション上がりすぎて、なぜか呼び捨てにするノリできちゃいましたけど大丈夫ですか?
大山すごいよ。
大山すごいもんな。前からすごいもんね、視点が。
切れ味がすごいから。ポイントはこの誹謗中傷、相手にきついことを言うのって、対面でやると人は普通疲れるという重要な事実なんですね。例えば目の前の相手と言い争いをするとか、目の前の相手をこき下ろし、向こうからも罵声を浴びせられるっていう経験って精神的な負荷が大きいと思うんですね。で、一方でSNSを挟むと相手の顔が見えないわけですね。だからある程度ひどいことが言えるみたいな話があるじゃないですか。これだからドローンの攻撃とあんまり変わらないんですよ。
うん。そうだね。全然自分の手を汚してる感なく一方的に殴れるわけですね。
そうです。目の前に相手がいなくてスマホを介してやり取りをすると残忍になりやすいと。もっと言うと、SNSで強い言葉を使って誰かを非難してる人と対面したことは僕何度か経験としてあるんですけど、大体物腰柔らかいです。
あ、そうだね。全然こいつ口悪くないなみたいになるよね。
そうだね。堀元さんの方が多分経験多いよね。
ありますね。
SNSで例えば手厳しく堀元さんのことを言っている人みたいなのと生で会って。
うん。なんなら褒められたりするからね。
え?
うん。お前すごいな、面の皮って思うことある。
マジ?え、それ、堀元さんがその人のTwitterアカウントは知ってるということを向こうも知っている状態ですか?
えっとね、知らないんだよね、それを。こいつ俺のことボロクソ書いてたなって思いながら、俺知ってるから会ってんのに、なんか「あ、いつも見てます」みたいな、「応援してます」。お前昨日俺のこと「本当に頭が悪くて文章が下手だな」って書いてたやつだよなってなるっていうことありますよ。
あ、でもそう、これね多分、インフルエンサー業とかやってない方、やってる人が知り合いにいない人からするとびっくりすると思うんですけど、マジでそうです。手厳しく僕のことを批判してるみたいな人と会っても、結構へこへこしてます。
そうだね。だから僕はそれダサいなと思ってるから、ちゃんと僕はnoteでQuizKnock卒業生のこうちゃんのことボロクソ書いた後、イベントでも本人にボロクソ言いまして。1個も面白くないもんねって。これちゃんと一貫してて偉いですよ、僕は。
まあ、マシではある。最低ではない。
お前のその評価何なんだ?マシではあるんだ、俺。最低ではないんだね。
そう。綺麗なゴミ。そういうね、SNSとかで手厳しく誰かのことを批判していて、対面でもその姿勢を崩さない人ってマジで俺かっこいいと思う。
あ、まあそうね。表でへらってるよりはだいぶマシかもしんないな。
うん。しかもさ、堀元さんがそのこうちゃんさんのことを面白くないって言ったのは、誰が悪いかと言ったら明らかに堀元にあるわけだけど。
そうかな。面白くない方が悪いですけどね。面白くないやつが悪いですよね。やっぱ面白くないって言われる筋合いを残してるわけだから。面白くあれば問題は解決したわけで、こうちゃんが面白くなかったのが全ての原因ですよね、あれは。
もういいや、大丈夫だわ、それ。俺ごめん、帰るわ。
そうでした。すいません。その後ロフトでイベントやって、「いや、こうちゃんが面白くないのが悪いですよね」って言ったらお客さんが引いてたの思い出しました。間違えました。今僕も同じ反応しちゃいましたけど。僕が悪かったです。
はい。例えば、ゆる言語学ラジオはこういう面が問題なんじゃないかっていう人って、先方にも理があって、僕にも理があるわけだから、それで僕に会った時だけへこへこするのは、ちょっと違うじゃないですか。
2回だけ、そういう人と対面した経験があって、1回は、ゆる言語学ラジオの批判noteを書いた方とアルバで喋る機会があって、その人は全然媚びずにきっちり「ここが問題だと思います」って言ってきて、言われたら僕は普通にきついわけですけど、でもそれはそうとして、当時もすでに「いや、ゆるってつけてるぐらいなんだし大目に見てやりなよ」とか「この人揚げ足取ってる」みたいな人とかもいた中で、そのスタンスを貫いてるその様は人間としてかっこよかった。
かっこいいね。うん。なんかそうありたいもんですね。
はい。で、あともう1個が、令和人文主義って分かります?
はい。
具体例で言うと三宅香帆さんとか、書評家の渡辺さんとか、僕もそこの中に含めてもらったんですけど、このぐらいの世代で、人文のことを教養のためにやらなきゃっていう感じじゃなくて、普通に面白くないかって言って、いろんな本以外のところとかでも紹介してる人とか、そういう思想的な潮流を名付けて令和人文主義と呼んでいる人がいて。
うん。少しだけ滑ってるやつね。
堀元さん、あります?
ちょ、違う。皆さんは素晴らしいと思うんですけど、なんかその令和人文主義って括って何かを論じてる人が少し滑ってやしないかねと思います。
あ、その括って論じてる人が。
そう、もちろん、もちろん。いらっしゃる方はもちろん皆さん尊敬してるんですよ。
ありがとうございます。
少し滑ってるかなと思うんで。少し滑ってやしないかね、ワトソン君って思ってるだけで。
そうですか。で、その令和人文主義っていうムーブメントを批判した人がいたんですよ。小峰さんっていう人がnoteで「異議あり」みたいなタイトルのnoteを書いて、「正社員のための哲学だろう」みたいな感じで普通に真面目に批判してたんですね。
で、その小峰さんが投稿したnoteがバズって、令和人文主義批判みたいなのがめっちゃ一時僕のタイムラインには流れてくるようになり。で、そんな中で大阪で、いわゆる令和人文主義と呼ばれる人たちを集めた人文イベントみたいなのをロフトでやったんですよ。で、そこに小峰さんが会場に来てて。
はい。おお、度胸あるの。
言うたらその潮流嫌いなわけです。
うん。
イベントで最後にみんなで喋りましょうみたいな、ロフト特有のさ、ゆるいのあるじゃん。
喋るやつね。
壇上に上がってきて、令和人文主義って括られてる人たちに囲まれながらずっと批判してて。
へえ。あ、それはかっこいいかもしれない。
かっこいい。
で、「よう来れましたね」っていうようなこと言われた時に、「そりゃそうでしょう」って。「まず私は偵察として来たし、自分と違う立場の人間でもしっかり議論するべきだと思っているから、1人で来たんです」って言って。
うん。すごいね。言論の力を信じてる人って感じがしますね。
ですね。対面の状態でちゃんとこき下ろしていて。僕ちょっとその場に同席できなかったんで配信で見たんですけど、気骨があるなと思いました。
でも大体の人はそうではない。
それはやっぱりSNSっていう、1個スマホを挟んでるから、みんな言いたい放題言えるし、言った後普通に生活に戻りますよね。スマホで「こいつ本当最低だな、カスだな」とか書いた後に、夜飲みに行ったりとか、家帰って家族と過ごしたりとかするわけで。
あんまりさ、人に届いてるとも思ってないよね、そういう人たちって。
ああ、俺結構届いてるよ、全然。
そう。しっかりと届いてますからね。俺結構昔それ引用ツイートとかしてたけど、「堀元って本当人間のクズだ、死ねよ」みたいなやつを引用して「そんなこと言わなくてもいいじゃん」みたいに書いてたら、結構その後すぐ消すんすよね、みんな。
あ、そう。あれやめてほしいね。非難だけするだけしといて見つかったら消すやつ。
あ、そうそう。結構いますよね。
ないないから、それ。
あれ格好悪いね、一番ですよね。
だから手抜きなしでやってほしいね、最後まで。戦うぞ俺はって思いながら書いてほしい。
ちゃんと思ったこと最後まで言ってくれても。
うん。そうね。
ですけど、それはドローン攻撃的な発想ですよね。もう1個ドローン操作が似てるなと思うのは、ドローンって実際に自分が攻撃を加える対象の映像が綺麗に見えるわけじゃなくて、レーダーに映し出して画面越しに攻撃するケースもあるみたいで、それって要は相手の顔が見えないわけ。だからなおさらSNSと似ている。SNSも相手の顔が見えないから結構きついこととかも言えるんだけど、それはそのレーダー越しに相手を見てるような状態だから精神的な負荷が大きくないだろうと。
てかその話はあまりにも『MONSTER』すぎるかも。
『MONSTER』。
浦沢直樹先生の『MONSTER』って漫画の中で、殺し屋のエピソードが印象的でさ。凄腕の殺し屋がスナイパーで、遠くからいつも何も気にしないで殺していたと。目の前のやつはターゲットであって、俺が殺す側でそいつが殺される側だから何も気にしなかったんだけど、「俺はいつもコーヒーに砂糖を3個入れて飲む。ある朝カフェにいるターゲットを殺そうと思って狙ってたら、そいつが俺と全く同じ動きで角砂糖を3個入れて飲んで、うまそうに笑ったんだ。その瞬間、俺はそいつを撃てなくなって殺し屋を引退した」っていうエピソードが出てきて、顔が見えるようになった瞬間に殺せなくなるんだなって思ったんですよね。
うん。うん。
それに近い話だよね、これ。
まさにそうですね。その話なんかもう完全にこの本に書いてあります。『戦争における「人殺し」の心理学』にめっちゃ出てくる。
うん。共感しちゃうともう無理になるっていうね。
そうですね。はい。ということで、人は直接相手と相対すると相手に攻撃を加えられないという事実が、第二次世界大戦の終わりにはもう完全に明らかになっていた。兵士には人は殺せないと。兵士の発砲率、さっき15から20%っていう数字を出しましたけど、これはこの本の例えですけど、本の校閲、校正をする校正者の中に読み書きのできるものが15から20%ぐらいしかいないようなものだと。
うん。仕事になってないもんね。
そう。仕事になってないということで、上層部はこの問題に気づきました。そして手を打った結果、ベトナム戦争では9割が発砲するという。
それ不思議だな。え、何か工夫をしたってこと?
ということなんですね。
みんなが撃てるような工夫をしたんだ。
はい。それがこの本の後半に出てくるんですね。
何それ?めっちゃ怖いじゃない?え、予想言っていい?
はい。あ、でも、その予想が第2回で喋ろうとしてる内容だった場合はぶっ殺しますけど、どうぞ。
え、そんな地雷が埋まってるんですね、ここにはね。
あ、そう、そう、そう。俺の構成通りに喋ってくださいね。どうぞ。
ちょっと無理だな、それ。え、でも、まあ普通にリスクを負わせるとかだと思うんですよ。ここで撃てなかったら家族がペナルティで投獄されますみたいにした。
え、第二次世界大戦後にそんなことすんの?
はい。とんでもないな、それ。人権とか1個もないな、それ。そんなことできないか。
うん。びっくりした。
あ、じゃあ人を的だと思わせるようにした。
うん。え、その話は次回するから黙っててください。
結果、地雷を踏んでしまったのは。はい。あと、ベトナム戦争の場合はちょっと大義が薄いですね。アメリカに誰かが侵略しに来たわけじゃないから。
そう、そう。だから自分らの領土を攻められる時ってのはシンプルで、自分の家を守るっていう時は大義が生まれやすいし、逆に相手の家に攻め込む場合ってのは兵士側も倫理的な咎めを負いやすいんですよね。ベトナム戦争はそうでもなかったのに発砲率を跳ね上げたと。
うん。不思議だな。
ということで正解を言いましょうか。条件付けです。
はあ。
パブロフのあれです。
え、梅干し見ると唾液出てくるみたいな話。
はい。あれを応用すると。
ほう。
具体的には、ベトナム戦争のアメリカの陸軍及び海兵隊の訓練では、反射的な早撃ちの能力を鍛えられたと。
ほうほうほう。
以前の兵士はどんな感じかというと、草原みたいなところで腹ばいになって丸い標的を、この本に書いてあったけど、のんびり撃っていたと。でも現代の兵士はどうなるかというと、完全武装してタコツボの中に立って何時間も過ごすと。で、その目の前に広がるのは木が茂った起伏した土地で、定期的に緑褐色の人型の的、つまり迷彩みたいな色ですよね、の人型の的がぴょんって1つや2つ飛び出してさっと引っ込むと。で、兵士はこれに瞬時に狙いをつけて的を撃たなきゃならない。
なるほど。出てきた瞬間に撃つっていうルーティンなんだ。
そう。で、命中すると即座にフィードバックがもらえる。
うん。
で、しかも撃つとまるで生きた人のようにばったりと的が倒れると。で、技量が上がれば上がるほど報酬が与えられて褒められるが、失敗すると軽い懲罰があるということですね。
そうか。判断の余地なく条件反射的に撃つっていうのがポイントなんすね。
そうですね。はい。この環境で鍛えられるのって射撃の方法、射撃術じゃなくて、反射的かつ瞬間的に考えを入れずに撃つ能力が鍛えられるんですね。これだから条件付けの理屈で言うと、人型の刺激ってのは条件刺激で、それを即座に撃つってのは目標行動で、それに対してうまくいくと正の強化が与えられるみたいな言い方をするんですけど。で、さらに場合によってはよりリアルで複雑な標的が使われることもあるみたいで、なんか風船に戦闘服を着せて射撃ゾーンを移動させたりとか、赤ペンキを入れたミルク瓶を使って射撃をさせたりとかして、そうするとこれなんか訓練が面白くなってくるらしくて。
ふん。
で、そして面白くなってくると何が起きるかというと、環境が変わってもちゃんと条件付けられた反応、つまり撃つっていうことが確実に引き出されるようになると。
へえ。めっちゃ嫌な話ですけど、ゲーミフィケーションだね。
そうです。
めちゃくちゃゲーミフィケーションすることによって、夢中でみんなそれやるようになるんだ。
だからこの著者のグロスマンはテレビゲームに問題意識を燃やしてる。
なるほどね。それで条件付けされたらもうみんな人殺せるようになっちゃうでしょっていうことだ。
はい。ということで、ベトナムでは敵兵を1人殺すのに、平均5万発の弾薬が使われたっていう。
1人殺すのに。
お、いや、多いな。5万は撃ちすぎじゃない?
まあもちろん1発で倒すっていうわけじゃないだろうし、威嚇射撃してるってのももちろん入れてると思う。
まあだからいっぱい撃ったやつの総数ってことなのかな。にしてもむっちゃ多いけどな。
うん。で、でも同じベトナムで、アメリカ陸軍と海兵隊の狙撃兵は1人殺すのにわずか1.39発しか使っていないっていう数字が出てくるんですね。
あ。
だからアメリカ側がその条件付けの訓練を受けますよね。で、そうするとベトナム戦争に行った兵士ってのは的確に相手の頭を狙うわけです。ヘッドショットするわけですね。
あ、マジでゲーミフィケーションだな。
っていうことで、まず発砲率も全然変わるし、さらに狙いってのも正確になったって話が出てきてしまうということですね。
なんか人間らしい感覚じゃん、人を撃てないっていうの。で、それを捨てさせる方法がゲーミフィケーションっていうのはなんか悲しいね。
うん。だから僕がこの本はキャリアの話と関わるって言ったのはまさにそこで、これ激務の話と似てるんですよ。
ああ。
つまり条件付けってのは、要は考えない方向に振れていくことだと思うんですね。もう色々判断を迷うんじゃなくて、これが来たらこれをしなさいと。ということは、この条件付け自体は無色透明の善も悪もないものなのかもしれないけれども、これをやりすぎるとまず人はどんどんどんどん考えない方向に振れていくし、もっと言うと、個人っていうのとアメリカ軍っていう集団の間が溶けていくわけですよね。自他の境界みたいなのが消えていって、個人である前にただ兵士として振る舞うようになる。
そうね。爆速で撃てっていう条件に従って行動するだけのやつになるの。
はい。そしてそういう人はどうなるかというと、メンタルを壊すと。
あ、そういう人はメンタル壊すの?
ベトナム戦争が終わった後、アメリカ兵はとんでもない量が。
あ、でも聞いたことあるわ。
精神的なトラウマを、PTSDになりました。
そうそう、そういうドキュメンタリー見たことあるわ。え、でもさ、これさ、直感と違ってさ、条件反射ですぐ人を撃つって訓練されてるから、撃った後も冷徹なマシーンみたいなイメージになったんだけど、それは違うんだね。
いろんな段階があって、戦場でそうなる人もいれば、戦後にそうなる人もいるんですね。で、ベトナム戦争の場合はちょっと特殊で、まずさっき言ったように大義が結構薄いと。アメリカがベトナムに行って代理戦争に入っていくわけですよね。で、さらに長期化していくにつれて、アメリカ国内の世論が反戦に傾いていった。そうでしたよね。
マスコミが結構戦争の帰趨に力を発揮した初めてのケースだって言われますよね。
そうですね。それこそノーム・チョムスキー、有名な言語学者とかもこのベトナム戦争の反戦活動をめちゃくちゃやってましたから。で、そうなると何が起きるかというと、国のために条件付けして戦ってベトナムの兵士を殺していきますよね。で、帰ってきたら何が待ってるかというと、「人殺し」とか言ってアメリカ国民に非難されるんです。
ああ、かわいそうだな。
また帰ってきた兵士が戻ってきたら恋人がいなくなっていたりとか、戦争に行った人間っていう風に見られて、もっと言うと離婚されるとか、そういったこともあって、兵士たちは帰ってきた後に精神的なトラウマになるケース。
なるほど、世間が反戦だとそうなるな。
そう。あとさらにもっと言うと、ベトナム戦争ってゲリラ戦があったんですね。そうするとアメリカ兵は民間人も相手にしなきゃいけないと。
なるほど。
で、そうすると2つあって、1つは民間人が兵士の可能性があるので、いつまでも気が抜けないっていう強烈なストレス環境にさらされること。で、もう1個は、兵士は敵兵を殺すことはまだ倫理的に正当化しやすいんだけど、子供とか女性とか民間人を手にかけるっていうのはかなり倫理的な負荷が大きいっていうこともあるので、言うたら条件付けされている時ってのは正気を保ってないような状態で、それが終わった瞬間に「あれ、俺がやったことって」っていうので強烈なバックラッシュが来る。
うん。ですね。我に返るみたいなことよね。条件反射でいっぱい撃つぞってなってるから、撃ってる時は気にならなくても、後から振り返ったらやべえなってなっちゃうかもね。
はい。その意味でこの本はただの興味本位で読む本というよりは、人が組織と自分の境界が溶ける時ってのはどういう時で、そしてそれは組織側がどのような手法で我々の自我の境界を壊していくのかっていう手法も書いている本なんですよね。
うん。なるほどね。僕、会社員が不正をする本が結構好きでいっぱい読むんですけど、例えば山一證券の人がむちゃくちゃ不正な操作をして債務を隠しまくってた話。何百億円とか。それなんでそうなるのかなと思って本読むと、ほとんどの場合さ、条件付け的にやっててさ。山一證券とか分かりやすかったんだけど、債務があるから、それを表に出すとまずいです、よし、じゃあこれを国外に飛ばしてこういう感じで簿外債務にしようみたいな方法論が確立されちゃったから、それを何回かやってるうちに、あ、よしじゃあ簿外債務だな、よし、じゃあ簿外債務だなっつってどんどん国外に借金を飛ばし続けて、それで何百億も気づいたら抱えていて、それを誰にも言えないって状態になってて。今の条件反射で撃つ話にめっちゃ似てるなって。まずい債務が出てきた瞬間に国外にこうやって飛ばせばいいやっていう違法な操作を条件反射にするって、やっぱ組織がおかしくなってく1つのポイントなのかなと思いましたね。
そうなんですよね。だから条件反射とか条件付けって気をつけて付き合わないと、危ない方向に振れていくっていうことは覚えておいた方がいいんじゃないかと思います。だから仕事をしていて、特にめっちゃ忙しくなってくると、もうあんまり何も考えずにとりあえずこなそうって言ってやっちゃうんだけど、それって突き詰めていくと、会社の中の人間としての自分と個人としての自分の境界が溶けていくことになるので、常にチェックを利かせておかなきゃいけないっていうことは、この本読んで僕も思いました。
うん。だから会社の仕事がめちゃくちゃ忙しくてさ、例えば経理部でお勤めの方が決算期に、もうとにかくこれを処理しなきゃいけないってレシートの山とかがある時も、1つ1つ落ち着いて「私は本当にこれを登録していいのか」ってことに立ち返りながらやった方がいいってことですね。
あ、やめてください。
え、でもそういう話じゃなかった?今。急いでどんどん流れ作業で条件付けでやっちゃうと、会社との境界が溶けてとんでもないことやっちゃうよって話ですよね。
うん。そうなんだけど、そこは融通利かしてくれ。
でも1枚1枚のレシートに対して真剣に向き合わないと。私はこのコンビニの領収書を通していいんだろうか。本当にこのホッチキス105円を登録していいのかって立ち返らないとまずいんじゃない?
あ、大丈夫です。あの、進めてください。
はい。
あ、そうか。そうか。これは別に人が死んだりとかしてないから。
テンポよく進めてください。
そうですね。テンポ大事な時ってありますもんね。ポンポンやらないといけない時もあるけど、たまに立ち返らないといけないって話かな。
はい。そうですね。ということで、ここまで『戦争における「人殺し」の心理学』を元に話してまいりました。まずこの本の主張1、人が同族を殺すのには抵抗があるのだということで。
ポイントは、とはいえ昔の戦争とかでもものすごい死者が出たっていうこととかって起きてるわけじゃん。これ何かと言うと、大体全体の2%ぐらいの人が後悔とか自責を感じずに人を殺すことができるっていうデータが出てくるんです。
サイコパスみたいなことかな。
で、僕もね、2%サイコパスがいるんだよって言いたくなるんですけど、視点を変えるとこれ全く逆の結論が導けて。例えば戦争がテーマになる映画とか見てると、みんなあんまりためらいなく撃ったりとかする描写って出てくるじゃないですか。で、僕もこの本読むまでそういう事実のことをあんまり分かっていなかったけど、戦争に行ったら、相手もその気で来るんだからもう撃つのは仕方ないんだって言って、葛藤しながらかもしれないけれども、それなりに人を倒していくんだろうなって思っていたの。
つまりそのたった2%の後悔とか自責を感じない人ってのは、社会からすると悲惨な戦争の中でも平気でいられる能力を持ってるわけですね。だから戦争における普通っていうのは、この2%の限られた才能のある人間しかいないのだっていう話なんです。普通の社会に生きてると、そういう人たちが危険な人だとか言うけれども、戦争っていうフィールドに連れていくと彼らこそが普通で、撃てない98%が普通じゃないっていう話になりません?
うん。そうだね。
似たような話で知り合いから聞いたんですけど、医学部に入った学生のうち毎年数人、解剖実習が耐えられなくてやめちゃう人がいるらしいです。
無理とかね。ありそう。
そう、そう、そう、そう。で、これもさ、解剖がどうしても自分は無理だっていう感覚って、みんなうっすら持ってません?大体の人。
うん。グロくて苦手みたいなのは多いすもんね。
はい。ということはですよ。じゃあ仮に、適当な数字ですけど、解剖実習がどうしてもできなくてドロップアウトしちゃう医学生が2%いたとしたら、そのドロップアウトしちゃう2%がいわゆる普通の感覚を持っており、医者というのは98%の異常者なのだみたいな論も導けちゃいますよね。
うん。そうだね。まあお医者さんは実際そうじゃないでしょうけど、戦場においてはそうなってるってことよね。
うーん。別に医者側だから良くないんだとか言いたいんじゃなくて、戦場っていうすごいエキセントリックな舞台を用意しなくても、我々が普段行く病院、あるいは大学の医学部っていうところでさえ、普通の境界って簡単にずれてしまうっていうことを言いたかったんですね。
そうね。その話聞くとさ、やっぱりドラキュラの語源になった人いるよな。串刺し公みたいな人。
えっと、えっと、なんだっけ?クイズで出るぞ、これ。
ヴラド公みたいなやつ。
あ、そう、そう、そう。あ、あってるよ。ヴラド公じゃなかったっけ?
多分そうだよ。
ルーマニアかなんかの人だよな。このヴラドもさ、敵国かなんかに侵略受けてる時に敵の兵士をむちゃくちゃ串刺しにしたって人だと思うのよ。
うん。
で、それに恐れをなした相手が撤退してったから、あいつ英雄だってなったわけだけど、後からやっぱこいつ怖ってなって、後にめちゃくちゃ迫害というかイメージが悪くなったみたいな人ですよね。これさっきの話を踏まえるとめっちゃ頷けてさ、その串刺しにするみたいな、相手に残虐なことをやってでも追い払える能力を持ってる人って2%しかいないわけでしょ。
はい。
だからごくわずかな人材だったから、それは戦においては非常に貴重で
そうそう、そいつが部隊にいると、そいつの例えば弾薬の補給とか装填済みの銃を渡すってことが仕事になるからね。そうだね。そいつが戦い続ければいいってことで、だから戦時はこのブラドが褒め称えられて、でも平和になった後には2%しかいない異様な人間ってことでマイノリティになって迫害されるっていう、なんかすごい差もありうる数字な気がしてきましたね。
ということで、ほとんどの人は戦争でも敵兵に手をかけるのには抵抗があるんだということを示し、その抵抗感ってのは物理的な距離、長距離、中距離、そして心理的距離っていうのでもかなり違ってきて、それを取り払うためにアメリカがベトナム戦争の際に兵士にしたのが条件付けの訓練だったのだという話をしてきました。うん。その話やっぱエグすぎるな。人間性を捨てさせたければ条件反射を使えってことだね。そうです。はい。
で、僕はこの本読んで思ったのは、これまでも僕、戦争に関してはずっともちろん反対をしているんですけど、なんか借りてきた言葉で戦争反対してるなっていう感覚もちょっとあって。あ、ピンと来てないもんな、我々の世代。そうで、それがめっちゃ悪いことだとも別に思ってない。戦争が反対だってことを感情的に言うことも別にいいと思うんだけど、なんか僕はせっかくそう思うならしっかり自分で理由を説明できるようにしておきたいと、こう思っていたんです。わかる、わかる。この本読んですごい思いました。うん。これ非人間的すぎるんじゃないかってことですかね。
だから急に堀元さんが徴兵されたとしたら、いきなりこの環境で敵を撃つか撃つまいかみたいな葛藤を無限にし続けるわけですよね。で、運よく生き残れたとしたら、例えば自分と一緒に戦ったあいつはいなくなってしまったみたいな、助けることができなかったとか、自分はこの人に手をかけてしまったみたいな倫理的なトラウマを持ちながら生きることになるわけですよね。だから言い換えると、ある世代の人だけがババを引くわけですよね。で、その人たちは戦争が終わってからもずっとトラウマとか、そうだね、倫理的な咎めを負いながら生きるわけで、そういう面でも戦争ってのは全然割に合わないというか、やるべきではないものなんだなってことを思いました。
そうだね。いや、あとやっぱ僕はその条件付けの訓練で人間性捨てさせようっていう構造がエグすぎて、戦争を反対する理由になるなって思ったね。本性じゃないものをめちゃくちゃねじ曲げて植え付けようとしてるって洗脳じゃんっていう気がした。そう。人間性を失わせるんだけど、でもパッと見怖いのは、兵士は訓練楽しんでんの。そうね。ゲーミフィケーションだからな。怖いでしょ。それすごいね。それ半端ないわ。訓練自体楽しいんです。そしてそのまま訓練楽しいなと思って戦場に行ったら、それで敵兵を1.3発ぐらいで殺してしまうと。すごいね。いうことを暴いたのがこの本ですね。
『時計じかけのオレンジ』の話もちょっと似てるな。ああ、そうですか。『時計じかけのオレンジ』見た?映画。見たけど、その残虐な描写ばかり頭に残っていて、どういう筋書きだったのか全然覚えてないな。あれタイトルがさ、オレンジって自然物だけど、それを時計仕掛けにするっていう。これ人間を洗脳して都合いいように動くように植え付けるみたいな話だと思うんですよ。
だから結局、主人公は性暴力で捕まったから、今後そうならないように女性の裸を見たら吐き気を催すように改造する条件付けをするんだ。多分女性の裸を見せるのと、具合悪くなる薬を飲ませるっていうのを同時にやり続けるんじゃないかな。ということをし続けた結果、その後具合悪くなるから、もう2度と犯罪者にならないねみたいな話だと思う。で、それ見た時、僕はあまりのグロさにびっくりして。そうですね。それはやっちゃいけないことだろ、人としてっていう感じがしたんですよ。ああ、なるほど。その治療行為自体に対してってことですか?そうね。その条件付けを使って人間を都合よく改造しようみたいなやつは生理的に厳しいなって思って、今回の話もそれに似てるなって思いました。
でも実際さ、例えば上司に頼み事をされたら1秒以内に「はい」って言え、みたいな教えって全然ありますからね。うん。ありますね。だから世の中には全然まだあると思います。あるな。条件付けだね、それ。俺からの電話に3秒以内に出ろよみたいなやつ。うん。それ条件付けだね。うん。なので付き合い方間違えると本当に危ないですよっていうのは言いたいですね。そうだね。
はい。この話まだ話し足りなくてですね。次回はこの戦争における人殺しと言葉はどう関わるかっていう。そう、言葉の話になるって言ってた。話をしたいと思います。
参考は、まずメインがこの『戦争における「人殺し」の心理学』。ドローン攻撃とSNSの誹謗中傷の関係について仮説を出していたのはこの大山顕さんの『新写真論』で、ドローン攻撃って哲学的にどうなのって思ったら、この『ドローンの哲学』を読んでいただけるといいかなと思いますので。次回にも関わる、特に『戦争における「人殺し」の心理学』は関わってくるので、興味がある方は今のうちに買っておいて来週に備えるってのもいいんじゃないでしょうか。概要欄・固定コメントにリンクがございます。これ条件反射だ。水野に俺洗脳されてる。参考言ったら俺が売るっていうシステムになってるわ。
さあ、じゃあ番組終わりますか。え、今回も面白かった方はチャンネル登録、高評価、感想のコメントをお待ちしております。よろしくお願いします。以上にしましょう。ありがとうございました。
怖い。冒頭でもちょっと音声で注意喚起をしましたが、今回の内容で1番の問題だと思われる点が、この典拠にした『戦争における「人殺し」の心理学』という本の中で、マーシャルという人が取ったデータを元にしてるんですけど、このデータがめちゃくちゃ信憑性が怪しいっていう風に言われてるみたいなんです。怪しいデータを元に論じちゃったわけですね。
はい。具体的にはその発砲率、第二次世界大戦の発砲率が15%から20%とかっていうのはマーシャルの調査なんですけど、これが例えばそのマーシャルが聞き取りをした人数ってのが話してる場所によってなんかブレていたりだとか。うん。人によってはこれ捏造なんじゃないかっていうぐらいの人もいるみたいですね。なるほど。じゃあみんな撃てないと思ってたけど、意外と撃ててた可能性もあるわけだ。可能性もあるってことですね。
この本は英語で書かれた本で日本語でも訳されてるんですけど、英語のWikipediaとかを見ると批判に関する記述とかがもう。Wikiにも載ってる。あ、Wikipediaにもう見出しとしてあるんですね。クリティシズムっていう部分があるんだ。というのがまるっと、ちょっとだけあるので、見る人が見たらちょっと怪しい主張だよねというものではあったみたいですね。
でもね、やっぱちくま学芸文庫でこの感じで出てたらね、わかんないです。悪くないです。すごい開き直った。問題ありますよ。問題ありますよ。問題ある本を典拠に選んじゃったから問題ありますよ。著者のWikipedia読んでから来たらよかったじゃん。そうだね。著者のWikipediaは読まんかったんで。僕1個だけ、見苦しいかもしれないけど言っていいですか?面白すぎると思ったんだよ。でも分かる。あるよね。そういう時、面白すぎるやつね。ちょっとどうしても使いたくなっちゃうんすよね。そうなんですよね。
あともう1個ね、ドローン攻撃に関してもこの『ドローンの哲学』っていう本を元に話したんですよ。はい。はい。ちなみに『ドローンの哲学』にはこの『戦争における「人殺し」の心理学』の話が普通に、批判があったっていうこととか文脈なく紹介されてて、だからあ、やっぱ信頼できる本じゃんって、そう僕は思った。被害者ではある。見苦しい、見苦しい。責任を取りのせなんですが、ドローン攻撃をするオペレーターに精神的な負荷があるないっていうのに関しても、これも意見が分かれているというか。
で、著者はPTSDには定義上なりようがないみたいな立場を取っているんですけど、実際にはそのドローンのオペレーターでPTSDになったっていう報道とかもあるので、これも異論がありそう。ただ、その著者はそういう立場を取っていて、その本に従って僕、そして議論を紹介した大山顕さんも論を書いていたという感じです。そうか。そうか。だから異論もある可能性をちゃんと念頭に置いて欲しいって感じですね。そうです。一応本編の中でも、精神的な咎めとか負荷ってのを負っているっていうのもあるっていう申し添えをしているんですけど、一応これはちょっと強調しておきたいと思います。
なので、この回全体の聞き方としては、この『戦争における「人殺し」の心理学』っていう本の中から、発砲率が低いってことと、人は物理的あるいは心理的距離が近ければ近いほどストレスを感じるし、遠ければ遠いほどストレスを感じにくいのだっていう2つを紹介して、うち1個目のその発砲率の低さに関しては批判があると。うん。で、そういう興味深い仮説とかデータってのを元に考えるんだったらこんなことが言えそうだというのを喋った、僕の独自見解を喋ったものだと思って見ていただければいいかなと思います。
だからちょっとデータが怪しいんだけど、これはね、次回への振りっていう意味もありますんで、この前編はボツにせず公開するっていう判断にしたって感じですね。あ、そうですね。次回に繋がっているので、このような注意喚起をした上で公開するという判断にさせていただきました。
次回の内容ね、ちょっとだけ出すと、「嘘を嘘であると見抜ける人でないとインターネットは難しい」っていう発言について考えると。そういうね。あれ、あれ?ん、これじゃない。あれ?ん、いや、ちゃう、違う。だからWikipedia読んだら批判っていう項目がある著者なんだから、この話を鵜呑みにしすぎて喋ったらまずいなを見抜けっていう話じゃないの。ネットって言ってたけど読書だからこれは。うん。ダセえな、こいつ。うん。本だから信じちゃったんすね。そうすね。そのちくま学芸文庫だから。全然因果関係ない話という。
いや、ある、ある、ある。嘘を嘘と見抜ける人でないとインターネットを使うのは難しいですもんね。思いっきり見抜けないやつがインターネット使って今失敗して謝ってますよね、世界に対して。あの、本当に恥ずかしい。本当にすいません皆さん。え、ちょっとすいません。なので、迂闊なとこあったんですけど、動画公開前に気づけて、なんとか注意喚起できればなという感じで今回の部分撮らせていただきましたので。
はい。あとは、自分のね、取り分け専門ではないようなものを読んで話す時には、これからちょっと台本をAIとかにね、見てもらって、内容に問題がある?批判はないですか?とかちょっと聞いてみようと思いますね。そう。うん。調べる口いっぱいあった方がいいと思うんで、いっぱいそういうのやっていきましょう。うん。そういうことできる人じゃないとやっぱネットは難しいと思いますんで。どの口が言っとんだお前。
うん。次回さ、結構説得力ある議論を展開したつもりでいたんだけどさ、そんな、なんかすごいさ、言語分かった。うん。で、それで後編で俺、あ、あんたいいこと言うねってめっちゃ納得してるのに、そいつが前編で喋ったことめっちゃ間違えてやんの。あります。嘘を嘘であると見抜けないとインターネット難しいっす。そうか。俺もか。俺も聞きながら見抜けばよかったか。あ、ミスったなあ。恥ずかしい。
ちょっとあの、そういう感じで。はい。すいません。こし方もねえなって思いながら引き続き見ていただければと思いますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。はい。ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません?よくあります。そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。ほう。タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。
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