月500時間労働のゼネコン現場監督から配信者へ ゆゆうたが語る建設現場の実態と「炎上されても続ける」理由

YouTubeで開く ↗
概要

ピアノ演奏やネットミームを使った楽曲で知られる配信者のゆゆうたが、街録chのインタビュー後編で、新卒から7〜8年勤めたゼネコンでの現場監督時代と、配信者として生計を立てるまでを語った。月300時間の残業、労災隠し、資材の盗難、同僚の失踪といった現場の話から、住所の流出をきっかけにした退職、殺害予告や闇バイトの標的にされた経験、謹慎期間、配信を続ける理由まで、話題は多岐にわたる。本人の立場は一貫しており、つらい過去も「今というプラスにつながっている」と捉え、ネットで一生生きていくつもりだという。

20分で読めます
2:10

2〜3年目、1週間家に帰れない現場監督の1日

ゆゆうたは下請け、本人の言葉では「孫」にあたる立場の会社で現場監督をしていた。最もきつかったのは2〜3年目で、このころ残業は月200時間ほどに達したという。

当時の1日はこう説明された。月曜の朝7時ごろに出勤し、職人に渡す図面などを印刷する。朝礼までに準備を終えないと職人が動けないためだ。7時半ごろに着替えて現場へ向かい、8時の朝礼でラジオ体操をしてから職人に指示を出す。職人からは「あれができない、これができない」という声が絶えず上がる。新しい職人が入るたびに安全関係の書類が厳しく求められ、その作成や図面の作成をしているうちに夜になる。監督の人数が少なかったため夜勤も任されるようになり、夜8時からの夜の朝礼に出て、深夜は夜勤の職人に指示を出す。それが終わるのが朝5時で、2時間寝ると次の朝8時にはまた朝礼がある。1週間ほど家に帰らず、週単位で泊まり込むこともあったという。

ゆゆうたは、業務量が明らかに1人の人間がこなせる量を超えていたと話す。事務所で図面を描いていると職人から電話で現場に呼ばれ、現場にいると事務所から、対応中に別の職人から電話がかかってくる。1本の電話を切る間に不在着信がたまっていく。きちんとやろうとしても初めから詰んでいる状況で、誰かに怒られる覚悟をしたうえで「一番被害が少ないものは甘んじて受け入れ、やばいものから処理していく」ことが求められたという。

4:56

「このタイミングしかできない」仕事と、監督が職人の作業をする現場

特にきついのは、決まったタイミングでしかできない仕事だという。ゆゆうたが例に挙げたのは設備配管の仕込みだ。壁の骨組みにあたるLGS(軽量鉄骨の下地)に、配管やダクトを通すための穴をあらかじめ指示して開けてもらわないと、後で大きなダクトが通らなくなる。漏れがあってはいけないのに、社内の図面担当がダクトのルートを頻繁に変更する。すると、自分の担当作業を終えた職人には「もうやらない」と断られ、監督が自分で墨出しをして、穴を開ける位置を書き込みに行くことになる。

作業は早すぎても遅すぎてもいけない。待ってほしいと頼めば職人は怒り、「もう帰る」と言い出す。職人がいないときは監督がやるしかなく、本来は監督がやってはいけないダクトの接続まで自分でやっている人もいたという。そうしなければ工事が進まず、終わらないからだ。ゆゆうたは「全部機械化すればいいのに。音楽ではAIが流行っているが、先に建築をなんとかしてくれ」と冗談まじりに語った。

6:33

工期とコストの勝負、100時間を超える残業はカット

聞き手が、ゼネコンは決まった工期までに必ず終わらせ、その過程で人件費などのコストをどれだけ抑えられるかで利益を出していると整理すると、ゆゆうたもそれに同意した。工期に間に合わせるのは当たり前で、そのうえで「極力金をかけるな」と求められる。ゆゆうたは、職人のコストを削れと言うなら監督の人数を増やすべきだと話す。夜勤まで監督に任されたのは、夜勤用に人を雇うと費用が倍かかるからだろう、というのが本人の推測だ。

給与面では、下請けだったため残業は100時間を超えた分がカットされたという。300時間残業すれば200時間分がカットされる。ゆゆうたは、自分たちは孫請けなので、元請けに対しては満額を請求しているのではないかと推測し、その差額が自社の利益になっていることにも腹が立ったと話した。

300時間残業していた時期の手取りは30万円ちょっと、35万円ほどだったという。本人の計算では、基本の就業時間が25日×8時間で約200時間、残業と合わせて月500時間で35万円となり、時給に換算すると700円ほどになる。「コンビニバイトより安いじゃねえか」「それなら俺はコンビニで500時間働く」と思ったという。

8:24

感情を捨てて「ロボットのように」働く

聞き手が、配信で「感情を失っていった」と語っていたことに触れると、ゆゆうたは、家に帰れない生活では嫌でも感情はなくなると答えた。常に罵声を浴びていると妙な耐性がつき、その場ではへこんでも「まあ、そんなこともあるか」という悟りのような境地に入る。上司からも「余計な感情はいらない」「泣いている暇があったらやれ」と教えられ、感情を捨ててロボットのように仕事を続けていたという。

暴力については、ヘルメット越しに叩かれて脳が揺れ、罵声がエコーのように聞こえてくるような経験はあった。ただ、直接殴られることは自分の時代にはさすがになく、資材に当たり散らされることはあったと話した。

9:46

現場に入り込む盗難と、もみ消された盗難事件

資材の盗難も日常的だったという。職人が資材を持ち帰ることもあり、翌日現場に行くと電線がすべてなくなっていたこともあった。聞き手が「中国人の盗難部隊」の話を出すと、ゆゆうたもそれがあったと答えた。冷媒用の配管や電線は高く売れるらしく、勝手に車で入ってきてまとめて持ち去る者たちがいたという。本人によれば、退職する直前ごろには外国人労働者が増え、そこに紛れて闇バイトのような形で銅を持ち帰る事件がかなり発生したという。電線は被覆を剥いた状態でないと売れないらしく、大量に盗んだ人の家には剥いた跡があった、という話も出た。

工具が2日連続で盗まれたこともあった。発注者が定期的に視察に来るような現場で、職人が現場所長に報告したところ、客へのメンツが立たないから今回は泣き寝入りしてくれと言われ、警察は呼ばなかった。しかし再び盗まれ、結局は警察を呼ぶことになった。インパクトドライバーなどの充電式工具は売れるうえに自分でも使えるため、狙われやすいという。自社の職人が盗んでいたこともあり、ゆゆうたは「どこも奪い奪われで、同じレベルの争い」だと話した。職人から「代わりに盗んでこい」と言われたこともあったが、もちろん断ったという。

12:09

失踪、自殺、そして労災隠しの「ブラックジャック」

聞き手が現場監督の自殺について尋ねると、ゆゆうたは、直接見たわけではないと断ったうえで、配属先のロッカーにバツ印がついていたので尋ねると、前任者が首を吊ったと言われ、自分はその代わりとして来た形だったと語った。

それが頻繁にあったわけではないが、失踪は多かったという。急にいなくなり、実家に連絡しても一人暮らしの住所に行っても見つからない。ゆゆうたが知っているだけで5人ほどはいたという。そうした出来事は社内で共有されていた。

一方で、労災は隠されていたと話す。怪我をして出血したら本来は労災として病院に行くべきだが、作業が止まるので「これくらいの怪我なら我慢しろ」と言われる。怪我が重いときは「ブラックジャック」のような、もぐりの医者のところへ行けと言われたこともあったという。

なぜ辞めなかったのか

断れない性格のゆゆうたは、失踪する勇気も出なかったという。会社にいるのが当たり前になり、自分も洗脳されていたのだろうと振り返る。体だけは丈夫だったため、なんとか続けられてしまった面もある。それでもメンタルは「死にながら生きていた」状態で、休みが取れず、大学時代に取った自動車免許を更新に行けずに失効させたという。

現場監督は褒められることがなく、ミスをすれば怒られる減点方式の仕事だったとゆゆうたは言う。「あれはやったのか、これはやっていないのか」と言われ続けるうちに感覚が麻痺し、「今日も怒られたか、まあまあ」と思うようになった。今も配信で「死ね」とよく言われるが、その耐性はこの時期に培われたのかもしれないという。現場では正面から罵声を浴びるのに対し、ネットの書き込みは文字にすぎず、「ぬるい」と感じるそうだ。

15:31

深夜の配信で心を保った二重生活

配信を始めたのは2015年ごろ、入社4年目のころだ。繁忙期とそうでない時期があり、夜10時か11時に帰れる現場に配属されたときに始めた。最初は高校生以来となるニコニコ動画への投稿で、内容は楽曲のアレンジだった。

ゆゆうたが手を出したのは、いわゆる「例のアレ」、淫夢系と呼ばれるジャンルだ。特定のBGMをアレンジする文化が流行っていて、そこに参加した途端、いきなり1万〜2万再生を得られるようになった。後ろ指を指されるようなコンテンツだという自覚はあったが、再生数が取れるならと「悪魔との契約」のような気持ちで続けたという。野獣先輩を直接いじるようなことはせず、BGMをアレンジするだけなら罪はないだろうと、自分なりに責任逃れをしていたとも語った。

伸びた理由について、ゆゆうたは流行に便乗したことが大きかったとしつつ、5歳から続けてきたピアノの経験で、ほかの投稿者より少しクオリティを高くできたのではないかと話す。大学時代は楽譜を買う金がなく、ずっと耳コピで演奏していたため、その技術も生きたという。仕事で褒められることがなかった分、コメントで褒められて承認欲求が満たされた。

2016〜2017年ごろには顔を出して話し、リアルタイムでコメントをもらいたくなり、生配信を始めた。最初はサングラスをかけていたが、仕事終わりで疲れていたときにコメントが見づらくて外してしまい、顔が知られた。当時すでに3万ほどの規模があったという。

このころの生活は、夜12時ごろ帰宅して2時間ほど配信し、3時間寝て6時に起きて電車に乗る、というものだった。ドラマ『ドラゴン桜』で阿部寛が「1時間半の倍数で寝ればなんとかなる」と話していたのにならい、1.5×2で3時間と決め、平均睡眠時間は3時間だったという。それでも配信をやめなかったのは体力の問題ではなく、心を保つためだった。それまで仕事ばかりで楽しいことがなく、ストレスを和らげるものを知ってしまったので、睡眠時間を削ってでも続けたかったという。当時は職場の話はせず、1時間ほど雑談しながらピアノで耳コピをする配信だった。この生活は1年ほど続いた。

22:12

住所流出とファックスの殺害予告、そして退職

退職したのは2018年ごろ、7〜8年目だ。きっかけは住所の流出だった。当時住んでいた高田馬場周辺での目撃情報と、配信に映る間取りから住所を特定され、ネットにさらされた。このまま配信者人生が終わるのかと思うと悔しく、逆にこちらから仕掛けようと、自分の住所を歌にして歌った。アンチも引くのではないかという狙いだったが、思いのほかバズり、「無敵のやべえやつ」「人生フリー素材」と言われるようになったという。

ゆゆうたによれば、当時は実況者もゲーム配信者も顔を出さず、楽器演奏者も手元だけを映すのが普通で、顔を出す人はかなり叩かれる時代だった。顔を出したうえに淫夢系のジャンルにいたことで異端視され、特定班に目をつけられやすかったという。

住所が知られるとゴミを漁る者も現れ、ゴミの中身から職場も特定された。会社には「殺す」と書かれたファックスが大量に送られるようになり、会社からは、この職場には置いておけないとして、一生内勤として働くか退職するかの二択を迫られた。ゆゆうたは迷わず退職を選んだ。自分から辞めたのではなく「アンチに辞めさせてもらった」ので、それについては感謝しているという。普通なら仕事を失うのはダメージだが、自分にとってはご褒美で、退職した日の帰り道は跳ねるように軽く、「解き放たれた、自由なんだ」と感じたそうだ。

24:52

無職から YouTube へ

退職時点で配信の収益はほぼゼロで、ニコニコでは1か月配信しても1万円にも届かなかった。完全なニートになったが、両親は仕事がつらかったことを知っていたので「辞めたかったならいいんじゃない」と受け入れた。一連の騒動も知っていたが、ミーハーな親で「おもろいことやってるじゃん」という反応だったという。今も動画や配信を見て、活動を一貫して応援してくれていると話す。

転機になったのは、ニコニコ配信の切り抜きがYouTubeに無断転載され、100万〜200万再生されていたことだった。それなら自分でやっても稼げるのではないかと考え、2018年ごろに始めたところ、案の定再生数が取れ、収益化も通り、会社員時代より稼げるようになった。ネットミームを歌詞にした自作曲が特にバズったという。準備期間はほとんどなく、本人は運が良かったと振り返る。会社員時代は金を使う場所がなかったため、1000万円ほど貯金があったとも話した。

27:46

24時間連続ピアノ配信

はっきり伸びたと本人が挙げるのは、2020年ごろの24時間連続ピアノ配信だ。誰もやったことがないことをやりたかったという。ピアノを弾く人には体の弱い人が多く、自分よりうまい人はたくさんいても、ゼネコンで鍛えた体力を兼ね備えた人はいないのではないかと考えた。ゆゆうたはこれを「ゼネコンとピアノの禁じられた融合」と表現した。

配信中は横にコーラを置き、おむつを履いた。食事はとらず、排泄しないで済むよう事前に浣腸で腸の中身を出してから臨んだという。仕事に比べれば全然つらくなく、23時間目あたりから視聴者がどんどん増え、HIKAKINからスーパーチャットも届いた。脳内物質が出まくり、寝ていないのにその夜は興奮で眠れなかったという。

退職後は「何があってもゼネコン時代よりはまし」で、毎日が天国だとゆゆうたは言う。失っていた感情は、数年かけて戻ったのではなく、蓋が開いたように反動で一気に戻ったと表現した。

30:49

殺害予告、闇バイト、偽警官、そしてへずまりゅう

一方で、ゆゆうたの名前を使った殺害予告や爆破予告が相次いだ時期もあった。ニコニコからYouTubeに移ったことで「ニコニコを捨てた」と恨まれ、ネットミームを歌にする人間は顔を出すべきではないと考える層もいたため、熱烈なアンチを多く抱えていたという。ゆゆうたの名前で予告をした大学院生が逮捕されたこともあった。引っ越しても住所は知られていたため、毎回警察が家に来て本人の関与がないことを確認し、名前を使ったいたずらとして処理してもらったという。アンチの多くはニコニコ時代からの人たちで、今もいるのではないかと話す。

2〜3年前、前の住居に住んでいたころには闇バイトの標的にもされた。いたずらでピザが届いたほか、闇バイトの依頼の場に、ゆゆうたの家に入ってスマホや炊飯器を盗んでこいという投稿がなされたという。炊飯器については、スマホを入れてGPSを遮断するために使うという説や、金目のものを指す隠語だという説があり、真相は分かっていないと本人は話す。警官が頻繁に出入りしていた時期でもあったため、闇バイトで雇われた偽の警官が来ることもあった。対面はせずインターホン越しに警察手帳を見せるよう求め、出せなければ偽物と判断した。警官は必ず2人以上で来るので、1人で来る者は怪しいと見分けていたという。

同じころ、当時は有名YouTuberに突撃する迷惑系YouTuberだったへずまりゅうが家の前に来た。コロナ禍で外に出られずにいると、へずまりゅうは本人が出てくるまで待つと居座り続けたが、その間に届いたピザなどを送り返し、結果的に闇バイトなどから守るような形になったという。ゆゆうたはこれにも感謝していると話す。

ゆゆうたは、マイナスにマイナスを掛けるとプラスになるように考えるようになったという。ゼネコンでのつらい7年間があったから24時間ピアノを弾く体力がつき、押し潰された感情があったから反動の承認欲求が生まれた。ゼネコン時代の話は配信で何度もしており、切り抜きでも伸びている。勤めていなければその話もできなかったので、人生に無駄なことはなかったと思えるという。なお、粘着するアンチへの開示請求は自分では行わず、警察に被害届を出して任せていると話した。

36:40

謹慎と、加藤純一からの電話

配信をやめようと思ったことはないという。顔も知られ、前の職場のネガティブキャンペーンもしている自分を雇う会社はないだろうし、一生ネットで生きていきたい。もともと金のために始めたわけではなく、昔のニコ生主には、金をもらえなくても好きで配信している人が多く、そういう人が今も生き残っているとゆゆうたは見ている。物欲もなく、服にも興味がなく、ピアノさえあればいい。欲しいのは多くの人に見てもらうことで、それは金では買えないと話した。

今年立ち上げられた事務所については、謹慎中に加藤純一から電話があり、事務所を立ち上げるので創立メンバーになってほしいと誘われたという。謹慎前から構想に入っていたのではないかと本人は考えており、加藤純一が率いるメンバーに入れたことを誇りに思っていると語った。

謹慎していた3か月は「死にそうだった」という。対外的な発信ができず、目に見える成果を出そうと1日20kmほど歩き、15kgほど減量した。ネットはあまり見なかったが、それは誹謗中傷がつらいからではなく、戻りたくなってしまうからだった。その気持ちを抑えるため、群馬県にある寺のような断食道場に2泊3日で泊まり込み、小さな茶碗のお茶漬けだけの食事でヨガなどをして過ごした。普段は1日1000回ほどエゴサーチし、アンチのコメントも見てしまう。誹謗中傷より、一切触れられなくなるほうがずっとつらいという。

38:19

生き残る配信者の条件と「オワコン」への不安

一線で活躍する配信者の共通点を問われると、ゆゆうたはニコニコ出身が強く、ほぼ全員がニコニコから来ていると答えた。最近は稼げると分かったうえで配信者やYouTuberになる人が増えたが、そういう人はボロカスに言われるとメンタルが弱ってやめてしまう。好きでたまらず配信をつけてしまう人が残る傾向にあるのではないかという。自分のメンタルが強いとは思わないが、ゼネコンで「寝たら忘れる」が身についたので、痛みは感じても死なない、ヒットポイントが無限にあるような状態だと表現した。

社会人経験については、なくてもいいと前置きしつつ、社会特有の理不尽さで培われるものがあり、社会人時代の話は誰でも面白いので人間性に深みが出るのではないかと話した。金銭感覚も狂わないという。1年後どうなっているか分からない仕事で、プラットフォーム自体がなくなる可能性も、自分がオワコンになる可能性もあるからだ。

オワコンにならないために意識しているのは継続だという。常に見られている、常に挑戦するという気持ちを持つ。YouTubeや配信は頑張っても視聴者が減るのを止められないので、それでも現状維持を目指して面白いことをし続けるしかない。面白いことをしていれば人はじわじわ増えるという考えで、配信はなるべく毎日行い、しばらく更新をサボっていたYouTubeも2週間に1回は上げようと思っていると話した。80歳になっても続けていると思う、とも語った。

43:04

視聴者との距離感、加藤純一のカリスマ、藤井風

コメント欄だけが大喜利のように盛り上がる「ネットのおもちゃ」状態についても、ゆゆうたはそれでいいと答えた。人生の目標は、自分が死んだときに自分を知っている人が1人でも多くいることだという。自分がいなくなっても、その人たちの中に概念として残り続け、魂は生き続けるのではないかと考えている。好かれても嫌われてもよく、社会人時代に自我を殺されまくった反動で、自分という存在を誰かに意識させたいという気持ちが強くなったと語る。古参か新参かも関係なく、むしろ最近知ってくれた人がいると、まだ新規がつくコンテンツなのだと安心できるという。

視聴者との関係は「お互いがちょっと見下し合っている」のがちょうどいいとゆゆうたは言う。目を見て話すわけではなく文字のやり取りで、向こうも匿名で好き勝手に言うし、こちらも好き勝手に言う。向こうも舐めてくるし、こちらも少し舐めている関係だという。

ライバルは特にいないが、加藤純一はすごいと思うという。自分を舐めてくる視聴者も加藤純一には従順で、そのカリスマ性は自分には出せない。自分は舐められることで親近感を持たせて人を集めるスタイルで、いじられキャラのほうが性に合っているという。その考えから、配信者養成学校のようなものは「クソくらえ」だと批判した。人それぞれ正解がないのに型にはめて金だけ取ろうとしている、本当にやりたい人は学校に行く前に配信をつけている、というのが本人の見方だ。

配信で「藤井風は自分の上位互換」と言ったことについては、ピアノもうまく顔もかっこいいという半分冗談だったと説明した。心の中では自分が一番だと思っており、配信者には自分を一番好きでいることが必要だという。リアルタイムで見てくれる人は自分を最優先にしてくれているのだから、自分が誰かより劣っていると言うのは失礼だという理由だ。ギニューが孫悟空の体を操れないように、自分を一番使いこなせるのは自分なので、誰かに生まれ変わりたいとは思わないと話した。自己肯定感は活動を始めてから強くなったという。仕事はできるほうではなかったが、配信や動画は狙いどおりに伸びることが多く、才能があるかもしれないと思えたからだ。

今後については、音楽活動も広げたいという。あるミュージシャンとラジオをしており、楽曲のカバーやバンドのようなこともしている。活動者は支える柱が多いほど崩れにくいので、それがオワコン化の予防策になると考えている。YouTubeと配信では視聴者層がまったく違い、Twitchの視聴者は「動画投稿なんてやるな」と言い、YouTubeの視聴者は「配信なんてやらずに更新してくれ」と言う。YouTubeは純粋な子どもが多く、Twitchはひねくれた中年男性や斜に構えた大学生、加藤純一の視聴者などが混在しているという。その違いがかえっていいバランスになっていると話した。

ゆゆうたは今の幸せを、サウナで「ととのう」ことにたとえた。ゼネコン時代のつらさがあるから今の楽しさがより強く感じられ、幸せの沸点が低く、ポケットから100円が出てくるだけで幸せだという。本人はゼネコン時代を「監獄生活」と呼んでいる。

51:16

建設業界への提言

ゆゆうたのもとには、転職関連の仕事も来ているという。視聴者には学生も多く、ゼネコンの話を聞きつけた就活生も多い。仕事が合わない人のきっかけになれればと考え、名前は前面に出ているものの、企業とのやり取りはほとんど任せていると話した。

本人の発信の影響で、ゼネコンへの就職を思いとどまる人もいるという。ゆゆうたは「3割減ったらしい」と語り、闇バイトに狙われたのはゼネコン関係者の仕業ではないかという説もあったが、ゼネコンの人間にそんな時間はないので絶対に違うと冗談を交えて否定した。

退職後、大阪・関西万博の工事がニュースになった際、業界団体の会長が万博の工事現場では残業制限を撤廃するとテレビで発表していたことに触れ、「やっぱり何も変わらない」と思ったという。三六協定が厳しくなっても、会長の一声でなかったことにできるなら意味がない、というのがゆゆうたの受け止めだ。

大手ゼネコンのYouTubeチャンネルで公開されていた「現場監督の1日」密着動画にも違和感を示した。朝8時の朝礼から現場作業と事務作業をこなし、18時に帰って同僚と飲み会に行くという内容で、ゆゆうたは自分が経験した現実とあまりに違い、18時に帰れるわけがないと話した。聞き手は、そうした動画は第2、第3の被害者を生むだけではないかと指摘し、本当のことを語るゆゆうたの発信のほうが有益ではないかと述べた。

それでも、ゆゆうたは建設の仕事そのものを否定しているわけではない。やりがいを感じている人もいたし、「地図に残る仕事」なので頑張ってほしいと話す。ただ、絶対に必要な仕事であるなら、それなりの対応をしてほしいという。「何が残業時間の制限撤廃やねん」と述べたうえで、まず人を人として扱うところから始めてほしい、というのがゆゆうたの最後の言葉だった。