「なぜそうなるのか」を問い続ける労働社会学者・常見陽平が語る炎上、退職代行、働き方改革の矛盾

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概要

労働社会学者で働き方評論家の常見陽平は、テレビ朝日「モーニングショー」での発言をきっかけにSNSで話題になった。このインタビューでは、その騒動の経緯から、退職代行やキャンセル界隈といった現在の論点、幼少期に身近だった家族の死、過労死への関心、リクルートとバンダイでの会社員生活、大学教員になるまでの道のり、新刊『なぜリベラルは嫌われているのか』まで語っている。どの話題でも常見は、物事を良い悪いで断定せず「なぜそれが起こるのか」を様々な立場から考えることを自分の姿勢として繰り返し示した。

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「モーニングショー」騒動の背景

騒動になったのは、就活や働き方を扱うコーナーだった。常見は、殺人事件の報道を毎日のように続ける放送局をどう思うかと、松岡アナウンサーに尋ねた。アナウンサーはにこやかにかわしたが、その場面が切り抜かれて拡散した。

聞き手も似た経験を話した。以前、プライベートな席で報道志望の20代の女性アナウンサーに会ったことがある。当時はジャニーズ問題が大きく扱われていたので、知っていても報じないことがあるのをどう思うかと尋ねた。彼女はまったく話さないわけではなかったが、言葉は出ていても意見は何も言っていないという、モーニングショーの場面に近い反応だったという。聞き手は、報道を志す若いアナウンサーでも1年ほどで組織の一員になっていくのだと感じたそうだ。

常見によれば、放送を生で見ていない人が多い中で、質問した部分だけが炎上の焦点として語られている。実際はその前から議論がこじれていた。番組は若者の働き方を「令和版にアップデートしよう」という方向で進んでいたが、常見がそれは違うのではないかと異を唱えたあたりから、スタジオの空気が張り詰めていった。一緒に出演していた弁護士や羽鳥慎一が「始まったよ」というような表情をちらっと見せたのを覚えている、と常見は話す。

そのあと「静かな退職」の説明に移った。常見はこの言葉が誤解されていると言う。自分から言われたことしかやらない、定時に帰るといった状態を指すが、冷静に考えれば必ずしも悪いことではない。そもそもなぜ残業しなければならないのか、言われたことをやっていれば合格点だろう、という話である。常見が重視するのはその背景だ。静かな退職はサボりではなく、「こんな会社やってられるか」という感覚から生まれる。コンプライアンス重視と言いながらパワハラが残っている、世の中の役に立つと言いながら下請けや調達先に大きな迷惑をかけている。そうした会社の方針と自分の考えの矛盾に直面した人が、辞めはしないが一生懸命にもやらないという態度を取る。その流れの中で、こういう報道ばかりする放送局をどう思うのかという問いが出てきた。その場で一番若手だった松岡アナに聞いた、というのが常見の説明である。

炎上の反応の変化と「取材しない記事」

当初、常見が松岡アナに質問したことについては、パワハラだ、セクハラだというコメントが多く寄せられた。しかし動画が広く拡散したあと風向きが少し変わり、女性から「よく言った」という声がかなり届いたという。常見は、性別を理由に仕事を限定したり「男らしくしろ」「男ならこれぐらいできるだろう」と言ったりすることは、相手の年齢や性別にかかわらず問題だという趣旨にも触れている。

常見が驚いたのは、本人に取材しないまま記事が出ること、切り抜き動画がこれほど拡散することだった。リアルタイムで番組を見ていた人の反応はほとんどなかった。昔の教え子や若い友人、同世代の知人から、SNSを開いたら常見が拡散されていて驚いたと言われたという。

5:33

研究テーマとしての「働き方」

常見は企業で人事を担当し、人材ビジネスにも携わった経験から、就職活動を研究してきた。最近は同僚の研究者と退職代行についての学術書を書いた。いま書き始めているのは「ホワイトハラスメント」についての本である。成長したいと思っている従業員に無理をさせないことで、かえって成長の機会を奪ってしまう問題を扱う。いわゆる「ゆるブラック企業」論、つまり成長の実感ややりがいが得られず、このままでは使えない人間になってしまうと感じて辞めるという議論の検証も含む。健康を保ちながら達成感ややりがいを持って働くにはどうすればいいかという本も準備しているという。

何が一番良い働き方なのかと聞かれた常見は、どの立場から見るかで異なると答えた。働く人も企業も一様ではない。仕事とプライベートのどちらを重視するかといった定点観測のデータにも意味はあるが、労働への価値観は二極化どころか多極化している。働き方改革とは、本人がどれだけ働きたいかと、会社や社会から何を求められるかとのせめぎ合いであり、その選択肢が増えている状態だというのが常見の見立てだ。

過労死やハラスメントが常態化した会社は良くない。そう前置きしたうえで常見は、なぜそうなるのかを考えるべきだと言う。社長がワンマンで暴君だという話で終わらせず、なぜ暴君になるのかを問う。株主からの過剰な要求があるのかもしれないし、採用に苦戦して副社長や部下が離れ、支える人がいなくなったのかもしれない。常見は、簡単に良い悪いを断定せず、多様な視点から捉えることを大事にしていると述べた。

8:27

退職代行をどう見るか

常見によれば、退職代行がメディアに出始めてからまだ10年経っていない。朝日新聞や日経に初めて登場したのは2018年ごろだ。昨年から今年にかけては「モームリ」を運営するアルバトロスに家宅捜索が入り、経営者が逮捕される事態もあった。常見はこれを、退職代行にマイナスイメージがついた局面だと見ている。もともと世間は、こんなものがなくても辞められるだろうという冷ややかな目で見ている。だからこそ、なぜこのサービスが存在し広がってきたのかを考えるべきだという。

常見は、退職代行で入社1ヶ月以内に辞める人が昨年の何倍になった、というウェブメディアの報道には注意が必要だと指摘する。3年以内離職率で見るとあまり変わっていない。若者は昔から3年で3割ほど辞めているし、半分以上が辞めるわけでもなく、皆が退職代行を使っているわけでもない。最初の1ヶ月だけを測った信頼できる調査はほとんどない。SNSで「1ヶ月で辞めた」という投稿が目立つことが、そうした印象を生んでいる。「何倍」という数字も、よく見ればある代行業者の中で利用者が増えたというだけの話で、社会全体の傾向を示すものではない。常見はデータの取り方の問題が大きいと見ている。

一方で、このサービスが求められる背景もある。辞めると切り出せない人がいる。人手不足のせいで、辞めないでくれという引き留めの面談がかなり過酷になっている。人が採れないので騙してでも採る会社もある。内定が出たからと入社したら、思っていたのとまるで違った。そのうえ辞めると言えば説教される。それなら代行に頼るだろう、と常見は言う。会社が好きなのに上司に言い出しにくい人もいれば、早く次のステップに移りたいという需要もある。もちろん退職代行を使わなくても辞められるはずで、代行を使わないと辞めにくい社会は良くない。それでも背景を捉えることが大事だというのが常見の立場だ。

聞き手が、退職代行を使った人は採りたくないと言う人もいると問うと、常見はそれは偏見だと答えた。昔から、すぐ辞める人は打たれ弱いから採るなという人や、転職歴の多い人をジョブホッパーと疑う経営者・人事担当者は一定数いる。だが早く辞めることは本当に悪なのか。求職者を巧妙に騙す企業は実際にあるし、心身が潰れてしまえばその後の人生に響く。辞めることは労働者の権利であり、むしろ先のことを考えているから辞めるという見方もできる。常見は、職業選択の自由や退職の自由が脅かされていたのではないかという見立てを示した。法律上やコンプライアンス上の問題と、サービスそのものの是非は分けて考えるべきだとも述べた。退職代行が「良い役割を果たしている」と言いかけたところで、その言い方は良くないと訂正し、「存在する理由はある」と言い直している。

14:12

大学教授と主夫の日常、「会いに行ける左翼」

常見は大学教授であると同時に、主夫として家事も担っている。取材当日も昼食の仕込みをしていて、途中で炊飯器のタイマーが鳴るだろうと話していた。大学に必ず行くのは講義と会議のある日で、時期によるが週3〜4日ほどだという。

X上で「会いに行ける左翼」と呼ばれることについて、常見はいまの社会を話が通じない社会だと捉えている。昔のように新聞社に入って記事を書いたり新聞に取材されたりしなくても、誰でも意見を発信でき、つながれる時代になった。その一方で意見の違いがあらわになり、分断が起きやすくなった。だから様々な人の話を聞くこと、会いたいと言う人がいれば会うことを大事にしているという。好奇心を大切にしていること、学生や若い編集者と会うと自分の考えが古くなり硬直していると気づくことも、その理由に挙げた。

15:44

「古い自分」の自覚——キャンセル界隈、新聞、ファストファッション

どんなところが古いと思うのかと聞かれ、常見は最近受けた「キャンセル界隈」の取材を例に挙げた。風呂キャンセルや食事キャンセルといった価値観は、生活者としての自分には無理でついていけない。ただ評論家としてはその背景に強い関心がある。若者の価値観の前に、時間がない、お金がないといった経済的な要因がはっきり影響していると常見は見ている。

情報収集も古いと自認する。趣味以外のYouTubeは一切見ず、頑固に新聞を読む。読売は紙で、ほかは電子版のビューアーで読んでいる。オールドメディアやマスゴミと言われるが、さすが新聞社という報道もある、と常見は言う。

服についても、ファストファッションは一切着ない。下着1枚、ハンカチ1枚も持っていないという。みんなが着ているから嫌だというのに加え、大量生産・大量消費のビジネスモデルに疑問がある。雇用を生み、快適な服を納得できる価格で提供していて、支持される理由はよく分かるとも認める。ファッションが嫌いな人、服を選ぶことに疲れた人こそファストファッションを支持しているのではないかという説にも触れた。それでも、それを着ている自分が想像できない。下着はポール・スミス、肌着はラルフ・ローレンと決めていて、それ以外を着るのが怖い。常見はこれを、古い人間だと解釈してほしいと笑った。

18:57

研究者一家と、身近にあった家族の死

常見は宮城県仙台市で生まれ、生後10ヶ月で札幌に移り、18歳まで札幌で育った。両親は北海道出身で、ともに西洋史学者だった。本がたくさんある家庭だったが、父は研究を続けながら脳腫瘍の闘病生活を送っていた。常見が小学5年生になった直後、父は39歳で亡くなった。

物心ついたころ、父はまだ歩けた。しかし次第に悪化して左半身が動かなくなり、常見が小学校に上がるころには寝たきりで入院したままになった。少年野球の帰りに自転車で病院に寄ることを繰り返していたという。父と一緒に暮らした期間はとても短い。それでも元気だったころの父は厳格な学者で、気難しい顔で本を読み原稿を書いていた。小学3、4年生のころ、離れて暮らす家族に手紙を書くという機会があり、父に手紙を出すと、非常に論理的で丁寧な返事が届いた。それが父が自分に書いた最後の文章だったのかもしれないと常見は振り返る。

母は非常勤講師を掛け持ちし、塾講師や家庭教師もこなしていた。常見が小学校後半から中学に上がるころに短大の教員に採用され、その後2度大学を移り、定年まで勤めた。外で教え、夜は論文や本を書く生活だった。そのため実際の育ての親は同居していた父方の祖母だったという。

家族の死は父だけではなかった。母方の祖父は常見が小学1年生のとき、祖父は小学3年生のとき、父は5年生のときに亡くなった。2年ごとに家族や親族が亡くなっていったことになる。幼稚園のころには、函館で牧場を営んでいた母の姉の夫が、常見たちが遊びに行った10日後に突然亡くなった。父が亡くなったときは、ずっと闘病しているものだと思っていたので驚いた。祖父も含め、あれが最後の食事だったのかと思い返したという。振り返ると、人の死が近くにある距離で生きてきた、と常見は語る。大学2年の1994年に村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を発売と同時に読んだときにも生と死の距離を強く感じた。育ての親である祖母が亡くなるころでもあり、いろいろ考えたという。

研究者の両親へのコンプレックス

研究者一家に育ったことは良かったと思う一方で、コンプレックスでもあったと常見は言う。両親の学問への姿勢は凄まじかった。小学生のころ、父は百科事典の用語解説を執筆し、本も出した。かっちりした文章を書くとはこういうことかと思ったという。父は非常に優秀だったらしい。こういう文化的で厳格な人たちのようにはなれないと感じていた。

いま妻と娘、妻とその親の関係を見て、ようやく親子とはこういう関係なのかと分かった気がする、と常見は話す。自分の親子関係は指導教官と教え子のようなものだったからだ。打ちのめされるような感覚があり、毎年本を出し、こうして取材を受けるようになったいまも、達成感や到達感がない。なぜ自分がここに座っているのか、なぜ自分の話を聞いてくれるのかと思う瞬間がよくあるという。

26:23

書くこと、音楽、そして過労死のドキュメンタリー

幼稚園のころには、探偵作家になりたいと書いていた。小説家や漫画原作者、当時華やかだったテレビの番組づくりにも憧れ、小学校では新聞係になった。昔から著者的な何かになりたかったのだろうと常見は言う。音楽も小学生のころから好きで、15歳で楽器を始め、高校時代はずっとバンドを組んでいた。ただ札幌南高校には、プロ並みのギタリストやボーカリストがたくさんいた。実際にその後プロになった人も何人かいて、自分の実力では無理だと思った。ところがコロナ禍が明ける前後から音楽熱が再燃し、ライブに通い、演奏もするようになった。いまやっているバンドのひとつが、ビルボードやブルーノートを小さくしたようなライブレストランのレギュラーバンドになりそうだという。うまくいけば2〜3ヶ月に1回ほど定期的に演奏してギャラをもらうことになる。幼少期にやりたかったことを巡り巡って一通りやっている人生だと常見は語る。

働き方への関心は10代前半からあった。4歳ごろから新聞を眺める子どもで、小学校前半からコーヒーを飲んでいた。80年代後半のある日、コーヒーを淹れようと降りていくと、つけっぱなしのNHKで過労死のドキュメンタリーが流れていた。「24時間働けますか」というCMの時代である。亡くなった人は自分がいないと会社は回らないと言っていたのに、倒れたその日も会社は普通に回っていた。番組はその様子を描いていた。会社とは何か、働くとはどういうことかと興味を持ったという。家族を病気で亡くしてきた常見にとって、仕事で、職場で人が死ぬということがまず驚きだった。高校時代には、6〜7年後には自分も働いているのではないかと考え、働くことに強く関心を持った。ブラック企業という言葉が2000年代後半にネットスラングとして生まれ、2012年に労働問題NPOの今野晴貴の著書『ブラック企業』がベストセラーになる、そのずっと前のことである。

32:29

社会学部から商学部へ、そしてリクルートへ

大学では2年生の前期ゼミで労働社会学とメディア論を取り、この2つがその後の人生に大きく影響した。一方で、1年生のときにたまたま受けた商学部の教員の講義が凄まじく、労働問題を専攻したいという思いよりもこの先生に学びたいという思いが勝った。常見は社会学部から商学部に転学部し、競争戦略論などのビジネス系ゼミに入る。遠回りだったが、経営の側から人材を見る経験、たとえば事業撤退や戦略変更といった判断を学んだのは貴重だったという。なりたくないと思っていた会社員に一度なり、15年間の会社員生活を送ることになったのも、この転学部がきっかけだった。

就職活動では、ゼミの専門を生かして広告代理店を志望し、エンタメ好きだったのでバンダイやソニー・ミュージックも受けた。しかし途中で、自分は何をやっているのかと悩んで一度就活をやめ、ゼミの活動に集中した。専門分野で特に優秀だったわけではなく、エンタメを本当に仕事にする覚悟があるのかも中途半端だった。その後、別の先生の紹介でリクルートの話を聞きに行き、面白い人が大勢いると感じた。何をやりたいかよりどうやりたいかが大事なのだと思い、当時のボトムアップでエネルギーに満ちた社風に惹かれて入社を決めた。

リクルート事件後になぜ会社が復活できたのかという問いに、常見は、事件から8年後に入社した自分の印象だと断ったうえで答えた。批判を受けながらも商品やサービスが企業や読者の役に立っていたため、取引は続いた。実はより深刻だったのは、金融・不動産・通信事業への投資による1兆円を超える借金だった。現場が利益率の高い新規事業を生み出し、稼ぎ頭を入れ替えてきたこと、現場にエネルギーがあったことが復活の理由ではないかと常見は見ている。

37:30

「ダメ社員」だった会社員時代と時間の使い方

常見は自らを「ダメ社員」だったと言う。ビジネスにこれほど前のめりな人たちがいるのかと衝撃を受けた。希望は企画や編集だったが、配属は営業だった。求められる成果やプロセスの水準が高く、当初はついていけず、優秀な成績は残せなかった。それでも数字やスケジュールの管理、断られたところからどう這い上がるかを学んだ。何より、優秀な人の近くで働けた。同じフロアにいた人が後にNTTドコモに転職して社長になったり、起業して上場させた人がいたりした。自分がダメだったというより周りがすごすぎた、と常見は振り返る。

いまのリクルートは持株会社や一部事業会社で週休3日に近い働き方やリモートワークを進めていると聞くが、当時は朝から深夜まで働く会社だった。小岩の独身寮に住み、0時46分発の津田沼行き終電で1時ごろ小岩に着く。そこから同世代の仲間と2時半まで中華料理屋で飲み、3時に帰ってまた出社する生活だった。常見はこれを美化も推奨もしないと強調する。ただ、原稿の締め切りが重なる、大学の講義やレポート採点をこなしながらライブに行きバンドの練習もする、といった掛け持ちをこなす時間管理の技や修羅場での発想は身についたという。

大学3年生を見ていても、時間の使い方がうまい学生とそうでない学生の差が出る。アルバイトも講義も頑張り、ハードなゼミに入っている学生ほど、就活や遊びを両立できるという。リクルートでは、年末の繁忙期に当時で何十万円も払ってホノルルマラソンに出る人、ワールドカップのたびに1ヶ月休む先輩、来日公演の日だけは6時に上がって東京ドームで見てから戻って仕事をする人を間近で見た。一方で、大学の課題とエントリーシート2社分が重なるとパンクしてしまう学生もいる。忙しくもお金がないわけでもないのに休めず遊べない人もいて、時間の使い方がうまくなることは大事だと常見は言う。

これに対し聞き手が、2年ほど過密労働を経験して時間の使い方を学び、その後は週休3日などで高いパフォーマンスを出すのが一番良いのではないかという自説を述べた。常見は、大きな負荷をかけたからといって必ずその後のパフォーマンスが上がるとは思わない、と答えた。

44:15

バンダイ、ベンチャー、大学院、そして大学教員へ

リクルートには8年半在籍した。30歳のころ人事制度が変わり、ボトムアップだった社風に上からの指示が増えたと感じた。同期が出世し始め、羨ましさや悔しさを覚えながらも、これは自分がやりたいことなのかと悩んだ。そこでバンダイと出会い、面白い社会人たちがいて、こちらにいたかったのだと思って移った。バンダイでは人事として、新しい商品やサービスを生み出せる人の採用、特に新卒採用にのめり込んだ。会社のブランドもあってメディアの取材が増え、2007年に著者デビューした。

もっと本格的に著述をしたい、大きな会社で小さいことをするより小さい会社で大きくやりたいと考え、融通を利かせてくれる先輩のベンチャー企業に移った。そこでも激務の傍ら書きまくったが、経験を書いているだけで考える枠組みがないという限界が見えてきた。同じころ、いくつかの大学から非常勤講師に誘われ、教えることは面白かったが収入は不安定だった。将来大学教員になれたらという思いもあり、38歳で会社を辞めて大学院に入った。年に7冊ほど本を書きながら、午前は大学院の講義に出て、午後は他大学で教え、講演やテレビ出演もこなす2年間だった。

その後、千葉商科大学の新学部立ち上げを機に、2015年から専任教員となった。2020年に准教授、2026年春に教授になった。著書は40冊以上で、来年はデビュー20周年になる。いまは共著も含め年2冊出る年もあるが、基本的には年1冊を丁寧に書きたいという。

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新刊『なぜリベラルは嫌われているのか』

10月21日に星海社新書から『なぜリベラルは嫌われているのか』が出る。労働社会学者として労働者側、つまりリベラル側に立ってきた常見が、最近はリベラルから批判されるようになった。リベラルの中で分断が起きている。本来大事にすべき自由や寛容を捨てていないか。社会に響く言葉ではなく仲間内に響く言葉に振り切っていないか。労働者の味方のようでいて労働者からずれていないか。この本は、そうしたリベラルの問題を、労働社会学者の視点から、リベラルの立場から書いたものだという。

常見は部数にも触れた。デビュー作の初版は3000部、約20年後の今回は3500部だ。出版不況を感じる一方で、本はアーティストにとってのアルバムのようなもので、ネットの記事と違って時代ごとに残るものだと考えている。

リベラルが嫌われる構造について、常見は、社会やごく普通の人と向き合わず、様々な立場の声を聞いてこなかったのではないかと語る。書きながら浮かんだ言葉として「声を上げる前に声を聞くこと」を挙げた。聞き手も、自分の声を上げるために他者の声をかき消そうとすることがあると応じた。ブラック企業を悪と叩く前に、なぜ生まれるのか、なぜそこで働く人が一定数いるのかを考える必要がある。飲食や流通でブラックとされる企業は、安さと便利さを求める消費者や社会が生み出している面もある、と常見は言う。カスタマーハラスメントは肯定しない。それでも、その人自身も苦しい環境で働き、お金も時間も気持ちの余裕もないから過剰な要求をしてしまう、という連鎖を捉えたいという。

常見はプロレスとロックが好きで、特に空席の目立つ会場で真剣勝負をし、冷やかしの客を感動させて帰すような演者が好きだという。選挙の街頭演説でも、組織的に動員された聴衆より、通りがかりの人が自然に集まってくるほうに広がりがあると見る。新刊やメディアでの発言に、まったく知らない人が肯定であれ批判であれ反応しているのを見ると、届いていると感じる。YouTubeのコメント欄に書き込む人はかなり特別な人で、コメントしない人の琴線にどれだけ触れたかを大事にしているという。約24年前に出したという代表作『僕たちはガンダムのジムである』以来、ごく普通の人の幸せや声なき声を大事にしたいと考えてきた。

生活を大事にすることも強調した。住まいの快適さにこだわり、健康で文化的な生活としておしゃれもしたい。世代的な感覚だと断りつつ、人前に全身ユニクロで出てくる著者はどうかと思う派だという。美味しいものを食べ、作り、音楽を聴き、演奏する。人生を楽しむ人が1人でも増えればいいと常見は語った。

54:54

働き方改革の矛盾——しわ寄せは誰に向かったか

聞き手は自身の経験を話した。働き方改革の時期、テレビ業界で一番下のADとして働き、電通の事件のころには若手ディレクターになっていた。業界では「22時前に帰る」「22時以降の会議禁止」といったルールが増え、ADは楽になったが、その上のフリーランスディレクターの業務が大幅に増えたという。

常見は、働き方改革の矛盾をかなり見てきたと応じた。官僚や広報が頑張り、それに乗るジャーナリストやメディアが「この会社はこんなにうまくいっている」と伝える。しかしその会社から夜中にメールが来るではないか、なぜ突っ込まないのか、と常見は言う。定時退社できるようになったと言っても、その圧力は下請け、孫請け、フリーランスにかかっている。聞き手も、テレビ局員は局に遅くまで残れないため、深夜に制作会社にやって来て、制作側が総出で出迎えた経験を語った。

ハラスメント対策でも同じことが起きていると常見は指摘する。上司が厳しく指導すればハラスメントになるため、厳しい指導を研修会社に任せる。実際の上司は優しく振る舞い、新人研修の講師が人格を否定するようなことを言う。そういう研修を受けさせる企業はかなり悪いし、手を汚したくない仕事を外部に投げ、うまくいっているふりをするのは罪深い、と常見は言う。

いま労働時間の規制緩和の流れがあり、裁量労働制や労働基準監督署の指導のあり方を見直そうという動きがある。常見は、働き方改革はうまくいっていたのではなかったのか、というこの感想こそが大事だと言う。良い悪いやブラックだと断じるのではなく、物事には必ず副作用があるので、その影響を考えることが物事を見るということだと述べた。聞き手も、10年ほど先にフリーランスになった人たちから、ギャラは変わらず労働だけ増えたとよく聞いたと話している。

57:31

「新しい生き方」が覆い隠す貧しさ

常見は、物価と賃金がともに上がるスパイラルを目指したのに、結局物価だけが上がり、賃金が上がったのはごく一部ではないかという矛盾も挙げた。そして常に警鐘を鳴らしているのは、「これが新しい働き方だ」「新しい生き方だ」と言われるものが、単に貧しさや苦しさを覆い隠しているだけではないか、という点だという。

その例がキャンセル界隈という言葉の危うさだ。若者がコスパで狭いマンションを選び、それが流行っているという記事がある。常見はこれを、過去のフリーランスブーム、ノマドブーム、フリーターブーム、派遣ブームと似た問題だと見る。自分で選んでいるのだろうという自己責任論が背景を覆い隠すが、実際には時間や余裕のない社会になっている。聞き手が貧困ということかと問うと、常見は同意した。狭いマンションが「新しい小さな幸せ」として描かれていても、実際は選ばざるを得ないのだろうという。常見は戦時中の国への奉仕といった言葉も引き合いに出し、美しい言葉や新しいスタイルを装いながら、貧しさや格差を受け入れさせるものになっていないかと問う。自分が強く生きていくために作った言葉なのかもしれないが、と付け加えたうえでだ。

Uber Eatsのようなサービスはある種の自由をもたらしたが、プラットフォーマーの上で踊らされ、貧しく大変な人を増やしていないか。スキマバイトも同じで、新たな幸せや可能性とともに新たな貧しさや苦しさが生まれていないかに自覚的でありたい、と常見は述べた。

59:58

フリーランスの単価とライブチケットの値上がり

常見自身も、大学の外の仕事は会社を持たず個人で請けるフリーランスである。フリーランスの待遇改善といっても、恩恵を受けるのはごく一部の売れっ子だ。その売れっ子にしても、案件が増えただけで単価は上がっていないのではないか、と常見は突っ込む。単価も案件も増えて初めて本当の売れっ子だろうという。

比較としてライブのチケット代を挙げた。値上がりには複雑な事情がある。コンサートスタッフやミュージシャンの生活を支える人件費、会場費、エネルギー費、移動費が上がっている。東京ドームで2〜3万円と言っても、アメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでは300ドルからだったりする。そう考えれば、2万円台でブルーノ・マーズが見られるのは大サービスだという見方もできる、と常見は言う。一方、物書きの原稿料の単価は上がらない。IPで稼げる大御所作家なら初版部数を条件にできる世界もあるだろうが、書き手がギャラを上げてくれとはなかなか言えない。本来は言うべきだし、請求額が上がってもそれは収入アップというより経費アップの反映だ、とも述べた。

フリーランスブームは何度も繰り返す。2010年前後には、時間や場所の自由を得て働こうというノマドブームがあった。いまは雑誌もメディアも減り、編集者の間ではプレスラボの編集プロダクション事業終了が大きな影響を与えている。働き方や生き方は常に見直さなければならない。常見は、AIについても共存の可能性を探るのがひとつの答えだとし、仕事を奪うかどうかだけの議論ではないことが大事な論点だと述べた。

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50代のこれから——低空飛行で続けること

常見は52歳で、来年はデビュー20周年を迎える。誕生日の4月4日にはライブハウスを予約してあり、音楽と言論とグルメの祭典をやるつもりだという。健康に気を使っているので死ぬ寸前まで働いていると思う一方、3年ほど海外で暮らすなど一度休んでみたい気持ちもある。ただ休むと忘れられて戻ってこられないかもしれない。忘れられない生活ができるのはごく一部の人だけだろうと言いつつ、働くのではなく生きるだけの期間を大胆に設けたいとも語った。

ベストセラーで大儲けする夢もまだ捨てていない。デビュー当時は5万部がひとつの基準だった気がするが、いま読売新聞の「売れてる本」の欄で紹介される本には、1万部に届かず3刷程度のものもある。ただ、自分の理想は低空飛行だという。売れすぎて疲弊したり、過剰に叩かれたりするのは嫌だ。一方で、貧しくても幸せだというのは嘘だと思う派で、お金は中くらいに好きだという。

常見が例に挙げたのはフラワーカンパニーズだ。「ヒット曲なし、活動休止なし、メンバーチェンジなし」と自虐的に言いながら、熱狂的なファンがいて武道館を売り切れにする。常見自身は、インディーズのロックバンドやフリーランスのプロレスラー、全国を旅する踊り子のような感覚で活動しているという。影響力の大きいモーニングショーのような番組でも、小さな会場の講演でも、どの現場も大事にする。以前、台風が近づいていたこともあってイベントの参加者が会場で5人になったことがあったが、そういうときこそ全力のライブをやる。体を張って「やってるね」と言われながら続けていくのがいい、と常見は語った。