「なぜそうなるのか」を問い続ける労働社会学者・常見陽平が語る炎上、退職代行、働き方改革の矛盾
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜労働社会学者で働き方評論家の常見陽平は、テレビ朝日「モーニングショー」での発言をきっかけにSNSで話題になった。このインタビューでは、その騒動の経緯から、退職代行やキャンセル界隈といった現在の論点、幼少期に身近だった家族の死、過労死への関心、リクルートとバンダイでの会社員生活、大学教員になるまでの道のり、新刊『なぜリベラルは嫌われているのか』まで語っている。どの話題でも常見は、物事を良い悪いで断定せず「なぜそれが起こるのか」を様々な立場から考えることを自分の姿勢として繰り返し示した。
「モーニングショー」騒動の背景
騒動になったのは、就活や働き方を扱うコーナーだった。常見は、殺人事件の報道を毎日のように続ける放送局をどう思うかと、松岡アナウンサーに尋ねた。アナウンサーはにこやかにかわしたが、その場面が切り抜かれて拡散した。
聞き手も似た経験を話した。以前、プライベートな席で報道志望の20代の女性アナウンサーに会ったことがある。当時はジャニーズ問題が大きく扱われていたので、知っていても報じないことがあるのをどう思うかと尋ねた。彼女はまったく話さないわけではなかったが、言葉は出ていても意見は何も言っていないという、モーニングショーの場面に近い反応だったという。聞き手は、報道を志す若いアナウンサーでも1年ほどで組織の一員になっていくのだと感じたそうだ。
常見によれば、放送を生で見ていない人が多い中で、質問した部分だけが炎上の焦点として語られている。実際はその前から議論がこじれていた。番組は若者の働き方を「令和版にアップデートしよう」という方向で進んでいたが、常見がそれは違うのではないかと異を唱えたあたりから、スタジオの空気が張り詰めていった。一緒に出演していた弁護士や羽鳥慎一が「始まったよ」というような表情をちらっと見せたのを覚えている、と常見は話す。
そのあと「静かな退職」の説明に移った。常見はこの言葉が誤解されていると言う。自分から言われたことしかやらない、定時に帰るといった状態を指すが、冷静に考えれば必ずしも悪いことではない。そもそもなぜ残業しなければならないのか、言われたことをやっていれば合格点だろう、という話である。常見が重視するのはその背景だ。静かな退職はサボりではなく、「こんな会社やってられるか」という感覚から生まれる。コンプライアンス重視と言いながらパワハラが残っている、世の中の役に立つと言いながら下請けや調達先に大きな迷惑をかけている。そうした会社の方針と自分の考えの矛盾に直面した人が、辞めはしないが一生懸命にもやらないという態度を取る。その流れの中で、こういう報道ばかりする放送局をどう思うのかという問いが出てきた。その場で一番若手だった松岡アナに聞いた、というのが常見の説明である。
炎上の反応の変化と「取材しない記事」
当初、常見が松岡アナに質問したことについては、パワハラだ、セクハラだというコメントが多く寄せられた。しかし動画が広く拡散したあと風向きが少し変わり、女性から「よく言った」という声がかなり届いたという。常見は、性別を理由に仕事を限定したり「男らしくしろ」「男ならこれぐらいできるだろう」と言ったりすることは、相手の年齢や性別にかかわらず問題だという趣旨にも触れている。
常見が驚いたのは、本人に取材しないまま記事が出ること、切り抜き動画がこれほど拡散することだった。リアルタイムで番組を見ていた人の反応はほとんどなかった。昔の教え子や若い友人、同世代の知人から、SNSを開いたら常見が拡散されていて驚いたと言われたという。
研究テーマとしての「働き方」
常見は企業で人事を担当し、人材ビジネスにも携わった経験から、就職活動を研究してきた。最近は同僚の研究者と退職代行についての学術書を書いた。いま書き始めているのは「ホワイトハラスメント」についての本である。成長したいと思っている従業員に無理をさせないことで、かえって成長の機会を奪ってしまう問題を扱う。いわゆる「ゆるブラック企業」論、つまり成長の実感ややりがいが得られず、このままでは使えない人間になってしまうと感じて辞めるという議論の検証も含む。健康を保ちながら達成感ややりがいを持って働くにはどうすればいいかという本も準備しているという。
何が一番良い働き方なのかと聞かれた常見は、どの立場から見るかで異なると答えた。働く人も企業も一様ではない。仕事とプライベートのどちらを重視するかといった定点観測のデータにも意味はあるが、労働への価値観は二極化どころか多極化している。働き方改革とは、本人がどれだけ働きたいかと、会社や社会から何を求められるかとのせめぎ合いであり、その選択肢が増えている状態だというのが常見の見立てだ。
過労死やハラスメントが常態化した会社は良くない。そう前置きしたうえで常見は、なぜそうなるのかを考えるべきだと言う。社長がワンマンで暴君だという話で終わらせず、なぜ暴君になるのかを問う。株主からの過剰な要求があるのかもしれないし、採用に苦戦して副社長や部下が離れ、支える人がいなくなったのかもしれない。常見は、簡単に良い悪いを断定せず、多様な視点から捉えることを大事にしていると述べた。
退職代行をどう見るか
常見によれば、退職代行がメディアに出始めてからまだ10年経っていない。朝日新聞や日経に初めて登場したのは2018年ごろだ。昨年から今年にかけては「モームリ」を運営するアルバトロスに家宅捜索が入り、経営者が逮捕される事態もあった。常見はこれを、退職代行にマイナスイメージがついた局面だと見ている。もともと世間は、こんなものがなくても辞められるだろうという冷ややかな目で見ている。だからこそ、なぜこのサービスが存在し広がってきたのかを考えるべきだという。
常見は、退職代行で入社1ヶ月以内に辞める人が昨年の何倍になった、というウェブメディアの報道には注意が必要だと指摘する。3年以内離職率で見るとあまり変わっていない。若者は昔から3年で3割ほど辞めているし、半分以上が辞めるわけでもなく、皆が退職代行を使っているわけでもない。最初の1ヶ月だけを測った信頼できる調査はほとんどない。SNSで「1ヶ月で辞めた」という投稿が目立つことが、そうした印象を生んでいる。「何倍」という数字も、よく見ればある代行業者の中で利用者が増えたというだけの話で、社会全体の傾向を示すものではない。常見はデータの取り方の問題が大きいと見ている。
一方で、このサービスが求められる背景もある。辞めると切り出せない人がいる。人手不足のせいで、辞めないでくれという引き留めの面談がかなり過酷になっている。人が採れないので騙してでも採る会社もある。内定が出たからと入社したら、思っていたのとまるで違った。そのうえ辞めると言えば説教される。それなら代行に頼るだろう、と常見は言う。会社が好きなのに上司に言い出しにくい人もいれば、早く次のステップに移りたいという需要もある。もちろん退職代行を使わなくても辞められるはずで、代行を使わないと辞めにくい社会は良くない。それでも背景を捉えることが大事だというのが常見の立場だ。
聞き手が、退職代行を使った人は採りたくないと言う人もいると問うと、常見はそれは偏見だと答えた。昔から、すぐ辞める人は打たれ弱いから採るなという人や、転職歴の多い人をジョブホッパーと疑う経営者・人事担当者は一定数いる。だが早く辞めることは本当に悪なのか。求職者を巧妙に騙す企業は実際にあるし、心身が潰れてしまえばその後の人生に響く。辞めることは労働者の権利であり、むしろ先のことを考えているから辞めるという見方もできる。常見は、職業選択の自由や退職の自由が脅かされていたのではないかという見立てを示した。法律上やコンプライアンス上の問題と、サービスそのものの是非は分けて考えるべきだとも述べた。退職代行が「良い役割を果たしている」と言いかけたところで、その言い方は良くないと訂正し、「存在する理由はある」と言い直している。
大学教授と主夫の日常、「会いに行ける左翼」
常見は大学教授であると同時に、主夫として家事も担っている。取材当日も昼食の仕込みをしていて、途中で炊飯器のタイマーが鳴るだろうと話していた。大学に必ず行くのは講義と会議のある日で、時期によるが週3〜4日ほどだという。
X上で「会いに行ける左翼」と呼ばれることについて、常見はいまの社会を話が通じない社会だと捉えている。昔のように新聞社に入って記事を書いたり新聞に取材されたりしなくても、誰でも意見を発信でき、つながれる時代になった。その一方で意見の違いがあらわになり、分断が起きやすくなった。だから様々な人の話を聞くこと、会いたいと言う人がいれば会うことを大事にしているという。好奇心を大切にしていること、学生や若い編集者と会うと自分の考えが古くなり硬直していると気づくことも、その理由に挙げた。
「古い自分」の自覚——キャンセル界隈、新聞、ファストファッション
どんなところが古いと思うのかと聞かれ、常見は最近受けた「キャンセル界隈」の取材を例に挙げた。風呂キャンセルや食事キャンセルといった価値観は、生活者としての自分には無理でついていけない。ただ評論家としてはその背景に強い関心がある。若者の価値観の前に、時間がない、お金がないといった経済的な要因がはっきり影響していると常見は見ている。
情報収集も古いと自認する。趣味以外のYouTubeは一切見ず、頑固に新聞を読む。読売は紙で、ほかは電子版のビューアーで読んでいる。オールドメディアやマスゴミと言われるが、さすが新聞社という報道もある、と常見は言う。
服についても、ファストファッションは一切着ない。下着1枚、ハンカチ1枚も持っていないという。みんなが着ているから嫌だというのに加え、大量生産・大量消費のビジネスモデルに疑問がある。雇用を生み、快適な服を納得できる価格で提供していて、支持される理由はよく分かるとも認める。ファッションが嫌いな人、服を選ぶことに疲れた人こそファストファッションを支持しているのではないかという説にも触れた。それでも、それを着ている自分が想像できない。下着はポール・スミス、肌着はラルフ・ローレンと決めていて、それ以外を着るのが怖い。常見はこれを、古い人間だと解釈してほしいと笑った。
研究者一家と、身近にあった家族の死
常見は宮城県仙台市で生まれ、生後10ヶ月で札幌に移り、18歳まで札幌で育った。両親は北海道出身で、ともに西洋史学者だった。本がたくさんある家庭だったが、父は研究を続けながら脳腫瘍の闘病生活を送っていた。常見が小学5年生になった直後、父は39歳で亡くなった。
物心ついたころ、父はまだ歩けた。しかし次第に悪化して左半身が動かなくなり、常見が小学校に上がるころには寝たきりで入院したままになった。少年野球の帰りに自転車で病院に寄ることを繰り返していたという。父と一緒に暮らした期間はとても短い。それでも元気だったころの父は厳格な学者で、気難しい顔で本を読み原稿を書いていた。小学3、4年生のころ、離れて暮らす家族に手紙を書くという機会があり、父に手紙を出すと、非常に論理的で丁寧な返事が届いた。それが父が自分に書いた最後の文章だったのかもしれないと常見は振り返る。
母は非常勤講師を掛け持ちし、塾講師や家庭教師もこなしていた。常見が小学校後半から中学に上がるころに短大の教員に採用され、その後2度大学を移り、定年まで勤めた。外で教え、夜は論文や本を書く生活だった。そのため実際の育ての親は同居していた父方の祖母だったという。
家族の死は父だけではなかった。母方の祖父は常見が小学1年生のとき、祖父は小学3年生のとき、父は5年生のときに亡くなった。2年ごとに家族や親族が亡くなっていったことになる。幼稚園のころには、函館で牧場を営んでいた母の姉の夫が、常見たちが遊びに行った10日後に突然亡くなった。父が亡くなったときは、ずっと闘病しているものだと思っていたので驚いた。祖父も含め、あれが最後の食事だったのかと思い返したという。振り返ると、人の死が近くにある距離で生きてきた、と常見は語る。大学2年の1994年に村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を発売と同時に読んだときにも生と死の距離を強く感じた。育ての親である祖母が亡くなるころでもあり、いろいろ考えたという。
研究者の両親へのコンプレックス
研究者一家に育ったことは良かったと思う一方で、コンプレックスでもあったと常見は言う。両親の学問への姿勢は凄まじかった。小学生のころ、父は百科事典の用語解説を執筆し、本も出した。かっちりした文章を書くとはこういうことかと思ったという。父は非常に優秀だったらしい。こういう文化的で厳格な人たちのようにはなれないと感じていた。
いま妻と娘、妻とその親の関係を見て、ようやく親子とはこういう関係なのかと分かった気がする、と常見は話す。自分の親子関係は指導教官と教え子のようなものだったからだ。打ちのめされるような感覚があり、毎年本を出し、こうして取材を受けるようになったいまも、達成感や到達感がない。なぜ自分がここに座っているのか、なぜ自分の話を聞いてくれるのかと思う瞬間がよくあるという。
書くこと、音楽、そして過労死のドキュメンタリー
幼稚園のころには、探偵作家になりたいと書いていた。小説家や漫画原作者、当時華やかだったテレビの番組づくりにも憧れ、小学校では新聞係になった。昔から著者的な何かになりたかったのだろうと常見は言う。音楽も小学生のころから好きで、15歳で楽器を始め、高校時代はずっとバンドを組んでいた。ただ札幌南高校には、プロ並みのギタリストやボーカリストがたくさんいた。実際にその後プロになった人も何人かいて、自分の実力では無理だと思った。ところがコロナ禍が明ける前後から音楽熱が再燃し、ライブに通い、演奏もするようになった。いまやっているバンドのひとつが、ビルボードやブルーノートを小さくしたようなライブレストランのレギュラーバンドになりそうだという。うまくいけば2〜3ヶ月に1回ほど定期的に演奏してギャラをもらうことになる。幼少期にやりたかったことを巡り巡って一通りやっている人生だと常見は語る。
働き方への関心は10代前半からあった。4歳ごろから新聞を眺める子どもで、小学校前半からコーヒーを飲んでいた。80年代後半のある日、コーヒーを淹れようと降りていくと、つけっぱなしのNHKで過労死のドキュメンタリーが流れていた。「24時間働けますか」というCMの時代である。亡くなった人は自分がいないと会社は回らないと言っていたのに、倒れたその日も会社は普通に回っていた。番組はその様子を描いていた。会社とは何か、働くとはどういうことかと興味を持ったという。家族を病気で亡くしてきた常見にとって、仕事で、職場で人が死ぬということがまず驚きだった。高校時代には、6〜7年後には自分も働いているのではないかと考え、働くことに強く関心を持った。ブラック企業という言葉が2000年代後半にネットスラングとして生まれ、2012年に労働問題NPOの今野晴貴の著書『ブラック企業』がベストセラーになる、そのずっと前のことである。
社会学部から商学部へ、そしてリクルートへ
大学では2年生の前期ゼミで労働社会学とメディア論を取り、この2つがその後の人生に大きく影響した。一方で、1年生のときにたまたま受けた商学部の教員の講義が凄まじく、労働問題を専攻したいという思いよりもこの先生に学びたいという思いが勝った。常見は社会学部から商学部に転学部し、競争戦略論などのビジネス系ゼミに入る。遠回りだったが、経営の側から人材を見る経験、たとえば事業撤退や戦略変更といった判断を学んだのは貴重だったという。なりたくないと思っていた会社員に一度なり、15年間の会社員生活を送ることになったのも、この転学部がきっかけだった。
就職活動では、ゼミの専門を生かして広告代理店を志望し、エンタメ好きだったのでバンダイやソニー・ミュージックも受けた。しかし途中で、自分は何をやっているのかと悩んで一度就活をやめ、ゼミの活動に集中した。専門分野で特に優秀だったわけではなく、エンタメを本当に仕事にする覚悟があるのかも中途半端だった。その後、別の先生の紹介でリクルートの話を聞きに行き、面白い人が大勢いると感じた。何をやりたいかよりどうやりたいかが大事なのだと思い、当時のボトムアップでエネルギーに満ちた社風に惹かれて入社を決めた。
リクルート事件後になぜ会社が復活できたのかという問いに、常見は、事件から8年後に入社した自分の印象だと断ったうえで答えた。批判を受けながらも商品やサービスが企業や読者の役に立っていたため、取引は続いた。実はより深刻だったのは、金融・不動産・通信事業への投資による1兆円を超える借金だった。現場が利益率の高い新規事業を生み出し、稼ぎ頭を入れ替えてきたこと、現場にエネルギーがあったことが復活の理由ではないかと常見は見ている。
「ダメ社員」だった会社員時代と時間の使い方
常見は自らを「ダメ社員」だったと言う。ビジネスにこれほど前のめりな人たちがいるのかと衝撃を受けた。希望は企画や編集だったが、配属は営業だった。求められる成果やプロセスの水準が高く、当初はついていけず、優秀な成績は残せなかった。それでも数字やスケジュールの管理、断られたところからどう這い上がるかを学んだ。何より、優秀な人の近くで働けた。同じフロアにいた人が後にNTTドコモに転職して社長になったり、起業して上場させた人がいたりした。自分がダメだったというより周りがすごすぎた、と常見は振り返る。
いまのリクルートは持株会社や一部事業会社で週休3日に近い働き方やリモートワークを進めていると聞くが、当時は朝から深夜まで働く会社だった。小岩の独身寮に住み、0時46分発の津田沼行き終電で1時ごろ小岩に着く。そこから同世代の仲間と2時半まで中華料理屋で飲み、3時に帰ってまた出社する生活だった。常見はこれを美化も推奨もしないと強調する。ただ、原稿の締め切りが重なる、大学の講義やレポート採点をこなしながらライブに行きバンドの練習もする、といった掛け持ちをこなす時間管理の技や修羅場での発想は身についたという。
大学3年生を見ていても、時間の使い方がうまい学生とそうでない学生の差が出る。アルバイトも講義も頑張り、ハードなゼミに入っている学生ほど、就活や遊びを両立できるという。リクルートでは、年末の繁忙期に当時で何十万円も払ってホノルルマラソンに出る人、ワールドカップのたびに1ヶ月休む先輩、来日公演の日だけは6時に上がって東京ドームで見てから戻って仕事をする人を間近で見た。一方で、大学の課題とエントリーシート2社分が重なるとパンクしてしまう学生もいる。忙しくもお金がないわけでもないのに休めず遊べない人もいて、時間の使い方がうまくなることは大事だと常見は言う。
これに対し聞き手が、2年ほど過密労働を経験して時間の使い方を学び、その後は週休3日などで高いパフォーマンスを出すのが一番良いのではないかという自説を述べた。常見は、大きな負荷をかけたからといって必ずその後のパフォーマンスが上がるとは思わない、と答えた。
バンダイ、ベンチャー、大学院、そして大学教員へ
リクルートには8年半在籍した。30歳のころ人事制度が変わり、ボトムアップだった社風に上からの指示が増えたと感じた。同期が出世し始め、羨ましさや悔しさを覚えながらも、これは自分がやりたいことなのかと悩んだ。そこでバンダイと出会い、面白い社会人たちがいて、こちらにいたかったのだと思って移った。バンダイでは人事として、新しい商品やサービスを生み出せる人の採用、特に新卒採用にのめり込んだ。会社のブランドもあってメディアの取材が増え、2007年に著者デビューした。
もっと本格的に著述をしたい、大きな会社で小さいことをするより小さい会社で大きくやりたいと考え、融通を利かせてくれる先輩のベンチャー企業に移った。そこでも激務の傍ら書きまくったが、経験を書いているだけで考える枠組みがないという限界が見えてきた。同じころ、いくつかの大学から非常勤講師に誘われ、教えることは面白かったが収入は不安定だった。将来大学教員になれたらという思いもあり、38歳で会社を辞めて大学院に入った。年に7冊ほど本を書きながら、午前は大学院の講義に出て、午後は他大学で教え、講演やテレビ出演もこなす2年間だった。
その後、千葉商科大学の新学部立ち上げを機に、2015年から専任教員となった。2020年に准教授、2026年春に教授になった。著書は40冊以上で、来年はデビュー20周年になる。いまは共著も含め年2冊出る年もあるが、基本的には年1冊を丁寧に書きたいという。
新刊『なぜリベラルは嫌われているのか』
10月21日に星海社新書から『なぜリベラルは嫌われているのか』が出る。労働社会学者として労働者側、つまりリベラル側に立ってきた常見が、最近はリベラルから批判されるようになった。リベラルの中で分断が起きている。本来大事にすべき自由や寛容を捨てていないか。社会に響く言葉ではなく仲間内に響く言葉に振り切っていないか。労働者の味方のようでいて労働者からずれていないか。この本は、そうしたリベラルの問題を、労働社会学者の視点から、リベラルの立場から書いたものだという。
常見は部数にも触れた。デビュー作の初版は3000部、約20年後の今回は3500部だ。出版不況を感じる一方で、本はアーティストにとってのアルバムのようなもので、ネットの記事と違って時代ごとに残るものだと考えている。
リベラルが嫌われる構造について、常見は、社会やごく普通の人と向き合わず、様々な立場の声を聞いてこなかったのではないかと語る。書きながら浮かんだ言葉として「声を上げる前に声を聞くこと」を挙げた。聞き手も、自分の声を上げるために他者の声をかき消そうとすることがあると応じた。ブラック企業を悪と叩く前に、なぜ生まれるのか、なぜそこで働く人が一定数いるのかを考える必要がある。飲食や流通でブラックとされる企業は、安さと便利さを求める消費者や社会が生み出している面もある、と常見は言う。カスタマーハラスメントは肯定しない。それでも、その人自身も苦しい環境で働き、お金も時間も気持ちの余裕もないから過剰な要求をしてしまう、という連鎖を捉えたいという。
常見はプロレスとロックが好きで、特に空席の目立つ会場で真剣勝負をし、冷やかしの客を感動させて帰すような演者が好きだという。選挙の街頭演説でも、組織的に動員された聴衆より、通りがかりの人が自然に集まってくるほうに広がりがあると見る。新刊やメディアでの発言に、まったく知らない人が肯定であれ批判であれ反応しているのを見ると、届いていると感じる。YouTubeのコメント欄に書き込む人はかなり特別な人で、コメントしない人の琴線にどれだけ触れたかを大事にしているという。約24年前に出したという代表作『僕たちはガンダムのジムである』以来、ごく普通の人の幸せや声なき声を大事にしたいと考えてきた。
生活を大事にすることも強調した。住まいの快適さにこだわり、健康で文化的な生活としておしゃれもしたい。世代的な感覚だと断りつつ、人前に全身ユニクロで出てくる著者はどうかと思う派だという。美味しいものを食べ、作り、音楽を聴き、演奏する。人生を楽しむ人が1人でも増えればいいと常見は語った。
働き方改革の矛盾——しわ寄せは誰に向かったか
聞き手は自身の経験を話した。働き方改革の時期、テレビ業界で一番下のADとして働き、電通の事件のころには若手ディレクターになっていた。業界では「22時前に帰る」「22時以降の会議禁止」といったルールが増え、ADは楽になったが、その上のフリーランスディレクターの業務が大幅に増えたという。
常見は、働き方改革の矛盾をかなり見てきたと応じた。官僚や広報が頑張り、それに乗るジャーナリストやメディアが「この会社はこんなにうまくいっている」と伝える。しかしその会社から夜中にメールが来るではないか、なぜ突っ込まないのか、と常見は言う。定時退社できるようになったと言っても、その圧力は下請け、孫請け、フリーランスにかかっている。聞き手も、テレビ局員は局に遅くまで残れないため、深夜に制作会社にやって来て、制作側が総出で出迎えた経験を語った。
ハラスメント対策でも同じことが起きていると常見は指摘する。上司が厳しく指導すればハラスメントになるため、厳しい指導を研修会社に任せる。実際の上司は優しく振る舞い、新人研修の講師が人格を否定するようなことを言う。そういう研修を受けさせる企業はかなり悪いし、手を汚したくない仕事を外部に投げ、うまくいっているふりをするのは罪深い、と常見は言う。
いま労働時間の規制緩和の流れがあり、裁量労働制や労働基準監督署の指導のあり方を見直そうという動きがある。常見は、働き方改革はうまくいっていたのではなかったのか、というこの感想こそが大事だと言う。良い悪いやブラックだと断じるのではなく、物事には必ず副作用があるので、その影響を考えることが物事を見るということだと述べた。聞き手も、10年ほど先にフリーランスになった人たちから、ギャラは変わらず労働だけ増えたとよく聞いたと話している。
「新しい生き方」が覆い隠す貧しさ
常見は、物価と賃金がともに上がるスパイラルを目指したのに、結局物価だけが上がり、賃金が上がったのはごく一部ではないかという矛盾も挙げた。そして常に警鐘を鳴らしているのは、「これが新しい働き方だ」「新しい生き方だ」と言われるものが、単に貧しさや苦しさを覆い隠しているだけではないか、という点だという。
その例がキャンセル界隈という言葉の危うさだ。若者がコスパで狭いマンションを選び、それが流行っているという記事がある。常見はこれを、過去のフリーランスブーム、ノマドブーム、フリーターブーム、派遣ブームと似た問題だと見る。自分で選んでいるのだろうという自己責任論が背景を覆い隠すが、実際には時間や余裕のない社会になっている。聞き手が貧困ということかと問うと、常見は同意した。狭いマンションが「新しい小さな幸せ」として描かれていても、実際は選ばざるを得ないのだろうという。常見は戦時中の国への奉仕といった言葉も引き合いに出し、美しい言葉や新しいスタイルを装いながら、貧しさや格差を受け入れさせるものになっていないかと問う。自分が強く生きていくために作った言葉なのかもしれないが、と付け加えたうえでだ。
Uber Eatsのようなサービスはある種の自由をもたらしたが、プラットフォーマーの上で踊らされ、貧しく大変な人を増やしていないか。スキマバイトも同じで、新たな幸せや可能性とともに新たな貧しさや苦しさが生まれていないかに自覚的でありたい、と常見は述べた。
フリーランスの単価とライブチケットの値上がり
常見自身も、大学の外の仕事は会社を持たず個人で請けるフリーランスである。フリーランスの待遇改善といっても、恩恵を受けるのはごく一部の売れっ子だ。その売れっ子にしても、案件が増えただけで単価は上がっていないのではないか、と常見は突っ込む。単価も案件も増えて初めて本当の売れっ子だろうという。
比較としてライブのチケット代を挙げた。値上がりには複雑な事情がある。コンサートスタッフやミュージシャンの生活を支える人件費、会場費、エネルギー費、移動費が上がっている。東京ドームで2〜3万円と言っても、アメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでは300ドルからだったりする。そう考えれば、2万円台でブルーノ・マーズが見られるのは大サービスだという見方もできる、と常見は言う。一方、物書きの原稿料の単価は上がらない。IPで稼げる大御所作家なら初版部数を条件にできる世界もあるだろうが、書き手がギャラを上げてくれとはなかなか言えない。本来は言うべきだし、請求額が上がってもそれは収入アップというより経費アップの反映だ、とも述べた。
フリーランスブームは何度も繰り返す。2010年前後には、時間や場所の自由を得て働こうというノマドブームがあった。いまは雑誌もメディアも減り、編集者の間ではプレスラボの編集プロダクション事業終了が大きな影響を与えている。働き方や生き方は常に見直さなければならない。常見は、AIについても共存の可能性を探るのがひとつの答えだとし、仕事を奪うかどうかだけの議論ではないことが大事な論点だと述べた。
50代のこれから——低空飛行で続けること
常見は52歳で、来年はデビュー20周年を迎える。誕生日の4月4日にはライブハウスを予約してあり、音楽と言論とグルメの祭典をやるつもりだという。健康に気を使っているので死ぬ寸前まで働いていると思う一方、3年ほど海外で暮らすなど一度休んでみたい気持ちもある。ただ休むと忘れられて戻ってこられないかもしれない。忘れられない生活ができるのはごく一部の人だけだろうと言いつつ、働くのではなく生きるだけの期間を大胆に設けたいとも語った。
ベストセラーで大儲けする夢もまだ捨てていない。デビュー当時は5万部がひとつの基準だった気がするが、いま読売新聞の「売れてる本」の欄で紹介される本には、1万部に届かず3刷程度のものもある。ただ、自分の理想は低空飛行だという。売れすぎて疲弊したり、過剰に叩かれたりするのは嫌だ。一方で、貧しくても幸せだというのは嘘だと思う派で、お金は中くらいに好きだという。
常見が例に挙げたのはフラワーカンパニーズだ。「ヒット曲なし、活動休止なし、メンバーチェンジなし」と自虐的に言いながら、熱狂的なファンがいて武道館を売り切れにする。常見自身は、インディーズのロックバンドやフリーランスのプロレスラー、全国を旅する踊り子のような感覚で活動しているという。影響力の大きいモーニングショーのような番組でも、小さな会場の講演でも、どの現場も大事にする。以前、台風が近づいていたこともあってイベントの参加者が会場で5人になったことがあったが、そういうときこそ全力のライブをやる。体を張って「やってるね」と言われながら続けていくのがいい、と常見は語った。
こんにちは。ありがとうございます。感激でございます。あ、こっから撮ってる。いいですか? はい、すいません。よろしくお願いいたします。じゃ、お邪魔します。よろしくお願いします。こちらです。
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常見さんがモーニングショーで炎上してるので、存在を知って。あ、そうですか。でも僕、プライベートで常見さんと似たような状況になったことあって。要は、モーニングショーの炎上って、就活、働き方とかについてのコーナーを常見さんがやってて、「テレ朝がこの京都の殺人事件を毎日のようにやってるのってどうなの」みたいなのをアナウンサーに聞いたじゃないですか。で、アナウンサーがニコニコしながらかわすみたいなシーンあったじゃないですか。
たまたま女性アナウンサーと男性バラエティースタッフみたいな、何人かの会になぜか呼ばれたことがあって。そこに女性アナウンサーで報道志望みたいな人がいて。当時ジャニーズ問題もあったから、報道志望の女性アナウンサーからしても、ジャニーズ問題とかを知ってるけど取り上げないみたいな、物によっては報道できないものとか、どう思ってるんですかって、ぱっと聞いたことある。そういう席で聞いたんですね。なるほど。
そしたら、全く喋れないってことはなかったんですけど、まさにモーニングショーの女性アナウンサーみたいな反応。言葉は喋ってるけど、何も意見言ってないなみたいな。なるほどですね。あれを見て、20代の報道志望の女性アナウンサーでも、もう1年とか経ったら、こう組織になってくんだなみたいな。
モーニングショーって、多分皆さん、生で見てなかったと思うんです。背景として、実は松岡アナにああいうことを聞いたってことが、そういうふうに取り上げられたり、聞かれたり、それが炎上のポイントだって言われるんですけど。これから若者の働き方とか、令和の働き方をアップデートしようよっていう話をしようとしてるんだけれども、それは違うんじゃないかみたいなところから、会場の雰囲気がピリピリし始めて。実はそこでもうすでにこじれてるんですよ。一緒に出演してた弁護士さんとかは、羽鳥慎一さんの「え、なんすよね」が始まったよ的な表情をちらっとしたのを、ちょっと強烈に覚えてるんですけれども。
それから静かな退職って概念の説明になって。静かな退職ってすごく誤解されてて、要するに今言った状態としては、自らの意思で言われたことしかやらないとか、定時に帰るとか。これ自体って、まず冷静に考えると、悪いことじゃ必ずしもないってことで。なんでそもそも残業しないといけないんだよとか、言われたことやってたら合格点だろって話なんですけれども。
なんでそういうふうに静かな退職をするかというと、別にそれはサボってるわけでも何でもなくて、その背景の考えが大事で。「こんな会社やってられるかよ」ということで。色々きれい事言ってるけれども、やっぱりすごく矛盾したことやってないかとか、偽善じゃないとか。例えば、コンプライアンス重視ですよって言いつつ、パワハラまだ残ってるぞとか。世の中に役立つぞと言いつつ、下請け企業とか調達先にすごい迷惑をかけてるみたいな会社ってあるじゃないですか。
実際は静かな退職ってことを考える時に、そこで会社の方針と自分の方針というか、考えの矛盾みたいなものがあって。「こんな会社だったら、辞めるわけじゃないけれども、一生懸命やらないよ」っていう。その過程で、例えば出たのが、「こんな京都の報道ばっかりやる放送局、どう思ってるんですか」っていう流れで。松岡アナがそこにいて、一番若手だったから、そこで聞いたっていうところなんですよね。
当初、松岡氏に言ったことについては、「常見、それはパワハラだ」とか「セクハラだ」みたいなコメントが結構飛んでたんですね。なんですけど、後で動画が拡散してから若干潮目が変わって、女性の方からの「常見、よく言った」が結構来たんですね。
確かに今、セクハラって多様なんですけれども、やっぱり性別に起因して差別される。「女性にはこれしか仕事あげないよ」とか、「お前、男らしくしろ」って立派なセクハラなんですよね。「男だったらこれぐらいできるだろう」みたいなことを、年上だろうが年下だろうが、男性からだろうが女性からだろうが言われると、それは問題だよねということで言われてたりしていて。田中さん批判みたいな声がものすごく多くてね。
今時の言論空間、しかも、こういう取材しない記事って出るんだとか、いわゆる切り抜き動画って拡散するんだとか。だから、「見てたぞ」ってリアルタイムで見てた人の反響コメントって、あんまりなかったんですよ。結構、昔の教え子たちとか、若い友人たちとか、同世代の人も、「SNSたまたま開いたら常見が拡散してて、びっくりしたぞ」みたいな、そんなこと言われたりしましたかね。
常見さんは大学の教授で、働き方とかの専門? そうです。私は労働社会学者で、働き方の評論家で。元々自分が企業で人事してたりとか、人材ビジネスをやってた関係で、就職活動の研究だとかをしてたんですけども。例えば最近、同僚の先生たちと書いた学術論文では、退職代行の研究の論文を書いたりとか。
今書き始めてる本が、ホワイトハラスメントと言って、従業員が成長したいと思ってるのに、無理をさせない結果、成長する機会を失うみたいなこととか。今言われている、ゆるブラック企業論って言葉があるんですけれども、成長する実感、やりがいがまるで感じられないと、このままだったら自分が使えないやつになるんじゃないかということで辞めるみたいなことで。ある意味、そのブラック企業論の検証みたいな本だとか。じゃあ、ちゃんと健康を保ちつつ、達成感、やりがいを持って働くにはどうすればいいかみたいな本を今書き始めてますね。
じゃあ結局、何が一番いいとされてるんですか、今のところ。何がいい働き方なのかってことって、どの立場で見るかによって異なる。もっと言うと、働く人も企業も一様じゃないってことに気づいた方がいいと思うんですよね。どういうことかというと、「仕事かプライベートか」みたいなのってあるじゃないですか。あれはあれで定点観測してるデータで、全く価値がないわけじゃないんだけれども、今、特に労働に対する価値観が非常に二極化どころか多極化してると思うんですよね。
働き方改革と言ってるけれども、本人がどれだけ働きたいかってことと、会社、社会からどんなことを要望され、要求されるかってことのせめぎ合いであって、そこの選択肢が増えてる。そして、ブラック企業というか、過労死するとか、人がバタバタ倒れるとか、ハラスメントが常態化してる会社っていうのは良くないと思うんですけれども、なぜそんなことが起こるのかってことを考えないといけないと思うんですよね。
この社長がワンマンで、暴君だからみたいな話になるけれども、じゃあなぜ暴君になるのかってことを考えないといけない。株主からの過剰な要求があるんじゃないかとか、採用に苦戦していて、腹心の部下たちが離れていったりして、彼の周りで支える人がいないからじゃないかみたいな観点もあったりするんで。僕自身は、なんでそんなことが起こるのかってことを、どっちがいいとか悪いとかじゃなく、様々な視点から見るってことを大事にしてますね。
別にいいとか悪いとかって決めずに、現状を捉える、把握することですか? そう。僕、そこで言うと何を取るかって話なので、簡単に良い悪いって断定しちゃいけないなと思うのが、私の考えですね。
さっきおっしゃってた退職代行については、2026年現在、どういう影響を世の中にもたらしているの? そこで言うと、まず退職代行っていうのがメディアに出始めて、今年でまだ10年経ってないんですよね。朝日とか日経とかに初めて退職代行が出たのって、2018年ぐらいなんですよ。
去年から今年にかけて、モームリっていうサービスを運営するアルバトロスに家宅捜索とか、経営者逮捕みたいなことがあって、非常に今、マイナスイメージがついた局面だなというところでございますけれども。退職代行は、言ってみればみんなまだまだ奇異な目で見てると思うんですよね。こんなものなくても辞められるんじゃないかとかね。こんなこと頼んだら、ということなんだけど、とはいえ、なぜサービスが存在し、広がってきたかっていうことだと思いますね。
Webメディアだとかのニュースで、退職代行で入社して1か月で辞める人が昨年の何倍に、みたいなニュースがあるんだけれども、あれも実は結構気をつけて見ないといけないなってことを今回書いていて。3年以内の離職率という指標で見ると、あんまり変わんないんですよね。最初の1か月だけの測定って、なかなか信頼できる調査がないってのが実態でございまして。
正直、WebメディアとかSNSで、「こいつ1か月で辞めたぞ」みたいな、「1か月で辞めたった」みたいな投稿が目立っていて、そういう印象を与えてるだけで。言うても若者って昔から3年で3割ぐらい辞めるし。ただ極端にみんなが、半分だの全員だのがもちろん辞めるわけでもなく、しかも退職代行を使って辞めてるわけじゃないよねってこと。
あの手の報道のちょっと気をつけないといけないところって、退職代行で辞めた人が何倍って言うんだけれども、よくよく見ると、その会社の調べによると、モームリを使って最初の1か月で辞めた人が昨年の何倍ってことで。その会社の中での利用者は増えているものの、世の中全体で、実はそんな辞めてないってなったら、また話が変わるじゃないですか。
ただモームリが成長してただけの話ですもんね。そういうこと。だからそれってデータの取り方の問題のところは、相当あるんじゃないかっていうこととね。
2社あって、その作った人を2人とも取材したことあって。そんなに世の中が言うほど、悪いもんじゃないんじゃないかっていうふうに個人的には思ってるんですけど。辞めるってことを切り出せない人たちがいるっていうことと、人材不足が続いているので。
今、例えばいわゆる慰留って言いますかね。要するに、辞めないでくれっていう面談がかなり過酷に行われるようになってるっていうことがあったりするし、人が取れないから騙してでも取るみたいな会社が存在するのも事実なんですね。ここで決まったからいいやと、そこに入ってしまう人もいるということで、半ば騙された状態なんだけれども。そこでガチガチに、思ってたのと違って、切り出して、この人たちに「なんで辞めるんだ」みたいに説教されるの嫌だから、そりゃ頼るでしょうさ、みたいなこともあるわけで。
中には、退職代行を使う人って、とっても仲のいい佐藤課長とか、田中主任に切り出すのが怖いとか、とても会社が好きであるのに、とても言いにくいだとか。それで退職代行を使おうという。あと、次のステップに向けて早く次のことを考えたいってニーズも捉えてたりするということですね。
言うまでもなく退職代行を使わなくても辞められるし、逆に言うと、代行を使わないと辞めにくい社会って良くないなと思うんですけれども、その背景を捉えるってことが大事だと思いますね。
「退職代行を使った人なんて取りたくないです」みたいなこと言う人いるじゃないですか。それ使っただけで、会社で役に立たない存在って決めつけるのって、なかなか乱暴かなって。それは全くおっしゃる通りで、それ自体が本当、偏見だなというところがすごくあって。
その説って昔から近いものがあって、例えば会社入ってすぐ辞めるやつは打たれ弱いんだ、だから絶対取るな、みたいな人たちとか。今も確かに転職歴多い人って、ジョブホッパーじゃないかって疑う経営者だとか人事の人って一定数はいるんですけれども。ただ、ちょっと考えてみたいのが、早く辞めることって本当に悪なのかっていうことで。実際に本当に巧妙に求職者を騙すブラック企業というか、騙してでも取れみたいな会社があったりするし。
働いていて、そこで完全に心身ともに潰れてしまうと、その後の人生に影響しますよね。別に働かなくても影響しますよね、健康な生活に。辞めるってことって労働者の権利なんじゃないかとか、むしろ次のことを考えてるから辞めるんじゃないかっていう見方もできるから。「辞めたやつなんか取るな」っていうのは、あまりに短絡的なんじゃないかなというふうには見えますよね。
むしろ、いわゆる職業選択の自由、退職の自由が脅かされていたんじゃないかって見立てで見ているというところで。その視点は、なかなかユニークな捉え方なんじゃないかなと思ってますね。
このサービス、もちろん名前聞いて、今までないもので、ストレートな言葉で言うと、うさんくさいとかっていうふうに思うかもしれないけど。それでも、なんでこういうサービスが存在するのかってことは立ち止まって考えないといけないし、摘発された時に、法律上の問題とかコンプライアンス上の問題ってことと、そのサービスの是非っていうのは分けて考えないといけないなって思いますよね。
労働社会学的には、退職代行自体はいい役割を果たすかと思う。ごめんなさい、いい役割って言い方良くないですね。すいませんね。今の問題ですけれども、要するに退職代行サービスが存在する理由はあるっていうことですよね。そういう言い方になりますわね。
常見さん自体、大学教授やりながら主夫業もやってらっしゃるんです? まさにそうですよ。今日、そこで昼の料理を仕込んでて、あそこで途中、多分タイマー炊飯が始まると思うんですけれども。タイマー炊飯。
大学には週5で行くわけじゃないんですか? 必ず行かないといけないのが講義がある日と会議がある日ってことで、大体週2、3日、3、4日ぐらい。時期にもよりますよね。
Xは「会いに行ける左翼」みたいな。それは? 会いに行けるっていうか、そういうニュアンスです。話が通じない社会になってると思うんですよね。別に昔みたいに新聞社に入って記事を書くとか、あるいは新聞に取材されるとか、そういうことしなくても自分の意見を発信したりとか、つながる時代になってるんだけれども、意見の対立が顕になって。やっぱり分断のようなことが起こりやすくなってるっていうところなんですけれども。
やっぱり様々な人の話を聞こうっていうこととか、会いに行きたいって言ってる人がいたら、じゃあ会おうかみたいなことは、すごく大事にしていて。自分自身がものすごい好奇心を大事にしてるんで、どっかに面白い人いないかなみたいなことはすごく大事にしてるし。気をつけないと、学生と会ってても若い編集者と会ってても、自分の考えってすごく古くなってるな、硬直化してるなと思うので、できるだけ人と会う機会は大事にしてますね。
どんなところが古いと思うんですか? ちょうど今、まるまるキャンセル界隈みたいなことに関する取材を受けたんですよ。風呂キャンセル界隈とか、食事キャンセルとか、色々あって。その手の価値観って、自分は観察対象としてもちろん背景を探るんですけれども、一生活者からすると、自分は無理なんですよね。お風呂キャンセルしたりとか、朝食キャンセルしたりとか。その手のことで、一生活者としては乗れないなとか、ついていけないなみたいなことがある。
ただし一方で僕は評論家だから、なんでそういうふうに、例えば食事キャンセルとか、風呂キャンセルになるのかって背景にはとても興味があって。そこで若い人たちの価値観とか、価値観の前に、やっぱりそこに明確に経済的事情というか要因が影響を与えるんですよね。時間がない、お金がないとか。そういったことはもちろん探るんだけれども、自分自身はそこで古くなってるなと思ったりとか。
YouTubeチャンネルに出てあれなんですけど、自分では趣味以外のYouTube、一切見ない人なんですよ。情報収集の手段って、僕、頑固に新聞なんですよ。読売だけは紙で取らざるを得ないから紙で読んでて、他は電子版で読んでるんですけれども、電子版のビューアーで読んでるんですけれども。よくオールドメディアとかマスゴミって言われますけれども、いやいや、さすが新聞社と言われるような報道してるんですが。情報収集の手段とか生活スタイルとかって古いと思いますよ。
例えば、娘は違うんだけれども、僕自身はファストファッション一切着ない人なんですね。ユニクロ、ZARA? 一切。下着1枚、ハンカチ1枚持ってない人なんですよね。それは絶対着ないんですか? 絶対着ないですね。じゃあ紛れてたら捨てますか、仮に。捨てます、捨てます。へえ、なんでですか?
やっぱりみんなが着てるから嫌なんですよね。みんなが着てるから嫌っていうか、もっと言うと、ファストファッションってビジネスモデル自体が成立するのもよく分かるけど、結構疑問も抱いてるしね。どういうところに疑問? やっぱり大量消費、大量生産っていうところで、果たして。ある意味、世の中をハッピーにしてる部分もあると思うんですよ。雇用も生み出してるし、いわゆる快適な服装を納得感のあるお値段で提供してるっていうことで、みんな支持してるし。
実はファッションが嫌いな人がファストファッションを支持してるんじゃないかって説って。このブランドの新作が出たとか、このデザイナーがどこどこの高級ブランドのチーフデザイナーに就任したとかっていうので熱狂するの、ごくごく一部の人で。みんなファッションを選ぶことにすら疲れてるんじゃないかみたいな話があってね。ファストファッション着てる自分が全く想像できないんですよね。
靴下とかパンツぐらいだったらいいんじゃないかと思っちゃうんですけどね。そっか。嫌ですね。言うてもそんな高級ブランドじゃないけど、これもルーチンで、必ず下着は、パンツはポール・スミスで、下着のシャツはラルフ・ローレンで。下着のシャツはラルフ・ローレン。そう。靴下が結局今、エンポリオ・アルマーニとラルフ・ローレン率が高いのかな、みたいな感じで。やっぱりそれが気に入ってるし、これ以外着るの怖いなって感じですね。
へえ、そうなんですね。古い人間だなってことで解釈してほしいんですけど。常見さんはどこで生まれてるんですか? 僕、生まれたのは宮城県仙台なんですけど、10か月で札幌に移ってて。元々両親が北海道の人で、両親とも歴史学者なんですね。西洋史学者で、札幌で18歳まで育ちましたね。
だからめちゃくちゃインテリ家系なんですね。そういうことになるんですかね。でも、そこって自分の様々な生き方に影響する一方で、コンプレックスでもあり。生まれた途端、書斎に洋書というか、本がいっぱいある家庭で育ったし。ただ父が、研究しながら闘病生活も送ってたんですよね。脳腫瘍だったんですよ。
父も幼少期の頃に脳腫瘍? そう、だから僕はまだだったんですよ、父は。僕が小学校5年生になった途端に亡くなったんですけれども、39歳でね。それでずっと父親のいない家庭で。母はその後、結局僕が小学校後半、中学上がるぐらいに、大学教員というか短大に採用されて。その後、大学の先生をして、定年退職まで大学で働いたんですけれども。
教授って、試験っていうか任命式って感じですか? 大学から認められる? それは要するに大学で募集があって、そこに応募して採用されるか、されないかっていうので。母は非常勤講師を掛け持ちして働いてたんですけれども、塾の先生とか、家庭教師とかもやって、いろんな仕事を掛け持ちしてたんですけれども。私が小学校後半、中学上がるぐらいに短大の先生になって、そこから大学を2回ぐらい移籍して。
じゃあお母さんは、子供の常見さんから見て、とんでもない量働いてるんですか? すごい働いてましたね。外に出て教えて、夜帰ってきたら論文書くみたいな感じで。どちらかというと育ての親って、そういう意味では祖母が同居してたんで、父方の祖母が母親みたいな感じで、いつも一緒にいてね。
お父さんの、物心ついた時ぐらいの状態はどんな感じなんですか? 物心ついた時は、杖ついて歩けたんです。だんだん悪化していって、要するに半身不随で、左手が動かない、左足も動かないみたいな状態になったのかな。僕が小学校上がるぐらいに寝たきりで、ずっと病院みたいな。家にも帰れないって状態になって。だからよく少年野球の帰りに、自転車で父のいる病院に顔出したりとかってこと、結構繰り返してたりしましたね。
お父さんは、どちらかというと強くて怖い存在っていうより、少し助けてあげなきゃいけない。そうです。そうなんだけど、父親って11年、しかも一緒にちゃんと住んでた時代がとても短いんだけれど、生きて、ちょっと元気だった時はやっぱり厳格な学者だったなみたいな。いつも気難しい顔して、本読み、原稿書いてるみたいな。
すごくよく覚えてるのが、小学校3、4年生かな。離れてる家族、親族にお手紙を書こうって、父にお手紙を書いたら、ものすごく論理的で丁寧な文章が返ってきたのを覚えていて。ただ言ってみれば、あれが父が私に対して書いた最後の文章だったのかなというふうに思って。その1年後、2年後に亡くなるんでね。
亡くなった時の気持ち、どんな気持ちなんですか? やっぱりびっくりしましたね。ずっと闘病してるもんだと思うんだけど、亡くなるんだっていうふうに思って。しかも小学校5年生になった時で、結構多感な時期だったからね。そうかってことで色々思い出して。祖父も小学校3年生の時に亡くなったんだけど、祖父も含めて、あれが最後の食事だったんだとか、色々思い出しちゃってね。そんなことがありましたね。
2回連続で、一緒に住んでる家族が亡くなるって、死ぬとかに対して? やっぱりびっくりしました。死ぬってこういうことなのかっていうか、今までいた人がいなくなるんだと思って。もっと言うと、母方の祖父も小学校1年生に入ってすぐ亡くなってて。1年生、3年生、5年生って、2年ごとに家族、親族が亡くなってくっていう。
もっと言うと、幼稚園の時に結構ショックだったのが、母の姉夫婦が函館で牧師をやってる人だったんですね。母の姉の配偶者が、僕らが遊びに行った10日後に突然亡くなって。振り返ってみると、確かに人の死が近くにある距離で生きてきたなっていう。
大学2年生の時に、94年に村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』が何冊かに分けて発売されてね。リアルタイムで買って読んでて、生と死の距離みたいなことを非常に感じてたような気がして。その頃は一方で、育ての親と言っていい祖母が亡くなる頃でね。結構色々考えちゃったなっていう感じですよね。
インテリ家系であることが、良かったなと思いつつコンプレックスみたいなこと言ったじゃないですか。コンプレックスってどういうこと? コンプレックスっていうか、父も母もやっぱり学問に向かう姿勢が凄まじいわけですよ。ここまでやるんだみたいなことだとか。小学校ぐらいに、父が書いた文章が百科事典に載ったんですよね。
何かの用語説明してる? そういうことです。108点の用語説明っていう、なかなか極めて大変な仕事をやっていて。母がその頃、本を出したのが僕が小学校の時だったんです。その時に、リジッドというか、かっちりした文章を書くっていうのはこういうことなのかっていうことでね。どうやら父は本当に優秀だった人らしくて、北大の文系の分類っていうのかな、首席合格だったのかなとか。
逆に、これだけ文化的で、ある意味厳格な人たちには、僕はなれないなと思って。今、娘と妻の関係とか、妻とその親の関係を見てると、親子ってこういう関係なんだっていうのが、やっと分かったような気がして。やっぱり指導教官とその教え子みたいな親子関係だったんですよね。
じゃあそれで言うと、自分の親に対してコンプレックスになってるんですか、さっきの言い方。ある意味そうですよ。こうはなれないなっていうような、打ちのめされるような感覚。おかげさまで、こういう取材していただいたりとか、毎年1冊ぐらい本出したりとかしてるんだけど、やっぱり僕、ずっと達成感、到達感がないんですよ。
なんで僕ここに座ってるんだろうと思う瞬間があって。なんで僕なんかの話を聞いてくれるんだろうっていうことを感じることがよくあってね。ものすごいな。やっぱり届いてない、到達できない感をずっと抱きつつ、こういう大学の教員とか、評論家活動とかやってますよ。
そういう家にいて、本とかをすでに小学生ぐらいから将来書きたいなって思ってる感じなんですか? そうです。幼稚園からそうです。七夕の短冊に「作家になりたい」ってひらがなで書いてあるんですよね、確か。どういう、小説家? 小説家になりたい。どちらかというと小説家ですよね。
とか、漫画の原作とか、そういう仕事をしたいなと思ってたことがあって。何か自分の書いたもので世の中変えたいなとか、とにかく表現したいなと思ってて。あるいは当時テレビも華やかだったから、テレビ番組作りたいなみたいな思いもあったんだけど。本当に将来、著者になりたいって思っていたし、小学校とかでも新聞係とかになると思えたし。よく考えると、やっぱり昔から著者的な何かになりたかったんだなって気はしますよね。
著者的な何かが、小中高って上がってくると、ちょっと変わってくんですか? 何か自分で調べて考えて伝えたいとかね。やっぱり一方で、小学校の頃から音楽が大好きで、何か表現したい、伝えたいって衝動はずっとあったんでしょうね、多分。
別に「バンドでデビューしようぜ」っていうような感じではなかった? でも、それで言うとバンドはやってたんですよ。15歳から、中学校から楽器始めて。高校時代はずっとバンドやってたんですけれども、ただその時の高い壁がやっぱりあってね。札幌南高校という、進学校というか、勉強ができるだけじゃなくて、何かできる人が集まる高校だったんですね。
それで、プロかっていうぐらいうまいギタリスト、ボーカリストとかがいっぱいいて、実際、彼らはその後プロになった人が何人かいるんですよね。同級生とか前後の代でね。バンドブームみたいな世代ですか? ちょうどバンドブームです。やっぱり自分の実力じゃ無理だなと思ってたんですけれども。
ここ数年、コロナが明ける前後ぐらいから音楽熱が高まって、いろんな規制も緩和されてるからライブを見に行こうみたいな形で、めちゃくちゃライブに行くようになったんですよ。ライブハウスに行くと、音楽を演奏する方も高まっていて。やってるバンドの1つが、ライブレストランのレギュラーバンドになりそうなんですよね。
ライブレストランがあって、簡単に言うとビルボードとか、あるいはブルーノートのミニチュアみたいなもんで。音楽の生演奏があって、お酒や食べ物の提供があるってところなんですけど。そこで演奏するバンドの1つに選ばれそうで、うまくいくと月に1回か、2、3か月に1回ぐらい、定期的にそのライブレストランで演奏して、ギャラもらうみたいな感じになりそうで。
プロって、プロですね。それでお金もらったら。そうですね、プロですね。結局、幼少期にやりたいって思ってたことは、今、巡り巡って一通りやってる人生ですよね。
この働き方みたいなことに興味は昔からあったんですか? 10代前半からありましたね。早い。4歳ぐらいから新聞を眺める子だったんですよね。新聞読むのが好きだったし、ニュース読むの、見るのが好きだったし。たまたま僕、小学校時代の前半ぐらいからコーヒーを飲んでる人だったんで。
小学校前半からコーヒー飲んでるんですか? コーヒー飲んでるんですよ。コーヒー大好きな子だったんで、良くないと思いつつ、カフェインは取らなきゃと思って飲んでたんで。ブラック? その頃はさすがに砂糖とミルクも入れてたんですけど。
たまたまコーヒー飲もうと思って、居間に下りていったら、ちょうどNHKがかけっぱなしになっていて。80年代後半で過労死のドキュメンタリーやってたんですね。過労死。80年代って、「24時間働けますか」のCMの時代ですか、それ。そう、CMの時代。その時代の前後に、一方で過労死が社会問題になっていて。
なんで会社で人が死ぬんだろうとかね。しかも、その過労死した人は「僕がいないと会社は回らない」っていうふうに言ってたんですけれども、彼が倒れたその日も会社は普通に回っているみたいな描写があって。会社って何なんだろうとか、働くってどういうことなんだろうって興味を持って。
自由な高校だったからこそ、逆に、ちょっと待って、これから高校出て大学出たら、6、7年後には僕、働いてるんじゃないかとかって、10代の半ばぐらいの時に思ってね。そこで強烈に働くということに興味を持ち、大学でも前半は労働社会学のゼミに入り、後半、実は転学部して商学部に行くんですけど。その後、人材ビジネス会社のリクルートに入るんですが。
一貫していろんな立場から働くってことを見つめてきたし、様々な立場で自分自身も働いてきたということで。なぜそれでも働くんだろう。もっと言うと、今、農業とか、いろんな働き方、生き方があるんだけど、なぜ企業で働くんだろうっていうのが、私にとってずっと関心のあることで。
過労死のドキュメンタリーにちゃんと衝撃を受けてるって、小学生時代に4人ぐらい立て続けに家族亡くなってるとかも影響してるんですか? 影響しましたね。やっぱり人が死ぬってことが身近にあった人生を送ってきたんでね。うちの家族は病気で亡くなっていってるんだけれども、だけど仕事で亡くなるんだ、職場で亡くなるんだってことにね。
病気で亡くなってないことに、まずちょっと驚きがあるんですね。そうです。一方で、自分自身も会社を経験した時とか、今、著者としてもそうだけど、頑張ってしまうこの社会というか会社というか、そういったものにやっぱり関心を持ってね。
関心持った頃には、ブラック企業みたいな言葉ってないです? そうです。ブラック企業自体は、2000年代の、しかも後半ぐらいからネットスラングで出てきてね。2012年に労働問題NPOのPOSSEの今野さんが『ブラック企業』っていう本を出し、それが大ベストセラー、20万部とか超えたはず。確か新語・流行語大賞にもノミネートされたりとか。そういったことが話題になりましたけど、ブラック企業って言葉がないんだけれども、過労死って言葉が認知され始めたのが80年代でしたよね。
一橋大学でそういうゼミに1回入って、みたいなところ? そう。前期ゼミと言われるゼミというか、3、4年生向けのゼミよりは、簡単に言うと易しい内容のゼミがあるんだけど、僕はそこで2年生の時に労働社会学のゼミと、あとメディア論のゼミを取ったんですね。この2つ、相当その後の僕の人生に影響を与えてます。
そこでやっぱり労働問題に興味を持つんだけれども、その時に一方で、当時僕の通ってた大学は、1年生は一般教養課程みたいな感じで。前期は自分の学部の入門科目以外の科目も履修できるぞみたいなもので。たまたま受けていたら、商学部の先生の講義が凄まじい講義で、この先生の下で学びたいと思って。労働問題を専攻したかったんだけれども、その先生と学びたいって思いが勝って、結局僕は社会学部から商学部に転学部し、競争戦略論とか、そのビジネス系のゼミに入るわけです。
でも、それはビジネス側から労働を見るみたいな。そうです。それはすごく貴重な経験で、だいぶ回り道したんだけれども、そこで経営側から、例えば人材を見るっていう体験をしたりとか。ちゃんと従業員の方を守るためには判断しないといけないみたいな。例えば事業撤退とかいうこととか、戦略の変更みたいな、そういったものを学んだりしていて。結局それがきっかけで、なりたくないなと思ってた会社員に一旦なるっていう。15年間の会社員生活が始まるきっかけになったのも、その転学部したからみたいな。
労働社会学を学んでるゼミの生徒は、アルバイトの労働とかはしてるんですか? してますよ。大学の労働社会学ゼミの学生とか先生と話すと、いろんなものを背負っててね。結局自分自身も、例えばギグワーカーやってみたとか、Uberで働いてみたとか。
労働社会の問題を捉えつつも、結局、例えば人材ビジネスみたいな世界に入っていって。人材ビジネスが悪とは言わないけれども、一方でやっぱり批判もあるわけですよ。一言で言うと、働くってことは何らかの矛盾だとか、理想と現実のギャップってのがあるわけですよね。それをばっさり切ってるんじゃなくて、冒頭の話じゃないけど、なぜそんなことが起こるのかってことを、立ち止まって考えられる人でいたいですね。
その感じでいくと、本当メディアとかに行きそうじゃないですか。それ、なんでリクルート? その時の僕はマーケティングというか戦略論のゼミだったから、その分野を生かした分野に行くか、コンサル会社とか広告代理店に行くかで。特に広告代理店に行きたかったんですけれども。一方でエンターテインメントが好きだったんで、その後僕が中途入社して人事を担当するバンダイとか、ソニーミュージックとか、そういう会社を受けてたんですね。
やってる途中に、あれ、何やってるんだろう僕って悩んじゃって、一旦就活を辞めるんです、実は。専門分野を生かしたいと言いつつも、僕、その専門分野ですごい優秀だったわけじゃなくて。エンタメも、本当に仕事にしたいのか、そこまで詳しいのか、あるいはビジネスにする覚悟があるのかみたいなことが中途半端で。「何やってるんだろう、俺」状態になって、1回就活をお休みして、ゼミの活動に集中するみたいな時があったんですけれども。
その後、たまたまゼミの指導教員じゃないんですけれども、別の先生の紹介で「リクルートの話聞いてみない?」みたいなので、ちょっとリクルートに話を聞きに行くことがあって。面白い人がいっぱいいるなとかね。それで、何をやりたいかよりも、どうやりたいかが大事なんだなみたいな感じで。少なくともその頃のリクルートはボトムアップに見えたし、実際ボトムアップだったし、ものすごいエネルギーに満ちてて、その後起業していく人たちもいっぱいいるみたいな。全然考えてなかった会社だけど、ここにしようというふうに思ったんですよね。
リクルートは、リクルート事件みたいな大きいスキャンダルがあった後、なんで復活できてるんですか? 実際に、リクルート事件からもう8年経った時に入った印象、あくまで印象だとね。リクルートけしからんと言いつつ、いろんな会社が取引を続けてくれたんですね。つまり商品、サービスは、企業のため、読者のために、いろんな批判を受けつつも役立ってたということと。
いろんな金融とか不動産ビジネスとか通信ビジネスに投資をして、1兆円を超える借金があったんですね。そっちの方が大変で、実は。その中でも、現場で新しいビジネスを生み出してきたっていうことで、利益率の高いビジネスをやってたことですよね。なんで復活できたかっていうと、常に稼ぎ頭というか、企業の血を入れ替えてきたからっていうことと、現場にエネルギーがあったからっていうのも、率直なところだったんじゃないかなと思いますよね。
そのパワフルな感じで、常見さん自体は会社員としてはどう活躍できたんですか? ダメ社員でしたよ。ダメ社員というか、だからね、やっぱり社会学部から商学部に移った時もそう。
だし、リクルートに移った時もそうだけど、世の中にはこんなにビジネスに前のめりな人たちがいるのかってことで衝撃を受けたんですよね。しかも希望の配属じゃない営業だったから。本当は企画とか編集やりたかったんですけれども、意に沿わないことをさせられるということでね。
営業自体はどうですか? 向いてたんですか?
当時は少なくとも燃えられないし、合ってないなと思ってね。しかもすごく求められる成果だとか、あとプロセスの質のレベルが高かったんで、正直ついていけないなぐらいの状態で。他の人ほど優秀な成績は残せなかったしね、営業ではね。とにかく数字を追う、競合がやってくる中、競合から守るみたいな仕事をしてたんで。
実績はあんまり立てられなかったけど、数字の管理をするとか、あるいはスケジュールの管理をするとかね。あと「ノー」と言われた時に、いかにそこから這い上がるかみたいなね。あと一つ言えるのが、繰り返しになるけど、自分は優秀じゃなかったけど、優秀な人の近くで仕事ができたってこと。自分の周りにいる人たちってどんどん、それこそ起業してったりとか。
そんな深い関係じゃないけど、同じフロアにいた人がNTTドコモに転職して、今ドコモの社長ですよ、みたいな。やっぱりその仕事ぶりってさすがだったなとか思ったりとかね。起業してった人たちとか、上場させた人とかね。「そっか、僕ダメ社員だったけど、他がすごすぎたんだ」みたいなことはね、言い訳じゃないけど。だから僕はすごい人じゃないけど、すごい人と仕事できたってことは、結構リクルート時代とかバンダイ時代の良かったことだなと思いますね。
リクルートなんて、それこそ超すごい企業でもあるけど、労働環境で言ったら、それこそ。
そう。だから今のリクルートって、とっても働き方が進んでいてね。持株会社とか一部の事業会社は、ほぼ週休3日に近い状態だったりとかね。リモートワークも推進してて、全然会社行かないぞみたいな話も聞いたりするんだけど、僕の頃は結構ドロドロと働く会社で、もう朝から早朝まで働くみたいなね。本当に死ぬほど働いたし、会社が早く終わる日には飲みに行くってことで、結局眠る時間が少ないなみたいなね。
小岩にあった独身寮に住んでたんですけれども、12時46分発、津田沼行きっていう終電に乗って、小岩に1時ぐらいに着いて。そこからでも年が1個違いぐらいの仲間たち、3世代ぐらい、あと3代ぐらいでね、1時から2時半ぐらいまで中華料理屋で飲んだりとかしてね。帰って3時でね、それで寝てまた会社に行くみたいなね。
4時間ぐらいでやってるんですね。
そう。だからあの時は本当に死ぬほど働いたなって感じがしてね。なんであんなに働いたんだろう、働けられたんだろうみたいなこととかは、やっぱりたまに振り返って考えるんだけれども。それはそれで、全く美化はしないし賛美しないんだけれども、体験としては自分に刻まれてますね。
だからハイパーブラック労働って、デメリットもあるけど、長い人生見たら後々のメリットになってる部分もあったりするのかなって思うこともあったりとか。
いや、ただね、あんまり賛美したくないですね。ただ、例えば原稿の締め切りが連鎖するみたいなのって、こういう仕事してるとあるんですよね。あと僕も勤め人なんでね、大学で何限目まで講義があるとか。このレポートの採点及び添削して戻すのをいつまでにしないといけないということをやりつつの仕事だとか。プライベートでライブに行くとか、逆にバンドの練習をするとか。そういうのを掛け持ちしていく、例えば時間管理の技とかね。ある意味、修羅場の発想力ですね。
そう。だからその修羅場って、やっぱり修羅場になったことないと、対応が絶対分からない。
そうです。大学3年生になった学生とか見てると、時間の使い方がうまい学生とそうじゃない学生の差ってすごく出るんですよね。これ残酷なんだけど、すごいアルバイトも頑張っていて、講義の成績も良くてね、結構ハードなゼミに入ってるぞみたいな人たちって、結局就活とかその他の活動とか遊びとか両立できるんですよね。何かというと、時間の使い方が分かってるっていうかね。
あの時、徹底的に時間の使い方とか効率化みたいなことは結構学んだし。ものすごく働いてるんだけれども、必ずホノルルマラソンに出る人とかね。あれすごいじゃないですか。お金もかかるしさ。しかも年末ってことはクォーターでもあるからさ、来期の仕込みとかもあり、忙しい時期にね。1週間、当時のお金で何十万円も払って、今だったら100万超えだと思うけど、ホノルルマラソンに行くとか。
サッカーのワールドカップがあるたびに1か月休む先輩とかいたりとかね。あとすごい忙しいんだけど、この来日公演だけは行くみたいなね。「この日は6時に上がって、東京ドームで来日公演見て、戻ってきて仕事するぞ」みたいな人たちを間近で見たし、自分もそう実践したっていうのはすごい大きかったですね。
だから24時間中24時間、1回使い切ったことある人は、そういう時間術ありますもんね、どうしてもね。
そう。だからいいか、健康にいいかどうかは別として。若者というか学生たち見てると、大学の宿題とエントリーシート2社ぐらいが重なったら、もうパンクしちゃうみたいな人っていたりしてね。それぐらいでパンクするなみたいな声ってあると思うんだけど、時間の使い方に慣れてないとそうなるし。でも、そんなに忙しくなくて、しかもお金ないわけじゃないけれども、休めてない、遊べてない人っているじゃないですか。そこは時間の使い方がうまくなるって、すごく大事ですよね。
勝手な理論なんですけど、永久には無理だけども、2年ぐらいそういう過密労働みたいなのを経験して、その時間の使い方みたいなのを学んだ上で、週2日なり3日なりでいいパフォーマンス出すみたいなことができるのが、一番いいんじゃないかなって思ったりするんですけど。
別にそこでものすごい負荷をかけたから、必ずその後パフォーマンスが上がるとも思いませんね。
そうですね。実際、学問の道に、15年やってから行こうみたいなって、どんな……。
リクルートという会社に8年半というところでね。その後、バンダイという会社に移ったんですよね。バンダイに移った理由も結構大事で、会社がだんだん、自分の年齢的にもあるし、会社とか社会のステージもあると思うんだけれども、「あれ、こんなんだったかな」と思う瞬間があったんです。昔はボトムアップ型でやってたのが、様々なものが降りてきたりとかね。
30歳の時に、人事制度が変わったこともあるのと、同期たちが出世し始めたんですね。羨ましいとか悔しいとか思いつつも、「これって僕やりたいんだっけ」と思った時にね。悩んだ時にバンダイとの出会いがあって、そこには面白い社会人たちがいたんです。「こっちにいたかったんだ」と思ってバンダイに移ったんですね。
バンダイに移ったら僕は人事を担当して、そういった新しい商品だとかサービスを生み出せる人を採用しようっていうことで、新卒採用にのめり込んだんです。そこで人事担当者として、おかげさまでちょっと目立ったりして、成果を出せたりして。もちろん会社のブランドもあると思うんですけれども、取材を受ける機会がとても増えていって。その過程でなんと、会社からメディアに結構出始めたりとか、著者デビューしちゃったんです。
それで、もっとちゃんと著者活動したいな。しかも大きな会社で小さいことやるんじゃなくて、小さい会社で大きくやりたいなと思っていて、比較的融通を利かせてくれる先輩がやるベンチャー企業に拾ってもらったんです。死ぬほど働いて、ベンチャー企業の仕事をしながらひたすら書きまくったんですけれども、書きまくってる時に自分の限界が見えてきたんですね。
要するに経験だとか、本当、我流で書いてるだけで考える枠組みがないなってことで、これちゃんと勉強しないといけないなと思っていて。学問を究めたいというよりは、ちゃんと考える枠組みを手に入れようと思ったことと、大学の教員になることは若干考え始めて。というのも、その頃にすでに大学の非常勤講師の仕事をいただくようになったんですね。
ベンチャーにいながら。
そう。
それはたくさん書いてた実績?
それがあって。「大学の教壇に立ってみないか」って、いくつかの大学から誘われて、非常勤講師で立つようになって。それは面白かったんだけど、そんなにお給料もいいわけじゃなく、不安定で。ちゃんと大学の先生に将来なれたらいいなってこともあって、じゃあ一旦ここで会社辞めて大学院に入ろうと思ってですね、38歳で大学院に入ったんですよ。
年間7冊とか本書きながら大学院に通ってね。午前中は大学院で講義に参加してるんだけれども、午後になったら他の大学で教壇に上がったり、講演するみたいな、あるいはメディアに、テレビに出るみたいな仕事をしててね。よく分かんないまま2年間が終わって。
学生しながら学生に教えるみたいな。
そうです。それでおかげさまで、新学部立ち上げがあるぞってことで千葉商科大学に動いて、2015年から大学の専任教員をしてると。2020年に准教授になって、2026年の春に教授になったっていうね。
40冊以上?
以上書いてますね。デビューしたのが2007年で、だから来年イベントをやるんですけれども、20年近くやってるからね。年間2冊ぐらい。今年は共著もあるから、共著も含めて2冊とか出る年なんだけれども、大体僕、今は年間1冊丁寧に書いていきたいな。丁寧に書けてるかどうかって突っ込みはあると思うんだけど、って感じですね。
本書いてって、自分の人事の経験とかリクルートの経験だけだと、もう書くことに限界が。
そうです。だから新たに興味関心を広げたりとかね。あと今回はすごいご縁いただいて、これ10月半ばに配信されるってことなんですけど、10月21日に、まさに会いに行ける左翼論じゃないけど、『なぜリベラルは嫌われているのか』って本が星海社新書から出るんですね。
自分の興味関心がそのまま本になったりとか。今回すごいチャレンジで、僕は労働社会学者、働き方評論家なんだけれども、その立場に立って政治について語ると。
労働社会学者、いわゆる労働者側だからリベラル側なんじゃないですか、それ。
そう。だからそこでちょっと色々誤解を生みそうだけど、僕リベラル側なんだけど、リベラルから批判を受けるようになった。そのリベラルの中での分断が起こってるみたいなことね。本来リベラルがすごい大事にすべき自由であることとか、寛容であるってことを捨ててないかみたいなこととかね。あと世の中に響く言葉じゃなくて、仲間に響く言葉に振り切ってないかとかね。
労働者の味方のようで、労働者からだいぶずれてないかみたいなことを。実は労働社会学者視点で見たリベラルの矛盾を、ひたすらリベラルの立場から書くというですね、ものを書いたということでね。ぶっちゃけ、YouTubeだから言うけど、僕デビュー作の部数って3000部だったんですよ。今回、芸歴約20年で次3500部なんですね。言ってみれば時代が変化して、出版不況なんだなとかね。
これ大事なのは、本ってアーティストで言うとアルバムみたいなもんだから。ちゃんと時代時代に残していく。しかもネットの記事と違って残るはずだから。そこはすごく大事にしているし、巡り巡って発信する人、表現する人、著者、アーティストとしてのマインドっていうのを、すごい今大事にしていてね。
嫌われていくに至る、その構造ってどういうところ?
そこで言うと、社会と向き合ってなかったんじゃないか、ごく普通の人と向き合ってなかったんじゃないかとか、あと様々な立場の声を聞いてなかったんじゃないかって。今回すごいメッセージで、自分も書いてて降りてきた言葉なんだけど、よくリベラル側とか左派って、「声を上げていきましょう」って言うじゃない。「世の中を変えるために声を上げていきましょう」って言うんだけど、僕、今大事なのは声を上げる前に声を聞くことだと思うんだよね。それ僕すごい大事だと思ってる。
そうですよね。しかも自分が上げるために他者の声をかき消そうとしますもんね。
だから最初に話したブラック企業論じゃないけど、ブラック企業って悪だと叩かれるけど、なんで生まれるんだっけとか、そこで働く人がなんで一定数いるんだっけってことは、ちゃんと考えないといけないですね。一つの答えって、特に飲食店だとかでブラックだとされた会社って、流通業もそうかな。それって消費者が生み出してんじゃないの、ブラック企業、みたいな考え方もある。安く便利みたいなね。ブラック企業を生み出してるのは、ある意味消費者であり社会じゃないか。
一方でカスタマーハラスメントする人を全く肯定はしないんだが、なんでカスタマーハラスメントするのかって言ったら、その人自身もある意味苦しい環境で働いていて。お金が少ないけど、人に対して過剰な要求をしてしまうんでしょっていうことで。お金も時間も、結果として気持ちも余裕がないんでしょ、みたいな連鎖が起こるわけですよ。そういうようなことを結構捉えていきたいなっていうふうに思っていて。
僕は元々プロレスとかロックがとても大好きで、特にプロレスとかはそもそも矛盾を抱えてるんですけれども、そこで熱があるわけなんですよね。特にプロレスラーとかロッカーでも、チケットが取りにくいパンパンの会場もそうだけど、あんまり埋まってない会場で真剣勝負する人が好きなんですよね。冷やかしの人を黙らせるっていうことを僕すごい大事にしてて。黙らせるっていうか、感動させて帰す、感動してもらうみたいなね。
関心ない人に聞いてもらうみたいな。
そう。それはすごく大事で。選挙とかあった時に、新橋の街頭演説にはこれだけの人が集まったって言いつつ、それって結構組織的に動員がかけられてたりとかするじゃない。むしろ動員がかからないんだけど、自然に「〇〇さんが演説してるぞ」とかって注目して集まっていくのって、広がりじゃないですか、みたいなことで。
新しい本が出たりとか、メディアで発言するたびに、全然知らない人が肯定であれ批判であれしてる様子を見ると、届いてるんだと思いますよね。今までのファンの方が買っていただくのはすごく嬉しいし、今までのファンの方に買っていただけないこともよくあるから、あれなんだけれども。もっと言うと、YouTubeのコメント欄にコメント、これ賛成であれ反対であれ、称賛であれ罵詈雑言であれ、書き込む人って相当の人だと思うんですよ。
そうっすね。
コメントしない人の琴線にどれぐらい触れたかってことを、僕はきれい事だけど、とっても大事にしてます。普通の人で動いてると思うし。僕の代表作の一つが『僕たちはガンダムのジムである』っていう、約24年前に出た本なんですけれども。ごく普通の人の幸せとか、ごく普通の声なき声みたいなことはすごく大事にしたいなと思っているし。
でも一方で、みんなが人の話を聞こうとか、小さな声でも声を上げようみたいな、そういうことになるように一生懸命前で話して、書いて。一方で料理作って、音楽聴きに行ってみたいなね。そんなことを大事にしてる人生ですね。
1個何かに集中するのが美徳であるみたいなのもありますけど、絶対、生活を大事にするって大事ですよね。
まず生活大事にするって大事で、僕すっごい衣食住にこだわっててね。もっと高い家に住んでる人いっぱいいると思うけど、僕この快適な空間が大好きだし。健康で文化的な生活って、ちゃんとおしゃれしたいと思うし。逆に言うと、これも世代間ギャップなんだけど、人前に出る時に全身ユニクロで出てくる著者ってどうかと思う派なんですよね。いいんですよ。
やっぱり人前に出る時に、「著者の人と会った」っていうのをすごい大事にしたいし。別に人前に出る時じゃなくても、僕は服を買って選んで着ることを大事にしてるし。おいしいものを食べること、作ること。あと、音楽を聴くこと、演奏すること。その感覚は大事にしたいなっていうふうに思うしね。人生楽しんでる人が1人でも増えたらいいなと思いますよ。あるいは周りの評判がどうであれ、自分らしく生きることですよね。
僕、働き方改革前にテレビ業界に入って、一番下っ端やってたんですよ。電通の事件があった時ぐらいに若手ディレクターなんです。業界で何が起きたかっていうと、ADを働かせちゃいけないってことで、10時前に帰りましょうとか、10時以降の会議をしちゃいけないとか、そういうルールがどんどん増えてたんですよ。結果何を見たかっていうと、ADは楽になったんだが、その上にいるフリーランスディレクターたちの業務がめちゃくちゃ増えて、みたいな。
それさ、働き方改革の矛盾って相当見てきました。そこで経営側とか広報が頑張って、そういうのに乗っちゃうジャーナリストとかメディアとかも、「この会社はこんなにうまくいってます」みたいなこと言ってるけど、「いやいや、この会社、夜中にメール来るじゃん」みたいなさ。なんで突っ込まないんだろうみたいなね。おっしゃる通り、そこで「みんな定時退社できるようになりましたよ」とかって言うんだけれども、それ全部、下請け、孫請けとかフリーランスに圧がかかってるじゃん、みたいなね。
本当だから結局、テレビ局では何時に会議しちゃいけないから、そのテレビ局員が制作会社に深夜にやってくるみたいな。それで何十人でお出迎えしてみたいな。
いろんなものって、働き方改革のほかにハラスメント対策とかなんだけれども、上司が部下に厳しい指導したら「これハラスメントですよ」ってなるから。実際これ広い意味で言うとハラスメントなんだけれども、厳しい指導は研修会社に任せるみたいなね。実際の上司は優しく振る舞うんだけれども、新人研修の講師が鬼のような、結構人格否定みたいなこと言われるみたいなね。そういう研修を受けさせたって意味で、その企業相当悪いと思うんだけれども。
手を汚したくないことを外部の人に投げていくとか、うまくいってるふうを装うって相当罪だと思いますよ。今、労働時間の規制緩和みたいな流れがあってね、裁量労働制を見直そうとか、労基署の指導のやり方をちょっと変えようみたいなことが今起こってるわけなんだけれども。「働き方改革じゃなかったの? うまくいってたんじゃなかったの?」っていう話でしょ。この感想が大事なんですよ。
だからこれっていい悪いとか、ブラック企業だとか断じるんじゃなくて、物事って必ず副作用はあるから。その影響ってことを考えるってことは、すごく大事なことだと思いますね。これが何でも物を見るってことだと思います。
僕より10年とか先にフリーランスになった人たちが、ギャラ変わらずに労働が増えたみたいなのはよく言ってましたね。
やっぱりでも、そこはちゃんと起きてますよね。今、なぜ賃金は上がらないのかみたいなテーマのほうが注目されてますけどね。物価も賃金も両方上がっていくっていうスパイラルを目指したけど、結局物価しか上がってないじゃないか。賃金上がってるのもごく一部の人たち中心じゃないかみたいな矛盾が起こったりするし、いろんな矛盾ってフリーランスの人たち抱えてるしね。
もっと言うと、自分が常に警鐘を鳴らしているのは、「これが新しい働き方だぞ」とか「これが新しい生き方だぞ」って言われるものが、単にそれは貧しさ、苦しさを覆い隠してるだけじゃないかっていう。これやっぱりすごい問題なんですよ。
それ、例えば何?
僕、例えばちょっと注目してるのが、「キャンセル界隈」って言葉の危うさですよね。若者はコスパで、狭い家とか狭いマンションが流行ってるぞみたいな記事があったりするんです。これって実は過去のフリーランスブームとかノマドブームとか、さらにはフリーターブームとか派遣社員ブームとかと結構似てる問題だと思っていて。「キャンセル界隈」って、これ言葉が結構深くてね。
実はそれって、自分で選んでるんだろうって自己責任感があるとかで覆い隠されるんだけど、致命的に時間とか余裕がない社会になってるんだよねっていうこと。
貧困ってことですもんね。
そう。特に僕、朝日だったんだけどさ、狭いマンションが若者に支持されてると言いつつ、新しい小さな幸せみたいな描き方なんだけど、いや、選ばざるを得ないんでしょっていうことでね。戦争の時の国への奉仕とか、国に全てを捧げるみたいなものに象徴されるんだけど、美しい言葉とか新しいスタイルを装ってるんだけど、結局それ貧しさとか格差を受け入れるってことでしょ、みたいなことがいくつかあるわけですよね。
だから自分が強く生きていくために作った言葉っていうことなのかもしれないけど。
新しい働き方とか生き方って、危うさがあってさ。Uber Eatsみたいなものが、ある意味自由をもたらしてるけれども、そこって貧しい人、大変な人増やしてないとかね。結局プラットフォーマーの上で踊ってるって要素あるんだよね。それはスキマバイトとかも全くそうだよねとかね。新たな幸せ、可能性が確かに生まれてるんだけど、新たな貧しさとか苦しさが生まれてないかってことには、自覚的でありたいなと思いますので。
企業に所属する息苦しさもあるけど、企業から出てフリーランスでい続けることの、なんていうか。
まさにそうっすよね。自分も大学院生やりながらフリーランスで働いてたから。今の大学の外の仕事っていうのは、個人事業主として受けてるわけでしょ、自分は会社持ってないから。となった時に、いろんな矛盾を引き受けていてね。フリーランスの待遇改善って、確かにごく一部、超絶売れっ子とかね。あと売れっ子の人たちの構造ってちゃんと突っ込みたくてさ、「案件が増えてるだけで単価上がってねえんじゃないの」みたいな。単価も上がって、案件も、本当に売れっ子だよねというふうに思うんだけれども。
例えば今、ライブのチケットが上がってんですよね。
値段。
なかなか複雑な事情で、コンサートスタッフとかの人件費って上げないと、スタッフの生活もたないよねとか、ミュージシャンもそうだよねとかね。会場費も高くなってるし、エネルギーも移動費も高くなってるよねと。しかも日本のライブのチケット上がったと言いつつ、東京ドームで2万円か3万円かと言いつつ、アメリカ行ったらマディソン・スクエア・ガーデンとかのライブって300ドルからだったりとかするんですよね。
すると日本の2万円台でブルーノ・マーズが見られるって、結構大サービスなんじゃないの、みたいな見方もできるわけです。もちろん苦しいですけどね。となった時に、アーティストとかって結構ギャラを、特に海外のアーティストは要求するんだけれども、例えば物書き業界で言うと、原稿料の単価って上がんないよなみたいなこともあるし。
出版業界で言うと、大御所作家先生、しかもコンテンツIPで稼げそうな人は、初版何十万部じゃないとやらないぞ、みたいな世界があるんだろうけど。例えば作家の視点で、ギャラ上げてくれっていうのってなかなかないよねっていうね。フリーランスの立場もそうなんですよね。「ギャラ上げてくれ」って、本来やるべきだと思うんだけれども。しかもその時、どちらかというと請求する金額が上がるのって、自分のギャラアップというよりは経費アップでしょ、みたいなね。その辺りのところって、やっぱり考えていかないといけないなと思ってます。
フリーランスブームみたいなのも、終わってる感じありますもんね。2020年前後ぐらいですか?
何度かでも盛り上がるんだよね。例えば2010年前後がノマドブームっていう、結局フリーランスブームの一種なんだけどね。時間、場所とか自由を手に入れて働きましょうみたいなムーブメントがあったなとかね。そういうことで繰り返すんでしょうねと。今特に雑誌も少なくなり、メディアも少なくなり。編集者界隈ではプレスラボの編プロ事業終了みたいなことがすごく影響を与えてて、一時すごいあったところでね。月並みだけど、常に働き方、生き方って見直していかないといけないんだろうなと思いつつね。
しかもそこでAIと殴り合う時代になって。AIは、僕は共存の可能性を探るっていうのが一つの答えだし、もっと言うと気をつけないと、本当AIってもはや兵器になってるんで、仕事を奪うだけの議論じゃないだろうっていうのが、すごい大事な論点だと思うんですけれどね。
年齢的に言ったら52歳で、来年デビュー20周年で。来年の僕、4月4日誕生日なんですけど、もうライブハウスを予約してて、その時には音楽と言論とグルメの祭典をやろうと思ってて。
何歳ぐらいまで働いてるかなっていう感覚ですか、今。
僕ね、そこで言うと、今健康には気を使ってるから、死ぬ寸前まで働いてるんだろうなって感じがします。だけど3年ぐらい、例えば海外で暮らすみたいなこととか、一旦休んでみるみたいなね。問題は、休んだら結構忘れられるから、戻ってこれるかなみたいなのがあったりとかね。
でも確かに、3年ぐらいニートやってみたいなって気持ち、めっちゃありますね。
作家先生とかアーティストは可能なんですね、よっぽど稼いでる人はね。忘れられないっていう生活っていうのは、ごく一部の人しかできないんだろうなと思いますね。大胆に休んでみるとか、働くじゃなくて生きるだけやってみるみたいな期間とかっていうのは、設けたいなと思ってますね。
あと夢で言うと、とにかくいまだに僕、ベストセラーで大儲けするって夢を捨ててない人で。
ベストセラーって何万部ですか?
僕がデビューした頃って、ヒットの基準5万部とかだったような気がするんだよね。でも10万か、当時で言うと。ビジネスとかジャンルとかにもよると思うんだけど。今、例えば読売新聞に毎週1回、売れてる本解説みたいなコーナーがあるんだけれども、そこで紹介される本って1万部も超えてないからね。3、4000部とかで売れてる本コーナーに紹介されて、そういう世界観なんだと思ったり。
僕はでも、自分の夢は中空飛行で。売れすぎて疲弊したり、過剰に叩かれたり、叩かれるのは別にいいんだけどね、するのも嫌だし。貧しくても幸せだってことは、僕は絶対嘘だと思う派なんで、お金が中ぐらいに好きだしね。7番バッターぐらいで仕事できてたら。
なんとか残ってて、続けて、ライブってあるじゃない。武道館ライブやったことが心から喜ばれていて、大ヒットがなくても武道館埋まるみたいな状態とかね。よく例出されるけど、怒髪天とか、解散したけどピロウズとか、フラワーカンパニーズって、そこそこ知られている。でも特にフラワーカンパニーズは自虐的に「ヒット曲なし、活動休止なし、メンバーチェンジなし」っていうふうに言ってんだけど、熱狂的なファンがいて、武道館ライブ必ず売り切れに。
ただ僕、よく言ってんだけど、インディーズのロックバンドとか、あとフリーランスのプロレスラーみたいな感覚でやってて。あるいは全国旅してるみたいなね。踊り子さんとかもそういう世界だなと思うんだけれども。どんな現場でも、それこそ『モーニングショー』みたいな結構影響力ある番組から、本当、小さな会場の講演から、何でも大事にする人だし。
この前もイベントやったら、台風が来そうだったってこともあったけれども、参加者が会場で5人になったこととかあるんですよね。だけど、そういう時に全力のライブをやるみたいなことって、すごく大事にしていて。張ってる感があって、「ああ、やってるね」って言われて続くのがいいかなって感じですね。
ありがとうございました。
ありがとうございました。どうも。お送りしますので。
はい、よろしくお願いします。すみません、失礼いたします。
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