20歳の秋元強真が語る、クレベル戦の舞台裏と「自分が一番でなければ嫌だ」という執念

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概要

総合格闘家の秋元強真は20歳、格闘技を始めてちょうど6年ほどになる。元RIZIN王者のクレベル・コイケに圧勝した直後のインタビューで、高校進学を断ってまで格闘技に賭けた経緯、朝倉未来・朝倉海の兄弟との出会い、一度は絶縁した兄との関係、そして「誰も手が届かない存在になりたい」という野心を語った。本人は周囲の称賛に「俺は俺のままなんだけどな」という実感だと言う。一方で、現状にはまったく満足していないと繰り返した。

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骨折を隠したまま戦ったクレベル戦

秋元は、会見の段階からクレベル戦には勝てる感覚があったと話す。これまで負けた試合も含めて、「やばい」と思った試合はほとんどないという。

ただ、条件は良くなかった。試合の2週間前に拳を痛めており、それをかばう戦い方をしたせいか、試合中に骨折した。得意技の左ストレートを使えない状態だったため一本やKOでは終われなかったが、本人は圧倒的な内容で勝てたことに満足している。苦しい展開を勝ち切れたことは自信になったとも語った。

骨折はセコンドに伝えなかった。「言っちゃうと弱気な自分が出るかな」と考えたからだ。陣営は左手を痛めていることは知っていたので、左が出ないことに違和感はなかったはずだが、折れているとは知らなかっただろう、と秋元は振り返る。

この試合は2か月前に決まった。そこからクレベルに勝つためだけの練習を積んだという。クレベルは寝技が非常に強く、組めば自分から下に引き込んで攻めてくる。秋元が最も重点を置いたのは、組まれたときにどう逃げ、どう対処するかだった。自分から寝技で攻めるつもりはまったくなかったと明かしている。

試合でクレベルが「見たことのない顔」になったと言われた点については、自分はスピードが速いとよく言われるので、当たっている数が多いからではないかと説明した。以前の萩原選手との試合で馬乗りになって殴り続けた場面については、あの体勢に入れば相手はもう動けないと分かっていたという。試合前の向かい合いでも毎回「いけるな」と感じるそうだが、なぜ分かるのかは本人もうまく説明できず、相手も同じように感じているのだろうと話した。

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次の相手候補「化け物」シェイドゥラエフ

次の対戦相手については、9月10日に大阪で試合を控えた2人の選手の名前が挙がった。秋元はどちらも「化け物」と表現する。ファンからはシェイドゥラエフとの対戦を望む声が多く、それがタイトルマッチになる可能性もあるという。

シェイドゥラエフは朝倉未来に圧勝した選手で、秋元によれば18戦18勝、すべて判定までいかずKOか一本で終わらせている。RIZINの中だけでなく、UFCなども含めて世界的に見ても飛び抜けた選手だと秋元は評価する。ただ、海外の強豪とはまだあまり戦っていないので、次の試合で本当の実力が分かるだろうという見方も紹介した。そのうえで「化け物は化け物」であり、そういう相手に勝って手にするベルトが一番価値がある、というのが秋元の考えだ。

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朝倉未来対青木真也戦をめぐる「スパイ」批判

秋元は同じジムの先輩である朝倉未来とも、青木真也とも一緒に練習している。そのため、両者の試合が発表された瞬間、双方のファンから「秋元がスパイだ」と激しく叩かれたという。自身も試合前の時期で、「そんなことしねえよ」と思いながら受け止めていた。

秋元は、どちらの情報も一切出していないと強調する。2人ともそういう話を聞きたがるタイプではないとも言う。SNSでも、2人の邪魔をするつもりはまったくないと発信した。もともと格闘技ファンなので、その気持ちに戻って1ファンとして観戦し、どちらも応援するつもりだという。寝技では今でも青木に「ガチで」ボコボコにされているそうで、お互いの強さを知っているからこそ楽しみだと語った。

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練習体制と「格闘技の頭」

現在は東京に住み、試合前には最低でも1日2回練習する。早い日は11時ごろから2時間弱練習し、休憩を挟んで、1回目が寝技なら次はボクシング、1回目が打撃なら夜は寝技というサイクルで回す。筋トレにも通っている。以前は自分で考えて練習を組み立てていたが、これ以上伸びるには各分野の専門家に習う必要があると考え、今はボクシング、レスリングなど全局面で専門のコーチについている。最近またレベルアップしている実感があるという。

自分の武器を問われると、高校に行っていないので学歴的には「すごいバカ」だと笑いつつ、格闘技については「誰よりも頭いい」と最近言われるようになったと答えた。格闘技の頭の回転では誰にも負けない自信があるという。トントン拍子に勝っているように見えるため「センスで来ている」とも言われる。しかし本人の認識は違う。稼げるようになるまで遊ばないと決め、高校にも行かずに練習し、遊んだ回数は指で数えられる程度だった。周囲が酒を飲んで遊んでいる間もジムに通っていた。「努力とは言いたくない」としながらも、歯を食いしばって我慢してきた結果が今だと語った。

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「モテたい」から始まった格闘技

格闘技を始めた動機について、秋元ははっきり「モテたくて始めた」と言う。欲しかったのは地位と名誉とお金だった。YouTubeで見た朝倉未来はいい車に乗り、いい時計をつけていて、そういう「かっこいい大人」になりたかったという。

格闘家を3人挙げるなら、朝倉未来、井上尚弥、那須川天心あたりだろうと秋元は言う。共通しているのは、格闘技を知らない人でも知っていることだ。自分もそういう存在になりたい。ここでいう「モテたい」は異性に限った話ではなく、知名度の意味合いが強い。「僕だけを見てほしい」と秋元は表現した。

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兄に負け続けた幼少期とサッカーの8年間

生まれは千葉県旭市だが記憶はなく、1〜2歳で松戸に移り、それからずっと松戸で育った。父は飲食系の店の店長をしていた。母も働いていたが、祖母と同居していたので家には必ず誰かがいたという。現在は母を運転手として雇っている。

幼いころは兄のほうがずっと運動ができた。足は速かったものの、運動会では「どん臭い」と言われ、兄に負けて悔しい思いをした記憶が残っている。気性の荒さは多少あったかもしれないが、ヤンキーになったことも道を外れたこともないという。

サッカーは8年ほど続け、高校にはサッカーの推薦で進学が決まっていた。それでも、ずっと格闘技をやりたいと思いながらサッカーをしていたという。大晦日にRIZINが放送されると、家族は兄も含めて「ガキ使」を見たがったが、自分は絶対にRIZINを見たいと言い張るほど格闘技が好きだった。朝倉未来、続いて朝倉海が現れたのを見て、「こういう人になりたい」と思ったのが中学生のころだ。2人には他の選手と違う「よくわからないオーラ」があり、実際に会うようになった今でもかっこいいと感じるという。

17:11

高校進学を辞退し、親を説得した14歳の決断

14歳のとき、秋元は高校もサッカーもやめて格闘技をやると親に宣言した。親は猛反対した。高校に行かないこと自体が大ごとで、推薦も決まっていた。しかも息子はジェットコースターにも乗れない「どん臭い」子で、ヤンキーでもない。「お前じゃ無理だ」と言われた。

それでも秋元には根拠のない自信があった。このままサッカーを続けても普通のまま終わると考え、賭けることにした。失敗しても仕事はいろいろあると割り切ろうとしたが、同時に「格闘技で失敗したら本当に何もない人間だ」とも思っていた。この時期が一番病んでいた、考え込んでいた時期だったという。

それまで反抗期らしい反抗期がなかった秋元が、2日ほど粘って「やらせてくれ」と言い続けた。両親はその本気を受け取り、父がある条件を出した。アマチュアの試合で1敗でもしたらアルバイトをすること。本気でやるならバイトはせず練習だけに集中していい。そのあいだの会費や道具代はすべて負担する、というものだ。秋元はアマチュアで一度も負けず、その約束を守り切った。親には感謝しかないと話す。

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校長の叱責、監督の「顔出すな」

周囲の反応は厳しかった。中学校に合格を辞退すると伝えると、校長から「この学校の恥だ」「今までそんなやついねえ」と言われた。今思えば失礼なことをしたとは思うが、当時は「マジ見とけよ」と反発したという。その一方で、帰ろうとしたところに担任の先生や一番怖かった先生が校長の目を避けて走ってきて、「俺たちは応援してるよ」と声をかけてくれた。その先生たちは今も毎回試合を見に来ているそうだ。

サッカーのクラブチームを辞めるときは、練習中のグラウンドに行き、チームメイトの前で監督に辞めると伝えた。監督からはぼろくそに言われ、秋元は泣いたという。帰り際には「プロになるまで顔出すんじゃねえ」と言われた。それに火がつき、1年ほどでプロになって顔を出しに行った。監督とはLINEでやりとりを続けていて、プロデビューを報告すると驚いていた。今では試合にもよく来てくれる。あのときの言葉は監督からのエールだったと秋元は受け止めている。

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柏のジムでの日々とプロデビュー

最初に通ったのは、家から近い柏の有名なジムだった。入ってすぐはボコボコにされた。早くからプロデビューの話があったため、15歳ごろから強い選手ばかりのプロ練習に参加することになった。毎回の練習でボコボコにされ、減量もきつかった。その経験でメンタルが強くなったという。現在は移籍先と対立する関係になってしまったが、感謝しており、原点だと思っていると語った。

当時の生活は格闘技一色だった。9〜10時に起きて走り、13時の練習に行き、一度帰ってまた夜の練習へ行く。1日5〜6時間は練習していた。多い日は朝のランニングのあと11時ごろの練習、そのままボクシング、さらに夜の練習と、4部練習をこなすこともあった。最初は勝てなかった相手に抵抗できるようになり、やがて勝てるようになる。その変化で成長を実感していたという。殴られて痛く、気持ちが落ちることもあったが、「絶対やり返してやる」という思いで続けた。

アマチュアの初戦は始めて半年以内だった。「今から殴り合うの」「マジ帰りたい」と思うほど怖かったという。慣れるにつれて殴る恐怖も殴られる恐怖も落ち着き、試合が好きになった。今でも試合は毎回怖いと秋元は言う。失うものがどんどん大きくなってきたからだ。それでも、その怖さを乗り越えて勝ったときが一番幸せなのだという。

アマチュアで圧倒し、相手がいなくなったため、ジムの代表から急に大阪でのプロデビューを告げられた。試合まで4週間ほどだった。本人はまだ早いと思っていたが、言われたら出るしかないと考えた。デビュー戦は大阪のGLADIATORで、無事に勝った。その後は「RIZINに出るならDEEPだ」と考えてDEEPで3戦した。当時はまだブレイキングダウンも流行っておらず、格闘技界で目立っていたのはRIZINだけだったという。

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朝倉兄弟との出会いとJTT移籍

17〜18歳のころ、秋元はJTTに出稽古に行った。そこで朝倉海に目をかけられてスパーリングをし、次に行ったときには朝倉未来ともスパーリングをした。「JTTに来た方がいいよ」と言われ、尊敬する2人にそう言われたら行くしかないと移籍を決めた。

移籍は揉めることが多いと言われるなか、秋元の場合はすんなり進んだ。ただ、元のジムの人たちには「自分たちが育てた」という感覚もあり、よくは思われていない。それでも「自分の人生だ」と割り切ったという。今の自分があるのはJTTのおかげだと話す。

朝倉兄弟の存在は、天狗にならない理由にもなっている。2人があまりに偉大で、天狗になりようがないのだという。格闘技を盛り上げる面でも、練習で知っている強さの面でも、2人は目標だ。それでも「むしろ超えないとRIZINがもたなくなる」と考えている。未来のことは大好きでライバル心はまったくない。ただ、RIZINも選手たちも朝倉兄弟に頼りすぎていると感じており、自分だけで東京の会場を埋められるような選手にならなければと語った。

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絶縁した兄との和解

兄はいったん道を外れ、「行くとこまで行った」と秋元は言う。もともと仲は良かったが、18歳ごろに1年ほど絶縁状態になった。話もせず、まったく合わなかった。一人は格闘技に集中し、もう一人は非行に走る。親から見れば複雑だったはずだと秋元は振り返る。当時は、自分が活躍すれば兄も更生する気になってくれるかもしれない、親も安心するかもしれない、自分がいい方向に変えるのだと思いながら試合に臨んでいたという。

転機は、兄がブレイキングダウンに出ることになったときだった。兄から本気でもう一度格闘技をやるので協力してほしいと頼まれ、一緒に練習するようになった。兄も本気で取り組んでいたので、一緒に頑張ろうと思えた。格闘技がつないでくれた関係だと秋元は言う。今では友達以上に仲が良く、飲みに行くときも必ず一緒で、取材前日も友人を交えて4時ごろまで飲んでいたそうだ。

ブレイキングダウンの控室で、兄がサングラスを落とした際に秋元が「格好つけるなら試合で格好つけろ」という趣旨の注意をした場面がある。普段は自分の方が「クソガキ」で兄に面倒を見てもらっているが、格闘技に関しては自分が先輩で教えることが多いのだという。勝った人も負けた人も見てきて、負ける人にはある傾向があると感じている。技術だけでなく、試合に向けた気持ちの作り方もしっかりしないとトップには行けない。兄には勝ってほしいからこそ言うのだと説明した。

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唯一の敗戦と階級変更

RIZINでは18歳でデビューし、戦績は12勝1敗。唯一の黒星について、秋元はずっと勝ってきたことで過信と慣れがあったと認める。言い訳になるので言いたくないと前置きしたうえで、事情も明かした。あれはバンタム級での最後の試合で、身長180cmで61kgまで落としていた。オファーは4週間を切っており、3週間ちょっとで11kgほど落としたという。この試合でバンタム級はもう無理だと気づき、現在はフェザー級(66kg)に上げている。ただ相手は本当に強い選手で、当時の自分では何回やっても勝てなかったと、その実力を認めている。

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有名人にも大谷翔平にも「イラっとする」理由

インタビューで繰り返し語られたのが、強い嫉妬心だ。他の人が活躍しているのを見ると嫉妬し、出かけた先に自分より有名な人がいると「まだ足りねえな」と思う。年上でいまの自分では敵わない相手だとしても苛立つ。Snow Manのようなアイドル、ジャニーズ、EXILE、大谷翔平に対しても「イラっとする」と言う。

秋元は、その人たちが嫌いなわけではまったくないと何度も念を押した。皆が努力して今の立場にいることは認めていて、尊敬もしている。苛立ちの対象は、自分より有名で人気がある存在がいるという現状であり、負けている自分のプライドだという。「僕がナンバーワンじゃなきゃ嫌なんすよ」と語った。サッカーや野球はすごいと思うし、日本を代表して戦う姿はかっこいいと思う。それでもMMAがまだメジャースポーツに負けていること自体が悔しく、「格闘技をやってる俺だけを見てくれよ」と思ってしまうそうだ。ワールドカップも見ていないという。インタビューの最後にも、大谷のことは本当に嫌いではないと改めて断っていた。

この感覚は格闘技を始めたころからあった「一番になりたい」という気持ちが、表舞台に立つようになって最近急に強まったものだと本人は言う。言葉で説明するのは難しい、とも漏らした。

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「第2の秋元強真」への反発と、これからの目標

最近、自分より年下の選手が出てきて、「第2の秋元強真」「秋元強真を超える」と言われることが増えた。秋元はこれに強く反発する。そういうメンタルの子に、自分がやってきたことは絶対にできない。練習量も場数も違う。18〜19歳の自分はすでにRIZINでメインを張っていた。まだRIZINにも出ていない選手に「超える」と言われるのは気に食わないと語った。一方で、今だけ強くて稼げて人気があっても意味がなく、このまま上がり続けるのが理想だとも言う。

大谷翔平の今の年齢になったとき、それを上回る存在になっていたい。格闘技でそれに当たるのはUFCのチャンピオンクラスだろうと秋元は考える。ただUFCに行くつもりはない。そういう選手をRIZINに呼んで倒し、自分が世界一強い男になれば、自然とその位置に届くという考えだ。那須川天心のようにボクシングに転向する考えも今はない。MMAで世界最強の男になることを目指している。

引退はまだ想像できない。ジャスティン・ゲイジーが37歳でUFCの世界チャンピオンになった例を挙げ、そう考えればあと17年ほどはできると話した。引退後は事業などもやってみたいし、表舞台にはいたいと思っている。ただ、具体的に何をするかはまだ決まっていない。