スマホ育児は子どもの脳に何をもたらすのか 脳科学者・榊浩平氏が語る「見せない」という結論と、その背景にある社会の問題

YouTubeで開く ↗
概要

東北大学で、スマホの使用が子どもの脳や学力に与える影響を研究する榊浩平氏が、子育て中の愛沢えみり氏との対談で「スマホ育児」について語った。愛沢氏は2歳と0歳の子どもを育てている。乳幼児にスマホを見せることはどこまで許されるのか、知育アプリなら問題ないのか、何時間までなら大丈夫なのか。こうした問いに対し、榊氏は「現時点で言えるのは、見せないのが一番だ」という立場をはっきり示した。同時に、親だけに責任を負わせることには強く反対し、問題の根を社会の側に置いている。

20分で読めます
2:32

研究の土台:MRIと仙台市の7万人データ

榊氏は脳科学を専門とし、最近はその知見をもとに学校現場へ出向き、子どもたちと直接関わりながら実践研究も行っている。著書『スマホはどこまで脳を壊すか』は、所属する研究所で撮影した子どもの脳のMRI画像と、仙台市教育委員会との共同研究で毎年集めている小中学生約7万人分のデータの解析結果をまとめたものだという。タイトルの意味について愛沢氏が「壊れるということか」と尋ねると、榊氏は「読んでいただいてのお楽しみ」とだけ答えた。

3:34

研究者のホーム画面は「真っ黒」

対談の最初に、二人は自分のスマホのホーム画面を見せ合った。榊氏のiPhoneは画面全体が黒く、アイコンもモノクロである。画面下部のドックにカレンダー、地図、Safari、設定の4つを置いているだけだ。

ここまで徹底する理由として、榊氏は、スマホは作る側が「いかに触らせるか」という観点で開発しているからだと説明する。アイコンには赤や黄色など、信号機にも使われる人の注意を強く引く色が使われている。そのため、用もないのに無意識にタップしてしまい、そこからSNSやネット動画の終わりのないループが始まる。これは理屈ではなく人間のDNAに刻まれた仕組みなので、意思の力でどうにかできるものではない。だから画面を白黒にしてシステムの側で刺激を下げるのが一番早く確実だ、と榊氏は言う。

ただし、アプリが4つしか入っていないわけではない。アイコンをホーム画面に置いていないだけで、アプリ自体は入っている。使うときはアイコンをタップするのではなく、アプリライブラリの検索窓に名前を入れて起動する。起動するまでに「面倒くさい」と思わせることで、スマホを使いにくくする仕組みである。榊氏の考える理想は「スマホを携帯電話に戻すこと」だ。

愛沢氏も自身を断捨離好きのミニマリストだと言い、ホーム画面はモノクロで、天気アプリくらいしか置いていない。これに対し榊氏は、4つまでとは言わないので、まずホーム画面だけでも片付けてほしいと勧めた。アプリを何ページにもわたって並べている人もいるという。フォルダにまとめて整理すればよいわけではなく、整理しないよりはましだが、消すのが一番だという。

一方で榊氏は、スマホそのものが良いか悪いかという議論はできないとも述べた。仕事にも使うし、決済のように生活に欠かせない機能もある。榊氏自身もこの日、スマホで新幹線に乗って仙台から来ており、スマホがなければ来られなかった。問題は使い方だという。

親のスマホ時間と子のスマホ時間は相関する

愛沢氏が「親がカラフルなスマホを使っていれば子どもも同じようになる」と言うと、榊氏は、親の習慣が子どもに受け継がれるのはあらゆることに当てはまると応じた。データ上でも、親のスマホ使用時間と子どものスマホ使用時間はきれいに相関するという。だからこそ親が背中で見せることが大事だ、というのが榊氏の考えである。

8:22

「スマホ育児」とは何を指すのか

榊氏によれば、スマホ育児には学術的な定義はない。一般には、主に未就学児に対して、泣き止ませるためにスマホを見せる、電車やファミレスで静かにさせるために見せる、家で掃除機をかける間に「これ見といて」と渡す、といった使い方を指すことが多い。知育アプリで教育することをスマホ育児と呼ぶことは少ない。愛沢氏が「親が大変なときにスマホに頼るという意味で使われていると思った」と言うと、榊氏は「だいたいその意味で合っている」と答えた。

9:41

テレビ育児と何が違うのか

テレビが登場した時代にも「子どもにテレビを見せるのは良くない」という議論は10年、20年前からあった。榊氏は、テレビも良くはなかったが、今のスマホに比べればまだましだったと考えている。違いは三つあるという。

一つ目はハードの違い、つまり携帯性である。リビングに置かれたテレビは持ち運べないが、スマホは寝室にもトイレにも風呂にも持っていける。持ち運べることで使用時間ははるかに延びた。

二つ目はソフトの違いで、榊氏はこちらのほうが怖いと言う。テレビは番組表どおりに流れるので終わりがある。見たい番組が終わればCMを挟んでニュースが始まり、子どもはそのタイミングで「お風呂に入りなさい」と言われた。切れ目があったのだ。ネット動画では、1本見終わるとおすすめ動画が表示される。ユーザーの好みを学習するアルゴリズムが組まれているので、必ず見たくなるものが出てくる。自動で再生されることもあり、終わりがない。気づけば1時間、2時間、3時間、ときには朝まで、ということが起こる。

三つ目は多機能性である。テレビは映像しか出せないが、スマホにはネット動画、ネットゲーム、SNSがすべて入っていて、それを手元で細かく切り替えながら使う。榊氏によれば、この頻繁な注意の切り替えが脳にとってストレスになり、長期化すると一つのことに集中できなくなる、つまり集中力の低下を招くと言われている。榊氏はこれを「多機能性の罠」と呼んだ。

切り替えによって脳が鍛えられるのではないかという問いに、榊氏は「真逆だ」と答えた。脳は原則として一度に一つのことにしか集中できない。一般に言われるマルチタスクは本当は良くないもので、一つ処理したら次に進むのが脳にとって最も効率のよい働き方だという。人口の数%はマルチタスクができる能力を持っているらしいが、榊氏自身を含む大半の人はできない。いろいろなことを同時に進める「スマホ式」ではなく、一つ終わらせて次に行く「テレビ式」が脳に合っている、というのが榊氏の説明である。

12:54

脳の発達:3年間の追跡で見えたこと

脳への影響として榊氏が挙げたのは、小中学生の脳の発達を3年間追いかけた研究である。この研究では、スマホを毎日使っていた子どもで、脳の大部分、実に3分の1の領域で発達が止まっていたという結果が出た。本来なら成長期にある子どもの発達が止まることはありえないが、それが実際に起きているのだと榊氏は言う。

「1日3時間の使用なのか」と聞かれると、榊氏は、3時間を境にはっきり分かれるわけではないと答えた。この研究で問題にしているのは使用頻度の高さで、ほぼ毎日使っているという意味だという。1時間でも毎日使っていればそうなる可能性はある。脳は目に見えないので、子ども自身は自分の発達が遅れていることに気づけない。だから親や教師など周りの大人が注意し、支える必要がある。子どもがいきなり自分だけでうまく使いこなすのは難しい、というのが榊氏の見方だ。

大人は影響を受けないのかという質問には、「両方受ける」と答えた。違うのは矢印の向きだという。子どもは本来上向きに発達するはずのものが発達しなくなる。大人は加齢による衰えを食い止めるべきところで、逆に衰えを加速させてしまう。研究で結果が出やすいのは子どものほうだ。大人の場合、たとえば65歳を超えて認知機能がどうなったかを見るには30年の研究が必要になるが、子どもは3年ほどでも発達が大きく進むので、本来発達するはずの部分が発達していないことがわかりやすい。

14:49

乳幼児と感情のコントロール

愛沢氏は、忙しいときに0歳の赤ちゃんにアンパンマンやYouTubeの動画を見せることにも影響があるのかと尋ねた。榊氏は、未就学の年齢ではさらに影響が大きくなると答えた。依存性のあるものは触れ始める年齢が若いほど悪影響が大きいので、0歳から見せるのは危険だという。動画がないと泣き止めない状態になり、自分の感情をコントロールする力が育たないことは研究結果でも出ている、と榊氏は述べた。もう見せないほうがいいのかという問いへの答えは「正直、見せないでほしい」だった。

15:33

愛沢氏の体験:Blippiから離れるまで

愛沢氏は自身の経験を話した。上の子に海外の子ども向け動画「Blippi」を見せていたところ、カラフルな映像がひたすら流れるその動画にはまってしまった。何かあるたびに「ブリッピー」とせがみ、それがないと泣き止まなくなったという。見せておけば楽だったが、「何か違う」と感じて意識的に一切やめた。うるさくてもかまわないと割り切り、今はまったく見せていない。見せていた期間は半年弱で、完全にやめるまでに2か月ほどかかった。下の子にはまったく見せていない。

榊氏はこの判断を評価した。そのうえで、大人から見て意味のわからない「泣き止ませ動画」が増えている背景を指摘した。そうした動画は再生数を稼げて儲かるから作られている。それが子どもの発達を妨げているのなら大人として間違っているし、できればプラットフォーム側で規制してほしい、という。また、やめられたのであればまだ依存の段階ではなかったということで、本当に依存すればやめられなくなるので、間に合ってよかったと述べた。

「学者が正論を言わなくなったら終わり」

愛沢氏は、「大変なのだから助けとして少し使うくらいならいい」という寄り添う意見を信じたい気持ちもあったと打ち明けた。榊氏は、自分もリスクを負って発言していると答えた。こう言えば当然叩かれるし、自分だってスマホを取り上げたいわけではない。親が大変なことも、仕方がないこともわかっている。それでも、学者が正論を言わなくなったら終わりだと思う、という。

知育系のアプリに良い影響があるのではないか、という考えも理解できると榊氏は言う。ただ、差し引きしたときにマイナスとリスクが大きすぎる。安全で期待値が最も高いのは見せないことだ、というのが「今言える限界」だと述べた。見せなければ依存は起きない。

18:46

知育アプリと「英語の音楽」の問題

知育系の動画なら良いのではないかという質問に、榊氏はまず「わからない」と答えた。知育アプリは無数にあり、一つひとつ調べて可否を判断していたらきりがない。リスクがあるなら使わないのが理想だ、というのが全体としての意見である。

そのうえで、もう一歩踏み込んだ考え方も示した。影響は子ども一人ひとりで違う。ある知育アプリを我が子に使わせてみて、依存せず、「やめるよ」と言えばやめられ、メリットが大きくデメリットが少ないと判断できるなら、使い続けてもよいのではないかという。言い方は悪いが、我が子を実験台とみなして実際の反応を見ることが、第二段階としてできることだと榊氏は話した。

英語の音楽が流れるだけのアプリならどうかという問いには、それだけで済むなら悪影響は少ないと思う、と答えた。ただ、そこから次のアプリ、また次のアプリへと移っていかないか、と考え始めるときりがない。これがスマホの多機能性の怖さだという。作る側はそうしないと儲からないから、そのように作っている。「それに勝てる自信がありますか」と榊氏は問いかけた。英語の音楽を聞かせたいなら、スマホではなく音楽を流すだけの専用の機器を使うほうがいい、というのが榊氏の提案である。

20:54

学力への影響と、広がる格差

学力についても、榊氏らの仙台市での研究では、スマホの使用時間が長いほど成績が低いという結果が出ている。よくある誤解は、スマホを長く使う子は勉強しない、あるいは寝不足だから成績が低いのだろうという解釈だ。しかし、同じ時間勉強している子ども同士で比べても、スマホの長時間使用が学力に悪影響を与えていた。平均すると、1日3時間以上使う子どもの群では、しっかり勉強してきちんと寝ていても成績が平均を下回るというデータがあるという。スマホが学力に直接影響している可能性が高まっている、というのが研究の現状だと榊氏は説明した。

ただし、これはあくまで平均の話である。榊氏が「残酷な現実」と呼んだのは、上位の層の子どもはスマホをうまく使いこなして成績をさらに上げる一方で、下位の層の子どもは使いこなせずに依存へと向かってしまうことだ。この格差の拡大が、デジタル機器や技術がもたらす社会的な課題だという。

うまくコントロールできるかどうかは、思考の中枢を担う前頭前野の働きによると榊氏は言う。いわゆる頭が良い子は前頭前野の機能が高く、自分で使う時間を決めたり、ネットゲームではなく学習目的に活用したりできるので、学力が上がっていく。親の影響かと問われると、榊氏は「親も」だろうと答えた。親は環境の一部であり、乳幼児期は環境がほぼ親そのものだが、保育園や幼稚園、小中学校へと社会が広がるにつれ、友達や先生の影響も受けて人格が形成されていくので、すべてを親のせいにするつもりはないという。愛沢氏は、子どもは環境を選べず、そこには家庭の経済的な事情など子どもにはどうにもできないことも関わると応じた。

「どう生きるか」を考えられるまでは持たせない

榊氏は、自分が述べているのは理想論であり、極論であることも承知していると話した。「とはいえ無理だ」という意見があることも十分わかっている。この話を聞いたうえで、それぞれの現実とどうすり合わせるかを、自分の頭で考えるきっかけにしてほしいという。

榊氏は、これは単にスマホの使い方の問題ではなく「どう生きるか」の問題で、その中に「どう使うか」があると言う。子どもが自分で「どう生きたいか」を考えられるようになるまでは、できるだけ持たせないのがよい。そうでなければ、自分で人生を選び取る前に依存した状態に置かれてしまう。競争にたとえれば、大きなハンディを背負ってスタートするようなものだ。だから自己が形成される幼少期はできるだけ遠ざけるのが理想的だ、と榊氏は考えている。

25:09

何時間までなら許容範囲か

1日何時間までなら許容できるかという質問に、榊氏は「人による」としか言えないと答えた。依存かどうかを判断する要件に時間は含まれていないからだ。判断の基準は三つある。自分でコントロールできているか、生活の中での優先度が上がりすぎていないか、そして心身に悪影響が出ていないか、である。

極端に言えば、仕事で1日10時間、12時間使っていても、コントロールできていて、すぐにやめられ、寝る時間には寝られて健康なら問題はない。逆に1時間でも強く依存していたり、心身に悪影響が出ていたりすれば、依存が疑われる。時間にこだわりすぎると、「1時間を過ぎたらだめ」と親子で喧嘩になったりするので、あまりとらわれないほうがいいという。

一方で、学校などの集団でルールを決めるときには、時間はわかりやすい目安になるので、「1時間にしよう」「2時間にしよう」と目標を掲げること自体は否定しない。ただ、個別のケースで「1時間1分ならだめなのか」と言われれば、そんなことはない。プログラマー志望やeスポーツの選手まで制限するのか、という反論がよくあるが、それは仕事であり、コントロールして使いこなしているならかまわない。時間だけにとらわれると議論がおかしくなる。スマホはあくまで道具なので、個別に考えて使うことが大事だと榊氏は述べた。

いつ持たせるか、防犯目的なら

小学生にいつスマホを渡すかについて、榊氏の全体的な目安は「できるだけ遅く」である。ただし防犯・セキュリティの面では必要な場合があり、それは都市部か地方かなど地域によっても違う。セキュリティ目的に限ったスマホを持たせることには、明確な目的がある以上まったく反対しない。使い方を柔軟に切り分けてほしいという。

28:14

怒りの矛先を間違えないでほしい

対談で榊氏が繰り返し強調したのは、親を責めるつもりはないという点である。問題の本質は、親に考える余裕や時間がないことにある。それは親が悪いのではなく、社会がそうさせている。そこが介入すべき本丸だと榊氏は言う。だから親に「スマホ育児をやめろ」とは絶対に言いたくない。仕方がないことだからだ。本来は、スマホに頼らなければ子育てできない社会を作った政治や行政に言うべき話だという。

榊氏は、この話を聞いて「自分はできていない」と落ち込まないでほしいと語った。むしろ政治に訴える、投票で意思を示す、場合によっては自ら選挙に出る、子育てにもっと予算を割くよう求める、といった方向に怒りを向けてほしい。すべて親が悪いという話になれば、どんどん悪い方向に進むと榊氏は考えている。

愛沢氏も、都内では頼れる人がいない、昔は親戚など頼れる大人がもっといた、と環境の違いを挙げた。そのうえで、まずスマホの機能とデメリットを理解することが大事だと述べた。榊氏も、知ることがスタートであり、この動画をきっかけに「今日はここに気をつけてみよう」と頭の片隅に入れるだけでも、小さな積み重ねが大きな変化につながると話した。

ママ友の間でも分かれる考え方と、大型タブレット

愛沢氏の周りでは考え方がはっきり分かれているという。絶対に見せないと決め、友達の家で遊ぶときにも「うちは見せていないので見せないで」と頼む親もいれば、まったく気にせず見せる親もいる。榊氏は、見せている側の親も何かを考えたうえでそうしているのかもしれないと述べた。愛沢氏は、考えがあってのことなら使い方の問題になるので一概に悪いとは言えず、一番良くないのは何も考えずに見せることだとまとめた。

子ども向けの大型タブレットについては、持ち運べる分スマホのほうが悪影響は大きいが、本質的には大きく変わらないと榊氏は答えた。購入を迷った経験を語る愛沢氏に、榊氏は、買ってからブレーキをかけられるかも大事だが、まずは買わないのが理想だと述べた。買わなければ、それ以上考えずに済むからだ。

32:15

なぜ日本で多いのか:周りへの気遣いと子育て観

愛沢氏は、海外に行ったとき、大きなタブレットを子どもに見せている家族がとても少ないことに気づいたという。榊氏によれば、研究でも日本を含む東アジアではスマホ依存の傾向が強い。その理由はまだ研究ではわかっていないとしたうえで、榊氏は、何かにはまりやすい性質があるのではないかと推測した。加えて日本では、周りを気にしすぎる傾向があると思うという。子どもが泣いたら迷惑をかけるのではないか、早く泣き止ませなければ、という感覚は、集団の和を重んじる日本人が抱きやすいのだろうと述べた。愛沢氏も、自分が楽をしたいからではなく、周りに迷惑をかけたくなくて見せている親が多い気がすると同意した。

だからこそ子育てを国民全体で捉える必要がある、と榊氏は言う。少子化の中で生まれた子どもは日本の宝であり、「泣くのが仕事なのだから泣いたっていい」と大らかに言える人が増えれば、電車の中で早く泣き止ませなければと焦ることもなくなる。

愛沢氏は旅行先での体験を紹介した。誰も子どもに画面を見せておらず、タクシーの運転手が子どもを抱っこして歌いながらあやしてくれた。その運転手が特別だったのではなく、そういう文化の国だったという。榊氏は、日本では運転手個人の人柄の問題だけでなく、コンプライアンスでがんじがらめの状況があると指摘した。仮に抱っこしようとすれば拒む親もいるだろうし、誘拐を心配する人もいる。親切心があっても言い出しにくい社会になっている。子育てについて、内と外の両方で互いに信頼し合える関係を築いていくことが、全体として求められているのだろうと榊氏は述べた。

37:30

TikTokとスロットの共通点

愛沢氏は、自分のスマホの使い方は比較的コントロールできていると思うが、TikTokだけは「敵」だという。目的もなく見てしまい、寝不足になる。

榊氏は、TikTokのようなショート動画は現在かなり問題視されていると述べ、脳の仕組みとしてはスロットに近いと説明した。スロットで777が揃いそうなとき、脳内ではドーパミンが放出される。これは「当たるかもしれない」という予測に対する放出である。同じように、次にスワイプしたら面白い動画や可愛い動画が出てくるかもしれない、という期待がある。スワイプはスロットのボタンを押す行為に似ている。そのため、スマホ依存というよりギャンブル依存に近い脳の反応が起きているのではないか、というのが榊氏の見方である。

しかも、すべての動画が面白いとかえってうまくいかないという。たまに面白いもの、たまにくだらないものが繰り返されることで、脳は次へ次へと進みたくなる。ずっと面白いだけではギャンブル性がない。「次は面白いかもしれない」と思わせることが重要で、提供する側はそれを細かく研究している。私たちはその裏側のアルゴリズムに無意識にコントロールされているので、ショート動画アプリはアンインストールするのがベストだと榊氏は言う。

目的を持って検索するならメリットもあるかもしれないが、という愛沢氏に対し、榊氏は、流し見は時間を溶かしているにすぎないと答えた。10代の若者がダンス動画を投稿して楽しむのはわかるが、無限スクロールで人生が潤った、幸せになったという話は聞いたことがない。一度始めると自分の意思とは関係なく続けさせられてしまうので、最初の1回をしないことが大事だという。愛沢氏は、おすすめではなくフォローしている人の投稿だけを見るのとはまた違う、と付け加えた。

39:57

作る側は子どもに使わせない:ジョブズの例と資本の流出

愛沢氏が、スティーブ・ジョブズが自分の子どもには携帯を使わせなかったという話を挙げると、榊氏はそこが恐ろしいところだと応じた。作る側は自分や自分の子どもには使わせず、学校でもデジタル学習よりリアルな自然体験をさせたりしている。作る側はわかっているのだという。榊氏は、資本主義のピラミッドの頂点にいる人々が支配層になり、依存させられてただ消費し続ける市民との格差が広がっていく。それがこれから訪れる、あるいはすでに訪れている現実ではないか、という見方を示した。

さらに榊氏は、多くのサービスはアメリカの巨大テック企業のもので、無料だと思われているが実際には広告費が支払われており、日本の資本がアメリカに、TikTokであれば中国に流れていると指摘した。それに加えて人々の心や脳が不健康になれば、長い目で見て生産性も下がる。国として良いことはない、と榊氏は述べた。理解すれば改善はできるのだから、そうした人々の思うがままになってたまるかと日本人に立ち上がってほしい、という。

41:35

今日からできること

最後に、今すぐできることとして榊氏が挙げたのは、まずスマホのホーム画面の片付けである。0歳から3歳の子どもには見せないほうがいい。今見せている家庭は、1日1分ずつでもいいので時間を減らしていくのが現実的な一歩だという。

周りの目が気になって泣いている子を黙らせるために見せてしまう場合はどうすればよいか。榊氏は、本人の性格にもよるとしたうえで、理想は堂々と泣かせておくことだと答えた。一人で戦うのはつらいが、すべての親が「泣かせておけばいい」という姿勢になれば、文句を言う人もだんだん減っていく。逆に、びくびくして早く泣き止ませようとする親が大多数になると、泣き止ませない親が責められるようになってしまう。みんなを助ける意味でも、一人ひとりが少し強い気持ちを持って堂々としておくことが大事だという。榊氏は「この子があなたの年金払うんですよって顔しときゃいい」と話した。

研究はまだ途上にある

榊氏は、本当は「使うな」ではなく、「こうすれば上手に使いこなせる」という具体的な方法を伝えたいと語った。しかしそれは非常に難しく、研究も途上にあるため、現段階で言えるのは「とにかく使わないのが一番」ということになってしまう。理想と現実の間を埋める研究、つまり具体的にどうすれば、どこまでなら大丈夫なのかを示す研究を、現在進めているという。

愛沢氏が、都市部と地方で環境が違う日本の実情に合ったマニュアルがほしいと求めると、榊氏は、まさに地域ごとにさまざまな事例を集め、何年かがかりでマニュアルを作ろうとしているところだと答えた。完成すれば紹介できるという。対談は、デジタルとの向き合い方は「どう生きるか」そのものに関わるテーマであり、続きを改めて聞きたい、という愛沢氏の言葉で締めくくられた。