「らしさ」を疑い、客の心から逆算する——水野和敏が語るFMプラットフォーム、GT-R、そして最強チームのつくり方

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概要

日産でFMプラットフォームとR35 GT-Rの開発を率いた水野和敏(プロジェクト・カーズ合同会社代表)に、Sean Kawakamiが話を聞いた回である。中心にある問いは、なぜ一つの土台からスポーツカーもSUVも生まれ、半額以下のスーパーカーが18年間売れ続けたのか、そして社内の大半が反対するなかで、どうやってそれを実現する組織を動かしたのか、だ。水野の答えは一貫している。車を「もの」としてではなく、乗る人の心から見ること。答えは客の側にある、という立場である。

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リバースエンジニアリングと「新しいものを作るための技術」

冒頭でKawakamiは、日本の家電メーカーの盛衰や、のちにアジア諸国から出てきたリバースエンジニアリングに触れ、本来のエンジニアリングとは何かを問われる間に日本が追い抜かれた時代を感じた、と振り返る。これに対し水野は、新しいものを作るときには、その製品に向けた新しい技術を開発しなければならないと述べる。「できない」と諦める人たちは昔の結論と昔の結果に対してものを言っている、というのが水野の見方である。

水野はNISMO時代にグループCレースの監督兼チーフエンジニアとして実績を残し、日産に戻ってから「フロントミッドシップ(FM)」のプラットフォームを社内で提案した。Kawakamiはこれを、エンジンをどこに置くかという技術的な異端として紹介しようとするが、水野は「あまりそこに入らない方がいい」と止める。重要なのはエンジン配置ではなく、発想の出発点だというのである。

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「もの」で見れば専用設計が優秀に見える

水野によれば、1990年以前の自動車づくりは、スポーツカーにはスポーツカー用のエンジンとサスペンション、プラットフォームがあり、乗用車には乗用車用の、オフローダーにはフレーム構造とオフローダー用エンジンがある、という前提で成り立っていた。三者は違って当たり前だと思い込まれていた。作る側からすれば土台が共通になれば効率的だとは分かっていても、そこまでは進まなかった。

評論の側もそれを後押ししていたと水野は語る。オフローダーとしてさらに専用化した、スポーツカーとしてさらにチューニングした、と違えば優秀と書かれ、共通化すれば「共用して安物にした」と書かれる。そういう記事ばかりだったという。

水野はその理由を、車を「もの」として見ているからだと説明する。ものとして見れば、オフローダーらしい、乗用車らしい、スポーツカーらしい方が優れているように思える。ところが乗る人の心で見ると、答えは逆で、求めているものは共通だというのが水野の主張である。

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アメリカの富豪と、後部座席で酔う子供

その根拠として水野は、アメリカ駐在時の経験を挙げる。富裕層は車を2〜3台持ち、ビジネスにはセダン、プライベートの遊びにはスポーツカー、休日に家族と国立公園のコテージへ行くときはオフローダーを使う。そこで一番困ったのは、高級オフローダーで国立公園に向かう途中、後ろからスポーツカーに煽られてスピードを出すと子供が車酔いしてしまうことだった。オフローダーでも乗り心地や運動性能を何とかしてほしい、という声が根底にあった。

セダンも同じで、ネバダやユタの山道では週末にスポーツカーが後ろから次々と追い抜いていく。セダンの客も、乗り心地がよくて運動性能のいい車を求めていた。一方のスポーツカーは専用化が進みすぎて開発費が高く、台数が売れないために次々と消えていった。三つのカテゴリーはそれぞれ別の問題を抱えていた、と水野は整理する。

人の心に戻ると、乗り心地がよく、走りがよく、デザインのバランスがいい車というのは、車を「生活のパートナー」として見ればどの車種にも共通する項目になる。水野はそこから逆算した。エンジンはできるだけコンパクトに、室内とトランクは広く、乗り心地と操縦安定性のために前後輪の荷重を均等にする。そのためにコンパクトなエンジンをフロントミッドに載せた結果がFMプラットフォームだった、という説明である。

Kawakamiがこれを「新しい設計思想」と言い換えると、水野は「思想ではなく、これが本来のエンジニアリングだ」と返す。学校で「V8は高級車」「この方式は高級で滑らか」といった「ものの記憶」を覚え、その記憶でものを作るから違うものが生まれる。答えは客にある、すべては客のために作り、そのために必要な技術を作る。冒頭の「新しい技術」の話はこういう意味だと水野は語り、「覚えた技術は捨てろ」というのが自分の発想だとも述べた。

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FXの中身はフェアレディZ

FMプラットフォームからはスカイライン、フェアレディZ、FXなど複数の車種が生まれた。水野が例に挙げるのは、日産リバイバルプランの時期にFMプラットフォームで出したFXである。日本では販売されなかったが、アメリカでヒットしたSUVで、見た目はSUVでも下回りはフェアレディZのユニットをそのまま使っている。Zのプラットフォームを、編集するように設計を組み替えられる構造にしていたから可能だったという。その結果、FXのオーナーから「ロサンゼルスからフェニックスまで何時間で行った」という声が何通も届いたと水野は話す。

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かっこいいとは、異性に憧れられること

水野は、スポーツカーが消えた理由をあらためて「マニアックになりすぎて、一部の車オタクの商品になり、ファンがいなくなったから」とまとめる。ではスポーツカーに必要なものは何か。水野の答えは「かっこいいこと」であり、かっこいいとは「異性に憧れられること」だという。人がスポーツカーに乗りたいのは、街行く人や女性にかっこいいと思われたいからだ、と水野は言う。

そのためZ33のデザインはサンディエゴの女性デザイナーに任せた。男性がやると、汗をかくような5%の層に向けたスポーツカーを作ってしまう、というのが水野の理由である。Z33には「何とも言えない優しさがある」と水野は語る。

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ポルシェの本当の強さ

Kawakamiが「世界の名だたるメーカーにも優秀な人はいるはずなのに、なぜ水野さんのような発想をする人がいなかったのか」と問うと、水野は「いる。ポルシェだ」と答える。Kawakamiは値段の面で汎用性があるとは言いにくいのでは、と返すが、水野は、911からボクスターまでインストルメントパネル、ドア、サスペンションのほとんどを共用しているとして、ポルシェの共通化の度合いを強調する。

さらに水野が最も重要だとするのは、特にアメリカで、ポルシェの保有者の30%以上が女性だという点である。ポルシェというと上位のGTシリーズばかりが注目されるが、女性が憧れて気軽に乗れるスポーツカーであること、30%以上の女性オーナーがいることこそが基盤の強さだという。水野はこれをポルシェから学び、Z33のデザインに反映させたと話している。

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GT-R——「誰でも、どこでも、いつでもスーパーカーライフを」

話はGT-Rに移る。Kawakamiは、ニュルブルクリンクでポルシェやブガッティなど名門を上回る記録を出したこと、雑誌の記事によれば第一世代だけで18年間に約4万8000台を売ったこと、それを「iPhoneが初代から18年間モデルチェンジせずに最先端であり続けたのと同じ」と表現した記事があったことを紹介する。価格はフェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェの半額以下で、当時の北米価格は6万9850ドル。映画『ワイルド・スピード』で登場し、アメリカの少年たちはプレイステーションの中で初めてGT-Rに乗って憧れを持った、とKawakamiは語る。Kawakamiは自身が同映画のトレーラーのナレーションを担当したとも明かしている。

水野の説明は簡潔だ。R35 GT-Rの発表時に掲げたのは、「誰でも、どこでも、いつでもスーパーカーライフを楽しめる」というコンセプトだった。「誰でも」とは、障害のある人も健常者も、走らせれば同じタイムが出るという意味だと水野ははっきり言う。「どこでも」は、中東の王族が砂嵐の砂漠を300km/hで走るような環境でも、真冬でもSUVより安定して走れること。そしてニュルブルクリンクを走ればポルシェより速いこと、である。

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記録はマーケティング、プレミアムは絶対値

ポルシェやブガッティを上回る記録は本当に必要だったのか、とKawakamiが尋ねると、水野は必要だったと答える。「誰でも、どこでも、いつでも楽しめるスーパーカーライフ」の定義は、世界一速い車に乗れることであり、それが客の心だからだ。メーカーが「速い」と言うだけでは誰も楽しくない。「ポルシェを追い抜いた車が自分のパートナーだ」と思えれば、客の心の持ち方は変わる、と水野は言う。Kawakamiが「つまり世界一の記録はエンジニアリングではなくマーケティングなのか」と確かめると、水野は肯定した。

水野はさらに、フェラーリやポルシェに対抗するスーパーカーを作れと言われると、多くの人は似たデザインの車を作り、ベンチマークと比べて良し悪しを論じると指摘する。商品なら比較で買うのは当然で、「バリュー」とは比較の中でのベストを指す。しかしブランドとしての「プレミアム」は比較ではなく絶対値であり、両者はまったく違う世界だというのが水野の考えである。広告費を使わないという水野の方針について、Kawakamiは「何秒速い」という記録そのものがブランドになるということか、とまとめている。

ニュルブルクリンクで記録が出た瞬間に水野がうつむいて涙を流す姿をテレビで見た、とKawakamiが言うと、水野は涙もろいのだと答え、FMプラットフォームを発表したときも泣いたと明かした。何かが終わると、だいたい泣くか失敗するかだ、と笑っている。

18年間同じモデルで走り続けられた理由について、水野は「簡単だ」と言う。世界唯一の商品にすれば競合がいない。世界唯一の商品は、比べる相手がいないので何年経っても古くならない、というのが水野の説明である。

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99%が反対するのは当たり前

Kawakamiは、水野のやってきたことはすべて異端的で、社内からの反発も相当あったのではないかと問う。水野は、人間とはそういうものだと答える。大企業ほど、社員は毎年給料をもらえ、30年のローンを組んでも払えなくなるとは思っていない。その中で「今の仕事のやり方は違う、人も減らし効率化して、あなた方の半分の開発期間で世界のトップと争う商品を作る」と言えば、反対が起きるのは当然であり、「ほらを吹くな」「俺たちの仕事を否定するのか」と言われる。99%の人は反対する、と水野は言う。

では何が大組織を動かしたのか。Kawakamiは、積み上げた実績があったからこそ「やらせてくれ」と言えたのではないかと推測するが、水野は「やらせてくれとは口先でも言っていない、やりたくないと言った」と訂正する。実は2001年頃から東京モーターショーにプロトタイプを出していた先行開発チームがあり、水野は人がやっているものだから自分の仕事ではないと思い込んでいた。そのチームは何度も提案していたという。

当時のCEOは、水野と非常に波長が合う人物だったと水野は語る。CEOは「ポルシェやフェラーリの真似をした車、今ある車の真似のような車を出してもだめだ。水野、お前の好きな車を作ってくれ」と言った。FMプラットフォームやレースでの仕事ぶりから、水野がまったく違うアプローチで違うものを作る人間だと知っていたのだろう、と水野は見ている。そして「その代わり全部渡す」と告げた。

水野自身は「権限はいらない、責任をくれ」と考えている。責任があるからこそ権限を実行できる、という理屈である。CEOは、水野が好きなようにやれば社内で大反対が起き、役員が会議で水野を潰しにかかるだろうと見越し、「私の命令で、あなたが全権限を持ってやってください」と社内に示した。水野はこれを、日産という組織から自分を守るためだったと受け止めている。

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社内の協力は当てにしない——中途人材80%のチーム

しかし全権限を与えられた結果、起きたのは孤立だったと水野は語る。CEOがやっていることは自分たちに関係ない、と開発部門の人は出てこず、部品メーカーの8割から「仕事はお断りします」と断られた。日産なのに人も出してもらえなかったが、水野は「しょうがない」と言う。世の中は綺麗事を並べたような会社ばかりではない、と。

背景には開発能力の限界があった。水野によれば、当時カルロス・ゴーンは、開発部門も部品も含めて年間16車種しか開発できる能力がないのに、リバイバルプランが一段落して次の段階として23車種の開発を指示していた。開発部門も部品メーカーもキャパシティを超えていたところに、高いレベルを要求するGT-Rが入ってくれば、人も出さず仕事も断るのは当然だ、と水野は言う。協力してもらえると思うのは間違いで、当てにすれば失敗する。みんなの状況も考えてあげなければいけない、というのが水野の立場である。

そこで水野が目を向けたのが、当時トラック事業の再編で2000人規模の早期退職を実施していたいすゞ自動車だった。いすゞでエンジニアをしていた人たちに来てもらい、開発チームの80%が元いすゞの人材になったという。水野は「それでいい」と言う。新しい仕事をし新しい技術を作るのに、これまでの技術でエリートになった人は欲しくない。過去のエリート技術を鼻にかけ、新しいことにけちをつけるメンバーは要らない、というのがその理由である。

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2週間で全計画図——「言われた仕事で成功したためしはない」

チームをまとめる上での最初の要点を問われ、水野は「最初だ」と答える。12月23日にゴーンからGT-Rの開発を頼まれ、冬休みを挟んで1月15日には、車両計画図、投資計画、販売計画、収益計画、性能目標、販売価格をすべてまとめてゴーンのところへ持って行った。約2週間である。ゴーンは驚き、「あと3か月の猶予を与えるから、修正があれば遠慮なく修正してくれ」と言ったという。コンサルティングの立場から2週間はかなりタイトだとKawakamiが言うと、水野は、その計画はすべてぴったり当たった、外れる計画は出さない、それが自分の信用だと述べた。

水野はここで「言われた仕事で成功したためしはない」という持論を語る。今も頭の中には、軽自動車を作るならこうする、EVならこう、スーパーサルーンならこう、スーパーカーならこう、という具合に10車種ほどの計画をプロとして持っている。だから「やれ」と言われれば1か月以内に全部の計画を出せる。一方、会社に時期が来たからと言われてやる仕事は、ベンチマークと比べて5%良いからこの商品は良い、という程度の結果しか持ってこない。水野はそういう仕事で人生を終わらせたくないと言い、自分の仕事は客の夢や未来を作ることで、会社はそれを実現するための手段にすぎないと語る。すべての答えは客にあり、客の未来と喜びのために車を作ると考えれば何も怖くない、というのが水野の結論である。

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計画図と三つの夢がチームをまとめる

棟梁・匠・職人による小さな最強チームをどう束ねたのか、とKawakamiが問うと、水野は「2週間でゴーンに全部提案したこと」こそがチームをまとめる上で一番大事だったと答える。計画を説明して承認を得たその場で部署に戻り、全員を集めて車両計画図を見せ、「CEOから全面的にバックアップすると承認をもらっている、自信を持ってやろう」と伝えた。計画図ができているということは、できなかったときは自分が面倒を見るという意味だ、とも。

そのうえで水野は、チームに三つの夢を示した。一つは、誰でも、どこでも、いつでもスーパーカーライフを楽しめること。ポルシェにもフェラーリにもできなかったことを世界で初めて実現する。二つめは、アウトバーンを片手運転で300km/hで走りながら隣の人と会話を楽しめる車を作り、ドイツ人を驚かせること。三つめは、誰もが不可能だと思っているニュルブルクリンクでポルシェより速いタイムを出すこと。この三つの夢は発表・発売後に客へ届けるものそのものだ、と水野は語った。

仕事の進め方も変えた。それまでの自動車会社は、エンジン、車体、シャシーといった部署ごとに設計・実験をしていた。水野は「車両総合計測システム」を積んだ1台をマスターカーとし、その1台のデータで全部署が仕事をする方式にした。だから部署という区切りも、実験部と設計の境目もない。知識がなくてもいいから一緒に新しい技術を作る気持ちになってくれ、今まで知っていたか、優秀だったかはどうでもいい、とチームに伝えたという。

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抜き打ちインタビューという評価尺度

水野がもう一つチームに課したのは、発表・発売後に国内外のジャーナリストから受けるインタビューに、打ち合わせなしの抜き打ちで答えることだった。一人ひとりがそれだけの自信を持てる仕事を、これからの3年間で作ろうというのである。取材が入る日には「聞かれたら答えてくれ」とだけ言い、それ以上は一切言わない。全員が自分の口で答えた結果が、水野のマネジメントの結果でもあり、メディアの取材までを自分のマネジメントの評価尺度に使っていると水野は語る。Kawakamiはこれを、関わった一人ひとりが水野から受け取ったエネルギーや自分がかけた時間を自分の言葉で語れば、その総体が水野の求める言葉になるのだからコントロールは要らない、と受け止めた。水野は、どんなインタビューも抜き打ちであることが大事だと重ねている。

対談の終盤では、マーケティング会社に属性データの調査をさせて数字から車を考えるよりも、ロデオドライブのシャネルの前に車を置き、何人が覗き込み、何人がデポジットを払うかというデータを取るやり方が話題になった。宣伝費は要らないのではというKawakamiの言葉に、水野は「宣伝費はゼロだ」と応じ、「自分が育てた商品」という意識をどうやって客に持たせるかが、ブランディングの本当の究極の姿だと思うと語っている。最後に水野は、手術の手順通りに進める普通の医師と、人の体はそれぞれ違うとして起こりうるあらゆる可能性をメモにしておく医師とを対比し、後者が自分のやり方だと述べて話を締めくくった。