「自らがブランドになって考える」 ザ・ノース・フェイスの大坪岳人が語る、歩いて考える仕事術
MAKE IT NEXT60年続くブランドを、次の時代に向けてどう育てていくのか。ナビゲーターのSean Kawakamiがこのテーマで迎えたのは、ゴールドウインでザ・ノース・フェイスのブランド事業副本部長を務める大坪岳人だ。前編では、ゴールドウインという会社とザ・ノース・フェイスの成り立ちをたどったうえで、大坪が20年以上同じブランドに携わってきた理由と、1日1万3000歩以上歩くという自身の仕事の流儀が語られた。
富山のメリヤス工場から始まった「いい意味で無国籍」な会社
Kawakamiはまず、ゴールドウインという社名から受ける「無国籍感」に触れ、どこの会社なのかを改めて尋ねた。大坪によれば、発祥は富山県の石川県との県境に近い町・津沢である。もともとは靴下などを作るメリヤス工場で、創業者が「スポーツが世界を変えるだろう」と考えて事業を始めたという。大坪はこれを1回目の東京オリンピックの時期と結びつけて説明し、Kawakamiは1950年という年に触れて、その先見性を評価した。
現在の取り扱いブランドは幅広い。大坪が挙げたのは、ヨットのヘリーハンセン、ニュージーランドのメリノウールブランドであるアイスブレーカー、アウトドア以外では競泳のスピード、ラグビー日本代表のウェアを手がけるカンタベリーである。Kawakamiはスピードやカンタベリーまでゴールドウインの扱いであることに驚いてみせた。
Kawakamiはここで、アメリカ人の友人が「アメリカにはこんなすごいものがある」と誇らしげに語っていたエピソードを持ち出す。そのとき彼は、ブランドが無国籍化して世界になじみ、各地の人々が「自分たちのブランドだ」と思えるところまで来ていること自体がすごいのだと感じたという。ゴールドウインにも、ライセンス契約を結んでローカライズして販売するという点で、そうした「いい意味での無国籍感」があるとKawakamiは見ている。
クモの糸の研究から生まれた素材
ゴールドウインは製品を作るメーカーであると同時に、富山に研究所を持ち、素材や素材の組み合わせ方の開発も行っている。Kawakamiが例に挙げたのが、慶應義塾大学先端生命科学研究所から始まったクモの糸の人工合成研究だ。大坪の説明では、クモの糸と同じ構造を持つタンパク質を新たに作り出し、それを使って繊維にするという取り組みで、素材自体はSpiberと共同で進めている。プロテインから生み出す繊維「Brewed Protein」を使ったテキスタイルを開発しており、大坪がこの日着ていたのも、それを使ったジャケットだった。
Kawakamiは「クモの糸でできているわけではない」と確認したうえで、同じ構造のタンパク質を使った素材であるため環境に配慮した素材であり、当時は「条件によっては鋼鉄をしのぐ強度」という言葉が話題になったと振り返った。2015〜2016年ごろからこうした素材に目をつけ、開発に取り組んできた会社だというのがKawakamiの紹介である。
1966年、サンフランシスコの小さな店から
ザ・ノース・フェイスは今年で60年を迎える。大坪によると、ブランドの誕生は1966年のアメリカ・サンフランシスコだ。最初の2年間はダグラス・トンプキンスが店として運営し、1968年にハップ・クロップがその店を買い取るような形でブランドとしてスタートさせた。
当初はヨセミテや国立公園など、自然に向かう人々に向けてギアを販売していたが、やがて自分たちで製品を作るようになった。大坪が例に挙げたのがバックパックである。今でこそ何かを背負って歩くのは普通のことだが、当時はあまりそういう発想がなかった。両手が空いた状態で荷物を背負って自然に入っていくことを支え始めたのが、ブランドの最初の姿だったという。
日本に入ってきたのは1970年代で、すでに40年以上の歴史があると大坪は話した。
日本の企画力と、すぐそばにあるフィールド
Kawakamiは、日本企業は単にライセンスを受けて代理販売するだけでなく、ローカライズが非常に上手だと指摘する。フランチャイズなどでは、日本の代理店側の価値が高まり、本社を上回るようなことがよくある。では日本での企画は大きな意味を持つのか、と問いかけた。
大坪の答えは、土地ごとに気候も、使う人の体型も文化も違うので、ブランドとして大事なところは押さえつつ、その土地に合わせたものづくりをしてきたというものだ。特に北陸は昔から化学繊維などの産業が盛んで、そうした地元の産業と協業しながら新しいものづくりを進めてきたという。
Kawakamiは、あるアパレル関係者から聞いた話として、日本は北海道から沖縄まで季節が異なり、四季があり、極寒の地もあれば非常に暑い土地もあるので、商品開発がしやすいという見方を紹介した。大坪もこれに同意し、特に富山について、水深3000mほどにもなると大坪が語る深い海と、富士山ほどではないものの立山をはじめとするアルプスがすぐ近くにあることを挙げた。フィールドとの距離が近いことに加え、洋服に限らずさまざまなものづくりを行うカルチャーが根付いていることが大きい、というのが大坪の見方である。
なぜ20年以上、このブランドにいるのか
ここでKawakamiは、この日の大きなテーマを切り出す。番組の視聴者の中には、老舗企業を世代交代で継がなければならない人や、そうした会社に入った人もいるだろう。日本は老舗企業が多い国だ。創業60年のブランドに、大坪は2004年の入社以来、22年携わっている。転職の誘いや他の選択肢もあり得たなかで、なぜこれほど長くこのブランドにいたのか。
大坪はまず、仕事とブランドの両方がとても好きだということが大きいと答えた。途中5年ほど、社内でオリジナルブランドの立ち上げにも携わったが、自分の場合はザ・ノース・フェイスがとても好きで、それを通じて仕事にとどまらないさまざまな経験や出会いがあった。同じような体験を、仕事としてというより、お客さんや人々に伝えたいという思いが強く、それが続いている理由だという。
Kawakamiはさらに、逆算して考えると、20年近くも「好きだ、面白いことをやりたい」と思わせるブランドとはどういうものなのか、と問いを重ねた。大坪が挙げたのは、ザ・ノース・フェイスのタグライン「Never Stop Exploring」である。日本語では「飽くなき探究心」と説明されることが多いこの言葉の通り、常に挑戦させてもらえ、終わりがない。同じブランドでありながら変化し続けられる。挑戦は事業としてはリスクになることもあるが、それが文化として推奨されている。さらにブランドの奥には「アウトドア」という非常に広いフィールドがあり、そのことが経験として変わり続けることにつながっている、と大坪は語った。
ブランドの先にあるコミュニティ
Kawakamiは、ブランドを作り広めてきた人々の志や哲学に加えて、ザ・ノース・フェイスが持つコミュニティの大きさを指摘した。コミュニティであり、アクティビティであり、ムーブメントでもある。「アウトドア」と聞いた瞬間に思い浮かぶブランドの一つであり、そこに身を投じれば、ブランドでありながらコミュニティがある。それが強みだという見立てだ。
大坪もこれに同意し、ザ・ノース・フェイスというブランドをよりよくして広げたいという思いはもちろんあるが、それ以上にアウトドアというカルチャーを大事にしたいという気持ちが強いと話した。
Kawakamiは、この点はマーケターにとって示唆が多いと受け止める。ブランドを売らなければ、知らせなければと、Instagramでの露出などに追われがちだが、広く深いコミュニティがまず存在し、それを支える延長線上にたまたま自社のブランドがある、と考えると、ブランドの育て方も違って見えてくるというのである。
MDは「マーケットデザイナー」
話題は大坪の職務に移る。MDといえば一般にはマーチャンダイジングやマーチャンダイザーを指し、コンビニエンスストアの棚づくりから商品開発まで、さまざまな意味で使われる。大坪のMDとは何なのか。
大坪によれば、この質問は20年近く繰り返し受けてきたものだという。社内では「MD」と書かれているだけで、カタカナの訳語は記されていない。尋ねたところ返ってきた答えが「マーケットデザイナーだ」だった。非常に広く難しいお題だったが、先ほどのアウトドア、さらにその周辺にある市場をどうデザインしていくかを任された役割がMDだと大坪は理解している。Kawakamiが「できることは何でもやる、逆に言えばやりなさいということか」と確認すると、大坪はその通りだと答えた。
経歴としては、2004年にゴールドウインに入社し、ザ・ノース・フェイスのMDを担当。2021年には事業部長として新ブランド「ニュートラルワークス」を立ち上げた。ニュートラルワークスはもともと、スピードなど社内のアスレチック系ブランドをセレクトする業態の店としてあったが、それをブランドとしてスタートさせ、5年ほど手がけたという。
「自らがブランドになって考える」
Kawakamiは、後輩が大坪のような仕事をしたいと思ったとき、他の人と違って自分だけがやっているかもしれないこだわりは何か、と尋ねた。大坪の答えは「自らがブランドになる」ことだった。これは人から教わった考えでもあり、自らがブランドになって考え、それを実践するということだという。
Kawakamiが「自分を露出していくということか」と聞き返すと、大坪はそうではないと否定し、たとえばザ・ノース・フェイスのように考えることを実践していくのだと説明した。Kawakamiはこれを、Never Stop Exploringのブランドであるなら、自分も探求することをやめない人間でいようということだと言い換え、具体的にはどんなことをしているのかと続けた。
1日1万3000歩、歩くと入ってくる情報
大坪がいつも心がけているのは、移動すること、つまり歩くことである。車を使う日はそこまでいかないが、1日におおむね1万3000〜1万4000歩は歩くようにしている。A地点からB地点へ歩くだけで、さまざまな情報が入ってくるからだ。この日は時間がなく会社から六本木ヒルズまでタクシーで来たが、同じ道を歩けば入ってくる情報はまったく違う、と大坪は言う。
Kawakamiも同じことを感じているがうまく言語化できていないとして、「ネットサーフィンの3時間と、歩く3時間の違いは何か」と問いかけた。大坪は山歩きにもたとえながら、視覚から入ってくる8割ほどの情報は、本当に言葉にならない情報だと答えた。匂いなどもあるが、いつも歩いている道のちょっとした変化、歩いている人の格好や髪型、どんな空気感なのかといったことは、一つ一つネットで検索すればとんでもない量になる。それが、歩くことで体に染みていくのだという。
Kawakamiはこれを受けて、足の裏で感じる地面の硬さ、すれ違った人の服装、こんなところに店があったのかという発見などを挙げ、ネットとの違いを整理した。ネットは基本的に「俺の話を聞け、俺を見ろ」という向こうからの発信だが、歩く世界では、大きなスクリーンがある場所を除けば、自分から取りに行き、気づかなければならない。感性が乏しければ、季節外れに咲いている花にも気づかず踏みつけてしまうかもしれない。だから自分の感性が試される、というのがKawakamiの見方だ。
外と内にアンテナを張る「アクティブレスト」
大坪はこれを、外と内にアンテナを張り、変化を感じることだと表現した。歩くことは、本人いわく「そういう言葉はないと思うが」と断りつつ、アクティブレストに近く、アクティブメディテーションやアクティブサウナのようなものだという。歩いていると、今日は体が重い、今日は自分がこんなことを考えている、といった自分の変化に気づく。机に座って息を詰めていても見つからないことが多く、そういうことを繰り返す時間は、わざわざ時間を取ろうとしてもなかなか取れない。
忙しいなかでどう時間を確保しているのかと問われると、大坪は通勤や移動を挙げた。誰にでも移動はあるので、そこをできるだけ歩くようにする。特別な時間でなくてよく、その時間を意識して歩く。常にアンテナを張り巡らせているというわけではないが、そうした時間を大切にしているという。
大坪はアクティブレストの発想の背景として、ゴールドウインの経験も語った。仕事で疲れて帰宅してから走るなど考えにくいが、実際にはそこから30分、40分でも走ると体がリフレッシュする。ゴールドウインは長年アスリートを支えてきたなかで、トレーニングよりも、その後のコンディショニングが意外と大事だということを見てきた。それは仕事をする人も同じだと考え、大坪の場合はそれを歩くことに置き換えて実践してきたという。
Kawakamiも、オリンピックに出場した水泳選手の友人の話を紹介した。体を休めるときに何をするのかと聞くと「泳ぐ」と答え、クロールをしながら眠れるほどだという。リゾート地に行くときもプールがあるかどうかが大事で、それは活動していながら休んでいる状態であり、回復してまた練習に戻っていく。Kawakamiはこれを、大坪の言うアクティブレストと通じるものとして受け止めた。
対談はこの後、Kawakamiがポルシェなどのエンジン音を例に、うるさいはずの音がたまらないという人もいる、マーケティングを超えた「メタマーケティング」のような世界だと話し始めたところで前編の字幕が途切れており、その議論の行方は語られないまま終わっている。
明日を作るビジネスアスリートへ送る、時代の羅針盤、MAKE IT NEXT。ナビゲーターのショーンです。
さて、今回のテーマです。老舗ブランドをいかに育てていくのか、次の時代へ育てるのか、これが大きなテーマです。お迎えするゲストです。株式会社ゴールドウイン、ザ・ノース・フェイス ブランド事業副本部長の大坪岳人さんです。こんにちは。
こんにちは。よろしくお願いいたします。
ゴールドウインっていう会社って、これを見たり聞いたりしてらっしゃる方々も、「あれ、これどこの会社だろう」って、無国籍感がものすごいんですけど。この会社っていうのはどちらの、改めて。
そうですね。発祥は日本の、発祥というか今もですけど、日本の富山県に、小矢部市という、ちょうど石川県との県境の方にある町なんですけど、そこの津沢っていうところから始まった。元々は靴下とかを作る工場から始まった。
メリヤス工場だったっていう。メリヤスって言葉もなくなりましたけどね。そこから。
そうですね。そこから創業の西田さんという方が始められて、ちょうど1回目の東京オリンピックの時ですね。そのスポーツが世界を変えるであろうということで。
そうか。先の目ですね。1950年ですもんね。
はい。
そして今や事業、そして取り扱いブランドも幅広いわけですけども、今回のご担当のザ・ノース・フェイスもそうです。あと、たくさんありますね。
そうですね。例えばヨットのヘリーハンセンですとか、あとニュージーランドのアイスブレーカーというメリノウールのブランドもありますし、アウトドア以外ですと、水泳のSpeedoという競泳の。
意外ですよね。これ、Speedoは皆さん知ってると思うんですよね。そうですか。他にもあるんですか?
あとはラグビーの日本代表のウェアを作ってる、カンタベリーというブランド。
あれもですか?
はい。カンタベリー。
カンタベリー。なるほど。本当にこの会社自体が、まずコーポレートブランドとして無国籍であることって、私すごいなって。
よく、友人のアメリカ人が、アメリカに行った時に「俺ら、すごいだろう、ものがあるんだぜ」っていうのを堂々と私に言ってたアメリカ人がいたんですけど、その時に「何言ってんだよ」って思う一方、ブランドが無国籍化して、これだけ世界に馴染んで、ローカルの人たちが自分のブランドだって思えるぐらいになってるって、すごいことだなと思ったんですけど、ゴールドウインさん、まさにこう、無国籍、いい意味での感があるなと。
これ、もちろんブランドをライセンス契約して、ローカライズして販売してらっしゃるってこともそうだし、研究所を持ったりしてるんですね。
そうですね。富山の方に研究所がありまして、元々は。
研究、何を?
そうですね、いろんな、本当にありとあらゆることを。我々、いわゆる製品を作るメーカーではあるんですけど、例えばその元となる素材ですとか、素材をどう組み合わせるかとか。
もうメーカー機能として素材、繊維の開発。皆さん、耳に久しいというか、「あ、あの会社か」と思うかもしれませんけども、慶應義塾大学の先端生命科学研究所が出した、クモの糸の人工合成研究から始まって。あれ何ですか、そのクモのタンパク質の構造を生かして繊維を作る。
そうですね。その同じ構造、分かりやすく言うと同じ構造を、新たに作り出すという。
それを使って新たな繊維を作る。それです、今日お召しの。
そうですね。はい。
素材自体はSpiberという会社と一緒に取り組んで、Brewed Protein、そのプロテインから生み出すという繊維を使ったテキスタイルを開発して、私が着てるのはそれを使ったジャケット。
クモの糸でできてるわけじゃないんですよね。
そうです。はい。構造タンパク。
構造タンパクですよね。同じ構造をしているタンパク質を使った素材でできているので、環境にもいいし、環境配慮素材って言うんですかね。しかも強い。ものによっては鋼鉄をしのぐぐらいの強度っていう言葉が当時踊りましたよね。ちょうど2015年とか6年も、そのぐらいに目をつけて、そういう素材開発もやってらっしゃるという会社で。その中の大坪さんは、ザ・ノース・フェイス。これも知らない人はいないんじゃないかと思うんですけども。
今は本当におかげさまで、たくさんの方に。ちょうど今年で60年になりますので、長く。
なるほど。これ改めてですけど、もうこれ、知らないで着てる人もいっぱいいるような気もするんですけども。「俺のノースだ」って思ってる人もすごくいると思うんですけども、ブランドとしての簡単なご紹介、お願いできますか?
元々ノースフェイスというのはですね、1966年にアメリカのサンフランシスコで生まれたブランドです。最初の2年間はダグラス・トンプキンスさんっていう方が、お店として運営してたところを、その後68年にハップ・クロップという方が、そのお店を買い取るような形でブランドをスタートしたということで。
主には当時、ヨセミテですとかナショナルパークに、自然に向かうという人たちに対して、ギアですとかを最初販売してたところから、今度は自分たちで作って。バックパックとか。バックパックっていうのも今でこそ、何かを背負って歩くっていうのは普通、皆さんいろんな方が背負ってますけど、当時はあんまりそういう発想がなくて。両手がフリーになると。そういった状態で荷を背負って自然に入っていくというのをサポートし始めたっていうのが一番最初。
そうなんですね。これ、日本に入ってきたのが。
日本に最初に入ってきたのは1970。
そうですか。もう長いんですね。
そうですね。40年以上。
そこでやっぱり日本って、単純にライセンスを受けて代理販売するだけじゃなくて、やっぱり日本企業ってローカライズがすごく上手だなって。様々なフランチャイズとかいっぱいありますけど、日本に代理店ができると、だんだん日本のバリューがすごく高くなってきて、本社を上回るみたいなことがよくありますけど、これ、やっぱり日本での企画って大きいですか?
そうですね。我々、ライセンスを取得してからはですね、からというか、その前からもだと思うんですけど、やっぱりその土地その土地で気候も違いますし、使われる、当然体形とか文化も異なるので。ブランドとしての大事なところは捉えつつ、日本、特に北陸は化学繊維ですとか、そういったものは非常に昔から盛んにあるので、そういったところと協業しながら、新しいものづくりを作っていくというのを。
あるアパレルの方に聞くと、やっぱり日本って、北は北海道、南は沖縄まで季節も違う。あと四季もある。ものすごく厳しい寒冷地もあれば、とてつもなく常夏の、本当に。だからそういう意味では、いろんな商品開発がしやすいんだよっていうことをおっしゃってた。やっぱりそれ、関係ありますか?
ありますね。特に富山は海抜3000メートルぐらいですかね、非常に深い海があって、山は立山が、やっぱり富士山ほどではないですけど、アルプスが。
適してるんですね。
はい。それがすごく近くにあるっていうのはありますし、そのフィールドとの距離感もそうですし、あとは昔から、洋服だけではなくて様々なものづくりを作る、カルチャーが根付いてるっていうのはすごくあると思いますね。
今日は一つ大きなテーマで、大坪さんといろいろと議論していきたいのは、この番組を見たり聞いたりしてらっしゃる方の中でも、いわゆる老舗の、これはいろんな業種業態あると思うんですけども、それを世代交代で継がなきゃいけないとかね、あるいはそういう会社に入ったということで。日本って老舗企業が多い国じゃないですか。もちろんヨーロッパも多いと思うんですけども。これ、創業60年のブランドで、大坪さん、18年ぐらい、もう20年近いですね。
そうですね。2004年に入社したので。
長いですね。22年か。まず一つだけ、転職とかね、他にいい場所があったり、いいオファーがあったり、ご縁もいらっしゃる中で、「なんで20年近くもこのブランドに僕はいたんだろうな」って振り返ってみると何ですか?
そうですね。単純に仕事とブランドが両方ものすごく好きだっていうのが、ものすごく大きいのと、途中で5年ほど、社内でオリジナルのブランドを立ち上げたりもしてるんですけど、やっぱり私の場合はノースフェイスがすごく好きで。それによっていろんな、仕事としてだけじゃなくて、経験とか出会いとかがあって。やっぱり同じような体験を、仕事の人としてっていうよりかは、お客さんであったり人に伝えたいって思いが本当に強くて、続いてると。
これ、いろんな方が見てることを想定してたんですけど、これは大坪さんがたまたまそのブランドに恋い焦がれるっていうか、愛したってことなのか。一方で、向こうから何かいろんなものがあったからこそ、それに共鳴する自分がいたわけじゃないですか。
ブランドってもう世の中にたくさんブランドがあるわけで。そのブランドに対して20年近くも、「ブランド好きだな」と思って、何か面白いことやりたいなと思えるブランドっていうのは、ちょっと逆算なんですけど、どういうブランドだったんですかね、これは。
そうですね。やっぱりノースフェイスって、Never Stop Exploringっていう、いわゆる飽くなき探究心みたいな、よく日本語ですとそういうふうに言うんですけど、そういうタグラインがあって。常に挑戦させてもらったりとか、終わりがないんですよね。だからそれがすごく私にとっては、変化し、同じブランドではあるけど変化し続けられるし。
挑戦することが、その時に当然、事業としてはリスクになったりすることもあると思うんですけど、文化としてそういうことが推奨されるっていうのと。あと、あくまでブランドとしてはノースフェイスではあるんですけど、その奥にアウトドアっていうすごく広いフィールドがあるので、それはすごく経験としては変わり続けるというか。
ブランドを作ってきて、広めようとしてる方の思い、志、哲学みたいなものもさることながら、ノースフェイスっていうブランドが持っているコミュニティっていうのが凄まじいですよね。
そうですよね。
コミュニティであり、アクティビティであり、ムーブメントであり。もうアウトドアって言った瞬間に浮かんでくるブランドの、絶対一つですもんね。そこに身を投じると、ブランドなんだけども、コミュニティがあるっていうのが一つ強みですね。
そうですね。なので、ノースフェイスっていうブランドをよくして広げたいって思いはもちろんあるんですけど、それ以上にやっぱり、アウトドアっていうカルチャーを大事にしたいっていうのはすごくありますね。
ここはマーケターの方には、すごく示唆がたくさんあるなと思うんですよね。どうしてもブランドを売っていかなきゃ、売っていかなきゃ、知らせていかなきゃ、Instagramにどのぐらい露出して、ああやって、ああやってってやっていくんだけども、そこに広い深いコミュニティが存在している。そのコミュニティをサポートするっていう延長線上に、たまたまうちのブランドもあるんだっていう考え方をすると、ブランドの育て方っていうのもちょっと違って見えますよね。
MDって、マーチャンダイジングってことだと思うんですけど、マーチャンダイザー。マーチャンダイザーっていろんな日本語訳があると思うんですよ。コンビニエンスストアなんかでのMDって棚づくりみたいなこともMDでありますし、店づくりもそうだし、商品開発もMDだったりするじゃないですか。大坪さんのMDはどういう職務に当たるんですか?
そうですね。この質問、本当に20年近くずっと繰り返してるんですけど、弊社の場合、MDって書いてあるんですけど、それが何かっていうのは、カタカナの訳は書いてないんですね。MDって、「いや、マーケットデザイナーだ」と。
なるほどね。
非常に広い、難しいお題をもらったんですけど。でも先ほどあった通りに、アウトドア、あるいはアウトドアのさらに周辺にある市場をどうやってデザインしていくかっていうことを課せられた役割っていうのがMD。
もう、まるっとできること何でもやりますと。逆にやんなさいということなんですね。
はい。そうなんです。
ディレクターとして、そうか。2004年にゴールドウインに入られて、ザ・ノース・フェイスでMD。それで2021年には新ブランド、ニュートラルワークス。これは事業部長としてゼロからブランドを作られたと。
そうですね。ニュートラルワークスも元々、お店としては弊社の先ほどあったSpeedoとか、アスレチックのブランドをセレクトする業態としてはあったんですけど、それをブランドとしてスタートするということで立ち上げて、5年ほどやっておりました。
大坪さんご自身を、「僕のすごいところ、俺のすごいところ」ってしゃべるのって、すごくくすぐったいかもしれないですけど。後輩が「大坪さんみたいな仕事をしたい」と。大坪さんが他の人たちと違う、やってるかもしれないけど分かんないですけど、もしかすると僕しかやってないかもなって思うようなことってありますか?
MDとして、ブランドMDとして。立ち上げるブランドもあるし、今あるブランドを育てる、どちらでもいいんですけども。「必ず僕はここだけはっていうこだわりがあって、やり続けてきてるんですよね」っていうのは。
自分がブランドになるっていうのを。これも教えてもらった教えというか、自らがブランドになる、自らがブランドになって考えるっていうことを実践するってことが。
自らがブランドってどういうことですか? 自分を露出していくってことですか? そうじゃない?
ごめんなさい。そうではなくて、例えばノースフェイスのように考えるというのを実践していくというところですね。
そうか。だからNever Stop Exploringだから、自分もそういう。
それを体現していくと。
探究するってことをやめない自分でいようっていう。具体的に、そういうNever Stop Exploringな自分っていうのは、どういうのがあるんですか?
そうですね。アウトドアが好きだっていうのもありますけど、私がずっといつも心がけてるのは、移動するというか。1日大体1万から、いろんな車を使ったりする時はいかないですけど、1万3000とか4000とか、結構歩くっていうことをすごい大切にしてまして。
A地点からB地点まで歩くだけでいろんな情報が入ってくるというので。車で例えば行ける、今日ちょっと時間なくて、会社から六本木ヒルズまでタクシーで来たんですけど、でもこれを同じ場所を歩くと、そこから入ってくる情報って全然違ってくるので。
これ、私もすごくそれを感じるんですけど、うまく言語化できてなくて。ネットサーフィンの3時間と、歩く3時間の違いって何ですかね?
やっぱり、これ山歩きとかにもよく例えるんですけど、見えてくる、視覚から入ってくる80%の情報って、本当に言葉にはならないけど、情報が。
非言語化されてるってことですよね。
そうですね。当然、匂いとかいろんなこともありますけど。でも、いつも歩いてる道ではあるけれども、ちょっとした変化ですとか、あとは歩いてる人の格好であるとか、髪型であるとか、どんな空気感であるかとかっていうのは、一個一個ネットで検索すると、とんでもない量になるんですけど。そこを歩くことによって、体に染みていくというか、あります。
これ多分、歩いてらっしゃる間に、もちろん靴の足底で感じる地面の硬さや、通りすがった人の服装や、「こんなところにもこんな店あったんだ」みたいなことだったりっていうのは、ネットと違うのは、やっぱりネットって基本的に「俺の話を聞け」じゃないですか。「俺の話を見ろ」ってことじゃないですか?
はい。
歩く世界っていうのは、向こうからはね、大きなスクリーンがもちろんあるところもありますけど、そうじゃないところって、自分が取りに行かなきゃ、気づかなきゃいけないじゃないですか。自分の感性が乏しいと、そこに咲くはずがない季節外れの花が咲いてることには気づかないわけですもんね。足で踏みつけていっちゃうかもしれないっていう。だから、自分の感性が試されますよね。
そうですね。やっぱりその外と内にアンテナを張るっていうことかなと思うんですけど、変化に対して感じるっていうのと。よく歩くっていうのも、これ、そういう言葉はないと思うんですけど、アクティブレストに近くて、アクティブメディテーションとか、アクティブサウナみたいに。
歩いてると、自分の変化って、「今日は体が重いな」とか、「今日はこういうことを自分で考えてる」とかって、なかなか机に座ってて、こうやって息を止めても見つからないことが結構あるので。そういうことを繰り返す時間って、なかなか時間を取ろうと思ってやってもできないので。
でも、普段の、まるっとできること何でもやんなきゃいけないマーケットデザイナーとしてはお忙しい。そういう時間っていうのはどうやって取ってらっしゃるんですか?
やっぱり通勤とか移動、何でも必ず皆さん移動があると思うので、そこをできるだけ歩くようにしていたりですとか。あとは本当に特別な時間じゃなくていいと思うんですけど、そういう時に意識して歩く。すごくアンテナを張っているってわけではないですけど、そういうことを大切にするっていうのを。
アクティブレストっていいですね。レストしながら、ぼんやりしていながら、でもどこかで違うものを、アクティブな状態でいるっていうのって、いいですね。
そうですよね。皆さん疲れると、「仕事で疲れた、家帰ってそこからランニングするなんて」と思うんですけど、実際、そこから走ると、たった30分でも40分でも体がリフレッシュするっていうのは、結構スポーツ選手とかに。
僕らの会社としては、ゴールドウインってずっといろんなアスリートやスポーツ選手を支えてくる中で、意外とトレーニングより、その終わった後のコンディショニングとかがすごく大事だっていうのを。「これって仕事する人も一緒だな」と思って。僕の場合はそれを歩くってことに変えてやってたんですね。
なるほどね。私の友人で、オリンピック選考にまで行った水泳選手がいるんですけど、休みどうするのかと。体を休める時に泳ぐの。「泳ぐ? そこで泳ぐの?」って言ったんですけど、クロールで寝れるらしいんですよね。
すごい。魚です。
もう魚みたいで。だから、とにかくリゾート地に行った時には必ず、そこにプールがあるかっていうのは大事で。それはアクティブじゃないですか? でもレストしてるんですよね。
そうですよね。
自分がもう1回リカバリーしてるって言って、また訓練に泳ぎに行くわけですからね。それ面白い。おっしゃってること、ちょっと分かるな。
あれ、ちょっと申し訳ないですけど、反社会的基準じゃないですか? 音うるさいですもんね。でもあの音っていうのがやっぱりたまらないっていう人もいるわけで、マーケティングを超えてる、メタマーケティングみたいな世界に見えて。
鉄道、銚子電鉄のレールに落ちてる石、いらないですもんね。本当にポルシェって、フェラーリ、アストンマーティンって、広告バンバン回してるかなって。
MAKE IT NEXT。Next。Make。Next。
記事公開 · 更新
