「自らがブランドになって考える」 ザ・ノース・フェイスの大坪岳人が語る、歩いて考える仕事術

YouTubeで開く ↗
概要

60年続くブランドを、次の時代に向けてどう育てていくのか。ナビゲーターのSean Kawakamiがこのテーマで迎えたのは、ゴールドウインでザ・ノース・フェイスのブランド事業副本部長を務める大坪岳人だ。前編では、ゴールドウインという会社とザ・ノース・フェイスの成り立ちをたどったうえで、大坪が20年以上同じブランドに携わってきた理由と、1日1万3000歩以上歩くという自身の仕事の流儀が語られた。

12分で読めます
0:46

富山のメリヤス工場から始まった「いい意味で無国籍」な会社

Kawakamiはまず、ゴールドウインという社名から受ける「無国籍感」に触れ、どこの会社なのかを改めて尋ねた。大坪によれば、発祥は富山県の石川県との県境に近い町・津沢である。もともとは靴下などを作るメリヤス工場で、創業者が「スポーツが世界を変えるだろう」と考えて事業を始めたという。大坪はこれを1回目の東京オリンピックの時期と結びつけて説明し、Kawakamiは1950年という年に触れて、その先見性を評価した。

現在の取り扱いブランドは幅広い。大坪が挙げたのは、ヨットのヘリーハンセン、ニュージーランドのメリノウールブランドであるアイスブレーカー、アウトドア以外では競泳のスピード、ラグビー日本代表のウェアを手がけるカンタベリーである。Kawakamiはスピードやカンタベリーまでゴールドウインの扱いであることに驚いてみせた。

Kawakamiはここで、アメリカ人の友人が「アメリカにはこんなすごいものがある」と誇らしげに語っていたエピソードを持ち出す。そのとき彼は、ブランドが無国籍化して世界になじみ、各地の人々が「自分たちのブランドだ」と思えるところまで来ていること自体がすごいのだと感じたという。ゴールドウインにも、ライセンス契約を結んでローカライズして販売するという点で、そうした「いい意味での無国籍感」があるとKawakamiは見ている。

3:18

クモの糸の研究から生まれた素材

ゴールドウインは製品を作るメーカーであると同時に、富山に研究所を持ち、素材や素材の組み合わせ方の開発も行っている。Kawakamiが例に挙げたのが、慶應義塾大学先端生命科学研究所から始まったクモの糸の人工合成研究だ。大坪の説明では、クモの糸と同じ構造を持つタンパク質を新たに作り出し、それを使って繊維にするという取り組みで、素材自体はSpiberと共同で進めている。プロテインから生み出す繊維「Brewed Protein」を使ったテキスタイルを開発しており、大坪がこの日着ていたのも、それを使ったジャケットだった。

Kawakamiは「クモの糸でできているわけではない」と確認したうえで、同じ構造のタンパク質を使った素材であるため環境に配慮した素材であり、当時は「条件によっては鋼鉄をしのぐ強度」という言葉が話題になったと振り返った。2015〜2016年ごろからこうした素材に目をつけ、開発に取り組んできた会社だというのがKawakamiの紹介である。

4:56

1966年、サンフランシスコの小さな店から

ザ・ノース・フェイスは今年で60年を迎える。大坪によると、ブランドの誕生は1966年のアメリカ・サンフランシスコだ。最初の2年間はダグラス・トンプキンスが店として運営し、1968年にハップ・クロップがその店を買い取るような形でブランドとしてスタートさせた。

当初はヨセミテや国立公園など、自然に向かう人々に向けてギアを販売していたが、やがて自分たちで製品を作るようになった。大坪が例に挙げたのがバックパックである。今でこそ何かを背負って歩くのは普通のことだが、当時はあまりそういう発想がなかった。両手が空いた状態で荷物を背負って自然に入っていくことを支え始めたのが、ブランドの最初の姿だったという。

日本に入ってきたのは1970年代で、すでに40年以上の歴史があると大坪は話した。

6:29

日本の企画力と、すぐそばにあるフィールド

Kawakamiは、日本企業は単にライセンスを受けて代理販売するだけでなく、ローカライズが非常に上手だと指摘する。フランチャイズなどでは、日本の代理店側の価値が高まり、本社を上回るようなことがよくある。では日本での企画は大きな意味を持つのか、と問いかけた。

大坪の答えは、土地ごとに気候も、使う人の体型も文化も違うので、ブランドとして大事なところは押さえつつ、その土地に合わせたものづくりをしてきたというものだ。特に北陸は昔から化学繊維などの産業が盛んで、そうした地元の産業と協業しながら新しいものづくりを進めてきたという。

Kawakamiは、あるアパレル関係者から聞いた話として、日本は北海道から沖縄まで季節が異なり、四季があり、極寒の地もあれば非常に暑い土地もあるので、商品開発がしやすいという見方を紹介した。大坪もこれに同意し、特に富山について、水深3000mほどにもなると大坪が語る深い海と、富士山ほどではないものの立山をはじめとするアルプスがすぐ近くにあることを挙げた。フィールドとの距離が近いことに加え、洋服に限らずさまざまなものづくりを行うカルチャーが根付いていることが大きい、というのが大坪の見方である。

8:25

なぜ20年以上、このブランドにいるのか

ここでKawakamiは、この日の大きなテーマを切り出す。番組の視聴者の中には、老舗企業を世代交代で継がなければならない人や、そうした会社に入った人もいるだろう。日本は老舗企業が多い国だ。創業60年のブランドに、大坪は2004年の入社以来、22年携わっている。転職の誘いや他の選択肢もあり得たなかで、なぜこれほど長くこのブランドにいたのか。

大坪はまず、仕事とブランドの両方がとても好きだということが大きいと答えた。途中5年ほど、社内でオリジナルブランドの立ち上げにも携わったが、自分の場合はザ・ノース・フェイスがとても好きで、それを通じて仕事にとどまらないさまざまな経験や出会いがあった。同じような体験を、仕事としてというより、お客さんや人々に伝えたいという思いが強く、それが続いている理由だという。

Kawakamiはさらに、逆算して考えると、20年近くも「好きだ、面白いことをやりたい」と思わせるブランドとはどういうものなのか、と問いを重ねた。大坪が挙げたのは、ザ・ノース・フェイスのタグライン「Never Stop Exploring」である。日本語では「飽くなき探究心」と説明されることが多いこの言葉の通り、常に挑戦させてもらえ、終わりがない。同じブランドでありながら変化し続けられる。挑戦は事業としてはリスクになることもあるが、それが文化として推奨されている。さらにブランドの奥には「アウトドア」という非常に広いフィールドがあり、そのことが経験として変わり続けることにつながっている、と大坪は語った。

11:35

ブランドの先にあるコミュニティ

Kawakamiは、ブランドを作り広めてきた人々の志や哲学に加えて、ザ・ノース・フェイスが持つコミュニティの大きさを指摘した。コミュニティであり、アクティビティであり、ムーブメントでもある。「アウトドア」と聞いた瞬間に思い浮かぶブランドの一つであり、そこに身を投じれば、ブランドでありながらコミュニティがある。それが強みだという見立てだ。

大坪もこれに同意し、ザ・ノース・フェイスというブランドをよりよくして広げたいという思いはもちろんあるが、それ以上にアウトドアというカルチャーを大事にしたいという気持ちが強いと話した。

Kawakamiは、この点はマーケターにとって示唆が多いと受け止める。ブランドを売らなければ、知らせなければと、Instagramでの露出などに追われがちだが、広く深いコミュニティがまず存在し、それを支える延長線上にたまたま自社のブランドがある、と考えると、ブランドの育て方も違って見えてくるというのである。

12:52

MDは「マーケットデザイナー」

話題は大坪の職務に移る。MDといえば一般にはマーチャンダイジングやマーチャンダイザーを指し、コンビニエンスストアの棚づくりから商品開発まで、さまざまな意味で使われる。大坪のMDとは何なのか。

大坪によれば、この質問は20年近く繰り返し受けてきたものだという。社内では「MD」と書かれているだけで、カタカナの訳語は記されていない。尋ねたところ返ってきた答えが「マーケットデザイナーだ」だった。非常に広く難しいお題だったが、先ほどのアウトドア、さらにその周辺にある市場をどうデザインしていくかを任された役割がMDだと大坪は理解している。Kawakamiが「できることは何でもやる、逆に言えばやりなさいということか」と確認すると、大坪はその通りだと答えた。

経歴としては、2004年にゴールドウインに入社し、ザ・ノース・フェイスのMDを担当。2021年には事業部長として新ブランド「ニュートラルワークス」を立ち上げた。ニュートラルワークスはもともと、スピードなど社内のアスレチック系ブランドをセレクトする業態の店としてあったが、それをブランドとしてスタートさせ、5年ほど手がけたという。

14:32

「自らがブランドになって考える」

Kawakamiは、後輩が大坪のような仕事をしたいと思ったとき、他の人と違って自分だけがやっているかもしれないこだわりは何か、と尋ねた。大坪の答えは「自らがブランドになる」ことだった。これは人から教わった考えでもあり、自らがブランドになって考え、それを実践するということだという。

Kawakamiが「自分を露出していくということか」と聞き返すと、大坪はそうではないと否定し、たとえばザ・ノース・フェイスのように考えることを実践していくのだと説明した。Kawakamiはこれを、Never Stop Exploringのブランドであるなら、自分も探求することをやめない人間でいようということだと言い換え、具体的にはどんなことをしているのかと続けた。

16:02

1日1万3000歩、歩くと入ってくる情報

大坪がいつも心がけているのは、移動すること、つまり歩くことである。車を使う日はそこまでいかないが、1日におおむね1万3000〜1万4000歩は歩くようにしている。A地点からB地点へ歩くだけで、さまざまな情報が入ってくるからだ。この日は時間がなく会社から六本木ヒルズまでタクシーで来たが、同じ道を歩けば入ってくる情報はまったく違う、と大坪は言う。

Kawakamiも同じことを感じているがうまく言語化できていないとして、「ネットサーフィンの3時間と、歩く3時間の違いは何か」と問いかけた。大坪は山歩きにもたとえながら、視覚から入ってくる8割ほどの情報は、本当に言葉にならない情報だと答えた。匂いなどもあるが、いつも歩いている道のちょっとした変化、歩いている人の格好や髪型、どんな空気感なのかといったことは、一つ一つネットで検索すればとんでもない量になる。それが、歩くことで体に染みていくのだという。

Kawakamiはこれを受けて、足の裏で感じる地面の硬さ、すれ違った人の服装、こんなところに店があったのかという発見などを挙げ、ネットとの違いを整理した。ネットは基本的に「俺の話を聞け、俺を見ろ」という向こうからの発信だが、歩く世界では、大きなスクリーンがある場所を除けば、自分から取りに行き、気づかなければならない。感性が乏しければ、季節外れに咲いている花にも気づかず踏みつけてしまうかもしれない。だから自分の感性が試される、というのがKawakamiの見方だ。

18:18

外と内にアンテナを張る「アクティブレスト」

大坪はこれを、外と内にアンテナを張り、変化を感じることだと表現した。歩くことは、本人いわく「そういう言葉はないと思うが」と断りつつ、アクティブレストに近く、アクティブメディテーションやアクティブサウナのようなものだという。歩いていると、今日は体が重い、今日は自分がこんなことを考えている、といった自分の変化に気づく。机に座って息を詰めていても見つからないことが多く、そういうことを繰り返す時間は、わざわざ時間を取ろうとしてもなかなか取れない。

忙しいなかでどう時間を確保しているのかと問われると、大坪は通勤や移動を挙げた。誰にでも移動はあるので、そこをできるだけ歩くようにする。特別な時間でなくてよく、その時間を意識して歩く。常にアンテナを張り巡らせているというわけではないが、そうした時間を大切にしているという。

大坪はアクティブレストの発想の背景として、ゴールドウインの経験も語った。仕事で疲れて帰宅してから走るなど考えにくいが、実際にはそこから30分、40分でも走ると体がリフレッシュする。ゴールドウインは長年アスリートを支えてきたなかで、トレーニングよりも、その後のコンディショニングが意外と大事だということを見てきた。それは仕事をする人も同じだと考え、大坪の場合はそれを歩くことに置き換えて実践してきたという。

Kawakamiも、オリンピックに出場した水泳選手の友人の話を紹介した。体を休めるときに何をするのかと聞くと「泳ぐ」と答え、クロールをしながら眠れるほどだという。リゾート地に行くときもプールがあるかどうかが大事で、それは活動していながら休んでいる状態であり、回復してまた練習に戻っていく。Kawakamiはこれを、大坪の言うアクティブレストと通じるものとして受け止めた。

対談はこの後、Kawakamiがポルシェなどのエンジン音を例に、うるさいはずの音がたまらないという人もいる、マーケティングを超えた「メタマーケティング」のような世界だと話し始めたところで前編の字幕が途切れており、その議論の行方は語られないまま終わっている。