妄想を空間と写真に落とし込む:森田恭通が語るデザインとアートの違い

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概要

J-WAVEとラジオNIKKEIの対話番組「MAKE IT NEXT」の第1回に、インテリアデザイナーで株式会社GLAMOROUS代表の森田恭通が出演した。聞き手はSean Kawakami。テーマは「妄想が未来を作る」である。1000件を超える空間を手がけてきた森田は、行ったことのない場所を思い描く「妄想」を出発点にしつつ、予算や制約の中でそれをどう形にするかを語った。後半では、写真家としての活動、アートとデザインの違い、AIへの見方にも話が及んだ。

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10代の妄想から生まれた神戸のバー「COOL」

森田のキャリアは1989年、大学在学中に手がけた神戸・三宮のバー「COOL」から始まる。当時18〜19歳で、デザインの学校にも通っていなかった。洋服が好きで、服を買うためにアルバイトを掛け持ちし、その中でウィンドウディスプレイの仕事も任されていた。周りには年上の大人が多く、若者にチャレンジさせる人たちからチャンスをもらったと森田は振り返る。

依頼のきっかけは、後にCOOLのオーナーとなる人物からの「神戸にいいバーはあるか」という質問だった。大人向けの高級なバーはあり、居酒屋も多い。しかし、若い人が手頃な値段でビールを飲み、少しつまんで、おしゃれをしてデートできる店はなかった。そう答えると、オーナーが「それを作ろう」と言ったという。

Kawakamiは、かっこよさの基準は人によって違うのに、多くの人に受け入れられる空間をどう表現したのかと尋ねた。森田は、時代が味方したと答える。当時はアメカジが流行し、ヒップホップも入ってきていた。その格好をした若者たちが音楽を聴いたあとに行く場所は、居酒屋ではないはずだと考えた。

そこから「妄想」が始まった。森田はまだニューヨークに行ったことがなかったが、ファッション誌でスーパーモデルが撮影している写真を見て、それがソーホーという地域で、チェルシーに近いといった知識を覚えていった。レンガの街の地下にアンダーグラウンドなバーがあってもおかしくない、こういう格好でそういう場所で飲んでみたい。その願いを詰めていき、壁の色、床の質感、レンガの壁を具体的に決めていった。当時はまだ「グラフィティ」という言葉は一般的でなかったが、アーティストが壁に絵を描いている雰囲気を出そうと美大生に頼み、「汚れたように描いてほしい」と依頼して不思議がられたという。森田は、このデザインが今の自分にも影響していると話す。

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海外進出:香港からニューヨークのMEGUへ

森田の名を世界に広めたのは、ニューヨークの高級和食店「MEGU」だった。当時30歳を過ぎた頃で、iPhoneもなく、情報源はほぼ雑誌だけという時代だった。海外の仕事はまず香港で始まった。海外で仕事ができるデザイナーがほとんどいなかったため声がかかり、2億円規模のプロジェクトに参加したという。

香港は日本から近く、まだ勝手がわかった。しかしニューヨークでのやり方はまったくのアウェーだった。いろいろと揉まれながらも何とかオープンにこぎつけ、その店がニューヨークだけでなく世界中の人に喜ばれた。「誰がやったのか」という話から、各地から依頼が来るようになったと森田は語る。

その後も、ロンドンの「AQUA London」、伊勢丹新宿本店のリニューアル、渋谷や京都・嵐山の商業施設、クアラルンプールの伊勢丹などを手がけ、ジョエル・ロブションからも信頼を得た。伊勢丹新宿本店は改装から10年を超えたが、最近訪れたときも当初のデザインがほとんど変わらず、現場のスタッフに大切に使われていたという。

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発散した妄想を収束させるのは「バランス」

Kawakamiは森田と仕事をした経験から、妄想は横へ広がっていく「発散」だと指摘した。一方、デザインには敷地、消防法、動線などの制約があり、何かを犠牲にしながら「収束」させなければならない。妄想を妥協させずに一つの形へ詰めていく力は何なのか、とKawakamiは問うた。

森田の答えは「一言でいえばバランス」だった。どのプロジェクトにも予算とスケジュールがある。床・壁・天井にまんべんなくお金をかければ、きれいなものはできる。しかしそれは誰もが見たことのある空間になり、ビジネスとして見れば競合店と似た店になってしまう。同じ予算でも壁だけに集中してお金をかけ、床と天井にはほとんどかけない。そうしたメリハリのある配分を考えることで、他の空間より個性が出て、人の記憶に残りやすくなる。そのためのキーワードが自分の中に浮かび、アイデアにまとまっていくのだと森田は説明した。

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46歳でゼロから始めた写真家としての活動

森田は1996年に事務所を設立し、2000年に株式会社GLAMOROUSとした。2015年からは写真家としてパリで作品を発表している。2020年には著書『未来を予知する妄想の力』を出版した。

写真を始めた理由として、森田は先輩であり友人の布袋寅泰の存在を挙げた。布袋は50歳で東京での地位を置いて拠点をロンドンに移し、「ゼロから、もしかしたらマイナスからのスタートかもしれない」と話していた。それを隣で聞いていた森田は当時46〜47歳で、デザイン以外にゼロから始められるものは何かを考えた。

ちょうど建築の案件で、白い壁が続く空間に飾るモノクロ写真を探していた。主張しすぎず、それでいて気になるような写真がほしかった。人の顔が写っていると、特に目があると気になってしまう。彫刻のような写真はあっても高価で、数もそろわない。それなら自分で撮ったほうが早いと考えた。カメラは唯一の趣味で、仕事にはしたくなかったが、評価も悪くなかったため、10年必死にやってみようという「自分のトライアル」として始めたという。

発表の場にフランスを選んだのは、日本では「インテリアデザイナーの森田が撮った写真」という色眼鏡がずっとついて回ると考えたからだ。写真の伝統があり、ある意味で最も厳しいフランスで、いきなり発表することにした。

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パリのテロで1日だけの展示に、それでも続けた理由

無名の写真家として、森田はまず立地のよい大きな会場を借りた。会場構成も自らデザインし、レセプションでは良い評価を得た。ところが翌日からの本番を前に、パリで同時多発テロが起きた。会場から200メートルほどの場所で事件があり、周囲は通行止めになり、警察の指示で即撤収となった。大金と気合を注いだ展示は、実質的にレセプションの1日しか開けなかった。

もう来年は無理だと思っていた森田に「来年はやらないのか」と声をかけたのが、作品を買ってくれたショコラティエのパトリック・ロジェだった。MOF(フランス国家最優秀職人章)を持ち、アーティストとしても活動している人物である。森田が「もう資金がない、今年に賭けていたから作品も売れなかった」と言うと、ロジェは「作品は買う。でもパリでは続けないとだめだ。1回やって終わりでは誰も覚えてくれない」と答えた。そして、セーヌ川の両岸にある自分の店の上のギャラリーを無料で使っていいと申し出た。森田は「タダほど怖いものはない」と思ったが、話してみると本当に好意だった。2年目はロジェのギャラリー2カ所で展示し、3年目はパレ・ロワイヤル、その次は別のミュージアムと、会場の規模が大きくなっていった。

その経過を見ていたのがシャネルだった。シャネルから一緒に何かやろう、応援すると声がかかり、条件は「新しい作品であること」だった。

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ヴェルサイユ宮殿を20日間貸し切って撮影する

森田は、シャネルとフランスという組み合わせから、ルイ14世・15世・16世の華やかな時代にシャネルも影響を受けていたはずだと考えた。そこで、その時代をアートとして切り取りたいと、ヴェルサイユ宮殿での撮影を提案した。しかしなかなか許可が出ず、2年ほど話が進まなかったという。そこから一気に話が動き、春夏秋冬で太陽の光の入り方が違うため、季節をまたいで合計20日間、宮殿を貸し切って撮影することになった。

撮影したのは、観光客が知る「鏡の間」以外の、一般には入れない場所がほとんどだった。屋根の上に登り、地下にも潜った。電気のなかった時代、噴水は地下に造ったダムの水流で動かしており、ルイ14世・15世の時代の設備が今も使われているという。宮殿の関係者でさえ「ここはどこだ」と尋ねたほどだと森田は話す。ヴェルサイユから直接招かれて写真展を開くのは、日本人としてはおそらく自分が初めてだと述べた。

仕事の配分について問われると、森田は時間では本業のデザインが7対3から8対2、考えることの比重では6対4くらいだと答えた。写真のプロジェクトは年に1つほどのペースで、未発表の作品を今年の冬に発表する予定だという。

20:05

誰もがカメラマンの時代に、写真家は何で差をつけるか

今はiPhoneで世界中の誰もがカメラマンになれる。では、アートの写真家との違いは何か。森田は「題材」だと答えた。誰も撮れないものを撮ること、誰もが知っているものを違う角度から撮ることである。ヴェルサイユは記念写真なら多くの人が撮っているが、アートとして作り込み、あれだけの量を撮った人はいないという。

伊勢神宮も10年以上にわたって撮影させてもらっており、次の式年遷宮まではあと7年だと話した。普段は入れない場所を、記録として、アートとして残していくことを重視している。

21:24

10億円の現金を撮った「Billion」

Kawakamiは、以前の番組で森田が持参した作品にも触れた。資本主義を横からえぐるような作品だとKawakamiが評した「Billion」シリーズである。被写体は実際の10億円の現金で、当時の紙幣で積み上げると卓球台に山盛りになるほどの量だという。銀行に指定された当日・指定の場所で撮影した。完成した写真は、渋谷の街並みにも建築にも見えると森田は語る。

出発点は素朴な疑問だった。お金はお金だが、物としては紙である。新札ではなく、人々が実際に使ってきた紙幣を集めてもらい、人の手の垢がついた紙を立体作品として撮ったらどうなるのかを試した。作品はあるプライベートバンクの内装を手がけた際に、すべてそこに展示されたという。

23:20

地元の素材と「好きなもの」を空間に入れる

話題はデザインに戻り、Kawakamiが自身のクライアント(東北の会社)とともに森田に依頼した銀座の店舗の話になった。Kawakamiが驚いたのは、森田が現地に出向き、土地の匂いや素材を見つけて店に取り込んでいった点だった。

森田によれば、プロジェクトには必ずオーナーがいて、苦手なものや嫌いなものを入れた空間は大切にされない。完成後に空間を使っていく人が楽しく、優しく扱えるように、好きなものを注入したほうが愛情もこもるという。地元の人には日常の当たり前でも、外から見ると素晴らしい素材がある。この案件では伝統の織物を、カーテンや装飾ではなく椅子の張り地に使った。Kawakamiは銀座でどう使うのか想像できず、驚いたという。森田は、それが店の人と客の会話のきっかけになり、地元の素材を使うことで愛着も生まれると話した。

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デザインはクライアントのため、アートは自己表現

Kawakamiが好きな森田の言葉として挙げたのが、アートとデザインの違いである。森田は、一昔前はデザインもアートも芸術も同じものとして扱われ、自分もよく「芸術家ですよね」と言われたが、自分は設計者でありデザイナーだと答えてきたと語る。

デザインにはクライアントがいて、スケジュールと予算がある。その条件の中で商売の起爆剤となり、商売をうまく支えるのがデザイナーの役目だ。五つ星ホテルや三つ星レストランを手がけることもあれば、街のうどん屋やラーメン屋を手がけることもある。三つ星レストランなら最高にかっこいいものでよいが、街のラーメン屋がかっこよすぎると美味しくなさそうに見える。そういうときは「ちょいダサにしようか」と提案するという。暖簾がかかっていて、おかんが出てきそうな雰囲気のほうが美味しそうに感じる。そうした人間の記憶を考えて設計するのがデザインだと森田は説明した。

Kawakamiはこれを、デザインには目的と役割があり結果を出さなければならないのに対し、アートは白いキャンバスという枠以外に制約のない自己表現だ、とまとめた。

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篠山紀信の写真展で額縁を提案した話

この文脈で森田が語ったのが、篠山紀信とのエピソードである。篠山は、森田がデザインしたギャラリーサロンによく出入りしていた。篠山は普段、作品を額縁に入れず、大きな紙を壁にそのまま貼って展示していた。そのサロンで個展を開くと聞いた森田は、「それでは売れませんよ、額に入れないと」と伝えた。篠山が「そんなこと考えていなかった。手伝ってくれ」と言ったため、森田はいつも使う額縁職人に相談し、サイズ、色、フレームの厚みを考えて提案した。結果、作品はすべて売れた。

森田は「アートをより美しく見せるのはデザインだ」と言う。Kawakamiはこれを、写真が買われて家に運ばれ、リビングや寝室のどこに飾られ、その場所でどんな価値を持つかまで森田が妄想した結果、アートがデザイン、つまりプロダクトになったのだと解釈した。

森田は、自分の中には写真家と、デザイナーの両方がいると話す。自分の作品が購入者の家やオフィスでどう飾られるかを考え、フレームはすべてオリジナルで作り、光の当たり方まで考える。写真をやる上で自分の中にデザイナーがいるのは幸運だと語った。

31:12

機能、美しさ、驚きを束ねる

Kawakamiが「デザインとはマーケティングのことか」と尋ねると、森田は、どんな環境のどこに置かれるかを想定しながら考えるのがデザインかもしれないと応じた。プロダクトは売れなければならず、商業施設には人が来なければならない。オフィスは働きやすくなければならない。森田は今もオフィスの案件を多く手がけていると話し、コロナ禍にはオフィス不要論もあったが、結局オフィスは必要だった、コミュニケーションが取れないと人はおかしくなる、と述べた。

その中で森田は、機能のデザイン、美しく見せるデザイン、ゲストを驚きと幸福で迎えるデザインといった複数のカテゴリーを一つの空間に集約していく。それが自分なりのマーケティングであり、AIより強い部分を出していくことだと語った。

32:49

AIはまだ「第六感」をつくれない

最後にKawakamiはAIの創造性について尋ねた。森田は、この1〜2年のAIの進歩は「すごい」と認め、その情報量は普通ではないと評価する。それでも、デザインにはクライアントがいる。AIで作ったデザインで満足するなら、森田に頼む必要はないということになる。そのうえで森田は、人間の五感の先にある第六感、つまり直感的なものは、AIにはまだ作れないと述べた。この前編は、AIの影響についての議論が始まったところで終わっている。