妄想を空間と写真に落とし込む:森田恭通が語るデザインとアートの違い
MAKE IT NEXTJ-WAVEとラジオNIKKEIの対話番組「MAKE IT NEXT」の第1回に、インテリアデザイナーで株式会社GLAMOROUS代表の森田恭通が出演した。聞き手はSean Kawakami。テーマは「妄想が未来を作る」である。1000件を超える空間を手がけてきた森田は、行ったことのない場所を思い描く「妄想」を出発点にしつつ、予算や制約の中でそれをどう形にするかを語った。後半では、写真家としての活動、アートとデザインの違い、AIへの見方にも話が及んだ。
10代の妄想から生まれた神戸のバー「COOL」
森田のキャリアは1989年、大学在学中に手がけた神戸・三宮のバー「COOL」から始まる。当時18〜19歳で、デザインの学校にも通っていなかった。洋服が好きで、服を買うためにアルバイトを掛け持ちし、その中でウィンドウディスプレイの仕事も任されていた。周りには年上の大人が多く、若者にチャレンジさせる人たちからチャンスをもらったと森田は振り返る。
依頼のきっかけは、後にCOOLのオーナーとなる人物からの「神戸にいいバーはあるか」という質問だった。大人向けの高級なバーはあり、居酒屋も多い。しかし、若い人が手頃な値段でビールを飲み、少しつまんで、おしゃれをしてデートできる店はなかった。そう答えると、オーナーが「それを作ろう」と言ったという。
Kawakamiは、かっこよさの基準は人によって違うのに、多くの人に受け入れられる空間をどう表現したのかと尋ねた。森田は、時代が味方したと答える。当時はアメカジが流行し、ヒップホップも入ってきていた。その格好をした若者たちが音楽を聴いたあとに行く場所は、居酒屋ではないはずだと考えた。
そこから「妄想」が始まった。森田はまだニューヨークに行ったことがなかったが、ファッション誌でスーパーモデルが撮影している写真を見て、それがソーホーという地域で、チェルシーに近いといった知識を覚えていった。レンガの街の地下にアンダーグラウンドなバーがあってもおかしくない、こういう格好でそういう場所で飲んでみたい。その願いを詰めていき、壁の色、床の質感、レンガの壁を具体的に決めていった。当時はまだ「グラフィティ」という言葉は一般的でなかったが、アーティストが壁に絵を描いている雰囲気を出そうと美大生に頼み、「汚れたように描いてほしい」と依頼して不思議がられたという。森田は、このデザインが今の自分にも影響していると話す。
海外進出:香港からニューヨークのMEGUへ
森田の名を世界に広めたのは、ニューヨークの高級和食店「MEGU」だった。当時30歳を過ぎた頃で、iPhoneもなく、情報源はほぼ雑誌だけという時代だった。海外の仕事はまず香港で始まった。海外で仕事ができるデザイナーがほとんどいなかったため声がかかり、2億円規模のプロジェクトに参加したという。
香港は日本から近く、まだ勝手がわかった。しかしニューヨークでのやり方はまったくのアウェーだった。いろいろと揉まれながらも何とかオープンにこぎつけ、その店がニューヨークだけでなく世界中の人に喜ばれた。「誰がやったのか」という話から、各地から依頼が来るようになったと森田は語る。
その後も、ロンドンの「AQUA London」、伊勢丹新宿本店のリニューアル、渋谷や京都・嵐山の商業施設、クアラルンプールの伊勢丹などを手がけ、ジョエル・ロブションからも信頼を得た。伊勢丹新宿本店は改装から10年を超えたが、最近訪れたときも当初のデザインがほとんど変わらず、現場のスタッフに大切に使われていたという。
発散した妄想を収束させるのは「バランス」
Kawakamiは森田と仕事をした経験から、妄想は横へ広がっていく「発散」だと指摘した。一方、デザインには敷地、消防法、動線などの制約があり、何かを犠牲にしながら「収束」させなければならない。妄想を妥協させずに一つの形へ詰めていく力は何なのか、とKawakamiは問うた。
森田の答えは「一言でいえばバランス」だった。どのプロジェクトにも予算とスケジュールがある。床・壁・天井にまんべんなくお金をかければ、きれいなものはできる。しかしそれは誰もが見たことのある空間になり、ビジネスとして見れば競合店と似た店になってしまう。同じ予算でも壁だけに集中してお金をかけ、床と天井にはほとんどかけない。そうしたメリハリのある配分を考えることで、他の空間より個性が出て、人の記憶に残りやすくなる。そのためのキーワードが自分の中に浮かび、アイデアにまとまっていくのだと森田は説明した。
46歳でゼロから始めた写真家としての活動
森田は1996年に事務所を設立し、2000年に株式会社GLAMOROUSとした。2015年からは写真家としてパリで作品を発表している。2020年には著書『未来を予知する妄想の力』を出版した。
写真を始めた理由として、森田は先輩であり友人の布袋寅泰の存在を挙げた。布袋は50歳で東京での地位を置いて拠点をロンドンに移し、「ゼロから、もしかしたらマイナスからのスタートかもしれない」と話していた。それを隣で聞いていた森田は当時46〜47歳で、デザイン以外にゼロから始められるものは何かを考えた。
ちょうど建築の案件で、白い壁が続く空間に飾るモノクロ写真を探していた。主張しすぎず、それでいて気になるような写真がほしかった。人の顔が写っていると、特に目があると気になってしまう。彫刻のような写真はあっても高価で、数もそろわない。それなら自分で撮ったほうが早いと考えた。カメラは唯一の趣味で、仕事にはしたくなかったが、評価も悪くなかったため、10年必死にやってみようという「自分のトライアル」として始めたという。
発表の場にフランスを選んだのは、日本では「インテリアデザイナーの森田が撮った写真」という色眼鏡がずっとついて回ると考えたからだ。写真の伝統があり、ある意味で最も厳しいフランスで、いきなり発表することにした。
パリのテロで1日だけの展示に、それでも続けた理由
無名の写真家として、森田はまず立地のよい大きな会場を借りた。会場構成も自らデザインし、レセプションでは良い評価を得た。ところが翌日からの本番を前に、パリで同時多発テロが起きた。会場から200メートルほどの場所で事件があり、周囲は通行止めになり、警察の指示で即撤収となった。大金と気合を注いだ展示は、実質的にレセプションの1日しか開けなかった。
もう来年は無理だと思っていた森田に「来年はやらないのか」と声をかけたのが、作品を買ってくれたショコラティエのパトリック・ロジェだった。MOF(フランス国家最優秀職人章)を持ち、アーティストとしても活動している人物である。森田が「もう資金がない、今年に賭けていたから作品も売れなかった」と言うと、ロジェは「作品は買う。でもパリでは続けないとだめだ。1回やって終わりでは誰も覚えてくれない」と答えた。そして、セーヌ川の両岸にある自分の店の上のギャラリーを無料で使っていいと申し出た。森田は「タダほど怖いものはない」と思ったが、話してみると本当に好意だった。2年目はロジェのギャラリー2カ所で展示し、3年目はパレ・ロワイヤル、その次は別のミュージアムと、会場の規模が大きくなっていった。
その経過を見ていたのがシャネルだった。シャネルから一緒に何かやろう、応援すると声がかかり、条件は「新しい作品であること」だった。
ヴェルサイユ宮殿を20日間貸し切って撮影する
森田は、シャネルとフランスという組み合わせから、ルイ14世・15世・16世の華やかな時代にシャネルも影響を受けていたはずだと考えた。そこで、その時代をアートとして切り取りたいと、ヴェルサイユ宮殿での撮影を提案した。しかしなかなか許可が出ず、2年ほど話が進まなかったという。そこから一気に話が動き、春夏秋冬で太陽の光の入り方が違うため、季節をまたいで合計20日間、宮殿を貸し切って撮影することになった。
撮影したのは、観光客が知る「鏡の間」以外の、一般には入れない場所がほとんどだった。屋根の上に登り、地下にも潜った。電気のなかった時代、噴水は地下に造ったダムの水流で動かしており、ルイ14世・15世の時代の設備が今も使われているという。宮殿の関係者でさえ「ここはどこだ」と尋ねたほどだと森田は話す。ヴェルサイユから直接招かれて写真展を開くのは、日本人としてはおそらく自分が初めてだと述べた。
仕事の配分について問われると、森田は時間では本業のデザインが7対3から8対2、考えることの比重では6対4くらいだと答えた。写真のプロジェクトは年に1つほどのペースで、未発表の作品を今年の冬に発表する予定だという。
誰もがカメラマンの時代に、写真家は何で差をつけるか
今はiPhoneで世界中の誰もがカメラマンになれる。では、アートの写真家との違いは何か。森田は「題材」だと答えた。誰も撮れないものを撮ること、誰もが知っているものを違う角度から撮ることである。ヴェルサイユは記念写真なら多くの人が撮っているが、アートとして作り込み、あれだけの量を撮った人はいないという。
伊勢神宮も10年以上にわたって撮影させてもらっており、次の式年遷宮まではあと7年だと話した。普段は入れない場所を、記録として、アートとして残していくことを重視している。
10億円の現金を撮った「Billion」
Kawakamiは、以前の番組で森田が持参した作品にも触れた。資本主義を横からえぐるような作品だとKawakamiが評した「Billion」シリーズである。被写体は実際の10億円の現金で、当時の紙幣で積み上げると卓球台に山盛りになるほどの量だという。銀行に指定された当日・指定の場所で撮影した。完成した写真は、渋谷の街並みにも建築にも見えると森田は語る。
出発点は素朴な疑問だった。お金はお金だが、物としては紙である。新札ではなく、人々が実際に使ってきた紙幣を集めてもらい、人の手の垢がついた紙を立体作品として撮ったらどうなるのかを試した。作品はあるプライベートバンクの内装を手がけた際に、すべてそこに展示されたという。
地元の素材と「好きなもの」を空間に入れる
話題はデザインに戻り、Kawakamiが自身のクライアント(東北の会社)とともに森田に依頼した銀座の店舗の話になった。Kawakamiが驚いたのは、森田が現地に出向き、土地の匂いや素材を見つけて店に取り込んでいった点だった。
森田によれば、プロジェクトには必ずオーナーがいて、苦手なものや嫌いなものを入れた空間は大切にされない。完成後に空間を使っていく人が楽しく、優しく扱えるように、好きなものを注入したほうが愛情もこもるという。地元の人には日常の当たり前でも、外から見ると素晴らしい素材がある。この案件では伝統の織物を、カーテンや装飾ではなく椅子の張り地に使った。Kawakamiは銀座でどう使うのか想像できず、驚いたという。森田は、それが店の人と客の会話のきっかけになり、地元の素材を使うことで愛着も生まれると話した。
デザインはクライアントのため、アートは自己表現
Kawakamiが好きな森田の言葉として挙げたのが、アートとデザインの違いである。森田は、一昔前はデザインもアートも芸術も同じものとして扱われ、自分もよく「芸術家ですよね」と言われたが、自分は設計者でありデザイナーだと答えてきたと語る。
デザインにはクライアントがいて、スケジュールと予算がある。その条件の中で商売の起爆剤となり、商売をうまく支えるのがデザイナーの役目だ。五つ星ホテルや三つ星レストランを手がけることもあれば、街のうどん屋やラーメン屋を手がけることもある。三つ星レストランなら最高にかっこいいものでよいが、街のラーメン屋がかっこよすぎると美味しくなさそうに見える。そういうときは「ちょいダサにしようか」と提案するという。暖簾がかかっていて、おかんが出てきそうな雰囲気のほうが美味しそうに感じる。そうした人間の記憶を考えて設計するのがデザインだと森田は説明した。
Kawakamiはこれを、デザインには目的と役割があり結果を出さなければならないのに対し、アートは白いキャンバスという枠以外に制約のない自己表現だ、とまとめた。
篠山紀信の写真展で額縁を提案した話
この文脈で森田が語ったのが、篠山紀信とのエピソードである。篠山は、森田がデザインしたギャラリーサロンによく出入りしていた。篠山は普段、作品を額縁に入れず、大きな紙を壁にそのまま貼って展示していた。そのサロンで個展を開くと聞いた森田は、「それでは売れませんよ、額に入れないと」と伝えた。篠山が「そんなこと考えていなかった。手伝ってくれ」と言ったため、森田はいつも使う額縁職人に相談し、サイズ、色、フレームの厚みを考えて提案した。結果、作品はすべて売れた。
森田は「アートをより美しく見せるのはデザインだ」と言う。Kawakamiはこれを、写真が買われて家に運ばれ、リビングや寝室のどこに飾られ、その場所でどんな価値を持つかまで森田が妄想した結果、アートがデザイン、つまりプロダクトになったのだと解釈した。
森田は、自分の中には写真家と、デザイナーの両方がいると話す。自分の作品が購入者の家やオフィスでどう飾られるかを考え、フレームはすべてオリジナルで作り、光の当たり方まで考える。写真をやる上で自分の中にデザイナーがいるのは幸運だと語った。
機能、美しさ、驚きを束ねる
Kawakamiが「デザインとはマーケティングのことか」と尋ねると、森田は、どんな環境のどこに置かれるかを想定しながら考えるのがデザインかもしれないと応じた。プロダクトは売れなければならず、商業施設には人が来なければならない。オフィスは働きやすくなければならない。森田は今もオフィスの案件を多く手がけていると話し、コロナ禍にはオフィス不要論もあったが、結局オフィスは必要だった、コミュニケーションが取れないと人はおかしくなる、と述べた。
その中で森田は、機能のデザイン、美しく見せるデザイン、ゲストを驚きと幸福で迎えるデザインといった複数のカテゴリーを一つの空間に集約していく。それが自分なりのマーケティングであり、AIより強い部分を出していくことだと語った。
AIはまだ「第六感」をつくれない
最後にKawakamiはAIの創造性について尋ねた。森田は、この1〜2年のAIの進歩は「すごい」と認め、その情報量は普通ではないと評価する。それでも、デザインにはクライアントがいる。AIで作ったデザインで満足するなら、森田に頼む必要はないということになる。そのうえで森田は、人間の五感の先にある第六感、つまり直感的なものは、AIにはまだ作れないと述べた。この前編は、AIの影響についての議論が始まったところで終わっている。
過去の成功体験が生んだ常識、従来の価値観。確かだったはずの打ち手や勝ち筋、頼りにしていた数字たち。効率化の先に約束されていたはずの成長シナリオ。昨日の正解が明日の正解とは限らなくなってしまった今日、私たちは何を頼りに未来を切り開き、私らしい、あるいは私の会社らしい別を導き出すことができるのか。明日を作るビジネスアスリートへ送る、地図なき時代の羅針盤。MAKE IT NEXT。お相手です。
今日のテーマは「妄想が未来を作る」。体験を設計するデザインとは。デザインをテーマにゲストをお迎えします。本日のゲスト、インテリアデザイナーであり、株式会社グラマラス代表の森田恭通さんです。こんにちは。
こんにちは。
森田さんには何度もJ-WAVEにお越しくださってまして、2005年に。
そうですか。
20年前に出ていただいて。ここ六本木ヒルズは、もうだいぶ常連でらっしゃるんですね。
そうですね。先ほどお話聞いた、今年21年目ってことで。その当初からこのビルに関係したデザインは結構してましたので。
そうですか。このJ-WAVEの番組にも、MAKE IT 21以外にもたくさんお出になってらっしゃるんで、もうあんまり、そのアウェイのような感じはない。
そんなことないですけど、久々なんで楽しいですね。何でも聞いてください。
よろしくお願いします。改めまして、森田さんをご紹介したいんですけれども、1989年、大学在学中に神戸のバー「クール」、これ私も拝見したことありますけども、ぜひお写真があれば出したいですけどね。これをデザインされました。以来、1000件を超えるプロジェクトを手がけてこられ、ニューヨークの高級和食店「MEGU」。これで一気に森田さんの名前が轟いた感じですかね。
そうですね。今思えば僕はもう30歳過ぎぐらいだったんですけどね。今みたいにiPhoneもない時代ですから、情報はみんなあんまりなく、見る情報と聞く情報っていうのは雑誌ぐらいしかない時代。その頃に僕は香港で海外の仕事をスタートしたんですけども。それから、海外できるデザイナーってあんまり世の中いなかったので、お話いただいてニューヨークのプロジェクトに参加して。日本と香港は近いけども、ニューヨークのやり方は全くアウェイで。いろいろ小馬鹿にされながらも、何とかオープンまでこぎつけて。それがものすごく海外の人たち、ニューヨークの人たちだけじゃなくて世界中の人たちに喜ばれて、それが誰がやったんだって話から、いろんなところからお話が来るようになった。
そしてロンドンのアクア・ロンドン、伊勢丹新宿本店リニューアル。これもね。
そうですね。もう10年超えるんですけどね。こないだも行ってきましたけど、僕のデザインとあまり変わらず、当初から現場の方々に大切に扱っていただいてて。
森田さんのデザインを全部ここのオープニングで言ってしまうと、これだけで20、30分経ってしまいますので、代表的なものに絞っていくわけなんですけども。東急プラザの渋谷、それと京都の嵐山、これも私も行きましたけども。それからクアラルンプールの伊勢丹も私、行ってまいりまして。
ありがとうございます。
森田さんらしいなっていうのを感じながら。そしてジョエル・ロブション氏から信頼を寄せられまして、世界が認めるトップデザイナーということで。森田さんのキーワード、今日はデザイン、そして森田さんがお使いになられている、妄想をする力。お客様の体験をシナリオとして描いて空間に落とし込むと。これ、言うは易しで、本当に難しいことだと思うんですけども、この辺りの話を伺ってまいりたいと思いますけれども。もう少し森田さんのキャリアのお話を差し上げたいんですが、ウィンドウディスプレイを。
そうですね。洋服が好きだったんで、とにかくいろんなバイトしないと洋服は買えない。洋服は当時から高かったですから。だからバイトを掛け持ちしながら、その中でウィンドウディスプレイの仕事もいただき、やりながらも、先ほど話したクールのバーのオーナーと出会い。
でも、その前に10代の少年にウィンドウをディスプレイしてお金を払うって、これ自体が普通じゃない出来事じゃないですか。
今だと当たり前かもしれないですけど、当初はやっぱりそうじゃなかったかもしれませんね。でも僕の周りにいる大人たちは、いろんな若い人たちに、何かチャレンジをやってみたらってことで。僕も子供なんですけど、すごく大人びた子供だったんで、周りにいる人たちがほとんど年上の人たちだったんで、そこでいろんなチャンスをいただいたと思います。
その神戸の三宮のバー「クール」。これ、森田さんのデザインカタログと言いますか、今までの歴史を見ると一番最初のページにあって、今でもあってもおかしくないというか。
今も営業してます。
あのデザインが。
デザインがね。
あのデザインが今でも、その1989年の。
だから僕が当時18歳とか19歳の間ぐらいの時に、デザインの学校も行ってないわけですよね。なぜ僕のところに依頼が来たかなと、たまにそのオーナーの愚士さんという人と話すんですけども、「ノリだね」って言われるんですけども。当時、僕は神戸にいたんですけど、その神戸にいいバーあるかなっていう質問だったんですよ。
それはいっぱいあるんですけども、大人が行く高級なバーは結構あるけども、若い人たちが行って、変な話、ビールが飲めて、ちょっとつまみ食べて、デートできるところが、若くて行けるところなかったんですね。居酒屋さんみたいなところはいっぱいあっても、おしゃれしてデートする場所がないですって話から、「そうだね、それ作ろうよ」って言ってくれたのが、そのクールのオーナーさんだったんですよ。
なるほどね。ただ、そのデートできる場所、かっこいい場所って、人によってそのイメージ、様々じゃないですか。そうすると、できるだけ多くの方々に最大公約数的にぱっとはまっていくかっこよさを、デザインとして表現するってことは、全然違う能力だと思うんですけど。僕はこれがかっこいいと思う、あの人はこっちがかっこいいと思うわけで。
でも時代は、味方したというと変ですけども、当時アメカジがやっぱり流行ってきた場所。アメカジがあってヒップホップが入ってきて、そういう格好してる人たちがいっぱいいて。みんなその格好してるけど、じゃあそれを着て、音楽聞いて居酒屋行くのかって言ったら、また違うでしょう。そしたら、ニューヨーク行ったことなかったんですけど、当時は僕。ニューヨークの地下の、アンダーグラウンドみたいな場所のバーで、そういう雰囲気だったらイメージぴったりだなと。
なるほど。
だからそこで妄想がまず始まるんですよ。ニューヨーク行ったことないけど、きっとこういうところだろう、こういう感じだろうと。多分ソーホーっていうところがあると。でもソーホーのそのレンガ街の地下にそういうバーがあってもおかしくないなというのが自分の中であったのが、ファッションをね。ELLEとかヴォーグとか、ファッション誌を僕ら参考にするしかなかったんです。
スーパーモデルさんがそこで撮影してて、これ多分ニューヨークなんだな、ソーホーっていうところなんだと。チェルシーが近いとか、そういうところを覚えていくんですよね。そういう中で、こういうところ行ってみたいけども、当然まだ行ってないわけですよ。そこから、こういうところ行ってみたいなと、こういう格好してそういうところで飲んでみたいなっていう妄想が、願いと。それが詰まっていって、じゃあ壁の色ってどんな感じとか、床はこんな感じだ、壁は。
行ったことないけど、レンガがいっぱいあって。当時グラフィティって言葉はなかったですけども、アーティストが壁に絵を描いてっていうのが、あってもいいなとか。じゃあ美大の人に頼んで、「汚れたように描いてくれ」って。「何で汚れたように描かなきゃいけないんだ」って言われたんです。
森田さんと、実はこれ後ほどお話するんですが、一緒にお仕事もさせていただいて。森田さんのお仕事の仕方っていうのも、一連で横で拝見してた立場から改めて思うんですけど、その妄想するって、ある種発散じゃないですか。どんどん横に妄想が広がっていくじゃないですか。デザインって言った瞬間に、あるスペースがあり、そこには消防法があり、動線がありって、どんどんいろんな制約の中で収斂していかなきゃいけない。何かを犠牲にしなきゃいけなかったりだとかっていうことが発生するわけなんです。発散と収斂だと思うんですけど。
このプロセスで、発散したその妄想の部分を決して妥協しないで、きゅっと一つに詰めていく力って、これ何なんですかね。ものすごく難しいことだと思うんですけど。
一言で言ったらバランスだと思います。
バランス。
例えばご予算があります。スケジュールがあります。皆さん誰もがあると思うんです、プロジェクトが。その時に、予算をまんべんなく、例えば空間で言うと、床と壁があって天井がありました。まんべんなくそれにお金をかけて、いいもの、きれいなものを作ると、きれいだけどみんなが見たことあるものと。ビジネスにした時には、よその競合店と同じような店ができてる。空間が、あの店みたいなっていう。
でも、同じ予算だけども壁だけに集中して予算をかけて、床と天井はお金をほとんどかけないと。
メリハリ。
メリハリ。その予算バランスを考えていく時に、他のお店とか他の空間よりも個性が出る。人の記憶に残りやすい。そういうキーワードが僕の中にだんだん出てきて、そして、じゃあこれで行こうっていうアイデアになっていくんですけども。
もう本当にたくさんの商業物件だけではなくて、様々なことをやってらっしゃいます、今や。96年に森田恭通デザインオフィスを立てられて、そして株式会社グラマラスに2000年になって、2015年から写真家になって。
写真家、恥ずかしいです。
もうパリで写真展をやられて、これもう写真家というか、もうアーティストになって。2020年、『未来を予知する妄想の力』、これから出版から出てますが。そこから今、日本人初、アーティストとしてはヴェルサイユ宮殿からの招聘を受けて、ヴェルサイユの写真展を開催予定。ヴェルサイユの公式のフォトグラファーとして仕事をするというのは初めて。
そうですね。先輩ではさんという方がやってらっしゃるんですけども、ヴェルサイユから直接っていうのは、多分僕が最初なんだと思います。
これ具体的にヴェルサイユ宮殿で何を。
ちょうど10年前にパリでコレクション発表して、ほとんど日本では僕は発表せずに、フランスでずっと発表し続けてきたんですけども。その過程を見ていただいた、これメーカー言っていいのかな、シャネルさんが声をかけていただいて、「一緒に何かやるから応援しましょう」というところで。
じゃあ条件は何かありますかって時に、新しい作品であることっていうことがまず話が出て。今まで撮ったシリーズとは違うものを発表することになるんですけども。シャネルだし、フランスだし。シャネル、モーソン、ルイ14世、15世、16世のフランスの華やかな時代にも絶対影響は受けてるだろうと。彼女が影響を受けたであろう、その時代を撮影として切り取りたいと、アートとして切り取りたいっていうところをお願いして。でも、いろんなことがあって、なかなかOKが出なかったんですよね。
2年ぐらい、なかなかお話が進まず。そこから一気に進むんですけども。結局トータル、春夏秋冬で光の入り方も違うので、太陽の光り方も。トータル20日間を貸し切らせていただいて。
ヴェルサイユ宮殿を。
撮影することになるんですよ。
ヴェルサイユ宮殿の屋根に乗っちゃ駄目ですもんね。
普通駄目ですけどね。
駄目ですもんね。もうね、オですから。許されるわけですね。
普段、皆さん観光で行かれた時に見る部屋っていうのは、多分その鏡の間っていうのは有名なんですけども、そこ以外の作品はほとんどみんなが入れないところばっかりを撮影してるので。多分見られた人は、ヴェルサイユの方でも「ここはどこなんだ」っておっしゃいましたから。
アティックっていうか、屋根裏みたいなところまで入ったじゃないですか。
屋根の上に登ったり。
ですよね。
あとは当時電気がなかったんで、噴水も電気ではなかったんですね。地下にダムを作って、その水流によって噴水をしてたんですけども。そういう噴水を作った当時の、ルイ14世、15世の時代に作ったものを、まだ今使ってるんですよね。そこを地下に潜ったり、屋根の上に登ったり。太陽の光がまた季節によって違うので。
今、急にフォトグラファーとしてのトークが始まってますけど、インテリアデザイナーじゃないですか。
そうです。
ちょっと時計を戻すと、パリで個展やった時に、写真家としての森田さんは知らないわけじゃないですか。
そうですね。
あの時の話を実は私、聞いてたんですけど、その話してもらっていいですか。誰かサポートしてくれた方がいらっしゃったんじゃないですか。
まず、なぜ写真を紹介しようと思ったかっていうのは、当時僕の先輩である友人の布袋寅泰さんがいらっしゃって、ちょうど彼が50歳の時に、ロンドンにベースを置いて、東京の全てのオフィスは置いておきながらも、ベースを移すと。ゼロからっていうか、アーティストとしてもしかしたらマイナスからスタートかもしれないっていうところを話しながら、ロンドンに旅立つんですけども。
その話を隣で聞いてて、僕はデザイン以外で何ができるんだろうっていう。ゼロ、マイナスからスタートできるものは。当時僕46歳とか47歳だったんですけども。と思った時に、たまたま僕、プロジェクトで、建築の仕事もやりますんで、インテリアだけじゃなくて建築絡みの仕事をしてる時に、ホワイトウォールっていう白い壁がずっとつながった時に、何か個性はあるけども、あんまり個性を出さない、気になるけど気にならないようなモノクロの写真が欲しいなと思ったんですよ。
でもそういうの、探せば探すほど、ないんだなと。人の顔が写ってたりすると気になるし。やっぱり目とかあると気になるんですね。見ちゃう。じゃあ人の顔じゃなくて、何か彫刻のようなものがないかなと。あるのはあったけど、やっぱり高いし数はそろわないしと。自分で撮った方が早いかなっていうのは、もともとカメラはやってたので、唯一の趣味みたいなものだったんで、あんまり仕事はしたくなかったんですけども。じゃあもうこれをやって、評価もいいし、やっておこうと思ってやりました。
布袋さんの話もあるし、じゃあ僕がゼロから10年後どうなるか分かんないけど、10年必死でやってみて、何か結果が出たらいいかなと思って、自分のトライアルだったんですね。どうせやるんだったら、日本でやるとどうしてもインテリアデザイナーの森田君が撮った写真っていう、そのフィルターがかかるんで。
逆にゼロの。
それはずっと言われ続けちゃうかもしれないから、その色眼鏡は取って。写真ってやっぱりフランスって伝統があって、一番ある意味厳しいところなんで、じゃあもうフランス行っちゃおうと。フランスで発表しようよと思って、いきなりやるんですよ。
でも、さすがの森田さんでも無名の写真家なわけじゃないですか。
全く誰も知らないですね。
どういう状態になるんですか、これ。
まずは大きい会場、場所がいい会場を借りようと。ここはどういう場所って聞いたら、結構広い場所で、コム デ ギャルソンさんがたまにショーやるところだよ。場所がないですね。ちゃんとデザインとして作り込んで、自分のデザインで会場構成もして、写真も作って、レセプションやりました。いい評価がありました。じゃあ明日から本番で、と思う時にパリ・アタックだったんですよ。テロ。
なるほど。
テロで警察も来て、即撤収と。
シャルリー・エブドの時ですかね。
200メートルしか離れてない場所であったので、そこ全部通行止めになったんです。ということは、僕が大金を使って、自分で気合い入れて根性入れてやったコレクションが、はっきりレセプション1日しかやってないんですよ。
そう。
もう来年は無理だなと思った時に、「来年はやらないのか」って言われた人がいて。その時、僕の写真を買ってくれた人ですけども。「もう来年はお金なんか、できないよ」って言って。「もう今年にかけてたから作品も売れないし」って言ったら、「作品は買うけども、来年パリはやっぱり続けないと駄目だよ」と。みんなアーティストが来ててやってて、続けることが大切で、そんなもん1回でやって終わって、そういうの誰も覚えてくれないって。
なるほど。
それ言った人が、かの有名なパトリック・ロジェという、チョコレートのMOFの、そういう方なんですね。お話すると、彼はお店が右と両方あって。彼も職人として、アーティストとして、そのチョコレートもやってますけども、本当、アートのアーティストとしても活躍してて。上にギャラリーがあるから。
ロジェのショップに。
「そこでただでやってよ」って言って。ただほど怖いものないなと思うんですけど、でもお話していくと、本当にいいよってことなんで。翌年、2年目はそのパトリックのギャラリーで、2か所でやるんですよ。
そうなんですね。
それでまた2年目で、3年目でまたパレ・ロワイヤルでやって、次バカラのミュージアムでやってと、どんどん会場も続いていくんですね。そういう経過を見ていただいたのがシャネルさんで、その中から何かやろうってところから、本格的にその辺からもどんどん、日本と海外含めて、やることになった。
今はそうすると、いわゆるインテリアデザイナーとしての森田さんと、フォトグラファーとしての森田さん、大体どのぐらいの時間の割合か。
そうですね。デザインの設計の方が仕事としては多いと思うんですけども、年に一つのプロジェクトを撮影するような形ですね。まだ発表してないんですけども、してないものがいくつかあって、それを今年の冬に発表する予定なんですけども。
ちょっと写真の話になるんですけども、今はiPhoneとか携帯があるんで、世界中の人がみんなカメラマンじゃないですか。じゃあ僕らやってる写真家、アートの写真家と何が違うか。多分、題材だと思うんですよ。
題材、テーマ。
テーマ。誰もが撮れないものを撮る。誰もが知ってるものを違うところから撮る。
なるほど。
だから僕なんかは、ヴェルサイユ宮殿なんかも、人が今まで記念の撮影として撮ってると思うんですけども、アートを作り込んであれだけ撮った人は、今まで過去ないんですね。伊勢神宮の撮影も今させてもらってるんですけど。なかなか伊勢神宮も撮ることがハードルが高いところですので、もう10年以上お世話になって撮影させてもらってますし。
そうですか。次の式年遷宮で。
そうですね。あと7年ですね。
そうですか。
そういう普段は皆さんが入れないところを、ちゃんと記録として、アートとして撮って。
今のこのトークのボリュームから言っても、ほとんどフォトグラファーの森田さんの方が結構大きいんですけども。でも時間的にはやっぱりインテリアデザインの方が。
そうですね。本業。
8対2ぐらいですか、7対3ぐらいですか。
考えることのバランスで言うと、6対4ぐらいな感じでいます。
考える、6対4。時間的には。
時間的には7対3か8対2ぐらいですね。
そうですか。そんな中でもやっぱり、きっちり成果と評価を出していくっていうのがすごいな。写真が、実はMXで番組をやらせていただいた時には写真を持ってきていただいて、立てかけたっていう、ポルセリン・ヌードと、ビリオンでしたっけ。今の資本主義をちょっと横からえぐるみたいな。実際に日銀に行かれて。
銀行さんの。
銀行さんですか。
当日に「この場所で撮影してください」って言われて、そこで撮影しました。
皆さん、検索して、ビリオン、森田恭通でいいのかな。
ビリオン、はい。
ビリオン、森田恭通で検索をしていただくと、どんな写真か皆さん出てくると思うんですけども。まさにお札を、ビルのように。
見た目は本当、渋谷の街に見える人もいますし、建築のように見える人もいますし。
実際ビリオンなんでしょ、あれ。
ビリオンです。本当10億円ですよね。
10億円。
10億円を皆さんイメージすると、卓球台に山盛りな感じですね。当時の、今のデータで言うと。だからそれを、みんながお金として見るものを。でもお金はお金だけど、紙ですよね。紙だけども、その紙の造形として撮ったら。人々が使ったお金で、条件で集めてもらったので。
新札はないわけですよね。
そうですね。そういう人の手の垢がついたものを、立体の作品として作った時どうなるんだろうっていう、僕の素直な疑問からスタートして。ある銀行のプライベートバンクの設計をしたんですけども、そちらに全部展示されてます。
なるほど。実際に現金を行員の方が数えて。
そうです。
そうですか。これ、ぜひ皆さん、百聞は一見にしかずですので、ネットで見ていただけると嬉しいんですけども。ちょっとデザインの話に移って、実は森田さんと一緒にあるプロジェクトをご一緒させていただきまして。私のクライアントさんが森田さんのデザインでお店をやりたいということで、銀座の方でね。その時にもいろいろと森田さんの着眼点とか、今日の話で言うと妄想力というのかな。
ただ、森田さんの妄想力っていうのは、これ東北の方の会社だったんですけども、すごいなと思ったのは、やっぱり現地に出かけられて、現地の匂いとか素材とかいろんなものをご自身で見つけて、それをお店の中にどんどん注入していくと。言葉で言うのは簡単なんですけど、どんなふうにあれをデザインの中に落とし込むっていう。
プロジェクトって必ずクライアントさん、オーナーさんがいるわけで。彼らが苦手なものとか嫌いなものは、やっぱりかわいがらないですね、空間自体を。ならば、僕らが設計して空間ができた後に、実際に使っていく方々がやっぱり楽しく、優しくしてもらう環境には、好きなものを入れてそこに注入していく方が、愛情もこもってくれるのかなと。
その地元の方々のマテリアル、例えば銅板とか、あとは織物とか。そういうものが日常の中、実は使われてるけど、彼らは普通にあるものだと思ってるけども、僕らからすればすごく素晴らしいマテリアルに見えて。
そうですね。マテリアルというか、昔、伝統の織物なんですけども、これってどうやって使うんだろう、銀座でって、ずっと思ってたんですけど。椅子の張り地にっていうの、びっくりするんですよね。みんなが、どこかに下げるのかなとかカーテンになるのかなと思いきや、その椅子になってるっていうのもびっくりしましたけどね。
それが一つの、例えばお店の方とお客さんとのトークの一つにもなって面白いです。「これの椅子、実はね」っていう、そういうことにもなってきますし。当然その地元の方々のマテリアルを使ってることで、愛情も持ってくるでしょうし。
これ、いつも森田さんが言っていて、実は私、好きな森田さんの言葉で、私もそうだよって言って、「by森田」って言ってしゃべってるんですけど。アートとデザインの違いの話をいつもされるじゃないですか。これ改めて、アートは何で、デザインとは何か。
そうですね。だんだん今の時代、アートとデザインが違うってことに、皆さん気づいてきてくれた環境だと思うんですね。一昔前は、デザインもアートも芸術も何でも一緒ですよね。僕がよく言われたのは「芸術家ですよね」とか。「いや、芸術家じゃないですよ。僕は設計者、デザイナーです」と。
何が違うのって時に、まずデザインにはクライアントさんがありますと。商売の起爆剤になることがデザイナーの役目であり、商売をうまくサポートしていく、デザインとか設計の力によって。それが実際のデザインの仕事。クライアントさんがいます。スケジュールもあります。ご予算もあります。全ての条件を考慮しながら考えていく。
時として素晴らしいファイブスターとか三つ星のレストランを作る時もあれば、街のうどん屋さん、ラーメン屋さんも作る時もあると。その時に、三つ星のレストランは最高にかっこいいものを作ればいいかもしれないけど、街のラーメン屋さん、かっこよすぎたらおいしくなさそうに感じると。僕らのよく言うことは、「ちょっとダサくしますか」と。「ちょいダサにしようか」と。
なるほど。
ちょいダサっていうのは、僕らの悪い言葉かもしれないですけど、逆に言うと、もっと身近に。
ダサさも設計するんですね。
そうですね。かっこよすぎたら、どうかなっていう店あるじゃないですか。なんか暖簾があって、おかが出てくるような雰囲気の方が、おいしそうだなと思うじゃないですか。だから、そこの人間の記憶のところを僕らが考えて、デザインしていくのがデザイン、設計していくのがデザイン。
これ、こんなふうに書いてもいいですかね。デザインとは、そこに目的があって、役割があって、そして結果を出さなきゃいけないって、森田さん言ってたんですよね。アートっていうのは自分の表現だから、そこに制約もなければ、もちろん白いキャンバスっていう四角はあるんだけども、基本、制約のないところで自己表現をするものだから、これとこれは全く違うんだと。だから、私はデザイナーだって言ってたんですよね。
その文脈で、これもし駄目だったら切りますけど、篠山紀信さんの話、あったじゃないですか。写真の話をちょっと聞きたい。写真家としての篠山紀信を、森田さんがちょっとサポートしたって言ったらいいのかな。この話、今のデザインとアートの話で。
そうですね。紀信さん、本当、生きてる間もお世話になって。僕がデザインしたギャラリーサロンのところによく出入りされてて、紀信さんの個展とかもよく見に行かせていただいてたんですけども。紀信さんって額縁に入れないんですよね。行っても、大きい紙がべたっと壁に貼ってて。
紀信さんがそのアートサロンで個展をやるって話を聞いて、じゃあいつもの感じで紙のままでやるのかなと思ったら、「紀信さん、それじゃ売れませんよ、多分」って。「どうするんだ」って。「ちゃんと額に入れないと」って。「額縁か、そんなことあんまり考えてないな」って言うから。「じゃあ、お前ちょっと手伝ってくれよ」っていう話で。
僕がいつも使ってる額縁屋さんにサイズをいろいろ聞いて、大きさと色の感じとか、フレームの厚みとかも考えて、「こういうふうにやりましょう」。「それじゃあやってみよう」って、やったんですよ。そしたら全部売れたんですね。紀信さんが「売れたね」って。「売れますよ、それはいい写真なんだから」。でもやっぱりそれはちゃんと、そこにアートとデザインのところが両方入ってくるんですけども。
アートをより美しく見せるのはデザインなんです。そこにきれいな額を、その写真に合う額縁を入れていくことによって、よりその写真が美しく見えるということだと思います。
篠山さんはアーティストですから、自己表現のある種、具現化された写真というものを、とにかくよければ買ってくれと。ただ、森田さんはデザイナーだから、この写真が手に取られて、お家に運ばれて、やがてリビングに行きって言った時に、この写真はどんな価値をその場所で提供するのかなっていう妄想をされるんでしょうね。
そうすると、これはきっと壁に掛けるものなのかもしれない、ベッドルームに置くのかもしれないっていうことまで妄想して、だったらこういうフレームがあればいいんじゃないかっていうデザインが入ってきて、アートがデザインになったっていう、プロダクトになったっていうことって、ものすごく深遠なことだなと思って。この話は当時聞かせていただいて、なるほどなと思ったんですけど。
紀信さんも喜んでいただきましたね。
だからアーティストとデザイナーっていうのが出会うと、また新しい価値がそうやってできてくる可能性があるわけ。
そうですね。自分の中でそれ両方いるんですよ。写真の自分がいて。
だから強いんでしょうかね。
デザイナーの自分が、自分が撮った写真をどういう形で、購入していただいた方のお家に行ったり、オフィスに行ったりして、どう飾るんだろうっていう。フレームから全部オリジナルでデザインしますし、そこに当たったライティングの関係とかもよく考えて、写真をする工程も考えますし。だから、自分の中にデザイナーがいるってことは、すごく写真をやっててラッキーだなっていつも思います。
なるほどね。デザインって、もしかするとちょっと違うのかもしれないですけど、マーケティングをするってことなのかな。もしかすると、ちょっと雑な言い方かもしれないですけど。
そうですね。でも、どういう環境でどこに置かれるかってことを想定、大体ですよ。想定しながら考えて、やっぱりやっていくので、それはデザインっていうのはそういうことかもしれません。
何かのニーズを満たさないと、デザインにはなっていかないわけですもんね。
そうですね。やっぱりプロダクトとしても売れないと駄目だし、空間としても、例えば商業施設だと人がいっぱい来てもらわないと困るし、オフィスだとそこで働く人が働きやすくないと駄目なんです。だから本当、オフィスの仕事なんかも、いろいろ今、線ツクラスを、4、5件今やってるんですかね。コロナの時代にオフィスがいらないって言ってましたけど、みんなオフィスはやっぱりいるんですよね。
そうです。
やっぱりいるんですよね、オフィスは。コミュニケーションが取れなくなると、やっぱりみんなおかしくなるので。そういう中では僕も機能面、当然その機能のデザイン、あとは美しく見せるデザイン、あとゲストをハッピーサプライズで招くデザイン。いろんなカテゴリーのデザインを、その中で集約していくんですけども。
なるほど。
それは今おっしゃった僕なりのマーケティングの中で、自分のAIより強いところを出していくっていうところですか。
なるほど。後ほどAIのインパクトも聞いてみたいんですけど、まず最近のああいうAIのクリエイティブな部分で、森田さんどう思ってますか。この1、2年、すごくないですか。
すごい。彼らのその情報量っていうのは、普通じゃないと思います。クライアントさんがいます。クライアントさんがAIで作ったデザインでいいんだったら、森田じゃなくていいよ。
そういうのって。
多分、全然あれだと思うんですよ。まだこの先に第六感、人間の五感が、第六感っていう、シックスセンスのこの6番目っていうのは、まだAIはそれは作れない。
直感的なもの。
うん。
NEXT。
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