「AIには人生がない」 音声メディアの経営者二人が語る、人の声が残る理由

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概要

AIが人間らしい会話音声まで生成できるようになったとき、人が話す音声に価値は残るのか。Voicy代表の緒方憲太郎氏、音声広告などを手がけるオトナル代表の八木太亮氏、ナビゲーターのSean Kawakami氏による鼎談の最終回は、この問いを軸に進んだ。出演者たちは、情報を伝えるだけのコンテンツはAIに置き換わっていくと認める。そのうえで、人格や時間をかけて積み重ねた歴史、受け手の想像に委ねる余白は人間の側に残ると論じた。

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「対AI」という議論はやがて溶けていく

冒頭では出演者の一人が、音声は広告のコンバージョンを細かく問われるメディアではないことを、まだ言語化しきれていないと話した。動画の場合、100人に届けて2人がコンバージョンしても、残りの98人には「うざい」と思われている。音声では10人しか聞いていなくても、8人はそれほど嫌がらず、2人がコンバージョンする。そういう違いが起きている、という説明である。

これを受けてKawakami氏は、「少しだけ長く生きてきた人間」として1990年代半ばのインターネット黎明期を振り返った。「インターネットが来たら大変なことになる」とモデムの接続音とともに語られていた頃の議論を、2026年5月の今、AIについてもう一度しているような気がするという。同氏の見立てでは、AIは霜降り肉の脂のように社会へマーブル状に溶け込む。そして3〜4年後には「人間対AIという議論をしていたね」と振り返ることになる。パソコンが普及した時期に似ている、という声も出た。

出演者からは、すでに溶け込みは始まっているという実感も語られた。一人は、医療については医者と話すよりAIと話すほうがずっと助かると言う。医者にしつこく質問を重ねるのは大変で、医者や健康トレーナーの役割はかなりAIに置き換えてしまった。今後は、生活の何割をAIに任せ、何割を人に任せるかを各自が選ぶようになるだろうと話し、「君は奥さんもAIのほうにするタイプなんだ」といった会話が普通になるかもしれない、と冗談を交えた。Z世代は人と関わる前に「チャッピー」(ChatGPT)に相談しており、AIはすでに人と人の間に入っているという指摘もあった。

メールの話題も盛り上がった。メールを一度AIに通してから送るのが当たり前になると、上司から直接届く生の言葉は「リアルハラスメント」になる。腹が立ったメールをChatGPTで冷静にしてから送る。上司のメールを自分が傷つかないよう加工して受け取るフィルターを置く。「やりたくない」とだけ書いたら、いい感じの文面にして返してくれる。こうした冗談を経て、Kawakami氏は、特に音声やテキストの領域ではAIはもう入り込んでいると整理した。

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40万年変わらない嫉妬と、人とのつながり

これに対してゲストの一人は、表面的にはそうだと認めつつ、別の角度から問いを立てた。科学技術がこれほど進歩しても、人間はなぜ嫉妬したり怒ったりする心を失わないのか。それは人間が人間であるがゆえで、おそらく40万年前から変わっていない、とこのゲストは考える。

このゲストは、AIが今後多くのものを置き換えていくことは「絶対」だと認める。自分自身も、できるなら嫉妬や怒り、悲しみをなくして徹底的に合理的になりたいと話した。それでも、そうした感情はなくならない。人と人とのつながりもこれに近いものだという。インターネットのあとにSNSが生まれたが、それも結局は人間のつながりであり、誹謗中傷が押し寄せれば人は苦しみ、命を絶つことさえある。どれほど合理化が進んでも「人間を感じる」部分はなくならず、それを最も得意とするのが音声だ、というのがこのゲストの立場である。

Kawakami氏もこれに応じ、ヨーロッパで世界の教育のあり方を議論しているワーキンググループの話を紹介した。そこでは、人とのインタラクションを通じて感情や葛藤を調整する力が、教育の最大の柱になるのではないかと考えられているという。情報の入力や出力については、おそらくAIが相当な部分を改善していく。

5:25

NotebookLMに背筋が凍った瞬間

Kawakami氏は、NotebookLMが登場したときの衝撃も率直に語った。資料を二人の掛け合い形式の音声にまとめる機能を聞き、技術が一段飛んだと感じたという。長くラジオに携わってきた人間だからこそ、背筋が凍った。相づちや、言いよどみのようなフィラーまで入っていることに、ゲストも「鳥肌が立った」と応じた。そのうえで同氏は、あえて極論として「人間じゃなくてよいのではないか」と二人に問いかけた。

これに八木氏は、笑いを交えつつ「人間じゃなくていいと思う」と答えた。ただし条件がつく。八木氏は、コンテンツには二つの性質があると考えている。一つはストレートニュースのように情報を伝えるだけのもので、こちらはNotebookLMの音声で十分だという。「それ分からないので教えてください」「では教えますね」という対話形式はむしろ分かりやすい。もう一つは雑談のように人格を発揮できるもので、こちらは残る。あの人はぶぶ漬けを食べるのか、ゼルダの伝説を遊ぶのか。そうした会話から、その人の好きなものがにじみ出る。八木氏はNotebookLMを見て、人格をまとうコンテンツと、ニュースやインプットに徹底的に特化した合理的なコンテンツに分かれていくと感じたという。

7:03

「人を出すのではなく、人生を出す」

緒方氏は、世の中が進むにつれて差別化する場所が移っていく、という観点から答えた。みんながおしゃれになれば、次は体を鍛えている人でなければ目立たなくなる。みんなが整形を始めれば、また別のところで差がつく。同じように、NotebookLMのような分かりやすい掛け合いトークは、もはや最低限の到達点になってしまった。それ以上の差を出さない限り、人は頭角を現せない。

仕事でも、AIにできる水準が上がっているため、そこに満たない人は仕事を失う。緒方氏はこれを、人間がそのままの状態で生きていける水際がどんどん上がっていく状況だと表現した。

それでも、すべての商品の最終的な消費者は人間である、と緒方氏は続ける。人間は合理的なものを買っているわけではない。好きなものや応援しているものを買う。合理的な商品はすでに十分に行き渡っており、同じ値段なら安いほうを選ぶという買い方はしていない。友達へのプレゼントなら安くなくてもいい。

こうした状況で、商品の差別化はコンテンツそのものの良し悪しから、その前後にあるストーリーへ移ったと緒方氏はみる。ある大会で優勝したなら、それまでにどれほど頑張ってきたか。親を亡くしたが、こういうことをしている。政治家も、突然出てきて何を言うかではなく、その前後にどんな活動をしてきたかという因果関係が問われる。そして緒方氏は「AIには生きているヒストリーがない」と述べた。だから、ヒストリーのプロセスを外に見せることが差別化になる。

緒方氏によれば、表に出ているコンテンツだけで勝負しようとしても無理で、そこではAIが圧倒的に強い。経営者や発信者が、一発のいいコンテンツを作ろうとしたり、会社のビジョンをきれいなシートにまとめたりしても、どこでも同じものを出せる。それよりも、日頃の姿を前後とともに出し、なぜこれをやろうと思ったのか、どんな失敗をしてきたのかを示す。そうして時間軸を含めた人として出さなければ、好きになってもらえない。緒方氏はこれを「人を出すんじゃなくて人生を出す」とまとめた。今この瞬間に生まれた人間はいないので、人間なら誰でもそれができる。そして、それは人間にこそ刺さるという。

9:31

記号と意味、ユニークネスの蓄積

Kawakami氏はこの議論を「記号」と「意味」という言葉で捉え直した。記号の豊かさという点では、もうテクノロジーにはかなわない。記号はこの先もずっと進化し続けるだろう。一方で、意味や文脈、その下に横たわる歴史は人間が持っているものだ。AIが模倣することはできても、その持ち主は人間の側にある。だから差別化は、記号の豊かさを追いかけることではない。逆算するように、意味の深さや温かみ、文脈、さらには信頼へと向かうのではないか、と同氏は話した。

出演者の一人もこれに同意し、ユニークネスや人間性を積み重ねた上にしか何も築けなくなってきていると述べた。フォロワーがいなければ発信できなかった世界から、ユニークネスや人間性がなければ発信できない世界へ移りつつある、という整理である。

Kawakami氏はさらに、音声を「メディアのイノベーションのジレンマ」になぞらえた。メディアはよりリアルに、よりリッチにと進化し、チームラボの展示に匂いや色が加わるような方向へ進んでいく。その先には「もう人間はいらない」という世界もありうる。しかし差別化という点では、実はもっと原始的な部分、つまり意味や文脈、肌触りのほうに鍵がある、と同氏は見ている。

10:54

ストーリーを売るD2Cと音声広告

八木氏は、音声広告の現場からこの議論を補強した。アメリカのポッドキャスト広告には出稿の多いジャンルがあり、金融や無形商材と並んでD2C(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)がその一つだという。D2Cは、比較的リッチな商品を店舗を持たずにネットで直接売る形態で、ストーリーを持つ商品が多いのが特徴だと八木氏は説明する。こだわりを持って、こういう背景で、この素材だけを使って作った。そうした商品は音声広告に向いているとされる。八木氏はその理由を、先ほどの議論と同じく、消費者が「安い、早い、うまい」ではなくストーリーを買っているからだとした。

11:48

余白の国だった日本と、埋め尽くすテレビ

Kawakami氏は、情報を詰め込む方向とは逆の文化として、絵画の比較を持ち出した。西洋の絵画は隅々まで描き込む。一方、日本や中国の絵画は余白のほうが広いほどで、そこに信頼や人間の想像力が入り込む。「あなたが完成させてください」という届け方のメディアがあったのだろう、と同氏は話す。

ところが今は、どこよりも日本が画面を埋めてくる、と同氏は指摘した。家族が30年ぶりにイギリスから帰国して日本のテレビを見たとき、最初に口にしたのは「色がすごい」だったという。強い色づかいに大量の字幕が重なり、チカチカして見ていられない。話している言葉まで文字で出てくる。子ども向けの番組のように見え、文字も食べ物も多い、という感想だったそうだ。出演者の一人は、これは音を消しても理解できるように作られた編集だと応じた。

これはマーケティングの結果なのか、という問いをめぐって議論が続いた。Kawakami氏は、日本のメディアのビジネスモデルは基本的に広告出稿なので、コンテンツはマーケティングの結果だろうと見る。どこから見てもすぐ理解できるように、視聴者に徹底的に寄り添った結果だという見方も出た。CMを見ただけで購買意欲が湧く層は、チカチカした画面と相性がよい。出演者の一人はさらに踏み込んだ。余白があると、人は自分で商品を調べてしまう。アイスを売りたいのに、体にいちばん良いアイスは何かと調べられたら、そのアイスは選ばれなくなる。言われたことをそのまま受け取る人でなければCMは困る、という説明である。

Kawakami氏はこれを日本のメディアの特殊性だと位置づけた。ニュース番組にスポンサーがつく国はそれほど多くない。海外では、右派的な人はFOXを、左派的な人はCNNを見るように、自分で選んで見に行く。だからテレビに文句を言う筋合いもない。日本はメディアをコントロールしやすい構造になっているのだろう、と同氏は話した。

14:40

非合理なところにこそ経済がある

終盤、Kawakami氏は今回の話を一回で終わらせず、三人で実際に何かを形にしたいと提案した。そのうえで、それぞれに最後のメッセージを求めた。

八木氏は、これまで何度も話してきたことだと前置きして、AI時代に音声の人格がもう一度重要になると述べた。作る側も聞く側も人格を咀嚼するメディア接触になり、発信する側は人格をきちんと出していくことが重要になる。無機質で無色透明な合理性は消えていく。そういうビジネスの仕方をすれば、関わる人みんなに魂が宿るのではないか、と八木氏は考えている。Kawakami氏が「非合理なところほど儲けのネタがあるかもしれない。言い方はよくないが、そちらに経済があるはずだということか」とまとめると、八木氏は同意した。それを音声メディアで感じてもらいたいし、自分たちもそういうものを作りたいと語った。

16:36

観光名所を巡る日本人、何もない丘を撮る外国人

Kawakami氏は、この文脈で旅の話を加えた。生放送の仕事が減ったこの10年はよく旅をしているが、日本人は観光名所が大好きで、「お前が楽しませろ」という旅が多い気がするという。一方、外国人観光客は、何でもない丘の上で一生懸命写真を撮ったり三脚を立てたりしている。自分でコンテンツを作っているのであり、面白みを見つける力が強い。だから日本人はゴールデンルートの名所を回り続け、外国人は「なぜここを見つけたのか」という場所にカメラを向ける。マーケティングで「ここなら来るだろう」とエンターテインメントパークを作っても人が来ない、という現象とも違う話であり、先ほどのコントロールされたメディアの話に似ている、と同氏は述べた。

ここから同氏は、受け取る側も人格のあるメディアに触れるべきであり、発信する側も人格を持つべきだと続けた。人格は余白に生まれる、という点で出演者の意見は一致した。余白以外の部分で何を語り、何を発信するかによって、余白がどんな色になるかが決まる。にじみ出たところに共鳴が生まれる。Kawakami氏は例として、銀座のエルメスが「1930何年にどこそこで鞄を作った会社で」と自社の歴史を語ったりはしない、と挙げた。

18:49

緒方氏の構想:本音が話せる安全な場所

緒方氏は、今がとてもワクワクするタイミングだと語った。会社も大きく変わり、社会も激しく変わる。その激動の中に飛び出していく面白さがあるという。

緒方氏の予測では、人が弱きや安きに流れることと相性のよいコンテンツが、今後大量にあふれる。サッカーをせずゲームで済ませる、人と付き合うよりネット上の女の子に一生懸命お金を投げる。そうした生き方も楽しく、肯定されるものだと緒方氏は言う。そのうえで、社会をもっと良くしたい人、美学を持って生きたい人、一つずつこだわって生きたい人、人らしさを好きになりたい人のための場所が求められると考えている。ショート動画で時間を潰して罪悪感を覚えるのではなく、体だけでなく脳や情報もヘルシーな状態でいられる場所である。それをビジネスにするのは難しいが、自分たちならできるし、声ならできる、と緒方氏は述べた。安心安全で、本音が聞けて、本音が話せる場所を作り切るという。

ただし、それが成り立つかどうかは「マジ難しい」とも認めた。喧嘩して煽るほうがずっと稼げるからだ。緒方氏は10年間この方向が求められると信じてやってきたが、その間、社会はずっとアテンション側に傾いてきて、悔しい思いをしてきたという。しかし今は、アテンションを取るコンテンツが無限に作れる世界になった。そのため、そうしたコンテンツはいくら作っても採算が合わなくなる、と緒方氏はみる。今後は、聞いた人が「人生でこれくらいは聞いておいたほうがいい」と思えるものをどう作れるかが勝負になる。人生の学校のように、こんな人になりたいと思えるロールモデルがたくさんいる場所。「ここくらいは行っておきなさい」「Voicyを聞いておきなさい」と言われる場所が作れるのではないか。緒方氏は、その確信が半分くらいある段階だと話した。

AIによってプロダクトをフルスクラッチで高速に作れるようになり、運営も回せるようになった流れも、緒方氏にとっては面白い変化だという。これからの10年で、機械とだけ話している人と、人の良さを頼りに生きている人の間に、人口のどのあたりで境界ができるのか。それぞれがどんな生活をし、どんな支出をするのかが「見もの」だと緒方氏は語った。50人でもいいから自分の生き方を伝えたい人が、叩かれずに話せる場所。その人らしさの蓄積場所が、AIの時代だからこそ必要になる。周囲の多くはマトリックスのように夢の中で心地よくなっている人かもしれないが、そうでなくても楽しいという世界がきちんと差別化されていく。緒方氏は、今年がその「スタートの初年度」だと考えている。

22:35

アテンション経済と共感経済のゆくえ

Kawakami氏はこれを、アテンション型の合理性の世界と、心理的安全や共感に基づく経済の対比として整理した。合理性とルールがある領域は、AIがすべて持っていくはずなので人間は勝てず、圧縮されていく。一方、心理的安全は人間が感じるものであり、共感も人間がするものでAIがするものではない。そこに人間の役割が残る、という整理である。

ただし同氏は、課題も挙げた。この領域で商売をしている人たちが、なかなかお金にならないことがある。うまくお金に変えていかなければ、この領域はしぼんでしまう。同氏自身も「すごく概念的な話」だったと認め、次回はより具体的な形で議論し、三人で一つプロジェクトを立ち上げられたらと述べて鼎談を締めくくった。