道徳の授業は「先生の正解」を当てさせないように作る:岡田斗司夫ゼミ「サイコパスの人生相談」#459
岡田斗司夫この回は、2022年10月9日に配信された岡田斗司夫ゼミ第459回を再編集したものである。前半は、岡田が東京の自由学園(小学校から高校までの一貫校)で行った講演への感想を紹介している。講演では、宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』の堀越二郎を題材に、「最悪な平和」と「まだマシな戦争」のどちらを選ぶか、そして夢を追った結果として戦争に関わる役割を背負った生き方は正しいのか、と問いかけていた。後半では、教員を目指す大学生から届いた「岡田さんなら道徳の授業をどう作るか」という質問に答えている。
岡田はこのゼミで、答えの出ない問題を扱うことを「知の指数が上がる」と表現してきたが、最近は「足のつかないところに来た」と言うようにしているという。この回はまさにその種類の話だと本人が前置きしている。
600件を超えた反響と、家庭の責任を切り分けた意見
岡田によれば、講演への感想は投稿フォームだけで200件以上、YouTubeの該当動画にも600件ほどのコメントが寄せられた。読むだけで1週間が終わってしまったという。
最初に紹介されたのは、30代男性のMKさんの意見である。戦争の責任は国民全員にあるので、1人の技術者の責任を問うことは本質的ではない。二郎が負う戦争責任は「1/当時の人口」にすぎない。一方で夫婦の責任は1/2であり、主観ではあるが二郎はその1/2の責任を果たしていない。だから二郎は妻のために仕事を辞めるべきだった、という主張だ。
岡田は、国民としての責任と家庭内の責任を切り分けたこの意見を、30代男性からのものとしてはかなり珍しいと評した。ここまできれいに切り分けた意見は女性からもあまりなかったが、この観点に立った意見は女性からは届いていた。男性では珍しかった、というのが岡田の見立てである。
「弱い人間には、戦争の方が生き残りやすい」という10代の意見
次は10代男性の意見である。この投稿者は、二郎は間違っていないと考える。軍人が軍の命令で人を殺すように、会社に所属している以上、二郎も会社の命令に従う必要があったからだ。そのうえで、自分なら「まだマシな戦争」を選ぶという。単純に死ぬ人数を比べるのではなく、どういう人が死ぬのかを考える。平和なときに死ぬのは精神的に弱い人や社会不適合者で、戦争のときに死ぬのは一定の年齢層の男性からランダムに選ばれる。そう考えると、自分の生存確率は戦争のほうが高い気がする、という理屈だ。
岡田がこの意見を取り上げたのは、前半の「会社員も命令に従うしかなかった」という部分よりも、最悪の平和より戦争を選ぶ理屈の立て方が面白かったからだという。年間2万人が自殺に追い込まれるような「最悪な平和」では、自分のような心の弱い人間が死に追い込まれる確率が高い。戦争なら、生きるか死ぬかはもっと公平なランダムになる。だから心の弱い人や社会不適合者にとっては、生存戦略として戦争を選んだほうがマシだ、という発想である。正しいかどうかは置いておくとしたうえで、岡田は10代にしてはよく見通していると評した。自由学園の生徒アンケートにも、この意見は出てこなかったという。
岡田はこれを学校にたとえて言い換えた。「最悪な平和」とは、一見みんな仲良くしているのに、実はいじめがあって年間何人も何十人もが不登校になっている学校である。「まだマシな戦争」とは、校内暴力や生徒を縛りつける理不尽な決まりが多いが、いじめだけはない学校である。前者は社会不適合者や運の悪い人がいじめ殺される世界で、後者は誰もが平等に地獄へ突き落とされる可能性のある社会だ。こう考えると、この思考実験はいっそう凄みを増すと岡田は言う。自分にはそう見えていなかったが、世の中を生きにくいと感じている人にはこう見えているのかと驚いた、とも語っている。
「人を殺す兵器を作ってでも夢を追うべき」とオッペンハイマーの後悔
二郎は間違っていない、という意見は非常に多かった。岡田によれば、その傾向は年齢が下がるほど強い。10代・20代の意見では4分の3以上が、二郎は夢を追うべきで、夢を諦めることは死ぬのと同じくらい辛いことだと考えていたという。
その中でも特に踏み込んでいたのが、男性の「ツユクサ」さん(字幕からの表記)の意見である。人生では何かの目的に向かっている最中こそ、最も生きている実感が得られる。夢を諦めて抜け殻になってしまえば、生きているのか死んでいるのか分からない。であれば、自分のせいで多くの人を殺す兵器を作ってでも夢を追い求めるべきだ、という主張だ。
これに対して岡田が持ち出したのは、当時クリストファー・ノーランが制作中だった映画の題材、ロバート・オッペンハイマーである。岡田はオッペンハイマーを、ハーバード大学をわずか3年で首席卒業し、人類初の原子爆弾を開発したマンハッタン計画のリーダーを務めた、人類最高の天才の1人と紹介する。
岡田の説明によれば、オッペンハイマーはもともと「科学には罪がない」と考えていた。罪があるのは科学を人殺しの道具にしか使わない政治家や軍人の側であり、原爆も戦争の抑止力として考えていた。こんな爆弾を作ってその効果を世界に公開すれば、戦争は止まるだろうという考えである。ところが、世界初の原爆「トリニティ」を起爆させた瞬間、オッペンハイマーは変わってしまった。同僚は、そのときの彼の顔が恍惚にあふれていたと話しているという。見ていた軍人たちも、それまで原爆がどういうものか分かっていなかったのに、光を見た瞬間に取り憑かれたように「この原爆は使わなければならない」と動き出した。
その後のオッペンハイマーについて、岡田は次のように語る。トリニティ実験の後に恍惚となったものの、何日かすると考えが変わってきた。日本への投下後には、さらに意見が変わっていった。やがて「科学者は罪を知った」と発言するようになり、生涯にわたって核兵器の開発に反対した。「原爆の父」と呼ばれ、原爆を作ってしまったことをずっと後悔し続けた人だという。
岡田は、ツユクサんの考えが間違っているとは思わないと断っている。そのうえで、人類最大の天才ですらこの問題には死ぬほど悩まされたと指摘する。本当は使うつもりがなく、実験だけで終わらせるつもりだったのに、あの光を見たら誰も使うことに抵抗できない。オッペンハイマーはそれが分かってしまったのだろう、と岡田は推測している。自分が作ったものの魔性に取り込まれてしまう、ということである。
「夢のためには何かを捧げるべき」に同意してしまう理由
4人目は男性の「お茶は美味しい」さんである。夢を実現するなら何かを捧げなければいけない。それが家族や最愛の人の命であっても、友達が二郎の立場なら「夢に向かっていきなよ」と応援する、という意見だ。
岡田は、この気持ちは分かると言う。かつてアニメやゲームを作っていた人間の端くれとして、自分もそう考えていたし、スタッフにも同じことを要求していた。自分たちを犠牲にして働くことを当たり前だと思い、誇らしいとさえ感じていた。当時24歳でアニメを作っていた岡田たちは、30代・40代を過ぎた業界のプロが作るアニメがなぜあんなにぬるくてつまらないのかと考え、本気で作っていないからだ、自分を犠牲にしていないからだと思っていた。実際にそう口にし、それを合言葉にして作っていたという。
だから、この意見にはつい同意してしまう。10代でそう考えるのも当たり前だ、と岡田は言う。ただし、自分の夢にこだわるために人の命まで懸けていいとは言い切れない。おそらく当時の自分でも言い切れなかっただろう。そういう自分がいるので、この意見は紹介だけにとどめたい、と岡田は話を締めた。
相談:「手品師」の教材で道徳の授業をどう組み立てるか
後半は、20代女性の「としお大好き」さんからの一般の相談である。投稿者は大学で「道徳教育指導論」を履修しており、第1回の講義で、小学校高学年向けの道徳教材「手品師」を使い、自分が教師なら授業をどう構成するかを考える課題が出た。
教材のあらすじは次のとおりだ。腕はいいが貧乏な手品師がいて、いつか大劇場で手品を披露することを夢見ながら腕を磨いていた。ある日、しょんぼりしている小さな男の子に出会う。男の子は、お父さんが死んだ後、お母さんが働きに出たままずっと帰ってこないと言う。手品を見せると男の子は大喜びし、「明日も来てくれる?」と聞く。手品師は「必ず来るよ」と約束して別れる。その夜、友人から電話がかかってくる。明日大劇場で開かれるショーに出演予定だった有名な手品師が急病で倒れ、代役が必要になったので君を推薦した、という。大劇場を夢見る手品師にとっては、またとないチャンスである。しかし今夜出発しなければならず、そうすれば男の子との約束は守れない。悩んだ末に手品師は推薦を断り、翌日、たった1人の客を前に素晴らしい手品を披露した。
大学教授は、授業を構成するうえで3つのポイントを示した。
- 教材に興味を持たせるために、導入で教師は何をするか
- この話について生徒に最も質問したいことは何か
- まとめで教師が生徒に伝えたいことは何か
投稿者は、(1)約束を守れなかった経験があるかを生徒に質問する、(2)もし男の子が約束の日に現れなかったら手品師はどんな気持ちになるか問う、(3)自分の心に対して誠実であること、と考えた。しかし、どこかありきたりで何か違う気がする。岡田ならどう授業を組み立てるのか、という相談である。
生徒は「先生の正解」を推理してしまう
岡田はまず、この話のポイントは約束だと言う。手品師と子供の約束には誰でも気づく。重要なのは、その裏にもう1つの約束が存在していることに生徒が気づくかどうかだ。普通に話して「約束はやっぱり大切ですね」と誘導すると、つまらない道徳の授業になってしまう。
岡田によれば、教室での道徳の授業では、生徒は教師が考える正解を探しにいく。正解を推理してさっさと答え、それで授業は終わりにして、考えることを放棄してしまう。放っておくとそうなりがちなので、それをさせないのが教師の役割だという。どうやって生徒を矛盾に追い込むかが勝負だ、と岡田は言う。そのうえで、3つのポイントそれぞれに答えている。
導入:先生も答えが分からない、と最初に揺らす
1つ目の導入で大事なのは、教師の考える正解を生徒に推理させないことだ。岡田は言い方の例として、「先生も小学校の頃に同じ話を聞いたけれど、いまだにどうすべきだったか分からない。みんなの意見もまとまらなかった。だから一緒に考えてほしい」と最初に問いかけることを挙げる。
こうしないと、生徒は無意識に、大人が気に入りそうなたった1つの正しい答えを探してしまう。先生もいまだに悩んでいると最初に伝えて、生徒の心を揺らしておくことが大事だという。
中心の問い:損得ではなく「自分との約束」を対立させる
2つ目の、生徒に最も質問したいことは、隠れている「もう1つの約束」に気づかせることだと岡田は言う。
「明日も同じ場所で手品をする」という1つ目の約束だけに注目すると、それに対立する選択肢は「でも大劇場デビューのチャンスを棒に振るのは損だよね」という損得勘定になってしまう。そうなると生徒は、「なるほど、自分にとって損でも約束は守ろうね、という道徳的な話を大人はしたいんだな」と読んでしまう。小学校高学年なら必ずそう考えるので、そうやって舐められてはいけない、と岡田は言う。
だから、「子供との約束を守るべきか」という道徳的なミッションに対しては、損得ではなく、同じく道徳的なミッションを対立させなければならない。この教材の場合、それは「自分との約束」である。手品師は子供の頃から、大劇場で披露するような立派な手品師になると自分に約束してきた。その自分との約束と、1回会っただけの子供との約束のどちらを取るべきか。この葛藤に持っていかなければならない、というのが岡田の考えだ。
さらに分かりやすくするために、岡田は教材のアレンジも提案する。たとえば、手品師が子供の頃にお母さんへ「手品師になりたい」と言い、お母さんが「じゃあ頑張るのよ」と応えた、そのお母さんはもう亡くなっている、という設定にする。教材の男の子が父を亡くし、母が仕事で帰ってこないのと重なる形で、手品師も亡き母との約束を守りたいと思っていることにする。2つの約束に縛られた状態にすると対立がはっきりし、子供たちも「大人が喜ぶ答えはどっちだ?」と分からなくなり、自分の頭で考えるしかなくなる。
道徳的なミッションの対立軸は、必ず道徳的なもので立てなければ、道徳の授業としては成立しにくい、と岡田は言う。子供との約束を優先すれば、自分との一番大事な約束を破ることになる。この「自分との約束」は生徒には分かりにくいので、話を説明するときにきちんと伝える。これが2つ目のポイントだという。
まとめ:結論は出さず「自分で考えて」と放り出す
3つ目のまとめについて、岡田はこう整理する。物語の中で、手品師は目の前のたった1人の観客を裏切れなかった。これはストーリーとして決まっている。しかし、その結果として自分との約束は守れなかった。そこで「どう思う? 何が正しかったんだろう?」と問いかける。
悪い言い方をすれば誘導になるが、こうすると教室は自然に、子供との約束が一番大事だという派、自分との約束が一番大事だという派、損得で考えればいいという派、難しくて決められないという派の4つにおそらく分かれる、と岡田は見込んでいる。結論を出す必要はない。先生が最も問いたいことは「これは自分で考えてください」と放り出すことであり、それだけで小学校高学年の道徳の授業としては十分だという。
岡田は、ありきたりの考えで作った道徳の授業は必ずつまらなくなり、つまらない授業は小学校高学年や中学生くらいから子供たちに見透かされてしまうので気をつけてほしい、と相談への回答を締めくくった。
追加のアップデート:浅瀬の答えと、足のつかない深み
再配信にあたって、岡田は動画の後に補足を加えている。道徳の授業は「何を目的にするか」から考えるのがいい、というのが岡田の考えだ。子供に「約束を守るのはいいことだ」と教えたいだけなら、大きなイベントからの出演依頼を断ってでも子供との約束を守る、という簡単な答えに誘導すればいい。
岡田はこれを海にたとえる。海に入って足がつけば安心する。「子供との約束を守るのが正しい」は、安心して足がツユクサ浅瀬の安全な答えである。小学校低学年から3・4年生くらいまでなら、こういう授業でも全く構わないと岡田は言う。しかし高学年や中学生になったら、もう少し足のつかないところへ連れていってもいい。子供の中で「本当にそれでいいのか」と整理がつかない先生の教えを問いかけとして受け止め、自分で考え出す授業にしてもいいかもしれない、という。
手品師の話も、大舞台が手品師の長年の夢だった、亡くなった母と約束していた、といったアレンジを加えると、浅瀬から急に深くなる。ずっと夢見てきた舞台、あるいは亡き母との約束と、さっき出会ったばかりの、言ってしまえば約束を破っても大した影響のない小さな子供との約束。どちらを選ぶべきか。岡田は問いの立て方にも注意を向ける。「自分の魂として正しいのはどちらか」と問えば、個人の好みや趣味の話になってしまう。しかし「人として正しいのはどちらか」と問うと、正解がありそうに感じられる。そこで悩ませるのが道徳の授業だと岡田は言う。
『風立ちぬ』の堀越二郎の話も同じだという。何を犠牲にしても夢を追うのは素晴らしい、だから誰もが夢を追うべきだ、というのは耳障りがよく、安心して主張できる、足場のしっかりした答えだ。しかし、1人の人間が素直に夢を追った結果、何万人もの命が失われたと考えると、急に水が深くなる。犠牲になった人たちにも、それぞれ自分の人生で追いかけていた夢があったはずだ。1人の夢が叶った結果、それ以外の人たち全員の夢が途中で潰されたことになる。そう考えると足がつかなくなり、不安になる。
安全な浅瀬から、少しだけ深いところへ子供を導くのが本来は先生の務めだろう、と岡田は言う。しかし直後に、その答え自体が自分にとっては浅瀬の答えのような気もすると付け加える。学校の先生が、子供の成長のためとはいえ、独断で子供たちを迷わせるようなことをしていいのか。それは本当に道徳として正しいのか。そう考えると、岡田自身にとっても急に水深が深くなり、自信たっぷりに語れなくなる。この問いへの答えは一人ひとりが考えてください、と突き放すしかない。自分も足がつかないから突き放すしかない。あるいは「一緒に考えよう」と言って、溺れかけている者同士がお互いにつかまるしかない、と岡田は語っている。
このゼミでは、答えの出ないような問題とか、ややこしい話をする時に、「知の指数が上がる」という表現を使ったりするんですけども、最近は「足のつかないところに来ちゃったな」とか、そういうふうな言い方をしてます。今日の動画は、そんなちょっとややこしい話になっちゃうんですけども。
どうもおはようございます。岡田斗司夫です。毎週火曜日は、過去のサイコパスの人生相談の回を再配信してるんですけどもね。今日はどんなお便りを取り上げてたのかというと、まず宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』ってあったじゃないですか。零戦を作る堀越二郎の話ですね。彼は間違っていたのかという問いかけについての感想のお便り。
あと、今日見てもらう動画の1回前の回で、実は東京にある自由学園っていう、小学校から高校までの一貫校なんですけど、そこで講演をやったんですね。そこで「最悪な平和と、まだマシな戦争だったらどっちを選ぶのか」っていう話をしたんですけども、その講演の中で、堀越二郎は自分の夢を追いかけた結果、日本を戦争に導く役割を背負ってしまったという、そういう話をしたんです。そういう生き方っていうのは正しいでしょうか、間違ってるでしょうかっていう話をしたんですね。これの感想がかなり来たんですね。かなりいっぱい来ました。それを紹介しました。
もう1つが、学校の先生にこれからなるという方から、大学生の方ですね。「岡田さんだったら道徳の授業をどうやって作りますか」と、どういうふうにそもそも道徳っていうのを教えるのかっていう質問でした。今日の無料部分は、全体でそういう「道徳の授業」というテーマになってると思います。現役の学生の方も、特に学校を卒業した方も、久しぶりに道徳って何だろうかという気持ちで聞いてくれればありがたいなと思います。
この動画は、2022年10月9日に配信した岡田斗司夫ゼミ第459回を再編集したものです。動画が終わった後にも、追加のアップデート情報、余計なことを言わないようにしますけども、あります。それでは無料動画スタートです。
じゃあ今日の相談ラインナップ、行きましょう。相談ラインナップだな。この次の、まず「戦争責任と夫婦の責任」。もうこれ、完全に前回のやつですね。次、「不適合者の戦争論」。「人を殺しても夢を追うべき」という話の1番と2番ですね。あと「手品師のジレンマ」。これは完全に普通の人生相談です。
まず先週は、自由学園の「最悪の平和と、まだマシな戦争」という講演があったんですけども、投稿フォームだけで600件以上のお便りがあって、YouTubeの該当動画でも……あ、投稿フォームだけで200件以上お便りがあったんだ。YouTubeでも600ぐらいのコメントがあったんで、もう本当にこれを読むだけでも今週終わっちゃったんですよね。
ちょっとすいません。暑いんで回してくれますか。すいません。一応10月に入ったからスーツを着ようと思ったんですけど、あまりに久しぶりにスリーピースを着てるんで、ちょっと暑くなってきちゃったんですよね。
じゃあ最初に行きましょう。MKさん、男性30代、YouTube無料の方です。「堀越二郎は妻のために仕事をやめるべき。戦争の責任は国民全員にあるので、1人の技術者の責任は本質的ではなくであると。戦争に対する二郎の責任は当時の人口……一方、夫婦の責任は1/2。主観だが二郎は1/2の責任を果たしていない」という意見です。
国民としての責任と家庭内の責任っていうのを切り分けた意見なんですけども、男性の30代でこの意見はかなり珍しかったんですね。女性では、ここまで切り分けたものもあんまりなかったんですけど、この観点に立ったものってあったんですけど、男性でこの意見は珍しかったです。
次、ペンネームさん、男性10代ですね。YouTube無料の方。「僕は二郎は間違ってないと思います」。『風立ちぬ』の堀越二郎ですね。「軍人が軍の命令で人を殺すように、二郎は会社という軍の命令に対し、所属している以上、従う必要があったと思うからです。最後に、まだマシな戦争を選びます。単純に死ぬ人数で数えてるのではなく、どういう人が主に死ぬのかと考えると、平和な時は精神的に弱い人、社会不適合者、戦争のある時は一定の年齢層の男性がランダムだと思います。そう考えると自分の生存確率は戦争の方が高い気がするからです」という、ちょっと面白い意見ですね。
前半の方の、軍人が命令に服従するように会社員の二郎も選択肢がなかったという意見なんですけども、僕がこれを選んだ、面白かった理由っていうのは、最悪の平和よりも戦争を選ぶっていう理屈立てなんですよ。つまり年間2万人が自殺に追い込まれるような最悪な平和っていう場合、このペンネームさんのような、自分のような心の弱い人間が死に追い込まれる確率が高いって考えるんですね。しかし戦争ならば、生きるか死ぬかっていうのはランダムネスだと。もっと公平なランダムになるだろうと。なので心の弱い人とか社会不適合者は、実は生存戦略として戦争を選んだ方がマシだっていう意見だったんです。
10代にしてはすごい見通してる、面白かったんですけど、これが正しいかどうかは置いておいて、面白い意見で、自由学園の学生アンケートにもこの意見は出てこなかったんですね。つまり、このペンネームさんが言ってることをちょっと僕流に言い換えると、どうなるものかっていうと、最悪の平和っていうのは一見平和だけども、いじめのある学校なんですね。学校の中でみんな仲良くしてるように見えるんだけど、いじめがある学校で、年間何人も何十人もが登校拒否になってると。まだマシな戦争っていうのは、校内暴力とか、生徒を縛りつける理不尽な校則が多いんだけども、いじめだけはない学校なんですよ、というふうに言い換えることが可能かもしれない。
つまり最悪の平和っていうのは、社会不適合者とか運の悪い人がいじめ殺される世界であり、まだマシな戦争っていうのは、誰もが平等に地獄に突き落とされる可能性のある社会というふうに考えてみると、この思考実験っていうのは、よりすごみがあるなというふうに思いました。僕はそういうふうには見えてなかったんですけども、世の中、生きにくい人にはそういうふうに見えてるのかなっていうのが、ちょっとびっくりしました。
次、ツユクサさん。男性、YouTube無料で見てる方ですね。『風立ちぬ』の二郎は間違ってない。もう本当に、二郎は間違ってないっていう人、すごく多かったんです。ちょっと最初に言っときますけども。「私は人生の中で何かの目的や物事に向かっている最中が、最も生きてるという実感ができる時だと思っています。そのため夢を諦め、もぬけの殻となってしまっては、生きてるのか死んでるのか私は分からないと感じます。であるなら、自分のせいで多くの人を殺す兵器を作ってでも、夢を追い求めるべきだと私は考えてます」というふうに、ツユクサさん、男性がおっしゃってます。
同様の意見、さっきも言ったように大変多かったんですね。特に年齢が下がるほどこうなんですよ。年齢が下がるほど、つまり10代とか20代の方の意見では、3/4以上が、二郎は夢を追いかけるべきであって、夢を諦めることは死ぬことと同じで、それぐらいつらいことだっていうふうに考えてる人が多かったんですね。ツユクサさんはその中でも特に過激で、多くの人を殺す兵器を作ってでも夢を追い求めるべきっていうふうにおっしゃってるんですね。そこまで言い切ってるのが特徴なんですけども。
今、制作中の映画で、ロバート・オッペンハイマー博士の映画があるんですね。オッペンハイマー博士っていうのは、ハーバード大学をわずか3年で首席で卒業した、超優秀な人、天才なんですよ。人類初の原子爆弾を開発するマンハッタン計画のプロジェクトリーダーをやった人で、もう本当に人類最高の天才の1人と言ってもいい人ですよね。
このオッペンハイマーの考えは、「科学には罪がない」んですよ。そうそう、クリストファー・ノーランの新作映画です、今作ってる。「科学には罪がない」っていうのがオッペンハイマーの考えだったんですよ。その利用者に罪があると、つまり政治家とか軍人とか。科学自体に罪はないので、それを人殺しの道具にしか使わない者たちに罪があるというふうに思ってたんですね。だから原子爆弾を開発した時も、原子爆弾っていうのは戦争の抑止力としてオッペンハイマーが考えたと。こんな爆弾を作って、その効果を世界に公開すれば、戦争は止まるだろうというふうに考えたからですね。
しかし、世界初の原子爆弾、トリニティって名前なんですけど、それを起爆させた瞬間にオッペンハイマーは変わっちゃったんです。変わって、その顔は恍惚感にあふれてたっていうふうに同僚は話してますね。「なんてすごいものを俺は作ってしまったんだ」と。それは見ていた軍人たちも同じです。見ていた軍人たちも、正直この原子爆弾というのがどういうものか分かんなくて、でも見た瞬間に、みんな取り憑かれたように「この原爆は使わなければならない」というふうに動き出したんですね。
でも実際に、オッペンハイマー自身は原爆を日本に投下した後で、どんどん意見が変わってきた。トリニティ実験の後、恍惚にあふれたんだけども、何日かするともう考えが変わってきたと。「科学者は罪を知った」っていうふうにオッペンハイマーは言ったんですね。その後、生涯オッペンハイマーは核兵器の開発に反対して、自分自身が原爆の父というふうに言われて、原子爆弾を作ってしまったことをずっと後悔し続けたんですね。後悔し続けた人なんですよ。
だから、ツユクサさんのこの考えが僕は間違ってるとは思わないんですけども、でも人類最大の天才ですら、この問題には死ぬほど悩まされるわけですね。つまり自分が作っちゃったものの魔性に取り込まれてしまうわけですね。本当は使うつもりがないとか、実験だけで終わらせるつもりだったのが、あの光を見たら、これを使うことに誰も抵抗できないということを、オッペンハイマーは分かってしまったんでしょうね。なので、やってはいけないことをやったと。「科学には罪がない」っていうのがずっと持論だった人が、「科学者は罪を知った」というふうに発言するようになったそうです。
4人目ですね。お茶は美味しいさん、男性。男性、今日多いですね。「二郎は間違ってるとは思いません。なぜなら自分は、夢を実現するなら何かを捧げなければいけないと思うからです。それが家族や最愛の人の命であっても。友達が二郎の状態だったら、夢に向かっていきなさいよと応援すると思います」。
夢を実現するなら何かを捧げなければいけない。これね、気持ち分かるんですよ。かつてアニメとかゲームを自分が作ってた人間として、そういう作ってた人間の端くれとして、そういうふうに思ってたし、スタッフにもそれを要求したし、スタッフがそういうふうに働くことを当たり前というか、誇らしいと思ってたんですね。僕自身も誇らしいと思ってたし、自分自身がどれぐらいそのために自分たちを犠牲にしてるのかっていうのが当たり前で。
それをやらないから、そのプロの体制、その当時僕たちが24歳でアニメを作ってた時に、大人たちの作る、つまり30、40過ぎて業界にいるアニメの関係者の作るアニメ、アニメーションっていうのが、なんであんなにぬるくてつまんないのかっていったら、本気で作ってないからだ、自分を犠牲にしてないからだっていうふうに思ってて、そういうふうにも言ってて、それを合言葉にしてやってたからですね。だから、ついこのお茶は美味しいさんの意見に同意しちゃうんですよね。10代でそういうふうに考えるのは当たり前なんですけども。
ただ、自分の夢にこだわるために人の命までかけていいとは、ちょっと言い切れない。多分当時でも言い切れなかったんでしょうね。そういう自分がいますので、ちょっと紹介だけにとどめたいです。
次ですね、女性20代ですね。としお大好きさん、ありがとうございます。「私は大学で道徳教育指導論という講義を履修しています」。これ、前回のやつじゃなくて一般の相談ですね。「先日、第1回目を受講したのですが」。なるほど、教員資格ですね、道徳教育指導論っていうのは。「その内容は、小学校高学年に向けて『手品師』という道徳教材を使って授業する時、自分が教師だったらどのように授業を構成するのか考えるというものでした」。授業の構成を考えるんですね。
「『手品師』のあらすじは以下の通りです」。ちょっと長いです。「あるところに、腕は良いが貧乏な手品師がいた。手品師はいつか大劇場で自分の手品を披露することを夢見て、日々腕を磨いていた。ある日、手品師が道を歩いてると、しょんぼりしてる小さな男の子に出会った。声をかけると、お父さんが死んだ後、お母さんが働きに出たままずっと帰ってこない。そこで手品師が男の子に手品を見せてあげると、この男の子は大喜び。また明日も来てくれるかと聞いてくる。手品師は『必ずここに来るよ』と約束して、2人は別れる」。
「その夜、手品師の友人から電話がある。友人は『明日、大劇場で開催されるショーに出演する予定だった有名な手品師が急病で倒れてしまった。代役が必要なんだ。君を推薦した』という。手品師は悩みに悩んだ。大劇場を夢見る手品師にとって、またとないチャンス。しかしそのためには今夜出発しなければいけない。そうなると、あの男の子との約束は守れない。葛藤の末、手品師は大劇場の推薦を断り、男の子との約束を守る選択をした。翌日、たった1人のお客さんを前に素晴らしい手品を披露する手品師の姿があった」。これが小学校高学年のための教材としての読み物ですね。
「大学教授は、この授業を構成する際、3つのポイントがあると言いました」。3つのポイントですね。ちょっと書き出してみました。1、教材に興味を持ってもらうために、導入で教師は何をするか。2、この話について生徒に最も質問したいことは何か。3、まとめで教師が生徒に伝えたいことは何か。この3つをポイントとして考えろっていう大学の講義だったんですね。
「私は、約束を守れなかった経験があるか生徒に質問する。2つ目、もしも男の子が約束の日に現れなかった場合、手品師はどんな気持ちになると思うか。3、自分の心に対して誠実であること、とか考えたのですが、どこかありきたりになってしまい、何か違う気がします。岡田先生ならこの教材をもとに、どのような道徳の授業展開をされるのだろうと気になったため、質問させていただきました。よろしければ回答よろしくお願いします」ということなんですけども。
この話のポイントは約束なんですよね。約束の大切さっていうのは、ここまで誰でも分かると思うんですけども、手品師が子供とした約束は誰でも気づくんでしょうけども、ポイントは、もう1つの約束が実は存在してると、この裏に存在してるというふうに生徒が気づくかどうかなんですよ。だから普通に話して、「約束ってやっぱり大切ですよ」っていうふうに誘導しちゃうと、面白くない道徳の授業になっちゃうんですよね。
教室で教える道徳の授業って、生徒たちが教師が考える正解を探しちゃうんですね。教師が考える正解を推理して、さっさとそれを答えて、「はい、道徳の授業終わり」っていうふうに考えることを放棄してしまうと。これがありがちなんですよ。これをさせないのが教師の役割だと思うんですね。ほっとくとこういうふうになっちゃうので、そういうふうにさせない、いかにさせないような矛盾に生徒を追い込むかなんですよ。これを前提に、3つのポイントを考えてみようと思うんですけども。
まず1つ目ですね。教材に興味を持ってもらうために、導入で教師は何をするのかっていうと、まず教師の考える正解を生徒に推理させないっていうのが大事ですね。だから例えば、「この問題、先生も昔、小学校の頃に同じ問題を聞いたんだけど、いまだにどうすべきだったか分かんない。みんなの意見も実はまとまんなかったんだよね。だから一緒に、ちょっとみんなも考えてほしい」という、最初に問いかけるみたいなことが大事だと思うんですよ。
これをしないと生徒たちは無意識に、大人の気に入りそうなたった1つの正しい答えっていうのをついつい探しちゃうんですね。そうさせない。先生もいまだに悩んでるっていうことをまず最初に言って、ちょっと揺らす。心を揺らしとく。
2つ目のポイントですね。この話について生徒に最も質問したいことっていうのは、生徒にもう1つの約束、隠れてる約束に気づかせるところなんですよ。1つ目の約束ですね。「明日、同じ場所で手品をするよ」。この約束は誰でも分かるんですけども、1つ目の約束にだけ注目しちゃうと、子供との約束を守るというのに対する反対行動、そうじゃない行動の選択肢が、「でも大劇場でデビューするチャンスを棒に振るなんて損だよね」っていう損得勘定になっちゃうんですよ。
すると生徒たちっていうのは、「自分にとって損であっても約束を守ろうねって、大人たちはそういう道徳的な話をしたいんだな」というふうに読んじゃうわけですね。こういうふうに展開してはいけないわけなんですよ。そういうふうに舐められちゃう。小学校の高学年だったら絶対にそういうふうに考えるから、そういうふうに舐められちゃいけない。なので道徳的なミッション、「子供との約束を守るべきか」というのに、対立要素としては損得勘定ではなく、同じく道徳的なミッションを立てなければいけないわけです。
この場合は、自分との約束なんですよ。つまり子供の頃から手品師になりたくて、大劇場で披露するような立派な手品師になりたいと、子供の頃、自分と約束したわけですね。この自分との約束と、1回会っただけの子供との約束、どっちを取るべきかっていうふうな葛藤に持っていかないとダメなんですね。
これをさらに分かりやすくさせるために、例えばお母さんとの約束にしてもいいんですよ。自分は子供の頃、お母さんに手品師になりたいって言って、お母さんが「じゃあ頑張るのよ」と言ったと。そのお母さんはもう死んでしまったと。だから今回出てくる男の子がお父さんが死んでしまって、お母さんが仕事に行っちゃったのと同じように、手品師もお母さんと昔約束して、そのお母さんとの約束を守りたいみたいにしといて、約束2つのバインド状態、拘束状態にすると分かりやすくなるんです。
対立が分かりやすくなって、子供たちも「あれ、大人が喜ぶ答えはどっちだ」っていうのが分かんなくなって、もう自分の頭で考えるしかないわけですね。こういうふうに、道徳的なミッションの対立概念を必ず道徳的に立てるっていうふうにしないと、道徳の授業としては成立しにくいですよね。子供との約束を優先すると、自分との一番大事な約束を破ることになってしまうんですね。この自分との約束っていうのが生徒には分かりにくいと思うので、お話を説明する時にきっちり言うことっていうのが、この2番目だと思います。
3のまとめですね。まとめで教師が生徒に伝えたいことは何かっていうのは、この手品師は、このお話の中では目の前のたった1人の観客が裏切れなかった。これがもうストーリーとして決まってるわけですね。しかしその結果、自分との約束は守れなかったと。「どう思う? 何が正しかったんだろう?」と。こんな感じで、悪い言い方をすれば誘導すれば、自然と教室は、まず「子供との約束がやっぱり一番大事でしょう」っていう派と、「自分との約束が一番大事でしょ」っていう派と、「いや、損得で考えればいいんじゃないか」という派と、あと「これ難しいから決められない」っていう、4つに多分分かれるはずなんですよ。
結論は出す必要がない。つまり先生が生徒に一番問いたいものは、「これ、自分で考えてください」という、放り出すだけで、小学校の高学年の道徳の授業としては十分だと思います。こんなふうに、道徳の授業っていうのは、ありきたりに考えてやると絶対つまんなくなって、つまんない授業は小学校、もう中学年とか高学年ぐらいから子供たちに読まれてしまうので、それだけ気をつけてください。
お疲れ様でした。今日の無料はここまでなんですよね。こっから先は限定です。とにかく前回すっごい長かったから、今回は30分でパッパッと進めたいと思います。今回の感想とか質問は投稿からお願いします。
限定の方は、皆さんお待ちかね、ひろゆき辺野古問題ですね。ひろゆき辺野古問題、なんで無料でやらないのかっていうと、これ政治的な問題を含んでるからですよ。ちょっと僕はやりたくないです。無料でこれは、はっきり言いますけど、やりたくないので、すいません、限定で回させてください。
あと自殺について、ちょっと聞かれることが多かったんで2つ。あと「声優は生き残れるのか」っていう、ちょっと不思議な話が聞かれたんで。あと「兵器開発者に責任はない」っていう意見。あと「韓国25年だけども、前回の講演を見て考えました」っていうのですね。最後に「下手の平和」なんですね。「私は下手なんですけど、平和について考えます」っていうのが面白かったので、それを紹介したいと思います。
はい、お疲れ様でした。今日の無料動画はここまでです。道徳の授業をどうやって作ればいいですかという質問に対しては、何を目的にして道徳の授業をするのかっていう方法で考えるのが、僕はいいと思ってるんですけども。単純に子供たちに「約束を守るのはいいことだ」っていう、それを教えたいんだったら、動画の中でも話した手品師の問題ですね。大きなイベントからの出演依頼を断っても、子供との約束を守るという、こんな簡単な答えに誘導すればいいんですね。
この「子供との約束を守るのが正しい」という考え方は、最近よく言う例えで言うと、すぐに足がツユクサ浅いところというか。海の中に入って、足がついたら安心しちゃうじゃないですか。それよりはもうちょっと不安な、足がつかないところへ行こうよって言うんですけども、今の答えは、安心して足がツユクサ、安全な答えなんですね。
子供たちが小学校低学年とか中学年ですね、3、4年生ぐらいまでは、こういう授業でも全然構わないと思います。ただ子供の年齢がもう少し上がって、小学校の高学年とか、もう中学生ぐらいに上がってきたら、もうちょっと足のつかないところ、つまり子供の中で「本当にそれでいいのか」っていう整理がつかない先生の教えっていうのを、まるで問いかけのように受け止めて、自分で考え出すというふうにしてもいいのかもと思います。
この手品師の問題も、大きなステージで手品を披露するということが、もともと手品師の夢だったとか、あと死んでしまったお母さんとすごい約束をしてたみたいなアレンジを加えると、浅瀬から急に深くなるというか、「じゃあ本当はどうするべきだったのか」っていうふうに考えるようになりますよね。
ずっと夢に描いてた、もしくは死んだお母さんと約束した大きなステージと、ついさっき出会ったばかりの、言っちゃえば約束を守れなくても大して影響がないような小さい子供との約束と、どっちを選ぶべきかとか、道徳の授業としてどっちを選ぶのか。人として正しいのか、もしくは自分の魂として正しいのかっていうふうに言っちゃうと、それはその人の個人の好みだよね、趣味だよねってことになっちゃうんですけど、人として正しいかっていう捉え方をすると、正解がありそうな感じがするじゃないですか。そこで悩ませるっていうのが道徳の授業だと思うんですね。
つまり足が砂にもうつかなくなってきちゃうわけです。不安になるような話で、『風立ちぬ』の堀越二郎の話もそうなんですけども、何を犠牲にしても夢を追うことは素晴らしい、だから誰もが夢を追うべきだというのは、ものすごく耳触りの良い、安心して主張できる安全な答えではあるんですね。足場がしっかりしてるんですね。
でも、ある1人の人間が素直に夢を追いかけた結果、何万人という人が命を失うことになったらって考えたら、急に水深が深くなって足がつかなくなるじゃないですか。というのは、犠牲になった人たちにも、それぞれ自分の人生で追いかけてた夢があったはずですからね。だから1人の夢がかなった結果、それ以外の人たち全員の夢が途中で潰されたってことになるわけですから、もうこうなると足がつかなくなるわけですね。すごい不安になってきちゃうと思うんですよね。
こんなふうに安全な浅瀬から出て、ちょっとだけ深いところに子供を導くというか、それが本当を言えば先生の務めだろうと思うんですけども、道徳の授業というのを考えるとしたら、こんなふうに作っていけるのがいいと思うんですけども。それは、質問された僕にとって浅瀬の答えである気もしちゃうんですよね。
公立学校の先生が、子供の成長のためとはいえ、独断で子供たちを迷わせるようなことをしていいのだろうか。それは本当に道徳として正しいのかって考えると、僕にとって急に水深が深くなってきて、こんな自信たっぷりに語れる感じじゃなくなってくるんですね。これに対する答えは、「それはもう皆さん1人1人が考えてください」というふうに、僕も突き放すしかない。僕も足がつかないから、もう突き放すしかない。もしくは「一緒に考えようよ」って言って、溺れかけてる人間がお互いにつかまるしかないんですけどね。
さて、今日見てもらった動画の続きは、有料回の配信になってます。どんな話をしてるのかというと、続きももちろん人生相談ですね。自ら死を選ぶということに関してどう思うのかという、ちょっと重めの話とか、あと全体主義に関してどう思いますかと。「岡田さん、イワシか」っていうふうに言った。そうですね、イワシが海の中でボール状になって、イワシボールと言うんですけども、泳ぐ、あれに関してどう思うのかという、ちょっと足が地面につかない、知の指数高めの話。あと自由学園の講義を聞いてこう思いましたという感想とかですね。
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