道徳の授業は「先生の正解」を当てさせないように作る:岡田斗司夫ゼミ「サイコパスの人生相談」#459

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概要

この回は、2022年10月9日に配信された岡田斗司夫ゼミ第459回を再編集したものである。前半は、岡田が東京の自由学園(小学校から高校までの一貫校)で行った講演への感想を紹介している。講演では、宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』の堀越二郎を題材に、「最悪な平和」と「まだマシな戦争」のどちらを選ぶか、そして夢を追った結果として戦争に関わる役割を背負った生き方は正しいのか、と問いかけていた。後半では、教員を目指す大学生から届いた「岡田さんなら道徳の授業をどう作るか」という質問に答えている。

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岡田はこのゼミで、答えの出ない問題を扱うことを「知の指数が上がる」と表現してきたが、最近は「足のつかないところに来た」と言うようにしているという。この回はまさにその種類の話だと本人が前置きしている。

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600件を超えた反響と、家庭の責任を切り分けた意見

岡田によれば、講演への感想は投稿フォームだけで200件以上、YouTubeの該当動画にも600件ほどのコメントが寄せられた。読むだけで1週間が終わってしまったという。

最初に紹介されたのは、30代男性のMKさんの意見である。戦争の責任は国民全員にあるので、1人の技術者の責任を問うことは本質的ではない。二郎が負う戦争責任は「1/当時の人口」にすぎない。一方で夫婦の責任は1/2であり、主観ではあるが二郎はその1/2の責任を果たしていない。だから二郎は妻のために仕事を辞めるべきだった、という主張だ。

岡田は、国民としての責任と家庭内の責任を切り分けたこの意見を、30代男性からのものとしてはかなり珍しいと評した。ここまできれいに切り分けた意見は女性からもあまりなかったが、この観点に立った意見は女性からは届いていた。男性では珍しかった、というのが岡田の見立てである。

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「弱い人間には、戦争の方が生き残りやすい」という10代の意見

次は10代男性の意見である。この投稿者は、二郎は間違っていないと考える。軍人が軍の命令で人を殺すように、会社に所属している以上、二郎も会社の命令に従う必要があったからだ。そのうえで、自分なら「まだマシな戦争」を選ぶという。単純に死ぬ人数を比べるのではなく、どういう人が死ぬのかを考える。平和なときに死ぬのは精神的に弱い人や社会不適合者で、戦争のときに死ぬのは一定の年齢層の男性からランダムに選ばれる。そう考えると、自分の生存確率は戦争のほうが高い気がする、という理屈だ。

岡田がこの意見を取り上げたのは、前半の「会社員も命令に従うしかなかった」という部分よりも、最悪の平和より戦争を選ぶ理屈の立て方が面白かったからだという。年間2万人が自殺に追い込まれるような「最悪な平和」では、自分のような心の弱い人間が死に追い込まれる確率が高い。戦争なら、生きるか死ぬかはもっと公平なランダムになる。だから心の弱い人や社会不適合者にとっては、生存戦略として戦争を選んだほうがマシだ、という発想である。正しいかどうかは置いておくとしたうえで、岡田は10代にしてはよく見通していると評した。自由学園の生徒アンケートにも、この意見は出てこなかったという。

岡田はこれを学校にたとえて言い換えた。「最悪な平和」とは、一見みんな仲良くしているのに、実はいじめがあって年間何人も何十人もが不登校になっている学校である。「まだマシな戦争」とは、校内暴力や生徒を縛りつける理不尽な決まりが多いが、いじめだけはない学校である。前者は社会不適合者や運の悪い人がいじめ殺される世界で、後者は誰もが平等に地獄へ突き落とされる可能性のある社会だ。こう考えると、この思考実験はいっそう凄みを増すと岡田は言う。自分にはそう見えていなかったが、世の中を生きにくいと感じている人にはこう見えているのかと驚いた、とも語っている。

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「人を殺す兵器を作ってでも夢を追うべき」とオッペンハイマーの後悔

二郎は間違っていない、という意見は非常に多かった。岡田によれば、その傾向は年齢が下がるほど強い。10代・20代の意見では4分の3以上が、二郎は夢を追うべきで、夢を諦めることは死ぬのと同じくらい辛いことだと考えていたという。

その中でも特に踏み込んでいたのが、男性の「ツユクサ」さん(字幕からの表記)の意見である。人生では何かの目的に向かっている最中こそ、最も生きている実感が得られる。夢を諦めて抜け殻になってしまえば、生きているのか死んでいるのか分からない。であれば、自分のせいで多くの人を殺す兵器を作ってでも夢を追い求めるべきだ、という主張だ。

これに対して岡田が持ち出したのは、当時クリストファー・ノーランが制作中だった映画の題材、ロバート・オッペンハイマーである。岡田はオッペンハイマーを、ハーバード大学をわずか3年で首席卒業し、人類初の原子爆弾を開発したマンハッタン計画のリーダーを務めた、人類最高の天才の1人と紹介する。

岡田の説明によれば、オッペンハイマーはもともと「科学には罪がない」と考えていた。罪があるのは科学を人殺しの道具にしか使わない政治家や軍人の側であり、原爆も戦争の抑止力として考えていた。こんな爆弾を作ってその効果を世界に公開すれば、戦争は止まるだろうという考えである。ところが、世界初の原爆「トリニティ」を起爆させた瞬間、オッペンハイマーは変わってしまった。同僚は、そのときの彼の顔が恍惚にあふれていたと話しているという。見ていた軍人たちも、それまで原爆がどういうものか分かっていなかったのに、光を見た瞬間に取り憑かれたように「この原爆は使わなければならない」と動き出した。

その後のオッペンハイマーについて、岡田は次のように語る。トリニティ実験の後に恍惚となったものの、何日かすると考えが変わってきた。日本への投下後には、さらに意見が変わっていった。やがて「科学者は罪を知った」と発言するようになり、生涯にわたって核兵器の開発に反対した。「原爆の父」と呼ばれ、原爆を作ってしまったことをずっと後悔し続けた人だという。

岡田は、ツユクサんの考えが間違っているとは思わないと断っている。そのうえで、人類最大の天才ですらこの問題には死ぬほど悩まされたと指摘する。本当は使うつもりがなく、実験だけで終わらせるつもりだったのに、あの光を見たら誰も使うことに抵抗できない。オッペンハイマーはそれが分かってしまったのだろう、と岡田は推測している。自分が作ったものの魔性に取り込まれてしまう、ということである。

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「夢のためには何かを捧げるべき」に同意してしまう理由

4人目は男性の「お茶は美味しい」さんである。夢を実現するなら何かを捧げなければいけない。それが家族や最愛の人の命であっても、友達が二郎の立場なら「夢に向かっていきなよ」と応援する、という意見だ。

岡田は、この気持ちは分かると言う。かつてアニメやゲームを作っていた人間の端くれとして、自分もそう考えていたし、スタッフにも同じことを要求していた。自分たちを犠牲にして働くことを当たり前だと思い、誇らしいとさえ感じていた。当時24歳でアニメを作っていた岡田たちは、30代・40代を過ぎた業界のプロが作るアニメがなぜあんなにぬるくてつまらないのかと考え、本気で作っていないからだ、自分を犠牲にしていないからだと思っていた。実際にそう口にし、それを合言葉にして作っていたという。

だから、この意見にはつい同意してしまう。10代でそう考えるのも当たり前だ、と岡田は言う。ただし、自分の夢にこだわるために人の命まで懸けていいとは言い切れない。おそらく当時の自分でも言い切れなかっただろう。そういう自分がいるので、この意見は紹介だけにとどめたい、と岡田は話を締めた。

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相談:「手品師」の教材で道徳の授業をどう組み立てるか

後半は、20代女性の「としお大好き」さんからの一般の相談である。投稿者は大学で「道徳教育指導論」を履修しており、第1回の講義で、小学校高学年向けの道徳教材「手品師」を使い、自分が教師なら授業をどう構成するかを考える課題が出た。

教材のあらすじは次のとおりだ。腕はいいが貧乏な手品師がいて、いつか大劇場で手品を披露することを夢見ながら腕を磨いていた。ある日、しょんぼりしている小さな男の子に出会う。男の子は、お父さんが死んだ後、お母さんが働きに出たままずっと帰ってこないと言う。手品を見せると男の子は大喜びし、「明日も来てくれる?」と聞く。手品師は「必ず来るよ」と約束して別れる。その夜、友人から電話がかかってくる。明日大劇場で開かれるショーに出演予定だった有名な手品師が急病で倒れ、代役が必要になったので君を推薦した、という。大劇場を夢見る手品師にとっては、またとないチャンスである。しかし今夜出発しなければならず、そうすれば男の子との約束は守れない。悩んだ末に手品師は推薦を断り、翌日、たった1人の客を前に素晴らしい手品を披露した。

大学教授は、授業を構成するうえで3つのポイントを示した。

  1. 教材に興味を持たせるために、導入で教師は何をするか
  2. この話について生徒に最も質問したいことは何か
  3. まとめで教師が生徒に伝えたいことは何か

投稿者は、(1)約束を守れなかった経験があるかを生徒に質問する、(2)もし男の子が約束の日に現れなかったら手品師はどんな気持ちになるか問う、(3)自分の心に対して誠実であること、と考えた。しかし、どこかありきたりで何か違う気がする。岡田ならどう授業を組み立てるのか、という相談である。

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生徒は「先生の正解」を推理してしまう

岡田はまず、この話のポイントは約束だと言う。手品師と子供の約束には誰でも気づく。重要なのは、その裏にもう1つの約束が存在していることに生徒が気づくかどうかだ。普通に話して「約束はやっぱり大切ですね」と誘導すると、つまらない道徳の授業になってしまう。

岡田によれば、教室での道徳の授業では、生徒は教師が考える正解を探しにいく。正解を推理してさっさと答え、それで授業は終わりにして、考えることを放棄してしまう。放っておくとそうなりがちなので、それをさせないのが教師の役割だという。どうやって生徒を矛盾に追い込むかが勝負だ、と岡田は言う。そのうえで、3つのポイントそれぞれに答えている。

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導入:先生も答えが分からない、と最初に揺らす

1つ目の導入で大事なのは、教師の考える正解を生徒に推理させないことだ。岡田は言い方の例として、「先生も小学校の頃に同じ話を聞いたけれど、いまだにどうすべきだったか分からない。みんなの意見もまとまらなかった。だから一緒に考えてほしい」と最初に問いかけることを挙げる。

こうしないと、生徒は無意識に、大人が気に入りそうなたった1つの正しい答えを探してしまう。先生もいまだに悩んでいると最初に伝えて、生徒の心を揺らしておくことが大事だという。

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中心の問い:損得ではなく「自分との約束」を対立させる

2つ目の、生徒に最も質問したいことは、隠れている「もう1つの約束」に気づかせることだと岡田は言う。

「明日も同じ場所で手品をする」という1つ目の約束だけに注目すると、それに対立する選択肢は「でも大劇場デビューのチャンスを棒に振るのは損だよね」という損得勘定になってしまう。そうなると生徒は、「なるほど、自分にとって損でも約束は守ろうね、という道徳的な話を大人はしたいんだな」と読んでしまう。小学校高学年なら必ずそう考えるので、そうやって舐められてはいけない、と岡田は言う。

だから、「子供との約束を守るべきか」という道徳的なミッションに対しては、損得ではなく、同じく道徳的なミッションを対立させなければならない。この教材の場合、それは「自分との約束」である。手品師は子供の頃から、大劇場で披露するような立派な手品師になると自分に約束してきた。その自分との約束と、1回会っただけの子供との約束のどちらを取るべきか。この葛藤に持っていかなければならない、というのが岡田の考えだ。

さらに分かりやすくするために、岡田は教材のアレンジも提案する。たとえば、手品師が子供の頃にお母さんへ「手品師になりたい」と言い、お母さんが「じゃあ頑張るのよ」と応えた、そのお母さんはもう亡くなっている、という設定にする。教材の男の子が父を亡くし、母が仕事で帰ってこないのと重なる形で、手品師も亡き母との約束を守りたいと思っていることにする。2つの約束に縛られた状態にすると対立がはっきりし、子供たちも「大人が喜ぶ答えはどっちだ?」と分からなくなり、自分の頭で考えるしかなくなる。

道徳的なミッションの対立軸は、必ず道徳的なもので立てなければ、道徳の授業としては成立しにくい、と岡田は言う。子供との約束を優先すれば、自分との一番大事な約束を破ることになる。この「自分との約束」は生徒には分かりにくいので、話を説明するときにきちんと伝える。これが2つ目のポイントだという。

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まとめ:結論は出さず「自分で考えて」と放り出す

3つ目のまとめについて、岡田はこう整理する。物語の中で、手品師は目の前のたった1人の観客を裏切れなかった。これはストーリーとして決まっている。しかし、その結果として自分との約束は守れなかった。そこで「どう思う? 何が正しかったんだろう?」と問いかける。

悪い言い方をすれば誘導になるが、こうすると教室は自然に、子供との約束が一番大事だという派、自分との約束が一番大事だという派、損得で考えればいいという派、難しくて決められないという派の4つにおそらく分かれる、と岡田は見込んでいる。結論を出す必要はない。先生が最も問いたいことは「これは自分で考えてください」と放り出すことであり、それだけで小学校高学年の道徳の授業としては十分だという。

岡田は、ありきたりの考えで作った道徳の授業は必ずつまらなくなり、つまらない授業は小学校高学年や中学生くらいから子供たちに見透かされてしまうので気をつけてほしい、と相談への回答を締めくくった。

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追加のアップデート:浅瀬の答えと、足のつかない深み

再配信にあたって、岡田は動画の後に補足を加えている。道徳の授業は「何を目的にするか」から考えるのがいい、というのが岡田の考えだ。子供に「約束を守るのはいいことだ」と教えたいだけなら、大きなイベントからの出演依頼を断ってでも子供との約束を守る、という簡単な答えに誘導すればいい。

岡田はこれを海にたとえる。海に入って足がつけば安心する。「子供との約束を守るのが正しい」は、安心して足がツユクサ浅瀬の安全な答えである。小学校低学年から3・4年生くらいまでなら、こういう授業でも全く構わないと岡田は言う。しかし高学年や中学生になったら、もう少し足のつかないところへ連れていってもいい。子供の中で「本当にそれでいいのか」と整理がつかない先生の教えを問いかけとして受け止め、自分で考え出す授業にしてもいいかもしれない、という。

手品師の話も、大舞台が手品師の長年の夢だった、亡くなった母と約束していた、といったアレンジを加えると、浅瀬から急に深くなる。ずっと夢見てきた舞台、あるいは亡き母との約束と、さっき出会ったばかりの、言ってしまえば約束を破っても大した影響のない小さな子供との約束。どちらを選ぶべきか。岡田は問いの立て方にも注意を向ける。「自分の魂として正しいのはどちらか」と問えば、個人の好みや趣味の話になってしまう。しかし「人として正しいのはどちらか」と問うと、正解がありそうに感じられる。そこで悩ませるのが道徳の授業だと岡田は言う。

『風立ちぬ』の堀越二郎の話も同じだという。何を犠牲にしても夢を追うのは素晴らしい、だから誰もが夢を追うべきだ、というのは耳障りがよく、安心して主張できる、足場のしっかりした答えだ。しかし、1人の人間が素直に夢を追った結果、何万人もの命が失われたと考えると、急に水が深くなる。犠牲になった人たちにも、それぞれ自分の人生で追いかけていた夢があったはずだ。1人の夢が叶った結果、それ以外の人たち全員の夢が途中で潰されたことになる。そう考えると足がつかなくなり、不安になる。

安全な浅瀬から、少しだけ深いところへ子供を導くのが本来は先生の務めだろう、と岡田は言う。しかし直後に、その答え自体が自分にとっては浅瀬の答えのような気もすると付け加える。学校の先生が、子供の成長のためとはいえ、独断で子供たちを迷わせるようなことをしていいのか。それは本当に道徳として正しいのか。そう考えると、岡田自身にとっても急に水深が深くなり、自信たっぷりに語れなくなる。この問いへの答えは一人ひとりが考えてください、と突き放すしかない。自分も足がつかないから突き放すしかない。あるいは「一緒に考えよう」と言って、溺れかけている者同士がお互いにつかまるしかない、と岡田は語っている。