『インサイド・ヘッド』はアイデアをドラマにした。岡田斗司夫が『バケモノの子』『脳内ポイズンベリー』と比べて語る
岡田斗司夫金曜ロードショーで『インサイド・ヘッド』が放送される(翌週は『インサイド・ヘッド2』)のに合わせて、岡田斗司夫が2015年7月26日配信の岡田斗司夫ゼミ第84回を編集し直して公開した回である。この映画では、人間の頭の中に宇宙船のブリッジのような操縦席があり、ヨロコビやイカリといった感情のキャラクターが会議をして人間の行動を決めている。岡田はこの設定自体を寓話として面白いと認めたうえで、本作がすごいのはアイデアで終わらず、頭の中のキャラクターたちの成長ドラマと、操られる側の人間のドラマを両方成立させている点だと語る。同時期に公開された細田守監督の『バケモノの子』と、同じアイデアを使った実写映画『脳内ポイズンベリー』を比べながら、その違いを説明していく。
Twitterでは70点、本音は「なんじゃこりゃ」——『バケモノの子』
前回の放送で視聴者から両作品を観たかと聞かれ、宿題として観てきたという流れで話は始まる。岡田は『バケモノの子』についてTwitterでは70点と書いたが、それは遠慮した数字だったと明かす。アニメ界に細田作品を評価しようという大きな流れがあること、公開直後にあれこれ言うのも気が引けたことから、7万人ほどが見ているTwitterでは控えめにしたという。視聴者の少ないニコ生での本音は、観終わったあとに「これをどうすればいいの」と感じる「なんじゃこりゃ」だったと語る。
岡田によれば、映画は感動できる話としてはきちんと作られている。男の子の成長があり、父親代わりの師匠がいる。引っかかったのは冒頭である。9歳の少年・九太は母親を急に亡くし、父親は行方不明で天涯孤独になる。拗ねている九太に親戚が「ついてこい」「何不自由ない生活をさせてやる」「子供は大人の言うことを聞いていればいい」といった、子供が嫌がりそうなセリフを次々に言う。九太はそれを聞いて街に飛び出し、異世界を見つける。
岡田はこの「大人は分かってくれない、自分はたった一人」という分かりやすすぎる描き方に、監督の甘えを感じたという。セカイ系の漫画やアニメに慣れた観客なら「このキャラはこういう人ね」とすぐに飲み込むので、その観客に甘えている。同時に、家族は自分たちで環境を作るものだという話を一般の客に向けてしようとしていて、そこでは観客に媚びている。キャラクターが甘えるのは構わないが、監督が観客に甘えるのはやめてほしい、と岡田は言う。結果として、監督が主人公の立場に共感していないのが見えてしまい、ピンとこなかったと述べている。
熊徹は宮崎駿である
それでも岡田が面白いと感じたのが、九太の師匠になる熊の妖怪のような熊徹だ。熊徹は何も教えてくれないのに、力だけは強い。これまで弟子を取ったことはあるが全員逃げていき、自分ではそれを直そうともしない。岡田は熊徹を宮崎駿だと読む。宮崎駿と細田守の関係、つまり宮崎から何かを学ぶことは不可能だという話がラインとしてあり、それだけでは物語にならないので「師匠の技は盗む」という展開になる。九太が熊徹の足運びを見て真似し、自分で学んでいく場面はそこそこ感動的だと岡田は認める。ただ、よく考えるとジャッキー・チェン映画で何十回も観てきたパターンでもある。細田は師匠から盗むことを技術として理解し、ストーリーとして頭に入れてはいるが、本人はあまり納得していない。それが演出から見えた気がして、そこは面白かったという。
岡田の見立てでは、細田はいずれ宮崎駿と自分の関係をテーマにするだろうが、今は自分の話を入れることよりも、求められているポジション、つまり「ポストジブリ」「ポスト宮崎駿」を観客に分かりやすく演じ切ることに力を注いでいる。岡田は、そんなものを引き受けなくてもいいし、日テレの戦略に乗らなくてもいい、『時をかける少女』の頃のままで細田らしい作品を作るほうが最終的に歴史に残るアニメに近づくと思う、と話す。
その例として岡田は『クレヨンしんちゃん』を挙げる。原監督が路線を大きく変えたあと、後を継いだ人はとても苦しかった。『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『アッパレ!戦国大合戦』のようなものを期待されても困っただろう。それと同じように、細田が自分ではあまり望んでいない方法をやりたがっているように見えて、観ていて切なかったと岡田は語る。
『脳内ポイズンベリー』はアイデア止まり
一方の『インサイド・ヘッド』は「面白かった」と岡田は言う。11歳の少女ライリーの内面世界を描く作品である。比較対象の『脳内ポイズンベリー』は漫画原作の日本の実写映画だ。岡田によると、検索すると上位に出てくる映画評サイト「超映画批評」では『脳内ポイズンベリー』の評価が高く、『インサイド・ヘッド』の評価が低かった。岡田はこの一点だけで、この評者には映画を観る力がないと思ったという。
その理由として岡田は両作の作りの違いを説明する。『脳内ポイズンベリー』はアイデアの映画だ。自分の中で何人ものキャラクターが会議をしたらどうなるか、という設定を見せると、すぐに事件に移る。恋愛の出会いがあり、悩みや葛藤が生まれるたびに、脳内のキャラクターが「ああしろ」「こうしろ」と主導権争いをする。しかし脳内ではドラマがまったく起きない。なぜその感情があるのかという葛藤がないので、観客が共感できるのは主人公の恋愛模様だけになり、ドラマはそこにしかない。
感情の分け方に見える文化の違い
『インサイド・ヘッド』には、ヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、イカリ、ビビリの5つの感情キャラクターが登場する。岡田は、日本人から見て不思議なのはムカムカ(嫌悪)とイカリ(怒り)が別のキャラクターになっている点だと指摘する。理性を重んじるアメリカ人にとっては、ムカムカすることと怒ることはまったく別物だという考え方が見えて面白いという。日本人なら「恥ずかしい」を入れるだろうが、彼らはおそらく恥ずかしさを感情とは捉えていない。そのかわりにムカムカとイカリを分けるところが面白い、と岡田は語る。
ヨロコビとカナシミが生む成長のドラマ
岡田が両作の違いの核心とするのは「アイデアの2つ目のレベル」、つまり人間になぜ感情が発生するのかを描いているかどうかだ。物語の最初では、ヨロコビがライリーを全面的に制御している。そのおかげでライリーの思い出はほとんどが喜びに満ちていて、彼女はすくすく育ってきた。このままずっとそうなればいい、という状態である。
ところがカナシミは、自分でも分からない理由でいろいろなものに触り始める。やってはいけないと分かっているのに、喜びに満ちた記憶「コアメモリー」に触れてしまい、記憶が悲しみの色に染まっていく。ライリーの中でそれが悲しい記憶になってしまうから駄目だと止められても、やめられない。岡田はこれを、悲しみがなければ人間は大人になれないということを描いたものだと解釈する。
岡田はここに親子の構図を重ねる。親は子供がずっと幸せであればいいと願い、その連続で育てばいいと思っている。だが子供はそうは生きられない。日常の中で悲しいことが起こり、塞ぎ込んだり、反抗期になったり、返事をしなくなったりすると、親は「どうしちゃったんだろう」と考える。しかし岡田によれば、それこそが成長であり、より深い感情を得るチャンスなのだという。
ライリーの中には家族の世界など、テーマパークのような世界がいくつもあり、どれも幸せそうに作られている。カナシミとヨロコビが冒険するうちに、それらの世界は次々に崩れていく。崩れたあと、最後に見えてくる世界は、悲しみが入ってきたおかげでより豊かになっている。岡田はここに、きちんとした成長物語があると評価する。
『脳内ポイズンベリー』では主人公の成長は、今の恋愛をどう受け止め、どう卒業して次の恋愛に向かうかという現実世界のドラマになる。これに対し『インサイド・ヘッド』では、脳内の各感情がなぜ存在するのかが分かる。同時に、観ている側も自分の中に感情が生まれてきた順番に気づく。岡田は、「嫌だ」は早くから分かるが、悲しみは8〜9歳くらいにならないとなかなか理解できないと考えている。それが段階的に見せられるので「深い話だ」と感じ、突っ込もうと思えばいくらでも突っ込める作りになっていると述べる。
ピクサーとジョン・ラセターの物語作り
岡田はピクサーの話作りのうまさを『カーズ』で説明する。『カーズ』は車の話ではなく、故郷を捨てた若者の話だという。ジョン・ラセターは田舎で小中学校時代を過ごし、大学を経てディズニーに入り、好きな映画を撮れるようになった。これがレースカーのマックィーンのいる世界にあたる。ディズニーで映画を作り、レースを続けるうちに、自分が生まれた故郷を忘れてしまう。自分がアニメのヒット作を作っている間に、映画界における自分の故郷はどんどん過疎化していく。そこで彼が何を考えるのかまで、きちんと踏み込んでいると岡田は語る。
宮崎駿がラセターを高く評価する理由も、岡田はここに見る。自分が好きなものと、自分が見捨ててきたものとの対比を、ラセターは『トイ・ストーリー』の頃からいつも語ってきた。宮崎はそれができなかった、あるいは『風立ちぬ』あたりでようやくやった、と岡田は言う。『インサイド・ヘッド』はラセターの監督作ではないが、ピクサーはプロデューサーを通じて、アニメーション映画を作るときに必ず大人がどう観るかを考えている。成長段階の子供が観ればエンターテインメントで、大人が観れば文芸作品の端に届くように仕上げている。岡田はそこをうまいと評価する。
点数にすると、岡田は『インサイド・ヘッド』を100点満点で90点ほど、『バケモノの子』をTwitterの70点ではなく65点ほどとした。細田には、『サマーウォーズ』でも少ししんどかったので、『時をかける少女』から『サマーウォーズ』の頃に戻ってほしいと述べて、本編を締めくくった。
アップグレード情報:「ドーパ餓鬼向け」の手法とテーマ性のずれ
再公開にあたって、岡田は補足を加えている。少し前の配信で、ドーパミンが大量に出るものを好む「ドーパ餓鬼」(岡田は自分たちのことだと言う)向けのコンテンツは本当に悪なのか、という話をした。それに照らすと、『バケモノの子』に代表される細田監督のアニメは、表現方法がかなりドーパ餓鬼向けだという。観客が内容を理解するための手間をできるだけ減らし、とにかく分かってもらうことに親切な作品である。
岡田は、その手法が悪いという意味ではないと断っている。問題は、そのやり方でジブリ作品のようなテーマ性のある映画を作ろうとしたことで、特に後半の作品が微妙になっていったと見ている。その結果として興行もなかなか伸びない。岡田は、スタジオポノックや宮崎吾朗監督の作品も同じ欠点を持っているのではないかと考えている。
岡田の考えでは、細田も宮崎吾朗も本来は大衆作家で、宮崎駿のような矛盾を抱えた作家性に手を出して手に余ってしまった。二人ともあまり矛盾のない「いい人」なので、内面に矛盾のある作品を作ろうとすると、その矛盾をセリフで説明しがちになる。それよりも、大衆作品を作れる才能を生かして、観客の感情を煽り、息つく暇もなく興奮させるジェットコースター型のアニメを作っていれば、評価は今とまったく違っていたのではないか。チューニング、つまりプロデューサーとの話し合いによる微調整が足りなかったのではないか、と岡田は「今ちょっと思っている」と述べている。
ドーパ餓鬼向けではない『インサイド・ヘッド』の観方
逆に『インサイド・ヘッド』は、面白いアイデアをきちんとドラマにまで昇華させた映画だと評価する一方で、ドーパ餓鬼向けに分かりやすくは作られていないと岡田は指摘する。感情をうまく操作するという点では『塔の上のラプンツェル』などのほうがずっとうまくできている。『インサイド・ヘッド』はテーマを理解するのに少し頭を使う必要がある映画だという。
そこで岡田は、本編で話した「心の中に悲しみがなければ人は成長できない」という部分を補助線にして観ると分かりやすくなると勧め、観て損はない作品だと結んでいる。
明日の金曜ロードショーで、ディズニー・ピクサーの映画『インサイド・ヘッド』ですね。『インサイド・ヘッド』っていうのは、英語版のタイトルが『インサイド・アウト』、内側を外にするっていうことなんですけど、これがオンエアされます。さらに、来週の金曜日は『インサイド・ヘッド2』も、このまま金曜ロードショーでオンエアということは、もちろんこのゼミでも便乗です。特集をやらないわけにいかないですね。2週続けて『インサイド・ヘッド』、今日は1で、来週は2の動画です。おはようございます。
今日の動画は、1作目の『インサイド・ヘッド』の見どころなんですけども、『インサイド・ヘッド』というのは、人間の頭の中に操縦席というか、宇宙船のブリッジみたいなのがあって、その中で喜びとか怒りとかといった感情を司るキャラクターですね。彼らが話し合ったり会議したりすることで、人間の行動を決定してるといった、ある種、見立ての物語、寓話でもあるんですね。
まずこのアイデアの時点でめちゃくちゃ面白いんですけど、『インサイド・ヘッド』のすごさは、この面白いアイデアだけで終わらないことなんですね。これをしっかりドラマにしてると。つまり、頭の中のキャラクター同士のドラマであって、頭の中のキャラクター、怒りとか悲しみとか喜びとかが成長するドラマにしていて、なおかつ、その外側の操られてる側の人間のドラマにもなってるところがすごいんですね。
今日は、その『インサイド・ヘッド』のすごさを、同時期に公開されたアニメ映画『バケモノの子』と、あと同時期に公開された、全く同じアイデアの実写映画『脳内ポイズンベリー』と見比べながら説明していきます。この動画は、2015年7月26日に配信した岡田ゼミ第84回、かなり古い回を編集したものです。動画を見終わった後も、追加のアップグレード情報を楽しみにしてください。それでは、ここから無料動画スタートです。
前回、『バケモノの子』見ましたかというふうに聞かれて、「見てない。来週見とくよ」。あと、『インサイド・ヘッド』見ましたか。「見てない。来週見とくよ」という宿題が出てまして、ようやく見てきましたので、今回はちょっと『バケモノの子』と『インサイド・ヘッド』の話からやってみようと思います。ユーフォニアム。ユーフォニアム、まだ見てないんだよね。すいません、2人で謝ります。
『バケモノの子』は、一応Twitterとかでは70点というふうに言ったんですけども、Twitterの70点はね、ヒカーさんとかに遠慮したよね。やっぱりアニメ界で、細田さん、『バケモノの子』を評価しようという大きい流れがあるんで、あんまりそこのところに水差すのも何かな、あと映画公開したてであれこれ言うのも何かなと思って、7万人ぐらいが見てるTwitterでは70点って言ったんですけども、もうそんなに見てないであろうニコ生では、本音から語ると、なんじゃこりゃですよね。
バケモノ、なんじゃこりゃっていうのも変ですけども、映画を見終わった後に、これどうすればいいのって気になった。感動するような話にはしてるんですよ。ちゃんとそれなりに、男の子の成長があって。自分の師匠がいて、父親代わりの師匠みたいな人がいてっていうのを、感動するようになってるんですけど。
もう冒頭、一番最初に九太っていう、九太と中で呼ばれる、小学生ぐらいの男の子が、9歳ですね。9歳の男の子が、母親がいきなり死んで、天涯孤独。父親は行方不明で、天涯孤独の身分になると。その中でどうやって生きていこうかということで、一番最初、九太が拗ねてるんですね。そこで親戚の人が、「そろそろ行くぞ」とか「ついてこい」とか、「お前には何不自由ない生活をさせてやるから」とか、「子供は大人のこと聞いてればいいんだ」みたいな、絵に描いたような、子供が拗ねそうなセリフをバンバンバンバン言うんです。それを聞いて、主人公が拗ねて街の中に飛び出して、異世界を発見するみたいな話なんですけども。
ああいう、あまりに分かりやすい「大人は分かってくれない」で、たった1人みたいなものを出されると、なんか甘えてるなと。この監督は甘えてるっていうのは、観客が「ああ、このキャラはこういう人なのね。分かった、分かった」っていう、セカイ系の漫画とかアニメを見慣れてる観客に対する甘えでありながら、一般の客層に対して媚びてる。「家族っていうのは自分たちで環境を作るんだ」みたいなお話をしようとしてるところに、うわ、キャラクターが甘えるのはいいんだけど、監督が観客に甘えるのはやめてくれよっていうふうに思った。だから、全然主人公の立場に監督が共感してないのが見えちゃうんですよね。なので、あんまりピンとこなかった。
ただ、何も教えてくれない師匠、熊徹っていう、九太の師匠になる人が、熊のモンスターみたいな、妖怪みたいなやつなんですけど、そいつが何にも教えてくれないんですね。何も教えてくれなくて、でも力だけは強くて、弟子とかをこれまで取ったことあるんだけど、全ての弟子が逃げていってしまって、自分ではそれを直そうともしない。自分勝手でわがまま。でもパワーだけはあるっていう。何なのかなと思って。何なんだろうね、あいつ。分かんないだろ。
あれはね、宮崎駿なんだよ。そう。あれね、宮崎と細田守のポジションっていうのを語ってるところが、僕的にすれば「ああ」って思った。結局、宮崎から何か学ぶっていうのは不可能なんだっていう話がラインにあって、その中でそれだけでは話にならないから、師匠のことは盗むっていうことで、熊徹の足運びとかを見てコピーして、自分で学ぶっていうところがあって、そこはそこそこ感動的なんだけども、よくよく考えてみると、それはもうジャッキー・チェン映画では何十回見たか分かんないようなやつですね。
そこの師匠から盗むっていうのも、細田さんは技術としては分かるし、ストーリーとして頭に入ってるんだけど、本人は結構納得してない感が、演出的にちょっと見えたようで、そこら辺は面白かったですね。宮崎駿と自分の関係っていうのを、いつかはテーマに入れるんだろうけども、ただ細田さんは、自分の話をテーマとして入れるよりは、いかに観客に対して分かりやすく、自分が求められてるポジション、つまりポストジブリ、ポスト宮崎駿っていうのを演じ切るのかっていうのにかかっていて。
そこら辺が見てて、別にそんなもの引き受けてくれなくてもいいし、日テレの戦略とか策略に乗っからなくてもいいし、別に『時をかける少女』の頃のままでいいから、細田さんらしいものを作ってくれた方が、最終的に歴史に残るアニメに近づくと思うんですよね。一時期、原監督が『クレヨンしんちゃん』の路線をぐっと変更した時に、後を継いだ人がすごいしんどかったわけですよね。『モーレツ!オトナ帝国』とか、『戦国大合戦』みたいなものを期待されても困るんだろうけども。それで苦しんだように、細田さんは自分自身で、自分のあんまり思ってない、望んでない方法をやりたがってるのが、ちょっと見てて切なかったであります。
じゃあ、『インサイド・ヘッド』の方はどうかっていうと、『インサイド・ヘッド』は面白かったです。11歳のライリーって女の子の内面世界なんだけども、『脳内ポイズンベリー』っていう日本の映画があって、もともと漫画原作なんですよね。映画評論家の『超映画批評』っていうページを今日見てたら、『脳内ポイズンベリー』の評価が高くて、『インサイド・ヘッド』の評価が低いんですね。これ見て、こいつは映画見る目ねえなと思って。『超映画批評』って書いて、あと「映画批評」で検索すると一番トップに出てくるんですけども、もうこの1事だけで、こいつ映画を見る力はねえなと思っちゃいまして。
なんでかっていうと、脳内……ちょっとごめん、タオル君、悪い。手が蒸れてきた。『脳内ポイズンベリー』っていうのはアイデアなんだよ。アイデアだから、脳内で会議があったらどうなるのかっていうことで、脳内で、自分の中で何人ものキャラクターが会議してたらどうなるのかってことで、その設定だけパッと見せたら、次はすぐに事件に行っちゃう。つまり、恋愛の出会いがあった、どうしようかという悩みがあった、自分の中で葛藤があった。すると、そのたびに脳内でいろんなキャラクターが「ああしろ、こうしろ」って言って、主導権争いになるっていう、こういうお話なんだよ。
ところが、『インサイド・ヘッド』っていうのは似てるようで全く違う。さっき言ったアイデアっていうのを、ドラマにちゃんとすることに成功してるんだよね。『脳内ポイズンベリー』は、脳内でドラマが全く起こってないの。だから、脳内でなんでそんな感情があるのかとか、そういう葛藤が全くないので、結局、主人公の恋愛模様しか、見てる人間っていうのは共感できるというか、ドラマ性がそこにしかないんだけども。
ところが『インサイド・アウト』っていうのは、ヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、イカリ、ビビリっていう5つのキャラクターが出てくると。これ、日本人にとっても不思議なのが、ムカムカとイカリを分けてるんだよね。これが理性主義のアメリカ人の、ムカムカするっていうのと、怒る、アングリーっていうのとは全く別のものだっていう考え方が、ちょっと見れて面白いんだけど。これ、日本人だったら恥ずかしいっていうのを入れると思うんだよね。その恥ずかしいっていうのがなくて、恥ずかしいっていうのは、たぶん彼らは感情だっていうふうに捉えてないんだ。そうじゃなくて、ムカムカと怒りを分離するっていうところが、やっぱり面白い。
アイデアの2つ目のレベルが、やっぱり『脳内ポイズンベリー』と『インサイド・アウト』は、えっと、『インサイド・ヘッド』だね、日本題では。『インサイド・ヘッド』は全く違って、じゃあ、なんでそんな人間に感情が発生するのかっていうのを、一番最初はヨロコビが全てを制御していると。ヨロコビがライリーって女の子を全て制御してるから、ライリーって女の子の思い出のほとんどは喜びにあふれていて、だから彼女はすくすく育った。これからもずっとそうなればいいねっていう話なんだけども。
ところが、カナシミっていう感情が、自分でも分からない理由でいろんなものに触りだしてしまうと。自分でも分からない。やってはいけないと分かってるのに、喜びに満ちた記憶、コアメモリーというものに触れてしまう。そうすると、悲しみ色に染まっていく。そんなことしたら彼女の中でそれが悲しみになってしまうから駄目とかって止められるんだけど、やめられないと。それはなんでかっていうと、人間が悲しみっていうのがないと大人になれないっていうのを描いてる。
それは、親が子に望むのは、悲しみなんかない育ち方なんだよね。子供を育てる時って、自分の子供がずっと幸せだったらいい、だったらいいとか、それの連続で育てばいいと思ってるんだけども。でも子供はそうは生きられなくて、やっぱり日常生活の中からいろんな悲しいことが出てくる。悲しいことが出てきて、塞ぎ込んだり、反抗期になったり、返事しなくなったら、親はどうしちゃったんだろうって考えるんだけども、そうじゃなくて、それこそが成長で、より深い感情のチャンスだと。
ライリーの中にあるいくつも、例えば家族の世界とか、さの世界とか、ホッケーの思い出の世界とか、いろんなテーマパークみたいなのがあってさ、それがすごい幸せそうにできてるんだけども、カナシミとかヨロコビが冒険することで、それらの世界がどんどん崩れていくんだよ。崩れていった後で、最後の方に見えてくる世界は、悲しみが自分の中に入ってくるおかげで、より豊かになるという、ちゃんと成長物語としてあるんだ。
この辺が『脳内ポイズンベリー』との大きな差で、『脳内ポイズンベリー』は、脳内でこんな人間が会議してるというアイデアだけなので、主人公の成長っていうのは、今の恋愛をどう捉えるのかで、今の恋愛を卒業して次の恋愛にどう立ち向かうのかって、現実世界のドラマになっちゃうんだけども。『インサイド・ヘッド』は、脳内でそれぞれの感情が、なんで他に感情があるのか分かると同時に、見てる側にも、自分の中で感情が生まれてきた順が分かると。
人間っていうのは、悲しみっていうのはさ、たぶん8歳とか9歳ぐらいになってこないと、嫌だは分かるんだけど、悲しいというのはなかなか理解できないんだね。それが順次見せられてくるから、うわ、深え話だなと。深く突っ込もうと思うと、いくらでも突っ込める話としてできてるので、この辺りのピクサーのお話の作りのうまさっていうのは。
『カーズ』って映画を作った時に、車の話とするんではなくて、故郷を捨てた若者の話っていうのかな。つまり、ジョン・ラセターっていう男が、自分の田舎があって、そこで小学校、中学校と暮らしてきたんだけども、大学に入って、ディズニーに入って、自分の好きな映画を撮れるようになると。これが一番最初のマックィーンっていうレースカーの世界なんだ。どんどんディズニーで映画を作っていて、レースやっていて、自分が生まれてきた故郷を忘れてしまってると。でも、自分が『カーズ』でアニメのヒットを作ってる間に、映画界は、自分の故郷はどんどんどんどん過疎化していくんだと。そこで彼はどういうふうなことを考えるのかっていうところまで、ちゃんと突っ込んでるんだよね。
だから、宮崎がなんでジョン・ラセターの評価があんなに高いのかっていうと、あれはもう宮崎ができない、できなかったって言えばいいのかな。『風立ちぬ』辺りでようやくやった、自分が好きなものと自分が見捨ててきたものとの対比っていうのを、いつもいつもラセターは語るんだよね。『トイ・ストーリー』の頃からやっていて、『カーズ』もそうだし、あと『インサイド・ヘッド』はラセターの作品じゃないんだけど、プロデューサーとして、必ずピクサーはアニメーション映画をやる時に、大人がどういうふうに見るのか。子供が成長段階で見たらエンターテインメントなんだけど、大人が見ると文芸作品の端っこに見せられるように持っていってるところが、うまいなっていうふうに思いました。
なので、僕的には『インサイド・ヘッド』の方は、100点満点で言うと、本当に90点ぐらいあって。『バケモノの子』は、Twitterには70点って書いてあるんだけど、65点ぐらいかな。もう1回、『サマーウォーズ』でもちょっとしんどい。『時をかける少女』から『サマーウォーズ』の頃ぐらいに戻ってもらった方がいいかなというふうに思いました。
はい、お疲れ様でした。今日の無料動画、ここまでです。『インサイド・ヘッド』の話に入る前に、『バケモノの子』の話をしたんですけども、少し前の配信で、ドパガキ向け、ドーパミンがいっぱい出てくるものが大好きなお子様みたいな我々のことですね、ガキ向けのコンテンツっていうのは本当に悪なのか、悪いのかみたいな話をしたんですけども。
それに照らし合わせると、『バケモノの子』に代表される細田守監督のアニメって、表現方法が割とドパガキ向けですね。「いわゆる」を多用して、観客が内容を理解するために、もうこの手をできるだけ減らすっていう、とにかく分かってもらうということに関して親切な作品なんですね。だからといって、「いわゆる」みたいなものをいっぱい使って理解してもらうという手法が悪いという意味ではなくて。
問題は、そんなドパガキ向けのやり方で、ジブリ作品のようなテーマ性がある映画を作ろうとしたっていうところが、ちょっと微妙になっていく。特に後半の作品、微妙になっていくと思います。その結果、興行的にはなかなか伸びないって。これね、スタジオポノックも同じですね。宮崎吾朗監督の作品も、同じ欠点を持ってるんじゃないかって僕は思ってるんですね。
手に余ることをしちゃった。割と2人とも大衆作家なんですけども、なんとなく駿のような、矛盾のある、作家性のあることをしようとした。たぶん細田さんも宮崎吾朗さんも、そんなに矛盾がないんですよ。いい人なんですよ。そういう人が、内面に矛盾のある作品を作ろうとすると、その矛盾っていうのは、どうしてもセリフで説明するものになりがちなんですね。
そんなことせずに、せっかく大衆作品を作れる才があるんだから、ドパガキ系コンテンツというか、とにかく観客の感情を煽ったり、息つく暇もなく興奮させたりするような、いわゆるジェットコースタームービー、ジェットコースターアニメを作ったら、評価は全然今と違ったんじゃないのかな。つまり、チューニング、微調整というか、プロデューサーとの話し合いが足りなくて、そこがうまくいってなかったんじゃないかなと、今ちょっと思っています。
『インサイド・ヘッド』の1作目に関しては、動画の中で話した通り、面白いアイデアをきちんとドラマまでに昇華させてる、すごい映画という評価なんですけども。その代わり、ドパガキ系には分かりやすく作られてない。つまり、『ラプンツェル』とかの方が、ずっとうまくできてるんですよね。うまく感情を操作できるようになって、テーマを理解するには少しだけ頭を使わなきゃいけないような映画、それが『インサイド・ヘッド』なんですね。
なので、今回話した、心の中に悲しみというのがなければ人は成長できないという部分を、ちょっと補助線にして見てもらえると、分かりやすくなると思います。見て損はない作品なので、家にテレビがある人は、ぜひ金曜ロードショーを楽しみにしてください。
さて、今日見てもらった動画の続きは、有料回のみの配信で、どんな話をしてるのかというと、この回のテーマは「究極の質問スペシャル」ということですね。ネットによくある究極の選択ですね。例えば、恋人と信用をどっちを取るかとか、やりがいと報酬どっちを選ぶかみたいな、視聴者と一緒に本気で考えるっていうのをやっています。
続きが見たい人は、YouTubeのメンバーシップ、ドラゴのブロマガチャンネル、どれでも好きな方に参加してご覧になってください。それでは、また次回の動画でお会いしましょう。じゃあまた、バイバイ。
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