岡田斗司夫は『インサイド・ヘッド2』をなぜ1作目より低く評価したのか

YouTubeで開く ↗
概要

金曜ロードショーで『インサイド・ヘッド2』がテレビ放送されるのに合わせて、岡田斗司夫が過去の有料配信から同作を語った部分を無料で公開した。元の動画は2024年8月4日配信の岡田斗司夫ゼミ第539回で、前月に観た映画8本をランキング形式で紹介する回である。『インサイド・ヘッド2』はその中の第3位だった。

9分で読めます

岡田の評価は「小さな子供と安心して観られるアニメとしては満点に近い」というものだ。ただし、先週の放送回で語った1作目ほどには評価していない。1作目には、安心して観られるアニメであることを超えて「本当にそれでいいのか」と観客に考えさせる余地があった。それに対して2作目は、もっと安心して観られる作品になっていると岡田は言う。なぜ2作目は1作目を超えられなかったのか。そもそも超えるべきだったのか。岡田はこの問いを、巨額の予算をかけた最近のハリウッド大作が抱える構造的な欠陥と結びつけて論じている。

2:07

点数と作品の概要

岡田によると、映画.comでの評価は3.9点でかなり高い。岡田自身の点数は82点である。上映時間は96分で、同じ回のランキングで第2位に置いた『化け猫あんずちゃん』の94分に次ぐ短さだった。短いことも岡田は長所として挙げている。

物語は、少女ライリーを子供の頃から見守ってきた5つの感情、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリを中心に進む。ライリーは転校先の学校に慣れ、親しい友達もできた。そこへ感情たちが暮らす制御室に謎の警報が鳴り、「思春期」のサイレンが響く。それまでは操作盤を動かせば、それに応じてライリーが喜んだり怒ったりしていた。ところが思春期が来ると、ライリーは極端に喜び、極端に落ち込み、極端に怒るようになり、感情たちにも操作の仕方がわからなくなる。このとき両親の頭の中の感情たちが「ああ、思春期だ。これから10年これだわ」と言う場面を、岡田は面白かったと話す。

思春期とともに新しい感情もやってくる。いつも最悪の未来を想像してしまうシンパイ、誰かを羨むイイナー、常に退屈で無気力なダリィ、いつももじもじしているハズカシである。

岡田はピクサー作品をほぼ初めて吹き替えで観たという。東京の映画館でも字幕版の上映はごくわずかで、上映時間も限られていたため、やむを得ず吹き替えを選んだ。結果的には、テンポの速い映画だったので吹き替えで観てよかったと振り返っている。

4:19

ピクサーは監督を内部で育てるしかない

監督のケルシー・マンは、『モンスターズ・ユニバーシティ』でストーリー・スーパーバイザーを務めた人物である。岡田はここから、ピクサーの監督育成の話に広げる。

岡田の見方では、ハリウッドは基本的に、他国で低予算ながらヒットを出した監督のような才能を次々と呼び寄せ、自国の映画を撮らせる。世界中から才能を集める、移民の国アメリカらしいやり方だ。しかしピクサーにはそれができないと岡田は言う。アニメーション映画の作り方が独特であるうえ、前作で使ったCG技術を次の作品ではすでに発展させている。そのため、ピクサーで育った「生え抜き」の人材を監督にするのが最も効率がいい、という説明である。

岡田はこれをジブリと比べる。ジブリでは本来、宮崎駿や高畑勲の教えを受けた人たちが次々と次世代の監督になるはずだったが、うまくいかなかった。ピクサーは前の作品でスタッフを務めた人を次の作品の監督に起用しており、世代交代がとてもうまくいっていると岡田は評価している。

5:32

「普通の子供映画」を見せ方だけ磨き上げた

3位にとどまった最大の理由として、岡田は本作が中身としては普通の子供映画であり、見せ方だけを磨き上げた作品だという点を挙げる。

まず、主人公ライリーに魅力があまりないと岡田は言う。勉強ができ、アイスホッケーのレギュラーで、親友もいる。そこに思春期が来たといっても、それが誰にとっての問題で、誰が困っているのかがはっきりしない。物語の中心は、高校のホッケー部のキャンプに参加させてもらったライリーが、憧れのスターや先輩たちに気に入られたいと願うことにある。岡田はこれを、アメリカのスクールカーストを丸ごと肯定する内容だと受け取った。

ここまで大がかりな仕掛けを用意しておきながら、やっていることは現状の肯定でしかない、と岡田は批判する。主人公が劇的な危機に陥り、それを通じて成長する話ではない。主人公が思春期であることを受け入れるだけの映画なので、ドラマとして語られる内容が弱い、というのが岡田の判断である。

6:37

「トイ・ストーリー」を作ったピクサーはどこへ行ったのか

岡田は、スクールカーストを肯定するような姿勢も含めて、本作はピクサーの精神で作られた映画ではないと述べる。最近のピクサー作品全体にその傾向がある、というのが岡田の見方だ。

その対比として岡田が挙げるのが『トイ・ストーリー』である。子供に愛されて遊ばれるが、やがて忘れられていくおもちゃの悲しみをテーマにした作品だった。それを作ったピクサーはどこへ行ったのか、と岡田は問う。本作はテーマや深みのないディズニーの子供映画であり、1970〜80年代に大量に作られたディズニーの子供向けアニメと同じ作り方で、見せ方だけを凝らした作品だと評している。

テーマや深みがないなら、それはそれで構わないとも岡田は言う。『スーパーマリオ』のCG映画くらい徹底していれば、ジェットコースタームービーとして楽しめたはずだという。ところが本作は、ピクサーらしく作ろうとして、思春期の子供を抱えた親の問題まで盛り込もうとした。岡田はこれを「無駄なプライド」と呼び、それが凡庸な作品を生んだと考えている。

7:28

1作目のアイデアが発展していない

岡田が1作目を高く評価するのは、アイデアが面白かったからだ。人間の心の中に感情たちがいて、彼らが人間の行動をコントロールしている。思い出は小さなボールになって蓄積し、友情や家族といった、その人を形づくる要素を「街」のように作り上げていく。この発想が面白かったのに、2作目ではそれがアイデアとして全く発展していない、と岡田は指摘する。

それでも82点をつけたのは、テーマや深みのないディズニー子供映画であっても、見せ方がやはり面白かったからだ。岡田はその印象を「今のディズニーランドみたいだな」と表現している。

8:22

ピート・ドクターと宮崎駿の対談に見る「試写」の違い

収録当日に入ってきたニュースとして、岡田はピクサーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーであるピート・ドクターと宮崎駿の対談を紹介した。この対談はラジオ番組「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」で8月4日と11日に放送される予定だった。岡田が読んだ記事によると、対談ではテスト試写に対する両者の異なる姿勢が明かされたという。

ピクサーはテスト試写を繰り返し、さまざまな人の意見を取り入れて作品を作る。記事によれば、ドクターは観客が飽きているときや画面に見入っているときの反応を肌で感じられると述べ、それを見ながらなるべく多くの人に届くように調整するのが自分たちの責任だと話した。これに対して宮崎は、映画を観客全員が理解することは不可能であり、責任を取るのは自分たちなのだから、たまたまそこにいた人に責任を預けるわけにはいかない、という趣旨の持論を述べたという。

岡田はこれを、最近のディズニーやマーベル、スター・ウォーズがうまくいかない原因そのものだと見ている。試写を繰り返し、観客が少しでも退屈していればその部分を何とかしようとする。観客が驚いた顔をしていればその部分を強調し、さらに音楽を足す。こうしたマーケティングで作る映画になってしまっている、というのが岡田の主張だ。

一方のジブリは、岡田によればスタッフ向けの試写も1回しか開かない。宮崎が映画を作るのは観客のためではなく、高畑勲に見せるためだとも岡田は言う。両者は思想がまったく違う。宮崎のやり方にも行き過ぎはあると岡田は認めるが、今のピクサーやディズニーも行き過ぎている。だからこのニュースを読んで「やっぱりな」と思った、と岡田は話している。

10:21

動画後の補足:宮崎駿が信じる「客観的な正解」

無料公開部分のあとで、岡田はこの論点を補足している。試写を繰り返し、観客が少しでも退屈していればすぐにその箇所に手を加える方法は、「みんなが面白いと思うものが一番面白い」という考えに基づいている。一見、あるいは一聞すると、とてもいい方法に思える。

しかし宮崎はこれにはっきり「ノー」を突きつけている、と岡田は言う。岡田の解釈では、宮崎の立場は「試写の観客がいいと思う部分より、自分がいいと思うもののほうが面白いに決まっている」というものだ。「みんながどう言おうと、俺は自分が信じたものを作る」という主観的な話ではない。宮崎は、そこに客観的な正解があると考えているのだという。

岡田はこれをかなり傲慢な考えだと言いつつ、面白いとも評価する。すべてのクリエイターがこうあるべきだとまでは言わないが、世の中のクリエイターの1割くらいはこういう変わった人であってほしいと述べている。そして、ゼミでのジブリ解説を聞いた人なら納得できるはずだと続ける。宮崎作品に込められた設定やテーマや主張は、試写を観た観客の反応からはおそらく出てこない。観客の多数決で出た答えよりも、宮崎が考え抜いて「これで行こう」と決めた答えのほうがたぶん面白い、というのが岡田の見方だ。

だから宮崎は、試写を重ねてマーケティング的な最適解を出そうとするハリウッドのやり方を気に入らない。たまたま試写を観た数十人、数百人に責任を預けず、作品が面白いかどうかは監督である自分が責任を持つ。岡田はこれを誇り高い考え方だとし、傲慢さと誇り高さ、気高さはコインの裏表だと述べている。

かつてのディズニーにはあった「これをやる」という姿勢

最後に岡田は、最近のピクサーやディズニーの作品は、かつてのディズニーが持っていた姿勢を貫けていないと語る。「なぜ今さらピノキオを映画にするのか」「なぜダンボをアニメにするのか」と問われても、「うるさい、ディズニーはこれをやるんだ」と押し通したウォルト・ディズニーのやり方である。

岡田によれば、今のディズニーは銀行出身の重役たちに囲まれた取締役会で、脚本も内容も承認を得なければならない。そのため安全策を取ってしまう。岡田自身はこれを「愚痴」と断ったうえで、話を締めくくっている。