歌舞伎町の路上から沖縄の食堂、グループYouTuberへ 料理人・孫六の46年
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜沖縄でトロピカルジュースの店を再開しようとしている孫六さんは、46歳の料理人で、グループYouTuberの専属メンバーだったこともある。個人でもYouTubeチャンネルを運営している。病気で1年ほど店を閉め、最近ようやく体が動くようになったという。本人は「楽しそうなこと」を優先してきたと振り返る。料理人を志した若者が、歌舞伎町で違法な呑み行為の看板持ちを経験し、恩納村で店を当てて失い、YouTubeで思いがけず人前に出るようになった。インタビューでは、その経緯が本人の言葉で語られた。
浦添市で育った10代と、消えたドイツ行き
孫六さんは那覇の隣、浦添市の出身である。現在は独身で、結婚歴もない。沖縄では離婚歴のない人の方が珍しいかもしれないと話し、離婚率が高い理由については、小さな島なので噂がすぐに広まり、浮気が露見しやすいからではないかと推測していた。
父親は建設業を営んでいた。連帯保証を背負って多額の借金を抱えたが、働いて返したという。孫六さんも子どもの頃から現場の掃除などを手伝い、小遣いをもらっていた。
高校卒業後は調理の専門学校に進むつもりで、入学手続きも済ませていた。入学式までの間に友人が訪ねてきて、ドイツに行こうと誘われた。これからドイツでは日本料理が来るから、向こうで働けば稼げるという話だった。30年近く前の話であり、今思えば友人には先見の明があったと孫六さんは言う。それでも決め手は「楽しそう」だったことで、専門学校には入学を取りやめると伝えた。ところがしばらくして友人が来て、ドイツ行きはなくなったと告げた。入学金を返すため、孫六さんは1年間、実家の建設業を「死んだ目で」手伝うことになった。
沖縄では、高校を出て特に目的がなく、とにかく金を貯めたい人が、本土の自動車工場などに半年ほど働きに出ることが多い。孫六さんの上京はそれとは違った。酒の席で将来どうするのかと聞かれ、勢いで「ナイチ(本土)に行く」と答えた。本当に行けと言われ、1週間後には出発することになった。手元にあったのは給料の10万円だけで、東京に知り合いがいるので何とかなるだろうという程度の見込みだった。
電車に乗れず、キャバ嬢の寮に1か月
東京に着いた孫六さんが最初に直面したのは、電車の乗り方が分からないことだった。当時の沖縄には電車がなく、今のモノレールもまだない。働きに出ようにも移動ができず、1か月ほど引きこもっていたという。
身を寄せたのは赤羽にあった寮である。知り合いのキャバクラ嬢の恋人が会社を経営しており、その会社の寮に住めばいいと言ってくれた。ただしキャバクラ嬢向けの寮だったため、男の孫六さんは見つからないように暮らしていた。1か月ほどは隠し通せたが、結局見つかって追い出された。
その社長は居酒屋を始めたいと考えており、開店まで料理を勉強してほしいと孫六さんに頼んだ。孫六さんは炭火焼き鳥の「月の雫」がちょうど1号店を出した頃にたまたま目にとめ、そこでアルバイトを始めた。しかし社長から居酒屋の話はなくなったと告げられる。「またか」という展開だった。
違法と知らずに立った風林会館前
社長が代わりに始めたのは、競馬などを対象にした違法な「呑み行為」だった。孫六さんは当時、それが違法だとよく分かっていなかったという。理由として挙げたのは沖縄の環境である。沖縄には競馬場がなく、違法な賭博にも緩かった。孫六さんによれば、喫茶店に金を賭けられるゲーム機が置かれているのは当時も今も珍しくなく、看板を堂々と出している店もある。那覇にもあるし、自宅の近くにもあった。摘発は数年に一度ある程度らしい。家の近くでは、鶏を戦わせる闘鶏(タウチー)に金を賭ける人もいた。そうした中で育ったため、賭博が違法だという感覚自体がなかったと話す。
孫六さんの仕事は、店名を書いた看板を持って立つ「サンドイッチマン」だった。チケットを持っていれば分かる人には分かる、という形の宣伝だったらしい。立たされた場所は歌舞伎町の風林会館の近くである。初日から、入れ墨が入っていそうな年配の男性に「ここは誰の島だと思っているんだ」と言われた。後で知ったところでは、この男性はサンドイッチマンを取り仕切る元締めのような人物だったという。
他のサンドイッチマンたちはタコ部屋のような所に住まわされていた。孫六さんは個人で来ていたため条件が良く、時給に換算すると2000円を超えていた。他の人の話を聞いて、自分の金額は言わない方がいいと直感したという。ただし、何かあっても名前は出せないと言われていた。呑み行為の仕組みについては、公営ギャンブルのオッズをほぼそのまま使い、換金率などで手数料のようなものを取っていたらしい。孫六さん自身は店の中に入っていなかったので、詳しくは分からないと話していた。
強盗殺人の容疑者候補、ガス爆発後の取り締まり
この仕事は3〜4か月ほど続いた。その間に、孫六さんの中で「これが歌舞伎町か」と思う出来事がいくつもあった。
一つは、強盗殺人の犯人と疑われかけたことである。孫六さんがいつも立っていた場所の近くに、エステのような店があった。孫六さんが2日間だけ沖縄に戻っていた間に、その店で店員が殺される事件が起きたらしい。聞き込みの中で「いつも立っているあいつがいない、やって逃げたのではないか」という話になり、孫六さんは軽く候補に挙がったという。ただ事情聴取はされず、すぐに解決したのではないかと話している。本人は現場にいなかったため、事件の詳細は知らない。
もう一つは、歌舞伎町を代表する事件の一つとして語られた雑居ビルのガス爆発である。孫六さんの説明では、非常口に荷物が置かれすぎていて逃げ遅れた人が何十人もいた。この事件の後、警察の取り締まりが一気に厳しくなった。孫六さんは、イメージ回復のためかもしれないと推測する。目の前でカジノなどが摘発されていくのを見て、「すごいことになっている」と店に報告した。すると翌日、店長が売上金を持って姿を消し、店はそのまま閉じられた。孫六さんは20歳前後で職を失った。
麻痺していく倫理感と、組事務所の空気
路上に立ち続けるうちに、同年代のチンピラのような若者たちと仲良くなっていた。仕事がなくなった話をすると、「じゃあうちに来る?」と軽く誘われたという。孫六さんは、ああいう場所に何か月もいると倫理観が麻痺してくると言う。人生で一度ぐらいやってみてもいいかと思うようになっていた。
それまで教わってきた道徳が通じない場所だったことを示す例として、孫六さんは暴力団同士の抗争の話をした。普通は葬儀場での抗争はご法度とされているのに、それが起きた。孫六さんはそれを知らないまま歌舞伎町に行き、空気が明らかに違うと感じた。周りの人から「今は迂闊なことをしない方がいい」と言われたという。昼間の歌舞伎町は思っていたより下町らしく、怖さはあっても、若い男たちが近所の女性と立ち話をするような雰囲気だった。それがその日は一変していた。通り沿いに停めてある車に幹部が乗って出るとき、普段はそのまま出ていくのに、その日は若い男たちが道路を封鎖して送り出していた。止められた車の中にはパトカーも混じっていたという。下手に動くと大変なことになるから、警察も黙っていたのではないかと孫六さんは推測している。
薬物の売人の誘いも受けた。孫六さんが怖かったのは、相手に騙すつもりも悪気もなかったことだという。「お前の金になるぞ、儲かるぞ、自分では使うなよ」という調子で、ごく気軽に持ちかけられた。そうした誘いを受けると、「自分はまだまともだ」と確かめられたとも話す。それでも後半は本当におかしくなっていて、組織に入ろうと思いかけていた。
電話一本で料理人の道へ、そして「月の雫」を辞めた理由
組織に入りかけていたところに、以前居酒屋の開業準備で関わった料理長から電話がかかってきた。今何をしているのかと聞かれ、ちょうど仕事がなくなったと答えると、戻ってきて社員になれと言われた。当時の料理人には本職と見まがうほど怖い人も多く、断れなかったと孫六さんは笑う。あの電話がなければ、そちらの道に行っていたかもしれないという。
勤め先は「月の雫」で、「東京チカラめし」なども手がける会社だった。孫六さんが入ったときは会社全体で10店舗もなかったが、辞める頃には200店舗という話が出ていた。上場の時期とも重なっていたという。
辞めた理由は、会社が大きくなったことそのものだった。孫六さんは料理については真面目なタイプだと自分を評する。大型の居酒屋でもきちんと仕込みをして料理を出していた。ところが店舗数が増えるにつれ、温めるだけの出来合いの品が増え、勉強にならないと感じるようになった。22歳のとき、200席以上の新店で料理長をやれと言われた。まだ修業中の年齢で管理職になれば、今は金をもらえても、将来技術がないまま料理長を名乗ることになる。そう考えて断り、会社を辞めた。
ホームシックの周期と沖縄への帰郷
辞めてしばらくして沖縄に戻った。上京した沖縄の人は3年ほどで戻るのが普通で、孫六さんは長い方だったらしい。孫六さんによれば、ホームシックには周期がある。1か月、3か月、半年、1年の節目に帰りたくなり、そこを越えると「ずっとここでいい」と思うようになる。孫六さん自身は東京に居着く流れにあったが、家庭の事情で戻ることになった。
沖縄では、知人が立ち上げる居酒屋を任され、5年ほど働いた。28歳のとき、母親が勤め先の定年を前に自分の店をやりたいと言い出した。親に迷惑をかけてきたこともあり、兄弟とも話し合って、孫六さんは居酒屋を辞めて手伝うことにした。ところが辞めた途端、母親は店はやらないと言い出した。孫六さんはこれを「ドイツの再来」と表現した。それならこの機会に独立しようと決めた。
恩納村の120席、最初の1年は赤字
選んだ場所は恩納村だった。今は居酒屋が多いが、当時はほとんどなかった。沖縄の人にとっては店を出す場所ではないというイメージがあり、知り合いが食べに来ないと思われていた。孫六さんはむしろ、知り合いのいない場所で勝負したかった。
借りたのは120席ほどで、駐車場に10数台停められ、目の前にホテルがある物件だった。沖縄の人が借りるのは珍しく、しかも28歳と若かったため、大家が家賃を大幅に安くしてくれた。孫六さんの記憶では月18万円ほどだったという。
しかし最初の1年は苦労した。地元向けの居酒屋は経験があったが、観光客向けは売り方が違った。地元向けなら、美味しければ口コミで広がり、知人が客を連れてくる。観光地の客はほぼ一見で、宿泊先の近くで調べて店に来る。美味しいものを作れば客が来ると考えていた孫六さんは、それを知らなかった。客は入らず、1年ほど赤字が続いた。
他の店を調べて分かったのは、雑誌などに相当な広告費をかけていることだった。孫六さんの解釈では、観光客は安くない金を払って沖縄に来ており、貴重な一食を外したくない。だからよく調べて美味しそうな店を選ぶし、口コミだけでは不安になる。そのため情報や写真をたくさん載せる必要がある。孫六さんは残っていた資金で最後の勝負に出て、月30万円近くを広告に使い始めた。ぐるなびで金を払えば上位に表示される枠や、レンタカーのおすすめスポット紹介などである。その結果、行列ができるまでになった。広告費はかければかけるほど売上が伸びる感覚だったという。最終的には3店舗ほどを経営し、ほぼ恩納村だけで売上は1億円に届きそうだったと話している。
天狗になった末の震災と裏切り
成功の次に待っていたのは「天狗」の時期だったと孫六さんは言う。店に顔を出さず、営業と称して飲み歩いた。自分の給料は30万円ほどに抑えていたが、経費で一晩に5万〜10万円を使う生活を、ほぼ毎週続けていた。本人は当時の自分を「ちゃんとクソでした」と振り返る。
そこに2011年の東日本大震災が起きた。観光客がぱったり来なくなり、収益が消えた。さらに裏切りがいくつか重なった。1年以内に500万〜600万円以上の金が不正に消え、問い詰めると相手は「味方です」と答えた後に逃げた。孫六さんは怒りよりも、自分も顔を出していなかったのだからそうなるという自戒の方が強かったという。
この件で心が折れ、大勢を雇って大金を扱うのは自分には向いていないと考えた。稼ぐ方法はいくらでもあったが、問題はメンタルだったという。他の社長たちに話を聞くと、皆どこかで同じような目に遭っている。それでも跳ね返す勢いで前に進んでいるのを見て、すごいと思った。自分は急に成功したこともあって、そういう出来事で折れるタイプだったと孫六さんは語る。店は店長に売るか閉めるかして手放した。30歳か31歳の頃、50万円ほどで30席あるかないかの小さな食堂を開いた。余生をここで過ごすつもりだったという。
オタクの研究と、グループYouTuberとの出会い
その頃、孫六さんがよく通っていたのが、ニコニコ生放送を配信している店だった。アイドルオタクやアニメオタクが集まる場所である。居酒屋を経営していた頃は自分が一番という感覚で、周りもそうだった。ところがオタクたちは、自分より推しを優先する。食費を削ってでも推しの生誕祭に良いプレゼントを買い、県外のイベントにも遠征する。孫六さんはそれまでそういう人たちを見たことがなく、自分を「オタクのオタク」と呼ぶほど、彼らの話を聞くのにはまっていった。
そこにたまたま、沖縄のグループYouTuberが遊びに来ていた。話しているうちにリーダーが孫六さんに興味を持ち、YouTubeに出ないかと誘った。10数年前のことで、孫六さんはYouTuberという言葉もほとんど知らなかった。軽い気持ちで引き受けると、メンバーが大きなカンパチを釣ってきたので捌いてほしいと連絡が来た。その動画がいきなり100万回再生を超えた。当時はそうした動画が珍しかったからではないか、理由は分からないと孫六さんは話す。後に有名になる料理系YouTuberがまだ無名だった頃に挑戦状を受け、魚を捌く速さで対決するコラボをしたこともあったという。
メンバー入りしたのは、別の日に呼ばれたときだった。その場には若者が大勢いて、メンバーオーディションが行われると告げられた。孫六さんも出るように煽られ、笑いを取ればいいだけだと思って参加した。入るつもりは本当になかったという。すでに顔見知りで笑いを取りやすかったこともあり、合格を告げられた。後にコメント欄では孫六さんを入れるためのやらせオーディションだったと言われたが、本人は本当に何も知らずに行っただけだと否定している。
客の多い食堂、手取りは月11万円
食堂でも撮影をするようになった。取ってきた魚を捌いたり、料理対決をしたりした。すると地元客ばかりだった店にファンが来るようになり、やがてファンしか来なくなった。常連が離れたわけではないという。
それでも売上はさほど伸びなかった。ファンが来る店で値段を上げ、ネットでぼったくりと言われるのが嫌だったからだ。唐揚げ5個にご飯、スープ、漬物がおかわり自由で580円という値付けにしていた。客は大勢来たが、孫六さんの月の取り分は11万円ほどだった。これではまずいと考え、大きな物件に移転して人を雇うつもりで、一度食堂を閉めた。
移転先を探しているうちに、メンバーの1人が事情で抜けることになり、専属メンバーが足りなくなった。店を開けるまでの間ならと、孫六さんは専属として多めに動画に出ることにした。専属の期間は、本人の記憶ではおよそ2年だという。
真冬の北海道サバイバルと海ヘビ
専属になって、孫六さんは撮影の過酷さを思い知った。それまではスポットで出演していたので楽しいくらいだったが、知識なしで何でもやる「面白そう最優先」の企画で、死んでもおかしくない場面もあったという。
その例として語られたのが、1月の北海道でのサバイバル企画である。企画は何も決めず、とりあえず雪でかまくらを作って1泊しようということになった。雪は山の上にあるだろうとレンタカーで山を登ったが、山の上の雪はパウダースノーで固まらない。孫六さんは自分たちの努力が足りないと考えて2時間ほど粘ったが、諦めた。日が沈む前に下山しようとしたが、沖縄の感覚でいたため、北海道では午後4時に暗くなることを知らなかった。真っ暗な山中で道が分からなくなり、ガソリンが切れたら死ぬと焦りながらさまよった。ガソリンが減っていく中で、カーナビにリプレイ機能のようなボタンを見つけ、押すと来た道が表示された。そのルートをたどってようやく山を下りたという。
2泊3日のサバイバルで4キロ痩せたこともあった。落ちているものを食べる企画で、海ヘビを見つけたときは喜んだという。ハブより毒が強いという噂もあったが、調べずに、頭を落とせば大丈夫だろうと串に刺して焼き、皆で分けて食べた。
孫六さんは、カメラを通して見ていると自分は死なない気がしてくると話す。戦場カメラマンもこういう感覚なのかもしれないという。水深数百メートルの沖で船が大きく揺れていても、良い映像が欲しくて身を乗り出して撮影していた。危ない状況を「チャンス」と感じる瞬間があったという。頑張るほどコメント欄が盛り上がり、「こいつらバカだ」と言われるのが嬉しかったと語る。
料理人としての違和感から個人チャンネルへ
一方で、YouTubeの企画上、ハブでラーメンを作るといった変わった料理も作らなければならなかった。孫六さんは料理人として良くない方向に進んでいる気がして、きちんとした料理のチャンネルを作りたいと考えた。ちゃんとした料理もできると示す「言い訳」の意味もあったという。グループに相談して了承を得て、沖縄料理などを作る個人チャンネルを始めた。その後はグループと個人の活動が半々になった。グループは人も増え、孫六さんは何かあれば呼んでもらう形になった。インタビュアーがフェードアウトかと尋ねると、孫六さんはそうだと答え、体の状態も理由だと付け加えた。
20キロ分の水と、1日1時間の撮影
1年以上前、もともと良くなかった体が完全に壊れた。孫六さんは正確な病名をはっきり把握しておらず、心不全のようなものかと話していた。体に水が溜まり、1週間で20キロほど体重が増え、尿が出なくなった。死にかけて入院し、2週間で20キロ分の水を抜いた。その後は体が動かなくなり、店も1年以上閉めた。
孫六さんが幸運だったと言うのは、個人チャンネルの内容を途中で料理から食レポに切り替えていたことだ。食レポなら1時間ほどで撮影できる。1日1時間だけ頑張って撮影し、食事をして、あとは寝る。その生活を1年ほど続けた。YouTubeがなかったら危なかったと孫六さんは振り返る。
表に出た人が考える、次の仕事
今の心境を聞かれると、孫六さんは、やりたいことはやり尽くした方だと答えた。普通の人では得られない人生を得て、街を歩けば写真を撮られ、サインを求められる。その次に何があるのか、生きがいを少し見失っているようにも見える。とりあえず店をやればファンが喜ぶので、ジュース店を再開する。軌道に乗ったら、また居酒屋をやりたいと考えている。
専属メンバーだった2年間については、普段なら話せない人と話せたことを挙げた。名前が出たのは、葉加瀬太郎さんや、小説『コーヒーが冷めないうちに』の作者である川口先生である。川口先生も釣りにはまり、仲良くなったという。孫六さん自身は「捌き担当」だったが、気づけば釣りについてもある程度話せるようになっていた。
途中で気づいたのは、自分は裏方の方が好きかもしれないということだった。もともと表に出たい人間ではなく、手伝っているうちに盛り上がって表に立つことになったのだという。今は、せっかくできた人脈を生かして、沖縄でしかできないような大きなイベントや祭りを打ちたいと考えている。今後はその方向で動いていくつもりだと孫六さんは語った。
丸山ゴンさんからご紹介いただいて、それでオファーさせていただいたって感じですけど。今、さっきのところでジュース屋さん、トロピカルジュース屋さん。そうですよね。
今回の動画は安さの提供でお送りしています。ご支援いただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
ちょっと体壊してて、1年間ぐらい閉めてたんですけど、最近やっと調子良くなってきたんで、開けようと思って。何やろうかなと思ったら、サーターアンダーギー屋さんやろうってなって。
前まではサーターアンダーギーだったんですか? これ、サーターアンダーギー。そうですね。これですよね。
グループYouTuberのメンバーだったこともあったりとか、自分でもYouTubeやってて。そうですね。個人でもやって。元々は料理人だったんで。
沖縄出身なんですね。そうですね。沖縄でどこ出身なんですか? 那覇の隣の浦添市ってとこ。今は何歳なんですか? 今、もう46になりました。
独身ですか? 結婚され……。綺麗なもんですよ。バツ一つつかない。独身。逆に沖縄じゃ珍しいかもしんないですね、バツがついてないの。
沖縄ってやっぱバツついてる人ばっかりなんですか? 離婚率がすごい高いですね。なんでそんな離婚するんですか? なんでですかね。これは予想なんですけど、浮気がすぐバレるからじゃないですか? 浮気がやっぱバレやすい環境なんですか? 小さい島じゃないですか。だから多分、すぐ噂立つとかじゃないですか、浮気してたら。
料理やるまで、この沖縄でどんなふうに育ったんですか? どういう家庭で生まれましたか? 元々、親父が建設業みたいなのやって。連帯保証人食らったかなんかで、1回すごいとこまで行って、借金みたいな。無事返したんですけどね。何で返したんですか? 頑張ってじゃないですかね、働いて。建設業。
10代の頃は、自分もそういうの手伝ったりとかして過ごしてましたね。手伝ったって何を手伝った? 子供の時は知れてる。現場の掃除だったりとか。そういうのでお小遣いとかもらってました。
沖縄の、高校卒業したら季節労働に出るんですか? これは多いっていうか、高校卒業して特に目的とかなく、とりあえず金貯めたいって人は、期間、車の工場だったり、そういうとこに半年とか働きに行くんですよ。
孫六さん自体、高校卒業してどうなってくるんですか? 1年間は実家の手伝いをやってて。やりたい仕事じゃなかったんで。建設業が。そう。死んだ目で働いてたんですよ。
そしたら「将来どうする?」って、飲んでる時に聞かれたんですよ。その時の勢いで「内地行く」って言ったんですよ。沖縄以外の県に。本州。そうです。「本当に行けよ」ってなって、急遽1週間後ぐらいに行く羽目になって。
貯金あったんですか? 1人暮らしするお金とか。給料の10万だけもらって。あとは一応東京、自分の場合、季節ではなかったんですよ、正確に言うと。ただ東京に知り合いがいたんで、とりあえず東京、どうにかなるかぐらいで。
土地勘とかなくて、やること決まってないで東京に出て、何するんですか、最初? 最初ですか? これ本当の話なんですけど、沖縄、電車ないじゃないですか。今でこそモノレールあるんですけど。東京着いたはいいですけど、働こうにも電車の乗り方が本当に分からなくて、1か月間引きこもってましたね。
でもそれ、引きこもれるって、どこに引きこもってるんですか? 知り合いの寮みたいなとこに。泊めてくれたんですね。バレないように住んでたんですよ。バレないように住むって、そんなことできるんですか? 1か月ぐらいはバレなかったんですけど、途中でバレて、追い出されて。
追い出された家はどこなんですか、場所は? 赤羽だったですね。知り合いの人って、キャバ嬢の子がいて、その子の彼氏が社長をやってるって。そこで寮があるから「じゃあそこに住めば」って。「マジで助かる」って感じで。キャバ嬢の寮に住むんですか? そうです。男住めるんです? キャバ嬢の寮だから、バレないように。
高校卒業して、専門学校だとか大学行こうみたいになんなかったんですか? これも本当は調理専門学校行こうとしたんですよ。入学の届けみたいなの出して、入学式まで時間あったんで遊んでたんですよ。そしたら友達が急に来て「ドイツ行こうぜ」って言い出して。
ドイツって。「お前、料理興味あるんだろう」って。「今から多分ドイツで日本料理来るって言ってるから、働いてたらすごいことになるぜ。めっちゃ金もらえるぜ」って言ってたんですよ。30年以上前からの話なんで、確かに見る目はあったんだなと思ったんですけど。
やっぱ「楽しそう」を優先にしちゃうタイプだったんで。「ドイツで料理、楽しそう」と思って。入学書みたいなのを、専門学校行って「取りやめます」って言って。「なんで?」って言われて、「ドイツ行くからです」って。
でもそれ、ドイツは結局どうしたんですか? 取り消してちょっとしたら友達が家来て「ごめん、なくなった」って。「おっと」ってなって。それで入学費返さないといけなくて、実家の建設業を手伝って、死んだ目で働いてたんですよ。
それで上京するって言って。そういうことがあって。そっから、友達の社長、寮の持ち主の人が、居酒屋をやりたいと思ってるって言ってて。「料理、オープンまで勉強してくれんか」って言われたんです。
炭火焼きをやりたいって言ってて、炭火焼き鳥の「月の雫」ってお店あったんですけど。そこが本当に1号店の時にたまたま目に入って、それでバイトしてたんですよ。「居酒屋、いつ開くのかな」ってやってたら、社長が「ごめん、居酒屋なくなった」って。「おっと」ってなって。
社長が、要はノミ屋をやるって言い出したんです。飲む方じゃなくて、違法のノミ行為。けど、よく分かってなかったんですよ。沖縄ってまず競馬とかそういうのなかったんで、それが違法なのかさえ分からなかったんですよ。なんかギャンブルやるだけなんだろうな、みたいな。
沖縄、違法賭場に関してゆるゆるだったんで。当時っていうか、そこら辺の喫茶店に普通にあるじゃないですか、ゲームとか。賭けられる。賭けられるゲームが当時あったんですか? もう今でもそこら辺の喫茶店入ったら大体ありますよ。堂々と看板出してますよ。
それって闇カジノみたいなこと? みたいなやつが近すぎて。だから自分もそれが違法って知らなかったんですよ。でもさすがに那覇はそんな感じじゃないですね? どうなんですか? 那覇も全然あります。なんなら来る途中にもありましたよ。闇カジノ屋さん。そうそう。
それ摘発されないんですか? 一応、何年に1回かはあるっぽいですけど。だから賭博自体が違法ってのもよく分かってなかったんです。家の近くに、鶏戦わすので賭けるのやってる人とかもいたんで。闘鶏ってやつですか? そうそう。
そこで何に担当するんですか? 自分はいわゆるサンドイッチってやつですよ。「これ持ってここ立っといてくれ」ってだけ言われてたんですよ。でもそれ、明らかにギャンブルできますっていう看板じゃないですよね。どうなんですか? 店名だけ書いて、チケット持ってたら分かる人は分かる、みたいな感じだったんでしょうね。
他にも何名かいたんで。今思ったらすごかったなと思うのが、「ここに立っといて」って言われてた場所が、区役所通りのめちゃくちゃ……。風林会館です。風林会館。ちょっと怖い人がうろちょろしてるような。そうそう。
そこに立っとけって言われて、のっけからまずおじいちゃんみたいな人が来て、「お前ここ誰のシマだと思ってんだ」みたいに言われて。そのおじいちゃんは、入れ墨とか入ってそうな感じ? 多分入ってたでしょう。後から知ったんですけど、グループがあるらしいんですよ。こういうサンドイッチマンとかの、そこの元締めみたいな人だったらしくて。
違法カジノ店を宣伝するためだけのサンドイッチマンを仕切る人がいるんですか? はい。みんなタコ部屋みたいなとこに住まされてて。自分は個人で来たんで、正直良かったんですよ。他の人の話聞いてて、「これ俺のもらってる金額は言わん方がいいな」って、謎の勘が働いて。
孫六さんがいくらで、推定でしょうけど、その他の人たちはいくらなんですか? その他って、タコ部屋チームはいくらなんですか? 多分ですけど、月で10万なかったんじゃないですかね。タコ部屋チームは。孫六さんは? 自分は労働時間がそんな長くなかったですけど、時給にしたら2000円は超えてたですよね。めっちゃ高いですね。
その代わり、あれは言われてたですよね。「この後々、何かあっても名前は出せないよ」ってだけ。
テレビで競馬とかを流して、独自でオッズを決めるみたいなことですか? もうまんま、そのままのオッズでやってたっぽいですよね。じゃあ、その公営ギャンブルのオッズを使って、まんま換金だけ。ただ、何パーかとかはちょっと普通のではなかったらしいですけど。ちょこっと手数料取ってるんですね。とかだったりはあったっぽいですけどね。自分も中じゃなかったんで、詳しくは分からないです。外だったから。そうです。
そのサンドイッチマン生活はどれぐらい続くんですかね? これが確か3、4か月ぐらいですかね。結構やりましたね。これ、いろいろあったんですよ。本当に。俺の中では「これが歌舞伎町か」って事件がいっぱいあったんですけど、自分がやがて強盗殺人の犯人にされるとこだったとか。
どういうことなんですか、それ? 自分がよく立ってたとこあって、そこの近くにエステみたいなのがあったんですよ。2日間だけ沖縄戻ることがあって、ちょうど自分が戻ってる最中にその事件が起きたらしいです。事件が起きたから聞き込みとかしてたら、「いつも立ってる場所にあいつがいねえ」ってなったらしくて。「逃げたんじゃねえか」みたいな。そう。「やって逃げたんじゃねえか」みたいな。軽く候補に上がってたらしいんですよ。
それ、店員さんが殺されたってことですか? みたいですね。でも自分もいなかったんで、詳しくは知らないんですけど。事情聴取とかされたんですか? なかったです。もうほぼ、あとすぐ分かったんじゃないですかね。
あとは歌舞伎町を代表する事件の一つの時にもちょうどいて。それどんな事件ですか? テナントビルのガス爆発事件みたいなのがあって。逃げようとしたんですけど、非常口に荷物がありすぎて、逃げ遅れた人が何十人もいて。それで警察がすごい取り締まり厳しくなったんですよ。
そっか。そのガス爆発が起きた周りを。イメージ回復のためか分かんないですけど。目の前で、カジノとか引っ張られてるの見て、「やべえ」と思って。一応報告しなきゃと思って、「今すごいことなってますよ」ってお店の人に言ったら、次の日、店長が売上持ってどっか消えちゃって。それでもう店閉めるってなったんですよね。
それになっちゃったら無職じゃないですか、孫六さん。そうなんですよね。その時、何歳なんですか? 20歳とかですか。どうしようかなと思ってたら、ずっと立ってたら仲良くなったチンピラさんみたいな人もいたんですよ。チンピラさん。別に上とかじゃない、同い年ぐらいの人たちで。
仕事なくなったって話したら、「じゃあうち来る?」みたいな軽いノリで。もうその組織に入ってるんです? そうそう。すごいとこで何か月かいたら麻痺してくるんですよ、倫理観とかが。確かに人生で1回ぐらいやってみてもいいかなって感情になってたんですよ。
そのノミ行為のバイトしてること以外に、どんなとこバグってるんですか? 今まで習ってきた道徳が通用しないとこだったんで。これも歌舞伎町の事件の一つで、葬儀場で抗争みたいなのがあったんです。要は葬儀場って普通そういうのNGなのに、そこに。四谷の。そう、それ。その時あったらしくて。
その日、何も知らん状態で歌舞伎町行ったら、明らかに空気が違うんですよ。何だろうと思って他の人に聞いたら、「こういうことあったから、マジで今迂闊なことやらん方がいいよ」って言われて。結構、昼間の歌舞伎町って思ってたより下町感あったんですよ。怖さはあるんですけど、みんな本当、下町の兄ちゃんみたいな感じで、おばちゃんとかと喋ったりとか。昼の方は本当にそんな感じだったんですけど、明らかにそういう空気じゃなかったんですよ。
そっか。殺した側と殺された側の組織が、きっと歌舞伎町に両方ともありますもんね。だと思いますよ。本当に迂闊にしちゃいけねえなと思って、固まってました、ずっと。一応、その時でもサンドイッチマン立ってる? 一応やらないといけないんで。一般には本来は流れる話じゃないんで。昔、今みたいにインターネットとかない時代なんで。普通の人はいつもの歌舞伎町みたいな感じで来るんですけど。
いつもいる人たちの顔色が違うなって感じだったんですね。車止めてあるんですよ、普通に通り沿いに。偉い人が乗って車出る時、いつもだったら普通に出てくんですけど、その時は若い人たちが出る時、道路封鎖して「どうぞ」みたいな感じなんですよ。何かあったらいけないじゃないですか。そうそう。
面白いのが、信号でも何でもないのに勝手に止めてる車の中に、普通にパトカーも一緒に止まってるんですよ。「おいおい」ってなって。本当に道徳じゃないんだなと思って。すごいですね。パトカーをヤクザが止めて、パトカーの方も、変にやると大変なことになるから、ここはもう流そう、どうせ動くんだろうって感じだったんじゃないですかね。
自分でもちょっと悪いことしちゃったな、みたいなのはないですか、特に? ないですね。だから本当にこれぐらいですね。お誘いあったんですけど。「売らないかい?」みたいな。そういうの、さすがにそこまでは行ってなかったんで。売らない? 薬。そうそう。
恐ろしいのが、これまた悪気とか騙すとかじゃないんですよ。ただシンプルに「お前、お金になるぜ、儲かるぜ。絶対自分で使うなよ」みたいな感じで。売人をやらないかっていう誘いが、そんな感じのラフな形で来てたんですね、当時の歌舞伎町は。はい。しかも悪気ないってのが分かるんですよ。「怖え」ってなって。そういうのでたまに「よかった、俺まだまともだ」とはなるようになってたんですけど。
とはいえ、後半は本当バグってて、入ろうかと思ってた時に。入ろうと思ってたんですね。本当にたまたまいいタイミングで、最初、居酒屋出すって言ってたじゃないですか。そこの料理長だった人から電話あって。「お前今何やってる?」って。「ちょうどなくなりました」って。「じゃあ戻ってこい」って。「お前、社員になれ」って言われて。
逆らえなかったんですよ。当時の料理人って、ある意味、本職かなぐらい怖い人いっぱいいたんで。「いいっす」みたいな感じで、「戻ります」ってなって。電話なかったら、もしかしたらそっち行ってた可能性あったです。
それ何系の料理屋さんだったんですか? 三光って、月の雫だったりやってた会社ですね。東京チカラめしとかもやってたですね。どんどん大きくなってく時の、本当に会社全体で10店舗もない時ぐらいに入って。最初やめる頃には200店舗とか行ってたんですよね。上場するタイミングでやめたんですよ、自分。
なんでやめようってなっちゃったんですか? でかくなったからこそだったんです。一応料理に関しては、自分、本当に真面目にやるタイプだったんですよ。現に当時、料理も本当に自分で仕込んで出すみたいな。でかい居酒屋なのに仕込みちゃんとやって。けどやっぱ店舗数が増えてきたら、出来合いのものが増えてきたんですよ。温めるだけとか。それで「ちょっと勉強なんねえな」みたいになって。
22の時に、まだ料理勉強したかったんですけど、新店舗出すって、200席以上のデカ箱。「お前そこで料理長やれ」って言われて。「無理」と思って。勉強したいと思って、まだ22なんて修行中も修行中の時なのに。いきなり管理職やったら今はお金もらえるかもしれんけど、多分将来的に技術そんなないのに料理人になるんだなと思って。「じゃあやめます」ってことになりましたね。
沖縄にはいつ戻ってくるんですか? やめてからですかね。結構すぐ戻るんですね。そうそう。上京3年ぐらいで沖縄に戻る。普通なんですけど、どんな感じなんですか? 多分、自分は長い方。スパンがあるんですよ、ホームシックになるのが。1か月、3か月、半年、1年で来るんですよ。
最初の1か月で「沖縄帰りてえな」って。要は遊び感覚で行くと、「1か月もいたし帰りてえな」ってなるんですよ。働いてても3か月ぐらいしたらだんだん沖縄が恋しくなって、「帰りてえな」。1年経ったら「もう1年やったし」で帰りたくなるんですよ。けどそこ抜けたら「俺ずっとここでいいや」ってなるんですよ。
東京に居つくタイプの動きをしてたけど。そう。家庭の事情で戻る理由になったんですけど。そこから普通に料理人やるんですか、また沖縄でも? そうですね。知り合いにお願いされて、「居酒屋立ち上げるからやって」みたいな感じで。5年ぐらいやったですかね。
そこからそれやめてどうするの、30代は? こっから、28の時ですね。母親が、今働いてたとこが定年迎えそうだから、自分で店やりたいって言ったんですよ。親にもいろいろ迷惑かけたし、今のとこやめて母親の仕事手伝うって話になって。兄弟とも話して、それがいいんじゃないかってなって。「今の居酒屋やめます」って。「母親が店やるって言うから、それを手伝います」って言ってたんです。
やめた瞬間、母親が「やっぱ店やんねえ」って言って。「またこのパターン」ってなって。ドイツの再来みたいな。結構みんなそういう人多いですか? やるって言ったけどやんない、みたいな。そうそう。じゃあもうこの時に独立しようってなったんですよ。28だし、1回ぐらい確かに店やりたいと思って。
どっかいい場所ないかなと思って探して、見つけたのが恩納村。もう居酒屋、お店もいっぱいあるんですけど、当時全然なかったんですよね。「これチャンスじゃね?」と思って。初めて店なのに、いきなり120席ぐらいのとこから借りたんですよ。
恩納村って沖縄の人からしたら、お店出す場所じゃないってイメージだったんですよ。「誰が来るか」。要は知り合い誰も食いに来ないだろ、あの場所、みたいな。逆に自分は知り合いないとこで勝負したかったんですよ。借りるってなった時、大家さんも「沖縄の人で借りるの珍しい」って言われて。しかもまだ28とかだったんで、「若いし安くしてあげるよ」って、信じられない安さで貸してくれたんですよ。
いくらぐらいですか? 120席の、駐車場も10何台止められるとこを、確か18万とかで。それ破格ですね。しかもホテル目の前なんですよ。
最初の1年は本当に苦労しましたね。地元向けの居酒屋はやったことあるんですけど、観光向けの居酒屋って売り方が違うんですよ。どう違うんだ? 地元向けって美味しかったら口コミで広まったり、知り合いが連れてきたりするじゃないですか。観光地ってほぼ一期一会じゃないですか。たまたま泊まった人が調べてお店来るみたいな。それを知らなくて、美味しいの作ったらいいやってだけ思ってたんです、最初は。けど全然来なくて、1年間は赤字ぐらいで。本当に「死ぬよ」ってなってたですね。
それって、沖縄っぽいようなものを出さないといけないなってことですか? 出してたんですけど、料理は一応そういうのやってたですけど。どこで何が違うんだろうと思って、いろいろ調べたら、宣伝が大事ってのを知らなくて。当時、ぐるなびさんとか、そういうのもあんま知らなくて。他のお店見てたら、雑誌とかにとにかく出して、広告費の使い方が半端なかったんですよ。
安いお金で来てないじゃないですか、沖縄。お店外したくないじゃないですか、貴重な一食。だからこそめっちゃ調べて、美味しそうなとこを選ぶんだと思って。口コミだけじゃ怖いじゃないですか。「だから情報、写真とかいっぱい載っけないといけないんだ」ってなって。そっから広告費に自分もお金かけるようになって、そしたら行列できるまで行きました。
それ広告費、どうやって、お金借りたんですか? 一応残ってた部分あって、最後勝負みたいな感じで。いくらかけて行列できるんだ、広告。とりあえず月30万近くは使ってたような気がするんです。ぐるなびさんも、実はお金払うといいとこに名前出たりとかあったんですよ、当時。あとはレンタカーにおすすめスポットみたいな。かけた後と本当に全然違かったと思って。
30万円は割と回収できたんですか? 全然。むしろかければかけるほど上がっていく感じでした。じゃあ結構、恩納村のレストランは成功してたんですか? 成功までは行きましたね。最終的には3店舗ぐらい経営してたんですけど、やがて1億は届きそうだったんで。そんな売上上がってたんですね。そうですね。正確に言うと、この恩納村だけでほぼ行きそうだったんですけど。
そうやって恩納村も成功させて、1億近くの売上ってすごいじゃないですか。すごかったんですよ。そしたら何が待ってるかと言うと、天狗が待ってたんですよ。自分が。調子乗っちゃうんですね。調子乗るんですよ、人って。どんな感じで調子乗っちゃったんですか? お店顔出さないとか、「やっといて」みたいな。俺は営業という名の飲み歩きみたいな。
1年も天狗すると何か起きてくるんですか? 天罰というのかな、何と言えばいいのか。あれがあったんですよ、東日本大震災が。2011年。はい。それで観光がピタッと止まって。「収益がない」みたいな。プラス、裏切り的なのもいくつかありまして。重なって、自分も反省しつつ心が折れて。「確かに俺、顔出してなかったしな。そりゃそうなるわな」みたいな。
それ裏切りってのは、横領みたいな感じなんですか? そうですね。それですね。1年以内で500、600以上は。明らかにバレバレだったんで詰めたんですよ。「お前は敵なのか味方なのか」って聞いたら、「味方です」って言って逃げる人見ましたね。
そういうので心折れて、「大勢雇うのは向いてないかもしれない。金を持つのは俺は向いてねえ」と思って。全部売って、店長とかに売ったり、お店閉めたりして、小さい食堂でのんびりやろうって。「俺は余生を小さい食堂で過ごそう」と思ってたんですよ。
それ何歳? すごい早いくらいですか、そういう。30ぐらいじゃないですか、多分30か31ぐらい。それなんで向いてないってことですか? 大金持つとか向いてないとかって。メンタルですね。正直、稼ぐ方法はいくらでもあったですけど、持った時の。社長さんたちすごいなと思うのが、どの社長に聞いてもこういうの食らってるんですよ。それでもあの人たちって前進んでんだなと思って。
大なり小なり、そういうような裏切りだったりとか。はい、誰に聞いてもあるんですよ。けどその人たちは、それを覆す勢いでさらに頑張ってたんですよ。自分はそういうので心折れるタイプだったと思ったんで。弱かったんですね、心は。そうそう。急な成功みたいなのもあったんで、それで向かねえなと思って。
その急な成功って、どれぐらい自分で給料取れるようになったんですか? 半年ちょっと過ぎたあたりから、徐々に回るようになってきたです。一番多い時でいくら取ったんですか、自分で給料。そんなには取ってなかったです。30万ぐらいにして。けど経費を使って飲み歩いてたってこと。そうそう。ちゃんとクソでしたね。
どれぐらいお金使ってたんですか、交際費的なもので言うと。多分、いろんな人の話聞いてるから、それからしたら微々たるもんだと思うんですけど。沖縄にしては正直、いい額だったんじゃないですかね。いくらぐらい? 1軒で、沖縄でだとしたら、5万、10万とかは使ってた。
それ、毎晩なのか、週3、4回やってるみたいな感じなんですか? 毎週ぐらいですかね。そんな感じで、1晩で10万とか使ってる生活だったら、確かにダメになってきそうですもんね、会社ね。それはそうなるわなって。だから怒りよりも、自分に対する戒めの方が強かったです。その取った人のあれよりかも。
小さな食堂ってのは、今度どんな規模でやるんですか? 30席あるかなぐらいの。しかも多分50万ぐらいで出したです。お金そんななかったんで。50万とかで沖縄で店出せるもんなんだ。うまいこと重なって、いろんなものが。沖縄って結構、安く借りようと思えば借りられるんですよ。
ゆったりモードは性に合ってましたか? 自分はここで、本当にさっき言った通り、終の住処にしようと思ってたんですよ。まさかこっから新しい人生が始まるっていうか、激動が始まったですね。
正確に言うと、その時に自分がよく遊びに行ってたお店があったんですよ。ニコ生分かります? ニコニコ生放送を配信するお店だったんですよ。行ったら、いろんなオタクがいるんですよ。アイドルオタクだったり、アニメオタクだったり。「すげえな、こいつら」ってなって。
経営者やってる時って、やっぱ自分が一番みたいな感覚。周りもそうだったですけど。オタクって、自分より推しを一番に持っていくんですよ。推しのために平気で自分の生活とか削るんですよ、話聞いてたら。飯削ってでも推しの生誕にいいプレゼントを買おう、みたいなやつらいっぱいいて。遠征って言って県外のイベント行ったりとか。「こんな人たち見たことない」ってなって。研究って言い方したらあれですけど、ハマってよく行くようになってたんですよ、そのお店に。
それって推し活をする人に興味を持って、そこに通い出すんですか? よく自分が言ってるのは「オタオタ」って言ってた。オタクのオタクだったんですよ。そいつの人生深掘りして、話聞いたりしてて、「すげえな、こいつら」ってなって楽しんでたんです。面白いですね、その趣味。
食堂やりながらそこ通ってたら、グループYouTuberが。沖縄の。彼らがたまたま遊びに来てて。そこで喋ってたら、リーダーが気になったらしくて、「今度YouTube出ませんか?」って言われて。そういうことも全然知らなくて、「何それ」みたいな。聞いたことあるようなぐらいだったんですよ。マジでもう10何年前なんで、YouTuberって言葉もなかったんで。「いいよ」って軽いノリで。
行ったら、たまたまでっかいカンパチを釣ってきたってなって。自分、料理人だったんで「さばいてもらえますか?」って連絡が来たんですよ。「いいよ、さばくよ」って。その魚さばいた動画が、100万再生とか超えよったんですよ、いきなり。当時は珍しかったんで。なんであんなに行ったか分かんないですけど。
でも、きまぐれクックさんとか、そういう動画めっちゃ。そうそう。昔、まだ本当に無名だった時にコラボしたことあるんですよ。早さばきみたいなの自分がやって、魚の、挑戦者募ったら、向こうから挑戦状が来て。それでコラボして。自分らは100万再生ってラッキーぐらいだったんですけど、かねこ君は「あれ伸びるぞ」ってなって、それに全ツッパして。
メンバー入りしてくってこと? いきなり100万再生。ってわけではなかったんですよ。自分も食堂もあったんで、たまにゲストだったらいいかなぐらいだったんですよ。また別の日に呼ばれて、行ったらその場所に若いのがいっぱいいたんですよ。「今からメンバーオーディションがある」って言われて。「そうなんだ」ぐらいだったんですよ。
そしたら「孫六さんも出ます?」みたいに煽られたんで。「いいぞ、笑い取ればいいだけだろう」みたいな感じでやったんですよ。別に入る気、本当になかったんですよ。これ後々めっちゃコメントで言われたんですけど、「孫六を入れるためのやらせオーディションだっただろう」みたいな。違う、本当に知らんで行っただけって。
行って喋って、正直、自分は顔見知りだったから笑い取りやすかったってのもあったんですけど。もう何回か共演してるしね。そうそう。それで笑い取って「合格」って言われて、「え?」ってなって。こっからですね。「こんな人生あったんかい」みたいな。軽いノリで「じゃあいいよ」ってやって。自分の食堂とかでも撮影とかしたり、取ってきた魚さばいたり、料理対決とか。
食堂でやってたら、最初、地元のお客さんばっかだったんですよ。急にファンの人が来るようになって、次第に逆にファンしか来なくなって。常連さんとか、離れてっちゃったとかもあるんですか? それはなかったですね。売上めっちゃ上がりましたか?
これが面白いことに、お金追求するのやめようと思って。ましてやファンの人が来るから、下手に値段上げてネットで「ぼったくりだ」って言われたら、ファン相手にあこぎな商売って言われるの嫌だから。正直、とんでもねえ安い金額でやってたんですよ。これぐらいの唐揚げ5個とかやって、ご飯、スープ、漬物おかわり自由にして、580円とかだったかな。とんでもない。
すげえお客さん来るんですけど、俺の月の給料11万ぐらいだったんですよ。売っても売っても儲かんないんですね。そうそう。「これやべえな」ってなって、ちょうど移転しようと思って。でかいとこを借りて、ちゃんと人雇ってやろうかなって。一旦閉めたんですよ、食堂。
移転先探してるタイミングで、メンバーが1人、事情があって抜けることになって。専属メンバーが少なくなっちゃって。「店見つける間、いいよ。俺が専属で多めに入るよ、動画出るよ」ってやって。出ることになって、思ったより「こんなに過酷ですげえな。こいつらいつもこんなこと普通にやってたんだ」みたいな。
今まではピンポイントとかでだったから、楽しいぐらいだったんですけど。マジで死んでもおかしくないこととかあったんで。知識なしで大体何でもやっちまおう、みたいな。面白そう最優先だったんで。サメを駆除したりとかするんですよね。そうそう。
1月の北海道にサバイバルしに行こうってなったんですよ。しかも企画何も考えてないで、行ったら何か思いつくだろうぐらいで。とりあえず1月に北海道行って、雪、かまくら作って1泊はするか、みたいな感じになったんですよ。雪のことも何も知らないんで、「雪ってどこにあるんだ?」ってなったら「山の上じゃね?」ってなって。「山の上を目指そう」って、レンタカー借りて車で山の上まで行ったんですよ。
「やった、雪いっぱいある」と思って、「かまくら作ろうぜ」ってやったら。これも無知だから、山の上の雪って固まらないんですよね。パウダースノーって。そうそう。けど俺、アホだから「俺らの努力が足んねえな」みたいな。フィジカルで対抗しようってなって、2時間ぐらい頑張ってやってたけど、さすがに諦めたんですよ。日が沈む前に諦めて、一旦山降りようと思ったんですよ。
これもまた無知で、沖縄感覚で行ったんで。沖縄って基本、日が沈むの遅いんですよ。北海道、4時に真っ暗になるって知らなくて。山の中で真っ暗って、「これ遭難ってやつじゃねえか」みたいな。来た道が全く分かんないんですよ。「ガソリンなくなったら俺ら死ぬな」ってなって。
どうしようってなって、彷徨って、だんだんガソリンも減っていって。やべえなと思ってたら、たまたまナビのリプレイ機能みたいなボタンを見つけて。「何これ?」って押したら、来た道がパッと光ったんですよ。「これだ」ってなって、そのルート通ってやっと山降りられたみたいな。
毎日撮影した感じですか? 毎日ではないですけど、2泊3日のサバイバルで本当に4kgとか痩せたりしたんで。あるもの食ったりとかしてたんで。落ちてるものとか。海ヘビ見た時は「やった」ってテンションになりましたからね。
海ヘビって食えるんですか? 調べないで食ったですね。毒があるんじゃないですか? 一応、ハブより毒は強いみたいな噂ですけど。「頭落とせばいけんだろう」みたいな感じで、とりあえず頭落として、串に刺して焼いて、みんなで分けて。
その専属はどれぐらいやったんですか? これ何年だったかな。2年とかですかね。ちょっと覚えてないですけど。2年間、店出さずに。そうですね。それどころじゃねえ、みたいな。
その途中で、YouTube的に変な料理とか作らないといけなかったんです。ハブでラーメン作ったりとか。それどうなんだろうって、ちょっと気になるようなね。そう。ギリギリのチョコサンドとか。「これ俺、料理人として良くない方向に行ってるような気がする」と思って。
1回ちゃんとした料理チャンネル作りてえってなって。言い訳の意味でも、一応ちゃんとできますよって意味で。個人チャンネル作っていいか相談して、「いいですよ」ってなって。個人チャンネルで沖縄料理とか、料理作るチャンネルを始めたんですよ。そっから半々みたいになってたですかね。向こうは人も増えたし、こっちは個人チャンネルあるんで、個人チャンネルやりつつ、何かあったら呼んで、みたいな感じ。
それフェードアウトって感じなんですか? そうですね。あと今の体の状態もあるですね。1年以上前か。元々ちょっとよろしくはなかったんですけど、完璧に1回壊れてしまって。どの病気だったんですか? はっきりした病名、よく分からなかったんですけど。心筋梗塞ではないな。心不全とかなんかですかね。
水が溜まりまくってたんですよ、体に。1週間で20kgとか太って、水が出なくなって。危ないですね、それ。死にかけて、やべえってなって。入院して、2週間で20kg分の水を除去したりして。そしたら体が動かなくなって。それでお店も一時閉めてたんですよ、1年以上。最近やっとちょっと動くようになってきて。
だからラッキーだったのが、この個人チャンネル、最初は料理作ってたんすけど、途中から食レポに変えたんすよ。
ほう。
だから1時間もあれば撮影できるんで、それぐらいだったら体が持つってなって。だから1日1時間ぐらいはちょっと頑張って撮影して、飯食って、あとはもう寝てみたいな。
へえ。
それを1年ぐらいずっと繰り返したっすね。ある意味、YouTubeなかったらやばかったっす。
へえ。でも個人チャンネルは、メインだったチャンネルは抜けてみたいな。今ってちょっとどんなテンションなんですか? 気持ち的には。やりたいことはやり尽くしてる方であると思うんですよ。人生もやったし。
そうそうそう。マジでなんか普通の人じゃ得られない人生も得ちゃったんで、街に出たら写真撮られたり、サイン書いたりとか。何があるかなと思って。
生きがいみたいなの、ちょっと見失ってる感じなんですか?
とりあえずお店やるとファンの人が喜ぶから、じゃあお店やろうかなぐらいで。
へえ、そっか。お店をじゃあどっか借りてやる算段ついてるんですか?
だからさっき言ったとこをもう1回再開させて。
でもあれだってトロピカルジュース屋さんだから、料理って感じじゃないですかね。
そうなんすよね。だから気が乗ったらまた居酒屋をやりたいなと思って。
ああ、そっか。ちっちゃなというか。
そう、そう、そう。
2年間、その専属トップYouTuberのメンバーになってどうでしたか? ちなみに。
普通だったら喋れないような人とかと喋れたりとか。
例えば?
だから葉加瀬太郎さんとか。『コーヒーが冷めないうちに』って小説、川口先生って人もめっちゃ仲良くしてもらったり。その人も釣りはまって、仲良くなったり。
孫六さん自体は釣りはどうなんですか? やる?
自分はもう本当、さばく担当なんですよ。
そう、そう、そうですね。
ただ気がついたら、ある程度話できるぐらいにはなってたっすね。
へえ。
その、カメラって恐ろしいですよ。フィルター越しに見てたら、なんか死なないなって思ってきたりしません? 現実がなくなるっていうか、戦場カメラマンもこんな感覚なのかなみたいな。
あるかもしれない。
なんかカメラ回してる間は自分は死なないみたいな。だって水深何百メーターの沖で、船でめっちゃ揺れてるのに、いい画が欲しくて身を乗り出してカメラとかやってましたから。なんかもう概念が吹き飛ぶ瞬間はたまにあったっすね。「あ、これやべえ。ってことはチャンス」みたいな。
すごいな。
その分やっぱ頑張れば頑張るほどコメント欄がすごいことになってくるんで、もうそれが面白いと思って。「こいつらバカだ」って言われるのが嬉しかったんで。
でもじゃあ、これからは自分の店やって、ちょっと個人YouTubeもやって。
途中で気づいたんすけど、裏方の方が好きかもってなってきて。元々別に表出たい人ではなかったんですよ。ほんで、たまたま手伝ってたらなんか盛り上がって、表立っちゃったみたいになったんすよ。ただ裏の方がむしろ好きだなと思って、イベントとか打ちたいなと思って。祭りだったりとか。
せっかく今、人脈とかもできたんで、なんかでっかい沖縄でしかできないようなイベントとか、祭りだったりとかやりたいなと思って。そっちで動いていこうかなと思ってるな。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
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大人になればわかるわ。何か失うじゃない。
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