無職のままモーリタニアの砂漠へ:前野ウルド浩太郎が語るサバクトビバッタ研究と野営生活

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概要

ReHacQの番組「リベラルアーツ」に、昆虫学者の前野ウルド浩太郎が出演し、聞き手の高橋弘樹と話した。前野は著書『バッタを倒しにアフリカへ』で知られ、本人によれば同書は累計37万部に達している。番組の中心にある問いは、昆虫学者が日本人のほとんど行かない西アフリカのモーリタニアへ渡り、砂漠で何をしていたのかである。前野は、研究者としての就職難と、野外の「素顔の」バッタを見たいという思いを理由に挙げる。そのうえで、砂漠での野営生活と調査の具体的な手順を細かく語った。

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民族衣装「ダラー」を正装として着る

前野はモーリタニアの民族衣装「ダラー」を着て収録に臨んだ。ダラーは1枚布でできており、頭からかぶって着る。前野によれば非常に涼しい衣装だという。サハラ砂漠の国では日差しも砂嵐も厳しいため、現地の人はふだんターバンを巻き、ターバンを忘れたときはダラーを頭からかぶって直射日光を避ける。前野はこれを現地の気候に適応した衣装だと説明した。

ただし丈が長いため、歩くときは後ろの布を手で持ち上げなければならず、機動力はかなり低い。バイクに乗るとタイヤに布が絡まってしまう。前野が世話になっている職場のバッタ防除センターでは、平日はダラーを着てこないようにというお触れが出ているという。一方で、今回着ているような高級品は、結婚式や大きな会議などの式典で皆が着るものだ。そのため前野は、日本ではこれを自分なりの正装として着ている。スーツのようなものだと考えてよい。

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なぜモーリタニアだったのか:就職難と「誰も行っていない場所」

前野がモーリタニアに渡ったのは31歳の春である。日本学術振興会の海外特別研究員制度を使った。若手研究者が2年間自由に研究できる制度だ。現地で大発生するサバクトビバッタの研究が目的だったが、制度の支援は2年で切れ、その先の保証はなかった。

前野は、昆虫学者は世の中でそれほど求められておらず、研究職の椅子の取り合いが激しいと話す。自分の実力と強みを照らし合わせた結果、日本人があまりやっていない分野に挑戦したほうが就職の可能性が開けると考えた。モーリタニアでサバクトビバッタを研究した日本人は、それまで「ゼロ」だったという。受け入れ先は現地のバッタ防除センターで、受け入れの確約を取ったうえで振興会に申請し、採択された。

もう一つの理由は研究上の動機である。前野は渡航前の8年間、日本でサバクトビバッタを研究していた。海外からバッタを輸入している研究機関で、正式な手続きを踏み、植物防疫所の特別な許可を得て飼育していたという。ところが、小さな飼育ケージに閉じ込めたバッタが本当の姿なのかという疑問をずっと抱えていた。アフリカに行けば、自然の中で自由に飛び回るバッタが見られる。子どもの頃に『ファーブル昆虫記』を読んで昆虫学者になると決めていた前野は、この先どうなるか分からないが行ってしまおうと決めた。

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日本の飼育室での8年間:相変異という現象

日本での研究テーマは「相変異」だった。前野の説明はこうだ。サバクトビバッタは1匹で飼うと緑や茶色のおとなしい幼虫になる(孤独相)。一つのケージに多数を押し込めて集団で飼うと、体が黒と黄色のまだら模様になり、集団で移動するようになる(群生相)。お互いがぶつかり合う刺激、つまり密度に応じて変身する能力である。前野はこの変化がどんな仕組みで起きるのかを主に調べてきた。

繁殖への影響も具体的に語られた。卵を作る資源は限られている。孤独相が現れる野外は緑が多く、餌も豊富で好ましい環境なので、小さな卵をたくさん産む。群生相になる頃には餌が枯れて環境が厳しくなるため、数を犠牲にしてでも大きくたくましい子を産む。生まれてくる子の大きさは2倍近く違うという。

脱皮回数も異なる。群生相は脱皮を1回少なくし、厳しい環境から早く脱出しようとする。孤独相は1回多く脱皮して体が大きくなり、より多くの卵を産む能力を得る。前野はこれを、それぞれの環境に応じた適応能力だと説明する。

研究は地道な作業の積み重ねだった。湿らせた砂をアイスクリームのようなカップに入れておくと、バッタがそこに卵を産む。前野はそれを掘り起こして水洗いし、1個ずつばらして数と大きさを測り続けた。本人は、日本だけでなく人類史上でもっとも多くサバクトビバッタの卵の長さを測り、数を数えた男だと思う、と笑う。

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密度が「最も信頼できる合図」になる理由

なぜ密度が変身の引き金になるのか。前野は砂漠の気候から説明した。モーリタニアの雨季は8〜9月で、強烈な雨が短期間だけ降る。地中に溜まった水分で植物が生えるが、追加の雨がないため、長くても2か月ほどで枯れてしまう。その間に孵化した幼虫が成虫になれなければ、餌がなくなって死ぬ。

しかも砂漠の環境は予測できない形で不規則に変わる。昆虫には日の長さに反応して冬眠するものもいるが、雨が降るかどうかは年によって違うので、日長を基準に相を切り替えても当てにならない。そこでバッタがもっとも信頼している刺激が、互いのぶつかり合い、つまり密度だと前野は言う。高橋が「広い緑地なら散らばるが、狭い範囲にしか緑がなければ餌を取り合って密度が高くなる」と言い換えると、前野は同意した。

群生相の幼虫がなぜ黒と黄色の目立つ色をしているのかは、科学的に確実には証明されていないという。仮説の一つは、天敵に「まずい」と学習させる警告色だという説である。砂漠には毒性成分を含む植物があり、それを食べた目立つ幼虫をトカゲが食べると、まずいと学習する、という研究がある。しかし毒のある植物がない場所でも群生相の幼虫は目立つ色をしているため、完全には分かっていないと前野は留保した。

二冊の本:学術寄りの本と、柔らかい本

日本での8年間の研究成果は、別の著書『孤独なバッタが群れるとき』にまとめられている。前野によれば、『呪術廻戦』の芥見下々がこの本を読み、単行本10巻のおまけページで参考にしたと書いた。帯の推薦文もそこから実現したという。

ただ、グラフの多い学術寄りのこの本は、友人や両親から「難しくて分からなかった」と言われた。遠い土地で日本人に馴染みのないことをしているのだから、どうせなら多くの人に知ってもらいたい。そう考えて、柔らかい文章で書いたのが『バッタを倒しにアフリカへ』だと前野は説明する。バッタや砂漠の生活に興味がない人にも分かるよう、優しいタッチを心がけたという。

大学を転々としながら研究所で研究した日々

前野は学部を弘前大学、修士を茨城大学、博士を神戸大学で過ごし、在籍しながらつくばの研究所で8年間バッタを研究した。以前は外部の研究機関での成果が学位の成果として認められなかったが、ちょうど前野の頃から認められるようになり、博士号を取得できたという。

前野はこれを研究面では良かったと振り返る。若手に囲まれた大学ではなく、すでに世界トップレベルの研究をしているプロの中に一人で飛び込めたからだ。一方で同世代と触れ合う機会が少なく、青春時代は少し楽しめなかったかもしれないとも話した。つくばには昆虫の研究所がいくつもあり、道を歩けば知り合いの研究者に会うような環境だという。

博士号取得後もすぐには就職できず、日本学術振興会のポスドク制度で3年間研究した。その先がつながらなかったため、海外特別研究員として外国へ出ることにした。

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31歳で渡航、33歳で無収入に:バッタが消えた

前野は、モーリタニアで大きな成果を上げれば日本でポストを得られると考えていた。しかし結局、33歳で無収入になった。日本で日本の昆虫を研究していれば、もっと効率よく成果を出せたはずだと本人は言う。

誤算はバッタそのものだった。到着直後は少しバッタがいて、1日の観察だけで論文が書けるほどだった。新発見を連発できると期待していた矢先、60年ぶりの大干ばつでバッタがいなくなってしまったという。「人生をかけて何をしにアフリカへ来たのか」という切ない状況で、自然にも見放されたと前野は振り返る。バッタで論文が書けなくなり、仕方なく別の虫を研究して何とかしのいだが、やはり厳しかったと語った。

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モーリタニアという国と、渡航のきっかけ

前野の説明では、モーリタニアは西アフリカの海沿いの国で、面積は日本の約3倍、国土の9割が砂漠である。緑はほとんどないが海産物に恵まれ、日本で食べられているタコの約3割はモーリタニア産だという。産業はそれほど活発でなく、舗装されていない道路も多い。高橋は、現地に住む日本人は13人ほどだったと本の内容に触れた。

渡航の直接のきっかけは、バッタ防除センターの所長が世界中の研究者に送ったメールだった。今年モーリタニアでバッタが発生しているから見に来ないか、という呼びかけで、前野が当時世話になっていた人がそれを知らせてくれた。二人で視察に行き、生活は大変そうだがバッタは見られるし、やり応えがありそうだと判断した。前野は来客用のノートに必ず戻ってくると書き込み、その1年後に実際に戻ってきた。

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実験設備のない研究拠点と、フィールドワーカーへの転身

拠点は首都のバッタ防除センターである。コンクリートの建物はあるが、実験施設はほとんどない。毎日停電するため、室内で温度や湿度を一定に保つ昆虫飼育はできない。そこで前野は、野外でバッタを観察してデータを取る完全なフィールドワーカーに転身した。

調査に出るのは1回あたり1週間から10日ほどだ。もっとも遠い場所は800km離れていて、通常はバッタが発生しやすい300〜400km先のエリアに行く。防除センターには約100人のスタッフがいる。車2台を1チームとして全国にパトロール部隊を送り、どこにどれだけバッタがいるかを把握している。前野はそのGPS情報をもらい、ピンポイントで現地に乗り付ける。車を2台にするのは、砂漠の真ん中で1台が止まったら命に関わるからで、機材やキャンプ道具を運ぶ意味もある。

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砂漠のどこにバッタが来るのか

砂漠と聞くと日本人はサラサラの砂丘を思い浮かべるが、その脇には踏み固められたような硬い土地がある、と前野は説明する。そこに雨が降ると植物が生え、バッタが飛んできて繁殖し、数が増える。ガソリン代も馬鹿にならないため、雨が降っていないときにパトロールを無駄に送り込むことはしない。

雨が降ってどれくらいで草が生えるのか、前野は厳密に滞在して確かめたわけではない。ただ、2週間ほどでかなり緑になっているのは見たことがあるという。成虫はふだん、オアシスや、かつて川だった涸れ川の脇など、地下に比較的水がある場所で細々と生き延びていると言われている。そうした場所の脇には植物があり、サバクトビバッタは500種類以上の植物を食べられるからだ。とはいえ、オアシス周辺にはそれほど草が生えていないらしく、成虫が普段何を食べているかを前野が見たことはない。論文として厳密に報告されているわけでもない、と前野は断った。現地の人々は駆除に集中しているので、じっくり観察して研究するところまでは手が回らないという。

雨が降ると成虫が集まってきて卵を産む。卵は約2週間で孵化し、幼虫は草を食べて育ち、1か月ちょっとで成虫になる。成虫は次の場所へ飛んでいくか、そのまま留まる。

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農業国でもないのに、なぜ真剣に防除するのか

高橋は「砂漠ならバッタが来ても放っておけばいいのではないか」と疑問をぶつけた。前野はその疑問を認めたうえで、サバクトビバッタがほかの害虫と決定的に違う点を挙げる。ほかの害虫は農家レベルで防除するが、サバクトビバッタは国単位で防除する。モーリタニアで増えたバッタは近隣諸国へ飛んでいき、たとえば北の農業国モロッコで被害を出す。だから自国だけを守るのではなく、国々が連携して強力な国際協力のもとで防除を運営している。前野はそこがユニークな点だと言う。

モーリタニア自身も無関係ではない。普段は決定的に困るわけではないが、遊牧民のラクダやヤギが食べる緑をバッタが食い尽くすと、難民をどう支援するかという経済的な問題が生じる。社会的に大きな問題なので、防除センターには年間約1億円の運営費が支援され、人を雇い、駆除を行っている。大発生してから対処すると莫大なお金がかかるため、発生前に早め早めに手を打つ「予防的防除」が推奨されている。一定のレベルで常に管理し、増えそうならすかさず駆除するという。

前野は2019〜2020年の東アフリカでの大発生にも触れた。当時、あの地域では長くバッタ被害が出ておらず、かつて培った防除の仕組みがすっかり廃れていた。どうすればいいか助言できる人がいなかったため、西アフリカで防除をしている人々が派遣されて助言した。国際的な支援金で車や殺虫剤散布の道具をそろえた。前野は、この経験から防除には人間がいちばん大切だという教訓が得られたと語った。

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4人のパーティーで砂漠に入る

調査は車2台、ドライバー2人、雑用係1人、前野の4人で行う。砂漠には、ドラマ『VIVANT』に出てくるような巨大な砂丘もある。そこにタイヤが埋まると抜け出せなくなるため、谷のような抜け道のルートを通って一気に渡る。

道中には検問がある。前野によれば、昔はテロリストがいたこともあったが、現在は基本的に大丈夫で、山賊もあまり聞かない。舗装された大きな直線道路には定期的に「デザートポリス」がいて、どこから来たのかを問われる。防除センターが「オルドル・ド・ミッション」という、誰が何のために行くかを記した通行手形のような書面を発行している。これを大量にコピーしておき、検問ごとに1枚ずつ渡して通過する。GPS地点が近づくと、舗装道路を外れて砂漠へ入っていく。

現地に着くと、前野がバッタの状況を見て、十分にデータが取れそうかを判断する。前野は研究者なのでバッタを駆除してはいけない。自然の状態で観察するのが目的だ。数の少ないバッタからデータを取るのは時間がかかるため、歩いて行ける範囲にさまざまな行動パターンが見られる場所を選ぶ。場所が決まると、前野は温度や湿度を測る機材を設置し、ほかの3人がテントを張って料理の準備をする。

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サソリと寝相:テントでの夜

水とガソリンはドラム缶に入れて積み、発電機も持っていく。テントは一つだが、収録スタジオほどの大きさがあり、4人でも窮屈ではない。地面に杭を打つのが大変なうえ、翌日移動する可能性もあるため、2台の車を横付けし、真ん中に大黒柱を立て、テントの裾を車にくくり付ける簡易な張り方をする。

砂漠にはサソリが多い。地べたで寝るのは危ないので、全員がパイプベッドを使う。パイプはつるつるしていてサソリが登れないので安心だという。ただ、明け方は冷え込むので毛布をかぶって寝るが、寝相が悪くて毛布が地面に垂れると、そこを伝ってサソリが登ってくる。前野は、寝相は絶対に良くなければいけないと強調した。「浩太郎、枕の下にサソリがいるぞ」と言われたこともあり、砂漠のおかげで寝相がずいぶん良くなったと笑った。

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砂漠に暮らす遊牧民

人のいない砂漠にも、ときどき遊牧民がいる。前野によれば、ヤギやラクダを草の生えている場所へ連れていき、成長させる仕事をアルバイトとして請け負っている人もいる。彼らは半年ほど砂漠の真ん中にいても大丈夫だという。水はないが、ヤギやラクダの乳を飲めば水分もミネラルも十分で、ときどきヤギをさばいて肉を食べる。日焼け止めもサングラスも使わず、パンツの上にダラーを羽織るだけで暮らしている。高橋は「そんな生活をしている人が地球にいるのか」と驚いた。

バッタのGPS地点で遊牧民に会うと、前野はドライバーのティジャニに通訳してもらい、最近のバッタの様子を尋ねる。その際、料理用の油がないから分けてくれないか、と頼まれることがある。そのため調査には自分たちの分以外にも、お茶などを余分に持っていき、情報のお礼として渡す。遊牧民はとても喜ぶという。現地では、ウーロン茶のような濃いお茶に砂糖をたっぷり入れ、小さなショットグラスで3回に分けて飲む習慣がある。前野は、猛烈に暑いときに熱く甘いお茶を飲むと不思議と元気になると話した。

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食事:ツナ缶ソースと、ヤギのご馳走

食事は缶詰生活を想像していたが、実際はまったく違ったという。ツナ缶を大量に持っていき、冷蔵庫はないもののキャベツ、ナス、トマト、ニンニク、ニンジンなどの野菜も積む。ドライバーたちが野菜を細かく刻み、圧力鍋でトマト味やコンソメ味のソースを作る。それを米やスパゲッティ、マカロニにかけて食べる。前野は、レストランを開けるのではないかというほどおいしいと絶賛した。昼はご飯にトマトソース、夜はスパゲッティにあっさりしたコンソメソースというのが定番で、毎日食べても不思議と飽きないという。

調査が1週間から10日に及ぶと、前野は調査で忙しいが、ほかの3人はやることがなくなる。そんなときは彼らの一番のご馳走であるヤギを手に入れる。遊牧民などから買う大人のヤギ1匹は約1万円だという。イスラム教徒の彼らは祈りの言葉を唱えながら手際よくさばき、皮をはいで内臓を取り出す。傷みやすい内臓から先に、玉ねぎを敷き詰めたダッチオーブンに入れ、岩塩をかけて煮込む。焚き火の煙がバッタに影響すると困るので、基本はガスで調理する。食べきれない部分は日陰に干して翌日もも肉などを食べるほか、近くにいる防除センターの別チームに連絡して三等分する。車で30分から1時間ほどで彼らが取りに来て、「浩太郎、メルシー」と感謝されるという。前野は、不便をかける砂漠の中で彼らが食の楽しみを味わっている間に自分は調査をする、と説明した。

45:50

トイレ、水、においの問題

トイレはもちろんない。前野はテントから200〜300m、歩いて5分ほど離れた、人目につかない大きめの植物の陰まで行く。見られたくない、見せないというマナーが強くあるという。虫好きの前野にとっては、朝に用を足すとフンコロガシが飛んでくるので、その観察もデータとして取っている。いつかフンコロガシの研究もしたいと話した。テントのそばで用を足すとフンコロガシが糞を運んできてしまい、誰のだという「事件」が起きるので、なるべく離れるのだという。

前野はトイレットペーパーを使うが、現地の人々はペットボトルの水と左手で処理する。その手で料理をすることになるが、石鹸や洗剤で手を洗うので、前野は気にしないことにした。気にしていたらやっていけないことが多いという。皿洗いも貴重な水を節約するため、たらいを2つ用意し、片方で大きな汚れを落としてもう片方ですすいで終わりにする。

風呂もない。前野は夕方6時過ぎにひと息入れ、ギャツビーのフェイシャルシートで顔や体を拭く。日焼け止めが付いているので、1枚が真っ茶色になるという。さらに500mlの水をシャワー代わりに使うと、まったく違うそうだ。湿度が10%ほどと低いため、風呂に入っていない大人4人が帰りの車に乗ってもそれほど臭わない。ところが一度、夜中に大雨が降り、全員がずぶ濡れで車に避難したときは、眠っていた臭いが一気に目を覚ましたという。湿気の多い日本の夏のほうが正直大変だ、と前野は言う。

朝日と星空、そして1日のスケジュール

砂漠では広大な大地から太陽が昇る。前野はそれを見ながら今日も頑張ろうと思うそうだ。夜は360度見渡しても人工の光がなく、微弱な光の星までくっきり見える満天の星空になる。流れ星を5個見るまで寝ないと決めることもあるという。

幼虫を追っている時期の1日はこうだ。日の出は6時45分頃で、それより前に薄明かりで見えてしまうため、前野は真っ暗な6時前に起きる。バッタの朝の日向ぼっこのデータを取るため、テントから100mほど離れた場所に三脚とカメラを設置する。人間が近くにいると自然な行動を邪魔してデータがぶれてしまうからだ。バナナを食べ、入れてもらったコーヒーを飲みながら、バッタが温まっていく様子を見る。7時半から8時の間に朝食をとり、日焼け止めを塗りたくって、白い長袖と長ズボンで「戦闘スタイル」を整える。

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調査の中身:マーチング、体温、解剖

群生相の幼虫は「マーチング」と呼ばれる行動をとる。あちこちに散らばらず、皆がそろって同じ方向に歩いていく。前野によれば、その行動原理はまだ詳しく分かっていない。

調べ方は複数ある。離れた位置から気温とともに行動パターンを記録することもあれば、前野自身が天敵役になって近づき、どう反応してどう逃げるかを記録することもある。現地にはサーモグラフィーカメラを持ち込み、体温の研究もしている。定期的にバッタを捕まえて解剖し、何を食べているか、腹の膨れ具合はどうかも調べる。たとえば1時間おきにメス10匹、オス10匹を捕まえて解剖し、それを数日分重ねると、どの時間帯にどんな草を食べているかというパターンが見えてくる。1回20分ほどでデータを取ってテントに戻り、休憩中も解剖をするので、結局休んでいないと前野は笑う。1日のうちに複数の研究テーマを並行して進めているという。

野外に出て初めて知ったこともある。夕方になると幼虫が大きな植物に登り、翌朝降りてきて日向ぼっこをして歩き出す。前野は、バッタの幼虫が木に登ることすら知らず、驚いたと話した。

日本の研究室では、照明が消えた後の飼育室には入らないのが暗黙のルールだった。光を一瞬でも感じるとリズムが狂う敏感な昆虫もいると言われていたからだ。そのため、暗い時間にバッタが何をしているのかはまったく分かっていなかった。ところが砂漠では、日中は猛烈に暑いが夜は気温が下がるので、ヘッドランプを付けて調査するのは非常に効率がいいと前野は気づいた。夜の研究報告もほとんどなかった。夜にどの植物にどれだけバッタがたむろしているかを調べるときは、夕食後の9時から11時頃まで仮眠を取り、その後は朝5時近くまで起きて調査する。

徹夜をすると一発で体がやられて10日間の野宿が持たないので、強制的に休むようにしている。今はApple Watchで歩いた距離を確認し、歩きすぎた日は後でセーブする。体力と残りの食料を見比べて、あと2〜3日いられるかを判断しながら滞在を延ばしているという。

夕暮れのコカ・コーラ・ゼロ

前野にとってのささやかな楽しみもある。クーラーボックスに凍らせたペットボトルを敷き詰めていくと、4日目の朝までは冷たい水が飲める。その中にコカ・コーラ・ゼロを仕込んでおき、1日の作業を終えた夕方6時半頃、夕日を見ながら飲む。それが一番の至福の時間だという。本当はビールを飲みたいが、酔ってデータに支障が出たり何かをやらかしたりしてはいけないので、調査中は絶対に飲まないようにしている。

そもそもなぜサバクトビバッタだったのか

番組の終盤、高橋は、日本に関係のないサバクトビバッタをなぜ選んだのかと尋ねた。前野の答えによると、同じ弘前大学の卒業生がトノサマバッタをずっと研究しており、ある企画のためにサバクトビバッタを輸入してきた。しかし誰も研究していなかったので、「前野君、やってみたらどうですか」と声をかけられたのが始まりだったという。字幕はこの回答の途中、若い研究者たちが今も一生懸命取り組んでいる、という話に移りかけたところで終わっている。