CIA文書から読む日米関係の裏面史:春名幹男が語る「アメリカに嫌われた首相」たち
ReHacQ−リハック−【公式】元共同通信ワシントン支局長の国際ジャーナリスト、春名幹男が、元朝日新聞記者の鈴木拓也の聞き手で日米関係を語った。話題は二つある。直近の日米・米中首脳会談をどう見るか。そして戦後の日本の首相たちがアメリカとどう向き合い、その結果どうなったか。春名は機密解除された米側文書と自身の取材をもとに、吉田茂、鳩山一郎、田中角栄らへのアメリカの対応を説明し、日本国内で語られてきた通説と米側記録の食い違いを指摘した。
ワシントン12年とCIA取材の始まり
春名は共同通信で長く外信部に所属し、ニューヨークに5年、ワシントンに最初3年、間を3年おいてさらに4年、合わせて12年をアメリカで過ごした。最後はワシントン支局長を務めた。当時の共同のワシントン支局は東京からの記者だけで11人おり、春名によれば現地の日本メディアで最大の規模だった。支局長業務は「1番つまらない」ので、それだけで終わりたくないと考えて取材に出ていたという。
CIA取材のきっかけは、議会で議員向けに配られたビラだった。CIAがシンポジウムを数回開くので参加希望者は連絡するように、という案内である。時期は1993年。1991年にソ連が崩壊して冷戦が終わり、上院議員などから「CIAはもういらないのではないか」という不要論が出ていた。そこでCIAは自分たちの仕事を外に示すためにシンポジウムを始めた、と春名は説明する。春名はこのシンポジウムに毎回足を運んだ。
最初の回では大量の文書が配られた。その中に、国家安全保障会議(NSC)の決定「NSC10/2」があった。ソ連が様々な秘密工作をしている以上、アメリカも様々な秘密工作をしてよい、とする内容である。春名はここから、アメリカでは秘密工作が非合法活動ではなく、合法的に認められた活動だと強調する。戦前の日本の関東軍などによる特務工作とほぼ同じことを、国家として認めているという見方である。
鈴木は、春名が文藝春秋から出した新著のタイトルが陰謀論めいて見えると冗談めかして触れた。春名は、陰謀論と見る人もいるかもしれないと笑いつつ、内容は文書に基づく事実だと述べた。
日米首脳会談と米中首脳会談への評価
鈴木はまず直近の外交を取り上げた。高市首相が国連総会出席に合わせてニューヨークでトランプ大統領と首脳会談を行った。その姿は「アメリカがジャイアンで日本はそうではない側」のようで、なぜここまで媚びなければならないのかという印象を受けた、と鈴木は語る。その後ワシントンで行われた米中首脳会談では、トランプ大統領が習近平国家主席を非常に丁寧に扱い、第二次世界大戦で同盟国だったことまで持ち出した。
春名は今回の日米会談を「残念だった」と評価した。会談後の高市首相の発信からは「日米同盟の強化」以外の印象が残らない。トランプ大統領の側が同盟強化を口にしたかどうかもはっきりしない、というのが春名の見方である。また春名は、アメリカが国際刑事裁判所(ICC)の関係者に制裁を科し、クレジットカードが使えなくなるといった事態が起きている点を挙げ、「ちょっとひどい」と述べた。高市首相がこの件をトランプ大統領に正面から伝えたという証拠はなく、言っていない可能性もあるという。
春名がより驚いたのは米中会談でのトランプ大統領の最初の発言だった。第二次世界大戦で米中は同盟国だったと述べ、さらにフライングタイガース、つまり日中戦争期に中国側で日本と戦ったアメリカの義勇兵部隊にまで言及した。春名はこれを、過去の話とはいえ「米中同盟」をはっきり口にしたものと受け止めている。日本では、習近平政権が台湾に侵攻した場合にアメリカが本当に守ってくれるのかが注目されているが、この発言からは守る態度が見えない。だからこそ、これが日米同盟なのか米中同盟なのかを問題にしなければならないかもしれない、と春名は述べた。
鈴木は台湾独立をめぐる文言にも触れた。中国側の発表では、アメリカが台湾独立への反対を表明したかのように書かれている。しかしアメリカ政府はこれまで一度も「反対」とは言っておらず、中国の立場を尊重するという言い方にとどめてきたはずだという。中国の言い回しは巧みだと鈴木は見る。そのうえで、アメリカは今回も戦略的曖昧性を保ってはいるが、習近平主席に向かって「我々はかつて同盟国だった」と言うこと自体が危うい、と指摘した。春名はこれに同意した。日本のメディアやジャーナリストは「朝鮮戦争でアメリカは中国と戦ったのではないか」とトランプ大統領に問うべきだったが、日本のメディアはその点を書いていない、と批判した。
ファクトシートの「前方展開」と手薄になったアジア
ホワイトハウスは会談の数日後、遅れて8項目のファクトシートを出した。鈴木によると、そこにはかつての同盟関係に触れたうえで、アメリカの前方展開軍が戦後の「自由で開かれたインド太平洋」に貢献してきたという趣旨の記述がある。鈴木はこの前方展開軍に在日米軍が含まれるのかと尋ね、春名は含まれると答えた。
ただし春名は、それで十分なのかと問う。在日米軍のかなりの部分がペルシャ湾方面へ移っており、アジアは手薄になっている。高市首相がこの点を問い詰めたのかどうかが日本の安全保障にとって最も重要なのに、記者会見で日本のメディアは誰も質問しなかった。春名は、古巣の共同通信を含む後輩記者たちにこの点を追及してほしいと述べた。
吉田茂は本当に「ノー」と言ったのか
話は戦後史に移る。鈴木は、日本は敗戦と無条件降伏を経て、GHQ民政局の草案をもとに短期間で作られた憲法を持つことになり、戦後日本はアメリカが形づくったと言ってよいと整理した。そのうえで、1951年のサンフランシスコ講和で国際社会に復帰した吉田茂政権の「軽武装・経済重視」、いわゆる吉田ドクトリンが今も引き継がれているのかと問うた。
春名によれば、のちに国務長官となるダレスは朝鮮戦争の前後に、吉田に軍備増強を求めた。憲法9条を作らせておきながら、反共の防波堤として日本を再軍備させようとしたのだから矛盾している、と鈴木は指摘する。外務省では「その時吉田はノーと言った」と語り継がれてきた。春名がワシントン特派員だった頃の駐米大使もこの話をよく口にしていたという。
しかし春名は、吉田が本当にノーと言ったのかを調べた。国務省にはダレスと吉田の会談記録を保管している担当者がいる。春名によると、記録の中でダレスは会談後に吉田の発言を振り返り、「不思議の国のアリスのようだ」「吉田にごまかされたのではないか」という趣旨の感想を残している。つまり吉田はアメリカに面と向かってノーとは言っていない。それなのに日本語の本にはノーと言ったと書かれている。吉田は使い分けをしていたことになる。
春名は吉田を、その時代としてはアメリカの扱いが非常に上手で、うまく振る舞った人物だと評価する。実際、吉田政権は軍備をそれほど増強していない。一方、アメリカにはっきりノーと言った政治家もおり、鳩山一郎がその例で、結局は短命政権に終わった。春名の問題意識は、戦犯容疑者でありながら釈放された岸信介、鳩山、田中角栄といった首相たちを比べることにある。アメリカに好かれるか嫌われるかによって、長期政権になるか短命に終わるかが左右された、というのが春名の見立てである。
石橋湛山の短命政権と米側文書の一文
鈴木が、石橋湛山内閣は約2カ月で終わったと触れると、春名は、辞任の理由は病気でありアメリカの圧力のせいではないとした。ただ、ある有力なアメリカ人が「運が良ければ短命で終わるだろう」という趣旨のことを述べている文書がある、と紹介した。病状を早くから把握していたのかもしれないが、そこは分からないという。
鈴木が、逆に日本政府はアメリカ大統領の健康状態などをどこまで調べているのかと尋ねると、春名はこれは非常に重要なことで調べるべきだが、あまりやっていないかもしれないと答えた。
鳩山一郎とフリーメイソン
春名によれば、鳩山一郎はアメリカと仲良くしたいと考えていた。その手がかりとして、鳩山がフリーメイソンだったことを挙げる。鳩山はフリーメイソンだったと断言し、日記にも書いていると述べた。春名自身はフリーメイソンではないが、それなりに研究したという。
春名の説明では、フリーメイソンは陰謀論で語られるような支配組織ではなく、個人としての付き合いの場である。鳩山はそこに入れば吉田のようにアメリカと付き合えるのではないかと期待した可能性がある。しかし、それは無理な話だったと春名は見ている。
鈴木が入会の条件を尋ねると、春名は「神を信じていれば入れる」と答えた。キリスト教でなくてもよく、春名がメンバーに確認したところ、仏教でもよいと言われたという。イスラム教でもよいと思う、とも述べた。春名は東京近くにある日本の拠点で現職の国会議員が入っていないかを問いただしたが、どうも入っていないようだったという。
日ソ共同宣言とダレスの「恫喝」
本題に戻り、鈴木は鳩山の対ソ外交を、国交正常化だけでなく平和条約締結と北方領土問題の解決まで視野に入れたバランス外交だったと位置づけた。春名によれば、鳩山の念頭には二つの課題があった。一つはシベリアに抑留され、極寒の地で多くが亡くなった旧日本兵の帰還。もう一つは国際連合への加盟である。日ソ交渉の中でソ連側は平和条約の締結を求め、北方領土問題も絡んだ。しかし鳩山はアメリカにうまく説明できず、アメリカからは「変わった男」と見られ、最初から相互理解がなかった。春名はこれを非常に残念だったと述べ、孫の鳩山由紀夫もオバマ政権とうまくいかなかったと付け加えた。
1956年の日ソ共同宣言には二島返還が盛り込まれたが、いまだに実現していない。ダレスがこれに反対した理由について、春名は次のように説明する。二島返還で平和条約を結べば日本がソ連に近づく。さらに、当時まだアメリカの施政権下にあった沖縄について「では沖縄はどうなのか」と言われかねない。ダレスは日本の外務大臣を怒鳴りつけ、結果として平和条約の締結には至らなかった。
春名は、アメリカが一番恐れているのは日本の国民意識だと強調する。沖縄では本土復帰運動が大きく高まった。北方領土が返ってきたのに、なぜ沖縄は復帰できないのかという声が強まることをアメリカは警戒した。アメリカは、日本の国民意識が反米に向かうことを非常に困ると考えている。この点を日本国民によく知っておいてほしい、と春名は述べた。
田中角栄とニクソン:最初は良好だった関係
鈴木は、冷戦期に日本がアメリカより先に中国へ近づこうとした例として田中角栄を挙げ、なぜアメリカに嫌われたのかを尋ねた。春名によれば、最初は関係が良かった。娘の田中眞紀子は1968年の大統領選の頃にアメリカに留学しており、学校の模擬選挙でバッジをつけてニクソンを支持した。1972年1月、田中は通産大臣として佐藤栄作首相の訪米に同行し、ニクソンに「娘はあなたのために運動したそうだ」と伝えた。ニクソンは大いに喜んだという。
上海コミュニケと日中共同声明の違い
しかし春名は、日中国交正常化とニクソン訪中は中身がまったく違い、この点を日本のエリートも国民もよく知っておくべきだと強調する。1972年2月の米中の上海コミュニケは、国交正常化をしていない。一方、田中は同年9月29日の日中共同声明で国交を正常化した。米中の国交正常化はその7年後、1979年のカーター政権まで待たなければならなかった。アメリカを飛び越して日本が先に中国と国交を結んだことに、ニクソンとキッシンジャーは激しく怒っていた。日本側はそれをあまり理解していなかったが、名古屋大学で教えていた頃の中国人学生はみなこの違いを知っていた、と春名は語る。
春名によれば、田中は当時の外務省中国課長の言う通りに動いた。この課長はアジア局長や外務次官を飛び越して田中に直接働きかけ、「正常化しなければ文書も出せず、中国側は相手にしない」と進言した。田中はそれを信じ、中国に相手にされないのはまずいと考えたのだろうという。春名は課長の名前は伏せたうえで、課長が中国に非常に近く、何か受け取っていたのではないかと言う人もいると述べた。ただし事実かどうかは分からないとし、そうした噂が立つほど判断に疑問がある、という扱いにとどめた。
この点について鈴木は、自身が外務省を担当した経験から補足した。かつては外務省の課長クラス、特にチャイナスクールの中国課長が首相執務室に直接入って説明や助言ができ、大きな裁量を持っていた。第2次安倍政権以降は、課長が首相に直接会うことは難しくなり、次官や審議官、大臣が出向く形に変わった、というのが鈴木の印象である。
石油危機とキッシンジャーとの衝突
春名は、田中がアメリカに嫌われた理由のもう一つとして石油ショックを挙げた。1973年10月の第4次中東戦争で、アラブ産油国はイスラエル寄りの国には石油を供給しないと表明した。日本は外交方針をイスラエル寄りからアラブ寄りへ大きく転換した。これは田中の大決断であり、その後アラブ世界に「西側の中でも日本は違う」というイメージが残ったと鈴木は補足した。
キッシンジャーはこれに怒って来日し、田中と口論になった。春名は米側文書もすべて確認したうえで、そのやりとりを次のように紹介する。田中は「それならアメリカが石油を供給してくれるのか」と迫った。キッシンジャーは最後まで供給するとは明言せず、何とかするという程度でかわした。鈴木は、中東依存が今も約8割で、イラン情勢をめぐって同じ議論をしていると指摘した。春名はこの衝突が田中とアメリカの関係を決定的にしたと見ている。
ロッキード事件の裏側:国務省の動揺と児玉誉士夫
田中は1974年、立花隆が文藝春秋で発表した「田中角栄研究」に端を発する金脈問題で退陣する。その後ロッキード事件で逮捕された。春名によれば、アメリカは田中が捕まっても構わないと判断していた。しかし米政府内では意見が割れ、国務省からは「そうなれば自民党が潰れるかもしれない」という声が出た。そして国務副長官が辞任した。当時はニュースにもならなかったという。辞任の理由について春名は、自民党政権が終わって社会党政権になったら責任を取れない、ということだと説明した。国務省にとっても大変な局面だったという見方である。
田中は生涯にわたって受領を否定したが、春名は5億円を「もらったと思う」「間違いない」と述べた。そのうえで、田中以上に悪いことをして中心的な部分で立件されなかった人物として児玉誉士夫を挙げる。児玉の方がより多く受け取っており、「巨悪」はどちらかと言えば児玉の方だという。
児玉が潰されなかった理由を問われると、春名は、児玉はCIAのエージェントであり情報源でもあったと述べ、「間違いありません」と断言した。CIAの東京支局長経験者を含む幹部から話を聞いてきたが、文書は渡してくれない。「児玉はCIAのエージェントでしょう」と尋ねても、イエスともノーとも言わずに黙り込んだという。岸信介についても、別の幹部が同じ反応だったと春名は語った。
日本で活動するCIA要員と三つの「カバー」
最後に鈴木は、同盟国である日本でCIAがどのくらい活動しているのかを尋ねた。春名は、すでに亡くなった関係者も多いので言ってもいいだろうと前置きし、日本にはアメリカ人のCIA要員が100人ほどいると述べた。KGB(現在のSVR)の関係者からは、自分たちの方がよほど多いと聞いたという。日本は「スパイ天国」だという話について、春名はCIAにとってもスパイ天国であることは間違いないと述べた。
CIA要員は「私はCIAです」という名刺は持たず、別の身分で入ってくる。春名によれば、カバーには三種類ある。国務省カバー(外交官の身分)、最も多いミリタリーカバー(軍の身分)、そしてNOC(ノンオフィシャル・カバー)と呼ばれる民間企業の社員などを装う形である。鈴木も、米系大手企業の日本法人で役員の肩書きを持つ人が実は軍の関係者で、空母に乗っていたとか陸上自衛隊の指導役をしていると聞いた経験を語った。
CIAが日本で活動を始めた時期について、春名は段階があると説明した。1948年頃はまだわずかだった。マッカーサーはCIAを嫌い、自分が日本を統治している間はCIAに活動させないとしていた。ところが1949年からCIAが大挙して入ってきた。中国から一斉に移ってきたという。春名は、国鉄三大事件が起きたのも同じ時期だと指摘し、CIAが最初に手がけたのは何だったのかに話を進めかけた。自身の情報源の紹介に入ろうとしたところで、字幕は途切れている。
アメリカってどうしても世界の警察官だっていうことでやってきたわけですけども、その裏では、表には言えないような工作活動をやってきてたということですよね。
アメリカは合法的なんです、秘密工作が。日本はスパイ天国だっていう話、間違いないと思いますよ。アメリカが一番怖いのは、日本国民はよく知っておいてほしいんですよ。
「私はCIAです」っていう名刺は持ってこないですから。違う名刺持ってますから。
先日も米中首脳会談ですね。すごく丁寧に習さんには扱ってたと。どのようにご覧になられましたか?
本当に驚いたのは、トランプさんが最初に言った言葉。中国とフライングタイガーという部隊の名をかけて戦ったと、アメリカは。
抗日戦争、日本と戦ったアメリカの義勇兵たちですね。高市さんも非常に苦労してるのは分かるんですけど、なんでこんなにアメリカに媚びへつらわなくちゃいけないのかと。
日本国民はよく知っておいてほしいんですよ。
アメリカが好きか嫌いかで、それに左右されて長期政権か短命で終わるかということなんですよね。田中角栄さんの息の根を止めるようなロッキード事件で逮捕される裏で、アメリカがどこまで田中さんの政治生命を絶とうとして。
捕まっても構わないという判断。しかし、アメリカはその時、揉めたんです。それで国務副長官は辞めました。その当時、ニュースにもなってない。
これ、なんで辞めたんですか?
それはもう責任取れないから。自民党政権が終わりになったら。
ReHacQスペシャル。よろしくお願いします。本日MCを務めさせていただきます、フリーライター、映像ディレクターの鈴木拓也です。よろしくお願いいたします。
そして本日のゲストですが、もう本当に著名な国際ジャーナリスト。私も本当に尊敬してやまない、大先輩でいらっしゃるわけですけども、春名幹男さんにお越しいただきました。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず、ReHacQ恒例なんですけども、ご自身で自己紹介の方、よろしくお願いいたします。
共同通信に長いこといまして、地方は除いて、東京では国際部門、外信部というところにいたんですけども、どういうわけかアメリカに行くことが非常に頻繁にあって、結局ニューヨークに5年いて、その後ワシントンに最初3年いて、さらに3年おいて4年いたので、12年もいたわけなんですよ。
それで最後、ワシントン支局長をやったんですが、やはり支局長っていうのは、局長業務っていうのは一番つまらないわけですよ。いろいろやらされたんですけど、小切手切るだけで終わってはつまらんと思いましてね。いろいろ取材に行ったんですけども、ワシントンで共同通信っていうのは一番でかいんですよ、支局が。
何人ぐらいいらっしゃるんですか?
当時、私入れて東京から11人行ってるんです。
11人ですか。記者だけで11人。
記者だけで11人なんです。それで、ある時、議会で紙が配られて。紙配るんですね、議会で。議員さんがみんなピックアップしていくんですけども、その中にCIAがこれからシンポジウムを何回か開くというのがあって、参加希望の方は連絡しろっていう。
情報機関ですよね。表になってディスクローズするような機関じゃないような気もするんですけど。
そうなんですよ。それで、なぜそんなことをやったかっていうのをまず言うと、1993年なんですけど、それは。91年に冷戦終わって、ソ連が潰れちゃったじゃないですか。そうすると、もうアメリカ議会で、特に上院なんか、もうCIAいらないんじゃないかという話が出て。
不要論ですね。
そうなんですよ。俺たちはこんな仕事してるんだということをやろうということで始まったわけなんですよ。私、それに要するに毎回行きました。
そこからCIAの取材を深く入り込んで、情報機関の内部に入って取材されてきたということで。
そうなんです。
なるほど。それがちょうど集大成といいますか、一つ、こういう本をお出しにまたなられましたけども、数々の名著をお出しになられてますけど、文藝春秋さんから『日米同盟のウラ側』。これ、またタイトルも意味深ですよね。都市伝説とか陰謀論を、本当にど真ん中でずっとジャーナリストとして来られた、正統なジャーナリストとして来られた春名さんが書かれた。陰謀論ではないですよね、これ。
陰謀論と見る人もいるかもしれないですね。
いや、もう明確に言うと、これも確たるものに基づいて。
これはもう真実ですんで。
ということですね。実際、その真実ですね。やっぱりアメリカ、どうしても世界の自由、民主主義、人権というものを一番大事にして、自由主義陣営の旗振り役、リーダー、トップ、世界の警察官だっていうことでやってきたわけですけども、その裏ではやっぱり国益っていうことを考えて、いろんな表には言えないような数々のことを、工作活動含めてやってきてたということですよね。
そうですね。それで、そのシンポジウムで、93年ですね。その時に一番最初に座るんですよ。それで、これほどの文書をどさっと出して、「この文書見てください」と書いてあるんですよ。それを見ると、要するに国家安全保障会議で決まったことなんですよ。何を決めたかというと、要するにソ連もいろんな秘密工作をやってると。
従ってアメリカは、これ10のスラッシュの2って、NSC10/2というのが付いてるんですが、これには様々な秘密工作をやってもいいと書いてあるんですよ。
アメリカはやってもいいと。
合法的なんです、秘密工作が。
アメリカにとっては非合法活動ではない。
そうなんですよ。日本の特務工作ありましたよね、戦前の。それとほぼ同じようなことが。
関東軍の特務と同じことをやってる。
そう、認めてるっていうことなんですよ。
なるほど。それのところも後ほど詳しくお聞きしたいと思うんですけど、そんな春名さんから見ても、計12年間ですか、長くアメリカでも取材されてこられたご経験の中で、今のアメリカをどうご覧になられてるのかなって、まずお聞きしたいんですけど。
先日も、まずはニューヨークの日米首脳会談があり、高市さん、国連総会出席のため。そこで、どうしても見てると、トランプさん、今までの歴代大統領から比べてもちょっと変わった方ではありますけども、非常に気を使って、平身低頭に高市さんも対応せざるを得ないのを見てると、やっぱり日本ってアメリカと、アメリカがジャイアンで、日本がスネ夫なのかのび太なのかはちょっと分からないですけども、少なくともしずかちゃんじゃないなという。そういう関係の中で、なんでこんなに媚びへつらわなくちゃいけないのかなっていうような雰囲気もあり。
そしてその後ですよ。まさかの米中首脳会談ですよね、ワシントンで行われた。これ、ご見解をお伺いしたいんですけども、第二次世界大戦で同盟国だったっていうようなことまで持ち出して。実際は共産党ですから、今の政権は北京政府なんで、事実とも異なることも分かった上で出してると思うんですけど。米中二大、時代を迎えた、G2だということで、すごく丁寧に習さんには扱ってたと。
これを見てると、非常に今後の日米関係、このままアメリカに付き従うっていうようなことで、日本の外交、安全保障、いいのかなって思ったりもするんですけど、この辺どのようにご覧になられましたか?
今回の件は、我々としてはもう本当に残念だったなと思いますね。やはり高市さんが日米首脳会談をやった後に、日米同盟の強化っていうことしか言ってないのかなということしか印象にないわけですよ。それじゃあ、トランプ大統領は日米同盟の強化を言ったのかと。一度も言ってないかもしれないなということだと思うんですよ。
やはり国際刑事裁判所ですね、赤根さんを制裁してるわけですよ、アメリカが。
そうですよね。クレジットカードが使えないっていう。
そうなんですよ。ちょっとひどいと思うんですよね、あれ。それでトランプさんにこれを正面から本当に言ったのかどうか、証拠はないわけです。言ってないかもしれないんですよ。
それからその後ですよね。今おっしゃったみたいにホワイトハウスで米中首脳会談をやったわけですよ。これはもう本当に驚いたのは、トランプさんが最初に言った言葉。なんて言ったかと、一番問題だと思ったのは、「この第二次世界大戦が我々を同盟国にした」って言ってるんですよ。つまり米中同盟をはっきり言ってるわけですよ。かつて、過去のことだけど。
この中国と、アメリカとしてはフライングタイガーという部隊の名をかけて戦ったと、アメリカは。
このフライングタイガーっていうのは義勇兵。抗日戦争、日本と戦ったアメリカの義勇兵たちですね。
そうなんですよ。これをあえて出して、今、日本では台湾じゃないかと。台湾でトランプさん何するのかと、みんな見てるわけなんですけども、こんなこと言って、中国が、習近平政権が台湾に攻め入った時に、アメリカは本当に守るのかと、来てくれるのかと。守るような態度にはどうも見えないわけですよ、これは。
これは本当に日米同盟なのか、米中同盟なのかということを問題にしなきゃならないかもしれないなということなんだと思うんですよ。
さすがにまだ詳細が表に出てないんで分からないですけども、台湾有事の時に実際、習近平さんとしては今回も、要するに、まずそもそも台湾独立は反対と言ってくれと。でも中国側のステートメントを見ると、反対を堅持する、反対の立場を堅持するっていうふうに書いてあって、別に一回もアメリカ政府は反対って言ったはずがないんですよね。中国政府の、今の北京政府の立場は尊重するっていう言い方だと思うんですけど。そういうところにも中国の言い回しがすごくうまいなとは思うんですけども。
実際、さすがに独立反対とか、もし有事があった場合に台湾を防衛しますよっていうようなこと、もちろん、しませんよっていうことまではっきりは言わない。戦略的曖昧性は保ってるとは今回思うんですけど、そうは言っても、やはり習近平さんに「我々はパートナー、同盟国だった」と言ってるっていうのは、非常に危ない。
そうなんですよ。それで、やはり我々というか、日本というか、あるいはジャーナリストが問うべきなのは、「朝鮮戦争の時に、トランプさん、アメリカは中国と戦ったんじゃないんですか」と。
中国と戦いましたので、そこのところを全く日本のメディアも書いてないわけですよね。その辺の問題を正直に戦わせるというのが、我々の立場じゃないかなというふうに思いますね。
ホワイトハウスが出した、その後の、何日かたって後から、なぜかちょっと遅れてファクトシートが出てきたじゃないですか。8項目ですかね、あそこの安全保障のところで、またネットでもちょっと騒がれてるんですけども、今おっしゃったような、かつて同盟国だったっていうような、ちょっと間違った認識の、わざとそれをステートメントで出したファクトシートの中に書いた後に、「United States forward military presence」という言い方をしてますけども。
戦後は自由で開かれたインド太平洋に、前線の我が軍が貢献してきたと、コントリビュートって言ってるわけですけども、この前線の我が軍っていうのは、在日米軍っていう解釈でいいんですか?
それは入ると思いますね。しかし、それじゃあこれで十分なのかと。アメリカ軍のかなりの部分が日本から出ていって、ペルシャに行ってるじゃないですか。
行ってますね。
手薄になってるんですよ、アジアは。この点を高市さんは問い詰めたのかどうかっていうのが、日本の安全保障にとっては一番重要なんですよ。そこを記者会見でも、日本のメディアの人は誰も聞かなかったし。
これ、ちょっと後輩が情けない。
そうなんですよ。これはやはり、手薄になってるということを認識しないといけないと思うんです。
共同通信さんも含めて、後輩の、私がいたところも含めて、そこはちゃんとしっかり追及してほしいと。
そうなんですよ。
なるほど。確かに高市さんも非常に苦労してるのは分かるんですけど、なんでこんなにアメリカに媚びへつらわなくちゃいけないのかというところで、今回の『日米同盟のウラ側』の方でもいろいろ書かれてるんですけども、その辺の歴史的なところも踏まえてお伺いしていきたいんですけども。
まず今の日米関係って、なぜこうなってしまったのかっていうところで、当然、太平洋戦争で敗戦して、いわゆる無条件降伏ですもんね。もう何も言えませんと。こちらから、もうアメリカ、好きにしてくださいっていうことになってしまいましたということで。戦後、今の平和憲法と言われてる日本国憲法も、やっぱり事実上は当時のGHQですか、民政局の草案でできたものだと。しかも短期間にささっと作ったものだと。なので、戦後の日本っていうのは基本的にはアメリカが作ったって思って、まずいいんですよね、これは。
そうですね。
そんな中で、1951年ですか、サンフランシスコ講和条約で世界に復帰していく時、当時の政権が吉田茂政権。この吉田ドクトリンと言われたのが、軽武装、経済重視ってことですね。基本的には、ここの吉田ドクトリンっていうのが今にそのまま引き継がれてるって見ていいのかっていう。その辺の戦後の歴史も踏まえて、今の日米がなんでこうなってるのかっていうのを、ちょっと。
吉田さんにダレスさん、後に国務長官になるわけですが、ダレスさんが軍備増強を要求したんですよ、戦争直後。それで。
9条、勝手に作ったにもかかわらずじゃないか。
そう言ったわけですよね。
矛盾してますよね。
それで、外務省でずっと伝わってるのは、その時、吉田はノーと言ったと。
ノーと言ったと。これは朝鮮戦争が始まった直前ですね。要するに反共の防衛、防波堤に日本をしたいと。9条を作って戦力不保持って勝手に作ったのに、これで反共の防波堤に日本をするんだって、急に変わっちゃったわけですね。
そうなんですよ。それで、栗山さんっていう駐米大使、私がワシントンにいた時に大使だったんですけども。この件はよく言われるんですよね。ただ私は、この本の中にも書いてるんですよ。調べて、「吉田、本当にノーと言ったのか」と。これ書いてるんですよ。
調べたのは、要するにダレスと吉田の会談の記録を取ってる人が国務省にいるわけですね。その後、ダレスは「吉田、なんて言った?」って言うんですよ。「アリス・イン・ワンダーランドじゃないか」と。「私、おかしくなった。吉田にごまかされたんじゃないか」と、そう言ってるんですよ。だから言ってないんですよ、吉田さん。
言ってないんですよ。でも日本国内で言ったって言ってるじゃないですか。
言ってるんですよ。日本語の本の中にはノーと言ったって書いてるんですよ、吉田さん。
これ、二枚舌というか。
そうなんですよ。吉田さんはアメリカに対してノーなんて言ってないですよ、どんな場でも。しかしノーと言った方もいるんですよ。ノーと言った方は、鳩山さんもそうですしね。
鳩山一郎さん。
一郎さんですよね。要するに結局、短期政権に終わってるわけですね。吉田さんはその扱いが上手なんですよ。全く上手なんですよ。
そうすると吉田さんっていうのは、そういう二枚を使い分けしてますけど、アメリカに特に強く言えなかった。特に今以上に、当時っていうのは日本が戦後復帰する時ですから、非常に重要な局面で、まだ事実上、アメリカに支配されてるような時ですから。親分にたてつけないという中ですから、そういうアメリカに対してうまくごまかしながらやった吉田さんっていうのは、どう評価されてるんですか?
やはり、そこら辺は上手だった。
上手だった。じゃあ、日本にとって良かった。
その時代としてはね。うまく振る舞ったと私は思いますけども。その後、やはり戦争の時とか、あれだけ戦争責任がありながら無罪放免された岸さんとか、こういう人たちと、鳩山さんのような人たち、あるいは田中なんかと比べてみる必要があるんじゃないかなというのが、私の実は問題意識なんですよ。
この戦後、対米外交の中で、時の政権によって微妙に違うわけですよね。それによってアメリカが好きか嫌いかで、それに左右されて長期政権か短命で終わるかということなんですよね。吉田政権は、アメリカとしては利用しがいがあった政権であると。ただ、それも吉田さんも分かった上で、再軍備っていうのを、これお金かかるから、それよりやっぱり経済復興だというところで、アメリカをうまく丸め込んで。
ごまかして、うまくやってのけたと。
でも、それは良かったですね。
事実上、軍備はそれほど増強してませんのでね、吉田さんは。
いいことですね。そうすると、その後に鳩山一郎さんとか、要するに自主外交、どちらかというと石橋湛山さんもそうですかね。石橋湛山さんなんて、ものすごく短命でしたよね。
2か月でした。
2か月でしたっけ?
病気ですんでね。
病気。そっか、病気ですね。そこは別に病気になっちゃったっていうのは、アメリカにすごいストレスかけられたからっていうわけではない。
わけではないんですけどもね。ある有力な国務省の人が、「ラッキーだったら短命で終わるな」って言ってるんですよ。
知ってたのか。怖い、それ。
これが分からないですけどね。
病状把握してたんですかね?
病状、早く把握してたかもしれないですよね。しかし、そういうことは言ってるんですよ。この文書、私ものすごく見てますから。
そういう文書も出てきてるんですね。逆に日本は、アメリカの大統領とかの健康状態とか、日本政府ってどこまで調べてるんですか?
これは非常に重要なことで、調べるべきだと思いますね。
今やってない?
あんまりおやりになってないかもしれないですね。
インテリジェンスですもんね。
そうなんです。鳩山さんは、アメリカと仲良くしたかったんですよ。
したかった。
したかったんですよ。それで、事前のあれでちょっと問題意識を持たれてるんですが、「フリーメイソンだったんじゃないんですか?」って書かれてましたね。
そうそう、フリーメイソンだったんじゃないか。
フリーメイソンなんですよ。間違いなく。
春名さんはフリーメイソンじゃない?
じゃないですよ。フリーメイソン、それなりに研究しました。
フリーメイソンって、それこそ陰謀論中の陰謀論っていうか。フリーメイソンのメンバーって、あの人もそうですよね。有名ですもん。実は支配してるんじゃないかっていう、本当に陰謀論に入っちゃう。
フリーメイソンに行かれたら分かるんですが、あんまりそういう感じはしないです。
そうですか。
鳩山さん、入られたんですよ。自分の日記にも書かれてるんですよ。
でも、すごいですよ。それってアメリカに認められたってことですよね。
いやいや、フリーメイソンは、要するに個人としてのお付き合いの場なので。それで、あそこ入れば吉田さんのようにアメリカと付き合えるかというふうに期待した可能性あるんですよ。
なるほど、鳩山さんは。
しかし、それは無理難題になったと思いますね。
フリーメイソンってどうやったら入れるんですか?僕、入りたいんですけど。
入れますよ。入れます。要するに神を信じていれば入れるんですよ。
そういうことですね。神、キリスト教っていう。
キリスト教じゃなくてもいいんですよ。
そうなんですね。
私もその時、フリーメイソンの人に聞いたんですよ。「仏教でもいいんですか?」と言って、「仏教は神道ではないですよ」と言ったんですけど、いいんだって言うんですよ。「仏教を信じてればいいんだよ」。そう言ってました。
のみたいなところでもいいということ。じゃあ全然、キリスト教の中でプロテスタント、カトリックとか、そういう分け方、そこだけでもないですもんね。もっと広いところで。
そうですね。
一応、イスラム教でもいいんですか?
いいと思います。
本当ですか?
そうだと思います。
じゃあ逆に、フリーメイソンの世界の方が世界に近いかもしれないですよね。
そうですよね。だけど、いろんな人もいますんでね。フリーメイソンには日本人でもいろんな人も入ってますから。
例えば、公開できる範囲で、今。
西周なんか入ってましたしね。
そうですね。
今の政界の現役の政治家は、今はあんまり入ってないんじゃないんですかね。東京の近くにあるんですよ。
東京支部、日本支部。
あるんですけどね。そこでいろいろ問い詰めて、「今、議員さんなんかで入ってないか」と聞いたんですけど、どうも入ってないです。
やっぱり、入ってないですね。私もあんまりちゃんと聞いたことないですよね。でもすごく気になるなと思って。なるほど。ごめんなさい、話がすごい脱線しちゃったんですけど、鳩山一郎さんですよね。
日ソの平和条約まで、実は国交正常化だけではなくて、要するに平和条約を結んで、北方領土問題を解決して、当時ソ連ですか、ソ連との経済交流活性化、経済協力で、中国ですよね。要するに中ソと、アメリカだけ一辺倒っていうのはいつの時代もあると思うんですけど、そういうバランス外交をしようとしたのが鳩山さん。
そうですね。やはり鳩山さんの心の中に非常にあったのは、要するに日本人が抑留されてると。ということと、もう一つは国連、国際連合になかなか入れないと。この2点があったと思いますね。
やはり旧日本兵が極寒の地で、かなりの人が死んだわけですね。シベリアで。シベリア抑留の問題があって、日本に帰してくれということもソ連に非常に強く要求してるわけですね。その中で、やはり平和条約を結んでほしいということが、ソ連側から要求としてあるわけですね。北方領土の問題も当然あるんですが。
それで、日本側と日ソ交渉が散々行われたわけですが、やはり鳩山さんは、その点でアメリカに説明するというか、アメリカもこれは変わった男だというふうにやられて、最初からもう理解し合ってないですよね。これは非常に残念だったと思います。鳩山さんは、もう2代下の孫もオバマ政権とうまくいかなかったわけです。
これ、その当時、1956年、日ソ共同宣言で2島返還っていうことが書かれるわけですけども、これが結局いまだに成立してない、できてない、帰ってこないっていうのは、やはり当時、ダレスの恫喝とか、さっきおっしゃった国務長官がいますけど、当時国務長官でしたかね。ダレスが日ソ共同宣言、これなぜ反対しちゃうんですか?
やっぱり2島返還になると、日ソ関係が非常に、もうそれで平和条約を結ぶって言ってるわけですよ。要するに、従ってソ連に近づくということを非常に怒ったし、それで、そういうことになれば沖縄はどうなんだというふうに言われそうになるというので。
当時はまだ日本に帰ってきてないですもんね。アメリカに施政権があった。
そうなんですよ。それで当時の外務大臣に対して怒鳴ったわけですよ。「これは知らないぞ」みたいなことになったわけですよね。仕方なしに、一応合意したみたいな形にはなったんですけども、平和条約を結ぶということにはならなかったわけですね。
この辺の、日本外交のその時その時の大きな局面で、やはり日本っていうのはずっとアメリカの顔色を見て、ああやってガツンと怒られるとか言われると、やっぱりもう一回ちょっと引いちゃう。
そうなんです。だから、そこのところ、私はアメリカが一番怖いのは何かというと、さっき言ったように沖縄返還。沖縄返還は、やはり返還運動が、復帰運動ですね、沖縄県民の復帰運動がものすごく高まったわけですね。これがあったんですよ。アメリカというのは、国民のそういう意識が反米に向かうと、非常に困るわけですよ。
北方領土は帰ってきたけど、沖縄はなんで私たち本土復帰できないんだっていうのは。
そういうことになると非常にまずいというふうに彼らは考えたわけですよ。やはり国民の意識が、そういう政府を支持する国民の意識というものが強いということが、条件としてあるということですね。
そういう意味で言うと、同じ冷戦期、ソ連、中国、特に中国に近づいていこうとするとアメリカにガツンとやられるというところで言うと、さっきもちょっとおっしゃいましたけど、やっぱり田中角栄さんですよね。今太閤と言われて、非常に人気があったと。
私、この頃にほとんど記憶ないですけども、「目白の自民党」みたいな、ちょっとだみ声でね。小学校の時、よく物まねしてた記憶があるんですけど、非常に人気があったと。娘さん、有名な田中眞紀子さんですけども、田中角栄さんっていうのは、なぜアメリカに嫌われたんですかね?
最初はうまくいってたんですよ。眞紀子さんは、ちょうどニクソンの選挙の時にアメリカ留学してたんですよ。
そうなんですか。1970年代ですか?
68年でしたかね。結局、学校に行ってて、模擬選挙運動みたいなことを学校でやったらしいんですよ。その時にニクソンを支持してるんですよ。
ニクソンですか?
ニクソンを支持する。模擬選挙でね、バッジ付けて。
それはニクソン、喜ぶんじゃないですか?その親父だと。
そうなんです。72年の1月の訪米の時に、これ佐藤さんの訪米に付いていったわけですよ、通産大臣だった。田中さんが大臣として行って、その話をね。「娘はあなたのために運動したみたいよ」みたいなことを言ったんですよ。えらい喜んだんですよ、ニクソン。それだけなんですよ。それはあったんですよ。非常にその時はまだ良かったんですよね。
だけど結局、日中の国交の問題と、米中のニクソンの訪中とは全然違うんですよ、中身が。中身が全然違うんですよ。ここのところを、日本のエリートの方々も含めて、日本国民はよく知っておいてほしいんですよ。あの時にキッシンジャーも全部手当てしたわけですけども。
まずこれ、理解の助けになればということで、ほとんどご存じだと思うんですけど、ちょうどニクソンが、これニクソンショックと言われる、いきなり当時、中国とアメリカも仲悪かったわけですよね。国交は結んでなかったんですかね。その中で、いきなりニクソンが中国に行ったんですよね。それがちょうど1970年代初め。
72年ですね。
2月ですよね。その後ですか、田中さんも中国に行って、日中共同声明で国交回復と。これ、なんでアメリカは自分たちは良くて、日本は駄目なんですか?
要するにアメリカは、その時に上海コミュニケっていうのをまとめてるんですよ。日本は9月29日に日中共同声明をまとめてるんですよ。これが全く違うということなんですよ。ここのところは中国人、よく知ってますよ。私は名古屋大学で教鞭を取ってたんですが、中国人の学生はもうみんな知ってるんです。
これ、ちょっと詳しく。
どういうことかというと、要するに上海コミュニケでは米中は国交正常化してないんですよ。ところが田中さんは日中国交正常化したんですよ。これがこれになったわけですよ。
要するに、自分たちを超えて先に中国と手を握りやがったと。
そうなんですよ。米中の国交正常化はその7年後、79年にカーターがやってるわけですよ。
なるほど。平和外交のカーターが。
それを、ともかくニクソンとキッシンジャーはものすごく怒っていたわけなんですよ。ここのところ、日本はそれほど理解してなかったんですよ。
でも、そうすると当時、田中角栄さんってすごいですね。だって中国、今ほどプレゼンスないですけど、とはいえ大国じゃないですか。中国と国交回復する、平和条約を結んでいくって、一つの戦後の残された課題であったと思うんですよね。アメリカにとってみても。それを先を越えてやっちゃったっていう。
田中さんは当時の日本の外務省の中国課長の言うとおりにしたんですよ。
言うとおりにしたんですか。外務省が「総理、ちょっと待ってください。これアメリカ怒りますから、ちょっと待ってください」「いや、いいんだ」ってやったわけじゃない。
そうなんですよ。この課長がすごいんですよ。
これ、なんていう方ですか?
ここでいいじゃないですか。ちょっと非難することになっちゃうかもしれないので。要するに、当時のアジア局長とか外務次官とか、飛び越して田中さんに直接やってるわけですよ。
これ言うと話が脱線しちゃうんですけど、私も結構、外務省担当、霞クラブっていうところを何年かさせていただいて、いろいろ聞いてると。初めやってる頃とその後、最後の頃を比べてみて、やっぱり第二次安倍政権になってガラッと変わったかなって印象が強くて。先輩とかに聞いてても、あの頃までっていうのは普通に外務省の課長って、他の課長よりもプレゼンスっていうか、任されてる裁量が多くて、課長クラスが直接総理官邸に行って、総理執務室に入ってレクチャーできるし、助言ができる、そういう関係だった。
だから当時の外務省の課長って、ものすごく日本外交を動かせる力を持ってたんですよね。その後、だんだんそれが、特に第二次安倍政権以降になってくると、もうなかなか課長レベルで総理に直接会う、差しで会うっていうのは難しくなってきて、やっぱり外務次官だったり、審議官だったりあたりが行くとか、外務大臣がそのまま行くとかっていうふうになってきたわけですけども。当時は課長、特に中国課長、外務省のチャイナスクールの中国課長って、すごく力を持ってたんですよね。
ともかく田中さんがうんと言ったのは、「正常化しないと文書も出せないし、やれませんよ」と田中さんに言った。田中さんがそれを信じたわけです。「中国側は相手にしませんよ」と。これが大きかったわけですよ。中国に相手にされないとまずいなというのはあったと思います。
その時の課長は、中国と非常に近かったと思います。だから私、あえて名前言わないんですけれども。
近いっていうのは、もしかしたらちょっともらってた。
という人もいますね。
なるほど。
要するに結局、そこのところがまず第一。
なるほど。事実かどうか分からないですけどね。ただ、そういう噂が立つぐらい、その判断がちょっと疑問だなっていうことですね。
そういうことですね。それが一つと、要するに石油ショックです。
石油ショック。
翌年、73年の10月に第四次中東戦争。この時に、イスラエル寄りの国には石油を供給しないって言ったわけですよね。
こちらの著書にも書かれてますけど。
ここに書いてますね。それで要するに日本は、イスラエル寄りから外交をアラブ寄りに大転換したんです。
これはもう田中さんの大決断。でも、それがその後、中東って、アメリカに追従する西側の中でも日本だけは違うっていうイメージが、アラブ世界にはありますよね。
そうですね。結局、それを本当にキッシンジャーは怒ったわけなんです。そこでキッシンジャーは日本に来まして、田中さんと言い合いになっちゃったんですよ。これは私も全部、日本じゃなくてアメリカの文書も全部書いてますんでね。
どういうことを言ったんですか?
ともかく田中さんは、「それじゃあアメリカは石油を供給してくれるんですか?」って言うんですよ。
要するに、アラブから、日本って資源がないですから。今でも結局8割を中東に依存してるっていう中で、今回、イラン戦争が始まって困った困ったって話ですけども、今と同じ話をしてますよね。じゃあアメリカから入れるかみたいな。
そうなんです。しかしキッシンジャーは、はっきりと供給するとは言わなかった。
言わなかった。ずるいですね。なんとかするみたいな。
なんとかするって、逃げたわけですよね。これ、もう最後までね。それで、これはやはり決定的になったと思いますね。74年に結局、田中さんは金脈問題で辞めるわけです。
そういうことだから、これは文藝春秋さんから出されてますけど、文藝春秋さんの連載でしたよね。当初の田中金脈って。
そうですね、立花さん。田中金脈ね。
そうですよね。文春が、もう田中角栄さんの息の根を止めるような。あれが発端ですけども、その後、それでロッキード事件になってくるじゃないですか。逮捕される。そもそも田中金脈って、そのキャンペーンを張られたわけですけども。検察動くじゃないですか。それで、上の方の人とか出てきて、これって裏でどうなんですかね?
要するに田中角栄は捕まっても構わないという判断だったと思いますね。しかし、やはりアメリカはその時、揉めたんです。国務省の中には、「そうなったら自民党が潰れるかもしれませんよ」と。
なるほど。当時、自民党の中で、田中派と言われる田中さん、ものすごい絶大な力をね。もう派閥政治が一番盛り上がった時ですかね。
それで国務副長官は辞めました。突然辞めたというのは、その当時、ニュースにもなってない。
なってないんですか?
なってない。
アメリカの国務副長官が辞めた。これ、なんで辞めたんですか?
辞めた。
いや、それはもう責任取れないから。これ、日本が自民党政権が終わりになったら、社会党政権になったら知りませんよっていうことですよね。
じゃあ、辞表と共に、だからその、自戒っていうか、それぐらいの覚悟を示したってことですね。
そうですね。いや、もう国務省としてもね、非常に大変だったと思います。
これだから、そのロッキードが、結局あれじゃないですか、証言していくわけじゃないですか。要するに、贈収賄したとかっていうような、その辺のところってのは実際は、田中角栄さん、最後まで、お亡くなりになるまで否定されてきたじゃないですか。
はいはいはい。
実際どうなんですかね。その、これは色々証言ありますけども、日本でもね、証人もあって。
いや、もらったと思いますよ。もらったのは間違いないですね。
そこをどう解釈するかっていうところですかね。認定するか。これは賄賂に当たるのか、当たらないのか。
そうですよ。田中さん、だから5億。5億もらったわけですよね。当時のあれとしては、もう非常に巨額だったわけです。
当時ってね、ラーメン何十……。
しかし、田中さん以上に悪いことをして、その中心的な問題で立件されなかった児玉誉士夫というのがいるわけです。彼の方がもっともらってますから。
なるほど。大物右翼と言われたとか、いわゆる戦後、児玉機関っていうの。そう、そう。
だから、要するに巨悪を。巨悪はどっちなのかと言うと、児玉の方でしょうと。
児玉誉士夫さんを潰さなかったっていうのは、アメリカにとってまだ利用価値があるって判断だった。
児玉さんは、私も別の本ですけども、CIAのエージェントですんで、CIAのために情報源にもなってますしね。これはもう間違いありません。
それでね、CIAの人ってね、私はかなり幹部からこれ聞いてるんですが、CIAの東京支局長もやった人から聞いてるんですが、その人もですね、この文書なんかくれないわけですよ。で、「児玉さんはCIAのエージェントでしょ」と言ったら、うんとも何とも言わないんですよ。黙るんですよ。
それで、岸さんも同じだったと思います。別の人ですが、幹部。
これ同盟国ですけども、70年代も含めて、今に至るまでですけど、CIAって日本国内でどのくらい活動してて、どのくらい協力者っていうのがいるものなんですか?
要するに、私も、もう亡くなった人も結構いますのでね、もう言ってもいいと思いますけど、100人はいるんですよね、アメリカ人が。で、KGB、ソ連国家保安委員会ですね、当時。今のSVRって言うんですが、彼ら、「俺たちよりもよっぽど多いよ」と言ってますよ。
そうですか。日本国内で活動してる人が。
そう、そう。だから、その日本はスパイ天国だっていう話、高野さん言ったじゃないですか。あれ、はっきり言って、CIAにとってはスパイ天国だというのは間違いないと思いますよ。
CIAって国内で活動を始めたのは、日本が敗戦してGHQが乗り込んできて、そこからですか?
いや、要するに段階があるんですが、1948年ぐらいの段階では少なかったですね。少なかった。わずかです。要するにね、CIAの人は、「私はCIAです」っていう名刺は持ってこないですから。違う名刺持ってますから。
なるほど。カバーで入ってですね。その、なんか企業の幹部とか、そういう名刺持ってる。
そう。いや、3種類あるんです。
3種類? どういう名刺ですか?
国務省カバー。これは外交官カバーということですよね。それからミリタリーカバー。
ミリタリーカバー、軍ですね。
ミリタリーカバーが一番多い。3番目はノックって言うんですよ。NOC、ノンオフィシャルカバー。
ノンオフィシャルカバー。
この人は、さっき言われた、民間会社のと言われたじゃないですか。そういう形で化けてる。
いや、これって私も不思議なんですけど。だから本当に今も、今もっていうかあれですけど、アメリカって、CIAとは別だと思うんですけど、なんかアメリカって本当不思議なんですけど、軍の関係者がアメリカの大手外資系企業、日本法人のCEOとか役員とかの肩書きで名刺持ったりしますよね。
よくよく名刺交換して、色々聞いてると、実はあの人は何々なんだみたいな、軍の何々なんだみたいな。実はあれ、あの、第何艦隊で空母乗ってんだとか、そういう話聞いたことあるんですよ。やっぱりなんかすごい。あとは、陸上自衛隊の指導役をしてるとか、なんか話。「え、そうなんだ」って。
なんでそういう人が、名前言えないですけど、誰もが知ってるような大きなアメリカの、いわゆる外資系会社の日本法人の役員の肩書きを持ってる。これアメリカ、何ですかね。ここで許される……。
要するにね、マッカーサーっていうのはですね、CIA嫌いなんですよ。自分がこの日本を統治してる時にですね、CIAの社員にやらせないと。1949年からCIAはどっと入ってるんです。国鉄三大事件も同じ時なんですよ。中国からわっと入ってきて、CIAの連中が。
これ最初にやった、もしかしたら後かもしれないと。もう私のソースからまず紹介させていただきますとですね。
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