CIA文書から読む日米関係の裏面史:春名幹男が語る「アメリカに嫌われた首相」たち

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概要

元共同通信ワシントン支局長の国際ジャーナリスト、春名幹男が、元朝日新聞記者の鈴木拓也の聞き手で日米関係を語った。話題は二つある。直近の日米・米中首脳会談をどう見るか。そして戦後の日本の首相たちがアメリカとどう向き合い、その結果どうなったか。春名は機密解除された米側文書と自身の取材をもとに、吉田茂、鳩山一郎、田中角栄らへのアメリカの対応を説明し、日本国内で語られてきた通説と米側記録の食い違いを指摘した。

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2:33

ワシントン12年とCIA取材の始まり

春名は共同通信で長く外信部に所属し、ニューヨークに5年、ワシントンに最初3年、間を3年おいてさらに4年、合わせて12年をアメリカで過ごした。最後はワシントン支局長を務めた。当時の共同のワシントン支局は東京からの記者だけで11人おり、春名によれば現地の日本メディアで最大の規模だった。支局長業務は「1番つまらない」ので、それだけで終わりたくないと考えて取材に出ていたという。

CIA取材のきっかけは、議会で議員向けに配られたビラだった。CIAがシンポジウムを数回開くので参加希望者は連絡するように、という案内である。時期は1993年。1991年にソ連が崩壊して冷戦が終わり、上院議員などから「CIAはもういらないのではないか」という不要論が出ていた。そこでCIAは自分たちの仕事を外に示すためにシンポジウムを始めた、と春名は説明する。春名はこのシンポジウムに毎回足を運んだ。

最初の回では大量の文書が配られた。その中に、国家安全保障会議(NSC)の決定「NSC10/2」があった。ソ連が様々な秘密工作をしている以上、アメリカも様々な秘密工作をしてよい、とする内容である。春名はここから、アメリカでは秘密工作が非合法活動ではなく、合法的に認められた活動だと強調する。戦前の日本の関東軍などによる特務工作とほぼ同じことを、国家として認めているという見方である。

鈴木は、春名が文藝春秋から出した新著のタイトルが陰謀論めいて見えると冗談めかして触れた。春名は、陰謀論と見る人もいるかもしれないと笑いつつ、内容は文書に基づく事実だと述べた。

7:37

日米首脳会談と米中首脳会談への評価

鈴木はまず直近の外交を取り上げた。高市首相が国連総会出席に合わせてニューヨークでトランプ大統領と首脳会談を行った。その姿は「アメリカがジャイアンで日本はそうではない側」のようで、なぜここまで媚びなければならないのかという印象を受けた、と鈴木は語る。その後ワシントンで行われた米中首脳会談では、トランプ大統領が習近平国家主席を非常に丁寧に扱い、第二次世界大戦で同盟国だったことまで持ち出した。

春名は今回の日米会談を「残念だった」と評価した。会談後の高市首相の発信からは「日米同盟の強化」以外の印象が残らない。トランプ大統領の側が同盟強化を口にしたかどうかもはっきりしない、というのが春名の見方である。また春名は、アメリカが国際刑事裁判所(ICC)の関係者に制裁を科し、クレジットカードが使えなくなるといった事態が起きている点を挙げ、「ちょっとひどい」と述べた。高市首相がこの件をトランプ大統領に正面から伝えたという証拠はなく、言っていない可能性もあるという。

春名がより驚いたのは米中会談でのトランプ大統領の最初の発言だった。第二次世界大戦で米中は同盟国だったと述べ、さらにフライングタイガース、つまり日中戦争期に中国側で日本と戦ったアメリカの義勇兵部隊にまで言及した。春名はこれを、過去の話とはいえ「米中同盟」をはっきり口にしたものと受け止めている。日本では、習近平政権が台湾に侵攻した場合にアメリカが本当に守ってくれるのかが注目されているが、この発言からは守る態度が見えない。だからこそ、これが日米同盟なのか米中同盟なのかを問題にしなければならないかもしれない、と春名は述べた。

鈴木は台湾独立をめぐる文言にも触れた。中国側の発表では、アメリカが台湾独立への反対を表明したかのように書かれている。しかしアメリカ政府はこれまで一度も「反対」とは言っておらず、中国の立場を尊重するという言い方にとどめてきたはずだという。中国の言い回しは巧みだと鈴木は見る。そのうえで、アメリカは今回も戦略的曖昧性を保ってはいるが、習近平主席に向かって「我々はかつて同盟国だった」と言うこと自体が危うい、と指摘した。春名はこれに同意した。日本のメディアやジャーナリストは「朝鮮戦争でアメリカは中国と戦ったのではないか」とトランプ大統領に問うべきだったが、日本のメディアはその点を書いていない、と批判した。

13:35

ファクトシートの「前方展開」と手薄になったアジア

ホワイトハウスは会談の数日後、遅れて8項目のファクトシートを出した。鈴木によると、そこにはかつての同盟関係に触れたうえで、アメリカの前方展開軍が戦後の「自由で開かれたインド太平洋」に貢献してきたという趣旨の記述がある。鈴木はこの前方展開軍に在日米軍が含まれるのかと尋ね、春名は含まれると答えた。

ただし春名は、それで十分なのかと問う。在日米軍のかなりの部分がペルシャ湾方面へ移っており、アジアは手薄になっている。高市首相がこの点を問い詰めたのかどうかが日本の安全保障にとって最も重要なのに、記者会見で日本のメディアは誰も質問しなかった。春名は、古巣の共同通信を含む後輩記者たちにこの点を追及してほしいと述べた。

15:05

吉田茂は本当に「ノー」と言ったのか

話は戦後史に移る。鈴木は、日本は敗戦と無条件降伏を経て、GHQ民政局の草案をもとに短期間で作られた憲法を持つことになり、戦後日本はアメリカが形づくったと言ってよいと整理した。そのうえで、1951年のサンフランシスコ講和で国際社会に復帰した吉田茂政権の「軽武装・経済重視」、いわゆる吉田ドクトリンが今も引き継がれているのかと問うた。

春名によれば、のちに国務長官となるダレスは朝鮮戦争の前後に、吉田に軍備増強を求めた。憲法9条を作らせておきながら、反共の防波堤として日本を再軍備させようとしたのだから矛盾している、と鈴木は指摘する。外務省では「その時吉田はノーと言った」と語り継がれてきた。春名がワシントン特派員だった頃の駐米大使もこの話をよく口にしていたという。

しかし春名は、吉田が本当にノーと言ったのかを調べた。国務省にはダレスと吉田の会談記録を保管している担当者がいる。春名によると、記録の中でダレスは会談後に吉田の発言を振り返り、「不思議の国のアリスのようだ」「吉田にごまかされたのではないか」という趣旨の感想を残している。つまり吉田はアメリカに面と向かってノーとは言っていない。それなのに日本語の本にはノーと言ったと書かれている。吉田は使い分けをしていたことになる。

春名は吉田を、その時代としてはアメリカの扱いが非常に上手で、うまく振る舞った人物だと評価する。実際、吉田政権は軍備をそれほど増強していない。一方、アメリカにはっきりノーと言った政治家もおり、鳩山一郎がその例で、結局は短命政権に終わった。春名の問題意識は、戦犯容疑者でありながら釈放された岸信介、鳩山、田中角栄といった首相たちを比べることにある。アメリカに好かれるか嫌われるかによって、長期政権になるか短命に終わるかが左右された、というのが春名の見立てである。

20:48

石橋湛山の短命政権と米側文書の一文

鈴木が、石橋湛山内閣は約2カ月で終わったと触れると、春名は、辞任の理由は病気でありアメリカの圧力のせいではないとした。ただ、ある有力なアメリカ人が「運が良ければ短命で終わるだろう」という趣旨のことを述べている文書がある、と紹介した。病状を早くから把握していたのかもしれないが、そこは分からないという。

鈴木が、逆に日本政府はアメリカ大統領の健康状態などをどこまで調べているのかと尋ねると、春名はこれは非常に重要なことで調べるべきだが、あまりやっていないかもしれないと答えた。

22:10

鳩山一郎とフリーメイソン

春名によれば、鳩山一郎はアメリカと仲良くしたいと考えていた。その手がかりとして、鳩山がフリーメイソンだったことを挙げる。鳩山はフリーメイソンだったと断言し、日記にも書いていると述べた。春名自身はフリーメイソンではないが、それなりに研究したという。

春名の説明では、フリーメイソンは陰謀論で語られるような支配組織ではなく、個人としての付き合いの場である。鳩山はそこに入れば吉田のようにアメリカと付き合えるのではないかと期待した可能性がある。しかし、それは無理な話だったと春名は見ている。

鈴木が入会の条件を尋ねると、春名は「神を信じていれば入れる」と答えた。キリスト教でなくてもよく、春名がメンバーに確認したところ、仏教でもよいと言われたという。イスラム教でもよいと思う、とも述べた。春名は東京近くにある日本の拠点で現職の国会議員が入っていないかを問いただしたが、どうも入っていないようだったという。

25:13

日ソ共同宣言とダレスの「恫喝」

本題に戻り、鈴木は鳩山の対ソ外交を、国交正常化だけでなく平和条約締結と北方領土問題の解決まで視野に入れたバランス外交だったと位置づけた。春名によれば、鳩山の念頭には二つの課題があった。一つはシベリアに抑留され、極寒の地で多くが亡くなった旧日本兵の帰還。もう一つは国際連合への加盟である。日ソ交渉の中でソ連側は平和条約の締結を求め、北方領土問題も絡んだ。しかし鳩山はアメリカにうまく説明できず、アメリカからは「変わった男」と見られ、最初から相互理解がなかった。春名はこれを非常に残念だったと述べ、孫の鳩山由紀夫もオバマ政権とうまくいかなかったと付け加えた。

1956年の日ソ共同宣言には二島返還が盛り込まれたが、いまだに実現していない。ダレスがこれに反対した理由について、春名は次のように説明する。二島返還で平和条約を結べば日本がソ連に近づく。さらに、当時まだアメリカの施政権下にあった沖縄について「では沖縄はどうなのか」と言われかねない。ダレスは日本の外務大臣を怒鳴りつけ、結果として平和条約の締結には至らなかった。

春名は、アメリカが一番恐れているのは日本の国民意識だと強調する。沖縄では本土復帰運動が大きく高まった。北方領土が返ってきたのに、なぜ沖縄は復帰できないのかという声が強まることをアメリカは警戒した。アメリカは、日本の国民意識が反米に向かうことを非常に困ると考えている。この点を日本国民によく知っておいてほしい、と春名は述べた。

30:04

田中角栄とニクソン:最初は良好だった関係

鈴木は、冷戦期に日本がアメリカより先に中国へ近づこうとした例として田中角栄を挙げ、なぜアメリカに嫌われたのかを尋ねた。春名によれば、最初は関係が良かった。娘の田中眞紀子は1968年の大統領選の頃にアメリカに留学しており、学校の模擬選挙でバッジをつけてニクソンを支持した。1972年1月、田中は通産大臣として佐藤栄作首相の訪米に同行し、ニクソンに「娘はあなたのために運動したそうだ」と伝えた。ニクソンは大いに喜んだという。

32:07

上海コミュニケと日中共同声明の違い

しかし春名は、日中国交正常化とニクソン訪中は中身がまったく違い、この点を日本のエリートも国民もよく知っておくべきだと強調する。1972年2月の米中の上海コミュニケは、国交正常化をしていない。一方、田中は同年9月29日の日中共同声明で国交を正常化した。米中の国交正常化はその7年後、1979年のカーター政権まで待たなければならなかった。アメリカを飛び越して日本が先に中国と国交を結んだことに、ニクソンとキッシンジャーは激しく怒っていた。日本側はそれをあまり理解していなかったが、名古屋大学で教えていた頃の中国人学生はみなこの違いを知っていた、と春名は語る。

春名によれば、田中は当時の外務省中国課長の言う通りに動いた。この課長はアジア局長や外務次官を飛び越して田中に直接働きかけ、「正常化しなければ文書も出せず、中国側は相手にしない」と進言した。田中はそれを信じ、中国に相手にされないのはまずいと考えたのだろうという。春名は課長の名前は伏せたうえで、課長が中国に非常に近く、何か受け取っていたのではないかと言う人もいると述べた。ただし事実かどうかは分からないとし、そうした噂が立つほど判断に疑問がある、という扱いにとどめた。

この点について鈴木は、自身が外務省を担当した経験から補足した。かつては外務省の課長クラス、特にチャイナスクールの中国課長が首相執務室に直接入って説明や助言ができ、大きな裁量を持っていた。第2次安倍政権以降は、課長が首相に直接会うことは難しくなり、次官や審議官、大臣が出向く形に変わった、というのが鈴木の印象である。

37:41

石油危機とキッシンジャーとの衝突

春名は、田中がアメリカに嫌われた理由のもう一つとして石油ショックを挙げた。1973年10月の第4次中東戦争で、アラブ産油国はイスラエル寄りの国には石油を供給しないと表明した。日本は外交方針をイスラエル寄りからアラブ寄りへ大きく転換した。これは田中の大決断であり、その後アラブ世界に「西側の中でも日本は違う」というイメージが残ったと鈴木は補足した。

キッシンジャーはこれに怒って来日し、田中と口論になった。春名は米側文書もすべて確認したうえで、そのやりとりを次のように紹介する。田中は「それならアメリカが石油を供給してくれるのか」と迫った。キッシンジャーは最後まで供給するとは明言せず、何とかするという程度でかわした。鈴木は、中東依存が今も約8割で、イラン情勢をめぐって同じ議論をしていると指摘した。春名はこの衝突が田中とアメリカの関係を決定的にしたと見ている。

39:35

ロッキード事件の裏側:国務省の動揺と児玉誉士夫

田中は1974年、立花隆が文藝春秋で発表した「田中角栄研究」に端を発する金脈問題で退陣する。その後ロッキード事件で逮捕された。春名によれば、アメリカは田中が捕まっても構わないと判断していた。しかし米政府内では意見が割れ、国務省からは「そうなれば自民党が潰れるかもしれない」という声が出た。そして国務副長官が辞任した。当時はニュースにもならなかったという。辞任の理由について春名は、自民党政権が終わって社会党政権になったら責任を取れない、ということだと説明した。国務省にとっても大変な局面だったという見方である。

田中は生涯にわたって受領を否定したが、春名は5億円を「もらったと思う」「間違いない」と述べた。そのうえで、田中以上に悪いことをして中心的な部分で立件されなかった人物として児玉誉士夫を挙げる。児玉の方がより多く受け取っており、「巨悪」はどちらかと言えば児玉の方だという。

児玉が潰されなかった理由を問われると、春名は、児玉はCIAのエージェントであり情報源でもあったと述べ、「間違いありません」と断言した。CIAの東京支局長経験者を含む幹部から話を聞いてきたが、文書は渡してくれない。「児玉はCIAのエージェントでしょう」と尋ねても、イエスともノーとも言わずに黙り込んだという。岸信介についても、別の幹部が同じ反応だったと春名は語った。

43:51

日本で活動するCIA要員と三つの「カバー」

最後に鈴木は、同盟国である日本でCIAがどのくらい活動しているのかを尋ねた。春名は、すでに亡くなった関係者も多いので言ってもいいだろうと前置きし、日本にはアメリカ人のCIA要員が100人ほどいると述べた。KGB(現在のSVR)の関係者からは、自分たちの方がよほど多いと聞いたという。日本は「スパイ天国」だという話について、春名はCIAにとってもスパイ天国であることは間違いないと述べた。

CIA要員は「私はCIAです」という名刺は持たず、別の身分で入ってくる。春名によれば、カバーには三種類ある。国務省カバー(外交官の身分)、最も多いミリタリーカバー(軍の身分)、そしてNOC(ノンオフィシャル・カバー)と呼ばれる民間企業の社員などを装う形である。鈴木も、米系大手企業の日本法人で役員の肩書きを持つ人が実は軍の関係者で、空母に乗っていたとか陸上自衛隊の指導役をしていると聞いた経験を語った。

CIAが日本で活動を始めた時期について、春名は段階があると説明した。1948年頃はまだわずかだった。マッカーサーはCIAを嫌い、自分が日本を統治している間はCIAに活動させないとしていた。ところが1949年からCIAが大挙して入ってきた。中国から一斉に移ってきたという。春名は、国鉄三大事件が起きたのも同じ時期だと指摘し、CIAが最初に手がけたのは何だったのかに話を進めかけた。自身の情報源の紹介に入ろうとしたところで、字幕は途切れている。