「1日1万歩」は必要か 150万人の歩数データと江戸の武士の日記から考える歩くことの効用

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概要

歩くことは「最強の健康法」なのか。運動疫学を専門とする東京大学大学院准教授の鎌田真光さんは、医療の翻訳家・市川衛さんとの対談で、歩くことは素晴らしい健康法であり、それは研究からも確かめられると答えた。そのうえで鎌田さんは三つの話題を取り上げた。住む場所による歩数の大きな差、体を動かさない現代の生活と人類の進化との「ミスマッチ」、そして「1日1万歩」という目標の由来である。

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「身体活動」には睡眠も家事も含まれる

鎌田さんはまず、歩くことより広い「身体活動」という概念から説明を始めた。身体活動は英語のphysical activityの訳語で、骨格筋を使って体を動かし、エネルギー消費を伴う活動全般を指す。その要素には睡眠も入っている。寝ている間も寝返りなどで骨格筋を使っているため、厳密な定義では睡眠中も身体活動が行われていることになるという。ただ、「体を動かそう」と呼びかける場面では、自分でどうにかできない睡眠はひとまず脇に置く。

残りの要素は、レジャーや健康目的、楽しみとして行うスポーツ・運動、仕事の中での活動、移動、そして洗濯や掃除などの家事である。鎌田さんによれば、スポーツ以外の場面で体を動かしている時間のほうがはるかに長いことは世界的に共通している。

動かないことが関わる病気は多い

体を動かすことの利点について、鎌田さんは研究で蓄積された知見を示した。体を動かさないとリスクが高まることがほぼ確実と考えられているものとして、糖尿病やメタボリックシンドロームなどの代謝性疾患、心血管疾患、腰痛や膝痛などの運動器障害、うつ病や認知症などの精神・神経疾患、乳がんや結腸がんなど一部のがんが挙げられる。ただし鎌田さんは、運動だけでこれらを解決できるという意味ではなく、これだけ多くの病気に体を動かすかどうかが関わっていることが分かっている、という趣旨だと補足した。

鎌田さんは災害時の問題にも触れた。熊本で地震があったことに言及し、避難先での車中泊などで体を動かしにくい状況になると、エコノミークラス症候群のリスクも高まると指摘した。体を動かす機会を持つのが難しい状況だからこそ、動くことが改めて大事になるという。

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日本でも世界でも人は動かなくなっている

一方で、人は実際には体を動かさなくなっている。鎌田さんが示したのは、厚生労働省の国民健康・栄養調査で同じ方法によって測られてきた日本人の歩数の推移である。2000年ごろから下がってきた傾向が見られるという。世界でも、十分に体を動かしている人の割合は減っている。鎌田さんは、世界的に運動不足が加速していると述べた。

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150万人の歩数データが示した地域差

一つ目の話題は、鎌田さんの研究チームが最近発表した論文の内容である。ジオテクノロジーズ社との共同研究で、同社のスマートフォンアプリを利用する約150万人の歩数データを分析した。市区町村ごとに住民の平均歩数を出し、地図上に濃淡で示すと、住む場所によって歩数に大きな差があることが見えてきた。ユーザーが100人に満たない自治体は分析から除外している。

大都市圏、特に東京23区から横浜にかけては歩数が多かった。東京23区の平均は約7400歩である。全国平均について鎌田さんは、正確な数字はすぐには出てこないと断ったうえで、だいたい6000歩くらいだと述べた。一方、地方では平均歩数が低い傾向がある。宮崎県出身の市川さんが地元の宮崎市について尋ねると、県庁所在地で県内では都市部にあたるにもかかわらず、平均は5000歩ほどだった。同じような年代で比べても、宮崎市の約5000歩に対して東京23区は約7500歩で、2500歩ほどの差がある。

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歩きやすい街ほど歩数が多い

差が生まれる理由を探るため、研究チームは「地域で歩いて生活しやすいか」を示すウォーカビリティ指標と歩数の関係を調べた。この指標は、人口密度の高さや、歩いて行ける範囲にある施設の種類の数などで構成されている。人口が密集していればコンビニや病院など生活に必要な施設が集まり、歩いて行けるようになる。鎌田さんによれば、今回の指標には入っていないものの、人口密度が高い地域では公共交通も使いやすくなる。ドア・ツー・ドアの自家用車移動が減り、バスや鉄道を使う前後に歩く機会が生まれやすいという。

分析の結果、ウォーカビリティが高い自治体ほど平均歩数も高いという明確な相関が見られた。ただし鎌田さんは、都会の人ほどよく歩くことは自分たちの研究も含めて以前から分かっていたことで、今回改めて確認できた点だと位置づけた。

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初めて分かったのは差の「大きさ」

今回の研究で初めて分かったこととして鎌田さんが強調したのは、差の大きさである。最も低かったのは宮崎県小林市で、平均は約4000歩だった。最も高かった東京都豊島区は7750歩で、その差は3500歩以上、2倍近くになる。まとめのスライドでは、最大で3700歩余りの差があったと示された。

市川さんが「病気のリスクも住む場所でこれだけ変わってしまうのか」と尋ねると、鎌田さんは慎重に答えた。寿命や病気の人の割合がこの歩数の分布どおりになるわけではない。健康にはさまざまな要素が関わるからである。それでも、住む場所によって活動量が変わり、それが病気のリスクに影響することは間違いない。だからこそ、差がこれほど大きかったことは重要な知見だと考えているという。

同じウォーカビリティの自治体どうしでも、歩数にはかなりのばらつきがあった。例として挙がったのは高知県のある自治体で、ウォーカビリティ指数は非常に低いのに、平均歩数は約6000歩と全国平均並みだった。市川さんは、こうした地域がなぜ歩けているのかを調べれば、歩きにくい地域でも動けるようになる方法が分かるかもしれないと述べた。鎌田さんも、傾向から外れて良い結果を示す「ポジティブデビアンス」と呼ばれる地域に焦点を当てて調べる必要があると話した。

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歩かない生活は進化とのミスマッチか

二つ目の話題は「進化とのミスマッチ」である。人類の祖先は、狩猟採集のように体を動かして食べ物を手に入れる生活を非常に長く続けてきた。その間に今の私たちの体の仕組みが形づくられ、適応してきた。ところが産業革命などを経て生活は急速に変わり、豊かで便利になった代わりに、体を動かさなくてもよい社会になった。体の仕組みそのものはそれほど急には変わらないため、そこにミスマッチが生じているのではないか。こうした考え方が、ハーバード大学の進化生物学者ダニエル・リーバーマン教授らによって「エボリューショナリー・ミスマッチ」として提唱されている。

鎌田さんは、体を動かさないことがこれほど多くの疾患や障害のリスクとつながっている理由を考えるうえで、この考え方が一つのヒントになると紹介した。

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祖先はどれくらい歩いていたのか

では、祖先はどれくらい動いていたのか。鎌田さんによれば、データがないためよく分かっていない。手がかりの一つが、現在も狩猟採集生活を送るタンザニアのハッザの人々を対象にした研究である。GPSで移動距離を測ったところ、1日に9〜15キロほど移動していた。歩数にすると男性で約1万8000歩、女性でも1万歩以上を毎日歩いていたという。

一方、農耕が始まり都市が形成されていく中で、いつ、どの程度動かなくなっていったのかについては、データがほとんどない。鎌田さんのチームはこの空白を埋めようとしている。以前の研究では、この50年ほどで仕事中の活動強度が1割減ったことを示した。しかしそれでは50年分しかさかのぼれていない。そこで次に挑んだのが江戸時代である。

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江戸の武士の日記から歩数を推定する

この研究はまだ途中で、今回の話は経過報告だと鎌田さんは断った。使った資料は二つある。一つは、各藩から江戸に出てきた勤番武士の日記である。勤務記録を兼ねて、いつどこで何をしたかを詳細に記し、国元に送っていた人がいた。こうした日記は当時の生活を知る貴重な資料として活用されている。もう一つは、江戸の地図を現代の東京に重ね合わせた「江戸復元図」である。精度についてさまざまな検証がなされており、信頼できそうだという。

研究室の大学院生の大田さんが、江戸時代の道をデータ化した。そのうえで日記の記述から通ったルートを線で示し、1日の平均移動距離を推定した。移動距離と手段が分かれば、当時の人々の平均身長などから歩幅に幅を持たせて推定し、歩数を出せる。その結果、外出して徒歩で移動した日に限れば、9000〜1万2000歩ほど歩いていた可能性があるという数字が出た。

市川さんは、狩猟採集時代の約1万8000歩、自動車のない江戸の都市での1万1000歩程度、そして現代の約6000歩と、時代とともに歩数が減っている様子が描き出されていると整理した。鎌田さんはこれに留保をつけた。対象は江戸時代の武士という比較的高い社会階級であり、しかも1人分のデータにすぎない。現段階は分析手法を開発した段階だという。今後最も知りたいのは、人口の多くを占めていた農業に携わる人々がどれくらい動いていたかだが、これはさらに難しい課題になると鎌田さんは見ている。こうした過程が分かれば、今の生活様式を当たり前と思っている私たちの感覚を相対化し、新しい生活のヒントにつながるかもしれないと話した。

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「1万歩」は日本の販促キャンペーンから広まった

三つ目の話題は「1日1万歩」である。ウェアラブル端末やスマートフォンのアプリでは、目標歩数の初期設定が1万歩になっていることが多い。しかし鎌田さんによれば、この数字はもともと科学的根拠に基づいて推奨されたものではない。日本の歩数計メーカーが普及キャンペーンの一環として「歩け歩け運動」のような形で売り出した際に掲げた目標で、「万歩計」は商品名だという。それが世界に広まり、海外の研究者もこの日本発の経緯をよく知っている。鎌田さんは、山佐の歩数計は精度が高いことで研究者の間でも知られているとも紹介した。

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歩数と死亡リスクの関係は緩やかなカーブ

何歩歩けば死亡リスクや寿命にどう影響するのかは、長く分かっていなかった。鎌田さんはハーバード大学にいた時期に、所属研究室で歩数と死亡リスクの関係を詳しく明らかにする研究に取り組んだ。対象は全米の高齢女性で、さまざまな活動量と疾患、障害、死亡リスクの関係を調べた大規模研究である。サンプルは鎌田さんの記憶では1万5000人以上だった。

鎌田さんがまず大事な点として挙げたのは、歩数と死亡リスクの関係が緩やかなカーブを描くことである。ある歩数でがくんとリスクが下がるわけではない。だから「何歩歩かないと意味がない」ということはない。この研究では、約7500歩でリスクがほぼ頭打ちになり、それ以上はあまり変わらない様子だった。そもそもそれ以上歩いている人もあまり多くなく、これはどの調査でも同じだという。つまり1万歩に届かなくてもよさそうだということが分かった。

その後、他の国や性別、年代を対象にした研究が出てきたが、カーブの形はおおむね似ていた。対象者によっては、特に若い年代で1万歩くらいまでリスクが下がり続けるカーブも見られる。高齢者ではもう少し低い歩数で頭打ちになるという結果が、現時点では出ているという。

市川さんは、地域差の分析で最も歩数が多かった豊島区の平均がちょうど7500歩前後だったことを思い出し、豊島区の人は健康なのかと尋ねた。鎌田さんは、自治体ごとの健康には歩数以外の要素も入るため、歩数の分布がそのまま健康の分布になるわけではないと繰り返した。そのうえで、推奨される7500歩や8000歩が平均値で見て相当上の話になる地域がある、という点が大事だと述べた。

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わずかな量でも効果はある

結局どれくらい歩けばよいのか。鎌田さんの答えは「わずかな量でも効果はある」である。まずは1分1秒でもいいので歩いてみる、立ってみる。それが一番伝えたいメッセージだという。先ほどのグラフでも、ほとんど活動していない人と、それより少しだけ動いている人との差が非常に大きい。

歩く量を増やせない人には、座りすぎを中断する「セデンタリー・ブレイク」を勧めた。最近の厚生労働省のガイドラインにも座りすぎの中断が盛り込まれている。仕事中に立ち上がる、高さを変えられる昇降デスクを使うといった形で、座っている時間を減らすことにつながる。収録したTBSの会議室には社員の運動不足対策として運動器具が置かれており、それを使ってもよいかという市川さんの問いに、鎌田さんは肯定的に答えた。特に暑い夏の日中など屋外を歩きにくい場合は、屋内で歩くことにもさまざまなメリットがある。生活に合わせて取り入れやすいものを選べばよいという。市川さんが、暑さの中で外を歩くのも大変な被災地の避難所でもこうした器具を使う意義があるかと尋ねると、鎌田さんは、それだけを推奨するわけではないが、さまざまな方法を組み合わせて取り入れてほしいと答えた。

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厚労省の目安は成人8000歩、高齢者6000歩

目安としては、厚生労働省が2023年に改定版を出した「健康づくりのための身体活動・運動ガイド」がある。その冒頭には全体の方向性として、個人差を踏まえて強度や量を調整し、可能なものから取り組むこと、今より少しでも多く体を動かすことが掲げられている。鎌田さんによれば、これは近年の大きな変化である。WHOのガイドラインを含め、鎌田さんらの研究も踏まえて、「ここまでやらないとだめ」ではなく、少しでも動くことに大きな意味がありそうだと分かってきた。また、スパルタ式ではなくハードルを下げて優しく伝えるほうが多くの人の行動変容を促すという知見もあり、こうしたメッセージが強調されるようになったという。

そのうえでの目安は、高齢者が1日約6000歩、成人が1日約8000歩である。市川さんは、日本の平均が約6000歩であることと照らし合わせ、少し安心したと話した。

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歩けば歩くほどよいわけではない

では1日2万歩、3万歩と歩けばさらによいのか。鎌田さんによれば、2万歩歩くような人も、歩数の少ない人と比べれば死亡リスクは低く、寿命は長そうだと分かっている。したがって、すぐにやめて1万歩以下にしなければならないということはない。ただし、活動量が多いほどけがのリスクは上がり、膝などへの負担も増える。歩き方や履いているものには特に注意が必要だという。仕事でどうしても長く歩かなければならない人には、けがや腰・膝への負担のケアを勧めた。

誰にとってもハードルが低いという意味での「最強」

最後に市川さんは、冒頭の問いに改めて答えを求めた。鎌田さんは、歩くことはさまざまな運動の中で最も手軽にできるものだと述べた。実際、人気のスポーツ・運動の種目では、サッカーでもバスケットボールでも野球でもなく、ウォーキング・散歩がずっとぶっちぎりの1位だという。歩けない人にとっても、車いすで移動することは非常に勧められる運動であり、ベッドの中で手を動かせるなら手を動かすことでもよい。鎌田さんは、それぞれの人にとって最もハードルが低く取り入れやすい運動という意味でなら、それが「最強」の健康法だと言えると結論づけた。そして、かなり多くの人にとって歩くことがその選択肢に入るだろうと述べた。