クラウゼヴィッツと孫子から抑止論まで、奥山真司が語る「戦争を知る」ための戦略論

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概要

なぜ戦争は起きるのか。日本が「抑止力」を口にするとき、その言葉は本当に相手に届いているのか。戦略学者の奥山真司氏(国際地政学研究所上席研究員)は、自身の著書『戦略論入門 自衛隊幹部学校 講義録』の内容に沿って、戦略論の二大古典から国際関係論の戦争原因論、核戦略から生まれた抑止の考え方、そして台湾有事を念頭に置いた日本の課題までを語った。奥山氏の立場ははっきりしている。戦争を防ぎたいなら、まず戦争そのものを知らなければならない。本気で抑止するなら、戦争に備えなければならない。

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戦略の二大古典としての孫子とクラウゼヴィッツ

奥山氏によれば、戦略論の古典といえば孫子とクラウゼヴィッツの2人である。生きた時代は2000年以上離れているが、戦争を客観的な記述によって捉えようとした点で共通しており、現代の戦略研究はこの2つの古典を軸に、戦争をどう捉え、どう勝つかという知識を積み上げてきたという。

孫子(本名は孫武)は約2500年前、古代中国の斉の国、現在の山東半島の付け根あたりで生まれた。斉では出世できないと考えたらしく、学問を修めたのち呉の国へ行き、王に軍師として雇ってほしいと売り込んだ。そのとき持参したのが、竹に書かれた13篇の短い書物である。奥山氏はこれを「自分を売り込むための一種のパンフレット」と表現する。これが『孫子の兵法』として後世に受け継がれ、戦争に勝つための書として読まれてきた。

ただし奥山氏が強調するのは、孫子が13篇を通じて実は「あまり戦うな」と説いている点である。古代中国の国はそれほど大きくなく、頻繁に戦えば兵が失われ、国力が落ち、費用もかさむ。だから、なるべく戦わずに勝つほうがよく、相手を屈服させるには騙すほうがよい。軍事力を正面から出すより、国力を温存しながら戦うという考え方だ。この発想は洋の東西を問わず広まり、日本ではビジネスパーソンにもよく読まれている。

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敗北と左遷から生まれた『戦争論』

もう一人のクラウゼヴィッツは、奥山氏が「今の戦略研究の本当にベース」と位置づける人物である。1700年代後半に生まれ、1800年代に活躍した。日本では江戸時代中期にあたり比較的平和だったが、ヨーロッパは大戦乱の時代で、その中心にいたのがナポレオンだった。

クラウゼヴィッツはナポレオンのフランスに隣接する小国プロイセンの下級貴族で、兄たちも軍に入っている軍人一家に生まれ、13歳ごろから戦場に出ていた。プロイセンはフランスに負け続け、1800年代初めには一度敗北する。その後、フランスがロシアに攻め込んだ1812年の戦いでプロイセンもフランス側として参加したが、クラウゼヴィッツは自国を抜けて、攻められている側のロシア軍のアドバイザーになった。奥山氏はこれを「それほどフランスが大嫌いだった」と説明する。

ナポレオンが没落してプロイセンが国力を回復すると、クラウゼヴィッツは形式上とはいえ敵側にいたことを理由に左遷され、その期間は12年間に及んだ。ベルリンの陸軍大学校の校長という名誉職に就き、することがないなかで、なぜプロイセンはフランスに負けたのかという悔しさから書いたのが『戦争論』である。戦争とはそもそも何かを問う一種の哲学書でありながら、戦いに勝つための軍人の心得も多く書かれている。

その主張の核心を、奥山氏は「戦争は暴力によって相手を屈服させ、こちらの意思を押し付けることだ」という点にあると要約する。直接戦い、血を流すことを正面から論じた点で、孫子とは対照的である。どちらが優勢かと問われると、奥山氏は、戦略研究が西洋中心に進められてきたこと、クラウゼヴィッツのほうが時代が新しく、現在の学問に近い形で書かれていて知識にアクセスしやすいことから、ヒントを得やすいのはクラウゼヴィッツだと答えた。2500年前の孫子については、そもそも原典がどれなのかという議論もあるという。

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第一次世界大戦の衝撃と国際関係論の誕生

話は近代の国際関係論に移る。奥山氏によれば、国際政治学は誕生からまだ100年ほどの新しい学問で、1920年ごろに始まった。そのきっかけは第一次世界大戦である。

奥山氏はイギリス留学中の体験を紹介する。日本で「先の大戦」といえば1945年に終わった第二次世界大戦を指すが、イギリスでは第一次世界大戦を「The Great War」と呼ぶ。死者の多さと社会的なインパクトが大きかったためで、フランスやベルギーを主戦場とした悲惨な戦争に、ヨーロッパの知識人は大きな衝撃を受けた。

当時の主流は、自由や経済的な結びつきを強め、国際連盟のような組織を作れば世界は平和になっていくという考え方だった。これに異を唱えたのがE・H・カーであり、その著書が『危機の二十年』である。奥山氏の説明では、カーは戦争をいかに防ぐかではなく、戦争の原因と、戦争が起こる構造そのものに注目すべきだと考えた。考え方にはリベラリズムとリアリズムの2つがあるが、リアリズムを忘れている人が多すぎる。自由にやればなんとかなるという楽観ではなく、悲観的に物事を見て、国家を動かすパワーのバランスを考えることで、戦争を防ぐことができるのではないか。奥山氏は、これが現在の国際関係論でいうリアリズムとは少し違うと断りつつ、戦争の原因論を示した点でカーは重要だと述べる。

当時この主張は衝撃的だったのかという聞き手の問いには、衝撃的だったとは思うが、物事を現実的に見る一定数の人々からは称賛された部分もあったのではないか、というのが奥山氏の見方である。

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平和学習だけでは足りない理由

ここで奥山氏は、日本の現状に触れる。日本では戦争はしてはいけないという考えが強く、小中学校のカリキュラムにも平和学習がある。奥山氏はそれ自体は大事だと認めたうえで、学問として、また政治家も含めた実務の場では、どうやったら戦争が起きてしまうのかを知る努力が必要だと主張する。そのためにはまず戦争を知らなければならず、戦争を最も研究したのは誰かと考えるとクラウゼヴィッツに立ち戻る。これが戦略研究の肝だという。

聞き手が、平和学は戦争の結果や被害を見るものだと指摘すると、奥山氏は「悲惨だから戦争をしてはいけない」は正しいとしつつ、悲惨さという現象への嫌悪感で終わるのではなく、なぜそれがメカニズムとして起こるのかまで知ることが、知的な人間としての務めであり、特に実務では最も大事だと述べた。

13:18

ウォルツの「3つのイメージ」

戦争原因論でもう一人取り上げられたのが、ケネス・ウォルツである。その本は1959年に出版され、奥山氏の記憶では日本語訳が出たのは2010年ごろとかなり遅かった。理論の人は日本ではあまり評価されない傾向があり、海外ではビッグネームなのになぜ日本で知られていないのか、と奥山氏は留学中から思っていたという。

ウォルツは指導教官から戦争の原因を調べるよう言われ、図書館で文献を当たったが、論者によって言うことがまったく違った。人間の性(さが)だという人もいれば、軍事力だという人もいる。行き詰まっていたある時、ウォルツは戦争の原因を語る議論には3つのパターンがあることに気づいた。

1つ目の「ファーストイメージ」は、戦争の原因を個人に求める見方である。第二次世界大戦はヒトラーがいたから起きた、今回の戦争はプーチン大統領が起こした、あるいは人間の本性が原因だという説明がこれにあたる。2つ目の「セカンドイメージ」は、組織や国家に原因を求める。ヒトラーは単なるトップにすぎず、ナチスという組織が彼を狂わせた、あるいはドイツという国の性格が問題だという見方である。

3つ目の「サードイメージ」は国際システムに原因を求める。パワーバランスがおかしな組み合わせになると、どんなリーダーやどんな国がいてもぶつかってしまう、という考え方である。ウォルツは、ファーストイメージとセカンドイメージも大事だが、それ以上に枠組みを見なければ戦争の本当の原因はわからないと論じた。奥山氏は、地政学もこのサードイメージに近いと考えており、陸の勢力と海の勢力がせめぎ合うという地政学の発想に通じるとすら思っていると述べる。

聞き手は、ファーストイメージなら戦争犯罪人を裁く、セカンドイメージなら当時の陸軍と海軍の組織的な失敗を改善するといった対処が思い浮かぶが、サードイメージは手の打ちようがないように感じる、と疑問を投げかけた。軍事力を減らそうとする国もないはずだという。これに対し奥山氏は、国家を率いる個人が「国力を上げておかないと戦争が起きるかもしれない」と考えて行動する時点で、サードイメージにもつながると答えた。あくまで大国がシステムの中でどう振る舞うかという問題につながる、という整理である。

奥山氏はまた、日本のジャーナリストなども、意識せずにこの3つのどれかで説明していると指摘する。プーチン大統領個人が戦争を起こしたという説明はファーストイメージ、ロシアという国の性格が原因だという説明はセカンドイメージ、ロシアがアメリカに押し込まれ、パワーバランスが崩れそうになったのを防ぐために戦争に踏み切ったという説明はサードイメージである。奥山氏は、この枠組みを戦争原因論に限らず、国際政治が動くポイントを見るためにも使えると考えている。忘れられがちなのはサードイメージであり、そこに注目せよと言ったのがウォルツだという。

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抑止という考え方は核戦略から広まった

後半は、ここ数年日本で頻繁に聞かれる「抑止力」がテーマになった。奥山氏によれば、抑止は核兵器を使って国際政治をどう生き延びるかを考えてきた核戦略の中で注目された概念である。

考え方自体は以前からあり、1930年代にはイギリスがドイツに対し、空爆の脅しを使えば相手が屈服するのではないかと考えたように、軍事力を実際に使わずにどう脅しをかけるかという文脈で語られていた。それが一気に注目されたのは核兵器の登場による。広島・長崎の悲劇と、その後の米ソの核実験で、核兵器のとてつもない威力がわかった。もう一度どこかの都市に使えば何十万人規模の死者が出る。使ってしまったら大変なことになる、つまり使えない兵器である。ならば「使うぞ」と脅すことで戦争を防ぐという考え方が、1945〜46年ごろにはすでにアメリカから出てきたという。

その背景には、軍事力は冷静に見れば暴力だが、それを政治的な目的のためにどう使うかという発想がある。戦争もまた政治的な目的のために行われるのであり、核兵器で睨み合い、使うぞと脅して相手の意思を屈服させることもできるのではないか。奥山氏によると、1955〜56年ごろから約10年間で、優秀な人々が現在の抑止論のほぼすべてを議論し尽くした。

では、核を持たない日本が防衛力強化の文脈で使う「抑止」や、「中国の計算を複雑にする」「コストをかけさせる」といった表現は何を意味するのか。奥山氏は、日本が持つ装備や火力によって、手を出せば大きく傷つき、コストがかかると相手に思わせる効果を期待した、一種の心理戦だと考えている。武力を備え、訓練を重ね、相手が侵攻を考えたときに思いとどまらせる。その意味で日本は抑止力の構築を議論している、というのが奥山氏の見方である。

23:55

抑止は効いているかどうか分からない

抑止は大事だという人もいれば、軍拡競争を招くだけだという人もいる。どういうときに抑止が成立するのか答えがないように見える、と聞き手が問うと、奥山氏は、突き詰めれば抑止が本当に効いているかどうかは分からないと認めた。後になって相手側の人物が「あのとき侵攻をためらっていた」と言えば、ようやく抑止が効いていたと言える。逆に侵攻されてしまえば、その時点で抑止が破れたことがわかる。抑止にはこうした心理的な曖昧さがあり、抑止を批判する人々の指摘には確かにその通りの部分がある、と奥山氏は言う。

抑止の肝は、決断する人の心理にどこまで働きかけられるかにある。だから武器を揃えれば必ず抑止できるわけではない。奥山氏はこれを抑止の「すごく難しいところ」だと述べた。

25:02

戦略文化と「合理性」の落とし穴

相手がまったく違う論理で動いていたら抑止は効かないのではないか、という聞き手の指摘を受けて、奥山氏は著書で強調した「戦略文化」の話に移った。鍵になるのは合理性である。

抑止の発想は、互いに核兵器を持って睨み合えば、合理的に考えてどちらも核戦争を望まないので戦争は起きない、というものだ。奥山氏は「奥山」と「ピボット帝国」が互いに核を持つという例えで説明する。しかしピボット帝国が「奥山に核兵器を落として戦争を始めたほうがいい」と考えていたらどうなるか。相手が合理的に考えているかどうかを、こちらは自分の合理性で判断しているにすぎない。

奥山氏によると、アメリカは1970年代ごろまで、合理的に考えればソ連は戦争を仕掛けてこないと考えていた。ところが70年代になると、ソ連を研究する人々が、ソ連は自分たちとは別の戦略文化、別の合理性で動いているのではないかと気づき始めた。ランド研究所のジャック・スナイダーがこれを「戦略文化」と名付け、戦略における文化論が広まった。その中心にあったのが合理性の問題であり、相手の国を研究しなければならないという教訓だった。

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習近平と台湾有事をめぐる3つの懸念

奥山氏はこの議論を習近平国家主席と台湾有事に当てはめる。専門家の中には、当分は台湾への軍事侵攻はないだろうと見る人が多く、奥山氏もそれ自体は正しいと考えている。台湾侵攻は身の破滅を招くので、合理的に考えれば習近平はやらないはずだという議論である。しかし奥山氏は、そこには3つの問題があると指摘する。

1つ目は、習近平が独自の合理性、つまり独自の戦略文化で動いている可能性である。日米とは違う正統性の理由ややらねばならない事情を抱えていて、自らが滅び、人民解放軍が壊滅してもやらなければならないと考えているかもしれない。それは外からはわからないため、警戒すべきだという議論が成り立つ。

2つ目は、高齢による判断の変化である。これまで合理的に振る舞ってきたように見えても、ある時突然侵攻を決めるかもしれない。奥山氏はその前例としてプーチン大統領を挙げる。2022年の侵攻直前まで、西側でプーチン大統領を研究する人々のあいだでも、慎重で合理的な考え方をする人物だと言われていた。それでも侵攻は起き、あんな無謀なことをするとは思わなかったという声が上がった。習近平も同様に非合理な決定をしてしまうリスクがある、と奥山氏は言う。

3つ目は、偶発的なきっかけによる衝動的な決断である。聞き手が「前の晩に奥さんと喧嘩した」「寝不足」と例を挙げると、奥山氏はそれに加えて、酒の飲みすぎや、周囲から侵攻を突き上げられることなどを挙げ、そうした状況で衝撃的な決断が下されれば予測できないと述べた。

合理性はどこまで信頼できるのか、というのが抑止論の世界で生まれた考え方であり、それを台湾有事に当てはめると、侵攻の可能性を完全に排除するのは危険だということになる。奥山氏は、習近平自身が武力統一を公言している以上、警戒し続けるのは仕方がないと考えている。

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本気で抑止するなら戦争に備えよ

最後に、日本の戦略論に欠けている議論は何かと問われ、奥山氏は3つの論点を挙げた。

1点目は、抑止は本当に戦う気がある者にしかできないということだ。奥山氏は、日本政府はこうしたことを絶対に言わないと前置きしたうえで、抑止とは「入ってきたらこちらも戦う」という脅しであり、その本気度を相手が知る必要があると説明する。日本は長距離ミサイルによる長射程の能力を持つと言っているが、それで相手は怯んでいるのか。相手を思いとどまらせるには、本当に戦えるところを見せ、それを信じさせなければならず、そのためには実際に戦えなければならない。だから本気で抑止するなら戦争に備えなければならない。奥山氏は、自分ももちろん戦争はしたくないと繰り返しつつ、日本で気軽に語られている抑止が相手に本当に届いているのかが最大の問いだと述べた。日本が中国を躊躇させるほどの抑止力を持てるのかという質問には、政府はそう説明し、それに沿ったミサイルなどの火力を整えているが、効いているかどうかは分からない、と答えている。

2点目は、実際に戦うことになった場合の戦死者の扱いである。奥山氏によれば、自衛隊ではこれまでに殉職者として約2500人が防衛省内で顕彰されている。しかし戦闘で国のために亡くなる自衛官が出たとき、靖国神社に祀るべきだという人もいるだろうし(奥山氏自身はそれには疑問を示す)、それとは別に国として戦死者を祀る場所が必要になるのではないか。これまで避けてきた議論に直面せざるを得なくなる、と奥山氏は言う。

聞き手は、学生時代に太平洋戦争の戦没者の遺骨収集ボランティアをした経験を語った。アメリカとの最大の違いは、アメリカは現代でも戦死者を出し続けている点にある。今も息子を戦場に送る家族がいるからこそ、昔の戦没者の遺骨収集も事業の一環として行われる。一方、日本では遺族のための事業という性格が強く、現代のための事業ではないと感じたという。

奥山氏は、日本人にとって心理的なハードルは高く、物事が起きてから考えようとする傾向があると認める。だからこそ、自衛官OBだけでなく社会の外部の人々があらかじめ議論しておくことが大事だという。海外では戦死者を出している国は必ずこの議論をしており、ドイツでも2011年ごろにはすでに犠牲者が出て議論が尽くされている、と奥山氏は述べた。

3点目は、社会としてどう備えるかである。戦争は軍隊同士だけで行うものではなく、軍隊は社会とつながった存在だ。一般の国民が自衛官として戦闘に従事するとき、社会はそれをどう受け止めるのか。ミサイルが落ちたときに被害をどう最小限にするのか。災害時のレジリエンスや復興が議論されるのと同じ文脈で、戦死者や被害者、遺族が出たときに社会が彼らをどう受け止め、どう顕彰するのかまで、考えたくはないが考えなければならないところまで来ているのではないか。奥山氏はこれを自身の問題意識の一つとして示した。

安全保障環境が厳しくなるなかで、こうした議論と準備を先送りすれば、いざという時に社会が感情的な方向へ流れてしまい、それは非常に不健全だと奥山氏は言う。聞き手が「臭いものに蓋」をするほうがかえって危ないということかと確かめると、奥山氏は「その通り」と応じた。