国連特別報告者キハラハント愛が語る、規範が揺らぐ時代の人道支援と「90点の妥協」
ReHacQ−リハック−【公式】大国が国際法の基本原則を公然と疑い始めた今、人の命と権利をどう守ればよいのか。国連特別報告者で東京大学教授のキハラハント愛氏に、ジャーナリストの須賀川拓氏が問いかけた。キハラハント氏は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)でスリランカに赴任した経験や、国連平和維持活動に関する独立研究に携わった経験を持つ。自身を「結構リアリストなところもある」と語り、その立場から話を進める。話題は武装勢力が支配する地域での支援のジレンマ、ウクライナ停戦をめぐる葛藤、偽情報と分断、外国人をめぐる国内の議論、国連の予算削減にまで及んだ。
「決め方の決まり」が揺らいでいる
須賀川氏はまず、ミャンマーなど世界各地で人道危機が拡大していると感じるが、今の状況をどう見ているかと尋ねた。キハラハント氏の見立てでは、問題は個々の紛争以上に、大国が価値観そのものを否定し始めたことにある。人権、法の支配、そして国際法の中でも最も基本的な「他国を占領しない」といった規範について、大国が「そういうものはない」「実は合意していない」という段階まで来ている、と述べた。
キハラハント氏は、合意できない点があっても「決まりに従って決めよう」という決まりがあれば、まだ何とかなると考える。多様な国と価値観が共存する国際社会では、何を信じるかと同じくらい、それをどう追求するかというシステムが大事だという。今は特に大国がその決まり自体を疑い始めており、キハラハント氏はこの状態を「本当に危険」だと語った。
ここでキハラハント氏は交渉への自分の姿勢を説明した。自分の利益を守るのは本能だとしたうえで、100%を求める場面で90%で妥協するか、それとも100%を求めて交渉を続けるかと問われれば、自分は「90%派」だという。とにかく前に進み、そこからまたやればいいという考え方だ。須賀川氏が、片方が60点でいいと言っても、もう片方がさらに要求を重ねればうまくいかない、と応じると、キハラハント氏も同意した。片方が20%妥協すれば相手も20%妥協するのが常識だ、というその常識が揺らげば交渉は成り立たない。だからこのシステムこそ守らなければならない、というのがキハラハント氏の主張である。
大国に頼れない時代の「新しい連携」
では、どうすればよいのか。キハラハント氏は、大国が何でもやってくれる時代は終わったと認めることが出発点だとした。国家だけでなく国際機関も、これまでのやり方にとらわれずに自分たちの守り方を考えなければならない。日本についていえば、アメリカとの同盟は非常に重要だが、周辺には比較的新しく力をつけた国が数多くある。一国ずつの力は小さくても、数は力になる。キハラハント氏はアフリカを例に挙げ、一国は強くなくても国の数が多いので、国際社会で交渉しようとするとかなりの交渉力を持てると説明した。須賀川氏も、資源、人口、経済規模の面でアフリカの存在感は大きいと応じた。
その一例として話題に上ったのが、メルカトル図法の地図である。この図法ではアフリカが小さく、グリーンランドが大きく描かれる。キハラハント氏によれば、これが歴史的な不正義だという主張が国連で認められた。反対した国について、須賀川氏は「アメリカだけだったか」と尋ね、キハラハント氏も確かではないとしつつ、少なくともアメリカは反対していると述べた。二人は、ロシアがほとんど反応しなかったのは面白い、と話した。さらにキハラハント氏は、トランプ大統領がメルカトル図法の地図を見ていたから、グリーンランドがあれほど小さいと気づかなかったのではないか、という話をメディアで見たと紹介した。ただし冗談だったのかもしれない、と留保している。
キハラハント氏が特に注目しているのは、新しい連携の形である。戦後は、国連安全保障理事会の常任理事国が世界の警察官のように安全保障を見守るのが常識だった。しかしそれはもう機能していない。そう認めたうえで、これまで結びつきようがなかった国同士が、利害や個別の課題(イシュー)ごとに連携する動きが出ているという。例として、日本がベトナムやフィリピンなど新しい相手を探していること、ヨーロッパと中国の連携、アフリカの一国がヨーロッパと同盟関係を結ぶことを挙げた。1990年代には考えにくかった組み合わせだという。
国連自身も、アフリカ連合や準地域機関、さらには国際金融機関と組むなど、連携の形を広げている。キハラハント氏は、こうした連携がなければ、大国が規範に反する行動をとったときに対抗できないと述べた。
人権侵害国と組むことは黙認か――ミャンマーとシリア
須賀川氏は、イシューベースの連携が重要だと認めつつ、意地の悪い問いを投げかけた。たとえば中国と組む場合、中国の人権状況には「絶対にこれはダメだ」という部分がある。それでも手を組めば、是認とまではいかなくても黙認にあたるのではないか。キハラハント氏はその可能性を認め、「悩ましいところ」だと答えた。
キハラハント氏が挙げた日本の例はミャンマーである。国軍を支援することは人権の観点から問題だ。しかし国軍を支援しないとしても、人々に人道支援を届けたい場合、その地域には国軍を通らないルートが今はない。支援をやめれば苦しむのは人々だ。一方で支援しても、国軍が食料を受け取ってから人々に届くまでにほとんどを取ってしまうので、やはり人々は苦しむ。キハラハント氏は、短期的には支援したほうが少しでも食料が届くかもしれないと述べた。ただし長期的には、日本だけでなく他の国々と連携しなければならないという。日本が支援をやめても他国が続ければ意味がなくなるからだ。キハラハント氏の見方では、今の日本はヨーロッパが支援しないと言っているところで支援を続ける側に近い。人権状況を改善するには圧力が必要で、そのためには足並みをそろえる必要があるという。
須賀川氏はシリアの例を挙げた。アサド政権が倒れるまで、反政府側の人々に支援を届けるにもアサド政権と協力せざるを得なかった。国連機関は相当悩みながら活動しており、片方から見れば「アサドに与しているのか」と見られてしまう。キハラハント氏はこれにも同意した。
スリランカで未亡人たちが言った「来ないで」
こうした葛藤について、キハラハント氏は自身のスリランカでの経験を語った。1993〜94年ごろ、キハラハント氏は緒方貞子氏が率いていたUNHCRにいた。当時のスリランカは二分されており、北部はタミル・イーラム解放の虎(LTTE)が完全に支配していた。キハラハント氏によれば、難民だけでなく国内避難民(Internally Displaced Persons)もUNHCRの対象とすると決めたのは緒方氏である。内戦下の北部では人々が移動を強いられていたので、彼らは避難民としてUNHCRの支援対象になる。
しかし北部に入ってカウンターパートを探しても、LTTEしかいない。食料や教育を届けようとしても、LTTEを通さないわけにはいかなかった。国連の中でも意見が割れたという。
キハラハント氏たちは、未亡人に支援をなるべく直接届けるプロジェクトを進めており、話を聞きに行ったこともある。すると未亡人たちから「来ないで」と言われた。国連の人間と話しているところを見られただけで、その人が次に危険にさらされるからだ。その人たちの命と生活を守るには、LTTEが何らかの形で認めなければならない。承認なしに動けば、むしろ当事者のリスクを高めてしまう。須賀川氏が「やらない方がいいぐらい」かと確かめると、キハラハント氏はそうだと答え、引き揚げることもあったと述べた。今のミャンマーを見ていても難しいと思う、何が正しいのかは本当に難しい、と語った。
ウクライナ停戦と東ティモールの24年
須賀川氏は、ミクロで起きているこの葛藤を国家間に広げれば、イランやウクライナの状況にもつながると指摘した。国内には、人命を最優先するならまず現状のまま停戦し、ロシアと条件交渉を始めるのが最善だという意見がある。しかしそれはロシアの占領、つまり力による現状変更を認めることになり、その後どんな野心が出てくるか分からない。須賀川氏自身は、力による現状変更には一切妥協すべきでないという立場である。それでも毎日多くの人が命を落としている。人間の安全保障の観点から、どう決着を考えればいいのか、と尋ねた。
キハラハント氏は「難しいです」と繰り返した。即時停戦すべきだというのはその通りだが、停戦には「ロシアはここまででいい」といった条件がついてくる。国際法上、あれほど明白な違反、しかも常任理事国によるものはほとんどない。そこは譲れないと思う、とキハラハント氏は述べた。須賀川氏は、即時停戦論者と話した経験を紹介した。ロシアが領土を得てそこで終わるという保証がない以上、長い目で見れば命を守ることにつながらないのではないか、と問い返し、議論が堂々巡りになったという。
キハラハント氏の答えは、二つのことを言い続けるしかない、というものだった。一つは、国際法違反は違反だと言い続けること。言わなければ認めたことになってしまう。もう一つは、戦いが続くあいだに人命が失われていくのはいけない、と言い続けることだ。
キハラハント氏はここで東ティモールの例を挙げた。キハラハント氏によれば、インドネシアが1974年に東ティモールに入ったのは国際法違反で、国連はそれを認めず、24年間違法な占領状態が続いた。その間に人口の4分の1から3分の1が亡くなるなどして失われたという。東ティモールの人々は、すぐに戦いをやめればインドネシアの占領を認めることになるとして、戦い続けた。最終的に独立に至ったのは本当に幸運だった、とキハラハント氏は振り返る。インドネシアの大統領が交代し、新大統領が住民投票をしてみようと考えたこと、国連がちょうど「黄金期」にあり、やってみようと判断したことが重なった。ただしそれは、人々が言い続け、死に続けた結果でもあった。須賀川氏が「守られた」と言ってよいのかと問うと、キハラハント氏はそこが問題だと応じた。
キハラハント氏はウクライナとの違いにも触れた。インドネシアの場合は空軍がなく、地上戦が中心だったので規模がかなり違う。また当時はソーシャルメディアもなく、東ティモールで何が起きているのか世界からあまり見えていなかった。その意味で、国際社会が受けた衝撃も大きく違うという。
「国連は機能していない」という絶望とマリの偽情報
須賀川氏は、「国連が機能していない」とよく言われるが、本当は国連安保理が機能していないのだと言いたくなる、と述べた。キハラハント氏は、一般の人にとっては安保理も国連も同じだと認めた。そのうえで、以前は見えなかった安保理の機能不全が、今はソーシャルメディアを通じて見えるようになり、絶望感が広がっていると分析した。ニュースはうまくいかなかったことを伝えるもので、「国連がうまくやりました」と毎日報じられることはない。だから絶望ではない側のことも積極的に発信していかなければならない、とキハラハント氏は言う。須賀川氏は、治安を守って当たり前の警察が、少しの不祥事でニュースになるのと同じだとたとえた。
キハラハント氏が衝撃を受けたと語るのが、国連平和維持活動に関する独立研究で知ったマリの事例である。マリでは「国連はいらない」という排斥運動が起き、端的に言えば国連は追い出された。運動のもとになったのは、国連が資金を着服して人々のために使っていない、といった偽情報だった。ところがその発信源をたどると、ソーシャルメディア上の最初の投稿はわずか3件だったという。それがリポストされて拡散し、あたかも大規模な不正が行われているかのように受け取られ、ついには国の方針を動かした。キハラハント氏は逆に、「国連はこんなこともしている」という成功例が3つ出てくれば、多少は影響があるのではないかと述べた。
なぜネガティブな情報ばかりが広がるのか
メディアに身を置く須賀川氏は、言いたくはないが、ネガティブな情報のほうが見られると認めた。一方で、X上でも「こういうのが見たかった」と拡散されるよい話もあり、何かのきっかけ次第なのかもしれないとも言う。ネガティブな話ばかり伝えてきた自分の認知が歪んでいる可能性もある、とも付け加えた。キハラハント氏は、これだけ悲惨なニュースがあふれているなら、人が珍しいものを求める以上、よい話のほうが新しく感じられるようにならないのか、と疑問を口にした。ただし発信の仕方、内容、ターゲットによって違うのかもしれない、とも述べている。
須賀川氏は、ヘイトや憎悪を煽るものは拡散しやすいと指摘し、一つの情報が広がって状況が動くのを現地で感じたことはあるかと尋ねた。キハラハント氏が語ったのは、東ティモールでの出来事である。運転中に穴に落ち、車が3輪だけ引っかかって1輪が宙に浮いてしまった。すると誰もいないように見えた森から大勢の人が出てきて助けてくれた。さらに驚いたのは、そこから車で30分ほどの自宅に戻ると、村の人がもう知っていて「お前、助けられただろう」と笑われたことだ。携帯電話はおろか固定電話もないような場所で、人の口伝えが車より速かったという。キハラハント氏は、SNSがあってもなくても人の本質は変わらず、他人の失敗や怒り、誰かが良くないという話がみんな大好きなのだと述べた。須賀川氏も、ReHacQでも成功者の話より、成功しているように見える人の失敗談のほうが面白がられると応じた。
ルワンダから学ぶ教訓――情報、ラベル、教育
話はルワンダに移った。須賀川氏は、ラジオが対立民族を「ゴキブリ」と呼んで虐殺を煽り、隣人が隣人を殺すまでに至った事件を振り返り、日本からは遠い出来事に感じられがちだが、そこから学べることは多いはずだと問いかけた。
キハラハント氏が挙げた教訓の一つ目は、情報の重要性である。平和維持活動に関する独立研究でも、「情報を制する者が」という趣旨を盛り込んだという。誤情報や偽情報を軽く考えず、安全を破壊しうるものと認識する。そのうえで計画、資金、人員を投入し、予防するだけでなく、先回りして情報をうまく使い平和を作っていく。これが必要だとキハラハント氏は述べた。
二つ目は、ラベリングの問題である。キハラハント氏によれば、ルワンダのフツとツチ、スリランカ、ユーゴスラビアでも、民族の区分は植民地時代にラベルとして作られたもので、もともと人々は一緒に暮らしていた。ところがラベルをつけられ、それに沿って支配されると、人々は意外なほどラベルどおりに行動し、憎悪の構図に簡単に巻き込まれてしまう。だから事前にそれを見越して資源を投入しておく必要がある。長期的には教育が重要で、人を分けるとそうなると知っていれば、「あなたは日本人」「あなたは沖縄人」とラベルを貼られたときに「ちょっと待てよ」と立ち止まれる。キハラハント氏は情報リテラシーも挙げ、ある時代の人が一生かけて受け取った情報量を現代人は1日で受け取る、という話を聞いたことがあると紹介した。その処理の仕方を教育につなげるべきだという。
キハラハント氏はルワンダの現状にも触れた。ラベルをつけたことへの反省から、今は民族区分が禁止され、皆「ルワンダ人」と言わなければならない。それで本当に済むならよいが、自分を日本人と思う人、琉球人と思う人がいるように、アイデンティティを自分で選べることを確保しておかなければならない、とキハラハント氏は述べた。須賀川氏は、それも個人の尊厳であり安全保障だと応じた。
価値観が相容れなくても「解決の仕方」だけは合意する
キハラハント氏はさらに、人間は分裂するものだと考えていると述べた。自分たちで分裂することもあれば、ラベルによって分裂させられることもある。だから最も大事なのは、異なる価値観を持つ人々がどうやって問題を解決するかという基盤のシステムだという。どう相談するのか、決裂したらどうするのか。「私たちは違う」と認めたうえで、そこだけは合意しておく。これが法の支配の中で自分が一番大事だと思う部分だ、とキハラハント氏は語った。
キハラハント氏自身は、人権や人間の安全保障という、人間を守る価値観を非常に大事だと考えている。しかしそう思わない人もいるかもしれない。その人たちとも対話し、問題が起きたら解決するシステムについては別に合意しておく。そうすれば価値観が相容れなくても、「今日のところはどうしようか」と話し合えるのではないか、というのがキハラハント氏の考えだ。
「法を守らない外国人はいらない」をどう考えるか
須賀川氏は再び「意地悪な質問」として、日本国内の議論を持ち出した。「外国人を排斥しているのではない、法を守らない外国人がいらないだけだ」と言う人は多い。しかし過去の発言を見ると、結局は外国人が嫌いなだけではないかと思える場合がある。この主張が方便となって、排外的な考え方が広まるリスクがあるのではないか、と須賀川氏は懸念を示した。軽犯罪も含め、法を犯した者が国籍に関係なく裁かれるべきなのは当然で、言葉どおりなら同意できる、とも付け加えている。
キハラハント氏はまず、過去に虐殺をした人の入国を拒むことには賛成だとしたうえで、「法を守らない」とはどの法のことなのかを問うべきだと述べた。そして、こうした主張の背景にはデータを知らないことがあると指摘した。キハラハント氏によれば、データで見ても外国人の犯罪率が高いということはない。須賀川氏も、イギリスが崩壊していると言われるがナイフ犯罪は減り、殺人事件も過去最低になっていると述べた。そうしたエビデンスがないまま「ヨーロッパは地獄になっている、日本を同じにするな」という言説が広がっている、と須賀川氏は言う。
それでも須賀川氏は、そう思わざるを得ないほど危機感を持つ人々の声を排除するのは絶対にだめだと強調し、キハラハント氏も彼らの尊厳は守られるべきだと同意した。キハラハント氏は「話を聞いてみたい」と言い、ReHacQで対話の場を設けてはどうかという話になった。ただ、匿名で発言している人は来ないだろうし、匿名で番組をやれば混乱するだろう、とも話している。キハラハント氏は、移民・難民政策はアカデミアの中でも意見が大きく分かれるので、「ヨーロッパを見よ」という研究者と人権系の研究者の両方を呼べば、噛み合わなくても面白いかもしれないと提案した。
寛容のパラドックスとアルゴリズムの分断
須賀川氏は「寛容のパラドックス」を持ち出した。寛容な社会なら不寛容な考えも包摂すべきだ、という逆説である。相反する価値観を持つ人々をどう包摂するかは、これから日本でも大きな課題になるという。キハラハント氏は、ここでも答えは同じだと述べた。問題が起きたときの解決の仕方をまず合意し、互いになぜそう考えるのかを聞くことである。ただ須賀川氏は、寛容を自認する人も不寛容な人の話を聞きたがらず、その時点で寛容とは言えないのでは、という構図が起きていると指摘した。
キハラハント氏はここでソーシャルメディアの仕組みに触れた。ショート動画などは、以前見たものをもとに「これが見たいでしょう」と機械が勝手に表示する。そのため、多様な意見を聞いているつもりでも、実は同じような人たちの間でだんだん先鋭化していく。寛容な人も、不寛容な人に対して自分が不寛容になっていると気づかないまま固まっていく。こうして人々が分かれ、出会って対話する場が今はあまりない、とキハラハント氏は言う。だからこそ情報と教育の問題に戻ってくるのであり、そこにもっと時間とエネルギーを使うべきだと述べた。
一方でキハラハント氏は、移民排斥系のコメントを実際に見に行くことがあり、かなりひどく、正直この人たちとの対話は難しいと思うとも明かした。ただ、対面ならそこまでは言わないし、匿名で投稿している人たちも特別な人たちではないのかもしれない、とも付け加えた。そのうえで、難しいがやらないとだめだ、と述べている。
理想主義者ではなくリアリストになった理由
須賀川氏が、これからはリアリストであることが大事ではないかと言うと、キハラハント氏は自分の経歴を振り返った。アカデミックな世界だけにいたら、もっと理想主義的だったかもしれない。しかし多くの現場を見てきた。国連に入ったときは崇高な国際社会の番人のようなイメージを持っていたが、中にいたのは人間だった。縦割りで、それぞれに個性があり、至らないところもたくさん見た。それが今の現実的な姿勢につながっている、とキハラハント氏は言う。
須賀川氏が、今の国際情勢を見て多くの国民はリアリストなのではないかと述べると、キハラハント氏は重要な留保をつけた。リアリストであるためには、何が起きているのか、なぜ起きているのか、どんな道があるのかを知っていなければならない。自分はリアリストだと思っていて実はそうでない、というのが一番危ないパターンかもしれない、とキハラハント氏は述べた。
国連の予算削減と、議論を動かす「一握りの人たち」
キハラハント氏によれば、国連は今改革を進めており、特に予算が削られているのが人権と平和活動で、これはキハラハント氏の専門そのものだという。須賀川氏が、国連が最も重視すべき分野ではないかと驚くと、キハラハント氏は背景を説明した。第一の理由は資金不足で、最大の原因はアメリカである。2番目の拠出国である中国の支払いも一筋縄ではいかない。加えて、世界全体の流れとして、多国間主義の国連から地域連合や有志連合へと関心が移っており、資金が集まらないという。
キハラハント氏が関わった独立研究は、平和活動を今後どう発展させるのか、あるいは縮小するならどこに優先順位を置き資源を配分するのかを議論する材料になる。議論の場の一つが、平和維持活動に関する特別委員会C34である。キハラハント氏の説明では、名目上は34か国が対等に参加し、日本も加わっている。
ところが実際に議論を動かしているのは、ごく限られた国、その中でもごく限られた人たちだった、とキハラハント氏は語る。報告書は独立したもので、内容は自分たちが書く。しかしそれをもとに公の場で議論を動かす人も、裏で交渉する人も一握りだった。ある日話し合いをしても、翌日には別の案が出ていて、たどると大抵その一握りのところから出ている。安全保障は人権よりもスピードが速いので、この傾向はさらに強いと思う、とキハラハント氏は推測しつつも、国連の国際安全保障の場でこうなのかと驚いたという。
そこでキハラハント氏がリアリストとして考えたのは、報告書は全世界に公開されるとしても、本当に世界を変えたいならその人たちに向けて情報を発信し、影響を与えることだった。報告書の内容は独立だから影響を受けない。しかし使い方の段階では、非常に戦略的に考えなければならない。報告書は棚にいくらでも積まれているからだ。須賀川氏が、報告書を作ることが目的化していることもあるのではと尋ねると、キハラハント氏は、政治的に動かないことが最初から見えていて、とりあえずアウトプットだけ出す場合もあると認めた。
国連のお金の使い方と、職員への正当な報酬
須賀川氏は、国連を軽視する風潮の背景には予算の使い方への批判もあると指摘し、自身の体験を語った。アフガニスタンへ国連機で入る予定で、ドバイかドーハの空港を経由したときのことだ。到着後にタリバンに見せる書類の印刷を忘れ、印刷場所を尋ねた。すると国連の青いタグを見た係員に、ファーストクラスのラウンジへ案内され、何でも無料で頼んでよいと言われた。国連職員ではないので気まずく、プリンターを借りてカレーを食べたという。危険な場所で働く人にはむしろ良い待遇を受けてほしいと思う一方で、これを見て誤解する人も出てくるだろうと感じ、お金の使い方の改革は必要なのかもしれないと思った、と須賀川氏は話した。
キハラハント氏は、お金の使い方の改革と監査の改革の両方があると応じた。そうした批判を受けて国連内部の監査は非常に厳しくなっている。ところが監査のために本部から5人、10人といった職員が、ビジネスクラスなどで来ることもあり、その費用が馬鹿にならないという。監査は重要で必要だ、とキハラハント氏は付け加えている。
一方でキハラハント氏は、国連を優秀な職員が働き続けたい職場にしておく必要があると強調した。国連にも問題はあり、企業に行けば何倍もの給料を得られ、嫌な思いもしなくて済む優秀な人は離れていってしまう。人助けをしているのだからボランティアでやれ、という考えは持続可能性の点で良くない、とキハラハント氏は言う。須賀川氏も、日本ではNGOやNPOの人を「好きでやっている」と見る感覚が危うく、社会を良くした人がお金を得てもいいと述べた。キハラハント氏は、職員の子どもが学校に行くにもお金がかかると応じた。
キハラハント氏自身の特別報告者の仕事は完全な無報酬で、それは承知で引き受けたという。ただ、制約は厳しくなっている。キハラハント氏によれば、以前は国別訪問として年に2か国をそれぞれ2週間訪れていたが、今年は1か国だけ、しかも10日間になった。一か国だけで世界の人権状況を報告するのは難しく、特定の国の特定の問題にピンポイントで絞るしかない。特別報告者は国連の事務次長補級で、その報告書は重い意味を持つ。市民社会や政府代表から事前に情報を集めて臨むとはいえ、現場を10日以内でしか見られないのはかなり厳しい、とキハラハント氏は述べた。須賀川氏は、監査の人員を1人減らしてその分を1か国分に充ててほしいくらいだ、と応じた。
若い世代と、今の実態に合わせた法の使い方
最後に日本へのメッセージを求められたキハラハント氏は、若い世代について語った。学生とプロジェクトや研究をする機会が多いが、若者にやる気や希望がないと言われるのは実態と違い、さまざまなことに興味を持って真剣に取り組む若手がたくさんいる。その人たちを大事にすべきだという。
大事にする方法について、キハラハント氏は、自分たちの世代が国際人道法や人権法がうまく機能していた「黄金期」のイメージを押し付けてもうまくいかないと述べた。必要なのは世代間のコミュニケーションだという。例として挙げたのが、子どもへのオンライン上の性的暴力である。キハラハント氏の世代の専門家は、まず「ソーシャルメディアにアクセスしないようにすればいい」と考えがちだ。しかしそれは違う、とキハラハント氏は言う。自分たちはソーシャルメディアなしで生きてきたが、今の世代にとってそれがないことの影響はまったく違うからだ。
人権法、人道法、法の支配、人間の安全保障を、今の実態と今の人たちにどう当てはめるか。それは自分だけで考えるのではなく、意見交換しながら考えるべきだ、とキハラハント氏は述べた。あまり意見交換したくない相手とも、経験が浅いと思える若い人たちとも、相手の立場を理解しようとすること。専門知識を持つアカデミックな人たちも、今の実態を踏まえてそれを使っていけば、今の人間に合ったことができていくのではないか。そう語ったうえで、キハラハント氏は「日本もなかなか捨てたもんじゃない」と強く感じていると締めくくった。
最初に国連に入った時は、もうこの崇高な、国際社会の番人みたいな。報告書を出しても、公の場で動かす人もネゴシエーションをする人も一握りなんですよね。本当に世界を変えたいと思ったら、特別報告者って事務次長補級なんですよ。
報告書っていくらでも棚に積まれているんで、どういうふうに使っていくのかっていう時点では、もう確実にすごく戦略的に考えないと。
なるほど。
世界の流れはいい方向に向かっていく可能性って今後あるんですか?
大国が何でもやってくれる時代は終わったので、今まではこんな国とこんな国は結びつきようがなかったっていうような国々が連携したりとか。
例えば、どこ?
ヨーロッパと中国とかですね。イシューベースで連携していくわけですよね。
じゃあ、その国で起きてる人権を黙認してることに該当しませんか、みたいな。
どうやって自分たちを守るかっていうのは。
そうなんですか。
私もスリランカにいたことがあって、北の方はタミルの虎が支配していてですね。そこに住んでる人たちに少しでも食料とか教育とかを届けようとすると、未亡人の人たちに「来ないで」と。
どういうことですか? なんでそんなことですか?
なんで来ないでって言うかっていうと。
ミャンマーで起きてることとか、いろいろと多分、世界で負の動きが今拡大してるっていうふうに感じるんですけども、先生、どのように今の状況をご覧になってるかなって、まず。
今は大国がもうその価値観ですね。今まで、例えば人権とか法の支配とか、それから国際法は国際法でも一番基本となる国際法の、他の国を占領しないとかですね。そういう規範、規律そのものを、もうそういうものがないんだと。そういうものは実は合意してないんだという、そこまで来ちゃってるので。
その決まりがあれば、いろいろと合意できない点はあるにしても、決まりに従って決めようという決まりはあるのでいいんですけど、今、その決まり自体を特に大国が明らかに疑問視し始めているので。
国の安全保障と、そこに住んでる人の安全保障を考えた時に、そこに住んでる人の権利を守るために、有事というか、侵略行為もしくは軍事的行為が起きる。そこってすごい難しいせめぎ合いというか。
今の状態は本当に危険だと思います。やっぱり国際社会って、これだけいろんな国と、いろんな価値観がある国、また人々が一緒にやっている以上、やっぱり決まりはないと。何を信じるかとか、何が重要かっていうこともすごく重要なんだけれども、じゃあそれをどういうふうに追求するかっていう、そのシステム自体は。
いや、めちゃくちゃ難しいですね。
自分たちの利益を守るっていうのは、もう本当に本能だと思うので。私は結構リアリストなところもあってですね、結果的に人の権利を守れるという、人間を中心に考えるという、人間の安全保障を守れるということがすごく大事だと思うんですよ。
じゃあ、100%欲しい時に90%で妥協するのか、ダメだと言って、それを交渉するのかっていうのを、私は90%派なんですよ。とにかく前に進まなきゃいけないんだ。ここまでやって、そこからまたやればいいんじゃないかと思うんですけども。
片方が、じゃあ60点でいいですってなった時に、もう片方はそれに被せて、じゃあもっともっとってなってきた場合は。
ダメですね。
そうなってきちゃうじゃないですか。お互いが60点で落ち着くっていうことが大事で。
そうなんです。だから、そのシステムは守んなきゃいけないんですよ。だから片方が20%ぐらい妥協したら、もう片方も20%ぐらい妥協するっていうのは常識だよねっていう、その常識自体が揺らぐと、これはうまくいかない。
うまくいかないですよね。結局、みんな自分であったり、自分の国であったり、もしくは自分の安全保障を最大限にしたいって思ったら、それはうまくいかないっていうのが今の時代になってるのかもしれないですね。確かに。どうしたらいいんでしょう?
まずは、大国が何でもやってくれる時代は終わったので、各国、または各国だけじゃなくて、例えば国際機関とかもそうなんですけども、どうやって自分たちを守るかっていうのは、今までのやり方に囚われずに考えなきゃいけないっていうのは、まず。
例えば日本の場合だと、アメリカとの同盟関係はすごく大事だと。だけれども他のところ、特に近くにたくさん、比較的新しく力を持ってる国がたくさんいてですね。その一国が力を持ってなくても、たくさん数っていうのはあります。だからアフリカなんかすごい強いですよね。一国は強くなくてもあれだけ数があるから、国際社会で何かネゴシエーションしようとすると、結構ネゴシエーションできるんですよね。私、例えば。
確かにそうか。資源だってね。資源も人口も経済規模もですもんね。
でも今、歴史的なインジャスティスというか、植民地の。あ、そうですよ。それで思い出しましたけど、地図のメルカトルがダメになりました。
あれは、アフリカがちっちゃくなっちゃって、みたいな話ですけども。
アメリカですよね。
アフリカがすごく小さく、元々あれって、アメリカもちっちゃくなって。
アメリカはちっちゃくなりますけど、アフリカがちっちゃくなっちゃったりとか、グリーンランドがすごい大きくなっちゃったりとかっていう。あれはインジャスティスだと、歴史的な非正義だということで、それが国連でも今認められましたけども、そういうことができていくわけですよね。数が集まれば。
アメリカだけでしたっけ、反対してんの?
アメリカだけだったかな? ちょっと。
そうですよね。少なくともアメリカは反対してるんですけど。
大きいですもんね。
自分たちがちっちゃくなっちゃうから。ロシアがあんまり何も反応してなかったのは、ちょっと面白いなと思って。ロシアは元々、みんなが認める世界最大の国土を有してる国だから、そんなにあれなんでしょうけど、アメリカは結構ちっちゃい。アフリカはやっぱり赤道の部分はそんなに変わんないじゃないですか。
でも比較すると大きくなりますよね。他が。
そう、そう。むしろ相対的に見たら確実に大きくなりますからね。
そうですよね。グリーンランド、超ちっちゃいですもんね。
どこかで見ました。グリーンランドがあんなにちっちゃいとは気がつかなかったんじゃないかって、アメリカのトランプ大統領が。
なるほど。トランプ大統領はメルカトル図法を見てたから、グリーンランド、でかい、クールと思ってたみたいな。
でも、これは冗談だったのかなんだけど、メディアで見ましたけど。
冗談かもしれないけど、本気でそう思っててもおかしくないような感じはしますよね。確かに。
なるほどな。でもその考え、あれが少しずつ常識としてなってくる時代っていうのは、ある種このポピュリズムであったり、この自国主義と逆を行く流れでもあるわけじゃないですか。世界の流れは、じゃあこうやっていい方向に向かっていく可能性とかあるんですか?
私がすごい注目しているのは、新しい連携の形なんですよ。
連携の形。
新しい連携の。つまり今までは、大国がやるね。大国っていうのは何かっていうと、国連の安全保障理事会にいる国々が、世界の安全保障の警察官として見守っているみたいなのが、戦後の常識というか、戦後はそういうふうにやってきたんだけれども、今もうそれが機能しないと。
機能しないということをまず認めて、今はいろんなところに新しい形の連携が。今まではこんな国とこんな国は結びつきようがなかったっていうような国々が連携したりとか。
例えば、どこ?
問題の時もあるんですけども、利益ベースとかイシューベースで連携していくわけですよね。
事ってことですかね。
はい。日本も、例えばベトナムとやったり。ベトナムは別に特に利益が相反することないですけど、とかフィリピンとか、新しいところをどんどん探していったりと。ヨーロッパと中国とかですね。基本的には最初は、1990年代とかはあんまり考えられなかったようなことが、そういうことがあったりとか。アフリカが一国でヨーロッパと同盟関係を結んだりとかっていうのが、イシューベースでできたりするわけですよね。
あと国連なんかも、国連が世界の国際の安全保障についてやっていくっていうのが、まだもちろんそうなんですけども、アフリカ連合と一緒にやってみたりとか、もっと準地域機関と一緒にやってみたりとかっていうのをやったり。それだけでなく、今度は国際金融機関とかと連携してみたりとかっていう、新しい連携の形があって。そういうのが連携しないと、今の壊れていく大国が悪いことというか、規範に反するようなことをした場合に対抗していけないっていうことだと思うんですけど。
なるほどね。これ、イシューベースってすごく大事なことだと思いますし、今の日本でも、この党の理念としては相反するけれども、イシューが同じであれば、じゃあそこ連携しましょうみたいな動きが結構出てきてるじゃないですか。
一方で、これまた超リベラル的というか、イシューベースで組めるところで、例えば中国と組みますとなった時に、でも中国の人権で絶対にこれはダメだというところは、やっぱりあるわけじゃないですか。それは別に中国に限らず、他にもいろんな国もたくさんあって。
でもイシューベースでそこは手を組みましょうかっていうこと自体は、じゃあその国で起きてる人権を、是認はしないまでも黙認してることに該当しませんか、みたいなことになりかねないじゃないですか。
なります。
でもそれは、さっき先生が言った60点、70点を目指すんだったら、現実的な路線なのかなとも、ちょっと思うんですよね。
そうです。
めちゃくちゃ難しいところだな。
悩ましいところだと思います。日本で言うと、例えばミャンマーと。
ミャンマーですよね。だって、Jとか送ってるわけじゃないですか。
人権から見ても難しいと思います。もちろん国軍側を支援するとなると問題なんですけども、例えば国軍側を支援しないとしても、人々に人道支援を届けたい場合には、国軍を通らないで行くルートが今ないわけじゃないですか。その地域にはですね。ないわけなので、じゃあやらないとなったら、苦しむのは誰かっていうと、人々なんですよね。
だけども、あげたら苦しむのは誰かっていうと、やっぱり人々なんです。なんでかっていうと、国軍が例えば食料を受け取って、それが人に届くまでに、間でほとんど取るわけですよね。そうすると結局、どっちにしても人々は苦しむだけで。短期的には、でもどっちが人々に少なくとも少しは食料が届くかっていうと、もしかすると食料をあげた場合かもしれない。だけど長期的には。
それはそうです。
日本だけじゃなくて、他の国々と連携しなきゃいけないです。日本が、例えば、じゃあもう支援はしないって言ったとしても、他の国があげてたら全然これが意味なくなるわけなので。
そうですね。ただの政治的なスタンスを出してるだけですよね。
なので、そこは連携しなきゃいけなくて。今、日本はどっちかっていうと、ヨーロッパが支援しないって言ってるところ、日本はやるんだっていう、どっちかっていうとそっち側だと思うんですけど。なので、足並みを揃えないといけない。じゃないと、人権をよくしようっていうことはうまくいかないですよね。やっぱり圧力なので。
シリアとかもいい例でしたよね。やっぱり結局ですね。アサド政権は倒れましたけど、それまでは結局、反政府側というか、アサド政権と対立した側に支援を届けるためにも、結局アサドと協力しないといけないみたいな。国連の機関も本当に相当悩まれながらやってたと思うんですけれど。
片一方から見ると、結局アサドに寄ってるのかよ、お前は、みたいな見られ方しちゃうし。
そうなんです。
確かにその側面はあるけど、でもそうでもしないと。
そうなんです、っていうのがあります。私もスリランカにいたことがあって、1990何年だ? 3年ぐらいかな、3、4年ぐらいかな、にいたことがあって。その頃はスリランカは二分されていて、北の方はタミルの虎が支配していてですね。
そこに住んでる人たちに少しでも食料とか教育とかを届けようとすると、虎がやってますから、完全に支配してますから、そこを通さないわけにはいかないっていう。どうしたらいいんだ。でも国連の中でも結構割れたりしてですね、難しいことをしたことがありましたね。
私はその時は、国連、人権じゃない方の難民の高等弁務官事務所で。
なるほど。
緒方さんのところで。みんな避難民であると、国内避難民であると。難民じゃなくて避難民も国連のUNHCRのマンデートであるっていうふうにしたのは緒方さんですけども。
そうですよね。いわゆる、あれ英語でなんて言いましたっけ? インターナリー・ディスプレイストですね。
はい。インターナリー・ディスプレイスト・パーソンズ。
その人たちがみんな避難者であると。そうすると、スリランカの場合は内戦だったので、もちろん北部の方っていうのは、みんな動き回ってるわけですよね。なので彼らは避難者であると。だからUNHCRは支援ができると。じゃあ支援しようとなった時に北部に入ります。入ったら、カウンターパートを探そうとすると、そこしかいないわけです。
カウンターパートはそこしかいないわけですもんね。
っていう、すごい難しい。例えば私たちも一つのプロジェクトとしてやってたのが、未亡人の人たちに直接支援を届けよう、なるべく直接届けようというふうにやって。未亡人の人たちに話を聞きに行ったりしたこともありますけれども、そうすると「来ないで」と。
なんで来ないでって言うかっていうと、未亡人の人と国連の人が話しているっていうことを見られただけで、次にその人は危ないわけですよね。
だから、その人たちがやられるってことですよね。
そうです。その人たちの命と生活を守るためには、タミルの虎に何らかの許可というか、タミルの虎がそれを何らかの形で、やっぱり認めなきゃいけない。
承認を得ない限りには、結局その人たちを助けることはできないってことですね。そこを通さずにやろうとすると、結局その人たちのリスクが高まっちゃう。むしろやらない方がいいぐらいですね。
そうです。それで引き上げることもありますし。本当に難しいなっていうのは、ミャンマーのことを今見てると、難しいよなっていうのは思いますね。どれが正しいのかっていうのは、本当に難しい。
そうか。その場所によって、正しいっていうものの基準が結構変わってっちゃいますよね、本当に。だって、タミルの虎と絶対に関わるなっていうふうに言ってる人たちも、もちろんいるでしょうし。
そうですね。
でも、目の前で人が死んでったんですよっていう現実もあるし。今のこのミクロで起きてる話を、ぶわっと大きく広げると、結局、国同士で起きてる今のイランの状況とかにも関わってくる部分があるじゃないですか。
だと思います。
最終的には守るべきは人の命であって、これ、ウクライナ情勢とも言えることで。やっぱり特に振り切った左派、もしくは右派もそうなのかな、日本国内で、このウクライナでもしくはロシアで人が死ぬことを、まず最優先に止めるべきなのであると。
そうであるならば、まずはロシアと条件交渉を始めるために、今の状態で停戦を押し進めるのが、人の命を守る最短であり最善の策であるっていうふうに言ってる人が、それなりにいて。でも、そうしたことによって結局ロシアの占領を認めることにもなってしまって。じゃあそれ、力による現状変更、いいですよねって認めたことになったら、その後でどんな野心が来るか分からない。
だからやっぱりそれは認められない。でもそこも多分、結構せめぎ合いになってる部分もあるんじゃないかなと思うんですけど。僕は力による現状変更っていうのは、もう一切そこに関しては妥協すべきではないっていう考えのもと、でもそれでもすごいたくさんの人が日々命を落としてるわけじゃないですか。
その辺に関しては、先生、人間の安全保障っていう側面から、どういう決着を見ていったらいいんだろうって。めちゃくちゃ難しいんですけど。
難しいです。即時停戦をすべきだっていうのは、その通りだと思うんですけども、おっしゃったようにたくさんの条件がついてくるわけじゃないですか。停戦するということは、じゃあロシアはここまででいいっていうことがついてくるのであれば、やっぱり国際法上は、あれだけ明らかに国際法違反が起こったことはあまりないですから。
そうですね。常任理事国による。
ですよね。っていうのは本当にないので、そこはやっぱり譲りがたいとは思うんですよね。なので、本当にそれは難しいですね。どれが正しいのか、なかなか難しいと思います。
ただ、特に命を守るためにはすぐ停戦で、それによって領土の割譲が行われたとしても、命が守れるんだったらそれでいいじゃないかっていう人と、一回話したことがあって。でもそこで終わるっていう確証がないじゃないですか。結局、ロシアの場合は。
結局、じゃあそこまでいいんだったら、次は、次は、次はってならない、その保証がない時点で、やっぱりそれって長い目で見たら命を守るってことにつながらないんじゃないですかって話になって。結局、堂々巡りになるんですけど。
それはでも言い続ける。一つは言い続けるしかないですよね。これは国際法違反だっていうふうに言い続けないと。違反だって言わない限り認めたことになっちゃいますから、ずっと言い続けなきゃいけない。それから、戦ってる間、人の命がどんどん失われていくわけですから、それはいけないっていうのもずっと言い続けなきゃいけない。それはすごく思っていて。東ティモールの時がすごく似ていてですね。
なるほど。
似ていてというか、インドネシアが東ティモールに1974年に入ったのも、あれも国際法違反で、国連はあれを認めてなくてですね。24年間ずっと違法な占領状態にあったと。その間に、4分の1から3分の1と言われる人口が亡くなった。死んだり、いなくなったりしたんですけども。
その時はもう本当に、東ティモール人としては、すぐに停戦というか、すぐにやめたらインドネシアの占領を認めたことになるから嫌だと。ずっと戦ってたわけですよね。
そうですよね。
本当に、あのケースはラッキーだった。時期的にも、インドネシアの大統領がちょうど変わった時に、大統領が「じゃあ住民投票してみようか」って思ったのもラッキーだったし、その時に国連がちょうど黄金だったのもラッキーだったし。国連が「やってみようか」っていうふうに思ったのも、本当にラッキーだったと思うんですけど。たまたま言い続けていって、死に続けた結果ですよね、人々が。最終的には独立したと。
守られた。
守られたって言っていいのかということですよね。でもウクライナの場合は規模がだいぶ違うんですよね。インドネシアの場合は空軍とかはなかったんで、あくまでも地上戦というか。なので規模的にもだいぶ違うし、視覚的にもだいぶ違う。世界にそんなに見えてなかったので、東ティモールで何が起きてるかね。ソーシャルメディアとか、そんなになかったですし。
そうですよね。確かに。
だから、国際社会に対するショックはだいぶ違うかなって。それはあると思いますね。国際社会の今その規範がすごく守られてなくて、国際社会がもう機能してなくて、国も機能しなくて、みたいな絶望感みたいなのがあると思うんですけど。
よく、もう国連が機能してないって言われて。いや、だからそれ国連じゃなくて国連安保理ですよって、僕も言いたくなるんですけども、一般の人たちから見たら安保理も国連も一緒なんですよね。
一緒です。それはそうだと思います。でもそれが見えて、国連の安保理が機能していないっていうのが今は見える。前は見えなかったので。なので、みんなの絶望感っていうのは、ソーシャルメディアとか、人々が見聞きすることによって、絶望感が回っちゃっているというか、思うんですけど。
だけども、だから一つ、私のは、絶望感じゃない側のこともどんどん発信していかなきゃいけない。ニュースってどうしても、やっぱりうまくいかないことがニュースになるので、「国連、うまくやりました」みたいなことは毎日言わないわけですよ。
言わないですね。確かに。むしろ、やってて当たり前のことだから。警察と一緒ですよね。市民の治安を守って正義の味方であることは当たり前だから、ちょっとでも不祥事があると、もうそれがニュースになっちゃうって。
そうなんです。私、この前、国連の平和維持活動に関する独立研究っていうのをやったんですけども、そこで、すごくショックだったのは、あれはどこのケースだったかな。マリか。
マリのケースで、マリでは「国連なんていらない」っていう排斥運動みたいなのが起きて、結局、国連はすごく端的に言うと追い出されたんですけども。その「国連がいらない」っていう大元となった情報っていうのが、国連は実はお金を取っちゃって、自分たちで取ってしまっていて、人々のために使ってないとか、いろんな偽情報があったんですけど。
その偽情報の大元が実は3件だったって言うんですよ。つまりソーシャルメディアで最初に出たものは3件の情報で、それがリポスト、リポストされて拡散して、あたかも本当に大規模に行われてるようになって。それがついに国政を動かしてしまったというか、「国連いらない」っていうふうになったっていうのを聞いたので。
3つだったんですね。
はい。恐ろしいですよね。だから逆に言うと、3つすごい成功みたいなのが、こんなこともするんだっていうのが出てくると、少しは影響があるんじゃない。そこまでみんながちゃんとリポストとかして、興味を持ってくれる。
これね、やっぱりメディア側にいる人間として思うのが、言いたくないんです、正直。言いたくないんですけど、やっぱりネガティブな情報であったりだとかの方が、みんな見られる。
そうでしょうね。
なんでなんですかね。これ、本当にポジティブな話も同じように見てほしいし、見られるケースもあるんですよね。やっぱりXとかでも、たまにすごくポジティブな話があって、「こういうのは見たかったんだよ」と。「これこそ拡散してほしい」って言って拡散する、すごくいいニュースもあったりするんですよ。だから本当に多分、何かのきっかけだと思うんですけど。
でもベース、分かんない。それは僕の目が曇って、実はそうじゃないのかもしれないですけど、ネガティブなことばっかり発信し続けてきてしまったがゆえに、僕の認知が歪んでる可能性もあるかなと思うんですけど。実はどうなんですかね? 世の中の人たちは、ポジティブな話を見て。
どうなんでしょう。イランもそうですけど、これだけ人が死んでいる、いろんな悲惨なニュースが拡散すると、もうそろそろいい話、みんな「ここにいい話があったぞ」ってならないのか。つまり人は非日常というか、珍しいものとか新しいものを探しているとすれば、新しいものにならないのかなっていうのは思うんですけどね。
でも発信の仕方とかも、発信の内容とか、ターゲットが誰かとか、いろいろそれによるのかもしれないですけど、なんないのかなって。
ヘイトであったりとか、憎悪を煽るものって本当に拡散しやすいですよね。他に、安保理の話じゃないですけど、現地でそういったことを感じた瞬間って、他にあったりします?
ヘイト。そうですね。
ヘイトじゃないにしても、一つの情報が拡散したことによって、大きく国政が動いてしまったりだとか。もしくは、人の感情が強く揺さぶられてしまったことがあったりだとか。
そうですね。東ティモールで言うと、これはもう本当にソーシャルメディアじゃなくて。東ティモールのその頃をイメージするには、例えばこれは全然仕事と関係あるかというと分かんないですけど、私が運転をしていて、穴に落ちてしまったことがあったんですよね、東ティモールで。
大変ですね。
見えなくてですね。穴だらけなんで、落ちてしまって。3輪しか引っかかってなくて、1輪はもう空中に、1個は浮いちゃって。「どうしよう」ってなった時に、もう全然誰もいないような森の中からたくさんの人が出てきて、助けてくれたんですけど。
それよりももっとびっくりしたのは、助けてもらってすぐに、私はそこから30分先ぐらいの自宅まで車で戻ったんで、そしたらもう、そこの村の人がみんな知ってたんですよね。「お前、助けられただろ」とか言って。ソーシャルメディアはないし、その頃、携帯電話とかもみんな持ってない。普通の電話もないようなところなんで、どうやって知ったのかなと思うんですけど、人の口だそうで。
でも車で普通に運転していった人と、人づてに行った、人の方が早かった。
早かったんです。
そんなことあるんですね。
そんなこともあるんだなと思って。びっくりしました。ちょっと国政とは関係ない。
でも確かに、SNSがあろうがなかろうが、人の本質っていうのはやっぱり変わらない。
他の人の失敗とか大好きで、ヘイトとかも結局、怒りとかですね。他の人がよくないというような話は、みんな大好きですね。
でもそうですよね。正直、ReHacQとかでも、成功した人の話よりも、成功してるふうな人の失敗の話の方が、やっぱり面白いっていうか。僕なんてもう失敗人生だから、もう失敗ばっかりなんですけど、やっぱりそうなんですよね。成功するよりも失敗の方が。
でも、成功した人は大体失敗してます。
してますよね。
しなかったらいかない。分かんない、一気に成功する人もいるのかもしれないですけど。
そうですね。それはそうかもしれないですね。でも今の人の話の伝わり方っていうので、いきなりちょっと暗い話になっちゃいますけども、ルワンダとかまさにそれですよね。
そうですね。
ラジオで憎悪を煽って、一気にそれが。ルワンダとかから見て、現代における教訓。ルワンダの話を視聴者の方にも簡単にね。フツとツチですよね。ラジオで反対側の民族の虐殺を煽ったようなもんですよね、あれはほとんど。
はい。ゴキブリっていうふうに呼んで。
ゴキブリですよね。大量の虐殺が起きてしまったって、本当に隣人が隣人をナタで殺すようなことが起きてしまったっていう大事件なんですけれども。あれは何年でしたっけ?
そうですよね、本当に。その後『ホテル・ルワンダ』っていう映画もできて、本当に近代における虐殺が起きたわけなんですけども、あそこから学べる教訓。やっぱりああいう虐殺、例えば旧ユーゴの例とかもありますけれど、日本からしたら距離が遠いじゃないですか。時間軸的には結構近いんですけど。
距離が遠いと、遠くのアフリカで起きたことだよなとか、バルカンの昔、火薬庫って言われたところで起きたことだよな、みたいなぐらいで、あんまり実感としても湧かない部分があると思うんだ。そこから学べるものっていっぱいあるんじゃないかなと思っていて、今の現代の日本において教訓となり得るものって、どういったものがあるんでしょう?
そうですね。多分一つは、先ほど出た話の情報ですよね。情報はすごい重要である。この前の国連の平和維持活動に関する独立研究でも、一つ、情報を制するものは世界を制するっていうような、世界を制するまでは書いてないですけど、誤情報、偽情報を、「これは誤情報、偽情報だ」っていうふうに簡単に考えない。
それは本当に安全を破壊し得るっていうことを認識して、そこにたくさんの計画、それからお金ですね、人を投入して、予防するだけじゃなく、もっと先回りして情報をうまく使って平和をつくっていくっていうことが大事かなっていうのは、一つありますけども。
もう一つは、ツチ族のルワンダの話もそうですし、スリランカの場合もそうですけども、民族っていうのが分けられちゃったっていうのは、植民地時代にそういうふうにラベルをつくられちゃっただけで、元々は人たち、一緒に暮らしてたわけですよね。ユーゴスラビアもそうですよね。
自分がどこに属しているとか、自分はこうだっていうふうに思ったからそうなったわけじゃなくて、ラベルをつけられちゃったら、意外にみんなそのラベルに沿って行動し、それに沿って支配されたので、構図ができてしまい。そうすると、その中にいる人たちは意外に簡単に、その憎悪の構図に巻き込まれるっていうことですよね。
だからそれをもう先に見越して、そういうことが起きた場合にそうならないような資源をちゃんと入れておく、ということがあると思うんですけど。長期的には、例えば教育。人を分けるとそういうふうになるんだよっていうのを知ってれば、自分たちがラベルをつけられた時に、「あなたは日本人、あなたは沖縄人」とでもいいですけど、何でもいいですけど、そういうふうにつけられた時に、「いやいや、ちょっと待てよ」。変えられるかなっていうのがあったりとかですね。教育、すごく大事ですね。
確かに。
みんながそれを意識している、情報に対するリテラシーって言うんですかね。どういうふうに情報を受け取るか。たくさんの情報が毎日来る。何でしたっけ、江戸時代に10年間かかって受け取った情報の量を、私たちは1日で受け取るとかっていうふうに聞いたことがあるんですけども。
確かに、瓦版とかでね、あと人ぐらいだったのが、瓦版なんてもうスマホの1ページですからね。今日どんだけ情報浴びたんだろう、みたいな。
それだけのものが入ってくるのを処理してるわけなんで、その処理の仕方によってはいろんな方向に行くかな。
確かに。江戸時代から人間の脳みそ、多分そんなに進化してないですからね。ホモ・サピエンスの時代からは進化したかもしれないですけど、江戸時代からは進化してないけど。確かに情報量としては半端じゃない量が。
それをどういうふうに処理していくかっていうのを、教育にちゃんとつなげていくっていうのは、すごくやった方がいいかなって思いますね。
教育ですね、まずは。なるほどな。
あとルワンダの場合は、今、逆にそのラベルをつけてしまったっていうことを反省してというか、今はツチだとかっていうのが禁止されていて、みんなルワンダ人って言わなきゃいけなくなってるじゃないですか。
そうすると、もしもう本当にそうならいいんですけども、アイデンティティとして、例えば自分は日本人だと思ってる人と、自分は琉球人だと思ってる人と、自分は人だと思ってる人とか、いろいろいるかもしれないんですけど、それを自分で選べるっていうことを確保しておかないと。
それも個人の尊厳であり、安全保障ですよね。
はい、っていうふうに思います。
確かに。おっしゃる通りで、あれだけの虐殺を経験したからこその、ルワンダ人っていう、それも一つのラベリングであって。本来であれば、それぞれの生まれた土地柄であったり、信仰している、いろいろな文化とかっていうのを尊重して、それを内包するのも大事なことですもんね。
そうです。それでもう一つ大事なのが、人間っていうのは分裂するものだと思うんですよ、私。なので、分裂を自分たちでするかもしれないし、ラベルをつけられちゃって分裂するかもしれないので。一番大事なのは、その人たちが違う価値観のもとに、どうやって問題を解決していくかっていうシステムですね。
そうすると法の支配みたいになってくるんですけど、どういうふうに相談するのか、もしもそれが決裂した場合はどういうふうにするのかっていうこと。もう自分たちは違うよねと。違うんだけども、そこだけは合意しておこうっていうのが、すごい大事かなっていう。
法のシステムのもと、合意するところは合意して、でも相容れないところは、それぞれ文化であったり信仰であったりとかってことですよね。
それは法の支配の中では、私は一番大事なところかなと思っているんですよね。もちろん人権とか人間の安全保障っていう、人間を守るっていう価値観そのものは、ものすごい大事だと思ってるんですけども、そうじゃないと思ってる人も、もしかしたらいるかもしれない。
でもその人たちともちゃんと対話をする。問題が起きた場合に解決するようなシステムについては、別途合意しておかなきゃいけなくて。そこさえ合意できてれば、価値観はもう本当に相容れないけど、じゃあ今日のところはどうしようかっていうのを話し合えるのかなっていうのは思って。
ちょっとまた意地悪な質問していいですか? これ、すごく大事なところで、おっしゃる通りだと思うんですよね。よく日本で言われるのが、私たちは別に外国人を排斥してるんじゃないと。法を守らない外国人はいらないと。法を守る人であればウェルカムするんですっていうふうに言う人、結構多いんですけど。
でも、例えばそういった人の過去のポストであったりとか発言を見てみると、結局それは詭弁であって、「結局あなた、外国人が嫌いなだけじゃないですか」っていうところに帰結してしまう。だから「違うんです。法律を守らない外国人がいらないんです。ダメなんです。入ってきてほしくないんです」って言っている人たちの、それを理由に結果的に排斥的な、排他的な考え方が広まってしまうリスクっていうのも、今、日本で起きてるんじゃないかなって僕は感じていて。
でもそれも含めての、多分その60点、70点っていう点のつけ方なのかもしれないんですけれど、そこに関してどうなんでしょうね。
守らない人はいらない。もちろん、例えば過去に虐殺をした人が日本に入ろうとしたら、その人は入れないとかいうのは、私は同意なんですけども。ただ、法を守らないっていうのがどういう法なのか、そういう法なのかと。
それは多分ね、ごめんなさい、僕と先生で話してるレベルが違いすぎです。
僕、めっちゃレベルの低い話なんですけど、例えばこの日本の国内の、軽犯罪も含めて、当然、凶悪犯罪を犯した人たちは法の下で裁かれるべきだと思うし。それを別に日本人だから外国人だからって、優劣つける話じゃないじゃないですか。なんですけれども、軽犯罪も含めて法律を守らない外国人は出てけ、みたいな。法律を守らなくても何でもかんでも入れていこうってことは、決してそうではないと思うんですね。
そこはちゃんと秩序立って考えるべきなんですけれども、ただ、その考えを全面に押し出している人たちの根底にあるのは、結局、外国人いらないってところにつながっちゃってて。それを理由に、排他的、排斥的な考えが広まっちゃっている部分があるんじゃないかなって思うんですよね。本当に言葉通りであれば同意できるところなんですけど。
多く、そういうのにあるのは、データをちゃんと知らないですね。
そう、本当ですね。
データで見ると、外国人の方が犯罪率が高いってことはなくて、別に普通に日本人の人たちも犯罪を犯しますし、っていうのを知らないというのはあるかなっていうふうには思いますよね。それらしく聞こえるようにというか、取ってつけたように聞こえる、今の感じ。
いや、もう本当そうなんですよ。
おっしゃる通りで、海外とかでもそうですよね。イギリスは崩壊してるとか言うけど、そもそもナイフクライムの数だって減ってるし、殺人事件だって過去最低になってるし。でも、海外にいる日本人の、ちょっと右派系インフルエンサーの人とか、もうイギリスはだめだ、オワコンだ、移民が来ておしまいだから日本も同じ道をたどるな、みたいなことをワンワン言って。
ありますね。
もうどんどん広がって、いやいや、それあなた、エビデンスあります? ないんですよね。ないけども、やっぱりそこにばーっと群がって、ほら見ろ、ヨーロッパ地獄になってるぞ、日本をヨーロッパみたいにするな、みたいな。いや、それ言ってる人たち、どんだけヨーロッパ住んだことあるんだ、みたいな思うんですけど。
ありますね。
でも一方で、そう思わざるを得ないぐらい危機感を持ってる人たちの声を排除したら絶対だめじゃないですか。その人たちの尊厳もやっぱり守られるべきだと思うし。
そうですね。そうですけど、話を聞いてみたいですね。だから、もちろんその人たちの尊厳も守られるべき。
会しますか? ReHacQで集めて。
どういうふうに集めましょうかね。どういうふうに集めたいですか?
でも確かに、移民が来ることによって危機感を持ってる人っていうのはやっぱりいっぱいいるし、それに対して結構強硬な意見を持ってる人たちもそれなりに。それこそ、政治になるとまたちょっと変わってきちゃうんですけど。
そうですね。一般の方で思ってる人、来てくれますかね? 来てくれるかな。
そうか。だから匿名で言ってるような人たちは来ない。
来ないですね。匿名でやんないと来ないですか?
ReHacQで匿名でやったら、ちょっともう事故になりますね。多分もうめちゃくちゃになっちゃいますね。でも結局そうですよね。匿名だから言ってるのか。
っていうのはあります。匿名だと、別に証拠なくても言ってもいい、みたいな。
そうですよね。ありますね。なっちゃってますよね。
でもこれ、寛容と不寛容のパラドックスってたまに言われますけど、寛容的な社会であるならば、不寛容な考えを持ってる人も内包するべきである、みたいな。すごいパラドックスじゃないですか。多分この人間の安全保障っていう面でも、ちょっと似通うところがあるというか、相反する価値観を持った人たちをどう内包していくのかっていうのは、これから多分世界だけじゃなくて日本も大きな課題になっていくと思うんですけど、そこはシステムとしてどういったふうに解決していったらいいんでしょうかね。
そうですね。寛容、不寛容っていうのも結局同じことになるように思いますよね。つまり、いろんな人がいる。人たちがいる、問題が起きた。その解決法っていうのはこうであるっていうのを、まず合意しなければいけない。不寛容な人たち、寛容な人たちもそうですけども、なんでそうなってるのかっていうのをお互い……そうか、不寛容な人は聞きたくないのか。相手の話を聞かなきゃいけない。
でも寛容な人も不寛容な人の話を聞きたくないっていう構図が起きてますけどね。
不寛容な人の話、はい。
その時点でそもそもそういう人たちじゃないのか、みたいなことになってきたんですよね。「あなたは不寛容だ。だからもうあなたの話は聞きたくない」って時点で、いや、それあなた不寛容って言って。
それは確かによく言われますね。例えばソーシャルメディアとかでも、ソーシャルメディアって本当に、Facebookは自分で選びますけど、例えばショートとかで出てきたりするものっていうのは、勝手に自分が前見たものから「次、あなたこれ見たいでしょ」っていうふうに、勝手に機械で来ますから。そうすると、すごくいろんな意見を聞いているようでも、実はもう本当に、だんだん同じような人たちが、もう激しく。自分が寛容か不寛容か、例えば寛容な人たちでも、自分が不寛容な人たちに対して不寛容だってことをわかんない程度に、だんだんはまっていっちゃいますよね。
そうですね。それをどうしたらいいか。
だから、やっぱり情報なんですよね。これ、情報と教育っていうところにすごい戻ってきちゃうと思うんですけど。不寛容と寛容がだんだんごちゃごちゃしてきました。
だんだんごちゃごちゃしてきましたけど、はい。
やっぱり情報をどうするかっていう、そこにもうちょっと私たちは時間とエネルギーを使って、どういうふうにしていくのかっていうのを考えないといけないですよね。どんどん、寛容だと思ってるけど不寛容な人たちと、不寛容だと思って不寛容な人たちと、その他の人たちもやっぱりだんだん分かれちゃうんじゃないかなって。その人たちがどこで出会って対話をするんだろうっていうと、今、あんまりないんじゃないかなっていうの。
そうですね。対話の場を作ることは大事かもしれないですけど。
でも不寛容だと来ないですもんね。
どうなんでしょうかね。意外と来るのかなって気もするんです。
そうなんでしょう。わかんないですけど。だからそういうような場で話をすればいいんじゃないですかね。匿名じゃないと来ないような人たちとの中で、話をしなきゃいけない。でも本当、たまに私も見に行きますけど、例えば移民排斥系の、どんなコメントが来てんのかなとか。見に行きますけど、結構ひどいですよね。
結構ですよね。
この人たちと対話をするっていうのは難しいなっていうのは、正直なところ思いますよね。
なるほど。でもそれをまた細分化していくと、実はその原因っていうのはすごくシンプルなものにあったりするっていうふうな思いでいくと、もしかしたら意外と対話しやすいのかなとか。
対面だったらそこまで言わないですしね、みんな。
そっか。対面だとまた言わない。実はその匿名でポストしてる人たちは、そんな特別な人たちじゃないかもしれないですもんね。
そうですよね。だからこそ無視しちゃいけない声もあるし。
そうですね。確かに、そっか。ちょっと対話難しいかもしれないです。
難しいけどやらないとだめですね。ReHacQで呼ぶのは難しいか。どうでしょう? 匿名は難しいかもしれないですね。
匿名は難しいですね。でも、いろんな意見の人を呼ぶ。移民の政策はもう明らかにいろんな意見の人がいますから、どっちも呼んで話してみるのはすごい面白いと思いますよ。移民・難民政策は、アカデミックな人たちでもだいぶ分かれますからね。
そうですか。
はい、分かれます。それこそ「ヨーロッパを見よ」っていうようなアカデミックな人たちもいますし、人権系の人たちは、私は人権系というかどうかわかんないですけど、リアリストなところもちょっとあるので、人たちはまた全然違うこと言ってて、かみ合わないかもしれないけど面白いかもしれないですよね。
なるほど。でもリアリストであることって大事ですよね、これから。
多分私、アカデミックなところだけやってきたら、もうちょっと理想主義的なことで行けたかなと思うんですけど、戦場をたくさん見てらっしゃるのと同じように、いろんなのを見てしまったので。国連の中にいる時も、最初に国連に入った時は、この崇高な国際社会の、国際の人みたいなイメージで入ったら、中はやっぱり人間だったっていう。
なるほど。めっちゃ縦割りだし。
縦割りだし、それぞれのキャラクターもちろんあるし、いろいろ至らないところもたくさんあったりしてっていうのを見てしまったので、ちょっとリアリスティックなところが出てるんじゃないかなっていうのは。
でも今の国際情勢だとか状況とかを見てる時に、多くの国民は結構リアリストなんじゃないかなって。
リアリストなんですけど、リアリストでいるためには、ちゃんと何が起きてるかとか、どうして起きてるかっていうとか、どういう解決策というか、どういう道があるかとかっていうのを持ってないと、リアリストになれないと思うんですよね。なので、そうするとまた情報戦にもなってきちゃうんですけど。
なってきますよね。確かに、そっか。だからリアリストだと思っているけど実はそうでないと、一番危ないパターンかもしれない。
はい。私、今回本当、その国連の平和維持活動の独立研究で、今、国連ってすごく改革をしようとしていて、国連で特に予算がカットされると言われているのが、人権と平和活動なんですよ。私、二つどっちも一番の専門なんです。
しかも人権と平和活動って、最も国連が尊重するべきところじゃないですか。どういうことですか? なんでそんなことおっしゃってるんですか?
今、国連はまずお金がないじゃないですか。一番お金がないのはなんでかっていうと、アメリカが。
アメリカですね。
アメリカのが一気になんですけども、二番目に払うのが中国ですけども、そこも一枚岩でないわけ。そういうこともあり、また全体的に世界が、多国間主義の国連っていうところから、もうちょっと例えば地域連合とか、国家の有志連合とかの方に流れていって、ちょっと国連から離れていくのが多い。潮流としてそういう潮流があります。そうすると資金が集まらないですね。どこをカットするかっていうのが、今、人権と平和活動がどんどんカットされていて、すごい大変なんですけども。なんでそういう話になったんでしたっけ? 国連の中ですごい大変で、そうだ。
それで、その独立研究の結果をもとに、これから国連の平和活動っていうのはどういうふうに発展、閉じていくなら閉じていくで、どこにプライオリティを持って、どういうところに資源を費やしていったらいいんだろうっていうのを、国連の中、または加盟国と、C34という平和維持活動に関する専門委員会かな、で議論するわけなんですけど。
その時の議論の動き方っていうのが、一応、例えば専門委員会には34カ国、名義上は同等の34カ国があって、日本も入ってるんですけども。そこが平和維持活動について決めていくぞと、決めていくというか提言していくというふうになってるんだけれども、そこで実際に議論を動かしている国、またその国の中でも人たちっていうのが、本当一握りなんですよ。っていうのを、本当に目の当たりにして。
なるほど。
報告書にしても、もちろん報告書は独立なんで私たちがやるんですけど、それをもとに、じゃあこういうふうにやっていこうっていうのを、公の場で動かす人も、それから後ろでネゴシエーションする人も一握りなんですよね。
大体、その人たちの考えによっても全部左右されちゃうっていう。
はい。本当に次の日になると、例えばじゃあこういうふうにしましょうって話し合いをしたとして、次の日になると違う案が出てたりして、どこから出てきたのかなっていうと、大抵その一握りのところで動いてるっていうのがすごくわかったんですよね。多分、安全保障はスピードが早いので、その傾向がもっと大きいと思うんですね、人権とかよりも。大きいとは思うんですけども、それにしても国連でしょ。国際社会の安全保障でしょ。だったのかい、的な。
議題も含めて最終的なアウトプットの裏にいる人たちが。
はい、この人たちだった。すごいびっくりして。なので、さっきのリアリストから行くと、じゃあこの人たちに影響を与え、この人たちに向けて情報を発信。その独立報告書も、報告書は全世界にもちろんオープンなんですけど、本当に世界を変えたいと思ったら、この報告書はこの人たちが動かそうと思わない限り、少なくとも動かないのかなっていうのをすごく感じて。
どんな内容が良くても、その人たちが動かなければ意味ないんだったら、むしろそっちにフォーカスした方がいいですもんね。
はい。報告書の内容は影響を受けないですけど、独立だから。だけども、それをどういうふうに使っていくのかっていう時点では、もう確実にすごく戦略的に考えないと。報告書っていくらでも棚に積まれているもの。
そうですよね。確かに。報告書は作ることが目的じゃなくて、報告した後にそれをどうアクションするかっていうことでしょうもんね。
はい。それはすごく思いましたね。
国連って報告書めちゃくちゃいっぱいあるじゃないですか。
そうなんです。
報告書を作ることが目的になっちゃってるようなこと、やっぱりありますよね。
はい、あると思います。そうせざるを得ない場合もあると思うんですけど、政治的にもそれ動かないという。
なるほど。でもとりあえずアウトプットは何か出しておかなくちゃいけないけど、そこから先はもう動かないから、しょうがないよね、みたいな。
っていうのはもう最初から見えてる場合もありますし。でも今回の場合は本当にそう思いました。じゃあどう使うかっていうこと。まただから計画に戻ってきます。
なるほど。あとはもう一つは、この国連に対する、国が、国連じゃなくてもうちょっと自分たちの近しい仲間で協調していった方がいいんじゃないか、みたいな。国連をちょっと、言葉遣いはあれですけど、軽視するような考え方が出てきてしまってる背景に、やっぱりこの予算の使い方に対する批判みたいなのもあるじゃないですか。
はい。
僕はもう国連の人たちもめちゃくちゃリスペクトしてますし、素晴らしいことしてるなっていつも思うんですけど、一回びっくりしたのが、確かアフガンに行く時に、どこだったかな、ドバイの空港か、カタールのドーハだったか、ちょっと覚えてないんですけど、経由で行った時に、僕らその時、国連機に乗るはずだったんですね。国連の青いタグみたいなのを荷物につけたんですよ。
ちょっと書類を印刷しなくちゃいけなくて、要はこのアフガンの空港に着いたらタリバンに見せる書類があって、それを印刷しなくちゃいけなかったんです。僕は忘れてきちゃって、「ちょっとこれ印刷する場所ありませんか」って言ったら、国連のタグ見て「どうぞ、こちらへ」って、ファーストクラスのラウンジに連れていかれて。「全部フリーですから、好きなものを頼んでください」みたいな。
いや、僕ら国連の職員じゃないし、気まずすぎるなと思って、プリンター借りたんですけど。カレー食べたかな。カレーを食べたんですけど。でもあれを見た時に、誤解する人出てくるなとちょっと思ったんですよね。「なんだ、やっぱり国連って世界中いろんなところで、幹部はいいクラスの座席に乗って、そこから」みたいな感じに誤解で。結局、あれだけ大変な危険地で仕事をしてる人たちは、むしろラウンジとか使ってほしいと僕は思うんですけど、でも逆の見方をする人も出てきちゃうんじゃないかなって思っていて。そういう意味での、このお金の使い方の改革っていうのは、もしかしたら必要なのかなとちょっと思ったりもしたんですよね。
お金の使い方の改革と、お金の使い方を見る監査の改革っていうのはありますね。でも国連の中は実はその監査っていうのがどんどん厳しく、例えば今の空港の話のような、そういう批判があったりするので、監査がすごく厳しくなっていて。実はその監査のために、例えば本部から5人、10人とか来ますね。事務所にいる。それでその人たちは本部の人たちなので、割と良いフライトで飛んできて、ビジネスとかで来ちゃうわけですよね。その監査のために使うお金っていうのが、割とばかにならなかったりっていうのもあったりはしますね。でも監査はすごく重要だと思うので、必要なんですけども。
なるほど。重要で必要だけど、それがそんなにいいフライトで来られちゃ困ります。確かに。
あと、国連の人たちが、国連の中にもいろんな人たちがいます。
それ本当、さっき人間の話ですからね。それこそみんな、そうですよね。
言いますけど、いい職員の人たちに、国連を魅力的な職場としてずっといてもらわなきゃいけないっていうのを、私すごく思っていて。国連の中にもいろんな問題はあるわけで、そうするといい人たちで、他の例えば企業とかに行ったら何倍も給料がもらえて、こんな嫌な思いをしなくて済むような人たちは、離れていっちゃうこともあるわけですよね。なので、国連の人たちは人助けをしてるんだ、だからみんなボランティアでやれ、みたいなことは絶対、それは違いますよ。サステイナビリティとしては本当に良くないなと思って。
日本だってNGOとかNPOとかの人たちは、まるでもうボランティアで、あの人たち好きでやってるんだからいいでしょ、みたいな感覚、マジでやばいですよ。
はい。良くないと思います。そうすると結局続かなくなるので。
だって人を助けて社会を良くしてる人たちに対して、いろいろなインセンティブあっていいと思うし、人間社会で生きていく以上、金銭的インセンティブっていうのは絶対に必要だし。社会を良くしたんだから、その人お金持ちになったっていいんですよね。
必要です。はい。いいです。その人たちの子供たちが学校に行くには、やっぱりお金かかりますからね。
本当そうですよね。そこに関しては、異常な、変な潔癖症があるっていうのも、確かに問題だなと思いますね。
はい。国連が無駄遣いをしてた時もあると思うんですけど、今、厳しくなってるような。今、人権理事会の特別報告者をやっていると、もうあらゆるところに制限があって。前と比べること自体がもう意味ないのかもしれないですけど、すっごい重責を担ってるけれども、完全ボランティアですもんね。
完全ボランティアで、完全ボランティアは知ってて入ったので、まだいいんですけど。例えば特別報告者って国別訪問っていって、今までは一年に二カ国訪問して、その様子をちゃんと見に行く、二週間ずつっていうのがあったんですけど、もうどんどんカットされるので、今年は一カ国だけで、しかも10日にしてっていう。10日じゃなきゃだめとは言われないんですけど、「皆さんは10日ですけどね」「他の人たちは10日ですけど」みたいな。
でも一カ国だけの調査で、その世界の人権も含めての報告って難しいですよね。
そうですね。そこから演繹するのは難しいですね。だからもう本当にピンポイントで行くしかないっていうか。その国の、しかもその国の中の一つの問題だけっていう感じになりますね。多分ジャーナリストの方には、どれだけ時間かかるかっていうのはわかると思うんですよね。本当にピンポイントで見ていこうかなと思いますけど。
せめて一カ月ぐらいそこに住まないと、その感覚見えてこないですよね。それでようやく、何かのしっぽが見つかるみたいな。
はい。それをしかも、その特別報告者って、国連の事務次長補級なんですよ。その報告書として出さなきゃいけないわけですよね。それ結構な重責だと思うんですよね。
いや、結構っていうか相当ですね。
その国を本当によく知ってて、報告書を出してそれを使ってもらうのはすごくいいんですけど。もちろん事前準備とか、そこにいらっしゃる市民社会とか国の代表とか、みんな情報をたくさん集めてからもちろん行きますけど、それにしても現場を見るのが本当10日以内でしか見られないっていうのは、かなり厳しいなという。そういう予算の削減の仕方はなかなか。
そうですよね。監査の人一人減らして、その一カ国分に充ててほしいぐらいですよね。
ですね。
そんなミクロなことはできないでしょうけど。ありがとうございます。大変勉強になりました。多分これからの時代、国際人道法であったりとか、人権とか人の尊厳っていうのはより大切になってくるし、より一方で軽視されかねない時代にもなってきていると思うので。学問としても勉強は必要ですし、今実際、現在進行で起きてることがそこら中であるので、日本もそれ、別に対岸の火事ではないっていうか、本当に日本も戦争に巻き込まれる可能性もゼロじゃないし、考えていく必要もあるかなというふうに思うんで。
最後に先生から、この人権とかに関わらずですけれども、今の日本に向けて何かメッセージがあれば。そんな堅い必要はないんですけれども、今の状況を鑑みて、先生が本当にお感じになれる率直な思いでいいんですけれども、何か一つもしあれば。
はい、ありがとうございます。最近よく感じるのは、日本の、特に私、学生さんとよくいろんなことを研究したりとかプロジェクトやったりとかするので、若手の人たちとつながることが多いんですけども。一般的に例えば、若手の人たちはもうやる気がないとか、希望がないとかって言われてるようなことは、そうでもなくて。実はいろんな興味を持って、いろんなことを真にやってる若手の人たちがたくさんいると思うんですよね。その人たちをすごく大事にしていかなきゃいけないかなと思うんですけど。
どういうふうに大事にするかっていうのを、私の専門から行くと、人道法とか人権法とか、国際刑法とかやってますけど、それを私たちの世代の黄金期にうまくいってた、それをイメージして、それを押しつけてというか、これをやんなさいっていうふうにやっていったのでは、もううまくいかないかなっていうふうに思うので。世代間のコミュニケーションですね。先ほどは意見の違う人たちのコミュニケーションとかっていうのはありましたけど、世代間とか、それから今まで持っている、例えば私すごく思うのは、オンラインのものに対する考え方っていうのは、私の世代と若い世代とは全く違うだろうなというふうに思っていて。
例えば児童の性的暴力の話とかで、オンラインの性的暴力とかっていうのもあるんですけど、それから守るって話になると、私たちの世代の専門家っていうのは、どうしてもまず最初に思うのが、じゃあオンライン、例えばソーシャルメディアにアクセスしないようにすればいいじゃない、っていうふうになるんですけど。それはすごい違うと思うんですよね。なぜかというと、私たちはソーシャルメディアなくても生きてきたけども、今の世代にソーシャルメディアないっていうのは、だいぶインパクトが違うと思うんですよね。
なので、ちょっと横にそれましたけど、人権法とか人道法とか、それから法の支配とか、人間の安全保障もそうですけど、それを使う場合に、今の時代に、この今の実態で、今の世界で、今の人たちにどういうふうに当てはめるかっていうのを、ちゃんと考えながら。考えながらっていうのは、自分で考えるんじゃなくて、やっぱりそこが意見交換ですよね。あんまり意見交換したくない人とも意見交換し、若い人たち、まだ経験浅いじゃないかと思っても、ちゃんとその人たちの立場っていうのを理解しないと、できないかなと思うので。
なので、今まで専門的にいろいろやってきて、専門知識を持っているようなアカデミックな人たちとかでも、ぜひ今の実態を踏まえて、それを執行していくというか、それを使っていくのをやっていくと、もうちょっと今の人間に合うようなことができていくんじゃないかなっていう。
リアリストであることが大事なのかもしれないですね。
はい。日本もなかなか捨てたもんじゃないなっていうふうに、私はすごい思っていますけどね。
わかりました。日本、捨てたもんじゃない。そうですね。おっしゃる通りだと思います。日本の若い人たちも、中高年の人たちも、みんな一緒になって日本を良くしていけるんじゃないかと思いますし、していってほしいなと思いますよね。
はい。ありがとうございます。
今回、国際人道法っていう入り口だったんですけど、メディア論とかいろんなところまで話が多岐にわたって、大変勉強になりましたし。またこういった機会あると思いますので、もしかしたらもうちょっとピンポイントな話題でお話しいただくこともあるかもしれません。また引き続き何かありましたら、よろしくお願いいたします。今回は、国際人道法、東京大学大学院総合文化研究科のキハラハント愛さんにお越しいただきました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
เฮ
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