自動運転はなぜ日本で進まないのか 交通心理学者・志堂寺和則氏と須賀川拓氏の対話

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概要

生活道路の法定速度を一律30km/hとする道路交通法の改正をきっかけに、ReHacQの番組で九州大学大学院教授の志堂寺和則氏と須賀川拓氏が対談した。志堂寺氏は九州大学で交通心理学を研究しており、交通心理学を心理学の一領域と説明している。動画の後半にあたる本編では、自動運転の導入がなぜ日本で遅れているのか、運転マナーはどこから生まれるのか、高齢ドライバーと免許返納にどう向き合うのかが議論された。須賀川氏は日本が自動運転で取り残されていると感じている。志堂寺氏は自動運転を今後欠かせない技術と認めつつ、徐々に浸透させる必要があるという立場をとった。

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日本で自動運転が広がらない理由

須賀川氏は冒頭、「日本は自動運転の世界に完全に取り残されちゃった」という感覚を口にした。志堂寺氏はこれに同意し、中国やアメリカが積極的に導入を進めていると述べたうえで、日本の事情を二つ挙げた。

一つ目は道路環境である。日本には道幅の狭い道路が多く、自動運転を有効に使えるかどうかをしっかり確認する必要がある。東京で実証的な取り組みが行われていると聞いているとしながらも、技術的に走りづらい環境にあることは間違いないと志堂寺氏は述べた。

二つ目は国民性、メンタリティである。自動運転の車が死亡事故を起こすと、途端に「自動運転は危ない」という世論が起こり、そこで開発がぱたりと止まってしまう。そのため慎重に進めざるを得ないと志堂寺氏は説明した。須賀川氏も、メディアにいる人間として、日本で導入直後に死亡事故が起きれば大ニュースになることは感覚的に理解できると応じた。

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人間の事故との比較と、責任の所在

須賀川氏はここで、人間が運転する車による死亡事故も毎日のように起きているという点を指摘した。比較として適切かどうか分からないと断りつつ、外国人の犯罪が大きく報じられる一方で日本人も多くの犯罪を起こしているという構図に似ていると述べた。さらに、自動運転はカメラによる視覚と人間より圧倒的に速い反応速度を持っているのではないか、と問いかけた。

志堂寺氏が挙げたのは心情面よりも責任の問題だった。事故が起きたとき、自動車メーカーの責任なのか、乗っていた人の責任なのかという問題が出てくる。須賀川氏はさらに、ソフトウェアの責任なのか、カメラのレンズなのかという話にもなるだろうと付け加えた。

須賀川氏は海外で見た映像も紹介した。本人の記憶ではテスラの車で、後続車のドライブレコーダーに映っていたものだという。歩道を歩いていた人が倒れ、車はその人を避けて対向車と正面衝突した。どちらが命を守れるかを瞬時に計算したように見え、須賀川氏はそれを「人間っぽい」と感じたという。

運転の技量は人によってばらばらで、誰もが自分は事故を起こさないと思いながら運転している。それなら自動運転のほうが安全ではないかという須賀川氏の問いに、志堂寺氏は客観的なデータを手元に持っていないと前置きしたうえで、印象としては、事故を起こしがちなドライバーよりは安全な気がすると答えた。須賀川氏が、自動運転は急いでいるからといってオービスのない区間でスピードを出すようなことをせず、必ず法律を守ると付け加えると、志堂寺氏も同意した。

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ハンドルを握ると変わる運転マナー:車社会の歴史という仮説

話題は、ハンドルを握ると性格が変わる人の話に移った。須賀川氏はイギリスでの経験を紹介した。イギリスでは古い住宅に車庫がなく、生活道路では路上駐車が多い。対向車が来ると、駐車車両の間に入って道を譲り合わなければすれ違えないため、譲り合いの精神が根付いており、大きな道路でもよく譲ってくれたという。ところが日本に戻ると、ウインカーを出してもなかなか入れてもらえず、むしろ車間を詰められることもあった。イギリスのほうが優れていると言いたいわけではないと断りつつ、普段は譲り合いを重んじる人たちが車に乗った途端に怖くなる、と感じたという。

志堂寺氏は「私の勝手な考え」と断ったうえで、原因の一つとして車社会の歴史の長さを挙げた。車が増え始めた時期には、ドライバーは無茶な運転をしがちである。日本でも昭和40年代から50年代の高度経済成長期は「交通戦争」と呼ばれ、今考えると非常に怖い運転が横行し、事故も多かった。志堂寺氏によれば、これはどの国にも見られる傾向で、車が走り出した国はそうした状況になりやすい。その状態がしばらく続くと、ある種の学習によって運転がおとなしくなり、譲り合いのような運転に変わっていく。欧米は車社会になるのが早かったため運転文化の変化も早く、日本は昔に比べて良くなっており、今はその後を追っている段階なのかもしれない、というのが志堂寺氏の見立てである。

一方で、欧米にも煽り運転は多い。須賀川氏は、日本の煽り運転の話を海外の友人にしたら、アメリカならすぐ銃が出てくる、生き死にの問題だと言われ、日本はなんて民度が高いのかと笑われたというエピソードを披露した。志堂寺氏も、日本の悪質な煽り運転は極端な事例がニュースになっているだけで、それほど頻繁に起きているとは思わないと述べた。

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日本独自の「ドライバーの知恵」と自動運転

須賀川氏は、日本で独自に育まれた運転習慣として、お礼のハザードランプを挙げた。海外でやると故障車だと思われるだろうという。志堂寺氏は、日本独自のもの、さらには地域独自のものもあると応じ、高速道路で大型トラックが追い越して車線に入ってくるとき、ライトをパッと点けて「入っていいよ」と合図する例を挙げた。こうした習慣は、ドライバーたちが「こうするといい」と積み重ねてきた知恵として形成されてきたものだと志堂寺氏は説明した。

では自動運転にそれを覚えさせられるのか。AIで蓄積すればよいのではという須賀川氏の問いに対して、志堂寺氏は、自動運転は基本的に法律どおりにしか動かないので、そうしたやり方をさせてよいのかという問題があると指摘した。

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志堂寺氏の研究:外部HMIによる自動運転車と人のコミュニケーション

この論点は志堂寺氏自身の研究テーマにつながっている。志堂寺氏は、自動運転車ならではのコミュニケーションツールがあってよいと考えており、現在は自動運転車と普通の人間のドライバーとの間のコミュニケーションを研究している。

方法は、簡単に言えば表示パネルによるシグナルである。志堂寺氏が身近な例として挙げたのは、バスの前面上部にある行き先表示だ。あのようなパネルに「お先にどうぞ」や「私が先に行きます」といった表示を出せば、ドライバーは見て反応できるはずだという。

こうした仕組みは「外部HMI(エクスターナルHMI)」と呼ばれる。HMIはヒューマン・マシン・インターフェースの略で、自動車業界ではハンドルやメーターなど、ドライバーと車をつなぐ部分を指して使う言葉だと志堂寺氏は説明した。それを車の外部に向けて情報を知らせるのが外部HMIである。車同士が通信できればよいが、すべての車に通信手段があるわけではないため、外から見える表示が意味を持つ。歩行者がその表示を見て道路を渡るといった研究も、今はたくさん行われているという。

須賀川氏は「ちょっと未来っぽい」と面白がる一方で、かっこ悪いから嫌だという人もいそうだ、大きく表示しないと読めない、と懸念も示した。志堂寺氏はそこはデザイナーに頑張ってもらうところだと答えた。

効果について志堂寺氏は、円滑さが増すだろうと述べた。ただし、法に触れる行為を促すわけではない。右折禁止の場所で対向車に「どうぞ」と言われても右折はできない。志堂寺氏が想定するのは、法律を守りながら、たとえば左側優先のように優先順位が決まっている場面で、優先順位の低い側が先に行ったほうがスムーズに切り抜けられるような状況である。須賀川氏は、そうした場面は絶対にあると同意しつつ、法律で決められたラインと融通を利かせることのバランスは非常に難しいと述べた。人間に「行っていいよ」と言われても、AIが「あちらが優先だから」と通していく場面も想像できる。須賀川氏が、これはAIの時代だからこそ可能になることかもしれないと言うと、志堂寺氏も「そうかもしれない」と応じた。

19:06

高齢ドライバーに寄り添う車のインターフェース

須賀川氏は、自動運転は高齢ドライバー問題を解決する大きな技術の一つになるだろうとしたうえで、それ以外の手法を尋ねた。志堂寺氏は、メーカーも高齢ドライバーが運転しやすい車づくりを進めているだろうとしつつ、ドライバーにさらに寄り添ったインターフェースは、もう一段階向上させられるのではないかと考えていると述べた。

具体例として志堂寺氏が挙げたのは、高齢者向けのスマートフォンである。画面が大きく、ボタンも大きく作られていて操作が簡単だ。車には意外とそういうものがない。須賀川氏も、テスラはタッチパネルだけでシンプルに見えるが、開くとさまざまなメニューが出てきて、デジタルネイティブでないと操作は無理だろうと応じた。

須賀川氏は、高齢ドライバーが増えれば市場も大きくなり、メーカーが開発に乗り出すかもしれないと述べる一方、懸念も口にした。高齢者向けのスマホや簡単な電話は正直あまりかっこよくない。自分の両親はiPhoneを使い続けているし、高齢者だから使えないわけではない。簡単にしたからどうぞと差し出されると、馬鹿にされているように感じて、かえって使いづらいのではないか。これに対して志堂寺氏は、それは売り方の問題だと答えた。本当に使いやすいものができて、実際に運転してみて非常に良いとなれば売れるはずだ、ただしそういうものができればの話だと付け加えた。

22:48

車の使い方:都市部と地方で異なる選択

志堂寺氏はもう一つの方向として、車の利用の仕方を挙げた。交通の便がよい地域に住んでいるなら、無理に運転する必要はない。免許を返納しても十分に生活できるなら、車を手放したほうが経済的に得になることも多いし、歩くことで健康増進にもつながりうる。

一方で、地方には車がないと暮らせない状況が当然ある。その場合は運転を続けることになるが、そのときに事故を起こさないための対策を、自分で、あるいは周囲と相談しながら立てていくことが大事だと志堂寺氏は述べた。

23:57

免許返納には「準備」が要る

須賀川氏は自身の父親の話をした。75歳を超えて後期高齢者になったが運転が大好きで、須賀川氏から見ても反応速度が落ちているようには見えず、とても元気だという。それでも免許返納はいつか来る。返納した途端に行動範囲が一気に狭まり、ぼけてしまうのではないかと心配しており、同じ心配をしている人は多いのではないかと述べた。楽しみにしていたことができなくなり、交友関係が変わり、地方なら買い出しにも行けなくなる。運転を続けるリスクと、返納によって生活が不便になるリスクのトレードオフにどう向き合えばよいのか、と須賀川氏は問いかけた。

志堂寺氏の答えは「準備が大事」というものだった。返納した途端に生活が不便になって家から出られなくなると、気分も落ち込み、認知症っぽくなるなど良くない変化が起こりがちである。だから、まだまだ運転できるうちから、返納後のことを考えて少しずつ色々なことを試しておくのがよいという。

たとえば、多くの地域では不便かもしれないが、走っているバスを時々使ってみることから始めてもよい。車ばかり乗っている人の中には、そもそもバスの乗り方がよく分からない人もいると志堂寺氏は述べた。須賀川氏も、地方で整理券を取り、番号ごとに運賃が上部の表示に出る方式に触れ、確かに慣れていないと分かりにくいと応じた。ネットスーパーも同様で、使えば重い物を持って出歩かずに済むが、慣れていないと使えない。慣れるには早く始めたほうがよい。まだ全然大丈夫という時期から時々利用して、運転をやめたときにどう生活を守るかを少しずつ取り入れておく。志堂寺氏はこれを含めて「準備が大事」と話しているという。

経済面についても、車は維持費がかかり、年齢が上がると保険料も上がる。手放してみたら意外と得だったという話も時々聞くと志堂寺氏は述べた。

28:27

返納できない人をどうするか:答えの出ない問い

須賀川氏は続けて、徐々に準備できる人ばかりではなく、免許を手放したら生活できなくなる局面にある人が全国にすでにたくさんいるはずだと問うた。これに対して志堂寺氏は、そこは本当に難しく、こうすればよいという答えは自分にもまだないと率直に認めた。

そのうえで志堂寺氏は、「これ言っていいのかどうかよくわからない」と前置きして、一つの見方を示した。そうした人の多くは地方に住んでおり、交通事故の確率は、ある意味で低いといえば低い。繁華街や車がたくさん走り人も多い場所では、ちょっとした運転ミスが大きな事故になる。しかし山奥のように他に誰も走っていない状況なら、多少無理があっても運転を続けて大きな事故にならない可能性はある。志堂寺氏自身、これは非常に言いにくいところだと述べている。

須賀川氏は、自分の妻は免許を持っているがほとんど運転したがらず、その一番の理由は、人を巻き込んだらもう生きていけないという不安だと紹介した。そのうえで、山間部に住み、免許を取り上げられたら生きていけないという人の場合、仮に単独事故のリスクであれば、自分が大けがを負うリスクと、移動手段を失って生活がままならなくなるリスクを慎重に比べる必要があると述べた。危ないからと免許を取り上げ、その人が余生を楽しく過ごせなくなるなら、それも幸せではない。杓子定規に切り捨てるのではなく、グラデーションを見ながら判断すべきだという須賀川氏に、志堂寺氏も、法律で一律に何かを決めるのは難しいと同意した。自動運転が解決策になるのではという話にも、志堂寺氏は、すぐに使える状況にはしばらくならないと答えた。

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道路交通法の改正スピード

須賀川氏は、日本の自動運転を阻んでいるのは法律と気持ちの持ちようではないかと述べ、日本の道路交通法の改正は海外と比べて早いのか遅いのかを尋ねた。志堂寺氏によれば、道交法の改正スピードはかなり早く、数年に一度、おそらく2〜3年に1回くらいは変わっている。ただし、車はどの国でも走っており、新しい技術や環境の変化に応じて他国も改正を重ねているので、日本だけが特別に早いわけではないという。法律面については、専門の担当部署が検討を進めているはずだと志堂寺氏は述べた。須賀川氏は、生活の中で改正を実感することはなく、そこまで頻繁に変わっているとは知らなかったと驚いていた。

34:06

Uberの経験から考える「根拠のない不安」

心理面の例として、須賀川氏はUberの体験を語った。日本では様々な事情が重なってUberはほぼ導入されていない。須賀川氏が初めてUberのある国に住み、アプリで車を呼んだときは、日本のプロのタクシー運転手に慣れていたこともあって、普通の若者がやってきて名前を確認するやり取りに、根拠のない不安を覚えたという。しかし慣れてくると、料金は事前に決まり、ルートもすべて表示され、白タクのように変な道を通られる心配もなく、クレジットカード決済で楽だった。4年ほど使ううちにすっかり慣れ、帰国してからはなぜ日本で導入しないのかと思うようになった。逆に、その4年間がなければ、よく分からないけれど怖いという偏見が残っていたはずだと振り返った。自動運転にも同じような心の壁があるのではないか、というのが須賀川氏の問題提起である。

志堂寺氏は、須賀川氏は海外経験が豊富で、新しいものを取り入れることに日常的に慣れているが、みんながみんなそうではないと指摘した。須賀川氏も、知らないものは怖いのは当然で、自分の妻が一人でUberを使ったときも最初は不安だったと認めた。不安を持つなと言うのはむしろ暴力的な発言であり、心理的なハードルは無視してはいけないが、乗り越えなければ取り残されてしまう、と須賀川氏はまとめた。

どうすれば解決できるかという問いに、志堂寺氏は、そこはあまり考えたことがないと断ったうえで、自動運転はこれからの車に欠かせない技術であり、積極的に進めなければどうしようもないところまで来ていると述べた。ただ、いきなりは難しいので、どう徐々に浸透させていくかをみんなで考える必要があるという。須賀川氏は、自動運転によって大いに助かる人もいるのだから、そのトレードオフをファクトベースで冷静に考えられるようになれば導入も早まるのではないかと語った。

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生活道路30km/hへの評価

最後に須賀川氏は、道交法のどこか一つを変えられるとしたらどこかと尋ねた。電動スクーターのヘルメット着用を義務にすべきではないか、あるいは制限速度を上げてほしいといった例を須賀川氏が冗談交じりに挙げたが、志堂寺氏は、そこは本当に考えたことがなく、今すぐには思いつかないと答えた。

番組の出発点だった生活道路の法定速度30km/hについては、志堂寺氏は方向性としては合っているように思うと評価した。最初のうちは小さなトラブルが出てくるので、運用を工夫したり微修正を加えたりしながら進めていくことになるだろう。それでも、速度を落とすことは事故、特に大きな事故を防ぐうえで最も大事なことの一つであり、それを生活道路と呼ばれるエリアにしっかり根付かせることが大事だ、というのが志堂寺氏の結論だった。