元NVIDIAの林憲一氏が語るフィジカルAI:ヒューマノイドではなく「設計サイクル」を回す技術として

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概要

ものづくり太郎チャンネルの対談に、シリコンスタジオで最高フィジカルAI責任者(CPAIO)を務める林憲一氏が登場した。林氏は富士通研究所、Sun Microsystems、Microsoft、NVIDIAで、スーパーコンピューター、サーバー、GPUの仕事に携わってきた。対談の中心にある問いは、フィジカルAIがどう広がっていくのか、そして日本の製造業にとって何を意味するのかである。林氏の答えは、フィジカルAIを「ロボットが踊る話」に限定せず、設計から製造までのデジタルなツール群をつなぎ、設計サイクルを短くする技術として捉えるべきだというものだ。

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冒頭で聞き手のものづくり太郎氏は、政府がフィジカルAIに大きな予算(10.5兆円、毎年7000〜8000億円規模と言及)をつけるとして注目が集まっていると述べ、議論を始めた。

2:16

自己紹介:大学で教えつつ、本業はシリコンスタジオ

林氏は信州大学の社会基盤研究所で任期付きの教員をしており、週に1回松本へ通ってAIを教えている。ただしそれは本業ではなく、本業はシリコンスタジオの最高フィジカルAI責任者だという。NVIDIA在籍時にはジェンスン・フアンとやりとりする機会もあり、本人は笑いながら「ボコボコにされました」と振り返った。

2:57

富士通研究所での並列計算機研究とアムダールの法則

林氏のキャリアは、新卒で入社した富士通研究所での並列計算機の研究から始まった。当時はベクトル型のスーパーコンピューター、たとえばCrayの性能が頭打ちになりつつあった。これからは並列計算機の時代だと考えられ、研究所がプロセッサーを大量に並べる並列計算機を作り始めた時期に入社したという。後に「京」や「富岳」を作ったメンバーは当時の同僚で、林氏は35年ほど前からの並列計算機研究の流れがそのまま京や富岳につながっていると説明した。

林氏は、並列処理の難しさをアムダールの法則で説明した。CPUを2つ並べても、計算を単純に半分に分けられなければ性能は2倍にならない。普通の計算には順番に処理しなければならない依存関係があるからだ。たとえばプログラムの10%が並列化できず、残り90%が並列化できるとする。プロセッサーを無限に増やせば90%の部分はほぼゼロになるが、残りの10%は残る。そのため、1000個並べても1万個並べても速度は最大で10倍にしかならない。

この限界を補うために、通信と計算をオーバーラップさせて計算をなるべく先に進めるなど、さまざまな工夫が重ねられてきた。林氏によれば、富岳は約16万個のCPUを持ち、並列効率99%を出している。それは一朝一夕でできることではない、と林氏は強調した。富士通時代の林氏は、処理の割り振り方や通信プロトコルといった研究に取り組んでいた。

Sun Microsystemsでエンタープライズサーバーを作る

富士通に7年ほど勤めた後、林氏はSun Microsystemsに移った。林氏によると、当時は「インターネットとはSunのサーバーをCiscoのルーターでつなぐことだ」と言われた時代で、Windows 95以降のインターネットブームでWebサーバーを立てるにはSunのサーバーが必要だった。90年代末のSunは、株価も含めて今のNVIDIAやGoogleのような存在だったという。

移った理由について林氏は、富士通でもSunのSPARCプロセッサーを並べた並列計算機を作っており、Sunの仕組みをよく知っていたので、Sunのほうが面白そうだと考えたと説明した。シリコンバレーの本社で、サーバー製品の開発に携わった。

スーパーコンピューターとエンタープライズサーバーの違いについて、林氏はアプリケーションの種類が違うと答えた。スパコンは計算の速さに特化した、いわばF1のような存在である。一方エンタープライズサーバーは業務アプリケーションを動かすためのもので、当時はメインフレーム上のCOBOLプログラムから、SunやHPのUNIXサーバーによる「オープンシステム」へ移ろうという流れがあった。

エンタープライズ用途では、大きなサーバーを分割してアプリケーションごとに使い分ける。そのためアプリケーション間でデータが混ざらないようにセキュアに分離できること、そして止まらずに動き続ける高い稼働率と信頼性が求められた。当時のSunはプロセッサーの設計まで自社で行い、製造は外部に委託していた。なおSunは後にOracleに買収され、OracleのハードウェアはもとのSunのサーバーだという。

9:03

テクニカルマーケティングへの転身とMicrosoftのHPC参入

Sunに在籍中、林氏は日本法人からテクニカルマーケティングをやらないかと声をかけられた。ハードウェアの隅々まで知っていて何を聞かれても答えられるため、エンジニアからマーケティングへ移った。最先端の技術を分かりやすく説明する仕事から入り、マーケティングの領域に軸足を移していった。

2005年、ビル・ゲイツが米国最大のスーパーコンピューティングのイベントで基調講演を行い、MicrosoftがHPC(ハイパフォーマンスコンピューティング)に参入すると発表した。社内にこの分野の人材がいなかったため、林氏が最初の製品を担当するマーケターとして招かれた。

当時のスパコンの世界ではLinuxが増えており、Microsoftはそこに対抗しようとしていた。林氏は厳しい分野だったと認めている。そのうえで、手元のパソコンでExcelを操作しながら計算部分をスパコンに投げるという金融系の需要はかなり取り込めたのではないか、と振り返った。

10:35

TSUBAMEの衝撃とNVIDIAへの転職

転機は2008年だった。東京工業大学の松岡先生のスーパーコンピューター「TSUBAME」(TSUBAME 1.2)が、世界で初めてGPUをスパコンに使った。林氏はこれを見て「これだ」と思ったという。並列効率を高めるには並べるプロセッサーの数をなるべく少なくしたほうがよく、そのためには1つのプロセッサーの計算量を高める必要がある。計算力の高いGPUを使うのは正しい道だと考えた。

林氏はすぐにNVIDIAへの転職活動を始めたが、2008年はリーマンショックの年で、NVIDIAの歴史で唯一のレイオフがあった年だった。ポジションがなく、採用が再開した2010年ごろにようやく入社できたという。

当時のGPUにはTensorコアはなく、CUDAコアが均質に並ぶ、グラフィックスを高速に処理するための超並列計算機だった。NVIDIAはこれをグラフィックス以外の汎用計算にも使う「GPGPU(General Purpose GPU)」のビジネスを始めており、TSUBAMEはその実例だった。林氏はジェンスン・フアンの話として、セガの入交氏が出資してNVIDIAが立ち上がったこと、そしてサーバーにGPUを入れたのは松岡先生が初めてで、それが今のNVIDIAのエンタープライズビジネスの最初だったことから、日本に来るたびに「NVIDIAがあるのは日本のおかげだ」と言っていると紹介した。

13:47

CUDAの普及に苦戦し、ライブラリーへの組み込みで突破する

林氏はNVIDIAで、エンタープライズ向けマーケティングの責任者を務めた。GPUを計算に使ってもらうにはCUDAを普及させる必要があり、2010年からは毎週のようにCUDAのセミナーを開いた。

最も活用したのは東工大の青木先生で、野球のボールが回転してなぜ変化するかといったシミュレーションをCUDAで書き、TSUBAMEで動かしていた。こうした実例でユーザーは少しずつ増えた。それでも林氏は、プログラミングは相当難しかったと認めている。顧客のコードをCUDAに書き換えて「CPUより10倍速くなりました」と見せても、「計算はCPUでするものでしょう」「GPUはゲームでしょう」という思い込みは根強かったという。

状況を変えたのはディープラーニングブームだった。AlexNetによって画像認識の精度が劇的に上がり、自動運転などにつながっていく。林氏は、ディープラーニングのプログラムを書くときにはPythonを直接使うより、PFNのChainerのようなライブラリーを使うのが一般的だった点に注目した。NVIDIAはさまざまなライブラリーの開発チームと協力し、ライブラリーにCUDAを組み込んだ。その結果、利用者はCUDAを直接書かなくても、ライブラリーを使えば裏でCUDAが動き、GPUが使われるようになった。林氏はこれを「大転換点」と呼んだ。

16:22

NVIDIA退職後:日本ディープラーニング協会と大学での教育

林氏は約9年在籍したNVIDIAを2019年に退職した。生成AIブームの前で、林氏はAIブームがまた踊り場に来ているような停滞感があった時期だと振り返る。退職後は量子コンピューターを勉強してのんびりするつもりだったが、松尾先生のいる日本ディープラーニング協会に誘われ、2019年ごろから4年ほど手伝った。

林氏は、日本でAIブームが起きたとき、社長が中身を理解しないまま「何かAIをやれ」と号令をかける状況を問題視していた。社長に限らず部長や取締役といったシニアマネジメントがAIやディープラーニングの仕組みを理解しなければ話が進まない。IT部門への丸投げが日本のデジタルトランスフォーメーションを妨げてきた、と林氏は語る。協会は検定試験を通じて経営層にも学んでもらう取り組みを行い、林氏は試験合格後も継続して学べるよう、定期的なセミナーなどを担当した。AIの進化は速く、合格して終わりではついていけないからだという。並行して2020年からは信州大学でも教え始めた。

19:13

フィジカルAIとは何か、なぜ難しいのか

ここから対談は本題に入る。林氏は、自身のキャリアはずっと「コンピューターの中の話」だったと前置きした。そのうえでフィジカルAIを、AIの知能を物理世界に応用しようとするもので、AIの指示に従って何かが物理的に動くものを広く含めてよいと説明した。例として、自動運転車、ヒューマノイドロボット、戦争で使われるドローンを挙げた。

林氏はこれを「大チャレンジ」と表現する。サイバー空間に閉じていたものが物理世界に出てくると、重力、摩擦、風の抵抗といった物理法則を理解しなければならないからだ。自動運転車は何年も前から「できる」と言われながら、なかなか実現していない。しかも自動運転車の目標は「他のものに触らないこと」である。ヒューマノイドロボットは物に触り、マニピュレーションして次の行動につなげなければならず、さらに難しい。それでも物理世界とインタラクションするには触って動かす必要がある。林氏は、可能性が大きく面白くなる世界だと認めつつ、これまで別々の世界にいたものが組み合わさる分野なので、考え方を相当変えなければうまくいかないと述べた。

21:50

ロボットはシミュレーションの中で学ぶ

林氏は、宙返りやバク転をするヒューマノイドロボットの映像について、そこに至る過程を考える必要があると指摘した。あのロボットは実際の体で訓練したのではない。コンピューター上に現実と同じデジタルツインを作り、現実的な物理シミュレーションの中で学習させる。そして「これならできそうだ」というAIができたら、それをロボットにコピーする。自動運転も同じで、路上で練習していたらぶつかりまくってしまう。コンピューター上で十分にシミュレーションしてから実車で試すので、物理世界が登場するのは本当に最後だという。

現在はロボット基盤モデルに加え、モーターや減速機のモデルもデジタル上に再現してシミュレーションしている。林氏はこれを広く捉えると「ものづくり」そのものになると述べ、話題を製造プロセス全体に広げた。

23:31

OpenUSDで分断されたツールをつなぐ

林氏は車づくりの流れを例に挙げた。マーケティング担当がコンセプトを決め、デザイナーがデザインし、CADオペレーターがCADに落とし込む。次にCAEで構造解析、流体解析、衝突解析を行い、問題がなければ部材(BOM)を管理して製造に進む。ところが現状では、デザインツール、CATIAやCreoといったCAD、シミュレーションツール、BOMを管理するPLMがそれぞれ別のツールで、データフォーマットも違う。

対談では、これがOpenUSDという共通のデータフォーマットに統一されつつあると語られた。CADやCAEがOpenUSDに対応すれば、作ったモデルをNVIDIAのOmniverseに取り込み、さらにIsaac Simでのシミュレーションにつなげられる。去年はダッソーとNVIDIAの提携により、世界トップのCADとされるCATIAもOpenUSDに対応する話が出たと紹介され、CATIAで描いたモデルをそのままOmniverseで使えるようになるはずだと述べられた。

ものづくり太郎氏は、自動車メーカーのR&D拠点を見てきた経験から、現状ではCAEにかけるためのデータ変換やメッシュ切りといった前準備に大きな手間がかかっていると指摘した。OpenUSDに統一されれば変換が不要になり、データの受け渡しも簡単になるという見方である。

25:56

AIエージェントが専門分野をつなぎ、設計サイクルを回す

林氏の議論の核心はここにある。データが共通化され、人間の知恵を超えていくAIエージェントがCAD、CAE、PLM、シミュレーションの間をつなげば、設計サイクルがぐるぐると回り始める。設計から物理的な製品までが素早くできるかもしれない。林氏は、それこそが日本がフィジカルAIで目指すべきところであり、ヒューマノイドロボットを動かす話ではないと述べた。

林氏は大谷翔平の二刀流を引き合いに出した。CADやCAEはそれぞれ1つの専門でも相当難しく、構造解析の担当者にPLMの話をしても分からない。人間の能力には限界があり、そのため専門が蛸壺化してしまう。今のAIはそれを超えていきそうな勢いで、全く異なる専門分野をAIエージェントがつなげれば、性能が高く環境にもよい製品が、シミュレーション済みの状態ですぐ役に立つ形で出てくるかもしれない。林氏はこれを「相当難しい」と繰り返しつつ、NVIDIAはシーメンスなど製造業のソフトウェア企業と提携してその方向を目指しているはずだと述べた。政府の目標年である2040年ごろを見据えて製造プロセスも変わっていく中でフィジカルAIを捉えれば、単にロボットが踊る話ではない、というのが林氏の立場である。

ものづくり太郎氏も同じ考えだと応じた。データのフォーマットだけでなく、オントロジーによって言葉のフォーマットまで整えれば、AIエージェントが上流で助言する世界、いわゆる本当のフロントローディングが来ると述べた。さらに工場側について、これまではERPから計画を立て、APSでスケジューリングし、MESで実行し、PLCで制御して、実績だけをSCADAに上げていたと説明した。今はビジョンでデータが取れるようになり、CAEやCADのデータ、品質に関わる画像データ、人のデータも上がってくる。ものづくり太郎氏は、それらをエージェントAIがつなぐことで、ものづくりの最適化と知能化が起きるという見方を示した。

29:18

日本の勝ち筋は「総合格闘技」にある

日本はAI分野で米国や中国に遅れていると言われる。これに対し林氏は、製造プロセスまで含むフィジカルAIの世界は、頭のいい人が机上で考えるだけでは済まない泥臭い部分があると指摘した。フィジカルAIは「総合格闘技」と呼ばれ、多様なツールをつなぎ込み、すり合わせ、属人的なノウハウも扱う必要がある。林氏は、そこは日本が強いはずで勝ち筋だと考えている。ただし「相当難しい」ことも認めており、方向性は多分そうだろうという言い方にとどめた。

林氏はさらに、日本の会社で生産性が低いと言われる背景として、隣の部署が何をしているか分からないといった、自分の専門以外への理解の乏しさを挙げた。今はそれらをつなぐ知能ができつつあり、蛸壺化していたものがつながって立体化していく世界は、日本にとって相当有利だと述べた。

ただし、そこへ進めるかどうかは経営層がきちんと学ぶかにかかっている、と林氏は付け加えた。大学の授業では「授業の裏のテーマは、夏休みに実家に帰ったら、習ったことを全部お父さんお母さんに教えること」だと学生に伝えたという。親世代、つまり意思決定層にまで知識を届けることが日本にとって一番大事だ、というのが林氏の考えである。

31:25

シリコンスタジオの役割

最後に林氏は、現在のシリコンスタジオについて説明した。同社はもともと3Dグラフィックスの会社で、産業系のデジタルツインの構築や、自動運転のためのシミュレーション環境の整備を手がけている。たとえば部屋の中でロボットを動かすなら、まずその部屋のデジタルツインを作り、ロボットが動けるよう多数のシミュレーションを行ってから実機を動かすことになる。同社は見た目が物理らしいものから本格的な産業用の物理シミュレーションまで扱い、異なるツールで作られたものを最終的にワークフローとして組み上げることに長けているという。林氏は同社を、フィジカルAIを現実世界で使えるようにする「イネーブルメントカンパニー」と位置づけた。

対談は、フィジカルAIがロボットだけでなく日本の製造業にとってのチャンスでもある、という点を両者が確認して締めくくられた。ただし林氏自身が繰り返したように、CAD、CAE、PLM、シミュレーションをAIエージェントでつなぐ世界は「相当難しい」。実現できるかどうかは、経営層を含めて学び、挑戦できるかにかかっているという課題が残された。