木の流通をデータで組み直す:ルートリックスのアン・ジョンロク代表が語る「木の時代」
EO Korea翻訳元 한국어
データ駆動型の樹木流通スタートアップ、ルートリックスのアン・ジョンロク代表は、高麗大学で環境生態工学を、ハーバード大学デザイン大学院でランドスケープ設計の修士課程を学んだ。アン代表が立ち上げたルートリックスは、全国の樹木農場を直接訪ねてデータを集め、それをデジタル化して標準化している。そしてそのデータをもとに、施工業者、デベロッパー、設計事務所、個人顧客に必要な木をつないでいる。今回のインタビューでアン代表は、造園業界になぜ「ローデータ」すら存在しないのか、当初立てた技術中心の仮説が顧客と出会う中でどう変わったのか、誰もがAIを語っていた年に木の会社として投資を受けるまでに何を経験したのかを語る。
EOチャンネルのコンテストを締め切りにして始めた起業
アン代表は、ルートリックスの出発点はEOチャンネルと直接つながっていると話す。共同創業メンバーはデザイン・設計分野の出身で、締め切りがなければ事業計画書が書けなかった。そこで副代表が、YouTubeで開かれるコンテストを締め切りにして事業計画書を書いてみようと提案した。そのコンテストが、2021年のEOチャンネルの「ユニコーンハウス」だった。ほとんど準備ができていない状態で参加したが、アン代表はむしろそのおかげで起業を始められたと振り返る。そうでなければ、そもそもスタートアップを始められなかっただろうというのだ。このチャンネルを通じて最初の投資が事実上確定し、その後に法人を設立したと説明する。最近シリーズAの投資を受けたあと再び連絡がつながり、今回のインタビューが実現した。
社名には事業の方向性が込められている。「ルート(root)」は根、つまり造園業界の根本的な問題を解決しようという意味だ。「リックス」はマトリックスから取った。データをうまく活用し、デジタルへ転換することで、木の産業の根本的な問題を解こうという意味である。
誰がどこでどんな木を育てているのか、誰も知らない
アン代表が考える韓国の樹木・造園業界の核心的な問題は、基礎データがまったく存在しないことだ。誰が、どこで、どんな木を、どのように育てていて、価格はいくらなのか、誰も知らない。アン代表は、韓国には造園を専門に担当する政府機関さえはっきりしないと指摘する。どんな木がどれだけ必要で、どれだけ生産・供給されているのかというデータがないため、価格の変動が非常に激しいというのがアン代表の説明だ。
この空白を埋めてきたのは、従来の仲介業者だ。アン代表によれば、彼らは年に20万kmも車を走らせ、1日に400本もの電話を受けながら木をつないできた。アン代表はこのやり方があまりに非効率だと見ている。「配達の民族」は全国の飲食店を統合してつなぎ、クーパンはどこから来るのかもわからない商品を家の前まで届けてくれる。それなのに、木はなぜそうならないのか。アン代表は、結局これは木のデータの問題だと判断した。そこで、木のデータを自ら収集・加工し、必要とする人につなぐプラットフォームをつくることにした。
DMZ接境の村で育ち、生態探査隊をつくるまで
アン代表は、坡州の中でも軍事境界線に近い地域で生まれ育った。家は山の中腹にあり、小さな庭では祖母が鶏やニラ、ネギを育てていた。家の前にはブドウ畑が、隣には牧場があった。遊び回るのが日課で、自然にとても近い暮らしだったと回想する。
転機は龍仁の高校に進学したときに訪れた。入学するとすぐ、先輩たちから、自分だけの課外活動を見つけてこつこつ続けることが大切だと助言された。何を続けようかと悩んでいたアン代表は、全国から集まった友人たちと自分を比べてみるうちに、坡州で暮らしてきた経験が特別だと気づいた。民間人統制区域やDMZの第3トンネルに遠足で行くような場所で育ったからだ。
そこで高校1年生のとき、数人の友人と「DMZ生態探査隊」をつくった。毎月、研究目的で民間人統制区域に入り、夏は植生調査を、冬は越冬する鳥類の調査を行った。植生や昆虫を調べること自体がとても楽しかったとアン代表は言う。3年間続けた探査活動で小さな論文を書き、環境オリンピアードで賞を受けた。これがきっかけとなり、高校3年生の終わりに青少年世界気候変動フォーラムに韓国の青少年代表として参加した。
「自然は美しいという理由だけでも守る価値がある」
フォーラムには約50カ国から150人ほどの学生が集まった。ユニセフ側が学生たちに、どのようにして自然・環境活動を始めたのかと尋ねた。アン代表は、自分が考えていた答えを最後まで誰も口にしなかったため、最後に手を挙げた。自然は美しいという理由だけでも十分に守る価値があると思う、と述べた。美しい自然を見て育ち、それ自体が幸せだったからこの活動を始めた、と付け加えた。
アン代表はこの瞬間を人生のターニングポイントに挙げる。誰もこの話をしないのなら、自分がもっと熱心に語って回らなければならないと思ったという。そうして環境生態工学部に進学した。しかし研究を進めるうちに、研究だけでは大衆に自分の考えを伝えるのは難しいと感じた。自分の手で直接つくり、人々に見せられるものは何かを考えた末に見つけた答えが、造園学(ランドスケープアーキテクチャー)だった。その後約3〜4年にわたってコンペに挑戦し、英語を勉強しながらアメリカの大学院進学を準備し、ハーバードに合格した。
セントラルパークとオルムステッド、そしてハーバードの造園学
アン代表は造園学の起源についても説明する。アン代表によれば、造園学は1850年代のマンハッタンのセントラルパーク造成とともに生まれた学問だ。産業化が急速に進んで都市が生まれ、建物がびっしりと立ち並ぶようになると、そこで働く人々のウェルビーイングが大きく損なわれた。そのときオルムステッド(Olmsted)は、都市化はこれからも続くだろうが、都心に自然がなければいけないと考えた。アン代表は「俗説」に近いと前置きしつつ、当時「今これだけの公園をつくらなければ、これだけの精神病院をつくらなければならなくなる」という言葉が出たと紹介する。それほど都心での生活の質が落ちていたというわけだ。
アン代表の説明によれば、都心に初めて自然空間をつくろうと提唱したオルムステッドは、セントラルパークを造成する中でこれをきちんと教える必要があると考え、そうしてハーバードに初めて造園学修士(Master of Landscape Architecture)課程が誕生した。そのためハーバードは、造園を学ぶ学生たちが最も行きたがる学校のひとつだとアン代表は話す。
ハーバードを出ても、設計では借金を返しにくいという現実
ハーバードに入って卒業さえすれば人生はすべてうまくいくと思っていた、とアン代表は打ち明ける。しかし、ハーバード・デザイン大学院を卒業して良い設計事務所に入っても、年収が1億、2億、3億ウォンになるわけではないと知った。
そこには個人的な事情もあった。父親は20歳になったら家を出て暮らさなければならないと言っていたが、アン代表はそれが本気だとは思っていなかった。しかし本当に、20歳になった年の1月1日に家を出なければならなかった。それ以来、学費はすべて学資ローンで、生活費は家庭教師のアルバイトでまかなってきた。アン代表は「後ろに積み上がっている」ローンが多いと言い、卒業すれば当然1〜2億ウォンは稼げると思っていたが、アメリカでもそうではないことを1年生の頃に知ったと語る。
ただ、アン代表が好きだったのは造園という学問であって、必ずしも設計ではなかった。そこで1年生のときから、自然空間を大衆に伝え、見せるこの産業の中で、設計以外に何ができるかを考えた。学校では設計の勉強を続けながらも、進路についての悩みを抱え続けた。3年間の課程のうち2年を終えたあとに兵役に就き、軍隊にいる間もその悩みは続いた。
軍隊で思いついた方向性:データとコーディングによる造園設計
兵役中、アン代表はデータやデータサイエンティストという職種に関する勉強をたくさんした。当時の造園業界には、コーディングで設計するような開発はほとんどなかった。そこでアメリカに戻り、3年生のときにパラメトリックデザインやジェネレーティブデザインをより深く学び、その分野でスタートアップをするか、仕事をしようと考えた。この時点の構想は、まだ木の流通ではなく、設計技術の側に近かった。
結婚式に向かう車の中で聞いた松の話
事業アイデアの糸口は、偶然の会話から生まれた。ポスコで造園の現場を担当していた高麗大学の後輩と、遠方で開かれる知人の結婚式へ一緒に車で向かうことになった。起業前のことで、アン代表は現場で何が一番不便かを軽く尋ねた。後輩は、松を植えるときにクレーンで吊り上げて一日中回しながら最もきれいな面を探して植えるのだが、それに何日もかかるのが一番大変だと答えた。
パラメトリックデザインを学んでいたアン代表は、木をあらかじめスキャンして形状を把握し、設計段階からその木に合わせて設計して、そのまま施工すればいいのではないかと言った。後輩は、良いアイデアだがそういうやり方はしていないし、そうしてくれるところもないと答えた。そのときの会話はそれで終わった。
しかしアン代表はその後、木に関する情報が本当にそこまでないのかを考えるようになった。振り返ってみると、自分も3Dモデルをつくるときはいつも決まった木のモデルばかり使っていた。実在する木ではなく、オンラインに出回っているモデルや画像で設計してきたのだ。ところが施工する人たちの話では、そうした設計はそのままでは実現しにくい。そこでアン代表は、この業界の問題は木のデータにあると結論づけた。当時は「わけもわからず」データを片っ端から集めればいいと考えていたと振り返る。
ライダースキャンから「広く、ほどほどの情報」への転換
初期のルートリックスの仮説は技術中心だった。木をライダーでスキャンし、そのデータとともに木を販売すれば、大きな流通プラットフォームになれると考えた。農場を丸ごとスキャンして購入者に売れるだろうと考え、実際にライダーベースの技術開発まで終えていた。
しかし多くの顧客に会ってみると、顧客が求めていたのは木1本についての非常に詳細な情報ではなかった。価格、規格、数量が明確にわかり、写真程度をもらえれば購入するというのだった。ひとつの農場についての深いデータよりも、ほどほどのデータを持つ農場を数多く知っていることのほうが重要だった。
アン代表はその理由を、購入者の仕事の進め方に見いだす。公園ひとつやマンション団地ひとつを造園するには、木だけで50〜100種類を超える品目を調達しなければならない。これまでは、松は松専門の仲介業者に、ケヤキはケヤキ専門に、芝生は芝生専門に、いちいち問い合わせながら調達してきた。購入者たちは、こうした多くの人を介さずに、誰かが一度に解決してくれることを望んでいた。だからこそ、多くの農場の多様な品目について、ある程度正確な情報を揃えた会社が必要とされていたのだ。ルートリックスも当初は深いデータを集める技術開発に注力していたが、顧客が求めるものから解決しなければならなかったため、より多くの農場を知るために全国を駆け回る方向へと舵を切った。
「木を1本だけ任せてください」:最初の取引が生まれるまで
農場のデータを集めても、買ってくれる人がいなければ意味がなかった。チームが農場を回ってデータを収集している間、アン代表は反対側で購入者を訪ね歩いた。木を1本だけでも任せてもらえれば、全国を探し回ってでも見つけてみせると頼み込んだ。
最初の成果は、仁川・黔丹のある現場だった。「シグネチャーガーデン」に植えるポイントツリー、つまり最も重要な木を探す仕事だった。ルートリックスは直径70cmほどの大きなエノキを全国から探し出し、顧客が求めていた樹形と大きさにぴったり合っていたとアン代表は言う。この取引を通じて、実際の流通プロセスを直接経験することができた。続いて、大型カフェの前にオオヤマザクラ(王桜)を12本植えたいという顧客の依頼にも対応した。
こうして購入者が自然と増えると、求められる品目の幅も広がった。すると再び生産者を探して全国を回り、データを積み上げた。アン代表は、ルートリックスはマーケットプレイスなので、生産者と購入者の両方が顧客だと説明する。生産データが蓄積されれば購入側の営業に移り、購入者のニーズが多様になれば再び生産側のデータ収集に戻るという循環によって、これまで売上をつくってきたという。
設計から施工まで3〜7年、長いサイクルを耐えた時間
造園・樹木業界はサイクルが非常に長い。設計事務所を訪ねても、その設計が実際の施工につながるまでに3年、5年、長いものでは7年かかるプロジェクトもあった。すぐに営業に出ても、早くて「次の下半期にあればお願いしてみる」「この見積もりは来年の案件だから、実際に施工に入ったら連絡する」という返事が返ってきた。
そのため、創業1〜2年目は挨拶回りをしながら、せめて見積もりだけでも取ってみてほしいと頼む時期を過ごした。同時に農場のデータ収集も続けた。南部の地方では船に乗って島に渡り、木を見てくるほど、山も海も島も問わず全国を回ったとアン代表は話す。
2年ほど経つと反応が変わってきた。「君たち、けっこうやってるね。一度買ってみるよ」と、少しずつ取引につながっていった。アン代表は、3年目ごろにそのサイクルが回ってきたと見ている。その頃にはルートリックスも流通をある程度経験しており、任せてもらえれば問題なく満足のいくサービスを提供できると言えるようになっていた。
2024年の爆発的な成長
その結果が2024年に表れた。アン代表によれば、2024年下半期に売上が爆発的に伸び、2023年比でほぼ20倍に成長した。この成果によって、代表自身もチームメンバーも投資家も、このビジネスモデルに対する信頼を持つようになったとアン代表は語る。流通プロセスは十分に理解できたので、今度はスケールアップのために次の投資を早く受けようという判断に至った。
AIの年に「プラットフォーム」として投資を受ける
2025年上半期、ルートリックスはIRを準備し、投資ラウンドを開始した。しかしアン代表の言葉を借りれば、2025年はAIとロボティクスの時代だった。ルートリックスはプラットフォームとして受け止められ、投資市場でプラットフォームが敬遠される流れの中で、投資は実現しなかった。会社をSaaSとして見せるべきか、プラットフォームとして見せるべきか、さまざまに悩んだが、どちらの方向でも説得できなかった。
それでも、産業に対するミッションとビジョンが明確だったため、ラウンドを長く続けた。4〜5月ごろにIRを準備して始めたが、12月になっても投資の確約は得られなかった。アン代表は、昨年は人生で最もつらい時期だったと語る。
突破口となったのは、IBK創空のデモデーだった。最終発表まで勝ち進み、500人を超える聴衆と大型スクリーンの前でIRを行うことになった。その日の朝、いつも通りに発表しようとしていたアン代表は、オープニングを変えることにした。アン代表は聴衆にこう問いかけた。AIとロボティクスは今とても熱く、多くの投資が集まっているが、その次の時代は何だと思うか。AIが人間の思考を代わりに担い、ロボットが労働を代わりに担うようになったら、その次にはどんな時代が来るだろうか。そして自らの答えを示した。人間が再び自然へと戻る時代が来るだろう、その自然の最も基本的な単位が木であり、その木のデータを扱う会社がルートリックスだ、と。
アン代表によれば、この発表のあと多くの連絡が来て、終盤にはオーバーブッキングになった。シリーズAラウンドは非常に厳しかったが、最終的には無事に締めくくられた。
江南のビルを取り壊して木を1本植えたい理由
ルートリックスが成功して大金を稼いだら何をしたいかという質問に、アン代表は、江南にビルを1棟買って取り壊し、木を1本だけ植えたいと答える。木の何がそんなに大事なのかと思う人もいるだろう。アン代表は、まさにそういう人たちに疑問を持ってほしいと願っている。この会社はなぜ一等地の大きなビルを取り壊して木を1本だけ植えたのか、木1本がそれほどすごくて大切なものなのか。そう考えるきっかけをつくりたいというのだ。
ルートリックスのミッションは「美しい自然の感動を、より多くの人々の日常にしよう」である。アン代表は、このミッションは青少年気候変動フォーラムで感じた哲学から出発したと話す。良い空間や美しい自然をたくさん見てきた人たちが、将来決定権を持つ立場になったとき、より良い決定を下すだろうという考えだ。だからこそ、そうした空間を数多く見せられる会社になりたいという。
アン代表はこのミッションを、再びデータの問題と結びつける。今は、ハーバードで懸命に学んだ人が設計しても、設計通りには施工されない。アン代表によれば、99%以上が1つか2つであっても設計変更を経る。その理由は、韓国に実際にどんな木があるのかがわからないからだ。どんな木が良いのか、何が多くて何が少ないのかを正確に知らないため、いつも使っている木ばかりを使うことになり、その結果、つくられる自然空間の質も大きくは向上しない。アン代表は、ルートリックスがデータを集めて良い情報を提供すれば、より良い空間がつくられ、その空間を楽しむ人が増えれば自然への関心が高まり、自然を守りたいという気持ちが生まれるだろうと期待している。
「死ななければ成長する」
最後にアン代表は、起業を考えている人たちに語りかける。スタートアップは本当に難しい。大切な人を手放さなければならないこともあるし、口座残高が0ウォンになって震えることもあるかもしれないし、訴えられることもあるかもしれない。それでもアン代表が好きな言葉は「とにかく死ななければ成長する」だ。起業の過程で小さな失敗はありうるが、その失敗で死ぬことはなく、むしろ経験となって次の挑戦のエネルギーになるという。失敗が血となり肉となるという気持ちで起業してみてほしいと勧める。会社が潰れても人が死ぬわけではないのだから、次に何をするにしても、はるかに成長した姿でもっとうまくやれるはずだと語り、話を締めくくった。
該当する記事はありません。
記事公開
