ギャルソンとヨウジはなぜ長く支持されるのか:MBが歴史からたどるジャパニーズモードの基礎理論
MBチャンネルコム デ ギャルソンやヨウジヤマモトは、服好きの間では知っていて当然の名前として語られる。では、なぜこれほど人気があり、なぜ世界で評価されたのか。この動画で話者のMBは、この問いに1950年代から現在までの日本のデザイナーズファッションの変遷をたどって答えようとする。MBの立場ははっきりしている。ギャルソンやヨウジは、西洋の服の文脈の中で正当に評価されたのではない。西洋が前提としてきた「服はこうあるべきだ」という考えを疑う、カウンターとして注目されたのだという。
寸劇:「ドラクエとFF」のように語られるブランド
動画は寸劇から始まる。大学時代の友人2人が30歳になっても一緒に服を買いに行き、最新コレクションの話をする流れで「ギャルソンかっこいいよな」「ヨウジもいいよな」と盛り上がる。片方は「コム デ ギャルソン・オム プリュス」の名前を何度も言い間違え、「ジュンヤワタナベも好き」と取り繕う。帰宅後、彼は本音を漏らす。かっこいいのは分かるが、なぜギャルソンがこれほど人気なのか、なぜヨウジが世界に出ていけたのかは、実はよく分かっていない。
MBはこの状況を、ドラクエやFF、マリオやソニックにたとえる。誰もが当たり前に名前を出すので、今さら「何がいいの?」とは聞きにくい。そこに神様のキャラクターが現れ、「今さら聞けないギャルソンとヨウジ」を解説する、という導入になっている。
本編の冒頭でMBは、ギャルソンやヨウジを必ず着なければならないわけではないと断っている。そのうえで、日本の服好きにとってはローカルなファッションヒーローであり、日本人だからこそ覚えておいてほしいブランドだと位置づける。
出発点の主張:ジャパニーズモードはカウンターだった
ギャルソン、ヨウジ、イッセイミヤケは「日本のデザイナーズブランド」としてひとまとめに語られることが多い。オーバーサイズ、アシンメトリー、全身黒といった要素が、ジャパニーズモードの特徴として広く認識されている。
MBは、こうしたジャパニーズモードの核心がヨーロッパで「正当に」評価されてきたわけではないと考える。これは自分だけの勝手な見解ではなく、リテラシーのあるアパレル業界人ならみな同じ意見だろう、とも付け加える。
MBの説明はこうだ。洋服はもともと西洋の文化である。その中で極東の日本人が渡り合えたのは、西洋の人々がやっていなかったことをやったからだ。つまりカウンターであり、言い換えれば、服の前提そのものを疑う哲学的なアプローチだった。この主張を理解するために、MBは年代を追って歴史を振り返っていく。
1950〜60年代:西洋の服を学び、ローカライズする時代
MBによれば、1950〜60年代の日本の服飾は、きわめてシンプルに西洋の服を学ぶ段階だった。日本はもともと着物の文化であり、シャツやジャケット、スラックスといった服を持っていなかった。そこで、西洋の洋服とはどういうものか、日本人が着るにはどんなサイズ感が必要かを研究し始めたのがこの時代だという。
60年代には高度経済成長の中で繊維産業が日本の基幹産業として伸びた。MBは、これと並行して日本人の縫製技術や服飾技術が大きく向上したと説明する。ただし、この時期に日本独自の洋服があったわけではない。西洋の服を日本人の体に合わせて作り直す、つまりローカライズしていく作業の時代だった、というのがMBの見方である。
和服と洋服:直線と曲線、隠すことと強調すること
ローカライズが必要だった理由として、MBは和服と洋服の作り方がまったく違う点を挙げる。和服は直線的な大きな布で体を包む。体の凹凸を美しく見せるのではなく、隠すという考え方だ。
隠すことで色気が生まれる、とMBは言う。女性の着物ではうなじをあえて見せ、体の中のシルエットを想像させることで色気を作る。全面に魅力を押し出すのではなく、想像で間を埋める。MBはこれを、日本に多い「間の文化」「余白の文化」の典型だと見ている。
和服が直線的になった理由について、MBは諸説あると前置きして一つの説を紹介する。日本はヨーロッパや大陸の国々に比べて国土が狭く、家も小さかった。そのため、洋服のように掛けて保存するのは現実的ではなかった。シワにならずコンパクトに畳んで保管できるよう、直線的な形に進化したのではないか、という説である。
まとめると、洋服は曲線で体のシルエットを強調するもの、和服は直線で体のシルエットを隠すものであり、MBは両者を「真逆の概念」と表現する。だからこそ、洋服を着始めた50〜60年代の日本では、西洋の服作りを日本人の体型に合わせる作業をひたすら続ける必要があった。そこに繊維産業と技術の成長が重なり、60年代ごろにローカライズがうまく回り始めた、という流れでMBは説明している。
1970年代:日本的なものを洋服へ翻訳する
MBは、70年代になると、西洋のものを輸入して日本人向けに作り直すだけの、言ってしまえば「劣化再生産」から抜け出せたと見る。その代表として挙げるのが賢三(KENZO)である。
賢三が始めたのは、日本的なものを西洋の洋服へ翻訳することだった、とMBは言う。刺繍、和服の直線的な裁ち方、平面的な布をどう洋服に落とし込むか。日本がもともと持っていたネイティブでローカルな技術や価値観を使って、西洋の服に立ち向かえないかという独自路線である。フォークロアや民族衣装、ゆとりを持たせた着物的な直線の裁ち方、体を締めつけない構造といった和のアプローチで洋服を作り、それが海外から「ジャポニズム」として評価され、海外進出につながった、というのがMBの説明だ。
三宅一生の「布から服を作る」発想
三宅一生も70年代の流れの中で語られる。MBは、イッセイミヤケのポジションはブランド創設から今まで変わっていないと考えている。その本質は、体から服を作るのではなく、布から服を作ることだという。
この話の裏づけとして、MBは個人的なつながりを紹介する。MBが長年仕事をともにし、自分の服作りにも強い影響を受けた「心の師匠」のような存在が、アタッチメントの創業者である熊谷さんだ。熊谷さんはもともと三宅一生のもとで働いていた人物で、MBは熊谷さんから直接三宅の話を聞く機会があった。熊谷さんの話でも、三宅はまず布から服を考える人だったという。ネットのない時代に、電話をかけたり工房へ足を運んだりして、日本各地の小さな機屋(はたや)で面白い生地を作っているところを見つけてくる。そして「この生地で何かできないか」と、生地から発想していたそうだ。
MBはこれを、西洋とは主従関係が逆の発想だと説明する。スーツのような洋服は、体の寸法を測ってパターンを作り、そのパターンに沿って布を裁つ。体が主で、布が従である。和服は直線的な布地を体に巻きつけ、帯で締めて完成させる。布が主体だ。三宅は布から構造を考え、最後に体に合わせるという和服的なアプローチで洋服を作った。MBは、その最初の人物と言っても過言ではないと評価する。
いまのイッセイミヤケも、大きな布を折る、巻く、畳む、ねじる、切る、プリーツをかけるといった考え方で服を作っている、とMBは指摘する。これも自分が勝手に言っているのではなく、三宅に関する資料や本、関係者に話を聞けば皆が同じことを言うはずだという。こうして70年代には、西洋の再生産ではなく、日本人だからこそ何ができるかという、自分たちのアイデンティティを生かした服作りが初めて現れた。MBはこの時代をそう位置づけている。
1980年代:ギャルソンとヨウジによる「洋服の破壊」
80年代になると、さらに一歩進んで、洋服そのものを壊し始める。MBが転機として挙げるのは1981年だ。この年、コム デ ギャルソンとヨウジヤマモトがパリでコレクションを発表し、MBの言葉では「洋服を破壊することになった」。
MBは川久保玲の特徴を、既存のものを疑う姿勢、とくに二項対立を疑う点にあると説明する。美しいの反対は醜い、完成の反対は未完成、男性の反対は女性という区分けを崩した。醜いものがあってもいいのではないか。女性的なメンズ服があってもいいのではないか。未完成の美しさはないのか。そういう問いを立てたのだという。
当時のヨーロッパのモードについて、MBは、グラマラスでセクシー、ボディコンシャスで装飾的、色とりどりできらびやかな世界だったと描写する。そこへ極東から、真っ黒でボロボロの布切れをまとったギャルソンとヨウジが「ガツンと殴る」ように現れた。MBは、2人がでたらめにそうしたのではないと強調する。西洋の美意識を真逆の方向から考えられないかという、哲学的なアプローチだったという。西洋の価値観では醜いとされるボロボロの布切れを、美しいとはできないか。縫い合わせの途中で糸が止まっているような未完成品に、美しさはないのか。凝り固まった既成概念を打ち破ったのが日本人だった、とMBは語る。
MBはこの動きを、時期の近いパンクと重ねる。音楽の世界では形が決まっていたところに、ギターを歪ませたり、破壊音や金切り声をあえて出したりして既存の音楽を壊すのがパンクの精神だった。ファッションでも同じ時期に、グラマラスで装飾的なランウェイに対して、醜いもの、未完成のもので美しさを表現できないかと問いかけたのが日本人だった、という整理である。
西洋の土俵で勝てない理由:評価の「下地」の違い
ここでMBは冒頭の主張に戻る。ギャルソンやヨウジは、西洋の正統なファッション文化への「カウンターカルチャー」として出てきたからこそ面白いとされた。MBはこれを、良い悪いの話ではないと断っている。
この見方の根拠としてMBが挙げるのは、宗教観の違いである。ヨーロッパの文化はキリスト教を分からなければ本当の意味では理解できない、とMBは考える。わかりやすい例が西洋画だ。西洋画には、ろうそくに火が灯っていれば何かの象徴、ドレスの丈が長ければ別の何かの象徴というように、モチーフの意味がはっきり決まっている。その下地があれば、見たときに意味が読み取れる。しかし日本人はその下地を持たないので、綺麗かどうかでしか絵を見られない。その結果、ラッセンのような絵画が評価されたりする、とMBは言う。
ここでもMBは、良い悪いではなく、日本人とヨーロッパ人の持つ下地がまったく違うので文化として交わらないだけだと述べる。宗教観も評価の下地も違う日本人が、ヨーロッパの土俵で正面から戦っても勝てるわけがない。だから日本人は、西洋へのカウンターとしてアイデンティティを築いた。80年代のヨーロッパのファッションをもちろん理解したうえで、「それだけじゃないよね」と美しさについての哲学的なアプローチをとった。それが川久保やヨウジにできたことだ、というのがMBの結論である。
1990年代:アントワープの前衛との合流で「世界標準」へ
MBは、90年代にジャパニーズモードが世界標準になったと語る。きっかけは、ヘルムート・ラング、マルタン・マルジェラ、アン・ドゥムルメステール、ラフ・シモンズ、ドリス・ヴァン・ノッテンといった前衛派のデザイナーたちと、ジャパニーズモードが融合し始めたことだという。
その背景として、MBはベルギーの国策に触れる。ヨーロッパにはフランスとイタリアという2つのファッション大国があり、巨大なファッション都市であるパリとミラノがすぐ近くにある。ベルギーやオランダにも繊維産業やデザイナーを育てる下地はあるが、正面から戦って勝てるはずがない。そこでオランダにはダッチデザインという独特のデザイン文化が生まれ、ベルギーは国策として前衛的なファッションやアートを育てようとした。MBは、それがアントワープ・シックスにつながったと説明する。
アントワープ・シックスは、アントワープ王立芸術アカデミーの卒業生6人で構成される。MBは記憶をたどる口ぶりで、彼らがロンドン(「ロンドンコレクションだっけ」と言いながら)で自分たちの服を手売りし、その哲学的な前衛性が認められていった、と語る。名前としてはアン・ドゥムルメステール、ドリス・ヴァン・ノッテン、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、マリナ・イーらが挙がり、マルジェラについては「アントワープ・シックスとは違うが」と断ったうえで、同じ流れの人物として扱っている。
MBによれば、美しいものをそのまま作るのではなく「こういう美しさもあるんじゃないか」と問う彼らの姿勢は、80年代に川久保や山本耀司がやっていたことと見事につながった。尊敬するデザイナーを聞かれると、彼らはたいてい川久保玲と答える。美しさという既成概念に疑問を投げかけて新しい価値を生み出した、前衛的で哲学的な最初のデザイナーが川久保玲だったのではないか、とMBは見ている。
マルジェラと日本のつながりについて、MBはいくつか具体例を挙げる。マルジェラの最初の店はパリ本店だと思っている人が多いが、実は恵比寿が1号店だという。足袋ブーツもその表れだとする。さらに、MBが現在一緒に働いている人物はマルジェラのかなり近くで働いた経験があり、その人の話では、マルジェラを日本の温泉に連れて行ったこともあり、マルジェラは日本好きで日本の古着屋をあさったりもしていたという。マルジェラの日本へのリスペクトは、川久保玲への尊敬と多分にリンクしているのだろう、とMBは推測している。
MBの整理では、80年代まで飽和していたヨーロッパのファッションが限界を迎え、新しいアプローチを持つ前衛芸術家たちが90年代に出てきた。彼らと80年代の日本人がつながり、「やっぱりあいつらすごかったんだ」という形でジャパニーズモードが世界標準になった。ギャルソンとヨウジは90年代の前衛的なムーブメントを10年先にやっていたからこそ他のデザイナーに尊敬され、今も語り継がれている。これが、タイトルの問いに対するMBの答えである。
現在のギャルソンとヨウジ:テーラードを崩し続ける
では今のギャルソンとヨウジは何をしているのか。MBは、今も変わらずカウンターを続けていると見る。メンズで2人が軸にしているのはスーツであり、ジャケット、スラックス、革靴というスタイリングをヨウジもギャルソンもランウェイで必ず強く打ち出している、とMBは言う。
ただし、ヨーロッパの正統なテーラードをそのままやっているわけではない。オーバーサイズにして崩す、縫い合わせをあえて表に出す、あえて生地を燃やす。そうした手法で正統なテーラードをカウンター的に崩している、というのがMBの見立てである。
2000年代以降:第二世代の台頭とsacaiの「魔改造」
2000年代以降は第二世代が台頭する。MBが挙げるのは、ジュンヤワタナベ、sacai、アンダーカバー、ホワイトマウンテニアリングなどで、ギャルソン出身者もかなり多いと述べている。
MBがとくにわかりやすい例とするのがsacaiだ。MA-1とテーラードという、ヨーロッパの服文化を代表するアイテムをドッキングさせた、いわゆる「魔改造」である。ヨーロッパから見れば、「日本人が俺たちの正統な服を魔改造して面白いことをやり出した」という見え方になる。そこに新しい価値が見出され、今のsacaiの評価につながっている。MBはこれを、ギャルソンイズムが日本人デザイナーにしっかり継承されている証拠だと位置づけている。
ジャパニーズモードの4つの要素
最後にMBは、ジャパニーズモードの要素を4つにまとめる。
1つ目は、体を強調しないこと。西洋の服は体を美しく見せるためのものが多いが、日本の服は体と服の関係性を作るもので、服が主体である。
2つ目はアシンメトリーだ。ここでMBは独自の説明を加える。西洋の服は基本的に左右対称で、その理由は権威と結びついているからだという。ヨーロッパのメゾンの服は貴族意識が強く、「自分たちは皆さんとは違う人間だ」という立場を表すために生まれたもので、権威の象徴だった。そして権威は左右対称に宿る。王家の旗や宮殿もたいてい左右対称であり、左右対称はデザインの歴史の上で権威主義を象徴する、とMBは語る。日本の建物も平等院鳳凰堂などはそうではないかと言いつつ、日本の建物にはそれほど詳しくないと留保もつけている。ジャパニーズモードが左右で丈を変え、前後で長さを変え、片側だけ布を増やし、ドレープを偏らせるのは、この西洋の権威主義的なシンメトリーへのカウンターとも言える。これがMBの解釈である。
3つ目は黒である。色を消すことで、シルエットや素材、構造を際立たせるために黒を使う。
4つ目は未完成だ。切りっぱなし、ほつれ、穴といった表現で、完成形に対するアンチテーゼとして未完成のものに美しさを感じさせる。MBはこれを「ジャパニーズモードの真髄」と呼ぶ。
結び:実際に袖を通してみること
代表的なブランドとして、MBはヨウジヤマモト、コム デ ギャルソン、イッセイミヤケ、賢三を挙げる。ただし賢三は今は少し毛色が違うとも付け加えている。どれも値段は高いが、ギャルソンなどはヨーロッパで買うよりずっと安く、他国の人から見れば羨ましいだろうとMBは言う。
MBは最後に、自身のブランドの宣伝をしたうえで、それとは別にギャルソンやヨウジの服をぜひ試してみてほしいと勧める。買わなくてもいい。実際に袖を通せば、西洋の服とは違うアプローチという今回の話がよく理解できるはずだ、というのがMBの締めくくりである。
服好きの集まり。「おお、山田、お待たせ」「おお、佐々。じゃあこれから服買いに行こうぜ。卒業して大人になってもよ、こうやって大学の友達であるお前と一緒に服買い物に行けるとか、俺らってラッキーだな」「そうだよな。社会人になると服の話とかできる男の人っていなくなるもんな。俺たちこんな大人になってもさ、30になってもさ、まだ洋服好きでいられるもんな。いい趣味だよな」「金はかかるけどな」
「ところでさ、この間のSSのコレクション見た?」「見た、見た。デムナ、なかなかやってるよな。かっこいいよな」「わかる。サンローランも意外と良かったよな。ところでさ、ギャルソンかっこよくね? やっぱり俺、いろいろ見ててギャルソンかっこいいなって再認識しちゃったんだよな」「おお、ギャルソンな。ギャルソン、イケてるよな。ギャルソンとか、そのヨウジとかな。いいよな」「分かってんじゃん。さすがじゃん。やっぱり俺たち日本人だからさ、サンローランとかセリーヌとかルイ・ヴィトンとか、そういうヨーロッパのブランドもいいけど、やっぱりジャパニーズモードっていうの? ギャルソンだったりとかヨウジだったりとかイッセイだったりとか、その辺は当然服好きだったら履修済みだけどさ、改めてやっぱりいいなって思うよな」「服好きの常識といえば常識だけどな。ギャルソンなんて誰でも必ず通るところだもんな」
「おお、そうだよな。ギャルソン。オム、オム、ギャルソン、オム、ププリ、プルス、プルスとかな」「おお、そうそうそう。ギャルソン オム プリュスな。オム プリュスとか。俺どちらかというとギャルソン・シャツの方が好きだけどな」「ギャ、ギャルソン・シャツ。シャツ。うん。ジュ、ジュンヤ ワタナベも好きだよ」「おお、ジュンヤね。ジュンヤもそうだね。ギャルソンだもんな。いいよな。ドッキングとかすげえかっこいいよな」
ひとしきり買い物の後。「じゃあな。また今度買い物行こうぜ。今日いいもの買えたし」「おお、またセールの時期にでも行こうぜ。ありがとう」
帰宅。ああ、やっぱ服っておもしれえな。いろんなデザイナーがいろんなこと考えてお洋服作って、おもしれえよな。でも俺あんなふうに言っちゃったけど、ギャルソンもヨウジも正直よくわかんねえんだよな。通ってないんだよ。でも俺みたいなやつ多いと思うんだよな。ギャルソン、ヨウジってなんか当たり前みたいに言ってるけどさ。ギャルソン、ヨウジ、ドラクエ、FFみたいな感覚でさ、みんな言ってるじゃない。通ってなかったらもう服語れないみたいな。もうみんな当たり前に知ってるよね、すごさ分かるよね、みたいな。ドラクエ、FFみたいな感じだよな。
でも俺、実はわかんないんだよな。かっこいいのは分かるんだけど、なんでこんなにギャルソンが人気なのか、ヨウジがなぜ世界に出てったのか、いまいち理解ができてないんだよな。でも今更聞けないよな。ドラクエとFFがなんでこんなに面白いのって今更聞いたら、何言ってんのって顔されるじゃん。マリオとソニックなんでこんなに面白いのって言われたら、お前今更何言ってんのって話になるじゃん。それと同じで、ギャルソン、ヨウジって何がいいのって言ったら、ドン引きされると思うんだよ、友達から。今更聞けないギャルソンとヨウジ、誰かもう一度歴史を振り返って、日本のファッションに基づいて解説とかしてくんないかな。
「と思ってるそこのお前」「あなたは服神様」「そう、私は服神。久しぶりに登場したけど、今回はギャルソンとヨウジ。日本人が絶対に履修しておくべきこのブランドの人気の秘密。つまり今更聞けないギャルソン、ヨウジ。今日はこの動画で全てまるっと分からせます」「服神様」
はい。というわけで今日はブランド基礎理論、今更聞けないギャルソン、ヨウジ。なぜ長く支持され続けるのかということで、今回はモードの歴史を振り返って、なぜギャルソン、ヨウジが支持されているのかというところまでたどり着ければいいなというふうに思っております。少しメンバーシップ向けの動画ではあるんですけれども、たまにはこういうの通常のYouTubeで配信しようかなと思ってやっております。ぜひよかったら最後までご覧になってみてください。
いまいちわかんないとこだと思うんですよね。ギャルソン、ヨウジって、冒頭言った通りドラクエ、FFみたいに当たり前に語られる単語みたいになってしまってるけど、実際ギャルソン、ヨウジっていうものが世界的にどういうふうな捉え方をされていて、なぜ人気が出たのかみたいなところっていうのは、解像度いまいち低い人も多いと思うんですよ。別にギャルソン、ヨウジ必ず着なきゃいけないとか、服好きだったら絶対に袖通さなきゃいけないみたいなことは特にないですけれども、ただ我々のローカルでファッションヒーローになっているギャルソン、ヨウジっていうのは、服好きである日本人であればこそ覚えておいてほしいスーパーブランドなので、ぜひよかったらこの動画を見て、服好きのファッションの芯に、特に日本のファッションの芯に少しでも触れていただければいいなというふうに思っております。
さて、本編に行く前に、私、毎週日曜日、自分のオリジナルブランドMBアイテムの新作を必ず日曜日の夜9時から発売しています。概要欄の方でMBアイテムストアのリンク貼ってありますので、よかったらぜひそちらからチェックしてみてください。よろしくお願いします。
それでは行きましょう。歴史を振り返っていこうと思います。1950年代から現代まで、順を追って日本のデザイナーズファッションっていうのがどういうふうに変遷していったのかっていうのを見ていくと、ある程度理解が早いんじゃないかなというふうに思います。ただこれ通常のYouTubeなんで、あんまり長ったらしく話をしてもなかなか見られないと思うので、なるべくコンパクトに話す努力をしますので、ぜひ最後までご覧になってみてください。
まず、ギャルソン、ヨウジ、イッセイ、この辺はひとくくりに日本のデザイナーズブランドとして語られるところ多いと思いますが、オーバーサイズだったりとか、アシンメトリーだったりとか、全身黒だったりとか、この辺がジャパニーズモードのポイントとして、要素として皆さん認識されてると思います。これらジャパニーズモードの核心っていうのはね、見てる皆さんがどういうふうな認識されてるのか分からないけど、ヨーロッパの中で正当に評価されているっていうわけでは僕はないと思います。これは僕の勝手な見解ではなくて、ちゃんとリテラシーを持ってるアパレル業界人であればみんな同意見だと思いますけど、ギャルソンもヨウジもイッセイ ミヤケも、結局その西洋のヨーロッパの洋服という文化で、なぜ極東日本人が立ち向かえたかっていうと、西洋の人たちがやってなかったことを我々日本人がやったからっていう、いわばカウンターなんですよね。
もうちょっと分かりやすく言うと、そもそも服はこうあるべきだっていう前提を疑った哲学的なアプローチに基づいて、日本人の洋服っていうものは注目されたんです。これだけ言ってもわかんないと思うんで、ちょっと歴史を遡っていきましょう。
まず1950から1960年代ですね。この辺の日本の洋服っていうのは、極めてシンプルに西洋の服を日本が学ぶっていう時代でした。要するにシャツだったりとかジャケットだったりとかスラックスっていうものが、今まで日本はなかったわけですよ、文化としてね。もちろん我々っていうのは着物を着る文化だったわけですから、そこから洋服っていうところに着るものが変化したわけですよね。その中で、じゃあ西洋の洋服って一体どんなものなんだろうと。日本人が着るにはどのぐらいのサイズ感が必要なんだろうっていうふうに、西洋の解釈を勉強し出したのが1950とか60年代の日本の服飾産業だと思います。
実際この時代に、60年代の高度経済成長で繊維産業っていうのが日本において重要な基幹産業として伸びてきたので、これと合わさって、日本人の縫製技術だったりとか服飾の技術っていうものがどんどん高まっていった時代でもありますね。ただこの時代はやはり、日本人が作る洋服っていうものは特になくて、その西洋の洋服をただ単純に日本にローカライズしていくっていう作業が1950年代、60年代だったと思います。
そもそも和服と洋服っていうのは作り方が全然違います。和服っていうのは直線的な大きな布で体を包むっていう考え方ですね。体の凹凸みたいなものを美しく見せるのではなくて、隠すっていう考え方ですね。その隠すということによって、女の人の着物だったらこのうなじの部分とかをあえて出して、少し体を連想させることで色気とかを作るわけですよ。だから想像によって間を埋めるっていう、いかにも日本的な考え方ですよね。日本人っていうのは、あえて全面に魅力を押し出すというよりは、想像の範疇で文化を作ること、間の文化っていうの、余白の文化っていうのが日本にはすごく多いわけですね。
だから体を全て隠して、ちょっとこの辺だけ、着物もV字じゃないですか。女性はこのうなじの部分開いてたりするじゃない? こういうところで余白を作って、少し連想させる。体の中身のシルエットを連想させて色気を作るみたいな考え方が強かったと思います。だからパターンっていうよりは、もう本当に直線ですよね。
これいろいろ諸説あるんですけど、そもそも日本っていうのはヨーロッパだったり大陸の国々と比べると面積がすごくちっちゃいわけですよね。家屋もちっちゃかったわけですし、そうなると洋服みたいに掛けて保存するっていうことが現実的じゃない。ってなると、直線的なものにして、畳んでもシワにならないように、コンパクトに畳んで保管できるようにっていうふうに進化していったのが和服ではないかというふうに考えられていたりもしますね。だから洋服っていうのは曲線によって体のシルエットを強調するものであって、和服っていうのは直線によって体のシルエットを隠すものっていう、全く真逆の概念なわけですね。
そこで1950年代とか60年代に洋服を我々が着出した時に、当然のことながら文化が全く違うので、まずは西洋の服作りというものをローカライズして、日本人の体の形に合わせてどう作っていくかっていうことをひたすらやっていって、プラス高度経済成長で繊維産業が伸びていって、日本の縫製技術とか服飾技術が伸びていって、ローカライズがうまく回り始めていったのが60年代ぐらいの話だと思います。
そして1970年代になると、これが西洋のものを単純に輸入してきて、インポートしてきて、日本人にローカライズをするっていう、言ってしまえば劣化再生産みたいなことから脱出できるのが1970年代です。70年代、何が出てきたかっていうと、ケンゾーとかがやり始めたことっていうのは、日本的なものを西洋の洋服へ翻訳するということをやり始めたわけです。今までは西洋の洋服を日本にローカライズする再生産の形が非常に強かったわけなんですけれども、70年代になると、例えば刺繍だったりとか和服のものづくり、直線的なものづくりだったりとか、そういった平面的な布を使ってどう洋服に落とし込むかっていう、日本が元々持ってるネイティブでローカルな技術とか価値観を使って、西洋の服に立ち打ちできないかっていう独自の路線を行き始めたのがケンゾーなわけね。
ケンゾーはだってフォークロアとかさ、民族衣装だったりとかさ、ゆとりを持った着物的な直線的な裁ち方とかさ、体を締めつけない構造だったりとか、そういう和のアプローチで洋服を作るっていうことができてたわけですよ。それが海外からジャポニスムだということで評価を受けて、ケンゾーはどんどん海外に進出していくことになるわけです。
イッセイ ミヤケもそうですね。イッセイ ミヤケっていうのは、ブランドの創設から今も全くポジションが変わってないと僕は思うんですけど、イッセイは体から服を作るんじゃなくて、布から作るっていうことをやってるんです。僕、長年お世話になってる、元アタッチメントっていうブランドの、アタッチメントブランドの創業者ですね、創業者の熊谷さんっていう方がいらっしゃるんですけど、熊谷さん、僕ずっと一緒に仕事させていただいて、僕の服作りにも強い影響をもらってる、もう本当に心の師匠みたいな方ですけれども、熊谷さんも元々一生さんの下で働いていた方なんですけれども、熊谷さんから直接一生さんの話とかを聞く機会があったので、同じようなことをやはり熊谷さんもおっしゃってましたけど、三宅さんは、一生さんは体から服を作るんじゃなくて、まず布から服を作ると。
当時はネットもなかったけど、直接電話したりとか、直接工房に行ったりとか、日本にあるちっちゃい機屋さんとかに行って、面白い生地作ってるところを捕まえてきて、この生地で何かできないかっていう、生地から物事を考える人だったそうです。これって実は全く逆なんですね。西洋の考え方からすると、西洋は体があって、体に対してどう布を作っていくかっていう考え方だけど、一生は布がまずあって、布を主体としてどう体に合わせるかっていう和服的な考え方をしてたわけですよ。
和服ってまさにそうじゃない? 直線的な布地を使って、この布地をじゃあ体に巻きつけて、帯で無理やり締めて、はい出来上がりじゃないですか。布が主体になってるわけです。ところが洋服、例えばスーツとかっていうのは体の寸法を測って合わせていって、体が主で布が従なわけですよね。この主従関係が逆転してるのが和服と洋服なんです。だから三宅一生さんは布から構造を考えて体に巻きつける。西洋服っていうのは体から考えてパターンができて、そのパターンによって布を裁断するっていう順番じゃない。これ全く逆じゃないですか? 布から体、体から布っていうふうに全く逆なわけなんですけれども、三宅一生はまさにそれを、布から発想をかけて、そして最終的に体に合わせていくっていう和服的なアプローチで洋服を作った最初の人物と言っても過言じゃないと思います。
今でもイッセイ ミヤケがやってることっていうのは、大きな布を折ったりとか、巻いたりとか、畳んだりとか、ねじったり切ったり、プリーツをかけたりだとか、そういう考え方で服作ってますよね。これはもうもちろん僕が勝手に言ってるわけじゃなくて、三宅さんの資料だったりとか本だったりだとか、関係者だったりとかに話を伺えば、間違いなく皆さん同じことおっしゃると思います。一生さんの素晴らしいところっていうのは、この和服的なアプローチ、布1枚から体を作った、ファッションを作ったっていうところが本当に素晴らしいところで、実はそれは和服の技術だったわけですよね。
こんな感じで70年代になると、今までの西洋の再生産的な、洋服を日本人にローカライズする再生産的な考え方ではなくて、日本人だからこそ何をするかっていう、初めて我々のアイデンティティを生かした服作りっていうのが出てきたわけです。そして80年代になると、これがまたさらに一歩進化します。今度は洋服を壊し始めるんですね。
1981年のことですけれども、コム デ ギャルソン、そしてヨウジヤマモトがパリでコレクションを発表して、洋服を破壊することになったわけです。当時の、今でもそうですけど、川久保先生、ギャルソンの川久保先生っていうのは既存のものを疑うっていうことをやり始めたわけですよね。よく言われるのが、川久保先生のすごいところは二項対立を疑うっていうところに着目したわけですよ。だから美しい、醜いね。美しいの反対は醜いじゃない。完成の反対は未完成じゃない。男性の反対は女性じゃないっていう、この二項対立の考え方を崩したわけです。醜いがあってもいいんじゃないかとか、女性的なメンズ服があってもいいんじゃないかとか、未完成の美しさはないのかとか。
80年代の西洋の洋服っていうのは、いかにもヨーロッパモード、グラマラスでセクシーでボディコンシャスで装飾的でっていう、我々が想像するきらびやかな世界だったわけですね。色とりどりできらびやかで装飾的でっていうのが80年代のスタイルだったわけなんですけれども、そこにガツンと殴るみたいな、真っ黒でボロボロの布切れをまとったギャルソンとヨウジが極東からやってきたわけです。これはじゃあどういうものなのかっていうと、もちろん山本も川久保玲先生もでたらめにそれを当然やってるわけではなくて、これは哲学的なアプローチで、既存の西洋が持ってる美意識というものを全く逆のアプローチで考えられないかっていうことなわけですよね。
だから美しいもの、醜いものじゃなくて、じゃあボロボロの布切れが醜い。西洋の価値観だと醜いけど、これを美しいとはできないだろうか。縫い合わせて途中で糸が止まってるような、この未完成品の美しさっていうのはないんだろうかっていう、凝り固まった既成概念をぶん殴ったのが日本人だったっていう話ですね。
これがたまたまタイミング的にパンクスとかとも近しいわけですね。音楽の世界のパンクミュージックとかもそうです。今まできっちりと音楽の世界っていうのは形が決まっていたところを、あえてギターに歪みをかけたりだとか、あえて破壊音を出したりとか、あえて金切り声を出したりだとか、あえて歪ませて、音を醜く歪ませたりだとか、そういう既存の音楽をぶっ壊すっていうのがパンクスの精神じゃないですか。タイミング一緒で、ファッションも80年代のグラマラスでセクシーで装飾的なランウェイのコレクションっていうものを、醜いスタイル、未完成のスタイルで美しさを表現できないかっていう哲学的なアプローチをしていったのが、極東の我々日本人なんです。
だから冒頭の話にもつながるんだけど、ギャルソンとかヨウジっていうのは西洋の文脈の中で評価されたのではなくて、西洋の正当なファッション文化に対するカウンターカルチャーとして出てきたから面白いとされたわけですよ。別にいいとか悪いとかの話じゃなくて、日本人が、極東の我々がね、宗教観も全然違う。そもそもヨーロッパの文化っていうのは宗教観が分かってないと本当の意味では理解できないんですよ。キリスト教が分かってなければ理解なんてできないのね。
アートなんてまさにそうですよ。西洋画の世界を見て、じゃあこれがああで、これがこうでみたいなことっていうのは日本人はなかなか言えない。日本人はその絵を見る時の下地となる宗教の知識が全くないわけですよね。そうすると、じゃあこのドアがなぜ描いてあるか、ろうそくが1本、火を灯してなんで入ってるか、絵の中になぜ描かれてるかみたいな、そういうモチーフとか象徴みたいなものを汲み取れないんですよ。こういうのって明確に決まってるのね。西洋画の世界では、ろうそくに火が灯ってるとこれは何々の象徴とか、ドレスの丈が長いとこれがこういう象徴みたいな、絵画って必ずそういうルールが決まってるから、見た時に意味合いが理解できるんですよ。
ところが我々っていうのはそういう下地がないから、綺麗か綺麗じゃないかっていうところでしか絵を見れないわけですね。そうすると、ラッセンみたいな絵画が評価されたりするわけなんですけど、別にいいとか悪いとかじゃなくて、単純に日本人が持ってる下地とヨーロッパの人が持ってる下地が全く違うから、文化として相まみえることがないっていうだけの話なんですね。
だからヨーロッパの文化で、日本人がそのままストレートに正当に戦って勝てるかっていうと、これなかなか難しいわけですよ。わざわざ極東の日本人が、宗教観も違うし、その評価の下地となるものも持ってない。そんな日本人がヨーロッパに攻めていっても、結局勝てるわけがないんですよ。そうした時に、じゃあ日本人はどうファッションの世界で存在意義、アイデンティティを作っていったかっていうと、西洋に対するカウンターカルチャーとして成り立ってたのは強いんですね。当時の80年代のファッションっていうところ、そのヨーロッパのファッションっていうところをぶっ壊しに行った。カウンターカルチャーで、そういった80年代のヨーロッパのファッションっていうものはもちろん理解してるけど、それだけじゃないよね、美しさっていうところの哲学的なアプローチが川久保先生とかヨウジの方ができたところなんですね。
90年代になると、このジャパニーズモードが世界標準になるんです。ヘルムート ラングだったりとか、マルタン マルジェラだったりとか、アン ドゥムルメステールとか、ラフ シモンズだったりとか、ドリス ヴァン ノッテンだったりとか、そういう前衛派を主体とした前衛派のデザイナーたちと、ジャパニーズモードっていうのが融合し始めたんですね。
当時ベルギーの国策としてね、ベルギーの国策として、フランスだったりイタリアだったりとかのファッション大国が2つあるわけじゃない、ヨーロッパって。その中でベルギーだったりオランダだったりとかっていうのは、ヨーロッパの中だからさ、洋服の繊維産業だったりとかデザイナーズブランドだったりとかを育てる下地がもちろんあるわけだけど、巨大なファッション都市であるミラノとパリが近くにあって、真っ当に戦って勝てるわけが当然ないわけですよ。そこでオランダもそうだし、オランダはダッチデザインっていう独特のデザイン文化がありますけど、ベルギーも国策として新しい前衛的なファッションとかアートを国として育てようってやったのが、アントワープ・シックスっていうところにつながってくるのね。
アントワープ・シックスっていうのは、アントワープ王立芸術アカデミー出身の卒業生たちで構成された6人ですね。彼らがロンドンコレクションだっけ? ロンドンコレクションで手売りで自分たちの洋服とかを販売してた中で、哲学的な前衛芸術が認められていったっていうのがあるんですけれども、今でいうところの、マルジェラは違うんだけど、マルジェラだったりとかアンだったりとか、ラフ シモンズだったりとか、ダーク ショーンベルガーだったりとか、ウォルターだったりとか、マリナ・イーとかね、ドリス ヴァン ノッテンとか、そういったアントワープ出身の前衛芸術家たちが、ファッションっていうものの本来美しいものをそのまま作るんじゃなくて、いや、こういう美しさもあるんじゃないかみたいなところの前衛的なアプローチが、80年代の川久保先生とか山本耀司のやってたことと見事につながるのが90年代なんですよ。
だから彼らは、尊敬するアーティストは、デザイナーはって聞くと、大体レイ・カワクボって答えるのね。レイ・カワクボは自分たちよりも10年先にそれらをやっていたと。美しいものっていう既成概念に疑問を呈して、新しい価値を創造し始めた、前衛的で哲学的な考え方を持った初めてのデザイナーがレイ・カワクボではないかと。だからマルジェラだったりとか、ドリスだったりとかアンだったりとか、そういった人たちはレイ・カワクボを尊敬していて、だからこそジャパニーズ的なモードにマルジェラも融合してるわけじゃないですか。
だってマルジェラが一番最初に作ったお店って恵比寿のお店ですよね。マルジェラってパリの本店が1号店だって思ってる人多いと思いますけど、恵比寿が1号店ですからね。タビブーツだってそうでしょ。僕、今一緒に働いてる人がマルジェラとかなり近しい距離で働いた人なんですけど、マルジェラを日本の温泉に連れてったりとかも。結構日本大好きで、日本の古着屋さんとか漁ったりだとか、マルジェラはやっぱりジャポニスムに対してリスペクトがあるのは、レイ・カワクボとリンクしてるところは多分にあると思います。
90年代の、この80年代まで飽和していたヨーロッパファッションっていうものがいよいよ限界を迎えて、新しいアプローチを持った前衛芸術系が出てきたのが90年代。そしてそれが80年代、極東から出てきた日本人たちと連携して、やっぱりあいつらすごかったんだっていう、ジャパニーズモードが世界標準になってきたのが90年代だからすごいんですよ。ギャルソン、ヨウジっていうのは、この90年代の前衛的なムーブメントを10年先にやってたからこそ、他のデザイナーたちに尊敬されて今でも語り継がれているわけです。
ギャルソン、ヨウジはじゃあ今何してるかっていうと、今も変わらずこのカウンターっていうものをずっとやり続けてる。彼らがメインに据えてるものは、メンズにおいてはスーツですよね。ジャケットにスラックスに革靴っていうスタイリングは、ヨウジもギャルソンも必ずランウェイで絶対に強く打ち出してます。ただ当たり前にヨーロッパの正当なものをやってるわけではなくて、オーバーサイズにして崩したりとか、縫い合わせをあえて前に出したりとか、あえて生地を燃やしたりとか、そういったアプローチによって正当なテーラーをカウンターで崩すっていうことをやってるわけ。
そして2000年以降どうなったかっていうと、今度は第2世代が台頭してくるわけです。ジュンヤ ワタナベだったりとか、サカイだったりとか、アンダーカバーだったりとかね。そういった第2世代の人たちが台頭してくる。ホワイトマウンテニアリングだったりとか、サカイもそうだし、ギャルソン出身の人もかなり多いと思いますけれども、サカイなんてすごく分かりやすいですよね。MA-1とテーラードっていう、もうヨーロッパの文化の代表的なアイテムをドッキングさせた、いわゆる魔改造なわけですよ。日本人が、ヨーロッパの正当である俺たちの服を魔改造して面白いことをやり出したぞっていうのがサカイなわけね。それによって新しい価値を見いだして評価を得られているのが今のサカイ。だからギャルソンイズムがしっかり日本人のデザイナーに継承されてるんですよね。
じゃあジャパニーズモードの要素というのはどんなものか、ここで簡単に振り返りましょう。1つは体を強調しないということですね。西洋の洋服は体を美しく見せるための服であることが多いけど、日本の洋服っていうのは体と服の関係性を作るっていう、体を決して強調するわけではない。服が主体であるっていうのがジャパニーズモードの大きな特徴だと思います。
2つ目がアシンメトリーですね。西洋服っていうのは基本的に左右対称、シンメトリーなんですよ。なぜかっていうと、権威とくっついてるからです。そもそもヨーロッパのメゾン、洋服っていうものは貴族意識が強いから、自分たちは皆さんと違う人間なんだよっていう、自分のポジションを表現するために開発された服なわけです。だから権威性の象徴だったわけね。権威性っていうのはどこに宿るかっていうと、シンメトリーなんですよ。王家の国旗とか見ても分かると思うんですけど、王家どこでもいいけど、王家の国旗とか見れば分かるんだけど、大体王家の国旗とかっていうのはシンメトリーなんです。宮殿とかもそう。大体シンメトリーです。左右対称です。左右対称っていうのはデザインの歴史上、権威主義を象徴するものなんですよ。左と右がちょうど同じになってると、権威的なものを感じるようになってるのね。
日本の建物もそうだけど、平等院鳳凰堂とかもそうなんじゃないの? ちょっと日本の建物は僕そんなに詳しくないんですけど、左右対称になってると権威を感じられる。逆なんですよ。だから日本はその左右対称ではなくて、ジャパニーズモードっていうのはあえてアシンメトリー。左右で丈を変える。前後で長さを変える。片側だけ布を増やす。ドレープを偏らせる。こういうヨウジヤマモトだったりとか玲の技法っていうのは、この西洋の権威主義のシンメトリーに対するカウンターカルチャーということもできるわけです。
そしてジャパニーズモードの3つ目の要素は黒ですね。色を消すことでシルエット、素材、構造を際立たせるという意味で黒を使っています。そしてジャパニーズモードの要素の4つ目は未完成ということですね。切りっぱなしだったり、ほつれたり、穴が開いたりという完成形に対するアンチ、カウンターカルチャーとして未完成のものに美しさを覚えさせるというのが、ジャパニーズモードの真髄でございます。
そんなジャパニーズモードなんですけど、やはり代表的なブランドはヨウジヤマモト、コム デ ギャルソン、イッセイ ミヤケ、ケンゾーあたりだと思います。ケンゾーはまたちょっと今、毛色が違うと思いますけれども、やはり値段はなかなか高いんですけれども、ただギャルソンとかに関してはヨーロッパで買うよりも随分安いです。ローカルですからね、我々。なので他の国の人たちからすると、ギャルソンとかヨウジがこんなに安く買えるって多分羨ましく思うと思うんですけど、でもやっぱり高いよね。
そんなわけでここで急に宣伝になっちゃうんですけど、そんなわけで僕がジャパニーズモードシリーズとして、ギャルソンだったりとかヨウジが実際に使ってる素材と遜色のないものを使って、僕なりにジャパニーズモードを解釈して作ってるのがMBアイテムのジャパニーズモードシリーズです。サルエルだったりとかオーバーサイズのジャケットだったりとかを、ドレープ感だったりとか、あえてたるみをつけたりだとか、あえて崩したシルエットにしたりだとかで表現しているのが、僕がやってるジャパニーズモードシリーズです。これ今後も継続して展開するので、もし気になったらMBアイテムのリンクをぜひチェックしてみてください。時折このジャパニーズモードシリーズやろうと思いますので、ぜひチェックしていただければというふうに思います。
もちろんこれはあくまで宣伝であって、ぜひギャルソンとかヨウジのお洋服、袖通してみてください。買わなくてもいいと思うんですけど、西洋の洋服とまた違うアプローチっていうのが、今回話した内容がよく理解できるんじゃないかなというふうに思うので、ぜひよければ試してみてください。
はい。というわけで今回は今更聞けないギャルソン、ヨウジということで、日本のお洋服、ブランド基礎理論みたいなもの、ジャパニーズモードの基礎理論みたいなものを解説していきました。参考になれば幸いでございます。メンバーシップではこういった話たくさんやっておりますので、よかったらぜひ概要欄のメンバーになるボタンから参加してみてください。それではまたお会いしましょう。MBでした。バイバイ。
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