ギャルソンとヨウジはなぜ長く支持されるのか:MBが歴史からたどるジャパニーズモードの基礎理論

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概要

コム デ ギャルソンやヨウジヤマモトは、服好きの間では知っていて当然の名前として語られる。では、なぜこれほど人気があり、なぜ世界で評価されたのか。この動画で話者のMBは、この問いに1950年代から現在までの日本のデザイナーズファッションの変遷をたどって答えようとする。MBの立場ははっきりしている。ギャルソンやヨウジは、西洋の服の文脈の中で正当に評価されたのではない。西洋が前提としてきた「服はこうあるべきだ」という考えを疑う、カウンターとして注目されたのだという。

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寸劇:「ドラクエとFF」のように語られるブランド

動画は寸劇から始まる。大学時代の友人2人が30歳になっても一緒に服を買いに行き、最新コレクションの話をする流れで「ギャルソンかっこいいよな」「ヨウジもいいよな」と盛り上がる。片方は「コム デ ギャルソン・オム プリュス」の名前を何度も言い間違え、「ジュンヤワタナベも好き」と取り繕う。帰宅後、彼は本音を漏らす。かっこいいのは分かるが、なぜギャルソンがこれほど人気なのか、なぜヨウジが世界に出ていけたのかは、実はよく分かっていない。

MBはこの状況を、ドラクエやFF、マリオやソニックにたとえる。誰もが当たり前に名前を出すので、今さら「何がいいの?」とは聞きにくい。そこに神様のキャラクターが現れ、「今さら聞けないギャルソンとヨウジ」を解説する、という導入になっている。

本編の冒頭でMBは、ギャルソンやヨウジを必ず着なければならないわけではないと断っている。そのうえで、日本の服好きにとってはローカルなファッションヒーローであり、日本人だからこそ覚えておいてほしいブランドだと位置づける。

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出発点の主張:ジャパニーズモードはカウンターだった

ギャルソン、ヨウジ、イッセイミヤケは「日本のデザイナーズブランド」としてひとまとめに語られることが多い。オーバーサイズ、アシンメトリー、全身黒といった要素が、ジャパニーズモードの特徴として広く認識されている。

MBは、こうしたジャパニーズモードの核心がヨーロッパで「正当に」評価されてきたわけではないと考える。これは自分だけの勝手な見解ではなく、リテラシーのあるアパレル業界人ならみな同じ意見だろう、とも付け加える。

MBの説明はこうだ。洋服はもともと西洋の文化である。その中で極東の日本人が渡り合えたのは、西洋の人々がやっていなかったことをやったからだ。つまりカウンターであり、言い換えれば、服の前提そのものを疑う哲学的なアプローチだった。この主張を理解するために、MBは年代を追って歴史を振り返っていく。

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1950〜60年代:西洋の服を学び、ローカライズする時代

MBによれば、1950〜60年代の日本の服飾は、きわめてシンプルに西洋の服を学ぶ段階だった。日本はもともと着物の文化であり、シャツやジャケット、スラックスといった服を持っていなかった。そこで、西洋の洋服とはどういうものか、日本人が着るにはどんなサイズ感が必要かを研究し始めたのがこの時代だという。

60年代には高度経済成長の中で繊維産業が日本の基幹産業として伸びた。MBは、これと並行して日本人の縫製技術や服飾技術が大きく向上したと説明する。ただし、この時期に日本独自の洋服があったわけではない。西洋の服を日本人の体に合わせて作り直す、つまりローカライズしていく作業の時代だった、というのがMBの見方である。

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和服と洋服:直線と曲線、隠すことと強調すること

ローカライズが必要だった理由として、MBは和服と洋服の作り方がまったく違う点を挙げる。和服は直線的な大きな布で体を包む。体の凹凸を美しく見せるのではなく、隠すという考え方だ。

隠すことで色気が生まれる、とMBは言う。女性の着物ではうなじをあえて見せ、体の中のシルエットを想像させることで色気を作る。全面に魅力を押し出すのではなく、想像で間を埋める。MBはこれを、日本に多い「間の文化」「余白の文化」の典型だと見ている。

和服が直線的になった理由について、MBは諸説あると前置きして一つの説を紹介する。日本はヨーロッパや大陸の国々に比べて国土が狭く、家も小さかった。そのため、洋服のように掛けて保存するのは現実的ではなかった。シワにならずコンパクトに畳んで保管できるよう、直線的な形に進化したのではないか、という説である。

まとめると、洋服は曲線で体のシルエットを強調するもの、和服は直線で体のシルエットを隠すものであり、MBは両者を「真逆の概念」と表現する。だからこそ、洋服を着始めた50〜60年代の日本では、西洋の服作りを日本人の体型に合わせる作業をひたすら続ける必要があった。そこに繊維産業と技術の成長が重なり、60年代ごろにローカライズがうまく回り始めた、という流れでMBは説明している。

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1970年代:日本的なものを洋服へ翻訳する

MBは、70年代になると、西洋のものを輸入して日本人向けに作り直すだけの、言ってしまえば「劣化再生産」から抜け出せたと見る。その代表として挙げるのが賢三(KENZO)である。

賢三が始めたのは、日本的なものを西洋の洋服へ翻訳することだった、とMBは言う。刺繍、和服の直線的な裁ち方、平面的な布をどう洋服に落とし込むか。日本がもともと持っていたネイティブでローカルな技術や価値観を使って、西洋の服に立ち向かえないかという独自路線である。フォークロアや民族衣装、ゆとりを持たせた着物的な直線の裁ち方、体を締めつけない構造といった和のアプローチで洋服を作り、それが海外から「ジャポニズム」として評価され、海外進出につながった、というのがMBの説明だ。

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三宅一生の「布から服を作る」発想

三宅一生も70年代の流れの中で語られる。MBは、イッセイミヤケのポジションはブランド創設から今まで変わっていないと考えている。その本質は、体から服を作るのではなく、布から服を作ることだという。

この話の裏づけとして、MBは個人的なつながりを紹介する。MBが長年仕事をともにし、自分の服作りにも強い影響を受けた「心の師匠」のような存在が、アタッチメントの創業者である熊谷さんだ。熊谷さんはもともと三宅一生のもとで働いていた人物で、MBは熊谷さんから直接三宅の話を聞く機会があった。熊谷さんの話でも、三宅はまず布から服を考える人だったという。ネットのない時代に、電話をかけたり工房へ足を運んだりして、日本各地の小さな機屋(はたや)で面白い生地を作っているところを見つけてくる。そして「この生地で何かできないか」と、生地から発想していたそうだ。

MBはこれを、西洋とは主従関係が逆の発想だと説明する。スーツのような洋服は、体の寸法を測ってパターンを作り、そのパターンに沿って布を裁つ。体が主で、布が従である。和服は直線的な布地を体に巻きつけ、帯で締めて完成させる。布が主体だ。三宅は布から構造を考え、最後に体に合わせるという和服的なアプローチで洋服を作った。MBは、その最初の人物と言っても過言ではないと評価する。

いまのイッセイミヤケも、大きな布を折る、巻く、畳む、ねじる、切る、プリーツをかけるといった考え方で服を作っている、とMBは指摘する。これも自分が勝手に言っているのではなく、三宅に関する資料や本、関係者に話を聞けば皆が同じことを言うはずだという。こうして70年代には、西洋の再生産ではなく、日本人だからこそ何ができるかという、自分たちのアイデンティティを生かした服作りが初めて現れた。MBはこの時代をそう位置づけている。

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1980年代:ギャルソンとヨウジによる「洋服の破壊」

80年代になると、さらに一歩進んで、洋服そのものを壊し始める。MBが転機として挙げるのは1981年だ。この年、コム デ ギャルソンとヨウジヤマモトがパリでコレクションを発表し、MBの言葉では「洋服を破壊することになった」。

MBは川久保玲の特徴を、既存のものを疑う姿勢、とくに二項対立を疑う点にあると説明する。美しいの反対は醜い、完成の反対は未完成、男性の反対は女性という区分けを崩した。醜いものがあってもいいのではないか。女性的なメンズ服があってもいいのではないか。未完成の美しさはないのか。そういう問いを立てたのだという。

当時のヨーロッパのモードについて、MBは、グラマラスでセクシー、ボディコンシャスで装飾的、色とりどりできらびやかな世界だったと描写する。そこへ極東から、真っ黒でボロボロの布切れをまとったギャルソンとヨウジが「ガツンと殴る」ように現れた。MBは、2人がでたらめにそうしたのではないと強調する。西洋の美意識を真逆の方向から考えられないかという、哲学的なアプローチだったという。西洋の価値観では醜いとされるボロボロの布切れを、美しいとはできないか。縫い合わせの途中で糸が止まっているような未完成品に、美しさはないのか。凝り固まった既成概念を打ち破ったのが日本人だった、とMBは語る。

MBはこの動きを、時期の近いパンクと重ねる。音楽の世界では形が決まっていたところに、ギターを歪ませたり、破壊音や金切り声をあえて出したりして既存の音楽を壊すのがパンクの精神だった。ファッションでも同じ時期に、グラマラスで装飾的なランウェイに対して、醜いもの、未完成のもので美しさを表現できないかと問いかけたのが日本人だった、という整理である。

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西洋の土俵で勝てない理由:評価の「下地」の違い

ここでMBは冒頭の主張に戻る。ギャルソンやヨウジは、西洋の正統なファッション文化への「カウンターカルチャー」として出てきたからこそ面白いとされた。MBはこれを、良い悪いの話ではないと断っている。

この見方の根拠としてMBが挙げるのは、宗教観の違いである。ヨーロッパの文化はキリスト教を分からなければ本当の意味では理解できない、とMBは考える。わかりやすい例が西洋画だ。西洋画には、ろうそくに火が灯っていれば何かの象徴、ドレスの丈が長ければ別の何かの象徴というように、モチーフの意味がはっきり決まっている。その下地があれば、見たときに意味が読み取れる。しかし日本人はその下地を持たないので、綺麗かどうかでしか絵を見られない。その結果、ラッセンのような絵画が評価されたりする、とMBは言う。

ここでもMBは、良い悪いではなく、日本人とヨーロッパ人の持つ下地がまったく違うので文化として交わらないだけだと述べる。宗教観も評価の下地も違う日本人が、ヨーロッパの土俵で正面から戦っても勝てるわけがない。だから日本人は、西洋へのカウンターとしてアイデンティティを築いた。80年代のヨーロッパのファッションをもちろん理解したうえで、「それだけじゃないよね」と美しさについての哲学的なアプローチをとった。それが川久保やヨウジにできたことだ、というのがMBの結論である。

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1990年代:アントワープの前衛との合流で「世界標準」へ

MBは、90年代にジャパニーズモードが世界標準になったと語る。きっかけは、ヘルムート・ラング、マルタン・マルジェラ、アン・ドゥムルメステール、ラフ・シモンズ、ドリス・ヴァン・ノッテンといった前衛派のデザイナーたちと、ジャパニーズモードが融合し始めたことだという。

その背景として、MBはベルギーの国策に触れる。ヨーロッパにはフランスとイタリアという2つのファッション大国があり、巨大なファッション都市であるパリとミラノがすぐ近くにある。ベルギーやオランダにも繊維産業やデザイナーを育てる下地はあるが、正面から戦って勝てるはずがない。そこでオランダにはダッチデザインという独特のデザイン文化が生まれ、ベルギーは国策として前衛的なファッションやアートを育てようとした。MBは、それがアントワープ・シックスにつながったと説明する。

アントワープ・シックスは、アントワープ王立芸術アカデミーの卒業生6人で構成される。MBは記憶をたどる口ぶりで、彼らがロンドン(「ロンドンコレクションだっけ」と言いながら)で自分たちの服を手売りし、その哲学的な前衛性が認められていった、と語る。名前としてはアン・ドゥムルメステール、ドリス・ヴァン・ノッテン、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、マリナ・イーらが挙がり、マルジェラについては「アントワープ・シックスとは違うが」と断ったうえで、同じ流れの人物として扱っている。

MBによれば、美しいものをそのまま作るのではなく「こういう美しさもあるんじゃないか」と問う彼らの姿勢は、80年代に川久保や山本耀司がやっていたことと見事につながった。尊敬するデザイナーを聞かれると、彼らはたいてい川久保玲と答える。美しさという既成概念に疑問を投げかけて新しい価値を生み出した、前衛的で哲学的な最初のデザイナーが川久保玲だったのではないか、とMBは見ている。

マルジェラと日本のつながりについて、MBはいくつか具体例を挙げる。マルジェラの最初の店はパリ本店だと思っている人が多いが、実は恵比寿が1号店だという。足袋ブーツもその表れだとする。さらに、MBが現在一緒に働いている人物はマルジェラのかなり近くで働いた経験があり、その人の話では、マルジェラを日本の温泉に連れて行ったこともあり、マルジェラは日本好きで日本の古着屋をあさったりもしていたという。マルジェラの日本へのリスペクトは、川久保玲への尊敬と多分にリンクしているのだろう、とMBは推測している。

MBの整理では、80年代まで飽和していたヨーロッパのファッションが限界を迎え、新しいアプローチを持つ前衛芸術家たちが90年代に出てきた。彼らと80年代の日本人がつながり、「やっぱりあいつらすごかったんだ」という形でジャパニーズモードが世界標準になった。ギャルソンとヨウジは90年代の前衛的なムーブメントを10年先にやっていたからこそ他のデザイナーに尊敬され、今も語り継がれている。これが、タイトルの問いに対するMBの答えである。

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現在のギャルソンとヨウジ:テーラードを崩し続ける

では今のギャルソンとヨウジは何をしているのか。MBは、今も変わらずカウンターを続けていると見る。メンズで2人が軸にしているのはスーツであり、ジャケット、スラックス、革靴というスタイリングをヨウジもギャルソンもランウェイで必ず強く打ち出している、とMBは言う。

ただし、ヨーロッパの正統なテーラードをそのままやっているわけではない。オーバーサイズにして崩す、縫い合わせをあえて表に出す、あえて生地を燃やす。そうした手法で正統なテーラードをカウンター的に崩している、というのがMBの見立てである。

23:51

2000年代以降:第二世代の台頭とsacaiの「魔改造」

2000年代以降は第二世代が台頭する。MBが挙げるのは、ジュンヤワタナベ、sacai、アンダーカバー、ホワイトマウンテニアリングなどで、ギャルソン出身者もかなり多いと述べている。

MBがとくにわかりやすい例とするのがsacaiだ。MA-1とテーラードという、ヨーロッパの服文化を代表するアイテムをドッキングさせた、いわゆる「魔改造」である。ヨーロッパから見れば、「日本人が俺たちの正統な服を魔改造して面白いことをやり出した」という見え方になる。そこに新しい価値が見出され、今のsacaiの評価につながっている。MBはこれを、ギャルソンイズムが日本人デザイナーにしっかり継承されている証拠だと位置づけている。

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ジャパニーズモードの4つの要素

最後にMBは、ジャパニーズモードの要素を4つにまとめる。

1つ目は、体を強調しないこと。西洋の服は体を美しく見せるためのものが多いが、日本の服は体と服の関係性を作るもので、服が主体である。

2つ目はアシンメトリーだ。ここでMBは独自の説明を加える。西洋の服は基本的に左右対称で、その理由は権威と結びついているからだという。ヨーロッパのメゾンの服は貴族意識が強く、「自分たちは皆さんとは違う人間だ」という立場を表すために生まれたもので、権威の象徴だった。そして権威は左右対称に宿る。王家の旗や宮殿もたいてい左右対称であり、左右対称はデザインの歴史の上で権威主義を象徴する、とMBは語る。日本の建物も平等院鳳凰堂などはそうではないかと言いつつ、日本の建物にはそれほど詳しくないと留保もつけている。ジャパニーズモードが左右で丈を変え、前後で長さを変え、片側だけ布を増やし、ドレープを偏らせるのは、この西洋の権威主義的なシンメトリーへのカウンターとも言える。これがMBの解釈である。

3つ目は黒である。色を消すことで、シルエットや素材、構造を際立たせるために黒を使う。

4つ目は未完成だ。切りっぱなし、ほつれ、穴といった表現で、完成形に対するアンチテーゼとして未完成のものに美しさを感じさせる。MBはこれを「ジャパニーズモードの真髄」と呼ぶ。

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結び:実際に袖を通してみること

代表的なブランドとして、MBはヨウジヤマモト、コム デ ギャルソン、イッセイミヤケ、賢三を挙げる。ただし賢三は今は少し毛色が違うとも付け加えている。どれも値段は高いが、ギャルソンなどはヨーロッパで買うよりずっと安く、他国の人から見れば羨ましいだろうとMBは言う。

MBは最後に、自身のブランドの宣伝をしたうえで、それとは別にギャルソンやヨウジの服をぜひ試してみてほしいと勧める。買わなくてもいい。実際に袖を通せば、西洋の服とは違うアプローチという今回の話がよく理解できるはずだ、というのがMBの締めくくりである。