だんじり祭りの危険な曳行について、高須幹弥氏が語った「継続には賛成、過激な曳き方には反対」という意見
高須幹弥(高須クリニック)大阪府南部のだんじり祭りで続けて2人が亡くなった事故が、ネット上で大きな話題になっている。高須クリニックの高須幹弥氏はこの動画で、祭りの存続そのものには賛成しつつ、コーナーを高速で曲がる現在の曳き方には個人的に反対だと述べた。なぜ危険な祭りが続いてきたのかについても、独自の見方を示している。
基本的な立場:祭りは続けてよいが、死者が出るやり方は改めるべき
高須氏は今回の事故を「痛ましい」とし、だんじり祭りで死人が出るほど激しいことはやるべきではないと述べる。理由は、安全対策がまだ決定的に足りていないと考えているからだ。
氏が問題にしているのは祭りの存在ではなく、今の曳き方である。コーナーでスピードを出して曲がり、だんじりが倒れて周りの建物に被害が出る。乗っている人、たとえばバランスを取る役目の人が倒れて下敷きになって亡くなる。ほかの人も巻き込まれて大怪我をする。氏はこうしたことは「あってはならない」とし、だんじりが倒れず、怪我人が出ず、死者が絶対に出ないように対策を強めるべきだと主張した。過激なスピードでコーナーを曲がることを「素晴らしい」「かっこいい」とする風潮のだんじり祭りには、個人的に反対だという。そのうえで、人によっていろいろな意見があることも認めている。
ネット上で交わされている賛否
氏は議論の状況を次のように整理する。過去にもだんじり祭りでは多くの人が亡くなってきたが、今回は短期間に2人が亡くなってテレビで報道された。さらに参加者や観客がスマートフォンで撮った映像がXを中心に拡散し、これまで以上に批判が集まっている。
氏によれば、批判する側が圧倒的に多い。その主な意見は、死人が出るくらいならやめろ、今回だけでなくずっと死人が出続けているのになぜ放置してきたのか、というものだ。祭りは五穀豊穣を祈ったり、非日常を味わって楽しんだりするためのものなのに、そこで人が死んだり大怪我をしたりするのは本末転倒だ、という意見も多いという。反対に、これは伝統であり、地元の人間以外が口を出すな、という反発もある。
「伝統だから」という擁護への疑問
擁護論には「300年の歴史がある伝統だ」という主張がある。これに対して氏は、もともとは今のような速度でコーナーを曲がることはしていなかったという説が有力だと紹介する。
その説によると、戦後に道路がアスファルトで舗装されてから、地元の人たちがコーナーでのスピードを競い合うようになった。その結果、だんじりが倒れる、電柱が倒れる、民家や商店が壊されるといった被害が出るようになった。それも祭りだからいいという空気もあるが、大昔はゆっくり移動するものが多かったのなら、そちらに戻せばよいのではないか。だから「伝統だからよい」という論理は違うのではないか、という意見がある。氏はこの意見に賛成している。
地域住民の負担と同調圧力
氏はネット上の声として、ほかの論点も挙げる。町が壊されても十分な補償がされていないのではないか。補償があったとしても、一度壊されるのは気分がよくない。一方で、この地域に住む以上は承知の上だ、という意見もある。
参加の強制についても触れている。祭りは一応強制参加ではないことになっているようだが、同調圧力があると言われている。祭りに反対でもお金を徴収されることがあり、それも同調圧力による実質的な強制だという声もある。道路が封鎖されて迷惑がかかる、地元でも中止してほしいという意見も一定数ある、と氏は紹介する。
本人が本望でも「自己責任」では片づけられない
氏が最も問題視するのは、参加者が明らかに危険な行為を意図して行い、町同士で競い合っている点である。死ぬすれすれのことをして、それを見て喜ぶ観客がいる。だんじりに乗る人は喝采を浴びて目立ち、観客も喜ぶ。氏はこれを単なる祭りではなく、どれだけ速くコーナーを曲がるか、どれだけ目立つかを競う要素があるものと見ている。
参加者の中には、この地域で生まれ育ち、ずっとだんじり祭りとともに生きてきたので、祭りで死ぬなら本望だと考える人が一定数いる、と氏は言う。全員がそうではないとも断っている。それでも氏は「自己責任」で片づけるのは間違いだと考える。本人がよくても、必ず悲しむ人がいるからだ。たとえば父親が祭りに参加して亡くなれば、子供や妻、親が悲しむ。中には本人も本望だったと受け止める遺族もいるかもしれないが、悲しむ人は必ずいる、というのが氏の考えである。
もう一つの理由は医療機関への負担だ。祭りだから仕方ないと思う医療従事者もいるかもしれないが、怪我人が多数出て、ICUでの管理や長期入院になれば、保険料や税金が使われる。多くの人に迷惑がかかる以上、スリルが減って楽しくないと感じる人がいるとしても、もっと安全管理をすべきだと氏は述べる。
名古屋在住の立場から
氏自身は、あの祭りに参加したいとは思わないという。幸い名古屋に住んでいて、ああいう危険な祭りはない。もし自分の住む地域で同じような祭りを始めることになったら、住民として猛反対するとも言う。名古屋の人はほとんどが反対するだろうから、新しくそういう祭りができることはないだろう、と氏は見ている。一方で、岸和田市、泉大津市、和泉市、泉佐野市など大阪南部の人たちは、生まれたときから祭りとともに育ち、祭りを愛しているのだろうとも述べた。
なぜ危険な祭りがなくならないのか:氏の「種族」論
氏は、なぜあの地域の人たちは危険な祭りをやりたがるのかを考える必要があると言い、自分の見方を示す。
まず、祭りは非日常を味わう場である。日常とは、学校で授業を受けて部活をし、会社員なら普通に真面目に働き、個人事業主なら真面目に接客する生活、言い換えれば退屈な日常だ。祭りでは大騒ぎし、場合によっては危険な行為をして盛り上がる。氏はこれを、スポーツ観戦やライブ会場、クラブやディスコで踊るときの一種のトランス状態にたとえる。脳内でドーパミンが出て、皆で一体感を感じる状態である。
氏によれば、世の中にはこうした非日常、とくに危険な行為を楽しむ人と楽しまない人がいる。コーナーを猛スピードで回り、その上で先導役が飛び跳ねて注目と賞賛を浴び、皆で連帯感を感じる。それでドーパミンが出る人もいれば、何が楽しいのかわからないと冷めた目で見る人もいる。氏は前者を「種族」と呼び、「種族と言うと申し訳ないけど」と断ったうえで、石器時代の部族間の対立のように、戦って相手を打ちのめして勝ったときに盛り上がるという、生物学的本能を受け継いだ人たちという意味だと説明した。大阪南部、岸和田などはそういう人たちが集まった地域であり、だから祭りがなくならないのだと氏は考えている。
暴走族との比較
氏はこれを暴走族の暴走行為とほぼ同じだと述べる。子供の頃は愛知県にも暴走族が多かったという。三河の西尾市に住んでいた頃も、大学のあった豊明市にも暴走族やヤンキーが一定数いた。ノーヘルメットで信号無視や煽り運転をし、時々死人も出た。
氏は小学生の頃に聞いたチェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』の、仲間がバイクで死んだという歌詞を引く。暴走族は仲間が死ぬと悲しむが、それでも暴走をやめない。バイクで死ぬなら本望だという人もいて、事故死を美談にする文化もある。危険行為でドーパミンが出て気持ちよく、それがかっこいいと思われ、憧れる若者や女の子もいて、当時はモテたりもした。今はネットで拡散されて「ダサい」という風潮になったが、当時は不良や暴走族がかっこいいとされていた。生きるか死ぬかすれすれでバイクを走らせることは、人によっては依存性があるほどドーパミンが出る行為だと氏は言う。
多数派になると同調圧力が生まれる
氏は、危険行為を好む人が多数派の地域では、それが同調圧力になると考えている。好きではない人も参加しなければならない空気になり、文句を言えなくなる。とくにテストステロンが高めで、喧嘩が強そうで声の大きい「怖い系」の人たちがまとまって「祭りをやるぞ」となると、嫌でも「やめてほしい」とは言えなくなるのだろう、と氏は推測する。名古屋の自分の地域にはそういう人が比較的少ないので、そうした声も上がらず、そういう祭りも存在しないのだろうという。
そのうえで氏は、祭りで命を落としても本望だと感じる人たちは、他の人には理解できない脳の構造をしているのではないかと述べ、それは遺伝子レベルで受け継がれているものだと思う、とした。その人たちの考えは尊重してもよいとしつつ、周囲に多大な迷惑をかける以上、今の世の中では安全対策を徹底すべきだという。転倒しにくい車輪にし、コーナーもゆっくり曲がり、五穀豊穣を願って皆で楽しむ程度にすべきだ、というのが氏の考えだ。氏自身は危険行為を見てもドーパミンが出ず、面白いとも思わず、むしろ人が死んだり大怪我をしたりすることに悲しみを感じるという。
格闘技やモータースポーツとの違い
氏は、競技で人が亡くなる例にも触れる。プロボクシングでは頭を何度も殴られて硬膜下血腫で亡くなる選手がいる。総合格闘技やプロレスでも死亡事故や、頸髄損傷などの後遺症で障害が残る例がある。F1、オートレース、ボートレース、競輪でも大怪我をする人が多く、F1では亡くなった人もいる。極限状態で競えば、安全対策を重ねても事故は起こり、亡くなった人を称賛するような空気が生まれることもある。氏はだんじり祭りもこれと似た部分があり、町同士で過激さを競って称賛を受ける「競技」だと見ている。
ただし氏は、競技と祭りは違うと強調する。ボクシングで人が亡くなることもあってはならないとしたうえで、それでもリングに上がる人には死ぬ覚悟がある場合もある。しかし祭りには多くの人が関わり、物が壊され、場合によってはだんじりが倒れて観客が被害を受ける可能性も否定できない。観客を離す、入場者を制限するといった対策はしているようだが、一定数の人に迷惑がかかることは避けられない。さらに地域で行う以上、祭りが嫌いで、お金も払いたくなく、参加もしたくない人まで同調圧力で参加させられる空気になる。住民が100%参加して100%その荒々しさを好んでいるならよいが、何万、何十万という住民がいれば反対する人は必ずいる、と氏は述べる。
結論:舗装以前の、死者が出ない範囲の祭りへ
氏の結論は、過激なだんじり祭りには個人的に反対であり、伝統を重んじるのなら、アスファルト舗装でコーナーを猛スピードで曲がるようになる前の、死者や怪我人が出ない範囲の祭りにすべきだ、というものだ。あれだけ巨大なだんじりを扱う以上、安全にやろうとしても事故は一定数起きるかもしれないと氏は認めている。それでも、無理にコーナーを曲がって盛り上がり、称賛し、ドーパミンを出すようなやり方はやめたほうがいいのではないか、と述べた。
最後に氏は、この意見にも反対する人が必ず一定数いるだろうとし、そうした意見に耳を貸さないわけではなく、それも頭に入れたうえで今回は自分の意見を話した、と締めくくった。
こんにちは。今回なんですけれども、今ネット上などで非常に話題になっているだんじり祭りに関して、僕の意見をお話しさせていただこうと思うのですが、特に今話題になってるのは、大阪府の南の方のだんじり祭り。続けて2人の方がお亡くなりになってしまったと。すごく痛ましい事故が起きてしまったと。
僕は個人的には、だんじり祭り、死人が出るほどの激しいことはやるべきではないと思います。まだまだ安全対策が決定的に足りていないので、今ネット上中心にいろんな意見があるわけですけど、僕はだんじり祭りっていう祭りを継続することは賛成なんですけど、今やってるようなコーナーで曲がる時に猛スピードを出して、倒れて、周りの建物なども被害が出るし、その祭りに参加した、乗ってる人が、バランスを取る役目の人などが倒れて下敷きになってお亡くなりになるとか、それ以外の人たちも巻き込まれて大怪我する。こういうことはあってはならないので、もっと安全対策をして、そのだんじりが倒れないようにして、怪我人が出ないように、絶対に死者が出てはいけないように、もっと対策すべきだと思います。
今のような過激な猛スピードでコーナーを曲がって、それが素晴らしい、かっこいいっていう風潮のだんじり祭りは個人的には反対です。これ本当に人によっていろんな意見があるわけなんですけれど、僕はそう思ってますよということです。
立て続けに死者が2人出てしまったと。過去にもだんじり祭りでたくさんの方がお亡くなりになってるわけなんですけど、今回立て続けに2人お亡くなりになって、テレビでニュースになって、それを皆さん、祭りに参加した方、観客の方がスマホで撮影して、それがXを中心に大拡散していると。だから今まで以上に批判が殺到している。批判する人もいれば、それに対して、これは伝統なんだから余計なことを口に出すな、地元の人間以外の人たちが余計なことを口出すなとか、いろんな意見が錯綜しているっていう状態なわけです。
やっぱり批判する人の方が圧倒的に多くて、その人たちの多くの意見が、もう死人が出るぐらいだったらやめろと。今回だけじゃなくてずっと死人が出続けてるんだって。なんでこんな祭りを今まで放置していたんだと。祭りっていうのは五穀豊穣を祈るとか願うとか、みんなが非日常を味わって盛り上がる、楽しむためなのに、そこで人が死んでしまう、大怪我する人がたくさん出てしまう。本末転倒であるという意見が多いわけですよね。
だけどそれに対して、これ伝統なんだって、300年の歴史があるんだっていう意見の人もいれば、ただしこのだんじり祭りっていうのは、元々は今やってるようなスピードでコーナーを曲がるみたいなことはやってなかったという説が強いわけでして。戦後に道路が舗装されてアスファルトで固められたと。その時にやっぱり地元の人たちが競い合うようになったと。コーナーで過激に猛スピードで競い合うようになったと。その時に倒れてしまったりとか、周りの電柱が倒れたり、民家とか商店、いろんな商店が破壊されてしまったりとか。別にそれはそれで、これ祭りなんだからいいじゃないかとか、そういう空気もあるわけなんですけど、元々大昔はあんな猛スピードでコーナーを曲がるなんていう危険な行為はしなかったんだと。
だからこれ伝統だ、伝統だっていう意見もあるけれど、そもそも昔はこんなことやってなかったんで、ゆっくりだんじりが移動するっていうものが多かったわけなので、そういうふうに戻せばいいだけじゃないか。だから伝統だからこれはいいんだっていう意見は違うんじゃないかっていう意見もあるわけで、僕もそっち側の意見に賛成しています。
あとは町が破壊されていると。それが十分な補償がされていないのではないかとか、そういう意見もあるし、そもそも補償されたとしても、一旦破壊されるのも気分良くないですよと。ただこの地域に住んでる以上は、もうこれも承知の上で住んでるんだからそれはいいんだとか、そんないろんな意見もあるわけだし、あとは強制参加なのか、強制参加ではないのか。一応祭りは強制参加ではないということになってるみたいなんですけれど、よく言われてる同調圧力ですよね。
あるいは地域に住んでいて祭り自体には反対なんだけれど、お金を徴収されることがあるとか、それも同調圧力で強制的だとか、いろんな意見があって、その地域に住んでる人たちもちょっと反発してる人は一定数いるっていうネット上の声があるわけですよね。好きでやってるんだからいいじゃないかっていう意見もあれば、祭り自体好ましいとは思ってなくて、その地域住民の人でも。道路が封鎖されるわけなんで、いろんな迷惑がかかってるとか、いろんな声があって、地元の人でも祭り中止してほしいとか、そういう意見も一定数あるわけですよね。
個人的にはやっぱり危険行為は反対で、祭り自体はいいと思うんですけれど、非日常を味わって、多くの人が楽しんでくれるんだったら。何がいけないかっていうと、あえて危険な行為をやろうと明らかにやってるじゃないですか。競い合ってるじゃないですか。過激なこと、もう死ぬすれすれのことをやってると。場合によっては人が死ぬ、大怪我する人がいると。だけどやっぱりそれを見て喜ぶ人も一定いるわけですよ。「わあ、すごい、あんなスピードで。わあ、怖いわ」って。そうするとだんじりに乗ってる人たちは歓声を浴びるわけですよね。目立って、観客も喜ぶと。これ単なる祭りというよりかは、やっぱり町同士で競い合ってるっていう要素があって、いかに猛スピードでコーナーを曲がるかと、いかに目立つかっていうのがあるわけであって。
僕は祭りで人が死ぬっていうのは絶対NGだと思うんですけれど、ただし本当に地域の住民、祭りに参加してる人の中では、祭りで死ぬのは本望だと。自分はこの地域に生まれて育って、ずっとこのだんじり祭りと一緒に育ってきたと。だからこのだんじり祭りで仮に自分が死ぬとしても、それは本望だっていう考えの人も、みんながみんなそうじゃないんですけど一定数いるんですよ。でもそれでも自己責任で片付けるのは間違いだと思ってて、仮に本人が良くても、やっぱり必ず一定数、その人が死ぬことによって、大怪我することによって悲しむ人っていると思うんですよ。
仮にお父さんが頑張って祭りに参加して死んでしまった場合、やっぱり子供とか奥さんとか親も、やっぱり悲しむ人いると思うんですよ。中には祭りだからもう本望だって、本人も喜んでるとか感じる家族とか遺族とかいるかもわかんないんだけれど、でもやっぱり必ず悲しむ人はいるわけであって、本人が良ければいいっていう問題で済ませるのは間違いだと思ってるし。
あとは医療機関に多大な迷惑はかかりますよね。ひょっとしたら、その医療機関の一定数の人たちも祭りだからしょうがないって思ってる人もいるかもわかんないんだけど、やっぱり公費が使われてると思います。保険料、税金が投入されて、怪我人が多数出て、場合によってはICU管理になったりとか長期入院になって、公費が使われるっていうわけなので、やっぱり多くの人たちに迷惑がかかってるわけであって。そんな怪我人、死人が出るような祭りだったら、もっと安全管理をすべきだと。それによってスリルがなくなって楽しくなくなるって思う人もいるかもわかんないんだけど。
僕はあの祭りには絶対参加したいとは思わないですよね。もちろんあの祭りに参加したいって思ってる地域住民の方いると思いますけど、僕は幸い名古屋に住んでますんで、ああいう危険なお祭りっていうのはないわけであって、もしも自分が住んでる地域にああいう祭りをやるって決まろうとしたら、僕はもう住民として猛反対しますよね。おそらく名古屋に住んでる人もほとんどが、あんなの絶対やってほしくないって思うので、みんな猛反対して、そういう祭りが新たにできるってことはないと思うんですけど。
岸和田、泉大津市、和泉市、泉佐野市とか、大阪の南の方の人たち。その人たちにとってはもう生まれ育った時からあの祭りがあって、祭りと共に育ってきたわけなので、祭りを愛してると思うんですけれど。じゃあなんであの地域の人たちはあんな危険な祭りをやりたがるのかっていうこと。これをしっかり考える必要があると思います。
世の中には、ああいう危険行為、危険な祭りをやりたがる人たちと、やりたがらない人たちがいると思います。たまたま大阪の南の方、岸和田とかあの辺の人たちは、ああいう危険な祭りをやりたがるっていう種族の人たちが集まってる地域だと思うんですよ。だからなくならないんだと思います。
そもそも祭りっていうのは非日常を味わう空間なんですよ。日常っていうのは、普通に学校行って授業を受けて部活やって真面目に暮らして、社会人は会社に出勤して、会社員として普通に真面目に働いて、個人事業やってる人は物売ったりサービス売ったりとか、真面目に接客してっていうことをやってるわけですよ。言い方変えれば退屈な日常なわけです。祭りっていうのは非日常で、日常とは全く違う空間。「うわー」って大騒ぎして、場合によっては危険な行為して「うわー」って盛り上がるわけですよね。
これスポーツ観戦とか、ライブ会場に行って「わー」って、クラブに行って「わー」っと盛り上がる、ディスコで「わー」っと踊るっていう、ちょっとトランス状態になったような、ああいう状態ですよね。脳内でドーパミンがばーっと分泌されて、みんなで一体感を感じて「わー」っと盛り上がる、あの非日常。その非日常をまず楽しむ人と楽しまない人が世の中にはいるわけであって。
その非日常でも危険な行為ですよね。コーナーでがーっと回って、死にそうだ、わあって。でもその上で飛び跳ねて「わー」って、先導役の人たちが飛び跳ねて、「わあ、かっこいい」って。注目を浴びて、賞賛を浴びて、ドーパミンがばーっと出て、みんなで「わー」って賞賛して、みんなで連帯感、一体感を感じて、わーっと盛り上がってドーパミンがばーっと出る種族の人たちもいれば、そういうことをやって「何やってんだ。あれが何楽しいのかわかんねえや」っていうふうに冷めた目で見る人たちもいるわけですよね。
なのでまず世の中には、あの祭りで喜ぶ人と喜ばない人、ざっくり2種類に分けられるわけでして、喜ぶ種族の人たちがあの地域に。種族って言うと申し訳ないんだけど、やっぱり原始的な遺伝子を引き継いでる人たちがいると思うので、石器時代とか、そういう部族間対立でわーっと戦って、相手を打ちのめして、勝った時にわーって盛り上がるっていう生物学的本能を持っている人たちっていう意味なんですけれど。
これって暴走族の暴走行為とほぼ同じだと思うんですよ。暴走族って今ほとんどいなくなったんですけど、一定の地域ではいると思うんですけど、僕が子供の時は愛知県にもたくさんいたんですよ。僕は三河の方、西尾市、一色町に住んでたんですけど、そこでもいたし、大学は豊明市っていうところで、そこでも暴走族とかヤンキーとか言われる人たちが一定数いて、道路でノーヘルで暴走行為して危険運転して、もう危ないんですよね。だけど彼らは違法行為ですよ。暴走行為、ノーヘルで信号無視して、煽り運転して、蹴散らして危ないんですよ。時々死人が出るんですよ、暴走行為で。
チェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』でも、「仲間がバイクで死んだのさ。とってもいいやつだったのに」っていう。あの歌を僕は小学生の頃聞いて、暴走族もいっぱいいて、世の中には暴走行為して、オートバイで転倒して、あるいはトラックと正面衝突して死んでしまうと。暴走族の人たちは仲間が死んで、うわーっと哀れみ悲しむんだけど、それでも暴走行為をやめないんですよね。場合によってはバイクで死ぬなら本望だっていう人もいるし、バイク事故で死んでもそれを美談にするような文化ってあるじゃないですか。
暴走行為、危険行為をすることによって、脳内でドーパミンがぶわっと出て、気持ちいいんですよ。それがかっこいいと思ってるんですよ。それに憧れる若者とか女の子だっていて、結構モテたりとかもしたんですよ、当時は。今はそういうのがネットで拡散されちゃってダサいっていう風潮になったけど、当時は全然違う風潮で、不良とか暴走族、ヤンキー、かっこいい、モテる、みんな憧れるっていう感じで。危険行為をする、生きるか死ぬかすれすれの行為で、オートバイで風切って走るっていうのは、結構人によっては依存性があるぐらいドーパミンが出る行為なんですよね。
だからそういう危険な行為が大好きな人がいる。だけどそういう行為が嫌いな人もいて、そういう人を冷めた目で見る人。「何が面白いの、あの人たち。なんかちょっと変じゃない」って思う人もいるわけであって、いろんな種族の人間がいるわけであって、たまたま大阪の南の方、岸和田とかあの辺には、そういう人たちが多い地域だと思うんですよ。そういう人たちが多数派だと思うんですよね。
多数派になるとそれが同調圧力になって、そういうのは好きじゃない人でも、ちょっとなんか参加しないといけないような空気になって、文句が言えなくなってしまうのがあると思うんですよね。特にそういうちょっと怖い系の人たちが多いじゃないですか。テストステロン高めで、ちょっと喧嘩強そうで、声が大きくてっていう人たちです。そういう人たちがある程度徒党を組んで、祭りやるぞってなると、やっぱり全体的に同調でやんないといけないような空気になってしまって。そうなると、あの祭りが好きじゃない人でも、もう嫌々、文句言えないっていう感じ。やめてほしいって言えないような感じっていう感じだと思うんですよ。
僕が住んでる名古屋の地域はそういう人たちは比較的少ないんで、そういう声も上がらなくて、そういう祭りっていうものも存在しないっていうことなんだと思いますね。だからあの地域ではあの危険な祭りがずっと、何十年間だと思うんですけど、危険行為っていうのが続いてると。なのでその人たちにとっては、自分が大好きな祭りで命を失ってもそれは本望だって。みんながみんなそうじゃないと思うんですけど、そういうふうに感じるっていう、他の人には理解できない脳の構造をしてるんじゃないかなって、僕は思うんですよ。
だからその人たちの意見はそれで別に尊重してもいいと思うんですけれど、ただやっぱり人が死ぬ、大怪我するってことは周囲の人たちに多大な迷惑をかけるわけなので、今の世の中では安全対策をもっとしっかりして、もっと転倒しないように安全な車輪にして、コーナー曲がる時もゆっくりで、それで五穀豊穣を願って、みんなで祭りを楽しむぐらいに僕はすべきだと思うんですけど。
ただこれは僕の個人的な意見であって、僕は危険行為を見ても脳内でドーパミンも出ないし、賞賛する気もないし、そんな面白いとも思わなくて、むしろ人が死ぬ、大怪我するっていうことに対して悲しみを感じるぐらいなので、僕はやめてほしいって思うんですけれど。それでもいいからやりたいっていう人たちが一定数いて、それはもう遺伝子レベルで引き継がれてる人たちなんだと僕は思いますね。
同じような話で、やっぱり競技で人が死ぬってことありますよね。例えばボクシングでも、必ず一定数の選手、プロボクシングの世界でも頭を何回も殴られて、硬膜下血腫とかになって、お亡くなりになる方もいる。あとは総合格闘技でも大怪我する人、プロレスでも必ず、本当に悲しいんですけどお亡くなりになる方、あと頸髄損傷とか後遺症が残って障害者になっちゃう人もいるし、F1とかオートレースとかボートレースとか競輪とかでも大怪我する人たくさんいるし、F1でお亡くなりになる方もいるわけであって。
やっぱり極限状態で競い合うってなると、必ず大怪我したりとか死亡事故が起こるわけで、それをなんとか改善するように安全対策、安全対策ってやってるんだけど、なかなかやっぱり過激なことをするとか極限までやるってなると、危険が伴うって形で、そういう痛ましい事故が起きてしまうっていう状態で。そういう世界でも、お亡くなりになった方を賞賛するみたいな空気になるってこともあるわけであって、それと似てる部分もあると思いますね。
やっぱりだんじり祭りに参加している人たちは、他の町といかに過激なことをやり合って賞賛を受けるかっていうことで、競技だと思うんですよね。極限の状態までやってて、それで怪我する、死んでしまっても本望だって思う人も一定数いるんだと思いますけれど、ただその競技と祭りってなるとまた違うわけであって。もちろんその競技で、ボクシングで人が亡くなるのも僕はあってはならないわけなんですけど。それは死ぬ覚悟でリングに上がってるっていう人もいるんでしょうけど、ただ祭りってなると、またこれは違うわけでして。
たくさんの人が絡んでるわけだし、物が破壊されたりとか、場合によってはだんじりが倒れて観客が被害を受けるってことも、絶対ないとは言い切れない。そういう被害が起こらないように観客を離すとか、一定数の観客しか入れないとか、そういうふうに安全対策はしてるみたいなんですけど、必ず一定数の人に迷惑がかかるっていうのと、やっぱり地域でやることなので、同調圧力で祭り自体が嫌いなのに、本当はお金払いたくないのに、参加したくないのに、参加させられるみたいな。同調圧力的に、本当は強制参加ではなくてもそういう空気になってしまうっていうのは良くないので、だからこそあれだけ過激なことはしない方がいいかなと。
仮に住んでる地域住民の人たちが100%参加してて、100%ああいうお祭りの行為が大好きだったらいいんですけど、たくさんの、何万人、何十万人っていう住民がいる以上は、やっぱり反対する人は一定数いるわけなので。なので僕は個人的には、過激なだんじり祭りは反対で、伝統が大事だったら、アスファルトで舗装されてコーナーをがーっと曲がるようになる前の、死人が出ないような、怪我人が出ないような範囲内の祭りにすべきだと思いますね。
でもあれだけ巨大なだんじりを扱う以上は、安全にやろうとしても事故は一定数起きるかもわかんないんだけど、無理してコーナーをがーっと曲がって、あれでわーっと盛り上がる、賞賛する、ドーパミンを出す。あれはやめた方がいいんじゃないかなって僕は個人的には思います。ただこの僕の個人的意見に対しても反対の方は必ず一定数いると思いますんで、そういう方の意見も僕は聞く耳全く持たないわけではなくて、そういう意見も頭の中に入れて、今回は自分の意見をお話しさせていただきました。ご視聴ありがとうございました。
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