だんじり祭りの危険な曳行について、高須幹弥氏が語った「継続には賛成、過激な曳き方には反対」という意見

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概要

大阪府南部のだんじり祭りで続けて2人が亡くなった事故が、ネット上で大きな話題になっている。高須クリニックの高須幹弥氏はこの動画で、祭りの存続そのものには賛成しつつ、コーナーを高速で曲がる現在の曳き方には個人的に反対だと述べた。なぜ危険な祭りが続いてきたのかについても、独自の見方を示している。

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基本的な立場:祭りは続けてよいが、死者が出るやり方は改めるべき

高須氏は今回の事故を「痛ましい」とし、だんじり祭りで死人が出るほど激しいことはやるべきではないと述べる。理由は、安全対策がまだ決定的に足りていないと考えているからだ。

氏が問題にしているのは祭りの存在ではなく、今の曳き方である。コーナーでスピードを出して曲がり、だんじりが倒れて周りの建物に被害が出る。乗っている人、たとえばバランスを取る役目の人が倒れて下敷きになって亡くなる。ほかの人も巻き込まれて大怪我をする。氏はこうしたことは「あってはならない」とし、だんじりが倒れず、怪我人が出ず、死者が絶対に出ないように対策を強めるべきだと主張した。過激なスピードでコーナーを曲がることを「素晴らしい」「かっこいい」とする風潮のだんじり祭りには、個人的に反対だという。そのうえで、人によっていろいろな意見があることも認めている。

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ネット上で交わされている賛否

氏は議論の状況を次のように整理する。過去にもだんじり祭りでは多くの人が亡くなってきたが、今回は短期間に2人が亡くなってテレビで報道された。さらに参加者や観客がスマートフォンで撮った映像がXを中心に拡散し、これまで以上に批判が集まっている。

氏によれば、批判する側が圧倒的に多い。その主な意見は、死人が出るくらいならやめろ、今回だけでなくずっと死人が出続けているのになぜ放置してきたのか、というものだ。祭りは五穀豊穣を祈ったり、非日常を味わって楽しんだりするためのものなのに、そこで人が死んだり大怪我をしたりするのは本末転倒だ、という意見も多いという。反対に、これは伝統であり、地元の人間以外が口を出すな、という反発もある。

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「伝統だから」という擁護への疑問

擁護論には「300年の歴史がある伝統だ」という主張がある。これに対して氏は、もともとは今のような速度でコーナーを曲がることはしていなかったという説が有力だと紹介する。

その説によると、戦後に道路がアスファルトで舗装されてから、地元の人たちがコーナーでのスピードを競い合うようになった。その結果、だんじりが倒れる、電柱が倒れる、民家や商店が壊されるといった被害が出るようになった。それも祭りだからいいという空気もあるが、大昔はゆっくり移動するものが多かったのなら、そちらに戻せばよいのではないか。だから「伝統だからよい」という論理は違うのではないか、という意見がある。氏はこの意見に賛成している。

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地域住民の負担と同調圧力

氏はネット上の声として、ほかの論点も挙げる。町が壊されても十分な補償がされていないのではないか。補償があったとしても、一度壊されるのは気分がよくない。一方で、この地域に住む以上は承知の上だ、という意見もある。

参加の強制についても触れている。祭りは一応強制参加ではないことになっているようだが、同調圧力があると言われている。祭りに反対でもお金を徴収されることがあり、それも同調圧力による実質的な強制だという声もある。道路が封鎖されて迷惑がかかる、地元でも中止してほしいという意見も一定数ある、と氏は紹介する。

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本人が本望でも「自己責任」では片づけられない

氏が最も問題視するのは、参加者が明らかに危険な行為を意図して行い、町同士で競い合っている点である。死ぬすれすれのことをして、それを見て喜ぶ観客がいる。だんじりに乗る人は喝采を浴びて目立ち、観客も喜ぶ。氏はこれを単なる祭りではなく、どれだけ速くコーナーを曲がるか、どれだけ目立つかを競う要素があるものと見ている。

参加者の中には、この地域で生まれ育ち、ずっとだんじり祭りとともに生きてきたので、祭りで死ぬなら本望だと考える人が一定数いる、と氏は言う。全員がそうではないとも断っている。それでも氏は「自己責任」で片づけるのは間違いだと考える。本人がよくても、必ず悲しむ人がいるからだ。たとえば父親が祭りに参加して亡くなれば、子供や妻、親が悲しむ。中には本人も本望だったと受け止める遺族もいるかもしれないが、悲しむ人は必ずいる、というのが氏の考えである。

もう一つの理由は医療機関への負担だ。祭りだから仕方ないと思う医療従事者もいるかもしれないが、怪我人が多数出て、ICUでの管理や長期入院になれば、保険料や税金が使われる。多くの人に迷惑がかかる以上、スリルが減って楽しくないと感じる人がいるとしても、もっと安全管理をすべきだと氏は述べる。

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名古屋在住の立場から

氏自身は、あの祭りに参加したいとは思わないという。幸い名古屋に住んでいて、ああいう危険な祭りはない。もし自分の住む地域で同じような祭りを始めることになったら、住民として猛反対するとも言う。名古屋の人はほとんどが反対するだろうから、新しくそういう祭りができることはないだろう、と氏は見ている。一方で、岸和田市、泉大津市、和泉市、泉佐野市など大阪南部の人たちは、生まれたときから祭りとともに育ち、祭りを愛しているのだろうとも述べた。

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なぜ危険な祭りがなくならないのか:氏の「種族」論

氏は、なぜあの地域の人たちは危険な祭りをやりたがるのかを考える必要があると言い、自分の見方を示す。

まず、祭りは非日常を味わう場である。日常とは、学校で授業を受けて部活をし、会社員なら普通に真面目に働き、個人事業主なら真面目に接客する生活、言い換えれば退屈な日常だ。祭りでは大騒ぎし、場合によっては危険な行為をして盛り上がる。氏はこれを、スポーツ観戦やライブ会場、クラブやディスコで踊るときの一種のトランス状態にたとえる。脳内でドーパミンが出て、皆で一体感を感じる状態である。

氏によれば、世の中にはこうした非日常、とくに危険な行為を楽しむ人と楽しまない人がいる。コーナーを猛スピードで回り、その上で先導役が飛び跳ねて注目と賞賛を浴び、皆で連帯感を感じる。それでドーパミンが出る人もいれば、何が楽しいのかわからないと冷めた目で見る人もいる。氏は前者を「種族」と呼び、「種族と言うと申し訳ないけど」と断ったうえで、石器時代の部族間の対立のように、戦って相手を打ちのめして勝ったときに盛り上がるという、生物学的本能を受け継いだ人たちという意味だと説明した。大阪南部、岸和田などはそういう人たちが集まった地域であり、だから祭りがなくならないのだと氏は考えている。

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暴走族との比較

氏はこれを暴走族の暴走行為とほぼ同じだと述べる。子供の頃は愛知県にも暴走族が多かったという。三河の西尾市に住んでいた頃も、大学のあった豊明市にも暴走族やヤンキーが一定数いた。ノーヘルメットで信号無視や煽り運転をし、時々死人も出た。

氏は小学生の頃に聞いたチェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』の、仲間がバイクで死んだという歌詞を引く。暴走族は仲間が死ぬと悲しむが、それでも暴走をやめない。バイクで死ぬなら本望だという人もいて、事故死を美談にする文化もある。危険行為でドーパミンが出て気持ちよく、それがかっこいいと思われ、憧れる若者や女の子もいて、当時はモテたりもした。今はネットで拡散されて「ダサい」という風潮になったが、当時は不良や暴走族がかっこいいとされていた。生きるか死ぬかすれすれでバイクを走らせることは、人によっては依存性があるほどドーパミンが出る行為だと氏は言う。

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多数派になると同調圧力が生まれる

氏は、危険行為を好む人が多数派の地域では、それが同調圧力になると考えている。好きではない人も参加しなければならない空気になり、文句を言えなくなる。とくにテストステロンが高めで、喧嘩が強そうで声の大きい「怖い系」の人たちがまとまって「祭りをやるぞ」となると、嫌でも「やめてほしい」とは言えなくなるのだろう、と氏は推測する。名古屋の自分の地域にはそういう人が比較的少ないので、そうした声も上がらず、そういう祭りも存在しないのだろうという。

そのうえで氏は、祭りで命を落としても本望だと感じる人たちは、他の人には理解できない脳の構造をしているのではないかと述べ、それは遺伝子レベルで受け継がれているものだと思う、とした。その人たちの考えは尊重してもよいとしつつ、周囲に多大な迷惑をかける以上、今の世の中では安全対策を徹底すべきだという。転倒しにくい車輪にし、コーナーもゆっくり曲がり、五穀豊穣を願って皆で楽しむ程度にすべきだ、というのが氏の考えだ。氏自身は危険行為を見てもドーパミンが出ず、面白いとも思わず、むしろ人が死んだり大怪我をしたりすることに悲しみを感じるという。

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格闘技やモータースポーツとの違い

氏は、競技で人が亡くなる例にも触れる。プロボクシングでは頭を何度も殴られて硬膜下血腫で亡くなる選手がいる。総合格闘技やプロレスでも死亡事故や、頸髄損傷などの後遺症で障害が残る例がある。F1、オートレース、ボートレース、競輪でも大怪我をする人が多く、F1では亡くなった人もいる。極限状態で競えば、安全対策を重ねても事故は起こり、亡くなった人を称賛するような空気が生まれることもある。氏はだんじり祭りもこれと似た部分があり、町同士で過激さを競って称賛を受ける「競技」だと見ている。

ただし氏は、競技と祭りは違うと強調する。ボクシングで人が亡くなることもあってはならないとしたうえで、それでもリングに上がる人には死ぬ覚悟がある場合もある。しかし祭りには多くの人が関わり、物が壊され、場合によってはだんじりが倒れて観客が被害を受ける可能性も否定できない。観客を離す、入場者を制限するといった対策はしているようだが、一定数の人に迷惑がかかることは避けられない。さらに地域で行う以上、祭りが嫌いで、お金も払いたくなく、参加もしたくない人まで同調圧力で参加させられる空気になる。住民が100%参加して100%その荒々しさを好んでいるならよいが、何万、何十万という住民がいれば反対する人は必ずいる、と氏は述べる。

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結論:舗装以前の、死者が出ない範囲の祭りへ

氏の結論は、過激なだんじり祭りには個人的に反対であり、伝統を重んじるのなら、アスファルト舗装でコーナーを猛スピードで曲がるようになる前の、死者や怪我人が出ない範囲の祭りにすべきだ、というものだ。あれだけ巨大なだんじりを扱う以上、安全にやろうとしても事故は一定数起きるかもしれないと氏は認めている。それでも、無理にコーナーを曲がって盛り上がり、称賛し、ドーパミンを出すようなやり方はやめたほうがいいのではないか、と述べた。

最後に氏は、この意見にも反対する人が必ず一定数いるだろうとし、そうした意見に耳を貸さないわけではなく、それも頭に入れたうえで今回は自分の意見を話した、と締めくくった。