6回落ちたYC、7回のピボット:サンフランシスコのハッカーハウスでAIブラウザを作る韓国の創業チーム
EO Korea翻訳元 한국어
サンフランシスコで2年間プロダクトを作り続けているキム・ヒョジュン代表と、プロダクトを担当するイ・チャンヒさんは、「自分の業務を実際に代替し、任せられるAIブラウザ」を作っている。この動画は、彼らがなぜアメリカに来たのか、売上6万ウォンの会社がどうやってY Combinator(YC)に入ったのか、うまくいっていたプロダクトを畳み、投資家にも知らせないままブラウザを作ると決めた理由は何だったのかを追っていく。彼らは数多くのピボットの末に、自分たちが実際に使いたいプロダクトを作ることこそが、最も長く速く走り続けられる道だという結論に至ったと語る。
「業務を任せられるブラウザ」という目標
チームが説明するプロダクトの核心は、ユーザーが自分でやるべき作業をAIエージェントが代わりに処理してくれるブラウザだ。たとえばアメリカのB1ビザ申請の過程では、パスポート写真などの資料を渡しただけで、人間がやるべきことは最後のステップのクリック一つだけだったという。チームは、ブラウザエージェントのベンチマークでAnthropicとOpenAIのモデルを抑えて現在世界1位、つまりSOTAを記録したと明かし、「一番賢いブラウザエージェント」だと紹介する。
キム・ヒョジュン代表は、こうしたプロダクトを作れる人はサンフランシスコにも多くないと見ている。特に一般消費者向けのブラウザを自ら作っている会社はOpenAI、自分たち、Googleくらいだと最初は言っていたが、インタビューの途中でBrowserbaseやPerplexityなどを思い出し、「なんと5つもあるな」と数え直す場面もある。
9歳のコーダーの夢と、何もなかった最初のサンフランシスコ
キム・ヒョジュン代表は9歳のときからコーディングをしており、夢は「世界中の人が使うプロダクト」を作ることだった。AI時代にそうしたプロダクトを作るならアメリカ、特にサンフランシスコで作るべきだと判断し、2024年6月ごろ初めてサンフランシスコにやって来た。
最初は何もなかったと振り返る。英語もあまりできず、投資家たちからは、創業者が出張に行くならミーティングを取りつけ、プロダクトを売り込み、成果を持って行くべきで、漠然と行ってはいけないと言われた。本人も「プロダクトはうまく作れているようだから、アメリカでも通用するだろう」という漠然とした考えで、とにかく行ってみたのだった。現地で自分を知ってもらい、プロダクトを検証しようとしたが、何を話しても反応はなかった。9歳からコーディングしていると言えば「そういう人なら3人くらいいるよ」という調子で、当時作っていたAIプロジェクトマネージャーの話をすれば「昨日行ったピッチイベントで、君みたいなチームを10組以上見たよ」という答えが返ってきた。韓国で積み上げたキャリアは誰も知らなかった。
そこで彼は、自分の紹介の仕方から定義し直す必要があった。イベントを回りながら自己紹介をAバージョン、Bバージョンと変えてみる一種のA/Bテストを行い、反応があった方をさらに押し出してみた。結局通用したのは、直前に脈絡なく働いていたK-POPエンターテインメント会社での経歴だった。「24人組のK-POPガールズグループ、tripleSを作ったことがある」と言うと、ようやく人々が覚えてくれるようになり、「それってどういうもの?」と興味を示し始めたという。
なぜアメリカにいなければならないのか:二人の異なる答え
キム・ヒョジュン代表にとって、アメリカにいなければならない理由は明確だ。自分たちはこの街で機会を作らなければならない人間であり、ここにいなければ機会は生まれないというのだ。韓国に行けば韓国の友人が会おうと言い、サンフランシスコにいればサンフランシスコの友人が会おうと言うが、韓国にいるときにサンフランシスコの友人が会おうと言ってくることはない。つまり、ここにいなければ、そうした出会いや機会、今後の潜在的な何かがそもそも起こらないという説明だ。
一方、イ・チャンヒさんはアメリカに来たかったかと聞かれ、笑いながら「いいえ」と答える。どこにいるかは本人にとってそれほど重要ではなく、アメリカでも日本でも家でも構わないという。チームがアメリカに行きたいと言うのでひとまず来てみたところ、アメリカでうまくいくことが確認でき、どうせアメリカの顧客にもっと会わなければならないのなら、ここにいるべきだと考えるようになったのだという。
4回誘って3回断られた:イ・チャンヒさんの合流
イ・チャンヒさんは2025年1月に合流した。キム・ヒョジュン代表とは韓国の大手マーテックSaaS企業(AB180)で約6年間一緒に働いており、キム・ヒョジュン代表が先に退職した。その後、キム・ヒョジュン代表から4回ほど合流を誘われたが、3回は断ったという。
キム・ヒョジュン代表は、当時は「ほぼ最悪の状況」だったと語る。約束できることは何もなく、投資資金はほぼ底をつき、年俸も下げざるを得なかった。最後の誘いでキム・ヒョジュン代表が本から引用した言葉が、イ・チャンヒさんの心を動かした。創業とは結局、自分が何者なのかを理解していく過程であり、人は40歳を過ぎても自分が何者なのか知らないまま生きているが、創業をしていると自分がどんな人間なのかがわかる、という内容だった。イ・チャンヒさんは、自分が何者なのか、人をどう助けられるのか、何かをスケールさせてみられるのかということへの好奇心が強い人間だったので、その言葉が響いたという。さらに会社の状況が良くないと聞き、ジェットコースターは上っているときではなく下っているときが面白いという思いで、勢いで合流したと笑いながら話す。
キム・ヒョジュン代表の側にも理由があった。彼は主張するときは一度強く主張するタイプで、反証されればすぐに引っ込める。そういうスタイルに合うのは、自分と同じように強く主張し、自分が間違っているときには間違っていると指摘してくれる人でなければならないが、そういう人はイ・チャンヒさんしかいなかったというのだ。
合流直後に見えた問題:作るだけで手渡さないチーム
イ・チャンヒさんは合流直後にいくつかのことを感じたという。第一に、みんな度重なるピボットで疲れ切っていた。第二に、プロダクトを作るのはうまいチームなのに、それを人に見せていなかった。チームの経歴を見ると、プロダクトを作り上げてもユーザーの手に渡したことがなく、ユーザーがいないので原動力もなかった。
これを変えるためにイ・チャンヒさんが思いついた方法は、俗な言い方をすれば「債務関係」を作ることだった。ユーザーがお金を払えば、そのプロダクトに関心を持たざるを得ず、もっと良くなってほしいと願うようになる。チームはそのフィードバックを受けながら、しっかりやればいい。このチームにはそうしたフィードバックループがなかったので、スピード感を生み出したかったのだという。彼は、初期の企業ではスピードと持続性の二つだけを見ると言う。どうすればチームが速く動けるか、どうすればこの仕事を5年、10年続けられるか、だ。
年間売上6万ウォンの会社が、先行販売2日で100万ウォン:Caratの誕生
その頃、イ・チャンヒさんにあるアイデアが浮かんだ。英語のミーティングが多く、80〜90%は聞き取れるものの残りの10%が聞き取れないので、英語をリアルタイムで韓国語字幕に翻訳してくれるツールを作ったら面白いのではないか、というものだった。キム・ヒョジュン代表の反応は「英語を勉強すれば済む話じゃないか」、問題自体もそれほど大きな問題には思えない、というものだった。
しかしイ・チャンヒさんから見れば、会社は事実上何もしていなかった。ピボットを5回もしたのに意味のある売上はなく、1年間で稼いだお金は6万ウォンがすべてだった。自分ならそれよりは稼いでこられそうだと思った。そこでキム・ヒョジュン代表には言わずにまず画面を描き、CTOに「これ、できますか?」とだけ聞いた。ちょうどCTOが似たようなものをサイドプロジェクトとして作りかけて放置したことがあり、いけると判断してから販売を始めた。「こういうものを作ろうとしている、5万ウォンを先に振り込んでくれれば2週間後に渡す」という方式だった。2日で100万ウォンを集め、それを持ってキム・ヒョジュン代表に、もうやるしかないと見せた。
キム・ヒョジュン代表は、言うことも聞かずに売ってきたとはいえ「お金はお金」だと語る。数百万ウォンを稼ぎ、それが会社のそれまでの売上より多かったので、自分が間違っているのかもしれないと受け入れた。そこから2週間で作ってリリースしたプロダクトがCarat(キャラット)で、チームが初めて大きなトラクションを得たプロダクトとなった。
イ・チャンヒさんは、Caratは自分が面白いと思い、自分にとって必要で、周りの人たちも必要だと言ってくれたからこそ、速く作ることができ、続けていくこともできたプロダクトだったと評価する。キム・ヒョジュン代表はこの経験から大きな気づきを得たと語る。かっこいい問題が重要なのではなく、誰かが「しょぼい」と思うくらい些細でも、人々が実際に感じている重要な問題を解くべきだということに、そのとき初めて気づいたというのだ。
ハッカーハウスの一日:家賃6,800ドル、深夜2時まで
現在チームが暮らす家の家賃は月6,800ドルで、年間約1億2千万ウォンほどかかっているという。一日は朝8時ごろに起きて階下のジムで運動し、9時から深夜2時ごろまでひたすら働いて寝る、という流れだ。撮影当日は2〜3日ぶりに初めて外に出たが、日差しがとても気持ちよかったと言い、やるべきこともやりたいことも多いので、ずっとモニターの前にいることになると話す。食事はほとんどデリバリーで済ませており、高くないかという質問には、時間がないのでお金で時間を買っていると答える。
イ・チャンヒさんは、今年ブラウザを作りながら、物理的に時間が足りず、体力的にも厳しいと打ち明ける。プロダクト自体があまりに大きく、知るべきことも多く、既存のプレイヤーと同等の機能を備えなければならないため、改善点が際限なく出てくる。その心理的なプレッシャーから逃れるには、結局ずっとモニターの前に座り続けるしかないというのだ。彼はサンフランシスコを「不安で回っている街」と表現し、みんな内心では不安を抱えていると語る。
6回落ちたYCと「まずアメリカで売上を作ってみろ」
キム・ヒョジュン代表は2023年11〜12月ごろに初めて法人を設立してからYCに応募し、6回落ちた末にようやく合格した。6回目の応募の頃には、Caratでかなりの売上も出ており、急速に成長していた。面接まで進んだものの落ちたが、その不採用理由はこうだった。チームも良く、投資したいと思える若いテクニカルファウンダーだが、売上のほとんどが韓国から来ている。韓国で続けるなら韓国ベースの投資を受け、そうでないならまずアメリカで売上を作ってみろ、というものだった。
当時Caratは日本、中東、中国でも使いたいという反応があったが、アメリカでだけ反応がなかった。チームの前には二つの道があった。アメリカにすべてを賭けるのか、アジア市場を取りながらひとまず始めるのか。チームは前者を選び、アジアは後回しにしてアメリカに集中することにした。
最初の1か月でCaratの6か月分を稼いだセールスアシスタント
YCに参加しながら作ったプロダクトは、テックセールスチーム向けのリアルタイムAIミーティングアシスタントだった。セールスミーティング中にわからない技術的な質問が出ると、AIがリアルタイムで回答を表示して提案してくれるプロダクトだ。二人がAB180でB2Bセールスをしていたときの経験から生まれたアイデアだった。セールス中に技術的な質問が出るとすぐには答えられず、回答が遅れるとディールの期間が長引く。そのためソリューションエンジニアが同席するが、ソリューションエンジニアは数が少ない。AIがその役割を担えばいい、という発想だった。
初期の反応は爆発的だったという。同じYC F25バッチの中でも最も反応の良い会社の一つで、Airbyteをはじめ多くのSaaS・テック企業から一緒にやってみたいという依頼が数多く寄せられた。年換算売上(ARR)は約10万ドルに達した。イ・チャンヒさんによれば、Caratで6か月かけて稼いだ金額を、このプロダクトは最初の1か月ですべて稼いだ。
問題は正しかったが、ソリューションが行き詰まった
しかし12月から1月ごろにかけて、顧客の離脱が多く発生した。キム・ヒョジュン代表は、問題自体は今も有効だと考えており、最大の問題はソリューションだったと分析する。人が質問したらほぼ0.8秒以内に答えを返さなければならないが、セールスの場なので、高度で完璧な答えでなければならない。間違った答え、つまりハルシネーションが出るとリスクが非常に大きい。
当時チームが計算したところ、ユーザーが満足できる水準に達するには二つのことが必要だった。一つは顧客データとの連携を簡単にする方法、もう一つは賢いモデルが高速に応答することだった。後者は今年末か来年初めごろに中国のモデルによって可能になるかもしれないと見ていたが、前者はどうにも答えがなかった。顧客はプロダクトを信頼していないので連携をせず、連携されないのでプロダクトはデータがなく的外れなことばかり言って役に立たない。ループが悪い方向にしか回らない構造だった。
特に12月はホリデーシーズンで主要なセールス担当者が休暇に入り、ディールはすべて保留となり、成長も止まった。YCのプログラムもその頃に終わった。チームは、これを続けるべきなのかを深く悩んだ。
「ブラウザを作る方が簡単そうだ」という提案と「解任」という答え
そんな中、キム・ヒョジュン代表にある考えが浮かんだ。以前作ったプロダクトはChromiumベースで、事実上ブラウザだった。連携ができずに苦しんでいた問題も、ブラウザの上に優れたAIエージェントを載せ、そのエージェントが人間のようにログインして直接操作するようにすれば解決できるのではないか。そうなれば本当に大当たりなのではないかと思ったという。彼は当時サンフランシスコにいたイ・チャンヒさんに、恐る恐る話を切り出した。
イ・チャンヒさんの反応は「取締役会を開いてあなたを解任する」だった。イ・チャンヒさんは、ピボットはやめようと主張し続けた。このチームの過去を見ると、新しいアイデアに夢中になって既存のプロダクトを最後までやり切らず、ユーザーに渡して改善するプロセスを経ていなかったが、それが危険信号に見えたからだ。そこであえて強く言っておき、その一方で、既存のプロダクトを続けた場合にどれくらいかかるかを計算してみた。結論は、このままでは答えがないというものだった。CTOと話した後、その日のうちに既存のセールスプロダクトを畳み、今後はブラウザだけをやることにした。これが7回目のピボットだった。会社とプロダクトの名前(Aside)はそのまま維持した。イ・チャンヒさんは名前を変えようと言ったが、キム・ヒョジュン代表が絶対に変えたくないと言ったという。
無茶苦茶だった初期設計と、投資家にも隠した理由
ブラウザを作ると決めて会議室に座ったとき、チームは途方に暮れた。何をどこから描けばいいのかわからず、わかっていれば計画も立てられるのに、何もわからない状態だった。初期にアーキテクチャをまとめた文書を今見ると無茶苦茶なことが書いてあると言い、打ちのめされながら学んだと語る。
投資家にも秘密にして作った理由を尋ねると、話せば何と言われるかあまりに明らかだったからだと答える。今聞いてもクレイジーな話に聞こえるというのだ。実際、周囲の反応もまったく同じだった。急に何のブラウザを作るんだ、どうやって稼ぐんだ、ついに頭がおかしくなったのか、誰がお金を払ってブラウザを使うんだ、という反応が多かった。チームの考えは「見せるまでは信じてもらえない」というものだった。自動車が発明されるまで、人々は自動車ではなくもっと良い馬を求めていた。自分たちはどうせ自動車を作らなければならない状況なのだから、言葉で説明しても意味がないというのだ。
なぜブラウザなのか、そしてなぜ難しいのか
イ・チャンヒさんは、ブラウザの潜在力は非常に大きいと見ている。デザインやコーディングのような仕事を除けば、ほとんどの業務はブラウザか、ブラウザと互換性のある何かの上で行われる。逆に言えば、人が考えていることがブラウザというツールに最も速く直接的に同期されており、わからないことがあればすぐに検索するので、デジタル空間でユーザーを最もよく理解するプロダクトは結局ブラウザだ、というのが彼の考えだ。
同時に、作るのは非常に難しいと語る。チームのブラウザはChromeベースで、ソースコードだけで約25GBあり、ビルドにも膨大なリソースがかかる。そのためバイブコーディングもほとんど通用せず、イ・チャンヒさん本人もできず、CTOだけができるという。キム・ヒョジュン代表は、Googleを除けば、サンフランシスコでChromeブラウザをビルドできる人は50人もいないだろうと断言する。
3回のピボットが教えてくれたこと:再び自分たちがユーザーになるプロダクトへ
キム・ヒョジュン代表は、昨年から今までを3回のピボットとして整理する。1回目のピボット(Carat)は、チーム自身がユーザーになったピボットだった。2回目(セールスアシスタント)は、アメリカ市場でマーケットとお金を追いかけたピボットだった。3回目であり、おそらく最後になるであろうブラウザは、再び原点に戻り、自分たちがユーザーになり、楽しく作ることができ、自分たち自身がよく使えるプロダクトに向かうピボットだというのだ。
彼は、逆説的に一周して戻ってきたことでわかったと語る。何をすればもっと速く動けるのか、5年、10年やっても疲れずに今のようなスピードを出せるのかを突き詰めてみると、答えは自分たちで使うプロダクトをしっかり作ることだった。イ・チャンヒさんが初期の企業で見ると言っていた、スピードと持続性という基準とも通じる結論だ。それに気づくまで少し時間がかかっただけで、結局は慣れ親しんだ場所に戻ってきたのだとキム・ヒョジュン代表は語る。
ベータローンチ、これから始まる
撮影の1週間前、チームはベータローンチを行った。投稿したツイート3件ほどがすべてバイラルになり、1〜2日でウェイティングリストに1,000人以上が集まった。YCの内部コミュニティでローンチした際には当日1位となってフィーチャーされ、ArcとDiaに閉じ込められていたが、ようやく乗り換えられそうだと歓迎する反応が多かったという。
しかしチームは、これを「これから始まる」ものだと位置づける。まだベータローンチをしただけで、正式ローンチはしていないからだ。既存のブラウザと同等の機能を揃え、際限なく出てくる改善点に追いついていくという課題は依然として残っている。
該当する記事はありません。
記事公開
