相対論から弦理論・ホログラフィーへ、そしてAIは物理学者を超えるのか:野村泰紀が語る「物理学の地図」

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概要

理論物理学者の野村泰紀と、東大理IIIに在籍する医学生でクイズ王のベテランちによる対談である。ベテランちは冒頭で、これまで野村が出演してきた番組は文系の聞き手が中心だったと述べ、今回は踏み込んだ話を引き出したいと宣言する。野村はホワイトボードに理論を一つずつ書き足しながら、ニュートン力学から相対性理論、量子力学、場の量子論へと物理学がどう広がってきたかを説明し、自身が現在取り組む「量子と重力を一つにする理論」の位置づけを示した。後半では、AIが物理学者を超える可能性について、野村は5年後にはあり得ると答えている。

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研究の軸足と「村社会」

ベテランちはまず、野村の専門を尋ねた。野村によると、研究テーマは初期から現在までかなり移り変わってきた。分野には村社会的な面があり、別の分野から来た人間は、前の分野でどれだけ実績があっても相手にされない時期があって苦労したという。そのうえで、今取り組んでいるテーマの意味を伝えるには全体像から説明するのがよいとして、19世紀までに完成したニュートン力学とマクスウェルの電磁気学を出発点に置いた。

特殊相対性理論:古い理論を含む形で広がる

ニュートンの理論では、物を押し続ければいくらでも加速できる。ところが自然界には最大の速度がある。野村の説明では、その速度に近づくほどエネルギーが大きくなり、動いている物体が重くなったように振る舞うので加速しにくくなり、結局その速度には到達できない。質量がもともとゼロのもの、つまり光や重力だけがその速度で動ける。これが1905年にアインシュタインが発表した特殊相対性理論で、誰から見ても光の速さが同じになるように組み立てられた理論である。

野村が強調したのは、特殊相対性理論はニュートン力学を否定したのではなく「含んでいる」という点だ。速度が小さい領域では自動的にニュートン力学に一致する。これまでの理論が使えていた領域では、その理論は正しかったのだから、新しい理論もそこで結果を変えてはいけない。物理学の理論はだいたいこのようにして発展してきたという。

ベテランちはこれを『進撃の巨人』にたとえた。壁に守られた範囲ではニュートン力学が通用していたが、端まで行くと同じルールが通じなくなる、というイメージである。野村はこれを受けたうえで補足した。実は壁の内側でもニュートン力学はわずかにずれている。相対論的な効果は速度が小さくなるにつれて徐々に小さくなるだけで、あまりに小さいのでゼロとみなしたのがニュートン力学であり、正しいのは相対論のほうだという。

一般相対性理論:重力は時空の曲がり

特殊相対性理論は等速で動く場合にしか使えない。そこでアインシュタインは、加速と重力が同じものだと考えた。野村は、無重力の宇宙空間に浮かぶ箱を例に挙げた。箱の中ではリンゴや人がふわふわ浮いているが、箱を引っ張って加速させると中のものはすべて片側に押しつけられる。車が加速するときにかかる「G」と重力は、原理的に区別がつくのか。普通の人は両者が似ていると思うだけだが、アインシュタインのような人は「同じなのではないか」と考えて理論を作ってしまう、と野村は語る。

この理論では、太陽の周りを地球が回るのは万有引力で引き合っているからではない。太陽が周囲の時空を曲げ、地球はその曲がった時空をただ直進している。ベテランちの言い換えでは、本人はまっすぐ走っているつもりでも、道がいつの間にか左に曲がっていれば一周してしまう、ということになる。野村はこれに同意し、重力は時空の歪みであって力が働いているわけではない、とまとめた。

こう考えると、ニュートン力学とは予言がわずかにずれる。野村が挙げたのは水星の軌道である。水星の楕円軌道はゆっくり回転していて、そのほとんどは金星や地球などの重力で説明できるが、100年で角度にして4秒角ぶんだけ合わない部分があった。一般相対性理論で計算するとそれがぴったり合う。また、重力が強いところでは時間の進み方が遅れるので、スカイツリーの上と下では年の取り方が違うはずで、実際に精密な時計でそれが確認され、理論と一致していると野村は述べた。

一般相対性理論は1916〜17年ごろに完成し、特殊相対性理論からわずか11年ほどで二つの理論が出そろったことになる。一般相対性理論は加速がない極限で特殊相対性理論に一致するので、原理的には一般相対性理論だけあれば済む。それでも特殊相対性理論やニュートン力学を使うのは、重力が関係しない状況でわざわざ数学的に複雑な理論を持ち出すのは面倒だからにすぎない。チョークを落としたときに床に着くまでの時間を計算するなら、ニュートン力学で十分だという。

新しい理論が見つかる二つの道

ベテランちは、理論が良くなるほど誤差は小さくなるのだから、次のずれを見つけるにはどんどん大規模なデータが必要になるのではないかと尋ねた。野村の答えは、新しい理論が見つかる道は二つある、というものだった。

一つは、誰も調べたことのない極端な領域に行くことだ。電車に乗っていてもごくわずかに年の取り方は遅くなるが、光速に近づくと数分の一、何十分の一しか年を取らなくなる。宇宙から光速に近い速さで降ってくる素粒子は、本来マイクロ秒程度しか生きられないはずなのに、その千倍、一万倍の時間をかけて地上まで届く。こうなるとニュートン力学では全く合わない。もう一つは、すでに調べた領域を、これまでにない精度で測ることだ。ずれは元の領域にもわずかに存在するからである。野村によれば、新しい理論が見つかる確率が高いのは前者で、歴史的にも「ニュートン力学が全然通じない」という現象から見つかることが多かった。

量子力学:飛び飛びの値と重ね合わせ

その代表例が量子力学である。相対論が「速い」「重力が強い」という方向への拡張だったのに対し、量子力学は「小さい」方向への拡張で、1925〜26年ごろ、シュレーディンガーやハイゼンベルクらによって完成した。

きっかけは原子だった。原子核の周りを電子が回っているとすると、ニュートンとマクスウェルの理論では、回転運動する電子は光を出してエネルギーを失い、中心に落ちてしまう。野村によれば、その寿命を計算すると10のマイナス11乗秒ほどで、原子はあっという間に潰れるはずになる。ニュートン力学はそれまで海王星の発見などに使われ、微妙な現象まで完璧に説明してきたのに、原子には全く合わなかった。

そこで分かったことの一つは、物の状態が飛び飛びだということだ。野村は車にたとえた。アクセルを踏んでも車が動かず、突然時速0kmから10kmに跳ね上がり、踏み続けるとまた突然30kmに跳ぶ、というようなものである。電子は飛び飛びの軌道にしか入れず、落ちるときに光を出しても、一番下の軌道より下には行けない。これが原子が安定して存在する理由になる。

もう一つが重ね合わせである。チョークがここにある世界とあそこにある世界が重なって存在できる。ベテランちが、電子が霧のようにぼんやり存在するということかと確認すると、野村は、電子は割れないので本当に霧になっているわけではなく、電子がここにいる世界、あそこにいる世界……が重なっているのだと訂正した。これは、ミクロなスケールで4次元目の空間があるかもしれない、という話とは別物だという。

こう考えなければ説明できない現象として、野村は電子の二重スリット実験を挙げた。電子を二つに割ることはできないのに、上を通った世界と下を通った世界が互いに影響し合うと考えて計算しないと出てこないパターンが実際に現れ、しかもそのパターンは計算と完全に一致する。現在では電子1個だけでなく、10個程度の粒子をパラレルワールドのように散らばせて重ね合わせる実験もできており、理論通りの結果が出ている。

ただし粒子の数が増えるほど難しくなる。野村は、電子1個の二つの世界が干渉する確率が10%だとすると、陽子と電子からできた水素原子なら10%の10%で1%、3つの粒子なら0.1%、4つなら0.01%になると説明した。人間も、少し違う姿をした世界どうしがおそらく重なっている。しかしそれらが干渉する確率は10%のアボガドロ数乗のようなものになり、ほぼゼロになる。だから人間は重ね合わせを感じないのだという。

量子力学の建設にはマックス・プランクやニールス・ボーアなど多くの人が関わったが、決定的な役割を果たしたのはやはりアインシュタインだと野村は言う。アインシュタインのノーベル賞も、相対論ではなくこちら(光電効果)で受賞している。

場の量子論:全部を含む「枠組み」

しかし、シュレーディンガーらが最初に作ったのは、いわば「ニュートン力学の量子版」だった。粒子が速く動くと相対論の効果が入ってくるので使えない。小さくて、しかも宇宙から猛スピードで降ってくる素粒子を扱うには両方が必要で、素粒子物理の発展とともに、特殊相対性理論と量子力学を合わせた場の量子論が作られた。これはそれまでの理論をすべて含む。

ベテランちは、最初から場の量子論を思いつくのは数学が難しすぎて無理だったのだろうと尋ねた。野村は、当時に比べて今は教え方が洗練されたと答える。一般相対性理論も、かつては世界で3、4人しか分からないと言われていたが、今は大学の学部で教えている。余計な枝葉が落とされ、核心が何かが整理され、発見の順ではなく論理的な順序で教えられるようになったからだ。理論物理の大学院生なら場の量子論は誰でも扱え、これができないと研究の一段目にも立てないという。

素粒子の標準模型、大統一理論、インフレーション理論などは、すべて場の量子論の枠組みの中で書かれたモデルである。野村は、場の量子論はニュートンの運動方程式 F=ma のようなものだと説明した。F=ma を知っていても、摩擦や空気抵抗といった具体的な力を指定しなければ何も計算できない。場の量子論も、どんな粒子や力を入れるかを選べるフレームワークであり、その選び方を観測によって決めたものが標準模型などの理論になる。野村自身が関心を持っているのは、この「枠組み」そのものだという。

なぜ量子の理論には重力が入っていないのか

ここまでの説明では、場の量子論に重力は入っていない。それでも素粒子物理がうまくいっている理由を、野村は水素原子で説明した。陽子の周りを電子が回っていられるのは電磁気力(クーロン力)のおかげだが、陽子にも電子にも質量があるので重力も働いている。ところが重力と電磁気力の大きさを比べると、重力は40桁ほど小さい。野村の言葉では、ここでは重力は「完全にゴミ」である。重力を入れずに計算しても実際の値とのずれは40桁目に出てくる程度で、そんな精度の実験はできないから無視してよい。

では、なぜ日常では重力が重要に感じられるのか。野村によれば、電磁気力や弱い力、強い力にはプラスとマイナスがある。リチウムの原子核がプラス3なら電子を3つ引きつけて中性になり、中性になると外に力を及ぼさない。物がたくさん集まっても、これらの力は打ち消し合ってしまう。ところが重力は引力しかなく、質量はなぜかすべてプラスなので、物が集まるほど単純に足し上がる。チリも積もれば山となるわけで、巨大な世界に住む人間にとっては重力だけが目立ち、本当ははるかに強い他の力は打ち消し合って見えなくなっている。

重力が重要になるのは物がたくさん集まる場所であり、それは先ほどの「10%の10%の……」の議論から、量子の効果が消える場所でもある。だから小さな世界は場の量子論が担当し、重力が効く大きな世界は量子の効果を含まない一般相対性理論が担当する、という分業で今の物理学は成り立っている。通常の状況では、両方が同時に重要になって絡み合うことは起こらない。

ブラックホールの中心では何が起きるか

しかし、両方が同時に効く場所は考えることができる。それがブラックホールである。星はエネルギーを使い果たすと潰れるが、普通はどこかで止まる。重すぎると止まらずに一点まで潰れてしまい、それがブラックホールになる。その中心は、膨大な質量があるのに非常に小さい。小さいので量子の効果を含まない一般相対性理論では分からず、重力が極端に強いので場の量子論でも扱えない。

人間はそこへ行けないので、実用的な意味では必要ないかもしれない。それでも、そこで何が起きるかは現在の人間には分からない。両方を含む理論はまだ確立されていない、と野村は述べた。

一緒にしようとすると数学が壊れる

場の量子論は、量子力学と特殊相対性理論を一緒にしようとして実際に一緒にできた。同じように量子力学と一般相対性理論を合わせようとすると、近似的にはできる。しかしブラックホールの中心でも使えるような完全な一つの理論にしようとすると、何をやってもうまくいかないという。野村は、物理学にルールがある限りそこを支配するルールもあるはずで、ルールがないと諦めたら何もできない、と語る。

うまくいかない様子を、野村は比喩として「1+1が2ではなく2+ゴミになり、1+3が4+ゴミになり、3+5が8+変なゴミになる」ような状態だと説明した。これでは数学として意味をなさない。ベテランちが、物理の発展と数学の発展が連動しているのかと尋ねると、野村は肯定した。それぞれの理論に対応する難しい数学があり、量子と重力を合わせようとすると、両方の性質を持つ理論が数学的に矛盾してしまうのだという。

9次元空間の弦:唯一の候補

ところが、クォークよりさらに15桁ほど小さいスケールでは、物質の基本要素は点ではなく「弦(ひも)」であり、それが3次元空間ではなく9次元空間の中で揺れている、と考えると、先ほどの「ゴミ」がすべて消える。9個の数字で1点が決まる空間の中で弦が揺れている場合に限って、量子と重力を合わせた理論の候補になるのだという。

ベテランちは、天動説では周転円をいくつも追加して誤差を調整しなければならなかったのに、地動説にした途端にきれいな円一つで済んだ、という例を持ち出し、9次元にしたことで理論がきれいになったから正しい可能性が高いと考えられているのか、と確認した。野村はその感覚は近いとしつつ、決定的な違いを指摘した。この場合は「きれいになった」というだけではなく、それ以外に候補すらない。実験で直接確かめていない以上、きれいだというだけなら別の可能性も残るが、人間がこれだけ調べて見つけたのがこれだけなのだという。これが弦理論(超弦理論)である。野村は「超ひも理論」と言うと別のものを想像されるので、普段は「超弦理論」と呼んでいるという(ベテランちは、ひもと言われると働いていない男のことかと思う、と冗談を返している)。

私たちの空間が3次元に見えることとは矛盾しない。大きく広がっているのが3方向で、それと直角な方向に小さな6方向がある、という構造を考えればよい。ベテランちが、2次元から3次元に行くときに隠れていた1方向を見つけるように、6回に分けて段階的に見つかるのかと尋ねると、野村は、6方向の大きさがばらばらならそうなるし、ほぼ同じ大きさなら一気に見えることになる、と答えた。たとえば2方向が大きく4方向が小さければ、まず6次元が見え、さらに小さいスケールで残り4方向が見えるという構造もあり得る。実際にどうなっているかは分からないが、少なくとも9次元ではあるという。

80年代の定式化の限界とホログラフィー

弦理論は1980年代に見つかったが、当時の定式化は使える状況が限られていた。その限られた状況の中では、重力を含み、かつ量子力学でもあることが確認できている。重力が効かない領域では、ちゃんと場の量子論に一致する。

どこで行き詰まっているのかと聞かれ、野村は、使えるのは数個の粒子が衝突して散乱していくような状況だと説明した。宇宙は粒子が2つだけあるわけではない。これは理論が間違っているという意味ではなく、特殊相対性理論が加速のある場合に使えなかったのと同じで、使える領域では完全だが、使えない領域があるということだという。

そこで手がかりになっているのが「ホログラフィー」と呼ばれる性質である。これはブラックホールの研究から見つかった性質で、野村は「n次元の重力を含む空間が、n−1次元の重力を含まない空間で記述できる」という、一見よく分からない性質だと説明した。この性質は80年代の定式化より一般的なものだと考えられており、実際に弦理論はホログラフィーの性質を持っている。つまり「弦理論かホログラフィーか」という対立ではない。この性質を指導原理にして、今の定式化を超えていくのが現在の研究だという。

ベテランちは、今の総理大臣では無理でも政党の理念ならもっと行けるかもしれない、というたとえを出した。野村はこれに乗り、この「台詞」自体はもっと一般的に有効なので、それを完全に体現する人物を連れてくれば未知の領域をカバーできるかもしれない、その言葉を頼りに探している状態だと述べた。80年代の弦理論もこの性質を体現してはいるが、不完全にしか体現していないという。

弦理論以外の派閥はないのかという質問には、ここが今のメインの活動だと答えた。ただし呼び方は人によって違う。80年代に分かった限られた定式化だけを「弦理論」と呼ぶ人から見れば、今やっていることの多くは弦理論ではない。一方で、より一般的なものこそが完成した弦理論だと言うこともできる。ホログラフィーの原理はブラックホールから見つかったが具体例が見つかっておらず、弦理論を調べたらその中に具体例が入っていた、という関係だと野村は整理した。

人間の知能に限界はあるか

これまでの段階は比較的早く進んだ、と野村は振り返る。相対論、量子力学、場の量子論のあいだにはあまり抵抗がなく、場の量子論で無限大が出る問題(繰り込み理論で解決)に時間はかかったものの、10年、20年でスムーズに進んだ。今の段階はやたらと難しい。

ベテランちは、精度を上げるための実験コストは指数関数的に増えそうだが、理論なら頭が良ければ行けるのではないかと問うた。野村は、理論は行けるが、人間は行けるところまでしか行けない、と答える。賢い犬と少し抜けた犬がいても、どんなに賢い犬に量子力学を説明しても分からない。同じように、超知能を持つ宇宙生命体のようなものから見れば、弦理論やホログラフィーは人間にとっての算数のように当たり前で、しかもその先にもっと広いものがある、ということも原理的にはあり得る。そして人間の知能の限界を超えたものは、ほぼ定義上、理解できない。自分より優れていることすら分からず、変なものが来たとしか見えないだろうという。

AIは物理学者を超えるのか

話題は最近の出来事に移る。ベテランちが、物理の難しい問題をAIが解いたと話題になっていたと振ると、野村は、それは囲碁AIの初期段階に近いと評した。野村の記憶では、アルファ碁も最初は対戦相手の癖などを人間が入力し、1日目の対局後に調整するといった補助があった。今の囲碁AIは自己対戦だけで人間を上回っているが、物理のAIはまだその補助付きの段階だという。話題になった件も、ハーバードの物理学者のチームがついてプロンプトを調整しながら出した結果であり、解ける問題も限られている。

野村自身もAIをやり取りには役立てているが、最終的な答えを信用すると結構間違っているという。話題になった件はそのために調整されたマシンを使っており、一般向けのものは課金しても、それを信用して論文を書けるレベルではない、というのが野村の評価だ。ベテランちも、自分が詠んでいる短歌ではAIはまだ弱く、X(旧Twitter)の投稿も炎上しそうな箇所を指摘して直してはくれるが、面白くすることはできず、角が取れて出す意味がなくなると話した。

一方で、将棋も囲碁もかつては人間を超えないと思われていたのに、5年ほどで完全に上回った。物理も5年後にそうなっている可能性はあるかと問われ、野村は「僕はあると思います」と答えた。今は全く感じないが、囲碁の関係者もかつてはそう感じていなかったはずだ、というのがその理由である。オセロやチェスは仕方ないとしても、選択肢が発散する囲碁は無理だと言われていたのに、今や誰もAIに勝てない。イーロン・マスクやAI関係者が「数年後には物理学者はいらなくなる」と言っていることについても、野村は笑えない、そうなるかもしれないと述べた。

そうなった場合の人間の役割について、ベテランちは、AIが出してきた意味不明な記号を解析して人間に伝える仕事になるのではないか、将棋のプロ棋士がAIの棋譜を研究しているように、AIの結果を理解して説明できる物理学者たちが少しずつ違う解釈を戦わせるようになるのではないか、と述べた。野村はその可能性を認め、将棋や囲碁が「最も強い手を指すこと」から「人間ドラマを見せること」へ変わらざるを得なかったように、陸上競技でもバイクに乗れば速いのと同じように、学問も変質していく可能性はなくはないと語った。

仕事は何が残るのか

野村は、自分の専門から離れた話としつつ、ハンバーガーのように人間ほど美しく焼けないもの、つまり肉体的な仕事が残っていくかもしれないと述べた。ベテランちは、AIには爆笑させることはできないと考えているので、これからは爆笑一本でやっていくつもりだと応じた。

医療については、野村が、膨大なデータがあれば診断は置き換えられるのではないかと振った。ベテランちによれば、大学の同期がAIで医者を置き換えるサービスを作るために起業しており、何を置き換えるのかと聞くと「全部」で、まずは内科系からだという答えだったという。野村は、診断結果を伝える場面では、AIに告げられるのは嫌だという理由で人間が残る可能性もあるとしつつ、若い人がAIに恋愛相談をし、AIを恋人にする人までいる現状を見ると、伝える役割すらAIのほうがうまくなるかもしれない、と述べた。ベテランちも、先輩の医師から人間が不要になる可能性は十分あると言われたと明かし、野村は、不要になるというより動物園の動物のようになるのかもしれない、と答えた。

研究者になるまでの苦しい時期

対談の終盤、野村は自身の過去にも触れた。恋愛で手ひどい失敗をしたこと、アメリカに渡って研究者になったことを語り、この業界で一番きついのは博士号を取ってから大学でそれなりのポジションを得るまでの時期だという。野村はその時期に立てなくなり、2か月ほど入院した。病院でアンパンマンの歌が流れ、「何のために」という歌詞に、自分が何のために生まれたのかを重ねて泣いたと振り返り、笑いを交えてこの話を締めくくった。