「ちゃおっ子」から声優へ:佐倉綾音と三宅香帆が語る少女漫画、乃木坂46の衣装、声だけで演じる難しさ

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概要

声優の佐倉綾音と、文芸評論家として文章を書く仕事をしている三宅香帆の対談である。2人はともに1994年1月生まれで、誕生日は20日ほどしか違わない。前半は同世代ならではの少女漫画の思い出、中盤はファッションに目覚めたきっかけ、後半は声優という仕事の難しさへと話が進む。後半の中心にあるのは、体を動かさずに声だけで演じる仕事で、どうすれば心を動かし続けられるのかという佐倉の問いである。

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貧血体質とアフレコ現場の待ち時間

2人は初対面だったが、最初に見つかった共通点は貧血体質だった。三宅はインタビューで佐倉が貧血だと読んでいたと切り出し、自分も中高時代の合唱部で、立ち続けているうちに倒れたことがあると話した。佐倉は、朝礼で立たされると「100発100中」倒れたので椅子を用意してもらっていたという。

この話からアフレコ現場の話題に移る。佐倉によると、前の収録が押してロビーに人が溜まり、座る場所がないまま15〜20分待つうちに具合が悪くなったことがあった。収録では出番が来た人が前に出てマイクの前に立つ。マイクは大体4本立っていて、多いときはそれを30人ほどで回すという。

三宅はこれを聞いて、昔漫画で読んだと反応した。やぶうち優の『少女少年』で、男の子が女の子のふりをして女性声優として活躍する話である。佐倉も大好きな作品で、最近久しぶりに読み返したところだった。三宅は、やぶうち作品について話が通じる相手に会ったのは初めてだと驚いていた。

りぼん・ちゃお・なかよし「どれ派」

佐倉は、やぶうち優の作品にはちゃおで出会ったという。天使の女の子と普通の女の子の話が好きで、そこからやぶうち作品を読みあさるようになった。一方の三宅はりぼん派である。2人は視聴者向けに、りぼん・ちゃお・なかよしのどれを読んでいたかが世代の話題になると補足した。佐倉は、統計的なものではないと断ったうえで「ちゃおを経るとオタクになりやすい」という説も持ち出す。フラワーコミックスや少コミは大人っぽくギャル寄りで、なかよしはちゃお寄りだという整理を2人で確認し合い、『東京ミュウミュウ』や『カードキャプターさくら』の名前を挙げて懐かしんだ。

三宅はマンションに住んでいて、同じ階に一人っ子の友達がいた。その友達はちゃおとなかよしを両方買っていたので、3誌を回し読みしていた。そのため、りぼん派でもちゃおは通っているという。

単行本も1週間で捨てる家

佐倉の家は厳しく、雑誌も単行本も買って1週間ほどで捨てなければならなかった。三宅が「単行本はそういうものではない」と驚くと、佐倉は、だから買う漫画をとても慎重に選んでいたと振り返った。両親には「漫画を読むと本を読まなくなる」という考えがあった。そのため佐倉は小説などの本を多く読みながら、漫画にはずっと横目で興味を向けていた。自分のお小遣いを自由に使えるようになってから、その興味が一気に開いたという。

推し漫画の変遷とガンガン、二次創作

思い出の漫画を聞かれた佐倉は「ありすぎる」と迷いながら、種村有菜とCLAMPを挙げた。さらに、『堀さんと宮村くん』を描いていたHERO、ガンガンコミックスの『君と僕。』など、佐倉が「大手の3誌系じゃない」と表現する方向に傾倒していったという。ガンガンで連載されていた『鋼の錬金術師』もその流れにあり、そこからどんどん「オタクロード」に進んだ。三宅はこれを「ちゃおからの順調なルート」と受け止めた。

三宅の経験は少し違う。中学に上がると、一緒に少女漫画を読んでいた同級生たちが一斉にBLやライトノベルに移り、少女漫画仲間が突然いなくなった。それをきっかけに三宅は本の方へ進んだという。当時は『BLEACH』や『テニスの王子様』が流行っていた。佐倉も、BL的な文化が学校に持ち込まれたのはちょうどその時期で、『今日からマ王!』などでカップリングという概念が出てきたと話した。何の気なしに見ていた作品に突然ボーイズラブの文化が入ってくる。友達から「あの漫画の誰と誰が……」と聞かされても、公式と非公式の区別がつかない。2人はそんな体験を笑いながら共有した。

佐倉は、初めて見つけた二次創作が『鋼の錬金術師』だったと明かす。三宅も同じで、2人は当時の大手サイトは限られていたから、同じサイトを見ていた可能性があると盛り上がった。

CLAMPのスターシステムと『満月をさがして』

CLAMP作品で佐倉がいちばんはまったのは『ツバサ-RESERVoir CHRONiCLE-』である。この作品はスターシステムを採用していて、ほかのCLAMP作品の登場人物が同じ魂を持つ存在として、同じ名前で少し大人びた雰囲気で登場する。佐倉はそこから『xxxHOLiC』や『ちょびっツ』に広がっていった。CLAMP作品と種村作品は、いまも自分のファッションの源流にあるという。三宅が佐倉に「種村先生の作画っぽさがある」と言うと、佐倉は「ありなっちの世界に行きたい」と応じた。

種村作品で2人がともに挙げたのは『満月をさがして』だった。『神風怪盗ジャンヌ』ももちろん好きだが、2人には1つ前の世代にあたり、図書館や学童にあった古いりぼんで読んだという。三宅は『満月をさがして』について、当時の少女漫画としてはファンタジーで重い設定だったと説明する。病を抱え、長く生きられないかもしれない満月という少女のもとに死神がやってくる。歌手になる夢を持つ満月は、魔法で歌手として活動する。そして死神たちの境遇をたどると、実は自ら死を選んだ人たちだったと分かる。三宅は、絵や洋服がかわいいから読み始めた少女漫画にどんどん没頭させられ、「人生漫画だった」と感じたと語った。

『かみちゃまかりん』とデジタル作画がもたらしたもの

三宅はコゲどんぼ*も好きだったと挙げ、佐倉は『かみちゃまかりん』という言葉を久しぶりに思い出したと喜んだ。なかよしで連載されていたこの作品は、単行本の外側が紙ではなく透明な素材だった。佐倉はそれを前衛的でかっこいいと感じ、本棚に並べるだけで気分が上がった。お小遣いを使えるようになったとき、絶対に揃えたいと思って買い揃えたという。

2人は、コゲどんぼ*あたりがデジタルの絵柄を少女漫画に持ち込んだと振り返る。それまでは絵の具やコピックで紙に描かれていた。そこに、今では普通になったデジタルらしい絵柄が現れたのは衝撃だったという。佐倉は、瞳の表現や髪のハイライトが「アナログでは絶対に無理、レイヤーがないと無理」と感じるものになっていたと話し、アナログにはアナログの良さがあるとも付け加えた。

三宅は、あの頃の漫画は女の子がとてもかわいかったと言う。自分がいま百合漫画を好きなのも、少女漫画で育った「女の子がかわいい漫画を読みたい」という欲求が続いているからだと感じている。

ヒロインではなく男の子キャラに憧れた

これに対して佐倉は、自分は逆に男の子キャラに憧れていたと話した。ヒロインと結ばれる側、恋をしようとしている男の子の側に自分を投影していた。『かみちゃまかりん』や『満月をさがして』のタクトに憧れて、そうした格好をしようとしていたという。当時見ていた女の子キャラの服を着てもいいかもしれないと思うようになったのは、むしろ大人になってからだった。

ファッションの原点は乃木坂46の衣装

いまの佐倉は、洋服が「唯一の趣味と言っていいぐらい」好きだという。しかし20歳ごろまではファッションにまったく興味がなかった。体格が同じくらいの親の服を着ていたし、自分の見た目にも関心がなく、この業界に入るまでメイクもしたことがなかった。

きっかけは乃木坂46だった。佐倉はファーストライブのころからのファンで、白石麻衣を推していた。三宅も乃木坂が好きで、西野七瀬推しだという。三宅はもともとAKBのようなグループが好きで、特に松井玲奈が好きだった。松井がSKE48から乃木坂に交換留学した流れで、乃木坂を好きになった。

佐倉が「乃木坂の何が好きって衣装」と言うと、三宅は即座に同意した。乃木坂の好きな衣装ランキングを決めるだけで今日が終わってもいいというほどの盛り上がりで、巫女風でアイヌ文様をモチーフにした衣装の話も出た。

佐倉は、メンバーを自分とは違う人間として見ていて、なりたいと思っていたわけではない。それでもライブを見ているうちに、ずっと衣装を見ている自分に気づいた。メンバーごとに丈や袖、襟元のデザインが少しずつ違う。バレエのような振り付けが多いので、ターンのたびに布がきれいに広がる。「Sing Out!」の振り付けは衣装を美しく見せるし、「おいでシャンプー」のように初期から衣装を使った振り付けもあった。初期のシンプルな衣装もかわいかったが、人気が出るにつれて布の量が増え、どんどんゴージャスになっていった。そこで佐倉は、洋服は楽しいかもしれない、こういう服なら自分にも着られるかもしれないと思うようになった。

同じころ、20歳ごろに体重が落ちたことも重なった。佐倉は「急に体重が落ちた」と他人事のように言ったあと、7食くらい食べていたのを3食にしたら減ったのだと言い直して笑いを誘った。それから少しずつ服を集め、いろいろな服を試しながら、フェミニンな服にたどり着いたという。

服は思想を表現する道具

三宅は、詳しいとは言えないがオタク気質として、メイクや服を分析の対象として見るのが好きだと話した。人の服を見て「こうしているからこういう服を着ているのか」と考えたり、アイドルの服装や衣装の傾向が少しずつその人らしくなっていく変化を面白がったりしているという。

佐倉は、洋服はある意味で思想を表現する道具の1つだと考えている。服に無頓着な人を見れば、見られ方への思想が薄い人だと分かる。自分が少し変わった服を着ていたとき、嫌な感じでいじってくる人がいれば、そういうことをする人だと分かる。そして自分自身も「今日はこう見られたい」という意図を持って服を選ぶ。

この日の佐倉はMame Kurogouchiを着ていた。事前に三宅のInstagramを見て、最近の投稿でMameを着ているのを見かけたので、「Mameを着ていけば敵じゃないと思ってもらえるかな」と考えたという。三宅は玄関を開けたとき、よく似合うと思っていたと応じた。

こうした場で着る服は私服のこともあれば、スタイリストが用意したもののこともある。佐倉の説明では、作品やクライアントの意向が絡みそうなときはスタイリストに頼んでさまざまな服を持ってきてもらう。この対談のように、自分の名義で出て自分の思想が出ても問題ない場では、自分で用意する。服は衣装部屋として2部屋を使い、さらに寝室の半分も埋まっていて、合計2.5部屋ほどになっている。三宅が睡眠の心配をすると、佐倉は、いつか洋服をかけた下で寝る日が来るかもしれないと答えた。

「感受性が全て」

服への関心は仕事に生きているかと聞かれ、佐倉はまず実利的な面を挙げた。声優はカメラに映ったりステージに立ったりする機会が増えていて、自分で服を選んでいける。「これをどこで着るのか」をあまり考えなくていい。いつかそういう役が来るかもしれないと言い訳ができるのは、声優でよかったところだという。

そのうえで佐倉は、刺繍や服のデザイン、カッティングは興味のない人にはまったく興味がないものだと指摘する。そういう細部に心を動かされ、興味を持てているという事実が、自分の感受性への信頼になるという。感受性は大事かと問われると、佐倉は「感受性が全て」だと答えた。センスや想像力とも言い換えられるものだという。

体を動かさずに心を動かす難しさ

佐倉は、声優は俳優から分かれて、声で表現する仕事だと説明する。マイクの前では体を動かさない。だからこそ心を動かすのがとても難しい。溺れているシーンを、マイクの前で直立不動のまま演じなければならないこともある。佐倉はこれを「結構尖った仕事」だと表現し、経験のない人は最初に苦戦することが多いと話した。

その反対に、声優が実写作品など体で表現する芝居に出ると、体がまったく動かないという。普段の芝居で「動くな」と言われているからだ。動けば衣擦れのノイズをマイクが拾ってしまうし、100万円ほどするマイクにぶつかるのが一番まずい。常識の範囲で少し動くのは構わないが、あまり動けない。それが技術として身についていく。佐倉は、一度手に入れてしまった技術はなかなか元に戻せないと体感しているという。

声優の仕事は等価交換

実写と声の仕事の違いを三宅が尋ねると、佐倉は「何かを得ようとすると確実に何かを失う」と答え、自分で『鋼の錬金術師』の等価交換だと笑った。三宅も「人生って等価交換ですよね」と応じた。

佐倉が特に難しいと感じるのは、「できる自分」を手に入れると「できない自分」を失うことだという。芝居はできる自分だけでは成り立たない。演じる役の経験値によっては、できない自分を呼び起こさなければならない。30代の佐倉が赤ちゃんや小学生の役を演じるときは、30数年の経験値を捨てなければならない。しかし経験は不可逆で、捨てることはできない。どうやって表現すればいいのかを考えるうちに、佐倉は、32年でいろいろなものを得たと思っていたが、確実に失ってもいたのだと気づいたという。そこを一生追い求めなければならない職業だと思うと「すっごいやめたくなる」とも語った。

しんどさは評価ではなく、感情の線をつなぐ作業にある

仕事でしんどいと思うことはあるかと聞かれ、佐倉は「楽しいことの方が少ないかもしれない」と答えた。芝居について考えていて、しんどいときは本当にしんどいという。

ただし、評価を受けることのしんどさではない。佐倉は、自分の手を離れたものへの評価は客観的に受け止められるタイプだという。作品は1人では作れず、基本的に監督のものなので、監督に「こうしてください」と言われたら絶対にそうすべきだと考えている。だから反響が届いたときは、それが自分の感性に対するものなのか、監督の指示に対するものなのかを見極める。自分がよくなかったと思う点はしっかりフィードバックするが、そうでないものは「私もちょっとそう思う」くらいで受け止めるという。

佐倉がしんどさを感じるのは、セリフが自分の中でしっくり来ないときである。書いた人も演じる人も、そのキャラクターとは別の人間だ。気持ちがよく分かって自分の感覚で演じられることもあれば、キャラクターの行動理念が分からないこともある。作品の良し悪しとは別に、登場人物の感情の線がつながっている作品もあれば、登場人物を装置のように動かしている作品もある。後者がうまくいく場合もあれば、合わない場合もある。感情の線がつながっていない人物を人間として演じるときは、自分の中で線をつなぐ作業が必要になる。つじつまが合わない部分について、出番のない場面で本人がこう考えてこの結論に至ったから、こういう思考回路になったのだと補っていく。この作業がうまくいかないときが一番きついという。

佐倉は、顔出しの俳優のほうが、1つの役で俳優が担う割合は大きいと考えている。俳優が見た目・動き・声で魂を担うとすれば、アニメでは見た目をキャラクターデザイナーが、動きをアニメーターが担い、声優は声の部分だけを担う。だからこそ協力作業であり、わがままを言いすぎないようにしなければと思っているという。

口先で現場を解決してしまう怖さ

佐倉は、声優であることに誇りを持っていると話す。素敵な職業だと思ってもらいたいし、業界の地位向上のために手伝えることがあればとも考えている。それでも、声だけで芝居をしていると「おかしくなっていく」感覚があるという。そうはならないと思っているのに、技術や口先で現場を解決してしまいたくなる瞬間がある。佐倉はそれをとても恐れている。

佐倉は、その原因は体を動かしていないことにあると考えている。一般の仕事に置き換えると、取引先との電話で最初は1件ずつ心を込めていたのに、だんだんルーティンになり、心が動かないまま声だけで対応してしまう感覚に近いという。それでもOKが出る現場はたくさんある。だからこそ、心を常に動かすことを体感するために、体を動かす芝居が定期的に必要だと佐倉は考えている。それぞれの仕事がお互いにフィードバックし合えればいちばんいいという。

文章の「手癖」と中の読者人格

三宅は、文章を書く仕事にも近いところがあると応じた。三宅にも手癖で書いてしまうときがある。読み返すと、自分の中の「読者人格」が「お前、手癖で書いただろう」と指摘してくる。70点は取れるが85点は出ない、という感覚だという。

手癖を防ぐ方法として三宅が挙げたのは、本を読むといったインプットや、書く以外の仕事をしてみることだった。喋る仕事を入れると、書くことは素晴らしいという気持ちが戻り、手癖ではなくなることがあったという。

佐倉は、自分は役を引き受けて役として仕事をすることが多いが、三宅は自分の名前と人格で仕事をしていると指摘する。エッセイや感想文的な文章なら、むしろ手癖のようなものをファンは見たいのではないか、と素人目には思うという。三宅は、作家性は自分も好きだとしたうえで、心の表面だけで書けてしまう人は結構いて、それでは魂がこもっている感じがしないことがあると答えた。自分の人格で自分の言葉を書いているのに「呼吸してんのか」と思うような状態になってしまう、と三宅は表現した。そして、心じゃなくても演技ができてしまうという声の仕事の話と同じではないかと結びつけた。

「アニメ芝居」との出会いと違和感

佐倉は、極端に言えば声優は誰でもできると言う。現場にブッキングされて台本を渡され、マイクの前で読めば、免許もいらない。芝居には好き嫌いはあるが、良い悪いはない。だからこそ正解のない中で、自分がいいと思うものを出し続けなければならない。

その一方で佐倉は、これまでのアニメ史の中で出来上がってきたものがあると明かす。こういうセリフはこう言うと決まる、といった、乱暴に言えば「テンプレート」のようなものだ。佐倉はもともと声優を目指していたわけではなく、ひょんなことから声優になった。漫画と同じくアニメも禁止の家庭だったので、アニメをほとんど見たことがなかった。いわば「アニメ芝居」ができないまま業界に入ったのである。

佐倉によれば、アニメ芝居は手っ取り早く格好がつき、素敵に見えるので、即戦力として重宝される。最初はオーディションにまったく受からず、マネージャーから「アニメ芝居を勉強してこい」と言われた。アニメをたくさん見て研究するうちに、自分の中にアニメの枠組みが出来上がっていった。当時は技術が不可逆だとは思っていなかったので、引き出しが増えるのはいいことだと考えて頑張った。するとオーディションにも受かるようになった。

しかし、それで心はどこにあるのかという疑問がずっと残っていたという。生きて話しているとき、人は「こういう言い方で喋ろう」とは思わない。途中からその違和感を無視できなくなり、芝居とは何か、人間とは何かというところで、違和感と戦い、分析し、解剖し続けている。それは「楽しいし苦しい」と佐倉は語った。

商業とクリエイティブのあいだで

三宅は、佐倉の発信を見ていて、声優業界での女性の立場や、アニメの中の女の子の描かれ方について戦っていると感じていたと伝えた。佐倉は、アニメを否定したいわけではなく、クリエイティブなものが好きだと答えた。そのうえで、傷つく人が増えなければいいという気持ちがあるという。

佐倉は、書籍やアニメのように自分たちが関わる分野では、商業とクリエイティブのバランスが「永遠の課題」だと話す。クリエイティブで100%実現したいことをビジネスが妨げることもあれば、ビジネスで成功させたいものをクリエイティブが妨げることもある。大人たちが一生考え続けなければならない課題だという。「1声優にできることなんてない」と思いながらSNSで小さくつぶやいている、と佐倉が言うと、三宅はそれはとても大きいと返した。

「脳多動」と、オモコロチャンネルへの関心

昔からいろいろなことが気になるタイプだったのかと聞かれ、佐倉は自分を「脳多動」なのだろうと表現した。三宅はこの言葉を面白がり、今年の流行語になると言った。三宅自身は体は引きこもりで、ずっと本を読んでいられるタイプだが、頭の中はまさにそうだと共感した。

佐倉は、考えるだけならただだと思うと考えずにはいられず、最善や正解について考え続けているという。それが自分にとっての正解なのか、他人にとっての正解なのかも含めて考えるので、頭の中はいつもぐちゃぐちゃだと話す。

最後に佐倉は、最近オモコロチャンネルを見ていると明かした。とりあえず10本見ると決めて見ていくと、自分たちの世代に刺さる語彙が差し込まれていて、下品なのに知性がある。自分でやろうとしてもできないのではないかと思ったとき、この人たちはめちゃくちゃすごいと感じた。この話の途中で動画は終わり、続きは次回に持ち越される。