売上500億円の経営者はなぜル・マンを走るのか:ルーフ代表・木村武史が語るジェントルマンドライバーの世界

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概要

収益不動産会社ルーフの代表・木村武史は、経営者でありながら、世界3大レースの一つであるル・マン24時間レースに8年連続で出場している。この回では、なぜ本業を持つ経営者が年間13億円をかけてレースを続けるのかが問われた。ル・マンの実況を長く務めるサッシャが、モータースポーツの歴史と「ジェントルマンドライバー」という存在について解説している。木村の答えは意外なもので、「レースをやっているから会社が儲かる」というものだった。

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「仕事のほうが楽」という経営者

木村は収録の直前、ベルギーから帰国したばかりだった。朝8時10分に羽田に着き、美容院に寄ってからスタジオに来たという。ベルギーではル・マンの出場権につながる予選的なレースに出ていた。

「本業は経営者で、ときどきレーサー」という紹介に、木村は「それで合っている」と答えた。そのうえで、レースのほうが大変で仕事のほうが楽だと付け加えた。自分の人生のすべてはル・マン24時間に出るためにあり、ル・マンに出るためにレースをし、ル・マンに出るために仕事を頑張っているとも語っている。

ル・マン24時間は、F1モナコGP、インディ500と並ぶ世界3大レースの一つで、100年以上の歴史がある。およそ60台のマシンが24時間走り続け、最も長い距離を走ったチームが優勝する。8年連続出場について木村は、すごいことだとは思うが、10年くらいは出たいと考えており、10年を一つの区切りにしていると話した。

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「社会人から野球を始めて大谷と試合をするようなもの」

サッシャのモータースポーツ実況のキャリアは、2013年のル・マンから始まった。8年連続出場のすごさを一般の人にどう説明するかと問われ、サッシャは野球にたとえた。大谷翔平とずっと試合をしているようなものだが、木村の場合は小学校から野球をしていたわけではない。社会人になってから野球を始め、大谷と試合をしている感覚だという。

木村がレースを始めたのは44歳のときである。サッシャは、44歳から始めること自体は物理的に可能でも、続けられるか、実際に走れるかは別問題だと説明した。相応の努力と才能がなければ、大人になってから始めてもル・マンには出られないという。

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ジェントルマンドライバーとプロ・アマ混成のルール

番組のVTRによると、1923年の第1回ル・マンでハンドルを握ったのは、貴族や実業家だった。自分の情熱と資金でレースに挑んだ彼らがジェントルマンドライバーであり、その伝統はいまもル・マンに残っている。フェラーリの関係者は、1950〜60年代には多くのジェントルマンドライバーが最も重要な耐久レースで勝っていたと語る。ただし、ジェントルマンドライバーも時速300km超で最低6時間、プロと同じ条件で走らなければならない。VTRには別のアマチュアドライバーのコメントもあった。自分より速いアマチュアはたくさんいるが、非常にお金がかかるため、ここに来られる人はごく少ないという内容である。

コストの具体例も示された。予選でタイヤを2セット使えば、タイヤ代だけで200万円になる。車両は1億8000万円ほどするが、このレースで走行距離を使い切ってしまうため、終われば使えなくなるという。

木村によれば、GTクラスとLMP2の一部では、プロとアマチュアを必ず1名ずつ乗せなければならない。プロだけで走ったほうが速いのに、なぜアマチュア枠が必須なのか。この問いに対し、サッシャはモータースポーツの成り立ちから説明した。自動車が世に出たのと同時に、どの車がいちばん速いかという勝負が生まれた。当時、車は金持ちしか買えなかったので、車を持つ人たちが自分の車の速さを競ったのが始まりだった。やがて、運転の得意な人にお金を払って乗ってもらったほうが勝てると考えるようになり、職業的なプロドライバーが生まれたのはその後だという。ル・マンが始まった100年以上前には、プロドライバーはまだいなかったというのがサッシャの見方だ。フェラーリも創業者が最初はレーシングドライバーで、引退後にプロを雇って自分の車を走らせるようになった。ル・マンは、車を購入して自ら走らせるというモータースポーツの原点を制度として残している、とサッシャは位置づける。

「ジェントルマン」という言葉について、木村は、上品で知的な面と野獣のような面の二つを一人の中に持ち、それを使い分けられる人という意味だと聞いていると説明した。サッシャは、貴族が始めた歴史もこの言葉が使われる理由ではないかと補った。さらにサッシャは、フェラーリは商売のためではなく、レースをしたいからレーシングカーを市販車として売っていたのだと話した。自動車メーカーが参戦するようになると、他社より強ければ自社車の宣伝になる。こうしてレースは次第に「実験室」になっていったという。

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祭りとしての「ル・マン・ウィーク」

VTRには、レースだけでなくパレードに大勢の観客が集まる様子も映っていた。木村はいつも走る側なので、自分がこうして撮られている映像を見たのは初めてだったという。

ル・マンは24時間のレースだけで終わらない。レースが行われる週は「ル・マン・ウィーク」と呼ばれ、平日には街中をパレードし、チームによってはグッズを配る。そこからもう祭りが始まっている、と木村は話す。数万人規模の町に数十万人が来るといい、期間中は1週間単位でしか予約できないため、ホテルは1泊でも1週間でも150万円になるという。レンタカーは50万円ほどかかり、街の店は住民もレースを見に行くので閉まってしまう。出る側だけでなく、見る側にもお金がかかるという話だった。

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車が欲しくて始めたレース:2015年の初レースで2位

木村のレースキャリアは2015年、アジアのランボルギーニのワンメイクレースから始まった。もともと車が好きで見に行ったところ、レーシングカーに近い車両を勧められて購入した。レースに出るために買ったのではなく、車が欲しくて買ったのだという。レースは織戸学に勧められ、一緒に出る予定だった。しかし織戸が出られなくなり、木村が一人で出場した。その初レースで2位になっている。若い頃から少し走ってはいたが、このとき自分は向いている、楽しいと感じたそうだ。

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2019年、初ル・マンでクラス5位、そして涙

ル・マン初挑戦は2019年である。きっかけはここでも車だった。フェラーリのGT3車両が欲しかったが、フェラーリから「レースに出ないなら売らない」と言われた。GT3はレース用車両だからである。何に出ればいいか尋ねると、アジアン・ル・マン・シリーズがあると言われ、ジェームス・カラドと組んで出場した。

そこで木村は4連勝し、シリーズチャンピオンになった。当時の参加台数は6台ほどで、木村は「周りが遅かった」「たまたま」と話す。一方でこの4連勝の記録はいまも破られておらず、アジアン・ル・マンはいまや30台ほどが出る大変なレースになっていると付け加えた。まさか勝てると思っていなかったため、勝ったことで突然ル・マンへの切符が来てしまった。当時のルールに合わせてGTEクラスの車両を買い直し、そのまま本戦に出場した。

結果はクラス5位だった。木村自身、この記録をいまも超えられていないという。この結果でフェラーリが世界中に配るイヤーブックに「フェラーリと夢を掴んだ男」のような特集が組まれた。ただ、レースは非常につらく、終わった後に泣き出してしまったという。体調を崩した状態で走っていたとも語っている。当時は46歳前後で、木村は、そのころの会社はあまり成功していなかったが勢いで4連勝して出られたのだと振り返った。

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ル・マンへの三つのルートと、毎回違う出場の仕方

ル・マンに出るには、大きく三つのルートがある。一つ目は、アジアン・ル・マン、木村が現在参戦しているヨーロピアン・ル・マン・シリーズ(ELMS)、IMSAなど、予選的な位置づけのシリーズでチャンピオンになることだ。二つ目は、ル・マンを含む年間シリーズ(WEC)にフル参戦するチームに入ること。三つ目は、主催者から推薦・招待を受けることである。

2020年は14時間経過時点でリタイアした。木村もサッシャも、車は壊れるもので完走自体が難しいと話し、だからこそ初出場のクラス5位はすごいのだという。木村自身は、これまでにぶつけたことはないと言う。

2023年は、木村に出場権はなかったが、主催者から特別招待を受けた。コロナ禍の間もずっと来てくれた、あなたはル・マンに出るべき人だ、とル・マンのトップから言われたという。特別招待枠は3組しかなく、100チームほどが申し込む中で直接招かれた。木村は、ヨーロッパの人たちは非常にプライドが高いと聞いていたが、自分はむしろ優遇されていると感じていると話す。サッシャは、ヨーロッパ以外から来た人が伝統あるレースで認められるのは、それだけレースに貢献し、愛情を注いでいることが伝わっているからだと評した。

今年6月のル・マンでは総合10位だった。このときは、スイスのロニー・ケッセルがオーナーを務めるチーム・ケッセルが、アジアン・ル・マンとGTワールドチャレンジ・ヨーロッパを通じて獲得した枠で乗った。ケッセルからは、ずっと一緒にレースをやりたいと言われているという。

サッシャが強調したのは、この出場ルートの多様さだった。自動車メーカーのワークスドライバーなら、メーカーが出続ける限り連続で出られる。木村の場合は、予選シリーズを勝ち上がった年もあれば、特別招待の年もあり、チームに認められて乗った年もある。サッシャは、実力、人望、信頼などがそろわなければできないことで、単に8年出たというだけの話ではないと述べた。木村は、出たい人は1000人ほどいて、お金は全員持っていると話す。そのうえで、差がつくのは付き合いやレースへの情熱、レースをリスペクトする姿勢で、主催者側はそこをよく見ていると考えている。

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年間13億円、その内訳と「スポンサーを取らない」理由

年間の費用を聞かれ、木村は「大体13億円くらい」と答えた。これは車両代を含まない額である。黄色いフェラーリは1億8500万円ほどし、レース中に壊れることもある。前日のELMSでは、一緒に走っていた別のフェラーリが大破し、約2億円が失われたという。

番組で示された内訳では、ル・マン本戦に出るための費用が約2億5000万円だった。木村によると、車を1km走らせるのに6400円かかる。ル・マンは1周約14kmなので、1周で10万円以上になる計算だ。ブレーキパッド、エンジン、ミッションなどの部品は1万5000kmで交換するなど、すべて寿命が決まっている。ほかに、欧州シリーズ(ELMS)3戦の費用、ル・マン本戦の参戦費と諸経費、交代で乗る3人のドライバーのギャラがかかる。

スポンサーをつければ年間2億円程度、数億円は入ってくるはずだという。それでも木村はほとんど受けず、ほぼ自費でまかなっている。理由は「人の意見を聞きたくない」からだ。車にシールをベタベタ貼るのも格好悪いと感じており、一色で行きたいという。

木村はさらに、ジェントルマンドライバーの速さはかけたお金に比例すると話した。あるラップタイムで走れば、周囲からは「木村さん、5億くらい使ったね」と言われる。子どもの頃からカートをやってきたわけではない人でも、年間10億円を使って5年ほどやれば自分くらいのレベルになる、というのが木村の説明である。「モータースポーツはスポーツの前にモーターがついているので、先にお金」であり、お金をかけて徹底的に練習し、その結果として出るラップタイムがその人の能力だという。そして、自分より速いドライバーは自分より多く使っていると言い切った。

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売上23億円から500億円へ:レースがもたらしたリターン

それだけの出費に見合うリターンについて、木村は明確に答えた。レースをやっているから会社が儲かる、というのである。レースを始めた10年ほど前、ルーフの売上は23億円ほどだった。当時は年間の費用も今ほどかかっておらず、始めて2〜3年は数億円、そこから10億円規模になったという。現在の売上は500億円ほどで、木村の話では20倍になった。

仕組みについて、木村は次のように説明する。レースを通じて世界中で名前が売れ、自分でも信じられないような人たちから「真似はできない」と言われる。その財務基盤が不動産だと知ると、どうやりくりしているのかという関心から不動産に興味を持ってもらえる。自分の仕事を説明すると「自分も不動産を買いたい」という話になる。会社の売上の半分以上は、レース関係の出会いから生まれているという。木村自身が広告になっているのかという問いには「なっている」と答え、だからレースをやめると売上が下がってしまうと話した。

木村は、本当はあまりやりたくないのだとも繰り返した。レースは理不尽で、なかなか結果が出ない。車が壊れれば自分のせいでなくても終わる。ラップタイムですべてが数字になり、印象で語れる余地がない。だから本当はやめたいが、会社の業績が伸びるので頑張っているのだという。

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賞金はなく、手に入るのは時計:香港のロレックス店での逸話

ル・マンに賞金は基本的にない。スーパーGTには少しあるが、ル・マンで出場者がもらえるのは記念の時計、ロレックスのデイトナくらいだという。

木村はデイトナにまつわる逸話を披露した。旅行中に香港のロレックス正規店に行ったところ、デイトナはないと言われ、相手にされなかった。ところが店にあったデイトナ100周年のカタログに、自分の車が載っていた。「これは俺の車だ」と携帯の写真を見せると、店の奥からデイトナが出てきて、記念撮影まで求められたという。なお、100周年モデルは別に購入したと話している。

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ル・マンは「毎日のトイレ」のようなもの

ル・マンは特別な日ではないのかと聞かれ、木村は、そう答えたいが正直に言えば日常的な感覚だと答えた。年に1回しかないが、ワールドカップのように盛り上がるものでもない。一言で言えば「トイレで頑張っている」ようなものだという。毎日出し切っているが、その姿を人に見せていないだけ、という意味である。

初出場のときに興奮したかと問われると、走っている途中でやめたいと思ったと答えた。レースは全体で約250周あり、木村はそのうち70〜80周ほどを担当する。最初の年は3周ほどできつくなり、チーム監督に何度も残り周回数を尋ねた。監督が気を使って「あと3周」と答え、2周走ってからもう一度聞いてもまた「あと3周」と言われる。自分で計算しながら走っているので、その気遣いにかえって困ったという。

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世界のジェントルマンドライバーたち:遊びではなく真剣勝負

番組では、木村と並ぶ各国のジェントルマンドライバー15人が紹介された。日本人は木村だけである。GitHubやSteamなど、テック業界の出身者が多い。木村と仲が良いマーティン・ベリーは、ゴンチャをベインキャピタルに3000億円で売却したと紹介された。マレーシア国王の息子とされるプリンス・ジェフリーとは何度もバトルしており、彼はボーイングやエアバスの300人乗りクラスのプライベートジェットで、チーム全員を連れてやって来るという。

ほかのドライバーの多くはプライベートジェットで来る。木村が旅客機で移動し、最後にレンタカーで現地に着くと、「何かトラブルがあったのか」「なぜレース以外で車に乗っているんだ」と驚かれる。彼らにとって車はレースをするもので、移動手段ではないのだと木村は冗談めかして話した。

社交界のような交流があると思われがちだが、木村によればそういうものはない。子どもの喧嘩のようにバチバチで、走行を邪魔すれば「なぜどかないんだ」と文句を言いに行く。仲は良いが、立場や背景は関係なく、全員が自分こそいちばん速いと思って戦っているという。

司会者は収録前、こうした人たちは道楽で出ていると思っていたと明かした。サッシャは、むしろすべてをかけている人が多いと答えた。木村があるドライバーの速さをプロに話したところ、「あいつはトイレとご飯以外はずっと車の中にいる」と言われたという。司会者は、仕事のためにレースをする木村のあり方は、レースのために仕事を頑張るという一般的なイメージとベクトルが逆だと指摘した。サッシャは、ほかの出場者たちにとってはレースに出ることが当たり前で、仕事は息をするようにこなしている感覚だろうと話した。

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トレーニング、そして経営との共通点

木村のトレーニングは格闘技選手並みで、実際に格闘技選手と一緒に鍛えているという。一方で、平日は9時半に出社し、夜11時半まで会社で仕事をしている。

レースと経営の共通点を聞かれると、木村は意思決定が速くなることを挙げた。レースには会議がないからだ。サッシャは別の角度から補足した。本業がおろそかになって売上が落ちれば、レースには出られない。グリッドに車を並べられる時点で、ある程度の勝者である。その勝者同士が戦うのだから、戦う相手がまったく違う、という指摘だった。