ブライアン・ジョンソンの7日間ソーシャルメディア断ちと、そこから明らかになったこと

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概要

ブライアン・ジョンソンは自らを「死なないために何百万ドルも費やしてきた」人物だと語る。この動画で彼は、自己実験のアプローチをソーシャルメディアに向ける。1週間ソーシャルメディアを完全に断ったら、自分の精神と身体の状態はどうなるのか、という問いだ。彼の答えの一部は、注意力と頭の冴えに関するものだ。しかし彼によれば、最も衝撃的な結果は、注意力が解放されて初めて気づいたことだった。それは、何年も見過ごしてきた自宅の裏庭に潜む危険だった。

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増え続ける「やめる人たち」

動画は、ソーシャルメディアから距離を置いた人々の声をつなぎ合わせたモンタージュで始まる。ある親は、19歳の娘がソーシャルメディアのアプリを削除し、娘も友人たちも「もううんざりしている感じ」だと話す。2026年にやめると宣言する人もいれば、TikTok、Snapchat、Instagramをすでに完全にやめたという人もいる。ある話者は、ソーシャルメディアは「以前ほどソーシャルではなくなった」と主張する。友人にはつながれず、結局は「遠く離れた、抽象的なゴミ」と競い合うはめになるというのだ。

モンタージュには、その規模や影響についての主張もいくつか含まれている。ある声は「世界で最も重要なバイオマーカーは、注意力かもしれない」と断言する。別の声は、2025年にはアメリカ人の約半数が、集中力の欠如や退屈、疲労を感じたためにソーシャルメディアの利用を減らしたと述べる。また別の声は、ソーシャルメディアの利用を制限した人々が、睡眠や気分、全体的な幸福感の改善を報告したと語る。個人はその結果を自分の言葉で表現する。強迫的なチェックをやめると頭がすっきりすること、より生産的なことで時間を埋めるようになったこと、「若返った」ように感じることなどだ。ある人は、スクロールをやめると「時間がゆっくり進む。どうしてかはわからないけど、そうなんだ」と話す。

ジョンソンが検証しようと決めた理由

ジョンソンは、ソーシャルメディアとの関係は複雑だと言う。彼はそれを「世界の鼓動」であり、「ほんの少し美しく、大部分は醜い」ものだと表現する。時折、誰かが価値あるコンテンツ、たとえば彼自身のコンテンツを見つけることもある、と冗談を言う。それでも「99%の場合」、彼はソーシャルメディアを「現代の汚染」だと考えているという。

彼がヘビーユーザーになったのは、それが世界とコミュニケーションをとる手段だったからだと説明する。ここに、彼自身がはっきりと指摘する矛盾が生まれる。彼は視聴者の生活に役立つ存在であろうとしているが、「このプロジェクトを築くために選んだ媒体こそが、私が受けている有害なダメージを生み出す媒体」なのだ。彼は、ソーシャルメディアの利用と照らし合わせて、自分のメンタルヘルスがどんな状態にあるかを確かめるべき時だと感じた。

ジョンソンは、自分の身体について15億を超えるデータポイントを収集してきたと述べる。彼とチームが目にしているのは、ひとつの行動が身体全体に波及効果をもたらすということだという。彼らはこのソーシャルメディア断ちを「ゴムバンド実験」と位置づけた。圧力を取り除き、物事がどこに落ち着くかを見るというものだ。

プロトコルの設計

ジョンソンはこの実験を断食になぞらえる。少しかじったり間食したりしながら断食とは呼べない。さらに、実際には節度を保つのは「難しすぎる」と付け加える。また、効果を得るには一定の最低期間が必要だと主張する。5分間の休憩では目に見える効果は生まれない。身体が「自らを解放する」には時間が必要だからだ。それがなければ、ソーシャルメディアがないことすら感じないかもしれないという。

彼は2つのルールを設けた。

  1. ソーシャルメディアはすべて禁止とし、例外は認めない。
  2. オーディオブックとポッドキャストは許可する。ワークアウト中やほかの活動中にヘッドフォンで聴ける長尺のコンテンツが欲しかったためで、そうすれば「深い対話や深い本にじっくり浸る」ことができる。

1日目と、自由な遊びの復活

ジョンソンは初日をぎこちないものだったと語る。最初の数分間、彼も同行者も何をすればいいのか、どこへ行けばいいのかわからなかった。「どちらも任務から解放されたことが一度もなかった」からだ。映像には、2人がラフトを漕ぎ出す様子が映っている。大きすぎると冗談を言い合い(「これ9人乗りみたいだね」)、打ち寄せる波の中で息を合わせてパドルを漕ぐ。

彼はこの体験を「世の中からの期待が何もない、構造化されていない自由な遊びという、まさに子どものような体験」だと表現する。

7日目を迎えて

週の終わりには、もう二度とソーシャルメディアを使いたくないと思うようになった、とジョンソンは言う。彼はソーシャルメディアを「その有害さのすべてにおいて」見るようになった。周囲のこと、自分自身の考え、そして自分の感情に、より多く気づくようになったと報告している。この体験によって、人がいかに「人生における多くの本質的なことに対して盲目に」なっているかを思い知らされたという。

裏庭の有害な人工芝

ジョンソンが最も衝撃的だったと語る発見は、彼の周りに「より多くの余白」が生まれたことで訪れた。目の前にずっとあったものが見えてきたのだ。彼は、裏庭に「有害な芝」があることに気づいた。映像と、後に彼が語る「タイヤでできた」芝という言葉から、人工芝であることがうかがえる。

ここでジョンソンは因果関係について慎重だ。「それがまさにこの断ちのおかげかどうかはわからない」と言い、ただ気づいたのがほぼ同じ時期だったと述べるにとどめる。彼はそれを問いとして投げかける。ソーシャルメディアに注意力の多くを奪われていたせいで見逃していた明らかなことに、断ちによって気づけたのだろうか、と。長寿のために何百万ドルも費やしてきたのに、ずっと裏庭に有害な芝があったという皮肉を彼は指摘する。動画の冒頭では、それが「何年もかけてじわじわと私を殺していた」ものだと語られている。彼は、その結果として生じた変化を、これまでで最大級のライフスタイルの変化のひとつだと言う。芝の張り替えは記録していくと述べる。「ここを有害物質のない空間にして、その一部始終を記録するつもりだ」。そして「隣の芝生は青く、タイヤでできていないことを」願うと付け加える。

簡単な答えはない

ジョンソンは、誰もがただやめればいいという結論は出していない。「ソーシャルメディアに簡単な答えはない」と彼は言う。人々がコミュニティの一員だと感じるためには、それは「正真正銘の必需品」なのだ。彼はクリエイターとしての自身の役割にも触れる。自分が誰かの人生にとってプラスの存在であれば素晴らしい。マイナスの存在であれば、視聴者は「私をオフにして」ほしいという。

最後に彼は、オンラインにとどまり続けなければというプレッシャーに異を唱える。彼の見方では、ソーシャルメディアは、関わらなければ仲間の一員ではなくなると私たちに信じ込ませ、「私たちを追い詰めてきた」。だが、それは真実ではないと彼は言う。彼の締めくくりのメッセージは、距離を置くことは「神経系にとって安全」であり、人は「もっと生き生きと、アルゴリズムに支配されずに生きられる」というものだ。