ジョナサン・アンダーソンが語るディオールのアーカイブ:クラフト、ビジネス、迷信、そして創作を形づくるピース

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概要

パリにあるクリスチャン・ディオールの作品を収めたメゾンのアーカイブ「ディオール ヘリテージ」で、クリエイティブ・ディレクターのジョナサン・アンダーソンが、自ら「愛着のあるもの(objects of affection)」と呼ぶ品々を順に紹介していく。取り上げられるのは、バージャケットからガリアーノ時代のパファージャケット、ロジェ・ヴィヴィエの靴、そしてあるコレクションの当時の計画表まで多岐にわたる。アンダーソンはそれぞれのピースを手がかりに、ディオールという人物がどのような存在だったのかを語る。技術の革新者であり、ロマンチストであり、迷信深いストーリーテラーであり、そしてアンダーソンの見方では、その商才があまりにも注目されていないビジネスマンでもあった。どのピースも、メゾンにおけるアンダーソン自身の仕事の参照点にもなっている。

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バージャケット:アイコニックなイメージと技術的なオブジェ

アンダーソンはまず、1947年のディオールの「ニュールック」を象徴するシルエットであるバージャケットから始め、これは「ありきたり」な選択だと認める。そしてこれをメゾンの柱と呼ぶ。実物を目の前にすると、よく感じるある違いに気づかされるという。服をアイコニックにしているのは、ときにイメージそのものだ。人が着ていない状態で見ると、同じピースが「なんだか別のものになる」。アンダーソンの言葉を借りれば、「魔法が薄れるわけではなく、より技術的なものになる」のだ。

アンダーソンはディオールを、未来を再構築するために過去を振り返った「ちょっとした錬金術師」と表現し、バージャケットはその一例だと考えている。戦前にはあらゆるものが柔らかくなっていたが、その時期を経て、このジャケットはくっきりとしたウエストラインへと回帰した。アンダーソンはこれを「奇妙な意味で」レジリエンスの表明、つまりフランスが「再び動き出した」ことの宣言として読み解く。

このジャケットは、アンダーソンにとって実践的な道具でもある。プロポーションを体の上下に動かす実験に使っているのだ。前回のクルーズショーでは丈を長くし、自身の初めてのショーでは位置を高くして背中にスリットを入れた。わずかな変化を加えることで、ジャケットは想像以上に遠くまで行ける一方、元の形に戻ることもできる。なぜならそれは「最高の真っ白なキャンバス」だからだ、とアンダーソンは語る。

アンダーソンはまた、オートクチュールのショーへの向き合い方についても広く説明する。作品の金銭的価値はいったん脇に置くようにしているという。アンダーソンにとって、クチュールとは結局のところクラフトを守るためのものだからだ。その保護があるからこそ、メゾンはディオールのアーカイブに新たなものを加え続け、サヴォアフェール(職人技)を生かし続けることができる。

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ラ・シガール:「歴史上いちばん好きなドレス」

次に登場するのは、1952年のドレス「ラ・シガール」だ。アンダーソンは、バージャケットへの愛情はあるものの、そのカッティングがあまりに革新的であることから、これを歴史上いちばん好きなドレスだと言う。上半身は着物と同じように平面で裁断されていると指摘する。長年このドレスのフロントパネルに夢中になってきたといい、その構造がバッグの構造にどう置き換えられるかに興味を抱いたことから、シガールバッグではこれを直接参照した。アンダーソンにとってこのドレスは、「クラシシズムとモダニティが出会える」場所なのだ。

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ビジネスマンとしてのディオール、ショーマンとしてのディオール

ここからアンダーソンは、何度も立ち返ることになる持論へと話を進める。ディオールといえば、ふつうは庭やロマンスと結びつけられる。だが十分に語られていないのは、ディオールが「デザイナーとして驚くべきビジネスマン」だったことだ、とアンダーソンは言う。ディオールがハリウッドとどう関わり、プロダクト・プレイスメントをどう活用したかを挙げ、ディオールがそのプロセスをヒッチコックとの関連で考えていたことにも触れる。アンダーソンの解釈では、ふさわしい人々に服を着てもらうことはマーケティングの一部だった。

アンダーソンはまた、ファッションが失ってしまったと感じる軽やかな一面についても語る。初期のディオールは、煙が立ちこめるごく小さなサロンでショーを行い、観客は80ほどのルックが次々と登場するのを見守っていた。アンダーソンによれば、ディオールはときに観客の目を覚まさせるために赤いドレスを登場させたという。今振り返ると「かなりキャンプ」だとしながらも、アンダーソンはそれが好きだと言う。「私たちはもうそういう世界には生きていない」けれど、「そこには深くロマンチックな何かがある」からだ。

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ジュノン:立たせることもできないほど繊細なドレス

花びらのような刺繍が幾重にも施された1949年のドレス「ジュノン」は、寝かせた状態で展示しなければならない。年代と作りのために、もうマネキンに着せることはできないのだとアンダーソンは説明する。そしてまるで人について話すように、愛情をこめて語る。「彼女は体調があまりよくないから、横になっていなければならないんだ」。おそらく実際に着用され、「たくさん楽しい時間を過ごした」のだろうと言い、ほころび始めている箇所を指し示す。

自分の時代の瞬間を本当にとらえたデザイナーにはかなわない、とアンダーソンは言い、このドレスはその一例だとする。また、こうしたピースを守るディオール ヘリテージのチームにも光を当てる。アンダーソンはアーカイブを「おそらくディオールで最も重要な部分」と呼ぶ。これほどの歴史を持つブランドはほとんどないからだ。

アンダーソンは、自身の見方に基づいてジュノンを歴史的な文脈に位置づける。近代史で最もトラウマ的な出来事の一つである第二次世界大戦のあと、貴族階級は変化した。アンダーソンの説明では、かつての貴族階級の先駆者は産業革命で財を成したイギリス人だった。戦争がヨーロッパを荒廃させ、その後に「アメリカの誕生」と、ゲティやロックフェラーといった名前に代表される新たな貴族階級が現れた。当時の顧客は特別な機会のために服を買っており、富と祝祭のあり方が変わったのだとアンダーソンは言う。「ボリュームが上がる」のだ。

アンダーソンは、メゾンが自身の仕事のやり方をどう変えたかについても振り返る。以前の職場では装飾をあまり手がけなかったという。だがディオールでは、メゾンが生み出せる刺繍が見事で、それが「かなりやみつきになる」。職人たちは、どんなものでも作れることを証明したがっているのだという。

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ジョン・ガリアーノのパファージャケット

続いてアンダーソンが見せるのは、ジョン・ガリアーノによるクリスチャン・ディオールのパファージャケットだ。これは、アンダーソンが就任した当初にアーカイブに見せてほしいと頼んだピース群の一つだった。アンダーソンは、物事を再解釈するガリアーノの才能を称賛する。ポケットは「とてもディオール的」であり、このピースは新しい世界と古い世界を結びつけていると指摘し、それは非常に難しいことだと言う。「だからこそジョンは巨匠なんだ」。

アンダーソンは、ガリアーノのような人物が先にいたメゾンに加わることがどれほど身のすくむことかを率直に語る。それでも、このようなピースから学ぶべきことはまだたくさんあると考えている。ガリアーノのアプローチを、服についての着想を東洋に求めたポワレのようなデザイナーになぞらえ、その成果を「クチュール・ユーティリタリアニズム」と表現する。

アンダーソンは、自分でもこれを着て、ジーンズとブーツで仕事に歩いていきたいと言い、このジャケットは「時の試練に耐えてきた」、今もモダンに感じられると語る。ジュノンのドレスとコンバースを合わせてこのジャケットをスタイリングする姿も思い描く。一方で、同じピースが世界中の美術館でマネキンに着せられて展示されることもある。この柔軟性こそ、アンダーソンがブランドとしてのディオールに価値を見いだす点であり、それを優れた映画になぞらえる。浮き沈みがあり、何度もキャストやスタッフが入れ替わり、それでも自らを再発明し続けている。「そんなことができるブランドはそう多くない」とアンダーソンは言う。

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最初のショーの本

次にアンダーソンが手に取るのは、ディオールのまさに最初のショーにまつわる本で、これまで一度も触れたことがなかったという。会場の部屋を写した写真を見ると、ファッションにまだあの啓示やスペクタクルの感覚があればいいのにと思わされる。それは一部失われてしまったと感じているという。写真からは、ゲストがどれほど服の近くに座っていたか、人々がその場のためにどう装っていたかがわかる。

アンダーソンは、モデルが着替えた部屋である「キャビン」を指し示し、その狭さに注目する。想像よりはるかに小さく、「今のファッションショーのバックステージがまったく不快に見えるほど」だ。ショーは95ルックで、おそらく1時間半ほど続いた。今ではゲストに15分とどまってもらうことすら難しく、みんな急いで出ていってしまう、とアンダーソンは冗談を言う。

アンダーソンの想像では、その最初のショーの朝、非常に感情的な人物だったというディオールは、まだ存在していないブランドを成功させなければならないという大きなプレッシャーの下にあった。初めてのショーはいつだって感情的なものだとアンダーソンは言う。コンセプトと方向性を生み出そうとしているのだから。アーカイブを再訪することは、「使命とは何か」を思い出させてくれる有益な機会でもあると付け加える。

9:18

ロジェ・ヴィヴィエ、スズラン、そして迷信

靴や帽子、ジュエリーを収めたアクセサリーのアーカイブで、アンダーソンはロジェ・ヴィヴィエの靴を選ぶ。ステートメントのある靴が好きだといい、ヴィヴィエがディオールのために手がけた靴は歴史上最も偉大なものの一つであり、それ自体が彫刻的なオブジェだと考えている。この一足を選んだのは、ディオールと深く結びついた花であるスズランのモチーフがあしらわれているからだ。

このモチーフから、話は迷信へと移る。アンダーソンによれば、ディオールはとても迷信深かった。そして自分自身についても「信じられないほど迷信深い、ときにはばかげているほどに」と言う。ディオールの小さな幸運のシンボルは、初期の靴やジュエリーにも表れている。てんとう虫、スズラン、そして今でもメゾンがときおり靴底などにこっそり忍ばせる小さな星だ。アンダーソンにとってこれらのモチーフは、詩情を添えるストーリーテリングの一形態であり、迷信がメゾンの歴史を通じて受け継がれてきたことが、ディオールを人間味あるものに感じさせている。

アンダーソンは自身の迷信についても明かす。いちばん大きいのはカササギだ。2羽見るなら問題ないが、1羽しか見なかった場合は敬礼しなければならない。はしごの下は絶対にくぐらず、鏡を割るのは最悪のことだと考え、悪いことを考えたあとには頭をノックする。この習慣は祖母から受け継いだものだという。

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『Dior by Dior』と、時代における自らの位置を自覚していたデザイナー

ライブラリーでアンダーソンは、デザイナーの回想録『Dior by Dior』を見せる。この本は、ディオールが自分自身の物語の語り方を心得た賢いマーケターだったという考えを裏づけるものだという。読んでみると、ディオールがユーモアのある人で、自らの物語を理解しており、そしてアンダーソンにとって最も興味深いことに、時代の中での自分の位置を自覚していたことがわかるという。この本は、私たちとはまったく違う目で世界を見ていた、人間としてのディオールを映し出している。アンダーソンはその物語を、「ジャッキー・コリンズの小説のような、でもそうではない」ロマンスを持つものだと表現する。

11:46

アリゾナ・コート

続いてアンダーソンは、「アリゾナ」と呼ばれる赤いコートを見せ、これが大好きだと言う。そのポケットは、先ほどのパファージャケットでガリアーノが参照したものであり、アンダーソンはこのコート自体にもパファーのような質感があると指摘する。また、ディオールがバージャケットと同じボタンを再び使っていることにも触れ、このコートはその1年後のものだと付け加える。アンダーソンは最近、このコートをクチュールでどう再解釈するかを試しているという。タイムレスなコートであり、これもジーンズと合わせて着られると語る。

12:25

コレクションチャート:ディオールはショーをどう計画したか

最後に訪れるのは、あるコレクションの当時の計画表で、動画の説明欄によれば1949年春夏オートクチュールのものだ。アンダーソンは、この表がどのようにルックを割り振っていたかを説明する。スケッチと生地の割り当てが並べられ、コレクション全体にわたる色とボリュームが示されている。アンダーソンはそれを「すべてを割り出す、なんというか、とても緻密なやり方」と呼ぶ。

表の中でアンダーソンは、ディオールが繰り返し用いた黒と白、そして何度も立ち返った特定の織り柄や構造を指し示す。記録からは、さまざまな種類の刺繍やプリントもわかる。これは実務的にも重要だとアンダーソンは言う。チームは、どの生地が使われたのかを正確に知ることができるからだ。就任以来、アンダーソンのショーの多くでは、アーカイブに立ち返って生地を再現したり、ひねりを加えたり、別の素材を使ったりしてきた。

アンダーソンは、ファッションにはかつて「夢想(reverie)」があったという考えで締めくくる。よりゆっくりとしたプロセスと、「ある種の魔法」と呼ぶ貴さだ。そしてディオール ヘリテージのチームの献身をたたえ、これらのスケッチや記録が保存されているおかげで、将来誰もがそれを見ることができるのはメゾンにとって幸運なことだと語る。