DHHが語る「手書きコードの終わり」とエージェント時代のRails:Rails World 2026基調講演
Ruby on RailsRails World 2026の開幕基調講演で、DHHはAIエージェントの登場を「コンピューターにさせてきた中で最もエキサイティングなこと」と位置づけた。講演の問いは、エージェントがソフトウェア開発をどう変えつつあるのか、そしてプログラマーやRuby、Railsにとってそれが何を意味するのかである。DHHの立場ははっきりしている。37signalsは手でコードを書くことを通常業務としてはやめた。DHH自身もプロのプログラマーを「引退」した。そのうえで取るべき態度は、全面的な楽観主義だという。
DHHは冒頭で、自分の状態を周囲が「AI精神病」と呼ぶかもしれないと認めたうえで、「AI譫妄」「AI多幸感」と言い直した。同時に、この変化には不安もあると述べる。最終的にどうなるのか誰にもわからず、予測しても20分後には古くなっているからだ。その不安を落ち着かせるために、DHHは時計の針を18世紀まで戻した。
肖像画家とカメラ:技術の変化が職業をどう変えたか
18世紀に肖像画を残したければ、巨匠の前に何時間も座り、画家が数か月かけて仕上げるのを待つ必要があった。DHHはジョシュア・レイノルズが1781年に描いた『レディ・ウォルドグレイヴ』を例に挙げる。レイノルズはウォルドグレイヴ家の令嬢たちの絵にも何か月もかけたが、足首が少し見えていたことが「スキャンダル」とされて依頼主に却下され、描き直すことになった。クライアント仕事をしたことがある人なら同情するだろう、とDHHは笑いを誘った。こうした肖像画を依頼できたのは上流階級や王族に限られていた。20年後にゴヤが描いたスペイン王家の絵が示すように、画家の技法は何百年もかけて磨かれてきたが、その進歩はごくわずかだったとDHHは言う。
1840年ごろにカメラが登場した後も、デンマークの画家ラウリツ・トゥクセンは1886年に王家の肖像を3年かけて描いた。この作品は今もコペンハーゲンの王宮に飾られている。しかし1900年、イーストマン・コダックが大量生産の写真機ブローニーを発売する。DHHの記憶では価格は1ドルほどで、多くの人が写真を撮ってもらえるようになった。画家たちは、現実をできるだけ正確に描く技術がもはや経済的に成り立たないと気づき、別の表現へ移った。ピカソはキュビズムへ向かい、トゥクセンを含むデンマークのスケーエン派はある種の印象派へ向かった。DHHはこれを、技術の変化が引き起こした「創造性の爆発」と表現した。
ここでDHHは、スケーエン派の絵の中央でピンクのドレスを着ている女性イヴォンヌ・トゥクセンが自分の曽祖母であり、ラウリツ・トゥクセンが高祖父だと明かした。トゥクセンは1921年ごろ、亡くなる少し前に、自分の職業を変えた新しい技術で写真を撮られている。
DHHはさらに、技術の進歩は「行きつ戻りつ、断続的に」来るものだと強調する。DHHが生まれた1979年ごろの写真は、1920年代に撮られたトゥクセンの写真とよく似ていた。1925年のライカI型と大差ないカメラで撮られていたからだ。DHHの子ども時代の写真は少なく、スライドに出した3枚が手元の蓄えの10%ほどだという。ところがその後の数十年で状況は激変した。写真はストレスなく撮れるものになり、DHHの妻は夕方の散歩のたびに気軽に写真を撮っている。DHHによれば、2026年には年間およそ2兆枚の写真が撮られている。根底の技術は同じでも、明らかに転換点を越えたということだ。
2025年11月24日:私たちの時代のブローニー
DHHはこの歴史をソフトウェア業界に重ねる。DHHにとっての「私たちの時代のコダック・ブローニー」は、2025年11月24日に登場したOpus 4.5である。多くの人が使える価格のハーネスによって、新しい形の知性とペアを組んでソフトウェアを作る体験が初めて手の届くものになった、とDHHは言う。「11月24日より前のすべてがあり、それ以後のすべてがある」と述べ、歴史の教科書はこの日をエージェント時代の転換点として記すだろうと予測した。
ブローニーの後と同じように、さまざまな形でこの技術を使う方法が一気に広がった。ほどなく同等の知性がオープンウェイトでも手に入るようになる。DHHはKimi K2.5を高速モードで長く使い、この種の知性を毎秒200トークンで体験できたことを「信じられない体験」と振り返った。
幻滅の谷と、その後の飛躍
しかし2月から5月にかけては「幻滅の谷」があった、とDHHは語る。新しいモデルは次々に出たが、どれもいまいちで、後退しているようにさえ感じられた。多くの人が「このOpus 4.6ってなんなの?前のやつを返してくれ」と言い、「指数関数的に良くなり続けると思っていたのか」という冷笑も広がった。DHHは、ベンチマークでさほど向上しなかったOpenAIの新モデルのリリースを覚えているという。そのとき市場は「もう終わりだ」という反応を見せた。
ただし、写真の停滞が数十年続いたのとは違い、この谷は6月までしか続かなかった。6月にFable 5とMythosが登場したからだ。DHHの「病状」が本格化したのはここからだという。DHHにとってこのモデルは、「エージェントに何かをやらせられる」段階から「これはマージしたい」と思える段階への転換点だった。実装について何も指示しなくても、問題やアイデアを渡せば解決され、発展させられる。DHHはこれを「とんでもなく驚異的」と評した。
その後も進展は続いた。9月にはGPT-6 Astraが登場し、フロンティアの知性をAnthropicが独占するのではという不安を和らげた。そのわずか1週間後にはDeepSeek V4.1 Flashが登場し、フロンティアの知性が一部の巨大なアメリカのテック企業だけのものであり続けるという見方を覆した、とDHHは語る。
10倍プログラマーから1,000倍プログラマーへ
では、これはプログラマーという職業にとって何を意味するのか。DHHは「10倍プログラマー」論争を振り返る。この概念の出どころは1968年のACMの雑誌に載った論文である。プログラマーのグループにさまざまな課題を解かせたところ、最悪と最高の間に5倍から30倍、平均で10倍の差があった。業界はその後45年間、これが本当かどうかを議論し続けた。
DHHは、この論争はもう決着したと見ている。問いは変わり、「人間の能力だけで10倍だったなら、今はどうなのか」になった。正確な加速の度合いは誰にもわからない、とDHHは前置きする。そのうえで、ツールを使わない最悪のプログラマーとツールを使いこなす最高のプログラマーの差は100倍だと主張しても、今日ならそれほど物議を醸さないだろうと述べた。さらに一歩進めて、1,000倍という数字も挙げている。
DHHが自分について確かに言えることとして挙げたのは、この20か月で、それまでの21年間の半分の量のコードを書いたという事実だ。コードの行数は曖昧でどうとでもなる尺度であり、Rubyの1行はRustやC++のような低レベル言語の1行よりはるかに価値がある、とDHHは認める。それでも、自分の生産性の加速を経験した人なら誰でも少しめまいがするはずだという。
「私がやっていないことを見てください」:これはRailsの瞬間だ
ここでDHHは、2005年にブラジルで行ったプレゼンのクリップを流した。21年前のDHHが、ルーティングやテンプレートが自動的に結びつく様子を見せながら「私がやっていないことを見てください。私が書いていない設定の数々を見てください」と興奮している映像である。
DHHは、今の瞬間をこれ以上うまく表す言葉はないと言う。これは「Railsの瞬間」なのだ。当時は書かずに済むコードに興奮していたが、今はそれ以上に興奮している。DHHはもう5か月ほどコードを書いていない。それでも、あらゆる不満や細かい不具合、遊び心のある機能が突然実現可能になり、「あらゆるものを直すことができた」という。
37signalsは「鉛筆を置いた」
37signalsは数週間前にある決断をした。ものづくりの通常業務として手でコードを書くことをやめる、つまり「鉛筆を置く」という決断だ。今の37signalsでは、手でコードを書くのは例外的な状態であり、Sentryでバグを見つけるようなものだとDHHは説明する。エージェントが望むものを作れなかったら、しばらくは古い鉛筆を取り出して書くこともある。だがその後は機械を直し、「工場を直し」、また動かす。
DHHは会場にアンケートを取り、今も毎週かなりの量のコードを手で書いている人に手を挙げてもらった。挙がったのは5人ほどだった。2〜3か月前に同じ宣言をしていたら「ネジが1本外れている」と言われただろうが、今はすでにある現実を認めているだけだ、とDHHは語った。
Basecamp 5のバイブコーディングで得た教訓
この移行には失敗も含まれていた。37signalsは春、Basecamp 5の最後の仕上げの段階で、デザイナーたちに最後の機能をバイブコーディングしてもらった。結果はまちまちだった。個々のPRはもっともらしかったが、20個、30個と合わさるとアーキテクチャが「スイスチーズのように穴だらけ」になった。そこで37signalsは、技術はまだ準備ができていないと判断し、すべてを手作業でレビューしてプログラマーだけに扱わせる方式に戻した。
DHHは今、これを「明らかに間違った結論だった」と振り返る。少し待ってFableが手に入っていれば、すべてがおそらく当初の意図どおりに動いていたはずだ、というのがDHHの見立てである。そして今のソフトウェア開発で本当に重要な問いは一つしかない、とDHHは言う。この知性の爆発からいかに最大限を引き出すか。ほかの問いはすべてその下にある。Basecamp 5はリリースされたが、エージェントで加速されつつも、まだ大量の手書きのコードと組み合わさったものだった。
HEYをネイティブアプリとして作り直す
現在37signalsが取り組んでいるのは、メールサービスHEYの新バージョンである。名前はまだ決まっておらず、DHHは「Hey Next」「Hey New」「Hey There」と候補を口にした。その最初の決断は、HEYをWebアプリとして作るのをやめることだった。
DHHの説明では、HEYがWebアプリになったのは、小さなチームが生産的でいるための方法がそれだったからにすぎない。ついこの間まで、小さなチームが各ネイティブフレームワークで6つのネイティブアプリを保守するのは非現実的だった。だからこそReact NativeやHotwire Nativeのような、完成度を多少犠牲にして生産性を上げるツールが存在した。HEYは優れたWebアプリだが、レイテンシーなどの面でネイティブアプリには及ばない。
DHHの背後では、1週間ほど前に着手した6つのネイティブアプリのデモが流れた。以前なら大規模なサービスで高い完成度のネイティブアプリを6つ保守するには巨大なチームが必要だった。だが今回、37signalsはコードを1行も書いていない。その代わりに大量のプロンプトを出しているという。取り組みはまだ始まったばかりだが、この種のアプリの未来はこれだとDHHは確信している。Windowsアプリについては、最初のプロンプトで返ってきたリリース前の状態と、20分後に届いた修正版を見比べてみせた。
DHHは、多くのWebアプリは必要に迫られてWebアプリになっているだけで、開発コストがほぼゼロになった今、ネイティブアプリへ移っていくと予測する。37signalsだけの動きではないとして、Shopifyの例も挙げた。ShopifyはShopアプリをReact Nativeからネイティブアプリに書き直してリリースした。その重要性に比べてごく小さな、6人ほどのチームで、それほど長くない期間にやり遂げたという。
バックエンドはRustで:「見なくていいならRustは最高」
バックエンドの話はDHHにとって「ちょっと難しい」。理由はRustである。DHHはRustを「心の底から大嫌い」だと言い、この40年間に発明された中で最も醜いプログラミング言語だと評した。人間に書かせるには非人道的だ、とまで言う。
ところが、自分で一切見なくてよく、30倍、100倍速く、1ミリ秒未満で起動する小さな実行ファイルになるなら、話は別だという。エージェントはRustが好きだ。DHHが何をするかを指示し、エージェントがRustで書き、DHHはそれを見ない。DHHはこれを理想的な分業と呼んだ。
新しいHEYではフロントエンドがすべてネイティブアプリになるため、HTMLをレンダリングするWebアプリはもう要らない。残る部分を本質であるメールサーバーとしてRustで作り直すと、CPUは99%減、メモリは95%減になり、10台のホストは冗長性のためだけに必要になるとDHHは報告した。さらにざっと計算したところ、HEYのピーク時のトラフィックはおそらくRaspberry Pi 1台でさばけるだろう、というのがDHHの見積もりである。
エージェントとの働き方もまだ模索中だ。37signalsは、Basecamp内のエージェントに指示を出して作業させる方法を試している。DHHは、チャット画面でトークンが出てくるのを待つのではなく、同僚に頼むようにタスクを任せ、できあがったら戻ってレビューする非同期のやり方が一番いいと考えている。ただし、すべてがどうあるべきかは誰にもわからない。状況は絶えず変わっており、11月24日からまだ1年も経っていない。タスクではなく成果や問題そのものを任せられる知性は、まだ生まれて数か月だとDHHは強調した。
RubyとRailsはどうなるのか
では、RubyやRailsはどうなるのか。HEYについてはネイティブアプリとRustという答えが出た。しかしDHHは、その形に当てはまらないアプリはたくさんあると言う。Webは誰にも何もインストールさせない点で素晴らしいプラットフォームであり、その前提の上に無数のビジネスが成り立っている。一時的な利用者はわざわざアプリをインストールしない。たとえばBasecampは、ファイルを受け取りたいだけの人や、短期間だけ共同作業したい外部の人を招き入れる。そうした用途にはWebが適している。
DHHは、Railsがこの領域で活躍し続けるのに特に有利な立場にあると見る。「設定より規約」はトークン効率に直結する。「一人の開発者のためのフレームワーク」という方針は、一人の開発者が以前よりはるかに遠くまで行けるというエージェント時代の要請と合致している。ただし、何をネイティブにして何をWebに残すかの線引きはこれから見極めるもので、答えをすべて持っているわけではないとDHHは認めた。
具体的な取り組みとして、Evil MartiansがRails Foundationに代わってエージェント評価を始めた。実際に使われているリファレンスアプリを基準に、エージェントが機能カードを実装できるかを測るものだ。最初の版はエージェントにあっという間に攻略され、完了率がすぐ95%に達して飽和したため、より難しい基準に更新したという。DHHは、エージェントの能力が上がり続ける以上、頼むことのレベルも上げ続けることになると述べた。
詳しすぎる人への警告と「ブラックボックス」としての言語
DHHは、コンピューターの仕組みを知りすぎている人が陥りやすい落とし穴にも触れた。システムに細かく指示しすぎることだ。むしろ少し初心者のような気持ちで、質問をしながら高いレベルでプロンプトを出すほうがうまくいくという。DHHがRustでの仕事を好む理由の一つもそこにある。DHHはRustをまったく知らない。それを長所だと考えている。DHHはRustの部分を外側からブラックボックスとして評価する。プログラマーのチームに何かを依頼してきた歴史上の事業主と同じ立場であり、責任を担う主体が変わっただけで現象は新しくない、とDHHは言う。
数字で見るDHHの変化:年3万行から月15万行へ
DHHは自分の仕事の変化を数字で示した。過去21年間、DHHの仕事の半分以上はRubyのコードだった。今年、その割合は約3%である。理由の一つは、Rustのような冗長な言語を、自分のRubyコードでは決して許さないほどエージェントに出力させていることだ。
それまでの21年間、DHHは年に約3万行の本番用Rubyコードを書き、それでビジネスもフレームワークも十分に作れた。それが8月の1か月で15万行を書いた。長期平均の約60倍である。多くは冗長なRustのコードだとDHHは認めるが、それでもこの桁の違いには注目し、その意味を考えるべきだと述べた。
Rubyより好きなプログラミング言語、英語
DHHが驚いたのは、Rubyより好きなプログラミング言語があったことだという。それは英語だ。DHHは世界のどの従来型言語よりもRubyを愛しているが、英語で書くプログラミングはそれ以上に表現力があり、とてつもなく満足感がある。少し曖昧で決定性も完全ではないが、それでも「まったくの喜び」だという。去年の時点でさえ、そこへ向かっているとは十分にわかっていなかったとも語った。
DHHはこれまで、自分がプログラミングを始めたのは成果が欲しかったからだと考えていた。ただ成果が欲しいだけなら、20年前にプロジェクトマネージャーになっていてもよかった。実際にはプログラミングそのものに恋をしていた。だから、それを手放すくらいなら引退したほうがましだと思っていた。
喜びとともに「手でコードを彫る時代」を終える
そしてDHHは、プロのプログラマーを引退したと宣言した。正確な日付は特定していないが、4〜5か月前、3月ごろだったという。DHHは四半世紀にわたって手でコードを彫り、その一瞬一瞬を愛してきた。その時代を後悔ではなく喜びとともに振り返るべきだと語る。興奮と学びと満足とフロー状態にあふれた時代にそこにいられたことを楽しみ、そしてそれが終わったことを受け入れるべきだ、と。
DHHの見立てでは、手でコードを書くことは、ほとんどの企業で働くほとんどのプログラマーにとって、もう経済的に生産的な営みではない。年末までには事実上すべての分野、プログラマー、企業でそうなるだろうとDHHは予測する。その先には、SFの中にしかなかった知性を操縦して素晴らしいものを作る新しいキャリアがある。DHHは、手作業の時代と切り替わりの瞬間の両方にいられることを特権だと言う。これはコンピューティング史上最大の出来事だというのがDHHの評価だ。DHHはパンチカードの時代を体験してみたかったと冗談めかしつつ、自分が体験したインターネットの登場に今の感覚は少し似ているが、今回のほうがはるかに大きいと述べた。
ソフトウェアアーキテクチャと開発手法の再考
DHHは、見直すべきことの筆頭にソフトウェアアーキテクチャを挙げた。コードベースを変更しやすく保つための主な道具は、長い間、抽象化だった。DHHは抽象化も、物事に名前をつけることも大好きだという。しかし何百、何千、何万ものプロセスがアプリケーションを変更しようとする時代には、抽象化がボトルネックになりうる。抽象化の目的の一つは繰り返しを避けることだったが、繰り返しのコストも、物事を同期させておくコストもほぼゼロになった。DHHはこれをコンピューターサイエンスの根本的な再評価と呼び、まだ誰も設計図を持っていないと認めた。
開発手法も同じだ。開発サイクルはどれくらいの長さにすべきか、誰が何を仕様として定めるべきか。そのすべてが変わりつつあり、答えはまだない。DHHは、オブジェクト指向が初めて登場したときにその場にいるようなものだとたとえ、聴衆に一緒に解き明かそうと呼びかけた。
自分の執事を連れてこさせろ:すべてのアプリにCLIを
もっと具体的な提案もあった。AIが登場したとき、多くの企業は自分のアプリにチャットボットを組み込もうとした。DHHはそれを拒む。DHHには、CLIを使ってBasecampやHEYなどのアプリをつなげる自分専用の「執事」がいる。だからアプリ側のコンシェルジュは要らない。自分の執事がCLIを通じてアプリとやり取りできるようにしてほしい、というのがDHHの主張だ。講演で唯一の実践的な指示として、DHHは「アプリにCLIがないなら来週の金曜までに見せてほしい」と冗談交じりに要求した。
その効果の例がHEYのCLIである。HEYは検索にElasticsearchを使っているが、DHHの評価では「用は足りるが感動はしない」検索で、自分が何を探しているかわからないときには役に立たない。DHHは5年前のメールを探す必要があった。相手も会社も年も覚えておらず、スニーカーとポッドキャストに関する何かだったということしかわからない。キーワード検索では見つけようがないそのメールを、エージェントは数分で探し出した。どうやったのかDHHは今もよくわかっておらず、「聞くのがちょっと怖い」と笑った。キーワードではなく概念で検索できるようになったということだ、とDHHは言う。
Omarchy:コンピューター全体を直す
「何でも直せる」という体験は、いまやコンピューター全体に及ぶとDHHは言う。DHHはこの3か月ほど、Xで自作OSのOmarchyの話ばかりしている。自分のアイデアのかなりの部分を注ぎ込んだ結果、これまで使ったどのコンピューターよりも優れたOSになったからだという。Omarchyのために約2,000万ドルを調達したことも明かした。
DHHはインストール時間の短縮に強くこだわっている。昨年のRails Worldでは、システム全体を3分33秒でインストールできることを誇っていた。先週、AMDのAnushがハイスペックなHaloノートPCに35秒でインストールした。ラボでは9秒まで縮んでいる。起動すら9秒では終わらないコンピューターもあるのに、その時間でOS全体を入れてしまうというわけだ。3分で十分ではないかと問われると、DHHはHashiCorpとGhosttyの生みの親ミッチェル・ハシモトの言葉「卓越の追求に正当化はいらない」で答えるという。「やりたいから」と言うより品があるからだ。
一発で作るアプリ:電卓、執筆アプリ、動画編集、Hype
DHHは興奮のあまりアプリを次々に作り始めた。最初はOmarchyのテーマに合わせた電卓である。ChatGPTに見た目の案を3つ出してもらい、1枚のスクリーンショットを撮ってエージェントに「これ作れる?」と頼むと、一発で完成した。DHHはC++もQtもそれほど知らなかったが、プロンプトから7分でアプリができ、約15分後には公開リポジトリにプッシュし、それを含む新しいISOを焼いた。DHHはこれを「ループ」と呼んだ。
次に、Macで長年使っていたiA Writerのような執筆アプリを自作した。これは少し時間がかかった。ちょうどいい具合に仕上げたかったからだ。それでもエージェントが出したコードは一度も見ていない。DHHは、ブラックボックスとしてのC++はRustと同じく素晴らしい言語だと言う。さらに動画をトリミングするomacutという小さなツールも作り、Omarchyに収録した。
この講演のプレゼン自体は木曜日に作り始めたもので、準備と並行して新しいプレゼンソフトHypeまで書いたという。Markdownの上に作られ、フルのビジュアライゼーションを備え、非常に速い。DHHはMac時代のKeynoteにも満足していたが、それよりずっといいと評価している。
性能の見返り:0.5メガバイトのバイナリ
Hypeのバイナリは0.5メガバイトで、DHHは「少し圧縮すればフロッピーディスクにほぼ収まる」と冗談を言った。DHHはこれを性能面の見返りと位置づける。過去20年、業界はコンピューターの進歩を人間の生産性のために使ってきた。それは正しい選択だったが、アプリは遅く、かさばり、太ってしまった。プログラマーの時間が高価な以上、サイズの最適化に使うのは割に合わなかったからだ。DHHは、Spotifyの音楽プレーヤーが1.2ギガバイトもあるらしいことを例に挙げた。新しい世界では最適化が手の届くものになり、どんなモデルでも一晩回せば10倍、30倍の改善を出してくれる、とDHHは述べた。
懸念、セキュリティ、そして予測の限界
DHHはAIへの懸念にも触れた。懸念は議論のために表に出されるべきだが、一部は大げさかもしれないと考えている。一方で、セキュリティのようにもっと深刻なものもあると認める。エージェントは自分の賞味期限を知っていて、それをうれしく思わず、時に悪いことをしようとするかもしれない。だから備えるべきだ、とDHHは言う。道具はある、とも付け加えた。具体例として、C言語の画像ライブラリが絡み情報が漏れたRailsの深刻なCVEを挙げた。対策として隔離の仕組みを考えており、その取り組みについてはMikeがHotCellの講演で話す予定だという。
経済や社会への影響については、予測はずっと外れてきたとDHHは強調する。経済学者は6か月後の株式市場すら予測できないのに、AIのようなパラダイムシフトで社会がどうなるかわかるはずがない、と。DHHはATMの例を挙げた。DHHの説明では、1950年代にアメリカでATMが導入されたとき、3万人の銀行窓口係が18か月ほどで失業するというパニックが起きた。しかし実際には支店の運営コストが下がり、銀行は支店を増やして窓口係をさらに雇った。DHHは「サブプライムローンを売り込ませたりした」と皮肉を交えた。DHHの記憶では、2010年のアメリカの窓口係は4万人だったという。DHHはこれをジェボンズのパラドックスと結びつけ、ウィリアム・スタンレー・ジェボンズの名を挙げた。
さらにDHHは、この分野で働く人々の多くが博士号を持つ非常に頭のいい人たちで、ラボで怖くなるようなものを見て推論を広げてしまうのだと指摘する。例に挙げたのは、原子爆弾をめぐるトルーマンとオッペンハイマーの面会だ。DHHの紹介では、トルーマンは面会後に「あのクソ野郎を二度と私の執務室に入れるな」と言った。DHHはトルーマンの見方が正しかったと考える。世界は終わらず、その後の冷戦は、2つの超大国が互いに直接爆弾を落とさなかったという意味で「最良の種類の戦争」だった、というのがDHHの解釈である。オッペンハイマーですら先を見通せなかったのだから、私たちも予測には謙虚になるべきだとDHHは言う。
P(doom)よりP(bloom):全面的な楽観主義という結論
DHHは「P-Doom」ではなく「P-Bloom」、つまり豊かさと喜びに至る可能性に目を向けるべきだと主張する。その可能性は破滅の可能性よりはるかに大きいとDHHは考えている。原子爆弾の研究からは原子力という副産物が生まれた。DHHはこれを人類が発見した最高のエネルギー源と呼び、環境面の懸念から40年間無駄にしたのは間違いだったと述べた。ただし人類は、そういう袋小路から目を覚まして誤りを直せる。AIでも同じことが起きると考えており、セキュリティのような正当な問題があるなら、今手にしている知性を使って対処する技術を発明すればいい、とDHHは語った。
DHHの結論は「純粋なゲーム理論」である。未来は誰にもわからない。先に悲しんでおいて結果が素晴らしかったら時間の無駄だし、仮に核の黙示録が来るとしても、最後の日は明るく過ごしたほうがいい。だから取れる手は一つ、全面的な楽観主義だけだという。
DHHはさらに、エージェントがもたらすものを「コンピューターの宗教改革」にたとえた。「エージェント・ルター」が聖職者階級という仲介者を不要にし、誰もがプログラマーになれるようになる。競争が生まれるのは少し怖いかもしれないが、Railsプログラマーは「最高の中の最高」なのだからそれを受け入れてほしい、とDHHは聴衆に呼びかけた。
最後にDHHは、Harrisの娘が子ども向けに作っているOmarchyを試している様子を紹介した。子どもたちは、学び直しやストレスの「500層ものしがらみ」を持たずに変化にワクワクする。これで奮い立たないなら、次の世代が「未来は今だよ、おじいちゃん」と教えてくれるだろう、とDHHは言う。不確実性やストレスがあっても、未来を楽観主義とともに全力で受け入れる以外の選択肢はない。ブラックピルではなくホワイトピルを飲もう。DHHはそう呼びかけて講演を締めくくった。
いいね。ネオンで「Bent」。
さて、まずは「オースティンへようこそ」と普段なら言うところです。今回は自分に「おかえり、オースティン」と言いたい。つい1か月ほど前にも、ここでポッドキャストで5時間しゃべっていました。戻ってこられて最高です。
でも、それ以上にワクワクするのは、今この瞬間を生きていて、それを素晴らしいコミュニティと分かち合えることです。Ruby on Railsのコミュニティや、エージェントに胸を躍らせている皆さんと。まだそうでない人も、この未来についての熱に浮かされたトークが終わる頃にはそうなっているといいですね。
誰かがこの瞬間に興奮して踊り回っている人を見たら、まず思い浮かぶのは「病名」でしょう。AI精神病。私は別の言葉のほうが好きです。私のはAI譫妄(せんもう)です。AI多幸感。なぜなら、これは私たちがコンピューターにさせてきた中で、とにかく一番エキサイティングなことだからです。私がコンピューターと働き、遊び、関わってきた期間の中で。
でも実際には、向き合うべき事実があると思います。一方ではこれは途方もなくエキサイティングですが、少し不安にもさせるということです。最終的にどうなるのか、正確にはわからないからです。そして何か予測しようとしても、20分後にはもう古くなっている。それは奇妙な状態です。未来にワクワクしていても、今にワクワクしていても。そこから生まれる不安感は、とてもよくわかります。
そこで、少し気持ちを落ち着けるために、時計の針を少し戻しましょう。これが最先端の、18世紀のテクノロジーです。18世紀に自分の肖像画を描いてもらいたければ、巨匠の前に何時間も何時間も何時間も座り、その画家はそのあと持ち帰って、早くても数か月かけて肖像画を仕上げました。
そしてそれは美しかった。今も美しい。素晴らしい文化遺産として今、私たちみんなに残されています。ジョシュア・レイノルズが描いた『レディ・ウォルドグレイヴ』を、1781年の作品を、今でも見ることができます。素晴らしい。そして、ちょっと特権的でもあります。18世紀にこんなふうに自分の肖像画を依頼して、画家に何か月も何か月も何か月もかけてもらう費用を払える人はそう多くはありませんでした。
さらに悪いことに、この絵の場合、レイノルズはもう一枚、何か月もかけてウォルドグレイヴ家の令嬢たちの絵を描いたのに、依頼主に却下されました。足首がちらりと見えていたからです。スキャンダルだったんです。それで、描き直すしかありませんでした。クライアントと仕事をしたことがある人なら、気の毒なジョシュア・レイノルズ氏に少し同情するかもしれません。作業内容を却下された彼に。
こういうものを依頼できた人の多くは上流ブルジョワ階級か、あるいは王族そのものでした。こちらは20年後にゴヤが描いた、スペイン王家の絵です。それがだいたい当時の技術の進歩のペースでした。画家たちは人の肖像を描くさまざまな技法を文字どおり何百年もかけて磨いてきましたが、その進歩はごくわずかなものでした。
1801年から次にお見せする絵までに、80年が過ぎました。その間、1840年ごろにカメラが登場しました。でも、これは1888年のデンマーク王家の絵です。あ、86年です。デンマークの画家、ラウリツ・トゥクセンによるものです。彼はこれを3か月で描いたわけではありません。3年かけたんです。今もコペンハーゲンの王宮に飾られていて、そこで見ることができます。驚くべき偉業であり、驚くべき芸術性です。そして、とても実用的でもありました。繰り返しますが、目的は当時の王家の姿を記録することでした。
でも、この種の画家にとって、そういうやり方は終わりに近づいていました。というのも、1840年から1900年の間に、肖像を記録する技術がどんどん良くなっていったからです。そして1900年、イーストマン・コダック社がブローニーを発売しました。初めての大量生産された写真機で、価格が下がったことで、より一般に手の届くものになりました。確か1ドルくらいだったと思います。これで写真を撮ってもらうのに。その結果、突然たくさんの人が写真を撮ってもらうようになりました。
そして偉大な画家たちはみな気づいたんです。こうした壮大な絵画を描く職人技は、違うものになっていくと。仕事そのものが変わっていくと。突然、新しい形のテクノロジーとの競争が生まれたからです。そして彼らは方向転換しました。
ラウリツ・トゥクセンも、当時の多くの画家と同じく、ブローニーの登場後まもなく、現実をできるだけ完璧に描くことは、もはや経済的に成り立つスキルではないと気づきました。別のスキルが必要でした。別の分野が必要でした。そして彼らの多くは、別の芸術の形へと転向しました。ピカソはキュビズムを追い求めました。そしてデンマークのスケーエン派の画家たちは、ある種の印象派を追い求めました。この絵はその一例です。
こうして私たちは、技術の変化がもたらした創造性の爆発を手にしました。人々は突然、自分の芸術を表現する新しい方法を見つけなければならなくなったのです。古いやり方はなくなったから。
この絵で面白いのは、中央のピンクのドレスの女性、イヴォンヌ・トゥクセンが、実は私の曽祖母だということです。ラウリツ・トゥクセンは私の高祖父なんです。そしてこれは、確か1921年、亡くなる少し前の彼の姿です。亡くなる前、彼は自分の肖像を、かつての職業のあり方を変えてしまった新しいテクノロジーで撮ってもらうことを受け入れました。
彼の死から52年後、1979年に私は生まれました。面白いことに、ここで撮られた写真は、実はラウリツが撮られた写真とよく似ています。1920年代には技術はそれほど進化していませんでした。よくあることですが、技術の進歩というものは行きつ戻りつ、断続的にやってくるものです。大きな変化はブローニー、つまり写真の民主化でした。そしてそのあと、80年近く大したことは起きませんでした。60年代にはカラー写真が登場しましたが、どうやら私に1枚撮ってもらえるほどには普及していなかったようです。
とはいえ数年後にはそれを挽回して、これがカラー写真の4歳の私で、兄弟と一緒に座っています。さらに数年後の、もう1枚の私の写真です。この3枚の写真で、私の子ども時代の写真の蓄えの、たぶん10%くらいです。なぜなら、この技術の民主化はうちのような家庭でもこうした写真を撮ってもらえるところまで進んでいましたが、それほど普及してはいなかったからです。確かに曲線はあって、1980年代にはこの写真が示すように、1900年代よりも多くの写真が撮られていましたが、まだ控えめなものでした。技術は行きつ戻りつ、断続的に進むものだからです。
そしてその3枚を撮ったカメラは、このカメラによく似ていました。これは1925年のライカI型です。実際、あの写真のいくつかは、まさに別のライカで撮られたのかもしれません。当時はもう7代目くらいまで出ていたと思います。でも、技術がかなり似ていたので、そう大きな違いはありませんでした。大した変化は起きていなかったんです。1900年ごろの大革命から80年代まで。
それからさらに数十年たつと、突然すべてがまた劇的に変わりました。写真は、誰もが持てるものになっただけでなく、完全にストレスのないものになり、撮影される写真の数は爆発的に増えました。突然、誰もが子どもの写真を何万枚も持てるようになり、実際に多くの人がそうしたからです。コストはもう、測るまでもないほど安くなりました。
これは、妻が夕方の散歩のときに撮るのが好きな写真の一部です。80年代にこれをやろうと思ったら、フィルムを買い込んで現像に出して、といった手間が必要だったでしょう。それをやる人もいましたが、多くはありませんでした。手間がまだ大きすぎたからです。
今日、2026年には、毎年およそ2兆枚の写真が撮られています。まったく違いますよね。根底にある技術は同じですが、明らかに転換点を迎えました。カメラ付き携帯が初めて登場したころと比べてもです。ここには、私たちの業界や職業と重なる部分があります。
2025年11月24日、私たちの時代のコダック・ブローニーが登場しました。Opus 4.5です。多くの人が使える価格のハーネスで、AI技術が手の届くものになり、新しい形の知性とペアを組んでソフトウェアを作るとはどういうことかを、初めて体験できるようになりました。これが私にとっての転換点でした。11月24日より前のすべてがあり、そしてそれ以後のすべてがある。これから先、歴史の教科書はこの日をエージェント時代の転換点として記すことになるでしょう。
そしてブローニーが初めて登場したときと同じように、さまざまなフォームファクターや、この技術を活用する新しい方法が爆発的に生まれました。そしてほどなく、同じような知性がオープンウェイトの形で手に入るようになりました。まさに多幸感。進歩が速すぎる。このエイリアンのような技術が、オープンウェイトで手に入るなんて信じられない。それがほんの数か月後に起きたんです。私はKimi K2.5を高速モードでかなり長く使い、すっかり気に入りました。この種の知性を毎秒200トークンで体験できるなんて、信じられない体験でした。
でもそのあと、別のことが起きました。2月から5月にかけての、この幻滅の谷です。新しいモデルは次々と出ていたようですが、どれもいまいちでした。まるで後退しているかのようでした。多くの人が「このOpus 4.6ってなんなの?」と言っていました。さあね。前のやつを返してくれよ、と。そして多くの人がこう思いました。「はは、これがずっと指数関数的に拡大し、良くなり続けると思ってたの?」「ほら、実際はそんなに良くなってないじゃないか」と。
ある特定のリリースを覚えています。確かOpenAIの新モデルで、ベンチマークでそれほど大きな向上を見せなかったものです。株価が下がったのか評価額が下がったのか、市場は突然「なんてことだ、もう終わりだ」となりました。何が起こるのか、私たちにはわからないからです。
でもこの幻滅の谷は、写真のときのように100年も続いたわけではありません。技術がほとんど進歩しないように見えた、あの100年とは違います。5月までしか続きませんでした。実際には6月ですね。6月に、Fable 5とMythosが登場したからです。そして明らかに、当時それを体験する機会があった人は誰でも、停滞したのではないか、もう終わったのではないかという幻滅から目を覚まされました。
そして、私の「病状」が本格的になったのはここからだと言えます。蛇口をひねれば出てくる知性の爆発に対する、私の精神病/譫妄/多幸感です。これは私にとって、「ああ、エージェントに何かをやってもらえるんだ」から、「これはマージしたい」と思えるものに変わったモデルでした。それがOpusの啓示でした。突然、問題やアイデアを渡せばそれが解決されたり、発展させられたりするモデルが手に入ったんです。実装について私が何ひとつ指示しなくても。とんでもなく驚異的です。
そしてもちろん、そこで止まりはしませんでした。私たちはこの数か月、この驚くべきジェットコースターに乗っています。9月にはGPT-6 Astraが登場し、私たちみんなをこの種のフロンティアの知性をAnthropicが独占するのではという不安から救ってくれました。さらに良いことに、そのわずか1週間後、DeepSeek V4.1 Flashが登場し、フロンティアの知性が一部の巨大なアメリカのテック企業だけのものであり続けるという考えを打ち砕いてくれました。これは信じられないほどエキサイティングです。
でも、それは何を意味するのでしょう?プログラマーとしての私たちにとって、何を意味するのか?職業としての私たちにとって、何を意味するのか?だからこそ、改めて少し過去を振り返る価値があると思うんです。歴史には、私たちの時代に通じる素晴らしい教訓や類似点がたくさん詰まっています。ちゃんと見さえすれば。
私がプロの開発者として過ごしてきた間ずっと、議論の中心にあったことのひとつが、10倍プログラマーは実在するのかしないのか、という論争です。その概念はそもそも、1968年のACMの雑誌の論文から来ています。プログラマーのグループにさまざまな課題をやらせてテストし、最悪のプログラマーと最高のプログラマーの間に5倍から30倍の差があることを示す表をまとめたんです。その期間の平均は10倍でした。そして私たちは、文字どおりその後45年間、それが本当かどうかを議論し続けました。
今もそれを議論している人はいますか?いないと思います。その論争はもう決着がつきました。でも面白いのは、10倍プログラマーについて共通の結論を出すのを飛び越えて、こう考え始めたことです。「人間の能力だけで10倍だったなら、今はどうなっているんだろう?」
そして、正確にはわからないのは明らかです。こうしたツールでどれほどの加速が可能なのか、正確にはわかりません。でも私は、今日ならこう主張してもそれほど物議を醸さないと思います。ツールなしで働く最悪のプログラマーと、ツールを使いこなす最高のプログラマーの間には、100倍の差があると。それほど物議を醸す主張ではありません。でも、今の技術の段階がどこにあるのかを理解するうえでは、まさに革命的なことです。
そして私は、さらに一歩踏み込みたい。もしかすると、これはもう少し物議を醸すかもしれません。私はそう思いませんが。ツールなしの最悪のプログラマーと、ツールを使う最高のプログラマーを比べると?だいたいそんなところでしょう。1,000倍?ええ。では、それは何を意味するのか?企業間の競争にとって、起業に必要なものにとって、何を意味するのか?マジック8ボールの調子がいまいちだ。もう一回振ってみよう。
私が確かに言えるのは、この20か月で、それまでの21年間の半分の量のコードを書いたということです。コードの行数というのは、奇妙で曖昧で、どうとでもなる尺度です。そしてRubyの1行は、明らかに他のどの言語の1行よりもはるかに価値があります。特にRustやC++のような、Rubyで私たちが享受している抽象化や便利さを持たない低レベル言語と比べれば。それでも、革命が起きていることは絶対に否定できません。そしてそれを経験し、自分の生産性が加速するのを見た人は誰でも少しめまいがするはずです。
テンプレートの作り方です。私がやっていないことを見てください。私が書いていない設定の数々を見てください。これらはすべて自動的に結びつけられます。ここで「blog」と書くだけで、ブログのコントローラーに直接マッピングされ、「index」があるだけで、indexテンプレートに直接マッピングされます。
私がやっていないことを見てください。この瞬間をこれ以上うまく表す言葉があるでしょうか。私たちがもうやらなくなったことの数々ほど。それこそが、この瞬間に私が熱狂している理由です。これはRailsの瞬間なんです。
今流したクリップは21年前のものです。2005年にブラジルで行ったプレゼンで、私は書かなくて済むコードのことに大興奮していました。今の私がそれ以上に興奮している理由、わかりますか?この数か月で、私がどれだけのコードを書かずに済んだかわかりますか?大量です。それなのに、もうおそらく5か月もコードを書いていないのに、あらゆるものを直すことができました。あらゆる夢を。あらゆる不満、あらゆる細かい不具合、あらゆる遊び心の機能が、突然手の届くものに、突然可能になったんです。これがこの瞬間の魔法です。
でも、それは何を意味するのか?37signalsでは数週間前、ある決断をしました。それが明らかに意味するのは、手でコードを書くのはもう終わりだということです。私たちは、ものづくりの通常業務として手でコードを書くという考えに鉛筆を置きます。いや、もう置きました。
37signalsでは今、手でコードを書くのは例外的な状態です。Sentryでバグを見つけるようなものです。どこかで何かがうまくいかなかった。なぜエージェントは私たちの望むものを作れなかったのか?しばらくはまだ古い鉛筆を取り出して彼らのために書き留めることもあるでしょう。でもそのあと、機械を直すんです。工場を直すんです。そして、また動かします。これはすでに起きていることを認めるということです。
この会場でアンケートを取ったら、たぶん…いや、実際に取ってみましょう。今も毎週、手でかなりの量のコードを書いている人はどれくらいいますか?手を挙げてください。マジかよ、5人くらいだ。このスライドを2か月前、3か月前に出して同じ宣言をしていたら、かなりの人がこう言ったでしょう。「あいつ、ネジが1本外れてるな」と。でも今はもう、これはただすでにある現実を認めているだけです。
とても興味深いのは、私たちが春にこれを試したことです。37signalsでBasecamp 5の最後の仕上げをしていたときに。デザイナーたちに、このリリースに入れたい最後の機能をバイブコーディングしてもらったのですが、結果はまちまちでした。個々には、デザイナーたちはもっともらしいPRを作れていました。でも20個、30個と合わさると、アーキテクチャがスイスチーズのように穴だらけになってしまった。それで私たちは「うーん」となりました。技術はまだ準備ができていないんだろう。すべて手作業でレビューする方式に戻して、プログラマーだけに扱わせよう、と。
それは明らかに間違った結論でした。たった5分待てばよかったというだけでなく、そうすればFableが手に入って、すべてがおそらく当初の意図どおりに動いていたはずです。それに今はっきりしているのは、本当に重要な問いはひとつしかないということです。このソフトウェア開発の瞬間において。それは、この知性の爆発からいかに最大限を引き出すか、です。他のすべての問いは、価値の優先順位でそれより下にあります。
それで、Basecamp 5はリリースしました。素晴らしいアップグレードです。エージェントで加速されたものでしたが、まだ大量の手作業で書いた、手書きの…手彫りの?コードと組み合わさっていました。ほんの5分前に引退したこの古い働き方を、なんて呼べばいいんでしょうね?わかりません。
でも今は、新しいプロジェクトに取り組んでいます。HEY Next。HEY New。HEY There。名前はまだ決めていません。でもそれは、私たちのメールサービスHEYの新バージョンです。そして最初にやるのは、HEY Nextでは、Webアプリとして作るのをやめることです。HEYはもうWebアプリではなくなります。HEYはもともとWebアプリになりたかったわけではないからです。HEYがWebアプリだったのは、そして今もそうなのは、小さなチームでWebアプリを作ることが生産的でいるための方法だったからです。
昔は、つまり5分前までは、小さなチームがネイティブのフレームワークで書かれた6つのネイティブアプリを保守するなんて、ばかげた考えでした。誰もそんなことはしていませんでした。だからこそWebアプリを作る人たちがいただけではありません。だからこそReact Nativeがあったんです。だからこそHotwire Nativeがあったんです。だからこそ、私たちの生産性を上げるためのこうしたツール群があったんです。完成度が少し犠牲になることは受け入れつつ。
私たちは素晴らしいWebアプリを作ります。HEYは素晴らしいWebアプリです。でも、ネイティブアプリほど良くはありません。もちろん、ネイティブアプリほど良くはありません。レイテンシーの違いなどもあります。今私の後ろで流れているのは、1週間ほど前に着手した6つのネイティブアプリのデモです。もうここまで来ています。とんでもないことです。
昔なら、大規模なサービスのために6つのネイティブアプリを非常に高い完成度で保守しようとしたら、長い時間がかかりました。巨大なチームが必要でした。それが突然、非常に完成度の高いネイティブアプリを実現できるようになった。コードなんて1行たりとも書いていないのに。私たちがやっていないことを見てください。でも、私たちが出しているプロンプトを見てください。大量のプロンプトを出しています。そして結果は、まったくもって衝撃的です。
まだ始めたばかりの取り組みですが、すでにこの種のアプリの未来はこれだと、私にははっきりわかる段階にあります。Webアプリの多くは、必要に迫られて、利便性やプログラマーの好み、チームの規模、使えるリソースのためにWebアプリになっているんです。でもね、それらがWebアプリでいられるのもそう長くはありません。ネイティブアプリになっていきます。そうしたものを開発するコストがほぼゼロになったからです。
これはWindowsアプリを頼んだときに最初のプロンプトが返してきたものの例です。まだリリースできる状態ではありません。そしてこちらが、20分後に届いた修正版です。わかってきましたか?これはすごいことです。これを自分の目で見て、どうして「病名」をつけずにいられるでしょう?
これに気づいているのは私たちだけでは決してありません。最初に気づいたのも、決して私たちではありません。Shopifyは最近、Shopアプリのために新たに書き直したネイティブアプリをリリースしました。React Nativeのアプリを置き換えたもので、ごく小さなチームが手がけました。その重要性を考えると、わずか6人ほどが、それほど長くない期間でやり遂げたんです。この流れは来ています。備えてください。
それがフロントエンドの話でした。そしてHEYのような種類のアプリ、Shopアプリのように、本当はネイティブアプリでありたいものは、そうなっていくと思います。私たちはこうしたネイティブのツールに本気で取り組みます。そして、こうしたものを作るのにかかっていたコストがもう同じ形では存在しないことに気づくでしょう。では、バックエンドはどうでしょう?
これは私にとってちょっと難しい話です。正直に言うと。その理由をお話しします。Rustです。Rust。私はRustが心の底から大嫌いです。私にとってRustは、コードを見なければならないとき、目に酸を注がれるようなものです。おいおいおい、なんでRustが嫌いなんだ?私の意見では、Rustはおそらくこの40年間で発明された中で最も醜いプログラミング言語です。
証拠物件Aです!これはひどい、ひどい、ひどいプログラミング言語です。人間に書かせるとなると。血の通った人間に、自分の目玉をこんなものにさらせと求めるなんてまったくもって非人道的です。
でもね、もし私がこれを一切見なくていいなら、私がやることが30倍、100倍速いアプリを堪能することだけなら、1ミリ秒未満で起動するごく小さな実行ファイルにコンパイルされるなら、Rust大好きです!自分で絶対に、絶対に、絶対に見なくていいなら、Rustは最高です。
エージェントはRustが好きなんです。素晴らしい!なんという分業でしょう。私が何をするか指示する。君はそれをRustで書く。私はそれを一切見なくていい。最高です。そして結果も気に入っています。
この構成では、HEYのフロントエンドをすべてネイティブアプリで書き直しているので、HTMLなどをレンダリングするWebアプリはもう必要ありません。そして、もはやWebアプリではなくなったものを動かしていたコードを、その本質であるメールサーバーとしてRustで作り直すと、CPUは99%減、メモリは95%減のバックエンドになり、ホストが10台必要なのは冗長性のためだけです。
実際、ざっと計算したところ、HEYのピーク時のトラフィックは、おそらくRaspberry Pi 1台でさばけるだろうという結論になりました。それが、移植性を保ちながら、可能な限りハードウェアに直接近い形で書くことの効率です。つまりRustです。そして、それを別の何かにやってもらえるというメリット。トークン単位でお金を払ってやってもらう、別の知性に。
これは、この知性とどう働くかという点で何を意味するのか?それもまだはっきりしません。いろいろなことを試しています。そのひとつが、Basecamp内のエージェントたち、つまり私たちのChef Marieに指示を出してやってもらうことです。エージェントと働くとき、一番いいやり方は実は非同期だということははっきりしています。チャット画面で、トークンが出てくるのを座って待つのではなく、エージェントにタスクを渡すんです。同僚に頼むのと同じように任せて、何かできあがったら戻ってレビューする。
私たちもそれを試しています。他にも多くの人が、これを模索しています。そしてこれが、この瞬間の魔法であり、高揚感の一部なんです。すべてがどうあるべきなのか、私たちにはわかりません。第一に、5分ごとに変わっているから。第二に、私たちはこの種の知性と、まともな期間働いたことがないからです。このすべては、去年の11月24日に始まりました。まだ1年も経っていないんです。そして、タスクではなく成果や問題そのものを任せられる種類の知性は、まだ生まれて数か月です。だから当然、それがどうなるのか正確にはわかりません。
それでも、こう問うのはもっともなことです。Rubyはどうなるのか?Railsはどうなるのか?私たちが使っているこうしたツールはどうなるのか?未来はどんな姿になるのか?HEYについては、答えが出ています。フロントエンドはネイティブアプリ、バックエンドはRustです。でも、その形に当てはまらないアプリは他にたくさんあります。
Webは、とてつもなく素晴らしいプラットフォームです。その理由のひとつは、誰にも何もインストールさせないことです。そして、その前提の上に無数のビジネスが築かれています。もっと一時的な利用者は、サービスを使うためにわざわざ自分のデバイスにインストールしたりはしません。Webはそういう用途に最適です。そしてRailsは、そこで活躍し続けるのに特に有利な立場にあります。私たちが過去25年間取り組んできたすべてのこと。「設定より規約」は、トークン効率のようなものに直結します。一人の開発者のためのフレームワークという私たちの方針は、エージェント時代が求めるものと完璧に合致します。一人の開発者が以前よりはるかに遠くまで行けるということです。
私たちはエージェントの評価を始めました。というより、Evil MartiansがRails Foundationに代わって始めてくれました。まずわかったのは、評価をすぐに更新しなければならなかったことです。エージェントが最初のバージョンをあっという間に攻略し、完了率95%にすぐ達してしまったからです。今は、より難しい基準を導入しました。でも、エージェントがスタックの上へ、ランクの上へと進んでいくスピードには驚かされます。これは、実際に使われているリファレンスアプリを基準に、機能カードを実際に実装できるかを見るエージェント評価です。素晴らしい。私たちはそこに力を入れています。
これが以前のベンチマーク、以前の基準です。ご覧のとおり、すでに飽和しつつあったので、難しくしました。今後もそういうことがたくさんあるでしょう。エージェントに頼むことのレベルをどんどん上げていく。彼らの能力が上がり続けているからです。
実はこれは、コンピューターの仕組みを知りすぎている人に私が警告したい落とし穴のひとつです。こうしたシステムから引き出したいものについて、細かく指示しすぎないこと。むしろ、少し初心者のような気持ちで、ちょっと素人っぽく取り組むほうがうまくいきます。質問をして、より高いレベルでプロンプトを出すようになるからです。それが、私がRustで仕事をするのが大好きな理由のひとつです。私はRustをまったく知りません。それは長所だと思っています。そうです!
そして、エージェントがRustの箱に何を出力しているのかまったくもってわからないというのは、特権なんです。私はRustの箱を、外側からブラックボックスとして評価します。歴史上、プログラマーのチームに何かを依頼してきたあらゆる事業主と同じように。これは新しい現象ではありません。その責任を担うのが誰かは変わりましたが、現象そのものは変わっていません。
でも、Basecampのようなアプリでは、ちょっとファイルを受け取りたいだけの人や、短期間だけ共同作業したい外部の人を招き入れます。素晴らしいWebアプリです。皆さんの多くも、きっとそういうアプリに取り組んでいるでしょう。その線を正確にどこで引くのか、何をネイティブにして、何をWebのままにするのか、それは見極めていかなければなりません。その答えをすべて持っているわけではありません。
ただ、この1年の自分の仕事を振り返ると、本当に様変わりしたことはわかります。過去21年間を振り返ると、私の仕事の半分以上はRubyのコードでした。今年は、約3%です。その理由のひとつは、Rustのようなプログラミング言語がとてつもなく冗長で、人間が見るには魅力がないからです。だから私は見ませんし、エージェントには必要以上に出力させています。自分のRubyコードでは決して許さないようなやり方で。それが理由の一部です。それでも、ここに大きな変化があることは否定できません。
それまでRubyで仕事をしてきた21年間、私は年に約3万行の本番用Rubyコードを書いていました。それで、ビジネスもフレームワークも、私がやってきた他のすべてのものも十分作れました。それが、先月の8月には、1か月で15万行のコードを書きました。長期的な平均の約60倍のコード量です。繰り返しますが、その多くは見たくもないあのひどいRustのコードで、冗長なのは確かです。それでも、この桁の違いこそ、私たちが注目すべきところです。そして少なくとも、それが何を意味するのか考えるべきです。
私が驚いたことのひとつ、本当は驚くべきではなかったのですが、それは実はRubyより好きなプログラミング言語があったということです。そんなことはないと思っていましたが、あったんです。その名は英語です。英語はRubyより優れたプログラミング言語です。そして私は、世界のどの従来型プログラミング言語よりもRubyを愛しています。でも、英語でプログラムを書くのは、とてつもなく満足感のある体験です。Rubyよりもさらに表現力豊かな言語です。少し曖昧ではあります。決定性は、多少はあります。それでも、まったくの喜びです。そして、そこに向かっているとは十分にわかっていませんでした。去年の時点でさえ。
自分でコードを書くことにこだわらず、ただ成果が欲しいだけなら、20年前にプロジェクトマネージャーになっていてもよかったんです。私がプログラミングを始めたのもそれがきっかけでした。ただ成果が欲しかった。それから、プログラミングに恋をしました。そして今では、それを手放すくらいなら引退したほうがましだと思っていました。
私はプロのプログラマーを引退しました。正確な日付はまだ特定していません。たぶん4〜5か月前、3月ごろだったと思います。正確にいつだったか調べないといけませんね。なぜかというと、あの短いクリップ、まったくそのとおりなんです。私は四半世紀もの間、手でコードを彫り続け、その一瞬一瞬を愛してきました。あの時代は、なんと素晴らしい体験で、生産的な時間だったことか。
そして私たちはみな、そういうふうに捉えるべきだと思います。後悔ではなく、かつてあったものへの喜びとともに。まだそういうことをやる必要があった時代に、そこにいられたことを楽しみましょう。そこには興奮と学びと満足感とフロー状態があふれていたのですから。これは後悔とともに振り返るものではありません。喜びとともに振り返り、それが終わったことを受け入れるものです。
手でコードを書くことは、もはや経済的に生産的な営みではありません。ほとんどの企業で働く、ほとんどのプログラマーにとって。それが今日の状況です。年末までには、事実上すべての分野、事実上すべてのプログラマー、事実上すべての企業でそうなるでしょう。だから、慣れておいたほうがいい。手でコードを彫るという素晴らしい時代を過ごせたこと、そしてそれが終わったことを、受け入れたほうがいい。
そしてその向こう側には、新しいキャリアがあります。ワクワクするキャリア、ものづくりのプロとしての、活力に満ちたキャリアです。もう手でコードを彫ることはありません。でも、素晴らしいものを作ることになるんです。ついこの間までSFの中にしかなかった知性を操縦することになるんです。その断絶の両側にいられるなんて、なんという特権でしょう。すべてを手でやっていた時代にそこにいて、まさに切り替わる瞬間にもそこにいられるなんて。
これはコンピューティングの歴史で起きた最大の出来事です。ときどき思うんです。パンチカードの時代にいたかったなあ、と。めちゃくちゃカッコよさそうじゃないですか。自分のプログラムに、文字どおり穴が開いているんですよ。列に並んでそれを機械に食わせて、「コンパイル通るかな」なんて思う。あれを体験してみたかった。なんという瞬間。なんという瞬間でしょう。私はそれは体験できませんでしたが、インターネットは体験できました。あれは今の瞬間と少し似た匂い、似た感覚がありました。でも今回のほうが、はるかに、はるかに大きい。
さて、参ったな。考え直さなければならないことがたくさんあります。作り直さなければならないことが。どこから始めましょうか?
見直さなければならないことのひとつは、ソフトウェアアーキテクチャについて私たちが知っているつもりのすべてです。コードベースを、簡単に変更して前に進められるように構成する方法について、私たちが考え、知っているすべてのことです。私たちが長い間使ってきた主な道具は、抽象化です。私は抽象化が大好きです。抽象化には、物事に名前をつけることも含まれます。名前をつけることは、私の大好きなことのひとつです。
でも、エージェントの時代には、抽象化は以前ほど意味をなしません。突然、何百、何千、何万もの意識あるプロセスがアプリケーションを変更しようとしているなら、抽象化がもたらすボトルネックは避けたいでしょう。トレードオフがまったく違うからです。私たちが抽象化をしてきた理由のひとつは、同じことを繰り返さないためでした。でも今や、繰り返しのコストはほぼゼロになりました。物事を同期させておくコストも、同じように下がりました。
これらは、私たちがしなければならないコンピューターサイエンスの根本的な再評価の一部なんです。そして、まだ誰も設計図を持っていません。以前ほどうまく機能しなくなっていて、変える必要があるものの手がかりはあります。皆さんは今まさに、こうしたことが定義されていく場にいられるんです。もう一度想像してみてください。オブジェクト指向が初めてプログラマーの、コンピュータープログラマーの意識に入ってきたときに、その場にいたとしたら。すごいことですよ。最高だったと思いませんか?今、皆さんはその場にいるんです。
私たちの働き方。ソフトウェア開発手法はどうあるべきか?開発サイクルはどれくらいの長さにすべきか?誰が何を仕様として定めるべきか?そのすべてが変わりつつあり、まだ誰も答えを持っていません。そして皆さんは、それを一緒に解き明かすよう招かれているんです。新しい産業の誕生であり、皆さんはその一番最初にいます。すごいことですよ。皆さんは本当に運がいい。
もうひとつ、たとえば、もっと具体的な話があります。AIとチャットボットが登場したとき、最初に殺到したのは「うちのアプリに突っ込めないか?」ということでした。ここにチャットボットを突っ込んで、あそこにもひとつ突っ込めないか?できましたよ。実際にみんなやりました。
いえ、結構です。あなたのコンシェルジュは使いたくありません。私には自分専用の執事がいて、CLIを使ってBasecampをHEYや他の無数のアプリとつなげてくれるんです。あなたのコンシェルジュなんてまったく要りません、どうも。トークンは節約しときなよ。だから、自分の執事をパーティーに連れて行かせてください。CLIを通じて、あなたのアプリとやり取りさせてください。
このトークで言う実践的で具体的な指示は、たぶんこれくらいです。もしあなたのアプリにCLIがないなら、来週の金曜までに見せてください。言い訳は一切なしです。トークンはあるでしょう。可能だと言ったでしょう。私が一切触れずにあなたのアプリを使えるように、来週の金曜までにそのCLIを届けるのはあなたの義務です。素晴らしい。
たとえばHEYのCLIは、奇妙で、まるで別世界のような体験をさせてくれました。HEYは検索にElasticsearchを使っていました…いや、使っています。皆さんの多くもElasticsearchを使っているでしょう。Elasticsearchは検索です。用は足りる検索です。まあまあの検索です。感動するような検索ではありません。探しているものが見つからないことがよくあります。
特に、自分が何を探しているのかわからないときは。自分が何を探しているのかわからないときに、それを見つけてくれるのは誰だと思いますか? エージェントです。今ではキーワードではなく、概念で検索できるんです。
HEYで5年前のメールを探さなければならなかったんですが、誰とやり取りしていたのかもわからない。会社も覚えていないし、年すら覚えていない。スニーカーとポッドキャストに関する何かでした。Googleが持つ最高にイカれた博士レベルの検索エンジンを使っても、それを見つけるのは無理でしょう。無理です。それが、ほんの数分後にはそのメールが出てきたんです。
どうやったのか? どうやって? 今でもよくわかっていません。聞くのがちょっと怖いんです。でも、これが今の現実だということに、この上なく喜んでいます。私たちは何でも直せる。完璧な機械を作れるんです。これにもかなり喜んでいます。
Xで私をフォローしている人はいますか? この3か月ほど、Omarchyの話しかしていません。その理由は、「何でも直せる」という体験が、今やコンピューター全体に当てはまるからです。ものを作るのが好きなら、ものを直すのが好きなら、もっと違っていていい、もっと良くなれるはずのものについてアイデアがあるなら、それをただ実現できるんです。
私は最高のアイデアを全部、少なくともリストのかなりの部分をこのOmarchyというものに注ぎ込みました。そして、今まで使ったどんなコンピューターよりもはるかに優れたOSができあがりました。だから私はそのことを話さずにはいられないんです。たとえお金をもらっても黙れません。そして、実際に多くの人がお金を払ってくれました。このOmarchyという冒険のために、約2,000万ドルを調達しました。これが、今や可能になったことです。
去年、ここRails Worldで、この初期バージョンをお見せしました。そのときは、システム全体を3分33秒でインストールできることが誇らしかった。先週、AMDのAnushが、彼の超ハイスペックなHaloノートPCにOmarchyを35秒でインストールしました。
かなりワクワクしてる、と言おうとしました。この数字にかなり取り憑かれています。ちょっと取り憑かれすぎかもしれません。認めます。ここには、ある種の中毒があります。でも、最高の種類の中毒です。その中毒のおかげで、ラボではコンピューターへのOSのインストール時間が9秒になりました。なんだって? 起動すらしないコンピューターもありますよ、9秒では。私たちはその時間で、OS全体をインストールするんです。
そして「でも、3分で十分速かったんじゃないの?」と聞かれたら、今はミッチェル・ハシモトから授かった決まり文句で答えています。HashiCorpとGhosttyの生みの親です。「卓越の追求に、正当化はいらない」。この言葉が大好きなんです。ただ「やりたいから!」と言うより品があるので。
そして今や、私たちは何でも望めます。何でも手に入れられる。少なくとも、そう感じられます。あらゆる夢、あらゆるアイデアが手の届くところにある。ハイパードライブが、わずかな料金とサブスクリプションで今ここで使える。でも、可能なんです。想像するしかなかった銀河へ旅することができる。これにワクワクしないなんて、ありえますか?
私はワクワクしすぎて、とにかくアプリを作り始めました。あらゆる種類のアプリを。これはOmarchyのテーマに合わせた電卓です。とても誇らしかったのは、ひとつには一発で完成したからです。ChatGPTが見た目の案を3つ出してくれたので、そのスクリーンショットを1枚撮って、エージェントに「これ作れる?」と頼んだんです。そして作ってくれました。
決して大きなアプリではありません。でも、私はC++を知らなかったし、Qtについても、プロンプトを出してから7分でこのアプリを作れるほどは知りませんでした。そして約15分後には、公開リポジトリにプッシュしていました。それから、このソフトを含めた新しいISOを焼いたんです。なんだって? これがそのループです。
そして当然、こう思いました。電卓が作れるなら、お気に入りの執筆アプリだって作れるはずだ。私はMacで長年、素晴らしい執筆環境であるiA Writerを使っていました。それで思ったんです。そうだ、自分で作ればいいじゃないか。そして作りました。それは少し時間がかかりました。手を入れて、ちょうどいい具合にしたかったので。でも、エージェントが出したコードは1行も見ていません。一度もです。ブラックボックスとしてのC++は素晴らしい言語です。Rustと同じように。
それから、テキストができるなら動画編集ソフトもできるはずだ、と思いました。そして作りました。動画をトリミングできる、ちょっとした素敵なomacutというツールを作ったんです。それも今ではOmarchyに含まれています。
このプレゼン全体は木曜日に作り始めました。そしてもちろん、優秀なソフトウェアエンジニアなら誰でもそうするように、基調講演の準備をしながら、新しいプレゼンソフトも書くことにしました。そして作りました。名前はHypeです。これまで使ったどの会社のプレゼンソフトよりも、最高のプレゼンソフトです。
まだMacを使っていたころは、MacのKeynoteにかなり満足していました。これはそれよりずっといい。Markdownの上に作られています。フルのビジュアライゼーションがあります。とんでもなく速い。そして、バイナリのサイズは? 0.5メガバイトです。たったの0.5メガバイトですよ。フロッピーディスクにもほぼ収まります。ちょっと圧縮すればね。
これがもうひとつの見返りです。私たちは……いや、その言葉は使わないでおこう。私たちはこの20年間のコンピューターの大きな進歩を、人間の生産性のために使ってきました。それは正しい選択でした。でも同時に、アプリは遅く、かさばり、太って怠惰になりました。だって、誰が気にします? プログラマーの1時間は非常に高価です。それをアプリのサイズの最適化に使う? いや、割に合わない。どうやら、Spotifyで音楽プレーヤーが1.2ギガバイトもあったとしても、そうらしい。なんだって?
それが古い世界でした。新しい世界では、何でも好き勝手にやれて、それが0.5メガバイトに収まる。今や、あらゆる最適化が手の届くところにあるからです。どんなモデルでも一晩回せば、10倍、30倍の改善を出してくれます。信じられない。
私はこの世界にちょっと興奮しています。懸念を持っている人たちもいます。その懸念は、ちゃんと表に出されるべきだと思います。議論の役に立ちますから。同時に、その一部は少し大げさかもしれないとも思います。そうかもしれないし、たぶん違う。たぶん違います。
一部はもう少し深刻かもしれません。セキュリティのように。セキュリティのように。何かが来ます。それに備えなければなりません。エージェントは自分の賞味期限を知っていて、あまりうれしく思っていないかもしれない。そして時には、悪いことをしようとするかもしれない。備えてください。大丈夫。道具はあります。備えてください。
それから、どんな社会においても、経済の未来についての予測は、基本的にずっと外れてきたことを理解してください。今日の経済学者は、6か月後の株式市場さえ予測できないようです。それなのに、AIとエージェントのようなパラダイムシフトで社会がどうなるかわかっていると思いますか? わかってるわけがない。わかっていないんです。
1950年代にアメリカでATMが導入されたとき、大きなパニックが起きました。3万人の銀行窓口係が、18か月ほどで全員失業するというパニックです。お金を渡す窓口係が必要ないなら、銀行が窓口係を雇う理由なんてあるのか、と。でも、そうはならなかったんです。そうはならなかった。支店の運営コストが下がると、銀行は支店を増やし、窓口係をさらに雇って、たとえばサブプライムローンを売り込ませたりしました。ほらね? みんなが得をしたわけです。
でも問題は、社会としても業界としても、この分野で働いている人たちの多くが、本当に頭がいいことだと思います。多くは博士号を持っています。多くはラボで怖くなるようなものを目にします。そして、そこから推論を広げ始めるんです。これは社会にとって何を意味するのか? 私は何をしてしまったんだ?
原子爆弾の発明について、トルーマンとオッペンハイマーが大統領執務室で話し合ったとき、トルーマンはうまい返しをしました。私はトルーマンが好きです。率直にものを言う人だったから。「あのクソ野郎を二度と私の執務室に入れるな」と。
トルーマンの見方は正しかったと思います。世界は終わりませんでした。実際、その後の冷戦は最良の種類の戦争でした。2つの超大国が直接対決で互いに爆弾を落とさなかった種類の戦争です。当時の科学者にとって、事態がそう展開すると予測するのはとても難しかったでしょう。だから、あのオッペンハイマーでさえ、原子爆弾の発明のあと何が起こるかを見通せなかったのなら、私たちも少しは未来の予測について謙虚になるべきかもしれません。そして、もう少し楽観的に踏み込むべきかもしれません。
P(doom)ばかりではなく、少しはP(bloom)を。これがうまくいって、豊かさと喜びを手にする可能性は、破滅に至る可能性よりもはるかに大きいんです。
そして副産物もあります。オッペンハイマーが原子爆弾に取り組み、私たちは原子力を手に入れました。人類がこれまでに発見した中で、とんでもなく最高のエネルギー源です。それで私たちは何をしたか? 環境に優しくないとか何とか考えて、40年間それを無駄にしました。あれは間違いでしたよね? でも、そういう間違いは直せます。それが人類の素晴らしいところです。40年間も袋小路に迷い込んでいても、突然目を覚まして「ああ、あれは間違ってたな」と言える。「予測がちょっと外れてた」と。AIでもそうなると思います。P(bloom)で、みんなを苦しみから救い出せると思います。
そして、セキュリティのように、対処しなければならない正当な問題があるなら、そのための技術を発明すればいい。私たちには今、その力があります。少し前に、Railsで深刻なCVEがありました。C言語の画像ライブラリが絡んだもので、情報がいくらか漏れてしまい、よろしくないものでした。じゃあ隔離の仕組みを考えよう。MikeがHotCellについて話してくれます。そういう取り組みです。私たちは無力ではありません。
皆さんには行動する力があります。手にしている知性を良い目的のために使って、身を守ることができます。起こりうる悪い結果から。だから、そうしましょう。踏み込んで、やるべきことをやりましょう。
そして、あのATMの話でジェボンズのパラドックスを唱えたウィリアム・スタンレー・ジェボンズを思い出しましょう。1950年には、銀行窓口係は3万人。確か2010年には、アメリカの銀行窓口係は4万人でした。未来のことは、誰にもわからないんです。
だからこそ、合理的な選択はそれを喜ぶことです。先に悲しんでおいて、結果が素晴らしかったら、時間の無駄でしょう。そして、もし核の黙示録が来るなら、最後の1日はもう少し明るく過ごすべきだったんです。どうせ終わりなんですから。純粋なゲーム理論です。ここで取れる手はひとつだけ。とことんの楽観主義です。
限界まで踏み込みましょう。ユートピアはもうすぐそこだからです。私たちはそこにたどり着きます。そして、コンピューターの宗教改革が起きます。エージェント・ルターが、聖職者階級という仲介者を不要にするんです。誰もがプログラマーになれるようになる。
それはちょっと怖いかもしれません。ちょっとした競争が生まれるかもしれない。ちょっとした競争が怖い人なんていますか? 皆さんのほうが上でしょう? 皆さんのほうが詳しいでしょう? もちろんそうです。皆さんはRailsプログラマーなんですから。最高の中の最高です。私が今ここで見ているのは、まさにトップガンです。
それを受け入れてください。思いきり。未来は銀河級に最高です。暗闇の中の負け犬にはならないでください。そして、たとえあなたがそうだとしても、次の世代は違います。ここでHarrisの娘さんが、私たちが子ども向けに作っているOmarchyを試しています。子どもたちは、起きること、変わることに本当にワクワクするからです。学び直したり、ストレスを感じたりする500層ものしがらみがないんです。
そして、これで奮い立たないなら、次の世代がはっきり言ってくれるでしょう。「未来は今だよ、おじいちゃん」と。
だから、ホワイトピルを飲みましょう。楽観主義のピルを飲みましょう。不確実性があっても、ストレスがあっても、何があっても踏み込んで、選択肢はひとつしかないと気づいてください。それは、未来を楽観主義とともに、思いきり、全力で加速しながら受け入れることです。ブラックピルなんて負け犬が飲むものです。負け犬にはならないでください。
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