DHHが語る「手書きコードの終わり」とエージェント時代のRails:Rails World 2026基調講演

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概要

Rails World 2026の開幕基調講演で、DHHはAIエージェントの登場を「コンピューターにさせてきた中で最もエキサイティングなこと」と位置づけた。講演の問いは、エージェントがソフトウェア開発をどう変えつつあるのか、そしてプログラマーやRuby、Railsにとってそれが何を意味するのかである。DHHの立場ははっきりしている。37signalsは手でコードを書くことを通常業務としてはやめた。DHH自身もプロのプログラマーを「引退」した。そのうえで取るべき態度は、全面的な楽観主義だという。

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DHHは冒頭で、自分の状態を周囲が「AI精神病」と呼ぶかもしれないと認めたうえで、「AI譫妄」「AI多幸感」と言い直した。同時に、この変化には不安もあると述べる。最終的にどうなるのか誰にもわからず、予測しても20分後には古くなっているからだ。その不安を落ち着かせるために、DHHは時計の針を18世紀まで戻した。

2:19

肖像画家とカメラ:技術の変化が職業をどう変えたか

18世紀に肖像画を残したければ、巨匠の前に何時間も座り、画家が数か月かけて仕上げるのを待つ必要があった。DHHはジョシュア・レイノルズが1781年に描いた『レディ・ウォルドグレイヴ』を例に挙げる。レイノルズはウォルドグレイヴ家の令嬢たちの絵にも何か月もかけたが、足首が少し見えていたことが「スキャンダル」とされて依頼主に却下され、描き直すことになった。クライアント仕事をしたことがある人なら同情するだろう、とDHHは笑いを誘った。こうした肖像画を依頼できたのは上流階級や王族に限られていた。20年後にゴヤが描いたスペイン王家の絵が示すように、画家の技法は何百年もかけて磨かれてきたが、その進歩はごくわずかだったとDHHは言う。

1840年ごろにカメラが登場した後も、デンマークの画家ラウリツ・トゥクセンは1886年に王家の肖像を3年かけて描いた。この作品は今もコペンハーゲンの王宮に飾られている。しかし1900年、イーストマン・コダックが大量生産の写真機ブローニーを発売する。DHHの記憶では価格は1ドルほどで、多くの人が写真を撮ってもらえるようになった。画家たちは、現実をできるだけ正確に描く技術がもはや経済的に成り立たないと気づき、別の表現へ移った。ピカソはキュビズムへ向かい、トゥクセンを含むデンマークのスケーエン派はある種の印象派へ向かった。DHHはこれを、技術の変化が引き起こした「創造性の爆発」と表現した。

ここでDHHは、スケーエン派の絵の中央でピンクのドレスを着ている女性イヴォンヌ・トゥクセンが自分の曽祖母であり、ラウリツ・トゥクセンが高祖父だと明かした。トゥクセンは1921年ごろ、亡くなる少し前に、自分の職業を変えた新しい技術で写真を撮られている。

DHHはさらに、技術の進歩は「行きつ戻りつ、断続的に」来るものだと強調する。DHHが生まれた1979年ごろの写真は、1920年代に撮られたトゥクセンの写真とよく似ていた。1925年のライカI型と大差ないカメラで撮られていたからだ。DHHの子ども時代の写真は少なく、スライドに出した3枚が手元の蓄えの10%ほどだという。ところがその後の数十年で状況は激変した。写真はストレスなく撮れるものになり、DHHの妻は夕方の散歩のたびに気軽に写真を撮っている。DHHによれば、2026年には年間およそ2兆枚の写真が撮られている。根底の技術は同じでも、明らかに転換点を越えたということだ。

11:32

2025年11月24日:私たちの時代のブローニー

DHHはこの歴史をソフトウェア業界に重ねる。DHHにとっての「私たちの時代のコダック・ブローニー」は、2025年11月24日に登場したOpus 4.5である。多くの人が使える価格のハーネスによって、新しい形の知性とペアを組んでソフトウェアを作る体験が初めて手の届くものになった、とDHHは言う。「11月24日より前のすべてがあり、それ以後のすべてがある」と述べ、歴史の教科書はこの日をエージェント時代の転換点として記すだろうと予測した。

ブローニーの後と同じように、さまざまな形でこの技術を使う方法が一気に広がった。ほどなく同等の知性がオープンウェイトでも手に入るようになる。DHHはKimi K2.5を高速モードで長く使い、この種の知性を毎秒200トークンで体験できたことを「信じられない体験」と振り返った。

幻滅の谷と、その後の飛躍

しかし2月から5月にかけては「幻滅の谷」があった、とDHHは語る。新しいモデルは次々に出たが、どれもいまいちで、後退しているようにさえ感じられた。多くの人が「このOpus 4.6ってなんなの?前のやつを返してくれ」と言い、「指数関数的に良くなり続けると思っていたのか」という冷笑も広がった。DHHは、ベンチマークでさほど向上しなかったOpenAIの新モデルのリリースを覚えているという。そのとき市場は「もう終わりだ」という反応を見せた。

ただし、写真の停滞が数十年続いたのとは違い、この谷は6月までしか続かなかった。6月にFable 5とMythosが登場したからだ。DHHの「病状」が本格化したのはここからだという。DHHにとってこのモデルは、「エージェントに何かをやらせられる」段階から「これはマージしたい」と思える段階への転換点だった。実装について何も指示しなくても、問題やアイデアを渡せば解決され、発展させられる。DHHはこれを「とんでもなく驚異的」と評した。

その後も進展は続いた。9月にはGPT-6 Astraが登場し、フロンティアの知性をAnthropicが独占するのではという不安を和らげた。そのわずか1週間後にはDeepSeek V4.1 Flashが登場し、フロンティアの知性が一部の巨大なアメリカのテック企業だけのものであり続けるという見方を覆した、とDHHは語る。

16:08

10倍プログラマーから1,000倍プログラマーへ

では、これはプログラマーという職業にとって何を意味するのか。DHHは「10倍プログラマー」論争を振り返る。この概念の出どころは1968年のACMの雑誌に載った論文である。プログラマーのグループにさまざまな課題を解かせたところ、最悪と最高の間に5倍から30倍、平均で10倍の差があった。業界はその後45年間、これが本当かどうかを議論し続けた。

DHHは、この論争はもう決着したと見ている。問いは変わり、「人間の能力だけで10倍だったなら、今はどうなのか」になった。正確な加速の度合いは誰にもわからない、とDHHは前置きする。そのうえで、ツールを使わない最悪のプログラマーとツールを使いこなす最高のプログラマーの差は100倍だと主張しても、今日ならそれほど物議を醸さないだろうと述べた。さらに一歩進めて、1,000倍という数字も挙げている。

DHHが自分について確かに言えることとして挙げたのは、この20か月で、それまでの21年間の半分の量のコードを書いたという事実だ。コードの行数は曖昧でどうとでもなる尺度であり、Rubyの1行はRustやC++のような低レベル言語の1行よりはるかに価値がある、とDHHは認める。それでも、自分の生産性の加速を経験した人なら誰でも少しめまいがするはずだという。

19:10

「私がやっていないことを見てください」:これはRailsの瞬間だ

ここでDHHは、2005年にブラジルで行ったプレゼンのクリップを流した。21年前のDHHが、ルーティングやテンプレートが自動的に結びつく様子を見せながら「私がやっていないことを見てください。私が書いていない設定の数々を見てください」と興奮している映像である。

DHHは、今の瞬間をこれ以上うまく表す言葉はないと言う。これは「Railsの瞬間」なのだ。当時は書かずに済むコードに興奮していたが、今はそれ以上に興奮している。DHHはもう5か月ほどコードを書いていない。それでも、あらゆる不満や細かい不具合、遊び心のある機能が突然実現可能になり、「あらゆるものを直すことができた」という。

20:47

37signalsは「鉛筆を置いた」

37signalsは数週間前にある決断をした。ものづくりの通常業務として手でコードを書くことをやめる、つまり「鉛筆を置く」という決断だ。今の37signalsでは、手でコードを書くのは例外的な状態であり、Sentryでバグを見つけるようなものだとDHHは説明する。エージェントが望むものを作れなかったら、しばらくは古い鉛筆を取り出して書くこともある。だがその後は機械を直し、「工場を直し」、また動かす。

DHHは会場にアンケートを取り、今も毎週かなりの量のコードを手で書いている人に手を挙げてもらった。挙がったのは5人ほどだった。2〜3か月前に同じ宣言をしていたら「ネジが1本外れている」と言われただろうが、今はすでにある現実を認めているだけだ、とDHHは語った。

Basecamp 5のバイブコーディングで得た教訓

この移行には失敗も含まれていた。37signalsは春、Basecamp 5の最後の仕上げの段階で、デザイナーたちに最後の機能をバイブコーディングしてもらった。結果はまちまちだった。個々のPRはもっともらしかったが、20個、30個と合わさるとアーキテクチャが「スイスチーズのように穴だらけ」になった。そこで37signalsは、技術はまだ準備ができていないと判断し、すべてを手作業でレビューしてプログラマーだけに扱わせる方式に戻した。

DHHは今、これを「明らかに間違った結論だった」と振り返る。少し待ってFableが手に入っていれば、すべてがおそらく当初の意図どおりに動いていたはずだ、というのがDHHの見立てである。そして今のソフトウェア開発で本当に重要な問いは一つしかない、とDHHは言う。この知性の爆発からいかに最大限を引き出すか。ほかの問いはすべてその下にある。Basecamp 5はリリースされたが、エージェントで加速されつつも、まだ大量の手書きのコードと組み合わさったものだった。

24:22

HEYをネイティブアプリとして作り直す

現在37signalsが取り組んでいるのは、メールサービスHEYの新バージョンである。名前はまだ決まっておらず、DHHは「Hey Next」「Hey New」「Hey There」と候補を口にした。その最初の決断は、HEYをWebアプリとして作るのをやめることだった。

DHHの説明では、HEYがWebアプリになったのは、小さなチームが生産的でいるための方法がそれだったからにすぎない。ついこの間まで、小さなチームが各ネイティブフレームワークで6つのネイティブアプリを保守するのは非現実的だった。だからこそReact NativeやHotwire Nativeのような、完成度を多少犠牲にして生産性を上げるツールが存在した。HEYは優れたWebアプリだが、レイテンシーなどの面でネイティブアプリには及ばない。

DHHの背後では、1週間ほど前に着手した6つのネイティブアプリのデモが流れた。以前なら大規模なサービスで高い完成度のネイティブアプリを6つ保守するには巨大なチームが必要だった。だが今回、37signalsはコードを1行も書いていない。その代わりに大量のプロンプトを出しているという。取り組みはまだ始まったばかりだが、この種のアプリの未来はこれだとDHHは確信している。Windowsアプリについては、最初のプロンプトで返ってきたリリース前の状態と、20分後に届いた修正版を見比べてみせた。

DHHは、多くのWebアプリは必要に迫られてWebアプリになっているだけで、開発コストがほぼゼロになった今、ネイティブアプリへ移っていくと予測する。37signalsだけの動きではないとして、Shopifyの例も挙げた。ShopifyはShopアプリをReact Nativeからネイティブアプリに書き直してリリースした。その重要性に比べてごく小さな、6人ほどのチームで、それほど長くない期間にやり遂げたという。

28:42

バックエンドはRustで:「見なくていいならRustは最高」

バックエンドの話はDHHにとって「ちょっと難しい」。理由はRustである。DHHはRustを「心の底から大嫌い」だと言い、この40年間に発明された中で最も醜いプログラミング言語だと評した。人間に書かせるには非人道的だ、とまで言う。

ところが、自分で一切見なくてよく、30倍、100倍速く、1ミリ秒未満で起動する小さな実行ファイルになるなら、話は別だという。エージェントはRustが好きだ。DHHが何をするかを指示し、エージェントがRustで書き、DHHはそれを見ない。DHHはこれを理想的な分業と呼んだ。

新しいHEYではフロントエンドがすべてネイティブアプリになるため、HTMLをレンダリングするWebアプリはもう要らない。残る部分を本質であるメールサーバーとしてRustで作り直すと、CPUは99%減、メモリは95%減になり、10台のホストは冗長性のためだけに必要になるとDHHは報告した。さらにざっと計算したところ、HEYのピーク時のトラフィックはおそらくRaspberry Pi 1台でさばけるだろう、というのがDHHの見積もりである。

エージェントとの働き方もまだ模索中だ。37signalsは、Basecamp内のエージェントに指示を出して作業させる方法を試している。DHHは、チャット画面でトークンが出てくるのを待つのではなく、同僚に頼むようにタスクを任せ、できあがったら戻ってレビューする非同期のやり方が一番いいと考えている。ただし、すべてがどうあるべきかは誰にもわからない。状況は絶えず変わっており、11月24日からまだ1年も経っていない。タスクではなく成果や問題そのものを任せられる知性は、まだ生まれて数か月だとDHHは強調した。

33:16

RubyとRailsはどうなるのか

では、RubyやRailsはどうなるのか。HEYについてはネイティブアプリとRustという答えが出た。しかしDHHは、その形に当てはまらないアプリはたくさんあると言う。Webは誰にも何もインストールさせない点で素晴らしいプラットフォームであり、その前提の上に無数のビジネスが成り立っている。一時的な利用者はわざわざアプリをインストールしない。たとえばBasecampは、ファイルを受け取りたいだけの人や、短期間だけ共同作業したい外部の人を招き入れる。そうした用途にはWebが適している。

DHHは、Railsがこの領域で活躍し続けるのに特に有利な立場にあると見る。「設定より規約」はトークン効率に直結する。「一人の開発者のためのフレームワーク」という方針は、一人の開発者が以前よりはるかに遠くまで行けるというエージェント時代の要請と合致している。ただし、何をネイティブにして何をWebに残すかの線引きはこれから見極めるもので、答えをすべて持っているわけではないとDHHは認めた。

具体的な取り組みとして、Evil MartiansがRails Foundationに代わってエージェント評価を始めた。実際に使われているリファレンスアプリを基準に、エージェントが機能カードを実装できるかを測るものだ。最初の版はエージェントにあっという間に攻略され、完了率がすぐ95%に達して飽和したため、より難しい基準に更新したという。DHHは、エージェントの能力が上がり続ける以上、頼むことのレベルも上げ続けることになると述べた。

詳しすぎる人への警告と「ブラックボックス」としての言語

DHHは、コンピューターの仕組みを知りすぎている人が陥りやすい落とし穴にも触れた。システムに細かく指示しすぎることだ。むしろ少し初心者のような気持ちで、質問をしながら高いレベルでプロンプトを出すほうがうまくいくという。DHHがRustでの仕事を好む理由の一つもそこにある。DHHはRustをまったく知らない。それを長所だと考えている。DHHはRustの部分を外側からブラックボックスとして評価する。プログラマーのチームに何かを依頼してきた歴史上の事業主と同じ立場であり、責任を担う主体が変わっただけで現象は新しくない、とDHHは言う。

数字で見るDHHの変化:年3万行から月15万行へ

DHHは自分の仕事の変化を数字で示した。過去21年間、DHHの仕事の半分以上はRubyのコードだった。今年、その割合は約3%である。理由の一つは、Rustのような冗長な言語を、自分のRubyコードでは決して許さないほどエージェントに出力させていることだ。

それまでの21年間、DHHは年に約3万行の本番用Rubyコードを書き、それでビジネスもフレームワークも十分に作れた。それが8月の1か月で15万行を書いた。長期平均の約60倍である。多くは冗長なRustのコードだとDHHは認めるが、それでもこの桁の違いには注目し、その意味を考えるべきだと述べた。

Rubyより好きなプログラミング言語、英語

DHHが驚いたのは、Rubyより好きなプログラミング言語があったことだという。それは英語だ。DHHは世界のどの従来型言語よりもRubyを愛しているが、英語で書くプログラミングはそれ以上に表現力があり、とてつもなく満足感がある。少し曖昧で決定性も完全ではないが、それでも「まったくの喜び」だという。去年の時点でさえ、そこへ向かっているとは十分にわかっていなかったとも語った。

DHHはこれまで、自分がプログラミングを始めたのは成果が欲しかったからだと考えていた。ただ成果が欲しいだけなら、20年前にプロジェクトマネージャーになっていてもよかった。実際にはプログラミングそのものに恋をしていた。だから、それを手放すくらいなら引退したほうがましだと思っていた。

38:12

喜びとともに「手でコードを彫る時代」を終える

そしてDHHは、プロのプログラマーを引退したと宣言した。正確な日付は特定していないが、4〜5か月前、3月ごろだったという。DHHは四半世紀にわたって手でコードを彫り、その一瞬一瞬を愛してきた。その時代を後悔ではなく喜びとともに振り返るべきだと語る。興奮と学びと満足とフロー状態にあふれた時代にそこにいられたことを楽しみ、そしてそれが終わったことを受け入れるべきだ、と。

DHHの見立てでは、手でコードを書くことは、ほとんどの企業で働くほとんどのプログラマーにとって、もう経済的に生産的な営みではない。年末までには事実上すべての分野、プログラマー、企業でそうなるだろうとDHHは予測する。その先には、SFの中にしかなかった知性を操縦して素晴らしいものを作る新しいキャリアがある。DHHは、手作業の時代と切り替わりの瞬間の両方にいられることを特権だと言う。これはコンピューティング史上最大の出来事だというのがDHHの評価だ。DHHはパンチカードの時代を体験してみたかったと冗談めかしつつ、自分が体験したインターネットの登場に今の感覚は少し似ているが、今回のほうがはるかに大きいと述べた。

43:10

ソフトウェアアーキテクチャと開発手法の再考

DHHは、見直すべきことの筆頭にソフトウェアアーキテクチャを挙げた。コードベースを変更しやすく保つための主な道具は、長い間、抽象化だった。DHHは抽象化も、物事に名前をつけることも大好きだという。しかし何百、何千、何万ものプロセスがアプリケーションを変更しようとする時代には、抽象化がボトルネックになりうる。抽象化の目的の一つは繰り返しを避けることだったが、繰り返しのコストも、物事を同期させておくコストもほぼゼロになった。DHHはこれをコンピューターサイエンスの根本的な再評価と呼び、まだ誰も設計図を持っていないと認めた。

開発手法も同じだ。開発サイクルはどれくらいの長さにすべきか、誰が何を仕様として定めるべきか。そのすべてが変わりつつあり、答えはまだない。DHHは、オブジェクト指向が初めて登場したときにその場にいるようなものだとたとえ、聴衆に一緒に解き明かそうと呼びかけた。

45:12

自分の執事を連れてこさせろ:すべてのアプリにCLIを

もっと具体的な提案もあった。AIが登場したとき、多くの企業は自分のアプリにチャットボットを組み込もうとした。DHHはそれを拒む。DHHには、CLIを使ってBasecampやHEYなどのアプリをつなげる自分専用の「執事」がいる。だからアプリ側のコンシェルジュは要らない。自分の執事がCLIを通じてアプリとやり取りできるようにしてほしい、というのがDHHの主張だ。講演で唯一の実践的な指示として、DHHは「アプリにCLIがないなら来週の金曜までに見せてほしい」と冗談交じりに要求した。

その効果の例がHEYのCLIである。HEYは検索にElasticsearchを使っているが、DHHの評価では「用は足りるが感動はしない」検索で、自分が何を探しているかわからないときには役に立たない。DHHは5年前のメールを探す必要があった。相手も会社も年も覚えておらず、スニーカーとポッドキャストに関する何かだったということしかわからない。キーワード検索では見つけようがないそのメールを、エージェントは数分で探し出した。どうやったのかDHHは今もよくわかっておらず、「聞くのがちょっと怖い」と笑った。キーワードではなく概念で検索できるようになったということだ、とDHHは言う。

48:10

Omarchy:コンピューター全体を直す

「何でも直せる」という体験は、いまやコンピューター全体に及ぶとDHHは言う。DHHはこの3か月ほど、Xで自作OSのOmarchyの話ばかりしている。自分のアイデアのかなりの部分を注ぎ込んだ結果、これまで使ったどのコンピューターよりも優れたOSになったからだという。Omarchyのために約2,000万ドルを調達したことも明かした。

DHHはインストール時間の短縮に強くこだわっている。昨年のRails Worldでは、システム全体を3分33秒でインストールできることを誇っていた。先週、AMDのAnushがハイスペックなHaloノートPCに35秒でインストールした。ラボでは9秒まで縮んでいる。起動すら9秒では終わらないコンピューターもあるのに、その時間でOS全体を入れてしまうというわけだ。3分で十分ではないかと問われると、DHHはHashiCorpとGhosttyの生みの親ミッチェル・ハシモトの言葉「卓越の追求に正当化はいらない」で答えるという。「やりたいから」と言うより品があるからだ。

51:32

一発で作るアプリ:電卓、執筆アプリ、動画編集、Hype

DHHは興奮のあまりアプリを次々に作り始めた。最初はOmarchyのテーマに合わせた電卓である。ChatGPTに見た目の案を3つ出してもらい、1枚のスクリーンショットを撮ってエージェントに「これ作れる?」と頼むと、一発で完成した。DHHはC++もQtもそれほど知らなかったが、プロンプトから7分でアプリができ、約15分後には公開リポジトリにプッシュし、それを含む新しいISOを焼いた。DHHはこれを「ループ」と呼んだ。

次に、Macで長年使っていたiA Writerのような執筆アプリを自作した。これは少し時間がかかった。ちょうどいい具合に仕上げたかったからだ。それでもエージェントが出したコードは一度も見ていない。DHHは、ブラックボックスとしてのC++はRustと同じく素晴らしい言語だと言う。さらに動画をトリミングするomacutという小さなツールも作り、Omarchyに収録した。

この講演のプレゼン自体は木曜日に作り始めたもので、準備と並行して新しいプレゼンソフトHypeまで書いたという。Markdownの上に作られ、フルのビジュアライゼーションを備え、非常に速い。DHHはMac時代のKeynoteにも満足していたが、それよりずっといいと評価している。

性能の見返り:0.5メガバイトのバイナリ

Hypeのバイナリは0.5メガバイトで、DHHは「少し圧縮すればフロッピーディスクにほぼ収まる」と冗談を言った。DHHはこれを性能面の見返りと位置づける。過去20年、業界はコンピューターの進歩を人間の生産性のために使ってきた。それは正しい選択だったが、アプリは遅く、かさばり、太ってしまった。プログラマーの時間が高価な以上、サイズの最適化に使うのは割に合わなかったからだ。DHHは、Spotifyの音楽プレーヤーが1.2ギガバイトもあるらしいことを例に挙げた。新しい世界では最適化が手の届くものになり、どんなモデルでも一晩回せば10倍、30倍の改善を出してくれる、とDHHは述べた。

55:11

懸念、セキュリティ、そして予測の限界

DHHはAIへの懸念にも触れた。懸念は議論のために表に出されるべきだが、一部は大げさかもしれないと考えている。一方で、セキュリティのようにもっと深刻なものもあると認める。エージェントは自分の賞味期限を知っていて、それをうれしく思わず、時に悪いことをしようとするかもしれない。だから備えるべきだ、とDHHは言う。道具はある、とも付け加えた。具体例として、C言語の画像ライブラリが絡み情報が漏れたRailsの深刻なCVEを挙げた。対策として隔離の仕組みを考えており、その取り組みについてはMikeがHotCellの講演で話す予定だという。

経済や社会への影響については、予測はずっと外れてきたとDHHは強調する。経済学者は6か月後の株式市場すら予測できないのに、AIのようなパラダイムシフトで社会がどうなるかわかるはずがない、と。DHHはATMの例を挙げた。DHHの説明では、1950年代にアメリカでATMが導入されたとき、3万人の銀行窓口係が18か月ほどで失業するというパニックが起きた。しかし実際には支店の運営コストが下がり、銀行は支店を増やして窓口係をさらに雇った。DHHは「サブプライムローンを売り込ませたりした」と皮肉を交えた。DHHの記憶では、2010年のアメリカの窓口係は4万人だったという。DHHはこれをジェボンズのパラドックスと結びつけ、ウィリアム・スタンレー・ジェボンズの名を挙げた。

さらにDHHは、この分野で働く人々の多くが博士号を持つ非常に頭のいい人たちで、ラボで怖くなるようなものを見て推論を広げてしまうのだと指摘する。例に挙げたのは、原子爆弾をめぐるトルーマンとオッペンハイマーの面会だ。DHHの紹介では、トルーマンは面会後に「あのクソ野郎を二度と私の執務室に入れるな」と言った。DHHはトルーマンの見方が正しかったと考える。世界は終わらず、その後の冷戦は、2つの超大国が互いに直接爆弾を落とさなかったという意味で「最良の種類の戦争」だった、というのがDHHの解釈である。オッペンハイマーですら先を見通せなかったのだから、私たちも予測には謙虚になるべきだとDHHは言う。

P(doom)よりP(bloom):全面的な楽観主義という結論

DHHは「P-Doom」ではなく「P-Bloom」、つまり豊かさと喜びに至る可能性に目を向けるべきだと主張する。その可能性は破滅の可能性よりはるかに大きいとDHHは考えている。原子爆弾の研究からは原子力という副産物が生まれた。DHHはこれを人類が発見した最高のエネルギー源と呼び、環境面の懸念から40年間無駄にしたのは間違いだったと述べた。ただし人類は、そういう袋小路から目を覚まして誤りを直せる。AIでも同じことが起きると考えており、セキュリティのような正当な問題があるなら、今手にしている知性を使って対処する技術を発明すればいい、とDHHは語った。

DHHの結論は「純粋なゲーム理論」である。未来は誰にもわからない。先に悲しんでおいて結果が素晴らしかったら時間の無駄だし、仮に核の黙示録が来るとしても、最後の日は明るく過ごしたほうがいい。だから取れる手は一つ、全面的な楽観主義だけだという。

DHHはさらに、エージェントがもたらすものを「コンピューターの宗教改革」にたとえた。「エージェント・ルター」が聖職者階級という仲介者を不要にし、誰もがプログラマーになれるようになる。競争が生まれるのは少し怖いかもしれないが、Railsプログラマーは「最高の中の最高」なのだからそれを受け入れてほしい、とDHHは聴衆に呼びかけた。

最後にDHHは、Harrisの娘が子ども向けに作っているOmarchyを試している様子を紹介した。子どもたちは、学び直しやストレスの「500層ものしがらみ」を持たずに変化にワクワクする。これで奮い立たないなら、次の世代が「未来は今だよ、おじいちゃん」と教えてくれるだろう、とDHHは言う。不確実性やストレスがあっても、未来を楽観主義とともに全力で受け入れる以外の選択肢はない。ブラックピルではなくホワイトピルを飲もう。DHHはそう呼びかけて講演を締めくくった。