堀江貴文が語った「やめ時」とライブドア事件の後──新R25最後のインタビュー

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概要

新R25は2026年9月末でメディア運営を終える。フィナーレ企画では編集部員がそれぞれ「終わりは始まり」をテーマに卒業制作的な動画を公開しており、この回では編集長の渡辺が、創刊時から最も多く出演してきた堀江貴文に最後の挨拶をしに行く。渡辺は寂しさより感謝を伝えたいと話していた。ところが、振り返りや心情を尋ねる質問に堀江は「何が欲しい?」と問い返し、会話はライブドア事件の具体的な経緯、NewsPicksとの契約解消、揚げ足取りをする人々への批判へと進んでいった。

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9年間の出演を振り返る

渡辺が「9年やりました」と切り出すと、堀江は「意外と短い」と答えた。渡辺はむしろ9年も続けたことに驚いたという。最近は接点が減っていたことも二人で確かめ合った。渡辺によれば、近年はマネタイズ側の仕事が中心で、以前のようにコンテンツを次々に作るスタイルではなくなっていた。

渡辺は出演の歴史をたどった。最初のコンテンツは2017年、堀江が『多動力』を出したタイミングで、その主張に突っかかっていく企画だった。これがバズり、新R25は創刊当初から堀江に出てもらうことになった。当時はこうした「堀江さんに突っかかる企画」をよくやっていたが、最近はまったくできていないと渡辺は言う。

渡辺の見立てでは、堀江をいじる行為はいまや「民主化」されている。当時は新R25が堀江のチャーミングな面を引き出していたが、今は多くの人が同じことをしており、新R25がやらなくてもよくなった。堀江はこれを「コモディティ化」と言い換えた。

著名人を起用したタイアップを新R25で最初に引き受けたのも堀江だったという。どの企業の案件だったか渡辺は思い出せず、堀江は「ソフトバンクやった」と話した。その後もLOVOTなど多くのタイアップに出演し、どれも反響が大きかったと渡辺は振り返る。ウェブ記事の時代が終わりYouTubeに移ってからも、Zoomを使った番組、コンテンツ販売の際に全国の「大人の遊び場」を紹介する企画、健康系のコンテンツなどに出演してきた。

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「回るから」──出演を続けた理由

なぜこれほど出演してくれたのかについて、渡辺は聞いてはいけない気がしてずっと尋ねずにいたが、最後なので聞きたいと切り出した。堀江は最初のきっかけ自体を覚えておらず、「本のプロモーション」かと推測した。渡辺が、当時堀江がXでその記事を面白いと書いてくれたと補うと、堀江は「いい記事を書いてくれるからじゃね」と答えた。「いい」とはどういう意味かと渡辺が重ねると、答えは「回る」、つまりよく読まれるという「単純な話」だった。

渡辺は、堀江が以前コメントで「自分と読者はほとんど交わらないが、たまに交わるポイントがあり、それを見つけるのが新R25のやっていることだ」と評してくれたことを紹介した。堀江はこれを認めたうえで、今はそれを自前でもやっていると話す。自分のYouTube、REAL VALUEのようなメディア、他人のメディアなど、それを分かってくれる相手が増え、自前のチームもある。

堀江の説明では、要は「みんなは俺に何を求めてんの」を分かっている人と組むということだ。そして、それは自分で見つけるものではないという。自分では分からないからだ。渡辺が、堀江の興味関心は視聴者や読者から距離があると言うと、堀江は同意し、周りにいる人が優秀かどうかは別として、みんなが求めているものを自分にぶつけてくれればそれでいいと語った。

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文章から動画へ、埋もれた新R25

渡辺がそれを新R25も一部できていたから出てもらえたのかもしれないと言うと、堀江は「新R25は埋もれてきたね、その中では」「古かったね」と返した。渡辺も、当時は堀江を掘り起こすこと自体が目新しかったが、今は堀江の魅力を引き出せる人が周りにたくさんいると認めた。

堀江はYouTubeの影響が大きいと見ている。動画なら誰でも「回せる」ようになった。一方で、文章を書くこと、ライティングや編集はレベルが高く、スキルが要る。今は生成AIでもできるようになったが、動画の時代なので誰もやらず、みんな動画に移ってしまう、というのが堀江の見方だ。

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「丸くなった」と言われても

渡辺はこの10年の変化を尋ねた。他のゲストはたいてい「この9年でこう変わった」と話すが、堀江は好きなことをやり続けていて印象が変わらない。ただ一つ、確実に丸くなったと思う、と渡辺は言った。

堀江の返事は「わかんないよ、そんなの」だった。自分のことはどうでもよく、自己分析をしてもいいことは何もないという。渡辺は、一緒に取材するたびに強い緊張感があり、今日もあると話し、以前より嫌なことを受け入れる度合いが上がったのではないかと推測した。堀江は「そっちが慣れたんじゃないの」と返したうえで、最終的に「まあ両方じゃないですか」と答えた。周りからも緊張感があると言われないかと聞かれると、そんな話をしても仕方がないのでしない、と話した。

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「今日、質問つまんない」

渡辺は、自分たちが9年やってきた期間と、堀江がオン・ザ・エッヂを立ち上げてからライブドア事件までのおよそ10年が同じくらいだと気づいたという。その間に堀江の会社は一時期、時価総額1兆円近くに達した。自分はなんてゆっくり歩いてきたのかと思った、あの頃はすごいスピードでやってきたという感覚か、と渡辺が尋ねたところで、堀江は「今日、質問つまんない」と言った。

渡辺は謝り、これもつまらない質問かもしれないと断ったうえで、フィナーレのコンセプト「終わりは始まり」を説明した。新R25は終わるが、編集部員はそれぞれ新しいことを始める。ただ、終わるときは気持ちのうえでしんどい部分があり、それはサンクコストのせいだと渡辺は言う。堀江は「え、なんで?」と聞き返し、そういう感覚にはあまりなじまない様子だった。

渡辺は、堀江にとって一度ストーリーが終わったタイミングとしてライブドア事件を挙げた。堀江は「あれは強制終了だ」と言った。そのとき率直にどう思ったのかと渡辺が聞くと、堀江は「どういう風に答えればいい?何が欲しい?落ち込みましたとか言ってほしいの?」と問い返した。これから先のことを考えたかと重ねて聞かれると、「それは全て考えるんじゃないの」と答え、時系列に沿って当時の出来事を語り始めた。

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強制捜査から逮捕までの1週間

堀江によれば、まず会社に強制捜査が入った。刑事事件を頼んだことのある弁護士がいなかったため、顧問弁護士に刑事事件担当の弁護士を紹介してもらい、チームを組んだ。ただ、その段階で役員はすでにばらばらだった。宮内らは横領が発覚すると思っていたのだろうと堀江は見る。彼らは「社長はまだ40代だからいいけど、俺らは50代だから」「検察にやられたら絶対有罪にさせられるから、執行猶予狙いでいく」という調子で、逮捕前からそういう会話があったという。

堀江自身は、少なくとも最初の強制捜査の容疑になった案件について、自分が把握している違法行為は一つもないので、クリアできると考えていた。むしろ、どこまで突っ込まれるのかが気になっていた。捜査の切り口になった事件は有罪にするのが難しいと思ったという。それでも途中で弁護団は、宮内側とそれ以外に分かれた。同じ会社なのに、である。

もう一つの懸念は会社の支配権だった。会社の成長を最優先にしてきたため、堀江の持株比率は20%を割っていた。このままでは会社を支配できなくなる。しかし人間関係をライブドアに「全張り」していたため、会社と関係ないプライベートな資金を扱える人がいなかった。堀江はこれを大きな敗因だったと振り返る。

株価が下がったら買い増せるようにしようと考えたが、1週間で逮捕され、どうにもならなかった。弁護士は「余計なことをするな」という姿勢で、自分の口座を動かせなかった。それでも、フジテレビがライブドア株を売ると言ったので、その株をUSENの宇野康秀に引き取ってもらった。さらに、弥生の社長を務めていた平松に、とりあえずピンチヒッターで社長をやってくれと頼んだ。社長がまた逮捕されるような事態は避けたかったからだ。会社の維持と自分の支配権を担保しきる前に逮捕され、接見禁止命令が出た。人間関係のほとんどがライブドアにあったため、全員と接触できなくなり、それが大変だったという。

渡辺が、その場その場で最善を尽くして動いていたのは分かるが、どこかで文脈がいったん断ち切れたタイミングはなかったのかと聞くと、堀江は「切れないんだよ。ずっと繋がる」と答えた。

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買い戻したかった株と、損害賠償の見通し

堀江の服役中に、ライブドアは上場廃止になった。できれば上場廃止前に株を買い戻したかったという。最も安いときで時価総額は700億〜800億円程度まで下がっていたので、10%買っても80億円ほどで「買えたっちゃ買えた」と堀江は振り返る。これは心残りの一つだと話した。

その後は、投資家からの損害賠償請求が来て、投資家、堀江、会社の三者で最終的に和解するだろうと見込んでいた。弁護士に実際どうなるのかと聞いても明確な答えは返ってこなかったが、さすがに無一文にされることはなく、財産の1%くらいを残して和解するのではないか、どうなるかは分からない、という見立てだった。結果として最も大きな訴訟は会社との間で和解したが、年金や政府関係の訴訟は別に和解した。それが終わっても、民法上の不法行為は時効が10年あり(証券取引関係は半年)、また請求が来ることは分かっていたという。

裁判の途中で宮内らの横領が明らかになったが、彼らは結局「堀江が悪い」という話をする。有罪にする流れはなかなか変わらないと思った、と堀江は話した。

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弁護団を代えなかった失敗

堀江が「あのとき失敗した」と語ったのは弁護士選びだった。最初の弁護士はヤメ検で、保釈を取るのはとてもうまかった。その後、弘中惇一郎弁護士の話が、ロス疑惑の三浦和義から伝わってきた。三浦とは『サンデー・ジャポン』の特番で一度同じテーブルになった程度の面識しかない。たまたま行った六本木のワインバーのママが三浦と知り合いで、「和義さんから堀江さんに伝言がある」という話だったという。

今のようにSNSで調べられる時代ではなく、弘中がどんな人か分からない状態で三浦から紹介されるのは怪しいと思い、スルーした。堀江は「俺クラスになると、怪しいのか怪しくないのか分からない話がいっぱいある」と言う。後から調べるとかなりいい先生だと分かった。起訴の後に弁護団を代えるかどうかという話になり、弘中に面談に行くと、「今までの弁護団を全員クビにして僕に賭けるなら受ける」と言われた。本当は起訴の段階で代えていれば、もっと良くなったかもしれない、と堀江は振り返った。

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経済活動をしても意味がない数年間

お金はあったが、どちらにしてもなくなるものだったと堀江は言う。裁判に勝てればいいが、勝てる見込みもあまりなくなってきた。稼いでも賠償額のほうが大きいので、財産を稼ぐ活動を頑張りすぎても仕方がない。今の資産が10倍、20倍になるなら話は別だが、それは無理だと考えた。

2006年に逮捕され、その後収監されるまで、弁護士は最高裁まで行って4〜5年かかると見ていた。その間に経済活動をしても意味がない。何をすればいいかという話になり、「ゴルフでもすればいいんじゃないの」ということになって、ずっとゴルフをしていたという。裁判は自分がやることがなく、メディアも含めて周りはみな怯えていた。堀江と付き合うと銀行融資が止められるのではないか、といった風評被害もあった。それを5年ほど続け、実刑が決まると「じゃあダイエットしてきます」という感覚だったと語る。

収監中も、時効の10年が過ぎれば財産を増やしても問題はない。実際には2008年か2009年頃にライブドアと和解し、「ケツの毛まで抜かれなかった」、少しは残った。そこでメルマガを始めないかという話が来て、ブログやメルマガを始め、経済的な基盤を作っていったという。

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獄中で選んだ「難しめ」の勉強

刑務所の中ではとりあえずダイエットができる。作業がない時間は読書と、航空工学などの勉強にあてた。堀江によれば、獄中で自習でき、ロケットにも役立ち、しかも難しくて時間がかかるものを選んだ。簡単なものはすぐ終わって飽きてしまうからだ。

語学は、拘置所で一度挑戦したがCDを聞けないので断念した。本だけでは発音が分からず、リスニングや会話が必要な語学は向かなかった。そのほかに飛行機の操縦免許の勉強もしていた。その時々で目標を立て、前向きに続けられることをやる。起きてしまったことを嘆いても仕方がない。まったく考えないわけではないが、できるだけ考えないように、今勉強すべきことを勉強する。出所すれば事業はできるし、ロケット事業も取られずに残った。やりたいことは全部やってきた、と堀江は話した。

渡辺が、ライブドアで区切りをつけて振り返り、方針を決めたわけではないのかと確かめると、堀江は「事件は起きました。それについてどうこう言っても仕方がないので、今起きたことに対処する。その繰り返し」と答えた。例としてコロナを挙げ、こんなことになるのかと思ったが仕方がない、飲食店にとっては良くなかった、と語った。

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ホリエモン万博をやめた理由

コロナの時期にやめたものとして話題になったのが、参加型のイベント「ホリエモン万博」だ。渡辺が似たことを今は別の形でやっているのではと言うと、堀江は「全然関係ねえよ」と否定した。堀江によれば、CGM型の参加型イベントをいろいろやっていたが、こんな面倒なことを頑張ってやってあげても、こんなにアンチが湧くのかと思い、やる気がなくなった。それで「永遠にやめます」と宣言してやめたという。

やめ時をどう考えるか、NewsPicksとの契約を切った経緯

渡辺はライブドアのような強制終了とは別に、自分でやめる判断をどう考えているのかを尋ねた。続け時とやめ時は、これからの人生で大事だと思うようになったという。やめることで自分の中にスペースができることもある。新R25もずっと、堀江にとってメリットがなければ「もう出ない」と言われるのではとびくびくしていた、と渡辺は明かした。

堀江は「そこじゃない」と答え、具体例として最近やめたNewsPicksの話をした。以前から契約を結び、その対価として「HORIE ONE」に出演していたが、契約ごとすべて切った。ここ2〜3年、NewsPicksにジャングリアなどを叩いているジャーナリストチームがいて、堀江は元々それが好きではなかった。「週刊文春の2軍みたいなことをやっている」と堀江は評し、渡辺は「ここはリアクションできない」と返した。いい加減腹が立ったので、NewsPicksに「俺を切るか、そいつらを切るか、どっちかにしろ」と言った。相手はそのチームを取るのだと思ったので、「もうちょっとついていけない」と伝えたという。

渡辺は、感謝を伝えるコンテンツなのに編集しづらい話ばかり出てくると苦笑した。堀江は、自分は不誠実な態度が嫌いだと話し、自分を叩くことで近づこうとする人も多いと付け加えた。そのうえで、新R25にはそういう悪意がないので、何も気にする必要はないと言った。

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揚げ足取りと「施し」を求める人々

堀江は、新R25がひろゆきのような揚げ足取りをしないことに触れ、ひろゆきが支持される理由を自分の見方として語った。意味のない揚げ足取りは弱者に好まれる。誰でも落とせるからだ。相対的な地位が大きく違う相手を、自分の土俵に引きずり込む道具として揚げ足取りが機能しており、本人もそれを分かってやっているのだろう、と堀江は見ている。

だから堀江は「なんでお前と付き合う意味があるの」「なんでお前の飯のために俺が協力しなきゃいけないの」「俺のメリットは何」と思う。堀江によれば、そうした人たちは、能力のある人間は能力のない人間に施さなければならない、という考えを持っている。「あなたは余裕があるでしょう、自分の食い扶持のためにあなたの能力を使うべきだ」と思っている、と堀江は表現した。抽象化すればノブレス・オブリージュと呼ばれるものに近いが、実際は「可愛い弟子」扱いを求めているようなものだという。「リスペクトしている」と言いながら、言動のどこにリスペクトがあるのか、ただいじっているだけではないか、と堀江は語った。

28:48

「あんまりやめない」「時間を使っていない」

渡辺は改めて、自分で始めた事業をやめる決断を息を吐くようにできるのかと聞いた。渡辺自身は日本人的な考えが強く、続けることに美学を持ってしまっていたという。堀江の答えは「あんまりやめないからね」だった。ホリエモン万博も、コロナのタイミングで腹が立ったからやめたという衝動的なもので、それ以外はほとんどやめていない。

時間を大事にする人は常に整理しているというイメージがあった、と渡辺が言うと、堀江は「俺、時間使ってないもん、そもそも」と答えた。時間を使わずに好きなことを仕掛けているので、どんどん積み上げていけばいい。続けていることのほうがほとんどで、終わらない。渡辺は、自分はフルベットしていたので、新しいことをやるにはこういうタイミングが必要だったのだと思う、と応じた。

30:29

「リトル堀江」と次の挑戦

最後に渡辺は、堀江に伝えたかったことを話した。自分は臆病で、好奇心や行動力も強くなく、堀江とは真逆のタイプだ。メディアをやっていながら、特定の領域はともかく、堀江のように幅広く物事に興味を持てるわけではない。それでも取材でたびたび一緒になるうちに、自分の中の「リトル堀江」に引っ張られ、少し変わったと感じているという。

堀江が「あとは何やんの?」と聞くと、渡辺は自分で企画して番組を作り、そこからIPを作りたいと答えた。クリエイティブの世界では、堀江のように好きなことをやる発想でないといいものはできない。自分の中にリトルホリエモンを飼い、好きなことをやるマインドでもう一度やろうと思えたのは堀江の存在が大きかった。堀江が影響を与えたいと言ってきた相手の一人が自分だった、と渡辺は語った。

渡辺が、面白い仕事なら絡んでくれるかと尋ねると、堀江は「もちろん」と答えた。9年間の礼を述べる渡辺に、堀江は「新しいチャレンジに行ってらっしゃい」と返してインタビューは終わった。