居心地のいい場所はいずれなくなる:NHKから新R25へ転職した十石泰誠が、メディア終了を前向きに捉える理由

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概要

新R25は2026年9月をもってメディア運営を終了する。その「卒業コンテンツ」の一本として、編集部の十石泰誠が同僚たちを前にプレゼンを行った。十石はNHKの記者から新R25に転職し、入社から1年足らずでメディア終了を知らされた。最初は大きなショックを受けたが、今は前向きに受け止められているという。プレゼンでは、その理由を自身のキャリアをたどりながら説明している。編集部のメンバーは審査員のように並び、途中で合いの手や当時の思い出を挟んだ。

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教員志望から生まれた「働く軸」

十石は大阪出身で、高校まで地元で育ち、京都の大学に進学した。中学の頃から教員を目指しており、中学・高校の社会科の教員免許が取れる学部を選んだ。特に高校で日本史を教えたかったという。

教員を志した理由として、十石は人に教えることが好きだったことに加え、「人の生き方にプラスの影響を与える仕事がしたい」という軸があったと語る。もう少し具体的には、誰かの人生の転機になるようなコンテンツや空間をつくりたいと考えていた。当時の十石にとって、そのコンテンツが「授業」で、空間が「教室」だった。生徒一人ひとりに前向きな人生を歩んでほしいと考え、キャリア教育にも力を入れる教師を理想像にしていたという。

この話を聞いた正木さんは、自分も中学の頃から教員志望で、塾講師のアルバイトをしていた点まで同じだと驚いた。面接のときにこの話を聞いて共感した記憶もあるという。

大学の4年間、十石は塾講師のアルバイトを続け、教育実習にも行った。生徒と接するうちに、2つの思いが芽生えたと振り返る。1つは、自分が直接影響を与えられる人数には限りがあるということだ。塾なら担当の生徒、学校なら教えている教室の生徒で、多くてもせいぜい100人か200人だろうと十石は見る。もう1つは、社会人経験を積んでから教師になったほうが、生徒に伝えられることが増え、自分の視野も広がるのではないかという考えだ。キャリア教育に力を入れたいなら、実体験を伴わないアドバイスは難しいとも考えた。

さらに、大学でメディア系の学部に所属していたことから、コンテンツ制作そのものへの興味も強くなった。自分がつくったコンテンツを最も多くの人に届けられる環境に行きたいと考え、就職活動を始めたという。

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テレビか新聞か、そしてNHKへ

十石の就職活動はかなり偏っていた。インターンや説明会も含め、テレビ局と新聞社しか受けなかった。当時の自分の視野には、Webメディアは入っていなかったと認めている。編集部からは「価値観が古い」とからかわれた。

結果として、NHKと読売新聞の両方から内定を得た。十石がNHKを選んだのは、今は紙よりテレビではないかと考えたこと、コンテンツ発信の規模、そして公共放送としてより大きなインパクトのある仕事ができそうだと考えたことからだという。

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NHKで感じた3つの「贅沢な物足りなさ」

NHKには記者として入局し、コンテンツ制作や日々の取材業務で、やりたいことは実現できていた。それでも仕事を続けるうちに、十石は「贅沢な物足りなさ」を感じるようになった。挙げたのは、スピード感、裁量、視聴者との距離の3つだ。

スピード感について、十石は公共放送であるNHKでは情報の正確性が強く求められると説明する。1つのコンテンツを世に出すまでに承認フローや組織としての整合性が必要になり、意思決定に時間がかかる。

裁量については、NHKの記者には経験豊富なベテランが多く、新聞社や地方局で経験を積んでから中途で入ってくる人も少なくないと話す。そのため、若手記者に委ねられる裁量は小さくはないものの大きくもなく、決められた担当テーマの中で動くことが多かった。

視聴者との距離については、テレビが一方通行のマスメディアであるため、コンテンツが届いたのか、視聴者の熱量や反響を直接感じにくいことを挙げた。若者のテレビ離れもひしひしと感じていたという。大学の友人に久しぶりに会うと「家にテレビがない」と言われることが多く、どうせつくるなら自分に近い世代に見てもらいたいと思うようになった。

また、テレビでは自分のコンテンツだから見てもらえるわけではなく、番組として見られるという感覚があった。50分のニュースのうち、自分がつくる部分は長くても10分程度で、「ワン・オブ・ゼム」になる。チームで1つの番組をつくる世界だったため、十石は自分のコンテンツで勝負できる場所に行きたいと考え、就活時には頭の片隅にもなかったWebメディアへの挑戦を決めた。

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NHK鳥取局で新R25を参考にした企画

十石は社会人になった頃から新R25を見ていた。正木さんによれば、十石はNHK時代に鳥取局で、新R25の悩み相談コンテンツを参考にしたコーナーを発案していたという。

十石の説明はこうだ。新R25は以前から悩み相談の企画を続けていた。鳥取局で若手プロジェクトとして企画を立ち上げる際、十石はメンバーに加わり、プロデューサーに「Z世代の悩みに寄り添った企画」を提案した。それが採用され、コーナーは現在も続いているという。その企画で取材した酒井さんについて、十石は自分が取材したかったからキャスティングしたと明かした。新R25に入ってからも、最初の取材で酒井さんと再び仕事をしている。

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1時間半の面接と、採用の決め手

転職にあたっては、新R25のメンバーと複数回話をした。自分がやりたいコンテンツを制作できる環境があること、仕事への熱量が高いメンバーがいることを聞き、心を決めたという。最初の面接官は正木さんで、面接は1時間半ほど続いた。途中で接続が一度切れ、入り直したほどだった。

正木さんは、このとき初めて採用の理由を本人の前で話した。まず、安定した有力企業であるNHKのポジションを捨ててでも挑戦しようとしている点を評価した。次に、誠実な人柄だ。正木さんによると、編集部で活躍してきたメンバーには誠実なタイプが多かったという。

また、十石は自分を客観的に見ており、スクープを取るのは苦手だと話していた。正木さんは、新R25は自分の悩みや共感を軸に企画をつくるやり方なので、求めるのはスクープを取る能力ではないと説明する。自己認識と新R25への理解が重なっていたこと、特定の領域にこだわらず色々やりたいと言っていた柔軟性も好印象だったという。他のメンバーの評価も同じで、採用はとんとん拍子に決まった。

NHK出身で半年ほど前に入社していた同僚は、「十石」という強そうな名字しか知らず、どんな人が来るのか少し身構えていたと打ち明けた。今は一緒に働けてよかったと思うほど誠実な人だと話している。

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求めていた環境と、「悩みサイト取材」という壁

入社後、十石は広告コンテンツを含め、幅広いコンテンツ制作に携わった。NHK時代に物足りなさを感じていたスピード感、裁量、視聴者との距離が、新R25にはすべてそろっていたと十石は感じている。YouTubeならコメントを通じてコンテンツの届き方を直接見られる。制作スピードも速く、取材から編集、公開まで一人で担う。正木さんも、NHKでは何重ものチェックを経て出すのとは違うと応じた。

一方で、壁もあった。それが、十石が最も多く制作に携わった、悩みをテーマにした取材コンテンツだった。十石は、NHKの記者時代に培ったスキルと新R25で求められるスキルに差があったと説明する。

NHKでは、他の民放や新聞社が報じていない情報をいち早く出す「独自ネタ」や速報性が評価の指標の一つになる。これに対して新R25では、起きたことをそのまま伝えるのではなく、ゼロから企画を考え、視聴者が自分ごととして受け取れるように届ける企画力、編集力、発信力が求められる。十石はここに報道との一線を画す違いがあると見る。

発信の比重も違った。NHKは視聴者がある程度固定されていて、コンテンツを出せば一定数の人に見てもらえる土壌がある。そのため、発信の工夫にそれほど重きを置いてこなかった。新R25では、テーマ設定や切り口、タイトルやサムネイルで再生数が大きく変わる。十石は最初この違いに苦戦し、サムネイルやタイトルも助言を受けながら形にしていったという。新R25では「届ける力」を養えたと振り返っている。

企画の発想も違った。NHKの特集や企画は、今起きているニュースをどう掘り下げて分かりやすく伝えるかが中心だった。十石はイラン情勢やトランプ関税を例に挙げる。大きなニュースが鳥取や広島にどう影響するのかを伝え、市民に当事者意識を持ってもらう。これは今あるニュースを「1を10に、10を100にする」考え方だったという。新R25では、ビジネスパーソンが抱える悩みやモヤモヤ、そのインサイトをゼロベースで考えなければならない。

企画づくりは内省の作業だと十石は言う。自分が何に悩み、世の中の人が何にモヤモヤしているのかを掘り下げ続ける。就活で自己分析をしたくらいで、普段そこまで内省することはなかったため、自分と徹底的に向き合う楽しさと厳しさを学んだと語った。

同じくテレビ出身の同僚も、テレビやラジオは知識ゼロの人にも分かる伝え方をするが、ネットメディアは前提を共有したうえで細分化し、深く突き詰める作り方が多いと補足した。テレビは全体像をなぞるが、ネットでは切り取る部位を選ぶようなもので、専門性や深い知識が必要になるという。十石は、社会人4年目の今、報道とビジネスメディアという勝手の違うコンテンツ制作をキャリアの早い時期に両方経験できたことは、大きな強みになるだろうと振り返った。

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8ヶ月で27本、同僚が見た仕事ぶり

十石は入社から8ヶ月で、合計27本の動画コンテンツを制作した。新R25にはなかった取材テーマや出演者の開拓にも取り組んだという。

広告コンテンツを一緒に担当した藤野さんは、十石を、誠実さとテレビ業界出身の泥臭さを兼ね備えた人物だと評した。広告コンテンツにはお金を払うクライアントがいて、企画、インタビュー、編集、公開という流れで制作する。十石はそのすべてを担当し、どの工程でも妥協しなかった。それがクライアントの安心感につながっていたと藤野さんは見ている。

広告コンテンツは、クライアント、視聴者、出演者の3方向を向いてつくる必要があるため難易度が高い。通常は入社から半年ほどで任される領域だが、十石が担当し始めたのは入社から1ヶ月半ほどだった。最初の案件は、カメラの後ろに事務所、クライアント、代理店など大勢の関係者がいる撮影現場だった。藤野さんは少し不安もあったが、十石なら大丈夫だろうと任せたという。今までで一番早い即戦力で、十石がいなければ回らないのではと思うほど頼ったと話した。十石自身は、NHKには広告という概念がないため、広告の撮影現場はこのときが初めてだったと明かしている。

悩み系コンテンツを見ていたり太郎さんは、受け入れ時に正木さんと立てた計画を振り返った。最初の目標は、OKが出た企画を10本つくることだった。十石が出す企画は最初から質が高かったが、り太郎さんは簡単に通してはいけないと考え、かなり厳しいフィードバックを重ねた。それでも十石は修正のたびに新しいスライドをつくり、タイトルに修正版であることを明記して返してきた。一度した指摘は必ず反映されていたという。最初の1ヶ月でこの「企画ノック」を終えた後は、り太郎さんがほとんど口を出す必要がなくなり、他のメンバーと同じフローで問題なく進められるようになった。取材への同行も編集確認も、それぞれ2本しかしていないと正木さんは付け加えている。

十石は、少人数の編集部で未経験の自分に時間を割いてくれたことに感謝を述べた。社会人になって初めて仕事を「楽しい」と思えた8ヶ月で、学生サークルのような青春があったとも語っている。

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突然のメディアクローズと、立ち返った軸

業務にようやく慣れてきた頃、メディア終了が発表された。社長や正木さんから話を聞いたとき、十石は正直ショックだったという。入社8ヶ月でのメディア終了は、一般的には絶望的な状況に見えるだろうとも述べている。それでも十石は、すでに前向きに考えられていると話す。

メディア終了によって、十石はサイバーエージェント内で次の挑戦をする必要に迫られた。そこで、自分は何がしたくてこの会社に来たのかを振り返った。思い出したのは、教員を目指したときの軸だった。「人の生き方に影響を与えられる、インパクトの大きい仕事がしたい」という軸は、メディア業界を志したときも、新R25に来たときも変わっていなかった。その原点に立ち返り、この軸を実現するためにこれから何ができるかを考えていたとき、ある取材が重なった。

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石丸伸二さんへの取材と「軸の柔軟性と強さのバランス」

その取材相手が石丸伸二さんだ。十石はNHKに入って最初に広島放送局に配属された。当時、石丸さんは広島県安芸高田市の市長だった。十石は県政の担当ではなかったため、直接取材したことはなかった。ただ、石丸さんが東京都知事選に出る直前、一度だけ会見に行ったことがあるという。当時の石丸さんはメディアに厳しかったため、1年目の自分が質問すればその場で厳しく返されかねないと考え、何も聞けなかった。

十石はそのリベンジをしたいと考えて取材を申し込み、快諾を得た。取材後にはバーに飲みにも行き、親しくしてもらったという。正木さんは、NHKから小さなメディアに移ったのに1対1で取材できたのは不思議な縁で、お互いの立場が変わったタイミングもよかったのかもしれないと話した。

この取材で石丸さんは、プロの職業人としてのキャリアとの向き合い方について助言した。何のために仕事をしているのかという、自分の譲れない優先順位、つまり軸だけは何があっても動かすな。そして、軸の柔軟性と強さのバランスがプロの職業人としての価値を高める。石丸さんはそう語ったという。

メディア終了を受けて今後のキャリアを考えなければならないタイミングで、十石にはこの言葉が「自分に言われている」と感じられるほど刺さった。十石はこれを、これからの時代に働くうえでの教訓として受け止めている。目の前の仕事やキャリアに固執すると、生成AIの時代のような変化に対応できなくなる。大切なのは、軸をしっかり持って動かさず、そのうえで環境の変化にはどこまでも柔軟でいることだ。十石はそれがこれからの時代に求められる変化対応力だと理解したという。

そのうえで十石は、サイバーエージェントには軸と柔軟性の両方を持てる環境があると気づいたと話す。軸の面では、同社が新R25以外にもABEMAなどメディア事業に力を入れていること。柔軟性の面では、「自由と自己責任」という企業文化があり、社員の主体性を重視していること。メディアクローズという外的な変化をきっかけに自分の軸を棚卸しでき、同時に軸を大切にしながら柔軟に挑戦して職業人としての幅を広げられる環境がある、というのが十石の考えだ。編集部からは「サイバーエージェントの採用PRのようだ」と笑いが起きた。

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環境の「強制終了」は誰にでも起こる

十石は、これは自分がたまたま挑戦できる会社にいた幸運ではないか、と思う視聴者もいるだろうと述べる。運がよいのは確かだと認めたうえで、次のように続けた。勤めている会社が倒産する、今回の新R25のように事業から撤退する。そこまでいかなくても、大企業なら人事異動で希望しない部署に移ることは十分あり得る。キャリアの「強制終了」は誰の身にも起こりうると十石は考えている。

予期せぬ大きな変化で環境が強制的に変わるとき、居心地のいい組織に依存し続けるのではなく、自分の本当の軸は何かを見つめ直す。十石は、それが職業人として進化する最大の機会になると捉えれば、変化も前向きに受け止められるのではないかと話す。このマインドセットさえあれば、どんな環境に放り出されても自分の手で納得のいくキャリアを選び、次のステージを切り開けるはずだ、というのが気持ちを切り替えられた理由だという。

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自由と自己責任の中で育った主体性

プレゼンの終盤、十石は3歳の頃の写真を映して会場を和ませた。そのうえで、自分が育った環境を振り返った。親から習い事や勉強を「やりなさい」と言われたことは一度もなく、好きなように生きなさいと言われてきた。その代わり、自分で決めたことは途中で投げ出すなと言われ、習い事もやめさせてもらえなかった。何事も強制されず、自分の意思で選び、その結果が成功でも失敗でも自分の責任だ、という教育を受けてきたという。今思えばサイバーエージェント的な考え方に近いと十石は話す。

十石によれば、こうして育った主体性は、社会人になって一度薄れていた。上司から与えられた仕事をこなす受け身の姿勢になりがちで、そういう人は多いのではないかと見ている。新R25では、企画も取材相手も誰かに言われるのではなく自分で決められた。裁量とスピード感がある環境だったからこそ、主体性を思い出せたという。

今後については、若手を後押しして打席を用意してくれるサイバーエージェントなら、新R25で取り戻した主体性という武器を存分に振るえるのではないかと期待を語った。これまで以上に積極的に手を挙げ、会社全体、ひいては社会全体に貢献できる人材になりたいという。

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居心地のいい場所がなくなるとき

十石は、新R25で等身大のコンテンツをつくった1年間は決して無駄ではなく、今後のキャリアで大きな盾になると考えている。メンバーにも仕事の内容にも恵まれた居心地のいい環境だったため、自分からは絶対に動かなかっただろうとも認めた。

それでも、居心地のいい環境は部署異動やメンバーの入れ替わりの中でいずれ自然になくなるもので、誰にも止められない。だからこそ、強制的に動かされるタイミングは自分の軸を明確にして変わる機会になる。十石は、今回をそういう機会として受け止めていると語った。

最後に十石は、新R25というメディアはなくなっても、自分がつくったコンテンツは残り続けると述べ、視聴者と編集部に感謝を伝えた。今年26歳になり20代後半に差しかかることに触れ、新R25の最後のメンバーとして、これからも圧倒的な主体性を持って前向きに働いていきたいと締めくくった。