居心地のいい場所はいずれなくなる:NHKから新R25へ転職した十石泰誠が、メディア終了を前向きに捉える理由
新R25チャンネル新R25は2026年9月をもってメディア運営を終了する。その「卒業コンテンツ」の一本として、編集部の十石泰誠が同僚たちを前にプレゼンを行った。十石はNHKの記者から新R25に転職し、入社から1年足らずでメディア終了を知らされた。最初は大きなショックを受けたが、今は前向きに受け止められているという。プレゼンでは、その理由を自身のキャリアをたどりながら説明している。編集部のメンバーは審査員のように並び、途中で合いの手や当時の思い出を挟んだ。
教員志望から生まれた「働く軸」
十石は大阪出身で、高校まで地元で育ち、京都の大学に進学した。中学の頃から教員を目指しており、中学・高校の社会科の教員免許が取れる学部を選んだ。特に高校で日本史を教えたかったという。
教員を志した理由として、十石は人に教えることが好きだったことに加え、「人の生き方にプラスの影響を与える仕事がしたい」という軸があったと語る。もう少し具体的には、誰かの人生の転機になるようなコンテンツや空間をつくりたいと考えていた。当時の十石にとって、そのコンテンツが「授業」で、空間が「教室」だった。生徒一人ひとりに前向きな人生を歩んでほしいと考え、キャリア教育にも力を入れる教師を理想像にしていたという。
この話を聞いた正木さんは、自分も中学の頃から教員志望で、塾講師のアルバイトをしていた点まで同じだと驚いた。面接のときにこの話を聞いて共感した記憶もあるという。
大学の4年間、十石は塾講師のアルバイトを続け、教育実習にも行った。生徒と接するうちに、2つの思いが芽生えたと振り返る。1つは、自分が直接影響を与えられる人数には限りがあるということだ。塾なら担当の生徒、学校なら教えている教室の生徒で、多くてもせいぜい100人か200人だろうと十石は見る。もう1つは、社会人経験を積んでから教師になったほうが、生徒に伝えられることが増え、自分の視野も広がるのではないかという考えだ。キャリア教育に力を入れたいなら、実体験を伴わないアドバイスは難しいとも考えた。
さらに、大学でメディア系の学部に所属していたことから、コンテンツ制作そのものへの興味も強くなった。自分がつくったコンテンツを最も多くの人に届けられる環境に行きたいと考え、就職活動を始めたという。
テレビか新聞か、そしてNHKへ
十石の就職活動はかなり偏っていた。インターンや説明会も含め、テレビ局と新聞社しか受けなかった。当時の自分の視野には、Webメディアは入っていなかったと認めている。編集部からは「価値観が古い」とからかわれた。
結果として、NHKと読売新聞の両方から内定を得た。十石がNHKを選んだのは、今は紙よりテレビではないかと考えたこと、コンテンツ発信の規模、そして公共放送としてより大きなインパクトのある仕事ができそうだと考えたことからだという。
NHKで感じた3つの「贅沢な物足りなさ」
NHKには記者として入局し、コンテンツ制作や日々の取材業務で、やりたいことは実現できていた。それでも仕事を続けるうちに、十石は「贅沢な物足りなさ」を感じるようになった。挙げたのは、スピード感、裁量、視聴者との距離の3つだ。
スピード感について、十石は公共放送であるNHKでは情報の正確性が強く求められると説明する。1つのコンテンツを世に出すまでに承認フローや組織としての整合性が必要になり、意思決定に時間がかかる。
裁量については、NHKの記者には経験豊富なベテランが多く、新聞社や地方局で経験を積んでから中途で入ってくる人も少なくないと話す。そのため、若手記者に委ねられる裁量は小さくはないものの大きくもなく、決められた担当テーマの中で動くことが多かった。
視聴者との距離については、テレビが一方通行のマスメディアであるため、コンテンツが届いたのか、視聴者の熱量や反響を直接感じにくいことを挙げた。若者のテレビ離れもひしひしと感じていたという。大学の友人に久しぶりに会うと「家にテレビがない」と言われることが多く、どうせつくるなら自分に近い世代に見てもらいたいと思うようになった。
また、テレビでは自分のコンテンツだから見てもらえるわけではなく、番組として見られるという感覚があった。50分のニュースのうち、自分がつくる部分は長くても10分程度で、「ワン・オブ・ゼム」になる。チームで1つの番組をつくる世界だったため、十石は自分のコンテンツで勝負できる場所に行きたいと考え、就活時には頭の片隅にもなかったWebメディアへの挑戦を決めた。
NHK鳥取局で新R25を参考にした企画
十石は社会人になった頃から新R25を見ていた。正木さんによれば、十石はNHK時代に鳥取局で、新R25の悩み相談コンテンツを参考にしたコーナーを発案していたという。
十石の説明はこうだ。新R25は以前から悩み相談の企画を続けていた。鳥取局で若手プロジェクトとして企画を立ち上げる際、十石はメンバーに加わり、プロデューサーに「Z世代の悩みに寄り添った企画」を提案した。それが採用され、コーナーは現在も続いているという。その企画で取材した酒井さんについて、十石は自分が取材したかったからキャスティングしたと明かした。新R25に入ってからも、最初の取材で酒井さんと再び仕事をしている。
1時間半の面接と、採用の決め手
転職にあたっては、新R25のメンバーと複数回話をした。自分がやりたいコンテンツを制作できる環境があること、仕事への熱量が高いメンバーがいることを聞き、心を決めたという。最初の面接官は正木さんで、面接は1時間半ほど続いた。途中で接続が一度切れ、入り直したほどだった。
正木さんは、このとき初めて採用の理由を本人の前で話した。まず、安定した有力企業であるNHKのポジションを捨ててでも挑戦しようとしている点を評価した。次に、誠実な人柄だ。正木さんによると、編集部で活躍してきたメンバーには誠実なタイプが多かったという。
また、十石は自分を客観的に見ており、スクープを取るのは苦手だと話していた。正木さんは、新R25は自分の悩みや共感を軸に企画をつくるやり方なので、求めるのはスクープを取る能力ではないと説明する。自己認識と新R25への理解が重なっていたこと、特定の領域にこだわらず色々やりたいと言っていた柔軟性も好印象だったという。他のメンバーの評価も同じで、採用はとんとん拍子に決まった。
NHK出身で半年ほど前に入社していた同僚は、「十石」という強そうな名字しか知らず、どんな人が来るのか少し身構えていたと打ち明けた。今は一緒に働けてよかったと思うほど誠実な人だと話している。
求めていた環境と、「悩みサイト取材」という壁
入社後、十石は広告コンテンツを含め、幅広いコンテンツ制作に携わった。NHK時代に物足りなさを感じていたスピード感、裁量、視聴者との距離が、新R25にはすべてそろっていたと十石は感じている。YouTubeならコメントを通じてコンテンツの届き方を直接見られる。制作スピードも速く、取材から編集、公開まで一人で担う。正木さんも、NHKでは何重ものチェックを経て出すのとは違うと応じた。
一方で、壁もあった。それが、十石が最も多く制作に携わった、悩みをテーマにした取材コンテンツだった。十石は、NHKの記者時代に培ったスキルと新R25で求められるスキルに差があったと説明する。
NHKでは、他の民放や新聞社が報じていない情報をいち早く出す「独自ネタ」や速報性が評価の指標の一つになる。これに対して新R25では、起きたことをそのまま伝えるのではなく、ゼロから企画を考え、視聴者が自分ごととして受け取れるように届ける企画力、編集力、発信力が求められる。十石はここに報道との一線を画す違いがあると見る。
発信の比重も違った。NHKは視聴者がある程度固定されていて、コンテンツを出せば一定数の人に見てもらえる土壌がある。そのため、発信の工夫にそれほど重きを置いてこなかった。新R25では、テーマ設定や切り口、タイトルやサムネイルで再生数が大きく変わる。十石は最初この違いに苦戦し、サムネイルやタイトルも助言を受けながら形にしていったという。新R25では「届ける力」を養えたと振り返っている。
企画の発想も違った。NHKの特集や企画は、今起きているニュースをどう掘り下げて分かりやすく伝えるかが中心だった。十石はイラン情勢やトランプ関税を例に挙げる。大きなニュースが鳥取や広島にどう影響するのかを伝え、市民に当事者意識を持ってもらう。これは今あるニュースを「1を10に、10を100にする」考え方だったという。新R25では、ビジネスパーソンが抱える悩みやモヤモヤ、そのインサイトをゼロベースで考えなければならない。
企画づくりは内省の作業だと十石は言う。自分が何に悩み、世の中の人が何にモヤモヤしているのかを掘り下げ続ける。就活で自己分析をしたくらいで、普段そこまで内省することはなかったため、自分と徹底的に向き合う楽しさと厳しさを学んだと語った。
同じくテレビ出身の同僚も、テレビやラジオは知識ゼロの人にも分かる伝え方をするが、ネットメディアは前提を共有したうえで細分化し、深く突き詰める作り方が多いと補足した。テレビは全体像をなぞるが、ネットでは切り取る部位を選ぶようなもので、専門性や深い知識が必要になるという。十石は、社会人4年目の今、報道とビジネスメディアという勝手の違うコンテンツ制作をキャリアの早い時期に両方経験できたことは、大きな強みになるだろうと振り返った。
8ヶ月で27本、同僚が見た仕事ぶり
十石は入社から8ヶ月で、合計27本の動画コンテンツを制作した。新R25にはなかった取材テーマや出演者の開拓にも取り組んだという。
広告コンテンツを一緒に担当した藤野さんは、十石を、誠実さとテレビ業界出身の泥臭さを兼ね備えた人物だと評した。広告コンテンツにはお金を払うクライアントがいて、企画、インタビュー、編集、公開という流れで制作する。十石はそのすべてを担当し、どの工程でも妥協しなかった。それがクライアントの安心感につながっていたと藤野さんは見ている。
広告コンテンツは、クライアント、視聴者、出演者の3方向を向いてつくる必要があるため難易度が高い。通常は入社から半年ほどで任される領域だが、十石が担当し始めたのは入社から1ヶ月半ほどだった。最初の案件は、カメラの後ろに事務所、クライアント、代理店など大勢の関係者がいる撮影現場だった。藤野さんは少し不安もあったが、十石なら大丈夫だろうと任せたという。今までで一番早い即戦力で、十石がいなければ回らないのではと思うほど頼ったと話した。十石自身は、NHKには広告という概念がないため、広告の撮影現場はこのときが初めてだったと明かしている。
悩み系コンテンツを見ていたり太郎さんは、受け入れ時に正木さんと立てた計画を振り返った。最初の目標は、OKが出た企画を10本つくることだった。十石が出す企画は最初から質が高かったが、り太郎さんは簡単に通してはいけないと考え、かなり厳しいフィードバックを重ねた。それでも十石は修正のたびに新しいスライドをつくり、タイトルに修正版であることを明記して返してきた。一度した指摘は必ず反映されていたという。最初の1ヶ月でこの「企画ノック」を終えた後は、り太郎さんがほとんど口を出す必要がなくなり、他のメンバーと同じフローで問題なく進められるようになった。取材への同行も編集確認も、それぞれ2本しかしていないと正木さんは付け加えている。
十石は、少人数の編集部で未経験の自分に時間を割いてくれたことに感謝を述べた。社会人になって初めて仕事を「楽しい」と思えた8ヶ月で、学生サークルのような青春があったとも語っている。
突然のメディアクローズと、立ち返った軸
業務にようやく慣れてきた頃、メディア終了が発表された。社長や正木さんから話を聞いたとき、十石は正直ショックだったという。入社8ヶ月でのメディア終了は、一般的には絶望的な状況に見えるだろうとも述べている。それでも十石は、すでに前向きに考えられていると話す。
メディア終了によって、十石はサイバーエージェント内で次の挑戦をする必要に迫られた。そこで、自分は何がしたくてこの会社に来たのかを振り返った。思い出したのは、教員を目指したときの軸だった。「人の生き方に影響を与えられる、インパクトの大きい仕事がしたい」という軸は、メディア業界を志したときも、新R25に来たときも変わっていなかった。その原点に立ち返り、この軸を実現するためにこれから何ができるかを考えていたとき、ある取材が重なった。
石丸伸二さんへの取材と「軸の柔軟性と強さのバランス」
その取材相手が石丸伸二さんだ。十石はNHKに入って最初に広島放送局に配属された。当時、石丸さんは広島県安芸高田市の市長だった。十石は県政の担当ではなかったため、直接取材したことはなかった。ただ、石丸さんが東京都知事選に出る直前、一度だけ会見に行ったことがあるという。当時の石丸さんはメディアに厳しかったため、1年目の自分が質問すればその場で厳しく返されかねないと考え、何も聞けなかった。
十石はそのリベンジをしたいと考えて取材を申し込み、快諾を得た。取材後にはバーに飲みにも行き、親しくしてもらったという。正木さんは、NHKから小さなメディアに移ったのに1対1で取材できたのは不思議な縁で、お互いの立場が変わったタイミングもよかったのかもしれないと話した。
この取材で石丸さんは、プロの職業人としてのキャリアとの向き合い方について助言した。何のために仕事をしているのかという、自分の譲れない優先順位、つまり軸だけは何があっても動かすな。そして、軸の柔軟性と強さのバランスがプロの職業人としての価値を高める。石丸さんはそう語ったという。
メディア終了を受けて今後のキャリアを考えなければならないタイミングで、十石にはこの言葉が「自分に言われている」と感じられるほど刺さった。十石はこれを、これからの時代に働くうえでの教訓として受け止めている。目の前の仕事やキャリアに固執すると、生成AIの時代のような変化に対応できなくなる。大切なのは、軸をしっかり持って動かさず、そのうえで環境の変化にはどこまでも柔軟でいることだ。十石はそれがこれからの時代に求められる変化対応力だと理解したという。
そのうえで十石は、サイバーエージェントには軸と柔軟性の両方を持てる環境があると気づいたと話す。軸の面では、同社が新R25以外にもABEMAなどメディア事業に力を入れていること。柔軟性の面では、「自由と自己責任」という企業文化があり、社員の主体性を重視していること。メディアクローズという外的な変化をきっかけに自分の軸を棚卸しでき、同時に軸を大切にしながら柔軟に挑戦して職業人としての幅を広げられる環境がある、というのが十石の考えだ。編集部からは「サイバーエージェントの採用PRのようだ」と笑いが起きた。
環境の「強制終了」は誰にでも起こる
十石は、これは自分がたまたま挑戦できる会社にいた幸運ではないか、と思う視聴者もいるだろうと述べる。運がよいのは確かだと認めたうえで、次のように続けた。勤めている会社が倒産する、今回の新R25のように事業から撤退する。そこまでいかなくても、大企業なら人事異動で希望しない部署に移ることは十分あり得る。キャリアの「強制終了」は誰の身にも起こりうると十石は考えている。
予期せぬ大きな変化で環境が強制的に変わるとき、居心地のいい組織に依存し続けるのではなく、自分の本当の軸は何かを見つめ直す。十石は、それが職業人として進化する最大の機会になると捉えれば、変化も前向きに受け止められるのではないかと話す。このマインドセットさえあれば、どんな環境に放り出されても自分の手で納得のいくキャリアを選び、次のステージを切り開けるはずだ、というのが気持ちを切り替えられた理由だという。
自由と自己責任の中で育った主体性
プレゼンの終盤、十石は3歳の頃の写真を映して会場を和ませた。そのうえで、自分が育った環境を振り返った。親から習い事や勉強を「やりなさい」と言われたことは一度もなく、好きなように生きなさいと言われてきた。その代わり、自分で決めたことは途中で投げ出すなと言われ、習い事もやめさせてもらえなかった。何事も強制されず、自分の意思で選び、その結果が成功でも失敗でも自分の責任だ、という教育を受けてきたという。今思えばサイバーエージェント的な考え方に近いと十石は話す。
十石によれば、こうして育った主体性は、社会人になって一度薄れていた。上司から与えられた仕事をこなす受け身の姿勢になりがちで、そういう人は多いのではないかと見ている。新R25では、企画も取材相手も誰かに言われるのではなく自分で決められた。裁量とスピード感がある環境だったからこそ、主体性を思い出せたという。
今後については、若手を後押しして打席を用意してくれるサイバーエージェントなら、新R25で取り戻した主体性という武器を存分に振るえるのではないかと期待を語った。これまで以上に積極的に手を挙げ、会社全体、ひいては社会全体に貢献できる人材になりたいという。
居心地のいい場所がなくなるとき
十石は、新R25で等身大のコンテンツをつくった1年間は決して無駄ではなく、今後のキャリアで大きな盾になると考えている。メンバーにも仕事の内容にも恵まれた居心地のいい環境だったため、自分からは絶対に動かなかっただろうとも認めた。
それでも、居心地のいい環境は部署異動やメンバーの入れ替わりの中でいずれ自然になくなるもので、誰にも止められない。だからこそ、強制的に動かされるタイミングは自分の軸を明確にして変わる機会になる。十石は、今回をそういう機会として受け止めていると語った。
最後に十石は、新R25というメディアはなくなっても、自分がつくったコンテンツは残り続けると述べ、視聴者と編集部に感謝を伝えた。今年26歳になり20代後半に差しかかることに触れ、新R25の最後のメンバーとして、これからも圧倒的な主体性を持って前向きに働いていきたいと締めくくった。
皆さん、こんにちは。新R25の十石です。新R25は2026年9月をもってメディア運営を終了することとなりました。新R25のフィナーレでは「終わりは始まり」をコンセプトに、私たち編集部員たちによる思いを込めた卒業コンテンツをお届けいたします。今回、僕十石の卒業コンテンツでは、新R25のミッションを終えて、新R25で学んだことであったりとか、これからの展望といった前向きなお話をぜひさせていただけたらと思いますので、最後までご覧いただけると嬉しいです。
ということで、今回は僕のプレゼンを聞いてもらうということで、編集部の皆さんに今日はお集まりいただきました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。お願いします。お願いします。こんな感じでよかった? 審査員みたいな感じで。死ぬほど緊張してますけど。しっかり聞かせていただきます。自分が準備した構図なんだけどね、これ。そうなんだ。間違い。
今日はなので、ちょっと皆さんにも僕の発表を聞いてもらうような感じでよろしくお願いします。
はい。ということで、僕はですね、視聴者の皆さんも知ってる方いらっしゃるかもしれないんですけども、元々前職NHKというテレビ局で働いていまして、そこを退職してですね、去年の10月に。1年経ってないぐらい。経ってないぐらいですね。はい。入社して1年足らずで、メディアが終了してしまうということになって、最初僕も聞いた時結構すごいショックだったんですけども、ただこの状況を色々と振り返って、割と前向きに捉えられてるなっていう風に自分でも思ってまして、今日はその理由についてお話させていただけたらと思います。
僕のキャリアをちょっと簡単に振り返らせていただけたらと思います。
僕は出身が大阪でして、高校まで地元大阪で育ってきたんですけど、京都の大学に進学をしました。大学に行った理由としては、元々僕、教員になりたくてですね、教員志望だったんですね。中学の頃からずっと教員になりたいなっていう風に思っていて、中学と高校の社会科の教員免許を取ることができる大学・学部に進学をすることになりましたと。
もっと言うと、高校で日本史を教えたいっていう風に思ってたんですけども、まずその教員を目指した理由なんですけど、人に教えることが好きだったっていうのはもちろん大前提としてあるんですけども、それ以上に人の生き方っていうところにプラスの影響を与える仕事がしたいっていう軸があってですね、教員を目指していましたと。
もっと具体的に言うと、誰かの人生の転機になれるようなコンテンツであったりとか空間っていうのを作っていきたいっていう風に考えていて、当時の僕にとってこのコンテンツっていうのが授業ですと。で、空間っていうのが教室だったんですね。なので生徒たち一人ひとりに前向きな人生を歩んでほしいなっていう風に思っていて、キャリア教育みたいなところにも力を入れられるような教師になりたいなっていうような教師像を理想として大学で勉強していたという感じなんですね。
俺も全く同じだわ。中学ぐらいから教員志望で。そう、全く同じ。へえ。そう。え、教えるのは好きだった? そうですね。大学入学するちょっと前から卒業までずっと塾講師のバイトを。ええ、めっちゃ教えるの好きじゃん。それも同じ。ええ、そうなんですか。
やっぱコンテンツは授業で、空間は教室という。こんなことは思ってなかった。あそこはないけど。これはないけど。かっこいい。これかっこいいです。それ面接の時に話して。あ、そうですね。ね。共感したって記憶ある。はい。へえ。ああ、なるほど。知らなかった。やっぱ偉そうで気持ちいいよね。あ、なるほど。でもさ、上に立てる。もしかしたらちょっと鼻につく可能性あるかもしれない。なんか嫌な理由ですね、それはね。
大学時代その4年間続けてきた塾講師のバイトであったりとか、教育実習とかも行かせていただいてですね、実際に生徒たちに触れていく中で、2つの思いが芽生えるようになりまして、まず1つ目が、自分が直接影響を与えられる人数って限りがあるなと。うん。もちろん塾であれば自分が見ている担当の生徒ですし、学校であれば自分が授業している教室にいる生徒、多くても多分せいぜい100人、200人だと思うんですよ、これって。なんで、人数に限りがあるっていうところで。もう1つが、やっぱりこの社会人経験を積んでから教師になった方が、生徒たちに伝えられることも自分自身の視野も広がるんじゃないかっていう風に思ったんですね。
うん。もっと言うと、キャリア教育っていうところに力を入れたいっていう風に考えていたので、やっぱり社会人経験がないと、なかなかどうキャリアを築いていくかみたいなアドバイスって結構するの難しいと思うんですよ。実体験を伴ってないんで。なんかそういう経験をしといた方が後々教師になった時に役立つんじゃないかっていうところで、こういう気づきがあったなという感じですね。
で、僕、大学でメディア系の学部に所属をしていたこともありまして、純粋なコンテンツ作りへの興味みたいなところも強くなったこともあってですね、自分が作ったコンテンツを最も多くの人に届けられるような環境に行きたいっていう思いが強くなって、就職活動を始めることになりました。なので就活の時も僕結構偏った就活をしていて。うん。テレビと新聞しか受けてなかったんですよ。それ以外の業界一切見てなくて。うん。すごい。インターンか説明会も含めてテレビ局か新聞社にしか行ってなかったっていう。
世代的にはさ、Webメディアとかはさ、視野には入ってなかった? 確かに、その時はなかったですね。なんで、もうマスコミと言えばテレビ・新聞以外ないだろうと。価値観が古い。昭和世代もね。昭和。え、2023年ですよね。そうです。そうです。そうです。
なので、テレビか新聞に行きたいなっていう風に思っていまして、テレビ局と新聞社どっちからも内定をもらえたんですけど。じゃ、超優秀だよ。というと、テレビ局は僕が行ったNHKで、新聞社は読売新聞っていうんですけど、内定をいただいて、どっちに行こうかなと思ったんですけど、やっぱり今は紙よりもテレビじゃないかっていうところと、コンテンツ発信における規模の大きさみたいなところを考えた時に、テレビの方が。紙よりもテレビ。紙よりもテレビよりもじゃないんだ。メディアっていう。よりもテレビっていう感覚はあるんか? いや、それは大丈夫。そう、そう、そう、そう。それはさ。そこもある。それはだいぶ前の話のはず。
そうですね。やっぱり公共放送っていうところもあったので、NHKの方がインパクトもある仕事ができるんじゃないかっていうところから。給料って言おうとした? いやいやいやいや。キュって聞こえた。そんなことはないです。そんなことない。気のせいか? 気のせいか? 気のせい。なので、NHKの入社を決めたと。はい。うん。NHKは入局っていうんだね。入局、確かに。
NHKに入局してから、僕も記者として最初入局をしたので、コンテンツ作りであったりとか日々の取材業務みたいなところで、自分のやりたいことっていうのは実現できてたんですけども、日々業務と向き合っていく中で、ちょっと贅沢な物足りなさみたいなのを感じるようになってきました。はい。で、それが3つあって、スピード感、裁量、視聴者との距離っていうこの3つなんですね。
NHKってやっぱり公共放送なんですね。で、とにかく情報の正確性っていうのが求められるので、1つのコンテンツを社会に発信していくためにどうしても時間がかかるんですね。それはもちろん承認フローであったりとか組織としての整合性みたいなところが求められていて、意思決定のスピードに結構時間がかかると。
で、かつやっぱりNHKだと、特に記者は本当経験豊富なベテランの方、中途で入ってくる方も結構多いので、新聞社であったりとか地方のテレビ局で結構経験を積んでからNHKに入ってくるみたいな方も結構いらっしゃるので、若手記者に委ねられる裁量みたいなところは、もちろん小さくはなかったんですけど、そこまで大きくはなくですね、決められた自分の担当する取材テーマの中で動いていくっていうことがやっぱり多かった。うん。
ですね、テレビっていうマスに向けたマスメディアなので、一方通行の媒体の特性上、コンテンツがやっぱ届いたのか、視聴者のリアルな熱量であったりとか反響っていうのを、ダイレクトになかなか感じづらいっていうところもありまして、なんかそういったところに若干もどかしさみたいなところを感じてたっていう部分もあるって。
面接の時に、なんか同世代向けのコンテンツやりたいけど、やっぱテレビはね、視聴者層が上がっちゃっててみたいな話をしてたよね。そう、そうですね。やっぱり若者のテレビ離れって結構色々言われてると思うんですけど、そこは結構ひしひしと感じる部分があって、やっぱり大学の友達と久しぶりに会っても「ごめん、家にテレビそもそもないわ」「見る環境がないです」みたいな感じで言われることやっぱ多かったので、せっかくコンテンツ作りをするのであれば、自分と近い世代の方にせっかくなら見てもらいたいなっていうような思いもあったんですね。はい。
テレビって自分のコンテンツだから見てもらえるっていうのはあんまりイメージ違くて、どっちかっていうとやっぱり番組として見てもらう。ニュースだったら50分あるニュースのうち、自分の作るコンテンツって長くても10分ぐらいなんですよ。うん。うん。だから結構ワン・オブ・ゼム感があるというか、チームで1つのコンテンツを作っていくみたいなイメージなので、自分のコンテンツで勝負できる世界っていったところに行きたいなっていう思いがありまして、Webメディアに挑戦しようと、就活の時は全く頭の片隅にもなかったメディアに、このタイミングでちょっと挑戦することを決意したと。なるほど。うん。という感じでございます。
元々新R25は見てた? 社会人になったぐらいからですね。ええ。あ、そうでさ、NHKの当時、なんだっけ? 鳥取だっけ? 鳥取。鳥取の中でうちのコンテンツを参考にしたコーナーみたいなやつを起案してやってたのよ。鳥取局で。お悩み相談を新R25がやってて、そのお悩み相談みたいなものを地方でもやるみたいなコーナーを。なんだっけ? なんかお悩みバスターズみたいな? そうです。そうです。坂井さん、坂井さん。そうです。坂井風太さんを取材させていただいたんですけど、僕がその新R25を見てて、悩みサイトやってたじゃないですか。結構前から。
で、その新しい若手プロジェクトみたいな感じで企画立ち上げる時に僕もそのメンバーとして入ってて、で、そのプロデューサーのヘッドみたいな人に「Z世代の悩みに寄り添った企画みたいなの考えてみたらどうか」っていうのを言ったら、それがオッケーで。今もちなみに続いてます、それは。はい。す、すごいじゃん。見てくれてちゃんと取り入れ、若い人に届けたいっていう気持ちで、なんかそういうコンテンツをやるってこともやってたぐらい。なるほど。です。すげえ、結構がっつり見てくれてたって。いや、そうだよね。そうですね。それがなんかやっぱり若い世代に届かない可能性が高いってなると、ちょっとね、もどかしいみたいな気持ちにはなるかも。
確かに。確かに。坂井さんはもう完全に僕が取材したかったっていうだけでキャスティングしたんですけど。へえ。で、新R25でもね、また再共演して。あ、そうですね。一番最初に取材させていただいたんです。そうか。そうか。一緒に行きました。一緒に。
なんかそんな経緯もありまして、新R25への転職をちょっと決意したんですけども、新R25でも結構メンバーと色々と複数回お話させていただいて。はい。やっぱり自分のやりたいコンテンツが制作できる環境があるっていうのを、いろんなメンバーからも聞いてですね、仕事に対してもすごい熱量高いメンバーがいるなっていうところで。一番最初、正木さんに面接をしていただいて。そうね。なるほど。確かね、1時間半ぐらいマジで喋ったんですよ。すげえ。ちょっと長いな、俺。はい。いや、自分で思う。長くなっちゃう。熱いっていうか、長いの可能性。熱いね。熱い。1回切れちゃって、もう1回正木さんから送り直してもらって入り直すっていうぐらい喋って。そう、したんだ。いいと思ったら長いです、私。ああ、なるほど。
内定というか、オッケーをもらったメールでも、正木さんからの結構熱いコメントが書いてあったんですけど。そう。連絡担当の人に送って欲しいって言って、俺から送ったかも。へえ。お。どうでした? その面接してみて。これ初めて聞きますけど。そうだね。喋ってみて。いや、めっちゃ良くて。はい。
で、まずNHKからさ、転職してきてくれるってことなんで。はい。まずいいじゃん。その安定した優良企業というポジションを捨ててもいいって思ってるっていう、その若くしてっていうところがまず、それがいいなって思って。で、やっぱ誠実なキャラクターだから。うちの編集部で活躍するメンバーってやっぱ誠実なキャラクターっていうのが。うん。やっぱ過去多かったんだよね。で、そん中で結構ね、自分のことも客観的にメタ認知できて、スクープ取ったりするのやっぱ苦手でっていう話してたじゃん。うん。うん。うん。うん。で、うちの場合って自分のどっちか共感を売りにして作ってくやり方なんで、そのスクープを取ったりするっていう能力じゃないなと思って。で、そっち側の自分のメタ認知と、あと新R25のことちゃんと理解してくれてて。はい。っていうのもあって、その接点となる部分、そこが重なる部分で新R25をちゃんと志望してくれてるっていうのが分かったんで、すごい印象良かったし、新R25の中でいろんなことやりたい、そのコンテンツではあるんだけど、あんまり特定の領域の相談だけじゃなく色々やりたいって言ってくれたじゃん。その柔軟性もいいように使えるなっていう。ああ、言い方さ。うん。色々、でも柔軟な考え方、絶対成長するから。うん。その辺を総合してすごいいいと思うっていうので他の社員に推薦して、他のメンバーも同じような評価だったんで、トントンっていう風に。なるほど。うん。通って、っていう感じだったね。
多分泰誠が入ってくるぐらいの時に、正木さんから事前にこんないい人が来ますよ、っていう共有とかあったんだけど、その時もなんか結構ウキウキだった。ええ、嬉しい。いや、結構いい感じの人が入ってくれることみたいな。うん。ちょっと声はね、明るかった記憶はある。そう、いろんなことやってもらえるなと思ったんで、やっぱ組織の中でさ、そういういろんなことを受け入れてやれる人材そんな多くないんで。はい。はい。ワクワクしちゃったよね。そんなことやらしちゃおうっていうね。うん。
いや、なんか割と私が入って、結構時間そんなに経たずにね、入って半年、半年ぐらいだったので、ちょっと私はビクビクしてました。ちょっとだけ。あ、なるほど。そうか、そうか。なんかどんな奴が来るのか。はいはいはい。なるほど。ちょっと構えちゃうじゃない。しかも同じNHK出身。確か。で、なんか最初男の人か女の人かも分かんなかったし、なんか十石っていう、強い苗字だけが。強そう。来てたから。そう。大丈夫かなとか思ってたんですけど、今はもう本当に一緒に働けてよかったなって思うくらい、本当に誠実な人で。はい。本当ごめんなさい。いやいやいや、ありがとうございます。
いや、本当そう言っていただけて。はい。正木さんに言っていただいた通り、もう入った瞬間から色々やらせていただきまして。はい。やらせてい、色々やらせていただきまして。はい。もちろん広告のコンテンツもそうですし、本当幅広いいろんなコンテンツ作りをさせていただけたなっていう風に思ってまして、スピード感であったりとか裁量、視聴者との距離みたいなところも全て揃っていたなっていう風に感じまして。やっぱりYouTubeだと、視聴者の距離っていうところで言うと、コメントが見れるじゃないですか。ああ。割とダイレクトにこのコンテンツがどういう風に届いてるのかみたいなところが見えるので、僕はすごいありがたいなっていう風に思ってまして、スピード感ももちろん、コンテンツ作るスピードも結構早いですし、裁量ももう自分が取材をして編集もして公開まで全部一人でやるじゃないですか。
確かにね、NHKだとね、所長もチェックして、またチェックして、またチェックして出すみたいな感じだもんね、そこはね。はい。その辺の裁量もあって、自分が求めてた環境が全部あるなっていうところですごい、はい、良かったんですけども。
実は壁もありまして、それがこちらの悩みサイト取材。え、あ、そうだったん。これがメインだったけどね。これがそうなんですよ。メインコンテンツですし、僕が一番この悩みサイトコンテンツは制作に携わったんですけども、なんでこれが僕の壁だったかって言うとですね、実はこれ結構そのNHKの報道、記者時代に培ったスキルと、新R25で求められるスキルに結構差があったんですね。
はい。で、NHKでは基本的にやっぱりこの独自ネタを取るっていう、他の民放であったりとか新聞社が報じていない情報を、取材先に当たって一番最初に出すっていう、その速報性みたいなところですね。これがやっぱり評価される1つの指標になるんですけども、ただやっぱり新R25ってどっちかって言うと、そういうネタを取ったりとか、世の中で起きたことをそのまま伝えるのではなくて、ゼロから企画を考えてそれを視聴者に当事者性を持って伝えるっていう企画力であったりとか編集力、発信力みたいなところで、やっぱり報道とちょっと一線を画すような違いがあったところは1つありまして。
で、結構やっぱりNHK自体って視聴者が固定化されてるんで、もうコンテンツさえ出してしまえば多くの人に一定見てもらえるような土壌っていうのはあったんで、あんまり発信の部分に重きを置くことっていうのはそんなになかったんですけども、やっぱり新R25ってコンテンツの内容であったりとかテーマ設計みたいなところで再生数結構大きく変わると思うんですね。
で、その企画の切り口であったりとか、もっと言うとタイトルであったりとかサムネイルみたいなところの発信の部分で結構差が出てしまうっていうところで、届ける力を結構新R25では養えたなっていう風に思ってまして。最初はその違いに結構苦戦しまして、もうサムネ・タイトルを考える時も色々と助言をいただきながら、なんとか形にしていったなっていう思い出がありまして。
NHKでは特集であったりとか企画みたいなところで、すでに起きてるニュースをいかに掘り下げて分かりやすく伝えるかっていう、例えば今で言うとイランの情勢がありますと、で、トランプ関税がありますと、それが例えば鳥取ではどういう影響があるのか、広島だとどういう影響があるのかっていう風に、ちょっと大きなテーマの話も市民に当事者性を持ってもらうように伝えるっていう、今あるニュースをどう伝えるかっていう、1を10にする、10を100にするっていうような企画の考え方だったんですけども、新R25っていうのは、世の中のビジネスパーソンが抱える悩みのインサイト、モヤモヤみたいなところをゼロベースで考えていかないといけないっていうところに結構違いがありまして、そこも割と自分にとっての壁になった部分ではあるかなという風に思います。
自分の悩みに向き合ってとかっていうの、それはさ、我々のやり方なんだけど、それ結構大さんも苦労してた部分があるね。うん。そうですね。結構企画って内省じゃないですか? 自分が何に悩みを抱えていて、世の中の人たちがどういうところにモヤモヤを感じているかっていうのをひたすら自分の中で掘り下げていく作業って、就活の時ちょっと自己分析したぐらいで、そこまで内省することってね、普段ないというか。だから徹底的に自分と向き合うことの楽しさも厳しさも、なんかね、学んだというか、そういう感じはありました。
うん。確かに確かに。十石君がおっしゃってた、いかに分かりやすく伝えるかみたいなところを、やっぱテレビはすごく意識する。テレビ・ラジオは、全く知識ゼロの人にも分かるような伝え方をするけれども、やっぱネットメディアってそうじゃなくて、新R25来て分かったんですけど、まずそこの前提条件はちゃんとあった上で、じゃあそこをもっと細分化して深く突き詰めていこうっていうような作り方がすごく。うんうん。うん。多いなと思っていて、そうなってくると、やっぱり専門性だとか深い分野の知識みたいなものが、さらうだけではできなくなってくるというか。うん。なんか十石君の心臓を切り取るのか、内臓を切り取るのか、太ももの肉を切り取るのか、なんか色々ね。なんかテレビって、その全体像をなぞるんですよね。うん。でもそれって結構簡単、簡単な。そう。そうなんです。ごめんなさい。すごい。
そうなんですよ。僕は今4年目ですけど、社会人、両方できたのめっちゃいい経験だったなっていう風に思ってて、やっぱりその報道でのコンテンツ作りと、このビジネスメディアでのコンテンツ作りってやっぱり全然勝手が違うんですけど、なんかその両方を早いキャリアの時期に経験できたのが、多分だいぶ強みになるんじゃないかなっていうのは、今すごい振り返ってて思いますね。確かに。
はい。こういう経験したことない企画の考え方に成長痛を感じながらもですね、入社8ヶ月で合計27本の動画コンテンツを。うん。制作しまして。はい。いろんな取材テーマであったりとか、新R25には今までなかったものみたいなところも開拓しまして。はい。全部で合計27本ですね、動画コンテンツを、はい、制作することができましたと。うん。オーガニックの取材はり太郎君に色々と企画も一緒に考えてもらったりとか、動画も見てもらってたと思うんですけど。はい。で、広告は藤野さんに色々とちょっと二人三脚で一緒にやっていただきながらっていう感じで、ちょっとお二人に。うん。一緒に僕のコンテンツ作りをしてみてどうだったか、振り返っていただけたらなと思うんですけど。
常々出てる、やっぱ誠実、そしてそのテレビ界から来た泥臭さを兼ね備えた人間ですね。すごいですか? 人間の話は人です。そう、一緒に仕事して、こんな一生懸命仕事に向き合える人って、まあ、なかなかいないだろうなと思ったし、具体的にちょっと話をすると、全ての広告コンテンツっていわゆるクライアントさんがいて、クライアントさん。はい。が、お金を払っていただいて、それを動画にするって形だと思うんだけど、基本的に企画があってインタビューして編集して公開っていう、大きく多分この流れなんですけど、彼は全部やってたんですよね。企画から全部やってて、全ての工程において抜け目がなかったんですね。うん。なんか抜け目がないっていうと偉そうですけど、全ての工程において妥協しない。うん。うん。がゆえに、クライアントさんからもすごい安心感を与えてるんだろうなと思って、僕見てました。嬉しいです。
そもそも広告のコンテンツって、クライアント・広告主、視聴者、そして出演者みたいな、結構3つぐらいの方を向いて作んなきゃいけないから難易度が高くて。はい。大体入社して、その半年ぐらい経ってから任せるようになるみたいな領域なんだけど、相当早かったよね。そう。だから、はい。え、1ヶ月。1ヶ月半でしたね。1ヶ月半、最初は。そうだよね。はい。それがまずだいぶ無茶なんじゃないのって藤野には思ったんだけど。はい。はい。早かったよね。もうだから入ってきて1ヶ月ぐらい一緒に仕事して、あ、もうこれは。しかも結構難易度が高い。そうなんです。より関係者が多いような撮影って、カメラも回りながら、カメラの後ろには大勢の大人がやっぱいるので。うん。その中で、とかっていう不安も1mmぐらいありました。うん。ただ泰誠なら大丈夫だろうなと思って。ね。行ってこいっていう感じでお願いしました。ありがたい。
即戦力でした。本当に今まで一番早かったと思う。逆にちょっと泰誠がいなかったら回んないんじゃないかぐらい頼りました。あ、嬉しい。安定感がね。確かに、安定感。いや、そう言っていただけると嬉しいですね。めちゃめちゃ。うん。ありがとうございました。
俺色々思い出したんですけど、今。はい。入ってすぐに正木さんとかと一緒に、十石さんをどう迎え入れるかっていうプランを考えた記憶すごいあって、10本企画を作らせようみたいな。うん。あったね。悩みサイト企画で10本やらせようみたいな。それって結構、僕らからすると無理じゃないですか? 結構難易度高い。オッケー企画か。オッケーが出た企画をまず10本作ろうっていう最初の目標にしたのかな。うん。っていうのを勝手に立てて、でやってもらうっていうのをやってて、でその10本のうち、多分僕が10本全部通したんですかね。オッケーを出したんだと思うんですけど。うん。その当ててくれる企画の質がまずすげえ最初から高かったなっていう記憶があるのと。うん。
ただ僕が、それでもいいや、これで簡単に通したらダメだと思って、結構生意気にバスバスバスバスフィードバックして、もう「いや、全然ダメです」みたいなこととかも結構言ったんですけど、なんか修正してくれるじゃないですか、企画を。そのたびに毎回スライド新しいの作ってくれて。すい。でタイトルに「修正版 り太郎君 なんとか」みたいなのが書いてあったりとかで、すごい丁寧な人だな、この人は、っていう。うん。うん。うん。でした。で、藤野さんも言ってたけど、絶対1回した指摘というかアドバイスみたいなのは反映されて帰ってくるんで。はあ。この人は任せられる人だなと思って。お、すごいですね。
もう多分最初の1ヶ月で10本、その企画ノックみたいなのが終わった後は。はい。ほぼ僕入ってないんじゃないかな。一応確認はしてくれてたんですけど、自分から何か言うってことはほぼなくなって。うん。もうあとは僕らがやってる同じフローで全然問題ないっていう状態に、本当に1ヶ月でなってくれたんで。うん。
そうだわ。取材の同行とか編集確認ももういらないってすぐなってたもんね。うん。取材の同行も2本しかしてないし。編集確認も2本しかしてない。うん。いや、だからおかしいんだよな、それ。それはなんか組織的にどうなのかあります? そう。組織のあんまりにも早い。俺もうラッキー。これラッキー。来たわ。毎日ガッツポーズ出た。当たり、当たりだぞ、これ。当たりそう。確かに。広告の撮影現場行ったことないですもん。僕、初が初取材でした。そうだね。NHKって広告やらないんだから。そうです。そうです。広告っていう概念が存在しない会社。やっちゃいけない。他社とか言っちゃいけない。そうだ。事務所の方とかね、いて、クライアントの方もいて、代理店の方もいてみたいな。はい。です。それ初回だったのね。その撮影が。そうですね。広告の、自分のね。さすがにしんどいのをやらせてるなと思ったよ、俺は。いや、でも俺は泰誠なら行けるなと。よく言ってた、それ。一応僕も行ったんですけど、もう本当1人でずっと、インタビューも問題なく、途中で止まるとかもなく頑張って。いや、いや、いや、ありがとうございます。
冷静にその1年目の若造がバスバス言う役割として付けられるっておかしいじゃないですか。だったもんね。めっちゃ嫌じゃないですか。めっちゃ嫌なやつ。それは本当、本当に1回も嫌な顔されなかった。だからマジでいい人なんだなって思いました。うん。
大変ありがたかったですね。こう時間を割いて。もう本当少数精鋭でやってるじゃないですか、編集部って。そんな中で本当に未経験の人間が入ってきて、色々とサポートしていただいて、本当にありがたい環境で、はい、働かせていただけたなっていう風に思ってまして。自分自身もこの8ヶ月、社会人になって初めて楽しいって思って。ええ、そうなんだ。仕事をしてて。嬉しい。嬉しいですね。ちょっとなんか青春ができたというか。青春できたんだ。これは嬉しくなっちゃいますね、これ。毎日遅くまで、遅くまで残ってたもん。あれ? 楽しいから。楽しいから。楽しい仕事。ちょっと楽しい。なるほど。楽しみすぎっていうね。ね。
でもちょっとその学生サークルっぽい楽しさみたいな感じで、はい、結構楽しくできたなと思ってたんですけど、でもやっぱりそんな矢先の。はい。突然のメディアクローズの発表っていう。慣れてきたあの日だよ。やっぱり業務にもようやく慣れてきたっていうタイミングだったので、社長の瞬さんであったりとか、正木さんからお話を聞いた時は、最初やっぱりショックな気持ちすごいありました、正直。うん。入社8ヶ月ですけども、このメディア終了っていう、多分一般の人から見たら結構絶望的な状況なんじゃないかなっていう風に思うんですけど、結構僕は、割と自分の中では前向きにもうすでに気持ちは考えられていて、なんでそういう風に考えられたかっていうお話を今から色々としていこうかなっていう風に思うんですけども。
まず最初ちょっと振り返って、やっぱりメディア終了って言われた時に、次のチャレンジをこのサイバーエージェント内でしていく必要が出てきたわけじゃないですか。だからその時に、改めて自分って一体何がしたくてこの会社に来たのかっていうのをちょっと振り返ってみたんですね。そこでやっぱり思い出したのが、この軸なんですよ。これは最初、学校の先生になりたいっていう時に出てきた軸なんですけど、その軸であり、自分がメディアに行こうとした軸であり、結局新R25に来たのもこの軸があったからなんですね。この「人の生き方に影響を与えられるようなインパクトの大きい仕事がしたい」っていう軸。これがやっぱり自分自身の根幹にある働く軸みたいな部分で、改めて軸の原点に立ち返ってみた時に、この軸を実現するために自分が今後できることって何だろうなって、色々とやっぱり自分の中でも考えてたんですけども、そのタイミングでちょうど取材したある1人の方がいまして。
それが石丸伸二さん。うん。うん。なんですね。石丸さんは実は、僕NHKに入って最初広島放送局に初任赴任したんですけども、ちょうど僕が広島にいた時に、石丸さんって、安芸高田市っていうところが広島にあるんですけど、そこの市長だったんです。はい。で、僕はもちろん名前は知ってたんですけど、当時は県政の担当ではなかったんで、直接取材することも実はなくてですね。ただ1回だけ、石丸さんが都知事選に出る直前に会見に行ったことはあったんですよ。うん。うん。ただ当時の石丸さんって結構メディアに対して厳しい方だったので。うん。うん。やっぱり1年目のこんな若造が質問なんてしようもんなら、その場で打ち首に遭う可能性があると思ったので、何も言えなかったんですね。晒されるという。怖いよな。もうネットのおもちゃにされると。はい。本当に何も質問ができなかったんですね。
はい。なので、ぜひちょっとリベンジしたいなって思ってて、石丸さんに打診させていただいたところ、快くオッケーをもらって。確かに1対1でね、その時の人と取材できるって。そうです。そうです。なかなかないこと。確かに、確かに。取材の後も飲みにも一緒に行かせていただいて。はい。確かにな。一緒にバーに行ったりもしたんですけど、結構取材後も色々と仲良くしていただいて。不思議なもんだね。すごいちっちゃいね。NHKから小さいメディアに来たのに、なんか1対1で取材できるっていう。いや、そうです。そうです。お互いのね、立場が変わってるっていうタイミングもね、良かったのかもしれない。はい。石丸さんにはすごいご縁を感じるなっていう風に思うんですけど。
石丸さんに取材をした際にですね、プロの職業人としてのキャリアの向き合い方みたいなところについて色々とアドバイスをいただいたんですけども、なんかそこでの話がすごい印象に残ってまして。それは何のために仕事をしているのかっていう、この自分の譲れない優先順位、これがいわゆる軸なんですけど、その軸だけは絶対に動かすなと。何があっても動かすなと。で、その軸の柔軟性と強さのバランスが、プロの職業人としての価値を高めていくんだっていう風にインタビューの時におっしゃっていて、で、この言葉がすごい今。うん。このメディアクローズで自分の今後のキャリアを考えないといけない時に、すごい刺さったんですね。うん。今この自分のタイミング、これ自分に言われてるなと。うん。すごい印象に残ってですね。
これからの時代でやっぱ働く上では、目の前の仕事であったりとかキャリアっていうのに固執してしまうと、やっぱり時代の変化、特に今生成AIの時代ですけど、このAI時代に対応できなくなってしまうと。で、大切なのは、このやっぱ軸っていうのをしっかりと持って、それを動かさない上で、環境の変化に対してどこまでも柔軟でいるっていうところがすごく大事なんだなっていう風に学びましたと。これこそ、これからの時代に求められる変化対応力なんだなっていう風に、今の状況を重ねてですね、理解することができましたと。
今回メディア運営をクローズすることにはなったんですけども、そのサイバーエージェントっていう会社自体に、この軸と柔軟性両方を持てる環境があるっていうところに僕も気づきまして。それが軸で言うと、やっぱりサイバーエージェントって新R25以外にも、ABEMAであったりとか、いろんなメディア事業に力を入れているという今の状況で、企業文化っていうところで言うと、サイバーエージェントって自由と自己責任っていう企業文化があると思うんですけども、やっぱり社員の主体性っていうのをすごい重視してくれる環境があるっていうところから、自分のやりたいことをより実現できるようになるんじゃないかという風に、まず考えてますと。このメディアクローズっていう今回のある意味の外的変化によって、その自分の働く価値観、いわゆる軸っていうのを今回棚卸しすることができてですね、と同時に、やっぱりその軸を大切にしながらも柔軟にチャレンジをして、自分の職業人としての幅を広げることができる環境が、このサイバーエージェントにはあるんじゃないかという風に考えまして。
採用みたいなこと言ってましたね。サイバーエージェントのね。素晴らしいPR、PRになってます。素晴らしい。はい。
ただやっぱり、視聴者の方の中には、いや、それも結構運じゃないかと。それはたまたま十石がサイバーエージェントっていう会社にいて、挑戦できる環境がたまたまあるから、ラッキーなんじゃないかっていう風に思われる方も多分いらっしゃると思うんですよ。で、もちろん運がいいのは当然あると思います。うん。それはあると思うんですけども、例えばいる会社が倒産してしまうとか、今回の新R25みたいに事業撤退するとか、そういうことにならなくても、人事異動とかで自分があんまり希望してないような部署に異動させられてしまうって、大企業だったら結構あり得ると思うんですよね。うん。なので、こういうキャリアの強制終了っていうのは、割と誰の身にも起こりうるんじゃないかなっていう風に思ってまして。
ってなった時に、じゃあこの予期せぬ大きな変化が訪れた時に、その外的要因でやっぱり強制的に環境が変わるタイミング、居心地がいい組織に居続けるっていう、そこに依存し続けるんじゃなくて、その自分の本当の軸っていうのは何かっていうのを研ぎ澄ます、職業人として進化を遂げることの最大の機会になるんじゃないか、チャンスになるんじゃないかっていう風に考えると、やっぱりそういった変化も前向きに捉えられるんじゃないかなっていう風に思うんですね。なのでやっぱりこのマインドセットさえあれば、どんな環境に放り出されても、自分自身の手で必ずやっぱり納得いくキャリアを選択して、次のステージを切り開くことができるんじゃないかっていうところで、気持ちが切り替わった、はい、理由になります。
ね。可愛い。え、これ、なんだこの水着は? この金太郎みたいなやつはですね。めっちゃウキウキじゃん。若かりし頃の十石少年なんで。若かりしって、若かりしすぎるだろ。いつもの写真だ。3歳の時ですね、これ。可愛い。急に出してきやがったな。3歳の時の。急に出してきやがった。いい写真だわ。これで場所は、ごめんなさい、分かりません。
で、結構自分自身の人生を振り返ってみた時に、自由な環境だったんですよ、僕。親から何か「これやりなさい」、例えば「習い事これやりなさい」とか「勉強しなさい」とか言われたこと
1回もなくて。うん。うん。へえ。
全部あなたの好きなように行きなさいと。その代わり自分で決めたことは絶対途中でケツを割るなよって言われたんで、やめさせてくれなかったんですけど、習い事とかは。
厳しい。
はい。ただやっぱりこう何事も強制されることなく自分の意思でやっぱりこう主体的に選択することっていう、その選択が成功しようが失敗だろうがそれは全部自分の責任ですよっていう教育を結構昔から受けてきたんですよ。
うん。
今考えたら割とサイバー的な考え方に近いなっていう風に思うんですけど、やっぱりそういう環境で育ってきたので、ある程度自分の中でやっぱりこの主体性みたいなところは育まれてきたなっていう風に思ってまして、新R25に来て、やっぱりこう裁量であったりとかスピード感っていうのが確保されてる環境でコンテンツ作りをしていく中で、自分自身のその主体性っていう、元々あった武器が結構再ールされた感があって。
社会人になってからこの主体性って失われがちというか、どうしてもこう仕事に対しては上司から仕事を与えられたからやるみたいな感じで結構受け身で捉えがちなのかな。そういう人結構多いのかなと思ってて、自分自身も最初社会人になった時は結構受け身で仕事をやることが多かったんですけど、割と新R25って自分で企画立てして、取材者も別に誰からこう言われるわけでもなく、自分で決めていけるじゃないですか。
そういった環境がなんかあったからこそ主体性っていうのを結構思い出せたみたいなところがあってですね。
はい。
で、かつやっぱりこの若手を後押しして、圧倒的なやっぱり打席を用意してくれるこのサイバーエージェントっていう環境であれば、その新R25で手に入れたこの主体性っていう武器を存分に振るうことができるんじゃないかと。
うん。
ここでまさにキャリアをスケールさせていって、こう自分の軸を再現し続けられるんじゃないかっていうような期待感もあるんですね。なので、これからはもう本当これまで以上に主体性を持って積極的に手を上げていってですね、こう企業全体、引いては社会全体にこう貢献できるような人材になれればなという風に思ってます。
ということで、新R25のですね、等身大のコンテンツっていうのを作ることができた1年間っていうのは、決して自分の中では無駄だと思っていなくてですね、今後のキャリアにおいても結構大きな盾になるんじゃないかなという風に、はい、思ってます。
自分も新R25、すごいメンバーにも恵まれていて、仕事の内容も楽しかったんで、結構居心地のいい環境だったんで、その居心地のいい環境を絶対自分からだったら多分移動しなかったと思うんですよ。
うん。なんで、そのただやっぱり居心地がいい環境っていずれはなくなってしまうと思うので、それは部署異動なりメンバーが入れ替わっていく中で自然と起こってしまう部分だと思うので、それは結局誰にも止められないと思うんですけど、こういう強制的に動かされるタイミングだからこそ、やっぱりこの自分の軸を明確にして変革するタイミングじゃないかなっていう風に、そのいい機会になったなっていう風に思ってるので、これからもこの会社の中で、はい、貢献できるように頑張っていきたいという風に思っています。
ここまでですね、8ヶ月の間、本当に転職したばかりで本当右も左も分かんなかったんですけども、視聴者の皆さんにも支えられてここまでいろんなコンテンツを出すことができました。本当に未熟な私を全力でサポートしていただいてありがとうございました。
これからもですね、新R25っていうメディアはなくなりますけども、自分自身が作ったコンテンツっていうのはこれからも残り続けていくのかなっていう風に思いますので、是非とも、これからの十石の挑戦を視聴者の方々も応援していただけると大変嬉しいです。
これから僕も今年26歳を迎えまして、20代後半の人生に差しかかってくるんですけども、もう新R25にいた最後のメンバーとしてですね、仕事も人生も楽しく、心まで頑張って人生満喫していけたらという風に思っています。これからも、もっと前向きにですね、圧倒的な主体性を持って働けていけたらと思いますので、引き続き応援のほどよろしくお願いいたします。これまで本当にありがとうございました。
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