「やめ時」は自分で決められるのか——田端信太郎と箕輪厚介が語る、新R25の終わり方

YouTubeで開く ↗
概要

新R25は2026年9月でメディア運営を終える。編集長の渡辺は、卒業企画として長く出演してきた人たちに最後のインタビューをしている。この回のゲストは田端信太郎と箕輪厚介だ。2人は会社員でありながら個人をブランド化して活躍するという、新しい会社員像として新R25が何度も取り上げてきた。現在の田端は会社員ではない。

17分で読めます

渡辺は編集長を約9年続けてきた。本人は「日本人的」な継続型で、やめたいと思ったこともなかったという。その渡辺が、終わりや始まりをどう設計するのかを2人に尋ねる。話は新R25の振り返りから始まり、インフルエンサーの寿命、やめ時の哲学、40代・50代のアンラーニング、罪悪感の扱い方へと進んだ。

2:28

新R25の9年を振り返る

新R25は、リクルートのR25ブランドを引き継いだWeb記事メディアとして始まった。最初の記事は箕輪が担当編集として関わったもので、その内容は後にNewsPicks Bookとして書籍化された。箕輪は、これが自分の「ビジネスインフルエンサーの歴史」とほぼ重なると話す。当時、箕輪は所沢の小手指に住んでいた。渡辺も所沢在住で、2人は「所沢メディア人会」を開いたことがある。ただし集まったのは2人だけだった。

創刊当初、新R25はニュース解説をやっていた。フリーペーパー時代のR25は、開いてすぐのページにニュース解説のコラムを上下2本載せていた。これを引き継ごうとしたところ、渡辺によれば「大すべり」した。当時のWebの作法に合わなかったというのが渡辺の分析だ。そこで著名人インタビューに振り切り、そこから数字が大きく伸びた。

田端の初登場はそれより少し後で、お金の連載がヒットした。約8年前の記事で、田端はこの時点ですでに株の話をしていた。その後は「おっさんシリーズ」のような企画で、交渉、マネジメント、飲み会、セルフブランディングといった会社員の心得を若手編集部員に語った。田端は、飲み会で語ればパワハラやアルハラと言われかねないが、動画なら嫌なら閉じればいい、と笑う。渡辺によると、独立志向のある会社員から特に好評だった。

YouTubeチャンネルは記事メディアの開始から3年遅れで立ち上がった。最初の動画は箕輪の出演回で、42万再生を記録した。渡辺は、新企画を始めるたびに必ず箕輪を呼んでいたと振り返る。堀江貴文の裏の顔を語る回、弱みを見せる企画、ディベート番組、教材販売、最近の相談企画などだ。箕輪によれば、自分は依頼を絶対に断らないうえに作り手の意図もわかる。若者向けの企画なら「自分の弱い部分を見せればいい」と立ち回りを察するという。本人はこれを「小ずるいポジショニング」と呼んだ。渡辺はこれを「ビジネス芸人」だと評した。2人そろっての出演も多く、編集部員のTwitterをコンサルする企画などがあった。

7:21

メディアは編集長に似る

箕輪は、雑誌でもYouTubeでも、メディアは編集長のカラーに寄っていくと話す。PIVOTは佐々木紀彦の好む、すっきりしたエスタブリッシュメント寄りのトーンにどうしても戻る。ReHacQの高橋弘樹はバラエティ出身なので、何を扱っても最後は笑いにしたがる。

では新R25はどうか。箕輪は渡辺を、スケールを狙うより細部にこだわって作り込む「職人」と見ている。コンテンツの水準も上に浮きすぎず、普通の人が面白く、ためになると感じるところに置いている。渡辺の能力と露出度なら自分のようにアクセルを踏むこともできたはずだが、渡辺は今も所沢を出ない。箕輪は「それが全て」だと言う。自分はすぐに小手指を出て都心に戻ったが、渡辺はいる場所で改善を続けるのが好きで、編集部員もみんなそうなっている、というのが箕輪の見立てだ。

箕輪は渡辺と一緒に電車で帰ったときの話もした。小手指までは電車で1時間ほどかかる。渡辺はゆっくり帰れるが、箕輪はその時間に耐えられなかったという。

こうした性格から、箕輪は新R25を「健全」と評する。数字は取りにいくが、話題に飛びついて煽ることはしない。渡辺自身も、刺激的なものは苦手でキャラクター的に手をつけないと認めた。時代は箕輪が担った「意識高い系」から「脱・意識高い系」へ移り、最近は教養ブームや人文ブームが来ている。新R25はその流れに薄く乗りながら、会社員のちょっとした拠り所になっていた。箕輪はポジションとして良かったので「もったいない」と話した。

9:45

田端が決めた「2つのタブー」

田端はまず、R25にいたのは2年足らずだと断った。紙の創刊(2004年)から数えれば20年以上続くブランドだ。その中でわずかな期間しか関わっていない自分が今も呼ばれることに、フリーライドしているような申し訳なさがあるという。

そのうえで、立ち上げ時の編集方針を明かした。男性向けメディアを研究すると、どれも2つの誘惑で読者を釣ろうとする。「こうすればモテる」と「こうすれば金が儲かる」だ。20代後半の普通の若者は、こうした情報をさんざん浴びて辟易している。そこでR25では、モテる話と手っ取り早く金を稼ぐ話をタブーにした。やらないことを先に決めた、ということだ。田端は、この2つは新R25になっても最後まで変わらなかった気がすると話す。渡辺は、言語化されて受け継いだわけではなく、無意識に感じ取っていたのかもしれないと答えた。

田端の気持ちは複雑だ。その遠慮のせいでマネタイズしきれず、「最後は儲からないのでやめます」となったのではないか、と感じているという。一方で、渡辺が人から受け継いだブランドを尊重し続けたことは高く評価した。サイバーエージェントグループは自前でゼロから作ることにこだわり、外からの買収は珍しい。渡辺によると、最近はIP文脈で増えてきたが、R25の件はやはりレアだった。

12:49

インフルエンサーの寿命と、消える人の共通点

渡辺は、2人がポジションを変えながら10年以上影響力を落としていない点に注目する。箕輪は小手指から出てきてNewsPicks Bookの編集長になり、オンラインサロンを運営し、テレビにも出た。文春の報道でテレビから消え、サウナにはまってライフスタイル寄りになり、ガーシーのような「アンタッチャブルな人」を扱い、最近は酒飲み芸人のようになっている。田端はキャリア論やブランド人の文脈から始まり、現在は株の人になった。アクティビストとして発信した時期には、いろいろな人を怒らせた。

2人の見立てでは、インフルエンサーの寿命は普通2〜3年だ。5年続けばまあまあ本物で、10年続いた人はたぶんその後も残る。箕輪は、田端には批判されても自分が正しいと思う筋を通す力があり、それが信用になっていると言う。対して自分は「筋を通さないという筋」、つまりぶれ続けることでぶれていない、と表現した。

なぜ人は消えるのか。箕輪によると典型は、モテない、金がないといったコンプレックスを燃料に出てきた人が、成功して満たされ、燃料切れになるパターンだ。それ自体は普通のことだとしたうえで、その先は「これを言いたい」「書かずにいられない」という燃料が内側から出てくるかどうかにかかっている、と話した。

15:58

自分で終わりを設計できなかった、という反省

渡辺は今回のことで、終わりを自分で設計できないと2人のように活躍し続けるのは難しいのかもしれないと考えた。新R25の終了も自分で意思決定したわけではなく、外的な要因だった。

田端は、それは渡辺ではなく会社の問題だと言う。会社員が同じポストに9年いる必要はなく、4〜5年で変わってもいい。ただ雑誌の編集長ならよくあることだ、とも付け加えた。渡辺は正直に打ち明けた。これまで田端の転職の多さを少し斜めに見ていた。しかし今は、やめ時を自分で設計することで新しいエネルギーが生まれると思うようになったという。

17:05

箕輪の場合:強制終了がもたらしたBtoCへの転換

箕輪は自分の経験を話した。NewsPicks Bookの編集長だった最後の2年半ほどは、すでに飽きていて、周りにもやめたいと言っていた。自分は初動の人で短距離走型だから、パターンが見えると飽きる。1年目は全部自分で作っていたが、2年目は半分ほど他の編集者に任せて監修に回った。自分が飽きたら終わるブランドでは弱すぎると考え、属人性を減らしてチーム化を進めていた。そこへ文春の報道が来て、ブランド自体が終わった。

今振り返ると、あのまま編集長を続け、テレビにも出続けて芸人のようになっていたら終わっていたと箕輪は言う。テレビが主流で、一つの編集長ポジションで同じパターンの本を出しているだけの人は、会社が方針を変えたり問題が起きたりすれば脆い。一番勢いのあった時期に仕事が全部なくなった。それで、評判で仕事を頼んでくる相手とは組まず、「ありのままの俺」を好きな人とだけ組むことにした。YouTubeで個人と直接つながる。顧問やCMは「こんな人間ですけどいいですか」と言える相手だけ受ける。出演するメディアも自分を理解しているところに限る。これで強制的にBtoBからBtoCへ切り替わり、それが今につながっている。

箕輪は、人気商売やイメージ商売をしている人が「危ういから切り替えよう」と自分から思うことはほとんどないと言う。うまくいっている間は良い思いしかしていないからだ。渡辺も、今回の終了は自分だけで決めたことではないが、結果として背中を押してもらったと受け止めている。

19:24

田端の場合:世間より先に自分に飽きる

田端の考え方は箕輪に近い。田端によれば、世間が自分に飽きるには3〜4年かかるが、自分は1〜2年で自分に飽きる。最初の半年から1年はうまくいけば楽しい。しかし先に飽きて次のことをやり始めるので、それが無意識のうちに次への仕込みになる。世間に求められるまま続けて世間に飽きられ、捨てられると、一発屋の芸人やミュージシャンによくあるパターンになる、と田端は話す。

箕輪も、NewsPicks Bookの終盤は自分が飽きていたのに読者は「さすが」と買い続けていたと話す。周りには「半年後に絶対みんな分かる」と言っていたという。結局は強制終了になったが、自分が飽きてから半年〜1年遅れて周りが飽きる順番だったと振り返る。

田端はさらに踏み込んだ。自分が飽きているとき、人は無意識に強制終了へ向かうのではないかという。例としてピエール瀧を挙げ、あくまで自分の感じ方として、俳優業に飽きていたのではないかという気が少しすると述べた。女性問題や薬物がいけないことは本人もわかっている。それでも「何か起きてもいい」「人生に大きなチェンジが欲しい」という気持ちがどこかにあるのではないか、という推測だ。箕輪は「全くそう」と同意した。

21:32

やめないと次に乗れない:オンラインサロンから顧問へ

やめ時の哲学について、箕輪は、よほど状況が悪くなければ自分からはやめにくいと言う。それでも自分の可能性や時代の変化による新しいチャンスは目まぐるしく現れ、やめないとそこに乗れない。だからやめた方が絶対にいい、というのが箕輪の考えだ。

例に挙げたのはオンラインサロンの閉鎖だ。オンラインサロンがブームだった頃は、自分がやりたいことにメンバーがお金を払いながらとんでもない勢いで動くという、夢のような仕組みだった。しかし不思議なことに、堀江サロンも西野サロンも箕輪のサロンも、アクティブ度がどんどん下がった。箕輪によれば、西野は読み物と割り切り、堀江のところも「会社を起こすぞ」という勢いが消えた。箕輪のサロンも幽霊部員のような人が毎月払ってくれる状態になった。額は小さくなかったので美味しいと言えば美味しい。しかし「何もやっていないのにまた月額が入ってきた」という引っかかりがずっとあった。

精神衛生のためにやめ、その分を補わなければと考えたとき、林という人物と出会い、顧問業を勧められた。やってみると非常に良かった。箕輪のファンは年齢が上がり、アクティブさは下がったが、社会的地位は上がっていたのだ。月3,000円のサロンから月30万円の顧問契約に変わり、収入も大きく増えた。サロンを続けていたら、「サロンに3,000円払えば箕輪と話せるのに、顧問契約はいらない」となっていたはずだ。やめて「さあどうしよう」とならなければ次の展開は生まれない、と箕輪は話す。

23:42

沈む船に残るのも一つの筋

田端は、やめ方の美学に正解はないと言う。そして自分の経験を話した。R25を立ち上げて1年ほどで、リクルートからライブドアへ移った。周囲からは、リクルートに残った方が出世できる、なぜあんな会社へ行くのかと言われた。その後ライブドア事件が起き、「会社は終わりだ」と言われ、他社からの誘いもあった。それでも田端は、沈む船かもしれないが最後までやると覚悟を決め、オワコンと言われる中にあえて残った。

田端は、今回の渡辺もそれと同じだと言う。最後まで真面目に卒業企画までやる姿を「メディア人とは思えない」と冗談めかしつつ、それでいいと話した。戦争映画で魚雷を浴びて沈む船に艦長が残るようなものだが、物理的に死ぬわけではなく、だからこそ次のドラマもある。もっと早く逃げれば年収の上がる転職もあったかもしれないが、最後まで見届けるのも一つの筋の通し方だ。哲学を持っていればどちらもありで、大事なのは自分が納得できるかどうかだ、と田端は言う。渡辺は「ちょっと救われました」と応じ、最後は納得できたと答えた。

田端はさらに、外的要因も組織の意向も含めて、メディアは一つの表現作品だと話した。すごく面白いのに1年で終わる漫画にも美しさがある。自分でコントロールできない寿命の長さも含めてチャンネルの個性だ、という。箕輪も、NewsPicks Bookがだらだら続かず、一瞬盛り上がって一瞬で散ったからこそ、今もあの時代の象徴として語られていると話した。花火のように消えたからだ、と。そして新R25の9年という長さも「渡辺さんらしい長さだったのかもしれない」と語った。

26:24

40代からのアンラーニング

田端は現実的な指摘もした。新R25は若手会社員向けのメディアだが、渡辺が年を重ねれば、若手の悩みは自分にとって切実でなくなる。その問題はすでに少しずつ表れていたのではないか、と。渡辺も認めた。自分は40代になり、本当は「R45」をやりたいという構想もあった。次の場でそういうことをやりたいと考えている。

そこで渡辺は、40代で新しいことを始めるとき、過去の文脈をどこまで引きずり、どこまでアンラーニングするかを2人に尋ねた。箕輪は、本からYouTubeに移ったとき、本で結果を出した自分なら勝てると思っていたが、まったく思い通りにいかなかったと話す。そこで初めて学び直す必要に気づいた。ただその過程で、昔の何かが合算されていくという。田端は、コロナ禍で編集チームと一緒に撮影できなくなり、スマホを置いて自分で撮って編集した動画を5〜10本作った。サムネイルはPhotoshopがわからずPowerPointで作った。ただ田端自身は、これはアンラーニングというより、新しいことを全部自分でやってみたいという好奇心が勝っていた結果だと振り返る。

渡辺には2つの選択肢があった。これまでの流れを汲んだ仕事と、番組制作のようにかなり毛色の違う仕事だ。後者の方が大きなインパクトを生むかもしれない。ミドル世代ならではの悩みだと話す渡辺に、田端は「生臭い話」として、給料は減らないのだろうと確認した。渡辺が変わらないと答えると、田端は、それなら安全地帯なのだから、これまでと不連続なところまで思い切りジャンプした方が幅が広がると言った。過去の延長を選ぶのはプライドの問題でしかない、と。さらに、全く違うことをやっても、結果が出始めればそこには必ず渡辺のスタイルがにじむ。深いところで勝手に継承されるので、表面的に継承しない方がいいという。箕輪も、同じことをやろうとすると滑るし熱がこもらないが、全く違うことをやるとそこに匂いが残ると同意した。渡辺は、それを信じて新しい挑戦に踏み出すと決めた。

29:58

箕輪の40代:目標を持たず、自由であることだけ決める

これからどう生きたいかと聞かれた箕輪は、目標はないと答えた。スタートアップ仲間と飲めば皆それを語る。自分は目標がないことに後ろめたさを感じた時期もあったが、突き抜けてやりたいことも特にない。毎日楽しく、今日のように友達と話す現場を続けるだけだ。自由に生きれば問題も起きるし、反響を呼ぶ仕事も生まれる。そこで溜まった葛藤や悩みを、ときどき誰かの本の編集などの制作物として出す。あとは流浪のように、会いたい人に会い、話したいことを話し、それが放送されたり残ったりする。自由であることだけを決め切った、という。

それでも、こんなに遊んでいていいのかという迷いが「2ミリぐらい」残っている。箕輪はむしろそれでいいと言う。「俺ほどの天才なら自由に生きて当たり前」と言い出したら見たくないだろうし、見ている人が「箕輪も自分と変わらない」と感じられるから多少の共感が生まれる。その振り幅が必要だという。

32:06

田端の50代:子育ての目処と、自由の象徴としての投資

50代を迎える田端は、子育てに半分ほど目処がついたと話す。一番上は高校2年生、一番下は小学生で、それぞれの個性が見えてきた。親としてできることはしたいが、教育費をどれだけ突っ込んでも本人の幸福度とは相関しないとわかってきた。ありがたいことにお金もそこそこある。だから、死ぬときに「あの時間は無駄だった」と思うような仕事を金のために受けることは、もうしたくない。元々そうだったが、そのハードルがさらに上がっているという。

田端にとって最優先は自由だ。株式投資は、インサイダー取引でもしない限り、時間も場所も関係なく、かなり大きな金額を儲けられる最も自由な稼ぎ方だと話す。儲けても、税金を納めればそれ以上果たすべきものがない。子どもや家族への責任が薄れていく中で、平日の昼からサーフィンをしていても「それでええやん」と思うようになった。投資家はまさに自由なライフスタイルの象徴だ、と田端は言う。

箕輪も似た感覚を語った。この年齢になると、周りは組織を持ち、上場準備をしていると話すようになる。自分だけ子どものままだと思っていた。ところがAIの時代になり、社員のいない会社が話題になると、酒を飲んで遊んでいただけの「劇団ひとり」のような自分が一周回って先を行っていた。田端も、ネット業界で40代になった人の多くは、ゼロから会社を作って上場を目指すか、ファンドやVCを始めると話す。それを悪く言うつもりはない。ただ田端は2019〜2020年頃に会社を辞めたとき、天邪鬼なので「それは違う」と直感した。炎上したりもがいたり、クビになったりもしたが、5〜6年経って、自分なりに正しい40代後半を過ごせたという「答え合わせ」の感覚があるという。世間の評価ではなく、自分の生き方としての話だ。

渡辺も、今回のことで自分は何がしたいのかに向き合ったと話す。箕輪は、やめればやめるほど自由になり、自分の欲望に純粋になれると応じた。

35:44

罪悪感は相手を被害者にする

最後に渡辺は、編集部員への思いを口にした。自分は長くやったが、他のメンバーはもっと歴が浅く、申し訳なかったと思うという。箕輪は、申し訳なく思う必要はないと言った。

箕輪自身も人に迷惑をかけることがあり、申し訳なさで悩んだ時期がある。そのとき、罪悪感は良くないという話を聞いた。家族でも仕事でも、こちらが「ごめん」と言い続けると、相手の脳は「自分は悪いことをされた」と認知し、被害者のポジションに入ってしまう。それは双方にとって良くない。むしろ「こうなったんだ、頑張ろう、チャンスだ」と言う方が相手のためになる。田端も、別部署へ行く人、また一緒に働く人、フリーになる人がいても、同じ釜の飯を食った仲間として、これからできることを一緒にやればいいと話した。箕輪は、罪悪感はどこかおこがましいとも言う。その人には、自分の関わらない場所で活躍する道もあるからだ。

渡辺によると、連続して走ってきて疲れているメンバーもいる。2人は、1年ほど休んでもいいと話した。箕輪は、空白になるからこそ見えるものがあり、後から急に何かが湧いてくると言う。走り出してしまうとそういう時間はなかなか訪れない。箕輪にも3か月ほどずっと焚き火をしていた時期があった。そういう時期に、それまで正しいと思っていた物差しがそうではないかもしれないと気づき、価値観が変わるという。渡辺は、自分で火をつけるタイミングを待ってもいいのかもしれない、と受け止めた。

これが新R25での2人への最後のインタビューになった。渡辺は、人と人としては新天地でもまた声をかけさせてほしいと伝えて締めくくった。