プーチンはなぜ択捉島に上陸したのか:廣瀬陽子氏が読む日露関係と「狭間国家」の生存戦略

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概要

2026年8月13日、プーチン大統領がロシア大統領として初めて択捉島に上陸した。旧ソ連地域の国際政治とハイブリッド戦争を専門とする慶應義塾大学総合政策学部教授の廣瀬陽子氏は、このニュースを「非常に大きな出来事」と受け止めた。本稿では、PIVOTの番組で廣瀬氏が語った内容を整理する。論点は、上陸に込められた狙い、ロシアから見た日本の姿、中露の共闘、そして著書『狭間国家の地政学』から引き出せる日本の対露戦略である。

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大国ではなく「狭間」の国から見る地政学

廣瀬氏は長年、ロシアの周辺国を研究してきた。『狭間国家の地政学』を書いた意図について、同氏はこう説明する。こうした国々は単に大国に挟まれた小国ではない。バランス外交をしたり、時には依存したりしながら、それぞれが取れる戦略で生き抜いてきた。その生き方を見れば、ロシアとどう対峙するか、さらに一般に狭間の国が国際社会でどう生きていけるかが見えてくる。その教訓は日本にも生かせるのではないか、という問題意識である。地政学は大国の視点で語られがちだが、挟まれた側の視点から日本の戦略を考えようとした本だという。

廣瀬氏はアゼルバイジャンに留学した経験があり、同国を舞台の一つとするドラマの第2シーズンで監修も務めている。番組の冒頭では、狭間国家の成功例としてアゼルバイジャンが紹介された。

アゼルバイジャン:プーチンに謝罪させた国

廣瀬氏によれば、アゼルバイジャンは石油で知られる国で、19世紀には世界の石油の半分を産出していた。エネルギーによって経済的に自立できることに加え、近年は地政学的な位置づけも強まっている。2022年以降、同国と新たに契約を結ぶ国が増え、立ち位置はさらに強化された。

ロシアとの関係にも変化がある。ロシアは2022年以降、国際的な孤立を深めている。一方で、中国から中央アジア、カスピ海、トルコを経てヨーロッパへ至る「ミドルコリドー(中央回廊)」が世界的に注目されているが、これはロシアを完全に迂回するルートだ。国際ルートから外されることへの焦りから、ロシアはロシア、アゼルバイジャン、イラン、インドを縦に結ぶ「南北国際回廊」を推進している。これを成功させるうえで、アゼルバイジャンは非常に重要な国になる。

象徴的な出来事として廣瀬氏が挙げたのは、2024年12月にロシアがアゼルバイジャンの民間機を誤射した事件である。ロシアは当初、バードストライクだなどと言って責任を認めなかった。アゼルバイジャンは調査、謝罪、補償を毅然と求め続け、昨年前半には両国の間で厳しい応酬が続いた。そして昨年10月、プーチン大統領が謝罪した。廣瀬氏は、旧ソ連の小国にロシアが謝ることは「ありえないこと」だったと言う。この件は「プーチンを謝らせた国」として大きく報じられた。廣瀬氏の見立てでは、資源による自立性と地政学的な重要性が重なって、アゼルバイジャンの自由度は大きく広がった。多くの回線を持ち、自分の軸を持ち、他国に負けない戦略的優位性も備えている。この意味で、同国は狭間国家としてかなり強いポジションを得ているという。

「最後のカード」を自ら切ったプーチン

択捉島上陸について廣瀬氏がまず重く見たのは、プーチン大統領本人が行ったという点である。これまでプーチン氏は、北方領土訪問のような「汚れ役」を首相や、一時大統領も務めたメドベージェフ氏に押し付けてきた。自分はクリーンな位置にとどまり、日露関係がかなり悪化しても最後に交渉役として残れる「切り札」であり続けた、と廣瀬氏はみる。

兆候はあった。廣瀬氏によれば、プーチン氏は2020年1月ごろに、北方領土へ必ず行きたいと言い出していた。そのため、いずれ行くだろうと予測はしていたが、「もうこの時期に来たか」と感じたという。高市首相は国として訪問しないよう求めていた。今回の上陸は、そうした日本の期待をすべて裏切ったものであり、日本と交渉する日はもう来ないと明示したとも言える、と廣瀬氏は述べる。

前後の出来事も確認しておく。8月4日に太平洋艦隊の大規模演習が行われた。8月12日にはプーチン氏がサハリン州で軍事演習を視察し、クリール諸島はロシア領として確定しているといった発言をした。そして13日に択捉島に上陸した。同じ日には、中国とロシアの駐日大使が共同声明を出している。廣瀬氏は、中国に事前に通告していたことは「もう間違いない」とみている。

中国への依存と、対日戦勝記念日の変更

廣瀬氏によると、中露関係は2015年ごろから顕著に強まった。最大の転機は2014年のクリミアで、ロシアがヨーロッパから孤立していくにつれて、中国との関係が深まった。孤立を決定的にしたのが2022年のウクライナ侵略で、それ以後、ロシアは中国に依存しなければ生きていけない状況になったという。

ヨーロッパから制裁を受けたロシアは、エネルギーを安く大量に売ることで戦費をまかなってきた。その買い手は中国、インド、トルコで、特に中国とインドの割合が大きい。さらに、制裁で兵器の部品や戦略物資を買えなくなったロシアに、デュアルユース品を供給しているのも中国だ。廣瀬氏によれば、デュアルユース品の対中依存は9割ほどに達しており、中国が売らなくなれば兵器も作れなくなる。プライドの高いロシアは本来なら中国と対等でいたいはずだが、実際にはジュニアパートナー化が進み、中国が上に立ってロシアがすり寄る構図が固定化してしまった、と廣瀬氏は指摘する。

そこに昨年からの日中関係の悪化が加わった。高市政権になって日中関係はかなりこじれ、それ以降、ロシアが中国と対日で共闘する場面が目立つようになった。廣瀬氏は、北方領土問題は日本とロシアだけでなく中国も含めて見なければならなくなったという司会者の問いに「まさにその通り」と答えた。

背景には歴史認識の重なりがある。ロシアの主張では、北方領土は第2次世界大戦の結果として得たものであり、ヤルタ会談で米英も認めたのだからロシアの領土だ、ということになる。日本としては、条約違反で攻め込まれたのであって、この主張は認められない。一方、中国も第2次世界大戦は日本の敗北で終わったという歴史認識を持っており、この点で中露の認識は一致する。象徴的なのが記念日の変更である。ロシアは2020年に対日戦勝記念日を9月2日から9月3日に移した。9月3日は中国の抗日戦争勝利記念日で、中国に合わせて共に日本への勝利を祝う形にしたのだと廣瀬氏は説明する。

上陸の3つの狙い

廣瀬氏は、今回の上陸には「中国への配慮」「日本へのメッセージ」「国内戦略」という3本柱があるとみる。

第1は日本へのメッセージである。主権を誇示するだけでなく、日本のレッドラインがどこにあるかを探る狙いがある。廣瀬氏は、ロシアは相手を探るのが得意な国で、何をすればどんな反応が返ってくるかを見ながら相手の動きを読んでいく、と述べる。

第2は国内、とりわけ極東向けのアピールである。9月20日に下院選挙があり、9月3日の対日戦勝記念日も控えていた。廣瀬氏は、不正選挙もあるだろうが、結果があまりに現実と乖離するのはよくないため、得票はしっかり確保しておきたいはずだという。8月12日のサハリン州訪問は13年ぶりで、長く足を運んでいなかった土地に大統領が来れば住民は喜ぶ。そのうえで、初めて択捉島にも行った。ただし廣瀬氏によれば、モスクワなど本土の人々は北方領土のことをほとんど知らない。あくまで地域限定のアピールになる。それでも、この地域の住民が対日戦に貢献したことを語り、戦勝記念日の時期に愛国心をかき立てることはできる。地域向けと時期的な狙いの二重の効果があったとの見方だ。

第3は中国との戦略的連帯の誇示である。日中関係が悪化する中で、中露による対日圧力の構図を明確にした。同じ日に中国と足並みをそろえたことから、廣瀬氏は相当前から中国に伝え、互いに作戦を練っていたと推測する。

ロシアの目に映った「関係修復を望む日本」

廣瀬氏は、この問題は日本側とロシア側の両方の視点で見る必要があると強調する。ロシアから見ると、最近の日本は制裁こそ続けているものの、関係を復活させたいのではないかと読み取れる節があったという。

日本側の動きを具体的に見ると、まず今年2月に、モスクワとサンクトペテルブルクにビザ申請センターが開設された。廣瀬氏によれば、ロシア人は旅行好きだがヨーロッパに行けなくなっている。日本はアジアにありながら西側の国で、円安で「お買い物天国」のようになっており、旅行先として大人気だという。ビザ取得には毎日行列ができており、日本はビザを無料で発給している。日本人がロシアのビザを取る際にはかなりの手数料がかかるのとは対照的だ。廣瀬氏は、政府としては国家としてのロシアと国民としてのロシア人を分け、永遠の隣国である以上、親日的なロシア人とは仲良くしておくのがよいという考えなのだろうと解釈する。ロシア人の大学教授などを学術交流で日本に招くことも、戦争中を通じて続いているという。

春ごろには、日本企業の資産保護をめぐって、経産省と外務省の関係者が日本企業とともにロシアを訪れ、実務協議を行った。最初に報道が出た際には一度否定されたが、結局訪問が実現した。ロシアからは歓迎していないというメッセージが出たものの、実際に行った人に聞くと、それなりに温かい雰囲気もあったという。ただし廣瀬氏は、これは既存の経済関係を維持するためのもので、新規プロジェクトを始めるわけではなく、その一線は守られていると付け加える。

7月には、茂木外相がマニラでラブロフ外相と5年ぶりほどに接触した。偶然の機会で、在任期間が世界一長い外相であるラブロフ氏と2期目の茂木氏は面識があり、久しぶりに言葉を交わした程度だという。ただ、その前にロシアを何度か訪れている鈴木代議士が、外相同士の接触をセットできるといった趣旨の発言をしていた。そのため、公的な意味を感じ取る人もいた。廣瀬氏は、実態としてはそれほど大きなものではないが、一つのアプローチではあったと評価する。

廣瀬氏が「結構大きい」とみるのが、大学生15人をサンクトペテルブルクに派遣した件である。7年ぶりの再開だった。かつては公募で行われていたが、今回は大学教員にピンポイントで学生の紹介を求める形で、ひっそり行われたという。サンクトペテルブルクは今年に入ってウクライナのドローン攻撃も受けており、危険な場所に今あえて学生を送るメリットがあるのか、と廣瀬氏は疑問を呈する。さらに日程は8月12日から20日で、その最中の13日にプーチン氏が択捉島に上陸した。学生を人質のように預けている状況では、日本は強い立場を取りにくい。廣瀬氏は、日本の足元を見られた可能性もあると述べる。

なお廣瀬氏は、日本政府が制裁を緩めたいわけではないとも明言している。日本はG7の主要国であり、最高レベルの制裁はウクライナ戦争が続く限り変えられないし、変えてはならないという立場だ。

「何をしなかったか」もメッセージになる

番組では、日本が「何をしなかったか」も整理された。廣瀬氏は、これらがロシアを喜ばせていると考える。

一つ目に、高市首相はウクライナ支援を口にしながら、ウクライナを訪問していない。ウクライナ側は早期の訪問を繰り返し求めている。二つ目に、ゼレンスキー大統領とまだ対面していない。6月のG7の際に会談しようと思えばできたが、個別会談は行われなかった。廣瀬氏によれば、G7首脳でゼレンスキー氏に会っていないのは高市首相だけだという。理由は明示されていないが、ロシアに配慮していると見られかねない。三つ目に、ウクライナに殺傷兵器を供与していない。

これらを総合すると、ロシアには「日本はかなりロシアに配慮しており、そろそろ関係を戻したいのではないか」というポジティブなメッセージとして受け取られた可能性がある、と廣瀬氏は言う。司会者が、判断の遅れや優先順位の低さで後回しになったことまで「あえてしなかった」と解釈されうるのではと指摘すると、廣瀬氏は「全くその通り」と応じた。あらゆることがメッセージになりうるため、相手にどう受け取られるかを常に考えて動かなければ外交は難しい、というのが廣瀬氏の見方である。

択捉島でプーチンは何をしたのか

では、プーチン氏は択捉島で何をしたのか。廣瀬氏は3つの行動を読み解いた。

まず、水産加工場でイクラを試食し、「美味しい」とまで言った。この工場は、ギドロストロイという会社が持つ大規模な施設である。廣瀬氏によれば、この周辺は世界有数の漁場で、試食は漁業の繁栄と、その資源をロシアが支配していることを示すメッセージになる。ギドロストロイは、日本に返還された場合に日本領となるはずの島にも水産工場を持っており、そこへのメッセージも含まれるという。同社はサハリンから北方領土にかけて水産業や観光業などを広く手がける巨大企業で、廣瀬氏はそれを「ギドロストロイ帝国」と表現した。政府と密接な関係にあることのアピールにもなっているとみる。

次に、ウクライナで戦死した兵士の名を冠した学校を訪れた。この地域からもウクライナへ兵士が送られ、戦死者も出ている。戦死者はロシア連邦英雄となり、その名が中学校に付けられている。そこを訪問することで、「特別軍事作戦」への貢献に感謝し、あなたたちを忘れていないというメッセージを送った、と廣瀬氏は説明する。

さらに、住民は「勝者の遺伝子コード」を持っているという発言をした。9月3日の戦勝記念日と重ねて、かつては対日戦で戦い、今はウクライナで戦っている住民を称える意味がある。司会者が、元は日本人の島なのに勝手に歴史を書き換えられている感じがすると述べると、廣瀬氏も同意した。

同じ日に出された中露駐日大使の共同声明は、「軍国主義の魂を呼び覚ます行為」に断固反対するという内容だった。中国から見ると、日本は再軍備化しているように映っている。声明に北方領土への言及はないが、同じ日に出したことが非常に意味深だと廣瀬氏は言う。第2次世界大戦をめぐる歴史的記憶について、中露は完全に共同戦線を張っているということだ。

国境画定という道も閉ざされたのか

廣瀬氏が最も注目すべきだとするのは、プーチン氏本人が行ったという点である。最後のカードとして残してきた訪問を自ら切ったことは、日本との領土交渉を見切ったことの表明ではないか、と廣瀬氏はみる。

ロシアはこれまでも、日本との間に領土問題は存在しないと主張してきた。2020年には憲法を改正し、領土の割譲を行わないと明記した。これで領土返還はかなり難しくなった。それでも廣瀬氏は、「ウルトラC」が一つあったと言う。割譲はできなくても、国境画定の交渉はできたはずだという考えだ。日露の国境はまだ確定していない。ロシアの主張する国境は北方領土全体を含むが、日本の主張はウルップ島と択捉島の間である。これを確定させる交渉であれば、割譲ではなく国境画定として島の返還を実現する可能性はあった。交渉のカードがまったくなかったわけではない。だが、その最後の交渉カードだったプーチン氏自身が上陸したことで、交渉の余地はないと言ってきたようにも見える。

ロシアはさまざまな球を投げて相手の反応を見ている、と廣瀬氏は言う。今回、日本は遺憾の意を示す強いメッセージは出したが、その後の動きはない。約1カ月が経っても、ちらつかせていた制裁も実行していない。廣瀬氏は、ロシアはこれを「結局言葉だけだ」と受け止め、ここまでしても日本は新たな措置に出ない国なのだと学習したと思う、と述べた。今後の領土交渉については「相当厳しい」という見方だ。

9月1日、プーチン氏は日露関係の悪化について、責任は100%日本にあると発言した。ロシアからすれば領土問題は解決済みだが、それでも平和条約協議には応じる用意があり、人道的な問題にも前向きに対応してきた。それなのに日本が自ら関係を悪化させている、という主張である。これは選挙向けのパフォーマンスではないかという問いに、廣瀬氏はその可能性も認めつつ、別の側面も指摘した。ウクライナとの協議では占領地の扱いが重要な争点で、ロシアは一寸の土地も返さない姿勢をとっている。西で領土に厳しい態度をとりながら東で返還をにおわせれば、態度に揺らぎが生じる。そのため、領土では一貫して譲らないという姿勢を国際的にアピールした可能性もあるという。

狭間国家の4つの生き方

では日本はどうすべきか。廣瀬氏は著書で、ロシアとの関係を軸に狭間国家の生き方を4つに分類している。

  1. 離反型:バルト三国のように、ソ連解体後すぐにヨーロッパへ向かい、2004年にNATOとEUに加盟して、ロシアと完全に決別した国。
  2. バランス型:ロシアとの関係は切らずに多くの回線を持ち、バランス外交をする国。カザフスタンやアゼルバイジャンが当てはまる。
  3. 依存型:ベラルーシのように、ほぼロシアにしか頼れない国。ベラルーシは100%依存しているわけではなく、今年も欧米との関係をちらつかせてプーチン氏を苛立たせる場面があった。それでも経済と軍事をロシアに握られている。
  4. 中立型:資源などによって経済的に自立し、中立を明確にうたい、ロシア主導の組織にも入らない国。

ただし廣瀬氏は、狭間国家はきれいに型に分けられるものではないと断る。どこから見るかで見え方が変わるからだ。日本が狭間国家かどうかについても議論は分かれる。米露の間で身動きがとれないから狭間だという人もいれば、G7の一員の経済大国だという人もいる。軍事面では日米同盟に頼っており、軍事大国ではない。経済面では、日中関係が悪くても中国が最大の貿易相手で、中国を含むユーラシアやアメリカとの関係を総合的に見なければならない。韓国は、日本を含む大国に挟まれてバランス外交をとる狭間の国だという意識を持っているとも聞くという。廣瀬氏自身は日本を狭間国家だとは考えていないが、狭間国家の学びは日本にも使えると話す。

複線化と「選ばれる国」

エネルギーと物流について、廣瀬氏は依存度が高いからこそ日本は困っていると指摘する。これまで日本は中東への依存度が非常に高かった。しかし廣瀬氏によれば、今年2月からイラン戦争が起き、中東に頼ることが難しくなった。アメリカへの依存を増やす一方で、ロシアとのエネルギー関係も切れない。依存先を一つにしておくのは危険だというのが、ここでの教訓だという。回線を多く持っていれば、何か起きた時に重心を移すことで、あまりダメージを受けずに次の手を打てる。キーワードは「複線化」である。

同時に廣瀬氏は、日本が「選ばれる国」でなければならないと強調する。他の国も回線を多く持っている。中東に頼れなくなって別の供給元に切り替えたいと申し出ても、「他国からの引き合いが多く、日本に回す分はない」と言われるかもしれない。そうならないためには、日本は大事な国だから優先的に回そうと思ってもらう必要がある。選ぶ自由度だけでなく選ばれる強みが大事で、そのためには戦略的優位性が要る。廣瀬氏は台湾の半導体を例に挙げ、強みがあれば他国が一目置くと述べた。司会者は、民間企業も含めて各分野で力をつけることが選択肢を増やすことにつながるとまとめた。

維持すべきもの、急ぐべきでないもの

最後に廣瀬氏は、ロシアとの向き合い方を3つのベクトルで示した。

一つ目は、維持すべき実務的な外交関係である。ロシアで活動を続けている日本企業がある。北方領土問題は人道的に喫緊の課題でもある。元島民は墓参や、存命のうちにもう一度島を訪れることを望んでいるが、年々亡くなっている。せめて墓参など人道面だけでも早く再開したい、と廣瀬氏は言う。ビザなし交流もコロナ以降行われておらず、早期の復活が課題だ。漁業、とりわけ日本が毎年お金を払って漁獲枠を得ている昆布漁などの実務関係も重要である。サハリンやヤマルのエネルギー権益も、ロシアに対して主張する立場を保つために維持すべきだという。

二つ目は、急ぐべきでないものである。首脳会談、大規模な経済協力、特に新規案件、そして政治的な関係正常化がこれにあたる。ウクライナ戦争が続き、日本はそれに全面的に反対している。戦争が明確な形で、日本が支援するウクライナにとって、つまり日本が納得できる形で終わらない限り、これらを急ぐべきではないと廣瀬氏は述べる。実務関係の維持に首脳は必要ない、首脳外交はだめだというのは大きなメッセージになる、という立場だ。

三つ目で廣瀬氏が「最も重要」とするのは、対話をロシアに日本の譲歩だと誤認させないことである。実務関係の維持にはある程度の接触が伴うが、それが日本がすり寄ってきたという誤ったメッセージにならないよう、「ここまでは話すが、これ以上は進まない」という厳格な立場を明確に示し続ける必要があるという。

プーチン後に交渉は動くのか:エリツィン時代の「空っぽの島」

プーチン氏がいなくなれば北方領土交渉は再び動くのか。この問いに廣瀬氏は「可能性としてはある」と答えた。大統領によってロシアの姿勢はある程度変わってきた。返還に最も近づいたのはエリツィン時代だと廣瀬氏は考えるが、それは大統領の人柄以上に、ロシア経済が史上最悪の状態にあったためだという。北方領土を返して日本から援助を得るという選択肢を、相当現実的に検討した可能性があると廣瀬氏はみる。

根拠として廣瀬氏が語ったのは、2018年に北方領土の島を訪れた際、少なくとも3人ほどから聞いた話である。1994年の北海道東方沖地震は震源地がほぼ北方領土で、甚大な被害が出た。経済的に最もぼろぼろだったロシアには復興する力がなく、エリツィン氏は、返還の際に大きな問題になる島民を本土へ移して島を空にし、そのうえで日本に返して援助を得ればよいと考えたという。実際に一度島民を全員移住させ、ボルゴグラードやカリーニングラードなど、ロシアが人口を増やしたい地域に家を用意した。しかし保守派が返還に反対し、住民もどんどん島に戻ってしまい、計画は頓挫した。廣瀬氏が会った人々は当時もらった家を今も持っており、元島民同士が結婚した家庭では2軒持っている例もあるという。「今も母と娘がボルゴグラードの家に行っている」と話した人もいた。廣瀬氏は、こうした実例から、実際に返還へ向けた動きが起こりかけていたのだと述べる。

そのため、ロシア経済が極度に悪化し、プーチン氏ではないより融和的な大統領が現れれば、可能性はゼロではないと廣瀬氏は考える。憲法上割譲はできないが、国境画定の枠組みを使えば交渉の余地はありうるという。

中露の共闘と、日米同盟という「弱点」

ただし廣瀬氏は、今が日本にとって最も厄介な局面だという司会者の見方にも同意した。中露は対日で完全に共闘しており、領土交渉となれば中国が妨害してくるだろうという。日本はプーチン氏だけでなく中国も相手にしなければならなくなった。

プーチン氏から見た日本の弱点について、廣瀬氏は対米依存を挙げる。ロシアには、日本はアメリカに強く依存し、その顔色をうかがう国という像があり、読み取りにくい国と考えている可能性がある。廣瀬氏によれば、ロシアは2016年ごろから、北方領土交渉には日米同盟の解消が必要だとか、北方領土に米軍基地を絶対に作らないという事前の保証がなければ交渉できないといった主張を続けている。ロシアにとって最も突きやすい弱点は日米同盟だ、というのが廣瀬氏の見立てである。

北方領土はもはやロシアとの二国間問題にとどまらず、中国が加わり、背後には日米同盟がある。番組は、そうしたいくつものピースがどう組み合わさるかで状況が大きく変わる、という認識を共有して締めくくられた。