部員8人から箱根3位へ:城西大学・櫛部静二監督が語るチームづくりと低酸素トレーニング

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概要

城西大学男子駅伝部は、創部当初は部員が8人しかおらず、箱根駅伝では3年連続11位という時期も経験した。そのチームが2024年の箱根駅伝で総合3位に入った。この回では、2001年から同部を指導する櫛部静二監督と、教え子で箱根6区を走ったOBの三田翔平氏が、その過程を振り返っている。聞き手は元NHKアナウンサーの西川典孝氏で、桐蔭学園陸上部で三田氏の後輩にあたる。

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櫛部監督は、自分たちを「巨大企業に立ち向かうベンチャー企業」と位置づけてきた。人材も知名度も環境もない状態から伝統校に勝つために何を考え、どんな手を打ってきたのか。話題はチームマネジメント、5区・6区の走り方、低酸素トレーニング、そしてランナーの速さを決める3つの指標に及んだ。

指導者と教え子の関係

三田氏は在学中の櫛部監督について、選手にとても寄り添う指導者だったと振り返る。当時は監督自身も学生と一緒に朝練習を走っていた。距離は学生と同じ12〜13km程度で、集団で走る。三田氏によれば、学生たちは全力で走っていたのに、専門の違う監督にまったく勝てなかったという。監督は当時について「朝練習に命をかけていた」と笑った。

櫛部監督は早稲田大学時代に箱根駅伝を4年連続で走り、3年生のときに1区で区間賞を取った。1年生のときは食あたりになったが、代わりの選手がいなかったため無理を押して走ったという。一方、西川氏は、三田氏が2年生で走った6区を鮮明に覚えている。一斉スタートの集団で山を下る姿をテレビで見て涙を流し、スポーツ実況を志してNHKのアナウンサーになったと明かした。

「常連校」と呼ばれるようになった現在

直近1年間、城西大学は三大駅伝すべてで1桁順位に入っている。箱根では2024年に総合3位、今年1月の大会では7位だった。櫛部監督によると、3位に入った瞬間はそれほど実感がなかった。しかし去年から今年にかけて、ようやく「常連校」「強豪校」と呼ばれるようになったという。

三田氏の世代は11位を何年も続けた世代で、シード権を獲得したときには三田氏自身はインフルエンザで走れなかった。出られるか出られないかという時代を知っているからこそ、今の活躍は誇らしいと話している。

留学生の成長を支えたコーチの存在

西川氏は、城西大学が強いのは外国人留学生がいるからではないかという声があることを取り上げた。去年、ヴィクター・キムタイ選手は三大駅伝で区間賞を取り、区間新も記録している。

櫛部監督によれば、キムタイ選手は入学当初はそれほど強くなかった。5000mなどトラック種目では入賞もしていたが、距離が長くなると途端に走れなくなったという。監督は、これは留学生に共通する傾向ではなく、5000m以外の種目に興味がないという彼特有の性格だったと説明する。そこから記録が伸びたのは、担当コーチが熱心に、厳しくも優しく彼に接し、練習の裏でフォローを続けたからだと監督は見ている。

ほかにも、斎藤将也選手が去年の箱根で5区区間2位に入り、今年は4年生の柴田選手が日本選手権などで活躍している。監督は、選手たちが自分の予想を超えるような記録を出してくると語った。日本選手権でMCを務めていた西川氏も、柴田選手が予選をトップで通過したことに驚いたと話している。

3年連続11位の時代に足りなかったもの

箱根駅伝への初出場は2004年である。その後は19位という年もあり、2019年には20位だった。予選会で敗退した年や、途中棄権の年もある。2006年からは3年連続で11位となり、あと一歩でシード権に届かなかった。三田氏の誕生日が11月11日だったことから、「11に呪われている」とよく言われたという。

当時足りなかったものについて、櫛部監督は内面の問題を挙げる。当時の部員は高校時代から活躍してきた選手ではなく、入学後に力を積み上げてきた選手たちだった。強い選手に勝つための練習はある程度できていた。しかし「あの選手に勝ちたい」「あのチームに勝ちたい」という気持ちが弱かったと監督は振り返る。歴史の浅いチームが伝統校や強豪校のあいだを勝ち上がる難しさを、ずっと感じていた時期だった。

2023年に9位に入ってからは、3位、6位、7位とシード権を守り続けている。監督はその理由として、マインドの変化に加え、新しいトレーニングを次々に取り入れて他校とは違う色を出そうとしてきたことを挙げた。自身の競技のルーツは古い時代の練習、つまり量や距離を重んじる練習にある。簡単に言えば、ハーフマラソンを走るためにフルマラソン用の練習を課すような状況で、これは城西大学に限らず他校にも言えることだという。そこに自分なりの考えを加えて変えてきた、と監督は語った。

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5区:前傾ではなく体を起こして登る

ここ4年間、城西大学は5区で4年連続3位以内に入っている。区間新も1度出しており、山本唯翔選手と斎藤将也選手がこの区間を走った。

櫛部監督は、すべてが完璧に説明できるわけではないと断ったうえで、まず走り方に特徴があると説明する。平坦なコースと傾斜のある5区とでは走り方が違う。階段を登るときのように、足が通常より早く着地する場面が出てくるという。

さらに、山本選手と斎藤選手の走り方は正反対だった。山本選手は接地時間を長くとるタイプで、斎藤選手は接地時間が短い。一般には「山を登るときは前傾しろ」と言われ、三田氏もそう教わってきた。しかし監督は、下りも前傾、登りも前傾というのはどういうことなのかをずっと疑問に思っていた。斎藤選手の走りを観察すると、意外にも体を少し起こして走っていた。監督がトレッドミルに傾斜をつけ、体を起こして真似して走ってみたところ、これは楽だとはっきり感じたという。常識とされてきたことが正しいかどうかは、やってみないと分からないという話になった。

6区:ブレーキをかけずに斜面へ乗り込む

山下りの6区について、三田氏はブレーキをかけないことを最優先していたと話す。斜面にそのまま乗り込むようにして下っていく。「頭が壊れているような選手でないと行けない」区間だと笑いながら語った。

6区では足の皮がめくれるなど、選手の足が悲鳴を上げることが多い。ところが三田氏は走り終えたあと、足がまったくの無傷だった。三田氏の見方では、不安を感じて少しでもブレーキをかけると、足の裏がこすれて皮がむけてしまう。三田氏の年は一斉スタートだったため、前日に仲間と電話で「行くしかない」と話し合い、スイッチを入れて思い切り下ったことが無傷につながったのではないかという。三田氏は、この区間では恐怖をなくさなければならないと語っている。

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「巨大企業に立ち向かうベンチャー」という自己認識

櫛部監督がチームをベンチャー企業にたとえ始めたのは、立ち上げからしばらくして伸び悩んだ時期だった。当時は「スタートアップ」という言葉はまだ一般的でなかったが、世の中のベンチャー企業と自分たちの立ち位置を重ねた。相手は監督の出身校である早稲田のように、100年以上続く伝統校である。どうすれば勝てるのかをずっと考えていたという。

最初は、スタートラインに立つ段階から負けていた。強いチームが遅れてやってきても、城西の選手は最前列を譲ってしまう。監督はこれを心の弱さと捉え、初めから負けている状態をどうにかしなければならないと考えた。

創部時の課題として、監督は3つを挙げた。1つ目は人材がいないことである。当初の部員は8人で、箱根の10区間すら埋められなかった。2つ目は知名度のなさである。「城西大学はどこにあるのか」と聞かれ、大学名を「しろにし」と読まれることもあった。リクルートは当時の監督が主に担当し、櫛部監督はチームの知名度を上げるために各地のマラソン大会に出向いた。城西大学の名前をつけて走り、マラソン教室も開いた。高校へスカウトに行くと、逆に「どこどこ大学に行くにはどうしたらいいか」と相談されることもあったという。

3つ目は環境がないことだった。グラウンドはオールウェザーの上に土が乗り、ほとんど意味をなさない滑りやすい状態で、雨の日はひどかった。ロードのコースや山のクロスカントリーコースを探すなど、少しずつ環境を整えていった。現在は人工芝のグラウンドを含めて施設が整い、OBの三田氏が久しぶりに訪れて城西ではないと思うほどだという。

箱根出場は立ち上げ当初から掲げた目標で、5年計画だった。予選会は前年に行われるため、2004年大会の出場を目指し、実際に2003年の予選会を通過して2004年に初出場を果たした。監督は、その頃は楽しかったと振り返っている。

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6区に選ぶ選手と区間配置の考え方

目標が「出ること」から「勝つこと」に変わるなかで、区間の選び方も話題になった。櫛部監督によれば、6区は運営管理車がつかない唯一の区間である。スタートのかなり前に話をしておき、あとはウォーミングアップや最終コールがあるので、直前にはほとんど話ができない。普段から言いたいことを伝えておき、最後に「頼むぞ」と送り出したあとは選手本人に任せるしかない。約1時間、今では60分を切る選手も多いが、その時間を1人で走り切る気持ちの強さが求められるため、そういう状況でも走れる選手を選ぶという。

三田氏は、その考えを聞いて、そういう配置をしてもらっていたのかと初めて知ったと話した。いい意味でも悪い意味でも、運営管理車の声が聞こえないほど没頭できる選手や、思い切って行ける選手が6区に向いているのではないかという。実際、三田氏は走っている最中に前後のタイム差などの情報がなかった印象がある。最後の直線で「区間賞を狙えるぞ」と言われたときも、そんなはずはないと思ったが、結果は区間2位に近い位置だったという。

櫛部監督によると、コースの要所には情報を伝える係がいる。ただ6区はスピードが出るので風切り音で声が聞こえにくい。昔は電波が入らず、情報がうまく伝わらないことも多かった。そのためボードを掲げて見えるようにするなど工夫していたという。また一斉スタートの場合は、見た目の順位と実際の順位が異なるので、判断がさらに難しくなる。

区間配置で最も重要な区間を1つ選ぶよう求められると、監督は「どれも重要」としたうえで、1区、2区、5区あたりを挙げた。三田氏も、駅伝は前半が大事で、選手たちは単に10人に入るより前半を任されるメンバーに入りたくて頑張っていると話す。最近は高速化が進み、1区や2区で遅れると取り戻しにくい。監督は、箱根ではひどいときには1km先まで前の選手がいないこともあり、特に3区の直線で誰もいない状況は本当にきついと語った。

低酸素トレーニングの原点:ケニア、エチオピアの選手の強さ

もう1つの柱が、2012年頃から本格化させた低酸素トレーニングである。櫛部監督は高校時代から海外のレースに出ており、ケニアやエチオピアの選手の圧倒的な強さを間近で見てきた。その理由の1つは標高2000m以上の土地で生活していることにあると考え、日本人にも高地トレーニングが必要だと選手時代から考えていたという。その後、低酸素環境を人工的に作れるようになり、個人でも導入できる時代になったので、現場で使いたいと考えて始めた。

西川氏は、これを社内ベンチャーのようだと表現した。監督は、環境がないなら作り出す、できるかどうかよりもまずやってみる、という考えで進めてきたと説明している。

酸素カプセルから低酸素ルームへ

三田氏が在学していた2008〜2009年頃、寮の一室が空けられ、そこにドラゴンボールに出てくるようなカプセルが運び込まれた。これは回復用の高酸素カプセルで、学生たちは「この中で寝ろ」と言われた。1人しか入れないという難しさもあった。三田氏は、監督が酸素に注目していろいろ試していることは感じていたが、当時の学生は意味を分からずに使っていたと振り返る。監督は「説明はしたのだが、聞いていなかった」と笑った。

その後導入したのは、逆に空間を低酸素にする装置で、目的は体を鍛えることだった。海外からの輸入品なので価格が高く、1台が約80万円した。監督は、山にこもると強くなるという昔からの話はあながち嘘ではなく、酸素の少ない環境で心肺機能が鍛えられるということだと説明する。

学内の研究費だけでは費用が追いつかなかった。また、睡眠用の設備は1人ずつしか使えず、選手はたくさんいる。そこで部屋全体を大きくし、トレーニングを重視した低酸素トレーニングルームを作ることにした。まず睡眠時の低酸素に関する論文を出し、それが大学に認められて設置が実現したという。西川氏がベンチャーの資金調達にたとえ、見返りを求められなかったかと聞くと、監督は「うまくかわした」と答えた。

高地の酸素と「分岐点」の標高

櫛部監督によると、ケニアの選手たちは標高の高いところでは2800m程度に住み、そこでトレーニングしている。古い研究だが、ある研究者が彼らの強さを探り、酸素の少なさが大きな要因の1つだと考えた。一方、標高0mに近い土地で暮らす日本人がいきなり2000mの高地に行くと、適応にかなりの時間がかかる。トレーニング自体はできても、強度などの質を保つのが難しい。そこでその研究では、高地で暮らし、低いところに降りてトレーニングすることで質を担保する方法が考えられ、これが世界中に広まったという。

平地の酸素濃度は約20%だが、高地では標高によって15〜16%程度になる。監督は、わずか5〜6%の差で人は大きな影響を受けると説明した。日本の選手がよく行く菅平は標高約1200mで、戻ってくると楽に感じられるという。アフリカの高地はそれより1000m以上高いので、適応できれば効果は大きいと監督は見ている。

西川氏は、NHK長野局時代に標高数百mの場所で暮らしていたころ、東京で走ると楽に感じた記憶があると話した。監督は、走ることに関しては標高700m程度が分岐点とされていると答え、それより高いところで生活することにも意味があると説明した。厳密には2000〜2800mがよいとされる。一方、アンデスやチベットのように高すぎると今度は運動ができなくなり、別の要素が出てくるという。

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寝ながら赤血球を増やす

番組で紹介された「寝ながら鍛える」という表現について、監督は次のように説明した。睡眠中に低酸素環境に身を置くと、赤血球とその中のヘモグロビンが増える傾向がある。スライドでは9%とされていたが、監督は数%のわずかな増加だとしている。それでも赤血球が増えれば酸素を多く運べるようになり、標高0mに近い場所で走ったときに楽に感じられるという。

番組では、2500m相当の環境で暮らし、低地で練習したグループだけが5000mのタイムを13.4秒縮めたという研究も紹介された。監督は、この研究の「低地」は厳密には1200〜1300m程度の準高地だったと補足し、それほど人は酸素量の影響を受けるのだと述べた。

三田氏は、ジョギングやLSD(ロング・スロー・ディスタンス)は酸素を運ぶ能力を高めるために行う面が大きいので、それを寝ながらできるのは非常に魅力的だと話した。ただしLSDと組み合わせることが前提だという。監督も、寝るだけでは効果は足りず、相応の練習をしたうえで管理することが大事だと強調した。具体的には、起床時の心拍数や、指先につけるパルスオキシメーターで測った酸素の結合度合いを記録し続ける。三田氏は、寝ることにはそれほどストレスがかからないので、その小さな積み重ねが大きな結果につながっているのではないかと話している。

学生が信じるようになったきっかけ

当初、学生たちはこのトレーニングを信じなかった。監督は「見えないものとの戦い」だったと語る。酸素カプセルと同じく、説明しても右から左に抜けてしまい、理解してもらうのが難しかった。練習自体もきついので、学生は嫌がったという。

変化のきっかけは2つあった。1つ目は卒業生の村山紘太選手が、卒業1年目に1万mで日本記録を出したことである。彼は在学中から低酸素での生活とトレーニングを続けており、後輩たちはそれを知っていた。

2つ目は、3000m障害の山口浩勢選手である。2020年の東京オリンピックを目指していた山口選手は、2018年頃に「人生の最後をかけて東京オリンピックに出たい」と言って、低酸素トレーニングをさせてほしいと頼んできた。そして約1年半から2年、学生と一緒に生活しながら取り組んだ。当時29〜30歳だったが、記録は8分31秒から8分20秒を切るまで伸び、オリンピック代表になった。監督は、短期間でその成長が見られたことが大きかったと振り返る。目の前で結果が出たことで、それまで空きが多かった低酸素ルームが満室になったという。

36:29

速さを決める3つの数字

後半では、トップ選手だけでなく市民ランナーにも関わる「速さを決める3つの要素」が取り上げられた。監督は、世間で行われているトレーニングの多くは間違っていないとしつつ、練習を組み立てる際にこの3つを軸に、そのトレーニングがどれに影響するかを考えると分かりやすいと話す。

1つ目は最大酸素摂取量(VO2max)である。運動中に体重1kgあたり1分間にどれだけ酸素を取り込めるかを示し、数値は高いほどよい。番組の資料では、サブ4ランナーが約55、サブ3ランナーが約60、箱根ランナーが約70、キプチョゲ選手の推定値は80台とされていた。監督は、市民ランナーの値が低いのは、その強度で練習していないから上がらないという見方もできると指摘する。上げようと思えば上げられるが、55の人が上げたいなら55が出る強度で練習する必要がある。マラソン自体の強度は低く、最大値が求められるのは最後の最後くらいなので、マラソン練習では刺激されにくい。ただ、上限が高ければ余力がまったく違ってくるので、市民ランナーやマラソンランナーも時々はこの領域を刺激する必要があると監督は述べた。

2つ目は乳酸性作業閾値(乳酸閾値)である。血中にどれだけ乳酸が出ているかを見る指標で、400mのような短い距離では乳酸をためても耐えられる能力が重要になる。一方、長距離、特にマラソンでは、乳酸をできるだけ低く推移させたい。資料のグラフでは、学生の長距離ランナーの例として、横軸に速度(1分間に何m進むか)、縦軸に心拍数と乳酸値が示された。心拍数は強度に比例してほぼ直線的に上がるが、乳酸はある速度までほぼ横ばいで、そこから急に上がり始める。この点が乳酸閾値で、これがより速い速度側に移るほど、速く走っても乳酸が出にくく、余裕を持って走れる。多くの長距離ランナーはこの指標を重視しているという。

3つ目はランニングエコノミーである。監督は双子のランナーを例に挙げた。2人とも1kmを3分のペースで走ったとき、1分間に使う酸素量がAは60、Bは66だったとする。同じ強度で酸素摂取量が少ないAのほうが、必要なエネルギーが少なく効率がよい。つまり燃費がよい。この差には、フォーム、筋力、生まれ持った体の特徴、さらに細かく言えば神経機能などが関係するという。

西川氏は、VO2maxを車のガソリンタンクの容量、ランニングエコノミーを燃費にたとえてまとめた。監督は、エネルギーがなくなるとマラソンでは力が入らなくなると付け加えた。三田氏は、マラソンでは頑張るとエネルギーを使ってしまうので、頑張らずにどれだけ省エネで走れるかが大事であり、それを可能にするのがフォームや筋力だと話している。監督は、マラソンランナーにとっては2つ目と3つ目、つまり乳酸とエコノミーを見ることが特に重要だとした。3つの要素をどう高めるかについては、次の回で具体的に扱うとされた。

箱根は目的ではなく手段

最後に櫛部監督は、「大きな声では言えないが」と前置きしたうえで、箱根駅伝は最終的な目的ではなく手段だという考えを示した。箱根駅伝はもともとトレーニングとして取り入れられたもので、それが競技として面白いと注目され続けた結果、オリンピック種目との「逆転現象」が起きているのが実情だと監督は見ている。駅伝を利用しつつ、オリンピックや世界大会で海外の選手と戦うことを考えていきたい、と監督は語った。