燕三条で「作れないものはない」のか 試験機メーカーと町工場を回って見えた技術と課題

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概要

堀江貴文氏が新潟県の燕三条エリア、地元で「県央地区」と呼ばれる地域の工場を訪ねた。堀江氏の周辺ではロケットに加えて航空事業が増えつつあり、実際にLSA(小型の軽量スポーツ機)を作る計画がある。今回の訪問は、その協力会社になりうる工場を見て回るためのものだ。最初に訪れた環境試験機メーカーの社長は「この地域で作れないものはたぶんない」と言い切る。一方で、その技術を最終製品にまとめ上げる力がこの町には欠けているとも話す。この二つの見方が、訪問全体を通して繰り返し出てくる。

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「飛行機より田植え機の方が難しい」

最初の訪問先は環境試験機を作るメーカーで、ロゴが自動車メーカーのいすゞによく似ているが別の会社である。社長は、航空機に携わる人には怒られるかもしれないと断ったうえで、この地域には田植え機を作っている会社があり、そちらの方が難しいと思うと語った。柔らかく傷みやすい根のついた苗を、均等に植えていく。それを機械でやるのはとんでもない技術だという。

社長は自身もものづくりのエンジニアだと言い、飛行機には田植え機とは違う種類の要素がたくさんあるだろうとしたうえで、飛ぶか飛ばないかという意味なら「飛ぶものは作れると思う」と述べた。ロケットも含めて、法律に触れない範囲なら何でも作れると考えている。ただし、それをどうプロデュースするかが下手な町だという。一つ一つを見ると光るものを持つ「バカじゃないかというようなやつ」がたくさんいる、というのが社長の町に対する評価である。

目的は溶接ではなく自動機を作ること

社長が「変なやつ」の例として見せたのが、社長の同級生の会社が作るチタン製タンブラーだ。社名は偶然にも「堀江」という。二重構造で、飲み口を溶接でつないでいる。わざわざチタンを使い、わざわざ溶接し、わざわざこの薄さで仕上げている。

社長によれば、この会社の狙いは溶接すること自体ではなく、チタンを溶接する自動機を作ることにある。製品を作るだけならそれで済むのに、それを作る機械のほうを作る。そうすれば均一なものを安く早く提供できる。この町にはそういう考え方で商売をしたい連中が多いという。

近くのバクマ工業も例に挙がった。同社は草刈り機(刈払機)の先端に付けるチップソーを作っている。チップソーそのものは真似すれば誰でも作れる。それなら先端にダイヤモンドを付け、それを加工する装置を作り、装置の側で特許を取る。これは実際に販売されている商品で、ある熱処理をすると簡単にできるため、社長の会社が手伝ったという。

空気を分ける部屋と「金は後」の姿勢

社長の会社は熱処理の専門家であり、環境試験の会社でもある。空間を自由にコントロールできるのが強みだ。訪問した部屋はコロナ禍に安全な場所を作りたくて整えたもので、10分に1回空気を全部入れ替え、しかも部屋の片側ともう片側の空気が混ざらないようになっているという。

社長が強調したのは、やってみないと分からないことに手を出す姿勢だ。同業の大手はお金をもらわないと動かないが、自分たちは「金なんて後」でまずやってみる。そのうえで、面白いかどうか、世の中の役に立つかどうか、ビジネスになるかどうかを判断するという。

ロケットタンクの溶接で苦労した経験

溶接の話を受けて、堀江氏は自身のロケット開発での苦労を話した。7000番台のアルミ板を曲げてまず直線で溶接し、次に円周方向に溶接してタンクにする。溶接条件への要求が非常に厳しく、エンジンよりもタンクのほうが苦労したという。現在は自動溶接機を使っている。チタンは高いので使っておらず、超々ジュラルミンのようなアルミを使っていると堀江氏は説明した。

社長はこれに対し、溶接はアナログで答えのない世界であり、ほぼ職人芸だと応じた。職人の世界は職人の町でないと成り立たず、学校の勉強とは違う部分がある。この地域にはもともとそういう土壌がある、というのが社長の見方だ。

戦後の空白とLSAから始める理由

最終製品をまとめる力が弱いという話に対し、社長は、設計ができて、まとめる場所を作ろうと本腰を入れればできなくはないと答えた。

堀江氏はここで、航空機を作ろうとしている背景を説明した。日本では戦後しばらく航空機の製造が禁止され(堀江氏は10年間と述べた)、そこで技術が途切れ、各社が自動車メーカーになって飛行機を作るところがなくなった。戦闘機は国防上の理由で作り続けたが、旅客機は作らなかったため、市場はエアバスとボーイングが持っていった。スペースジェットも実現しなかった。これを変えるには裾野を広げる必要があり、LSAのような小さなものから作って大きくしていくしかない、と堀江氏は考えている。戦前は世界有数の航空大国だったはずが、今は国産旅客機がほとんど飛んでいない。その状況を変えたいという。

和田さん(同行者)と話すうちに、燕三条の技術で全部できるのではないか、チタン加工の話も出て、オールチタンで作ったらかっこいいのではないかという話になったという。

堀江氏は例としてテスラのロードスターを挙げた。最初期のシャーシはイギリスのメーカーに作ってもらい、テスラはノートパソコン用のバッテリーを買ってきて、その管理システムを作っただけだった。スポーツカーならバッテリーが高くても買ってもらえる、たとえば中東の富裕層が買う、という話である。

付加価値を知らない町、金属だけではない町

社長は少し論点が違うと断ったうえで、自分は付加価値を追いたいと話した。この町は付加価値のつけ方を分かっていない人たちが技術だけを磨いてきた町だという。

もう一つの特徴として、金属だけではないことを挙げた。隣では木材を、反対隣では布を扱っている。布の技術はケブラーや炭素繊維にもつながり、作り方は同じ系統だという。実際にケブラーの板を作って供給している会社もあるそうだ。複合材の会社もある。

また、この地域には大手自動車メーカーなどの下請けや部品サプライヤーが非常に多い。腕を磨かないと採用されないため、協力し合う工業地帯に見えて実はみなライバルでもある。その意味ではいい町かもしれないと社長は言う。社長は、田舎の社長が大風呂敷を広げていると思っただろう、話半分でいいが可能性はゼロではない、と付け加えた。足りないのはまとめる力だけであり、それがうまく機能し、ある程度の資本が入ってくれば、できないことはないという。

オフィスでは社員全員がスタンディングデスクで立って仕事をしていた。社長は「座ると具合が悪くなる」と言い、堀江氏も昇降式のデスクで立って作業していると応じた。

環境試験機の中身:がっちりしたフレーム

環境試験機は金属の箱で、その中に試験したい物を入れて使う。堀江氏も、自社でもどこかのメーカーのものを使っているはずだと話した。

社長によると、同社の製品の最大の特徴は、内部に鉄骨のようながっちりしたフレームが入っていることだ。試験機は壊れてはいけないものだからで、他社製品にはこうしたフレームは入っていないという。乱暴に使っても大丈夫で、これが作れるのは金属の町だからだと社長は言う。安く作れば儲かるかもしれないが、自分の商売の目的は儲けではない、とも述べた。

同社は創業88年目で、恒温槽の製造から始まり、島津製作所から独立した会社だという。工場ではレーザー加工機を導入している最中だった。これまでは当時最先端だったパンチプレスで板を抜いていたが遅い。レーザーで焼き切れば速く精度も高くなり、夏から稼働する予定だという。精度の高い定盤の上で溶接するため、正確できっちりした箱ができる。

ほぼすべてがオーダーメイド

工場では職人がそれぞれテーマと担当を持って製品を作っている。同じものはなく、ほぼオーダーメイドだ。社長は、オーダーメイドが自分たちの標準だと考えている。すべて自分たちの手で作る以上、標準品とオーダーメイド品を区別することはないという。

見学した装置には、防爆仕様の小型リチウム電池試験機があった。内部にフレームが入っているので、中でリチウム電池が爆発しても大丈夫だという。堀江氏は、ロケットはひどい条件ばかりなので、こうした試験はだいたいやっているはずだと話した。打ち上げ時の振動は特に大きい。

真空チャンバーも手がけており、絶対真空に近いところまで引けるという。標準的には1メートル角ほどで、大きいものは1.5メートル角程度。さらに大きなものも作れるという。真空度を上げると溶接でつなげないため、ケースを無垢材から削り出すことがある。そのための大型フライス盤を持つ会社もこの地域にあり、社長はここでも「そういう変な会社がいっぱいある」と話した。人が中に入って試験できるタイプの試験機もあり、これが大きくなると車が入るものになるという。帰り際には、冒頭のチタン製タンブラーが堀江氏に手渡された。

丸山製作所:単品の治具と古い工作機械

次に訪れたのは、特殊な治具などを作る丸山製作所だ。ものづくりでは治具が非常に大切だという観点からの訪問である。

同社の仕事は単品やロットの少ないものが多い。ワイヤー放電加工機は通常、金型を切るのに使われるが、同社では手で使う削り工具の硬い先端を加工するのに使っていた。細いワイヤーが鉄に当たって放電し、その温度は8000度から1万2000度ほどになると担当者は説明する。材料を溶かして切るため、切った面には独特の加工跡が残る。

機械のハンドル部品の曲げ加工も見せてもらった。中の詰まった丸棒を曲げる仕事で、プレスのベースが壊れるため、ほかのプレス屋はなかなか引き受けないという。同社は金型も自分たちで作っている。ステンレス程度までは曲げられるが、アルミは割れるおそれがある。この日の材料はSS400で、プレスで曲げた後にマシニングで加工してハンドルになる。

使っているマシニングセンターはかなり古い。メーカーは工作機械事業をすでにやめているが、剛性が高く荒加工に強いため現役で使っている。年に1回、別の会社にメンテナンスを頼んでいる。制御装置はファナック製だ。プログラムはCAMで作り、データは専用のメモリーカードで機械に移す。マクセル製の20〜30年前の規格で、電池が入っており、容量は8KBしかない。堀江氏は「ファミコンよりしょぼい」と笑った。3次元加工はできず簡単な加工しかできないが、剛性があるので使い続けているという。導入当時はおそらく数千万円したのではないかと堀江氏は推測した。

レーザーで切って焼き入れし、その後に研磨した部品は、半導体工場の治具のパーツだった。担当者によると、半導体関連の仕事は多いが1個だけの注文が多い。量産のように一度段取りすれば1か月流せるということがなく、ほぼ毎日プログラムを組んで段取りをしているという。仕事の比率は量産が3割ほど(主にバルブ類)、単発が7割ほどだ。どこも作ってくれず困っている品物を引き受けるようにしているという。

へら絞りでチタンを成形する

同じ敷地の奥では、機械加工に加えてへら絞りを行っている。同社は一般の人に工場を見せるオープンファクトリーも実施しており、週末には見学者が来る。見学用のスペースは社員が自分たちで作ったものだという。

今回は厚さ1.5ミリのチタン板から、大きなサイズのタンブラーを絞る工程を工場長が実演した。最大で直径1300ミリほどまで対応できるという。大きなものになると機械自体にそれなりのスペックが必要で、棒に力をかけて加工するため、大きいサイズでは2〜3人がぶら下がらないと動かない。通常は1台に1人だが、大物では3人がかりになる。

まず材料を中心に合わせる。足で操作すると2本の棒が出てきて板を押さえ、それで中心が出るという。ずれても軽く叩けば直せるが、緊張していると難しいと堀江氏は感じたようだ。次に、滑りやすくするために石鹸と工業用グリスを塗る。チタンに限らずほとんどの金属は摩擦が一番の敵だという。チタンの場合は先端がローラーでないと絞れず、回転する材料に回転体の棒を少しずつ押し当てて形を作っていく。

堀江氏は、直径2.3メートルのアルミ製タンクドームを作れるか尋ねた。現在の設備は材料径1.3メートルが上限なので今の状態では厳しいが、それなりの機械を用意すればできるという。その場合は1人では無理なので、棒を長くしてぶら下がって動かすことになる。ロケットの先端もへら絞りで作られていると工場長は話した。

加工硬化と焼きなまし、そしてチタンの発色

チタンは加工するとすぐに硬くなる。多くの素材に共通する性質だが、チタンはそれが非常に早い。柔らかくするには熱をかけるしかなく、チタンは本来かなりの高温が必要になる。そこで少しだけ柔らかさを出すために、バーナーで400〜500度ほどに加熱し、水に入れて冷ます。元の素材ほどには戻らないが、加工で硬くなった分は柔らかくなる。この焼きなましと絞りを繰り返して形を作っていく。大きなサイズでも条件は同じだという。

加熱すると表面に色がつく。これはチタンの特性で、バーナーでも電気でも発色する。ただしバーナーでは火加減で色が変わってしまい、均一にはならない。完成品は見本とほぼ同じ形に仕上がった。工場長は、金属の限界を押さず、ぎりぎりのところで形を作ると説明する。無理に伸ばすとムラが出るので、そこはテクニック次第だという。

堀江氏はタンクドームもいつかチタンでと冗談めかしつつ、チタンは高すぎて使えないと話した。全部チタンでできれば設計はずっと楽になるが、非常に高いという。大きくなるほど加工には人が吹き飛ばされるほどの力がかかり、2〜3人がぶら下がって安定させる必要があると改めて説明があった。

狙った色を出す方法についても話があった。熱で色が変わるのがチタンなので、何度まで上げて何時間保てば緑になるかといった条件を管理するために、温度を制御する機械が必要になる。狙った色を確実に出すなら電気で、水槽に入れて電気をかける方法を使う。ゴールドなど、自然界にある元素の色のグラデーションは出せるが、真っ黒だけはできないと言われているという。

見せる場としての店舗と手仕事のコラボ

敷地には製品を並べた店舗もあった。加工だけでは何屋か分からないので、こんなものも作れるというサンプルを兼ねて置いているという。価格は高めだが、見てきた通り1個ずつ作るため大量生産ができないからだと説明された。

鎚起銅器の職人とのコラボ品も並んでいた。作った器に特殊な色をつけたもので、塗装ではない。銅が薬品に反応して変わる色が10種類ほどあり、それを組み合わせ、色を残したい部分にはコーティングを塗り分けて仕上げているという。これも手仕事の特殊技術である。

残された課題

見学を通して、冒頭で社長が述べた見立ての両面が具体的に確認された。一方には、自動機を作る発想、壊れない試験機へのこだわり、誰も引き受けない単品加工、1人では動かせない大物のへら絞りといった技術がある。もう一方で、社長自身が認める通り、この町には技術をまとめ上げて付加価値のある最終製品にする力が足りない。社長は、まとめる仕組みと資本が入れば作れないものはないと見ている。堀江氏は、LSAのような小さな機体から国産航空機の裾野を広げたいと考えている。燕三条の技術でその機体を実際にまとめ上げられるかは、この訪問の時点ではまだ構想の段階にある。