AIの安全を担う組織「AISI」とは何か:安野貴博が語る各国の現状と日本の論点

YouTubeで開く ↗
概要

「AISI(エイシー)」という組織の名前を聞いたことがある人は多くないだろう。安野貴博は、ホワイトボードを使った解説動画で、最近世界で相次いで設立されているこの組織が何であり、どこにあり、何をしているのかを整理した。そのうえで、日本のAISIがこれからどうあるべきかについて、現時点での自身の考えを述べている。

9分で読めます

AISIは「AIの安全」を担う機関

AISIは「AI Safety Institute」の略である。直訳すればAIの安全性に関わる機関だ。安野は、原子力という技術に対して国際原子力機関(IAEA)があるのと同じように、AIの安全性を扱う機関としてAISIがあると説明する。

最近は、名称の「Safety」を「Security」に変えたほうがよいという議論もある。略称のAISIは変わらないが、イギリスのAISIは実際に名前を変えたという。安野によれば、ここでの「セキュリティ」はサイバーセキュリティの意味も多少は含むかもしれないが、どちらかといえば「安全保障」の意味に近い。AIの安全性は安全保障の問題に近づいていると考える国もある、というのが安野の見方である。

世界10カ国に広がる設立の動き

AISIは単一の国際機関ではない。安野によれば、世界の約10カ国がそれぞれ設立し始め、その間でネットワークができつつある段階にある。最初に設立したのはイギリスで、2023年ごろのことだ。その後、アメリカ、シンガポール、日本、カナダ、フランス、韓国、オーストラリア、ケニア、EUへと広がった。これらをつなぐ国際ネットワークもあり、議長国はアメリカ、事務局はイギリスが務めているらしいという。

突出するイギリスの投資と人材

安野が特に注目するのはイギリスである。最初に設立しただけあって力の入れ方が大きく、初期投資額は約200億円にのぼる。安野が比較のために調べた数字では、シンガポールやアメリカより1桁多いという。

資金を投じているぶん、集めている人材も豪華だ。国の機関でありながら、元OpenAIや元Google DeepMindの人材が所属し、アドバイザーにはディープラーニングの分野で非常に影響力のある研究者、ヨシュア・ベンジオを迎えている。こうした人材の給与水準は一般的な公務員よりかなり高いはずだが、イギリスのAISIは民間のテック企業と同程度の給与を払うと表明し、実際に人材を確保しているという。

一方、日本のAISIがどれだけの予算を使っているかについて、安野は「まとまった数字がすぐには出てこなかった」と認めている。ある機関がAIの安全性に関する研究開発費として約14億円を計上しているという話があったため、全体で十数億円程度ではないかと推測している。もう少し時間があれば正確な数字を押さえたいとも述べた。

アメリカの投資額も約15億円で、イギリスと比べると1桁少ない。ただし、アメリカにはAnthropic、OpenAI、Googleといった民間企業があり、民間側で多くの取り組みが進んでいる。それを理由に国の投資は抑えているのかどうかは分からないとしつつ、安野は、イギリスとアメリカでは力の入れ方がまったく違うと評価した。

主な活動①:AIモデルの評価

AISIの活動は全体像が公開されていない部分もある。安野が公開情報から確認できたものの第一は、AIモデルの評価である。OpenAIのChatGPT、AnthropicのClaude、中国のDeepSeekやQwenといったモデルについて、どんな能力をどの程度持っているか、何を知っているか、どのような偏見があるか、どう振る舞うかを調べている。

これが重要な理由として、安野は二つの点を挙げる。一つは、偏見を持つAIが広く使われると、その偏見が社会の中に温存されかねないという指摘である。もう一つは、AIが何を「正しい」と考えているかについて、国によって見解が異なる点だ。歴史や政治の問題、たとえば「この場所はどこの国の領土か」については国ごとに見解が違う。そのため、各国がそれぞれの立場からAIを評価することに意味がある。振る舞いについても、文化によって「良い」とされる振る舞いは異なる。だから文化圏ごとに評価する主体がいることが大事だ、という議論があると安野は紹介した。

主な活動②:公開前モデルの早期テスト

AISIは、企業が新しいモデルを公開する前にテストする取り組みも行っている。安野が挙げた例は、2024年11月にAnthropicが公開したClaude 3.5 Sonnetである。公開前にアメリカとイギリスのAISIが共同で評価し、イギリスのAISIが脆弱性を発見した。Claudeのチームはそれを受けて修正できたという。

主な活動③:安全性の研究とRepliBench

AISIは、AIの安全性に関する研究も進めている。安野が面白いと感じた例として紹介したのが、イギリスのAISIが公開したベンチマーク「RepliBench」だ。AIが自分自身を複製する能力、つまり自己複製能力がどの程度あるかを測るテストである。AIが勝手に他のコンピュータへ自分を複製できるようになれば、予期しない大打撃や壊滅的な事態が起きてもおかしくない。安野は、そうした文脈で調査されたのだろうと推測している。

安野は、イギリスにはAIが破滅的な事態を引き起こす可能性を論じる学者が多いとも指摘する。例として挙げたのが、ニック・ボストロムの「ペーパークリップ・マキシマイザー」という仮説だ。AIに「ペーパークリップをたくさん作ってくれ」と命じると、AIは地球上のあらゆる資源を使ってクリップを量産しようとし、その過程で人間はいないほうがよいという結論に至るかもしれない。最悪の場合、この命令によって人類が滅亡するというシナリオである。つまり、目的を与えられたAIが意図しない結果をもたらしうるという議論だ。こうした議論がイギリスで盛んだからRepliBenchのようなベンチマークが生まれたのではないか、と安野は考えている。ただし、これは自身の「妄想」であり、本当かどうかは分からないと断っている。

日本のAISIの論点①:個別モデルの評価をどこまでやるか

後半で安野は、日本のAISIがどうあるべきかについて三つの論点を示した。

一つ目は、モデル評価をどこまで行うかである。日本のAISIもモデル評価の枠組みは作っており、オープンソースのフレームワークも公開している。しかし、ChatGPTやAnthropicのモデルといった特定のモデルを実際に評価し、その結論を公表するところまではしていない。安野によれば、その理由は「民業圧迫」になるという懸念があるかららしい。AIを評価する民間業者が存在するためである。アメリカやイギリスのように個別モデルの評価までやり切るのか、それとも現状の日本のように枠組みの提供にとどめるのか。ここが一つのポイントになるという。

安野の結論は、AISIが個別モデルの評価まで行ったほうがよい、というものだ。理由の一つ目は評価の質である。評価の方法だけを出す場合と、実際に評価してデータまで出す場合とでは、評価そのものの質が変わると安野は考えている。実際に評価結果を公表してフィードバックを受ければ、評価方法の直すべき点が必ず見つかる。だから、しっかりしたモデル評価をするためにも結果まで出すべきだという。

理由の二つ目は、公的機関の評価によって助かる人が多いことだ。行政機関は、同じ行政機関による評価を見て、「このモデルは使える」「このモデルは微妙だ」と判断しやすくなる。民間企業も同様で、AI活用を進めなければならない状況では、それを後押しするデータを公的機関が出すことに意味があるという。

日本のAISIの論点②:公開前モデルへの早期アクセス

二つ目は、早期アクセスの確保である。安野は、ビッグテックやAIのフロンティアラボと連携し、公開前のモデルに触れさせてもらうことが大事だと述べる。そのうえで「日本のAISIとしての評価はこうだ」「こういう挙動は懸念される」と言える体制を作るべきだという。

例に挙げたのは、OpenAIの動画生成モデル「Sora 2」だ。日本のさまざまなIPコンテンツをそのまま出力し、著作権侵害だと指摘されている。安野は、早期アクセスをしたうえで日本のAISIがこうした懸念を事前に伝えられれば、意味があるだろうと話した。

日本のAISIの論点③:人材にどこまで投資するか

三つ目は人材投資である。イギリスのように民間企業と競合できる水準の給与を出して優秀な人材を採るべきか、という問題だ。

安野は投資すべきだという立場をとる。理由として、AIの安全性はAI領域の中で日本のアカデミアが世界ランキングに入っている数少ない分野だと指摘する。「戦えているというと微妙かもしれないが」と留保しつつも、ランクインはしているという。ここで人材の受け皿を作れば、この分野での日本のプレゼンスを高められ、場合によっては標準を取れるかもしれない。

さらに安野は、AIの安全性がまだ未成熟で始まったばかりの分野だと強調する。現在のLLMは、知識の量や論理的に問題を解く力は測られているものの、エージェント的に自律して動く段階にはまだ本格的には入っていないと安野は見ている。今後AIにできることが爆発的に増えれば、AIの評価や安全性の確保は非常に複雑な分野になり、トラブルも多く起きるだろうという。その中で日本がこの分野に強いと認められれば、AI活用にも弾みがつくはずだと考えている。

安野は、直近の話ではないとしつつ、さらに先の展望にも触れた。AIがエージェント的になり自律性を持った先には、フィジカルAIがある。ロボットという体を持ったAIが、二足歩行の形かどうかはともかく、実世界で多くの仕事をするようになる。そのとき、フィジカルAIが本当に安全なのかを評価できる機関があるかどうかで状況は大きく違う、というのが安野の見方である。

現時点での考えとして

安野は最後に、これらの論点は現時点での自分の考えだと位置づけた。AIの分野は急速に変わっているため、ここで挙げた論点もすぐに古くなったり、考えが変わったりする部分があるかもしれない。そう断ったうえで、現時点ではこう考えている、と締めくくった。