「燃えられる場所」を失ったZ世代に箕輪厚介が語った、停滞期の過ごし方

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概要

新R25は2026年9月でメディア運営を終了する。編集部員の渡辺りんたろうは、2024年10月にインターンとして参加して以来、悩み相談企画「ビジパの悩みインサイト」に最も多く出演してきた。本人によれば、関わった動画は約780本、悩み相談の出演は70回ほどになる。その最初の取材相手が箕輪厚介さんだったことから、最終回となる「悩みインサイト ザ・ファイナル」でも箕輪さんに相談を持ち込んだ。

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相談のテーマは、ようやく熱中できる仕事を見つけたのに、そのメディアがなくなってしまった後のキャリアの停滞期をどう過ごすかである。冒頭でりんたろうは、収録はサービス撤退が決まった直後で、自分は「やさぐれ気味」でいつもと態度が違うと断っている。箕輪さんは、停滞期は人生の一つの「編」にすぎず、焦る必要はないという立場から、さまざまな角度で答えていく。

1年半かけてついた火が、撤退で消えた

りんたろうがインターン時代に箕輪さんへ相談したのは「燃えられるものがない」「悟って、俯瞰してしまう」という悩みだった。そこから約1年半、手応えのある動画を出し、新しい企画も立ち上げ、社内では編集長になると宣言するまでになった。『死ぬこと以外かすり傷』も読み直し、箕輪さんのおかげで燃えられていると感じていたという。

そこに撤退が決まった。本人の言葉では「完全に不完全燃焼」のまま、強制的に区切りをつけられた形になった。動画公開時点ではすでに社内で別の挑戦を始めているはずだと断ったうえで、りんたろうは現在の状態を語る。事業を畳み、次の挑戦に向かうタイミングで、モチベーションがまったくない。この充電期間を無気力に過ごしている自分が嫌になる。努力しても意味がないのではないか、とまで考えてしまうという。

無気力期間は「〇〇編」の切り替わりにすぎない

箕輪さんの最初の答えは、いきなり打ち込む対象がなくなったのだから、移行期間に無気力になるのは当然だというものだった。自分にも無気力期間は人生で4回ほどあり、その間はサウナばかり行っていたという。

箕輪さんは自分のキャリアを、漫画の章立てのような「〇〇編」の連続として説明する。社会人になって最初は、普通の営業職で全然頑張っていない「ダメサラリーマン編」。その後、編集者になっていく「駆け出し編集者編」があり、そこでそこそこヒットを出して「バリバリのビジネス書編集者編」が始まる。それが当たって「テレビの人気者編」のような時期が来て、その後、文春砲を受けてサウナと酒に入り浸る時期があった。そこからサウナの雑誌やガーシーさんの本など、売れるものや権威のあるものではなく、本当に好きなサウナやライフスタイル、「おかしな人」の本を手がける編に移った。最近はFLASHの件もあって隠すものがなくなり、「酒飲み編」が始まっているという。その間には休んだり無気力になったりした時期も挟まっていた。

だから、りんたろうも「R25のビジネスチャンネルを頑張った編」が終わったと考えればいい、と箕輪さんは言う。

前の編で鍛えた力は、次の編で必ず生きる

箕輪さんは、前の編で頑張っていたことは、一見関係なさそうでも次の編につながると強調する。自分の例として挙げたのが、今の「酒飲み」としての活動だ。ビジネス書の編集者として必死に働いていたから人間関係ができていて、箕輪さんとなら対談したいと言ってもらえる。言語化がうまい、引き出す力があると評価されていろいろな場に呼ばれたり、自分のチャンネルで話せたりするのも、長く編集者として人にインタビューし続けてきたからだという。遊んでいるように見えても、真面目にやってきた時期の「筋力」が生きている、というのが箕輪さんの見方だ。

りんたろうについても同じで、新R25で企画を立ち上げる角度、出演者との関係を続ける力、視聴者の心理を考える想像力などが培われたはずだと箕輪さんは言う。それが次の編で生き、時間は無駄ではなかったと思えるようになる。だから移行期間の無気力は問題ではない、という結論だった。

火がつかないときは、停滞していると自覚して目の前をこなす

りんたろうが不安を口にしたのは、一度消えた火をもう付け直せないのではないかという点だった。最初に火がつくまでにも相当時間がかかったからだ。箕輪さんは「一生つかないパターンもある」と認めたうえで、こう答える。やりたいことに火がついているなら頑張るだけで楽だが、火がつかないときは、目の前のことを淡々とこなしながら、自分は今停滞しているとちゃんと自覚すればいい。それを否定的に捉える必要はない。

箕輪さん自身、2年ほど前には周囲に「今マジで停滞期だから」「特にやりたいこともない」と言っていた。頼まれた仕事は一つずつ一生懸命やっていたが、寝ずに働くようなのめり込み方はしていなかった。それが今は非常に忙しくなっているという。ただし、良いオファーが来たり面白い仕事がはまって跳ねたりするのは、自分でゼロから発電できるものではない、というのが箕輪さんの認識だ。

具体的な過ごし方として箕輪さんが勧めたのは、目の前の仕事に自分なりの課題を置くことだ。この動画のクオリティを上げてみる、今回は再生数にこだわる、大物を呼んでより大きな人間関係のきっかけにする、といった目標を持って目の前のことをやっていれば、いずれ波が来るという。箕輪さんはこの3年間「今は大殺界だから何もやらない」と言い続けていたとも話し、りんたろうも最近の占いで「今は沈んでいる」と言われたと応じた。箕輪さんは、占いの当たり外れは適当なものだと思うとしつつ、人生には波があり、今は沈む時期だと捉えられるなら、それでいいと述べた。

SNSには「種まき期間」が映らない

箕輪さんは、SNSが焦りを生む構造についても触れた。SNSは今まさに瞬間最大風速を出している人たちの舞台で、その人のいちばん良いところしか見えない。沈んでいる人は映らず、消えた人のことは忘れられるので、皆が活躍しているように見える。しかし今活躍している人も、3年前は沈んでいたかもしれない。種まきの期間は外から見えない、というのが箕輪さんの説明だ。

さらに箕輪さんは、沈んでいる時の方が楽しいとも言う。燃えている時は没入していて楽しいが、沈んでいる時は酒を飲んだりできる。それも人生の豊かさだという。

りんたろうもこの期間の変化を語った。撮影場所に置いてあった本がそうで、以前はプレッシャーを感じて開けなかった藤田社長の本や見城さんの本が、今はすっと入ってくるという。箕輪さんはこれを「種まき期間と収穫期間」で説明した。収穫期間は周囲からは大活躍に見え、本人も人生最高だと感じるが、実際には収穫しているだけで、自分を消費している。だから燃え尽きる。むしろ今の停滞期の方が蓄えている分だけ成長しているかもしれず、ここで読んだもの、考えたこと、会った人が、いずれ収穫期に必ずつながる、と箕輪さんは言う。

AI時代には「仕事ができる」より人間の厚みが価値になる

停滞期の過ごし方をあらためて問われた箕輪さんは、あえて動かないと決めて家で生活を大切にするという考え方もあるとしたうえで、いろいろなことを考え、いろいろなものを見て、人と話し、引き出しを増やすことだと答えた。りんたろうが「よく言う読書、旅、人ですか」と聞くと、本当にそう思うと応じている。

箕輪さんはここでAIの話を持ち出す。AI時代には、仕事ができる人や効率化がうまい人は皆淘汰される、という見立てだ。自分は起業家の本を作るので起業家と同じカテゴリーに見られがちだが、あくまで編集者であり、周りの起業家が必死に働いている間、自分は酒を飲んでくだらない話をしていた。AI時代が急に来て、仕事を頑張っていた人たちがその意味を問われるようになり、遊んでいてよかったと感じているという。これからは人の辛さが分かる人、共感できる人のように人間的な厚みを持つ人の価値が上がり、それは忙しすぎる時期には身につかない、というのが箕輪さんの考えだ。「仕事してる暇なんてない」くらいのスタンスの方がこれからは正しいとまで言う。

箕輪さんはこれを「クラブのダンス」にたとえた。多くの仕事は冷静に考えればやる必要のないことばかりだが、音楽が止まると皆が気づいてはいけないことに気づいてしまうので、音楽を鳴らし続けて踊っている。作り手はそれに気づく側なので、踊る人たちを横目にもっと大切なことをやればいい。りんたろうが「今は強制的に音楽が止まって、自分だけクラブの外に出ていい期間なのか」と言い換えると、箕輪さんはそうだと答えた。踊りを通じて培った人間力や気づきは残るが、踊りそのものは不要になる。メールを送ること自体が目的になっている人は厳しく、メールを通じて相手への想像力を深めるなら意味がある、という説明だった。

「遊んでいて大丈夫か」という不安を2回越えた

りんたろうは、そうした過ごし方を自分に許せない、サボっているのではないか、周りが成長しているのに自分だけ大丈夫かと思ってしまうと打ち明けた。箕輪さんは、自分もまさにその不安があったが、結果的に大丈夫だったと答える。

1回目は就職活動のときだ。ふざけていた友人たちが急にスーツを着て、本当に行きたいのか疑わしいメーカーや銀行を受け始めた。箕輪さんは子どものようなことを言い続け、昼からサイゼリヤで赤ワインを飲んでいて、名刺入れを買う周囲を見て不安だったという。その後SNSが登場して「個人の時代」と言われるようになり、自分の時代が来たと思った。2回目は、周りが上場したり組織を持ったりとまともになっていく中で、自分だけ遊んでいて大丈夫かと思っていたら、AIが来て「また俺の時代が来た」と感じたという。

ただし箕輪さんは、遊ぶのが正解なのは自分の場合だからだと念を押す。酒を飲んだり喋ったりという「そんなの仕事か」と言われることが、自分が最大のパフォーマンスを発揮できることだった。自分が銀行に行ったら最悪の使えない人間だっただろうとも言う。大事なのは、時代の流れと関係なく、自分がいちばんパフォーマンスを発揮できるものを探すことだという。りんたろうは、仕事や効率、生産性という檻から出たことで、本当にやりたいことが見えてくるかもしれないと受け止めた。

「300年生きる」という目標の落とし穴

ここで話は、りんたろうの個人的な目標に移る。彼は「300年生きたい」と考えていて、それが自分のあらゆる欲求の根本にあると分かってきたという。一方で、人生をそこまで長く設定したことで、目の前のことに燃えられなかった理由にも説明がついたと話した。

箕輪さんは「だからそんなのダメだよ」と返す。明日死ぬとなれば今日の1日は途方もなく輝いて見える。明日死ぬと思ってハイボールを飲めばうまいが、300年生きられると思えば粗末に飲むだけだ、というたとえだった。りんたろうも、1日1日を丁寧に過ごすことが、300年という目標と相反するようで実は大事だと最近分かってきたと応じる。筋トレに夢中になるのも、重すぎてその瞬間しかなくなるからだろうという。

箕輪さんは、人生の踊り場ですがるものとして宗教を挙げた。イスラム圏では、仕事よりも宗教上のルールを守り、今日もお祈りできたということの方が大事だったりする。田中さんにとってのランニングや、他の人にとっての筋トレもそれに近く、箕輪さん自身も最近は布団を畳んだり植物に水をやったりしていて、自己肯定感が上がるという。習慣で自分が迷子でないことを確認する面がある、というのが箕輪さんの説明だ。

りんたろうは、最も頑張っていた時期には毎日筋トレか5km走ってから働き、11時に寝る生活をしていたが、撤退が決まってからそれができなくなり、エネルギーを失った感覚があると話した。箕輪さんは、一度燃え尽きたのだと答える。頑張る時期はモードがオンになっているから仕事も筋トレも両立でき、仕事を頑張らずに極端な習慣だけ続けるほうが難しい、という見方だった。300年生きるなら100年くらい適当にやってもいいのでは、と冗談も交えている。

第1ステージは「お金」、第2ステージは「やりたいこと」

りんたろうは、以前酔った箕輪さんに「まず一点突破しろ」と説教されたことを持ち出した。箕輪さんは「その都度言うことは変わる」と笑いつつ、浅い話に聞こえるかもしれないと断ったうえで、今の資本主義社会での見立てを語った。第1ステージはお金、第2ステージはやりたいことで、お金のステージを一定程度突破しないまま第2ステージの悩みに進むとぐちゃぐちゃになる。今のZ世代には、第1ステージをクリアしていないのに第2ステージで悩んでいる人があまりに多い、と箕輪さんは言う。お金を捨てて自己実現に行く選択肢もあるが、それは東出さんのように、そういう生き方がはまる人でないと難しいという。

25歳のりんたろうに対して箕輪さんは、たとえば30歳までにいくら稼ぐと決めるなら、サラリーマンでは無理なので会社も辞める必要があるだろうと述べた。辞めることも含めて第1ステージをやり切ると決めれば、個人でどう立つか、どんな技術やスキル、人間関係、仕事が必要かを考えることになり、やるべきことはたくさん出てくる。りんたろうが「その設計図を作る期間にすればいいのか」と聞くと、箕輪さんは「まあ、でもやらなくてもいいんだけどね」と返した。

この「やらなくてもいい」が現代人の悩みだと、りんたろうは言う。箕輪さんは『プラダを着た悪魔2』を例に挙げた。仕事を頑張る人の話なので見れば頑張ろうと思うが、冷静に考えればファッション誌の復活などやらなくてもいい話だ。それでもやっている方が人生は楽しそうに見える。やらなくてもいいが、やった方が楽しい。一方でりんたろうは、わざわざ自分を奮い立たせてまでやるほどかとも思ってしまうと打ち明けた。

「まともすぎる」ことへの指摘とゴーンの逸話

箕輪さんが次の部署にワクワクしているかと聞くと、りんたろうはしていると答えた。それなら悩みではない、辛いのは数カ月だけだろう、と箕輪さんは言い、「まともすぎるよ、今の人たちは」と続けた。自分なら、アベマタワーの下でハイボールを飲みながら働く人たちを眺めるという。自分のせいではなく会社の方針で一定期間暇になり、次にやりたいこともある。誰にも文句を言われない最高の時間だ、というのが箕輪さんの捉え方だった。

その流れで箕輪さんは、新R25に対する印象を逸話で語った。堀江貴文さん、当時のR25の編集長の渡辺さんと3人で飲んでいたとき、カルロス・ゴーン氏がレバノンに逃れていた時期で、堀江さんから「明日レバノン行くけど来る?」と誘われた。箕輪さんは行かない選択肢はないと思ってその場でチケットを取り、翌朝成田に向かって堀江さんに「本当に来たんだ」と言われた。一方の渡辺さんは「行くわけないじゃないですか」という反応だった。箕輪さんは、そのスタンスがR25らしく、爆発的なダイナミズムがないと指摘する。だからこそ寄り添い型のコンテンツが生まれる良さもあるが、「今は停滞です」という空気にもなりやすい、という見方だ。りんたろうは、事業が終わった今をむしろダイナミックに動いてみる時期にすると答えた。

300年を「楽しすぎる日々の連続」に言い換える

箕輪さんは300年というコンセプト自体は大事にしていいとしたうえで、300年生きることが決まっていて今がある、という発想ではなく、瞬間瞬間を大事にした楽しすぎる日々が300年続く、というイメージに変えた方がいいと提案した。りんたろうもまさにそう思っていて、表現を変えようとしていたと応じる。300年あるからこの1日はつまらなくてもいい、となるとしんどい。箕輪さんは、人生観は結局それぞれの「宗教」のようなもので、この「300年宗教」はかなり人を虚無にする宗教だと評した。

りんたろうは、この考えにたどり着いた経緯を説明した。努力しても結局意味がないというニヒリズムの世界観にいた自分が、それを突破するために、真逆の方向のニヒリズムをぶつけてポジティブに変換しようとした。箕輪さんはそれを「冷笑をメタで丸め込んでゲーム化した」と要約した。りんたろうによれば、一度はうまくいったと思ったが、結局は根源的なエネルギーになっていなかったという。

箕輪さんが対置したのは、人生は「100年間の思い出作りの修学旅行」だという自身の考えだ。宇宙からでもあの世からでもいいが、たまたまこの時代の日本に生まれ、100年楽しんできてと言われて、ものを見て人と出会い、面白いことをして帰るだけ。そう思えば全員がこの100年を共にする同級生で、アンチも100年後には誰もいないのだから友達のようなものだ、と箕輪さんは語った。りんたろうは「この目標は修正が必要ですね」と応じている。

脱力系おじさんになるには、大成功と大失敗が要る

りんたろうは、箕輪さんの『かすり傷も痛かった』も読み直していると話した。成長から成熟へ、ダサい自分も認めて一皮むけるという内容に共感し、そうした脱力系の大人たちをかっこいいと思っている自分もいて、それがややこしいという。

箕輪さんの答えは「まだ早い」だった。脱力系おじさんは、一定の成果を出し、ダメなところもさらされ、成功と失敗の両方を重ねて「この人は色々あった」と思われる人だけに許されるポジションだという。今はむしろがむしゃらに大成功するか、大失敗するために頑張った方がいい。大失敗があるかどうかがその人の面白さではないか、と箕輪さんは言う。

ただしサラリーマンは失敗できるサイズが決まっていて、信頼されないと大きな挑戦も任されないので、頑張り続けないと大きな失敗もできない。りんたろうは、誠実に頑張っていれば大きな失敗をしても人は離れないし、大きな失敗をさせてもらえる時点で信頼されていると応じた。箕輪さんは、サイバーエージェントのような会社なら、失敗のサイズは会社にとって織り込み済みで、ずるさえしていなければ名前も売れて経験にもなると述べた。そこから「藤田トークンを勝手に作る」といった冗談が飛び交い、りんたろうは、そういう妄想でもいいから極端なことを考えてみる期間にしてもいいかもしれないとまとめた。箕輪さんは、極端なものに触れて試してみることで、実は真ん中に自分に合うところがあると気づける面もあり、それをリスクなしにできる期間だと付け加えた。この期間にめちゃくちゃサボってみるのもいいという。

選ばなくていいが、選択肢があると知っておく

箕輪さんはさらに極端な例として、ワールドカップの日本対オランダ戦で客席からグラウンドに入って捕まれば人生が変わる、と冗談を言い、りんたろうに止められた。ただ箕輪さんの意図は、それくらい発想を広く持ったうえで、それはやらないがこれはやる、という「これ」を見つけることにある。何をやってもいいのが本来の自由で、会社にいて忙しいとそれを忘れて思考が固まっていく、というのが箕輪さんの指摘だ。

その例として箕輪さんは、新R25にも出ているあるコンサルタントの社長研修を紹介した。仕事力を鍛えるのではなく、生卵を5個ほど飲ませるのだという。卵は生で飲まない、5個は多い、といった先入観を外すために、最初にわけのわからないことをやらせる。堀江さんが「朝アイスを食べろ」と言うのも同じで、アイス自体に論理的な理由があるわけではなく、世界はもっと自由だという象徴だと箕輪さんは解釈する。会社員という枠の中だけで選択肢を考えていては、キャリアは大きくジャンプしないという。

箕輪さんが最も強調したのは、実際に選ぶかどうかではなく、選択肢があると認識しているかどうかの違いだ。転職も起業もあると思いながら働く人は、チャンスに貪欲で仕事の本質も理解しようとし、このまま定年まで行くと思っている人とは充実度がまったく違うという。箕輪さんは、道で向こうから歩いてくる人を殴ったらどうなるかと癖で考えてしまうと明かし、もちろん実行しないが、その選択肢がないわけではないと思っていることが大事だと言う。そう想像できていれば、ちょっと攻めた選択も簡単にできるようになる。実際に、普段から殴り合いになったらと想像しているから、リハックの番組で共演者とイチゴを使ったキスのような普通はしないことができたという。りんたろうは、コスパや習慣化など「考えなくていいことを増やして集中する」という最近の考え方に、自分が毒されていたのかもしれないと振り返った。

悩むのをやめなくていい

りんたろうは「すごく整理された」と話し、箕輪さんと話すと毎回その時にやるべきことがすっと分かると述べた。箕輪さんは、それも翌日実行しなくていいと返す。大事なのは「それもあるな」と思うことで、それによって自由の幅が広がる。選ぶものは別のものでもいいし、あえて選ばずに無難な道を行くのもいい、という。

悩みインサイトシリーズの最終回を締めくくるにあたり、箕輪さんは、人生が続く以上、また悩み、解決し、また悩むのだと語った。その繰り返しの中で出会った人ややった仕事の思い出が、その人の人生だったということになる。悩まなければ動かないのだから悩めばいい。たくさん悩めば、次に悩んでいる人の相談に「分かる分かる」と乗れる。たくさん悩む時期も「たくさん悩む編」としてあり、打ち込む時期もある、というのが箕輪さんの最後の言葉だった。