関根勤が語る「ブレずに変わる」芸と、理不尽を受け流す思考法
新R25チャンネル新R25の番組『バブルから学ぶZッ!』は、バブル時代を経験し、いまも第一線で活躍する人をゲストに招き、Z世代が長く活躍するためのヒントを聞く企画である。今回のゲストは芸能生活50年を超えるお笑いタレントの関根勤。収録は所属事務所の浅井企画で行われ、編集長の渡辺将基が進行を、編集部の藤野拓郎がZ世代代表を務めた。藤野はお笑い好きで、駒澤大学では萩本欽一と同じ年に入学したという。
番組の問いは、変化の激しい時代に何十年も売れ続けるには何が必要なのか、である。関根の答えは「ブレないこと」と「同じ感覚の中でのブラッシュアップ」の両立だった。さらに若い世代に向けて、上の世代から理不尽な言葉を浴びても深刻に受け止めすぎない考え方を語った。
バブル期の芸能界と「ちょっとおかしい」という感覚
関根によれば、バブル期はおおむね1986年から1991年ごろで、自身にとっては芸人として「第2段階」に入り、小堺一機とともに世に出ていった時期にあたる。番組の忘年会では大型テレビなどが景品に並び、関根はビンゴで50ccのバイクを当てた。ニッポン放送の番組を担当していたころには、ハワイで日本人向け放送が始まるのに合わせてゲストに呼ばれ、リスナー10人を連れて現地へ行った。出演は1時間で、残りの2日間はゴルフをしていたという。いまならすぐ帰ってくるところだ、と関根は振り返る。
当時はこれが続くと思っていたのかと聞かれ、関根は「ちょっと怪しいなとは思っていた」と答えた。当時はまだ「バブル」という呼び名もなかった。関根は知人から聞いた話も紹介した。財布を持たずに六本木へ行っても、不動産会社の社長が酒をおごってくれ、帰りのタクシー代まで出してくれたという。進行役の渡辺は、いまも生き残っている人はみな「あのころは変だった」と言う、と応じた。
コンプライアンス不在の番組づくりと「寛容さ」
関根はバブル期の空気を、コンプライアンスとは無縁の時代だったと表現する。背中に花火をしょって火傷をする、答えられないと水の中へ沈んでいくバスに芸人を入れる、といった企画が平気で放送されていた。ビートたけしの番組では、ガラス張りのセットでワニにどれだけ近づけるかを競う企画があり、ワニが装置を壊して出てきてしまった。出演した芸人は泣き出し、たけしが「泣くんじゃねえよ」と叱ったという。クマと檻の中で戦った藤原さんの話も挙がり、関根は、一歩間違えれば命に関わる、犯罪に近いことをやっていたと語った。
ただし関根は、当時をただ乱暴な時代とは見ていない。視聴者が「寛容」だったという。例に挙げたのは『川口浩探検隊』だ。アマゾンの洞窟に探検隊が入っていく場面を、中から見上げるアングルで撮っている。つまりカメラマンが先に入っている。現地の「原住民」もエキストラだった。それでも視聴者は「面白いね」とにこにこ見ていた。気づいている大人も、ドラマとして楽しんでいた。いまなら「やらせだ」とすぐ批判されるが、当時はそういう空気ではなく、そもそも書き込むSNSもなかった、と関根は説明する。
カマキリ拳法への苦情はなぜ現場に届かなかったか
関根自身の代表的な持ちネタ「カマキリ拳法」も、この話につながる。自分で編み出し、飽きてくるとセミやダチョウの拳法も加え、最終的には全身緑のカマキリ男になった。ところが後年聞いてみると、このネタを嫌がっていた人は多かった。大人の女性はほとんどだめで、おとなしい男の子も怖がっていたという。
いまなら「気持ち悪い」「もう出すな」という声がSNSで広がり、スポンサーにも届く。同意する人はボタンを押すだけでよく、「米粒1つ分のエネルギーもいらない」と関根は言う。
一方、当時苦情を入れるには手間がかかった。まず日本テレビの電話番号を調べ、7桁の番号を押して電話をかける。交換台に「少々お待ちください」と言われ、保留音の「オリーブの首飾り」を1分ほど聞かされる。ようやくデスクにつながって「関根が気持ち悪い、もう出すな」と伝えても、「貴重なご意見ありがとうございました」で終わってしまう。苦情はその人のところで止まり、現場には伝わらない。一つの声は一つのまま終わり、掛け算で広がることはなかった。苦情を届けるには相当なエネルギーが必要だったので、関根の耳には何も入らなかった。「あのときの関根さん、気持ち悪かった」「怖かった」と聞かされたのは、40代、50代になってからだという。
今の時代の良さ――人権が守られ、売れる道も増えた
では、今の時代の良いところは何か。関根はまずコンプライアンスが整ったことを挙げた。昔はセクハラやパワハラを我慢するしかなかった。ADがディレクターに殴られたり蹴飛ばされたりしていたし、雪山のロケで凍傷になり指を切断した若手芸人もいた。そうしたことがなくなり、人権が守られるようになった点は良いことだと関根は言う。
売れ方の幅も広がった。昔はテレビと舞台しかなかったが、いまはネットやTikTokだけで売れる人もいる。ただしチャンスが増えた分、ライバルも増えた、と関根は付け加える。
関根は自身の経歴を例に、この変化を説明した。1974年、テレビ番組『ぎんざNOW!』で5週勝ち抜いてそのままプロになり、翌週にはもうアシスタントを務めていた。1970年代の芸人は、ふつう師匠について鞄持ちや掃除を1〜2年こなし、人間性を見極めてもらったうえで、師匠が関係各所に挨拶してデビューさせてもらうものだった。関根はその過程を通っていない。関根が5週勝ち抜いたのを見て「あそこで勝てば芸能人になれる」と考えた人たちが続き、ハンダースが生まれた。その約10年後には吉本のNSCができ、師匠につかない芸人が一気に増えた。関根はこれを「ビッグバン」と呼ぶ。
関根のデビュー当時、若手芸人はほとんどおらず、周りはずっと上の先輩ばかりで、全体でも数十人だったという。いまは何万人もいて、M-1のエントリーだけで1万組を超える。昔は入口が狭いかわりに、入ってしまえば比較的安定し、すぐに取って代わられることはなかった。いまは入口がたくさんある。関根は「どっちもどっち」と評しつつ、いまの環境で一からやり直すのは怖い、とも漏らした。
売れる人に共通するもの――好きであること、ブレないこと
時代が変わっても、売れる人に共通する点はあるのか。関根はまず、お笑いが好きであることを挙げる。周りからは努力家に見えても、本人は好きだからやっているだけで、努力しているとは思っていない。そういう人が残るという見方だ。
もう一つが「ブレないこと」である。関根によれば、プロが認めるのはブレない人だ。出川哲朗は関根の舞台「カンコンキンシアター」を毎年見に来て、「関根さん、ブレないですね」と言う。これが芸人同士では褒め言葉なのだという。
変えないまま変える――モノマネを若い世代に届ける工夫
藤野は、何十年も売れるには変わっていかなければならないのではないかと尋ねた。関根は、同じ感覚の中でブラッシュアップしていく必要がある、と答えた。
具体例はモノマネだった。関根がまねてきた長嶋茂雄、ジャイアント馬場、大滝秀治といった人物を、いまの若い人は知らない。そこで何をするか。一つは、モノマネそのものを変えるのではなく、本人の新しい情報を喋らせることだ。千葉真一を知らない世代でも、息子の真剣佑と郷敦なら知っている。そこで千葉真一のまねで「真剣佑と郷敦には私が空手を教えましてね。真剣佑は176cm、郷敦は183cm。7cmの差があります」と語らせる。すると若い人にも「あの二人のお父さんなのか」と伝わる。
10代にはそれすら通じない。そこで関根が使うのが、学校で「習いたて」の歴史上の人物だ。左手の法則を発見した瞬間のフレミングを演じ、「オーマイガー」と驚いてみせる。伊能忠敬は54歳で日本を歩いてほしいと依頼された。当時の54歳はいまより老けていたはずだから、最初の返事は「膝が持ちますか?」だったのではないか、と演じる。女性に一番受けるのは、ウォルト・ディズニーが初めてミッキーマウスをスケッチした場面で、描いたミッキーに「ハロー、これからよろしくね」と話しかけたはずだ、というネタだという。
渡辺はこれを、芸風の土台は変えずに、時代と設定を作り直すことだとまとめた。関根は、見る人が分かることをしなければならない、と補足した。流行りのタレントに合わせるより、教科書の人物ならみんなが知っている、という発想である。
トレンドを追う理由と、あえて追わない領域
ブレないまま時代に取り残される人もいるのでは、という問いに、関根は「いるかもしれませんね」と答えた。そのうえで、自分は新しいものは何でも見ていると語る。BSも含めて見ていて、それは努力でもあり自然にやっていることでもある。根底には現役でいたいという意欲と、知らなかったら恥ずかしいという感覚があるという。
きっかけの一つが『鬼滅の刃』だった。関根はもともと興味がなく、映画も見に行っていなかった。関西でのロケ中に忍者の格好をしたカップルを見かけて「忍者だね」と声をかけたところ、「これ鬼滅の刃です」と言われた。恥ずかしくなり、トレンドを押さえていなかったと気づいて、すぐに見に行った。映画『国宝』も、話題に入れないと困るので資料として見たという。年長者の中には「全然知らないよ」という立場を取る人もいるが、関根はそれが嫌なのだ。
ただし、人数の多いアイドルグループについては、初期のメンバーは分かっても区別がつかなくなり、諦めたという。そこに詳しすぎるとかえって気持ち悪いだろう、というのが関根の判断である。
表と裏を演じ分ける――「ポルシェのブレーキ」
関根はテレビでの穏やかな印象とは別に、「裏」の顔を持つ。小堺一機とのTBSラジオ(通称「コサキン」)は深夜放送で、先輩をからかう替え歌など、若さに任せた危うい内容もあった。いまなら誰かが聞いて事務所に連絡が行き、何度謝りに行ったか分からないだろう、と関根は言う。しかし当時は苦情が一切来なかった。閉じた世界で自由にやれたのは助かった、と振り返る。
平成元年に旗揚げしたカンコンキンシアターも、映像化できない内容をやっている。YouTubeライブも危ない話ばかりなので映像として残していない。テレビでは言ってはいけないことがあるので、その範囲で喋る。舞台では全開、YouTubeはその中間くらい。関根はこうして場を使い分けている。
使い分けずにやりたい放題をしてネットで叩かれる人もいる、という指摘に、関根は「ポルシェのブレーキと同じで止まる」「効きがいい、カーボンブレーキ」と冗談めかして答えた。止まれるのは若いトレンドを追っているからだという。何が失礼かを知っているから、この人にこれを言ったら失礼だ、と判断できる。あえてそこを踏み越えるのが爆笑問題の太田光で、関根は「すげえな」と思うが、自分にはできないし怖いと語った。テレビではブレーキを踏み、舞台ではアクセル全開で行く。舞台の客も内容を外に漏らさず守ってくれるという。
素人いじりの一線――「暗い」と言わずに持ち上げる
藤野は、関根と聞いて真っ先に思い浮かぶのが『笑っていいとも!』での素人いじりだと言う。関根はプロと素人を明確に分けていた。プロは言い返せるし、いじられたことが芸にもなる。例に挙げたのは、有吉弘行が品川祐につけた「おしゃべりクソ野郎」というあだ名で、それで有吉はまた売れた。
一方、素人がテレビに出るのはおそらく一度きりだ。そこで「暗いですね」と言ってしまえば、放送後に周りから「お前、言われてたな」とからかわれる。だから関根は、少し暗めの人が出てきても「昨日、刺繍の本の3冊目を書き終えました」のように、インドアだが知的でクリエイティブな人として紹介したという。
その場で関根は藤野を題材に実演した。色白の藤野を見て「豆腐は絹ごし一本です」と言うと、藤野は「マジで嬉しい」と喜び、実際に絹ごししか食べないと明かした。渡辺には「ギターに3時間ほど挑戦したことがあります」と言い、渡辺は1日で諦めた経験があるので当たっている、と笑った。いじられても全く嫌な気がしない、というのが二人の感想だった。
Z世代へのメッセージ――上司の厳しい言葉を「本気にしない」
最後に渡辺は、社会に出たばかりの若い世代に伝えたいことを尋ねた。関根はまず上の世代の事情を説明した。いまの50〜60代は厳しい時代を生き、パワハラも受けてきたので、それが染みついている。関根自身も「できないんだったら帰れ」とよく言われた。帰らなかったが。いまも上司からそう言われる可能性はある。
関根の助言は、それを本気にしないことだ。この人は昔の風習で言ってしまっただけで、本気ではない。そう考えて、簡単に傷つかないでほしいという。関根はアグネス・チャンを例に出した。アグネスに「もっときれいな日本語を喋ってよ」とは思わないのと同じで、「まあまあ」と受け流す余裕を持ってほしい。関根の見立てでは、Z世代は学校で先生に厳しくされてこなかったぶん、傷つきやすい。自分たちの世代は殴られていた、とも言う。
関根自身には、ひどいパワハラをするプロデューサーのもとで働いた経験がある。売れている人にはへりくだり、関根たちには威張る人物だった。関根はその姿を見て「かわいそうな人だな」「全然かっこよくねえのに」と思い、余裕を持って接したという。直接向き合うときも反論はせず、「どうもどうも」「あ、そうっすか」と受け流す。そして心の中では「誰にも尊敬されてないよ、あの人」と見下している。面と向かって言えば揉めるので、心の中でやるのが大事だという。
藤野はまさにそのタイプで、編集長から「なめるな」とよく言われるそうだ。関根は「できてるじゃん」「心の中ではなめてればいい」と太鼓判を押した。関根は相手の良いところも見てあげるべきだと言いかけたが、そのプロデューサーについては良いところがなかったと笑う。51年の芸能生活で一番嫌われていた人物で、ランクをつけるなら「Sプラスプラスプラス」だという。それでも、この人がこうなったのは時代のせいだと思えば、嫌いになりすぎずに済む、と関根は語った。
給食の記憶と「しょうがない精神」
関根はこの考え方の原点として、小学校時代の体験を語った。2年生から5年生まで、給食を残すと食べ終わるまで帰してもらえず、校舎に一人で残されていた。その憂鬱を晴らしてくれたのがお笑いだった。笑うとブルーな気持ちがニュートラルに戻る。だからあの先生のおかげでこの世界に入れたとも言える、と関根は言う。あの4年間より辛いことは、その後の人生になかった。芸能界は自分で入った世界だから、嫌なら辞められる。しかし小学校からは逃げられない。なぜ親に言わなかったのか、と関根はいまでも思うという。
後に調べると、その先生は長野県の出身だった。関根によれば、当時の長野県は食べ物を最も大切にする県で、先生は戦時中にろくなものを食べられなかった世代だった。戦後10年ほどで好き嫌いを言う少年が現れるなど、先生には想像もつかなかったのだろう、と関根は推し量る。自分が「捨てていいですか」と簡単に言ったことに先生が激怒したのも、いまならしょうがないと思える。子どもだった当時はそこまで想像できなかったが、構造としては理由がある、と関根は言う。渡辺はこれを「しょうがない精神」とまとめた。
カンコンキンシアターという「意味のない笑い」の場
関根は、裏の顔を見せる場としてカンコンキンシアターについても語った。名前は「関根勤」の読み方を変えたもので、ラッキー池田らも参加し、下ネタも多いため、耐えられない客は途中で出ていくという。かつては最長で5時間半、14時から19時半まで上演したことがあり、普段でも4時間ほどやっていた。終電に間に合わなくなり、出演者も観客も途中で帰っていたという。いまは疲れるので3時間から3時間半にしているが、関根は「3時間の『国宝』を毎回やっているようなもの」と笑う。
この舞台を「世界一好きな舞台」と言っている先輩は、年に一度だけ見に来ては、終演後に関根へ「あれでいいんだよな、意味なくていいんだよな」と言うという。何のメッセージもなく、何の得にもならず、ただ笑う舞台だと関根は説明する。観客は劇場を出ると内容を忘れているらしく、忘れないように最前列でメモを取っていた人もいたという。以前は真夏に上演していたが、30年以上通う常連の年齢も上がり、演者も観客も暑さでつらいため、4年前から天候の良い4〜5月に移した。次回は5月2日から10日まで、銀座の博品館劇場で上演される。
しなって折れない
締めくくりに、藤野は「絹ごし一本」のいじりを一生背負っていきたいと話し、SNSのプロフィールに書く、ミドルネームにする、という冗談で場が沸いた。渡辺は、関根が自分の芸を世の中にどう合わせているかが分かった点と、若い人へのメッセージが印象に残ったと述べた。
受け流す姿勢は、折れずにしなる竹のようなものだ、という話になると、関根はそれを格闘技にたとえた。膝からしなり、下段と見せかけて上段に来るブラジリアンキックで、ミルコもそれを使っているという。ブレない芯を持ちながら、しなって変化を受け止める。関根が50年以上続けてきたのは、そういうやり方だった。
左手の法則を発見したフレミング。フレミング、フレミングがそれを発見したところって。ウーマイガー。当時クレームつけるとしたら日本テレビの電話番号調べなきゃいけないんです。
そうですね。「あ、もしもし。代わりました。桜のデスクですけど」「あのね、関根がね、ラビット気持ち悪いんだよ。もう出すなよ。おい」「貴重なご意見ありがとうございました」ガチャで、その人のとこで止まりますよ。
プロが認めるのって、ぶれない人を認めますね。何十年も売れるって変わっていかなきゃいけないのかなと思ってたんですけど、そこはどうなんですか?同じ感覚の中でブラッシュアップしていく必要ありますね。
例えば僕がモノマネやってると、若い人は知らないですよ。そうですね。そのためには何をするかっていう。
僕もよく言われましたよ。「できねえんだったら帰れ」とかで。それをね、本気にしないでほしい。アグネス・チャンさんが喋ってるのと同じだと思えば。ゆとりを持ってほしい。
『バブルから学ぶZッ!』やっていきたいと思います。今日はですね、藤野君にZ世代代表で出てもらってますが、今日はですね、浅井企画さんにお邪魔しております。ゲストはですね、お笑いタレントの関根勤さんです。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
ありがとうございます。ちょっと番組の説明をさせていただきたいんですけども、普段は経営者の方を招いてお話聞いてることが多いんですけど、バブル時代を生き抜いて今も活躍してる方をゲストに先人としてお招きして、Z世代がですね、そうやって長く活躍するための秘訣とか、変化の時代を生き抜く秘訣を学んでいくという、そういう番組になっております。ぜひよろしくお願いします。
彼、相当お笑い好きなんですよ。あ、そうですか。そうです。お笑いが大好き。編集部随一の。ああ、そうですか。光栄でございますもんね。光栄だよね。緊張しております。
で、しかも我々、関根さんみたいなお笑いの形とか芸能界の中のポジション大好きなんです。本当すごい尊敬してました。ありがとうございます。
かつ面白いのは、彼が駒澤大学出身なんですけど、萩本欽一さん、欽ちゃんと入学のタイミングが一緒でして。そうですか。同期ですか。欽ちゃんと同期で。すごいですね。ですよね。入学試験で写真撮りました。
すごいんですよ。欽ちゃんね、あの時70いくつなんですよね。そうで大変だった。駒澤大学はそれで、欽ちゃんのためにエレベーター作ろうって。で、できた。で、エレベーターできた時にはもう学校やめてた。そうですよね。いや、思いました。
僕がちょっと調べた限りでは、バブル時代は関根さんも売れてらっしゃった。そうです。大体86年から91年ぐらいを言うんですよ。やっと第2段階に入った感じですね。そのタイミングからぐっと調子良くなっていく。世に出てきて、まさに小堺さんと一緒に世に出てきたんですよね。
要はバブル時代って、日本中が狂喜乱舞していた時代。いやもう狂ってましたね。その時代に売れてるっていうのって、すごいことになってたんじゃないかなと思うんすけど、今思い返すとどうですか。
今思い返すとね、もう本当にね、番組の例えば12月の忘年会、打ち上げ。すっごいすよ。もう大型テレビとか。僕、50ccのバイク当たりましたからね。ビンゴで。ビンゴの景品。そう。すごかったですね。
僕が86年以降に『東京ベストヒット』ってやったんですよ、ニッポン放送で。それでそのニッポン放送の関係で、ハワイで日本人向けの放送が始まるってことで、そこにゲストで来てくださいって言って、それで10人のリスナーを連れてハワイ行きましたからね。で、出演1時間ですよ。後の2日ゴルフやってました。考えられないですよ。今すぐ帰ってきちゃうから。確かにそうね。贅沢でしたよね。
当時はこれが続くっていう風に思われてたんですか?いや、僕はね、ちょっと怪しいなとは思ってましたよね。当初はでもバブルって言われてないですもんね。そうなんですよ。後から言われてて。
そう。後で川合俊一さんに話聞いたら、川合さんがちょうどガンガン遊んでる頃で、あの時お金持たずに六本木行ったって言うんですよ。で、六本木行くと不動産の社長が「お、背高いな、可愛いな、ちょっとこっち来い」って言って、で、酒飲んで「お前どこ帰るんだ」って言って、タクシー代くれたってんですよ。財布なしでも行ける。そう。財布なしでも。そんな狂った時代でしたよ。
ちょっとおかしいなって感じはあった。ありましたね。確かにそれ、今生き残ってる皆さんはみんなおっしゃってますね。要はちょっと変だったよって。そう思ってない人はいなくなっちゃったのかもしれないですけど、冷静な方はやっぱそんな感じで。
そういう時代を生き抜かれてきて、その時代と今でどう変わってるっていう風に関根さん的に分析されるんですか?
酔いしれてたから、バブルにね。だからもうコンプライアンスなんか関係ないわけですよ。番組でもね、背中に花火背負ってバーンって出たりね。ほんで火傷したりね。あとバスの中に芸人を入れてね、答えられないとどんどん沈んでいくっつってね。一歩間違えたら死にますからね。あんなこと平気で出してたんですよ。
佐藤銀造君なんかね、ウルトラクイズですよ。ワニにどれだけ近づけるかっていうね。僕それ知ってます。すごくない?ガラスのセットの中でワニにどれだけ近づけるかっつったら、ワニが途中でバーンって持ち上がって装置壊しちゃって、バーってきて、もう出てきちゃう。みんなで押さえつけて。そしたら銀造君そのまま泣いたんですよ。「怖いよ、怖いよ」で、たけしさんが「泣くんじゃねえよお前」っつってね。めちゃくちゃだわ。
あと熊と戦ってた方いましたよね。藤原さんです。藤原喜明さんが熊の檻に入って。熊とね。それでタックルされてバーンって背中打って、「これはダメだ」っつって出てきたから。その、ないのよ、壁とか。ただただ熊と。なるほど。本当に檻に入ってったから。え、でも本当に生で。だから下手したら本当にもう、もう犯罪に近いっていうかね。そんなことやってました。
今もう本当に厳しい、コンプライアンス。いい悪いで決められるもんじゃないですけど、この2つの時代はどうですか?
やっぱりその頃は寛容でしたよね。例えばほら、川口浩探検隊ってあったんですよ、昔。でね、川口さんっていうタレントの方がね、「行くぞ」って言ってね、アマゾンの奥で、「あ、原住民がいた」って、エキストラなんですよ。でね、「ここに入ってみよう」っつってさ、入っていくところを下から撮ってるわけよ。で、カメラマンが先に入ってるわけよ。そうですよね。でもね、そういう演出というか、そういうもんなんですよ。
だからそれをみんなニコニコ見てた。「いやあ、面白いね、これね」っつって。今だともう大変ですよ。それをやらせだとかいう空気でもなかった。「なんだ、あんなインチキなことやって、ふざけんな」って言ってね、今だったらすぐじゃないですか。そうですか。インチキだと思ってたけども、気づいてる大人もそれはそれで面白いねって。ドラマだと思って見てるっていう。で、それは別に書き込むSNSもないですよね。
そうなんですよ。寛容だったんですよ。すごく優しかった、人がね。ああ、そういうイメージですか。
まあ、カマキリ拳法っていうね。僕あれ自分で編み出したんですけども、カマキリやってるうちに飽きて、セミとかもやって、最終的にはグリーンの全身タイツのカマキリ男になっちゃった。で、後から聞いたら、僕のそのカマキリの演技が嫌だった人がいっぱいいたんですよ。大人と女性はほとんどダメで、あと大人しい男の子も嫌がってた。怖いって言って。今だったらもう「関根は出すな」と。
そうそうそう。「ラビット関根、気持ち悪い、なんであんなのやるんだ」とかで、スポンサーの方にも行くじゃないですか。わーって。そうすると、ほら簡単だから、同意する人は「私も」パチパチパチって。もう本当に米粒1つ分のエネルギーもいらないじゃないですか。
で、当時、僕がカマキリやってる時にクレームつけるとしたら、まず日本テレビの電話番号調べなきゃいけないんですよ。結構カロリーがかかるんで。それで今度かけるわけですよ。当時プッシュもあったから7桁ね。と出るわけですよね、日本テレビが。「すいません、あの、関根なんですけど」「少々お待ちください。デスクと代わります」と、『オリーブの首飾り』が流れるわけですよ。ちょっとゆっくりね。ラリラリラリで1分とさ。「あ、もしもし、代わりました。桜のデスクですけど」「あのね、関根がね、ラビット気持ち悪いんだよ。もう出すなよ。おい」「貴重なご意見ありがとうございました」ガチャで、その人のとこで止まりますよ。
「また変な人が電話かけてきてるな」って。だから現場には伝わんないんですよ。確かに。掛け算的にそれが広がっていくことはない。1は1で終わる。もう終わっちゃうんですよ。それかけるには相当のエネルギーを持ってる人ですよね。だから僕んとこ全然伝わんなかったんですよ。
で、僕が40、50になってから噂聞きましたよ。「あの時の関根さん気持ち悪かったな」とかね。「怖かったんだよね」とかね。いい時代でしたよね。伸び伸びできた。過ごしやすいなって思っちゃいます。過ごしやすかったですよ。今はもうすぐですからね。
逆に今の時代のいいことって何があるんですか?例えばコンプライアンスがしっかりした。昔はセクハラとかパワハラで我慢してたんですよ。僕がやってる頃なんか、ADさんなんか殴られてましたからね。ディレクターに蹴飛ばされてる人もいたから。そういう時代です。あと若手の芸人なんか、雪山ですごいロケやらされて凍傷になって指切断したとか。それが今はない。だからその人権が守られるっていうところは、いいと思いますね。
あと芸人さんの売れ方とかも、ネット経由っていうのは結構ありますよね。そう。だからね、昔はテレビとか舞台だけだったじゃないですか。で、今ネットとかTikTokだけでもう売れたりなんかするし、幅が広がりましたね。じゃあ売れるチャンスは昔より多いと。多いですね。多いけどライバルが多いです。
僕が1974年に『ぎんざNOW!』で勝ち抜いて、すぐプロになっちゃったんですけども、すぐ次の週にアシスタントだったんですよ。弟子を通ってないんですよね。1970年代って必ず師匠について、師匠がその人間性を見て、こいつは行けると。で、カバン持ちしたり掃除したりで1年か2年やって、「じゃあお前デビューさせてやる」って言って、師匠が挨拶に行ってくれるわけですよ、いろんなところに。「お願いします」って。
で、僕いきなりですから。僕が5週勝ち抜いて芸能界入ったら、見てた人が「あそこ5週勝ち抜ければ芸能人になれるぞ」っつって、ザ・ハンダースができて、で、バーって。そしたら僕が出た10年後にNSCができたわけですよ、吉本さん。弟子を通さないでも、一般公募の方が分母が広がるから面白いやつがいるなと。全然師匠を持たない芸人が増えて、そこでビッグバンで。
僕がデビューした頃なんて本当に芸人さんいなかったもん。ほとんどいなかった。すっごい先輩しかいなかった。若手いなかったですもん、見渡しても。で、後に漫才ブームでみんなが出てくるんですけど。
だからあの頃の方がライバルが少ないから、入り口は狭いけれども、その後はちょっと安定すると。そうそう。すぐ取って代わられるってことがないという。どっちもどっちですね。そうなんですよ。で、今は入り口がいっぱいあるから。NSCで広がって、さらにネットで。そうそう。だからもう何万人っているでしょ。僕が入った頃なんて数十人ですよ。確かに。だってM-1とかのエントリーってさ、1万人以上じゃないですか、今。そこで僕がまた1からやるってのはちょっと怖いっすね。
今と昔で売れる人のイメージが、関根さん的に違うのか、共通してる部分もあると感じるのか。いや、共通はあると思いますよ。やっぱりお笑いが好きだっていう感じがないとだめですよね。いつまでもね、自分では努力してないのに、周りから見るとあの人は努力家だみたいな。周りから見たら努力してるってのは、本人が好きだからやってるだけだから。そんなに本人はそう思ってないって。
あとやっぱり、プロが認めるのって、ぶれない人を認めますね。出川君なんかもね、僕のカンコンキンシアターなんか毎年見に来てくれてるんですけど、「関根さん、ぶれないですね」って。これが褒め言葉。同じことをずっとやり続けるっていうかね。
何十年も売れるって、変わっていかなきゃいけないのかなとも思ってたんですけど、そこはどうなんですか?同じ感覚の中でブラッシュアップしていく必要ありますね。
例えば僕がモノマネやってると、長嶋茂雄さんとかジャイアント馬場さんとか、う井けさんとか大滝秀治さん、これはね、もう本当しょうがないんですけども、若い人は知らないんですよ。じゃあ何をするかっていうことなんですよね。
まず1つの方法としては、千葉さんの場合は、千葉さんの本体を知らないわけですよ。ところが真剣佑君と眞栄田郷敦君がいるわけですよ。この情報を喋るっていう。モノマネを変えるというよりは、千葉真一さんで新しくするってこと。「真剣佑と郷敦には私が空手を教えましてね。真剣佑は176cm、郷敦は183cm。7cmの差があります」って言うと、「郷敦と真剣佑のお父さんなんだ。身長7cm違うんだ」って。そういう工夫しました。
で、もっと工夫してんのが、それすらわかんない10代の子。習いたてのことをやればいいって言うんで。習いたての歴史の人物。なるほど。教科書の。そうそう。例えば、左手の法則を発見したフレミング。フレミングがそれを発見したところっつって。「ウ、フレミング。フレミングだぜ、これ。オーマイガー」。習いたてだから分かるんですよ。
それからあとほら、伊能忠敬さん。地図。あの人54歳でオファーされたんですよ。歩いてくれって。で、江戸時代の54歳って今より老けてますから。そうですよね。だからその最初にオファー受けた時の答えって、「膝が持ちますか?」って。声も適当な感じ。見えてきました。
だから関根さんの芸風としてのベースは変えないんだけども、やっぱ時代と設定を作るということですね。そう。要するに、その人たちが分かることをしなきゃいけない。確かに面白い。若者のめっちゃトレンドなタレントに迎合するよりも、教科書って共通じゃないですか。そうなんですよ。人物、みんな知ってるから。
だからそういうのをやってましてね。女性にすっごく受けるのがね、ウォルト・ディズニーがミッキーマウスを最初にスケッチした時ってのが、これ女性に一番受けるんですよ。こうやってね。「あれ、これはミッキーじゃない?ウォルト・ディズニー。ハロー。これからよろしくね」って言ったと思うんですよ。そういうのをね、混ぜて。めちゃくちゃ面白い。工夫してますよ。
それは他の売れてる人も共通したものを感じますか?やっぱぶらさないところと。そうですね。欽ちゃんなんかもぶれてないと思うし、鶴瓶さんもぶれてないし、さんまさんもぶれてないですよね。
でもぶれてないけれども、それがゆえに時代に取り残されて売れないって人もいるのかなと思うんですけど。どうでしょうね。いるかもしれませんね。さんまさんなんて新しいの何でも見てますからね。あ、そうですか。もう全部見てますから。それ努力なのかナチュラルなのか。だからね、両方だと思うんですよね。BSも見てるしね。もう何でも見てますから。すごい。要するに現役でいたいって意欲があると思うんですよ。それ知らなかったら恥ずかしいっていう。
僕はね、だから『鬼滅の刃』はそこまで興味なかったんですよ。見に行かなかったんですよ。で、関西でロケしてる時に忍者の格好してるカップルがいたから、「お、忍者だね」って言ったら、「これ鬼滅の刃です」って言われた時に恥ずかしくなって。「あ、俺このトレンドを押さえてない」。すぐ見に行きました。だから『国宝』も受けてるから、資料として見に行きました。誰かが『国宝』の話してる時に入れなかったらダメじゃないですか。
でもよくある年上の方のポジショニングとして、「いや全然知らないよ」っていう風にするパターンもあるじゃないですか。じゃなくて、それは嫌だと。嫌なんです。ただ今、AKBとかなんとか坂っていっぱいいますよね。あの区別はつかなくなっちゃった。初期の人は分かるけど。いや、僕もわかんないですもん。今はもうあれだけ多いとわかんないすね。だからそこは諦めました。逆にあそこに詳しかったら気持ち悪いかなと。
関根さん的には、コンプライアンスの時代とか色々変わってますけど、結構自分の世界を貫いてマイペースでずっとやってきたという認識なんですか。そうですね。まず、小堺君とやってたTBSのコサキンのラジオってのは、もう本当にマイペースというか。あれはね、ちょっと危険な放送でしたよ。深夜だったからあれなんだけど、先輩方をちょっと馬鹿にしたような替え歌歌ったりね、色々して。若いからね。怖いね、あの頃。
あれね、今だったら例えば誰かが聞いたらすぐ事務所に連絡して、本人の耳に入って「どういうことだ」と。何回謝りに行ったかわかんないですよ、今だったら。一切クレームもなかったんですよ。本当に結構閉じられた世界でやってる感じ。ラジオ本来の良さ。そう。あれはあれで助かりましたよね。
で、それをやって、それで平成元年から旗揚げした『カンコンキンシアター』ってやってるんですけども、これも一切映像化できないことやってます。それとあとYouTubeライブも映像化してないですね。もう危険な話ばっかりですね。だから裏表を演じ分けてます。そうなんですね。テレビでは言っちゃいけないことってあるから。そこはそこで、この範囲で喋って。で、舞台はもう全開。で、YouTubeはこの間ぐらいですかね。
確かにそこを住み分けせずに、やりたい放題やっちゃってネットの方に持ってかれちゃう方いるじゃないですか。関根さんは住み分けして。そう。僕はそこはね、ポルシェのブレーキと同じで止まるんです。効きがいいんです。カーボンブレーキ。
それは多分、若いトレンドをキャッチアップしてるからできるんだと思うんですよ。何が失礼かっていうの知ってるから。この人にこういうことを言ったら失礼だっていうのがあるじゃないですか。時々ね、それを承知でやっちゃうのがね、爆笑問題の太田君なんだけど。あれはあれで僕はすげえなと思うんだけど、僕にはあれはできないし怖い。確かに何でも行くってこと。そうそう。だからあれはちょっと、僕はブレーキを踏んで。それで舞台の方ではアクセル全開でドーンと行くという。で、お客さんも守ってくれて一切外に漏らさない。そういう形式でやってるんで。
僕の関根さんのイメージって、『いいとも』でやられてた素人いじりというのが大好きなんですよ。2人で関根さんで言ったらって、それが一番初めに出てきたんですよ。でも昼にずっと楽しみに見てて、あれもまさにじゃないですか。要はその、失礼じゃない、このギリギリの。そうなんですよ。
あれはやっぱりね、アマチュアの人じゃないですか、あの人たち。プロはいいんですよ。言い返したり、それが芸になったりするから。だから有吉君の品川君に対する「おしゃべりクソ野郎」な。あれでもって彼売れたからまたね。だからプロはいいの。だけどアマチュアの人は多分一生に1回だと思うんですよ、テレビ出るの。そこで僕がね、「暗いですね」とかね。「いや、本当にもういつも布団の中で泣いています」なんて言ったら、「お前言われてたな」ってなるじゃないですか。
で、ちょっと暗めな人が出てきても、「昨日、詩集の3冊目を書き終えました」って言うと、確かにね、クリエイティブな感じが。そう、インドアだけど知的な人だった。確かに。それは瞬発力ハンパないすね。
やっぱちょっと彼にやってほしい。いやいやいや、恐れ多い。彼の場合は、「豆腐は絹ごし一本です」。嬉しい。マジで嬉しい。色白だから。嬉しい。「絹ごしだけ食べてほしい」。そう。絹ごしですね。木綿食わないっすやっぱ。確かに嬉しい。全く嫌じゃないもんね。いや、全然全く嫌じゃない。肌の綺麗さにも。そうです。
将基さん大丈夫ですか?大丈夫。僕はね。「将基さんはね、ギターに3時間ほど挑戦したことがあります。で、そこでやめちゃいました」。あるんです。本当に。なんでそれが出てきた?なんとなく。すごい。僕もそうですけど、1日やって諦めた。合ってました。普通に合ってました。確かにあながち間違ってないかもしれないですね。全部、ミッキーのやつとか。多分あると思う。僕、当たってましたもん、今。ちなみに本当にマジで豆腐しか食わない。あ、そうなんだ。良かった、当たってて。すごい。
最後に、一応この番組はバブル世代からZ世代への橋渡しってことなんですけど、彼は今29で30になりますけども、典型的なイメージで言うと、社会に出たばっかりみたいな人をイメージしてるんですね。で、今のそういう世代を見てて、関根さんがこれはメッセージとして届けたいなっていうもので、何か頭に思い浮かぶことありますか?
届けたいな。今の若い人たちにね。えっとね、僕ら世代から、もうちょっと若い60、50ぐらいの人って、結構厳しい世代を生きてきて、パワハラなんかも受けてきてるわけですよ。で、それが染みついちゃってるから。僕もよく言われましたよ。「できねえんだったら帰れ」とか。帰んなかったですけどもね。だけどそういうことを言われる可能性があるわけですよね、上司にまだ残ってて。
で、それをね、本気にしないでほしい。「ああ、この人、風習で言っちゃっただけだな」っつって。本気じゃねえなと。そんな簡単に傷つかないでほしい。慣習を引きずっちゃってるだけだぐらいに思えばいい。そう。だからアグネス・チャンさんが喋ってるのと同じだと思えば。アグネス・チャンさんに「もっと綺麗な日本語喋ってよ」って思わないでしょ。確かに。だから「まあまあまあ」っていう気持ちで、ゆとりを持ってほしい。
傷つきやすいよね。学校時代もさ、先生が厳しくないじゃないですか、Z世代の人って。俺ら殴られてたからね、小学校、中学校って。
僕、ものすっごい嫌なプロデューサーいたんですよ。めちゃくちゃパワハラの。売れてる人にはもうこんなってなってて、僕らには偉そうにしてる人いるんですよ。で、かっこつけてるので、僕はいつも「かわいそうな人だな」って。「あの人自分でかっこつけて下に何か言ってるけど、全然かっこよくねえのにな。バカだな」って言ってね、余裕持ってた。
直接対面する時とかどういう風に対応してたんですか?適当に、「ああ、どうもどうも」っつって。「あ、そうっすか」っつって。敵対するわけでもないというか。全然やんないっす。受け流すっていう。で、心の中で馬鹿にしてるんですよ。かわいそうな人だよ。本当に誰にも尊敬されてないよ、あの人。
彼がそういうタイプなんですよ。まさにそのタイプ。できてるじゃん。そう。それやってると生きていけるんですよ。じゃあいい形だったのね。よくやっぱ「舐めんな」って言われますね、編集長から。そう。だからもうね、心の中では舐めてればいいんですよ。できてるじゃん。確かにできてるのかも。やっぱこれ正しいんですね。正しいんですよ。心の中でやんないと。面と向かって「あんた誰にも尊敬されてないよ」なんて言うと、「お前どういうことなんだ」みたいになっちゃうから。
5歳児だと思えばいいや。受け止めすぎないで、自分の中の守るところを守りながら横に流していく。そう。それとやっぱりね、いいとこも見てあげないと。その人の。でもそのプロデューサーね、いいとこなかったね。なかったな、いいとこ。どう考えても。いや、あんなに嫌われてる人、僕の51年の芸能生活でもトップで。Aクラスどころか、もうSの、Sプラスプラスプラス。すごいっすね。すっごいすよ。
そういう人もいますけど、この人がこうなっちゃってるのは時代のせいだからって思えば、嫌いになりすぎずに済むという。そうなんですよ。時代時代ってあるからね。本当ありますよね。
本当大変でしたもん。給食なんか残させないでしょ、学校で。食べるまでいろって。今そんなことしないですよね。大変ですよ、したら。僕ずっと残ってましたから。小学校2年から5年まで、校舎に1人ずっとこうやって。
だから僕お笑いに傾倒しちゃったんですよね。そのブルーな気持ちを晴らしてくれるの。笑うとニュートラルになるんですよ、ブルーな気持ちが。だから、あの先生のおかげでこの世界に入れたとも言えるかもしれない。あの4年間よりも辛い人生は、その後他になかったです。芸能界入っても、自分で入ってるわけだから、やめりゃいいじゃないですか。逃げられるんです。あれは逃げられないですよ、小学校。確かに。あれなんで俺、親に言わなかったんだろう。何か言ってくれって言えばよかったのに。我慢してましたね。確かに、当時はその世界しかないからね。そう。でもあれが今のベースになってるっていう。
僕はその時、あの先生嫌だなっていう風に思ったんですけども、後で色々見たら長野県出身だったんですよ。長野県ってね、当時最も食べ物を大切にしている県だったんですよ。で、戦時中の人ですから、本当にそんなにいいもの食べてなかったわけですよ。そこにですよ、戦後10年ぐらいでさ、好き嫌いを言うような少年がいるなんていうのが、先生の中で想像っていうか、ついていけなかったんですよ。だからもう烈火のごとく怒って、僕のこと。
今思えば、その時代に長野県で生きた先生、ああ、辛かったんだろうな。俺が簡単に「捨てていいですか?」なんて言ったのを怒るのもしょうがないなって、今になったら思う。さすがに当時ではそこまで想像力がないです。そうですね。でもそういうことなんですよね、構造としては。そうなんですよ。理由があるんですよね、そうなる。あと家庭もあるじゃないですか。間違いないですね。だから「しょうがない精神」ってことですかね。しょうがないよね。そう、しょうがない。
最後に、ぜひ紹介したいってことで、『カンコンキンシアター』ってので。これ、関根勤ってのを読み方変えるとカンコンキン。そうなんですよ。これがだから、さっき言ってた裏関根さんが出てくる舞台。そうなんですよね。ラッキー池田氏がですね。下ネタもやるんですけども、耐えられない人は出ちゃうんですよ、途中で。
僕も調べたところによると、すごく長いという。4、5時間やってたこともある。昔ね。最長がね、5時間半。2時からやって7時半までやってました。やば。アドリブ入れてね。で、大体4時間やってましたよ。昔は終電が来ちゃうから出演者の方が途中で帰ってたっていう。帰ってました。で、お客さんも帰ってました。長くて終電も来ちゃうぐらいで、それぐらい関根さんのやりたいことを詰め込んでたっていう。若かったからね、パワーもありましたよ。今は疲れちゃって。今は大体3時間から3時間半。
でも長いすよね。長いですね。だって『国宝』3時間でしょ?そうですね。毎回『国宝』ですよ。確かに。この期間ほぼ毎日、てか毎日。毎日です。次は5月2日から10日までのほぼ1週間を毎日やるということ。そうです。で、土曜日が2回公演なんですよ。これ本当はしんどいんでね、避けたいんですけども、一応ペイってことがあるんで。商売だから。
確かにこれ、タモリさん曰く世界一好きな舞台っていう。言ってるって。タモリさんが『いいとも』っていうのを毎日やってたんですよ。で、タモリさん、年に1回だけカンコンキンだけ見に来てくれてて、で、終わった後に「ジョニオ、あれでいいんだよな」って。「意味なくていいんだよな」って。それ確認をしてたってこと。何のメッセージでもないんですよ。何のお得にもならないんですよ。ただ笑うっていう。
だからお客さんもね、多分、表出たら内容忘れてるらしいです。で、中にはね、一番前でノートに書いてる人いましたよ。忘れないために。ネタ書いてんでしょ。こうやって。頭に入んないから。覚えたいんですよね。
宣伝出しときますので。裏関根さんを存分に楽しみたい方にすごくいいんじゃないかなという風に思いますので。次はもうチケット売ってるのか。2月の21日からです。一般発売始まって、日程は5月の2日から10日という、ゴールデンウィークなんですかね。そうなんですよ。
これね、4年前までね、真夏でやってたんですよ。あまりにも暑くて。で、来る方ももう30年以上来てるから、年齢もいってるわけですよ。来る人も大変だ、我々も大変だってんで、この4月から5月にした。一番天候のいい。絶対評判いいです。見やすいですって。銀座ですね。銀座博品館劇場でありますので、ぜひ今日の関根さんの話で興味持った方は、ぜひですね、お申し込みしてみてください。
最後に藤野君、今日聞いた話で印象的だったところ。いや、正直本当に個人的なことで申し訳ないですけど、やっぱり先ほど言っていただいた「絹ごし」は本当に一生背負って生きていこうかと。SNSのプロフィールにね。書きます。しかもいろんな人に自慢して。ミドルネームにしよっか。ミドルネーム、藤野・絹ごし・拓郎。やらせていただきます。ありがとうございます。それは本当に記念だよね。いや、本当にそうですね。
あと僕的には、しれっと出てきた、どうやって世の中にフィットさせてるかって話も、なるほどなと、関根さんの秘密をちょっと知れた気がしました。あと最後の若い人へのメッセージも多分響く人いると思いますので。うまく受け流してね。そうですよ。
負けない気持ちを持ってやる、竹ですよ。竹。ピューって言いながらも、ほってなる。しなりですよ。折れずにしなる。グラブフェイト山、しなる。これは知らない。ブラジリアンキック、しなるんですよね。膝からこうなるんですよ。下段だと思ったら上段に。そうなんです。これなんですよ。ミルコもそれやってます。
ありがとうございました。本当に色々と、またぜひお話聞かせてください。ありがとうございました。1時間ちょっと超えちゃいました。めちゃくちゃ面白かったです。いや、こないだのあれ強いんですよね。キリギスのね、あれ、キリギスね、その前にね、ダけス。
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