「忙しい」と感じるのは本当に忙しいからか:作業療法士・菅原洋平氏に聞く「多忙感」の正体

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概要

仕事量はそれほど多くないのに、ずっと忙しい気がして落ち着かない。新R25編集部のりんたろう氏はこの悩みを抱え、書店で見つけた『多忙感』の著者で作業療法士の菅原洋平氏に相談した。菅原氏の立場ははっきりしている。実際の「多忙」と、頭の中だけで忙しいと感じる「多忙感」は別物であり、多忙感の大部分は本人の行動が作り出している。したがって行動を変えれば消せる、というものだ。

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忙しくないはずなのに、ずっとハラハラしている

対談の前に、編集部同士でこの悩みを確認する場面がある。一人が問題提起したのは、実際のタスク量と「忙しいと感じる量」がずれているという感覚だ。金曜日に収録がある場合、準備はもう終わっているのに、水曜・木曜もそれを意識しながら仕事をしてしまい、ずっとハラハラしている。

りんたろう氏は、まさに今それを感じていると応じた。重いタスクは明日に回そう、締め切りが明後日なら明日から始めよう、と頭の中では整理しているつもりでいる。それなのにそのタスクの存在が気になって目の前の仕事に手がつかず、気づけばその日にやりたかったことも終わっていない。集中したいときにSlackで「これどうなってますか」と連絡が来ると、緊急度が高いのでそちらを優先してしまう。そうするうちに自分が何をしているのか分からなくなり、「やばい」と焦ったまま一日が終わることが多いという。

もう一人の編集者も、いろいろやっていないと落ち着かないタイプだと話す。通知が来たらすぐ返信してすぐ作業に戻れるつもりでいるが、実際には戻れておらず、集中は一度切れているのだろうと感じている。りんたろう氏がいま取っている対策は、誰も起きていない時間に仕事をすることだ。6時に起き、7時から10時の始業までに集中力が必要な作業を済ませる。その時間なら横やりが入りにくいからである。りんたろう氏はこの悩みを「ずっと忙しい感じがして自分のタスクに集中できない」とまとめたが、本当に多忙なのかどうかは本人にも分からないという。

病院の外で人に会うために

菅原氏はまず自分の職業を説明した。作業療法士はリハビリテーションの職種の一つで、国家資格である。病気や事故で損傷を受けた人が元の生活に戻れるよう、人間が行う「作業」を使い、失った機能を別の機能で補う手伝いをする。

菅原氏はもともと病院に勤めていた。しかし病院では、相手が病気になるか事故に遭うかしない限り会うことができない。そこから元の生活に戻るのは大変で、健康をあまり意識せずに働き続け、病気になって初めて気づく人が多かった。その前の段階で会えないかと考え、10年以上前にビジネスプランを作って起業した。現在は企業に入り、パフォーマンスが上がらない、疲れる、眠れないといった問題を、病院に行かずに済むうちに解決する仕組みを作っている。ビジネスパーソン向けのクリニックで、眠りにくさや日中の生産性の低さに関する外来も担当しているという。

多忙と多忙感を分ける

菅原氏によると、「多忙感」は菅原氏が作った言葉ではなく、もともとあった言葉だ。疲労感や満腹感と同じく、本人が自覚する感覚を指す。働く現場では、多忙と多忙感の違いが問題として取り上げられることが多い。多忙は実際にやることが多い状態を指す。多忙感は、実際にはそれほど多くないのにやることがたくさんある気がして落ち着かない状態を指す。例として菅原氏が挙げたのは、3か月後や半年後の仕事にそわそわし、目の前の仕事とずっと先の仕事を同時に処理しなければならないように感じるケースだ。

本の狙いは、この二つを別のものとして切り分けることにある。頭の中だけが忙しい状態は、仕組みが分かれば消せる。多忙感のほとんどは本人の行動が作っているので、行動を変えれば消せる。菅原氏はそう提案する。実際に忙しいときに忙しいと感じるのは正常だとしつつ、「多忙」の中に多忙感が混じっていないかを先に区別すべきだという。多忙感を取り除けば本当の忙しさだけが残り、それなら対策も立てられるからだ。

りんたろう氏は最近、時間を区切って書き込むカレンダーを買い、その日のタスクを棚卸ししている。やってみると仕事はそれほど大変ではないと分かったが、それでもそわそわが消えず、そのギャップに悩んでいたと話した。菅原氏は、移動中などに2時間ぐるぐる悩んだ内容を紙に書き出してみると、せいぜい3行ほどしか書けないと指摘する。頭の中では連想が次々に広がるが、目に見える物に記憶を移すと、実際の量はそれほど多くない。この錯覚の部分を本当の仕事とは別に扱う、という考え方である。

仕事が終わった直後に、自分から忙しくなりにいく

菅原氏は、企業の現場でよく見かける二つの行動を挙げた。一つは、メールを送り終えた直後の行動だ。仕事が一つ終わったのに、メールソフトを見て回ったり、急にSNSをチェックしたりして、別の仕事を探しに行く。終わったのだから休めばよいタイミングで、わざわざ自分を忙しくしている。りんたろう氏も「めちゃくちゃやっちゃいます」と認めた。

もう一つは、30分かかる予定の仕事が20分で終わったときに同じことをする行動だ。浮いた時間を持て余し、やることを探して次々に手をつけ、「忙しい」という感覚を自分で作ってしまう。その結果、「忙しい」と言う人に具体的にどんな仕事を抱えているか挙げてもらうと「そんなにないんですけど」という答えが返ってくる。菅原氏によると、こうしたギャップは現場で非常に多い。

効率化を求める人ほど陥る:ムービングエゴとムービングタイム

りんたろう氏が本の中で特に印象に残ったのは、効率化や生産性向上を求める人ほど多忙感に悩まされているという記述だった。菅原氏はこれを時間の感覚で説明する。

菅原氏によれば、脳は二つの感覚で時間をとらえている。一つは「ムービングエゴ」で、自分がイベントに向かって進んでいく感覚だ。「この作業をここまでやったから、次はこの作業だ」というように、自分で時間の中を進んでいると感じる。もう一つは「ムービングタイム」で、予定のほうが自分の前に突然現れる感覚である。りんたろう氏は即座に「ずっとそれですね、僕は」と反応した。

スマホを開くと「10時からミーティング」と表示される。今が8時でまだ2時間あっても、いきなり焦ってしまう。効率化のためのアプリでその日のタスクをすべて見えるようにしたり、他の社員のタスクまで見えるシステムを導入したりする会社は多い。菅原氏は、誰がいつ何をしているかを見れば見るほど、今すぐ対応すべき緊急の事柄がたくさんあると錯覚していくと話す。効率化がムービングタイムに合わせる方向で進んだ結果、自分が今どこにいて、どこへ向かってどれだけの距離を進むのかという感覚が持ちにくくなっている。菅原氏はそう見ている。特に大きな変化として挙げたのが、デジタルのスケジュール管理によって、予定が文脈なく突然現れるようになったことだ。

ビジネスパーソンからよく聞くのは、手帳をアプリに変えたら予定を何度も確認するようになったという話だという。手帳の確認が面倒だからアプリにしたはずなのに、手帳なら一度読めば分かったことを何度も見返すようになった。菅原氏は、今いる場所から進んでいく感覚を失ったことが大きいと考えている。

手帳に「現在地」の印をつける

ムービングエゴは後から身につけられるのか、とりんたろう氏は尋ねた。菅原氏の答えは、脳はもともと両方を使っているというものだ。締め切りがほとんどなく、好きなことを好きなように過ごしているときは、何時に何があるかをあまり気にせずにいられる。菅原氏はそのとき、人はおそらくムービングエゴで進んでいるはずだと説明した。

菅原氏によると、脳は秒単位で時間を数えているのではなく、作業の進み具合から「たぶん今このくらい経った」と測っている。そのため実際の作業が失われると時間が測りにくくなる。スマホをタップしているだけでは、物を作っているときと違ってどれだけ作業したかの感覚が得られず、時間が急に飛んだように感じやすい。

具体的な方法として菅原氏がよく勧めているのが、手帳に予定を書き込んだら、今いる場所に丸や矢印をつけることだ。「現在地ここ」とシールを貼る人もいるという。今ここにいると分かれば、離れた日付の予定までまだ距離があることが見て取れる。アプリで一斉に表示されると、どれもこれも緊急に感じる。これに対して、自分が進んでいった先に予定がある形にすると、「まだずいぶん遠い」と脳が理解しやすくなる。りんたろう氏は「それはしてないです」と答えた。

そわそわ・イライラ・ぐったり:多忙感の3段階

本では、多忙感を放置した場合の経過が「そわそわ」「イライラ」「ぐったり」の3段階で説明されている。菅原氏は、りんたろう氏がここまで話してきた状態は最初の「そわそわ」にあたるという。

実際にやるべきこと以上のことを「今すぐやらなければ」と表示されて容量がオーバーし、仕事は終わったのに終わった気がせず、自分からタスクを探しに行く。菅原氏はこれを、ノルアドレナリンが出ている状態として説明する。ノルアドレナリンは変化を見つける役割を持つので、メールが届いたという表示のような変化が見つかると急いで対応しようとする。そしてその変化への対応が終わっても脳内に残っているため、次の変化を自分から探しに行ってしまう。

次の段階がイライラである。生物にとって変化は、猛獣が襲ってきたような危険を意味する。菅原氏の説明では、これに対抗する準備としてグルココルチコイドが分泌される。本来は、体内に菌が侵入したときなどに、自分のたんぱく質を分解して糖からエネルギーを急いで作り、対抗するための仕組みだ。原稿を書いている最中にチャットの通知が鳴るように、外から自分のペースを乱されることを菅原氏は「外乱」と呼ぶ。外乱が起こると、脳はこれを危機ととらえてグルココルチコイドが増える。ところが実際には菌は侵入していない。攻撃対象がいないので、脳は「活発に働いている場所でトラブルが起きているはずだ」と判断する。菅原氏によれば、グルココルチコイドがミクログリアに指令を出し、ワーキングメモリーや時間管理を担う部位など、懸命に働いていた部位の神経を攻撃し始めるという。

その結果、記憶を担う部位が攻撃されると「何をしに来たんだっけ」という物忘れが起こる。情報を読み取る部位が攻撃されると、ぼうっとして文字が頭に入ってこなくなる。時間を管理する部位が攻撃されると、あっという間に時間が過ぎてしまう。菅原氏はこれを「多忙感症状」と呼んでいる。

この状態が続くと、頑張っているはずなのに頭の働きがおかしい、集中力が続かない、と急に疲れが出る。これが「ぐったり」の段階だ。そこで初めて疲れに気づいて休んでも、なかなか回復しない。りんたろう氏は「僕がやってることですね」と漏らした。菅原氏によると、夜に休んで回復できればよいが、夜も眠れなくなり、朝は気持ちはあっても体が起こせなくなる。多忙感が一日で完結すればよいのだが、そわそわのパターンが行動として習慣化し、同じ部位が攻撃され続けて、状態は悪い方向へ悪化していく。働くのは無理だとなって初めて気づく人が多いので、その前に気づいてほしいというのが、菅原氏がいつも伝えていることだという。

人間にマルチタスクはできない

本では注意力が選択注意、持続注意、同時注意、転導注意の4つに分類され、後半の2つが脳のエネルギーを大きく消費すると説明されている。マルチタスクができると思っていたりんたろう氏に対し、菅原氏は「マルチタスクはできないです」と断言した。情報量は増やせるが、注意力は増やせない。タスクが2つあるとき、注意の配分をうまく切り替えれば同時に進んでいるように見える。菅原氏は、正しくは「タスクスイッチング」をしているのだと言う。すばやく切り替えることで同時に進めている感覚が生まれるが、この切り替えが非常に多くのエネルギーを消費する。

菅原氏は例として飲食店を挙げた。客が来る、電話がかかってくるといった多くの事柄に、それぞれを頭の中にストックしながら次々と注意を切り替えて対応している。同時注意や転導注意はエネルギーの消費が非常に大きいので、本当に重要な場面のために取っておくべきだ、というのが菅原氏の主張である。

みんなそれを無駄遣いしているのかと問われると、菅原氏は、気づいている人と気づいていない人ではっきり分かれていると答えた。気づいている人は、自分の注意力はここにしか使わないと決めて、それ以外は割り切っている。菅原氏は、歩きながらスマホを見る行動にも触れた。本人は時間がもったいないから自己投資に充てようと考えているが、なぜ今スマホを取り出したのかをたどると、そわそわ感がある。自分で見ているつもりで、実は見させられている面もある。注意を一番大事な場面に注いでみると、「頭がすっきりしました」と言う人が多いという。

1日15分のシングルタスク

菅原氏は企業で、1日15分のシングルタスクを実験的に取り入れてもらっている。まず1日のどこかで15分を確保できるかを考えてもらう。出勤直後や昼休みなどに「1日15分だけは話しかけない」というルールを作った企業もあるという。15分が難しければ10分でも5分でもよい。時間を区切り、その時間はその作業しかしないと限定すると、作業がかなり進むという。

菅原氏自身は、インターネットにつながる設定をしていないオフラインのパソコンで原稿を書いている。そのパソコンでは原稿を書くことしかできない。菅原氏は、オンラインで何でもできる状況は脳にとって不自然だと考えている。そのため、それしかできない環境をどう作るかを楽しんでほしいという。見えないようにする、聞こえないようにする、他とつながらないようにするなど、アイデアはいろいろ出てくるはずだ。

ここで菅原氏が重視するのは、タスクの量も難しさも変わっていないのに、設定を変えただけでこれほど違うのかという面白さを体感することである。人の行動は、普段と違う良い感覚を得ない限り変わらない。「あれ、ちょっと違うぞ」という感覚を一度味わえば、それが注意の配分ということだと理解でき、他の場面にも当てはまるかもしれないと気づける。そのために、まず1日1か所、数分でもよいのでシングルタスクの時間を作ってほしいという。

手をつければタスクは頭から追い出せる

りんたろう氏は、「金曜に収録があるな」というような、今やらなくてよいのに気になる仕事の手放し方を尋ねた。本にある「手をつければタスクは頭から追い出せる」という一文が、あまりピンと来ていなかったという。

菅原氏の例はこうだ。ミーティングで「1週間後に資料をまとめてお送りします」と決まったら、ミーティングの直後に資料の冒頭だけを作ってから終える。菅原氏によると、頭の中に情報をストックしておくには、神経活動をアイドリング状態で動かし続けなければならない。「1週間後に資料を出す」ことを覚えておくだけで、脳は働き続けることになる。これはエネルギーの無駄だ。一方、作業を始めておけば、進んだ作業が実際の物として空間の中に生まれる。脳内にストックするのではなく、外部の記憶に置いておこうという考え方である。

りんたろう氏は、最近はタスクを忘れないよう書き出していると話した。菅原氏は、それを書くエネルギーがあるなら始めてしまったほうがよいと答えた。ファイルを立ち上げて1行書くだけで構わない。「資料を作る」と書く代わりに資料の1行目を書いて終わりにする。使うエネルギーは同じくらいかもしれないが、すでに進んでいるので、現在地から進み始めたというムービングエゴの感覚が得られる。これが「手をつける」の意味だという。

りんたろう氏が「ToDoはその場では書き出しているが、その後はムービングタイム側のリマインダーとして働き、脳の負荷になる」と整理すると、菅原氏は同意した。本ではこれを「リアクション行動をアクション行動に変える」と紹介している。ToDoを書くと、それを見て「やらなきゃ」と反応して動くことになり、それ自体が外乱になる。結局イライラにつながる。自分から進んだというアクションにするには、いきなり本番に入るのがよい。完璧に仕上げる必要はない。少しでも手をつけておけば進んでいる感覚があるので、「やらなきゃ」ではなく「この後どうやろうか」と考えるようになる。思いつけば手をつけたくなる。そういう状態を設定として作ってしまうということだ。

探索行動と利用行動

「どうやろうか」と考える状態は、本で紹介されている「探索行動」とつながるのかとりんたろう氏は尋ねた。菅原氏によると、探索行動とは、よく分からない仕事を受けたときに、分かりそうなところから少しずつ試し、「こういうことを求められているのか」と理解しながら進めていくことだ。利用行動とは、「プレゼン資料はこう作るべき」といったノウハウを使い、答え合わせをするように行動することを指す。人間は両方を常に使っている。探索が多いときは利用が少なく、探索して分かってきたら利用に移ると探索のエネルギーが少なくて済む。

問題は、今は利用行動が膨らみすぎていることだと菅原氏は言う。情報を持ちすぎていて、一日の仕事の始め方にまで「正解」がある。その正解をなぞろうとすると、自分から探索していないのでムービングエゴとして進む感覚がなく、結局はリアクション行動になる。

菅原氏は相談の場でよく「このやり方で合っているでしょうか」と聞かれるという。本人がやっている行動が合っているかどうかを菅原氏が答えること自体がおかしい、と菅原氏は感じている。正解が気になって調べ、それを利用し、「本当に合っているのか、もっと効率のいい方法があるのではないか」とまた調べる。これを繰り返すと、自分で探索するという軸がなくなる。菅原氏によれば、その結果、ムービングタイムで予定が突然現れ、リアクション行動になり、注意は分散し、やり遂げたという感覚も残らない。

プランク8か月の振り返り

りんたろう氏は、自分が多忙感に支配されていたかもしれないと振り返り、3分間のプランクを毎日、8か月ほど続けていることを話した。続いてはいるものの、「何のためにやっているのか」という思いがどこかにあり、充実感はあまりない。むしろ「続けている」と周りに自慢することで満足を得ていた。自分のためというより、相手からどう見えるかのために続けていたと気づいたという。同じ行動でも、主体がどこにあるかで感覚が大きく変わると感じたと語った。

菅原氏は、「30回やる」と決めて30回を続けようとする例を挙げた。本来はその日のコンディションによって、30回が必要な日も、35回の日も、25回でよい日もあるはずだ。30回という数字を追いかけるのは利用行動であり、自分の感覚が分からなくなる。「体が気持ちよくなった、もっとよくするには別の部位も鍛えてみよう」という発想から生まれたトレーニングなら、プランク自体は続かなかったとしても、同じ意図のものは別の形で続いている。他人に説明すると「続いていないじゃないか」と言われるようなことだが、菅原氏はそれこそが主体感だと言う。他人に言うためにやっているわけではないからだ。

注意が売り物になった時代に

りんたろう氏は、SNSのために何かをするといった行動にも同じ構造がありそうだと感じ、あらゆる場面で利用行動をさせられていると述べた。現代人はそれほどまでに情報や多忙感に支配されているのか、という問いに、菅原氏は、注意を消費させることがビジネスになっているからだと答えた。肉体のエネルギーを使ってお金に換える時代から、注意力を奪ってお金に換える時代に変わった。私たちがその中に立っていることを、まず理解しておく必要があるという。人間の注意力は増やせない。それを奪われれば、主体は自分ではなく相手のほうに移る。主体を自分に取り戻さなければ多忙感に陥る、というのが菅原氏の見方である。

ただし菅原氏は、SNSが悪いという話ではないと付け加えた。変わってきたのは、私たちが主体感をどう持つかのほうだという。SNSやインターネットが登場した当初、人は自分がやっていることを共有したくて発信していたはずだ。しかしアルゴリズムによって多くの人に見られた情報が表示されるようになると、見られなかった情報は表示されなくなる。そこで、多くの人に見られるように発信しようという発想に変わっていった。

菅原氏は、多くの人と共有しなくても、分かってくれる人と分かり合いながら共有すればよいと気づいていけばよいと話す。勧められたやり方を試し、自分なりに少し足してみたことをその範囲で共有すれば、それで完結する。それを多くの人に広めたり、知らない大勢の情報を取り込んだりする必要はない、ということが分かってきたのではないかという。菅原氏は、デジタルの世界で人々が成熟する中で、デジタルを使うことの新しい意味がここから見出されていくと考えている。そのとき失ってはいけないのが、ムービングエゴであり、自分からアクションすることだ。多忙感を生まずに本当の多忙を順番に処理していけば新しい働き方が見えてくるはずで、それをみんなで作っていこう。菅原氏は、企業の中でいつもそう伝えているという。

りんたろう氏は、自分の主体性を取り戻し、自分からアクションできるようになるまでには、リハビリのように少し時間がかかりそうだと話した。その道を探していく過程自体が探索行動になるので、それを楽しめるようになりたい。その過程を、せっかくの媒体を使って発信していきたいと語って、対談を締めくくった。