元千葉県警刑事のゆいさんが語る事件現場、育児の限界、警察を辞めた理由
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜ゆいさんは千葉県警で14年間警察官を務め、そのうち9〜10年ほどを刑事として過ごした。12年目あたりで妊娠・出産し、2年間の育休中に離婚と退職を決めた。現在は独立系のファイナンシャルプランナー(FP)として起業している。インタビューでは、警察官の両親のもとで育った幼少期、警察学校での訓練、女性刑事として担当した事件、産後に追い詰められた経験、そして「組織が嫌いではなかったのに辞めた」理由を順に語った。
警察官の両親と「国民を優先する」という言葉
ゆいさんは千葉県我孫子市の生まれで、今年36歳になった。両親はともに警視庁の警察官で、現在は二人とも定年している。父は刑事を志していたが、ゆいさんが幼く母が子育てをしていた時期だったため、両親で話し合い、途中で刑事を離れた。刑事は危険が伴い、夜勤や夜中の呼び出し(招集)もあるためだ。父はその後、子育てを支えられる部署に移ったり、体を動かすのが好きで特殊部隊で訓練を積んだりしたという。母は交通課が長く、免許更新の窓口や駐車違反の取り締まりなど、当時女性警察官が多く担っていた仕事をしていた。
ゆいさんが5歳のころ、阪神・淡路大震災が起き、両親はそろって警察官として派遣された。ゆいさんは地元の保育園を休み、宮城にある母の実家に預けられて、祖父母やいとこと暮らした。両親からは「お父さんとお母さんは国民を守る仕事をしているから、何かあったときにゆいよりも国民を優先しないといけない」と言われていた。祖母の家に預けられたまま両親が帰ってこない可能性もあるから覚悟しておいてほしい、とも言われたという。
それでもゆいさんは、悲しいというより「すごい仕事をしているんだ」という印象の方が強かったと振り返る。小学生のころは、客間の窓から駅へ向かう両親に毎日手を振り、「もしかしたら帰ってこないのかな」と思いながら見送っていた。今日までの生活が明日も続くとは限らないという感覚を心のどこかに持ちつつ、それが当たり前の生活だったという。
寂しさはあったが、寂しさを表に出せば親が笑えなくなることも分かっていた。周りと同じは嫌だという性格もあり、警察官の子どもであることをむしろ特別なものと感じていた。いろいろな場所に預けられ、保育園の先生やファミリーサポートの人たちなど多くの大人に支えられたことで、「大人が大好きな子どもだった」とゆいさんは言う。
母の叶わなかった夢と高卒での入庁
5歳のときには「おまわりさんになりたい」と思っており、その気持ちは高校卒業まで変わらなかった。いちばん近いロールモデルは両親、とくに母だった。母は本当は刑事をやりたかったが、「お前は女だから」「子どもがいるから」といった理由でできず、そのことを悔やんでいるように見えた。だからゆいさんにとって、警察官になり刑事になることは母の夢でもあり自分の夢でもあった。それを自分が叶えられたら家族みんなで喜べる、とも考えていた。
高校の先生からは大学を出てから警察官になればいいと勧められた。しかしゆいさんは、大学の4年間を実務に充てた方が、自分が手を差し伸べられる被害者は増えると考えた。そう気づいてからは大学へ行く必要性を感じなくなり、大学受験もうまくいかなかった。勉強が楽しかったわけでもなく、目的がはっきりしている警察の仕事に早く就きたいと思い、高卒で1年間試験勉強をして翌年に入庁した。
警察学校で崩れた体力への自信
ゆいさんは小学生で少年野球を6年間続け、新体操なども経験し、中学ではバドミントン部に入るなど、体力には自信があった。しかし警察学校に入ると、その自信は一気に崩れた。走るのは遅く、筋トレをしても重いものを持ち上げられない。警察官の中では自分は弱いのだと知り、「最後は拳銃なんだろうな」、拳銃をきちんと扱えるようにならないと国民を守れないかもしれない、と感じたという。
当時は警察官10人のうち女性は1人ほどで、女性の採用倍率は男性より高かった。一方、入ってからの評価は男女共通である。成績は体力だけでなく、刑法・刑事訴訟法、個人情報など警察官が知っておくべき法律の知識、積極性、日常生活の態度まで含めて総合的につけられた。
生活の規律は厳しかった。部屋は常に整頓しておくよう指導され、教官が抜き打ちで点検に入る。ヘアアイロンのような持ち込み禁止の物があれば同期全体が咎められた。ピアスの穴は入校前に閉じる必要があり、入校日に全身を確認される。髪は耳にかかってはいけないなどの細かい規定があり、校内の床屋で「今ではなかなか見ないようなカット」をされた。最初の1週間ほどは入浴時間が3分ほどで、脱衣所に女性教官が立ち、ドライヤーまで済ませて退場しなければならない。長い髪は不利だが、坊主も禁止されていたという。ゆいさんは、警察はもともと歴史的に軍隊に由来する組織だと説明し、同じ服装で同じ時間に食事や入浴をし、一人が問題を起こせば全員で10km走るといった連帯責任もあったと語った。警察学校の期間は高卒で10ヶ月だった。
男性教官と殴り合う訓練が教えたこと
女性警察官が「最後は拳銃」と考えるようになった背景には、特有の訓練があった。ゆいさんによれば、20代の女性は自分も含めて、身体的に男性にかなわないという認識が甘い。それを体で理解させる訓練があったという。
授業後、女性だけが道場に集められ、剣道の面と胴、ボクシングのグローブのようなものを着ける。向かい側には同じ防具をつけた男性教官が並び、殴り合いをする。鍛えた男性教官にはかなわず、ボコボコにされる。顎が外れる人や失神する人も出た。大泣きしながら、自分は弱いのだと気づかされる訓練だった。
そこで教官たちは「お前らは現場で泣けねえんだからな」と言い、守りたいものがあるなら一歩下がらなければならない場面があると説いた。大柄な男の犯人が現れたとき、正義感から女性が前に出れば、その女性を守るためにほかの者が犠牲になるかもしれない。だから一歩下がり、男性が相手をする間に、無線で応援を求める、ナイフや日本刀や拳銃を持つ相手なら誰よりも早く拳銃を抜く判断をするなど、ほかにできることを考える。女性はそうした判断を男性より多く求められる可能性がある、という教えだった。さらに、警察官が撃たれて死ねば国民は不安になり、その場の人々も殺されるかもしれないから、警察官は自分が死んではいけないとも教わった。
ゆいさんはこの訓練を「あって良かった」と言う。正義感で前のめりになって警察官になった自分は、教わらなければ多分飛び出していた。中学・高校で学級委員を務め、人を引っ張れるという自信があったが、その過信を壊してくれた。自分はちっぽけで、女性であり弱い人間だということを、頭だけでなく体全体で腹落ちさせておく必要があったと振り返る。
交番勤務から刑事へ
交番勤務を1年半ほど続けたころ、刑事の選考試験を受ける資格ができた。受験には警察署の推薦が必要で、希望者はゆいさん以外全員男性だった。女性の希望者が少ない理由について、ゆいさんは遺体への抵抗感や、殺人事件で犯人が逃げていれば2日間寝ないのも当たり前という働き方を挙げ、ほかにも多くの仕事があるなかで刑事を選ぶ女性は少数派になるのだろうと話す。
体が小さく、警察学校の成績もあまり関係ないなかで、ゆいさんは推薦を1番で得るために目立とうと考えた。交番勤務は24時間勤務の翌日が非番になるが、その日に自分の仕事を早く終わらせて刑事課の手伝いに行った。休みの日にも出向き、防犯カメラの映像を一日中確認したり、女性被害者の聴取に立ち会ったりした。聞き取りをするのは男性でも、隣に女性がいた方が被害者が安心するという理由で重宝され、推薦を1番で受けて試験に合格。刑事専門の研修を経て、入庁から2年半ほどで所属署の刑事になった。その署には女性刑事が4〜5人おり、大きな署では女性が必要な案件も多いため比較的多い方だったという。
子どもの性被害をどう聞き取るか
階級は最下位の巡査で、係長が率いる「島」と呼ばれるチームで事件を担当した。女性だったため、性犯罪や子どもが被害者となる事件を担当し、供述調書の作成や心のケアを担うことが多かった。女性が担当すると決まっているわけではないが、性犯罪の加害者はほぼ男性で被害者は女性が多いため、女性から聞かれる方が精神的苦痛が少ないと感じる被害者もいる。幼い子どもは母親への信頼が強いため、女性の方が打ち解けやすい面もあるという。
具体例として挙げたのが、保育園の男性保育士から性的なわいせつ行為を受けた幼い男の子の事件だ。4〜5歳の子どもは、何が犯罪だったのか分からない。そのため親も気づかないが、子どもが「今日、〇〇先生とトイレに行ってね」と話したことに親が違和感を持ち、警察に相談した。
難しかったのは聞き取りだった。ゆいさんによれば、子どもは一番信頼する母親に話すことで母親が悲しむ、泣くという未来が予想できると話さない。また子どもにとって先生は「犯人」ではなく、違和感を抱きつつも先生が大好きで、先生を悪者にしたくない。母親を悲しませたくもない。そうした気持ちから口を閉ざしてしまう。
そこでゆいさんは、まず普通に遊んだり好きなものの話をしたりして、この大人には何を話しても大丈夫だと思ってもらうところから始めた。子どもは話した内容が母親に伝わるかを気にするので、話していいのだと伝え、なぜ自分たちがここにいるのかも本人が分かる範囲で説明した。人形を使ってどんなことをされたのかを尋ね、母親に知られたくない部分はどこかも確かめながら、断片的な話を長い時間をかけて聞き取り、あとは客観的な証拠で裏付けていったという。
血まみれのアパートで迫られた判断
拳銃を実際に抜いた経験はないが、「本当はここで拳銃のことを考えておかなければならなかった」と振り返る案件がある。交番勤務のころ、女性の悲鳴という110番通報が入った。GPSで場所の見当がつき、上司と走って向かった。アパートの部屋を手分けして一つずつノックしていくと、ある部屋から女性の叫び声が聞こえた。鍵はかかっておらず、開けると壁も床も血だらけで、廊下の中ほどに女性が倒れていた。
見ただけでは何が起きたか分からない。人命救助が最優先なので出血箇所を見つけて止血しなければならないが、殺人未遂のような大きな事件の現場である可能性もあり、犯人の足跡や痕跡を壊したくないという気持ちもあった。女性は叫びながら閉じたリビングのドアを指さしている。奥に犯人がいるかもしれない。犯人確保に向かうべきか、手前の女性を救護すべきか、現場保存のために入らない方がいいのか。冷静ではいられず、どうすればいいか分からなかったという。
まずは女性から話を聞かなければと考え、足跡をつけないよう壁伝いに進んで手を伸ばすと、女性に肩をつかまれ「助けて」と引き寄せられた。リビングに誰がいるのかと聞いても、女性は混乱していた。ナイフが使われたのは明らかで、犯人が戻ってきて女性を人質に取る、さらに刺す、自分にナイフを向けるといった可能性もあった。狭い室内で奥に入るなら、拳銃を抜く覚悟を前提にしておくべきだったと今は思う。しかし当時はそこまで考えられず、女性を落ち着かせることを優先した。
話を聞くと、一人暮らしの女性が夜に帰宅してリビングに入ると、見知らぬ男がナイフを持って立っていた。「静かにしろ」と言われ、悲鳴を上げて玄関へ逃げたが、自分でかけた鍵を動転して開けられない。後ろから近づいた犯人のナイフを、刺されたくない一心でつかみ、手を切っていた。犯人はすぐリビングの窓から逃走しており、部屋にはいなかった。のちに刑事課から聞いた話では、犯人は捕まり、空き巣に入って物色していたところに住人が帰ってきたため、女性なら脅せば静かになると思ったが、ナイフをつかまれてどうにもならず逃げた、と話していたという。
強行犯係で見た殺人犯の「普通さ」
刑事になって1年余り、巡査のまま海沿いの警察署に異動した。最初の署では盗犯係にいたが、もともと希望していた強行犯係に移り、以後はずっと強行犯係だった。強行犯係は性犯罪も扱うため女性が必要とされる。事件が入ると最初に動くのが強行犯係で、ナイフを持った男が暴れている、人を殴って逃げようとしているといった110番が入れば、覆面パトカーで赤色灯を回して緊急走行する。それが日常茶飯事だったという。
殺人犯と向き合う機会もあった。取り調べのほか、逮捕の際に被疑事実を読み聞かせて間違いがないか回答を得る場面もある。ゆいさんが強調したのは、殺人犯の多くは「意外と普通」だという点だ。ゆいさんによれば、殺人事件の被害者と被疑者の関係は8〜9割が顔見知りで、ニュースで報じられる通り魔のように無関係の人が突然殺される事件は割合としてはごく低い。ほとんどは家族や親類など顔見知りの間で感情的に起きるもので、近所の人からは「仲のいい家庭ですよ」と見られていた家もある。家庭は閉じた場所で、外から見えないものが多く、そこで殺人事件が起きることが多かったと語る。
逮捕時にはすでに後悔している人も多い。理性より感情が先に出て刺してしまった、突き飛ばしてしまったというケースが多く、計画的に人を殺した人は全体として少ないとゆいさんは言う。
組織が好きだった人が辞めるまで
退職時の階級は巡査部長だった。ゆいさんは、組織を辞める人には組織が嫌いで辞める人と、嫌いではないのに辞める人がいるとし、自分は後者だと言う。むしろ組織が好きで、警察署長になって組織を変えてやろうと考え、何歳でどの階級に行くかまで思い描いていた。千葉県警ではおそらく今も女性の署長は出ていないという。
署長になるには経歴が必要で、40代半ばまでに課長職を経験しないと、60歳ごろまでに署長になるのは時間的に難しい。36歳の今から見れば、40代半ばはもうすぐだ。そこに子育てが入れば署長は相当難しく、家庭かキャリアかを選ばなければならない。ゆいさんがこれに気づいたのは妊娠してからだった。子どもを何人ほしいか考え、そのぶん育休を取って、復帰後は時短勤務をして、と計算すると、署長への道がないことに気づいた。
20歳前後のころ、娘のように可愛がってくれた上司たちから「女性の幸せって何だと思う?」と聞かれたことがある。「キャリアを上げることじゃないんですか」と答えると、結婚して子どもを産んだとき、この仕事を必ず続けなければならないわけではないと言われた。当時は意味が分からなかったが、妊娠後にそのことだったのかと気づいたという。また、女性警察官がみなキャリアを上げたいわけではなく、子どもとの時間を大切にしたい人にとっては、キャリアを築きやすい仕組みがかえって負担になる場合もあるし、そういう人の方が多いだろうとも話した。ゆいさん自身も子どもとの時間はかけがえがないと感じているが、実際に育ててみると、思いのほか子育てが苦手だった。
刑事の夫と、生後4ヶ月の窓辺
28歳で結婚した相手も刑事だった。31歳で産休・育休に入り、2年間の育休中、33歳で離婚と退職をした。夫は刑事の係長で、チームの頭だった。組織として育休は認められていても、長く抜けた穴を簡単には埋められず、将来のキャリアに不利にならないとは、先に進んでみないと分からない。休んでほしい気持ちはあったが休めない現状も知っていたし、休んでもらったから楽になるとも限らない。何が正しいのか分からない、とゆいさんは言う。
育児、とくに最初の1年間で、ゆいさんは自分が「24時間くっついていることで愛情が比例して増していくタイプではない」と感じた。むしろ一緒にいすぎるとつらかった。細切れに2時間ほどしか眠れず、泣けば授乳し、いつ自分が眠っているのかも分からないまま、ぼんやりした状態が続いた。
子どもが生後4ヶ月のとき、当時住んでいた一戸建ての2階の寝室で、泣き止まない子どもをあやしながら小窓の外を眺めていて、ここから飛び降りて二人で死ねば今より楽になる、という考えがよぎった。人生を楽観的に生きてきた自分にとって、人の死はたくさん見てきたが、自分の死を考えたのはそのときが初めてだった。子どもだけが死ぬのも自分だけが死ぬのも嫌だ、二人で死ななければならない、でもこの高さでは足りない、とまで考えている自分に気づいた。子育てはピンクや黄色のオーラに包まれた幸せなものだと想定して結婚・妊娠・出産したのに、現実は灰色の世界で、誰も助けてくれず、眠りたいという欲求すら叶わなかったという。
そこから市役所に行き、何でもいいから子どもを預けて寝たいと相談し、ファミリーサポートや近所のシッターなどの支援を教えてもらった。初めて預けたのは生後半年ごろだった。家に帰って一人で温かいお茶を飲んだ瞬間、涙が止まらなくなった。一人とはこんなに静かで落ち着くものなのか、何ヶ月自分のことを考えていなかったのか、自分に目を向けないだけで人は死にたくなるのか、と感じた。このままではまた同じことが起きると考え、用事がなくても「休みたいから」と積極的に子どもを預けるようにして、少しずつ元の状態を取り戻していった。
「笑って死にたい」から出てきた二つの決断
回復してきたころ、ゆいさんは自分がどうやって死にたいかを考えた。答えは、棺に入るときに「やりきった、めっちゃ幸せだった、ありがとう」と言って死にたい、というものだった。今死んだら、子育てもできず刑事にも戻らず、何をやっていたのだろうと思うだろう。だから自分が笑える選択をしていこうと決め、そのために出てきたのが離婚と公務員の退職だった。
離婚について、ゆいさんは「パパが悪かった」という落としどころにはなっていないと言う(相手の考えは分からないとも付け加えた)。ゆいさん自身の見解として語ったのは、パートナーへの執着を手放し、自立に向かったから、という理由だ。資産があり、自分が動けば稼げるので、夫の稼ぎがなくても生きていける。一方で、夫といるときの自分は笑顔ではなかった。互いに「これをやってくれるだろう」「これだけギブしたのだからテイクがあって当然」と期待し合い、子育て以外の面でもその執着でつながり、それを愛だと思っていたのではないか、とゆいさんは振り返る。
子どもが生まれてからは、自分の時間をすべて子どもに注いだ。それも愛だが、授乳したから何かしてほしいとは思わない。ゆいさんは、本来の愛はこちらで、見返りを求めない方が心地よいのに、夫婦間では勝手に期待して勝手に裏切られたと感じる愛をしてしまっていたと話す。執着を外した方が軽やかに生きられるという直感があり、実際にそれは当たっていたという。
離れてみて感じたのは、すべてが自分の責任になるということだった。うまくいかないことを相手のせいにできるクッションがなくなり、資産がゼロになっても、子どもがぐれても自分の責任になる。だからこそ、子どもと自分にとってのベストや幸せを本気で考えるようになった。それまでは、親が笑ってくれる、大人が褒めてくれる、多数の人が認めてくれるからと、本当はBを選びたいのにAを選び、認められないと悩むという、他人軸の生き方をしてきた。認めるかどうかは相手の問題で、自分にはコントロールできない。そこをコントロールしようとしていたことがつらかった、と語る。
公務員を辞めた最大の理由は、将来の自分への懸念だった。このまま続けても10年後、20年後には署長になれず、組織を変えるという思いも叶わない。そのとき、弱い人間である自分は矛先を子どもに向け、「ママはあなたのために我慢してこの仕事を続けてきた」と言ってしまうだろうと考えた。そう言われた子どもが「やればよかったじゃん、なんでやらなかったの」と返したら、返す言葉がない。だったら今やればいい、と思い、子どもが1歳になったころに退職を決めた。育休中のことだった。刑事は危険手当や遺体取り扱いの手当などが多くつくため給与が上がり、30歳の年収は700万円弱だったという。
保険に1億円、「無知は怖い」
退職時点で今の仕事を決めていたわけではない。お金が好きだと気づいたのは26歳ごろだった。25歳ごろまでは労働収入だけで貯金をしてきた。25歳で地方の署に転勤すると車が必要になり、500万円あった預金が、車や引っ越しで300万円ほど減って200万円になった。車の維持費もかかり、預金の増えるスピードが落ちたことに不安を覚えた。
そのころ車の保険のために上司からFPを紹介され、ついでに生命保険も見てもらった。貯金額を褒められて得意になっていたが、警察学校に入ったときに訳も分からず丸をつけて加入した保険に、多額を払っていると指摘された。今死んだら親に1億円ほど入ると言われ、実家で話すと「そんなにいらない」と言われた。知らないところでお金が出ていっていたことに気づき、自分はお金を貯められると傲慢に考えていたのに保険ひとつ知らなかった、無知は怖いと感じたという。そこからそのFPに頼んで保険、投資、社会情勢などを教わり、本も読んで、現役の警察官のうちに勉強を始めた。
投資で資産は4〜5倍に
不動産投資、仮想通貨、NISAなど、さまざまな投資を試した結果、30歳ごろには資産が4〜5倍になっていたという。預金だけでなく投資分も含めた計算で、2500万円ほどだったと話す。これだけあれば、離婚して退職し子どもと二人で生きていくことになっても10年ほどは大丈夫だろうと考えられたことが、決断の支えになった。
一方、警察官時代の周囲の人たちは、思ったほど資産を作れていなかったという。子どもが生まれると自転車操業の家が多く、独身でも使ってしまって貯まらない。聞けばみな投資は怖いからやっていない。そのため労働収入を得るしかなく、残業を簡単に選ぶ。日曜日に子どもと過ごしたくても、家計に余裕がなければ働きに出る選択をしてしまう。お金は人をより幸せにできるツールなのに、お金のために選択しなければならない「お金の奴隷」のような人生を送る人が、ゆいさんの感覚ではとても多かった。不動産投資をしていると話しても、紹介してほしいと言う人は一人もいなかったという。
28歳で始めた不動産投資は8年を経て今年売却し、数百万円の利益が出た。ゆいさんは、勉強したかどうかより行動したかどうかの差が大きいと考えている。不動産の知識はほとんどないまま始め、8年かけてやりながら覚えた。業者がぼったくりでなかったことも大事だったとしつつ、数百万円の失敗もあったなかで、次は失敗しないよう考えて行動を重ねてきたから、数年で資産が4〜5倍になったと話す。叶えたい夢があるなら必要なお金を作ればいいが、それには行動が必要で、行動の前にマインドがなければ良い情報があっても選べない。そのサポートはFPでなくてもできることだが、お金が好きなので退職後にFPの資格を取り、FPを名乗って人の夢を支える仕事をしているという。
退職後の最初の半年は、都内の会社の社長に雇われ、給与をもらいながらFPとして働いた。しかしノルマがあり、目の前の人の人生を豊かにするにはこれがいいと思っても、会社の利益のために別の商品を買ってもらわなければならない場面がどうしても出てくる。売るものがない状態でもっと軽やかに支援したいと考え、半年で独立した。
追い詰められる母親へ
子育てについて、ゆいさんは自分の弱さを知ったからこそ人に頼れるようになったと話す。頼れないと自分がきつくなるが、頼れば周りはいくらでも支えてくれる。お金が必要な場面もあるが、お金を出せる自分でいれば、お金で解決できることは解決してしまえる。お金にも支えられているが、やはり人が大事だという。
刑事時代には虐待やネグレクトの事件も扱い、なぜ母親が子どもに手を出すのか、痛い思いをして産んだ子の命をなぜ奪うのか、と思っていた。しかし今は、それが起きるほど育児にはプレッシャーがかかると考えている。ゆいさんの考えでは、人間は本来、母親一人で育児を担うようにできていない。男性が狩りに出ている間、女性は集落で子育てをし、隣の母親の乳を飲ませるのも当たり前だった時代が長く、それが人間にプログラムされている。だから一人で育てればイレギュラーが起こるのは当たり前だという。理想の働き方や生き方があっても、優しさや気遣いがあるからこそ他人軸で「こうあるべき」と我慢している女性は多いと、ゆいさんは見ている。
自身の幼少期についても、多くの場所に預けられたことを寂しかったとは思っていないという。コミュニケーション能力には自信があるが、それは子どものころに付き合ってくれた大人たちが自分を受け入れ、気持ちを伝えていいと思わせてくれたからだと考えている。親だけだったら引っ込み思案になっていたかもしれない。むしろ両親には、もっと預けて休んでよかった、と今なら言いたい。だから母親たちには、もっと預けて頼っていいと伝えたいという。
これからやりたいこと
退職の理由には「夢リスト」もあった。26歳のときに生きているうちにやりたいことを100個書き出すと、8割ほどが公務員のままでは65歳を過ぎないと叶えられないものだった。辞めたことで、それらがすぐに叶えられるものになった。叶えるとまた新しい夢が出てくるので、リストがゼロになることはないだろうと話す。
いま試作的に動かしているのは、豊かになりたい、夢を叶えたい、軽やかに輝いて生きたいという女性や母親たちが、思いを共有し、具体的に何をすればいいかを話し合える居場所としてのコミュニティだ。稼いで豊かになり、笑って生きる母親が増えれば、日本のエネルギーは倍になるはずだとゆいさんは言う。
事業としては、まだ漠然としている部分もあるとしつつ、海外にも目を向けたいという。警察という組織に影響を与えられずに終わったからこそ、今度は社会に影響を与えたいと考え、子どもの金融リテラシーを高めたいと話す。構想しているのは、学童の代わりに放課後に通える施設を全国に作り、子どもたちが当たり前にお金に触れ、豊かになるためのマインドやお金の知識を学び、仲間を作り、その絆が大人になってからのつながりになる、というものだ。さらに、今は経済が上向いている発展途上の国々もいずれ日本と同じような状況になる可能性があるとし、子どもが豊かに自分らしく生きられる教育の仕組みをそうした国に持っていきたいという。日本でできれば必ずできるし、もしかすると日本より先にそちらで実現するかもしれない。それが今の自分の頭の中にあることだと、ゆいさんは語った。
警察官自体は14年やって、そのうちの大体9年から10年ぐらい刑事という畑にいて、ずっと強行犯。警察学校にいた時に女性だけが集められて、その場の向かい側には男性の教官たちが同じ防具をつけて並んでいて、男性の教官と殴り合いをする。ボッコボコにされるんですよね。お前らは現場で泣けねえんだからなって。守りたいものがあるんだ。あるんだったらお前たちが一歩下がんなくちゃいけないことがある。自分がまず女性である、弱い人間であるっていうことを理解させるっていう訓練はありました。
女性だと女性が関わる事件を担当するっていうことが多かったので。保育園の男性の先生から性的なわいせつな行為をされた幼い男の子。4、5歳だと何がこの犯罪だったのかって分からないですね。
子供ってやっぱりその一番信頼しているママに話すことでママが悲しむとかママが泣くとかって、その未来が予想できたら話さないんですよ。で、先生も子供にとってはその犯人じゃないので、なんか違和感はちょっと感じながらも、先生を悪者にもしたくない。どうするかっていうのはすごい考えさせられた案件だったんですけど。
28で結婚、で産休育休を取って。パパは刑事の係長をやっていたので、係長の頭なわけですよ。休んで欲しい気持ちもあったけど、休めない現状があるのも知っている。何が正しいのかわかんないけど、私はこの育児をした、特に初めの1年間ぐらい、24時間こうやって一緒にくっついていることで愛情がそこに比例して増していくタイプではないって思って。いつ自分がちゃんと睡眠っていう状態になってるのかも分からずに、ずっとぼーっとした状態で。
子供が生後4ヶ月の時に、2階の寝室で子供をこうやってあやしながら、その小窓から外を眺めて、ここから飛び降りちゃえば、飛び降りて2人で死ねれば今より楽になるじゃんっていうのがよぎったんですよ。人の死はいっぱい見てきた。でも自分の死を考えることって人生でその時が初めてで。
よろしくお願いします。ありがとうございます。よろしくお願いします。お願いします。
警察やめたチャンネルさんにご紹介いただきまして。はい。ゆいさんは元々千葉県警で刑事をやられてたんですよね。
そうです。警察官自体は14年やって、そのうちの大体9年から10年ぐらい刑事という畑にいて、12年目あたりで妊娠出産をして、育休を2年取って、育休中に新しい自分の人生を歩もうと辞めてます。はい。
で、今現在はどういったことをされてるんですか?
今はファイナンシャルプランナーっていうお金の専門家を自分で起業してやっているので、独立系のファイナンシャルプランナーっていう感じですね。
このチャンネル、生まれてから順番にお話をお聞かせいただくっていうのが趣旨なんですけど。はい。生い立ちからですね。ゆいさん、今おいくつとか聞いてもいいですか?
今年36になりました。
生まれはどこなんですか?
千葉県の我孫子なので、今ちょうど撮っていただいたこの地が、私の人生が始まった土地ですね。
ご両親は何をされてる方だった?
2人とも警察官をやってまして、警視庁の警察官をやっていて、両親も定年してて。
父も母も2人とも刑事ですか?
父は刑事ですね。刑事と、あと父は特殊部隊が長いので。
で、刑事をやりたくてやったんだけど、ちょうどその頃私が小さくて、母は子育てをしているっていう時期だったので、やっぱ刑事って危険もあるし、夜勤もあるし、招集って言って夜中に呼び出されるみたいなのもあるので、子育てをするこの大切な時期にそれはやめてくれっていう両親の話し合いがあって、父はやりたかった刑事を途中でやめて、ある程度子育てっていうところにもサポートができるような部署に異動したり、あとは体動かすのが好きなので、そっちに行って訓練をしたりする日々っていうようなのを聞いてます。
で、お母さんは普通に警察署勤務みたいな。
母は交通課が長いですね。免許更新とかで警察署に行ったら窓口に何人か警察官が座ってたりするようなあそこだとか、取り締まり、駐車禁止の張り紙を貼って、あの辺りが結構女性の警察官の仕事っていう部分があったので。
とはいえでもご両親共働きじゃないですか。ご両親と過ごす時間って満足いくぐらいあったんですか?
私は全然満足はしていたし。でも阪神淡路大震災があった頃が私5歳ぐらいの時だったんですよ。その時に両親2人とも警察官として派遣されるっていう風になって、2人とも行くので、私1人、その時は母の実家が宮城にあるのでそっちの方に預けられて、1、2ヶ月ですかね。
なので、行ってた地元の保育園をお休みしてそっちに行って、おじいちゃんおばあちゃん、あといとこと一緒に生活をするっていうようなことがあったり。小さい頃の記憶にあるのは、両親から「お父さんとお母さんは国民を守る仕事をしているから、何かあった時にゆいよりもその国民を優先しないといけないっていうことがあるんだ」っていうのは言われてたんですね。
言われてたんですね。言われて。
言われて。だからおばあちゃんちに預ける、両親とも帰ってこないみたいな可能性もあるから、それは覚悟をしておいてねっていうのは言われて。
ボロ泣きですよね、言われたら。
なので、悲しいっていうよりは、すごい仕事してるんだなっていう印象が強かった。
小学生ぐらいになった時に、実家が一軒家で、玄関から出て出勤する両親っていうのが客間の窓から見えるんですよ。両親が駅に向かって歩いていくのをずっとこうやって窓から手を振って、もしかしたら帰ってこないのかなみたいなのを、毎日必ずやってたし、今日までの生活って明日も続くとは限らないのかもしれないみたいなのは心のどっかにありながら、父と母を見送って、父と母が帰ってくるのを待ってるっていうのが当たり前の生活だったかなと思ってます。
そういう国民を優先しますとか、そういう姿を見てるけど、やっぱりそのご両親に憧れて警察になりたいなって思うんですか。
そうですね。やっぱり両親がそこまで仕事に命かけられるってすごいなって思いましたし、かっこいいってその頃の自分は本当に率直に思ったんですよね。そこの子供でいるから、私は周りの子よりもちょっと違うんだみたいなところが、逆にちょっと特別感みたいな感じでいましたね。
じゃあちょっと自分特別だなっていう気持ちがあった。
私の1つの個性なのかもしれないんですけど、周りと一緒は嫌だなみたいなのが先天的にあって、ちょっと違うっていうのをエネルギーにできる体質でもあった。
でもやっぱり子供だから寂しさももちろんあったんですけど、その寂しいを出すことで親がそれで笑わないのも分かるし、自分もその仕事をやりたいっていう気持ちはあるし。からしたら寂しがり屋だったかもしれないです。
寂しいと思いつつも、子供ながらご両親がやりたいようにやらせてあげたいじゃないけど。
そうですね。あの頃やっぱいろんなところに預けられて、いろんな大人が私をサポートしてくれていたので、両親だけじゃないんだっていうのはどこかで感じている部分はあったのかなって思っていて。保育園の先生も大好きでしたし、ファミリーサポートで預かってくれるおばちゃんたちも大好きでしたし、大人が結構大好きだった子供だったなって。
5歳の時にはお巡りさんになりたい、警察官になりたいっていう気持ちを持っていて、それがずっと高校卒業まで変わらなかったって感じです。
すごいっすね。僕それはなかったっすね。
そうですね。やっぱりロールモデルが自分の一番近くに、母親と父親。特に母親ですよね。母親が叶えられなかった。母親は刑事を本当はやりたかった。やっぱり刑事課っていうところをやりたかったっていうのはあったけど、お前は女だから、お前には子供がいるからっていういろんな理由をつけられてできなかったっていうところに後悔をしている部分があるんだなっていうのは思ってたので。母の夢でもあって、自分の夢でもある警察官になるんだ、刑事になるんだっていう風に、それを私が叶えられたらどんだけみんなで喜べるかなって思ったり、誰でもできることじゃないからこそ私はやりたいし。
大学に行って警察官になる方もいらっしゃるので、両方の道があったし、高校の先生たちには大学卒業してからでいいんじゃないとか言われたんですけど、そうすると4年間大学で勉強する期間がある。その4年間実務をやっていた方が、私がこの手を差し伸べられる被害者の人たちっていうのは増えるよなって思ったので。それに気づいてからは、大学に行く私の中での必要性っていうのが一気に下がって。目的がなかったから、もちろん大学受験自体もうまくいかなかったし、勉強もそんなにすごく楽しいと思ってやってたわけじゃなかったので。でも警察の仕事だったら私は楽しくできるし、目的がはっきりしている。じゃあ早くそっちに行きたいっていうので、高卒で。
もう1年、浪人じゃないすけど、その警察に入るための勉強して、で、1年後に入ると。
そうです。
スポーツは結構色々今までやってきて、小学生の時に少年野球を6年間やって、あと新体操もやってましたね。中学に入る時に全部それをやめて、中学校の部活はバドミントン。体力には自信があったんですけど、警察に入って一気に今まで自分の持っていたスポーツ、運動に対する自己肯定感が下がりまして。全然私運動できないじゃんみたいな。走るのも遅いし、筋トレしても重いの持ち上げられないし、警察官の中では弱いんですよ。もう最後は拳銃なんだろうなみたいな。
ああ。
私は拳銃をちゃんとうまくなってかないと自分の身を守れないのかもしれないみたいなのは警察学校にいた時に感じましたね。
評価こそは女性同士で比べられるけど、入ってからもやってることはもう男性と一緒みたいな。
そうです。警察官としての評価は男性と一緒です。
混ぜて一緒にされるんですか?
一緒です。男性と女性で倍率が警察官って違うんですけど、やっぱり女性の方が倍率が高いですよね。枠が少ないので。当時私の時で、10人警察官がいれば女性は1人みたいな割合だったので、その高い倍率で入ってきてる人たちだから。やっぱり初め入ってくる時ってほとんど試験なので、体力試験も一応やったんですけど、見込みもできるんですよね。
腕立てとかちょっと足りないかもしれないけど、警察学校で鍛えるしとか。体力だけじゃないので、警察官で必要なところって、この法律の刑法、刑事訴訟法、諸々、警察が扱わないけど警察で知っておかなくちゃいけないような法律、個人情報とかも、トータルで色々成績をつける部分があったり、あと積極性とか、普段の、部屋もめちゃくちゃきちんとしておくよう指導されるんですね。
で、抜き打ちで教官が入るんですよ。
へえ。
例えばそれで散らかっているとか、あとは本当は持ち込んじゃいけないもの、例えばヘアアイロンとかを持ち込んでる同期もダメなんです。
へえ。
ピアスが元々開いてましたよって子は閉じて入らないといけないので。
入学前に閉じないとダメな。
そうです。
ピアスをつけちゃいけないのにもういらないでしょってなって、身体検査が結構初めにあって。
穴がないかみたいな。
そうです、そうです。入校するその当日ですかね。全身を見て、髪が長かったら警察学校の中に床屋さんがあるので、そこでなかなか現代では見ないようなカットをされる。
床屋さんあるんですか、警察学校。
そうです。耳にかかっちゃいけないとか。この年頃の女性だとやだなとは思うんですけど、でもそれで心なしか長くされたらされたで、今度お風呂も入る時間が決まっているんですよね。特に初めの1週間ぐらいは本当に入ってられる時間って3分とかなんですよ。
そうで、その脱衣所に女性の教官がこうやって立ってて、まだあったかくないけどジャーって言って洗って、で、ドライヤーとかもやって3分で退場をする。なので長いといいことないんですよ。
なのでもう逆に本当にバリカンでやってくださいぐらいなんですけど、坊主もダメ。あんまり剃りすぎると。
一応警察学校内は坊主じゃなくてスポーツ刈りとか、結構細かい決まりが。
細かいっすね。
当時はあって。だから女性ももっと短くしたいって思っても、その決まった髪型に。
女性もそのベリーショートの中でもベリーすぎたらダメみたいな。
そう。おしゃれベリーショートはいなかったです。
おしゃれ坊主みたいな。
いなくて、本当に決まった。
ちょっと軍隊とか、また刑務所みたいな生活なんですね。
そうですね。警察自体が歴史上を見ると元々は軍隊なので、みんな制服っていう同じ格好をするし、同じ時間に同じご飯を食べて、同じ時間にお風呂に入って、同じとこで寝て。で、クラスで誰か1人があまりよろしくないことをして指摘されたら全員で責任を取るっていう。全員で1人のために10km走るとかする。
そうなんすか。
さっきおっしゃってた、女性警察官である以上、結局拳銃だなって思うようになるのは、女性警察官だけ特別そういうことを思うような教育みたいなのがあるんですか?
女性って生理的に男性には敵わないっていうところがあるけど、そこの認識がやっぱり20代ぐらいだと私も含めて甘いんですよね。なのでそれを体感的に理解させるっていう訓練はありました。
女性だけが集められて、授業とかも全部終わった時間外に道場に集められて、剣道の面つけて、剣道の胴つけて、ボクシングのグローブみたいなのつけて。その道場の向かい側には男性の教官たちが同じ防具をつけて並んでいて、男性の教官と殴り合いをする。
マジですか?
はい。ボッコボコにされるんですよね。やっぱり男性教官たちはみんな鍛えてもいますし、まず男性だから敵わない。顎を外す人とか、あざができる人とか、失神する人とか出るんですよ、その訓練って。でも大泣きしながら、自分って弱いんだっていうのに気づかされる。
で、お前らは現場で泣けねえんだからなって。守りたいものがあるんだ。あるんだったらお前たちが一歩下がんなくちゃいけないことがある。男の犯人が現れた。ボブ・サップみたいなのが現れた時に、私たちが正義感強いから行きますって女性が前に出ることで、お前を守るために他の奴らが犠牲になる可能性だってあるんだ。だったらお前は一歩下がってて、男性がその大きな体の犯人の相手をする。で、お前はその人たちができないことをする。例えば無線で応援を求めるとか、場合によっては肉体で敵わないような相手だったり、凶器を、ナイフだとか日本刀だとか、それこそ拳銃だとかを持ってた場合には、誰よりも早く拳銃を抜くっていう判断をするとか。
他に何ができるかっていうのを考えるっていうのが、女性は男性よりも必要になる場面が多くなる可能性がある、現場に行ったら。そして警察官って自分が死んじゃいけないんだっていうことも教わるので。バンって警察官が撃たれて死んじゃったら、国民の人たちはまた不安になるし、そこにいる国民みんなもしかしたら殺されちゃうかもしれないよね。それは起こっちゃいけない。だから自分は絶対に死んじゃいけない。守りたいものがあるんだったらっていうのを警察学校の中で教わる機会っていうのは本当にたくさんあって。
ボコボコにされるみたいな訓練とかって、あってよかったなって思いますか?心折れますか?
あって良かったと思います。特に私みたいな正義感前のめりで警察官になっているような人間って、気持ちはすごい、国民を守りたいぞっていう、自分が警察官だから守るぞっていう気持ちはあるから、それを教わってなかったら私多分出てっちゃう。
でもそれじゃいけないんだっていうのって知らなかったですし。中学生、高校生とずっと学級委員やってたんですよ。人の前に立って私がリーダーって言って人を引っ張るみたいな、勝手にできる人みたいな自信を、それで壊してくれたんですよ。
過信というか。
そう、そう。私なんて本当ちっぽけだし、自分がまず女性である、弱い人間であるっていうことを、頭だけじゃないですよね、体全体で腹落ちをさせておかないといけないんだなっていうのを、警察学校の訓練では気づかされたなって思います。
警察学校は何年行くんですか?
高卒だと10ヶ月。
10ヶ月。そっからじゃあ交番勤務。
そうです。
刑事になるのは何年目なんですか?
私の場合は1年半ぐらい交番をやった頃に、試験を受けられる権利ができたよって言われて。推薦をもらわないと受けられないので。刑事をやりたい人ってまあまあその時いたので。でも私以外全員男性だったんですけど。
やっぱ女性っていないんすね、そもそもやりたいって人が。
やっぱり死体っていうところに抵抗がある方っていうのは刑事は目指さない、目指せない部分でもあったり。あとは殺人事件があって犯人が逃げてますとかってなると、本当2日間寝ないとか当たり前にあるので。ずっとその犯人を追い続けるっていうので。他にもいろんな警察官としてやる仕事っていうのはあるので、わざわざ刑事を選ぶかって言うと、女性では少数派にはなってくるのかなって思う。
その試験はどうだったんですか?
その試験はそうですね、おかげ様で。ただやっぱり女性ですし、体も小さいですし、警察学校で成績が良かったですなんてあんまり関係ないので。となるとやっぱ他の男性よりも、私はこの警察署での推薦を1番でもらいたかったんですね。この推薦を1番でもらうために目立たないといけないって思って、初めの交番をやってる。
この交番勤務って三交替って言って、24時間勤務をやって、次の日が非番。非番の日に自分の仕事を早く終わらせて、刑事課にお手伝いに行くんですよ。
そういうのも結構アピールになるんすね。
アピールに。
へえ。時間外で。
時間外で、あと休みの日も行って。
この防犯カメラちょっと見て、こういう服装の人いたら教えてとか、ずっとこうやって1日中見てとか。で、女性の被害者の方にお話を聞きに行くってなった時に、話を聞くのは男性だけど、やっぱ横に女性がいた方がその被害者の方が安心するよねって言って、立ち会いで一緒に行ったりだとかっていうので、結構重宝して使ってもらって目立ってたので、推薦1番で試験を受けさせてもらって。
試験も受かって。
そうで、刑事専門の今度勉強する入校をして。
めでたく刑事に。
そうですね。
2年半ぐらいか。
2年半ぐらい経った頃に刑事になってます。
じゃ、その所属の警察署の刑事。
刑事に。
そのおられた警察署には女性の刑事って何人ぐらいですか?
4人とか5人。
それでも多い方だね、結構。
多い方ですね。大きい警察署だと、女性が必要になる場面っていうのも、案件も多くなるので。
担当する事件とかってどうやって決まるんですか?
私は巡査っていう1番下の階級で入ってるので、そこで島っていう、自分のチームみたいな。でその係長がどの事件を扱うかで一緒にやってくみたいな感もあるんですけど、やっぱ女性だと、女性が関わる事件を担当するっていうことが多かったので。
多かったのは性犯罪とか、あと子供が被害者になるような犯罪ですね。供述調書を取ったり、心のケアの部分のサポートをしたりっていうところをやることが多かったかなって思います。
やっぱ女性がいるだけで全然違うんですかね。
そうですね。実際女性がやらなくちゃいけないって決まっているわけではないので、男性でもできるんですけど、特に性犯罪の犯人ってほぼ男性になってくるので、となるとやっぱりこの被害者側が女性になる割合が多い。ってなった時に、男性から聞かれるのと女性から聞かれるのとだと、精神的な苦痛の部分で女性から聞いた方がいいよねっていう風に思う方もいらっしゃいますし。
結構子供が被害者になる犯罪って、やっぱり子供って特に幼少期はお母さんへの信頼がすごく強いので、男性よりも女性の方が話しやすかったり、心打ち解けるのが早かったりする部分もあって。具体的なところだと、保育園の男性の先生から性的なわいせつな行為をされた幼い男の子が。
男性から男性。
そうですね、あります。女の子もあるんですけど、やっぱり4、5歳だと何がこの犯罪だったのかってわからないですよね。で、だから親も気づかない。でも何かしら不意に子供が、今日こう何々先生とおトイレに行ってねみたいな話をした時に、親が違和感で、それどういうことみたいな。で警察に相談があって、じゃあ話をもうちょっとその子から聞きましょうってなった時に、子供ってやっぱりこの1番信頼しているママに話すことでママが悲しむとか、ママが泣くとか、その未来が予想できたら話さないんですよ。
子供ながら分かる。
で、先生も子供にとってはその犯人じゃないので、なんか違和感はちょっと感じながらも、でも先生は大好きみたいな感情があるからこそ、先生を悪者にもしたくない。ママも悲しませたくないって言うと口を閉じたりするんですよね。
へえ。
なのでそこでどうするかっていうのはすごい考えさせられた案件だったんですけど。でもやっぱりなんとなく男性よりも女性の方が、話をもししてくれるとしたらするだろうなっていう感覚はあって。初めはその子と普通に遊ぶとか、おもちゃで遊んだりとか、何が好きなのってお話ししたりして、この大人には何を話しても大丈夫なんだっていう風に思ってもらう。で、思ってもらって、その大好きな先生と何したのっていうところを。ママにこれが伝わるのかどうかを本人は気にしたりもするので、だからそこを、大丈夫なんだよって、話していいんだよって。
どうして私たちが今ここにいるのかっていうのも本人が分かる範囲で話して、こういう人形を使ったりとかして、どういうことをされたのかなっていう話を聞いたりだとか。どこがママには知られたくないかなとかっていう、本当に断片的にいろんな話を結構長い時間をかけて聞いて、であとは客観的な証拠でそれを裏付けしていくみたいな。
すごい。そんな感じで子供の心理をおもんぱかって。
そうです。
結局銃を抜くしかないんだなみたいなとこもあったじゃないですか。で、現場でそういう場面とかあったんですか?
実際に私自身はないんですけど、本当は多分ここで私は拳銃のことを考えておかないといけなかったなみたいな案件はあって。交番をやってた時に、女性の悲鳴っていう110番が入ったんですね。GPSでこの辺の場所なんだなってのは、交番が近かったんで上司と走って行ったんですよ。多分この辺のアパートだな。よし、もうトントンって全部当たるしかないねって言って、上司と手分けしてトントンってやってったんですけど。
この中から女性の声が聞こえる。ギャーって声が聞こえると思って、鍵がかかってなかったので開けたら、壁も床も血だらけだったんですね。で、その血が廊下にもあって、その廊下の中腹あたりに女性が倒れていて。何が起こったのか私も見ただけじゃ分からなくて。やっぱ人命救助って何よりも優先しなくちゃいけないので、まずはこの人の出血箇所とかを見つけて止血をしたりだとかしなくちゃいけないなって思ったんですけど、何かの現場であるのは間違いないんですよね、犯罪現場で。
ただ何の犯罪かは分からない。そこで考えられるのって殺人未遂、結構大きな案件だなっていうのはなんとなく感じながらも、そうすると現場を壊しちゃいけないっていう気持ちもあるんですよ。もしかしたらその犯人の足跡とか、犯人の何かしらの痕跡がこの辺りにあるかもしれない。ここに血がたくさんあるんだからって思ったら、私が入ることでそれを壊したくないなっていうのもあって。どうやって女性のところに行こうかなみたいなのもありながら、女性はキャーって言いながらもリビングの方を指さしているんですよね。
はい。
もしかしたら向こうに犯人がいるかもしれないなって。でもドアが閉まってるんですよ、リビングに繋がるドアは。犯人がいるかもしれないそのリビングに早く行ってその犯人の確保をすべきなのか、その手前にいる女性を救護すべきなのか、でもこの現場を壊さないために入らない方がいいのかが、もうその時私も冷静じゃないので、どうすればいいのかわからないなって。でもまずは女性から話を聞かないとわかんないし、救護が先だよなって思いながら、どうにか自分の足跡とかをつけないように廊下の方まで伝って女性に手を伸ばしたら、ガってこうやって引っ張られて肩とか掴まれて、助けてって言って。
リビングに何があんの?誰が来たの?って言ってもアーみたいな、もう混乱していて。もし本当に奥に犯人がいた場合に、私がそこに入るんだったら拳銃を抜く覚悟をしておかないと。もうナイフが使われているのは明らかだった。もしかしたらこっちに戻ってきて、その女性を人質に取ったりだとか、女性をさらに刺したりだとか、もしかしたら私にナイフを向けてくる可能性もある。その時に部屋で狭いです。ってなったら拳銃を抜く決断、抜くかもしれないなっていうのを前提にいないといけなかったんだろうなって振り返れば思うんですけど、当時の自分はそこまで考えられずに、まずは女性の方にって言って。
で、体をさすって一旦落ち着かせて、何があったの?っていうのを聞いたら、内容としては、そこの1人暮らしの部屋で、夜にその女性が帰ってきた。で、部屋に入って、リビングに行ったら男が立ってた。全然知らない男が立ってて、ナイフを出されて、静かにしろ、騒ぐなって言われた。で、キャって言ってそのまま玄関に逃げようとした。
でも玄関は自分で鍵を閉めてたので開けないと出れないんだけど、もう気が動転してるので開かないって言ってここでやってるうちに、この犯人が後ろから近づいてきて、ナイフをこうやって出してるから、刺されたくないっていう本能でこうやってナイフを掴んで、それで手が切れてたんですよ。
おお。
で結局その犯人はその後すぐにリビングの方に行って、リビングの窓を開けてそこから逃走をしているので、その場にはいなかった。
ですけど、1年後だったかな?後から聞いた話ですけど、捕まって。空き巣で入って物色してたら家主が帰ってきて、女性だし脅せば静かになるだろうなって言って脅したら、逆に静かにならなくてナイフを掴まれて、ああもうどうにもなんないやって言って逃げましたっていう。あれ捕まったよみたいなのを当時の刑事課の人から教えてもらって、ああ捕まったんだって。
刑事を1年ちょっとやったぐらいで、まだ巡査のまま海の方の警察署に異動したんです。
はい。はい。
強行犯係って結構女性が必要な、性犯罪を扱うので必要な係で。1署目で私が刑事をやってた時は泥棒関係のところにいたんですよ。盗犯って呼ばれるんですけど。元々強行犯をやりたいなっていう気持ちも当時あったので入れてもらって。そこからはずっと強行犯係をやってますね。
やってみてどうでした?強行犯。それこそ花形っちゃ花形のイメージがあるんですけど。
そうですね。花形と呼ばれるところですし、やっぱり常に何かしらの事件が入った時に1番初めに動くのが強行。実際に目の前でナイフを持った男が暴れてますみたいな現場だったりとか、今男がこの人を殴って逃げようとしてますとか。110番が入った瞬間に走って覆面のパトカーに乗って、緊急走行って言って赤色灯をつけてウーって回しながら現場に行くっていうのが日常茶飯事みたいなのが強行犯っていう。
それこそ殺人とかで対面とかってする機会とかありました?
ありますね。
ありますか?
あります。犯人と、取り調べをするのもそうですし、1番初めにあなたを逮捕するからねっていう時に、逮捕状の内容、被疑事実って言うんですけど、あなたがやったこと、これ間違いあるかないか、そこで回答を得るために読んで聞かせるみたいなのもありますし、結構あるんですけど。多分殺人犯って聞くと、めっちゃ凶悪なすごく怖い普通じゃない人みたいなイメージありません?意外と普通なんですよ、みんな。
そうなんですか。
実際に殺人っていう事件の被害者と被疑者、犯人の関係性っていうのって、8割9割、家族なんですよ。
へえ。
なので本当にニュースで出るような通り魔みたいな、全然何の関係性もなく急に殺されてしまいましたとかっていうのって、パーセンテージとしてはすごく低くて、ほとんどが家族とか親類関係で、顔見知りの状態で感情的にアクションがあったっていうものが多いので。本当に昨日まで、数日前までは普通の人でしたよみたいな。周りのご近所さんも、仲いい家庭ですよっていう印象のところで。でも家庭内ってやっぱりクローズな場所なので見えてないものがたくさんあって、でそこで殺人事件って実は起こることが多かったので。
へえ。じゃあ逮捕した時って落ち着いてるって感じ。
そうです。もうその時点で後悔をしている人もたくさんいますし、理性よりもやっぱりこの感情が先に出てしまったから、例えば刺しちゃったとか突き飛ばしちゃったとかっていうことの方が多いので。ことを考えた上で計画的に人を殺しましたよっていう人って全体的には少ないですね。
そうですね。
14年で辞めるんですか?
14年やりました。その時は巡査部長ですね。
なんで辞めようと思うんですか?
警察とか何かの組織を辞める人って多分2つのタイプがいて、その組織が嫌いで辞める人と、その組織は嫌いじゃないんだけど辞める人。私は後者なんですよ。全然組織好き。むしろ好きっていう。私はその組織で署長になってこの組織を変えてやろうぐらいに思っていたので、辞める気なんて本当に全然なかったですね。もう何歳でどの階級に行こっかなみたいなのを考えて生きてきた。
実際女性でもそういう人いますか?署長になると。
あんまり言葉に出してる人はいないですね。言ってると、なんだこいつみたいな感じはありますよね。
女性だから。男女関係なく。
男女関係なくかなって。女性の署長が出ている県もあるんですけど、千葉は多分今もまだ出てない。やっぱり署長っていう風になってくるとそこまでの経歴とかも必要ですし、大体40の半ばぐらいまでに課長職をやらないと、60ぐらいまでに署長になっておくっていうのは時間的に叶わないですよ、計算すると。
でも40半ばって結構。私今36だから、結構もうすぐっていう感じなんですよね。で、そこに子育てが入ってきた時に、子育てをしてたら署長になるって相当難しい。だから家庭なのかキャリアなのかっていうのを選ばないといけない。私がそこに気づいたのは妊娠してから。妊娠した、じゃあこれから育休取ってみたいな。
で、子供何人欲しいなって思ったら、このくらい育休取るでしょ。そうすると復帰がこれくらいでみたいな。で、時短勤務やってってなった。あれ、署長なくない?みたいな。
そっか。
そう。
結婚したのはいつぐらいですか?
28で結婚。31で産休育休を取って、で育休2年取ったので、31、32、33で離婚と退職を一気にしてます。
そっか。
さっき言ったようなことに気づいたのはもう結構10年ぐらい超えた時。ちゃんと持ったのって31ですね。
やっぱり私がまだ警察官なりたての、本当20、21、22ぐらいの時の自分の上司たちで、私を自分の娘かのように可愛がってくれる人たちもたくさんいて。その人たちに言われたのって、私がバリバリやってくぞ、署長になるぞみたいな勢いだけある人間だったので、本当に落ち着かせるように、女性の幸せって何だと思う?みたいな。
え、キャリアを上げることじゃないんですか?みたいな。
結婚して子供を産んで、その時に別にこの仕事を必ずやらなくちゃいけないわけじゃないんだぞって言われて、その時なんだかよく分かってなかったんですよ。へえみたいな。私出世しますみたいに思ってたけど、多分言いたかったのってそういうところなのかなっていうのは、そこから気づきましたね。
実際に今警察官として働いてる女性も、みんながみんなキャリアを上げたいわけじゃないんですよ。私みたいな人がキャリアを築きやすいものを作ったら、逆にそれが負担になる職員の人たちもいる。いや、私キャリア上げたくないし、子供のために時間を使っていきたいし、だから時短勤務とかもちゃんと取って。逆にキャリアを上げるイコール背負う責任みたいなのも増えていくので。
母親とかっていう視点からすると、その女性がキャリアアップ推進みたいになった方が困るみたいな人も。
いるんですか?
いると思います。むしろそっちの方が多いと思いますし、やっぱり女性として子供との時間ってかけがえがないっていうのは私も子供を産んで感じるので。私もそうだと思っていたんですけど、子育てをやってみたら思いの外自分が子育てが苦手で。
そうなんです。
結婚されたのは同じ警察関係なんですか?
そうです。同じ刑事をやっている方ですね。
するんですね。
はい。
これはじゃあご両親みたいにじゃないですけど、ワンオペみたいになってくんですか?
そうでしたね。やっぱ育休制度とかが今男性も取りやすくはなってきているんですけど、パパは刑事の係長をやっていたので、係長ってその島の頭なわけですよ。
はい。
長く抜けるっていうのが、組織としてはオッケーって言ってるんですけど、じゃあその人が抜けた穴って埋められるのかって言ったら、そう簡単には埋められない。パパのキャリアに今後全然影響しないよ、不利にならないよって言えるかどうかって、未来に進んでみないとわかんないんですよね。
休んで欲しい気持ちもあったけど、休めない現状があるのも知っている。でも休んでもらったからって楽になるかもわかんないんですよね。
うん。うん。
何が正しいのかわかんないけど、私はこの育児をした、特に初めの1年間ぐらい、子供って私がいないと生きていけないですよね。24時間ほっといたら死んじゃうので、1歳になるまでの子供なんて特に。ってなった時に、私なんか24時間こうやって一緒にくっついていることで愛情がそこに比例して増してくタイプではないって思って。
へえ。はい。むしろきつい、一緒にいすぎると、みたいな。
もうだって寝れないんですよ。
うん。
細切れで2時間とかしか寝れないんですよ。2時間すれば泣いておっぱいをあげて。で、いつ自分がちゃんと睡眠っていう状態になってるのかも分からずに、ずっとぼーっとした状態で、何が食べたいとかもあんまりなくて、とりあえず寝たい、でも寝れないみたいなのを繰り返しながら。
私は子供が生後4ヶ月の時に、当時一軒家に住んでたんですけど、2階の寝室で子供をこうやってあやしながら、その小窓から外を眺めて、泣いて泣き止まない、もうどうしたら泣き止むのってやっている中で、なんかここから飛び降りちゃえば、飛び降りて2人で死ねれば今より楽になるじゃんっていうのがよぎったんですよ。
結構私、人生全体的に楽観的に生きてきてるので、人の死はいっぱい見てきた。でも自分の死を考えることって人生ではその時が初めてで。この子だけが死んで私が生き残るのもやだ。私が死んでこの子だけが生き残るのもやだ。じゃあ2人で死なないといけない。でも2人で死ぬにはこの高さが足りないみたいな。ああ、なんかそんなところまで考えてしまっているな。
子育てってピンクとか黄色のオーラに包まれたすごく幸せなものだと私は思って、それを想定して結婚もしてる、妊娠もしてる、出産もしてるのに、現実はもう灰色の世界なんですよ。誰も助けてくれないし、私はずっと1人、この子はずっと泣いている。何も楽しくないし、寝れないし、寝たいっていう欲求すらも叶わないみたいな。育児の何が楽しいんだろう?みたいな状態になって。
そこから市役所のファミリーサポートさんだとか、ご近所のシッターさんだとか、そういったいろんなサポートを、市役所に行って教えてくださいって、何でもいいから子供を預けて私寝たいですって言って、いろんな支援があるよっていうのを教えてもらって、それを使い始めて。
初めての時は生後半年ぐらいだったんですけど、子供を初めに数時間ですって言ってご近所のシッターさんに預けて、で家に帰ってきて1人であったかいお茶を飲んだ瞬間、もう涙が止まらなくて、ボロボロボロボロ泣けてきて。1人ってこんな静かで、こんなに落ち着いてるんだ。私は何ヶ月この状態を忘れてたんだろうみたいな。何ヶ月自分のことを考えてなかったんだろう。数ヶ月自分のことを考えて自分に目を向けてないだけで、人って死にたくなるんだみたいな。
ここで何かしら起こさないと、また同じことが起こるなって。で、じゃあなんかやんないとなって言って、そっからガンガンもういろんな人に預けて。何か用事があるわけでもないんですよ。だけど私は休みたいから預かってくれって言って預けて。やっと自分の状態を少しずつですけどいつもの状態に戻してきた時に考えたことが、どうやって死にたいんだろうみたいなことを考えたんですよ。
そしたら棺に入る時に、やりきった、めっちゃ私幸せだった、ありがとうって言って死にたいなって思ったんですね。今死んだら、私は子育てもできなかったし、刑事にも戻らなかったし、何やってたんだろうみたいな。
じゃあ私が笑える選択をこれからしていこう。そのために何をすべきかなって考えた時に出てきたのが、離婚と公務員を退職するっていうことで。
なるほど。
離婚っていうのは、子育ての面で協力してくれなかったなっていうとこなんですか?
うーん。もちろんこれをやって欲しかったが全くないかって言うとそうじゃないんですけど、パパが悪かったんだっていう落としどころには私はなっていなくて。ちょっとあちらはわかんないんですけどね。
わかんないんですけど、なってなくて。結論、これ言っちゃうと世のパパがちょっとガクブルするかもしれないんですけど、私がパートナーに執着していたところから、そこを手放し自立に走ったからなんだろうなって。
うん。どういう意味ですか?
えっと、例えばですけど、パパの稼ぎがなくても私生きてけるわ。だって資産あるし。で、私が動けば稼げるし、ってなった時に、私はパパと一緒にいて笑顔じゃない自分がいたので。
なんで笑顔じゃなかったんです?
お互いが期待し合ってたからだと思います。お互いに。これやってくれるだろうとか、こういうギブしたんだから、こういうテイクがあって当たり前だよねっていうのをお互いに持っていた。子育ての面もそうですけど、子育て以外の面も。で、やっぱりそこでお互いが、お互いに対して執着をしていて繋がっていたところ、お互いがそれを愛だと思っていたと思うんですよ。執着が。
そう、あ、私の見解ですけどね。執着が愛だと思っていたんですけど、私は子供が生まれて、子供に自分の時間を全投下して、で、これも愛なわけですよ。でもそこに、このギブに対してテイク求めてるかって言うとね、ねえねえ、私さ、おっぱいのマスターだからなんかしてよって思わないんですよね。
愛って本来多分そっちで、それが気持ちいいなのに、こっちの執着だとそれが起こってないんですよね。なんかくれないの、みたいな。勝手に期待して勝手に裏切られたって思うっていう愛をやってきてしまって、いなって思って。
なるほど。
私ここの執着外した方が、本来の多分心地よいの方に全投下ができるし、そっちの方が私は笑ってられる。すごく自分が軽やかになるなっていう直感もあって、離れるっていう決断をして。はい。実際にその直感は当たってたなと。本当に軽やかに生きれるように。
あ、自由ってこういうことなんだ。もちろんね、束縛されてたとかっていうわけじゃないけど、全てが自分の責任なんですよ。今までだったら、自分がうまくいかなかったことを相手のせいにできるっていうクッションがあったんですけど、例えば今自分が資産0になったとしても、それ全部私の責任。子供が例えばグレちゃったとかってなっても私の責任。それをどっかに「あなたの責任でしょ」っていう風に持ってく場所がなくなったからこそ、あ、じゃあどうしよっかな。どういう未来に行きたいかなっていうのを考えながら、子供と私のベストは何なのか、幸せって何だろうとか。
そっちの方が本当に合ってたんです。合ってたって言ったらあれですけど、自分軸思考って言いますか。
うん。そうですね。
多分他人軸で今までそこまでは生きてきていて。だから相手にどう見られるかなとか、こうやった方が、例えば子供の時はね、お父さんお母さんが笑ってくれるとか、こうやったら大人が褒めてくれるとか。自分は本当はBを選択したいのに、ずっとAを選択してる。Aの方が多数の人たちが認めてくれるから、みたいな。認めてもらえなかった時に、なんで認めてくれないんだとか、私は何がいけなかったのっていうね。そこって認めるか認めないかって相手の話で、私のコントロールできない場所なのに、コントロールをしようとしている自分が、多分そこが結構きつかったところから、全て自分の責任ですね。
もうパートナーもいないし、仕事だって公務員でも何でもなくなったから、この日から全ての自分の人生、子供の人生、全部私の責任でどうにでもすることができるってなった瞬間に、本気で人生を考えるように。
公務員はなんで手放したんですか?
それ1番の理由は、このまま私が公務員を続けてた10年後20年後ぐらいに、私は署長になれてないわけですよ。その頃はもう署長になれない。だから思ったようにこの組織に影響を与える、組織を変えるっていう自分のイメージも叶えられてなかったら、じゃあどこに自分はその矛先を向けるかって、弱い人間なので子供に向けちゃうと思ったんですよね。
ママはあなたのために我慢してこの仕事を続けてきたの。本当はもっとこういうことがしたかった、キャリア上げたかった、影響与えたかった、みたいなのを言っちゃうなあって思った時に、じゃあその時の自分の子供から何が返るかって、当たり前に「え、やればよかったじゃん、なんでやらなかったの」って言われた時に返す言葉ない。やればいいんだって。じゃあやめようって思って、やめるみたいな。
そん時お子さん何歳ですか?
1歳にちょうどなったぐらいですね。
そうなんです。育休みたいな。
育休中です。
あ、そっか。育休中なんですね。それ14年目のその年収ってどれぐらいなんですか?
刑事はいろんな危険手当とか、それこそ亡くなった方の取り扱いをすると、そこでプラスアルファがついたりみたいな。手当がいっぱいつくことで給与が上がる体系なんです。
そういうのがあるんですか?
そうなんです。なので30歳で700万弱ぐらいですね。
いいと思います。高卒ですしね。
あ、そうですね。そうです。そうです。
それもう今の仕事っていうのはどっかで決めてたんですか?
いや、全然決めてなくって。今そのFPっていうのをやっているんですけど、それはお金が単純に好きっていうのは26歳ぐらいの時に気づいたんですね。それまでは本当に自分の労働だけでずっと貯金をしてお金を作ってきたのが25歳ぐらい前だったんですよ。
25歳の時に2署目に転勤をした時に、2署目は結構地方だったので、車ないと生きてけないっていう場所だったんです。車って200〜300万するので。当時500万の預金の残高があったんですよ。それが一気に300万、車とか引っ越しとかに使って、200万にガーンって減ったんですよね。なんかめっちゃちっちゃくなっちゃったみたいな。簡単に200万になって。
車ってまあまあランニングコストがかかるので、自分が思ってたよりもその預金の残高が増えていくスピードが前より落ちて、全然増えないなみたいな。で、そこに不安をちょっと感じ始めて。ちょうどその頃に車の保険に入らないといけなかったので、FPさんを上司から紹介してもらって、車の保険を見て、ついでに私の生命保険も見てもらいたいですって見てもらった時に、「貯金でこんだけ貯めてきてるんですね、すごいですね」みたいに言われて、「そうですよ。私はもうお金貯められるタイプなんです」ってニコニコしながら話して。
ただ、その生命保険を見てもらった時に、全部警察学校入った時に、なんだかよくわかんないけど「丸つけとけ」って言って、警察官って大体みんなそうだと思うんですけど、保険入ったんですね。「すっごい保険にいっぱい払ってますね」って言われて、「へえ、はいはい」みたいな。今死んだらいくら親に行くんですかとかって聞いたら、「1億ぐらい行きますよ」みたいな。「あ、そうなんですか。親金持ちになっちゃうじゃないですか」みたいな。
でも「親御さんってね、ゆいさんが生きてた方がいいんじゃないですか」って言われて、あ、そうですみたいな。で、実際に実家に帰った時に「私1億入ってるらしいんだけど」みたいに言ったら、「いらない、そんなに」みたいな。で、知らんとこでこうやって出てってるものがあるんだってとこに気づいた時に、無知って怖いみたいな。私、自分でお金貯められますって傲慢に考えていたけど、保険1つ知らなかったみたいな。勝手に給与引かれてんのも知らなかった。あ、こりゃ知らないって怖いなって思って、そっからそのFPさんに勉強させてくださいって言って、保険から投資から社会情勢から色々教えてもらって、プラス自分で本買ったりして読んで、お金の勉強を始めて。
あ、それまだ現役中に?
現役中です。26からですね。
とりあえず自分のためにそういうことやってたんすね。
そうです。で、よくわかんないけど投資してみようみたいな。不動産投資もやりましたし、仮想通貨もやりましたし、もちろんNISAもやりましたし、他の投資を色々かじってみて、30の頃に資産が4倍5倍ぐらいになってたんですよ。
すごいですね。
そう、300万から4倍、5倍みたいな。500万あったあの頃から考えて、2500ぐらいになっていって。全てが預金に入ってるものじゃなくって、全部投資して計算するとそれぐらい。私、思ったより資産あるみたいな感じになってる。
で、それが31?
そう、はい。そんだけあったら、とりあえず離婚しました、やめましたってなって、子供と2人で生きてくってなっても10年ぐらい大丈夫でしょみたいな。
っていう支えになった部分もちろんありますし、逆に自分が警察官でいた時に、自分の周りにいる人たちの資産っていうのが、みんながみんな教えてくれるわけじゃないですけど、みんな思ったよりお金作れてないんだ。子供が生まれたら自転車操業っていうお家が多いし、独身でもやっぱ使っちゃうって言って全然たまらない。でも聞くと、みんな投資は怖いからやってないとか。だから知らないと、汗水垂らした労働収入を頑張って得ないといけないってなって、残業するを簡単に選択する。残業って時間を渡してお金を受け取るじゃないですか。例えばそれが、日曜日家庭で子供たちと過ごしたいって思っても、カツカツだと仕事に行く選択ができちゃうわけですよ。これ1日行ってこのぐらい働くと、このくらいプラスになるもんなとか。
せっかくお金っていうツールって、より幸せにできるツールなのに、お金の奴隷になる人生、お金のためにどうしようかっていう選択をしなくちゃいけない人生を歩んでる方が、私の感覚ですけどめちゃくちゃ多かったです。
投資やってますって言っても、「ええ、よくできるね。何やってんの?教えて」っていう人って少なくて。例えば私、不動産投資やってますよって言って、「そこ手出してんだ。自分も不動産投資やってみたいから紹介して」ってなる人って1人もいなかったし。でも28で始めた不動産投資、今8年経って、今年売却をしたんですけど、やっぱそれで数百万の利益が出てるんですよね。
で、その利益が出た上で見れば、あの時やっとけば、例えば子供の教育資金の一部になったよねとかっていくらでも話せるけど、じゃあ何が違いかって言ったら、もちろん私勉強はしてたけど、でも勉強をしてたかどうかの違いよりも、行動を起こしたか起こさないかの違いの方が大きいと思っていて。私、不動産投資なんてほぼ知識なくて、8年かけてやりながら覚えていったから喋れはするけど、知識なかったんですよ。もちろんやってみた。それがぼったくりじゃなかったっていうのも大事なんですけど、やったから今の利益があるし、その中で数百万の失敗もあるんですけど、次失敗しないようにどうしようかっていうところで、また行動を起こすっていうのをやれてきたから、多分数年で資産が4〜5倍になったり、結果が出て。
私もできるはよ。叶えたい夢があったら、それにかかるお金をもうさっさと作っていっちゃいましょう。でもそのためには行動が必要で、行動の前にマインドがないと、どんなにいい情報があっても選ぶことができないんで、そこのサポートをさせていただくのはもうFPじゃなくてもできるんですよね。FPの試験とかでマインドの話はないんで。なので別にFPじゃなくてもできるんですけど、たまたま私はお金が好きだから、FPの資格取っちゃおうみたいな感じで、それもやめてからですけど、取って、一応FPを名乗りながら、皆さんの夢をサポートするっていうところがすごく楽しいので、それを今の自分の事業にしてるって感じですね。
え、じゃあいきなりフリーで始めたんですか?
一応、初めの半年、都内のある社長さんに雇ってもらって、そこで半年間やったのがFPだったので、給料をもらいながら半年間やって。でもやっぱりノルマがあるんですよね。ノルマがあったり、これを売ってっていうのがあったり。自分はこの目の前にいる人の人生を豊かにするにはこれがいいって思っても、会社の利益のためにはこっちを買ってもらわないといけないっていうことがやっぱどっか出てくるなっていうのを感じて。あ、私その縛りがない状態で、もっと軽やかにサポートをして行きたいなって思ったので、半年やらせてもらって、その社長さんに独立しますって言って独立してます。
子育ての面はどうですか?1番落ち込んだ時期があるわけじゃないですか。その時の感じで、気持ち的にとか。
そうですね。自分の弱みの部分を知ったからこそ、人に頼ることができてない時って自分がきつくなる。でも頼れてると周りがいくらでもサポートしてくれるし、そこに場合によってはお金が必要な時もある。でもそのお金を出せる自分でいれば、ある意味お金で解決できるところはしちゃえっていう風にできるから。もちろんこのお金もすごく私のことをサポートしてくれている部分ではあるんですけど、やっぱり人がすごい大事だなって。
なんか内だけで、さっき言ったゆいさんのような、飛び降りられたらなとか、そういう風に思ってる人ってやっぱ意外と多かったりする?
うん。いや、私は多いけど、みんな頑張ってんだろうなって思っていて。私も子供ができる前までは、この刑事をやってた時に、虐待みたいなのとかネグレクトみたいなのを取り扱うことはあって、なんでママなのに子供に手を出すのかとか、なんでこんな可愛い子の命を自分の手で落としてしまうのか、痛い思いして産んだのに、とかって思っちゃってたんですけど、今考えると、それが起こるぐらい育児ってプレッシャーがかかるし、本来人間って育児をママ1人が担うようにプログラムされてない。
昔は、男性はマンモス狩りに行ってる間に、女性は集落でみんなで子育てをしていて、お隣のママのおっぱいをうちの子が飲むなんて当たり前だし、出ないってなったら、あ、じゃあ私のおっぱい飲ませるよとかっていうのが当たり前だった。あれが長いんですよね。そっちがプログラムされてるから、1人で育てるってなったら、イレギュラーが起こり始めるのは私は当たり前だと思うようになって。
なので苦しんでるママってたくさんいるし、本当は自分の未来、こういう理想の未来に行きたい、こういう働き方をしたい、こういう影響を周りに与えたい、笑っていたい、みたいなのがあっても、社会は、周りはそれを求めていないよね、っていう他人の軸。優しさだとか気遣い力があるからこそ、他人の軸で自分はこうあるべきだって言って我慢している女性っていうのは、私はもっとたくさんいると思ってます。
私もいろんなとこに預けられてきたので。自分の親が共働きだったり招集があったりしたからこそで、それに対してなんで預けたのとか、寂しかったよって思ってないんですよ。むしろ私は結構コミュニケーション能力は自信があるんですけど、そこって多分そこから生まれていて、子供の頃の私に付き合ってくれた大人たちが私を受け入れてくれたから、あ、話していいし、喋っていいし、自分の気持ち伝えていいんだって思えた。あれは親だけだったら、私はもっと引っ込み思案になってたりとか、何かエラーを起こしている部分があったんじゃないかなって思うので、むしろそこは親に本当に感謝を自分もしていますし、むしろもっといっぱい預けて、お父さんお母さんもっと休んでね、ゆったり子育てしてて良かったんだよって今だったら思うんで。全然預けて、もっと頼っていいと思います。
これからこんなことやっていきたいとか、そういうことあるんですか?
いっぱいあって、いっぱいあって。それもやっぱ警察をやめた理由の1つで、やりたいことを夢リストとかって言うんですけど、26歳の時に1回書いてるんですよね。生きてるうちにやりたいことって書き出した。100個書き出してみたら、8割ぐらいが65過ぎないと、公務員でいる間は叶えられないみたいなことだったんですよ。で、それがやめたことで、ほぼすぐ叶えられるじゃんみたいなことに逆になって。
叶えたいことを叶えていくと、さらに叶えたいことが出てくるので、多分私はずっと叶えたいことのその100リストがゼロになるってことはないんだろうなって思ってるんですけど、今実際にちょっと動き始めているのは、豊かになりたい、自分の夢叶えたい、もっと軽やかに輝いて生きていきたいっていう女性、ママさんたちが、それを共有したり、じゃあ実際に何をすればいいかなっていうのを話したり、その仲間とコミュニケーションが取れるようなコミュニティを作りたいなと思って、今、試作で少し動かさせてもらっている場所があるんですけど。その運営っていうのは、豊かになりたい、輝きたいっていうママたちの居場所を作って。ガンガン稼いでガンガン豊かになって、ガンガン笑って生きていくママが増えたら、日本のこのエネルギーって倍になるはずなんですよね。そういうのをやっていきたいなっていうのと。
あとは自分の事業、ビジネスとしては、やっぱ海外に目を向けていきたいっていうところがあって。まだ漠然としている部分もあるんですけど、やっぱお金が好きだし、せっかくFPの知識もあるので、警察っていう組織に影響を与えられずに終わったからこそ、だったら社会に影響を与えに行こうと思ったので、子供の金融リテラシーっていうのを上げていきたいなって思っています。
子供たちが当たり前にお金に触れて、お金を学べて、自分の力で稼ぐ、豊かになるっていう選択ができて。それを全国いろんなところに児童館みたいな施設があって、学校が終わったら、今は小学生のお子さんとかはみんな学童とかに行くと思うんですけど、じゃなくてその施設に行って、そうするとお友達がいっぱいいて、そこで豊かになるためのマインドだとかお金の勉強だとか、そういった強い大人になるための学びっていうのを当たり前に受けられて、そこで仲間も作れて、それが大人になった時に、そこの絆でいろんな繋がりができて、みたいなことができる施設を全国に作りたいなっていうのと。
日本で終わらせないで、やっぱ海外。日本って豊かな国なんで。ずっと国は、ですよ。で、今経済が世界的に上に向いているからこそ、そこの国も今はエネルギーあるけど、将来的に日本と同じような状態になる可能性ってあるし、やっぱりどこの国に行っても子供はすごく大切だし、エネルギーだし、宝だし。その子供たちがさらに豊かで自分らしく生きれるような教育システムっていうのを発展途上の国に持って行きたいなっていうのは、日本でできたら絶対できるし、日本でもしかしたらやる前にそっちの方で先に叶うかもしれないし、っていうのを今は思っています。私の頭の中です。
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