「出し切った経験がない」若手に、コムドットのやまとが語った比較・失敗・「接地面積」の考え方
新R25チャンネル新R25のりんたろう(渡邊倫太郎)が、著書『命の燃やし方』を出したコムドットのやまとに悩みを相談した回である。相談のテーマは「出し切った経験がなくても大成できるか」。恵まれた環境で大きな挫折なく育ち、社会人になっても器用にこなせてしまうりんたろうは、周囲の人が語る「限界までやり切った経験」を自分が持っていないことにコンプレックスを感じていた。やまとはこの悩みを、SNSによって比較の順番が壊れていること、失敗への恐怖が刷り込まれていることの表れとして読み解き、そのうえで、自分がいなくても世界は回るという前提に立ったうえで本気になる理由を語った。
「顔に傷がついていない」と言われた若手の悩み
りんたろうが相談のきっかけとして挙げたのは、以前インタビューした経営者(字幕では「ゆり社長」)から言われた言葉だ。上司にもっと叱られたいと話したところ、「本気でやってないだけだろう」「顔に傷がついていないから、叱っても刺さらないと思われている」と笑われたという。
りんたろうは、比較的裕福な家庭で育ち、教育も受けさせてもらい、海外にも行かせてもらったと自分の経歴を説明する。社会人になってからも、自分が得意な場所を選んでそこで戦ってきたため、大きな失敗も批判もあまり経験していない。一方、ビジネスメディアで多くの人に話を聞くと、みな壮絶な経験を持っている。先に対談した田中渓さんなら、かつての勤め先で寝袋に入って働いていたという話がある。時間を一気に投下して、気絶するまで働くような経験が自分にはない。それが『命の燃やし方』で語られる「全力で生きる」ことに欠けている部分なのではないか、というのが相談の中身だった。
まず「出し切る」を定義する
やまとが最初に求めたのは、「出し切る」という言葉の定義だった。互いの感覚がずれていると議論がそれていくからだという。
りんたろうは、肉体的に出し切った経験ならあると答えた。ラグビー部で吐くまで走り込みをさせられたことがある。しかし、それがあるから仕事で120%を出せるかといえばそうでもないので、「出し切った経験」とは言えないと思っている、と。
これを聞いたやまとは「すごく若い人と喋っている感じがする」と反応した。やまとは1998年生まれで今年28歳、りんたろうは2001年生まれで3歳下にあたる。やまとによれば、自分ならその経験を前向きに捉えて「出し切った経験」にカウントする。だからこそ、なぜりんたろうがそれを数えないのか、その背景を理解する必要があると考えた。
りんたろうの説明はこうだ。出し切ったという話は、たいてい長い期間をかけたものである。たとえば1日15時間の受験勉強を2〜3か月続けて難関大学に入った、というような話を自分はできない。
SNSが比較の順番を壊している
やまとはここで「本質をつかんだ」と言い、原因はSNSの影響が強いと見立てた。りんたろうが挙げた例は、どれもSNSで目にするものばかりだというのだ。「上には上がいる」という比較を常に自分に当てはめ、その人ほどではないという軸で自己評価を下げている。その結果、自分を正しく評価できなくなる。
SNSがなければ、比べる相手はせいぜい周りの友人や、模試の全国順位くらいだった。しかし表に出ている人の話に触れると比較が際限なくできてしまい、トップクラスの人と比べれば自分が下になるのは避けられない。やまとの世代はSNSが始まったばかりで、SNSは友人と何かを共有するためのものだったという。たった3年の差でコンテンツの性質や影響がここまで違うことに驚いた、とやまとは話す。世代や年齢でくくるのは良くないと断りつつ、そうした側面があるのではないかという見立てである。
やまとは、比べるタイミングが早すぎるのだとして、モンスターハンターにたとえた。本来はレベル1のクエストでドスギアノスのようなモンスターを倒し、経験値を積んでいくべきなのに、初期装備でいきなりティガレックスを倒しに行っている。最初からすべてのモンスターが見えてしまっているせいで萎えてしまい、戦わなくていい相手と自分を比べてしまっている、というわけだ。
やまとが示した「正しい比較の順番」は次のとおりだ。まず自分との比較、具体的には昨日の自分や1週間前の自分と比べる。それを繰り返して小さな自信を作り、その自信をもとに隣の友人と比べる。こうして正しい比較を重ねることで自信や能力は伸びていくが、その順番がSNSによって完全に壊されている。もっと下の世代になるほど恐ろしい、とやまとは語った。
量をこなしていないことは悪ではない
りんたろうは一つ疑問を挟んだ。どんなにすごい人も最初はとにかく量をこなしていたという話がある。量よりも質を重視し、うまくやろうとする自分の生き方は、違うのではないか。
やまとはこれをはっきり否定した。『命の燃やし方』の冒頭にも、これは自分にとっての正解であって、読者全員にとっての正解ではないと強調して書いたという。本当に質をつかむのがうまく、質から入れる人も少数ながらいるはずで、その人に「量が絶対だ」と言うのは自己正当化でしかない。自分の正しさを他人に押しつけるために本を書いたのではなく、自分の能力を見つけるきっかけとして使ってほしい。量をこなしていないこと自体は悪ではなく、「質がつかめていないなら量をこなすべき」というのがやまとの論理である。
ロールモデルは「好き」の寄せ集めでいい
りんたろうは、ロールモデルを探すことが難しくなっているとも話した。昔は身近に先輩がいて、やっていることも近いので、その人の道をたどればある程度身につくことが多かった。今はロールモデルになりうる人が無数にいて、すごい人から怪しい人まで混ざっている。仕事のやり方すら手探りの若手が、誰の何を真似すればいいのかわからない。
やまとの答えは、ロールモデルを一人に絞る必要はない、というものだった。この人のこの部分がいい、という要素をいくつかつまんで未来に置いたものが、自分の理想像になる。一人を追い続けると、その人だからうまくいったという再現性のなさに必ずぶつかる。この人のこの部分ならこうすれば真似できる、と見定めて重ねていった先に、「自分」というオリジナルができる。
やまと自身の場合、中心にいるのは父親だという。生き方や芯の通し方は父親を見て育ち、それを貫いていいのだと学んだ。西野さんのマーケティングに対する考え方やセンスは自分の活動にも応用できそうだと感じ、話を聞いたり勉強したりしている。ONE OK ROCKのTakaさんについては、人生観や考え方、その伝え方が好きで、熱さや貫く姿勢をもらっている。「好きな人の血が自分の中に流れている」とやまとは表現した。
そのうえで、ロールモデルを見つけるサインは単純に「好き」「かっこいい」という感情だという。この人のここが好きだ、自分もこうなりたい、なぜ好きなのか、どうすれば獲得できるのか、と考えていくと引き寄せられていく。それが自分と融合したとき、Takaさんでも元の自分でもない、混ざった何かができる。内側から出てくる感情でなければ心に刺さらない、というのがやまとの感覚である。
満たされた世代のニヒリズムと「ガチになるのは楽しい」
りんたろうは、この悩みが自分だけのものなのか世代的なものなのか、判断が難しいと話した。お悩み相談の動画をこれまで60本ほど撮ってきたが、1本目で孝介さんに相談したのも「もっと単純に燃えられる目標がほしい」という内容だった。それくらい人生に強烈な向かい風がなく、満足して暮らせてしまう。面白いものはスマホでいくらでも見られるので、なぜ頑張るのかという感覚は世代としてあるのかもしれない、と。
やまとはこれを「ニヒリズム的な考え方」になっているのかもしれないと受け止め、自分はそれを変えたいと語った。伝えたいのは、自分の経験として「ガチになるのは楽しい」ということだ。恋愛でも部活でも勉強でも仕事でもいい。好きだ、熱中したいと思ったものに素直に熱中していい。ガチにならないことが幸せならそれでいいが、何か物足りなさがあるなら、心に正直になってやりたいことにガチになってみてほしい。
何のためにやるのかと問われれば、ガチになるためにやる、というのが一番シンプルで本質だとやまとは言う。結果やお金を見て走っているのかもしれないが、一番大切なものはプロセスに宿っていると後から気づく、という考えである。
本当の失敗は「やらなかったこと」
りんたろうは、ガチになるのが怖いという感覚もあると打ち明けた。本気で取り組んだのに評価されないことや、滑ってしまうことが怖い。失敗するのがとても怖い、と。
やまとは、それは「すごくもったいない」と答えた。いろいろなところで言われてきたことだと断りつつ、みんなが失敗だと思っているものは実は失敗ではないと、人生の早い段階で気づけるかどうかで見え方が大きく変わるという。うまくいかなかったり滑ったりすることが失敗なのではない。ガチになりたいと思ったのに、リスクや恐怖を理由にやらなかったことこそが本当の失敗だ。好きな言葉ではないが、いわゆる成功者は経験によってそれを実感している、とやまとは話す。
だからこそ学生時代の過ごし方が大事だという。部活でも勉強でも恋愛でも、ガチになって失敗し、失敗しても大したことはないと体で覚えておけば、大人になってからもできる。知らないからできない、という不確実性から不安や恐怖はやってくる。それを受け入れられたとき、人間としてのレベルが上がるのではないか、というのがやまとの考えだ。
りんたろうは、そうした話はビジネス書で散々読んできたが、実感できないと返した。自分のメディアでもサムネイルをテストすると、失敗しないための方法を煽るような案が一番伸びる。人間はどうしても怖がってしまう。そのブレーキをどう外すのか。
炎上で知った、現実とSNSの「失敗への触れ方」の違い
やまとの答えは「SNSをやめる一択」だった。SNSで見ているものが失敗への恐怖を強く作っているという。
根拠として語ったのは、自身の炎上経験である。炎上してネットで叩かれ、もう家から出られないのではないかと思った。コンビニに行くにも隠れるようにして出かけたが、そこで会った視聴者からは「炎上大変だと思うけど頑張ってください」と声をかけられた。炎上中でもそうでない時期でも、現実世界で失敗やしくじりについて何か言ってくる人はまったくいなかった。現実とSNSでは失敗への触れ方がこれほど違うのだと体感したという。
やまとによれば、SNSは人の成功と失敗の波を見て楽しむ場所だ。誰かが伸びたときはみんなで押し上げ、何かをやらかしたときはその何倍も下に叩き落とすことが快楽になっている。現実世界で友人がしくじっても「何やってんだよ、次はやるなよ」で終わる。それを体感しないまま、SNSで叩き落とされる人ばかり見るので、失敗は怖いもの、失敗したら人生終わりだと頭に刷り込まれてしまう。そうなるくらいならSNSはやめた方がよく、具体的にはXだという。やまと自身も、発信はするが、ネガティブな感情が一番数字を取る世界だからXは見ないと話した。
りんたろうは、実は昨年10月からすべてのSNSアプリを携帯から消しており、発信したいときだけ見ていると明かした。やまとは、刷り込まれていることを一度メタな視点で客観視できればよいが、TikTokもInstagramもYouTubeも最初からある状態で携帯を渡される子どもたちにはそれがデフォルトになる、と懸念を示した。ただし逆に言えば、今の若者は勝ちやすいともいう。周りが怖くて動けない中で、頭をバカにしてスタートを切れた人は簡単に抜け出せる。やまとはそういう時代になっていると見ている。
「バカになれない自分」は好きか
りんたろうは、頭で考えすぎてしまい「バカになる」のが苦手だと相談した。やまとはまず、「バカになれない自分は好きか」と尋ねた。りんたろうの答えは「半分好きで半分嫌い」。
やまとは、話を聞いていて、やり切った経験がない自分のことも実は好きなのだろうと感じていたという。コンプレックスと言っているが、そうは聞こえない。そう言えば「考えている若者」に見られて気持ちよくなっていないか、と少し厳しい指摘もした。斜に構えた自分をかっこいいと思えているならそれでもいいが、本当に変えたいなら言うべきことは違う、どちらなのかを聞きたい、と。りんたろうは以前にも同じことを言われたと苦笑した。
りんたろうの本音は、ガチになれる自分になりたいというものだった。邪魔をしているのは、これまでそう生きてきたために周囲から「スマートにやれるりんたろう」だと思われていることで、ガチになるのはそれを否定し、過去の自分を否定する感覚があるという。やまとは、その問いにすぐ正直に答えられること自体が器の大きさでありかっこいい、と返した。
そのうえでの助言は、「バカになれる友達を作る」ことだった。自分では知らない領域に首根っこをつかんで連れていってくれる友人がいれば、バカにならざるをえない。やまと自身、視野が狭くなりすぎないよう、自分ではお金を払って行かないようなものに友人から誘われたら必ず行くようにしている。自分の判断で「これはやらない」と選別していると、その世界を見ずに人生が終わり、感性も広がらないからだ。一見面倒に思えることに無理やり連れていかれるよう、「変な誘いをしてくれ」と周囲に言っておくという。
りんたろうが「変な誘いはしないで」と言ってしまっている、と答えると、やまとは、真面目だからこういう誘いには乗らないだろうと思われているなら、無茶な依頼に乗る人としてキャラクターを再設定してみるのが重要だと勧めた。年の違う人にインタビューする機会があるなら、「変な飲み会があったら連れていってください」と言っておく。そこでガチになれるものが見つかるかもしれないし、「お前これやるぞ」と無理やりガチにさせられるかもしれない。
300年生きたいという目標
やまとが長期的にどんな人になりたいかを尋ねると、りんたろうは「無限に生きたい」と答えた。ONE PIECEのクロッカスのように、この世界に入ってくる若者を「よく来たな」と迎えるだけのおじいさんになりたい。具体的には300年ほど生きたいという。
そのために今やっていることを聞かれると、体質が虚弱なので徹底的に健康を保つこと、体力をつけて健康習慣を整えることを挙げた。その意味でも、無理をして人生の前半に何かを集中させることには抵抗があるのかもしれない、とりんたろうは話した。
やまとは、明確な目的意識があるなら悪いことではないとしたうえで、ガチになってみたいと思っているのにブレーキをかけるのはもったいないと指摘した。今のりんたろうと、長く生きた先のりんたろうとでは、できることがまったく違う。体力や時間を投じることは今しかできず、残酷だがそういうものがある。いわゆる「若者カード」は使えるだけ使っておかないと差がつく、というのがやまとの見方だ。
なぜ300歳なのかという問いに、りんたろうは、300年くらい経てば日本や地球がまずいことになっているのではないかという漠然とした推測があり、そのときまでいたいのだと答えた。それより早くそうなるなら200歳でもいいという。長く生きるにはまず積み上げが必要で、お金も不老技術のようなものにリーチすることも必要なので、そのために頑張っていると話した。やまとは、ゴールがあって逆算して行動できていること自体が賢くて面白いと評し、りんたろうには独特の「抜け感」を感じると話した。
納得感は「接地面積」から生まれる
話は冒頭のラグビーの件に戻る。りんたろうは、あの経験を出し切ったと言えないのは、納得感のある人生を送れていないからではないかと考え、納得感はどう作れるのかと尋ねた。
やまとが挙げたのは、自分が取り組む物事との「接地面積」をどれだけ増やせたかである。この世の仕事のほとんどは自分でなくてもできてしまうという、とても悲しい真理がある。誰が会社からいなくなっても会社は回り、どんな芸能人やアスリートがいなくなってもその世界は回っていく。やまとはこれをネガティブではなくポジティブに捉えているという。いなくなっても回ってしまう前提で、どれだけ個人的に納得してその仕事に関われるか。熱中したりガチになったりすることは、そのための手段として接地面積を増やすことになる。面積が大きいほどのめり込んで全力でやれている状態になり、納得が生まれやすい。同じプロジェクトが成功しても、少ない接地面積で関わった場合より、大きく関わった場合の方が達成感は大きいはずだ、とやまとは話す。
ただし、何でもかんでも引き受けるという意味ではない。自分がいなくなっても誰かが補欠で入るだろうが、その人よりは自分の方ができる、という自信を持てる部分の面積を増やしていく。今のところ自分が一番価値を出せる領域を、逆算的に広げているという。
この考え方には、もう一つの効用があるとやまとは言う。精神的にきつくなったとき、「自分しかいない」と思っていたらやめられず、心が壊れてしまう。自分がいなくても誰かがいて回ると思えれば、やめることもできる。スタンスをどちらにも動かせるからこそ、「誰がいなくなっても世の中は回る」ことをポジティブに捉える練習をしておいた方がいい、というのだ。
りんたろうが、そう考えるとニヒリズムに入り「いなくてもいいじゃん」となりがちではないかと問うと、やまとは、だからこそニヒリズムを超えるまで考えなければいけないと答えた。そこで止まれば、世の中を斜めに見て冷笑するだけの格好悪い人になってしまう。悩み抜いて超えると「まあどうでもいいか」と思える瞬間があり、そこを能動的に捉えていくと人生が楽しくなり、自分で意味をつけられるようになる、という。
りんたろうは、ちょうど仕事で多くの責任を任される立場になり、自分だけに集まりすぎるのが怖い、自分がいなくなったらどうなるのかと考え始めていたところだった。この考え方を聞いて、逆にもっと頑張ろうと思えたと話した。
「病むくらいなら辞める」と自分を最優先する理由
やまとは、口が裂けても言ってはいけないことかもしれないと前置きしつつ、自分の精神が病むくらいなら今の仕事をやめようと思っている、と明かした。コムドットのリーダーである本人の発言として、りんたろうは驚いた様子を見せた。
やまとによれば、一番大事なのは自分だ。周りの友人よりも家族よりも、将来結婚する相手よりも。子どもについては「もしかしたら超えてくるかもしれない」と留保をつけた。まず自分がいなければ自分にとっての世界は存在しないのだから、自分の気持ちや体調を一番気にかけていないと、結果的に全員が不幸になる。だから自分を一番大切にするのだという。
それは他者への愛にもつながる、とやまとは続けた。自己愛がない人の他者愛は偽りであり、必ず見返りを求めるものになり、結果的に周りを攻撃する原因にもなる。これは本にも書いたことだと話し、りんたろうも本の内容が腑に落ちたと応じた。
失敗はしたくない、それでも「人生厚み理論」
終盤、やまとは、できてしまうがゆえの悩みなのだろうとりんたろうを評した。りんたろうは、SNSネイティブ気味なので攻略法や失敗しない方法をたくさん学習し、その通りにやって失敗しなかったこともある、と返した。やまとが「失敗したい?」と聞くと、りんたろうは「したくないです」と即答し、やまとも「そうだよね、失敗はしたくないよね」と認めた。
それでも失敗は案外楽しい、とやまとは言う。嫌な気持ちにはなるし、萎えるし「マジかよ」とも思う。そこで紹介したのが、尊敬するクリエイティブディレクターの先輩から教わった「人生厚み理論」だ。人は楽しいことがあればプラス、悲しいことがあればマイナスに振ると考えがちだが、この理論では符号を取ってしまう。楽しい3も悲しい3も同じ3であり、その振れ幅の合計が人生の厚みを決める。
この考え方を聞いてから、悲しいことや辛いことも大きいほど人生の厚みになると思えるようになったという。今は悲しいがこれも厚みか、彼女にひどい振られ方をしたがこれも厚みだ、と。もちろん楽しいことも厚みになる。その厚みが話の面白さや人間の深さになっていくのだから、いろいろなことを経験した方がいい。それがやまとの最後の答えだった。
りんたろうは、今後自分が先頭に立って新R25を若手向けのメディアとしてやっていくことになると話し、やまとは「ガチでやります」というりんたろうに、テーマを決めたトークはあまりやったことがないが楽しそうだ、またぜひ呼んでほしいと応じて収録は締めくくられた。
はい。で、やまとさん、ちょっと2本目になるんですが、よろしくお願いします。はい、よろしくお願いします。
さっき裏にいた僕が前に出てきまして。はい。ちょっとすいません。全然、さっきは多分その構成通りに行かなかったというか、2人でいろんなとこをこう埋めながらで。そうですね。習慣の話で最後締めようかなと思ったんですけど、あ、これ締まんないからいいやと思って。
そうですよね。今回はちょっと僕が逸らさないように、うまく舵を取っていただき、色々質問させてください。ということで、今回の悩みがですね、「出し切った経験がなくても大成できますか」というタイトルをつけさせていただきまして。ゆり社長と先日対談されてたと思うんですけど、僕がゆり社長にインタビューさせていただいた時に言われて、すっごく心に刺さった言葉として「お前、顔に傷ついてないよね」って。
えぐいこと言うな。僕がその当時、上司に叱られたいです、もっと叱ってくださいみたいなことを言った時に、「いや、お前本気でやってないだけだろう」みたいな。顔に傷ついてないから、叱っても刺さらないって思われてるよって、すっごい笑われて。いや、なるほどなるほど。
で、言われたんですよ。俺もう本当にそれがあれだわと思って。やまとさんもそうかもしれないですけど、比較的裕福な家庭で育って、ある程度教育もちゃんと受けさせてもらって、海外とかも色々行かせてもらって、あんまり挫折なく、そつなく来ちゃってるっていう人生があって。血反吐吐いて何かをやるとかっていうことがほとんどない。
社会人になってもやっぱりある程度、そつなくできちゃうみたいなところもありますし、そういうところを選んでるみたいなのもあるんですよね。ある程度自分が得意なところを見つけて、そこでやる。だからあんまり失敗しないし、批判にさらされることもないしみたいな感じの人生を選んできちゃってるっていうのがあって。ただやっぱりビジネスメディア界隈にいると、いろんな方とお話しする中で、みんな壮絶な経験ってあるじゃないですか。確かに。すごいのあるんですよ、みんな。確かにありますね。
さっきの田中さんとかだったら、俺のゴールドマン・サックス時代は寝袋に入って働いてましたとかっていうのがあったり、いわゆるそういう泥臭さというか、徹底的に何かに打ち込んで、そこで時間をガッと投下して、本当に気絶するまで働くみたいな、そういったものが自分としてないなっていうのがあって。これがちょっとコンプレックスとしてあるところを、ゆりさんに刺激されて、というのがあるんですけど。
『命の燃やし方』っていう本をやまとさんが書かれる中で、まさに全力で人生を生きるという、その全力で生きるみたいなのが欠けてるのかなっていうのがあって。それをお聞きしたかったという感じなんですが、まずこのテーマをお送りした時にどう思われましたか?
まず、その「出し切る」っていう言葉を具体的に定義した方がいいなと思って。じゃないと、お互いのその出し切るっていうことの感覚が違うと、多分議論が逸れてっちゃうんで。はい。出し切るとは。
だから、ここがあんまり分かってなくて。正直、体力的に出し切ったことは、僕ラグビーやってたんで実はあるんですよ。本当に走り込みをさせられて、ゲロが出ちゃうくらいまで走るみたいな。それやったことあるんですよ。でも、それがあるからって仕事で120%できるかって言ったら、そんなこともないんで、それが出し切った経験とは言えないんじゃないかなと思って。
うわ、なんかすっげえ若いやつと喋ってる感じがすごい。何この感覚?いや、ちょっと年齢を多分整理しといた方が分かりやすいと思う。俺が今年28歳になる。1998年生まれ。はい。僕は2001年生まれで今年25歳ですね。25歳。
やっぱこういう対談とかって、年上の、それこそ10個とか20個とか違う先輩と喋るから、自分が若手としての感覚を喋って先輩に教えを乞うみたいな感じだったんですけど。なんか今の聞いて、青いなと。いやいや、青いなじゃなくて、感覚が違うんだろうなっていう風に思った。なるほど。
なんでかって言うと、俺だったらその経験をすごいポジティブに捉えて、それを出し切った経験っていうカウントをすると思っていて。なんでそれを出し切った経験にしないんだろうっていう背景をちゃんと理解する必要があるなと思いました。
はい。それはやっぱり、出し切ってるっていう方の話は、大体長期間、長い時間かけてやってるっていうのがあると思うんですよ。例えば受験勉強を15時間とか2、3ヶ月やって、受験でいい大学行きましたとか、そういう話が自分にはできないなって思っちゃうって感じですね。
え、先輩、本質掴みました。お、任せてください。はい。これは本当に1個の仮説としてなんで。はい。確実にSNSの影響が強いかなと思っていて。大丈夫そうですか。今その、何君て呼ぶ?りんたろうです。りんたろう君て呼んでいい?
今りんたろう君が言ってくれたこの例えの全てが、SNSで目にするものだわ。はい。ああ、そうですね。この人はこれをやっている。この人はこれをやっている。上には上がいるっていうことを常に自分との比較で考えて、その人ほどじゃないからっていう軸で自分の評価を下げてしまっている。まさにそうですね。
っていうのがあって、これをやると何が起こるかっていうと、自分を正しく評価できないっていうのに陥るかなと思っていて。SNSがなければ、せいぜい比較できて周りの友達とか、それこそ模試とかやれば全国の順位とか出るのかもしれないけど、せいぜいそんなもん。
けど、やっぱりその表に出てる人の話を聞いてしまうと、際限がないというか、比較が無限にできてしまって。トップ・オブ・ザ・トップとか、表に出るぐらい実力がある人とかと比べたら、やっぱりどうしても自分が下になってしまうわけで。
やっぱ俺らの頃って、多分SNS始まりたてぐらいで、そんなに比較対象として見せられるコンテンツはいっぱいなくて、ただ友達と何かをシェアするためのSNSだった。ところが、たった3年ですかね。はい。3年の差でここまで影響の与え方が違うというか、そのコンテンツの性質も変わってるっていうのは結構びっくりで。
やっぱり正しい比較をしないと、自己評価を不必要に下げてしまう可能性があるんじゃないかなっていうのを、世代でくくるのも良くないし、年齢でくくるのも良くないと思うんだけど、なんかそういう側面があるんじゃないかなっていうのを、今の話聞いてすごい感じた。
やっぱりじゃあ、そこにSNSで溢れてる話みたいなものは一種の迷信っていうか、自分の参考にしなくていいものを自分の中で取り入れちゃって、それが正しいって思っちゃってるみたいな感じですかね。
比較するタイミングが早いみたいな感覚で、もっと自分が実力をつけてった後に戦うべき相手みたいな感じで。例えばモンスターハンターとか。分かります。やってました。初期装備で急にティガレックス倒しに行っちゃってるみたいな。なるほど。
感じかなと思ってて。最初はもうそのレベル1のクエストから行くべきなのに、最初からそのティガレックスとか見えちゃって、うわーんって。で、そのティガレックスの掲示板見て行っちゃってるみたいな。最初ティガレックスとか見えてなくて、レベル1の例えばドスギアノスとか、そういうのを倒して経験値を得てどんどんレベルを上げてくのに、最初から全てのモンスターが出ちゃってるせいで萎えるというか、勝手に戦わなくていいところと自分を比較しちゃってるのかなっていうのがあって。
まず一番、最初にやるべきは自分との比較。具体的に言うと、昨日の自分との比較。昨日の自分に比べて今日の自分はどうなんだろう。1週間前の自分に比べて今日の自分はどうなんだろうっていう自分の中での比較を繰り返していくことによって、まず小さな自信を作って。その小さな自信をもとに、じゃあ隣の友達と比べて俺はどうなんだろうっていう風に正しい比較を重ねていくことによって、人間の自信だったり能力って伸びていくと思っているので。
そこの比較の順番が完全にSNSによって壊されているんだなっていうのは感じていて。そうですよね。多分もっともっと下の世代に行けば行くほど、恐ろしいなとは。
いや、そうですよね。どこを自分の目標にするとか、どこを参考にするとかっていうのが上がりすぎちゃってるよねって問題は。そう。すごい人と会いすぎて。そうですね。
でも、ただここちょっと1個疑問なのは、とはいえ渓さんも言ってたと思うんですけど、量みたいな話って当然あって、どんなすごい人も最初はとにかく量をこなしてたみたいな話もあるわけじゃないですか。そう考えた時に、僕の生き方というか、量よりはどちらかというと質重視というか、うまくやるみたいな考え方って、なんかちょっと違うんじゃないかなとか思っちゃう。
いや、そんなことは絶対なくて。この本も冒頭に書いてるんですけど、これは俺にとっての正解であって、必ずしも全てが読んでくれるみんなにとっての正解ではないっていうのを強調していて。もしかしたら本当に質を掴むのがうまくて、質から入っていける人も少数派ではあるけどいると思うから、その人に向かって「俺は量が絶対だ」っていうのは自己正当化でしかないと思ってて。
自分が正しいことを他人に押し付けたくてこの本を書いてるわけじゃなくて、あくまで自分の能力を見つけるきっかけとして活用してほしいから。別に量をこなしていないからと言って悪ではない。ただ、質が掴めていないんだったら量をこなすべきっていう、そんなロジックかなと。
難しいのが、今のSNSの話とかも繋がるんですけど、やっぱりロールモデルを探すみたいのがめちゃくちゃ難しくなってるなって思うんですよ。昔だったら身近なところに先輩がいて、大体やってることも近いから、その人の道をちょっと辿っていくみたいな感じで、ある程度身につけられたことが多いと思うんですけど、ロールモデルとなり得る人が今世の中に無限にいるじゃないですか。すごい人からちょっと怪しい人までいるという中で、どうやってロールモデルを探すかっていうところに難しさがあるんだろうなって思ったんですけど、いかがですか?
ロールモデルを必ずしも1人に絞る必要はないと思ってて。この人のこういう部分いいな、この人のこういう部分いいな、この人のこういう部分いいなを何個かかいつまんで未来に置いたのが、多分自分の理想像っていうので。ああ、なるほど。
誰かを追い求めたとしても、絶対その人と自分では違う部分が必ずあって。その1人をロールモデルにし続けることによる弊害って、その人だからうまくいったことっていう再現性のなさみたいなところが絶対途中で出てきちゃうからこそ、この人のこの部分はこうやったら絶対真似できるよね、この人のこの部分はこうやったらゲットできるよねって正しく見定めて、それを重ねていった先が、自分というオリジナルになるんじゃないかなっていうのは、あくまで自分っていう人間として生きていく上で大事。
いや、でも正直、若いうちに誰を真似するかを探すというか、誰の何を真似したらいいかっていうのもぶっちゃけ分かんないと思うんですよ。仕事のやり方すら手探りで分かってない状態で、どうやって目指したらいいんだろうっていう風に思っちゃうんですけど、どこに置くのがいいんでしょう?その目標みたいな。
俺、集約してない。でも、やまとさんが手探りでやられてく中で、どんな風にベンチマークみたいなのを作ってったのかとか聞きたいんですけど。ロールモデルか。でも真ん中にいるのは父親ですかね。
生き方とか、芯の通し方みたいなところは、やっぱ父親をずっと見て育ってきてるんで。それを突き通していいんだっていうのは父親を見て学んでることではあるんで。そういう部分だったりとか、それこそ西野さんのマーケティングに対する考え方とかセンスみたいな部分は、すごい自分のやっていることにも使えそうというか、転用できそうだなと思ったんで、西野さんのマーケティングの方法を話聞くのもそうだし、勉強するっていうところで。
あとはやっぱONE OK ROCKがすごい好きで、Takaさんの人生観だったり考え方だったり、それの伝え方だったりっていう部分がすごい好きなので、Takaさんのそういう熱さとか、それを突き通す姿勢みたいな部分はもらってるし。だから、好きな人の血が僕の中に流れてるんで。なるほど。1人では絶対ないですね。この人のこういう部分欲しいっていう。
それってシンプルに好きっていう感情だと思ってて。うわ、この人のこういうとこマジ好きだな、自分もこうなりたいな。で、なんで好きなんだろう、どういう風にやったら獲得できるんだろうみたいな風に考えていくと、どんどん手繰り寄せられて、それが重なっていって、自分っていう人間と融合した時に新しい何かができていて。それはTakaさんでも元々の俺でもなくて、その混ざった何かであるっていうことで。
それをいろんなものを混ぜていって、いろんな経験をしていくことによって出来上がるのが自分っていうものなのかなっていう風に。かっこいいとか、これ言ってんのかっこいいなとなったのが、結構そのロールモデルにするサインなのかもしれない。シンプルにかっけえとか好きみたいな、そういう内から出てこないと、やっぱ刺さらないから、心から、っていう感覚はありますかね。ああ、なるほど。
でも、その感覚って同級生とはちょっと違う感覚だなとは思う。それこそロールモデルがいないとか、頑張ったことがあんまない、っていうのって、結構世代的にみんな抱えてる悩みなのか、それとも自分だけがちょっと抱えてるなって思うのか。
いや、でも難しいな。僕この悩み相談コンテンツで60本くらい動画撮ってるんですけど、1本目に孝介さんに相談した時に、もっと単純な燃えられる目標が欲しいですみたいなのを相談したことがあったんですけど、それくらいやっぱり人生にあんまり強烈な風がないし、満足して暮らせちゃってる。そうか。
で、ドーパミンの話とかもあると思いますけど、別に面白いものってスマホ上でいくらでも見られるしってなった時に、確かになんで頑張るんだろうみたいなのは世代としてあるのかもしんないですね。うん。ニヒリズム的な考え方になってるのかもしれないよね。そういう風になりつつあるなってすごい思いますね。そうか。
それを変えたいんですよね、やまとさん。それを変えたいし、俺のこの人生の経験として、やっぱガチになるのって楽しいよっていうことを伝えたくて。何でもいい。本当に恋愛でも部活でも勉強でも仕事でも、何でもいいけど、自分がこれ好きだなとか熱中したいなって思ったものに素直に熱中していいんだよっていうことを、経験を通して言いたくて。
別に、ガチにならないことが幸せなんだったら、それはそれでいいと思うけど、もし物足りてない、その不足感があるんだったら、心に正直になって、自分がやりたいことにガチになってみるっていうのはすごいいいなと思って。さらに強く確信したんだけど。あれは僕も感心させられました。
何のためにやるかって、やっぱガチになるためにやるって、一番シンプルだけど一番本質で。もちろん結果とかお金とか、何か見てるものがあって走ってるのかもしれないけど、プロセスだったりその過程に何か一番大切なものが宿っているって、後々気づくんだなっていう。
僕最近すごい感じてることが、ガチになるの怖いっていうのはあるなと思うんですよ。ガチになったところで評価されない、評価されるべきところで評価されないっていうのは怖さとしてあるんだろうなと思うんですけど、マジになるのが怖いというか。マジになるのが怖い一番の理由は何だと思う?それが例えば滑っちゃった時とかにどうするんだろうとかって思っちゃうんだろうな。僕はそれがすごいありますね。失敗するのがめちゃくちゃ怖い。あ、なるほど。
でもそれはすごいもったいなくて。本当にいろんなところで擦られてきてることだけど、みんなが思ってる失敗って実は失敗じゃないっていうことに、いかに人生の早い段階で気づけるかで、人生の見え方がとんでもなく変わってくるっていうのがあって。
みんな、うまくいかなかったりとか、例えばやったことがスベっちゃったりすることが失敗って思ってるのかもしれないけど、ガチになりたいって思ったのに、それをリスクとか恐怖によってやらなかったっていうことが本当の失敗であるということ。これを、いわゆる成功者、あんま好きな言葉じゃないけど、成功者は知っているわけですよ。実感してますよね、それを。実感してる、経験によって。
だから、しつけられてでも、強制的にでもガチにならないといけないっていうか。だから俺は学生時代の過ごし方がめっちゃ大事だなと思っていて、部活だったり勉強だったり恋愛だったり何でもいいから、ガチになれっていう。ここの環境でガチになって失敗して、あ、でも失敗してもそんな大したことないなっていうのを体で覚えとけば、大人になっても大したことないのを知ってるからできちゃうっていう。
これ、知らないからできないっていう不確実性から、やっぱ不安とか恐怖ってやってくるから。それを受け入れることができた時に、人間としてのレベルが上がるんじゃないかなっていうのはあって。
いや、これは本当に僕も散々ビジネス書とかで読んで。そう。でもこれ、なんで実感できないのかなっていうのはあるんですよ。やっぱり失敗をどうやって回避するかってことを一番最初に考えちゃうし、うちのコンテンツでもサムネイルとかでテストするんですけど、一番伸びるのは失敗しないための方法みたいなのを煽るような素材が一番伸びるんですよ。だからそれって、やっぱり人間として怖がっちゃうと思うんですけど、そこの蓋を外すために、やまとさんどう考えてるんですか?
いや、もうSNSをやめる一択だと思う。あ、もうそれですか。本当に、SNSで見てるものが、やっぱその失敗が怖いっていう感覚をめちゃくちゃ作ってると思っていて。なるほど。
これ炎上して思ったことなんだけど、炎上って、まあまあ炎上して、ネットで叩かれますと。で、うわってなって、やばい、もう本当に家出れないんじゃないかなみたいな。で、そのコンビニ行くためにちょっと隠れながら行くじゃん。けど、そしたらパッて会った視聴者の人に「あ、炎上大変だと思うんですけど、頑張ってください」とか言われんの。
それは、励まされたって考えることもできるけど、逆で、炎上してる時期もそうじゃない時期もそうだけど、失敗したこととか何かやらかしてしまったことに対して、外で何か言ってくる人って全くいなくて。現実世界とSNSって、こんなに失敗に対しての触れ方が違うんだなっていうのを体感していて。
SNSって、人の成功と失敗のこの波を見るのが楽しい場所だと思っていて。だから人がバーンって行った時はみんなでブワって押し上げて、その人が何かをやらかした時は、その上がった何倍も下に叩き落とすっていうのが快楽になってるっていう。はあ、なるほど。
けど、現実世界で友達が何かやらかした時って、「お前何やってんだよ、もう次やんないように」で終わりだから。それを現実世界で体感せずに、SNS上で叩き落とされてる人ばっか見るから、失敗が怖い、失敗はやばいもの、失敗したら人生終わりって頭にインプットされちゃう。だから、そんなになるぐらいだったらもうSNSなんてやめた方が良くて、具体的に言ったらXやめた方がいいね。やっぱXさ。
俺もXは見ない。発信オンリーですか?発信はするけど、あと流れは見るけど、ネガティブな感情が一番数字を取る世界だから見ない。そうなんですね。
僕、実は去年の10月から全SNSを携帯から消してるんですよ。お、かっこいい。アプリ消してるんですよ。で、もう発信したい時だけ能動的に見るんです。いや、やっぱそれなんですね。見ない方がいいと思う。だって、失敗して叩かれてる人とか見たら、自分もこうなるって思っちゃうし、刷り込まれちゃう。いや、でも、それが本当に無意識のうちに刷り込まれてるなって風に感じます。
そう。それを、あ、刷り込まれてんなってメタになって、1回客観視できればいいと思うんだけど。TikTokもインスタもYouTubeも最初から全部ある状態で携帯を渡される子たちは、それがデフォルトになるから、失敗っていうものが怖いものだっていうのを刷り込まれすぎちゃう。
だから逆に言うと、勝ちやすいけどね、今の若い子は。みんなガチガチで怖くて動けないんだから。周りは動かないから、頭バカになってパーンってスタート切れちゃったやつが簡単に抜けれるっていう。逆にスタートダッシュしやすい時代になったなって思ってますね。
やまとさん、バカになれるっていう風におっしゃってたじゃないですか。僕それがもう本当に苦手というか、すごい頭でっかちになっちゃいがちなんですけど、それってどういうトリガーで切り替わるんですか?やまとさんは。
まず聞きたいんだけど、バカになれない自分は好き?あのね、半分好きで半分嫌いみたいな感じ。そうだよね。いや、俺さっきから話聞いてて、やり切った経験がない自分のことも好きなんだろうなって。コンプレックスって言ってるけど、コンプレックスじゃないように感じてて、実は。あの、ゆりさんに同じことを言われました。そうなんですよ。
それを言えば、考えてる若者みたいな感じで見られて、気持ちよくなってない?っていう、ちょっとひどいこと言って。その斜に構えてる自分がかっこいいと思えてるんだったらそれでもいいと思うし、ただ本当に変えたいと思うんであれば、言うべきことは違うかなっていう。だからそこがどっちか聞きたいかも。
でも本当は、マジでガチになれる自分になりたいって思うんですけど、それの邪魔をしてるのは、これまでそういう風に生きてきちゃってるから、そういう人だと思われてるんですよ。正直に答えてくれてありがとう。スマートにやれるりんたろうだって思われてる。そうだね。それを、ある種否定することになってしまうかもしれないし。はい。過去の自分を否定する感覚があるって。
いや、でもそれを今パッと聞かれて、パッと話してくれるその人間の器を持ってることがまず本当にすごいし、かっこいいと思う。ありがとうございます。
ガチになりたくて、でもそれでも自分でブレーキを外せないんだったら、バカになれる友達を作ることがめっちゃ重要かなと思ってて。自分が全く知らない領域に首根っこ掴んで連れてってくれる友達がいれば、勝手にもうバカにならざるを得ないっていう。自分がその蓋みたいなのを外せない時は、結構俺は人の力を使っちゃうかなっていう。
例えば今だったら、自分の視野が狭まりすぎないように、絶対に自分ではお金を払って行かないものを友達に誘ってもらったら絶対行くとかはすごい大事にしてて。なんでかって言うと、自分だったらこれはやんない、これはやんないってやると、そこの世界を見ずに人生終わっちゃうって、すごいもったいないし感性も広がんないなって思うから。一見めんどくさいなって思うことに無理やり連れて行かれるような誘いを、友達にしておくっていう。ああ、なるほど。変な誘いしてっていうのを撒いておくっていう。
ああ、でも俺、変な誘いしないでって撒いちゃってます。ああ、そう。真面目だから、こういうのは乗んないだろうなとかいう風になってるんだとしたら、1回ちょっと自分の人間の殻を破るために、無茶な依頼に乗っかる人として、一旦キャラクターを再設定するっていうのはすごい重要かなっていう。
こういう風に自分と年の違う人に会ってインタビューした時に、なんか変な飲み会あったら連れてってくださいとか言っとくと、あ、この間なんかあいつあんなこと言ってたなで、変な世界に連れてってもらえて、そっから自分のガチになれそうなものが見つかったり、なんならお前これやるぞって言って無理やり巻き込まれて、ガチにならされるかもしれないから。そういうのは必要かも。ああ、かもしれないですね。
あとは、長期的にどういう人になりたいと思ってるのか聞きたいかも。具体的でもいいし、抽象的でもいいし。僕、無限に長生きしたいんですよ。おお、なるほど。それなんで?ワンピース読まれますか?クロッカスって分かりますか?分かるよ。ああいう人になりたくて。この世界に入ってくる若者たちを「お、来たか」みたいに言うだけのおじいちゃんになりたくて。
へえ。それ具体的に何歳ぐらいまで?あ、300年とか生きたいですね。最高じゃないか。300年ぐらい生きたいんだ。はい。その300年生きるために今やってることってある?徹底的に健康を保つために。すごい虚弱なんで、体質が。なるほど。
だから、できるだけ体力をちゃんとつけるっていうのと、健康習慣をちゃんと。だからそういう意味でも、無理して人生の前半に何かを集中させるみたいのが、ちょっと抵抗があるっていうのもあるかもしれないですね。
あ、でもそれは別に明確な目的意識があるんだとすれば、全然悪いことではなくて。ただ、例えばガチになってみたいって思ってて、それにブレーキをかけるのはやっぱもったいないかなっていう。今25、あ、24ですね。はい。で、280歳とできること全然違うかな。
今のうちにできることって、やっぱ体力だったり時間を投じるっていうことだと思うから、今しかできないことも残酷なことにあって。やっぱり若者カードの話。そう、若者カード。やっぱそれを使えるだけ使っとかないと差がつくなっていうのはあるから。
300歳まで生きたいっておもろいな。なんで300歳なんだろう。400歳ではなくて。いや、なんとなく300年くらい生きると、日本が結構やばいことになるんじゃないかなとか、地球がやばいことになるんじゃないかっていうなんとなくの推測があって、その時までいたいなみたいな。え、じゃあそれは、やばくなれば200歳でもいいってこと?あ、やばくなれば別に大丈夫。ああ、なるほど。それを見てみたいってことね。
ただ、長く生きるためには最初に積まなきゃいけないことは分かってるんで。お金も、不老技術みたいなのにリーチするのも必要だと思ってるんで、それのために頑張ってるって感じです。なるほど。面白い。でも、そういうゴールがあって逆算して行動ができてるっていう時点で、すごく賢いし面白いなって思う。
いや、とんでもないです。若い子と喋んの久しぶりだから。僕は若い子の中でもちょっと外れ値かも。いや、でもその持ってる独特の感覚というか、抜け感みたいなものはすごい感じるかも。あ、本当ですか?嬉しいです。感じる。びっくり。なんか面白いわ、やっぱ。
最初の出し切る経験がないみたいな話、今とった時に、僕がラグビーで走った経験があって、でもこれは出し切ったとは言えないみたいな話だったと思うんですけど、やっぱりそこに納得できてないみたいなのがあると思ってて。納得感のある人生を送れてないのかなっていう気もするんですけど、納得感みたいなのってどういう風に作れると思いますか?
でも1個あるのは、どれだけ自分が取り組む物事に対しての接地面積を増やせたかどうかなと思ってて。この世の仕事のほとんどって、自分じゃなくてもできてしまうことっていう、とても悲しい真理があって。自分がその会社から消えてしまったところで、会社は非情にも回ってしまうし、どんな芸能人、どんなアスリート、どんなすごい人が亡くなってしまったとしても、その世界は回っていくという。
で、これをネガティブに捉えるんじゃなくて、俺はポジティブに捉えてて。自分がいなくなっても世の中回るけど、いなくなっても回ってしまう前提で、どれだけそこで自分が個人的に納得をしてその仕事に関われるかっていう。
一歩進めてちょっとポジティブに考えてて。誰に渡してもできてしまうんだけれども、自分がやっぱ熱中したりガチになったりすることが、その手段として面積を増やすことになるんだけど、その面積を増やせば増やすほど、自分がのめり込んで熱中して全力でできてるということで、その面積が大きければ大きいほど納得は生まれやすくなるかなっていう。
さっきの誰がいなくなっても回るっていうのをめっちゃネガティブに捉えちゃうと、じゃあもうやってらんねえってなって。自分が接地面積これぐらいでプロジェクトに関わっても成り立つってなっちゃったら、そのプロジェクトが同じように成功した時でも、得られる達成感ってやっぱ接地面積が多い方だと思うから。いなくなっても回るだろうけど、今んとこ俺がこの仕事は一番バリュー出せるなってとこの面積を増やすとか、そこら辺は逆算的に考えて面積を増やすようにしてるっていう。
最悪自分がやめてしまってもこの世界は回るということを、あんまり考えすぎると悲しいから、ここら辺でこう思っておくって。ああ、でもそれを思いながら接地面積を増やすって、すごい勇気がいることなんじゃないかなって思うんですけど。
でも、その接地面積を増やす地点に関しては、多分自分が一番できるものを増やすっていう。ただ全部あれもこれもやりますじゃなくて、今いなくなっても誰か補欠で入るだろうけど、その補欠で入るやつよりか俺ができるぞっていう自信を持って面積を増やしていくっていうのが、仕事に対しての向き合い方としてすごいポジティブで。
例えば精神がきつくなった時も、俺しかいないんだって思ってやってたら、やめらんなくて心も壊れちゃうから。俺がいなくなっても最悪誰かがいるから回るわ、でやめることもできるし、結構どっちにもスタンスをうまく動かせるから。そこの、誰がいなくなっても世の中は回るっていうことは、しっかりとポジティブに捉える練習はしといた方がいいなとは。
それはやっぱ考えると、ニヒリズムに入っちゃうっていうか、いなくてもいいじゃんってなっちゃいがちなところを。そう、だからこそ頑張るって。能動的にニヒリズムを超えていくまで考えないといけないっていう。ああ。だからこうだよねっていう、もう1個進めらんないと、ただニヒって世の中斜めに見て冷笑してるダサいやつになっちゃうから。
悩んで悩んで悩んで、そこを超えると、まあどうでもいいかって思える瞬間があって。そこをポジティブに能動的に捉えていくと、結構人生が楽しくなって、自分で意味をつけていけるものになっていけるかなっていう。
はあ。今ちょうど僕、仕事上で色々責任を任せてもらう立場になってて、俺だけに集まりすぎるの怖いかもって思い始めてた時期だったんですよ、ちょうど。やっぱ自分がそれでいなくなったらどうなっちゃうんだろうとかっていう風に思ってたんですけど、今の考え方を聞いて本当に、もっと頑張ろうって思いました。そう。逆にね、逆にもっと頑張ろうって。最悪やめちゃえばいいしって。
俺もこんなことを口が裂けても言っちゃいけないけど、最悪自分の精神が病むぐらいだったら、この仕事やめようと思ってるから。コムドットのリーダーも。そうなん。自分が一番大事だから。それは周りの友達より、家族より、将来結婚する人より、子供より、もしかしたら子供は超えてくるかもしんない。よりも自分が大事っていう。まず自分がいなければこの世界は存在しないわけだから。
一番自分の気持ちとか体調とかっていうところを気にかけてないと、結果的に全員が不幸になるよねっていうのを分かってるから、自分を一番大切にするっていう。究極の自己愛ですね。それが他者愛にもなるし、自己愛がない人の他者愛は嘘だから、偽りだから。それは絶対に見返りを求めてるものだし、結果的に周りを攻撃する原因にもなるから、それは良くないって本にも書いた。書いてありましたね。この本の内容がもうすっと腑に落ちて理解できました。
そうか。本の宣伝というか、こんな本書きましたで一応来てんだよね。そうです。そうだよね。ありがとうございます。いけた?いけました。聞きたいこと聞けた?ばっちりです。
すごいできてしまうが故の悩みなんだろうなって。いや、でもそんなことはないと思うんですけどね。攻略法がたくさんあるじゃないですか。それこそちょっとSNSネイティブ気味なんで、攻略法とか失敗しない方法をめっちゃ学習して、それをその通りにやったら失敗しなかったみたいなのもあったりするんで。
失敗したいよ。いや、失敗したくないです。失敗はしたくない。全然したくないです。そうだよね。失敗はしたくないよね。けど失敗って案外楽しくて。嫌な感情にはもちろんなるよ。めっちゃ萎えるし、マジかよみたいになるけど。
これ、俺がすごい大好きなクリエイティブディレクターの先輩が教えてくれた考え方なんだけど、「人生厚み理論」っていう理論で。人生って、みんな楽しい方向に振れた時だけプラス軸に振って、何か悲しいことがあったらマイナス軸にするけど、ここは絶対値で。要は楽しい3も悲しい3も同じ3で、この幅がその人生の厚みを決めるっていう考え方で。
失敗した時って、みんなマイナスだと思っちゃうけど、そのマイナスは取る、その符号は取る。それはもうただの3で、楽しいも3で、その合計がどれだけですかっていうのがその考え方だから。それを聞いてから、悲しいこととか辛いことも、大きければ大きいほど人生の厚みになってくわって。そうかもしれないですね。
そう考えると、いろんなことも、あ、でも今ちょっと悲しい気持ちだけど、これも厚みかみたいな。彼女にえぐい振られ方したけど、これも厚みだよねみたいな。で、楽しいことももちろん厚みだしっていう、その人生の厚みが話の面白さだったり人間の深さになっていくから、いろんなことを経験した方がいいよねっていう、そんな感じかな。
ありがとうございました。新R25、多分結構僕が先頭に立って若手向けのメディアとしてやってくことも多いと思うんですけど。ガチでやります。なんか是非また呼んでください。またぜひ呼ばせてください。面白い。トークテーマとかで話すとかあんまやったことないけど、みんなやってて楽しそうだなと思います。是非呼んでいただければ。またちょっと近いうちにすぐ呼ばせてください。はい。是非よろしくお願いします。
はい。ということで、今回はやまとさんに色々お聞きしました。ありがとうございました。ありがとう、りんたろう。お邪魔しました。
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