「出し切った経験がない」若手に、コムドットのやまとが語った比較・失敗・「接地面積」の考え方

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概要

新R25のりんたろう(渡邊倫太郎)が、著書『命の燃やし方』を出したコムドットのやまとに悩みを相談した回である。相談のテーマは「出し切った経験がなくても大成できるか」。恵まれた環境で大きな挫折なく育ち、社会人になっても器用にこなせてしまうりんたろうは、周囲の人が語る「限界までやり切った経験」を自分が持っていないことにコンプレックスを感じていた。やまとはこの悩みを、SNSによって比較の順番が壊れていること、失敗への恐怖が刷り込まれていることの表れとして読み解き、そのうえで、自分がいなくても世界は回るという前提に立ったうえで本気になる理由を語った。

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「顔に傷がついていない」と言われた若手の悩み

りんたろうが相談のきっかけとして挙げたのは、以前インタビューした経営者(字幕では「ゆり社長」)から言われた言葉だ。上司にもっと叱られたいと話したところ、「本気でやってないだけだろう」「顔に傷がついていないから、叱っても刺さらないと思われている」と笑われたという。

りんたろうは、比較的裕福な家庭で育ち、教育も受けさせてもらい、海外にも行かせてもらったと自分の経歴を説明する。社会人になってからも、自分が得意な場所を選んでそこで戦ってきたため、大きな失敗も批判もあまり経験していない。一方、ビジネスメディアで多くの人に話を聞くと、みな壮絶な経験を持っている。先に対談した田中渓さんなら、かつての勤め先で寝袋に入って働いていたという話がある。時間を一気に投下して、気絶するまで働くような経験が自分にはない。それが『命の燃やし方』で語られる「全力で生きる」ことに欠けている部分なのではないか、というのが相談の中身だった。

まず「出し切る」を定義する

やまとが最初に求めたのは、「出し切る」という言葉の定義だった。互いの感覚がずれていると議論がそれていくからだという。

りんたろうは、肉体的に出し切った経験ならあると答えた。ラグビー部で吐くまで走り込みをさせられたことがある。しかし、それがあるから仕事で120%を出せるかといえばそうでもないので、「出し切った経験」とは言えないと思っている、と。

これを聞いたやまとは「すごく若い人と喋っている感じがする」と反応した。やまとは1998年生まれで今年28歳、りんたろうは2001年生まれで3歳下にあたる。やまとによれば、自分ならその経験を前向きに捉えて「出し切った経験」にカウントする。だからこそ、なぜりんたろうがそれを数えないのか、その背景を理解する必要があると考えた。

りんたろうの説明はこうだ。出し切ったという話は、たいてい長い期間をかけたものである。たとえば1日15時間の受験勉強を2〜3か月続けて難関大学に入った、というような話を自分はできない。

SNSが比較の順番を壊している

やまとはここで「本質をつかんだ」と言い、原因はSNSの影響が強いと見立てた。りんたろうが挙げた例は、どれもSNSで目にするものばかりだというのだ。「上には上がいる」という比較を常に自分に当てはめ、その人ほどではないという軸で自己評価を下げている。その結果、自分を正しく評価できなくなる。

SNSがなければ、比べる相手はせいぜい周りの友人や、模試の全国順位くらいだった。しかし表に出ている人の話に触れると比較が際限なくできてしまい、トップクラスの人と比べれば自分が下になるのは避けられない。やまとの世代はSNSが始まったばかりで、SNSは友人と何かを共有するためのものだったという。たった3年の差でコンテンツの性質や影響がここまで違うことに驚いた、とやまとは話す。世代や年齢でくくるのは良くないと断りつつ、そうした側面があるのではないかという見立てである。

やまとは、比べるタイミングが早すぎるのだとして、モンスターハンターにたとえた。本来はレベル1のクエストでドスギアノスのようなモンスターを倒し、経験値を積んでいくべきなのに、初期装備でいきなりティガレックスを倒しに行っている。最初からすべてのモンスターが見えてしまっているせいで萎えてしまい、戦わなくていい相手と自分を比べてしまっている、というわけだ。

やまとが示した「正しい比較の順番」は次のとおりだ。まず自分との比較、具体的には昨日の自分や1週間前の自分と比べる。それを繰り返して小さな自信を作り、その自信をもとに隣の友人と比べる。こうして正しい比較を重ねることで自信や能力は伸びていくが、その順番がSNSによって完全に壊されている。もっと下の世代になるほど恐ろしい、とやまとは語った。

量をこなしていないことは悪ではない

りんたろうは一つ疑問を挟んだ。どんなにすごい人も最初はとにかく量をこなしていたという話がある。量よりも質を重視し、うまくやろうとする自分の生き方は、違うのではないか。

やまとはこれをはっきり否定した。『命の燃やし方』の冒頭にも、これは自分にとっての正解であって、読者全員にとっての正解ではないと強調して書いたという。本当に質をつかむのがうまく、質から入れる人も少数ながらいるはずで、その人に「量が絶対だ」と言うのは自己正当化でしかない。自分の正しさを他人に押しつけるために本を書いたのではなく、自分の能力を見つけるきっかけとして使ってほしい。量をこなしていないこと自体は悪ではなく、「質がつかめていないなら量をこなすべき」というのがやまとの論理である。

ロールモデルは「好き」の寄せ集めでいい

りんたろうは、ロールモデルを探すことが難しくなっているとも話した。昔は身近に先輩がいて、やっていることも近いので、その人の道をたどればある程度身につくことが多かった。今はロールモデルになりうる人が無数にいて、すごい人から怪しい人まで混ざっている。仕事のやり方すら手探りの若手が、誰の何を真似すればいいのかわからない。

やまとの答えは、ロールモデルを一人に絞る必要はない、というものだった。この人のこの部分がいい、という要素をいくつかつまんで未来に置いたものが、自分の理想像になる。一人を追い続けると、その人だからうまくいったという再現性のなさに必ずぶつかる。この人のこの部分ならこうすれば真似できる、と見定めて重ねていった先に、「自分」というオリジナルができる。

やまと自身の場合、中心にいるのは父親だという。生き方や芯の通し方は父親を見て育ち、それを貫いていいのだと学んだ。西野さんのマーケティングに対する考え方やセンスは自分の活動にも応用できそうだと感じ、話を聞いたり勉強したりしている。ONE OK ROCKのTakaさんについては、人生観や考え方、その伝え方が好きで、熱さや貫く姿勢をもらっている。「好きな人の血が自分の中に流れている」とやまとは表現した。

そのうえで、ロールモデルを見つけるサインは単純に「好き」「かっこいい」という感情だという。この人のここが好きだ、自分もこうなりたい、なぜ好きなのか、どうすれば獲得できるのか、と考えていくと引き寄せられていく。それが自分と融合したとき、Takaさんでも元の自分でもない、混ざった何かができる。内側から出てくる感情でなければ心に刺さらない、というのがやまとの感覚である。

満たされた世代のニヒリズムと「ガチになるのは楽しい」

りんたろうは、この悩みが自分だけのものなのか世代的なものなのか、判断が難しいと話した。お悩み相談の動画をこれまで60本ほど撮ってきたが、1本目で孝介さんに相談したのも「もっと単純に燃えられる目標がほしい」という内容だった。それくらい人生に強烈な向かい風がなく、満足して暮らせてしまう。面白いものはスマホでいくらでも見られるので、なぜ頑張るのかという感覚は世代としてあるのかもしれない、と。

やまとはこれを「ニヒリズム的な考え方」になっているのかもしれないと受け止め、自分はそれを変えたいと語った。伝えたいのは、自分の経験として「ガチになるのは楽しい」ということだ。恋愛でも部活でも勉強でも仕事でもいい。好きだ、熱中したいと思ったものに素直に熱中していい。ガチにならないことが幸せならそれでいいが、何か物足りなさがあるなら、心に正直になってやりたいことにガチになってみてほしい。

何のためにやるのかと問われれば、ガチになるためにやる、というのが一番シンプルで本質だとやまとは言う。結果やお金を見て走っているのかもしれないが、一番大切なものはプロセスに宿っていると後から気づく、という考えである。

本当の失敗は「やらなかったこと」

りんたろうは、ガチになるのが怖いという感覚もあると打ち明けた。本気で取り組んだのに評価されないことや、滑ってしまうことが怖い。失敗するのがとても怖い、と。

やまとは、それは「すごくもったいない」と答えた。いろいろなところで言われてきたことだと断りつつ、みんなが失敗だと思っているものは実は失敗ではないと、人生の早い段階で気づけるかどうかで見え方が大きく変わるという。うまくいかなかったり滑ったりすることが失敗なのではない。ガチになりたいと思ったのに、リスクや恐怖を理由にやらなかったことこそが本当の失敗だ。好きな言葉ではないが、いわゆる成功者は経験によってそれを実感している、とやまとは話す。

だからこそ学生時代の過ごし方が大事だという。部活でも勉強でも恋愛でも、ガチになって失敗し、失敗しても大したことはないと体で覚えておけば、大人になってからもできる。知らないからできない、という不確実性から不安や恐怖はやってくる。それを受け入れられたとき、人間としてのレベルが上がるのではないか、というのがやまとの考えだ。

りんたろうは、そうした話はビジネス書で散々読んできたが、実感できないと返した。自分のメディアでもサムネイルをテストすると、失敗しないための方法を煽るような案が一番伸びる。人間はどうしても怖がってしまう。そのブレーキをどう外すのか。

炎上で知った、現実とSNSの「失敗への触れ方」の違い

やまとの答えは「SNSをやめる一択」だった。SNSで見ているものが失敗への恐怖を強く作っているという。

根拠として語ったのは、自身の炎上経験である。炎上してネットで叩かれ、もう家から出られないのではないかと思った。コンビニに行くにも隠れるようにして出かけたが、そこで会った視聴者からは「炎上大変だと思うけど頑張ってください」と声をかけられた。炎上中でもそうでない時期でも、現実世界で失敗やしくじりについて何か言ってくる人はまったくいなかった。現実とSNSでは失敗への触れ方がこれほど違うのだと体感したという。

やまとによれば、SNSは人の成功と失敗の波を見て楽しむ場所だ。誰かが伸びたときはみんなで押し上げ、何かをやらかしたときはその何倍も下に叩き落とすことが快楽になっている。現実世界で友人がしくじっても「何やってんだよ、次はやるなよ」で終わる。それを体感しないまま、SNSで叩き落とされる人ばかり見るので、失敗は怖いもの、失敗したら人生終わりだと頭に刷り込まれてしまう。そうなるくらいならSNSはやめた方がよく、具体的にはXだという。やまと自身も、発信はするが、ネガティブな感情が一番数字を取る世界だからXは見ないと話した。

りんたろうは、実は昨年10月からすべてのSNSアプリを携帯から消しており、発信したいときだけ見ていると明かした。やまとは、刷り込まれていることを一度メタな視点で客観視できればよいが、TikTokもInstagramもYouTubeも最初からある状態で携帯を渡される子どもたちにはそれがデフォルトになる、と懸念を示した。ただし逆に言えば、今の若者は勝ちやすいともいう。周りが怖くて動けない中で、頭をバカにしてスタートを切れた人は簡単に抜け出せる。やまとはそういう時代になっていると見ている。

「バカになれない自分」は好きか

りんたろうは、頭で考えすぎてしまい「バカになる」のが苦手だと相談した。やまとはまず、「バカになれない自分は好きか」と尋ねた。りんたろうの答えは「半分好きで半分嫌い」。

やまとは、話を聞いていて、やり切った経験がない自分のことも実は好きなのだろうと感じていたという。コンプレックスと言っているが、そうは聞こえない。そう言えば「考えている若者」に見られて気持ちよくなっていないか、と少し厳しい指摘もした。斜に構えた自分をかっこいいと思えているならそれでもいいが、本当に変えたいなら言うべきことは違う、どちらなのかを聞きたい、と。りんたろうは以前にも同じことを言われたと苦笑した。

りんたろうの本音は、ガチになれる自分になりたいというものだった。邪魔をしているのは、これまでそう生きてきたために周囲から「スマートにやれるりんたろう」だと思われていることで、ガチになるのはそれを否定し、過去の自分を否定する感覚があるという。やまとは、その問いにすぐ正直に答えられること自体が器の大きさでありかっこいい、と返した。

そのうえでの助言は、「バカになれる友達を作る」ことだった。自分では知らない領域に首根っこをつかんで連れていってくれる友人がいれば、バカにならざるをえない。やまと自身、視野が狭くなりすぎないよう、自分ではお金を払って行かないようなものに友人から誘われたら必ず行くようにしている。自分の判断で「これはやらない」と選別していると、その世界を見ずに人生が終わり、感性も広がらないからだ。一見面倒に思えることに無理やり連れていかれるよう、「変な誘いをしてくれ」と周囲に言っておくという。

りんたろうが「変な誘いはしないで」と言ってしまっている、と答えると、やまとは、真面目だからこういう誘いには乗らないだろうと思われているなら、無茶な依頼に乗る人としてキャラクターを再設定してみるのが重要だと勧めた。年の違う人にインタビューする機会があるなら、「変な飲み会があったら連れていってください」と言っておく。そこでガチになれるものが見つかるかもしれないし、「お前これやるぞ」と無理やりガチにさせられるかもしれない。

300年生きたいという目標

やまとが長期的にどんな人になりたいかを尋ねると、りんたろうは「無限に生きたい」と答えた。ONE PIECEのクロッカスのように、この世界に入ってくる若者を「よく来たな」と迎えるだけのおじいさんになりたい。具体的には300年ほど生きたいという。

そのために今やっていることを聞かれると、体質が虚弱なので徹底的に健康を保つこと、体力をつけて健康習慣を整えることを挙げた。その意味でも、無理をして人生の前半に何かを集中させることには抵抗があるのかもしれない、とりんたろうは話した。

やまとは、明確な目的意識があるなら悪いことではないとしたうえで、ガチになってみたいと思っているのにブレーキをかけるのはもったいないと指摘した。今のりんたろうと、長く生きた先のりんたろうとでは、できることがまったく違う。体力や時間を投じることは今しかできず、残酷だがそういうものがある。いわゆる「若者カード」は使えるだけ使っておかないと差がつく、というのがやまとの見方だ。

なぜ300歳なのかという問いに、りんたろうは、300年くらい経てば日本や地球がまずいことになっているのではないかという漠然とした推測があり、そのときまでいたいのだと答えた。それより早くそうなるなら200歳でもいいという。長く生きるにはまず積み上げが必要で、お金も不老技術のようなものにリーチすることも必要なので、そのために頑張っていると話した。やまとは、ゴールがあって逆算して行動できていること自体が賢くて面白いと評し、りんたろうには独特の「抜け感」を感じると話した。

納得感は「接地面積」から生まれる

話は冒頭のラグビーの件に戻る。りんたろうは、あの経験を出し切ったと言えないのは、納得感のある人生を送れていないからではないかと考え、納得感はどう作れるのかと尋ねた。

やまとが挙げたのは、自分が取り組む物事との「接地面積」をどれだけ増やせたかである。この世の仕事のほとんどは自分でなくてもできてしまうという、とても悲しい真理がある。誰が会社からいなくなっても会社は回り、どんな芸能人やアスリートがいなくなってもその世界は回っていく。やまとはこれをネガティブではなくポジティブに捉えているという。いなくなっても回ってしまう前提で、どれだけ個人的に納得してその仕事に関われるか。熱中したりガチになったりすることは、そのための手段として接地面積を増やすことになる。面積が大きいほどのめり込んで全力でやれている状態になり、納得が生まれやすい。同じプロジェクトが成功しても、少ない接地面積で関わった場合より、大きく関わった場合の方が達成感は大きいはずだ、とやまとは話す。

ただし、何でもかんでも引き受けるという意味ではない。自分がいなくなっても誰かが補欠で入るだろうが、その人よりは自分の方ができる、という自信を持てる部分の面積を増やしていく。今のところ自分が一番価値を出せる領域を、逆算的に広げているという。

この考え方には、もう一つの効用があるとやまとは言う。精神的にきつくなったとき、「自分しかいない」と思っていたらやめられず、心が壊れてしまう。自分がいなくても誰かがいて回ると思えれば、やめることもできる。スタンスをどちらにも動かせるからこそ、「誰がいなくなっても世の中は回る」ことをポジティブに捉える練習をしておいた方がいい、というのだ。

りんたろうが、そう考えるとニヒリズムに入り「いなくてもいいじゃん」となりがちではないかと問うと、やまとは、だからこそニヒリズムを超えるまで考えなければいけないと答えた。そこで止まれば、世の中を斜めに見て冷笑するだけの格好悪い人になってしまう。悩み抜いて超えると「まあどうでもいいか」と思える瞬間があり、そこを能動的に捉えていくと人生が楽しくなり、自分で意味をつけられるようになる、という。

りんたろうは、ちょうど仕事で多くの責任を任される立場になり、自分だけに集まりすぎるのが怖い、自分がいなくなったらどうなるのかと考え始めていたところだった。この考え方を聞いて、逆にもっと頑張ろうと思えたと話した。

「病むくらいなら辞める」と自分を最優先する理由

やまとは、口が裂けても言ってはいけないことかもしれないと前置きしつつ、自分の精神が病むくらいなら今の仕事をやめようと思っている、と明かした。コムドットのリーダーである本人の発言として、りんたろうは驚いた様子を見せた。

やまとによれば、一番大事なのは自分だ。周りの友人よりも家族よりも、将来結婚する相手よりも。子どもについては「もしかしたら超えてくるかもしれない」と留保をつけた。まず自分がいなければ自分にとっての世界は存在しないのだから、自分の気持ちや体調を一番気にかけていないと、結果的に全員が不幸になる。だから自分を一番大切にするのだという。

それは他者への愛にもつながる、とやまとは続けた。自己愛がない人の他者愛は偽りであり、必ず見返りを求めるものになり、結果的に周りを攻撃する原因にもなる。これは本にも書いたことだと話し、りんたろうも本の内容が腑に落ちたと応じた。

失敗はしたくない、それでも「人生厚み理論」

終盤、やまとは、できてしまうがゆえの悩みなのだろうとりんたろうを評した。りんたろうは、SNSネイティブ気味なので攻略法や失敗しない方法をたくさん学習し、その通りにやって失敗しなかったこともある、と返した。やまとが「失敗したい?」と聞くと、りんたろうは「したくないです」と即答し、やまとも「そうだよね、失敗はしたくないよね」と認めた。

それでも失敗は案外楽しい、とやまとは言う。嫌な気持ちにはなるし、萎えるし「マジかよ」とも思う。そこで紹介したのが、尊敬するクリエイティブディレクターの先輩から教わった「人生厚み理論」だ。人は楽しいことがあればプラス、悲しいことがあればマイナスに振ると考えがちだが、この理論では符号を取ってしまう。楽しい3も悲しい3も同じ3であり、その振れ幅の合計が人生の厚みを決める。

この考え方を聞いてから、悲しいことや辛いことも大きいほど人生の厚みになると思えるようになったという。今は悲しいがこれも厚みか、彼女にひどい振られ方をしたがこれも厚みだ、と。もちろん楽しいことも厚みになる。その厚みが話の面白さや人間の深さになっていくのだから、いろいろなことを経験した方がいい。それがやまとの最後の答えだった。

りんたろうは、今後自分が先頭に立って新R25を若手向けのメディアとしてやっていくことになると話し、やまとは「ガチでやります」というりんたろうに、テーマを決めたトークはあまりやったことがないが楽しそうだ、またぜひ呼んでほしいと応じて収録は締めくくられた。