石丸伸二さんに聞く「顔色をうかがう癖」との付き合い方:コミュニケーションは性格ではなくスキルだという立場
新R25チャンネル新R25の編集部員で、元NHK記者の十石泰誠さんが、前安芸高田市長の石丸伸二さんに個人的な悩みを相談した。相談は「人の顔色をうかがってしまい、相手に踏み込めない。その結果、人間関係が深まらない」というものだ。市長時代に議会やメディアと強く対立した印象のある石丸さんなら厳しく突き放すのではないか、と思わせる組み合わせだが、返ってきた答えは違った。石丸さん自身も相手の気持ちを読むことを強く意識してきたと言い、コミュニケーションは性格ではなく訓練で伸ばせるスキルだという立場から、具体的な考え方を順に語っている。
相談の背景:「君は記者に向いていないんじゃないか」
収録前の編集部の雑談で、十石さんは悩みの出発点を説明している。前職のNHK記者時代には、取材相手が嫌がることも聞かなければならない場面が多かった。十石さんはそうした踏み込んだ発言がとても苦手で、取材のたびに「心がえぐられる」ような思いをしていたという。
記者3年目のころ、何度も取材して親しくしてもらっていた議員から「君は記者に向いてないんじゃないか」と言われた。厚かましく聞いてくる人のほうが記者としての取材力があり、君にはその厚かましさが足りない、いい人すぎる、という指摘だった。十石さんはこれにとても腑に落ちたという。そして、こうした踏み込む力は記者に限らず、人間関係を深めるうえでも一定程度必要なのではないかと考えるようになった。
同席した編集部員は、ピリピリした上司に話しかけるタイミングをうかがうような経験は自分にもあるが、行けるかどうかは相手によると話した。十石さんの場合は相手を選ばない。親や親戚、恋人に対しても、相手の意に沿わないことを言えないという。本人はこれを「気を使える」とは違うものだと説明している。相手の機嫌を損ねることを恐れて、無難なことしか言えなくなっている状態だという。将来マネジメントを担えばフィードバックもできず「いいねしか言えない」ことになり、致命的ではないかと十石さんは懸念していた。一方で、何でも言ってくる人も嫌われる。言うべきところで適切に言う、そのバランスが難しいという点で編集部員たちの意見は一致していた。
石丸さんの経歴と、安芸高田に戻った理由
本編の冒頭で、十石さんは初任地のNHK広島放送局にいたころ、市長時代の石丸さんの会見を一度だけ取材したことがあると明かした。当時は1年目で1対1のインタビューなどできる立場ではなく、それが転職先で実現した形になる。
石丸さんの経歴も紹介された。京都大学経済学部を卒業し、三菱UFJ銀行に入行した。銀行では全員が最初に営業を経験するため、石丸さんも兵庫県姫路で個人・法人の仕事をひと通りこなした。その後東京でアナリスト、エコノミストとして働き、ニューヨーク駐在も経験している。最も長かったのは東京での勤務だった。京都の大学を出て実家が広島だと、その中間の姫路に配属される。石丸さんはこれを冗談めかして「地方出身の人間は使われちゃう」と話した。十石さんも、大阪出身で関西に近い希望を出したのに鳥取に異動になった経験を語り、笑いを誘っている。
安芸高田市に戻ったきっかけについて、石丸さんは「NHKですよ」と答えた。東京で働いていたとき、たまたま夕方か夜のニュースで安芸高田市長選の話題を耳にした。前市長がいわゆる河井事件で辞職し、その後の選挙には副市長しか手を挙げておらず、無投票になりそうだという内容だった。石丸さんはこれを「まずい」と感じて帰郷したという。多くの人が無投票だと思っていたところに、選挙をやるために若者が戻ってきたので、地元ではかなり驚かれたそうだ。
銀行時代、誰よりも顔色をうかがっていた
十石さんはまず、上下関係の強い銀行で自分の意見をどう通してきたのかを尋ねた。石丸さんは、銀行が相当な縦社会で組織の論理が強いことを認め、その中での生き方は人によって千差万別だったと話す。そのうえで、自身は「めちゃくちゃ顔色はうかがって」いたし、もっと言えば相手の気持ちを読むことをかなり意識していたと答えた。
対象は上司に限らなかった。上司、先輩、後輩、同期、取引先に加え、ときどきメールでやり取りする程度の他部署の人まで、自分に関わるおよそすべてのステークホルダーを意識していたという。石丸さんは十石さんの悩みを聞いて、自分にも今も昔もそういう面があったと思い出したと言い、40代、50代になっても同じ悩みを持ち続ける人は多いのではないかと感じたと述べた。
読解力は反復で鍛えられる:国語の問題とのたとえ
気持ちを読む力はどう磨くのか。石丸さんが最初に挙げたのは「反復」であり、その意味するところは「慣れ」、ありていに言えば経験だった。社会人4年目の十石さんは経験の総量がまだ限られているが、それは時間とともに増えていく。この点は安心していいと石丸さんは言う。ただし、無意識に過ごして密度の低い時間を積み重ねても「スカスカふわふわ」になるだけで、一日一日を密度高く過ごすことで強固な土台ができるという。
具体的なトレーニングはやり取りそのものだ。自分の思っていることをうまく伝え、同時に相手の言っていることをなるべく正しく理解する。その繰り返しである。石丸さんはこれを大学受験の勉強の延長として捉えている。文字で考えるのが国語、数字で考えるのが数学、という程度の違いだと言う。国語の読解問題で、傍線部の筆者の気持ちを選ぶ設問の答えはひとつに定まる。それでも全員が正解するわけではなく、人間は読み間違える。同じことは日常の会話でも頻繁に起きており、国語で100点を取れる人と60点しか取れない人の間には読解力の差がある、というのが石丸さんの見方だ。
十石さんは、受験と違って社会でのコミュニケーションは点数が見えにくいと指摘した。石丸さんは点数どころか正解も書いていないと認めつつ、だからこそやり取りに意味があると答えている。相手の言葉を受けて「こういうことですか」と返し、相手が「いや、そういう意味です」と修正を入れれば、自分の理解が満点ではなく80点程度だったと気づける。これを繰り返せば10回のうち正解する回数が増えていき、社会人になっても読解力は高められる、というのが石丸さんの考えだ。吸収の速さに個人差はあっても、やるかやらないかの差は絶対的だとして、機会を恐れずに手にしてほしいと述べた。
囲み取材で質問できなかった後悔と「まずはスライムから」
ここで十石さんは、石丸さんの囲み取材に行ったとき、実は何も質問できなかったと打ち明けた。準備していた質問には突っ込みどころがありそうで、相手が何を答えればいいのかが不明確だった。ニュースとしての価値も、石丸さんに答えてもらう意味も自分でよくわからず、これは聞けないと判断してやめたという。石丸さんがきちんと答えてくれた可能性も、質問がおかしいと指摘してくれた可能性もあったのに、そのチャレンジの機会を自ら捨ててしまった、と十石さんは振り返る。当時は中国新聞とのやり取りも見ていたので、県内で一番のボスくらいに感じていたという。
石丸さんは「非常に胸の痛くなる話」と受け止め、当時の自分に囲み取材で質問するのは勇気がいっただろう、罵られる覚悟で行くしかなかっただろうと笑った。そのうえで、十石さんはその後の3年で確実に成長しており、今ならできるはずだと話す。慣れは寝ていても身につかず、外に出てトライするしかない。ただし、いきなり強い相手に挑んで返り討ちにあうと心が疲弊する。ドラゴンクエストでいきなりラスボスを攻めるのではなく、まず近くの村でスライムを倒すような鍛え方がいい。「いきなり石丸市長のところに取材に行くのはおすすめしない」とも付け加えた。
また石丸さんは、質問できなかったとしても現場に行ったこと自体がひとつの経験だと指摘した。周りの記者がどんな質問をどのようにしていたかを見られたのだから、次はああやってみようと学べる。だから無駄ではなかった、という評価である。
ぶれない姿勢の正体は「優先順位」
十石さんは次に、議会から批判を受けながらも自分を持って発言していた石丸さんの姿勢がどう培われたのかを尋ねた。石丸さんの答えは「めちゃくちゃ簡単」、イージーではなくシンプルという意味で単純だというものだった。つまり、優先順位をきちんとつけることだ。
人は昼食に何を食べるか、おやつを食べるかどうかも含め、常に意思決定を迫られている。そのたびに優先順位が必要になるので、それを明確に持つことが大事だと石丸さんは言う。市長時代については、何のために自分がいて仕事をしているのかを深く考えた結果、最初に優先すべきは「政治の再建」だったと説明した。安芸高田の政治は、お金を扱う汚職事件が起き、市民の間に政治への不信感が広がっていた。多くの市民はそんなものかと諦めていた。石丸さんはそれが安芸高田や広島に限らず全国的な状態だと考え、そうではないことをやらなければならないと思った。そのために何をするか、逆に何を我慢するかを決めただけだという。
石丸さんはこれを極端な例で説明した。世界タイトル戦に挑むボクサーは、減量の最終段階で、焼肉やビールが大好きでも試合の前日には口にしないだろう。そこまで突き詰めた人はもはや欲しくもならず、仮にひと口食べても美味しく感じるより「なんてことをしてしまったんだ」という罪悪感のほうが勝る。人の精神はそういう方向に向けられるし、肉体もそれに伴っていく、というのが石丸さんの考えだ。
罪悪感と「職業人」という意識
罪悪感という言葉について、石丸さんは幸福か不幸かを動かす要素だと説明した。罪悪感はないほうが幸せなので、自分はそれを減らしたいだけだという。ただし、人に好かれる、嫌われないといったことも幸せの要素なので、結局はそれぞれの重みの量り方の問題になる。
さらに石丸さんは、仕事には「やりたい」と同時に「やらなければならない」という使命感があると話す。やらなければならないことをやらずにいると、とても苦しくなる。企画書の締め切りが迫っているのに手をつけていない状態を例に、怒られること以上にその状態自体が嫌ではないかと問いかけた。それを重ねるうちにできるようになっていくのが社会人の成長ではないか、という見方だ。
石丸さんはよく「職業人」という言葉を使うという。市長時代にメディアに厳しく接したのも、仕事なのだから手を抜くな、いい加減な報道をするなという期待の表れだったと説明している。自分も銀行員として命をかけて働いてきたつもりなので、相手にもそうあってほしかったのだという。その姿勢に忠実に従えば仕事の質は自然に上がり、所属組織からは役に立つと評価され、業界のライバルからも一目置かれる。それが大事な価値になる、と石丸さんは述べた。
関係が深まらないのは「心理的安全性」の問題か
十石さんは記者時代にスクープがまったく取れず、企画で頑張ろうとしていたと話した。スクープを取れる記者とそうでない自分の差は、相手の心に踏み込む力にあるのではないかと考えてきたという。さらに別の悩みとして、友人はいても親友と呼べる関係ができず、浅いところで関係が終わってしまうことも挙げた。
石丸さんはここから見えてきたものとして、「心理的安全性の確保」がお互いにできていないのではないかと指摘した。友人でも取材相手でも、ここまで言っていいのかどうかを双方が測りかねている状態だという。その手がかりとして石丸さんが挙げたのが、最近親しくしている箕輪厚介さんの例である。石丸さんによれば、箕輪さんは天才的に人と仲良くなるのがうまく、しかもかなり深いところまで入り込む。石丸さんが会って話したのは10回もないかもしれないが、それでも深く理解し合えていると感じるという。
石丸さんはその理由を自己開示の力だと見ている。箕輪さんは「いきなり全裸で登場する」くらいあけっぴろげに来る。恥ずかしい気持ちもあるのだろうが、それより大事なものがあるから優先しているのではないか、と石丸さんは推測する。そこまで全部見せられると、こちらも自分の話をしたくなる。これを1対1でも1対複数でも起こせることが、箕輪さんの職業人としてのすごさの根にある、というのが石丸さんの評価だ。
自己開示とは「情報の共有」である
いきなりすべてをさらけ出すのは抵抗があるだろうから、要所要所で自分の話をしてみるといい、と石丸さんは提案する。例としてこの対談そのものを挙げた。十石さんが広島や鳥取の話をしたので、石丸さんも「僕も姫路でね」と言いたくなった。お互いの経験を共有すると心が通じている感じがしてくる。その繰り返しではないかという。
石丸さんはこれを自分なりの言葉で「情報の共有」と言い換えた。人間は言葉でしか意思疎通できない。話すか、LINEやメールなどのテキストでやり取りするしかなく、気持ちをどれだけ持っていても表現しなければ伝わらない。だからここを丁寧に一生懸命やることだ、という。
十石さんは、職場でどこまで自己開示していいのか、飲み会のような場が必要なのかを尋ねた。石丸さんは、飲みニケーションという言葉は今も生きているとしつつ、自分が銀行に入った2006年から20年ほどで時代はずいぶん変わったと話す。今は飲み会に行かなくても職場の普段の会話で情報共有をするべきだという風潮になっており、お酒を飲まなくても足りると感じているという。昔の銀行では社宅や社員寮で上司と部下が家族ぐるみで付き合い、週末は一緒にゴルフに行くのが当たり前だった。それに比べると、今は深いつながりにはなりにくくなっているかもしれない。だから時代に合わせて適当な程度を探るしかない、というのが石丸さんの見立てだ。
関係は深くなくてもいい
ここで石丸さんは「気になったポイント」として、そもそも深く付き合わなくてもいいのではないかと問いかけた。適切な距離感は時と場合による、という考えだ。
石丸さんはこの対談を例に挙げた。十石さんが事前の説明文も含めて真摯に向き合ってくれていると感じたので、自分も一生懸命考えて答えようと思って来た。仕事の場ではあるが、これはいいコミュニケーションになっていると思う。この後に飲みに行くことにはならないかもしれないが、それで何か悪いのか、という問いかけである。家族にも父母、兄弟、親戚とさまざまな関係があり、全員と同じ程度につながっているわけではない。少しだけつながっている関係もたくさんあり、それに意味がないわけではない。そういう関係ばかりだと物足りなくなって、中にはしっかりした親子関係や強い友情がほしくなるにしても、すべてがそうはならない、と石丸さんは述べた。
十石さんは、初めて取材した相手や例の議員とも1対1で飲みに行けるほど親しくなれなかったと話した。議員と1対1で飲みに行く記者を見て、自分のキャラクターに合わないやり方なら自分には向いていないのかと思ってしまう。適切な付き合い方が本当にわからない、と率直に語った。
性格や好き嫌いは関係ない:自転車のたとえと議員への指摘
これに対し石丸さんは、「奥が深い」と前置きしたうえで、コミュニケーションに性格や好き嫌いは関係ないというのが自分の解釈だと答えた。コミュニケーションはスキルでありテクニックだからだという。
石丸さんは自転車を例に出した。十石さんは自転車が「嫌いではない」程度だというが、それでも普通に乗れる。ロードバイクに乗るほど好きでなくても、乗る技術はある。コミュニケーションもそれくらいのものだという。そこに自分の好き嫌いを持ち込むと、先ほど話した職業人としてのレベルが上がらない。職業人として成長することを優先するなら、焼肉を食べたいという気持ちのような個人の好き嫌いは一旦置いておく、というのが石丸さんの考えだ。
市長時代の議会対応についても、石丸さんはこの観点から説明した。議員の良くないところは厳しく指摘してきたが、ずっとそうしてきたわけではない。おかしい、間違っていると思いながらも「まあいいか」と飲み込むこともまあまああったという。不正を見逃していたわけではなく、いちいち指摘しなくていいと判断した場面があったということだ。ここは絶対に光を当てなければならないというときにはそちらに向かう。それは意識による選別だと石丸さんは言う。十石さんが、それは相手が嫌いだからではないのかと確認すると、石丸さんは「本当にそうです」と答えた。嫌いだから厳しくしているのだとしたら危ない。それなら好きな人には手を抜くことになり、不誠実な人間に見えて信じてもらえなくなる。政治家、とくに首長としては不適切なので、自分の軸は絶対に動かしてはいけないと思っていた、と述べている。
人によって態度を変えるのは「是」、変えてはいけないのは軸
続けて石丸さんは、「人によって態度を変える」ことの是非を自ら持ち出し、自分は是だと考えると明言した。人との関係はすべて違う。初めて会った十石さんと、43年世話になった母親に同じように接することはできない。母親にビジネスのように接したら母親は驚くだろう。石丸さんは、極論だがと断りつつ、そう話した。
変えてはいけないのは自分の軸だという。たとえば石丸さんは自分の人生を大事にしており、今は仕事に一生懸命向き合っている。だから実家に帰れないことがあっても、両親は生き方を通しているのを見ているので理解してくれると思う。しかし、ふらふらして仕事も何をしているかわからず、金の無心のときだけ帰ってくるような息子なら、息子であっても許せないだろう。態度は人によるし、同じ人でも場面で変わる。たとえば広島で十石さんとばったり再会したら、新R25の話だけでなく、広島でどこに飲みに行っていたかといった別の話をして、別の関係ができるはずだと石丸さんは言う。
石丸さんは家族であっても別人格だと強く意識しているという。両親には非常に感謝しており、愛してくれていると感じている。それでも甘えて何をしても許されるわけではなく、間違ったことをすれば息子として見放されることもなくはない、と考えるくらい引いて見ている。そのほうがちょうどいい関係を築けるし、自分はそのほうが幸せになれるという。親しい友人に対しても、金を貸すとか奢るという意味ではなく、集まったときに友人としてこうありたいという理想像を意識している、と話した。
「石丸伸二」というキャラ設定
十石さんが、そういう人のほうが信頼されるし、政治家なら癒着するような人には任せられないと応じた。すると石丸さんは「語弊を恐れず言うと」と前置きして「キャラ設定」という言葉を出した。「石丸伸二」というキャラには、距離や角度によっていろいろな見え方がある。それぞれの立場の人が期待するものに、可能な限り応えたいという思いがあるという。
十石さんは、市長時代の石丸さんと今話している石丸さんがまったく違う人に見えると伝えた。石丸さんは、市の職員のように近くで、なんなら後ろからずっと見ていた人なら、今のやり取りを見ても全然変わっていないと思うはずだと答えた。メディアや外の人にはそうした部分が見えにくいのはしょうがない、という受け止めである。そのうえで、場当たり的に振る舞うと毎回様子が変わり、ふにゃふにゃしたものは角度を変えて見ると捉えきれなくなると指摘した。キャラ設定がかっちりしていれば、見る角度はいろいろでも像はひとつに定まる。それが大事なのだという。
陰キャ・陽キャという自己規定
十石さんは、陽キャ・陰キャという言葉は自分にキャラ付けをしてしまう良くない言葉だと思うと切り出した。十石さん自身は陰キャだと自認しているが、MBTI診断では「エンターテイナー」と出る。友人からは、エンターテイナーになりたいからそう出るのではないかと言われたという。陰キャと自認している自分は、相手を乗せる明るいコミュニケーションができないのではないか、という悩みもあった。
石丸さんはこの指摘に「全く同意」し、そうした自己規定に流されるのは良くない、レッテル貼りにつながると話した。「あの人はこういう人だ」なんてわけがない、というのが本心だという。逆に自分は陰キャに感じられるかと十石さんに尋ねた。十石さんは、本人は陰キャだと思っていそうだが周りからはとても陽キャに見える、と率直に答えている。石丸さんはそれを認め、自認は陰キャだがMBTIでは外向型の「指揮官」と出ると明かした。正直に回答したつもりでも、どこか自分が願っている姿が投影されている気がするという。十石さんは、それを自己実現しているから周りに陽キャと思われるのではないか、自分の目指す姿は石丸さんなのかもしれない、と話した。
石丸さんは、大学時代は本当に内向きな過ごし方をしていたと振り返る。それが今こうなっていることから、人は成長する、もっと言えば変わりうる存在だと実感しているという。さらに、たとえ自分がそれほど変わっていなくても、時と場所、TPOによって見え方はずいぶん変わる。人という存在も、その評価も「いい加減」で「適当」なものだから、陰キャだ陽キャだと自分を決めつけると損をする、というのが石丸さんの主張だった。
「人見知り」と言うのは言い訳の宣言になる
その具体例として石丸さんが挙げたのが、「私、人見知りなんです」と自分で言うことだ。石丸さんはこれを本当に良くないと考えている。話はさらに謙遜全般に広がった。謙遜は日本では美徳とされるが、時と場合と程度による。選挙に出ているのに「銀行員でまあまあやってまして」とは絶対に言わず、そこでは堂々とアピールする。一方で、飲み会の初対面の場で同じように経歴を滔々と語るのは単にうざいだけだ、と石丸さんは言う。
石丸さんによれば、「人見知りなんです」と言うのはエクスキューズ、つまり言い訳であり、「私はこれ以上頑張りません」という宣言になる。そうなると「気を使ってくださいね」という、悪い意味での厚かましさになってしまう。殻をかぶって守りに入ることは自分を大事にしているように見えるが、一方で周りを傷つけている。「自分はこうなんだ」と言うことは、「あなたに合わせる気はありません」というメッセージになる、というのが石丸さんの見方だ。十石さんは、SNSで叩かれやすい時代なので殻にこもりたくなる気持ちはわかると言い、「飲み会が苦手です」と言ってしまうのはZ世代にありがちではないかと話した。先輩に誘われて「飲み会苦手なんです」と答えたら、もう誘ってもらえなくなるだろうという。
断るときは「伝え方」を変える
石丸さんはここで補足した。飲み会が苦手だという気持ち自体はまったく正しい。とくにアルコールには体質の問題もあるので、伝えたほうがいい。問題は伝え方だという。「自分はお酒が弱くて」と言いつつ誘ってもらえたことは嬉しいと伝えるのが相手への礼儀であり、「お酒飲めないんですけど、いいですか」という言い方のほうがいいと話した。
「飲み会苦手で」と言うと、相手には「お前の誘いが嫌だ」という感情として伝わってしまう。自分の事情を伝えることはもっとしていいが、伝え方と伝わり方にもっと意識を注ぐべきだと石丸さんは言う。うまく伝われば、相手も「ごめん、お酒苦手だったんだな。じゃあカレーでも食いに行く?」と返せるかもしれない。「カレーなら行きたいです、奢ってください」となれば、とてもいいコミュニケーションになる。「ビールは飲めないですけど水でよかったら」と言えば、「じゃあノンアルで付き合うよ」という展開もありうる。拒絶の言い方をすると心の壁ができるが、ちょっとしたスキルで性格や好き嫌いは超えられる、と石丸さんは述べた。謙遜もひとつのテクニックであり、謙遜しまくれば勝ちというわけではない。やりすぎると、単に自信がない人、周りを大切にできない人に見えてしまうという。
ちなみに石丸さん自身は、お酒は好きだが大人数の飲み会は好きではないと明かした。1対1で飲みに行くほうがずっと好きで、みんなで騒ぐのもたまにならいいが、毎回だと気を使う量が多くて疲れる。若いうちの上司との飲み会もコミュニケーションのトレーニングにはなる。ただ、そこで疲弊するくらいなら、自分に必要なトレーニングに時間を割いたほうがいいという考えだった。
石丸さん自身も通ってきた道
最後に十石さんは、今回の悩みは性格の問題というよりスキル不足であり、逆に言えばいくらでも向上させられるものだと感じたと述べた。石丸さんは、自分が何か役に立つことを言えたとしたら、それは自分も同じ経験をしてきたからだと応じた。今でこそ偉そうに話しているが、20代、30代のころは自分も同じだったという。嫌な飲み会に呼ばれて、無下に「自分いいっす」と断り、先輩に「お前ちょっと待て」と怒られたこともある。あれはさすがになかった、と石丸さんは振り返った。
十石さんは、空気を読む力や自分の軸・信念の持ち方など、これまで考えていなかった価値観を学べたと話し、今度は石丸さんと飲みに行けたらと述べて対談を締めくくった。顔色をうかがう力は、石丸さんにとって捨てるべき弱点ではなかった。反復で精度を上げていく読解力であり、優先順位と軸さえ定まっていれば、相手ごとに態度を変えることも、関係を深めないことも選んでいい。これが石丸さんの答えだった。
悩みって言っていいのかも分からないレベルなんですけど、人の顔色を伺ってしまうっていう癖があるっていう悩みで、日本人こういう人多いんじゃないかなって思うんですけど、
僕の場合は前職で記者の仕事をしてましたと。記者の仕事って取材者に対して若干失礼な取材というか、相手が嫌がるようなことも聞かないといけない場面が結構あって、
尊敬しますよ。
それは仕方ないと思いつつも、相手に踏み込んだ発言とかを僕はすごい苦手にしてて、そういう取材をする時に心がえぐられる。
記者さんってそういうの強いイメージ。確かに。
経験がありまして、前職でNHK鳥取放送局で取材していた時に、ある議員さんが何回も取材させていただいた方で、割と仲良くしてもらった方なんですけど、その方に言われた言葉を今でもすごい覚えてて、「君は記者に向いてないんじゃないか」と言われ。
そうなんだ。鳥取だから1年目?
えっとね、もう最後ですね。3年目のタイミングですね。
なるほど。
君にはその厚かましさが足りない、みたいなことを言われて。厚かましく聞いてくる人の方が、やっぱり取材力というか、そういう力が記者には必要なんじゃないかみたいな。で、君はいい人すぎる、みたいなことを言われて、それ言われた時にすごい腑に落ちたんですよね。自分の中で。確かになみたいな。
でも多分それって記者以外にも、人間関係を深くするために一定必要な要素なのかなっていう風に僕は思ってて、人との関係を深められないとか、友達はいるけどすごく親密になれないみたいなのも、相手に踏み込んだ発言であったりとか、心の中に踏み込んでいけないみたいな、そういうウィークポイントが結構自分の中であるんじゃないかなっていう。
よくあるのは上司とかがすごいピリピリしてて、本当は今このタイミングでこれ聞きたいんだけど、行っていいかなとか。ステップみたいになる。行こうかな、行かないかなみたいな。そういうのは私もあったりはするけど、割と図々しく行くタイプではあるなって自分では思ってるから。半々ぐらいな感じがする。行ける時と、人によるのかな。
なるほどね。相手による。寄りますよね。
僕の場合は相手によらないんですよ。全員。
あ、全員。そういうこと。
なんだろ、親とか親戚、彼女とか、そうですね、言えないんですよ。
それは珍しいタイプかもしれません。
そういうことか。怖いのか。
怖い。その出現を恐れるというか。だから気を使えるとはまたちょっと違うんですよね。相手を否定するような発言すらできなくなってるというか。もう本当に、気に入ったことしか言えないみたいな。
だからやっぱり人間関係が深まらないというか、マネジメントもすることになったりしたら割と致命的だと思ってて、フィードバックとかもできないじゃないですか、それって。
そういうこと。なんか向こうが、これ言ったらハラスメントで訴えてくるんじゃないかとか、そういうことも考えちゃいそうってことか。
そう。なんか「いいね」しか言えなさそうみたいな。
それさ、「いい」と同じだよ。「いいと思います」、これだけ。
人間関係がやっぱ深まっていかないから、言うべきところではっきりと言うっていうスキルを身につけたいなと思ってるんですけど、なかなかやっぱり難しい。
確かにな。難しい。バランスが難しいですよ。そう。バランスが難しいんですよね。
言ってくるやつって基本嫌じゃないですか。全部言ってきたら嫌じゃないですか。
嫌だよ。やだ、やだ。
でも何も言わないやつも、それはそれで「お姉ちゃんこいつ」ってなりますもんね。
確かに言うべきところで言わないと、チャンスを逃したりしますからね。
そうなんです。本当に私も苦手だな。分かる。
俺もこの前『オフラインラブ』見てて、
恋リア本当に見ないんですよ。ごめんなさい。
なんかやっぱ言うべきとこで言ったやつが、理想の恋を手に入れるんですよ。
え。でもさ、謝りすぎてもさ、何? そうなの。ね。難しいよね。
そうなんです。早すぎたやつも、逃しちゃったやつもダメだったんですよね。ちょうどいいところで、ちょうどいいことをズバッと、決めるとこで決めるっていうのがやっぱいいんですよ。適切な配慮ができる人間になりたいんですよ。
適切なね。適切な配慮が難しいですよね。
今回は石丸伸二さんにお越しいただきました。今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。お願いいたします。
実はちょっと先ほど石丸さんにはちらっとお話しさせていただいたんですけども、僕、前職がNHKで記者をしてまして、初任地がNHKの広島放送局だったんですね。で、ちょうど石丸さんが安芸高田市長をされてた時に広島放送局にいて、実は石丸さんの取材、
なんと。
会見なんですけど、1回だけ取材させていただいたことがありまして。
へえ、じゃあ重なってたんですね。
そうなんですよ。直接1対1でインタビューする機会なんて、当時僕まだ1年目のペーペーだったので、そんな機会は到底なくてですね。1対1で取材したいなと思ってたのが、まさか転職先で実現するっていう。
しかもね、場所を東京に移して。
移して。いや、嬉しいです。
ありがとうございます。石丸さんですね、視聴者の方ももちろんご存知の方多いと思うんですけども、ちょっと簡単に私の方からご紹介をさせていただければと思ってまして、京都大学の経済学部をご卒業されて、三菱UFJ銀行に入行されたと。で、これはアナリストとして働かれたっていう。
が1番長かったですね。でも1番最初は、銀行って、今は違うかもしれないです。基本的に全員営業を経験するんですよ。十石さんがそうであったように、地方とかも色々行って、そこで個人・法人それぞれの一通りの仕事をやった後にアナリストですね。なので割合幅広く仕事はしてました。
なるほど。ご出身は広島県の安芸高田の方で、大学は京都で、働かれるタイミングは東京がメインというか、いろんなと……
最終的には。1番最初はでも兵庫県の姫路だったんですよ。
そうなんですね。
大学京都で実家広島じゃないですか。なんかその中間みたいなところに落とし込まれるんですよね。地方出身の人間は使われちゃうんですよ。十石さんもさっきそんな経験があるという風に言われたんですけど、
そうです。僕は広島が初任地だったんですけど、実家が関西でして、大阪出身なんですけど、異動のタイミングで「お前次どこがいい」って言われて、
聞いてくれたんですね。
そうなんですよ。一応その配慮はしてくれて、僕地元が大阪なので、関西に近ければありがたいですって言って、「よし、わかった、人事に言っとく」って言われて。これは多分岡山、中国地方っていう決まりがあったんですよ。最初広島だったので、これは岡山だろうなと思って。で、電話かかってきたら「よかったな、鳥取だ」って、みたいな。
じゃあ本当最初はいろんなところというか、
そうですね、姫路で営業したりで、その後東京に行って、そこからがアナリスト、エコノミストの仕事で、途中ニューヨーク駐在とかも経験して、でも1番長かったのはやっぱり東京ですね。
なるほど。地元安芸高田市に戻り市長をされたっていう。これちなみに多分メディアとかでもお話しされてると思うんですけども、安芸高田市に戻るっていう選択肢を取られたのって、どういう理由というか思いがあって戻られたんですか?
きっかけはNHKですよ。
NHKなんですか?
確かNHKだったはずなんですけど、東京で仕事をしていて、夕方か夜のニュースでたまたま広島県の安芸高田市長選挙の話が聞こえたんですよ。なぜかと言うと、僕の前の市長がいわゆる河井事件で辞職をされたんですね。で、その後どうなるんだって割合全国的には関心が集まってるので、今度の市長はっていう全国ニュースになってたと思うんですけど、その時は市長が辞めて、その後の副市長が手を上げてる以外は誰もいませんっていう。
なるほど。
なので無投票、選挙はなさそうですっていうニュースを、確かNHKだったと思うんですけど、それ聞いて、これまずいなと思って。そこから飛んで帰ったっていうのが出発です。
でもやっぱり地元出身の若者と言いますか、若い方が戻ってくるってなると、結構地元も嬉しいんじゃないかなと思うんですけど。喜んでもらえたのかもしれないんですけど、帰った時の雰囲気はびっくりされたっていう。
そうなんです。
「どうした? 急に」。しかも選挙をやるために帰ってきた。みんな無投票かなって思ってたところに、選挙をやろうっていうやつが帰ってきたんで、まあ多くの人はびっくりされますよね。
確かに。
立候補されて市長になられ、その後都知事選に出られる。再生の道ですね、設立されて都議選に出られっていうところで、今日はそんな石丸さんに、私の本当個人的な悩みで恐縮なんですけど、ご相談に乗っていただこうと思ってます。よろしくお願いいたします。
お願いします。
単刀直入に、人の顔色を伺ってしまう癖がすごくありますと。すごい下手に気を使ってしまうんですよ。その結果、踏み込んだ関わり方がやっぱ人とできないんですよね。前職でNHKで記者をしていて、記者ってこの能力が低いと結構致命的かなっていう風に僕は個人的に思って。記者の場合だと、踏み込んだ質問をすることによって相手を怒らせてしまうかもしれないであったりとか、気分を害させてしまって2度と取材を受けてくれないんじゃないかっていう風に思って、日々ビクビクしながら毎日取材をしていて、メンタル的にもすごい良くなかったんですけど、自己防衛の檻みたいなのがあって、それをなかなか破れないなっていうのが悩みでございまして。
で、今日ちょっとその悩みを色々と要素分解して、石丸さんにちょっと色々とお聞きしたいなっていう。
なるほど。記者の方は特に悩ましい点だと思いますけど、記者じゃない方でも広くいろんな業界で、仕事する上でのウィークポイントとして意識されることはあるな。で、さらに言うと、今も昔もそれってあったなって僕も思いました。なんか思い出しました。
石丸さん自身もですか。
ええ。そういうことってあったなと思って。
意外とみんなが通るウィークポイント……
だし、それこそ僕今43ですけど、40代とか、もしかしたら50代でも同じような悩みって持ち続けるんじゃないかなというのは今感じましたね。
なるほど。
石丸さん自身は、ファーストキャリアというか銀行で働かれてたわけじゃないですか。すごいイメージなんですけど、銀行って縦社会で圧力というか、自分の意見をなかなか言えないような環境なのかなって素人目ではすごい思うんですね。自分の意見言わないといけないこともやっぱあると思うので、どういう風に対処してきたのかっていうのが気になったんですけど。
まずですね、十石さんがおっしゃる通りで、銀行は相当上下、縦社会、組織の論理が強いです。で、その中でどう生きるかっていうのは、人によって千差万別だったなと感じます。感じてました。自分がどうしてたかなんですけど、十石さんのお話に照らすと、めちゃくちゃ顔色は伺って、もっと言うと気持ちを読むのはかなり意識しましたね。
そうなんですね。
それ上司とかですか? やっぱり。
全部です。
全員に対して。
ステークホルダーって言うんですか? 上司、先輩、部下というか後輩、同期、もちろん取引先、なんなら関係が薄い他の部署の人とかでも時々メールでやり取りする。自分に関わる人はおよそ全て意識の対象にはなってました。
これってどういう風に磨いていくものなのかなっていうのがすごい気になったんですけど。
えっとですね、まず1つは反復。
反復。
それが意味するところは慣れ。これだと思います。
なるほど。反復と慣れ。
慣れ。反復することによって慣れていく。十石さんは会社入って、働き出して4年目?
4年目ですね。
その意味では、ちょっとおっさんっぽく言うと経験だと思います。まずこの総量が限られてるんで、これはもう時間の経過と共に増えてくっていうのは1つ安心していいんじゃないかなと。ただ無意識で過ごすと、要は密度が低い状態の時間を積み重ねても、スカスカ、ふわふわになっちゃうんですよ。これをギュッとした状態で毎年、1ヶ月、1週間を過ごしていくと、ものすごい強固な岩盤が出来上がるというイメージですね。で、どういうトレーニングかって言うと、まさにこのやり取りです。コミュニケーション。相手の人と話をした際に、自分の思ってることをうまく伝える。で、うまく伝えると同時に、相手の言ってることを正しく、なるべく理解する。この反復。
で、これって思い返してみると、大学受験の時に我々勉強したじゃないですか。僕はあの延長だと思ってます。考えることを一言で言うと。それを文字でやるのが国語で、数字でやるのが数学ぐらいの差で認識してます。でもやることは、国語でいきましょうか。小説を読んで、傍線部に書いてある筆者の気持ちを選びなさいって問題あるじゃないですか。言葉の読解で答えは一意に定まる。でもみんなが正解するわけじゃないじゃないですか。勘違いというか読み間違えちゃうんですよ、人間。それって、こうやって話してても実は頻繁に起きてるんですよ。それはみんな起きるんです。完全に理解する人はまずいなくて、例えば国語のテストがほぼ100点取れる人と、60点しか取れない人だと、これは残念ながら読解力差があるんですよ。
その意味で、大学受験の勉強を今から復習する必要はないんですが、日々のこの仕事、取引先、仕事関係者とのやり取りもなんですけども、同僚とのやり取りも無駄にせずに、そこで何か学ぶ姿勢がまずいるんじゃないかなというのは実体験として感じます。
なるほど。例えば大学受験とかだと、ある程度定量的な得点っていうので割と自分の能力を測れる部分はあるかなと思うんですけど、やっぱ社会に出てこういう風にコミュニケーションすることとかって、なかなか得点化、自分がどれぐらいの立ち位置にいるのかって結構見えにくい部分はあるのかなと思ったんですけど。
見えない。そうですよね。もちろん人によって能力の高低があるので、1回やり取りすればめちゃくちゃ吸収する人と、10回やってもあんまり吸収できない人はあるんですが、ただ、やるかやらないかは絶対的に差があるので、是非いろんな機会を恐れずに手にしていってほしいなとは思いますね。で、先ほどおっしゃった点数も見えないですし、もっと言うと正解がどれかっていうのも書いてないんですよ。なので余計にこのコミュニケーションが意味を持つのかな。つまり僕が言った言葉を受けて、こういうことなのかなって返してくださるじゃないですか。で、もし違ってたら僕が「いや、そうじゃないんです」とか、そこまで否定しなくても「それもあるんですけど、こういう意味です」とか修正をかけたとしたら、実は満点じゃなくて80点ぐらいだったっていうのが、なんとなく気づきますよね。
確かに。
で、これを繰り返してくと、10回の会話の中でも精度が上がると思います。正解が増えてく。正解の率が増えてくっていうのを何回も繰り返してくと、理解力、読解力って社会人になっても高められるんじゃないかなっていうのが僕の考えです。
なるほど。でも確かに、そういう意味では記者の仕事って結構それを高める機会は多かったというか、すごいチャンスになったなっていうのは感じてて。本当最初、何の知識もないまま取材現場に行ってこいって駆り出されて、何聞けばいいんだろうみたいな。全然わかんないです。
話がわかんないですもんね。
そうですね。これ本当もう時効だからちょっと話すんですけど、石丸さんが安芸高田市長時代に1回だけ会見というか取材に行ったってお話させていただいたんですけど、僕その時何も質問ができなかったんですよ。
行ったけど、記者としていたけど。
行ったんだけど、囲み取材ってやっぱあると思うんですけど、その場で本当何も聞けなくて。自分の中でもこういうことを聞こうっていう風に決めてた質問が、やっぱりなんかツッコミどころがありそうだなというか、結局それで何を相手が答えていいのかっていうのがちょっと不明確なまま質問しようとしてたんですね。で、それを聞いたことによってニュースとしてどういう価値が出るのかだったりとか、それを石丸さんに答えていただくことに何の意味があるのかっていうのが自分でもいまいちわかんないまま質問を考えてて、むしろこれを石丸さんに聞いたらダメだなと思ってやめたんですね。
でもそれって別に僕が勝手に思ったことじゃないですか。もしかしたら石丸さんはその質問を聞いてちゃんと答えてくれたかもしれないし、「いや、その質問おかしい」って言ってくれてたかもしれないし、そのチャレンジの機会すら僕は自ら捨てに行ってしまってたというか。
なるほど。あの、非常に胸の痛くなる話です。というのは、当時の石丸伸二、石丸市長に取材に行く囲み取材で質問するって、それは勇気がいりますね。怒られる覚悟で行くしかないっていう。
やっぱり中国新聞とのやり取りとかも見てたので、僕はそこの後悔がやっぱすごくあって。
でもその意味では十石さん、きっとその後3年で確実に成長されたと思うんで、今だったらもう1回挑戦して、まさに今お話ししてくださってますけど、多分もうできるようになってらっしゃるんだ。その意味ではやっぱり慣れがある程度必要で、その慣れは、ぼーっと突っ立って、ずっと寝てて絶対身につかないので、やっぱ外に出てトライしていくしかないですよね。で、いきなりそこ行って返り討ちに遭うと心が疲弊するんで、だからどこに出てくかっていう意味では、いきなりドラクエとかで最後ラスボス攻めるんじゃなくて、まずは近い村でスライム倒すじゃないですか。そういう鍛え方がいいですよね。
ああ、なるほど。
いきなり石丸市長のとこに取材に行くのは、僕はおすすめしない。そういう意味では。
確かに。本当広島県内で1番のボスが石丸さんぐらいの感じだと僕思ってたので、当時は。
やっぱり安芸高田市長時代の石丸さんは。
その緊張感は分かります。
でも確かに、そういう場にチャレンジすることは1つ自分を成長させる機会にはなったのかなって、今振り返ると思うんですけど。
その場で質問はできなかったけど、行ってみたっていうだけで、1つ経験はもう獲得されてますよね。
確かに。雰囲気というか。で、周りの記者がどんな質問をしたのか、どんな風に質問してたのかってのは見れたわけじゃないですか。そしたら、その時は手が出なかったけど、あんな風にやればいいのか、次ああいう風にやってみようっていうのは習得できますよね。だからそれはやっぱり無駄じゃなかったんじゃないですか。
確かに。石丸さんとかって、安芸高田市長時代特に僕は感じたんですけど、議会とかっていろんなこと言ってくるじゃないですか。やっぱり批判もされるし。でもそういう中で、石丸さんはしっかりと自分を持った上で発信されてる、発言されてるなっていう風に感じたんで、その姿勢みたいなのってどうやって磨かれたのかっていうのはすごい聞いてみたくて。
これめちゃくちゃ簡単なんですよ。簡単というのはイージーじゃなくてシンプルの方です。
なるほど。
単純なんですよ。一言で言うと、優先順位をきちんとつける。何が大事なの? 何があなたにとって大事なのっていうのが、顔色を伺うことでした、だとしたら、何が自分にとって大事なのかを常に考えて。優先順位っていろんなシーンでつけないといけないじゃないですか。お昼ご飯を何食べようとかもあれば、晩御飯とお昼ご飯の時間をどうしようとか、間に何かおやつ食べようか食べないかっていうのも含めて、常に我々は意思決定を迫られてる。その際に優先順位が必要になってくる、必然的に出てくる。それを明確に持つということがいい。で、安芸高田市長の時の話では、何のために自分がいるのか、何のために仕事をしてるのかっていうのを深く深く考えた時に、優先すべきはこれだな。
それは1番最初で言えば政治の再建。安芸高田市政だって、金を扱う汚職事件が起きてた状態で、政治に対する不信感があった。で、これもうしょうがないなっていう、市民としては受け入れるというか諦めてた。そんなもんかなみたいな。でもそれは安芸高田、広島だけじゃなくて、全国で同じような状態にあったし、日本全体がそうだったなと思ったから、いや、そうじゃないことをやってかないといけないっていう思いが最初にあったので、そのために何をするのか、逆に言うと何を我慢するのか、何をしてるのかっていうのを決めるだけでしたね。
なるほど。
分かりやすく極論で言うと、世界チャンピオンに挑戦するボクサーがいるとするじゃないですか。タイトル戦。ギリギリまで鍛えてウェイトつけて、最後ぎゅっと減量して調整していく段階で、焼肉大好きだからって焼肉多分食わないんですよね。試合の前日とかに。で、ビールは大好きだけど今飲まないですよね、きっと。それは当たり前じゃないですか。そこまで突き詰めた人だったら、もはや欲しくないと思います。試合の前に。例え1口でも口にしたら罪悪感の方が勝る。
ああ、そうか。
美味しく感じない。「なんてことしてしまったんだ」に人の精神って向けられるし、肉体もそれに伴っていくんじゃないかなっていうのが僕の考えなんですよ。
なるほど。石丸さんのお話になったその罪悪感っていうのは確かになと思って。それを我慢することによって、結果やらなかった自分への罪悪感が生まれるっていうのが、確かに1つポイントなのかな。
そうそう。罪悪感って要は幸福・不幸のバロメーターを動かす要素なんですよね。できれば罪悪感ない方が幸せになる、当たり前じゃないですか。なので僕は罪悪感を減らしたいっていうだけです。幸せになりたいってのは当たり前。ただ幸せの要素は、例えば人に好かれるとか嫌われないっていうのもあるので、そこはそのウェイトの測り方なんですよね。
石丸さんがやっぱ市長をやられて、すごい安芸高田市の知名度が上がって、石丸さん自身の知名度もすごい上がったわけじゃないですか。いろんな人の目にさらされる市長という立場で、やっぱりその取捨選択というか、罪悪感っていうのをしっかりと自分の中に持った上でお仕事されてたのっていうのは、やっぱなかなかできないなっていうのはすごい感じましたね。
でも、やりたいというのと同時に、やらないといけないという、
ああ、使命感。
というのが、仕事と向き合う上では多分あると思うので、それに従うしかないなって。やらないといけないのにやらないと、めっちゃ苦しくなりません?
確かに。
なんかね、企画書出せって言われてんのに、やべ、まだ作れてない、やべ、締め切り、これ間に合わねえって。怒られるのも嫌だけど、それ以上にその状態が嫌じゃないですか。
間違いないですね。
じゃあやれよって話なんですけど。でもそれを重ねるうちに、だんだんとそれができるようになってくっていうのが、社会人の成長なのかなという気はしますね。職業人という言葉はよく使うんですよ、僕は。その観点でメディアに対しては結構厳しく接したんですけど、手を抜くなと。仕事なんだから、いい加減なことをするっていうのは。職業人としてこっちも一生懸命やってるし、銀行員としても命をかけてやってたつもりなんで、あなた方皆さんもそうあってほしいなっていう、僕からの相手への期待だったんですけど。でもそれに忠実に従えば、自然と仕事のクオリティは上がるというか、どんどん高くなっていくので、ステークホルダー、それこそ自分の属する組織は「こいつ役に立つな」だし、ライバルに歓迎されることはないにしても、その業界の中では「こいつすごいな」みたいな。メディアの中でもあるじゃないですか、「このアナウンサーはすごい」みたいな。それ、ライバルからしたら喜ばしくはないかもしれないですけど、一目置かざるを得ないみたいな。っていうのはやっぱり大事な価値になるのかなと思います。
なるほど。確かに僕もテレビ局で働いていて、やっぱネタを取れる記者って、それができてる人かなっていうのはすごい僕も感じて。もう全くスクープが取れなかったんですよ。だからなんか企画で頑張ろうと思ってたんですけど、でもやっぱり記者のバリューって、独自ネタというかスクープを取ることって、結構1つの大きな指標としてはやっぱあったので、心に踏み込む力というか、そういうのがないから取れないんかなっていう風に思ってたんですけど。
他の記者はスクープが取れるけど、自分がない。その分け目っていうのは、今「踏み込む」という表現をされたんですけども、取材対象との関係性、その構築が違ったんじゃないかっていう。
それもありますし、なんか全く別の悩みで、親友ができないっていう悩みがあってですね。友達は大学時代の友達だったりとか色々いるんですけど、親しい仲というか、親友の定義も結構人によって違うのであれですけど、結構浅い部分で人間関係が終わっちゃうところがあって、それも1つこの僕のウィークポイントが起因してるのかなっていうのはすごい感じてて。
今のお話を伺って、僕にとって見えてきたものがあります。それ何かって言うと、心理的安全性の確保。それがお互いになかなかできてない状況なのかなっていう。友人の関係でも、取引先、取材対象との関係でも、ここまで言っていいのか、いけないのかなっていうのをお互いに測りかねてるのが、今おっしゃった状態の背景なのかなって思ったんです。で、それやっぱり友達関係の方が簡単なのかな。分かりやすい。どこまでさらけ出してるかってのは結構ある気がしますね。最近親しくさせてもらってる、とんでもないすごい人物の1人に箕輪厚介さんってのがいるんですよね。
はい。新R25でもよく出演していただいてるので。
出てらっしゃいましたよね。あの方は天才的に人と仲良くなるのがうまいんですよ。しかもかなり深いところで。それこそ僕もお会いしたのは、話したのは数回ですよ。10回もまだないかもしれない。ただ、めちゃくちゃ深いところで理解はされてるし、僕もできてるんじゃないかなって思えるんです。どこにトリガーがあったのかなって思うと、彼の自己開示力なんじゃないか。
ああ。
マジで彼はあけっぴろげで来るんですよ。
もうなんか、いきなり全裸で登場するぐらいの感じで。
ちょっと表現を選ばずに言うと、恥も外聞も捨ててみたいな。
なんか、恥ずかしいと思いもあるのかもしれないですけど、それを超えてるんですよね。
恥ずかしい。もちろん恥ずかしい気持ちあるんでしょうけど、もっと自分にとって大事なものがあるから、それを優先させる、じゃないかな。本当に気がおかしい。でも、本当に普通の人だったらあんなに仕事できないんで。
そうか。僕は、職業人としてのすごさの根にあるのは、彼の全自己開示に起因するコミュニケーション力。あそこまで全部見せられたら、こっちも言わざるを得ないというか、言いたくなるんですよ。
僕の話も聞いてみたいってなっちゃう。で、それが1対1でもですし、1対複数でも、彼の場合は起こせるんですよね。彼の会話力とかによって。というのがあるので、己をさらけ出す、いきなり全部さらけ出すのは抵抗があると思うんで、自分の話を要所要所でしてみる。
でも今日十石さんとお会いして良かったなって思ったのが、やっぱり広島の時の話とか、鳥取行ってしまったとかっていうのを聞くだけで、「あ、そうそう。僕も姫路でね」みたいなのを言いたくなるじゃないですか。で、お互いに姫路行ったり鳥取行ったりっていうのを共有すると、ちょっと心が通じてる感じがしてくるじゃないですか。この繰り返しなのかなって思うんですよ。
なるほど。自己開示か。
自己開示。でもうちょっと僕っぽく言うと、情報の共有です。
情報の共有。
人間はですね、言葉でしかコミュニケーション取れないです。意思疎通ができない。ですよね。だとしたら、話すか、LINE、メッセージ、メールでもテキストでやり取りするかしかない。気持ちをどんだけ持っても、表現しないと伝わらないので、ここを丁寧に一生懸命やるっていうことかなと思いますね。
なるほど。自己開示も、どこまで見せていいのかっていうか、その辺難しいなっていう風に思うんですよね。仕事の場であんまりそういう話ってする機会ないと思うんですけど、例えば飲み会であったりとか、会社員とかだと、どういうところで適宜自己開示していっていいのかっていう。
それはありますね。ノミニケーションっていう言葉は、僕は今の時代もまだ生きてるとは思いますが、僕が銀行に入ったのが2006年なんですが、そこからもう20年経ってますよね。20年の中で時代は随分変わったのは事実。今もう飲み会に行かなくても、職場でそういうコミュニケーションができるというか、やるべきだっていう風潮になってると感じます。その意味では、酒飲まなくても、普段の会話の中での情報共有で足りる。昔よりも、もしかすると深い繋がりにはなりにくくなってるかもしれないですね。昔って本当、銀行だったら家族ぐるみの付き合いなんですよ。
社宅とか社員寮にぶち込まれるんで、上司、部下で。銀行じゃないですか。結婚してたら社宅で、奥さんも友達みたいな。で、土日は一緒にゴルフ行ってきます、みたいなのが当たり前にあったのを考えると、多分今そこまで深い繋がりは少なくなってるとは思います。銀行でさえ。なので、それはもう時代に合わせて、その時の適当な程度を探るしかないのか。
で、もう1個、さっきお話を伺ってて気になったポイント、ちょっと僕言っていいですか? 深く付き合えないみたいなお話あったじゃないですか。友達にしても。そこなんですよ。別に深くなくてもいいんじゃないですか?
ああ。
適切な距離感って、時と場合によるんじゃないかなと思うんですよ。例えばですよ。今僕は十石さんとワンオンワンでお話をして、すごくお話ししてくださる感じで、その事前の説明文とか見ても真摯に向き合ってくださってるなって思ったんで、僕も一生懸命考えて答えようって今来たんですよ。
ありがとうございます。
その意味では今、ビジネスというか仕事やってますけど、僕はこれは結構いいコミュニケーションになってるんじゃないかなと思ってます。でも、これが「じゃあこの後飲み行きましょうよ」とはならないかもしれないですけど、それで何かが悪いのっていう。
ああ、そうか。
っていう気はしますね。もちろん友達付き合いとか家族、家族もね、父母もあれば兄弟、親戚のおじちゃんおばちゃん色々いますけど、みんなが同じ程度の繋がり方じゃないですよね。ちょっとだけ繋がってるっていうのもいっぱいあるじゃないですか。でもじゃあ、ちょっとしか繋がってなかったら意味がないのかっていうと、ならないと考えたら。まあ、こればっかりたくさんあっても、ちょっと物足りなくなるかもしれない。中にはガシッとね、親子なのか強力な友情なのかは欲しくはなりますけど、全部がこうはならないと思います。
なるほど。今のお話聞いて、すごい腑に落ちたりって言うとあれですけど、してるなっていうのを思ってて。それこそ僕とかだと、石丸さんと例えば飲みに行きたい、めっちゃあるんですよ。
なら。
「この後どうですか」ぐらい言いたいんですけど、でもなかなか、例えば初めて取材に行った方とか、それこそこういう発言をされた議員さんとかと、1対1でそこまで親密な仲になれなくって。でもやっぱり記者の方だと、議員さんと1対1で飲みに行ってる方とかもすごいたくさんいて、どうやってやってるんだろうみたいな。その人はそういうアプローチの仕方をやってるけど、自分のキャラに合わなかったりすると、いや、じゃあ自分には向いてないのかって思っちゃったり。適切な人との付き合い方がマジでわからないっていうのが正直なとこではあって。
これもですね、奥が深いんですけど、僕なりの解釈をじゃあお伝えしてみると、性格とか好き嫌いは関係がないと思ってます。なんでかって言うと、コミュニケーションはスキルで、テクニックなので。例えば自転車好きですか?
自転車、好きですね。
でも自転車が好きで好きでしょうがないっていう好きですか?
ではないですね。特に。
嫌いじゃない。
嫌いではないぐらい。
でも自転車めっちゃ好き、ロードバイク乗る人もいるじゃないですか。でもそんな好きじゃなくても、自転車って普通乗れますよね。
そうですね。
そう。自転車に乗る技術があるんですよ。それぐらいだと思ってます。スキルなんですよ。そこで自分の好き嫌いを入れてしまうと、さっき僕が話した職業人としてのレベルが上がらない。
なるほど。
優先度が、職業人としてレベルを上げたいんであれば、自分の好き嫌い、焼肉食べたいとかは置いとくんですよ、一旦。それこそ僕も市長の時に結構厳しく、議員の不手際というか良くないところは断罪するんですけど、じゃあそれをずっとやってきたかっていうと、そういうわけでもなくて、「これおかしいな、間違ってるな」と思いながら、「まあいっか」って思うこともまあまああるんですよ。やりながら。別にその不正を見逃してるわけじゃないですけど、今いちいち指摘しなくていいかなと、そこは飲み込むんです。なので、その時と場合による。絶対これは見逃しちゃいけない、もっとここは光を当てないといけないっていう時にはそっちに向けますけども、やっぱりそこは意識による選別がある気がします。
なるほど。でもやっぱ石丸さん自身も、それは決して好き嫌いというか、例えばこの議員さんが嫌いだからみたいな、そういう理由ではもう全くなくてってことですね。
それは本当にそうです。嫌いだからやってるだとしたら危ないです。だって好きな人には手を抜くんだって。
そうです。確かにそら。
僕、不誠実な人間に見えるじゃないですか。そんなやつ信じてもらえなくなりません? そう、やっぱ政治家として、特に首長としては不適切だなっていうのがあったんで、そこは自分の軸は絶対に動かしちゃいけないというのは思ってましたね。
なるほど。
じゃあちょっと今のついでに話していいですか? 「人によって態度を変える」っていう表現あります。これが是か非か。僕は是だと思ってます。
そうなんですね。
人との関係性は全部違うじゃないですか。初めてお会いした十石さんと、43年お世話になった母親。同じように対応できるわけがないじゃないですか。だからそれは対応は違うんです。自然と一緒にはできないです。一緒にやったら急に母親泣きますよ。急にビジネスになっちゃって、そんな子に育てた覚えはない、ですよ。だからそこは違うんですよ。まあ今のは極論ですけどね。じゃなくて、動かしちゃいけないのは自分の軸だと思ってます。
何を大事にしてるのかっていうので、例えばですよ、僕は僕の人生を大事にしてる。という意味では今は仕事に一生懸命向き合ってるので、「ごめんね、実家にね、顔見せに帰った方がいいかもしれないけど帰れないね」ってなったとしても、母はきっと理解してくれると思うんですよ。僕の生き方というものを通してるから。でもこれがフラフラしてて、実家には帰ってこないし、仕事も何やってるかわかんない、遊んでるし、たまに金の無心にだけ帰ってくる、だと多分許せないですね。息子であっても。息子であり、今は仕事人として大事にしているものっていうのは、これは動かしちゃいけないんじゃないか。そこは自分の考え方としてあります。
ああ、自分自身の軸というか。
軸は変えちゃいけない。でも態度は人によるし、同じ人でも、例えばばったり広島で十石さんと再会した時は、「ああ、こんなところで」って。でもその時には、新R25の話とはまた、それもしながらでも違う話をきっとするはずなんですよ。広島でどんなとこ飲み行ってましたとか。それでまた別の関係性ができるじゃないですか。だからそんな風に時と場合によって全然変わるし、変えていいんじゃないかなっていう。
なるほど。
僕は家族であろうとも別人格というのを結構意識するんですよ。父母、非常に感謝してる。おそらく、日本語で言うとちょっと微妙ですけど、愛してくれてると思います。
ああ。
それは感じるんですけど、だからと言ってそれに甘えちゃいけないというか、何しても許されるわけじゃないんじゃないかなと思うんですよ。
そうか。
さすがに人なんで、我慢の限界というか、絶対に許せないって、もちろん犯罪とかはダメなもんです。でも例え僕が間違った行いをしても許してくれるっていう愛もあるでしょうけど、さすがにもう息子として見放されるっていうのもなくはないなっていう、
ああ。
っていうぐらい、結構冷めてというか、引いてます。
そうなんですね。もう客観視して。そうした方が僕はちょうどいい関係性が築けるような気がするんですよ。
なるほど。ちょっと引いた方が、ちょうどいい場所だなとかね。ここだけ見ててもね、わかんないですけど、引いてみると、正面向いてるなとか。
確かに。でも今、石丸さんが視野が広い理由がすごい分かりましたね。ご家族にもそれだけ配慮というか、いい意味で気を使ってるというか。意識してる。ですね。家族にそれできないですね。でもやっぱある程度必要というか。僕はそっちの方が幸せになれるんですよ。
でもこれは友人関係においてもそうですね。すごく親しい友人がいてくれるんですけども、彼らに対しても友人としての役割みたいなのはやっぱ意識しますね。そうか。別に金を貸してるとかそういう意味じゃないの。なんか奢ってやるとかではなくて、何か一緒に集まってガヤガヤする時には、こういう自分でいたいなっていう自分の理想像みたいなのは結構ありますよね。
そうか。でもそういう方の方が多分人からも信頼されるだろうし、政治家であったらそういう人じゃないと任せられないというか。ズブズブになるような人とかだと怖いかなって思うんですよ。
ちょっとね、これもまた誤解を恐れず言っていいんですけど、キャラ設定。キャラ。石丸伸二というキャラがいろんな見方があると思うんですよ。距離とか角度によって一様ではない。それぞれの期待するものを可能な限り返していきたいな、返したいなっていう思いなんですよ。
そうなんだ。確かに安芸高田市長時代の石丸さんと今お話してる石丸さん、全然違う人に見えました、僕は。
でもおそらく例えば市の職員とか、僕を近くで、なんなら後ろからずっと見てた方は、今のこのやり取りを見ても全然変わってねえなっていう風に多分思っちゃうと思います。確かに。彼らはそういう様子を見てたんだよ。でもメディアとか外の人にはなかなかそういうのって見えてない部分ですね。ま、それもしょうがないですよね。
確かに映像を通した石丸さんの人物像と、実際リアルでお話した時の石丸さんの像は違うのは当然というか。そうか。
でもそれは無視してやってたらぶれるんで。毎回様子が変わる。このふにゃふにゃしてるものを角度で見たら捉えきれないじゃないですか。でもこのキャラ設定がカチッとしてると、いろんな見方しますけど、これはこれって一意に定まってますよね。確かに。というのが大事なんじゃないかなと。うわあ、そういうことか。
陽キャ・陰キャみたいな言葉ってあるじゃないですか。あれって結構自分をキャラ付けする良くない言葉だと僕は思ってて。で、僕は陰キャなんですよ。でもよく今流行ってるMBTIあるじゃないですか。あれで僕エンターテイナーって出るんですよ。陽キャの王みたいな。これってなんでこのギャップ出てるんだろうって自分でも不思議に思ってて、友人から言われたのは、お前はエンターテイナーになりたいからエンターテイナーって出てるんじゃないかって言われたんですよ。
おお。だからそれも結局ないものねだりじゃないかなって個人的には思ってて。陰キャと自認してる自分が人とコミュニケーション取る時に、明るい話というか、相手を乗せるコミュニケーションができないんじゃないかみたいな。
その指摘は全く同意です。本当ですか?それに流されちゃうのが良くないなって。で、もっと言うとレッテル貼りに繋がるので。あの人はこういう人。そんなわけねえだろっていうのが僕の本心ですね。僕って陰キャに感じられます?
石丸さんですか?え、もうこれ率直に言っていいですか?石丸さんの自認は自分自身では陰キャって思ってそうだけど、周りから見たらすごい陽キャに見えますっていうのが答えです。
なるほど。じゃあ見た感じは陽キャじゃないかなっていう。でもおっしゃる通りです。自認は陰キャなんですよ。でもMBTI診断はEなんですよね。外向型なんですよ。指揮官か。指揮官っていうのなんですけど、でもそれはまさに同じで、本心で思ってることをちゃんと答えたんですけど、どこか自分が願ってる姿がそこに投影されてるような気はします。
なるほど。でもそれを自己実現されてるから周りから陽キャと思われるんじゃないかなっていう風には個人的に思うんですよね。だから多分僕の今一番目指す姿って石丸さんなんじゃないかっていうのはすごい思いました、話を聞いて。
なんで自分が陰キャだと思うかって言うと、大学生時代とか本当に内向きな過ごし方をしてたなっていうのはあるんですよ。なので、そんな外向きではない自分だったのは間違いない。でも今こんな風になってるという意味では、人はよく言えば成長、もっと言うと変わりうる存在だっていうのは結構実感があります。
で、さらにはそんな変わってなくても見え方は変わるんだろうなと思って。見え方。自分はそんな変わってなくて成長しなくても、時と場所によって、TPOとかで見え方って随分変化しますよ。だからいい加減なんですよ。適当。そもそも人という存在だし、その評価っていうのが実態な気がするので、あんまり陰キャだから、陽キャだからって言うと損をする。
で、一つの事例で僕がすっごい思うのが、人見知りみたいな言葉があるじゃないですか。ありますね。で、それを自分で言っちゃうっていう。私人見知りなんですみたいな。あれが本当に良くないと思って。
もうちょっと広げると謙遜。謙遜も日本人には特に美徳として捉えられるんですけど、時と場合、程度によります。例えばね、選挙出てんのに、いや銀行員でまあまあやってましてなんて絶対言わないじゃないですか。そこはバーンと言いますよね。でも飲み会の席とか初めましてっていうので同じように滔々と語るやつは単にうざいだけなんですよ。そうか。
時と場合によりますよね。で、さっきの人見知りで言うと、それを言ってるってことはエクスキューズなんですよ。言い訳をかましてるんですよ。そうか。私はこれ以上頑張りませんという宣言なので、謙遜は気をつけないと、じゃあ気を使ってくださいねっていう厚かましさ、悪い方の厚かましさになるんですよ。人に対して。なので僕は謙遜は気をつけた方がいいんじゃないか。
なるほど。殻をかぶって守りに行く。守りに行くってすごく自分を大事にしてるだけに見えますけど、僕は一方で周りを傷つけてると思うんです。自分はこうなんだっていうのは、私はあなたに合わせる気がありませんっていうコミュニケーションで。だからあんまり過剰に謙遜しない方がいいんじゃないかなとは思います。
特に最近この風潮は、SNSとかもあってよく叩かれるじゃないですか。なので殻にこもりたくなる気持ちは分かるんですけど、それをやりすぎると、ちょっと失礼みたいになってくかな。
飲み会苦手ですみたいなのとか、これ結構Z世代あるあるだと思うんですよ。飲み会になるべく僕行こうと思うんですけど、得意かって言われたら苦手なんですよ。例えばせっかく先輩から誘ってもらって、いや、僕ちょっと飲み会苦手なんですって言ったら、もう多分その人誘う気なくなると思うんですよね。なくなる、なくなる。
それはそもそも謙遜じゃないし、確かに自分も防御してるだけで、遠慮ともちょっと違う。違うっていう、そうですよね。それを住み分けっていったらあれですけど、正しい謙遜と誤った謙遜の場合分けみたいなのは、自分も20代、なかなかできる人少ないと思うので、そこはやっぱ社会人として戦っていく以上は。
ちょっと今の話、僕一つコメントしていいですか?飲み会苦手なんでっていう気持ちは全く正しいんですよ。自分の好き嫌いで、特にアルコールね、体質的な問題はあるんで、それは伝えた方がいいと思います。ただ伝え方のところで、いや、自分お酒弱くて、でも飲み会に誘ってもらったのは嬉しいっていうのが相手に対する礼儀になるのかな。なるほど。なので、自分お酒飲めないんですけどいいですか?の方がいいんだろうな。
飲み会苦手でって言うと、お前のオファーが嫌なんだっていう感情にそう伝わっちゃうじゃないですか。なので主張自体はもっとした方がいいんですけど、伝え方、伝わり方のところに意識がもっと注がれると、声かけた方も、あ、知れてよかった、ごめん、お酒苦手だったな、じゃあカレーでも食いに行くかみたいになったら、自分は本当はお酒飲めないとしたら、カレーだったら行きたいですみたいな。むしろカレー食いたいですみたいな、カレー奢ってください。すげえいいコミュニケーションになるじゃないですか。だから飲み会苦手なんですって拒絶をしてしまうとね、心の壁ができちゃうんですよね。
謙遜もコミュニケーションなんですね。そうだ。うまく使ってかないと。それもテクニックだと思うんで、謙遜しまくりゃ勝ちではないですね。単に自信がない人とか、周りの人を大切にしない、できない人っていう風に見えちゃうかな。そうか。
お酒飲めない自分だと、いやお酒は飲めないですけども水だったら100杯ぐらい飲めます、そういう言い方すれば気に入ってもらえるってありですね。そうそう。自分ビールは飲めないですけど水でよかったらみたいな。じゃあいいよ、ノンアルで付き合うよみたいなのもあるでしょ。ちょっとしたコミュニケーションスキルで解決できる。性格とか好き嫌いをもう超えられると思いますね。確かに。
僕ちなみにお酒好きですけど飲み会嫌いですからね。あ、そうなんですね。そのワイワイした。苦手です。好きじゃないです。そうなんですか。みんなでわーってやるんだったら、それこそ1対1で飲みに行く方が全然好き。楽しいですけどね。みんなでワイワイとかいうのもたまにはいいですけど、あれ毎回やると僕すごい疲れるんですよ。気を使う量が多いから。
若い間だとやっぱりね、上司のお酒とか、そう、気をつけることあるじゃないですか。で、あれもね、一つのコミュニケーションのトレーニングにはなるんです。そこで疲弊するぐらいだったら、自分が必要なトレーニングに時間を割いた方がいいかなと思います。確かに。スキルとテクニックでしかないです。
今回も多分悩みっていうよりかは、スキル不足みたいなのが結構あるのかなっていう。でも逆に言うと解決できる悩みというか、いくらでも向上させられるのかなっていうのは、今日石丸さんのお話を聞いてすごい思いましたし、大変勉強になりました。
月並みな表現ですけども、僕が何か役に立つことが言えたとしたらば、それは僕も経験してたからだと思います。同じ、そういう20代、30代でした。今でこそ偉そうにこんな話してますけども、自分が通ってきた道です、そこは。そう言っていただけるとすごい希望。
嫌な飲み会も行きました。呼ばれました。で、なんなら無下に断りました。いや、自分いいっすみたいな。そりゃ先輩嫌な気分になりますよ。お前ちょっと待てって怒られますもん。なんならそこで怒られました。そうか。でもそこでちゃんと学ばれて成長していかれたっていう。あれはさすがになかったな。
今まで自分が考えてなかった価値観を今日1時間で全部教えていただいたなみたいな感じがあって。人の顔色をうかがってしまいますみたいな情けない話でしたけど、石丸さんの話を聞いて、対人間関係に対するスキルであったりとか、コミュニケーション術であったりとか、それこそ空気を読む力であったりとか、どういう風に自分の軸、信念を持つのかであったりとか、そういうのをすごい今日1時間で学べたなっていう風に感じてまして。自分のスキルを磨いていけるように、今日いただいたお話を忘れずに頑張っていけたらと思います。
是非今度石丸さんとも、もし機会があればお酒を飲みに行けたらなっていう風に思いましたし、また引き続きよろしくお願いいたします。ということで、石丸さんにお越しいただきました。今日はありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。
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