「キラキラ生きる義務などない」――髭男爵・山田ルイ53世が語る、自分を諦めてあげる技術
新R25チャンネル新R25の動画企画で、編集部の十石泰誠さんが、お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さんに自分自身の悩みを相談した。悩みは「隣の芝生が青く見えすぎてしまう『憧れ癖』がある自分が嫌だ」というものだ。これに対して山田さんは、自己肯定感を高めることよりも「自己否定をきちんとすること」、つまり自分を適度に諦めてあげることを勧める。話題は芸人としての経歴から嫉妬、飲み会、夢の強要、成功談への違和感にまで広がった。
「自己啓発書」と書かれた本への不本意
きっかけは山田さんの著書『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』(大和書房)である。帯には「元引きこもり、社交ゼロと嫉妬にまみれた一発屋芸人初の自己啓発書」とある。しかし山田さん自身は「自己啓発が大嫌い」だという。後ろからクラクションを鳴らされるような、煽られる感じがするからだ。担当編集とは昔からの付き合いだが、「そういうニュアンスは出さんといてほしい」と伝えていたにもかかわらず、最終的に「自己啓発書」と書かれてしまい、軽く揉めたと明かす。裏表紙の「生きやすくなる34のヒント」という文言も、勝手につけられたものだという。
それでも山田さんは、啓発そのものが悪いとは考えていない。問題にしているのは、これまで世に出た啓発書の多くが「煽り運転」のようなものだったことだ。だから、負けをごくりと飲み込んだ一発屋の視点からの啓発があってもいいのではないか、と話す。
聞き手の十石さんは2000年生まれの25歳で、山田さんは50歳である。十石さんはビジネスメディアで働く立場上、「雲の上にいる人たちの成功体験」を書いた本を多く読んできた。一方でこの本には強く共感し、最初の50ページで「うるっと来た」と話す。特に35ページあたりにある「人生すでに失敗した」という章が良かったという。山田さん本人はその章を「嫌じゃないですか?」と気にしていたが、十石さんはありのままに書かれている点を評価した。
相談内容――憧れ癖と、諦め方がわからないこと
十石さんの悩みは次のようなものだ。SNSを開くと、友人の充実した週末や旅行、仕事で評価されている人の姿が常に目に入る。自分もああなりたい、もっと評価されたいという上昇志向がある。一方で、自分には特筆すべき才能も実績もないと感じている。山田さんは「NHKで記者をやって、今ここで仕事をしているのだから、そんなことはない」と返したが、十石さんの自己認識は変わらない。
十石さんはこのギャップに焦りを感じている。高望みを捨てて楽になりたいという本音がある一方で、まだ25歳なのにここで降りてしまっていいのかというプライドもある。身の程を知ることが敗北のように感じられ、適切な諦め方がわからない。それが一番のモヤモヤだという。「お前はお前やぞ」と自分に言い聞かせる瞬間が、寝る前に毎回あるほどだと十石さんは語った。
十石さんは、大谷翔平選手の「憧れるのはやめましょう」という言葉にも触れた。野球を見ない山田さんがその意味を尋ねると、十石さんは自分なりの推察として、憧れると相手を超えられなくなるので、負けるかもしれないが勝つこともできる現実の相手として見よう、という意味ではないかと説明した。その言葉は胸に刺さったものの、実際には憧れをやめられていない。そこで「負けを認める強さ」と「凡人としての誇り」を持って、自分らしく等身大の人生を送るにはどうすればいいか。これが相談の全体像である。
「自分らしさ」もハードルになる
山田さんがまず指摘したのは、相談文そのものにある「トラップ」だった。それは「自分らしく生きていきたい」という部分である。「何者かでなければならない」という条件を少し緩めた先に「自分らしさ」が出てくるが、そこにもオリジナリティや、誰とも被らない唯一の個性といったハードルが残っている。山田さんは「そんなにらしくないとダメかね」と問いかける。
山田さんは「ナンバーワンにならなくてもいい、特別なオンリーワン」と歌う歌を「大好き」だと断ったうえで、特別なオンリーワンになるのも結構しんどい、かなりレベルの高い要求をされている、と話す。世の中には「こうあるべき」というマッチョな考え方が氾濫しすぎている、というのが山田さんの見立てだ。
髭男爵は「諦め」の積み重ねで生まれた
自己肯定感という言葉についても、山田さんは独自の見方を示した。「いい塩梅の自己否定をきちんとできる方が、逆説的ですけど自己肯定感が上がる」。山田さんが普段から言う「自分を諦めてあげるタイミング」のことである。その例として挙げたのが、髭男爵というキャラクターの成り立ちだ。
山田さんによると、芸人になって最初の数年は、スーツを着てセンターマイク1本で喋りだけで勝負する世界に憧れていた。当時は私服で、山田さんはOZONE ROCKS、相方の樋口さんはヒステリックグラマーを着ていた。山田さんはおかっぱ頭に短パンで、若い子に人気が出るような路線を続けていたという。しかし勝負を重ねるうちに、自分と樋口さんの「戦闘力」では、そこそこのコンビにもなれないことがわかってきた。そこで、シルクハットをかぶり、ワイングラスで乾杯することをツッコミにする貴族の漫才に切り替えた。
切り替えの葛藤は大きかったと山田さんは振り返る。自分がどんどん変なものになっていく。本当はスーツとマイク1本で勝負したいのに、シルクハットをかぶっている。一度その格好をしたら戻れない。ところが、その格好で初めてライブに出たとき、ドカーンと受けて「笑いのシャワー」を浴びた。そこでようやく報われて、「これで良かったんや」と開き直れた。
山田さんは、最初からそうなりたかったわけではないと強調する。自分の能力、環境、ライバルの能力を鑑みて少しずつ諦めていった結果、貴族になってしまった、もしくはなれた、ということだという。ただし、自分を台無しにするような諦め方や否定は論外である。仕事をしていて「これは向いていない」「これは他の人の方が得意だ」とわかる部分を、どんどん諦めていけばいい。
無限の可能性より、テンポよく潰していく
諦めた先はどうするのか。山田さんの答えは「残った選択肢でやる」というものだった。大人は子どもに「君たちには無限の可能性がある、何にでもなれる」と言いがちだ。しかし、表に出る仕事の人間は言うべきではないと前置きしつつ、山田さんは「何にもなれない人だっている」と言う。それに、選択肢が無限にあると、普通の人はどれを選べばいいかわからず、ただ立ち尽くすしかなくなる。
そこで山田さんが勧めるのは、テンポよく試して潰していくやり方だ。これをやってみてダメだった、次もダメだった、向いていなかった、と進めて、残った2つか3つの中からまだまあまあできる方をやっていく。それが凡人の場合のやり方だという。大谷選手のような人は、最初の1つ目か2つ目で野球に行き着いているのだろうと山田さんは推測する。周りから見ても明らかに得意とわかる才能だからだ。しかし自分を含めた大多数の凡人は、テンポよく可能性を潰す作業をしないと、いつまで経っても何も決まらない。
「ドリームハラスメント」への抗議
本の中の「ドリームハラスメント」という言葉も話題になった。山田さんはこの言葉について、自分で「歌舞伎町の雑居ビルに入っている詐欺会社みたいな雰囲気が漂う」と冗談めかしたうえで、夢を持てという圧力は「本当に反省してほしい」と話す。世の中は安易に夢や目標、抱負を聞きすぎているというのである。
山田さんはその感覚を職務質問にたとえた。街を歩いていたら警察官に止められて「君、夢は持ってるか」と聞かれる。「すいません、今日家に置いてきました」と答えるような状況だ。つまり夢が、身分証明書のように生活に必須のものとして扱われている。誰か1人か2人くらい夢を持っていなくてもいいと言わないと、夢を持っていない自分はダメな人間なのかと思う人が出てきてしまう、と山田さんは危惧する。
山田さんは、夢や明確な目標を持つ人を素晴らしい、羨ましいと思うこともあると認める。そのうえで、自分にはそういうものがないと言う。趣味も社交も夢もない。だから楽しくない。しかし、別に楽しくなくてもいいと思っている。「シャキシャキのおしゃれな野菜みたいな生き方じゃなくても、しんなりおひたしみたいな薄味のやつで生きていく人がいてもいい」。これが山田さんの考えだ。
十石さん自身も、出世したいといった明確な夢や目標はあまりないと打ち明けた。「目標は明確に」と言われるのでなんとなく作るものの、5年後、10年後のキャリアビジョンから逆算するのは無理だと感じている。山田さんも、逆算できる人はすごい、かっこいいと思うが、自分は違うので責め立てないでほしいと話す。自分は「いつも行き当たりばったり」だという。
養成所で知った「思っていたのと違う」
山田さんが芸人になった経緯も、この「行き当たりばったり」を裏づけている。山田さんは不登校から引きこもりになり、これではまずいと四国の大学に潜り込んだ。しかしそこでも早々に4年では卒業できない状況に陥った。そんなとき、なんとなく誘われてお笑いを始めた。その相方は辞めることになったが、山田さんはもう芸人になるつもりで学校にもあまり行っておらず、出席日数も足りなかった。そこで1人で上京したという。
山田さんは、他のことが全部ダメだった人が集まってくるのが養成所だと思っていた(途中で辞めているとも補足している)。行き詰まった人の吹き溜まりだと思ってドアを開けたら、みんな目をキラキラ、あるいはギラギラさせていた。高校時代の友人と一緒に入学したと言って、生き生きしている。「騙された」「思っていたのと違う」と感じたという。当時の同世代には、ウンナンさんやとんねるずさん、ダウンタウンさんのようになる、冠番組を持つ、と目指す人も少なくなかった。他にやることがないからやっているという感覚の山田さんには、今も「向いていない」という意識が強くあるという。
一発屋になって飲み込んだ「熱い負け」
十石さんは、隣の芝生が青く見えるのは人間の性で、若いうちは仕方ないのではないかと尋ねた。山田さんも、若いときはみんな青いサングラスをかけているようなものだと認める。あいつはライブで優勝したらしい、それに比べて自分は、といった嫉妬が山田さんにもあったという。
等身大の自分を受け入れるうえで一番大きかった出来事として、山田さんは一発屋として扱われ始めた時期のことを語った。当時はやめておけばいいのにエゴサーチをしていた。地方営業に向かう途中で検索すると、現場のショッピングモール近くに住むらしい高校生くらいの子が「今日近所のショッピングモールに髭男爵が来るらしい。でも私は行かないけど」と書いていた。フォロワーが10人ほどのアカウントで、普通に暮らしている学生である。
山田さんが引っかかったのは、その構造だった。「有名人をスルーできる自分」という、小さなコミュニティ内でのイキり方をするために、髭男爵の知名度が使われている。こき下ろす相手に頼りながら自分を上げるという、いびつな構造だというのである。
一発屋と呼ばれ始めた頃、山田さんは現実を認めなかったという。自分はこれまでの一発屋の先輩たちとは違う、ちゃんとやっていける、と自分に言い聞かせていた。しかし実際はそうではないので、しんどかった。そんなときに支えになったのがレイザーラモンHGさんだった。HGさんが開いてくれた「一発会」は、傷ついた一発屋たちのセーフティネットのような場だったと山田さんは振り返る。「面白いから売れたんだ」という励ましももらったという。見栄を張っても仕方ないと思えるようになったことに加え、長女が生まれることになったのも大きかったかもしれない、と山田さんは話す。「熱い負け」をこの時期に飲み込んだことが最初の一歩だった。
ただし、それで嫉妬が全部なくなるわけではない。同期や少し下の後輩が冠番組を始めたと聞けば、今でも苛まれることがあると山田さんは認めている。
感情のリモコンを隣の家に置かない
そこで山田さんが持ち出したのが「感情のリモコン」のたとえだ。人を妬んだり気にしたりしている状態は、自分の家のテレビのリモコンを隣の家のリビングに置きっぱなしにしているようなものだという。向こうで勝手に触られて、自分ではチャンネルを変えられない。だから、自分の気分のリモコンくらいは懐にしまって自分で管理しよう、自分に集中しよう、という考え方である。苛まれ続けて疲れ果てた末に、この考えにたどり着いたという。
同期のプロジェクトが通って自分の企画はボツになったとき、何を思っても仕方ない。山田さんは当時、嫉妬している自分を俯瞰して「滑稽だ」と思ったという。自分が勝手にライバル視している相手は、おそらく1日の中で自分のことを1回も考えていない。それなのに自分だけが時間を使い、パフォーマンスを落とし、嫌な気持ちになっている。そんな自分を「恥ずかしい、おこがましい」と思えたときに、少し軽くなったと山田さんは語る。嫉妬は、好意や競争心と同じく一種の片思いで、片思いの側はいつも滑稽なのだという。その滑稽さを頭でしっかりわかっていれば、振り回される時間は抑えられるはずだ、と山田さんは言う。
一方で山田さんは、25歳ならある程度の妬みがあってもいいとも言う。若いうちは嫉妬をガソリンにして「俺だって」と奮起できる。しかし50歳になると、荒々しい燃料をエンジンに入れたら焦げついて炎上してしまう。だから平熱で暮らそう、と考えている。ここ数年、山田さんの座右の銘は「なるべくつまらなく暮らす」ことだという。週末のバーベキューやキャンプ、最近始めたサバゲー、折りたたみ自転車を電車に持ち込んで走る趣味など、好きな人はやればいい。しかし、みんながそうでなければダメだということではない。そういうものに煽られてソワソワするのは良くない。嫉妬は完全には消えないが、とろ火程度に抑えておく作業が大事だと山田さんは話した。
「普通」は実はかなり高いレベル
本の中の「普通はレベルがすごい」という主張についても、山田さんが説明した。「普通はさ、こうじゃん」という言い方が山田さんは嫌いだという。人間はずるいので、自分が普通より少し上のセーフティゾーンにいるときに、相手に「普通」を押し付けるのだ、というのが山田さんの見方である。
山田さんは富士山にたとえる。世の中の人は「普通」と聞くと富士山の5合目あたりを想像し、半分だから簡単だと思う。しかし不登校や引きこもり、わけのわからない下積み生活で何十年も樹海をさまよっていた人からすると、5合目は結構な頂なのだという。しかも「普通」は、長さの単位のような共通の基準ではない。それぞれが感覚的に言っているだけだ。共通の普通などないのに、なぜか普通を恐れたり、普通より上に行こうとしたりする。その奇妙さを一度立ち止まって考えた方がいい、と山田さんは言う。普通でいられている時点で、もうかなり上なのだという。
質問を途切れさせない相方と、スカーフの本数
コミュニケーション術の話題では、山田さんは芸能界に向いていないと感じる理由の一つを語った。以前この番組にも出演していた渡部さんの動画で、上司に気に入られるには質問を途切れさせないことだ、という心理学に基づく話を見たという。理屈はわかる。しかし自分に置き換えると、後輩に「貴族キャラってどうやって思いついたんすか」と聞かれても、本当に知りたいのか、場を持たせるために無理しているならやめてほしい、と勘ぐってしまうという。
そこで山田さんが紹介したのが、最近の営業での出来事だ。周りは珍しく吉本の芸人ばかりで、パンクブーブーさんや村上ショージさん、吉本新喜劇の方々、そしてザ・ぼんちの師匠がいた。自分の出番を終えて駅で特急を待っていると、ホームにザ・ぼんちの師匠が来た。山田さんにとっては、幼少期にラジオで「A地点からB地点まで」と流れていた大ヒット曲の人である。緊張して挨拶だけし、ベンチでスマホに没入していた。
すると横から「漫才ブームの時ってどんだけ忙しかったんですか」と聞く声がする。見ると相方の樋口さんだった。その後も「東京に住んでた時期もあるんですか」「東京のどの辺ですか」「僕その辺住んでたことあります」と質問が途切れない。ついには「師匠ってスカーフ何本ぐらい持ってるんですか」と聞き始めた。山田さんは「お前ほんまにそれ知りたいか」と思いながらも、師匠にスカーフの本数を聞けるやつがコミュニケーションがうまいのだろうと感じたという。自分もいつか誰かにスカーフの本数を聞いてみたい、と冗談めかして話した。結論としては、そういうことができる人もいればできない人もいる、というだけの話である。
社交ゼロに至るまで
十石さんは、上司が大勢いる飲み会でお酌や会話回しを暗に求められる場面があり、やった方がいいのかと迷うと相談した。山田さんは、飲み会を悪いものだと断じたくはないし、自分もお酒は好きだと前置きした。そのうえで、自分は何年か前、コロナ禍より前から「社交ゼロ」を貫いていると明かした。
若い頃は山田さんもやっていたという。芸人の世界では、夜中の1時や2時に先輩から電話がかかってきて呼び出される。先輩ごとにお酒の割り方の配分を覚える。特に面倒だったのは合コンをしたがる先輩で、メンバーを揃えられる後輩が重宝された。山田さんは「海を漂うビニール袋が海岸に流れ着いたような」経緯で芸人になり、金も人脈もなかったので、それができずに「お前本当にダメだな」と言われたこともあったという。
あるとき山田さんは、もうやめようと自分に言い聞かせ、誘いをことごとく断るようになった。「この後ちょっとあって」と嘘をつくこともあった。厄介なのは、山田さんが表面上は気さくな人間だということだ。収録中やその前後の「仕事ゾーン」では愛想よく振る舞えるし、「ちょっと兄さんやめてくださいよ」といったやりとりもできる。しかし着替えた瞬間にスイッチがオフになり、そこで食事に誘われると面倒になる。断り続けていると「だからあかんねん」と文句を言われることもあった。山田さんは「その『だから』のエビデンスがわからない」と思いながら断り続け、ついにはスマホを鳴らす人が誰もいなくなったという。
十石さんが、喋らないと「若いくせに」と思われるのではないかという謎の恐怖があると打ち明けると、山田さんは、それは飲み会に「できる・できない」という価値観が持ち込まれているからだと答えた。飲み会での振る舞いと仕事の能力は、本来ほぼ関係ない。山田さんの狭い観測範囲の話と断ったうえで、先輩に呼ばれてすぐ駆けつける子や飲み会のセッティングが上手な子で、後に売れた人はいないという。真面目に芸に向き合ってネタを考えている子の方が売れている。たまに例外がいるとしても、その人はとてつもなくファニーな人なのだろう、と山田さんは話す。
相手を立てるのは「守りの敬意」
十石さんは、本の中で山田さんが「頭のおかしい連載記事の担当者」にも誠実に対応していた話を挙げ、相手を立てるのがうまいと評した。山田さんの答えは、相手を立てたいというより、相手に気まずい思いをさせると自分も気まずくなるのが嫌なのだ、というものだった。滑っている人の横にいると、自分も滑っている気持ちになる。だから、自分を守るためという面が正直あるという。
山田さんはその気質を、中学受験のエピソードに重ねた。家庭教師の先生が受験問題を解けなかったため、山田さんはわざと間違った補助線を引いて「先生これですか」と尋ね、少しずつ正解の補助線に近づけていった。先生をバックで誘導する「オーライオーライ」のような勉強法だった。あの頃から気質は変わっていない、と山田さんは言う。敬意には攻めと守りがあり、自分のは守りの敬意だということだ。十石さんも自分は守り側の思考で、守りがうまくなりたいと話した。山田さんは、守りがうまいということは自分に集中するのがうまいということでもあるから、それでいいと応じた。
動物ふれあいと「100%善」への違和感
世の中には「こうあるべき」という地雷が星の数ほど散りばめられている。山田さんはその一例として、去年から公言し始めたという「動物が苦手」という話をした。
家族で八ヶ岳の牧場に行ったときのことだ。晴れ渡った空の下、芝生でござを敷いてサンドイッチを食べる親子や、フリスビーやサッカーボールで遊ぶ家族がいた。山田さんはそれを見て「ほんまに楽しいか?」と疑ってしまったという。こういう場所ではこう振る舞うのがセオリーだ、というものに動かされていないか、という気持ちになる。山田さん自身はそういう場でフリスビーを投げるのがしんどい方だ。
乳牛を見る60分のツアーには、腰が痛かったこともあって参加を遠慮し、集合場所から離れた岩に座って眺めていた。するとアテンド役の中年女性が参加者にこう説明した。何年か前にこのツアーに参加した小中学生くらいの男の子が、たまたま牛の出産に遭遇して感動し、今は獣医を目指している。お子さんはどんどん吸収してどんどん成長するので、大いに学んで帰ってください。参加者は「わあ」と沸いた。離れた場所から見ていた山田さんは、ずいぶん上から目線だと感じたという。
山田さんの違和感は、動物と触れ合うことが100%善とされ、知育的な方向に結びつけられることにある。イルカは人間の子どもの情操を育てるために泳いでいるわけではないし、犬もそうだ。「子どものために犬を飼っています」という人がたまにいるが、それは本当の愛情なのか、不気味さを感じることもある。純粋な生き物への愛ではないものが入り込んでいる気がするので、声に出して言っていこうと思っている、と山田さんは話す。ただし、他人がやる分には構わない。楽しそうだなと思う。自分がそこにアジャストできないという、ややこしい部分なのだろう、と山田さんは付け加えた。
「人間のふり」をやめ、元を取ろうとしない
十石さんも、友人との飲み会や旅行で周りがテンションを上げているとき、どこかで楽しみきれず俯瞰している自分がいると打ち明けた。ライブに行くのは好きだが、周りが盛り上がっていると「こんなんやるキャラちゃうしな」と冷静になってしまう。それでも楽しまないと周りを不快にさせるのではないかと考えて苦しくなる、という。
山田さんは「ふりをしてるんですよ。人間のふりをしている。だから疲れるんじゃないですか」と答えた。山田さん自身は最近、飲み会に誘われると「僕連れてっても面白くないすよ」と大先輩にもはっきり言うという。我ながら怖いと思いつつ、ある地点ではそういう決断も必要かもしれない、と話す。
大勢で騒ぐ場の例として、山田さんは大阪万博を挙げた。閉幕間近のテレビで、何時間も並んで2つしかパビリオンを回れず、名物も食べられなかったが「来てよかった」と答える人を多く見た。山田さんは、中には元を取ろうとしている人もいるのではないかと思いながら見ていたという。本当はしんどくて何も見られず満足度は100%ではないが、行った自分を守るために「よかった」ことにしているのではないか、という推測である。山田さんは、そうした「元を取る」ことや、周りの空気を壊さないために無理して場を成立させることをやめた。そうしなくて済む環境に身を置くよう心がけているという。
十石さんのライブの話については、ちょっとは行きたい気持ちがあるのだろうと山田さんは言う。そのうえで、座って落ち着いて見たいのか、小さく手を振りたいのか、自分の気持ちに向き合えばいいと話した。周りに合わせるとしんどくなるので、周りに合わせなければならない場にいかに行かないかが大事だという。
若いうちはテンポよく負けていい
十石さんは、「頑張らなくていい」と言ってくれる人はいても、20代でそういう自分を受け入れるのは相当な覚悟がいるのではないかと尋ねた。山田さんは「20代でこんな風にならなくていい」と笑いつつ、頑張らなくてもいいし、頑張れる人は頑張ればいいと答えた。全ての人に適用できるメッセージがあると思われすぎている、メディアもそうだ、そんなものはあるわけがない、と山田さんは言う。多様性と言いながら、全く多様でないことが世の中にはたくさんある。平たく言えば人それぞれだという。
他人を気にする時間は完全に無駄だと、山田さんは「50年かけて解明した」と言う。それでも、少しのスパイスとして、燃料になる程度に妬み、「俺だって」と頑張る時期があってもいい。20代前半の若者がみんな50歳の一発屋のような考え方になったら、日本の未来は絶望だとも冗談めかした。
そのうえで山田さんは、本のタイトルは本心だと強調した。キラキラしたい人、素敵に生きたい人はそうすればいい。ただ、そうでない人が責められる筋合いはない。表に出る仕事の人や学校の先生はなかなか言わないが、何の取り柄もない人間もいる。自分も含めてだ。取り柄がなくても誰にもとやかく言われない世の中が真っ当だと山田さんは言う。夢を持っていなくても恐れないでほしい。後で持つかもしれないし、ずっと持たないかもしれない。そういう人もいる、というだけの話だという。
仕事をしていると成績などで周りを見てしまうのは仕方ない、と山田さんは認める。それでも、それが意味のない時間だということを、自分がみんなの代わりに味わっておいたので覚えておいてほしい、と話した。若いうちはテンポよく負けた方がいい、可能性を潰せるから、というのが山田さんの助言である。
成功談に「たまたま」をつけてほしい
最後に山田さんは、一度は何かを目指すのも悪くないと認めた。そのうえで、怒られるだろうと前置きしつつ「日本人は大谷翔平を見せられすぎている」と語った。子どもの頃からキュリー夫人やエジソンといった偉人の漫画に触れすぎている。さらにメディアは、ITでちょっと成功した人のビジネス書を出す。十石さんが「本当にすいません」と謝る場面もあった。
山田さんは、豊臣秀吉ならいいと言う。すでに亡くなっていて、長い時間をかけて成功が実証されているからだ。しかし、今何かで当てた人も、数年後にはどうなっているかわからない。短いスパンでの勝ち組の平均値を煮詰めて提示しないでほしい、というのが山田さんの主張である。「諦めなければ必ず」という精神論にも疑問を呈した。その例えが桃太郎だ。諦める前にたまたま桃が流れてきただけで、桃が2時間遅かったら、おばあさんは桃なしで家に帰っていた。成功談には全部「たまたま」とつけてほしい、と山田さんは言う。
他人の成功に目を奪われるより、自分のことで手一杯になった方がいい。山田さんはこの言葉で話を締めくくった。
こっちでよかったんです? いや、お願いします。
ありがとうございます。『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』。とんでもないタイトルですけど、元引きこもり、社交ゼロと嫉妬にまみれた一発屋芸人初の自己啓発書って書いてあるんですけど、僕、自己啓発大嫌いなんすよ。
いい塩梅の自己否定をきちんとできる方が、逆説的ですけど自己肯定感が上がるというか。
ドリームハラスメント。歌舞伎町の雑居ビルに入ってる詐欺会社みたいな雰囲気が漂うね。警察に職質で止められて、ちょっとええかな言われて、君は夢を持ってるかって言われるような。いや、すいません。今日、家に置いてきました。そしてこんばんはないんやろみたいな。本当にね、反省してほしいです。
安易にね、夢を聞きすぎるんです。夢とか目標とか抱負とか。生きていく上で、生活していく上で必須みたいな、身分証明書みたいな。
しんなりおひたしみたいな薄味のやつで生きていく人がいてもいいじゃないかと思うわけですね。煽らないでください。キラキラしたい人はね、素敵に生きたい方はそうすればいいし、そうじゃない人が責められる筋合いもないんだっていうね。
ということで、今回はですね、髭男爵の山田ルイ53世さんにお越しいただきました。本日はよろしくお願いします。
ルイさんご… こっちでよかったんです? お願いします。ありがとうございます。
いやいやいや、またキラキラした会社に呼んでいただいて。若い方が多いすね。
そうですね。多分社員の平均年齢、30代半ばなんで。
うち、サンミュージックっていう一応芸能事務所なんですけど、多分平均年齢60ぐらいや。
え、そんな上なんですね。
おじいさんばっかりで。
じゃあ多分1/2ぐらいの平均年齢の会社なんですけど、私が25の年で。
25?
そうなんですよ。2000年生まれで。
あの時なんか何にもご飯食べれてませんでした。そうなんですか。そうですよ。芸人ってそんなもんですよ。
あ、そうですか。でも僕がちょうど小学校の頃に、髭男爵さんが爆笑レッドカーペットに…
もうその換算やめてもらっていいです? 僕が何歳の時にとか、僕が幼稚園の時にとか。まさしく爆笑レッドカーペットの、こないだ特番、今年の頭にね、それを見ていただいたんでしょうか?
見ましたし、一番テレビを見ていた頃がね、2008とか9とか、あの辺ですね。
こないだ正月特番で爆笑、久しぶりに呼んでいただいて、また持ってたんですけど、そん時裏で出番前のコットン西村君とちょこっと喋りまして、西村君も「いや、僕がまだ芸人の世界に入る前、大学生ぐらいの時に一番よく見てましたもん、髭男爵さんを」って言われて、すごい速さで追いつき追い抜かれたなっていう寂しい気持ちになりましたよ。その換算やめてください。本当に。
すいません。ありがとうございます。本当にちょうど僕が一番テレビっ子だった時というか、もうドンピシャの世代に山田さんが出られてて、もう本当にテレビで見ない日はないぐらいの。
一時ね。そういう一時はありましたけどね。
で、今回ですね、ご紹介させていただくんですけど、こちらの『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』。とんでもないタイトルですけど。でも本当に、私も全部読ませていただきまして、結構今ビジネス本みたいなのって世の中に多く溢れてるんですけど、
そうですね、僕が大嫌いなやつです。
あ、そうなんですか。
いや、これだからね、担当編集の方と、昔から付き合いのある担当編集の方なんですけど、ちょっと軽く揉めたのがですね、ここの帯のとこに「元引きこもり、社交ゼロと嫉妬にまみれた一発屋芸人初の自己啓発書」って書いてあるんですけど、僕、自己啓発大嫌いなんすよ。
あ、そうなんですか。
っていうのも、煽ってくんなよみたいなね。後ろからクラクションをプーって鳴らされてるような気持ちになるんで。そういうのあんまり好きじゃないから、そういうニュアンスは出さんといてほしいって言うたんですけど、気ぃついたら最終的に自己啓発書って書いてあって、ちょっとここがね、不本意なんですけど。
なるほど。ちょっと意に沿わない形の方に。しかもこれ、取っても大丈夫? あ、もちろんです。
裏のところに「生きやすくなる34のヒント」って。俺これ、何なにの何かしらみたいなやつ一番嫌いやねん。勝手につけやがって。
なるほど。でも気がついたらこういう本になっていたっていう。
そうなんですよ。まあまあ、でも煽られる感じの、啓発するような内容の文章ってしんどいなっていう人も多いと思うんですけど、
啓発自体は別に悪いことじゃないんですけど、今までこの社会、世の中にプーってクラクション鳴らして煽り運転するような啓発書ばっかりやったんですよ。おそらくね。私のような一発屋視点の、負けをごくっと飲み込んだ人間視点の啓発みたいなものもあってええんちゃうかなとは思ってます。
いや、でも本当に今僕自身が求めてた本がこういう本で。やっぱりビジネスメディアをやってる以上ですね、どうしてもキラキラしてる方が書いた…
そうですよね。本来、煽る側ですもんね。
そうなんですよ。だから本当にそういう仕事をしている自分が言うのは申し訳ないというか、複雑な気持ちなんですけど、雲の上にいる人たちの成功体験みたいな本はたくさん読んできたんですけど、そうではない等身大の山田さんが書かれた本に、とても感銘を受けまして。
25の人に50のおじさんの意見がはまる時さ、倍ですよ、僕の方がね。ありがとうございます。
いえ。本当にこの若輩の私が大変おこがましいんですけど、とても通ずる部分というか、マインドが似てるなっていう風に思ってまして、最初の50ページですごいうるっと来たんです。
結構序盤ですけど、自分でもロクでもないなと思うのが、開いて結構ほどなく35ページぐらいに「人生すでに失敗した」っていう章があるんです。あれ嫌じゃないですか?
いや、でも僕すごいいいなと思って、あれが。
そう、良かったです。
赤裸々に書いていただいてるなっていう。
はい。そのままありのままで書かしていただきましたけど。
ということでですね、ちょっとこちらの本を元にですね、今日私のお悩み相談に…
ご自身のお悩みごと?
そうです。私自身の悩みを今日乗っていただこうと思ってます。
意図がわかりませんが。いえいえ。なので改めてよろしくお願いします。
私の悩みのタイトルに「隣の芝生が青く見えすぎてしまう、憧れ癖がある自分が嫌だ」っていう風に書かせていただいてまして、ちょっと概要をざっと読み上げさせていただくと、今SNS、インスタ、Twitter色々あると思うんですけど、それを開けば友人たちの充実した生活であったりとか、仕事が充実してる人など、他の人の輝かしい姿っていうのが常に目に入ってきてしまう。
普段は忙しく仕事してるけど週末は友達とこんなとこ行ってきたよとかね。
旅行のストーリーが上がってたりとか。
お茶のお稽古ごと始めたよとかね。
そうそうそう。意識高い系というか、が入ってくる。で、自分もああなりたいなとか。
あ、それあるんですね。
そうなんですよ。もっと評価されたいみたいな。上昇志向、これをちょっと憧れ癖っていう風に今日書かせていただいてるんですけど、がある一方で、現実の自分って特に特筆するべき才能も実績もない。
いや、そんなことはないと思いますけどね。NHKで記者やってはって、今ここでお仕事されてるんですから。
でも、自分の自認としてはあんまりそういう才能ないなっていう風に思っててですね、このギャップにすごい焦燥感を感じてる部分があって。
なるほどね。
なんで、高望みを捨てて楽になりたいなっていう本音と、ここで負けてしまっていいのか、まだ25で降りてしまっていいのかっていうのがあって、そのプライドとの葛藤というか、そこに悩んでまして。身の程を知ることが敗北のように感じられて、適切な諦め方が分からないっていうのが最大のモヤモヤです。
身の程を知る、とまた重々しい言葉が出てきましたけども。
そうなんですよ。
ご自身でたまに鏡見ながらそういうこと思う時があるってことですか?
常に思ってます。お前、こんな偉いキラキラしたレベルの高い理想に憧れてヒーヒー言うてるけど、お前はお前やぞみたいな瞬間が、もう寝る前毎回レベルで。本当精神安定上良くないなと思ってんですけど、そうなんですよ。
で、ちょっと前に、今メジャーリーグで活躍してる大谷翔平選手。
大谷翔平選手。素晴らしい選手です。
「憧れるのはやめましょう」っていう言葉。
あれはでもどういう意味でおっしゃってたんですか? 僕全然野球見ない、知らないんで。「憧れるのやめましょう」、そのフレーズ自体は知ってるんですけど、どういうニュアンス、意味でおっしゃってた言葉なんですか?
一応私がこういう意味かなっていう風に推察するのは、要は憧れてしまうともうその人は超えられなくなってしまうので、憧れるのではなくて自分自身で向上心を持って…
本当、僕の言ってること真逆のことだと思うんですけど、憧れるとか上に見るんやなくて、もう本当に戦う相手、負けるかもしれんけど勝つことだってできるんだというリアルな相手として見ましょうよってこと。
そうですね。っていう言葉があって、僕自身その言葉すごい刺さったんですけど、
でもね、チームメイトも鼓舞されてたんでしょ? だから。そうですよね。
そうです。なんですけど、実際その憧れがやめられてないっていうのが現状としてある。なんで、この負けを認める強さであったりとか、凡人としての誇りっていう風に書かせていただいて、
凡人としての誇り、すごいですね。
自分らしく生きていきたいなっていう、その等身大の人生を送っていくためにどうしたらいいでしょうっていうのを、ちょっと人生の先輩にお聞きできたら。
いやいや、もう先輩なんて、ですけど。でも今喋った、ここにもそのお悩みが書かれてるんですけど、その中にもトラップがあるなと僕思ってて。
トラップですか?
この「自分らしく生きていきたい」っていう、このらしさを求められるっていうのも、僕は結構めんどくさい、しんどい人おるんちゃうかなと思うんですよ。何者かでなければならないとかあるじゃないですか。
もうちょっと条件というか、ハードルを優しく緩くしてあげたよっていう延長線上に、自分らしさみたいな言葉が出てくるんですけど、僕はいつも、そんなにらしくないとダメかねとも思うんですよ。
なるほど。
らしさ。らしさって何? 自分らしさって何?っていう。結局そこにも1ハードル、2ハードルあるやんていう。要するにオリジナリティとか、誰とも被らない唯一の個性とか。しんどないですか? プップーって鳴らされてる感じしません?
確かに。背中を思い切りバーンと。
だから、ちょっとマッチョな考え方というか、こうあるべきっていう考え方っていうのが、やっぱりちょっと氾濫しすぎてる気がするんですよね。
そうですね。
僕は大好きな歌ですけど、「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」なんてね、素敵な歌があります。大好きなんです。でも特別なオンリーワンになるの、結構しんどいでっていう。かなりレベルの高い要求をされてるなっていうのはいつも思いますね。
で、こう思うのが、その自分らしさとかもそうなんですけど、よくね、お仕事されてたらそういう言葉言ったりすると思うんですけど、
もうそれまさにやって。
自己肯定感ってよう言うじゃないですか。
はい。
自己肯定感が低いんですとかね、お悩み相談とかでも。でもそんなにその自己肯定感も…。いい塩梅の自己否定をきちんとできる方が、逆説的ですけど自己肯定感が上がるというか。
ああ。
要するにそれは、僕がよく言ってる、自分を諦めてあげるタイミングだ。髭男爵の漫才とかキャラクターなんて、諦めないとできないわけですよ。
分かります。
やっぱ僕らこの業界入ってきたら、多少なりとも最初の数年はスーツビシッと着込んで決めて、センターマイク1本で喋りだけで勝負するっていう、その世界に憧れるんですよ。
でもやっぱりだんだん、あれ、俺と、相方樋口君言うんですけど、俺と樋口君のこの戦闘力というか能力では、そこそこのコンビにもなられへんな、でけへんなってやっぱ分かってくるわけです。
勝負をどんどん積み重ねるうちに、あ、やっぱもうスーツピシッと着て普通の感じで出てっても無理やなってなって、貴族なろうってなるわけ。変な格好しようってなるわけですよ。シルクハットかぶってワイングラス持って、ワイングラスでなんとか書いて乾杯する、それをツッコミとする漫才にしようってなるんですけど、それもアイデアはあったんで。
最初は普通の格好でやってたんです、僕らも。
その時代、僕…
いや、もちろんそん時は全く世に出てないんで。
そうです。
ご存知の方なんていないと思いますけど、ほんまにもう可愛らしい。服もオゾンロックスとか着てました。樋口君はヒステリックグラマーとか着てました。で、髪の毛もこうして、僕もおかっぱ頭で可愛らしい感じで短パンでとか言って、若い子に人気が出るようにってずっとやってたんですけど、やっぱ無理で、シルクハットかぶって貴族なってワイングラス持とうってなったんですけど。
その時の葛藤というか。
自分の中のジレンマ、苦しみたるや半端なかった気がします。ほんまええんかな? 大丈夫なんかな? どんどん自分が変なものになっていく。でも変な格好して売れていったやつもいる。いや、でもほんまはビシッとスーツとマイク1本で勝負したいのに、俺シルクハットかぶって何これって、やっぱ自分の中で葛藤もあるんすよ。うわ、嫌やっていう気持ちもあったんすよ。
でももう1回その格好したら戻られへん。で、結局それで初めてライブ出た時にドカーンと受けて、笑いのシャワーを浴びるみたいな体験をした時に、ようやく報われるというか、あ、これで良かったんやって開き直りがあった感じになったんで。
決して最初から全速力でこうなりたかったわけでもないわけですよね。そこは自分の能力とか、いろんな環境、ライバル、相手の能力とかも鑑みて、ちょっと諦めていってあげ、この部分を諦めていってあげる、その積み重ねで貴族になってしまった、もしくはなれたっていうことなんで。
そうなんですね。
そのあんまり自己肯定感みたいな、よくわかんないでしょ。
煽ってる側が言うのもあれですけど、確かに。
たまに定期的に調べますもんね。自己肯定感とはって。ちゃんと正しい解説を知りたくて。
だからもちろん、その自分を台無しにしてしまうような諦め方、否定の仕方っていうのは論外ですけど、あ、もうここ無理なんやなとか、仕事してたら分かるじゃないですか。あ、これ俺向いてないなとか。これはちょっと他の人の方が得意やなっていうところは、どんどん諦めていっていいと思うんですよね。
ああ。諦めていった先の策というか。
そう、だから残った選択肢でやるっていうことじゃないですか。やっぱり若い頃って、子供たちとかに大人が無責任やから、君たちには無限の可能性があるよ、何にでもなれるよとか言うんですけど、これは本当にこの表に出てる仕事の人は言うべきじゃないと思うんですが、何にもなれない人だっているんよ。
それは自分で人生を年月重ねていく中で分かっていくんでしょうけど、大体無限に選択肢があったらですね、普通の人間はどれ選んでいいか分からなくて、ただ佇むしかなくなるんですよ。だからなるべくテンポよく、これやろう、あ、これあかんかった、これやろう、あ、これもう無理やった、これやろう、あ、全然向いてないわ。
で、残った2つ3つの選択肢で、まだまあまあできる方かなこれっていうのをやっていくのが、やっぱり我々のような凡人の場合はね。
大谷翔平さんとかも、これやろうで1個目2個目で野球つかめてるんすよ、多分。周りにも明らかにこいつ得意やなっていうのが分かるぐらいの才能ですし。でもその他大勢、自分も含めて凡人はね、手際よく可能性を潰していく作業しないと、いつまで経ってもです、これは。
そうですね。本の中にもドリームハラスメントっていうこと。
いい言葉やなと思って。
そうですね。歌舞伎町の雑居ビルに入ってる詐欺会社みたいな雰囲気が漂うね、ドリームハラスメント。
でも本当に夢、目標を持てっていう、我々がそういうのちょっと言ってしまってるメディアなんですけど。
本当にね、反省してほしいです。安易にね、夢を聞きすぎるんです。夢とか目標とか抱負とか。
本当、生きてて、変な話、街歩いてて警察に職質で止められて、ちょっとええかな言われて、君、夢は持ってるかって言われるような。いや、すいません。今日家に置いてきました。そしてこんばんはやろみたいな。生きていく上で、生活上で必須みたいな、身分証明書みたいな頻度で夢は?夢は?って聞かれるじゃないですか。誰か1人2人ぐらい、持ってなくてもいいんだよっていうことを言う勢力がないと、
そっか。
こっちのドリームハラスメントがですね、苦しいことこの上ないと僕思うわけで。
いや、確かにもう脅迫ですもんね。
脅迫に、ほんでさっき言ったら煽り運転にも近いですし、やっぱりそういうことをずっと言われてるから、それ裏返すと、夢を持ってない僕、私ってダメな人間なのかなって思う人が出てきちゃうでしょ。いや、夢持ってるのは素晴らしいんですよ。目標とか、僕も素敵やな、羨ましいなと思う時もあります。確固たるそういう目標みたいなのがあって。でも僕はないんですよね。
少なくとも僕に限って言えば、僕はないんです。そういうのが。趣味もなけりゃ社交もない、夢もない。だから楽しくないんです。
だから別に楽しくなくてもいいじゃないと思ってるわけですよ。本でも言うてますけど、シャキシャキのおしゃれな野菜みたいな生き方じゃなくてもね、しんなりおひたしみたいな薄味のやつで生きていく人がいてもいいじゃないかと思うわけですね。だから、煽らないでください。
僕自身もやっぱこういうメディアをやってるので煽ってる側の人間なんですけど、私個人としては全然、正直明確な夢とか目標があんまりない。
ないですよね。出世してやろうとか。
そうなんですよ。だから、なんとなく漠然とした夢を持たないとだめだ、目標は明確にみたいなのをやっぱ言われるので、なんとなく作るんですけど、
そこから逆算して。
そう、やれよみたいな。
ノートに書いとけみたいな。昔からようありますよね、逆算するやつ。
そうなんですよ。
いや、そんな遠いとこ見てられへんていう。
本当そうで、5年後10年後のキャリアビジョンみたいな、無理無理みたいな。
できる人もいるんですよね。できるんですけど、本当に実行される方もいるんですけど、ただ我々としては、わ、すごいな、わあ、かっこいいって思うだけで、自分は違うよ。違うから責め立てんといてくれというか。
っていう気持ちですよね。
もういっつも行き当たりばったり。
で、大体芸人の人の話聞く時、インタビューの時に、なんで芸人になったんすかとか聞かれるじゃないですか。で、大抵の人は、いや、高校時代に相方とってとか言うてで。養成所なんですけど、出身っていうか、途中で辞めてるから出てないんですけど、行ったことあるんですけど、やっぱ結構みんなギラギラしてるんですよね。
で、僕がすごくびっくりしたのが、僕は不登校になって引きこもりになって、あ、これじゃやばいってなって、なんとか大検取って四国の大学に潜り込んだんですけど、そこでも早々に4年で卒業できへんみたいな状況に陥り、なんとなく誘われたお笑いを始め、でもその相方は辞めるとなり、もうどうしようってのは、学校ももう芸人なるって勝手に思ってたから、学校もあんまり行ってなくて出席日数も足りず、1人で上京してくるっていう。
要するに、その他のことで全部ダメだった人が集まってくるのがこの養成所だと思ってた。
あ、そうなんです?
最初は行き詰まったどうしようもねえやつの吹き溜まりだと思ってドア開けたら、結構みんな目をキラキラ、あるいはギラギラさせて、高校の時から相方と入学してとか言うて、生き生きとしてるんですよ。騙されたと思って。
思ってたのと違う。
違う。こんなエネルギーが集まる場だと思ってなかったっていうのもあって。だからもう、他にやることないからやってるみたいな感覚でやってるんで、やっぱ基本的には向いてないっていう意識はすごくありますね。
そうなんですね。でも芸人さん達って本当そういうギラついた方が多い環境というか。
少なくないと思いますよ。やっぱり一旗あげてやろうとか。今の子は分からないですけど、僕らの世代やったら冠番組持つぞみたいな。おこがましいですけど、ウンナンさんとかトンネルズさんとかダウンタウンさんとかになるぞ。それ見てきてるからやっぱり。っていう人たちも少なくなかったですね。
やっぱりそういった中でも、多少戦っていかないといけないわけじゃないですか。
特にね、若い時はね、飯食えるようにならなあかんですから。
今山田さんのお話で、諦めることって大事ってお話があったと思うんですけど、とはいえ隣の芝生が青く見えてしまうのって結構人間の性というか、特に若い時期とかって仕方ないのかなっていう。
いや、本当若い時はもうみんな青いサングラスかけてるというか。わ、あいつはこんなに頑張ってるのに、それに比べて俺はとか。あいつはなんかライブで優勝したらしいぞ、それに比べて自分の現状はどうだとかね。やっぱ芸人の場合は、そういう妬み嫉みみたいなのは、やっぱり僕もありましたね。
それを心のスイッチをどう処理するのかというか、等身大の自分を持ち続ける、要はキラキラした自分を諦めて等身大の自分を受け入れる時に意識されたことというか。
一番大きかったというか、やっぱ一発屋ってこう、揶揄され始めた時、エゴサとかするわけですよ。SNSで、消えたって。
で、それでも仕事で地方の営業とか行くと、その道中でまたエゴサーチしてたら、そのショッピングモールかなんかの現場の周りに住んでらっしゃる女の子か、高校生ぐらいか分かりませんが、「今日近所のショッピングモールに髭男爵が来るらしい。でも私は行かないけど」みたいな。
で見たら、別にフォロワーも10人ぐらいのやつなんすよ、これ。もちろんね、普通に暮らしてる学生の子やから。なんですけど、髭男爵と一発屋というものを出汁に使って、こき下ろしてまで、その自分が所属する小さなコミュニティでの地位を上げたいのかっていう。
ああ。
で、しかもこれが皮肉なのが、これちょっと本にもちらっと書きましたけど、自分のコミュニティ内で有名人をスルーできる自分っていう、今の言葉で言うたらイキり方をするのに、僕の知名度を使っているじゃないかっていう。
確かに。
腐す相手に頼りながら自分を上げるという、何なんだこのいびつな構造はというね。
確かに。
っていうこととかもあって、やっぱりね、一発屋と揶揄され始める時って、やっぱ苛まれるんですよ。自分も悪いんですけど。もちろん自分の実力不足とかもありつつなんですけど、でも認めないんです。やっぱいやいや、俺は違う、俺は今まで一発屋と呼ばれていったいろんな先輩方とは違うんだ、俺はちゃんとやっていけるんだって、ちょっと自分に言い聞かせたりとか。でも実際はそうじゃないから、しんどいですよね。
な時に、やっぱりHGさんとか。
ああ、レイザーラモン。はい。
これは『一発屋芸人列伝』という本で色々書いたんすけど、HGさんとかが一発会とか開催してくれて、本当にもう僕はゆくゆくNPOにしたらいいのかなと思うんですけど、本当もう傷ついた一発屋たちのセーフティネットみたいな。いや、面白いから俺たちは売れたんだみたいなね、そういう励ましももらいつつ。
で、だんだん、見栄張っててもしゃあないなって。僕は子供ができたとかも大きかったですかね。長女が生まれるぞみたいになったのも大きかったかもわかりませんが。
熱い負け、一発屋をその辺の時に飲み込んだっていうのが、まず最初の1歩目ですよね。
ああ、なるほど。
かと言って全部なくなるわけでもないですよ。その苛まれるのが時々やっぱりあるんですよ。わ、同期あるいはちょっと後輩の子が冠番組を始めたとかってなると、うーっていうのがちょっとあったりするんですけど、
やっぱりよく考えるとですね、自分のメンタルというか機嫌の、リモコンみたいなものがあったとして、人を妬んだり嫉んだり、気にしてる状態っていうのは、自分の家のテレビのリモコンを隣の家のリビングに置きっぱなしにしてるみたいなもんなんすよ。
で、そこで勝手に触られて、うちはチャンネル変えられへんていう。だから、この自分の気持ち、気分ぐらいのリモコンはちゃんと懐で持っとこう、自分で管理しようっていう。要するに、自分に集中するっていうのが結局、コスパじゃないですけど、しんどくないなって。結構苛まれ続けて、しんどくて疲れ果てた果てに、そういう考えに至りましたね。
本の中にも、感情のリモコンを相手に触らせないっていうのは。
そう、それは大事やと思いますよ。だからそう思ってください。同期とか近しい人がプロジェクト通したぞってなった時に、わ、俺のはボツになったんやとか、うってなる時に、なんぼそんなこと思ったってどうしようもないわけじゃないですか。
で、これ僕は結構当時よく思ってたのが、誰それが成功したとか、うまいこと行ったってことに対して、うーって苛まれてる自分を俯瞰で見た時に、あれ、ちょっと待って、滑稽やぞと。俺が勝手にライバル的な感じで見てるあいつら、多分1日の中で俺のこと1回も考えへんぞと。
ああ、確かに。
うわ、相手何にも考えてないのに俺だけこんなうーってなって、時間使って、いろんなもののパフォーマンスが落ちたりとか、嫌な気持ちになったりとか、むちゃくちゃおかしなことしてると。むしろその妬んでる、嫉んでる、気にしてる自分のことを滑稽に思ってあげた方がいいすよね。いや、めっちゃおかしなことしてるで、自分っていう。恥ずかしい、恥ずかしい、おこがましいっていう気持ちになれた時に、ちょっとすっと軽くなったというか。
そういうことか。だから自分が妬んでる側は別に、僕のこと何も考えてないというか。
何にも思ってないんですよ。のにこっちだけ思ってるわけでしょ。ただ、これ25じゃないですか。まだお若いでしょ。25だと多少妬み嫉みもあっていいのかもしれないとも思う。
そうなんですね。
まだ若い間は、いわゆるそれをガソリンに、燃料に、よし、俺だってって発奮するっていうメンタルに行くこともできるじゃないですか。ただこのもう50になるとですね、荒々しい燃料をエンジンに入れたら、もう焦げついてエンストします。
それは、そうか。
なので本当にもう平熱で暮らしていこうというね。
なるほど。
僕の目標は、ここ何年間か、なるべくつまらなく暮らすっていうのが自分の中の座右の銘になってますんで。なんとなくつまらなく。そんなにね、週末バーベキュー行ったりね、キャンプがどうやとか、最近サバゲー始めたとか、趣味で自転車始めて、電車で自転車畳んで持って降りて、またシャーって走ってる人とか。まあまあ、それはそれでお好きでやればいいんですけど、みんながそうじゃないとダメだってことではないので、そういうものに煽られてソワソワするのはよろしくないなっていう。
確かに。
だから妬み嫉みっていうのは、今で言うと感情の片思い的なというか、片思いの部分あるでしょうね。それが好意であるか競争心であるとか。でもやっぱ片思いの時って滑稽なんですよね、こっちがね。その滑稽さっていうのを、自分の頭でしっかり分かれば、こんなことに振り回される時間の発生は抑えられるはずです。
確かに、そうか。
まあ、それでもずっとありますけどね。それでもずっと、とろ火というか、ちょろちょろっとありますけど、なるべくこの炎を抑えておくっていう作業が大事かなと思いますけどね。
とろ火で生き続けるっていうことですね。
そうですね。
本の中にもあったんですけども、普通でいるのって意外と大変というか。
いや、普通はレベルすごいです。
っておっしゃってて。
だから普通っていう言葉を、もちろん僕も使いますし、みんな使うんですけど、結構やっぱり都合よく使ってるというか。大体人が、いや、普通はさ、こうじゃんとか。
あ、僕その言葉嫌いなんですよ。一番嫌やった。
そう。普通って何みたいな。これ普通やるよねとか、こういう時普通はさみたいに言う。これはね、やっぱ人間ってずるいから、自分が普通よりちょっと上のセーフティゾーンにいる時に、相手に対して普通って押し付けるんですよ。
やっぱり僕は、さっきも言いましたけども、不登校や引きこもりや、ほんでもうわけのわからん下積み生活とか、色々あって、樹海を彷徨ってたような何十年かがやっぱあるんですよ、トータルで。でも普通って言うと、世の中の人って大体富士山5合目ぐらいを想像するじゃないですか。で、5合目って半分やから別に簡単や、楽やって思うんですけど、樹海彷徨ってた人からすると、結構な頂なんですよね、やっぱり。
なので、あんまり普通っていうのが普通だと思わない方がいいというか。みんな共通の普通基準、なんて言うの? クレオパトラかなんかの、こっからここが1キュービットでみたいな話あるじゃないですか。基準、1mはとか。普通ってそういう基準じゃないから、それぞれに感覚的に普通って言うてるだけで。
みんな共通の普通がないのに、なぜか普通を恐れたり、普通より上に行こうとしたりするっていう、このおかしさみたいなことを、1回立ち止まって考えた方がいいかなと思いますね。
なるほど。だから普通でいられてる時点でもうかなり上。
いや、すごいですよ。
いや、だから僕、本当この業界、芸能界向いてないなって思うことは、いくつもそれはあるんですけど、それこそこの番組にも出てらしたアンジャッシュの渡部さん。
ええ。
渡部さんって結構そういうコミュニケーション術みたいなことも。
あ、そうです。発信されて。
持論でね、色々勉強もされて、心理学とかで。俺なんかの動画で見たんですけど、要するに、先輩に、上司に気に入られるには、もう1つだけみたいなやつを見たんすよ。で、とにかく質問をすると。質問を途切れさせない。
そうすると上司の人は、わ、こいつこんなに俺のことどんどん聞いてきてって、ちょっと嬉しい気持ちになると。そうすると可愛がられるみたいな。その理屈は分かるんですけど、自分に置き換えた場合に、後輩がわーって寄ってきて、いや、貴族キャラってどうやって思いついたんすかとか、一番忙しかった時期ってどんな感じなんすかとか聞かれても、正直、自分が先輩にそんなこと別に聞きたくないからでしょうけど、お前ほんまにそれ聞きたい?っていう。場をもたすために無理してるんやったらやめてみたいな気持ちに、やっぱり勘ぐっちゃうところもあって。
渡部さんのコミュニケーション術は鵜呑みにはしてないんですけど、こないだね、営業で行ったんです。で、珍しく周りの方がみんな吉本の方で、それこそパンクブーブーさんとか、村上ショージさんとかもいらっしゃって、吉本新喜劇の方とか、あとザ・ぼんち師匠がいたんですよ。
おお。
もうレジェンドじゃないですか。で、自分の出番終わったらもう出ていい感じになってたんで出て、駅で特急を待ってたら、僕らより後にネタ終わられたザ・ぼんちのお師匠が駅のホームにいらっしゃったんですよ。
で、やっぱ僕、幼少期にラジオから流れてくる「A地点からB地点まで」、ご存知ないと思いますけどね。ご存知かな?
あ、知らない。
おいくつ?
48です。
48で知らない。A地点からっていうの、知らない。「恋の」なんとかかんとかってやつ、大ヒット曲があるんですよ。ザ・ぼんちさんが出された。
だから、もう緊張するじゃないですか。で、あ、お疲れ様ですって挨拶して、その後もベンチ座ってスマホに没入してたんです。横から「THE MANZAIの時ってどんだけ忙しかったんですか?」って言うてるやつがいるんですよ。で、ファって見たら、うちの相方の樋口君で。こいつすごいなと思って。
これがコミュニケーション、先輩に気に入られるための手札かと思ってるんですけど、その後もずっと、あ、東京に住んでた時期もあるんですかとか、東京のどの辺ですかとか、あ、僕その辺住んでたことありますとか、ずっと途切れないんですよ。すごいぞと思って。挙句の果てにというか、しまいには、「師匠ってスカーフ何本ぐらい持ってるんですか」って聞き始めて。お前ほんまにそれ知りたいか?と思って。でも師匠にスカーフ何本持ってるか聞けるやつが、やっぱりコミュニケーションうまいんやなと思って。俺もいつか誰かにスカーフの本数聞きたいなって思ってるんすよ。
よかったら実践してください。
スカーフ持ってる人、多分もう1人しかいない。首のおしゃれなね、巻いて。すごいな、俺、人のスカーフの本数聞いたことないもんなと思って。でもそういう人もいれば、そうじゃない人もいるっていうだけの話なんだよね。
会社員をやってても、どうしても例えば上司がいっぱいいる飲み会とかだと、お酌したりとか、会話回したりとかってやっぱ求められるじゃないですか。
あ、まだまだある?
まあ、多少やっぱり。
だいぶコロナ禍を経て減って、駆逐されたはずですけどね。
そうですね。上辺はないんですけど、やっぱり暗にやれよお前みたいな。
大丈夫。見られたら、あいつってなるよ。
でもやっぱやった方がいいのかなって思う部分もあるんですけど。飲みニケーションみたいな。
僕、全然悪いことだと断じたくはないんですけどね。別に僕もお酒を飲むのは好きですし。ただ本にも散々書いた通り、社交がゼロなんです、何年か前から。もう完全にいろんなお付き合いを断った、偉業を成し遂げた人間なんですね。それもコロナ前からで。
僕もおっしゃる通り、若い時は全然やってたんすよ。このお笑い芸人の世界とかって、昔は本当によくあって、夜中1時2時とかに電話かかってくるんですよ。こっちが寝てようが何しようが。はい、言って出たら先輩で、あんの、今どこそこで飲んでんねんけど、って。もうこれ以上喋らしたらアウトぐらいで、あ、行きます、すぐ行きますとか。
お酒の作り方とか、割り方とかね。
あ、はい。
この先輩はこの配分やとか、この先輩はとか。あったし、やっぱり僕が一番めんどくさかったのが、合コンをしたがる先輩がやっぱいるんすよ。
ああ。はい。
で、今度飲み会やろうぜみたいなことになって、そのメンバーを整えることができる後輩が重宝されて可愛がられるみたいな風潮がむちゃくちゃあって。で、僕はもうね、さっきから何回も言うてますけど、海を漂うビニール袋が海岸に流れ着いたみたいな上京の仕方して、金もないし社交的でもないから、そんな人脈というか、お友達もいなくて全然できなくて、お前本当にダメだなみたいな感じの時もあったんですよ。
だけどまあ、飲み会に参加して、面白い話を先輩にするとか、お酒の作り方とか、そういうの頑張ってた時期やったんですけど、ある時、あ、もうやめようと思って。自分の中に言い聞かして、やめようと思って、ことごとく断ったんすよ。
はい。
すいません、すいません、ちょっとこの後あってとかね、嘘ついたりとか、仕事あるわとかね。収録終わりで誘われても。だから厄介なのがね、僕、表面上は陽気なやつなんすよ。
ああ。でも本の中にも色々ありましたね。
そういうとこないですか? それが誤解させてる可能性ありますよ。
ああ、そうか。
表面上は、仕事とかオンの場では、全然立ち居振る舞えとか、喋りとか気遣いとか、しんどくてもできちゃってるっていう。収録中とかその前後とか、とりあえず仕事やなっていうゾーンの中では、むちゃくちゃ陽気でいいやつなんですよ。愛想いいんです。ちょっと兄さんやめてくださいよとかも全然、もうすごいやるんすよ。
でも、お疲れっしたで着替えたら、もう仕事じゃないから帰る時じゃないですか。もうそん時も完全にカチンってオフなってるんすよ。で、そのオフの状態の時に、この後飯行かへんって言われたらめっちゃめんどくさくなるんすよ。
あ、そうか。
それでいつも断ってて。ほんで時には文句も言われて、お前全然来えへんな、だからあかんねんみたいな。だからってなんやねんていうね。そのエビデンスがわからへんわと思いながら続けてたら、完全にゼロになったんですよ。
へえ。
完全にゼロになって、今はもう僕のスマホ鳴らす人誰もいないという。
そうか。無言の圧力というか、感じる場面結構あって。本当、さっき言った飲み会とかもそうですけど、やっぱり喋んないといけないのかなとか、こいつ全然喋んねえな、若いくせにみたいに思われてるんじゃないかみたいな、謎の恐怖感があって。
それでも一番、嫌やなと思ったり怖いと思ったりしてんのって、そこにできる、できへんみたいな価値観が持ち込まれてるからじゃないですか。
本当おっしゃる通りだと思います。本当そうだと思う。飲み会での立ち居振る舞いとか、先輩と喋る、さっきのコミュニケーション術の話じゃないですけど、そういうことをするやつ、できるやつが仕事できるやつみたいな。
ああ。意味わからないですよ。
本来、仕事できるできへんと飲み会での振る舞いは、ほぼ関係ないのに、それが直結してるパターンもあるかもしんないけど、大概やたらとその仕事ができるでけへんみたいな土俵に持ち込まれる場面が、なんかやっぱ多い気がしますね。
そうですね。確かにその風潮がやっぱあるから、うまく立ち振る舞わないといけないんじゃないかと思っちゃって。でも自分のキャラとしては、そういうのが全然得意なキャラクターじゃないんで。ちぐはぐになっちゃう。そう。
いや、だって実際問題、その先輩に飲み会呼ばれるとすぐに駆けつけるやつとか、なんかその飲み会セッティングするのが上手な子とか、もう散々見てきましたけど、そん中で売れた人って、僕の狭い中でですけど、いないですか。やっぱ。あ、そうなんですね。やっぱ普通にちゃんと真面目に芸と向き合ってネタ考えたりしてる子の方が売れてます。僕が知ってる限りでは。たまにいらっしゃるかもしれませんけどね。ただその人はもうとてつもなくファニーな方なんでしょう。
なるほど。まあ、そこはあまり関係ないというか。関係ないというかね。
でも山田さん、本の中にも書かれてたと思うんですけど、相手を立てるのがすごいお上手というか、もちろんキャラ作りでやってらっしゃるのもあるのかなと思うんですけど、頭のおかしい連載記事の担当者にもすごい誠実に対応されてたみたいなお話があって、いや、これ多分僕できないなと思って、すごいなと思って。
いや、だからそれはね、振り返るというか、当時思ってましたけど、相手を立ててるというか、それはなんか、相手に気まずい思いをさせたらこっちも気まずくなるみたいな気持ちがすごく強いんですよ。だからなんか滑らしたらあかんとか。なるほど。滑ってる人の横にいたら自分も滑ってる気持ちになるじゃないですか。
そうか。だからそれは自分を守るためというか。
の部分もね、正直あると思います。だから中学受験をした時に、しょうもない事故って、もうごめんなさい、書かしてもらってるんですけど。あれめっちゃ面白かったです、あの話。あの話ね。先生が中学受験の問題解けへんから、嘘の選択肢言うて、先生これですか言うて、「うーん」とか言って、じゃあこっちですかってどんどん正解の選択肢に近づけていって、先生にこうバックオーライオーライってやってるような勉強法をしたっていう、あの頃から気質が変わってない気がしますね。だから相手を立てたいっていうわけじゃなくて、自分がそれに引っ張られて損をするというか、その部分は大きいかなと思いますね。
なるほど。だから守りの敬意というか、そういうイメージ。敬意に攻めと守りがある。出てきましたけども。そうか。でもだからそういうマインドの方が、ちょっと心穏やかに対応できそうだなっていうのは感じましたね。あ、そうすか。僕も結構もう思考が守り側なんで、全然攻めたいと思わないんで。ただ守りはうまくなりたいなと思うんですよね、やっぱ。
だからいいんじゃないですか。その守りがうまいってことは、自分に集中するのが上手やとか、うまいってことにもなるわけですから。あんまりだから、よそのこと気にしてね。
だからなんか「こうあるべき」みたいなのが、もう本当星の数ほど散りばめられてますよ。とてつもない地雷原なんですよ。この世の中を歩く時に、べきの地雷がね、すごい数あって、踏まずにこの地帯を突破することがなかなか難しいぐらい大変なんですよ、今生きてると。確かに。
芸能界とかでも、僕はもうとうとう去年から言い始めたんですけど、僕はその動物が苦手なんすね。苦手というか、あんまり動物と絡みたくないというか。これもまあ理由があって、これもちょっと本に書きましたが。
例えばですよ。例えばある時、家族で八ヶ岳の方の牧場行ったんすよ。もう真っ青に空は晴れ渡りね。で、芝生のとこで親子連れがね、なんかござ敷いてサンドイッチ食うたりとか、フリスビーでちょっとパパとか言ってね、サッカーボール持ってきてとかやってたりとか。まずやっぱ僕はちょっとダメなんだろうなと思うのは、その風景を見た時に「ほんまに?」って思う、この疑念の目がね。なんかこういうところに来たらそう振る舞うのがセオリーだみたいなところで動かされてるとこないか?みたいな気持ちになって。僕はそういうとこでフリスビー投げるのしんどい方なんで。
で、見ながら、牛のツアー行く言うて。60分間。もうその時ちょっと腰痛かったんで、ちょっとパパは遠慮しとくわ言うて。で、なんか集合場所があるんですけど、僕ちょっと離れたところで岩かなんかにこう座って見てたんですよ。
そしたらほどなくそのアテンドの中年女性がパーっと来まして、もう何回も何年もやってるツアーなんでしょうね。「はい、皆さん注目。今から牛さんを見に行きます」みたいなことを言うんですよ。いつも言うてることなんでしょうけど。「いや、実は何年か前にですね、この乳牛のツアーに参加した当時小学生か中学生ぐらいの男の子がいたんですけども、たまたま牛の出産シーンに遭遇しまして、それにいたく感動してですね、今獣医さんを目指してます」と。参加してる父兄の方から「わあ」とか言うて。俺はその離れたとこで岩でこうやってじーっと見てるんですけど、わーってなってて。
ほんでその後、「いいですか皆さん、お子さんはどんどん吸収します。どんどん成長します。大いに学んで帰ってください」って、わあってなった時に、俺離れたとこから、偉い上から目線やなと思って。
なんかね、その動物と触れ合うことイコール100%善みたいな、知的な方面と結びつけられた時に、僕はとてつもなく違和感がやっぱりあるんですよ。だって別に人間の子供の情操を育てるためにイルカって泳いでるわけじゃないですよね。はい。まあ確かにそうですね。犬もそうですよね。でもなんかたまにいるんすよね。子供にええから犬とか飼ってますみたいな。それはなんか本当の愛情なのかなとか、なんかそこに不気味さを感じる。だから声に出して言うていこうと思ってますね。
なるほど。見せかけじゃないかというか。
なんかね、なんか妙なものが入り込んでるよねっていう気持ちがあるんですよ、そこに。本当の生き物万歳じゃないものが入ってるなって思っちゃう。安易に言語するべきじゃないな、少なくとも自分は安易に言語するのはちょっとやだな、しんどいなっていうことです。だから人様がやってる分には別にいいんですけどね。キャッキャ言うといてくれればいいな、楽しそうやなと思うんですけど、自分がなかなかそこにアジャストできないっていう、ダメな部分でもあるんでしょうね。ややこしいというか。
確かに僕もやっぱり友達と遊んだりする時に、飲み会とか、旅行に行ったりとかする時に、周りはすごいテンション上がるじゃないですか。もちろん久しぶりの休日で。でもなんかどっかで楽しみきれない自分がやっぱいるんですよね。俯瞰して見てる自分がいて。ライブに行くの結構僕好きなんですけど。ああ、好きなんですね。行くのは好きなんですけど、なんか周りがうわあってなってるところに、これ俺こんなんやるキャラちゃうしなみたいな感じで。あ、ちょっと冷静な自分が。そう、出てきてしまうので。ただでもやっぱそういう場って当然楽しまないと、周りもちょっと不快にさせてしまう恐れがあると考えるんで、ちょっと苦しいんですよね。
だからやっぱりふりしてるんですよ。そうなんですよ。擬態してるんですよ。人間のふりをしている。じゃあ人間じゃないみたいな感じですかね。だから疲れるんじゃないですか。あ、でも本当そうですね。
でもだから、ある時点で僕はその飲み会のお誘いをお断りするようになったとか、とにかくもうはっきり言うんですよ。もう僕連れてってもおもんないすよって、もう言うんです、最近は。僕いても全然楽しくないすよとか、もう本当に大先輩とかに言うたりして、我ながら怖いなと思うんですけど、ある地点ではそういう決断もしかしたら必要かもしれないなとは思いますね。
だからあと、やっぱそのわーってこう騒いでるような集まりみたいなところに関して言うと、大阪万博がもう終わるってなったぐらいの時に、まあ始まる時も猛暑ですごい時もそうなんですけど、もうインタビュー受けてる方が、「めちゃくちゃ並びましたよ、何時間も」みたいな。「どこのパビリオンももう大人気で、あそことあそこ2つしか行きませんでした。名物のなんとかも、あれも食べれなかったです。でも来てよかったです」っていう人をいっぱい見たんですよ、テレビで。
で、俺それ見た時に、多分元取ろうとしてんねんなと思って。感情として。行ったから。本当はしんどくて大変で全然何も見れんくて、100%の満足度ではないけど、行ったというこの自分を守るために、元取るために。なるほど。行ってよかったですってことにしてる人も何人かいるんじゃないかなって思いながら見てたんですよ。で、だから俺はそのなんか元取るみたいなことはやめたってことですね。
ああ、そういうことか。もうそれは無駄だと。
そう。周りの空気を壊してしまうからみたいな気遣いも含め、成立させるために無理からやってるとしんどいことって多分いっぱいあると思うんですね。だからそれをやらなくて済むような環境になるべく身を置くように心がけてるっていうことです。
そうか。
分かるんすよ。ちょっとは行きたいんでしょ、だって。行きたい。で、なんかライブ見てわーってやるキャラクターではないなと思うんでしょう。だからもう全部一覧みたいにしたいんですよね。もう自分に向き合うみたいな。マジ切りしてよね。で、ほんまはちょっと座って落ち着いて見たいとかっていう気持ちもあるやろうし、小さくやりたいみたいな時もあるでしょ。で、周りと合わせて。だから周りと合わせた時にやっぱしんどくなるってことですね。です。いかにして周りと合わせるような場に行かないようにするかかもしれない。なるほど。そういうことか。
私含めやっぱり結構多いと思うんですけど、この憧れと現実のギャップに苦しんでる方々っていうのは。だから本当に頑張らなくていいよって、よく言葉をかけてくれる人もいると思うんですけど、とはいえそういう自分を受け入れるのってなかなかやっぱり大変というか。特に20代っていうこの若いうちに、それを飲み込むのって相当な覚悟が逆にいるんじゃないかなっていう風に思ってまして。
ていうか20代でこんな風にはならなくていいでしょ、しょうもないけど。でも若い方ももちろんいらっしゃると思うんですけど、僕は頑張らなくてもいいよとも思うし、頑張れる人は頑張ったらええやんと思うんですよ。要するに何かね、全ての人に適用するようなメッセージみたいなものがあると思いすぎてる、メディアも。そんなのあるわけないんですよ。怖いすね。多様性、多様性ってすごく言うのに、全く多様じゃないことって世の中にいっぱいあるわけで。平たく言えば人それぞれなんでね。
若かろうが年取ってようが、人のこと気にしていいってなるのって本当に時間のものです。これはもう僕は50年かけて解明しましたから。完全に無駄なんです。でも少しのスパイスとしてね、いい感じで、妬めるんやったら妬んでも。俺だってなれるよっていう、頑張る時期もあってもいいでしょうしね。燃料になるぐらいの嫉妬心とかね。程よく。
でもなんか20代前半で、こんな50の一発屋のコスプレキャラ芸人みたいなのに日本の若者が陥ったら、僕はもう未来が絶望やったんで。それはある程度、嫉妬や妬み嫉みに苛まれてもいいんじゃないかなと思うんですけど。
ただ1個言いたいのは、そのタイトル通り『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』っていうの。これは本当に本心で、キラキラしたい人はね、素敵に生きたい方はそうすればいいし、そうじゃない人が責められる筋合いもないんだっていうね。
確かに。よく言うんですけど、本当に大人は恐れて言いませんけど、何の取り柄もない人間だっているんですよ。我々みたいな表に出る仕事、あるいは学校の先生方、大人はなかなか言いませんけど、それいるんですよ。自分も含めね。何の取り柄もなくても、誰にもとやかく言われることのない世の中っていうのが、やっぱり真っ当やなと思うんで。夢を持ってなくても恐れないでください。なんで私夢ないんだろうとかね。そういう人もいます。後々夢を持つことがあるかもしれません。ずっと持たないかもしれません。でもそういう人もいるんですというだけの話だと思うんですね。
なるほど。個に目を向けるというか。自分に集中した方がね、いいんですよ、やっぱり。そうか。確かに結構周りに目が向きすぎてるというか、見すぎてる感じは確かに、自分自身もそうですし、やっぱり今の環境がそうさせてる部分もあると思うんですけど。
まあ仕事をしてるとやっぱそうなりますよね。成績とか、我々の世界なんかも特にそうですけど、なると思いますけど、本当に意味のない時間だってこと。僕がみんなの代わりに味わってあげたんで、みんなはそれを味わわずとも本当にいい。なんのが意味のないことなんだってことだけを覚えてください。
いや、もう本当にその言葉に救われる方、多分たくさんいると思いますし、本当僕も元気もらったんで。いやいや、とんでもないです。いや、そうか。だからもう本当にまさにとにかく自分に目を向けるっていう、自分の人生だからさ、当然だと思うんですけど。そうですね。で、自分をまず諦めたりとか、負けることが決して悪いことじゃないというか。
そう、若いうちはテンポよく負けた方がいいと思いますよ。可能性潰せますからね。そんのが絶対いいと思います。
そうか。いや、本当に今日いろんなお話があったと思うんですけど、もう本当どれもこれも面白くて。いやいや、とんでもないです。すごいためになったので、本当にまずちょっと自分にしっかりと目を向けてですね。多分憧れっていうのも、結局無理してるだけだったんだろうなっていうのがあったので。
まあ1度はね、目指すのも悪くないと思いますよ。やっぱりもう方々で言うてますけど、怒られるでしょうけど、俺はもう日本人は大谷翔平を見せられすぎてると。確かに。で、ちっちゃい時からキュリー夫人とかね、エジソンとかね、偉人の漫画のやつじゃないですか。ああいうのに触れすぎてると思うんですよ。で、挙げ句の果てに、あなたたちのようなメディアがですね、なんかそのITでちょっと成功した人のビジネス書みたいの出すじゃないですか。もう本当すいません。俺あれほんまに良くないと思ってて。豊臣秀吉やったらいいですよ。もう亡くなってるし、長い時間をかけて成功っていうこと実証してるからやけど。こんなん言うとあれですけど、今何かで当てたかて、翌々年にこうなることがあるんですから。その短いスパンでの勝ち組の平均値みたいなものを煮詰めて提出しないで欲しいんです。
諦めなければみたいな精神論とかあるじゃない。諦めなければ必ずみたいなね。最後まで俺は諦めなかったことだけが俺の、みたいなね。いや、諦める前にたまたま桃が流れてきただけで、桃流れてくるのあと2時間遅かったら、おばあさんも桃なしで家帰ってるんですよ。確かに。だからたまたまの部分あるよってこと、ちゃんとね、全部にたまたまってつけてほしい、それは。そうか。もう偶然だよと本当に。みさのことで手一杯になった方がいいです。
いや、もう本当に、すごい月並みな言葉で恐縮ですけど、本当に勉強になりました。今日はありがとうございました。はい。ありがとうございました。
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