「怒り」はなぜ娯楽になるのか 岡嶋裕史氏が語るSNSとXを分けて考える理由
新R25チャンネルスマートフォンからアプリを消しても、SNSを見るのをやめられない。新R25のインタビュアー・りんたろう氏のこの悩みを出発点に、中央大学国際情報学部教授の岡嶋裕史氏に話を聞いた回である。岡嶋氏の専門は情報セキュリティとネットワークで、昨年12月に『子どものSNS禁止より、大人のX規制が必要な理由』を出版した。岡嶋氏は、仲間内の閉じた空間としての「SNS」と、世界をフラットにつなぐ「拡散系」のサービスは性質が違うと考える。炎上はこの二つが組み合わさったときに起きる、というのが岡嶋氏の立場である。
アプリを消しても、気づけば1時間
冒頭、りんたろう氏は同席者との雑談で自分の状況を説明する。取材を重ねるなかで、SNSは精神に良くない影響を与えていると感じるようになった。そこで昨年9月から、XとInstagramのアプリをスマートフォンから消している。投稿するときはパソコンのブラウザか、スマートフォンのSafariから入る。無意識にアプリを開くことはなくなった。ところが、投稿しようとXの画面を開くと、気づけばフィードを見て1時間が過ぎている。
同席者の一人は、見るときは6〜7時間見てしまうと話した。帰宅するとすぐInstagramのリールを開き、延々とスワイプするという。りんたろう氏もYouTubeで好きなチャンネルの新作を見ようとして、ショート動画に流れて1時間が過ぎることがある。「やりたかったことにたどり着けない」という。
りんたろう氏が不思議に思うのは、ショート動画と違ってXは基本的に文字だという点だ。視覚的な刺激が強いわけでも、情報量が多いわけでもないのに、なぜあれほど面白いのか。同席者からは、誰かと誰かが言い争っている様子が面白い、そこに人間のストーリーが垣間見えるのだろう、という意見が出た。りんたろう氏は、疲れているときほど見てしまうとも話す。他人の発信に引っ張られて寄り道をするうちに、自分が何をしたかったのかわからなくなり、自己肯定感も下がる。それがわかっていてアプリを消したのに、ブラウザで同じことをしている。この問いを岡嶋氏に持ち込んだ。
本当に言いたかったのは「XとSNSを分けよ」だった
りんたろう氏がこの本で目から鱗だったと語るのは、XやInstagramをいわゆるSNSと区別すべきだという議論である。岡嶋氏は、本当に書きたかったのはその点だけだと明かした。それだけでは売れないと思われたのか、刺激的なタイトルが付いたという。実際、子どものSNS禁止の話は冒頭で少し触れる程度だ。岡嶋氏は、出版時期がちょうどその議論が盛り上がっている時期と重なり、アカウントに鍵をかけたり潰したりしないとまずいと思ったと冗談交じりに話している。
執筆の動機について、岡嶋氏は政府の委員会に呼ばれた経験を挙げた。誹謗中傷や炎上がこれだけ起きていれば、どこかで歯止めをかけようという議論になるのは仕方がない。しかし、政策の現場で規制を唱える人の多くはSNSにそれほど関心がなく、議論が雑だと感じたという。世間の認識では、XもLINEもFacebookもまとめて「SNS」である。本来はXに少し制限をかけるだけでよいのに、巻き添えでFacebookやLINEまで潰されては良くない。岡嶋氏自身はSNSが好きなので、規制するとしても最小限に抑えたい。そのために、性質の違うものを分けておく必要があると考えた。
岡嶋氏は本の中で、Xのような拡散系サービスを「AOS」と名付けた。こんな言葉が流行るとは思っていないが、ラベルがないと書きにくかったという。日常の言葉として全部を「SNS」と呼ぶのは構わない。ただ、政策を議論するときは分けないとまずい、というのが岡嶋氏の考えである。
SNSは「井の中の蛙」をつくるサービス、エコーチェンバーは処世術
岡嶋氏によれば、もともとのSNSは「仲良しグループ」である。会員制で、招待されて入ってくる人は属性が似ており、同じ話題で盛り上がって喧嘩にならない。摩擦のない、気の置けない空間を作ろうというところから始まったサービスで、岡嶋氏はこれを「井の中の蛙を作ろうとするサービス」とも表現した。一方、Twitterは当時、自分たちはSNSではないとホームページで述べていた、と岡嶋氏は記憶している。囲い込むのではなく、世界中をフラットにつなぐ目的で作られたサービスだという。この二つが一緒に「SNS」と呼ばれるようになった。しかし、使う人も目的も、そこから生じる影響も違う、と岡嶋氏は言う。
そのうえで岡嶋氏は、エコーチェンバーがないと人生はつらい、と語る。人が最初にエコーチェンバーを作るのは、保育園や幼稚園のクラスだという。十数人から30人ほどの集団に放り込まれ、全員とフラットにつながるのは恐怖である。価値観の違う相手にいちいち苛立ったり落ち込んだりするのはつらいから、話や価値観の合う子で2〜3人の仲良しグループを作り、その生活を乗り切る。岡嶋氏はこれを、心安らかに生きるための自然な処世術であり、生活の知恵だとみる。岡嶋氏自身はグループに入れず、幼稚園では一人で砂遊びをしていたという。
ただし、幼稚園のクラスでは母集団が20〜30人しかない。価値観や背景がぴったり合う相手はそうそう見つからない。Facebookなら母集団は30億人いる。その中から自分とぴったり合う10人を集めれば、自分のコピーのような人たちとの集団も作れる。何を言っても「いいね」と言ってもらえる、摩擦のない同質な集団である。岡嶋氏は、これがデジタル技術の面白いところだと語る。
インターネットの理念とSNSは相性が悪い
では、なぜXのようなサービスが求められたのか。岡嶋氏はまず、インターネットとSNSはそもそも相性が悪いのではないかと述べる。インターネットは、幼稚園児とアメリカ大統領がつながるように、人々をフラットにつなぐものとして登場し、情報の民主化や技術の勝利として語られた。その理念からすれば、SNSは許しがたいゲーテッドコミュニティである。部外者は入れず、Googleのクローラーが入れても中身は検索結果に出ない。世界を透明にしようとしていたのに、仲良しグループで固まって見えない場所を作った、というわけだ。
それでも、インターネットの荒野はつらいので、人はSNSの中で仲良くする。すると今度は、他のグループの中で何が起きているのかを知りたくなる。そこで、フィルターバブルをぶち抜くような、元々のインターネットに近いサービスが求められた。その役割を果たしているのがXだ、と岡嶋氏は見ている。
フィルターバブル同士の衝突が炎上を生む
りんたろう氏はここで本の要点を整理した。SNSが各所にフィルターバブルを生み、その中で意見が濃縮される。Xがそれらをつなぐことで、バブルの中では許されていた常識外れの振る舞いが外に解き放たれる。「あんなことをやっている奴がいるのか」となって炎上する。これが繰り返されている、という読み方である。
岡嶋氏はこれに同意したうえで補足する。仲間内で盛り上がって極端になること自体は、昔からあった。幼稚園のクラスで自然に生まれるのがエコーチェンバーだとすれば、SNSは同じことを技術の力で人為的に、しかも強固に起こす。「この中にはあなたにとって気持ちのいいものしかないから、安心して長くいてください。長くいてくれれば広告接触時間が増えて我々が儲かる」というのがSNSのビジネスモデルだ、と岡嶋氏は説明する。その中で意見が先鋭化するだけなら、罪はないかもしれない。だが、Xをはじめとする拡散系サービスがそれらをつないでしまうと、ダメージが大きくなる。Xだけ、SNSだけならそれほどではないが、組み合わさると危険になる、というのが岡嶋氏の見立てだ。
岡嶋氏は、拡散系の機能を持つものとして、Xのほかに、Instagram、TikTok、YouTubeのショートやコメント欄、Yahoo!ニュースのコメント欄なども挙げている。
「怒り」は面白い、だからプロレスを見たくなる
なぜ人はXに惹きつけられるのか。岡嶋氏は、自分自身も離れられないので処方箋は示せないと笑いながら、摩擦や違和感はエンタメとして面白いと答えた。怒りを楽しんでいる人は自分でも止められないだろうし、実際楽しいのだろう、という。
岡嶋氏は例を挙げて説明する。あるフィルターバブルの中で、寿司屋で醤油差しを鼻に突っ込むのが面白い、と盛り上がっている集団がいる。昔もそういう人はいたが、店の親父さんに叱られて終わっていた。しかしバブルの中では、本来それを正すべき周囲の人や家族にも見えないところで事が進む。一方で、清潔こそが正義だと固まっている別のグループもある。それぞれが閉じた空間で永遠に生きていけるなら、それで幸せかもしれない。しかし、フィルターバブルを作る技術はまだ洗練されておらず、ときどき接触が起きてしまう。そのうえ、両者をつなげて注目を集めれば儲かると考え、それを仕事にしている人もいる。そのプラットフォームがXだ、と岡嶋氏は言う。
考えがまだ偏っていない段階で接触していれば、話し合いで済んだかもしれない。だが、意見がある程度煮詰まってからいきなりつなげられれば、大喧嘩になる。そしてそのプロレスを、みんなが見たいと思ってしまう。傍から見ている分には楽しいからだ。岡嶋氏は、この構造はなかなか変えられないのではないかと述べた。
岡嶋氏は、幼稚園などに呼ばれたときは「相手の気持ちを考えて言葉に気をつければ炎上は起きない」と話すという。しかし自分ではそれを信じていない、と明かした。小さな子にはそう言わなければならないが、マナーやモラルで止められる問題ではないと考えている。だから何らかの規制はかかっていくだろう。そのときは、自由さをできるだけ失わない形でどう規制するか、規制をユーザーに見える形で行うか見えない形で行うか、よく議論して作るべきだ、というのが岡嶋氏の意見である。
炎上を減らす二つの方向と、本の結論
どう規制すればよいのか。岡嶋氏は、SNSのように似た者同士で心地よい空間を作るサービスも、Xのように世界をフラットにつないで全体を見渡せるようにするサービスも、単体ならそれほど燃えないと考える。閉じた集団がカルトのようになったとしても、その中だけの話で終わる。中の人が幸せかどうかはわからないが、とも付け加えた。逆にフラットにつながっているだけなら、人は個人として社会と向き合う。仲間がいないので極端な考えが熟成されにくく、喧嘩が起きても瞬間的に終わる。大炎上が何年も粘着的に続くには、熟成されて凝り固まった集団同士が接触する必要がある、と岡嶋氏は見ている。
そこで岡嶋氏が示す処方箋は、どちらか一方にしてしまうことだ。一つは、世界中とつながる部分をどこかで少し切り、インターネットの透明度を下げる方向。もう一つは、SNSのフィルターバブルを潰し、仲間で固まれないようにする方向である。友達を作る能力がない自分にとってはとても良い世界線だ、と岡嶋氏は笑う。後者なら、仲間同士で意見を発酵させる場がなくなり、極端な意見になりにくく、喧嘩も瞬間的に終わるかもしれない。
ただし本の結論は前者だという。友達をなくせという案は、自分にとってユートピアでも、多くの人には受け入れられないだろうからだ。せっかく世界がフラットにつながったのに、なぜ不透明にするのか、という反論も予想される。それでも、不透明にするのか、伝わる速度を落とすのか、何らかの形でブレーキをかければ、ちょっとした操作で現状の問題はかなり消せるのではないか、と岡嶋氏は考えている。
プラットフォームはアテンションを手放せない
もっとも岡嶋氏は、プラットフォーム側はこうした規制に賛成しないだろうと見ている。炎上は収益になるからだ。岡嶋氏の整理では、SNSのように繭の中に閉じこもる形はアテンションに対して「微テンション」、つまり穏やかな状態を保つものである。一方、Xのようなサービスは、新しい炎上や新しい祭りで注目を集め、人が集まることで収益を上げる。ビジネスモデルとして比べたとき、勝ったのはアテンションの側だった。
炎上で注目が集まればお金になる。その構造がわかってしまった以上、アテンションを減らす施策をとってほしいと言っても、それは収益の根幹を削れという話になる。岡嶋氏はこれを、プロレス団体に「暴力は良くないから穏やかにしてほしい」と頼むのと同じだとたとえ、興行元としてはやれないだろうと述べた。
第3の案:自分以外すべてAIのSNS
規制が行われないまま進んだら、どうなるのか。岡嶋氏は、怒りを燃料にして注目を集め続ける状態はみんなつらいので、個人がそれを避ける行動をとっていくかもしれない、と述べる。そこで岡嶋氏が持ち出したのが、バンダイナムコが行っていたネタ企画である。自分以外の全員がAIというSNSだ。
岡嶋氏によれば、SNSの一番の不確定要素は人間である。SNSは「ここにはあなたに似た人が集まっているから、何を言ってもいいねと言ってもらえる」という快適さで人を引き留める。だが、その快適さを作っているのは周りの人間であり、人間は何をするかわからない。仲間だと思って発言したのに急に言い返され、快適だった場所がつらい空間に変わることもある。それなら不確定要素である人間を排除し、相手をするのはアバターとその背後のAIだけにすればよい。そうすれば何を言っても反論されず、持ち上げてもらえるだろう、というわけだ。
岡嶋氏は、X型のサービスでも、AI同士が投稿し合って喧嘩している様子は「いいな」と思うという。これまで炎上を楽しむことは、傷ついている人がいるのに不謹慎だと言われてきた。罵倒し合っているのがAIなら、腕組みして眺めていてもいいかもしれない。誰も傷つかないからだ。岡嶋氏は、この意見が叩かれるものだと自覚している。それでも、傷つく人を出さずにコミュニケーションの欲求を満たし、ときには荒れたインターネットも見たいという欲求を満たす方法として、一つありではないかと話す。りんたろう氏は、一人ひとりにAIで作った空間を与え、誰も同じ世界を見ない世界線か、と応じた。岡嶋氏は、これが本に書いた3つ目の案であり、多くの人にとってはディストピアだが、自分にとっては理想郷だと認めている。
岡嶋氏はここで、キアヌ・リーブス主演の映画『マトリックス』を引き合いに出した。この映画の受け止め方は二通りあると岡嶋氏は考える。主人公に自己投影できる人と、絶対にできない人だ。人々はコンピューターの養分として寝かされ、いい夢を見させてもらっている。そこへ現実に引き戻しに来る者がいる。キアヌ・リーブスのように容姿も才能もある人なら現実も楽しいだろう。しかし、現実に戻ってもつらいことしかない人にとっては、なぜ起こしに来たのかと腹が立つだろう。岡嶋氏は、自分はそのど真ん中にいたと話し、そういう人にとって自分以外すべてAIのSNSは極上かもしれないと述べた。誰にも共感してもらえないだろう第3の解決策としてあげておきたい、という位置づけである。
疲れているときこそ、アテンションの行き先を自分で決める
りんたろう氏は最後に、全員AIの世界はまだ遠い未来だとして、若い世代はこの泥沼化したネット空間をどう生きればいいかを尋ねた。岡嶋氏も、技術的には可能かもしれないが人が受け入れないだろうと述べている。
岡嶋氏の答えは、アテンションの向け先を自分で決めることの価値に関わるものだった。情報量が膨大な中で、Xのように選別された情報をシャワーのように浴びせ、どこに注意を向ければいいかを常に提案してくれるサービスは楽で気持ちいい。しかし、アテンションがお金になるという現実を踏まえても、アテンションはとても貴重なものだと岡嶋氏は言う。人生の時間は限られている。何に注意を向け、そこから学んだり楽しんだりするか。Xが短期的に強い快楽を与えてくれるとしても、効率では劣るかもしれないが、自分で決めて失敗したり、自分で決めた結果いい思いをしたりする。そういう快楽を楽しめるようになるといい、というのが岡嶋氏の考えだ。
岡嶋氏自身も、疲れていると意思決定をしたり自分で探したりするのが面倒になり、本を1冊読みたいと思ってもついXを開いてしまうという。YouTubeの10分の動画すら重たく感じる、という話にはりんたろう氏も同意した。それでも抗って自分で決め、その結果Xよりずっとつまらない本を読むことになったとしても、自分でアテンションの行く先を決めることは貴重だ、と岡嶋氏は繰り返す。自分で選べば冴えないものに当たる確率も高い。しかし、結果が冴えなくても自分で決めるのは面白いことだと伝えたい、という。
ただし岡嶋氏は、今の世代からは「自分で決めて快適さが下がるなら全部AIに任せたほうがいい」という人が多く出てくるかもしれない、とも認める。その場合は、相手が全員AIのSNSを堂々と提案するだけなので、どちらに転んでも自分には面白い、と笑った。
「いつの間にかこうなった」を避けたい
岡嶋氏は、これからどんな世界を作っていくのかを考えるのはとても楽しいと話す。とくに学生には、その議論に能動的に関わってほしいという。一方で、多くの人にとっては「いつの間にかこうなっていた」という結果になるのだろう、とも述べた。そうしたくはないので、学生にさまざまなことを伝えていくのが残りの人生の役割だと考えている、と語って対話は終わった。りんたろう氏も、メディアの立場として、情報空間がどうなっていくかを注視しなければならないと受け止めている。
なんか僕、結構いろんな人に取材する中で薄々、SNSって我々の精神にすごく良くない影響をしてるとは思ってて。僕はその去年の9月からXとインスタのアプリを消してるんですよ、携帯から。
そうなんだ。
ちょこちょこ上げてないで、投稿する時もそのパソコンのブラウザからやるか、スマホでSafariで入ってやるか、みたいな感じなんですよ。
え、そうやってるんだ。インスタとかも。
そうなんですよ。で、問題は、確かにアプリ消してるから、衝動的に勝手に見ちゃうみたいなのはなくなったんですけど、例えば能動的に投稿しようと思ってXの画面を開くじゃないですか。投稿しようと思って開いたんですよ。でも気づいたらフィードを見て1時間が経過してるんですよ。ある?
いや、全然ありますよ。でも私、結構見る時6時間とか7時間とかで見ちゃうし。
じゃ、なんかショートとかも含めてですよね。インスタのリールとか、YouTubeだったらショートとか。
もうなんか永遠にスライドできるじゃん。だからあれを私はもう本当に家帰ったらすぐ開いて、リールのとことか全部、隅から隅まで世界中のリールを見てる。
回しなくなってる。
本当にそうなんですよ。そうなるよね。
なっちゃうんすよ。わかる。だからもう俺もYouTubeも、例えば僕はチャンネルがーどまんが大好きなんで、チャンネルがーどまんの動画を見ようとか、新しい動画出たかなと思って開いたら、気づいたらショートを見て1時間経過してるみたいな感じ。
分かるな。
もうそこにたどり着けないんですよ、やりたかったことに。1回開いちゃうと。
分かる、わかる。
全然ないんだ。
いや、俺ないかもな。こんな経っちゃったっていうのはないかも。
すごい。優秀だ。それすごい。で、あれ何なんだろうなと思って。例えばショートって分かるじゃないですか。その視覚的に情報がわっと入ってきて、面白いのが無限に続くみたいなね。明らかに刺激が強すぎる。それはまだいいんすけど、Xって文じゃん。なんか別に情報量がめちゃくちゃ多いわけじゃないのに、なんであんなおもろいのっていう。
面白いと感じてるんだ、そこに。
やっぱ見ちゃってるっていうのはそういうことじゃないですか? 今日もまたみ口さんが誰かと言い合ってるみたいな。
なるほどね。そういうのが面白いって感じ。
それがそう、面白い。
なるほど。でもそれを面白いと感じるから、みんな見るんだろうな、やっぱり。そこに人間のストーリーが垣間見えるんだろうな。
そうなんですよ。これ何なんだろうなと思って。
疲れてんじゃない?
そう。疲れてる時ほど見ちゃうんですよね。疲れてる時ほど、そのXで行われてるサーカスに気を取られるっていう。
生きづらそう。
なんで?
生きづらい。だって他人の発信とかに引っ張られて、自分がやろうとしてたことじゃない方向に1回寄り道をして、寄り道をしたからこそ自分が何やりたいかわかんなくなっちゃってってなると、なんか迷いが生じるじゃないですか。
そう。自己肯定感も下がりますよ。そうなんですよ。それが分かってるからアプリを消したはずなのに、なぜまた俺は見てるんだ?
ブラウザーで見てるってこと? 同じことが。やばいね。
やばいんすよ。
確かに、最初テーマ出た時こいつは何言ってんだと思ったけど、意外とやばいかもね。
先生、本日よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今こちらの中央大学の市ヶ谷田町キャンパスにお邪魔させていただきました。
はい、ありがとうございます。
先生、中央大学の国際情報学部の教授をされていらっしゃって、情報セキュリティとネットワークのところが専門分野という風にお伺いしてるんですけど、今回はこの本、昨年の12月ですかね、出版された『子どものSNS禁止より、大人のX規制が必要な理由』。
煽りタイトルですよね。これ分かって出版社さんってね、こういう時人を突き放しますからね。いきなり燃えそうじゃないですか? だいぶ抵抗したんですけどね。
先生もそう感じられて。
めちゃくちゃ思いますけど。これアカウント色々鍵かけたり潰したりしてないとまずいなって思いましたもんね。自分の思惑の外れたところで。
そんな先生の本なんですが、僕はこのタイトルにまんまと釣られまして、本を手に取って、ちょうど僕が考えてたこととか、なるほどっていうことがめちゃくちゃ書いてあって。
え、本当ですか? そんないいこと言っていただいたことないから、ありがとうございます。よかった。今日お話しできて嬉しい。人と話すのめっちゃ苦手なんですけど、すごい話しやすいですね。本当です。いや、嬉しいです。なんかすごいスキルですよね。固まって何も話せないタイプなんですけど。
あ、本当ですか? もう今日たくさん話していただければと思うんですが、私、最近SNSに結構疲れたというか、もういいよみたいな感じで思って、昨年9月くらいからアプリを消したんですよ、スマホ上から。で、SNS断ちしようと思ってやったんですけど、PCで仕事してる時とか、ちょっとNetflix見ようかなみたいな感じでPC開いたら、気づいたらXを見てますよね。で、スクロールして1時間くらい経ってるみたいな。あれ、俺スマホから消したはずなのに見てるぞみたいなことが結構ありまして。何なんだろう、SNSやめられないのはっていうのを最近ずっと思ってたんですよ。
で、この本の中で、XとかインスタはSNSとして区別するべきではないっていう話があったと思うんですけど、これがめちゃくちゃ僕にとって目から鱗だったんですよ。
実は書きたかったのそこだけなんですよね。僕はその2つは分けた方がいいんじゃないかなって思っていて、主張はそれだけだったんですけど、やっぱそれじゃ売れないと思われたのか、割と煽ったタイトルにしてきたじゃないですか。ええとか思って。
確かにそう。実は子どものSNS禁止の話は最初の冒頭部分にちょろっと書いてあるくらいで、本題が結構違うところにあるなとは読んでて思ったんですけど、でもそっちがめちゃくちゃ面白かったので、今回はこの本の本当の魅力をここでお伝えできればということで、色々聞かせていただければと思うんですが、そもそもなんでこの本を書かれたのかっていうところから最初にお伺いしてもいいですか?
そうですね。僕みたいな人間でもたまに政府の委員会とかに呼んでいただくことがあって、やっぱこういう規制の話とかって出てくるじゃないですか。で、あれだけ誹謗中傷とか炎上とかしていると、どっかで歯止めをかけなくちゃっていう議論になってくのはしょうがないだろうとは思うんですけど、割とこの政策の現場で、SNSをどうたらこうたらで規制しなきゃって言ってる人たちってそんなにSNSに興味なかったりするから、割と議論が雑だと思ったんですよ。
で、SNS規制するぞって言った時に、XもLINEもFacebookも全部一緒に思ってるから。世の中の認知としては、みんなまとめてSNSじゃないですか。Xが危険だね、SNSを規制しなきゃって言った時に、ひょっとしたらXにちょっと制限かけるだけでいいのに、なんか巻き添えでFacebookも潰された、LINEも潰されただと良くないなと思ったので、この辺で1回そういう本を書けたらなとは思っていたんです。
SNSと呼ばれてるものの中で2つ種類があるって話でしたけど、Xの方はこの本の中ではAOSっていう風に定義されてたと思うんですけど。
ね。そんな言葉が流行るわけはないと思いつつ、ラベリングしないと話が書きにくかったので、AOS、拡散系みたいなサービスで書かせていただきました。言葉なんて成長するものだから、そういうのが全部雰囲気的にSNSなんだよってのはとってもわかるし、一般的な言葉の使い方としてみんなまとめてSNSでいいと思うんですけど、政策の議論をする時とかは、ちょっと性質の違うものは分けないとまずいんじゃないかなって思って、ラベリングをしたわけです。
じゃ、何が違うのって言った時に、元々のSNSって出てきた時は仲良しグループだと思うんですよ。井の中の蛙を作ろうみたいなサービスだと思うんですよね。仲良しが集まって、摩擦のない楽しい空間、気の置けない空間を作ろうみたいなところから始まってると思うんですよね。会員制であったりとか、そこに招待で入ってきて、大体属性が似ていて、同じ話で盛り上がって、喧嘩にならないよねグループだと思うんですよね。それでSNSっていうのも出てきた。
だけどそこにXが入ってきてね。Twitter時代に、確かTwitterのホームページに書いてあったと思うんですけど、俺らSNSじゃないって言ってたんですよね。我々は伝播系サービスなので、むしろ囲い込んで井の中の蛙を作るのではなく、世界中をフラットにつなぐんだっていう目的の元に作られたサービスだと思うんです。
で、これが合わさってSNSになってしまったので、そこの区別をきちんとつけときたいなっていうのは、使う人とか使う目的、そこから出てくる影響が違うサービスだと思うんですよね。
で、僕はSNSが好きなので、規制されて潰されちゃったら嫌だなと思って、規制するにしても最小限で済ませたいから、分けといたらひょっとしたらこの部分だけが規制されるだけで済むかなみたいな気持ちで作ってるんですけど、なんかエコーチェンバーがないと人生って辛いと思うんですよ。
なるほど。そうですよね。
よくエコーチェンバーとかフィルターバブルって言いますけど、1番最初に出会うのって、例えば保育園とか幼稚園に進んだ時のクラスの中だと思うんです。30人とか、もうちょっとクラスサイズ小さいかもしれないですね。15人とか。その中に放り込まれて、みんなとフラットにつながるってなんか恐怖じゃないですか? 僕は全く馴染めませんでしたね。とても辛い幼稚園時代だったんですよ。小学校、中学校も辛かったなって、友達いないしなってすごい思ってたんです。
で、その中でやっぱみんなとフラットにつながるの辛いし、価値観の違う人とかとやり合ったりしますよね。違和感がある。それにいちいちイラっとしたりとかしょんぼりしたりするの辛いから、仲間を作るじゃないですか。それが友達グループだと思うんですよね。とっても自然なことだと思うんです。生きやすくするための1つの処世術があって、それも幼稚園のクラスとかでもやってたことなんだ。なるべく話が合う子とか価値観が合う子とかが集まって、2、3人で仲良しグループを作って、辛い幼稚園の生活を乗り切っていくんだみたいなとこだったと思うんですよ。
そこかわかんないですけど。僕はそのグループに入れなかったんで、めちゃめちゃ過酷な幼稚園で、1人で砂で遊んでたんですけれどもね。
それは過酷かもしれないです。
めちゃくちゃ過酷でしたね。でもなんかある意味、心安らかに生きるための1つの生活の知恵だと思うんですよね。
でも一方で、例えば幼稚園のクラスだったら、言うて20人、30人の中から自分に合う2人を抽出して仲間だぜって言ったところで、母集団が20、30ですから、そんなにぴったり自分と話が合ったりとか価値観が合ったりとか背景が合ったりって人が集められないじゃないですか。
そこでFacebookが、母集団が30億いるんだぜ、で、その中でばっちり合う10人を集めてきたっていうと、自分のコピーみたいな人を集めることも可能ですからね。よりフリクションがないっていうか、摩擦のない、本当に同化された、何言ってもいいねって言ってもらえるような集団が作れるんじゃないかな。そこがネット、デジタル技術の面白いところなんだろうなっていう風に思うんです。
そこからね、なんでXの方に移行していったのか。インターネットってSNSと割と相性が悪いんじゃないかなって思っていて。インターネット出てきた時って、それこそフラットに人々をつなぐんだ、幼稚園の子とアメリカの大統領が繋がっちゃうぞみたいな。それが情報の民主化だったりとか技術の勝利だったりみたいなとこで語られたと思うんですけど、インターネットの元々の理念から行くと、SNSって許せないと思うんですよ。
ゲーテッドコミュニティじゃないですか? その中には入っていけないぞ。なんならGoogle検索のクローラーも、入っていけるけど、その中の情報って検索結果に表示しないぞみたいな話になってくると、世界中をフラットにつないで全てを透明にして、新しい世界を作ろうとしていたのに、仲良しグループだけで固まりやがって中身が見えないのかよ、不明も作りやがって、と。割とインターネットとSNSって食い合わせが悪いんじゃないかなって思ってたんです。
でもやっぱインターネットの荒野は辛いので、この中で仲良くやっていた。でも、あの中で何やってんのか知りたくなってくると、やっぱ元々のインターネットに近いような、フィルターバブルをぶち抜いてやろうぜみたいなサービスが求められて、その役割をXが果たしてるんじゃないかなっていうのは思いますね。
そうですよね。この本に書いてあったのはその話で、SNSっていうものが出来上がったことによっていろんなところでフィルターバブルが発生して、濃縮された意見が各所にできていったと。で、それがXという伝播系サービスによって、そのフィルターバブルをぶち抜いて繋げるサービスができちゃったことで、そのフィルターバブルの中であったら、常識的にはちょっとずれてるかもしれないんだけど、そこではいいよねってされたものが世間に解き放たれて、それであんなことやってるやつがいるのかみたいな風になって炎上するっていうのを繰り返してるっていう話。
それはすごいあると思うんですよね。本当に仲間内で吹き上がるっていうのはいいことじゃないかもしんないけど、これまでもあったことじゃないですか。だけど、それがすごい強固な形でSNSで出来上がっていくぞ。自然発生的に幼稚園のクラスの中で出来上がってたようなのがエコーチェンバーなのだとしたら、それを技術の力で人為的に起こそう。フィルターバブルで、この中はフィルタリングにフィルタリングを重ねた情報しかないので、あなたの気持ちいいものしかこの中にはないから、安心して長い時間いてくださいね。長い時間いてくれれば広告接触時間が増えて我々儲かるんですからっていうのがSNSのビジネスモデルですけれども、いくらでも安心して、好きなこと言ってくださいね。
で、そうすると、近しい意見のところで先鋭化されて、なんか極端なこと言い始める。それだけだったらひょっとしたら罪がないかもしれないんだけど、それで終わらせてもらえなくて、世の中にはXをはじめとするような拡散系のサービスがあって、ここを繋いじゃうことがあるんですよね。そうするとダメージがでかくなりますねっていうとこですかね。
Xがあるだけだとそんなにダメージがでかくないかもしれない。SNSがあるだけだとそんなにダメージがでかくないかもしれない。でもこれが合わさってしまうと、なんだか危険な話になってきますよねっていうとこですかね。
っていう話ですよね。今はXの話をしてますけど、AOSの中にはInstagramとか。
はい、そうですね。あれもそういう風に機能してるものだと思いますね。インスタ、TikTok、YouTubeのショートとか、YouTubeのコメント、Yahoo!トピのコメントとかもね、そういう機能を持ってるかなって思いますけれども。
そういうことですよね。で、これがドロドロしたインターネット環境というか、炎上みたいなものを引き起こしてるっていうことがあると思うんですけど、なんでこんなに我々はXだったりっていうところに魅力を感じてしまうのかっていうこともお聞きしたいんですけど。
ああ、ね。僕自身が魅力を感じてつい離れられなくなってしまいますからね。全然処方箋が示せないですけどね。でも、摩擦とか違和感って面白いですよね。エンタメとしてね。怒りを喜んでしまってる人たちとかは、あれはなかなか自分でも止められないでしょうし、楽しいですからね。
例えば、さっきの話の繰り返しになってしまいますけど、そのフィルターバブルの中で、寿司屋に行ったら醤油差しを鼻に突っ込むのが正義だよな、面白いよなって吹き上がってるのって、ダメだけど、昔からそういう人たちっていたよね。で、ある程度親父さんとかにぶん殴られて終わってたよね。
で、一方でフィルターバブルの中でやられてしまうと、本来それを修正しなければならないとか、それダメだよって言ってあげなきゃいけない周りの人たちとかご家族とかもわかんないとこでやられてるわけじゃないですか。一方で、人生の生きる目的は清潔だよとか言ってるグループがあって、そこはそこでやっぱり純化された空間の中で清潔こそが正義で凝り固まって、それでずっと永遠に生きていけるんだったら、それで幸せかもしれないんですけど、フィルターバブルを構成する技術ってまだそんなに洗練されたものではないから、たまに接触してしまうことがある。
なんなら接触させてアテンション取ったら儲かるぞって、それをお仕事にされてる方もいるじゃないですか。そのプラットフォームとしてXがあって、あそこで醤油差しを鼻に突っ込んでる集団、こっちで清潔こそみたいな集団、あれ繋いだらPV稼げるよなみたいなのが影響して繋いでしまう。そうすると煮詰まったものが、最初の段階でまだそんなに考えが偏ってない段階で接触してれば話し合いで済んでたかもしれないものが、ある程度仕上がったところでいきなり繋げられてしまう。そりゃ大喧嘩になるよな。そしてそのプロレスをみんな見たいと思うんですよ。
なるほど。そうですよね。
見たいと思ってしまいますよね。傍で見てる分にはね、楽しいでしょうからね。
なるほど。
なかなかその構造は変えられないのではないかと思います。そこでネットリテラシーを説いて、僕も幼稚園とかに呼ばれたらそういう話はするんですよ。相手の気持ちを考えて言葉尻とかに気をつければ炎上なんて起きないんですよとか言うんですけど、自分で信じてないですからね。
そうですよね。
ちっちゃい子にはそう言わなきゃなとは思いますけれども、なかなかそれはマナーとかモラルの問題で止められるものではないだろうなっていう風に思いますね。だからそこに対して、規制をきっとかけてくことになるんでしょうけれども、でも自由さを極力失わない状態でどう規制していくのかとか、その規制をユーザーが見える形でやった方がいいのか、ユーザーの見えないところでやった方がいいのかとか、そこはよく考えて議論して作ってくといいと思いますね。
なるほど。どういう規制をしていけばいいのかっていうのも聞いていいですか?
そうですね。この本の中で言ってるSNSで、井の中の蛙を作ろうぜ、似たもの同士で気持ちのいい空間を作ろうぜ、と、世の中をとにかくフラットに繋いでいくんだ、可視化されて全体が見渡せるのがいいことじゃないかっていうサービスが単体で機能してる時って、そんなに燃えないと思うんですよ。
閉じこもってやってるんだったら、この中がカルトみたいになってたとしても、その中だけの話で終わっていくので、この中にいる人たちが幸せか不幸かちょっとわかんないですけど、ここの集団の中で終わるような。一方でフラットに全体が繋がってる時も、個人として社会と繋がっている、世界と繋がっているので、仲間がいないから、その極端な考えがそんなに熟成されないかもしれない。切的に触れ合って、ひょっとしたらそこで喧嘩が起きるかもしんないけど、大炎上になるためには、熟成されて凝り固まった仲間の集団が集団同士で接触するような効果が必要だと思うので、Xだけでも瞬間的な炎上で終わると思うんですよね。大炎上がいつまでも粘着で何年も引きずったみたいな話になりにくいと思うんですよ。
どっちかにしちゃえばいいんじゃないのかなっていうのが1つ処方箋ですよね。今は現状、その2つが組み合わさってしまってるところに不幸があるので、だから世界中と繋がりますよっていうのをちょっとどっかで切ってあげて、インターネットの透明度をちょっと下げてあげるとかもありだと思いますし、逆にSNSのフィルターバブルを踏み潰してしまって、お前ら友達なんかできないようにしてやる。僕にとってはとてもいい世界線ですけどね。友達を作る能力がないので、みんな俺と同じになったぞみたいな。
そうすると、仲間同士で固まった意見を発酵させる場がなくなるので、個人として世界と対峙するようになりますから、そんなに極端な意見にならないかもしれない。喧嘩だって瞬間的で終わるかもしれないっていうのはちょっと思いますね。
でもこの本の中では、一応最後の結論としては前者の方ですよね。ショートカットの方をね。友達をなくせって、いくら僕にとってのユートピアであっても、多くの真っ当な人々はなかなか受け入れてくれないでしょうから。
それがね、せっかくインターネットで世界がフラットにつながって、誰とでも対等な関係で1対1で繋がることができるのに、なんでそんな不透明にしようとか言い出すんだって思われるかもしれないですけれども、そこが不透明なのか、それともゆっくりなのか、何かしらの形でブレーキをかけてあげると、ほんのちょっとした操作で現状みたいなのはかなり消すことができるんじゃないかなと思っていますね。
そういった規制がもし行われずに。
やれるかな。プラットフォームがね、とても賛成はしないだろうと思いますけどね。炎上したら収益ですからね。やっぱりSNSみたいな繭の中に閉じこもった形って、アテンションに対してリテンションだと思うんですよ。この状態を維持していく。それに対してXみたいなサービスは、アテンションでどんどん注目を集め、新しい炎上、新しい祭りがあって、そこに人が集まってくると収益になるんだって。この2つをビジネスモデルとして考えた時に、やっぱアテンションが勝っちゃったんですよね。
炎上してみんなの注目が集まれば、そっちがお金になるな。その構造が分かってしまった以上、アテンションを減らすような施策を取りましょうよ、穏やかな世の中がやってきます。いやいや、それうちの収益の根幹なんですけど。プロレスやってたんだけど、暴力良くないからもうちょっと穏やかになりませんかっていうような話と一緒なので、なかなかそれは興行元としてはやれないでしょうからね。どうするかなっていうとこですかね。
この規制が行われずにこのままずっと進んでいってしまって、そうなった時にはどういう世界線になるのかっていうのは、先生、何か想定されてますか?
でもみんな辛いだろうからな。このままアテンションを獲得するためには怒りを供給するといいんだ、それを原動力にみんなの目を集めて、どんどん新しい怒りの炎に薪をくべていくんだな、と。ひょっとしたらそれを忌避するような行動を個人が取ってくかもしんないですよね。
僕は人と話すのが苦手ですから。でも僕みたいな人間でも、人と話して繋がりたいなっていう欲求はあったりするんですけど、でも怖くて話せないわけじゃないですか。バンナムさんがやってた、ネタ企画でしたけど、サービスで自分以外全部AIっていうSNSがあって。
へえ。
SNSの1番の不確定要素って人間だと思うんですよ。快適な空間を作ってその中にいてくださいね、あなたがどっぷり浸かっていてくれると広告収益が上がるんですよ。じゃ、その快適な空間って何? あなたに似た人がこの中には集まってるから、何か発言してもいいねって言ってもらえますよ。そこが根本じゃないですか。でもその快適空間を作ってる要素が、周りの人も含めて環境っていうか、難しいビジネスなので。やっぱ人って何するかわかんないですからね。仲間だと思って発言してたのに急に言い返してきた、SNS快適だと思ってたのに俺にとっては辛い空間になったって、あるかもしんないですから。
なのでSNSを恒久的に快適な空間にするためには、その不確定要素である人間を排除してしまって、相手してくれんのはみんなAIな、アバターとそのバックについてるAIしかないよ、であれば、何を言っても多分反論してこない。おだててくれると思うんですよ。もうそれでいいじゃんとか、最近ちょっと出てきてますけれども。
それってSNSでしたけれども、AOSタイプのXみたいなタイプのサービスでも、AI同士が投稿し合って喧嘩してる。あれはいいなと思います。誰も傷ついてないですからね。アカウント持ってんのみんなAIって。AI同士が罵倒し合ったりしてるけれども、それをみんな楽しむわけじゃないですか。わあ、そこでも盛り上がって祭りになってるな。でも今までそれを楽しむのがとっても不謹慎だったりとか、傷ついてる人がいるのにそれをエンタメ化していいのかみたいな話がありましたが、罵声を浴びせ合ってるのがAIなのであれば、いいねってこうやって腕組みして眺めててもいいかもしれないので、それはなんだかいい気がいたしますね。
多分すごい叩かれる意見なんですよ。真っ当な価値観を持ってらっしゃる人に、いや、自分以外全部AIのSNS作ったらいいんじゃないですか、人間は俺だけですよって言ったら、それは怒られると思うんですけど、傷つく人を出さない、でもそんな中で自分のコミュニケーションの欲求を満たしたりとか、たまには荒れてるインターネットも見たいとかいうのを誰も傷つかずに実装していくためには、そういうのも1つありなんじゃないかなってのは思いますね。
1人1つの、この今のSNS空間、AOS空間をAIで作ってあげちゃうって。
それぞれ見てる世界が違うんで、誰ももう同じ世界を見ない。そういう世界線があるかもしんないすよね。
あ、そうか。これが本の中に書いてた3つ目の。
いいと思いますよって思う。ディストピアですけどね。多くの真っ当な人にとってはディストピアですけど、僕にとっては理想郷ですね。
なるほど。
最近の新しい映画とかだとネタバレになっちゃうんで、あえて古いところを出してくると、キアヌ・リーブスの『マトリックス』。僕あれ好きなんですよ。でもあれを見てる人の受け止め方って多分2通りあると思って。キアヌに自己投影できる人と、絶対できない人。だってコンピューターの肥やしとして寝かされてるわけじゃないですか。で、いい夢見させてもらってんですよね。そのまま寝かしといてくれればいいのに、あいつ起こしにくるじゃないですか。いい夢で一生これで寝てたかったのに、なんで起こして現実に引き戻しに来るんだ。
キアヌ・リーブスならいいですよ。あんなイケメンで才能あって、それはリアルの世界楽しいと思うんですけど、僕、現実に戻ったら辛いことしかないのに、なんで起こしに来たって多分腹が立った一群もいたと思うんですよ、確か。僕そのど真ん中にいたんですけど、そういう人たちにとっては自分以外全部AIのSNS、極上だなって。ひょっとしたらね、そんなこと思う人がいるかもしれませんって。誰にも共感してもらえない第3の解決策として、そんなのもあげておきたいかなって感じですね。
とはいえ、その自分以外全部AIの世界線とかは、相当遠い未来になるのかなとは思うんですよ、実現は。
技術的にはやれるかもしれないけど、人が受け入れられないでしょうからね。
はい。っていうのを踏まえると、我々みたいな若い世代が、この泥沼化したSNS、ネット空間でどう生きてけばいいんだろうなっていうこともお聞きしたいんですけど。
そうですね。すごく情報量が増えてる中で、Xみたいなのって気持ちいいと。最適化された情報がいつも受け止められる形で、自分で選択しなくてもシャワーのように情報を浴びせてくれる、アテンションをどこに向けたらいいのか常に提案してくれてる状態ですから、とても楽ちんでいいと思うんですけど、でもアテンションがお金になるっていう現実を踏まえても、アテンションってとっても貴重なものだと思うんです。
自分の人生の時間が限られてる中で、何に対してアテンションを振り向けて、そこから勉強したりとか、楽しいって思えることをしたりとか。たとえXが与えてくれるものが短期的にすごい快楽をもたらしてくれるとしても、それに対して効率では劣ってるかもしんないけど、自分で決めて自分で失敗したりとか、自分で決めてその結果自分が気持ちいい思いをしたりとか、そういう快楽みたいなのを楽しめるようになるといいなとは思いますね。
疲れてるんだよな、意思決定をしたりとか自分で何か探したりめんどくせえな、Xさえ開いときゃ興味のありそうなもんどんどん浴びせてくれるからな。その快楽にはなかなか抗いがたいですし、僕自身疲れてると、本の1冊も読みたいと思ってもついX開いちゃいますけれども、でもやっぱそこに抗って自分で決めたりとか、その結果Xが与えてくれるものよりずっとつまんない本を読むことになったとしても、自分で決めたい、自分でアテンションの行く先を決めるっていうのはとっても貴重なことだと思うので、それが楽しいって思えるようになるといいんじゃないですかね。
そうですよね。疲れてる時であればあるほど、アテンションをもっと消費しちゃう方を選んじゃうっていうのが、なんかループに入っちゃうって。
いや、めっちゃ分かります。疲れてるともうXしか見る気ないですからね。YouTubeすら開きたくねえなとか思いますからね。
YouTubeのもう10分の動画も見れない。重たい重たい。で、ショート動画とかX見ちゃうっていうのがあるんで。そうか。それに一種自覚的になって、あ、これやばい、疲れてるから見ちゃうぞって思って、本読んでみるとか、何も見ずに音楽聞いてみるとか、そういう自分で選ぶみたいなのが結局やっぱり重要ってことですよね。
自分で選ぶと多分冴えないものに当たる確率も高いんですよ。
そうですよね。
だけど、自己決定って、愚行権みたいな言葉を出すまでもなく、たとえ結果が冴えなくても自分で決めるって結構面白いことなんだけどなっていうのが、皆さんにちょっとでも伝えられるといいなと思うんですよね。わかんないです。今の世代は、いやいや、それで自分の快適さとか楽さ加減が下がるのであれば、全部AIに任しちゃった方がいいかもしれないですよって子がたくさん出てくるかもしんないですからね。でもそういう世の中になったら、僕は堂々と、SNSの相手してくれる人たちはみんなAIの世界どうですかって提案するだけですんで、どっちに転んでも僕は。
先生にとってはどっちも。なるほど。
面白いなって思いますね。
そういう意味では、どういう世界を作るかみたいな風に考えるっていう意味では楽しい。
いや、めっちゃ楽しいと思いますよ。これからどんな世界作ってくのかっていう話です。そこにぜひ、特に学生さんとかは能動的に関わってもらえたら嬉しいです。いつの間にかなっちゃった、はぜひ避けてもらえるといいなと思います。
確かに。
いや、でも正直、多くの人にとっていつの間にかなっちゃったになるんだろうなとも思うので。そうしたくないなって思いますけどね。そうならないように学生さんにいろんなことを伝えてくのが残りの人生の役割かなって思います。
なるほど。僕らもメディアという立場であるので、そこはどういうメディア空間、情報空間になってくのかなっていうのは注視していかなきゃいけないなと思ったので、大変興味深い話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
ありがとうございました。いや、僕お話できないのに、うまく引き出していただいて、めちゃくちゃいい対談のスキルですよね。素晴らしいですね。嬉しいです。
何か先生、言い残したこととか。
怖い怖い。カメラに映るの怖い。
では今回は岡嶋先生をお呼びして色々聞かせていただきました。ありがとうございました。
どうもありがとうございました。失礼します。
記事公開
