湯山玲子が語る、会社を辞めて「仕事に生きる」と決めた30歳前後と、子どもを持たなかった選択

YouTubeで開く ↗
概要

新R25の対談番組「覚悟のち晴れ。~30オンナの決断白書~」の第2回に、作家で「おしゃべりカルチャーモンスター」を名乗る湯山玲子さんが出演した。聞き手はおうみゆかさんで、結婚・出産・キャリアへの不安を抱える30代女性に向けて、湯山さん自身の20代・30代を振り返ってもらう回である。湯山さんは、ぴあでの会社員時代、独立を決めた29〜30歳頃の葛藤、互いを「コントロールしない」夫との結婚生活、子どもを持たなかったことを後悔していない理由を語った。そのうえで、後悔しないための考え方として、苦手なものを避けないことを30代に勧めている。

17分で読めます

「青短」が一番評価された時代に、4大卒で就職する

湯山さんは1960年生まれで、4年制大学を卒業している。当時、女の子の学歴として一番「潰しが利いた」のは青山学院の短大、通称「青短」だったという。結婚が「永久就職」と呼ばれ、女性の学歴は「お嫁さん候補」としての価値で測られていた。女の子に学問はいらないという考え方が一般的で、聞き手が「そんなに遠い昔じゃないですよね」と驚くと、湯山さんもそれに同意した。

男性と同じように給料や昇進がフラットに扱われる会社として湯山さんの記憶に残っているのは、ぴあ、ベネッセ、リクルート、パルコくらいだった。本当は放送業界に行きたかったが、女性にはアナウンサー職などしか道がなかった。結局、80年代に情報誌として、またアートやカルチャーの分野で勢いのあったぴあに入社する。湯山さんの記憶では応募者は6000人ほどで、そのうち採用された女性は湯山さん1人だけだったという。

志望していたほかの会社にはすべて落ちていた。ぴあを受けたのも、就職活動中に知り合って一緒に食事をした女の子が「今からぴあに行く」と言うのについて行ったのがきっかけだった。証明写真の用意がなく、アロハシャツ姿の写真を貼って応募書類を出したという。受かるはずがないと思っていたので、グループ面接やディスカッションでは遠慮せずにどんどん発言し、その場を楽しんでしまった。この経験から湯山さんは、準備に準備を重ねて臨むよりも、素の自分が出たときのほうが案外人に選ばれることもある、と視聴者に伝えている。

若手に権限と予算を丸投げする職場

入社したぴあは人手が足りず、若い社員にも人事の権限や予算が任された。予算の使い方は誰も教えてくれず、「自分でやれ」と放っておかれる。湯山さんによれば、それが合わずにダメになっていく人もいたが、自分には向いていたという。

最初の配属は予想外の部署だった。音楽の知識があり、バンド活動もしていたので音楽担当になると思っていたが、実際に任されたのは演芸・能・歌舞伎などの分野だった。興味がなかったわけではないが、花形の担当ではなかった。それでも、ここで担当した落語が、のちにチャンスをつかむきっかけになった。

当時は立川談志と古今亭志ん朝がまだ健在で、湯山さんは志ん朝が好きで高座に通っていた。のちに、ロングインタビューやカルチャー記事で知られる雑誌『SWITCH』の編集部を訪れたとき、ちょうど志ん朝特集の打ち合わせをしていた。「湯山さん、落語担当だったよね」と声をかけられて会議に加わり、思う存分しゃべったところ面白がられた。これが会社の外に出ていくきっかけのひとつになったという。

苦手なジャンルの中にも「自分の好きなライン」がある

この落語の経験から、湯山さんは「苦手なものは後で生きる」と繰り返し語る。若いころは、好きなことしかしない、嫌いなバンドや嫌いなジャンルは嫌だ、という態度をとりがちだが、湯山さんはそれを「浅すぎる」と言う。つまらないと思っていたものの中にも原石が眠っていて、つまらないと思いながら接しているうちに発見があり、だんだん分かってくる。

湯山さんは今もクラシック音楽からクラブカルチャーまで幅広く扱っているが、その仕事でよく使う感覚がある。クラシック、クラブミュージック、ポップスとジャンルが違っても、その中に必ず「自分の好きなライン」があり、表現の形式が違っても同じものを見つけられる。それが分かると、カルチャーは格段に面白くなるという。

ムック編集部での3000万円の企画と「ぴあマップ香港」

20代の湯山さんは、編集に加えて広告の仕事もこなし、多忙な日々を送った。アートやカルチャーの仕事なので趣味と仕事が重なり、いろいろなものを吸収したという。

大きな転機になったのは、1冊単位で本をつくる「ムック編集部」への異動だった。当時この部署は勢いがあり、夜遊びやレストランの情報など、今では当たり前になった企画を次々とムックにしていた。何をやってもいい部署で、例えばある企業が、ぴあの読者層である若者向けに新しいビールをつくり、それを読者に届けるために「3000万円出すので本をつくってほしい」と持ち込んできたこともある。そういう案件が来るたびに湯山さんは手を挙げた。

海外取材の糸口もここでつかんだ。ちょうど香港政府が観光に力を入れていた時期で、ぴあの読者向けに、これまでになかったタイプの香港ガイドブックをつくってほしいという依頼が来た。湯山さんは香港に1か月滞在し、「ぴあマップ香港」をつくり上げた。香港を東京と同じくらい情報で網羅するような本だったという。留学経験もなく英語もできなかったが、手を挙げればすぐにやらせてくれる会社だった、と湯山さんは振り返る。

大型企画の後に待っていた不遇と、「自分はクリエイティブだ」という自覚

29歳から30歳にかけて、湯山さんは悩みの時期を迎える。20代の湯山さんは少ないチャンスをつかみ取るタイプで、社内コンペを勝ち抜いてNHKとのタイアップ企画「ファッションドリーム」を手がけた。NHKは資金が潤沢で、別室まで用意してくれ、湯山さんは思う存分仕事ができた。

ところが通常業務に戻ると、会社は湯山さんの扱いに困ったようだった、と湯山さんは見ている。「降格人事」のような配置になり、湯山さん自身もぶつぶつと不満を言っていた。あれだけ自由にやれたのに今はどうか、なぜあんなに頑張ったのに褒めてくれないのか、という慢心もあったと本人は認めている。

この時期に湯山さんは初めて、自分の何を売れば世間がお金を払ってくれるのかを考え、自分の才能はクリエイティブなところにあると気づいた。一方でぴあは、情報を扱うシステムで成り立つ会社で、クリエイティブで稼ぐ経験やDNAがない。湯山さんはこの違いに悩み続けた。当時の社内には大企業的な感覚もあり、辞めるかどうか迷っていると「辞めたら一人じゃやっていけないよ」という「呪い」の言葉をかけられたという。

結婚して辞めていく流れに飲まれないよう「アクセルをかけた」

当時、女性が独立するという選択肢はほとんどなかった。会社を辞める女性はいたが、その多くは結婚し、子どもができて自然にキャリアを離れ、家庭に入っていった。「永久就職」の名残がまだ残っていたのである。

湯山さんはこのとき初めて、自分は本当に仕事がしたいのであって、専業主婦になりたいわけではないとはっきり自覚した。ここでアクセルを踏まなければ、その流れに飲まれてしまう。そう考えて、全力でアクセルをかけたという。

聞き手が、30代では自信をなくして「もう仕事はいいかな」と思うこともあるのではと尋ねると、湯山さんは「手応えを感じていた」と答えた。読者の反応、仕事仲間の評価、社内での「すごいのをつくったね」という声が励みになり、「この道だ」と思えた。人に言われて自信がついたのだという。一方で、自分には慎重なところもあると湯山さんは言う。退職するときには、会社の外部プロダクションのような形で仕事を続けられる筋を一本つくっておいた。保険を用意したうえで独立したわけである。

大学時代からの10年越しの交際と、本人不在の「プロポーズ」

結婚相手とは大学時代からの長い付き合いだった。別々のバンドのメンバーだったが、一度セッションしたときにレゲエの話で意気投合した。湯山さんがレゲエに興味を持ち始めていた頃で、相手はすでにかなり深くのめり込んでいた。

ただし湯山さんには恋愛感情はなかった。当時大失恋をして「どうでもいいや」と思っていたところに交際を申し込まれ、「じゃあいいよ」と付き合い始めたという。そのまま関係が続き、いろいろなことがありながらも、相手はずっとそばにいた。家を行き来するうちに、湯山さんが実家で昼寝をしている間に親が相手を問い詰め、「お前はどういうつもりなんだ」と聞いたところ、相手は「結婚します」と答えてしまった。目を覚ました湯山さんは、にこにこした親に「今、お前プロポーズされたぞ。どうするんだ」と告げられたという。

20代・30代の恋愛について聞かれると、湯山さんは「もう覚えていない」と笑い、自分は恋愛体質ではないと思うと答えた。ロマンチックな恋愛はそのときは盛り上がるが続かない。盛り上がった後に関係を続けられるかどうかが問題で、自分も続けられなかったという。恋愛では、こちらがどれだけ努力しても相手が振り向いてくれるとは限らない。最初から恋愛感情がなかった自分は、その意味で「非常に結婚向きだった」と湯山さんは語る。

夫を選んだ基準は「人をコントロールしない人」

結婚せずに一緒にいる選択肢もあったのでは、という問いに対して、湯山さんは、今の時代なら分からないと答えた。お互い仕事が大好きな二人だからである。しかし当時は、親や社会の風潮が結婚を強く求めたし、10年付き合っていたこともあった。

それでもなぜこの人だったのかについて、湯山さんが挙げた判断基準は「人をコントロールしない人」だったことだ。「俺について来い」「俺が守る」というタイプではない。夫はオタク気質で、自分のことは自分でやるのが好きな人だった。説教好きではあるが、「こうしなければいけない」と押しつけたり、無断で飲みに行って遅く帰っても怒ったりすることはない。束縛もしない。湯山さん自身も同じで、夫がまったく帰ってこなくても気にならないという。

お互いをコントロールしないことで、多くのカップルがつまずく大きな問題をクリアできる、と湯山さんは考えている。「お前のことを思っているんだ」という気持ちが、愛という名の束縛になってしまうからだ。フリーランスの編集者やライターの仕事には、男性カメラマンとの取材旅行や、打ち合わせを兼ねた夜遅くまでの飲み会がつきものだった。相手がそれを気にしていたら仕事は続けられないし、実際にそれが原因で辞めていく人も多かったという。

一緒にいて楽しいというプラスよりも、「邪魔にならない」ことが重要だと湯山さんは強調した。空気のような存在だという。デートや旅行もしていたが、40代以降はまったくしなくなった。30代の頃の海外旅行も現地では別行動で、ファッションに興味のない夫は電子部品の市場のような場所に行きたがるので、夕食の店だけ決めて後で合流していた。

家事分担も誕生日もない「下宿」のような家

夫は仕事人間で、湯山さんによれば、生活を投げうってプロジェクトに打ち込む「ブラック企業」的なところがある人だった。良くも悪くも仕事に真摯で、湯山さん自身も仕事人生を送ってきたので、言わなくても分かる同志のような尊敬関係があるという。夫は誰でも知っている超大手の建築関係の会社でスペシャリストとして働き、今は定年退職していろいろな活動をしている。

家事分担は「ない」。二人とも仕事が第一で、家庭というものを必要としない人たちだったという。湯山さんは同じ家に住みながら「下宿」のような暮らしだったと表現する。みんなで朝ごはんや夕食を囲むような家庭ではなく、それぞれ勝手に起きて勝手に寝て、あまり口をきかない時期があっても問題なかった。夫が、結婚したら妻がやるべき伝統的な役割を湯山さんに求めたことは一度もなかったという。料理はそれぞれが勝手につくり、たまに二人でつくったものを食べる。掃除は気づいたほうがやる。「もっと掃除しろ」と喧嘩になることもない。お互い仕事でエネルギーを外に向けているので、家は体を休める本拠地でいい。そこを磨き上げるエネルギーはないし、それでもいいのだという。誕生日や記念日のお祝いもしない。結婚相手というより人生のパートナーだと、湯山さんは聞き手の言葉に同意した。

家事に「手を出してしまう」女性たちへの指摘

この話から湯山さんは、多くの女性が家事で苦しむ仕組みを指摘する。時代が変わっても、女性の側に「料理は私がやるもの」という伝統が残っていて、つい手を出してしまい、それが不満になる。聞き手が、手を出さなければいけない雰囲気があるからではと返すと、湯山さんは「違う」と答え、ここが重要なところだと強調した。男性がそれを求めているわけではなく、女性が勝手にその役割をつくり上げている。「私はこれをやっていないからダメな女だ」と思ってつくってしまう。一方で男性は自分をダメな男だとは思っていないので、「あなたは何もやってない」と怒って自爆し、「怖い女の人」になっていく。湯山さんはそういう人を見てきたという。

湯山さんは仕事と家庭の違いにも触れた。仕事はプロジェクトが終われば区切りがつくが、家庭のことはいくらやっても足りない無限ループになる。本人が楽しいならそれでもいいが、日本では「キャラ弁」のように、あの子のお母さんはあれだけやっている、私はまだ足りない、という競争になり、女性に求められる伝統的な役割にどんどん引き込まれてしまう。家庭はこうあるべきだという意識は女性発のものなのに強く、嫌なのにやってしまう。その感情のサイクルが自分を苦しめるなら断ち切ったほうがいい、というのが湯山さんの考えである。

子どもを持たなかったことを後悔していない理由

子どもを持たない選択を意図的にしたのかと聞かれ、湯山さんは「全然」と答えた。できたらそれでいいと思っていたが、結果としてできなかった。不妊治療などの手段をとるという発想もなかった。できていたら、幸せかどうかは分からないが、それで行くしかなかったし、なんとかしただろうという。子どもができれば家庭は子ども中心になり、二人で協力していく必要があるので、まったく違うものになっていたはずだとも語った。

今はようやく、そうした協力ができる時代になったと湯山さんは見ている。そのうえで、30代で子どもを持たなかったことを今も後悔していない理由として、時代背景を挙げた。当時も「夫も育児を手伝う」とは言われていたが、父親が保育園に子どもを送る姿はまだなかった。働く女性に対しては、好きなことをやっているのだから育児くらいやって当たり前だ、という言い方があった。もし30代で子どもを産んでいたら今のキャリアはなかったと湯山さんは考えている。30代に海外へ行き、あちこちで暴れ回った経験も、子どもがいたらできなかっただろうという。

加えて、湯山さんは自分が子どもを好きではなく、可愛いとは思わないとも明かした。どうしても欲しい人なら話は違うだろうが、自分の場合はそうした要素もあったという。今は男性が育児に強い責任感を持つようになっているので、それなら可能だと思う。しかし当時の風潮と、オタク気質の夫の様子を見れば、夫はいい人なのできっとやっただろうが、結局は自分に負担が来ることが分かっていた、と湯山さんは振り返る。

後悔しないための「思考の癖」と、長電話の効用

どうすれば後悔のない選択ができるのか、という問いに対して、湯山さんは「過去は変えられないので、後悔している時間はもったいない」と答えた。過去を考える時間があるなら、ダメ元で変な飲み会に行ってみる、会いたい人に会う、読みたい本を読む、といったことに切り替えたほうがいい。過去のことが頭に浮かんだ瞬間に「ダメダメ」と打ち消す思考の癖が重要で、「変えられねえじゃん」と一言口に出してみるのもいいという。

SNS時代になって心の持ち方が難しくなっている、とも湯山さんは言う。友達と長電話をするかと尋ね、聞き手がすると答えると「よかった」と返した。湯山さん自身も長電話に助けられてきたが、チャットでは気持ちが通い合わず、分かってもらえないという。聞き手が、1日の9割はチャットで、誰とも話さずに終わる日があってストレスがたまると打ち明けると、湯山さんは、それをストレスだと自覚できているだけいいと答えた。本当に怖いのはその先で心を潰していくことなので、話せる場がない人はつくったほうがいい。自分から「お茶しない?」と誘われると人は救われるので、誘うこと自体が良いことをしていることになるという。

過去を思い悩むのは、実は暇な時間が多いからだ、とも湯山さんは指摘した。「小人閑居して不善をなす」という言葉を引き、暇だと頭はネガティブな方向に向かうのが当たり前なので、それを解消する何かをしたほうがいいという。特に勧めたのは体を動かすことで、湯山さん自身も週1回タップダンスを続けている。

「自分軸」ではなく「他人軸」だという自己認識

聞き手が「湯山さんは自分軸で生きている」と言うと、湯山さんは「実は他人軸なんだよね」と否定した。60代になって好き嫌いがあまりなく、好奇心が強いので何でも打ち返すのが好きだが、体力は落ちてきている。本当に自分がどういう人間かというと、案外「自分」がない人だと思う、という。

それでもあまり気にしなくていいと湯山さんは言う。自分が何をしたときにパフォーマンスが上がり、周りもそれを受け止めてくれるのか、という快感の体験を自分の中で見つけ、そこに向かっていけばいい。湯山さんの場合は、目の前の人が喜ぶことが自信になってきた。人が喜ぶから仕事をしている面があり、仕事人間には他人軸の人が多いのかもしれない、と語った。

ファッションは「自分と他者への実験」

聞き手が、湯山さんの感性が後悔のない決断につながっているのではと水を向けると、湯山さんはファッションは誰にでも使える道具だと答えた。湯山さんは前年の収録で聞き手に髪を切るよう勧めており、実際に切ってきた聞き手に対して、髪を切ると人の見る目が変わると話した。大人っぽく見られたいとき、その装いだから言えることやとれる態度がある。ファッションは自分と他者に対する実験を重ねていくもので、それが面白いという。

長い時間をかけて実験を続けると、「この見られ方が自分の等身大なんだな」とぴたりと合う感覚が出てくる。若いうちはパンクが好きなら似合うかどうか関係なく突っ走る時期があってもいいが、30代からは「似合う」ということに向き合わざるを得なくなる。そこからは、自分のペルソナ、社会に出ていくときの自分のフレームワークを自分でつくり上げていく作業になり、それは楽しいはずだと湯山さんは語った。

30代へのメッセージ:「苦手の中に天国がいる」

最後に30代の女性へのメッセージを求められ、湯山さんは「苦手の中に天国がいて」と答えた。本人は、言葉に詰まって面倒になったので「天国」と言ったと断ったうえで、その意味を説明した。苦手だと思っているものの中に、意外にも自分にとってのメリットや、自分を生かせる場所がある。だから食わず嫌いをやめろ、ということだという。転職先が変な職場で「なんだこれ」と思っても、そこにいたことが人生の何かの節目になることはある。一度やってみて、本当にダメならダメだと見切りもつく。

好き嫌いの話では、湯山さんは嫌いなバンドもあえて聴きに行くという。本当に嫌なら徹底的な悪口を持ち帰ればいい。なぜこのバンドが自分をイラつかせるのかを完全に把握して戻ってくる、ということだ。聞き手が「自分を理解する」とまとめると、湯山さんは「世界を理解する」ことが重要だと言い直した。自分を分かることも世界を理解することの一部だが、世界のほうが面白いので、いろいろなところに手を出してみてもいい、という。

湯山さんは知人の例も紹介した。ある有名出版社で編集長に抜擢された女性が、とてもいい結果を出した。彼女を抜擢したのは、社内で嫌われ者として知られ、いつも彼女と対立していた専務だった。専務は会社を愛していて、次にこの雑誌を立て直すなら、「お前のことは大嫌いでセンスも嫌いだが、あいつしかいない」と判断したのだという。湯山さんはこれを「あんまりない、いい話」と評し、人は何を見ているか分からない、と締めくくった。真面目にやっていれば誰かが必ず見ている。逆に適当にやっていれば、人はそれも見ている。これが湯山さんから30代への最後の助言だった。