湯山玲子が語る、会社を辞めて「仕事に生きる」と決めた30歳前後と、子どもを持たなかった選択
新R25チャンネル新R25の対談番組「覚悟のち晴れ。~30オンナの決断白書~」の第2回に、作家で「おしゃべりカルチャーモンスター」を名乗る湯山玲子さんが出演した。聞き手はおうみゆかさんで、結婚・出産・キャリアへの不安を抱える30代女性に向けて、湯山さん自身の20代・30代を振り返ってもらう回である。湯山さんは、ぴあでの会社員時代、独立を決めた29〜30歳頃の葛藤、互いを「コントロールしない」夫との結婚生活、子どもを持たなかったことを後悔していない理由を語った。そのうえで、後悔しないための考え方として、苦手なものを避けないことを30代に勧めている。
「青短」が一番評価された時代に、4大卒で就職する
湯山さんは1960年生まれで、4年制大学を卒業している。当時、女の子の学歴として一番「潰しが利いた」のは青山学院の短大、通称「青短」だったという。結婚が「永久就職」と呼ばれ、女性の学歴は「お嫁さん候補」としての価値で測られていた。女の子に学問はいらないという考え方が一般的で、聞き手が「そんなに遠い昔じゃないですよね」と驚くと、湯山さんもそれに同意した。
男性と同じように給料や昇進がフラットに扱われる会社として湯山さんの記憶に残っているのは、ぴあ、ベネッセ、リクルート、パルコくらいだった。本当は放送業界に行きたかったが、女性にはアナウンサー職などしか道がなかった。結局、80年代に情報誌として、またアートやカルチャーの分野で勢いのあったぴあに入社する。湯山さんの記憶では応募者は6000人ほどで、そのうち採用された女性は湯山さん1人だけだったという。
志望していたほかの会社にはすべて落ちていた。ぴあを受けたのも、就職活動中に知り合って一緒に食事をした女の子が「今からぴあに行く」と言うのについて行ったのがきっかけだった。証明写真の用意がなく、アロハシャツ姿の写真を貼って応募書類を出したという。受かるはずがないと思っていたので、グループ面接やディスカッションでは遠慮せずにどんどん発言し、その場を楽しんでしまった。この経験から湯山さんは、準備に準備を重ねて臨むよりも、素の自分が出たときのほうが案外人に選ばれることもある、と視聴者に伝えている。
若手に権限と予算を丸投げする職場
入社したぴあは人手が足りず、若い社員にも人事の権限や予算が任された。予算の使い方は誰も教えてくれず、「自分でやれ」と放っておかれる。湯山さんによれば、それが合わずにダメになっていく人もいたが、自分には向いていたという。
最初の配属は予想外の部署だった。音楽の知識があり、バンド活動もしていたので音楽担当になると思っていたが、実際に任されたのは演芸・能・歌舞伎などの分野だった。興味がなかったわけではないが、花形の担当ではなかった。それでも、ここで担当した落語が、のちにチャンスをつかむきっかけになった。
当時は立川談志と古今亭志ん朝がまだ健在で、湯山さんは志ん朝が好きで高座に通っていた。のちに、ロングインタビューやカルチャー記事で知られる雑誌『SWITCH』の編集部を訪れたとき、ちょうど志ん朝特集の打ち合わせをしていた。「湯山さん、落語担当だったよね」と声をかけられて会議に加わり、思う存分しゃべったところ面白がられた。これが会社の外に出ていくきっかけのひとつになったという。
苦手なジャンルの中にも「自分の好きなライン」がある
この落語の経験から、湯山さんは「苦手なものは後で生きる」と繰り返し語る。若いころは、好きなことしかしない、嫌いなバンドや嫌いなジャンルは嫌だ、という態度をとりがちだが、湯山さんはそれを「浅すぎる」と言う。つまらないと思っていたものの中にも原石が眠っていて、つまらないと思いながら接しているうちに発見があり、だんだん分かってくる。
湯山さんは今もクラシック音楽からクラブカルチャーまで幅広く扱っているが、その仕事でよく使う感覚がある。クラシック、クラブミュージック、ポップスとジャンルが違っても、その中に必ず「自分の好きなライン」があり、表現の形式が違っても同じものを見つけられる。それが分かると、カルチャーは格段に面白くなるという。
ムック編集部での3000万円の企画と「ぴあマップ香港」
20代の湯山さんは、編集に加えて広告の仕事もこなし、多忙な日々を送った。アートやカルチャーの仕事なので趣味と仕事が重なり、いろいろなものを吸収したという。
大きな転機になったのは、1冊単位で本をつくる「ムック編集部」への異動だった。当時この部署は勢いがあり、夜遊びやレストランの情報など、今では当たり前になった企画を次々とムックにしていた。何をやってもいい部署で、例えばある企業が、ぴあの読者層である若者向けに新しいビールをつくり、それを読者に届けるために「3000万円出すので本をつくってほしい」と持ち込んできたこともある。そういう案件が来るたびに湯山さんは手を挙げた。
海外取材の糸口もここでつかんだ。ちょうど香港政府が観光に力を入れていた時期で、ぴあの読者向けに、これまでになかったタイプの香港ガイドブックをつくってほしいという依頼が来た。湯山さんは香港に1か月滞在し、「ぴあマップ香港」をつくり上げた。香港を東京と同じくらい情報で網羅するような本だったという。留学経験もなく英語もできなかったが、手を挙げればすぐにやらせてくれる会社だった、と湯山さんは振り返る。
大型企画の後に待っていた不遇と、「自分はクリエイティブだ」という自覚
29歳から30歳にかけて、湯山さんは悩みの時期を迎える。20代の湯山さんは少ないチャンスをつかみ取るタイプで、社内コンペを勝ち抜いてNHKとのタイアップ企画「ファッションドリーム」を手がけた。NHKは資金が潤沢で、別室まで用意してくれ、湯山さんは思う存分仕事ができた。
ところが通常業務に戻ると、会社は湯山さんの扱いに困ったようだった、と湯山さんは見ている。「降格人事」のような配置になり、湯山さん自身もぶつぶつと不満を言っていた。あれだけ自由にやれたのに今はどうか、なぜあんなに頑張ったのに褒めてくれないのか、という慢心もあったと本人は認めている。
この時期に湯山さんは初めて、自分の何を売れば世間がお金を払ってくれるのかを考え、自分の才能はクリエイティブなところにあると気づいた。一方でぴあは、情報を扱うシステムで成り立つ会社で、クリエイティブで稼ぐ経験やDNAがない。湯山さんはこの違いに悩み続けた。当時の社内には大企業的な感覚もあり、辞めるかどうか迷っていると「辞めたら一人じゃやっていけないよ」という「呪い」の言葉をかけられたという。
結婚して辞めていく流れに飲まれないよう「アクセルをかけた」
当時、女性が独立するという選択肢はほとんどなかった。会社を辞める女性はいたが、その多くは結婚し、子どもができて自然にキャリアを離れ、家庭に入っていった。「永久就職」の名残がまだ残っていたのである。
湯山さんはこのとき初めて、自分は本当に仕事がしたいのであって、専業主婦になりたいわけではないとはっきり自覚した。ここでアクセルを踏まなければ、その流れに飲まれてしまう。そう考えて、全力でアクセルをかけたという。
聞き手が、30代では自信をなくして「もう仕事はいいかな」と思うこともあるのではと尋ねると、湯山さんは「手応えを感じていた」と答えた。読者の反応、仕事仲間の評価、社内での「すごいのをつくったね」という声が励みになり、「この道だ」と思えた。人に言われて自信がついたのだという。一方で、自分には慎重なところもあると湯山さんは言う。退職するときには、会社の外部プロダクションのような形で仕事を続けられる筋を一本つくっておいた。保険を用意したうえで独立したわけである。
大学時代からの10年越しの交際と、本人不在の「プロポーズ」
結婚相手とは大学時代からの長い付き合いだった。別々のバンドのメンバーだったが、一度セッションしたときにレゲエの話で意気投合した。湯山さんがレゲエに興味を持ち始めていた頃で、相手はすでにかなり深くのめり込んでいた。
ただし湯山さんには恋愛感情はなかった。当時大失恋をして「どうでもいいや」と思っていたところに交際を申し込まれ、「じゃあいいよ」と付き合い始めたという。そのまま関係が続き、いろいろなことがありながらも、相手はずっとそばにいた。家を行き来するうちに、湯山さんが実家で昼寝をしている間に親が相手を問い詰め、「お前はどういうつもりなんだ」と聞いたところ、相手は「結婚します」と答えてしまった。目を覚ました湯山さんは、にこにこした親に「今、お前プロポーズされたぞ。どうするんだ」と告げられたという。
20代・30代の恋愛について聞かれると、湯山さんは「もう覚えていない」と笑い、自分は恋愛体質ではないと思うと答えた。ロマンチックな恋愛はそのときは盛り上がるが続かない。盛り上がった後に関係を続けられるかどうかが問題で、自分も続けられなかったという。恋愛では、こちらがどれだけ努力しても相手が振り向いてくれるとは限らない。最初から恋愛感情がなかった自分は、その意味で「非常に結婚向きだった」と湯山さんは語る。
夫を選んだ基準は「人をコントロールしない人」
結婚せずに一緒にいる選択肢もあったのでは、という問いに対して、湯山さんは、今の時代なら分からないと答えた。お互い仕事が大好きな二人だからである。しかし当時は、親や社会の風潮が結婚を強く求めたし、10年付き合っていたこともあった。
それでもなぜこの人だったのかについて、湯山さんが挙げた判断基準は「人をコントロールしない人」だったことだ。「俺について来い」「俺が守る」というタイプではない。夫はオタク気質で、自分のことは自分でやるのが好きな人だった。説教好きではあるが、「こうしなければいけない」と押しつけたり、無断で飲みに行って遅く帰っても怒ったりすることはない。束縛もしない。湯山さん自身も同じで、夫がまったく帰ってこなくても気にならないという。
お互いをコントロールしないことで、多くのカップルがつまずく大きな問題をクリアできる、と湯山さんは考えている。「お前のことを思っているんだ」という気持ちが、愛という名の束縛になってしまうからだ。フリーランスの編集者やライターの仕事には、男性カメラマンとの取材旅行や、打ち合わせを兼ねた夜遅くまでの飲み会がつきものだった。相手がそれを気にしていたら仕事は続けられないし、実際にそれが原因で辞めていく人も多かったという。
一緒にいて楽しいというプラスよりも、「邪魔にならない」ことが重要だと湯山さんは強調した。空気のような存在だという。デートや旅行もしていたが、40代以降はまったくしなくなった。30代の頃の海外旅行も現地では別行動で、ファッションに興味のない夫は電子部品の市場のような場所に行きたがるので、夕食の店だけ決めて後で合流していた。
家事分担も誕生日もない「下宿」のような家
夫は仕事人間で、湯山さんによれば、生活を投げうってプロジェクトに打ち込む「ブラック企業」的なところがある人だった。良くも悪くも仕事に真摯で、湯山さん自身も仕事人生を送ってきたので、言わなくても分かる同志のような尊敬関係があるという。夫は誰でも知っている超大手の建築関係の会社でスペシャリストとして働き、今は定年退職していろいろな活動をしている。
家事分担は「ない」。二人とも仕事が第一で、家庭というものを必要としない人たちだったという。湯山さんは同じ家に住みながら「下宿」のような暮らしだったと表現する。みんなで朝ごはんや夕食を囲むような家庭ではなく、それぞれ勝手に起きて勝手に寝て、あまり口をきかない時期があっても問題なかった。夫が、結婚したら妻がやるべき伝統的な役割を湯山さんに求めたことは一度もなかったという。料理はそれぞれが勝手につくり、たまに二人でつくったものを食べる。掃除は気づいたほうがやる。「もっと掃除しろ」と喧嘩になることもない。お互い仕事でエネルギーを外に向けているので、家は体を休める本拠地でいい。そこを磨き上げるエネルギーはないし、それでもいいのだという。誕生日や記念日のお祝いもしない。結婚相手というより人生のパートナーだと、湯山さんは聞き手の言葉に同意した。
家事に「手を出してしまう」女性たちへの指摘
この話から湯山さんは、多くの女性が家事で苦しむ仕組みを指摘する。時代が変わっても、女性の側に「料理は私がやるもの」という伝統が残っていて、つい手を出してしまい、それが不満になる。聞き手が、手を出さなければいけない雰囲気があるからではと返すと、湯山さんは「違う」と答え、ここが重要なところだと強調した。男性がそれを求めているわけではなく、女性が勝手にその役割をつくり上げている。「私はこれをやっていないからダメな女だ」と思ってつくってしまう。一方で男性は自分をダメな男だとは思っていないので、「あなたは何もやってない」と怒って自爆し、「怖い女の人」になっていく。湯山さんはそういう人を見てきたという。
湯山さんは仕事と家庭の違いにも触れた。仕事はプロジェクトが終われば区切りがつくが、家庭のことはいくらやっても足りない無限ループになる。本人が楽しいならそれでもいいが、日本では「キャラ弁」のように、あの子のお母さんはあれだけやっている、私はまだ足りない、という競争になり、女性に求められる伝統的な役割にどんどん引き込まれてしまう。家庭はこうあるべきだという意識は女性発のものなのに強く、嫌なのにやってしまう。その感情のサイクルが自分を苦しめるなら断ち切ったほうがいい、というのが湯山さんの考えである。
子どもを持たなかったことを後悔していない理由
子どもを持たない選択を意図的にしたのかと聞かれ、湯山さんは「全然」と答えた。できたらそれでいいと思っていたが、結果としてできなかった。不妊治療などの手段をとるという発想もなかった。できていたら、幸せかどうかは分からないが、それで行くしかなかったし、なんとかしただろうという。子どもができれば家庭は子ども中心になり、二人で協力していく必要があるので、まったく違うものになっていたはずだとも語った。
今はようやく、そうした協力ができる時代になったと湯山さんは見ている。そのうえで、30代で子どもを持たなかったことを今も後悔していない理由として、時代背景を挙げた。当時も「夫も育児を手伝う」とは言われていたが、父親が保育園に子どもを送る姿はまだなかった。働く女性に対しては、好きなことをやっているのだから育児くらいやって当たり前だ、という言い方があった。もし30代で子どもを産んでいたら今のキャリアはなかったと湯山さんは考えている。30代に海外へ行き、あちこちで暴れ回った経験も、子どもがいたらできなかっただろうという。
加えて、湯山さんは自分が子どもを好きではなく、可愛いとは思わないとも明かした。どうしても欲しい人なら話は違うだろうが、自分の場合はそうした要素もあったという。今は男性が育児に強い責任感を持つようになっているので、それなら可能だと思う。しかし当時の風潮と、オタク気質の夫の様子を見れば、夫はいい人なのできっとやっただろうが、結局は自分に負担が来ることが分かっていた、と湯山さんは振り返る。
後悔しないための「思考の癖」と、長電話の効用
どうすれば後悔のない選択ができるのか、という問いに対して、湯山さんは「過去は変えられないので、後悔している時間はもったいない」と答えた。過去を考える時間があるなら、ダメ元で変な飲み会に行ってみる、会いたい人に会う、読みたい本を読む、といったことに切り替えたほうがいい。過去のことが頭に浮かんだ瞬間に「ダメダメ」と打ち消す思考の癖が重要で、「変えられねえじゃん」と一言口に出してみるのもいいという。
SNS時代になって心の持ち方が難しくなっている、とも湯山さんは言う。友達と長電話をするかと尋ね、聞き手がすると答えると「よかった」と返した。湯山さん自身も長電話に助けられてきたが、チャットでは気持ちが通い合わず、分かってもらえないという。聞き手が、1日の9割はチャットで、誰とも話さずに終わる日があってストレスがたまると打ち明けると、湯山さんは、それをストレスだと自覚できているだけいいと答えた。本当に怖いのはその先で心を潰していくことなので、話せる場がない人はつくったほうがいい。自分から「お茶しない?」と誘われると人は救われるので、誘うこと自体が良いことをしていることになるという。
過去を思い悩むのは、実は暇な時間が多いからだ、とも湯山さんは指摘した。「小人閑居して不善をなす」という言葉を引き、暇だと頭はネガティブな方向に向かうのが当たり前なので、それを解消する何かをしたほうがいいという。特に勧めたのは体を動かすことで、湯山さん自身も週1回タップダンスを続けている。
「自分軸」ではなく「他人軸」だという自己認識
聞き手が「湯山さんは自分軸で生きている」と言うと、湯山さんは「実は他人軸なんだよね」と否定した。60代になって好き嫌いがあまりなく、好奇心が強いので何でも打ち返すのが好きだが、体力は落ちてきている。本当に自分がどういう人間かというと、案外「自分」がない人だと思う、という。
それでもあまり気にしなくていいと湯山さんは言う。自分が何をしたときにパフォーマンスが上がり、周りもそれを受け止めてくれるのか、という快感の体験を自分の中で見つけ、そこに向かっていけばいい。湯山さんの場合は、目の前の人が喜ぶことが自信になってきた。人が喜ぶから仕事をしている面があり、仕事人間には他人軸の人が多いのかもしれない、と語った。
ファッションは「自分と他者への実験」
聞き手が、湯山さんの感性が後悔のない決断につながっているのではと水を向けると、湯山さんはファッションは誰にでも使える道具だと答えた。湯山さんは前年の収録で聞き手に髪を切るよう勧めており、実際に切ってきた聞き手に対して、髪を切ると人の見る目が変わると話した。大人っぽく見られたいとき、その装いだから言えることやとれる態度がある。ファッションは自分と他者に対する実験を重ねていくもので、それが面白いという。
長い時間をかけて実験を続けると、「この見られ方が自分の等身大なんだな」とぴたりと合う感覚が出てくる。若いうちはパンクが好きなら似合うかどうか関係なく突っ走る時期があってもいいが、30代からは「似合う」ということに向き合わざるを得なくなる。そこからは、自分のペルソナ、社会に出ていくときの自分のフレームワークを自分でつくり上げていく作業になり、それは楽しいはずだと湯山さんは語った。
30代へのメッセージ:「苦手の中に天国がいる」
最後に30代の女性へのメッセージを求められ、湯山さんは「苦手の中に天国がいて」と答えた。本人は、言葉に詰まって面倒になったので「天国」と言ったと断ったうえで、その意味を説明した。苦手だと思っているものの中に、意外にも自分にとってのメリットや、自分を生かせる場所がある。だから食わず嫌いをやめろ、ということだという。転職先が変な職場で「なんだこれ」と思っても、そこにいたことが人生の何かの節目になることはある。一度やってみて、本当にダメならダメだと見切りもつく。
好き嫌いの話では、湯山さんは嫌いなバンドもあえて聴きに行くという。本当に嫌なら徹底的な悪口を持ち帰ればいい。なぜこのバンドが自分をイラつかせるのかを完全に把握して戻ってくる、ということだ。聞き手が「自分を理解する」とまとめると、湯山さんは「世界を理解する」ことが重要だと言い直した。自分を分かることも世界を理解することの一部だが、世界のほうが面白いので、いろいろなところに手を出してみてもいい、という。
湯山さんは知人の例も紹介した。ある有名出版社で編集長に抜擢された女性が、とてもいい結果を出した。彼女を抜擢したのは、社内で嫌われ者として知られ、いつも彼女と対立していた専務だった。専務は会社を愛していて、次にこの雑誌を立て直すなら、「お前のことは大嫌いでセンスも嫌いだが、あいつしかいない」と判断したのだという。湯山さんはこれを「あんまりない、いい話」と評し、人は何を見ているか分からない、と締めくくった。真面目にやっていれば誰かが必ず見ている。逆に適当にやっていれば、人はそれも見ている。これが湯山さんから30代への最後の助言だった。
覚悟のち晴れ。30オンナの決断白書。
結婚、出産、キャリアへの不安。人生の大きな分岐点を迎える30女たち。迷いを覚悟に変え、晴れやかに生きるゲストに、30女おうみゆかが話を聞く。
新R25初の女性向けトーク番組です。第2回のゲストに、作家、おしゃべりカルチャーモンスター湯山玲子さんに来ていただきました。
よろしくお願いします。よろしくお願いいたします。
私は1960年生まれなんですけど、一番女の子の学歴で潰しが効いたのっていうのは青学の短大だったんですよ。青短って言っててね。それなんでかって言うと、お嫁さん候補って言うんですか?永久就職が結婚だった時代ですよね。男の人と同じようなキャリアというか、フラットにそれができるっていう会社って、ぴあ、ベネッセ、リクルート、パルコで、ラッキーにもちょっとぴあという会社で。でも結婚するんだったらこの人だなってのはあったね。で、私、30代の時ね、いや、なんでその積極的に子供を持たなくて、今絶対後悔してないかっていうと。
悩める30女を勇気づける、湯山さんのかっこいい決断白書とは。
昨年も、私すごいお世話になりまして。髪も切る……
あ、髪切って可愛くなってね。すごい可愛いんじゃないですか。冒険ですよね。
今日もお話しできるのを楽しみにしてまいりました。湯山さんご自身の、その20代30代のキャリアとか恋愛から、ちょっと振り返っていきたいなと思うんですけど、20代、30代はどういう働き方を?
うん。私は1960年生まれなんですけど、今からは考えられないことだったんですけども、私は4大卒なんですけど、一番女の子の学歴で潰しが効いたのっていうのはですね、青学の短大だったんですよ。青短って言っててね。それなんでかって言うと、お嫁さん候補って言うんですか?永久就職が結婚だった時代ですよね。そんなようなことなんだ。で、どっちかっていうと本当に女の子に学問はいらないというか。
うん。
それが本当に一般的な時代だったんですよ。そんなに遠い昔じゃないですよ。
全然昔じゃないですよね。
そう。で、なおかつ男の人と同じようなキャリアというか、お給料もね、ちゃんと出世みたいなことが同じようにフラットにできるっていう会社って、今思うと、ぴあ、ベネッセ、リクルート、パルコ、それぐらいしか記憶になかったの。出版や、私は本当に放送に行きたかったんですけど、それもアナウンサー職とか縁故しかなかったんで。で、ラッキーにもちょっとぴあという会社、穴場みたいなもんかな。情報産業として80年代に情報誌、アートカルチャーのそれでこう上がってた時に、ちょうど最初に入った。
結構倍率とかも高かった?
そうなんですよね。ちょっと自慢しちゃうんですけど、多分ね、6000人応募が集まって、で、女の子は私1人だけだったんですよ。
ええ、本当に?
そうなの。そう。そういう変な確率は強かったっていう。
どうして受かったとか、今考えると?
今受かったと思えばね、他のお目当ての会社とか全部落ちてるんですよ。で、だけど就職活動に行った時に知り合ってご飯食べた女の子が、今からぴあ行くって言って、え、何それって言って付き合って。で、写真ないから、アロハシャツの写真貼って出したんですよ。証明写真、ここでいいや、みたいな感じ。だから本当に受かるわけないなと思ってたと。あとそれから、グループ面談とかディスカッションとかあった時、もう受かるわけないと思ったんで、自由にもうガンガン、バンバン行って、なんか楽しんじゃったっていう感じで。受からないと思ってるから、志望ではないところに。そうですよね。
だから見てる方にもあるかもしんないんだけど、すごく準備して準備して準備してこうやるっていうよりも、案外素そのものが出た時に人はピックアップするものということも考えた方がいいかもしれないね。
入ってみてどうでした?
いや、あのね、すごかったですよ。やっぱりもう人がいないから、若い社員でも人事権とお金渡されるんですよ、予算とかって。何も教えてくれないけど自分でやれっていう、放りっぱなしだった。それがダメな人もいた、やっぱり。
そっか。
うん。なんだけど私は、なんかそれが割と合ってた感じですよね。いろんな権限が与えられて、ダメになってく人もいれば、みたいな。
これも皆さんにアドバイスできることだと思うんだけど、苦手なものってね、後で生きるよっていう。音楽も、今でもクラシック音楽からクラブカルチャーまでやってますからね。なんですけど、そこに配属されなくて。私絶対そこに行くと思った、もうこんなに知識があってバンドまでやってたのにって思ったのに、なんと演芸、能、歌舞伎ですよ。
そう、ええ、みたいなことになっちゃって。で、ま、興味なくはないけどっていうことで、全然花形のあれじゃなかったんですけど、そこでとっつきにくかったことが花開くというか、落語は本当にチャンスを掴んだポイントだったですね。
その時、落語ってまだ談志師匠と志ん朝師匠が生きてて、いい時だったんですけども、ここで志ん朝師匠はすごくいいなと思ってて通っていて。
30代、それこそこれですね、20代の後半、やっぱり私も悩みましてですね。ぴあの会社というのがその時、やっぱり大きい会社って何でもそうだと思うんですけど、管理職になってくるんですね。
インディペンデントマガジンのSWITCHって、今もまだ、ロングインタビューとかカルチャーの、昔から非常にオーセンティックでいい雑誌なんですけど、そこの編集部に行った時に、ちょろっと志ん朝のミーティングをやってて、湯山さん落語担当だったよねって言われて、いいんすかって言って入って、バンバンバンバン言った。
面白いみたいになっちゃって、それがちょっと、なんていうの、外に出るきっかけになったというか。それはやって思ったんですけども、案外ね、自分が若い時に好き嫌いってあるじゃないですか。好きなことしかしないとか、嫌いなバンドは嫌い、嫌いなジャンルは嫌だって、それはね、浅すぎますよね。
その中にものすごい原石というか、あれがみんな眠ってることがある。つまんねえなと思って行ってたんですよね。その時、つまんない中でも発見があって、だんだん分かってくるわけです。
で、私がよく今の仕事で使ってるのが、クラシック音楽体験がありますよね。クラブミュージックがあって、ポップスがあった時に、私の好きなラインっていうのが必ずあるんですよ。で、それって実はジャンルが違う表現だとしても、その中に同じものを見つけることができるっていう。そうなった時、やっぱりもう格段にカルチャーが面白くなるところかな。
20代はじゃあ基本的には編集とか?
そうです。広告やったりとか、色々体験させてくれた会社だったので、だからま、忙殺ですよね。忙しくしてて、なおかつやっぱりアートカルチャーに関係するから、仕事と趣味が一緒になるとかあるじゃないですか。そういうので、いろんなもの吸収したというか。で、あと大きかったのが、落語担当のページ作りの編集から、広告がちょっと半分入るんですけど、ムック編集部っていう、1冊丸ごと本を作る部署に移ったんですよ。
で、そこってのはちょうど本当に勢いがあると。で、それこそ今もう食べログになっちゃってるんだけども、夜の遊び、レストランの情報とかさ、そういうのをバーっとやって、雑誌にしてムックにして出すみたいな、何やってもいいっていうところで。で、そこで当時、企業が、ぴあの読者に向けて、若い子と新しいビールを作りましたと。で、ビールを読者に届けたいからって話を持ってきて、3000万出しますから本作ってくださいって。そういう部署にいたから、ネタがあったらバンバン手を上げてやってて、それで私は海外取材の糸口を得るんですよ。
ちょうど当時、香港政府が香港の観光に力を入れた時で、ぴあの読者に向けて、今までにないちょっとそういったガイドブック作ってくださいって言われて、香港に1ヶ月滞在して作った本が『ぴあMAP香港』って。
はい。
だからもう香港を完全に東京化するっていうか、本当に全部情報集まってるみたいなことやって。それも、私全然留学経験もないし英語もできないんだけど、そういうのを手上げたらパッとやらせてくれるというか。
先ほど言ってた、その30代手前で1回悩んだっていうのは、どういう?
そう、それはね、私割と20代に、そういった少ないチャンスを持ってく人で、NHKのタイアップで『ファッションドリーム』っていうのを作ってみたりとか。それでなんかちょっと有頂天になってたって言うんですかね。出る杭っていうか。
社内コンペで?
そう、勝ち取って。なんですけど、それやった時に、NHKはお金持ってるから、なんか別室用意してくれちゃったりとかして、そこで思う存分やらせてもらった後に戻った時に、普通の業務ですよね。ちょっとなんかあれだなと思ってるうちに、私の扱いに会社もちょっと困ったところもあるんじゃないですかね。ちょっとね、降格人事みたいな、え、ここの部署?みたいになってて、なんか一番ぶつくさ、あれみたいな。
そう、そうなんですよ。そういうの。
そんな一大ビッグプロジェクトをやってたのにもかかわらず、その後に降格……
慢心も絶対あったと思いますね。あの時あんな自由にやってたんだからっていう話で。で、なんでみんな、あんだけのことやったのに褒めてくんねえの、みたいな感じはあるじゃないですか。
29から30にかけてかな。なんかだからそこに来て初めて、自分の才能というかさ、何を自分が売ったら世間様がお金を出してくれるんだろうっていうことに、初めてそこで、実はクリエイティブなんだなって気がつくんですよ。
うん。うん。
元々会社自体はね、やっぱりシステムというか、そういう会社なんですよ。クリエイティブいらないですよね。情報ということを扱うことでやってることなので、そこでクリエイティブということで稼ぐ体験がないというかさ、そういうDNAがないからさ。あ、これ本当に違うんだなと思って、そこで悩んで悩んで。その時、当時もうある種大会社感覚があったからね、みんなには、辞める辞めないって時は、本当に辞めたら1人立ちできないよとかいう呪いはかけられましたけどね。
当時はだから、女性の独立っていうところもどうなんですか?
あ、それもね、ないっすね。みんなやっぱり辞めてく人もいたんですよ。だけど、今度結婚の話になってくるんですけど、当時結婚がまだまだ永久就職の名残があったじゃないですか。だんだんそれこそ結婚しちゃった後に子供ができて、自然と辞めちゃう、キャリアを。それでだんだん家の人になってくっていう人がすっごく多かったですよね。
そういうイメージはあります。
ありますよね。なんか、あそこまでやってたんだけど、いいやって。
そこは特に湯山さんの中ではそういう選択はなかったんですか?
そこで初めて自分の志っていうかね、あ、私本当に仕事でやりたいんだと思ったっていうか、専業主婦だったりっていうようなことではないなと。で、もしそこに乗ってしまったら、今ここでアクセルかけとかないとその流れに飲まれると思ったから、ものすごいアクセルをかけたと思いますね。
想像するだけでも、ものすごいガッツがないと難しいなと思うんですけど。
そうですね。
自信がなくなったりとか、あ、もう一旦仕事はいいかな、もう自分には無理かも、みたいな、そういう気持ちにやっぱ30ってなると思っていて。そういう気持ちにはならなかったんですか?
手応えを感じてましたからね。だからそれまでやった仕事の、賞賛というかさ、読者ですよね。読者とか、それを見てくれた仕事仲間とか、もちろん会社の中でも、いいよ、なんかすごいの作っちゃったね、とかっていうことはもちろんあったので。
うん。それはやっぱり励みになったというか、この道だよねっていうのはあったかな。だから人に言われて自信がついたというか。私もね、実はすごい慎重なところがあって、会社辞めるってなった瞬間に、会社の外に出るプロダクションみたいな、外出しにしてもらってやってる人がいっぱいいたのね。その筋は1個作っといた。
ほう、そっか。じゃ、一応その保険的なものを作っておいて、その安心材料がありつつ、自分の本当にこれだっていうもので独立したっていう感じだった。
はい。そうですね。
結婚はどのタイミングで、どういうきっかけがあって?
えっと、長い付き合いだったんですよ。大学生時代からですね。
ええ、そうなんですか。
うん。違うバンドのメンバーだったんですけども、1回セッションした時に、その時レゲエ音楽がすごく出てきた時で、すごく私が興味を持っていて、彼はそれにすごい突っ込んでた人で、それで話が合ってしまい、で、なんか付き合うことになり。
なんだけど、私は全然恋愛感情を持ったことがないという。当時大失恋をしましてですね、どうでもいいやって時に言われて、じゃあいい、付き合う、みたいな感じになって、それでずっと言われるがまま、言われるがままでずっと行ってしまい。
で、なんか、ずっといるんですよ。その後、色々ありますよね。なんですけど、でもいるんですよ。もうすごい認めていて、家を行ったり来たりしてた時に、私が実家に行った時、私が昼寝した時にね、ちょうど親がうちの夫を詰めて、お前はどういうつもりなんだって言って、結婚しますって言っちゃったっていう。何なんだそれはって。
それ照れ隠しじゃないの?
いや、そう、そう。したら、帰ったらニコニコ3人でさ。いや、今結婚のプロポーズお前されたぞ、どうすんだ、みたいな。ええ、みたいな話ですよ。
ちなみにその大失恋というか、20代30代、恋愛をしてきたとか?
なんかもう覚えてないなあ。色々あったと思いますよ。色々あったんだと思うんですけど、思えば恋愛体質ではないような気がしますよね。
恋愛の考え方が三つ星レストランみたいなとこあるんじゃないですか。なんかロマンチックで、その時カッと盛り上がれば。でもそれ絶対さ、続かないじゃないですか。うわ、上がるんだけどっていうね。
だってその盛り上がった後に、それを続けるか続けないか、そこがさ、やっぱり、私もなんか続けられなかったですもんね。だから私の場合は、最初から恋愛感情がないから、非常に結婚向きでしたよね、そういう意味では。こっちが一生懸命行ったとしても向こうが拒絶っていうやつで、恋愛ってそういうところがあるじゃないですか。こっちが努力しても向こうが振り向いてくれるとは限らないわけだ。
別にその結婚しなくても一緒にいるとかの選択肢はあったのかなと思うんですけど。
ありますよね。今の時代だったとしたらちょっとわかんないです。お互い仕事すごい好きな人たちだから。だけど当時やっぱり親がさ、社会の風潮がもう絶対に結婚させるっていう、今ないでしょ、それ。望むんだったらっていう話もあり、10年付き合ってたしっていうことがあったよね。
だけど結婚して、ま、ちょっと判断の基準、これ皆さん見てらっしゃることあるかもしんないんですけど、なんで彼にしたかというのがあるとすると、人をコントロールしない人だったんですよ。俺についてこいもない。そういう意味ではさ、男らしさがないなんて言うじゃないですか。俺が守るとか、そういうのいっぱいいるじゃないですか。
ま、それがモテる。
そう、そう、そう。俺が守るとか一切そういうんじゃなくて、やっぱり自分のことは自分で。オタクだし、なんかやるのが好きで、説教好きではあるんだけども、人にこういう風にしなきゃいけないとか、無断で今日飲みに行って帰ってくるのを怒るとかないんですよ。
うん。束縛とかも?
ないないないない。束縛ない人です。
夫も?
ないと思う。で、私もそうなんですよ。夫がだから全然帰ってこなかったとしても、別にどうでもいいや、みたいな。そうそう。
すごい。
だからお互いコントロールしないっていうと、ここがクリアできちゃう。すごいでかい。ほとんどのカップルがそこで崩れちゃうとかあるんじゃないですか。
ほとんどだと思う。
俺はお前のこと思ってるんだって、愛の束縛になっちゃうでしょ。そうするとね、きついですよね。仕事上でやっぱりすごかったの。私やっぱりフリーランスの編集だったりとかね、ライターってやっぱり取材旅行とかって、男のカメラマンとね、するとかってそういうのあるんですよ。そんなのもし気にしてたらできませんよね。で、気にして辞めちゃう人もいっぱいで。打ち合わせで飲みに行って遅くなってさ、今だと当たり前じゃないですか。
そう。でも今はもうさ、冷静に考えて、男の人の方がそっからアップしてるんじゃないですか。俺に頼られても。
あ、そうですか。
絶対そう思います。若い子、男の子見てて。
でも、もしそうだとしても、言ってるとしたらちょっと怖いよね。内面は、言ってるだけで実は自信がないっていうような本質はあるだろうねって思うと。
難しいですよね。
うん。でも結婚するんだったらこの人だなってのはあったね。だから10年間付き合ってて、お互いにコントロールしないし、なんていうかな、本当にこれ重要なんだけど、いて楽しいっていうプラスよりも、邪魔になんないっていうんですかね。
そう、そう。空気のようというかさ。デートとかはするんです。なんだけど、ま、当時はしてた。いろんなとこ行ってましたね。でも40以降からもう全くノータッチになってしまったけどね。
海外旅行とかも別行動とか?
そう、別ですよね。うん。そうです。
それ30代とかですよね。
へえ。
趣味が違うんで、本当に向こうはほら、ファッションとか全然興味がないし、あの人はほらね、オタクだから電脳市場みたいなああいうマーケットに行きたがるって。夕飯ここなんで、後で会いましょうねっていう話で。
夕飯だけ決めといて。どんな仕事をされる方だったんですか?
私もそうだけど、ブラック企業なとこあるよね。もう生活もなく、あるプロジェクトに捧げてって言って。これ良くも悪くもなんですけど、仕事に対して真摯だ。
仕事人生の人ですよね。
私もその仕事人生のとこあるんで、だから同志というか、言わずとも分かるだろうっていうお互いの尊敬関係はあると思いますよ。私は彼のことはそういう点で尊敬してるし。
今も?
そうですね。今やっぱりすごいですよね。
ええ、どんな方なんですか?
これはだからあんま言えないかな。建築関係で、大手のちょっと地震のスペシャリストだったりする。
え、じゃあ本当に会社員でいらっしゃる?
そうです。誰でも知ってる、すごい超大手の会社に勤めてました。今だから定年退職で、なんか色々やってます。
家事分担とかあったんですか?
ない。ない。
ていうかね、そこはね、言わなきゃいけないかもしれないけど、お互い仕事仕事じゃないですか。もう家とか家庭はいらない人たちだったっていう。そう、いらなかったのよ。で、それもありっていうか、だから下宿生。家に住んでたけど下宿。
2人で?
なんか2人でくつろぐとか、家庭というものがあるじゃないですか。みんなで一緒にご飯を食べて朝ごはんっていう、うちはないんですよ。
勝手に起きて勝手に寝て、帰ってて、あんまり口も利かない時期とかも全然あってよかった、みたいな。だから向こうもそういうの楽だと思います。家庭にどうのこうのってないんですよ。私に対して家庭的な、いわゆる伝統的な、結婚したら妻はやんなきゃいけない役っていうことで怒る人いるじゃないですか。それは全くなかった人ですね。
料理とかはどうする?
勝手にやってるって。で、たまに2人で作ったりしたのを食べるっていう。多分夫婦にルールがあると思うんですけど、まだまだほら女の人の方が昔の伝統を背負ってて、やっぱり家事というか料理は私の方よと思うのよ。そうじゃなくなってるのに、やっぱり手を出しちゃって、そこでやってて不満になるのよ。出さなきゃいいんだよ。
手を出しちゃう。
出しちゃう。そう。手を出しちゃう。きちんとしなきゃと思うんだよね。あ、でも女としてとか思っちゃうね。
そう。でもそれ多分、手を出さなきゃいけない雰囲気があるからだと思って。
違う。私のこれ、ここで重要なところ。それはね、男は出してない。女の方が勝手に作り上げてる。だから自分の感情がコントロールできないんじゃない?私こんなことやってて、ダメな女だよねって思っちゃうんだよ。いいのに。
思っちゃいますね。
思っちゃって、で、作っちゃうんだよ。
思っちゃう。
でも向こうはやんないじゃない。向こうはダメな男と思ってないわけだから。で、それで、あんたは何やってって怒って自爆して、怖い女の人になってくっていうのを私は見てきたな。
ああ。でもほとんどそうじゃないかなと思う。綺麗にしちゃう。掃除とかどうするんですか?
掃除は、気がついた方がやるって言った。
へえ、なんか、もっとお前掃除しろよ、みたいな感じで喧嘩になったりする?
しない。
へえ。
やっぱ仕事が大変な。全部外に向けてるってこと。忙しい。だから、うちはもう本当に体を休める本拠地、そのままにいて大丈夫って。そこを綺麗にするとか、そこを輝かせるようなエネルギーがないんですよ。
だからそれなしにしたっていう話ですよね。それでもいいんです。それでもいいんです。家庭はこうあるべきっていうのは、女の人が発する割には強いよね。
なんか嫌なのにやるよね。
本当にそう。
そう。その感情のサイクルは、人を苦しめるんだったら切った方がいいよね。
誕生日とかどうしてたんですか?
記念日もやんないの、うち。
やんない?え、それは結婚した時、付き合ってても?
やんない。ちょっとやってたかもしんないけど。
誕生日おめでとうとかって、なんかレストラン……
うん。やんない。
へえ。すごい。
やらない。
カップルっぽいことしたなとか……
ない。
すごいなあ。ま、結婚相手っていうよりは人生のパートナーみたいな。
そうですよね。
そういう位置付けだから、そういう人をパートナー、結婚相手に選ぶべきなのかっていうのをすごい聞いて。
難しいのが、仕事って割り切れるんですよ。なんかやったとしても、プロジェクトがあってできたから。で、家庭のことっていくらやったとしても、なんかまだ足りない足りないっていう無限ループになってきますけど。そこでね、無限になってもいいんですよ、その人が楽しければね。
だけど日本の場合どうしてもそこが、ほら、キャラ弁になってくるじゃないですか。あの子のお母さんはあんなにやった、私はまだ足りない、もっとやる、っていうような感じで、女として家庭で求められてる伝統的なものにどんどん行ってしまうような流れに乗っちゃうよね。
なるほど。
そう。怖いっすよね。
そういう意味でも、子供を持たないという選択を湯山さんはあえてやった?
いや全然。できたらいいと思ったんだけど、ま、結果できなかったし。で、それに関して焦らなかったというか、そういった処置を、手段を取る人もいるじゃないですか、不妊治療とか。それは、ま、そういう発想はなかったですね。
じゃあ、できたらできたで幸せだし……
うん。わかんない。幸せかどうかわかんないけど、できたら、ま、それで行くしかないよねっていう。なんとかしたでしょうね。
2人で子供ができた瞬間に、本当に家庭って全く違うものになると思って。子供中心で2人で協力していかなきゃいけないじゃないですか。その時も全然違うと思いますね。
うん。
うん。で、今ね、本当にその協力って今言いましたけども、やっとそういう世の中になったと思う。で、私、30代の時ね、じゃあなんで積極的に子供を持たなくて、それに対して今絶対後悔してないかって言うと、私の時代で、そういう風に言われてましたよ。夫も育児を手伝うとか言ってたんだけども、まだまだ保育園に子供連れてく姿なんてなかったんです。
なるほど。
もうそれ、やっぱり働く女の人っていうのは、自分の好きなことやってるんだったらそれぐらいやって当たり前っていう、そういう言い方があったじゃないですか。もしそれで私が30代でやってたら、私今のキャリアはないと思うよね。
で、30代、やっぱり海外に行ったりとか、どんどん暴れ回ったというかさ、その体験は多分子供がいたらできなかったですね。子供に関して、だから子供が好きかとかさ、愛情とか、ああいうのに関して、好きではないんですね、私。
可愛いと思わないです。そう。ということもあったと思いますね。どうしても欲しいってなったら、そうなると思いますけど。幼稚園の時から、なんで赤ちゃんって可愛いんだろう、みたいな感じだったの。今はね、やっぱり男の人の方が、育児というか子育てについて責任感をすごい持ってるじゃないですか。だとしたらできますよね。で、当時の私たちの時代だったり、うちの夫のオタクぶり見ると、もう絶対やらないことが分かってたよね。
うん。
やるのはやっぱ私だよね、みたいな。
なるほどな。
いい人だからきっとやったと思うんだけど、風潮としては、絶対こっちに来るに決まってるっていうか。良くも悪くも、後悔はないですよね。
どうしたらその後悔のない選択が自分の中でできていくんだろうなっていう。
これもう完全に人生みたいな話なんですけど、過去は変えられないんで、後悔してる時間はもったいないですよね。それよりも先のことを考えた方がいいわけですよ。
過去を考える時間があったら、そんなことよりも、ダメ元でも変な飲み会行ってみたりとかさ、誰に会ってみたいとか、そういう本を読んでみたいとか、そっちに切り替えた方がいいですよ、本当に。
ああ、気を紛らわせ……
そう。過去のことを言って、ああっと思った瞬間、あ、ダメダメダメと思うような思考の癖って、すごい重要ですよ、本当に。変えられねえじゃんって、一言口に出してみたら。変えられねえじゃんよ。
今、やっぱりこのSNS時代になってすごく思うのが、本当にマインドセットとマインドの持ち方、難しくなってますよね。
難しい、本当。友達と長電話します?しないでしょ?
します。私はします。
あ、じゃあよかった、よかった。長電話、私もすごいする方なんですけど、それにどれだけ助けられてるってことか。でも今みんなチャットでやると、やっぱり気持ちは通わないっていうか、分かってもらえないよね。
本当、本当にそうです。今1日の9割で……
そうなんだよね。
1人とも喋らないで終わる1日とかあって、もうストレスでしょうがないんですよ。
あ、それストレスって分かってるだけいいですよ。その後が本当に怖いのが、本当に心を潰していくんで。
うん。うん。
そういう場がない人は、やっぱ作った方がいいですよね。もうそれが分かってるということが結構いいことなので。逆に分かってない人がいたら、ちょっと本当自分からお茶に誘うっていうか、ちょっと今から出てこない?っていうお誘いですよね。
うん。
言われると人って嬉しいので、それいいことしてることになると思うな。あとね、なんで過去のことを思い悩むかというとですね、暇な時間が多いんだよ、実は。
うん。へえ。
そう。そういう暇な時間ってあったら、暇をね、解消する何かをやった方がいい。
何だろう。編み物かな。なんか他のかな。
小人閑居して不善をなす、ってあったじゃない。
なんかありました。
中国の確かなんかで。やっぱり暇だと頭って悪い方向とか、ネガティブ思考になるのが当たり前なんだよね。スポーツです。体を動かすのすごくいいって。
100%言いますよね、みんな。
私タップダンスやってるから、週1だけどね。
でも週1でもなかなか腰が重いというか。
そうそうそうそう。
自分軸で本当に湯山さんが生きてるっていうのがすごい分かって。
いや、実はね、他人軸なんだよな、本当。
他人軸とかありますよ。自分軸を持たなきゃいけないと私でも思います、本当に。
いや、これはね、年になって、私も60代なので、あんまり好き嫌いがないんですよね。だから割と好奇心が強くて、何でもやるっていうことを、打ち返すのが好きなんだけど、もうあんまりやるような体力もなくなるっていうかさ。本当に自分がこれから何となると、案外ね、ない人ですよね。生まれた時から、私と思う。
だけどあんまりそこも気をつけなくていいっていうか、自分が何やった時に自分のパフォーマンスが上がって、みんなもそれを受けてくれるなっていう快感の体験を自分の中で見出して、それに向かっていこうだと思います。
私は割と人が喜ぶことが、自分の中の自信になってきた。ま、仕事してるってそうなんだよ。
喜ぶから仕事してるってことがあって、仕事人間っていうのは割と他人軸の人が多いかもしれないね。
うん。湯山さんの中で、やっぱファッションとかもすごい素敵ですし、音楽もすごい精通されていますし、クリエイティブもそうですし、感性がすごい素晴らしいところなのかなと思うんですけど、そのいい感性が、決断とか後悔のない選択に繋がってるのかなと思っていて。
ファッションっていうのは使えますよね。皆さん共通にっていうか。髪の毛切りません?切った方がいいよって言ったじゃないですか。切ると人の目って変わるんですよ。
そう。大人っぽ……
あ、大人っぽいって言われたいとかって。逆にこの服だから言えることとか、言える態度ってのは、なんか自分の中で違いません?
そういうの面白いですよね。自分実験というかさ、自分と他者に対する実験を重ねていくのって、ファッションってすごい面白いんですよ。
それを磨いていくと、人から感心されるっていうか。それがはまった瞬間っていうのは、あ、この見られ方が多分私の等身大なんだなっていうような感じになってくるんだ、だんだん。
ピタっと。
ま、こう長い長い時間来てますからねっていう。で、それこそ重要なのが、自分に似合うということに、ファッションって必ず立ち会わなきゃいけないじゃないですか。そうじゃない時もいいんですよ。ほら、パンクが好きだったら、もう自分に似合うも関係ないけどバーッとやっちゃうっていう時期もあってもいいけどもね。30代からはちょっと違ってくるね。
そうなってくると、なんか自分発見というか、自分の演出っていうのかな。自分のペルソナ、この社会に出てく時の自分のフレームワークみたいなことを自分でクリエートしてくってのは、楽しいんじゃないかと思いますけどね。
最後になんですけど、30代の女性にメッセージをいただきたくて。
はい。はい。
ではフリップをオープンお願いします。
はい。はい。
苦手の中に天国あり。で、天国で、そのちょっとこれ言葉に今詰まっちゃって、めんどくさいから天国っていうふうにやったんですけど、ま、そんなようなことですね。苦手だと思ってる中に、意外に自分にとってメリットだったりとか、自分の生かしどころがあったりとか。その前で食わず嫌いをやめろって感じですかね。変な職場だった、ちょっと転職して、なんだこれと思ったんだけどっていうんじゃなくて。
いたことで何かのあれになることは、人生わかんないですよ、本当に。
1回やってみるとかもある。
それもある、あるある。うん。本当にダメだったらダメだとか、見切りがつくじゃないですか。
好き嫌いのことすごい皆さん言うよね。あれ嫌いだって、嫌いなバンドって言って。私も嫌いなのを聴くんですよ。で、嫌で本当に嫌って、そこで徹底的な悪口を持って帰ってくるっていう。だから徹底的にそれが分かるというかさ、なんでこのバンドが私をイラつかせるのかってことを完全に自分で掌握して戻るっていう感じですよね。
自分を理解する。
世界を理解する。
ああ、そっか。
世界を理解するって重要で、自分を分かることも世界を理解することなんだけど、もっと世界が面白いので、というようなことで、いろんなとこに手を出してみてもいいかもしれない。昨日の敵は今日の友でもないんですけど、私の知り合いの中で、ある有名な出版社の中で、編集長に抜擢された女性がすごくいい結果を出したんですよ。
で、その彼女を抜擢した人が、その会社の中でも本当嫌われ者で、彼女といつも対立してた専務だったんだけど、専務は対立してたんだけど、チャンスを彼女に与えたんです。
へえ。すごい。
そういうとこが会社ってあるんだよね。やっぱり彼は彼なりに会社を愛してたんだよね。で、次この雑誌をなんかする時には、俺はお前が大嫌いでセンスも嫌いなんだけど、あいつしかないって、だったんですよ。
その選んだ人もすごい。
うん。すごいですよね。いい話ですよ。あんまない話。うん。そう。
だから人は何を見てるかわからない。それもアドバイスになると思うんだけど、真面目になんかやってると、誰かが必ず見てるっていう。でもそれ適当にやって、キャラやってると、やっぱ人はそれも見てるって感じかな。
ありがとうございました。ありがとうございます。ありがとうございました。
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