「本当の自分」を会社で見せなくていい 舟津昌平さんが語るZ世代と年長者の断絶、そして「組織人格」

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概要

「Z世代」とひとくくりにされることで、若者と年長者のあいだに壁ができていないか。新R25編集部の十石泰誠さんは、自身もZ世代の一人として、この問題意識を『Z世代化する社会』の著者で東京大学大学院経済学研究科講師の舟津昌平さんにぶつけた。舟津さんの立場ははっきりしている。断絶の原因は若者の気質ではなく、互いに「本心」を探り合うコミュニケーションにある。職場では「組織人格」を前提に付き合い、分からなければ目の前の相手に直接聞けばよい、というものだ。

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「Z世代」とくくられることへの違和感

対談の前に、編集部内の雑談で問題意識が語られた。Z世代には「挨拶しない」「飲み会に来ない」「出世に興味がない」「安定志向のわりに権利は主張する」といったネガティブなイメージがつきまとう。十石さんは、年長者がこうした色眼鏡で若者を見るせいで、若者の側が仲良くしたいと思っても関係を築けなくなっているのではないかと感じている。

年長者の側から見ても、ハラスメントを気にするあまり、若者と親しくするメリットが薄くなっているのではないか、という指摘も出た。親しくしてセクハラやパワハラだと言われるくらいなら距離を置いたほうがいい、という判断である。ただ、仕事で完全に関わらずにいることはできない。壁がないほうがフラットに仕事を進めやすいし、コミュニケーションも取りやすい。十石さんは「飲み会も行くし、おじさんとも仲良くしたいので、Z世代だと思わないでほしい」と話す。

もう一人の編集部員は、自分たちもZ世代像を発信する側にいると認めつつ、今の若者の価値観は学校教育で「良い」とされてきたものであり、その教育の成果が出ているだけなのに悪く言われるのは納得がいかない、と述べた。

舟津さんの専門と本を書いた経緯

舟津さんは2023年10月から東京大学で教えており、それ以前はずっと関西にいた。専門は経営学のなかの経営組織論で、人が集まって何かをしている「組織」に着目して企業を研究する分野だという。

『Z世代化する社会』(東洋経済新報社)は約2年前に書かれた。舟津さんによれば、本を出してから若者の研究者かと聞かれることがあるが、実際には若者を専門にしているわけではない。大学での授業や、前職で持っていたゼミを通じて若者と接するなかで、自分の常識とまったく違う行動に出会うことが多かった。その疑問を学会で発表したところ、会場にいた編集者から声がかかり、本の執筆につながった。

学生は教員と仲良くしたいのか ゼミ合宿をめぐる二つの反応

十石さんは前職でNHKの記者をしており、社内でも取材先でも40代・50代と仕事をする機会が多かった。飲み会に行って相手の懐に入るスキルを身につけたいと思う一方、「Z世代は飲み会に行きたくないんでしょ、無理に来なくていいよ」と言われてしまうのが悩みだという。

舟津さんはこれに強く共感し、数週間前に大学教員3人で話した内容を紹介した。春休みはゼミ合宿の時期で、そのうち2人が直前まで合宿をしていた。一人は、これまでそういうイメージはなかったが、学生は意外と自分たちと仲良くしたいのかもしれない、という感想を持った。

舟津さんは、こうした発言には必ず「表向きだけ」「勘違いするな」「おじさんが好かれるわけがない」といった反論が出ると言う。それでも舟津さん自身は、この感想はおおむね本当だと考えている。舟津さんのもとにもよく話しかけてくる学生がいて、理由を聞くと「友達に先生みたいなタイプはいないから面白い」と答えた。媚びているのではなく純粋な興味であり、自然な感覚だと舟津さんは受け止めている。

ところが、その教員はもう一方で、合宿では学生とホテルを分けたとも話していた。同じホテルに泊まったから何だという話ではあるが、今の時代はむしろ距離を取っておかないと危なっかしい気がする、というのである。舟津さんはここに、年長者側が「自衛」している姿を見る。

年長者が距離を取るのは「リスク回避」

若者も千差万別で、関わりたくない人もいれば積極的に関わりたい人もいる。年長者には好意的な声と意地悪な声の両方が聞こえてくる。舟津さんは自身の体験を挙げた。授業を受講していた学生で、芸能活動もしている人物が記事を書き、実につまらない授業をする人がいる、そもそも学生が教師に興味を持つわけがない、といった内容を書いた。それは舟津さんのことだった。たった一人の例外かもしれないが、そう書かれると「もうやめようかな」という気持ちになる。

関わりたくない側の声のほうが強く、攻撃性も高い。そのため年長者はリスクを取らなくなる。若者にとってはリスクが小さくても、教員にとっては最悪の場合に職を失うリスクがあると感じられる。舟津さんは、これは過大評価で怖がりすぎだとしながらも、そうした感覚が生まれるのは理解できるという。さらに、若者について学ぼうとする熱心な人ほど、SNSにあふれる意地悪な情報を目にしてしまい、コミュニケーションを控えるようになる。舟津さんは、ボールはまず年長者側にあるとしつつ、その年長者にとって距離を取ることが「最適」になりつつあると見ている。

人は役を演じている ゴフマンとバーナードの「組織人格」

では若者はどう振る舞えばよいのか。舟津さんはまず、社会のなかの人は基本的に「演じている」と説明する。社会学者のゴフマンは、社会を劇のようなものと捉え、人は何かの役割を演じていると論じた。教員は教員の役割を全うするために、わざと怒ってみせたり威厳があるように振る舞ったりする。

若い人にも若い人なりの役がある。舟津さんは、学生には「いろんな人とコミュニケーションできる」と見せる役もあれば、わざと授業を真面目に受けないふりをする役もあるように思うと言う。どちらにしても、それが本心なのかは非常に分かりにくい。

会社では上司と部下という役柄が前提になるため、この傾向はさらに強まる。組織論には、バーナードが提唱した「組織人格」という概念がある。個人の人格とは別に、組織のなかで振る舞う人格がある、という考え方だ。上司が強いリーダーシップを示すために叱るのは、叱りたいからではない。「あの人は叱るのが好きなんでしょう」とすぐに人格攻撃に走る人がいるが、上司は叱るのが仕事だから叱っているのだ、と舟津さんは言う。年齢差や職位の差がある関係では組織人格をまとって振る舞うことになる。舟津さんはそれでよく、変に本心を知ろうとしないほうがいいと考えている。

「飲み会離れ」を裏づけるデータはなかった

舟津さんは職場の飲み会について調べたことがある。「若者の飲み会離れ」とよく言われるが、それを支持するデータは見つからなかった。そもそも昔からそうしたデータをあまり取っていないこともあり、10年前と比べて若者の参加率が下がったと明確に言える資料はなかったという。

舟津さんが最も分かりやすく面白いと感じたのは、日本生命の調査である。職場の飲み会について「良いと思う」「どちらかと言えば良い」「どちらかと言えば良くない」「良くない」の4択で尋ねたもので、年齢層によって良い・悪いの比率はあまり変わらなかった。変わったのは言い切りの割合で、年代が上がるほど「良い」「良くない」と断言する人がきれいに増えていく。舟津さんはこれを、50代・60代になると自信を持って「いる」「いらない」を言えるが、若者は経験も知識もないためどうしたらいいか分からない、と読む。だから若者は、ある意味でリードしてほしいと思っている。全部自分で考えなさいというのは酷であり、「基本的に来てね」「出たほうがいいよ」とはっきり言ってもらうほうがいい面もある、と舟津さんは言う。

本心を探りすぎる「コミュニケーション不全」

飲み会離れがデータとして確認できないと分かったとき、舟津さんは改めて、なぜ直接聞かないのかと不思議に思った。今日飲みに誘おうかと考えるとき、一般的に若者が飲み会を避ける傾向があるかどうかと、目の前のこの人が来るかどうかは、ほとんど関係がない。それなら余計な情報を入れずに聞けばいい。「うちは飲み会をやるし好きだから来てね」でもいいし、「本当にどちらでもいいから来たかったら来て」でもいい。それがコミュニケーションだというのが舟津さんの考えである。

ところが「本当は」「本心は」と言い出すと、とたんに分からなくなる。誘ったら来たけれど本当は行きたくなかった、嫌々来ていた、と言われても「知らんがな」という話だ、と舟津さんは言う。人はそうしたミスを繰り返しながらコミュニケーションを積み重ねていくものだが、今はミスを許さない傾向があり、そうなると人は関わらなくなる。しかも、絶対に分からないはずの本心を探り合う関係になってしまう。若者が本当はこうしたいのに満たされない原因は、このコミュニケーション不全にあるのではないか、と舟津さんは述べた。

十石さんは、自分が飲み会に行きたい理由にも、行ったほうが気に入られるのではないかという思いが含まれていると認めた。若者もおじさん世代も「実際のところはどうなのか」と探りを入れ、先入観が強すぎるのが今の時代の特徴ではないか、と問いかけた。

「剥き出しの人間」を求めるフィクション

舟津さんは、職場の人間関係は仕事の関係なのだから、心からつながっている必要はないと言う。仕事上得をしそうだから、仲良くしたほうがよさそうだから、という感覚で付き合うのはおかしくない。ところが最近は、組織人格を剥がして個人の人格で向き合わなければならない、人間の生々しく柔らかいところを出し合わなければ真の理解ではない、という感覚が広がっている。十石さんも「めっちゃありますね」と応じた。

舟津さんは、ある種の正しさや規範を推し進めた結果、逆にこうしたフィクションが生まれたと見る。就職面接では仕事と関係のなさそうなことばかり聞かれ、その人がどんな人間かを剥がして剥がして知ろうとする。本来知りたいのは仕事ができるかどうかのはずである。1on1でも、部下の内面を知っておかなければ上司失格だという高いハードルが課されている。だが、そんなことを部下が話すわけがないし、それでいい。組織人格でつながり、互いにストレスがなければ十分なはずなのに、起こりえないことを会社に求めてしまっているのではないか、と舟津さんは指摘した。

脱権力の教育と「権力の転倒」

十石さんは、出世や飲み会に興味がないといったZ世代像は、自分たちが小・中・高で受けてきた教育によって培われた価値観ではないかと尋ねた。

舟津さんは、自分の感覚としつつ、学術的にもそれほど外れていないと思うとして、平成以降の教育、あるいは社会全体で「脱権力」が大きく進んだと説明する。女性より男性、年少より年長、平社員より役職者のほうが権力を持つ。権力とは有無を言わせず言うことを聞かせる力であり、おじさん上司は大きな権力を持っていた。それが悪い形で表れ、女性が下に見られたり、パワハラにあたる行為が横行したりしたことは、非常に良くなかった。

一方で舟津さんは、脱権力をどこまで進めても、人は何かにすがるしかない部分があると言う。生身の部分で接し合わなければ本当のコミュニケーションではない、という考えが出てくるのは、すべての権力をなくそうとしているからだという。年齢、性別、学歴、能力差による権力をそれぞれなくしていく。ひとつひとつは妥当で、皆の暮らしを良くするためのものに見えるが、では何を信じればいいのか、という問題が残る。結局は好き嫌いが基準になり、権力の転倒が起きる。

舟津さんは、今は若者のほうが権力を持っている場面がたくさんあり、はっきり言えば教育現場はそうなっていると述べた。若者側が生殺与奪を握っているような状況である。小中学校の話を聞くと、先生はがんじがらめで、もう権力などほとんどないのにまだ締め上げるのか、という印象を受けるという。舟津さんの持論では、若者が10年前と違う部分があるとすれば、それは周りが変わったからだ。若者は脱権力の教育のなかで「そういうものは信じてはいけない、偽物だ」と教えられ、結局何を信じていいか分からない戸惑いのなかにいる、と舟津さんは見ている。

学校と会社のギャップ 変わらないのは業績のいい企業

十石さんは、教職課程を取って教育実習に行き、講師として4年働いた経験を振り返った。自分たちの世代は過渡期にあたり、小学校の頃はまだ先生に叩かれる生徒もいたが、今では絶対に許されない。脱権力の教育を受けて社会に出ると、大企業などでは年功序列で役職者が偉いままで、学校で教わったことと社会の現実が違うというギャップに戸惑ったという。

舟津さんはこれを非常に重要な指摘だと受け止めた。フラットでハラスメントがなく旧態依然でない状態は、すべての企業に当てはまるわけではない。企業への聞き取りを重ねるうちに舟津さんが確信に近づいたのは、終身雇用や年功序列がいまだに残っているのは業績のいい企業だということである。業績のいい企業は何も変えていない。就活ランキングで常に上位に入る超人気企業の人は、うちはかなり旧態依然で、女性管理職を増やすといったことはどうでもいいと思っている人たちの集まりだ、と話していたという。

舟津さんによれば、それは会社がうまくいっているからだ。儲かっていて社会的地位も揺らがなければ、何もしなくても優秀な人が入ってくる。会社は慈善事業ではないので、儲かっていれば変える必要を感じない。長年そのやり方を続けてきた人にとって、変えることはストレスでもコストでもある。こうした理屈で、学校で「社会は良くなった」と教わった若者が、会社でまったく違う現実を見せられることは確かにあるだろう、と舟津さんは述べた。

さらに舟津さんは、最も権力が生まれやすく、実際に一番埋まっていないのは会社と個人の関係だと言う。基本的に会社のほうが圧倒的に強い。ただ、「嫌ならやめたら」「やめたらもっといいところが見つかる」という今の流れも一方にある。かつては2〜3年で辞める人は問題のある人と見なされたかもしれないが、それが珍しくなくなり、皆に受け入れられれば、弱い側が「じゃあ別のところに行きます」と言えるようになる。舟津さんは、流動性が高まることで対等な関係に近づき、部分的には問題が解消されるのではないかと見ている。

「最近の若者はすぐ正解を求める」は60年前にもあった

十石さんは、「今の若者は」という言い方は江戸時代からあったのではないか、おじさんの口癖くらいに思っていると前置きしたうえで、世代間の溝をなくすために若者はどうすればいいかと尋ねた。

舟津さんが紹介したのは、「最近の若者はすぐ正解を求める」というフレーズの由来である。ある人の協力を得て、その初出ではないかと思われる文献を見つけた。書いたのは東大の先生で、テレビの司会もしていた有名な人らしい。1960年代の論文で、東大教養学部の学生がそうしたことを言っていて愕然とした、と書かれていた。舟津さんは、つまり令和の後期高齢者はすでに若い頃に正解を求めていたのだと言う。60年近く前に同じことが言われていたのなら、今の若者が特別にそうなったわけではないかもしれない。

舟津さんが面白いと感じたのは、その先生が正解を求めてはいけない理由として、なぜ教授が正解を知っていると思うのか、と述べていた点である。この人は正解を知っているから偉い、と見なすことは権威化にほかならない。今ならインフルエンサーを信じ込み、その通りにしようとする「信者」がそれにあたる。当の先生は50〜60年前に、教授が偉いと思っていたら失敗する、正解は自分で見つけなさい、と説いていたわけだ。舟津さんは、若者に特定の偏見を持つのは人間の習性なのかもしれず、若者はあることないことを言われながら暮らさざるを得ない、と述べた。

若者像を演じる人が「本当の若者」を見えにくくする

舟津さんが問題視するのは、その若者像を演じることで得をする人がいる点だ。例えば、若者は環境意識が高いとか、倫理的な消費を好むといった傾向は、消費行動と絡めて見ても特にないとされ、エビデンスに乏しい。それでも、そうしたことを売りにして若者代表のように振る舞う人がいる。根拠のないフィクションの像でも、それを演じて代表を名乗る人が世に出ることで信憑性が生まれ、本当の若者、目の前の人がどうなのかが余計に分からなくなる。それが断絶になっている、と舟津さんは言う。

十石さんも、世間の若者像と違う動きをする同世代が「こいつは違う」と見られて得をする傾向はあると感じるという。Z世代的な価値観から良い意味で逸脱した若者のほうが出世するように見えるのは、すごく嫌だがあると思う、と語った。

提案は「聞けばええやん」

こうした状況に対する舟津さんの提案は、シンプルで「そんなことか」と思われるかもしれないと前置きしつつ、「聞けばええやん」である。目の前の人とコミュニケーションをとればよく、不要な知識を頭に入れておく必要はない。離職率を調べても、目の前の人が1年後に辞める確率は分からない。「予兆のない転職」や「部下が突然辞める」が騒がれているが、そもそも元から分からなかったはずだ、と舟津さんは言う。目の前の人が得体の知れない存在に見えるから変な勘繰りをしてしまうだけで、そのまま向き合えばいい。しかもそれは組織人格を通して、仕事の関係、職場の関係であることを意識して付き合う。それだけでだいぶ楽になるのではないか、というのが舟津さんの考えだ。

十石さんは、若者は上司に「今日飲みに行きませんか」とフラットに聞き、おじさん世代は「今日行くけどどう?」と声をかければいい、行く・行かないは人それぞれだが、そもそもそうしたやりとりをしていない人が圧倒的に多いのではないか、とまとめた。舟津さんは、ノイズが入りすぎていて、熱心な人ほどノイズを入れて分からなくなると応じた。自分の本を読んで面白い、ためになると思ってもらえたとしても、いったん忘れて目の前の人を見てほしい、それが一番まっとうな道だと思うし、この動画や本をそういう踏ん切りをつけるきっかけにしてほしい、と語った。

叱られることを人格と結びつけない

最後に舟津さんは、自分らしくいるため、そして自分を守るために大事なこととして「人格と結びつけない」ことを挙げた。授業中に騒いでいる学生がいれば、強めに「うるさいですよ」と怒ることもある。すると、とんでもないことをしてしまった、自分は人格的に劣っているのではないか、というくらいのショックを受けて怯える学生がたまにいる。怒られ慣れていないからだ。しかし舟津さんからすれば、うるさいから怒っているだけで、その人の人格はむしろどうでもいい。今は黙るのがルールなら黙ってほしい、ということにすぎない。

舟津さんは仕事も同じだと言う。上司は人格を見ているのではなく、明日までや来週までにやってほしいから仕事を与え、それをやったかどうかで見る。分からなければ聞けばいい。そこに人格は関係ないし、関係ないと思ってやってほしい、と語った。

可愛がられつつ自分らしくいるためには、思ったことをそのまま言うこと、忖度や裏読みをしないことが大切だという。舟津さんは特に裏読みを危険視する。若者もしがちなやり方で、自分は相手をハックしている、うまく取り入っているから大丈夫だと打算的に付き合うのは不健康で、しかもそれほどうまくいかないので大して意味がない。思ったことをそのままぶつけたほうがかえって分かりやすく、間違っていれば適正に怒られ、合っていれば適正に可愛がってもらえる。ただし、相手が組織人格で接していることは理解しておく必要がある。

十石さんは、自分が最初に撮影した動画のテーマが「叱られたくない」だったことを振り返った。学校では先生が強く怒れば問題視される環境で育ち、きつく言われ慣れていないため、強く言われると自分自身を否定されたように感じていたのだと思う、と話した。舟津さんは、教室がうるさいから注意する、遅刻した部下を叱る、達成すべきことができていないと指摘するのは、相手を嫌っているからでも陥れようとしているからでもなく、仕事上そう言うべきだから言っているだけだと重ねた。そのルールのもとで皆がやっていると理解すれば、経験がなくても分かるはずであり、叱られることや失敗も受け止めやすくなるのではないか、と舟津さんは述べた。

十石さんは、そう言ってくれる上司は役割をきちんと全うしている上司だと受け止めればいいと応じた。ありのままの自分をさらけ出してだらしなくするのではなく、組織人格としての自分を持ちつつ、自分の意思をはっきり相手に伝える。そうした心構えでいれば、同じように悩むZ世代の悩みも生じにくくなるのではないか、と語って対談を締めくくった。