「本当の自分」を会社で見せなくていい 舟津昌平さんが語るZ世代と年長者の断絶、そして「組織人格」
新R25チャンネル「Z世代」とひとくくりにされることで、若者と年長者のあいだに壁ができていないか。新R25編集部の十石泰誠さんは、自身もZ世代の一人として、この問題意識を『Z世代化する社会』の著者で東京大学大学院経済学研究科講師の舟津昌平さんにぶつけた。舟津さんの立場ははっきりしている。断絶の原因は若者の気質ではなく、互いに「本心」を探り合うコミュニケーションにある。職場では「組織人格」を前提に付き合い、分からなければ目の前の相手に直接聞けばよい、というものだ。
「Z世代」とくくられることへの違和感
対談の前に、編集部内の雑談で問題意識が語られた。Z世代には「挨拶しない」「飲み会に来ない」「出世に興味がない」「安定志向のわりに権利は主張する」といったネガティブなイメージがつきまとう。十石さんは、年長者がこうした色眼鏡で若者を見るせいで、若者の側が仲良くしたいと思っても関係を築けなくなっているのではないかと感じている。
年長者の側から見ても、ハラスメントを気にするあまり、若者と親しくするメリットが薄くなっているのではないか、という指摘も出た。親しくしてセクハラやパワハラだと言われるくらいなら距離を置いたほうがいい、という判断である。ただ、仕事で完全に関わらずにいることはできない。壁がないほうがフラットに仕事を進めやすいし、コミュニケーションも取りやすい。十石さんは「飲み会も行くし、おじさんとも仲良くしたいので、Z世代だと思わないでほしい」と話す。
もう一人の編集部員は、自分たちもZ世代像を発信する側にいると認めつつ、今の若者の価値観は学校教育で「良い」とされてきたものであり、その教育の成果が出ているだけなのに悪く言われるのは納得がいかない、と述べた。
舟津さんの専門と本を書いた経緯
舟津さんは2023年10月から東京大学で教えており、それ以前はずっと関西にいた。専門は経営学のなかの経営組織論で、人が集まって何かをしている「組織」に着目して企業を研究する分野だという。
『Z世代化する社会』(東洋経済新報社)は約2年前に書かれた。舟津さんによれば、本を出してから若者の研究者かと聞かれることがあるが、実際には若者を専門にしているわけではない。大学での授業や、前職で持っていたゼミを通じて若者と接するなかで、自分の常識とまったく違う行動に出会うことが多かった。その疑問を学会で発表したところ、会場にいた編集者から声がかかり、本の執筆につながった。
学生は教員と仲良くしたいのか ゼミ合宿をめぐる二つの反応
十石さんは前職でNHKの記者をしており、社内でも取材先でも40代・50代と仕事をする機会が多かった。飲み会に行って相手の懐に入るスキルを身につけたいと思う一方、「Z世代は飲み会に行きたくないんでしょ、無理に来なくていいよ」と言われてしまうのが悩みだという。
舟津さんはこれに強く共感し、数週間前に大学教員3人で話した内容を紹介した。春休みはゼミ合宿の時期で、そのうち2人が直前まで合宿をしていた。一人は、これまでそういうイメージはなかったが、学生は意外と自分たちと仲良くしたいのかもしれない、という感想を持った。
舟津さんは、こうした発言には必ず「表向きだけ」「勘違いするな」「おじさんが好かれるわけがない」といった反論が出ると言う。それでも舟津さん自身は、この感想はおおむね本当だと考えている。舟津さんのもとにもよく話しかけてくる学生がいて、理由を聞くと「友達に先生みたいなタイプはいないから面白い」と答えた。媚びているのではなく純粋な興味であり、自然な感覚だと舟津さんは受け止めている。
ところが、その教員はもう一方で、合宿では学生とホテルを分けたとも話していた。同じホテルに泊まったから何だという話ではあるが、今の時代はむしろ距離を取っておかないと危なっかしい気がする、というのである。舟津さんはここに、年長者側が「自衛」している姿を見る。
年長者が距離を取るのは「リスク回避」
若者も千差万別で、関わりたくない人もいれば積極的に関わりたい人もいる。年長者には好意的な声と意地悪な声の両方が聞こえてくる。舟津さんは自身の体験を挙げた。授業を受講していた学生で、芸能活動もしている人物が記事を書き、実につまらない授業をする人がいる、そもそも学生が教師に興味を持つわけがない、といった内容を書いた。それは舟津さんのことだった。たった一人の例外かもしれないが、そう書かれると「もうやめようかな」という気持ちになる。
関わりたくない側の声のほうが強く、攻撃性も高い。そのため年長者はリスクを取らなくなる。若者にとってはリスクが小さくても、教員にとっては最悪の場合に職を失うリスクがあると感じられる。舟津さんは、これは過大評価で怖がりすぎだとしながらも、そうした感覚が生まれるのは理解できるという。さらに、若者について学ぼうとする熱心な人ほど、SNSにあふれる意地悪な情報を目にしてしまい、コミュニケーションを控えるようになる。舟津さんは、ボールはまず年長者側にあるとしつつ、その年長者にとって距離を取ることが「最適」になりつつあると見ている。
人は役を演じている ゴフマンとバーナードの「組織人格」
では若者はどう振る舞えばよいのか。舟津さんはまず、社会のなかの人は基本的に「演じている」と説明する。社会学者のゴフマンは、社会を劇のようなものと捉え、人は何かの役割を演じていると論じた。教員は教員の役割を全うするために、わざと怒ってみせたり威厳があるように振る舞ったりする。
若い人にも若い人なりの役がある。舟津さんは、学生には「いろんな人とコミュニケーションできる」と見せる役もあれば、わざと授業を真面目に受けないふりをする役もあるように思うと言う。どちらにしても、それが本心なのかは非常に分かりにくい。
会社では上司と部下という役柄が前提になるため、この傾向はさらに強まる。組織論には、バーナードが提唱した「組織人格」という概念がある。個人の人格とは別に、組織のなかで振る舞う人格がある、という考え方だ。上司が強いリーダーシップを示すために叱るのは、叱りたいからではない。「あの人は叱るのが好きなんでしょう」とすぐに人格攻撃に走る人がいるが、上司は叱るのが仕事だから叱っているのだ、と舟津さんは言う。年齢差や職位の差がある関係では組織人格をまとって振る舞うことになる。舟津さんはそれでよく、変に本心を知ろうとしないほうがいいと考えている。
「飲み会離れ」を裏づけるデータはなかった
舟津さんは職場の飲み会について調べたことがある。「若者の飲み会離れ」とよく言われるが、それを支持するデータは見つからなかった。そもそも昔からそうしたデータをあまり取っていないこともあり、10年前と比べて若者の参加率が下がったと明確に言える資料はなかったという。
舟津さんが最も分かりやすく面白いと感じたのは、日本生命の調査である。職場の飲み会について「良いと思う」「どちらかと言えば良い」「どちらかと言えば良くない」「良くない」の4択で尋ねたもので、年齢層によって良い・悪いの比率はあまり変わらなかった。変わったのは言い切りの割合で、年代が上がるほど「良い」「良くない」と断言する人がきれいに増えていく。舟津さんはこれを、50代・60代になると自信を持って「いる」「いらない」を言えるが、若者は経験も知識もないためどうしたらいいか分からない、と読む。だから若者は、ある意味でリードしてほしいと思っている。全部自分で考えなさいというのは酷であり、「基本的に来てね」「出たほうがいいよ」とはっきり言ってもらうほうがいい面もある、と舟津さんは言う。
本心を探りすぎる「コミュニケーション不全」
飲み会離れがデータとして確認できないと分かったとき、舟津さんは改めて、なぜ直接聞かないのかと不思議に思った。今日飲みに誘おうかと考えるとき、一般的に若者が飲み会を避ける傾向があるかどうかと、目の前のこの人が来るかどうかは、ほとんど関係がない。それなら余計な情報を入れずに聞けばいい。「うちは飲み会をやるし好きだから来てね」でもいいし、「本当にどちらでもいいから来たかったら来て」でもいい。それがコミュニケーションだというのが舟津さんの考えである。
ところが「本当は」「本心は」と言い出すと、とたんに分からなくなる。誘ったら来たけれど本当は行きたくなかった、嫌々来ていた、と言われても「知らんがな」という話だ、と舟津さんは言う。人はそうしたミスを繰り返しながらコミュニケーションを積み重ねていくものだが、今はミスを許さない傾向があり、そうなると人は関わらなくなる。しかも、絶対に分からないはずの本心を探り合う関係になってしまう。若者が本当はこうしたいのに満たされない原因は、このコミュニケーション不全にあるのではないか、と舟津さんは述べた。
十石さんは、自分が飲み会に行きたい理由にも、行ったほうが気に入られるのではないかという思いが含まれていると認めた。若者もおじさん世代も「実際のところはどうなのか」と探りを入れ、先入観が強すぎるのが今の時代の特徴ではないか、と問いかけた。
「剥き出しの人間」を求めるフィクション
舟津さんは、職場の人間関係は仕事の関係なのだから、心からつながっている必要はないと言う。仕事上得をしそうだから、仲良くしたほうがよさそうだから、という感覚で付き合うのはおかしくない。ところが最近は、組織人格を剥がして個人の人格で向き合わなければならない、人間の生々しく柔らかいところを出し合わなければ真の理解ではない、という感覚が広がっている。十石さんも「めっちゃありますね」と応じた。
舟津さんは、ある種の正しさや規範を推し進めた結果、逆にこうしたフィクションが生まれたと見る。就職面接では仕事と関係のなさそうなことばかり聞かれ、その人がどんな人間かを剥がして剥がして知ろうとする。本来知りたいのは仕事ができるかどうかのはずである。1on1でも、部下の内面を知っておかなければ上司失格だという高いハードルが課されている。だが、そんなことを部下が話すわけがないし、それでいい。組織人格でつながり、互いにストレスがなければ十分なはずなのに、起こりえないことを会社に求めてしまっているのではないか、と舟津さんは指摘した。
脱権力の教育と「権力の転倒」
十石さんは、出世や飲み会に興味がないといったZ世代像は、自分たちが小・中・高で受けてきた教育によって培われた価値観ではないかと尋ねた。
舟津さんは、自分の感覚としつつ、学術的にもそれほど外れていないと思うとして、平成以降の教育、あるいは社会全体で「脱権力」が大きく進んだと説明する。女性より男性、年少より年長、平社員より役職者のほうが権力を持つ。権力とは有無を言わせず言うことを聞かせる力であり、おじさん上司は大きな権力を持っていた。それが悪い形で表れ、女性が下に見られたり、パワハラにあたる行為が横行したりしたことは、非常に良くなかった。
一方で舟津さんは、脱権力をどこまで進めても、人は何かにすがるしかない部分があると言う。生身の部分で接し合わなければ本当のコミュニケーションではない、という考えが出てくるのは、すべての権力をなくそうとしているからだという。年齢、性別、学歴、能力差による権力をそれぞれなくしていく。ひとつひとつは妥当で、皆の暮らしを良くするためのものに見えるが、では何を信じればいいのか、という問題が残る。結局は好き嫌いが基準になり、権力の転倒が起きる。
舟津さんは、今は若者のほうが権力を持っている場面がたくさんあり、はっきり言えば教育現場はそうなっていると述べた。若者側が生殺与奪を握っているような状況である。小中学校の話を聞くと、先生はがんじがらめで、もう権力などほとんどないのにまだ締め上げるのか、という印象を受けるという。舟津さんの持論では、若者が10年前と違う部分があるとすれば、それは周りが変わったからだ。若者は脱権力の教育のなかで「そういうものは信じてはいけない、偽物だ」と教えられ、結局何を信じていいか分からない戸惑いのなかにいる、と舟津さんは見ている。
学校と会社のギャップ 変わらないのは業績のいい企業
十石さんは、教職課程を取って教育実習に行き、講師として4年働いた経験を振り返った。自分たちの世代は過渡期にあたり、小学校の頃はまだ先生に叩かれる生徒もいたが、今では絶対に許されない。脱権力の教育を受けて社会に出ると、大企業などでは年功序列で役職者が偉いままで、学校で教わったことと社会の現実が違うというギャップに戸惑ったという。
舟津さんはこれを非常に重要な指摘だと受け止めた。フラットでハラスメントがなく旧態依然でない状態は、すべての企業に当てはまるわけではない。企業への聞き取りを重ねるうちに舟津さんが確信に近づいたのは、終身雇用や年功序列がいまだに残っているのは業績のいい企業だということである。業績のいい企業は何も変えていない。就活ランキングで常に上位に入る超人気企業の人は、うちはかなり旧態依然で、女性管理職を増やすといったことはどうでもいいと思っている人たちの集まりだ、と話していたという。
舟津さんによれば、それは会社がうまくいっているからだ。儲かっていて社会的地位も揺らがなければ、何もしなくても優秀な人が入ってくる。会社は慈善事業ではないので、儲かっていれば変える必要を感じない。長年そのやり方を続けてきた人にとって、変えることはストレスでもコストでもある。こうした理屈で、学校で「社会は良くなった」と教わった若者が、会社でまったく違う現実を見せられることは確かにあるだろう、と舟津さんは述べた。
さらに舟津さんは、最も権力が生まれやすく、実際に一番埋まっていないのは会社と個人の関係だと言う。基本的に会社のほうが圧倒的に強い。ただ、「嫌ならやめたら」「やめたらもっといいところが見つかる」という今の流れも一方にある。かつては2〜3年で辞める人は問題のある人と見なされたかもしれないが、それが珍しくなくなり、皆に受け入れられれば、弱い側が「じゃあ別のところに行きます」と言えるようになる。舟津さんは、流動性が高まることで対等な関係に近づき、部分的には問題が解消されるのではないかと見ている。
「最近の若者はすぐ正解を求める」は60年前にもあった
十石さんは、「今の若者は」という言い方は江戸時代からあったのではないか、おじさんの口癖くらいに思っていると前置きしたうえで、世代間の溝をなくすために若者はどうすればいいかと尋ねた。
舟津さんが紹介したのは、「最近の若者はすぐ正解を求める」というフレーズの由来である。ある人の協力を得て、その初出ではないかと思われる文献を見つけた。書いたのは東大の先生で、テレビの司会もしていた有名な人らしい。1960年代の論文で、東大教養学部の学生がそうしたことを言っていて愕然とした、と書かれていた。舟津さんは、つまり令和の後期高齢者はすでに若い頃に正解を求めていたのだと言う。60年近く前に同じことが言われていたのなら、今の若者が特別にそうなったわけではないかもしれない。
舟津さんが面白いと感じたのは、その先生が正解を求めてはいけない理由として、なぜ教授が正解を知っていると思うのか、と述べていた点である。この人は正解を知っているから偉い、と見なすことは権威化にほかならない。今ならインフルエンサーを信じ込み、その通りにしようとする「信者」がそれにあたる。当の先生は50〜60年前に、教授が偉いと思っていたら失敗する、正解は自分で見つけなさい、と説いていたわけだ。舟津さんは、若者に特定の偏見を持つのは人間の習性なのかもしれず、若者はあることないことを言われながら暮らさざるを得ない、と述べた。
若者像を演じる人が「本当の若者」を見えにくくする
舟津さんが問題視するのは、その若者像を演じることで得をする人がいる点だ。例えば、若者は環境意識が高いとか、倫理的な消費を好むといった傾向は、消費行動と絡めて見ても特にないとされ、エビデンスに乏しい。それでも、そうしたことを売りにして若者代表のように振る舞う人がいる。根拠のないフィクションの像でも、それを演じて代表を名乗る人が世に出ることで信憑性が生まれ、本当の若者、目の前の人がどうなのかが余計に分からなくなる。それが断絶になっている、と舟津さんは言う。
十石さんも、世間の若者像と違う動きをする同世代が「こいつは違う」と見られて得をする傾向はあると感じるという。Z世代的な価値観から良い意味で逸脱した若者のほうが出世するように見えるのは、すごく嫌だがあると思う、と語った。
提案は「聞けばええやん」
こうした状況に対する舟津さんの提案は、シンプルで「そんなことか」と思われるかもしれないと前置きしつつ、「聞けばええやん」である。目の前の人とコミュニケーションをとればよく、不要な知識を頭に入れておく必要はない。離職率を調べても、目の前の人が1年後に辞める確率は分からない。「予兆のない転職」や「部下が突然辞める」が騒がれているが、そもそも元から分からなかったはずだ、と舟津さんは言う。目の前の人が得体の知れない存在に見えるから変な勘繰りをしてしまうだけで、そのまま向き合えばいい。しかもそれは組織人格を通して、仕事の関係、職場の関係であることを意識して付き合う。それだけでだいぶ楽になるのではないか、というのが舟津さんの考えだ。
十石さんは、若者は上司に「今日飲みに行きませんか」とフラットに聞き、おじさん世代は「今日行くけどどう?」と声をかければいい、行く・行かないは人それぞれだが、そもそもそうしたやりとりをしていない人が圧倒的に多いのではないか、とまとめた。舟津さんは、ノイズが入りすぎていて、熱心な人ほどノイズを入れて分からなくなると応じた。自分の本を読んで面白い、ためになると思ってもらえたとしても、いったん忘れて目の前の人を見てほしい、それが一番まっとうな道だと思うし、この動画や本をそういう踏ん切りをつけるきっかけにしてほしい、と語った。
叱られることを人格と結びつけない
最後に舟津さんは、自分らしくいるため、そして自分を守るために大事なこととして「人格と結びつけない」ことを挙げた。授業中に騒いでいる学生がいれば、強めに「うるさいですよ」と怒ることもある。すると、とんでもないことをしてしまった、自分は人格的に劣っているのではないか、というくらいのショックを受けて怯える学生がたまにいる。怒られ慣れていないからだ。しかし舟津さんからすれば、うるさいから怒っているだけで、その人の人格はむしろどうでもいい。今は黙るのがルールなら黙ってほしい、ということにすぎない。
舟津さんは仕事も同じだと言う。上司は人格を見ているのではなく、明日までや来週までにやってほしいから仕事を与え、それをやったかどうかで見る。分からなければ聞けばいい。そこに人格は関係ないし、関係ないと思ってやってほしい、と語った。
可愛がられつつ自分らしくいるためには、思ったことをそのまま言うこと、忖度や裏読みをしないことが大切だという。舟津さんは特に裏読みを危険視する。若者もしがちなやり方で、自分は相手をハックしている、うまく取り入っているから大丈夫だと打算的に付き合うのは不健康で、しかもそれほどうまくいかないので大して意味がない。思ったことをそのままぶつけたほうがかえって分かりやすく、間違っていれば適正に怒られ、合っていれば適正に可愛がってもらえる。ただし、相手が組織人格で接していることは理解しておく必要がある。
十石さんは、自分が最初に撮影した動画のテーマが「叱られたくない」だったことを振り返った。学校では先生が強く怒れば問題視される環境で育ち、きつく言われ慣れていないため、強く言われると自分自身を否定されたように感じていたのだと思う、と話した。舟津さんは、教室がうるさいから注意する、遅刻した部下を叱る、達成すべきことができていないと指摘するのは、相手を嫌っているからでも陥れようとしているからでもなく、仕事上そう言うべきだから言っているだけだと重ねた。そのルールのもとで皆がやっていると理解すれば、経験がなくても分かるはずであり、叱られることや失敗も受け止めやすくなるのではないか、と舟津さんは述べた。
十石さんは、そう言ってくれる上司は役割をきちんと全うしている上司だと受け止めればいいと応じた。ありのままの自分をさらけ出してだらしなくするのではなく、組織人格としての自分を持ちつつ、自分の意思をはっきり相手に伝える。そうした心構えでいれば、同じように悩むZ世代の悩みも生じにくくなるのではないか、と語って対談を締めくくった。
Z世代っていうことについてなんですけど、我々のことですか?そう。もうちょうど僕ら世代。はい。感じるのが、Z世代と言えばネガティブなイメージ持たれてるじゃないですか。うん。挨拶しないとか。そう。飲み会に来ないとか、働かないとか、出世に興味ないみたいになっちゃうね。そう。なんか安定志向の割に権利を主張するみたいな。はいはいはい。色々あるじゃないですか。
で、こういうZ世代っていう色メガネをかけておじさん世代に見られるせいで、こっちがおじさん世代と仲良くしたいなと思っても、Z世代って言われるせいでできなくなってんじゃないかっていう。ああ、世代にそういうラベリングをされちゃうせいで一括りにされちゃって、ちゃんと見てもらえないみたいな。そう。まあ、分かるな。
いろんなところでおじさん世代とZ世代の断絶というか、壁がより強く今の時代あるんじゃないかな。あるんでしょうね。ハラスメントとか気にしちゃってみたいなのが、そこまで言ってもあると思いますね。向こうからしても多分若手と仲良くするメリットがそんなにないってなってる。あ、そうかも。うん。だから仲良くしてセクハラだ、パワハラだって言われるぐらいなら、踏み込みすぎちゃって。そう、もうじゃあいいですみたいな。うわあ。でもそれはそう思うんだろうな。
仕事する時もじゃあ分かった、やってくださいみたいな、上司は上司でやるんだみたいな。完全に別れてるなら接することもないからいいかもしれないけど、そんなわけないじゃないですか。まあ、そんなわけないですね。そう。仕事とかも絶対壁がない方がフラットに対等に進めやすくなるし、コミュニケーションも取りやすくなるし。どうしても壁を作られて、そういう場がないと、仲良くなろうってこっち側が思ってたとしてもそれができないし、だからどうしたらいいのかなっていう。
Z世代でいる自分が嫌っていう風に最近思ってきたんですよ。Z世代って言われたくない。ああ、そう。一括りにしないで欲しいなっていう。飲み会も行きます、おじさんとも仲良くしたいですって思ってるんで、Z世代って思わないでくださいっていうのはすごい思ってる。なるほど。ごめんなさいって感じです。Z世代ってこういう人ですみたいなことを発信しちゃってるから。いや、そうそう。我々がね、そうやってる側ですけど。
だから俺も弊害結構あって、別に僕飲み会好きだし。好きっていうか行くし、別に頑張って働いてる時とかもあるし。だけど、自分でブランディングしてるから全然いいんですけど、そう思われちゃいますよね、どうしてもね。そうですよね。でもそれをあえてやってる人もいるじゃないですか。中には僕は飲み会も行きません、興味ありませんみたいなのを全面に出してる人。それはそれでいいと思うんですよ。むしろ多分そういう人はコンプライアンスがちゃんとしてる今だったら生きやすいというか。そうですね。
そもそもなんでこんなにもZ世代に対するネガティブなイメージがあるのかっていうのは、まず1つ気になる。うん。あまりにも今のZ世代が悪く言われすぎてる感じするんで。まあまあまあ。でもゆとり世代とかも相当やられたんじゃないですか。まあね。そういう教育してたのはお前らだろうっていう風に。いや、そうそう。お前らの問題だろうって思うこともあるんだよな、正直。そうなんすよ。なりたくてなってるわけじゃない。
今のZ世代的な価値観がいいっていう風に言われる教育をずっと受けてきて、社会に出てるわけですから。そうそうそう。むしろその教育の成果が出てるっていう。そうですよ。それで悪く言われるのはね、気に食わないっていう話ですね。なるほど。はい。
ということで今回は『Z世代化する社会』の著者であります舟津昌平さんにお越しいただきました。本日はよろしくお願いいたします。よろしくお願いします。
で、私の方からご紹介させていただこうと思うんですけども、東京大学大学院の経済学研究科の講師をされてらっしゃるっていうことだと思うんですけど、いつぐらいから東京大学の方で教えられてるんですか?そうですね、私は23年の10月から東京大学で教えておりまして、それまで実はずっと関西だったので、それで初めて東京に来て、今ちょうど2年半ぐらいが経つっていう感じですかね。
あ、なるほど。奈良県のご出身ということで、僕も地元が大阪で、高校が奈良の方に通ってたんで、ちょっと地元が近いなっていうことで、親近感が勝手ながら湧いてるんですけども。ご専門は経営組織のご専門っていうことで、ごめんなさい、私あんま詳しくなくてあれなんですけど、どういう研究内容になるんですかね?
そうですね。まず経営学っていう大きな括りがあって、私は所属は経済学研究科、経済学なんですけども、その傘の中で経営学をやってる。で、経営学って要するに企業の動向であるとか、企業がどうやって成長できるかとか、利益を出せるかとか、そういう興味で企業を見る。で、その中でも組織、人が集まって何かしてるっていうところに着眼して研究するっていうのが経営組織論になりますね。なるほど。
ありがとうございます。今回冒頭にもご紹介させていただいたんですけども、東洋経済新報社から出ています、この『Z世代化する社会』という本ですね。こちら書かれたのは2年前っていうお話でしたけど、どういうきっかけというか経緯で書かれた本になるんですか?
実はですね、この本を出させていただくと、若者の研究してるんですかって聞かれることもあってですね。でも実は最初申した通り組織論をやってたので、特に若者ってわけじゃないんですけども、職業柄普段すごく若者と接するわけですね。主に授業だったり、前職だとゼミを持ってたので、そこでの関わりもあったりして、そうするとやっぱり世代間ギャップじゃないですけど、なんでこの人たちはこういうことするのかなとか、自分の常識と全然違うなってことが結構あったりして。
で、それを学会で発表したら、ちょうど編集者の方がそっちにいらっしゃって、ぜひ出さないかって言っていただいて、それでこういう本を書くことになったっていう経緯ですね。普段の大学の授業とかではちょうど僕ぐらいの年代の方を教えてらっしゃるわけですので。あ、そうです。そうなると思います。
じゃあ、そういう方と接してる中で、今のZ世代的な価値観に触れて、ちょっと疑問というか違和感を覚えられたっていうところが起点となって、本の執筆に繋がったっていうことですね。あ、そうです。まさにこの『Z世代化する社会』の中で生きているこの我々Z世代なんですけど、こちら側にもZ世代側にもちょっと悩みというかモヤモヤを抱えてる部分があるので、今日はぜひともご専門の舟津さんに、色々と悩み相談に乗っていただけたらと思いますので、よろしくお願いいたします。よろしくお願いします。
今のZ世代ってこういう考えだよねみたいな、そういうネガティブなイメージが一人歩きしてしまって、色メガネで見られてしまうというか。私個人としては本当におじさん世代と仲良くしたいなっていう風に思ってるんですね。というのも、元々前職でNHKで記者をしていて、会社組織の中でもおじさん、40代、50代の方と一緒に仕事する機会が多かったりですとか、取材先にもおじさん世代が多いっていうのもあってですね、本当は仲良くしたいし、僕自身も飲み会に行くのは別に嫌いなわけじゃないんで、飲み会に行って色々とコミュニケーション取って懐に入れるような、スキルみたいなのを身につけたいなっていう風に思う一方で、でも今のZ世代って飲み会行きたくないんでしょ、無理に来なくてもいいよみたいな感じで言われてしまって、どうしたらいいんだろうみたいな悩みがあってですね。
なるほど。これはまずすごく共感するというか、ちょうど同じような話を先々週ぐらいにしてたことがあって。何かというと、いわゆる同業者、大学の先生同士で喋ってる時に、今って時期的には春休みなので、ゼミ合宿とかしてるとこ多いんですよね。で、ちょうど3人で喋ってた時に、お2人はゼミ合宿をちょうどこの前までしてたんですよと。で、お1人が、今までそういうイメージなかったけど、意外と学生は我々と仲良くしたいのかもしれないねという感じを受けたと。
で、これは結構後々の回答にもなるんですけど、例えばこういうことを言ったら今絶対に反論が出てくるじゃないですか。それは表向き言ってるだけだとか、勘違いしないでとか、おじさんが好かれるわけないでしょうとか。はい。確かに。なるほど。そういう言い方されちゃうわけですね。
でも、僕はそれは割と本当だと思ってて、いろんな意味で興味を示すというか、少なくとも何か喋ってみて面白いと思えるとか、そういうことってあるんじゃないかなと。私も経験上、すごく喋ってきてくれる子がいて、なんでそんな喋んのってストレートに聞いてみたら、やっぱり友達とかにいないからタイプとして。当たり前と言えば当たり前ですけど、先生みたいな人っていないから面白いなとか思うって言ってて。でもそれは自然な感覚というか、全然おかしくもないし、媚びてるわけでもなければ、割と純粋な興味で話しかけてくれてるんだなと。つまり割と純粋にコミュニケーションもっと取っていいと思ってるんじゃないかっていう説。
で、もう1つがですね。それはおおむね同意しつつも、でも実は自分はゼミ合宿で学生とホテル分けたんですよと。なんか嫌じゃないですか、みたいな話をしてて。今時、この時代ちょっと距離をむしろ取っとかないと危なっかしい気がすると。ああ。そのセクハラ、パワハラ的な。例えばそういうことですね。もちろん同じホテルに泊まってるからなんだっていう話ではあるんですけど、それ自体もう分けないとちょっと嫌な気がするってその方おっしゃって。
でもこれはまさに、まず年長者側も自衛してしまってるんですよね。なるほど。つまり、もちろん若者も千差万別で、そんなんできるだけ関わりたくないわっていう子もいれば、積極的に関わっていきたいっていう人もいる。で、そういう中で好意的な声と意地悪な声の両方が聞こえてくるわけですよ。
教員をしてても、例えばですね、これは実際私の体験として、私の授業を受講してるっていう学生がnoteでですね、実はその芸能活動とかされてる方なんですけど、記事を書いてて。東大の授業ってこういう授業だみたいな。で、実につまらん授業する人がいると。私のことです。そもそも学生が教師に興味なんか持つわけないんだから滑稽であるみたいな感じで書かれるわけですね。
たった1人の例外かもしれないけど、そう書かれたら、あ、じゃあもうやめようかなってなるじゃないですか。当然声ってたくさんあって、関わりたい人と関わりたくない人がいる中で、今関わりたくない人の声が強かったり、攻撃性が高いので、そうすると年長者側からすればやっぱりリスク取らないですよね。そこでわざわざ若者と話す意味がないというか、それだったらもうこっちから抑えといて適度な距離を取った方が安全である。
それこそ若者からすればそんなにリスクってないかもしれないけども、教員からすればそれこそ最悪職を失うリスクがあると思っている。これは多分すごく過大に評価しすぎて怖がりすぎてるんですけども、そういう感覚を持つと。あるいはそれこそ嫌じゃないですか、嬉しがって自分が好かれてると思うの恥ずかしくない?みたいな。こういう意地悪なことがSNSとかで溢れてるんで、もういい加減やめた方がいいと思うんですけども。はい。確かに。
でもやっぱりそういうのを目にしたりして、これポイントは、ちゃんと若者のことを学ぼうとか、若者のことを知ろうっていう人ほどそういう情報が入っちゃいますよね。そういうものを目にしてしまうとやっぱり回避する、コミュニケーションを抑えるようになる。まずやっぱり問題というか、いわゆるボールは年長者側にあって、でも年長者側はやっぱりそこでかなり距離取るっていうのが最適になりつつあるんですよね。こう、それならもう関わらないのが1番マシだよねっていう風にはなってるような気がしますね。
なるほど。とはいえ、若者がそんな壁を作らないでよって言ったとしても、いやでもちょっと、若者と接するとこっちもリスクだからみたいな感じで言われちゃうと、多分いつまで経っても仲良くなれないというか、関係性を持つことができないと思うんですけど、これって僕ら的にはどういう風な振る舞いをしたら1番ベストになるんですかね。
若干この本でも書いてるんですけど、まず社会の中で振る舞う人々って基本的に演技すると思うんですよ。これ有名な方だと社会学のゴッフマンっていう人が、まさに演劇、社会って劇みたいなもので何かの役割を演じてると。例えば先生って先生の役割を演じないといけない部分があるわけですね。それはわざとちょっと怒ってみたり、わざと威厳があるように振る舞ってみたり。それは先生としての役割を全うするためにそう振る舞う。
で、これポイントは、若い人も若い人なりの役がやっぱりあるわけですね。例えば学生。ややこしいのは、自分はいかにもいろんな人とコミュニケーションできますよって見せるっていう像もあれば、あるいは嫌がって見せるっていう役割もある気がするんですよ。わざと自分は授業なんて真面目に受けませんよみたいに振る舞ってみるみたいな話ですね。なので、それが本心なのかどうかっていうのがやっぱりすごく分かりにくい。
会社の中の前提で話すと、会社って余計にそういうものができるわけですよね。役柄が、上司と部下っていう役柄が前提としてあると。例えばそれこそ組織論だと組織人格っていう概念があって、これはバーナードっていう組織論だと昔から非常に有名な方が提唱してる話で、個人の人格があるのと、組織の中で振る舞う組織の人格があって、これは別だっておっしゃるんですよね。
これはよく分かるのは、例えば上司だとある程度管理のために、強いリーダーシップを示すために叱ったりとか。でもこれって別に叱りたいから叱ってるわけじゃない。本当にたまにそういう意地悪な話で、あの人は叱るのが好きなんでしょうとかいう人いるじゃないですか。すぐに人格攻撃に走る。いや、違うから。上司は叱るのが仕事だから。なるほど。そう振る舞うのであって、叱りたくて叱ってるわけじゃないですよ。
つまり何を言ってるかというと、年の差があると必然的に、職に差があるっていうケースでは組織人格をまとって振る舞わないといけなくなる。僕はそれはそれでいいと思うんですよ。つまり変に本心とかを知ろうとしない。
例えばですね、私は職場の飲み会について結構調べてて。よく飲み会離れって言うじゃないですか。最近の若者は飲み会行かないとか。私気になって調べたら、根本的にそういうデータを昔からあんまり取ってないっていうのもあるんですけど、それを支持できるようなデータってなかったんですね。ああ、本当にないですね。例えば10年前と比べて今の若者は飲み会への参加率が下がってるとか、明確に言えるもんてなかった。
1番分かりやすくて面白かったのが、日本生命さんが職場の飲み会をどう思いますかみたいな感じで、いいと思う、どちらかと言えばいい、どちらかと言えば悪い、良くないと思うって世代別にさせると、あんまり年齢層で良い悪いの比率って変わらないんですよ。へえ。面白いのが、いいと悪いの方が言い切りじゃないですか。で、どちらかと言えばが曖昧な回答だとしたら、年代が上がるにつれてすごい綺麗に言い切りの方が増えるんですよ。つまりもう50、60になったら割と自信を持っている、いらないって言えるってことですね。なるほど。
ところが若者って必然的に経験もないし、知識もないからどうしたらいいか分からないじゃないですか。だからある意味リードもして欲しいわけですよね。自分で全部考えなさいっていうのもある意味酷というか。じゃあ基本的に来てねとか、出た方がいいよってはっきり言ってもらった方がいいっていう。あ、そうですね。そうそうそう。ある種の需要もある。でもそれは当たり前ですよ。年の差があるんだから経験の差がある。だけどそれを本心はどうだってことをみんな探しすぎてる。
もう1つはですね、飲み会離れっていうのがデータとしてはなさそうだっていうのが分かった時に、僕改めて不思議になったのが、なんで聞かないんだろうなと思ったんですよ。つまり聞いていいじゃないですか、そんな。例えばここが同じ職場だとして、今日飲みに誘うかなと思った時に、一般的なデータとして飲み会を避ける傾向があるかどうかと、この人が来るかどうかってそんなに関係してないと思いません?そうですね。個人に委ねられるという可能性は当然ありますもんね。
そうなんですよ。そしたらそんな情報を頭に入れずに聞いたらいいじゃないですか。聞いたらええやんと思って。飲み会はうちはやるし好きだし来てねと。あるいは、いやもう本当にどっちでもいいから、来たかったら来てよと。ぐらいの感じでもあるわけだから。で、それこそコミュニケーションですよね。
ところがそれをさっき言った、本当はとか本心はとか言い出すと、途端に分からなくなるわけですよ。誘ったら来たのに本当は行きたくなかったとか、嫌々来ていたとか。知らんがなって話じゃないですか。でもそういうミスを繰り返しながらコミュニケーションを積み重ねていくわけですけども、あんまりそういうミスを許さないっていう傾向もあるような気がしていて。なるほど。
そこでミスを許さないと、やっぱりそういうコミュニケーションをもう取らなくなってきますよね。しかも絶対に分からないはずの本心を探り合うような関係ができてしまう。そういうコミュニケーション不全によって、今おっしゃったような、若者は本当はこうしたいのにっていうのが満たされなくなっていくと。原因は多分そういうところにあるんじゃないかなと思いますね。
なるほど。ドラマツルギーというか、僕ら自身が演技をしてる。これは多分おじさん、若い人に関わらずだと思うんですけど、確かにそう言われてみると、飲み会に行きたいと思ってる理由って、僕らとしても行った方が気に入られるんじゃないかみたいな、本心としてやっぱりそういう思いが多分ある。少なくとも僕はあるんですよね。行かないよりは行った方がいいんじゃないかっていうような考え方をしてて、今の若い人たちも多分そう思ってる人多いんじゃないかなって。それに対して、若い世代も40、50代のおじさん世代も、いやでも実際のところはとか、本当はどうなのみたいな、そういう探りを入れるというか、先入観がありすぎるのが今の時代の特徴っていうような感じなんですかね。
そうなんですよね。例えばそれこそ職場にいる上司部下とか、同僚、先輩後輩って仕事の関係じゃないですか。別に心から繋がってる必要ないじゃないですか。それなら仕事上得しそうだからとか、絶対仲良くなった方がいいよなとか、そういう感覚で付き合うって別におかしくないと思うんですけど、なんか昨今は、さっき言った組織人格ってすごい剥がして個人の人格で向き合わないとダメだとか、本当の人間の生々しいところ、柔らかいところをもっと出さないと、それを分からないと真の理解ではないみたいな感覚ってないですか?めっちゃありますね。
それは多分分析ができうると思うんですけど、まさにある種の正しさみたいなものとか規範っていうのを進めていった結果、そういうフィクションが、逆にフィクションですよね。別に仕事できたらいいんだから。就職の面接とかでも、あんまり仕事と関係なさそうなことばっかり聞かれるって結構あるじゃないですか。この人がどんな人間かを色々剥がして剥がして知ろうとするんだけど、別に知りたいのは仕事できるかどうかだから。そういう当然のところを聞きたいはずなのに、剥き出しの人間を知らないといけない、それを見せ合わないといけない。
例えば1on1みたいな場所では、部下のそういうところを知っておかないと上司失格だみたいな、すごく高いハードルを課せられてて。そんなん喋るわけないじゃないですか。でもそれでいいんですよね。組織人格で仕事で繋がってるんだから、そういう感覚を保って、互いにそんなストレスがなければそれでいいはずなのに、本当の気持ちを知り合ってないと真の関係ではないみたいな、逆にフィクション、逆に起こりえないようなことを会社とかでも求めてしまってるっていうのが、結構我々の社会には今起きてるんじゃないかなって思いますね。
だからこそある程度の割り切りというかを、僕ら若い世代もやっぱり持たないといけなくて。さっき舟津さんがおっしゃってた組織人格というか、当然おじさん世代にもおじさん世代ならではの立ち振る舞いっていうのはあると思うので、それをしっかりとこっち側が理解した上で、仕事の関係で接するっていうことがある程度必要になってくるっていうようなことですよね。
さっき言ってたZ世代的な価値観というかイメージ像として、出世に興味がなかったりとか、飲み会に興味がなかったりみたいな、今のそういう若者像って、僕らZ世代からすると、なりたくてなってるわけじゃ決してないというか。それって僕らが学生時代、小中高で受けてきた教育の中で培われた価値観じゃないかっていう風に、僕ら当事者としてはすごく感じるんですけども、やっぱりそれが原因で生まれてる価値観なのかっていったところをちょっとお伺いしたいんですけど。
あえてこういう説明ができるなっていう話をすれば、僕の感覚で、かつ学術的にもそんなに外れてないと思うんですけど、大きく平成以降であるとかの教育、というか社会全体的に、脱権力っていうのがすごく進んだと思うんですよね。あ、脱権力。はい。つまりおじさん上司って権力があるんですよ。女性より男性、年少より年長、平より役職持ちっていう方が権力がある。で、権力っていうのは要するに有無を言わせず言うことを聞かせる力なわけですよね。だからおじさん上司ってすごい権力を持ってたわけですね。
で、それがすごく良くないケースで出た場合もあると。例えばそれこそ女性がすごく下に見られるとか、いわゆるパワハラに当たるようなものが横行している。それはすごく良くない。でも結局脱権力をどこまで進めても、我々何かにすがるしかない部分ってあるわけじゃないですか。例えば、なんでさっき言った生身の部分で接し合わないと本当のコミュニケーションでないって言い出してるかって言うと、多分それは全ての権力をなくそうとしてるからですね。なるほど。
それはすごく雑に言えば、リベラルって呼ばれるような考え方に代表されると思うんですけど、年齢による権力はおかしいからなくします。性別による権力があるのはおかしいからなくします。例えば学歴による権力があるのはおかしいからなくします。能力差による権力があるのはおかしいからなくしますと。それは1つ1つは妥当なものというか、みんなの暮らしが良くなるためにやってるように見えるんだけど、じゃあ何を信じるのって話になってくるじゃないですか。確かに。
じゃあ結局好き嫌いとか、あるいはそれこそ権力の転倒が起きるわけですね。つまり今実際若者の方が権力を持ってるって言える場面たくさんあると思うんですよ。例えば、はっきり言ってしまうと教育現場って多分そうなっている。ああ、確かに。罰とかもね。あ、そうですそうです。例えば若者側がいわゆる生殺与奪を握っているような状況とか。本当に小中学校とかの話を聞いてても、すごいかわいそうだなと思いますね。へえ。すごい雁字搦めになってて、もう先生が持ってる権力はかなりもうないじゃないかって思うような。もうないのに、まだ締め上げんのみたいな感じを受けてはいて。
で、私の持論ですけども、何か若者が例えば10年前と違う部分があるとしたら、それはやっぱり周りが変わったからであって。やっぱりみんな真っさらじゃないですか。(周りが若者の価値観)だったり考え方を作っていくとしたら、それは周りが変わったんですよね。つまりその世代の方からすれば、そういう教育を受けて、脱権力して、結局そういうのは何も信じちゃいけないよと、そういうのは偽物だよと、紛い物だよと。でも結局何を信じていいか分かんないから、戸惑いの中でやらざるを得なくなってる。本当にそうですね。何を信じたらいいのかなっていう感じじゃないですかね。
そうですね。権力があるとある程度の秩序が保たれるというか。僕も教職を大学時代取ってて、教育実習に行ったりとか、講師として4年働いてた経験もあるんですけど、結構感じたのは、僕ら世代って多分ちょうど転換期というか、小学校ぐらいとかだったら、ギリギリ先生に叩かれてる生徒とかも中にはいたんですけど、もう今絶対そんなこと許されないじゃないですか。
するとこれまで学生時代とかは、そういう脱権力っていう教育を受けてきた。だけどいざ社会人になって、でもあんまりそういうのが変わってない場面ってやっぱりあるんですよね。大手企業とかだとやっぱり年功序列で役職持ちの人が偉くて、それって学校で教えてもらったことと社会に出て知ったことが全然違うなっていう、乖離というかギャップもあったんですよ。そこで結構戸惑いを感じてるなっていうことが僕自身もあって。
ああ、それめっちゃ分かりますね。それはものすごく重要なご指摘だと思いますね。私の知る限りですけど、さっき言ったフラットになってるとか、ハラスメントといったものがないとか、旧態依然でないっていうのは、別に全ての企業でそうではなくて。僕が企業の方に聞き取りとかしてると結構確信めいてきたのは、終身雇用とか年功序列が未だに残ってる企業ってどんな企業かって言うと、これもすごく結論ははっきりしてて、業績のいい企業なんですよ。ああ、なるほど。つまり業績いい企業は何も変えてないんですね。
例えばいわゆる就活ランキングとかで常に上位に来るような超人気企業の方と話してたら、正直うちの会社はすごい男尊女卑だよと。例えば女性管理職増やすとか、もうどうでもいいと正直思ってる人たちの集まりだよっておっしゃってたんですよね。でもそれはうまくいってるからなんですよ。なるほど。結局儲かってさえすれば、しかも社会的な地位が何も揺らいでないから。つまりそんなこと気にしなくても自分たちの会社にいくらでも人が入ってくるし、優秀な人が来るし、その人たちをちゃんと働かせたら自分たちは業績を上げられるんだから、変える必要がいらない。
そうしたらやっぱり残るんですよね。そこって本当にある意味打算的というか、現実的、現金なもんですよね。なるほど。会社側としても慈善事業でやってるわけじゃないんだから、自分たちがうまくやってたら、要するに分かりやすく儲かってたら、別に変えなくていいと思うわけだから。だから未だにそれは残るだろうし、それをずっと続けた人にとってみては、それを変えることってすごくストレスだったりコストだったりするので。若者からすれば、社会は良くなった、もう社会はこうなってますっていう学校から、突然全然違う現実を見せられるってことは、確かに会社の中であるんだろうなとは思いますね。今言ったような理屈でそうなってると。
やっぱり最も権力が生まれやすいし、実際のところ1番埋まってないのは、きっと会社と個人の関係ですよね。基本的にこれは会社の方が絶対的に強いわけですよね。それこそ、例えば嫌ならやめたらって話ですよね、多分今の世の中の流れ的には。じゃあ嫌ならやめたらいいじゃないと。やめたらもっといいとこ見つかるよと。多分同じじゃないかなと思うんですけど。
そうそう。だからかつては、例えば2、3年でやめるような人は、なんか問題のある人だとか、それは避けるべき特性だっていう風に思われてたかもしれないけど、それが珍しくなくなれば、皆さんの感覚として受容されれば、まあ別にいいんじゃないと。つまりそれはある意味で弱い側が強くなってるというか、じゃあやめますよと、私別のとこ行きますよと。それはある意味バランスが取れてる、そういう対等な関係になれる。それは多分流動性が高まるってことだと思うんですけども、そうなると確かにそういうところは部分的には解消されるんじゃないかなと思いますね。
色々Z世代的な価値観っていうのがどういうものなのかっていうのが、僕自身も見えてきたなっていう風に思うんですけども、僕ら若いZ世代と40代、50代の管理職世代というか、おじさん世代の分断っていうとあれですけど、今どきの若者は、みたいなのって多分僕らも言われてると思うんですけど、これって多分江戸時代とかも言われてたのかなっていう風に思うんですよね。それがおじさんの口癖だぐらいに僕は思ってるんですけど、そう言われないようにというか、若者とおじさん世代にある分断や溝をなるべくなくせるように、僕らってどうしたらいいのかなっていうところをお伺いしたいんですけど。
なるほど。1つ面白いかなと思う話をすると、最近の若者はすぐ正解を求めるっていうフレーズ聞いたことないですか?めっちゃありますね。ありますよね。これ僕、とある方に協力いただいて教えていただいて、多分これが初出じゃないかっていう文献を見つけたんですよ。おお。で、それは実は東大の先生で、テレビの司会とかもしてた有名な方らしいんですけど、その方が論文の中で、この前東大の教養学部の学生がそういうこと言ってて愕然としたみたいなことを書かれてるんですよ。1960年代とかですね。つまり令和の後期高齢者ですね。なるほど。令和の後期高齢者はすでに若い時に正解を求めてたんですね。
そうか。もう60年前。そうですよね、ざっくり。50、60年前にすでにそういうことがあったって考えたら、別に今の若者が特別にそうなったわけじゃないかもしれないし、そもそも正解を求めるって何だと。で、すごい面白いのが、その先生がなんで正解を求めたらダメだって言ったかと言うと、なんで教授が正解を知ってると思ってんの?と。なるほど。
そうですよ。さっき権力とか権威って言い方をしましたけど、この人は正解を知ってるから偉いんだって見なすことって、すごく実は権威化してるわけですよ。例えば今だとインフルエンサーとかですごく信用されてて、この人の通りに全部しようと思ってるとか、まさに信者になってるような人たちって、それを権威化してるわけですよね。でもさすがだなと思ったのは、その東大の先生は50年前、60年前に、教授が偉いとか思ってたら君らは失敗するよと。正解は自分で見つけなさいよって言ってるわけですね。
そういう意味では、若者に対する特定の偏見を持つっていうのは本当にそういう習性なのかもしれなくて、常にあったりなかったりすることが言われながら、若者って暮らさざるを得ない。で、困るのは、それを逆に演じることによって得する人もいる。例えばですけども、環境意識が高いっていう傾向が若者に特に強いかって言うと、特に消費行動とかと絡めてもないんですよ。若者の方が倫理的な消費をしてるとか好むっていうのは、これもやっぱりちょっとエビデンスに乏しいのだけども、そういうことを売りにして、いかにも自分は若者代表ですみたいな人っているじゃないですか。はい。確かに。
つまり、実はこれが難しいのは、本当は全然根拠のないフィクション的な像かもしれなくても、実際にそれを演じて自分が代表だって言って世の中に出てくる人がいることで、本当になっちゃうわけですね。信憑性が生まれてしまう。なるほど。それによって余計に、本当の若者って何とか、目の前の人がどうなのかって分からなくなっちゃうと。で、それが多分分断になってるんですよね。
なるほど。今の若者はどうだ、今の若者はこうだって言われるのはもうある程度若者の宿命というか、それは多分時代が繰り返されてるだけだと思うんであれですけど、それによって今の若者像と違う動きをする同世代って、確かにちょっと得をするというか、こいつはちょっと違うなみたいな風に見られる。それも色メガネっちゃ色メガネかもしれないですけど、そういう傾向はあるなというか、Z世代的な価値観からいい意味で逸脱した若者の方がちょっと出世するというか、そういうのはすごい嫌ですけど、ある気はしますね。そうなんですよ。確かに。
で、そういう状況がすごくややこしくしてる中で、私の提案はすごくシンプル、かつそんなことかって思われるかもしれないですけども、やっぱりもう聞けばええやんですよ。ああ、なるほど。目の前の人とコミュニケーションしましょうと。あんまりそんな不要な知識を頭に入れとく必要ないですよって僕は思いますね。
これは実際そうで、例えば離職率を調べたところで、目の前の人が1年後に辞める確率なんて分からないわけですよ。はい。もちろん。だからそれこそ予兆のない転職とか、突然部下がやめるとか言って騒がれてますけど、そんなの元々分からなかったと思うんですよ。いかにも目の前の人が得体の知れない人のように見えちゃうから、そういう変な勘繰りをしてしまうだけで、目の前の人にそのまま向き合ってみたらいいんじゃないかと思うんですね。しかもそれは組織人格を通してですね。なるほど。仕事の関係、職場の関係ってことを意識して付き合う。それだけでだいぶ楽になるんじゃないかなと思うんですよね。
確かに。だから聞く時も、本心を探ろうとはせずに、あくまで仕事の関係の仲間だっていう風に割り切った上で、例えば僕ら若者側からすると、上司とかに今日ちょっと飲み会行きませんかみたいな感じでフラットに聞いて。で、おじさん世代からすると、僕ら若者に今日行くけどどう?みたいな。それで行きます、行きませんは多分個人によって違うと思うんですけど、そもそもそういうコミュニケーションを今の時代取ってない人がもう圧倒的に多いのかなっていうのは聞いてて思いまして。だからこそ、そういうZ世代像みたいなのが、なんとなくのイメージで出来上がっちゃってるのかなっていう。
いや、おっしゃる通りで、やっぱりノイズが入りすぎてる。しかも熱心な人ほどノイズを入れちゃうので余計に分からなくなるんですけども、目の前の人を見てくれたらいいと思いますし。だから私の本を読んでいただいても、面白いなとかためになるなって仮に思っていただいたとしても、1回忘れて目の前の人を見ていただいたら、それが僕は1番真っ当な道だと思います。逆にそういう踏ん切りをつけるために、この動画であるとか本を読んでいただけたらいいなと思いますね。はい。なるほど。
1つ、自分らしくあるというか、本当の意味で自分を守ってもらうためにやってほしいことは、やっぱり人格と結びつけないってすごく大事だと思うんですよ。僕、授業中騒いでる人とかいたら、ちょっと強めに怒ることもあるんですよ。うるさいですよと。そうしたらすごく怯える子がたまにいるんですよね。自分はとんでもないことをしてしまったと。自分は人格的に劣ってるんじゃないかというくらいのショックを多分受けてるんですよ。怒られ慣れてないから。
でもじゃあ僕にしてみたら、そのうるさいから怒るだけであって、あなたの人格とかむしろどうでもいいよと。今は黙るのがルールなら黙れよと。これ多分仕事も同じなんですよ。あなたの人格を問うてるわけじゃなくて、これを明日までとか来週までにやってほしいから仕事を与える。それをやってるかどうかで見る。わかんなかったら聞く。そこに人格は関係ないはずだし、ないと思ってやってほしいですね。
はい。うん。
それは無関係であると。可愛がられつつ自分らしくいるためには、思ったことをそのまま言うですね。
あ、もう正直に。
そうです。そうです。忖度とか裏読みをしない。特に裏読みするってのは僕すごく危険だと思いますね。若者もしがちで、すごく怖いコミュニケーションだと思います。
はい。
不真面目な。でも結局、自分はいかにも相手をハックしてて、相手をはめてると、もう完全に自分ははまってるから大丈夫だみたいに打算的に付き合っちゃうことって、すごく不健康というか。
あ、確かに。
多分大して意味ないんですよ。そんなにうまくいかないから。それだったら思ったことをそのままぶつけてみた方が、かえって分かりやすいかもしれなくて。それが間違ってたら適正に怒られるだろうし、合ってたら適正に可愛がってもらえると思うので。そういうイメージで、忖度とか裏読みをできるけどしない。でもそれは組織人格だってことは理解しておく、ということですかね。
なるほど。僕、一番最初に撮影した動画で、そのテーマが叱られたくないみたいなテーマでやったんですよ。で、それも今の話を聞いてすごいわかったなと思ったのが、やっぱり僕ら自身も怒られ慣れてないというか。多分学校現場でも、先生が生徒に強く怒ったらそれはちょっと体罰だっていうような、きつく言われ慣れてないから、ちょっと強く言われると、それが自分自身を否定されたかのように映ってしまう。多分僕もそれがあったので、叱られたくないっていう風に思ってたと思うんですけど。そこまで思い悩む必要なく、あくまで相手が事実を正直に言ってくれただけだぐらいに受け止めて、こうすることが、心身健康にいられるポイントなのかなって今そう思ったんですけど。
はい。そうなんですよ。本当に、教室がうるさいから注意すること、遅刻した部下を叱ること。本来ここまでに達成すべきなのにできてないことっていうのは、別に裏読みとかなくて、あなたのことが嫌いだからとか、はめてやろうってことじゃなくて、いや、別にそれは仕事上そう言うべきだから言ってるだけですから。ということを理解してもらえると、逆に失敗を許容しやすくなるんじゃないかなと。そういうルールのもとで我々やってるわけですから。それは全然分かるはずなんですよ、経験がなくても。そういう気持ちでやっていただくと、叱られることとかも許容しやすくなるのかなっていう気はしますね。
なるほど。そういう点で言うと、やっぱりそういう風に言ってくれる上司の方が、役割をちゃんと全うしてくれてる上司なんだなっていう、ぐらいの感じなんですよね。割と多分そういうのに思い悩んでる僕らZ世代も多いと思うので、今の話が刺さる人多いんじゃないかなっていう風に僕自身も思いましたし、これからはありのままの自分を正直にさらけ出すというか、それは自分らしさを出すっていうよりかは、組織人格としての自分を持ちつつ、自分の意思決定を相手にはっきりと伝えるっていうような心構えでいると、こういう悩みとかも発生しないのかなって、お話を聞いて思いました。はい。『Z世代化する社会』の著者であります、東京大学大学院経済学研究科の講師、舟津昌平さんに色々とお話をお伺いしてきました。とても勉強になりました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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