「うなずきの亀」はどう生まれたか――亀田誠治が語る、聞く力・母の褒め言葉・選ばれなかった時代

YouTubeで開く ↗
概要

椎名林檎、スピッツ、いきものがかり、GLAYなどのプロデュースやアレンジを手がけてきた音楽プロデューサーの亀田誠治は、業界で「亀ちゃん」と呼ばれて親しまれている。新R25のインタビューで、聞き手のおうみゆかは、実力者でありながら人に好かれ、選ばれ続けてきた理由を尋ねた。亀田が挙げた答えは、特別なテクニックではなかった。相手の話を聞き、自分の気持ちに誠実でいて、ネガティブな出来事の見方を変える。こうした習慣がどこから来たのかを、亀田は失敗談や家族の話、芽が出なかった時代の経験を通して説明した。

21分で読めます

60分のうち58分はうなずいている

コミュニケーションで大切にしていることを聞かれ、亀田はまず「相手の話をよく聞く」と答えた。コミュニケーションというと、気の利いた言葉を返さなければならないという使命感や責任感を持ちがちだが、そこには向かわず、とにかく「ふむふむ」「うんうん」とうなずいて聞く。自身を「うなずきの亀」と呼ぶほどで、そもそも人の話を聞くのが好きで面白いのだという。

亀田によると、そうしているとアーティストのほうがいろいろなことを話してくれる。聞き手が亀田を「空気清浄機のような存在」と表現したのを受けて、亀田は、自分がうまく吸い取っているのか、「亀田さんになら喋ってもいいかも」と思ってもらえるのかもしれないと話した。たくさん言葉を出すうちに、アーティストの中で今やりたいことや自分の気持ちの位置が整理され、飲みに行ったわけでもないのに「すっきりした」という状態になる。

亀田自身はその会話から、アーティストが今何を作りたいのかというヒントを得る。さらに、どんなエンジニアやミュージシャン、どんなスタジオで臨むかといったチームの「スケッチ」も、話を聞くうちに見えてくる。本当に60分のうち58分うなずいていることもあり、最後の2分で「じゃあこうやって」と方向を示すこともあるという。

亀田は、自分が「1分で済むことを10分かけて喋るタイプ」だとも言う。自分があれもこれも言いたい人間だから、誰かと何かを始めるときは、相手にも言いたいことがたくさんあるだろうし、逆に言いたくないこともあるだろうと想像できる。相手がいろいろ話してくれると、その距離感も見えてくる。だから、コミュニケーションではまず相手の話をよく聞くことが第一だと亀田は語った。

「俺が、俺が」から、ニュートラルな存在へ

聞く姿勢は最初から身についていたわけではない。若い頃は自分の考えを聞いてもらいたいという「俺が、俺が」という気持ちが膨らみ、それが表に出ていたと亀田は振り返る。それ自体は問題ではないが、自分から出しているだけでは広がらないと、ある時気づいたという。

亀田は最初から、プレイヤーとアレンジャー、プロデューサーを並行する形でキャリアを始めた。そのため、自分が描いた作品の設計図どおりに進めたいという気持ちが強く、20代の前半から中盤まではそうだったのではないかと話す。しかし現場には多くの人がいて、上から被せてくる人もいる。その中では自分がニュートラルな空気感の存在になったほうが、結局はみんなと一緒に前に進めると気づいたのだという。

25歳頃の大失敗――人の意見を「伝書鳩」として伝えた日

亀田は、聞く力とは少し違う話として、自分がどう感じているかを正直に伝えなければならないと学んだ「大失敗」を明かした。

あるテレビ番組で、亀田は下っ端のアレンジャーとして参加していた。オーケストラが亀田の書いた譜面を演奏し、そこに歌手が乗る構成だった。演奏を聴いて「素敵だな」と思っていたところ、ディレクターの立場にある先輩から「嬉しそうな顔してるけど、バイオリンの音程が悪いから、音程が悪いって言ってこい」と命じられた。亀田自身は音程が悪いとはまったく思っていなかったが、上の人が言うなら伝えなければと思い、演奏者側に伝えた。すると指揮者から「どこがずれているのか」と聞かれ、答えられなかった。

自分ではいいと思っていたのに、言いなりになって人の意見を伝えてしまった。亀田はそのとき胸が締めつけられる思いをし、これは絶対にやってはいけないことだと感じたという。25歳頃のことで、この経験ができたのは大きかったと話す。もともと人から言われたことをそのままやる人間ではなかったが、ディレクターに言われたからやらなければという思い込みで、心にもないことを演奏者に伝えてしまった。

いまの亀田は、プロデューサーやリーダーとして現場に関わる立場だが、大きなプロジェクトではさらに上にエグゼクティブプロデューサーなどがいる。上から何か指示が来ても、その意見が本当に正しいかを噛み砕いてから伝えるようにしているという。聞き手が「上からは言うことを聞かないと思われないか」と尋ねると、亀田は、思われたとしても、と前置きして自分の名前の話をした。「誠治」には「誠」の字が入っている。人に誠実に対応するには、まず自分の心や感じていることに誠実でなければならない。そこを書き換えてまで人にメッセージを送ってはいけないというのが、20代で得た教訓だった。

「誠治はいい子です」――母の褒め倒し教育

20代で他人や上司のせいにせず、自分が変わろうと考えられたのはなぜか。そう問われた亀田は、家庭の雰囲気、特に母親が自己肯定感を高める教育をしてくれたことを挙げ、今でも感謝していると語った。

母親はとにかく褒めてくれた。「あなたは素晴らしい」「誠治は最高」「考えていることをやってみなさい」。そして、恥ずかしいと言いながら明かしたのが子守歌の話だ。赤ちゃんの頃から小学5年生頃まで、母親はモーツァルトの子守歌のメロディーに乗せて「誠治はいい子です」と歌い続けた。毎晩寝る前にその無限ループだったという。亀田は自分が親になってからも同じことをしているそうだ。

亀田の考えでは、いちばん身近な人から「あなたはいい子」「あなたは正しい」と声をかけ続けられると、それが心の細胞に染み込んでいく。その土台があると、学校の先生に褒められた瞬間など、良い記憶を積み重ねていけるようになる。亀田の中には褒められた経験や「良かった」経験のアーカイブがたくさんあり、映像や音、その時の匂いまで含めて常に溢れている感覚があるという。だから、失敗した、やばい、もう終わったかもと思うことは本当に毎日あっても、自分はダメだとは思わない。

亀田は多動で落ち着きがなく、小学1年から6年まで通知表には毎年「落ち着きがない」と書かれていたという。それでも母親は、何かに夢中になる亀田を肯定的に受け止めた。プロのミュージシャンを目指して自宅録音用の機材を買い込んだが、それを置く台がなかったとき、亀田はクローゼットの扉を外し、机からベッドへ橋渡しして機材を置き、デモテープを作った。母親はそれを見て「すごいことを自分で考え出した」と褒めたという。5歳頃には、電車の設計図を描いてブレーキが「キー」と鳴らないようにゴムをつけるアイデアを書き込み、それも母親に「すごい」と褒められた。

一方で、叱られなかったわけではない。嘘をついたとき、約束を破ったとき、言い訳をしたときは厳しく叱られた。亀田も自分の子どもたちに、嘘、言い訳、人のせいにすることについてだけは雷を落とし、子どもたちには今でも「あの時は怖かった」と言われるという。

ニューヨーク生まれと、手作りの家庭

亀田は、両親が1960年代半ばに会社の仕事でニューヨークに駐在していた時期に現地で生まれた。「おぎゃあは英語」だが、1年ほどで帰国し、その後は関西弁で育ったという。当時のアメリカはとても元気で、『奥様は魔女』のようなホームドラマの世界だったと亀田は表現する。一軒家ではなくアパートメントだったが、両親は帰国後も社宅住まいの中に、アメリカでの生活のイメージや西洋風の要素をたくさん取り入れていた。

母親は大学で食物学を学び、栄養士の資格を持っていた。バター、プリン、ゼリー、マヨネーズまで手作りで、家のマヨネーズはチューブではなく瓶に入っていた。亀田はバターを回したり、ゼリーに缶詰のみかんを入れたりする手伝いをした。塩辛くなりすぎた、ゼリーが薄かったといった失敗もあったという。母親は手作りのものがいちばん安心だと考えていた。聞き手が「今の仕事と似ている」と指摘すると、亀田は、少しでも良く美味しくなるようにあの手この手を考え、手間をかけて作る精神を家庭の中で教わったのかもしれないと応じた。

ただし、亀田自身は家事を「ゼロ」だと認める。子どもが生まれた頃からは完全な仕事人間で、朝4時に帰宅して翌朝8時か9時には家を出る生活を15年ほど続けていたという。

3日で結婚を決めた「交際0日婚」

亀田が結婚したのは1992年、28歳の時だ。妻と出会ってから3日で結婚を決めたといい、「ほぼ0日婚」だと笑った。

妻はスタジオミュージシャンで、亀田がアレンジャーを務めていた女性アイドルグループのレコーディングに、コーラスを重ねに来た。その日は3月3日だった。亀田は自分の中に「乙女亀」がいると言い、グループもディレクターも女性で、歌いに来るのも女性だから、スタジオでひな祭りパーティーをしたら楽しいだろうと考えた。そこで近所のケーキ屋でレモンクリームパイのケーキを丸ごと買っていった。すると妻も「今日はひな祭りだね」とケーキを買ってきていた。亀田はこの人とは気が合うかもしれないと直感したという。

ケーキを食べながら、ひな人形を片付けないとお嫁に行けないという話でディレクターと妻が盛り上がった。そこで亀田が思い出したのが、自分の鯉のぼりだった。亀田家では、みんなが持っているからという理由で買うことは許されず、代わりに両親と一緒に布とポスターカラーで鯉のぼりを手作りした。目の位置がおかしかったりしたが、嬉しくてたまらず、5月5日を過ぎても夏まで軒先で泳いでいた。「僕、鯉のぼりを片付けなかったんですけど、結婚できないんでしょうか」という話で場が大いに盛り上がったという。

亀田は、音楽業界で自分から声をかけた女性は妻だけだと明かした。食事に誘い、夜8時にレストランで待ち合わせて、同じ店で朝5時まで話し続けた。会話が途切れず楽しかったといい、お互いにこの人となら結婚していいと思い、3日後にプロポーズしたという。

結婚後、妻は子どもが生まれるまで仕事を続けたが、亀田の母親が結婚の翌年に亡くなり、父親との同居が始まった。息子2人の子育ても重なり、妻は自身の音楽活動をほとんど止めて家庭を切り盛りした。多動な亀田、息子2人、そして「子どものような」父親と、4人の男に囲まれて妻がダウンしてしまうこともあったという。亀田は妻に「感謝しかない」と語り、仕事で人を惹きつける力の一部は妻からもらっているエネルギーでもあると話した。

子育てと「偏差値のカーブ」

家事はゼロでも、オフの日は子どもにべったりで、子どもから元気をもらう生活を20年以上続けてきたと亀田は言う。自分が正しい、いいと思ったことはオープンに共有してきた。息子たちは音楽を聴くのは好きだが音楽家にはならず、子どもの頃はサッカーに夢中だった。今は2人とも会社員として働いている。進路は子ども自身に決めさせたという。

学校選びでは、名門かどうかや就職実績ではなく、スクールカラーで選ぶよう勧めた。そのスクールカラーを求めて全国から人が集まるから楽しい、という考えだ。一方で、受験勉強はある程度しなければならないとも伝えた。

模試の判定で「もう終わった」と一喜一憂し、受験をやめようとした子どもに、亀田は合格者の分布のカーブを説明した。高い偏差値で受かる人もいれば、低めの偏差値で受かっている人もいる。偏差値は平均を示しているだけなので、ミドルやローからでも受かる可能性は十分ある。判定が悪いと、プライドもあって「これ以上傷つきたくない」と思ってしまうが、行きたい学校なら受けてみようと励ました。「パパも一緒に早起きする」と言って朝5時に一緒に起きたものの、その後自分はベッドに戻って寝ていたらしく、今でも子どもたちに「あれはひどかった」と言われるという。

亀田は、これは受験に限らないと言う。仕事でも営業成績などの数字で一喜一憂しがちだが、数値の分布をもっと客観的に見ていけば、いろいろな可能性や良かった点が見えてきて、答えが見えることもあるという。

落ち込みは「エブリデー」――チームを動かすための一言

いつも前向きに見える亀田だが、落ち込むことは「エブリデー」だという。多くのプロジェクトを抱える中で思い描いたとおりにいかないこともあるし、チームで動く以上、チームの状態が難しくなることもある。関わる人はそれぞれプロフェッショナルで、こだわりもプライドも経験値もある。全体を動かしていくと、どこかでハレーションが起きるのは避けられない。

亀田は、かすり傷ならいいが、大怪我にならないように止める感度が大事だと話す。そのために気配りやアドバイスをし、アイデアを出すときには「失敗したら俺が始末書を書くから」と言う。実際にはその始末書の行き先はどこにもないが、そう言うと「亀田さんがそこまで言うなら」と協力してもらえ、プロジェクトは良い方向に進み始めるという。

亀田が落ち込みを受け止める支えにしている言葉もある。大学時代、社会心理学の授業で聞いた「バイオリズム」の話だ。亀田は40年ほど前の昭和の話だから当てにしなくていいと断りつつ、人間が心身ともに調子のいい日は年に3日しかないと聞いたと紹介した。それなら調子が悪いのが当たり前で、嬉しいことがあればラッキーだと捉えればいい。亀田は、自分にフィットする都合のいい言葉を拾ってくるのが得意なのかもしれないと笑った。

カウンセリングで学んだ「左右のページ」と「反対側のホーム」

亀田は、随分前から月に1回ほど定期的にカウンセリングを受けていることも明かした。日本ではカウンセリングというと「病んでいるのでは」と受け取られがちだが、自分にとってはサプリを飲むような、極めてポジティブなものだという。

数年前、難しいことが起きてネガティブな予想ばかりしてしまったとき、カウンセラーから教わったのがノートを使う方法だ。左のページにネガティブなことを書く。たとえば、プロジェクトの会議が大荒れになり、意見が合わずに何人かが落胆したり怒ったりしている。リーダーとして、これは自分のコントロール不足のせいではないかと考える。次に右のページにポジティブな要素を書く。落胆したAさんにも、怒り始めたBさんにも、それぞれのビジョンや担当パートの事情があったのかもしれない。全員が良かれと思って発言している。会議は荒れているのではなく、プロジェクトが良い方向に進んでいる。こうしてネガティブをポジティブに書き換えていると非常に安定し、よほどのことが起きても怖くなくなると亀田は話す。

もう一つは、場の空気が悪くなったとき、たとえば誰かが泣き出したり罵声が飛んだりしたときの考え方だ。それを「反対側のホームで起きていること」とイメージする。自分はこちらのホームにいて、やがてこちら行きの電車が来る。向こうのホームで起きている喧嘩も、やがて向こうの電車に乗って去っていく。ずっと続くわけではないから、自分がその一員になって落ち込む必要はない。山手線ならまた戻ってくるかもしれないが、その時には収まっているかもしれない。そう考えると大抵のことは大丈夫になり、「あいつは絶対嫌だ」という憎しみも湧かなくなるという。ステージで心を込めて演奏していても、どこかに客観的なもう一人の自分がいる。それは訓練や経験で身についたものだと亀田は述べた。

失敗して家に帰ってからも引きずっているとき、妻は「できなかったところは伸び代でしょ」と声をかけてくれるという。聞き手が母親と重なると言うと、亀田はそうかもしれないと認めた。「もう二度とやらない」ではなく「伸び代だ」と言葉を変換すると、次に待っているものが変わってくる。すぐには変わらなくても、癖にしていくとだんだん身につくという。

心配の99%は起こらない

亀田は、人はほとんどの場合ネガティブな未来を想像していると指摘する。ビジネス書やYouTube、SNSではリスクを察知する大切さがよく語られ、それも間違いではない。ただ亀田の経験では、「何かネガティブなことが起こりそう」という想像の99%は起こらない。その起こらないことのために重たい気持ちがずっと続くのは、人生にとって良くないと考えている。

もう一つのコツとして、亀田は3日後に大事なプレゼンやライブの本番を控えて落ち着かないときの考え方を挙げた。3日前のことを振り返ると、3日間はあっという間で、その間にいろいろなことができている。そう考えると、3日後が来ればきっと何もかもうまくいっている、というイメージが湧きやすくなるという。

感謝は言葉と行動で示す

聞き手は、日比谷音楽祭のドキュメンタリーで、亀田が直接関わらないスタッフにまで挨拶して回る姿を見て感動したと伝えた。亀田は、自分が逆の立場なら嬉しいし、何より感謝の気持ちは胸の中にしまっておくだけでは伝わらないと話す。言葉にし、会いに行くといった行動で返すことが大事だという。時間があればスタッフやアーティストなど関わる人全員に会いに行きたいし、会えない人には手紙も書く。見返りを求めているわけではないが、そうすると自分がすっきり整う。それが一種の見返りなのかもしれない、と亀田は言う。周りの仲間からは「サービス精神が過ぎる」とよく言われるそうだ。

毎朝スタジオへ「出勤」する習慣

仕事につながる習慣として、亀田は毎朝同じ時間に起きて、同じ時間に必ず音楽を作ることを挙げた。家とスタジオは別の場所にあり、朝6時頃に起きてスタジオに出勤する。通勤中は米軍放送AFNの英語のAMラジオを聴き、ロサンゼルスやロンドンにいる気分で気持ちを上げる。作曲やアレンジのアイデアが浮かばない日でも、スタジオに行ってコンピューターを立ち上げ、曲作りを試みる。うまくいかなければ途中でやめることもあるが、うまくいかないからやらない、ということはしない。これを繰り返すことで、自分のアップダウンや今の調子が分かるという。

もう一つは風呂で、1日に4回入る。この日も収録前に風呂とサウナに入ってきて、顔が赤くなってしまったと笑った。現場を移るときに気をつけているのは、前の現場の香りを次の現場に持ち込まないことだ。スタジオでは携帯電話をバイブレーションも通知音も鳴らない状態にし、緊急時は別ルートで呼び出してもらう。この現場に集中していると態度で示すためだ。きっかけは、自分がされて嫌だったことだという。大事な会議やプレゼンの最中に相手が携帯を触っていると、調べ物をしているのかもしれないと思いつつも、自分の話に興味がないのか、ほかに何かあって上の空なのかと感じてしまう。

ほかに、遅刻をしないこと、締め切りを守ることも大事なルールとして挙げた。締め切りを守るには逆算が必要で、作曲やアレンジ、プロデュース、企画準備にかかる期間を締め切りから逆算し、スケジュール表に事細かく入れているという。聞き手が「全部、人が嫌な思いをしないための行動だ」と言うと、亀田は、他人が気持ちいいことが自分も気持ちいいのだと応じ、それで自分は動いているのだろうと話した。

芽が出なかった25歳前後と、仕事が途切れた29歳

選ばれなかった時代はあったかと聞かれると、亀田はまず「今もですよ」と答えた。いちばん分かりやすいのは25歳前後だという。中学生の頃からプロのミュージシャンを目指し、バンドやユニットで曲を作り、オーディションや事務所に送り続けた。22歳頃からはデモテープが各種コンテストで優勝やグランプリを取るようになり、デビューのチャンスだと思っていた。しかし実際にデビューしていくのは、亀田が作ったサウンドや楽曲であっても、ボーカルの女性やイケメンのドラマーだった。自分は相手にされていないと痛感したという。

「デビューが決まったボーカルのアレンジとプロデュースは別の人にやってもらうから、亀ちゃんはスタジオ見学にでも来れば」と言われたこともある。聞き手は「えぐられる」と反応したが、亀田はえぐられず、「プロのスタジオが見られるのか」と喜んで通った。友人からは「そんなに人にいいように使われていいのか」「自分で音楽を作りたいと言っていたじゃないか」と山ほど言われた。それでも、自分のサウンドがプロのアレンジャーやスタジオミュージシャンの演奏によって変わっていくのを見るのが楽しく、精度を上げればすぐにこのゾーンに飛び込めるかもしれないと考えていた。毎日スタジオに行くうちに、「発売日が近いからコーラスのパートだけ考えてくれる?」と少しずつ仕事を頼まれるようになる。もともと自分が作った曲なので、ニコニコしながらすぐにこなせた。そうするうちに「亀田は強いし、いつも笑っている」という空気が業界内に広がり、居場所ができたという。

もう一つの時期は、結婚翌年の29歳だ。7月20日過ぎのレコーディングを最後に、その後のスケジュールが一切なくなり、極端に早い「仕事納め」になった。当時は妻のほうが売れっ子で、収入も多かった。亀田はアマチュア時代に戻ったように曲を書き、新曲をディレクターに自分から売り込みに行った。それでも時間が余ったので、忙しい妻の運転手としてスタジオに付き添った。「なんで俺がこんなことを」と思うのではなく、新しいスタジオを知るのが楽しかったという。尊敬する先輩である船山先生のスタジオだと知るなど、発見がたくさんあった。待っている2〜3時間は車の中でベースの練習をした。そうしているうちに、また新しい仕事が入ってきたという。

悔しさはもちろんあったが、止まることはなかった。妻には「よくああいう時にゲームに走らないね」と言われたが、亀田はゲームもギャンブルもしない。そう話すと、ミュージシャン仲間には「亀ちゃんがやっている音楽自体がめちゃくちゃ攻めていて、ギャンブルだしゲームだよ」と笑われるという。無理にそう振る舞っているのではなく、自然とそうなっているのだと亀田は話した。

実はよくサボり、よく寝ている

亀田は「忙しぶっているけれど、めちゃくちゃサボっている」とも打ち明けた。風呂に入る時間が1時間あれば、風呂は20分ほどで済ませ、残りの30分は昼寝をする。昼に力うどんを食べて体が温まり眠くなれば、ソファで1時間寝てから次の仕事に向かう。「亀ちゃん寝てないでしょ」とよく言われるが、実際は6時間ほど寝ていて、最近は年齢のせいで朝早く目覚めるようになったという。寝ないで頑張るくらいなら、逆算をうまくして前倒しで進め、その分を睡眠や食事、好きな人に会う時間に充てるほうがいいのではないかというのが亀田の考えだ。

20代・30代へ――英語で「挫折」した10年と「次いってみよう」

最後に、20代・30代へのアドバイスを求められた亀田は、まずその時その時の目の前のことを一生懸命やるのがいちばん大事だと答えた。そのうえで、30代でやっておくといいこととして語学を挙げた。33〜34歳頃、椎名林檎のアルバム制作やツアーで海外のレコード会社本社の幹部と話す機会があったが、ニューヨーク生まれでもすぐに帰国したため、受験英語と片言しか話せず、ビジネスで通用する英語が話せなかった。

そこで自ら英語学校に通い始め、10年近く続けたが、結局は「挫折した」と亀田は言う。今でも調子が悪いと英語がガタガタになり、乗ってくると話せる程度だ。それでも、毎朝8時10分からの授業を受けてから仕事の現場に向かう生活の中で、自分がアップデートされていく感覚が毎日あった。外国人の先生に「なぜ復習してこないのか」と厳しく叱られることもあった。この年齢になると叱られる機会は少ない。音楽好きの先生に自分の音楽を批評され、音楽の中身を英語で話し合うという、普段は得られない経験もした。何をやっても無駄にはならないから、自分でやってみたいと思ったらやることが大事だと亀田は話す。

逆に、しんどくてやめたいと思うときがいちばん難しいと亀田は言う。やめたほうがいい場合もあれば、責任感から続けてハッピーエンドになる場合もあり、どちらもある。絵本でも、最後に狼が出てきてもうダメかと思ったら、実はハッピーエンドだったりする。だから、次のページの手前にいるのかもしれないと感じてほしい。ただし、病んでしまうまで頑張る必要はないとも付け加えた。その見極めの感度を高めるにはどうすればいいかと聞かれると、一人ではモヤモヤしてしまうので、こうして誰かと話すことも大事だと答えた。

そして「極論」として挙げたのが、失敗しても気にしないという手だ。亀田は、ザ・ドリフターズのいかりや長介がコントの途中で「だめだこりゃ、次いってみよう」と切り上げて次のネタに移る姿を例に挙げた。ずっと引きずってみんなが苦しくなるより、終わらせることで新しい空間が入ってくることもたくさんある。亀田自身、本当の答えは分からず、答えを出して失敗することも、うまくいくこともあるという。自分でデモを作っていてどうしてもうまくいかず、今日がレコーディングなのにと思っていたら、ミュージシャンやアーティスト本人、エンジニアからいいアイデアが出て一気に前に進むこともある。人と関わることには難しさもあるが、人からもらえるものもたくさんある。だから心を開いていられるといいのではないか、と亀田は語り、インタビューは締めくくられた。