「うなずきの亀」はどう生まれたか――亀田誠治が語る、聞く力・母の褒め言葉・選ばれなかった時代
新R25チャンネル椎名林檎、スピッツ、いきものがかり、GLAYなどのプロデュースやアレンジを手がけてきた音楽プロデューサーの亀田誠治は、業界で「亀ちゃん」と呼ばれて親しまれている。新R25のインタビューで、聞き手のおうみゆかは、実力者でありながら人に好かれ、選ばれ続けてきた理由を尋ねた。亀田が挙げた答えは、特別なテクニックではなかった。相手の話を聞き、自分の気持ちに誠実でいて、ネガティブな出来事の見方を変える。こうした習慣がどこから来たのかを、亀田は失敗談や家族の話、芽が出なかった時代の経験を通して説明した。
60分のうち58分はうなずいている
コミュニケーションで大切にしていることを聞かれ、亀田はまず「相手の話をよく聞く」と答えた。コミュニケーションというと、気の利いた言葉を返さなければならないという使命感や責任感を持ちがちだが、そこには向かわず、とにかく「ふむふむ」「うんうん」とうなずいて聞く。自身を「うなずきの亀」と呼ぶほどで、そもそも人の話を聞くのが好きで面白いのだという。
亀田によると、そうしているとアーティストのほうがいろいろなことを話してくれる。聞き手が亀田を「空気清浄機のような存在」と表現したのを受けて、亀田は、自分がうまく吸い取っているのか、「亀田さんになら喋ってもいいかも」と思ってもらえるのかもしれないと話した。たくさん言葉を出すうちに、アーティストの中で今やりたいことや自分の気持ちの位置が整理され、飲みに行ったわけでもないのに「すっきりした」という状態になる。
亀田自身はその会話から、アーティストが今何を作りたいのかというヒントを得る。さらに、どんなエンジニアやミュージシャン、どんなスタジオで臨むかといったチームの「スケッチ」も、話を聞くうちに見えてくる。本当に60分のうち58分うなずいていることもあり、最後の2分で「じゃあこうやって」と方向を示すこともあるという。
亀田は、自分が「1分で済むことを10分かけて喋るタイプ」だとも言う。自分があれもこれも言いたい人間だから、誰かと何かを始めるときは、相手にも言いたいことがたくさんあるだろうし、逆に言いたくないこともあるだろうと想像できる。相手がいろいろ話してくれると、その距離感も見えてくる。だから、コミュニケーションではまず相手の話をよく聞くことが第一だと亀田は語った。
「俺が、俺が」から、ニュートラルな存在へ
聞く姿勢は最初から身についていたわけではない。若い頃は自分の考えを聞いてもらいたいという「俺が、俺が」という気持ちが膨らみ、それが表に出ていたと亀田は振り返る。それ自体は問題ではないが、自分から出しているだけでは広がらないと、ある時気づいたという。
亀田は最初から、プレイヤーとアレンジャー、プロデューサーを並行する形でキャリアを始めた。そのため、自分が描いた作品の設計図どおりに進めたいという気持ちが強く、20代の前半から中盤まではそうだったのではないかと話す。しかし現場には多くの人がいて、上から被せてくる人もいる。その中では自分がニュートラルな空気感の存在になったほうが、結局はみんなと一緒に前に進めると気づいたのだという。
25歳頃の大失敗――人の意見を「伝書鳩」として伝えた日
亀田は、聞く力とは少し違う話として、自分がどう感じているかを正直に伝えなければならないと学んだ「大失敗」を明かした。
あるテレビ番組で、亀田は下っ端のアレンジャーとして参加していた。オーケストラが亀田の書いた譜面を演奏し、そこに歌手が乗る構成だった。演奏を聴いて「素敵だな」と思っていたところ、ディレクターの立場にある先輩から「嬉しそうな顔してるけど、バイオリンの音程が悪いから、音程が悪いって言ってこい」と命じられた。亀田自身は音程が悪いとはまったく思っていなかったが、上の人が言うなら伝えなければと思い、演奏者側に伝えた。すると指揮者から「どこがずれているのか」と聞かれ、答えられなかった。
自分ではいいと思っていたのに、言いなりになって人の意見を伝えてしまった。亀田はそのとき胸が締めつけられる思いをし、これは絶対にやってはいけないことだと感じたという。25歳頃のことで、この経験ができたのは大きかったと話す。もともと人から言われたことをそのままやる人間ではなかったが、ディレクターに言われたからやらなければという思い込みで、心にもないことを演奏者に伝えてしまった。
いまの亀田は、プロデューサーやリーダーとして現場に関わる立場だが、大きなプロジェクトではさらに上にエグゼクティブプロデューサーなどがいる。上から何か指示が来ても、その意見が本当に正しいかを噛み砕いてから伝えるようにしているという。聞き手が「上からは言うことを聞かないと思われないか」と尋ねると、亀田は、思われたとしても、と前置きして自分の名前の話をした。「誠治」には「誠」の字が入っている。人に誠実に対応するには、まず自分の心や感じていることに誠実でなければならない。そこを書き換えてまで人にメッセージを送ってはいけないというのが、20代で得た教訓だった。
「誠治はいい子です」――母の褒め倒し教育
20代で他人や上司のせいにせず、自分が変わろうと考えられたのはなぜか。そう問われた亀田は、家庭の雰囲気、特に母親が自己肯定感を高める教育をしてくれたことを挙げ、今でも感謝していると語った。
母親はとにかく褒めてくれた。「あなたは素晴らしい」「誠治は最高」「考えていることをやってみなさい」。そして、恥ずかしいと言いながら明かしたのが子守歌の話だ。赤ちゃんの頃から小学5年生頃まで、母親はモーツァルトの子守歌のメロディーに乗せて「誠治はいい子です」と歌い続けた。毎晩寝る前にその無限ループだったという。亀田は自分が親になってからも同じことをしているそうだ。
亀田の考えでは、いちばん身近な人から「あなたはいい子」「あなたは正しい」と声をかけ続けられると、それが心の細胞に染み込んでいく。その土台があると、学校の先生に褒められた瞬間など、良い記憶を積み重ねていけるようになる。亀田の中には褒められた経験や「良かった」経験のアーカイブがたくさんあり、映像や音、その時の匂いまで含めて常に溢れている感覚があるという。だから、失敗した、やばい、もう終わったかもと思うことは本当に毎日あっても、自分はダメだとは思わない。
亀田は多動で落ち着きがなく、小学1年から6年まで通知表には毎年「落ち着きがない」と書かれていたという。それでも母親は、何かに夢中になる亀田を肯定的に受け止めた。プロのミュージシャンを目指して自宅録音用の機材を買い込んだが、それを置く台がなかったとき、亀田はクローゼットの扉を外し、机からベッドへ橋渡しして機材を置き、デモテープを作った。母親はそれを見て「すごいことを自分で考え出した」と褒めたという。5歳頃には、電車の設計図を描いてブレーキが「キー」と鳴らないようにゴムをつけるアイデアを書き込み、それも母親に「すごい」と褒められた。
一方で、叱られなかったわけではない。嘘をついたとき、約束を破ったとき、言い訳をしたときは厳しく叱られた。亀田も自分の子どもたちに、嘘、言い訳、人のせいにすることについてだけは雷を落とし、子どもたちには今でも「あの時は怖かった」と言われるという。
ニューヨーク生まれと、手作りの家庭
亀田は、両親が1960年代半ばに会社の仕事でニューヨークに駐在していた時期に現地で生まれた。「おぎゃあは英語」だが、1年ほどで帰国し、その後は関西弁で育ったという。当時のアメリカはとても元気で、『奥様は魔女』のようなホームドラマの世界だったと亀田は表現する。一軒家ではなくアパートメントだったが、両親は帰国後も社宅住まいの中に、アメリカでの生活のイメージや西洋風の要素をたくさん取り入れていた。
母親は大学で食物学を学び、栄養士の資格を持っていた。バター、プリン、ゼリー、マヨネーズまで手作りで、家のマヨネーズはチューブではなく瓶に入っていた。亀田はバターを回したり、ゼリーに缶詰のみかんを入れたりする手伝いをした。塩辛くなりすぎた、ゼリーが薄かったといった失敗もあったという。母親は手作りのものがいちばん安心だと考えていた。聞き手が「今の仕事と似ている」と指摘すると、亀田は、少しでも良く美味しくなるようにあの手この手を考え、手間をかけて作る精神を家庭の中で教わったのかもしれないと応じた。
ただし、亀田自身は家事を「ゼロ」だと認める。子どもが生まれた頃からは完全な仕事人間で、朝4時に帰宅して翌朝8時か9時には家を出る生活を15年ほど続けていたという。
3日で結婚を決めた「交際0日婚」
亀田が結婚したのは1992年、28歳の時だ。妻と出会ってから3日で結婚を決めたといい、「ほぼ0日婚」だと笑った。
妻はスタジオミュージシャンで、亀田がアレンジャーを務めていた女性アイドルグループのレコーディングに、コーラスを重ねに来た。その日は3月3日だった。亀田は自分の中に「乙女亀」がいると言い、グループもディレクターも女性で、歌いに来るのも女性だから、スタジオでひな祭りパーティーをしたら楽しいだろうと考えた。そこで近所のケーキ屋でレモンクリームパイのケーキを丸ごと買っていった。すると妻も「今日はひな祭りだね」とケーキを買ってきていた。亀田はこの人とは気が合うかもしれないと直感したという。
ケーキを食べながら、ひな人形を片付けないとお嫁に行けないという話でディレクターと妻が盛り上がった。そこで亀田が思い出したのが、自分の鯉のぼりだった。亀田家では、みんなが持っているからという理由で買うことは許されず、代わりに両親と一緒に布とポスターカラーで鯉のぼりを手作りした。目の位置がおかしかったりしたが、嬉しくてたまらず、5月5日を過ぎても夏まで軒先で泳いでいた。「僕、鯉のぼりを片付けなかったんですけど、結婚できないんでしょうか」という話で場が大いに盛り上がったという。
亀田は、音楽業界で自分から声をかけた女性は妻だけだと明かした。食事に誘い、夜8時にレストランで待ち合わせて、同じ店で朝5時まで話し続けた。会話が途切れず楽しかったといい、お互いにこの人となら結婚していいと思い、3日後にプロポーズしたという。
結婚後、妻は子どもが生まれるまで仕事を続けたが、亀田の母親が結婚の翌年に亡くなり、父親との同居が始まった。息子2人の子育ても重なり、妻は自身の音楽活動をほとんど止めて家庭を切り盛りした。多動な亀田、息子2人、そして「子どものような」父親と、4人の男に囲まれて妻がダウンしてしまうこともあったという。亀田は妻に「感謝しかない」と語り、仕事で人を惹きつける力の一部は妻からもらっているエネルギーでもあると話した。
子育てと「偏差値のカーブ」
家事はゼロでも、オフの日は子どもにべったりで、子どもから元気をもらう生活を20年以上続けてきたと亀田は言う。自分が正しい、いいと思ったことはオープンに共有してきた。息子たちは音楽を聴くのは好きだが音楽家にはならず、子どもの頃はサッカーに夢中だった。今は2人とも会社員として働いている。進路は子ども自身に決めさせたという。
学校選びでは、名門かどうかや就職実績ではなく、スクールカラーで選ぶよう勧めた。そのスクールカラーを求めて全国から人が集まるから楽しい、という考えだ。一方で、受験勉強はある程度しなければならないとも伝えた。
模試の判定で「もう終わった」と一喜一憂し、受験をやめようとした子どもに、亀田は合格者の分布のカーブを説明した。高い偏差値で受かる人もいれば、低めの偏差値で受かっている人もいる。偏差値は平均を示しているだけなので、ミドルやローからでも受かる可能性は十分ある。判定が悪いと、プライドもあって「これ以上傷つきたくない」と思ってしまうが、行きたい学校なら受けてみようと励ました。「パパも一緒に早起きする」と言って朝5時に一緒に起きたものの、その後自分はベッドに戻って寝ていたらしく、今でも子どもたちに「あれはひどかった」と言われるという。
亀田は、これは受験に限らないと言う。仕事でも営業成績などの数字で一喜一憂しがちだが、数値の分布をもっと客観的に見ていけば、いろいろな可能性や良かった点が見えてきて、答えが見えることもあるという。
落ち込みは「エブリデー」――チームを動かすための一言
いつも前向きに見える亀田だが、落ち込むことは「エブリデー」だという。多くのプロジェクトを抱える中で思い描いたとおりにいかないこともあるし、チームで動く以上、チームの状態が難しくなることもある。関わる人はそれぞれプロフェッショナルで、こだわりもプライドも経験値もある。全体を動かしていくと、どこかでハレーションが起きるのは避けられない。
亀田は、かすり傷ならいいが、大怪我にならないように止める感度が大事だと話す。そのために気配りやアドバイスをし、アイデアを出すときには「失敗したら俺が始末書を書くから」と言う。実際にはその始末書の行き先はどこにもないが、そう言うと「亀田さんがそこまで言うなら」と協力してもらえ、プロジェクトは良い方向に進み始めるという。
亀田が落ち込みを受け止める支えにしている言葉もある。大学時代、社会心理学の授業で聞いた「バイオリズム」の話だ。亀田は40年ほど前の昭和の話だから当てにしなくていいと断りつつ、人間が心身ともに調子のいい日は年に3日しかないと聞いたと紹介した。それなら調子が悪いのが当たり前で、嬉しいことがあればラッキーだと捉えればいい。亀田は、自分にフィットする都合のいい言葉を拾ってくるのが得意なのかもしれないと笑った。
カウンセリングで学んだ「左右のページ」と「反対側のホーム」
亀田は、随分前から月に1回ほど定期的にカウンセリングを受けていることも明かした。日本ではカウンセリングというと「病んでいるのでは」と受け取られがちだが、自分にとってはサプリを飲むような、極めてポジティブなものだという。
数年前、難しいことが起きてネガティブな予想ばかりしてしまったとき、カウンセラーから教わったのがノートを使う方法だ。左のページにネガティブなことを書く。たとえば、プロジェクトの会議が大荒れになり、意見が合わずに何人かが落胆したり怒ったりしている。リーダーとして、これは自分のコントロール不足のせいではないかと考える。次に右のページにポジティブな要素を書く。落胆したAさんにも、怒り始めたBさんにも、それぞれのビジョンや担当パートの事情があったのかもしれない。全員が良かれと思って発言している。会議は荒れているのではなく、プロジェクトが良い方向に進んでいる。こうしてネガティブをポジティブに書き換えていると非常に安定し、よほどのことが起きても怖くなくなると亀田は話す。
もう一つは、場の空気が悪くなったとき、たとえば誰かが泣き出したり罵声が飛んだりしたときの考え方だ。それを「反対側のホームで起きていること」とイメージする。自分はこちらのホームにいて、やがてこちら行きの電車が来る。向こうのホームで起きている喧嘩も、やがて向こうの電車に乗って去っていく。ずっと続くわけではないから、自分がその一員になって落ち込む必要はない。山手線ならまた戻ってくるかもしれないが、その時には収まっているかもしれない。そう考えると大抵のことは大丈夫になり、「あいつは絶対嫌だ」という憎しみも湧かなくなるという。ステージで心を込めて演奏していても、どこかに客観的なもう一人の自分がいる。それは訓練や経験で身についたものだと亀田は述べた。
失敗して家に帰ってからも引きずっているとき、妻は「できなかったところは伸び代でしょ」と声をかけてくれるという。聞き手が母親と重なると言うと、亀田はそうかもしれないと認めた。「もう二度とやらない」ではなく「伸び代だ」と言葉を変換すると、次に待っているものが変わってくる。すぐには変わらなくても、癖にしていくとだんだん身につくという。
心配の99%は起こらない
亀田は、人はほとんどの場合ネガティブな未来を想像していると指摘する。ビジネス書やYouTube、SNSではリスクを察知する大切さがよく語られ、それも間違いではない。ただ亀田の経験では、「何かネガティブなことが起こりそう」という想像の99%は起こらない。その起こらないことのために重たい気持ちがずっと続くのは、人生にとって良くないと考えている。
もう一つのコツとして、亀田は3日後に大事なプレゼンやライブの本番を控えて落ち着かないときの考え方を挙げた。3日前のことを振り返ると、3日間はあっという間で、その間にいろいろなことができている。そう考えると、3日後が来ればきっと何もかもうまくいっている、というイメージが湧きやすくなるという。
感謝は言葉と行動で示す
聞き手は、日比谷音楽祭のドキュメンタリーで、亀田が直接関わらないスタッフにまで挨拶して回る姿を見て感動したと伝えた。亀田は、自分が逆の立場なら嬉しいし、何より感謝の気持ちは胸の中にしまっておくだけでは伝わらないと話す。言葉にし、会いに行くといった行動で返すことが大事だという。時間があればスタッフやアーティストなど関わる人全員に会いに行きたいし、会えない人には手紙も書く。見返りを求めているわけではないが、そうすると自分がすっきり整う。それが一種の見返りなのかもしれない、と亀田は言う。周りの仲間からは「サービス精神が過ぎる」とよく言われるそうだ。
毎朝スタジオへ「出勤」する習慣
仕事につながる習慣として、亀田は毎朝同じ時間に起きて、同じ時間に必ず音楽を作ることを挙げた。家とスタジオは別の場所にあり、朝6時頃に起きてスタジオに出勤する。通勤中は米軍放送AFNの英語のAMラジオを聴き、ロサンゼルスやロンドンにいる気分で気持ちを上げる。作曲やアレンジのアイデアが浮かばない日でも、スタジオに行ってコンピューターを立ち上げ、曲作りを試みる。うまくいかなければ途中でやめることもあるが、うまくいかないからやらない、ということはしない。これを繰り返すことで、自分のアップダウンや今の調子が分かるという。
もう一つは風呂で、1日に4回入る。この日も収録前に風呂とサウナに入ってきて、顔が赤くなってしまったと笑った。現場を移るときに気をつけているのは、前の現場の香りを次の現場に持ち込まないことだ。スタジオでは携帯電話をバイブレーションも通知音も鳴らない状態にし、緊急時は別ルートで呼び出してもらう。この現場に集中していると態度で示すためだ。きっかけは、自分がされて嫌だったことだという。大事な会議やプレゼンの最中に相手が携帯を触っていると、調べ物をしているのかもしれないと思いつつも、自分の話に興味がないのか、ほかに何かあって上の空なのかと感じてしまう。
ほかに、遅刻をしないこと、締め切りを守ることも大事なルールとして挙げた。締め切りを守るには逆算が必要で、作曲やアレンジ、プロデュース、企画準備にかかる期間を締め切りから逆算し、スケジュール表に事細かく入れているという。聞き手が「全部、人が嫌な思いをしないための行動だ」と言うと、亀田は、他人が気持ちいいことが自分も気持ちいいのだと応じ、それで自分は動いているのだろうと話した。
芽が出なかった25歳前後と、仕事が途切れた29歳
選ばれなかった時代はあったかと聞かれると、亀田はまず「今もですよ」と答えた。いちばん分かりやすいのは25歳前後だという。中学生の頃からプロのミュージシャンを目指し、バンドやユニットで曲を作り、オーディションや事務所に送り続けた。22歳頃からはデモテープが各種コンテストで優勝やグランプリを取るようになり、デビューのチャンスだと思っていた。しかし実際にデビューしていくのは、亀田が作ったサウンドや楽曲であっても、ボーカルの女性やイケメンのドラマーだった。自分は相手にされていないと痛感したという。
「デビューが決まったボーカルのアレンジとプロデュースは別の人にやってもらうから、亀ちゃんはスタジオ見学にでも来れば」と言われたこともある。聞き手は「えぐられる」と反応したが、亀田はえぐられず、「プロのスタジオが見られるのか」と喜んで通った。友人からは「そんなに人にいいように使われていいのか」「自分で音楽を作りたいと言っていたじゃないか」と山ほど言われた。それでも、自分のサウンドがプロのアレンジャーやスタジオミュージシャンの演奏によって変わっていくのを見るのが楽しく、精度を上げればすぐにこのゾーンに飛び込めるかもしれないと考えていた。毎日スタジオに行くうちに、「発売日が近いからコーラスのパートだけ考えてくれる?」と少しずつ仕事を頼まれるようになる。もともと自分が作った曲なので、ニコニコしながらすぐにこなせた。そうするうちに「亀田は強いし、いつも笑っている」という空気が業界内に広がり、居場所ができたという。
もう一つの時期は、結婚翌年の29歳だ。7月20日過ぎのレコーディングを最後に、その後のスケジュールが一切なくなり、極端に早い「仕事納め」になった。当時は妻のほうが売れっ子で、収入も多かった。亀田はアマチュア時代に戻ったように曲を書き、新曲をディレクターに自分から売り込みに行った。それでも時間が余ったので、忙しい妻の運転手としてスタジオに付き添った。「なんで俺がこんなことを」と思うのではなく、新しいスタジオを知るのが楽しかったという。尊敬する先輩である船山先生のスタジオだと知るなど、発見がたくさんあった。待っている2〜3時間は車の中でベースの練習をした。そうしているうちに、また新しい仕事が入ってきたという。
悔しさはもちろんあったが、止まることはなかった。妻には「よくああいう時にゲームに走らないね」と言われたが、亀田はゲームもギャンブルもしない。そう話すと、ミュージシャン仲間には「亀ちゃんがやっている音楽自体がめちゃくちゃ攻めていて、ギャンブルだしゲームだよ」と笑われるという。無理にそう振る舞っているのではなく、自然とそうなっているのだと亀田は話した。
実はよくサボり、よく寝ている
亀田は「忙しぶっているけれど、めちゃくちゃサボっている」とも打ち明けた。風呂に入る時間が1時間あれば、風呂は20分ほどで済ませ、残りの30分は昼寝をする。昼に力うどんを食べて体が温まり眠くなれば、ソファで1時間寝てから次の仕事に向かう。「亀ちゃん寝てないでしょ」とよく言われるが、実際は6時間ほど寝ていて、最近は年齢のせいで朝早く目覚めるようになったという。寝ないで頑張るくらいなら、逆算をうまくして前倒しで進め、その分を睡眠や食事、好きな人に会う時間に充てるほうがいいのではないかというのが亀田の考えだ。
20代・30代へ――英語で「挫折」した10年と「次いってみよう」
最後に、20代・30代へのアドバイスを求められた亀田は、まずその時その時の目の前のことを一生懸命やるのがいちばん大事だと答えた。そのうえで、30代でやっておくといいこととして語学を挙げた。33〜34歳頃、椎名林檎のアルバム制作やツアーで海外のレコード会社本社の幹部と話す機会があったが、ニューヨーク生まれでもすぐに帰国したため、受験英語と片言しか話せず、ビジネスで通用する英語が話せなかった。
そこで自ら英語学校に通い始め、10年近く続けたが、結局は「挫折した」と亀田は言う。今でも調子が悪いと英語がガタガタになり、乗ってくると話せる程度だ。それでも、毎朝8時10分からの授業を受けてから仕事の現場に向かう生活の中で、自分がアップデートされていく感覚が毎日あった。外国人の先生に「なぜ復習してこないのか」と厳しく叱られることもあった。この年齢になると叱られる機会は少ない。音楽好きの先生に自分の音楽を批評され、音楽の中身を英語で話し合うという、普段は得られない経験もした。何をやっても無駄にはならないから、自分でやってみたいと思ったらやることが大事だと亀田は話す。
逆に、しんどくてやめたいと思うときがいちばん難しいと亀田は言う。やめたほうがいい場合もあれば、責任感から続けてハッピーエンドになる場合もあり、どちらもある。絵本でも、最後に狼が出てきてもうダメかと思ったら、実はハッピーエンドだったりする。だから、次のページの手前にいるのかもしれないと感じてほしい。ただし、病んでしまうまで頑張る必要はないとも付け加えた。その見極めの感度を高めるにはどうすればいいかと聞かれると、一人ではモヤモヤしてしまうので、こうして誰かと話すことも大事だと答えた。
そして「極論」として挙げたのが、失敗しても気にしないという手だ。亀田は、ザ・ドリフターズのいかりや長介がコントの途中で「だめだこりゃ、次いってみよう」と切り上げて次のネタに移る姿を例に挙げた。ずっと引きずってみんなが苦しくなるより、終わらせることで新しい空間が入ってくることもたくさんある。亀田自身、本当の答えは分からず、答えを出して失敗することも、うまくいくこともあるという。自分でデモを作っていてどうしてもうまくいかず、今日がレコーディングなのにと思っていたら、ミュージシャンやアーティスト本人、エンジニアからいいアイデアが出て一気に前に進むこともある。人と関わることには難しさもあるが、人からもらえるものもたくさんある。だから心を開いていられるといいのではないか、と亀田は語り、インタビューは締めくくられた。
亀田さんにお越しいただきまして、よろしくお願いいたします。よろしくお願いします。
もうなんか嬉しいです。僕も嬉しいです。ありがとうございます。
よく年末に椎名林檎&東京事変フェスなるものを家の中でやってまして。お家にフェスがあるんですね。すごいですね。聞くだけ?聞いて、歌ったり。あ、いや、お酒を、お酒をっていう。小さい時から亀田さんの音楽がこう刷り込まれてきたと。年末のそのフェスのおかげで。ありがとうございます。
やっぱり亀田さんは一流の音楽の腕はもちろんのことだと思うんですが、今のこの朗らかな笑顔ですとか、空気清浄機のような方。入ってくるだけでもなんかフィルター交換しないといけないですね、これ。マイナスイオンが溢れていて、実力者であるのにも関わらず、溢れるばかりのこの人間力というのが演奏風景などなどからすごく伝わってきまして、どうしたら亀田さんのように人に好かれながら仕事ができるのかとか。
大丈夫かな、いや俺亀田気に食わんと思っとる人とかいるんじゃないですかね。怖いな。
亀田さんの選ばれ続ける秘訣、コミュニケーション術だったり、日々心がけてらっしゃる習慣だったりとかお聞きできればなと思います。お願いします。
日々色々な個性豊かなアーティストさんと対峙されてきたと思うんですけれども、亀田さんがコミュニケーションする上で大切にしていたことをお聞きしたいなと思うんですが。
そうですね。相手の話をよく聞く。コミュニケーションって言うと、なんかいい言葉を返してあげなきゃとか、ちょっとそういうミッションというか責任感とか持っちゃったりするじゃないですか。
で、そこの気持ちに行かないで、まずは相手の話をとにかくよく聞くように、ふむふむ、うんうんって頷いて。僕「頷きの亀」っていう異名を持ってるんですけど、それぐらい僕もまず人の話を聞くのが好きなんですよ。面白いの、人の話を聞いていると。
これ面白くて、アーティストさんの方がいろんなことを僕に喋ってくれるんですね。で、それは僕が多分ふむふむというのと、さっきの空気清浄機的存在で、うまく吸い取ってるっていうか、これ亀田さんにだったら喋っちゃう、喋ってもいいかもみたいなことで、いっぱいいろんな言葉が出てきて。
で、そのいっぱいいろんな言葉を出すことによって、アーティストさんが今自分がやりたいこととか、今自分の気持ちの位置みたいなものがどこにあるのかが、アーティストさんの中で整理、なんかすっきりしちゃったみたいな。飲みに行ってるわけでもないのに、こうやって会話してるだけなんだけど、なんかすっきりしてきたぞみたいな。
そういうところから僕もアーティストさんが今何を作りたいのかっていうヒントを得たりとか、そのヒントの中に、じゃあどういうチームで、例えばエンジニアさんとか、ミュージシャンとか、スタジオとか、どういうチームでやっていこうとか、僕の中でも話を聞いてる中でスケッチが見えてくるわけ。もうね、60分中58分頷いてることもあります。本当に。そうなんです。で、もう最後の2分ぐらいで、じゃあこうやって、こうかとか。
僕ね、そもそも1分で喋れば済むことを10分かけて喋っちゃうタイプなんですよ。もういろんなことを、あれも言いたい、これも言いたいって僕がそういうタイプなんで、誰かと何かを始める時は、きっとお話ししたいこと、言いたいことがいっぱいあるだろうなとか、逆に言いたくないこともあるだろうなみたいな、その感じみたいなものも、いろんなこと喋ってくれると見えてくるので、まずはコミュニケーションで相手の話をよく聞くっていうのを一番、まず第1問答かな。
確かに私、最初に本当にファンでっていうような話をした時に、私の目を食い入るように見てくださって、亀田さんの方に気持ちが寄っていく感じがありました。あら、マグネティック。マグネティック。マグネティックかね。
聞くっていうことは、元々そういう思いでやられてたのか、何かきっかけがあってそうした方がいいなっていうのを思ったのか、その辺りはどうですかね?
そうですね。やっぱり若い頃はどうしても自分の考え、自分の意見を聞いてもらいたい。いわゆる俺が、俺がっていう気持ちがムクムクと膨れ上がってきて、それが出てしまったと思うんですよ。それはそれで全く問題ないことなんだけれども、なんか自分から出してるだけだと広がらないなっていうのにある時気がついたわけ。
やっぱり音楽家として、しかも僕は初めからプレイヤーとアレンジャー、プロデューサーみたいなのが同行して始まっちゃったので、どうしても自分の作る作品の設計図通りに行きたいっていう気持ちが強かったと思うんですよね。これ多分20代の前半、中盤ぐらいまではそうだったのかな。で、やっぱり人がいるじゃないですか。おうみさんのように。さらに上から被せてくるような人たちもいっぱいいるみたいな中で、やっぱりニュートラルな空気感の存在に自分がなった方が、結局はみんなと一緒に前に行けるなっていうのに気がついたんだと思います。
あとこれはちょっと今のコミュニケーション術とは違うんですけれども、自分が本当に正しい、自分はどう感じてるかっていうことをちゃんと伝えていかなきゃいけないっていうことの一番大きな気づきを得た失敗、大失敗したことがあって。
あるテレビ番組で、僕は割と下っ端のアレンジャーみたいな感じで。オーケストラがいるんですよ。で、オーケストラが演奏していて、そこに歌い手さんが乗っかって歌うっていう。で、まずオーケストラが僕の書いた譜面で演奏してくれてて、ああ、素敵だな、いいなと思ってたら、たまにいるんですよ、ちょっと良くない先輩が。どの業界にもいるんですが、斜め上からこうみたいな先輩が。
「亀さ、お前嬉しそうな顔してっけどさ、ちょっとバイオリンの音程悪いからさ、ちょっとお前、音程悪いんですけどって言ってこい」。なるほど。で、僕は全然音程悪いと思ってなかったわけ。でも上司がっていうかディレクターさんが言うんだったら、それを伝えなきゃいけないと思って。
「バイオリンの音程がちょっといまいち合ってないようなんですけど、ずれてるようなんですけど」って言ったら、指揮者の方が「どこがずれてる?」って聞かれた時に答えられなかったんですよ。
それは自分が言いなりになって伝書鳩になって人の意見を伝えて、自分ではいいと思ってたのに。その失敗をした時に本当に胸がキュンとなるっていうか、これは絶対やっちゃいけないことだっていう風に。それを25ぐらいの時かな、経験できたのはすごく大きかったです。
元々自分はそういう風に人から言われたことをそのままやるっていう人間じゃなかったんだけど、職場っていうか現場で、自分のディレクターさんから言われたから自分はやらなきゃいけないんだっていう思い込みで、自分の心にもないことを違う人に伝えてしまった。演奏者に伝えてしまった。
これはもう大反省で。例えば僕もプロデューサーとして、アレンジャーとして、リーダーとして関わることも多いけれども、やっぱり僕の上にさらに全部を取り仕切ってる大きなプロジェクトもあったりとかするわけ。そういう時も上の先輩のプロデューサーの方々から、エグゼクティブプロデューサーの方から何かボーンと来たとしても、その意見が本当に正しいかどうかっていうのをちゃんと噛み砕いてから伝えるようにしている。
でもそれって上の方からすると、なんで言うこと聞かないんだとかっていう風に思われたりとか、そういうこともあるのかもなと思ったんですけど。思われたとしても、僕ね、自分、亀田誠治って名前で、自分の名前に「誠」っていう字が入ってるんですけれど、誠実であるってことがすごく大事だと思っていて。人に誠実に対応するためには、まず自分の心や自分の感じていること、気持ちに誠実でなきゃいけなくて。
なるほど。そこを書き換えてまで人にメッセージを送っちゃいけないっていうことを、僕は20代の中盤、前半ですね、に体験できたのはすごく大きかったかな。
よく自分で気づくことができましたね。20代ってまだやっぱり若いので、どうしても人のせいにしたりとか上司のせいにすることもできたと思うんですけど、そこで自分が変わろうって思う亀田さんがすごいなって私は思ってて。それはどこから来るものなんだろうと思って、その捉え方というか。
どうなんでしょう。でも親の教育っていうか、家庭の中の雰囲気、特に僕の母親がすごく僕の自己肯定感を高める教育をしてくれたんだなって、今でも本当に感謝しています。とにかく褒めてくれた。で、あなたは素晴らしい、誠治は最高、誠治が言ってることはやってみなさい、考えてることをやってみなさいって言ってくれて。
子守歌があって。で、恥ずかしいんですけど、僕、子守歌を小学校5年生ぐらいまで歌ってもらってたんですよ。うちの母は、僕が小さい時、赤ちゃんの時から僕に子守歌を、このモーツァルトの子守歌なんですけど。
「誠治はいい子です。誠治はいい子です。誠治はいい子です。誠治はいい子です。誠治はいい子です。誠治はいい子です。誠治はいい子です。誠治は」。これの無限ループでずっと寝る前。毎晩、赤ちゃんの時から小学校高学年ぐらいまで、僕は自分の母親に、あなたはいい子だ、あなたはすごい自慢の息子だってずっと言われ続けてきた。僕がいろんな失敗をしても。
で、僕ね、自分が親になっても同じことしてるんですけど、結局あなたはいい子、あなたは正しいっていう風に一番身近な人から声をかけてもらえると、やっぱりそれが自分の心というか、心の細胞の中に染み込んでいくっていうのはあるんじゃないんですかね。
そういう母親との接点があると、今度は例えば学校の先生にも、僕が正しいと思ったことを素晴らしいねっていう風に言ってもらった瞬間を、いい記憶ばっかりを自分の中で積み重ねていくっていうか。なんで僕の中で本当に「いいね」のアルバムみたいなのがあるんですけど、めちゃくちゃ自分が褒められたり良かったっていうことの経験値が、いっぱいアーカイブで入ってる。しかも映像と音とか、その時の匂いみたいなものも含めて、そこが自分の中で常に溢れている感じがするので。
なんで、失敗したとか、やばいとか、もう終わったかもみたいなこととかは、もう毎日あります。本当に毎日あるけれども、だからと言って、自分なんて、自分はダメだなっていう風には思わないんですよ。
そうか。それはやっぱりお母様からのそういう刷り込みのようなご教育があったっていうところが一番大きいと。一番大きいかも。それの貯金でというか、それが今でも効いている。
何でも僕夢中になっちゃうんですよ、めっちゃくちゃ。多動だったし、もう落ち着きがない。小学校1年生から6年生全ての、通知表みたいな、今もあるのかな、先生が一言書いてくるじゃないですか。で、大抵先生そこに愛情たっぷりなこと書いてくれてるんですけど、必ず毎年書かれ続けてきたのが「落ち着きが」。それぐらいいつもわちゃわちゃ、何かがあるとすぐそれに夢中になっちゃって。でもその夢中になっている僕のことを、常に寛大な受け止め方をしてくれました。
僕ね、プロのミュージシャンになりたくて、自宅でレコーディングできる、デモテープを作る機材をいっぱい買ったんですよ。でそこでレコーディングをするためには、いわゆるDJ台みたいな大きな台が必要なんだけど、台がなくて。でも部屋に機材来ちゃって。で、僕何したかって言うと、家のクローゼットのドアを外して、自分の机からベッドに向けてそのクローゼットの扉をここからここに橋渡ししておいて、ここに機材を置いて、一生懸命デモテープを作ったんです。
そしたらうちの母がなんて言ったかって、やっぱり誠治はすごいと。ものすごいことを自分で考え出したと、あなたはすごいわねって言って。大人になってもそうやって褒めてもらえ…叱られたことはないんですか?
めちゃくちゃあります。えっとね、これは僕も自分の子供たちに同じことを結局してるんですけど、嘘をついた時。あとは約束を破った時。あとは言い訳をした時。そこはビシッと怒られました。なんで全然甘やかされてるわけではなく、厳しいところはすごく厳しかったです。
ただ子供ながらにそういう風で、さっきの扉もそうですし、僕が、そうだ、電車の図とかを書くのが好きで。5歳ぐらいですよ。5歳ぐらいの子供の書く設計図だから、もうどこが正面でどこが車輪かわかんないみたいな感じなんだけども、そこの車輪にブレーキをかけた時にキーって言わないように、僕が設計図でブレーキにゴムをつけたんですよ。そしたらやっぱりその時に母親が、誠治はすごいと。ね、電車が止まる時にキーっていうのは嫌だもんね。そのキーを止めるためにゴムをつけるっていうのを考えたのってすごいわ、みたいなのを。これも保育園ぐらいか幼稚園ぐらい。なんでその母親の存在にはとても感謝してますね。
見ている方、若い世代も多いんですけど、お子さん産んだ後にどう教育するかっていうところにも、すごく今の話って繋がってくるなと思って。
僕、うちの父と母がニューヨーク駐在員の時に、1964年、62年から65年に、ニューヨーク駐在員として会社の仕事で行ってる時に、僕向こうで生まれたんですけど、だから僕のオギャーは英語なんですよ。その後1年で日本に帰ってきたんで、その後は関西弁なんですけど。
とにかく1960年代半ばのアメリカってめちゃくちゃ元気で、みんな見たことあるかな、『奥さまは魔女』とか、ああいうドラマ。ホームドラマの世界なの。家は大きくて、冷蔵庫やカラーテレビがあってみたいな。一軒家でもなかったんですけど、アパートメントではあったんですけど、そういう環境の中で僕は生まれて空気を吸って戻ってきたので、なんとなくなんですけど、父も母も日本に帰ってきても、そのニューヨークライフ、アメリカでの生活の大らかなイメージっていうものを、日本の社宅住まいなんですけども、その中にも西洋風のエッセンスみたいなものをいっぱい取り入れていました。
うちの母って、大学で食物科を出ていて、栄養士の資格を持っていて。信じられますか?バターとか手作りなんですよ。すごい。で、誠治もバター回すの手伝いなさいとか、あとプリンも手作り。卵割ってこうやって回すの手伝ったりとか、ゼリーとかも手作り。あとマヨネーズ。卵となんかあって、これもくねくね回してたよ、酢入れて。なんでチューブには入ってなくて、うちのマヨネーズは必ず瓶に入ってる。
とにかく手作りっていうことに対してすごく母親は。で、手作りのものが一番安心だと。なんで小さい頃そういうお手伝いもいっぱいする中で、工夫するっていうか、今日ちょっとしょっぱくなっちゃったみたいなこととかもあったりとか。マヨネーズがしょっぱすぎたみたいなこと。そう。なんか今日のゼリー薄くね、みたいな。羊羹みたいにこうやって銀のここに入れて作るんですよ。で、そこで缶詰開けてみかんとかを入れるのを僕がやったりとか。
なんかそういうお手伝いをする中で…でも今やってる仕事と似てますね。確かに、そういうことか。少しでも良くなるように、美味しくなるように、いろんな、あの手この手を考えて、手間をかけて作るっていうのは、そういう精神をやっぱり家庭の中で教わったみたいなのは。すごい。
これさ、今この話の中で聞くと、亀田さんは今パパになって、家の中で休日は料理とかを上手に、自慢のパパのカレーだよとか…ゼロですか?ゼロ料理。ゼロ料理。まあ、今の家族のことも聞いていただいてもいいんですけど、全くもう。とにかく結婚して、とにかく子供が生まれたあたりからは本当にもう仕事人間で、朝4時に帰ってきて、次の日8時か9時には出てくみたいなものを15年ぐらいずっとやってたんで。忙しかった。もうゼロ家事。
でもやっぱり嘘をついた時と言い訳をした時と人のせいにした時だけはビシッていう風に。1回ぐらいパパの雷が落ちるっていうか、すごくパパに怒られるっていうのはそういう時っていう風に、子供たちは今でも、あん時怖かったって言われます。
今ご家族の話が出たので、せっかくなのでちょっとお聞きしたいんですけど、ご結婚は何歳の時だったんですか?結婚が92年だから28。早かったですよ。決断の理由みたいなところはどう?妻に出会って、もう3日で僕ら結婚決めたんですよ。え、交際期間ない?なし。0日。今なんかよく話題になる0日とかあります。これ0日っていうんですか?いや、3日はかかってるけど、でも0日ですね、ほぼ。
スタジオミュージシャンをうちの妻がやっていて、で、僕のやっていたコっていうアイドルグループの現場で、コーラスを歌いに、重ねにオーバーダビングに来てくれて。僕はアレンジャーで、そのコーラスの譜面を書いて、レコーディングスタジオでレコーディングしたんですけど、その時に3月3日にレコーディング。3月3日といえばひな祭りですよね。
で、僕どこかちょっと乙女なところがあります。乙女亀っていうのが僕の中にいるんですよ。で、あ、今日3月3日だと思って、ひな祭りだ。で、そのコっていうアイドルグループ自体が女の子のガールズグループだし、ディレクターさんも女性で、今日歌いに来てくださる下成さん、僕の妻ですけども、女性だなと思って。これ今日みんなでスタジオでひな祭りパーティーやると楽しいかもと思って、近所のケーキ屋さんでレモンパイ、クリームパイ、ケーキを丸ごと買ってったの。そしたら妻も、今日はひな祭りだねって言って、みんなで食べようって言ってケーキを買ってきて。あれ、この人と気が合うかもっていう風に直感で思って。
まあみんなでケーキ食べて、その時に、ひな人形を片付けないとお嫁に行けなくなるみたいな、そういうのある話になって、ディレクターさんとうちの妻が盛り上がって話してて、その時に僕がふと、あ、僕、鯉のぼり…そうだ、鯉のぼりもうち手作りなんですよ。すごいな。鯉のぼり、親父が作ってくれたんだけど、手作りで。やっぱりみんなが鯉のぼり立ててるから、僕も立てたいから買って買ってって言うと、みんながいいっていうから買うっていうのは、うちは許しませんっていうこと。
その代わり、パパとママと一緒に鯉のぼり作ろうって、布買ってきて、ポスターカラー買ってきて。その鯉のぼり、なんか目とか変なとこについちゃったりとかするんだけど、その鯉のぼりをあげたら嬉しくて嬉しくて、僕、鯉のぼりを端午の節句、5月5日が過ぎてもずっと夏まで、我が家の軒先でヒラヒラしてたわけ。で、そのひな人形を片付けないと…やべえと思って。俺、鯉のぼり片付けなかったわと思って。で、僕は結婚できないんでしょうかみたいな話をして、なんかすごい盛り上がったわけ。
で、なんとなくその記憶を妻も持っていて、僕も持っていて、僕もあの人、下成さんって楽しい人だなと思って。これもう俺正直に言います。僕が音楽業界で声をかけた唯一の女性がうちの妻です。最初で最後です。本当にこんなこと別に公開の場で言う必要ないんだけど。でもこんな話あまり聞いたことないので。
そう、もうその時にやっぱり、この人いいなと思って、今度お食事に行きましょうっていう風にお誘いして、お食事に行って、8時にレストランに集合して、朝5時まで喋りまくった。え、同じレストランではなくてですか?同じレストラン。8時から5時まで。あ、5時まで。すごい。当時ありましたよね、バブル期に、朝5時ぐらいまでやってる、三宿とか、あそこら辺にいろんなレストランあったじゃないですか。あそこのうちの1つですよ。で、会話が全く途切れず喋ってて楽しいなと思って。その時に両方とも、この人と一緒だったら結婚していいっていう風に思って、これがさっき言った0日っていうか。で、もう3日後にプロポーズみたいな感じでした。
奥様もすごく何でも楽しめるというところが、お2人の共通点にあるのかなと思って。確かにそうかもしれないです。それが仕事でも人を引きつける力になっているのかなっていうのは、すごくお話聞いてて思いました。確かに。妻からもらっているエネルギーのおかげっていうのもあります。
で、妻は僕と結婚してしばらく、子供が生まれるまでは仕事してたんですけど、やがてやっぱり子育てと、あとは母が、僕と妻が結婚した翌年に亡くなって、結局うちの親父と一緒に住むっていう2世代での生活も始まっちゃったりとかして。もう本当に感謝しかないんですけど、家のことで手一杯になって、自らの音楽活動はもう抑えながら、ほとんどストップしながら子育て。あとは、うち長男と次男で男の子2人生まれたんですね。で、僕でしょ。僕が大体多動な子供でしょ。で、うちの親父もまあ子供なんですよ。なんで4人の男に囲まれて、力強く切り盛り頑張ってくれても無理みたいな時もあったりとか、ダウンしちゃってる時もありましたし。
なんかでもそれも含めて家族というか、奥様と、それから息子さんと、そして今お孫さんもいらっしゃると思うんですけど、そこからパワーを得て仕事に繋がったということはあるんでしょうか?
ゼロ家事でもう本当に最悪で、オフの時だけもう子供にべったべたに、僕の方が子供を舐め回して癒され、元気をもらうみたいな生活を20年以上も繰り返して。でも本当に元気をもらってる。元気と、あとは僕が正しい、僕がいいと思ったことは何でもオープンに伝えるように共有して。
でも本当にうちの子供たち、音楽聞くの好きだけど、音楽家にはなんなかったんですね。2人ともサッカーが好きで、子供の頃はサッカーに夢中で、今は2人とも普通の会社員として働いているんですけれど、子供の進路についても本当に子供に決めさせた。受験勉強のコツとかは僕は教えてあげたりとかした。
名門だから行くとかっていうことよりも、スクールカラーで選びなさいって言って。行きたい学校だったら、じゃあ学校見学行こうかとか。就職実績とかそういうことではなくて、その学校にはスクールカラーっていうのがあって、そのスクールカラーを目指していろんな人が日本中から集まるから、すごく楽しいよって言って。なるほど。でも受験勉強はある程度はしなきゃいけないから、頑張ろうって言って。まあこの僕の受験勉強頑張ろうは、特に次男の方には相当プレッシャーだったっぽいけど。
いつもね、これ、こんなこと受験の話とかしてもいい?全然全然。あのさ、だって偏差値あるやん。あれでみんなA判定、B判定、C判定みたいなので、もう終わったりとか一喜一憂する。します。でもね、それ違うんですよ。カーブがあるでしょ?ありますね。あのカーブがあるじゃないですか。この合格のカーブで、高い偏差値のところで受かってる人もいるけど、割と低めの偏差値でも受かってる人がいて、偏差値っていうのはそれの平均値を出しているだけなんで、トップ当選を目指さなくても、ミドルやローからでも、もしかしたら受かる可能性っていうのは十分あるわけ。
でもここでC判定もらったから、もう終わった、受けない方がいいかもとか、あとやっぱり子供心でもプライドっていうのがあって、これ以上傷つきたくないみたいな気持ちになっちゃったりするじゃないですか。だからもうパパここ受けないみたいなこととか、うちの子供たちも言い出したんだけど、いやいや、このカーブをパパが説明してあげるからって。ここにも受かってる人、ここにも受かってる人、ここにも受かってる人がいるということは、可能性はあるんだから受けてみようよ。だってここの学校行きたいって、ここのスクールカラー好きだって言ってたじゃん。パパと一緒に頑張ろうって。
で、パパも一緒に朝早起きするからって言って、一緒に5時に起きて。すごい。子供はもう目こすりながら頑張るって頑張るんだけど、その後俺は自分でベッドに戻って寝てるらしいです。めちゃくちゃあれはひどかったよ、パパって今でも言われるんだけど。
これ受験だけじゃないんですよ。何でも、偏差値じゃないですけど、ランクみたいなもので無理とか。仕事やってても皆さんそうじゃないですか?そうですよね。営業とかの成績で一喜一憂したりとか。でもそれは数値のカーブみたいなものをもっと客観的に見ていくと、いろんな可能性があったり、なるほど、ここはこんなに良かったじゃんみたいな、そのカーブは何だったんだっけみたいなことを考えてくと、ちょっと答えが見えてきたりとか。
まあ、いいことばかり続かないですよ。本当ですか?亀田さんでも落ち込んだりなんかあるんですか?もう全然、エブリデイ。エブリデイ。エブリデイよ。最初もおっしゃってて、本当かなと思って。どんなことで。
もうやっぱり自分の思い描いてたことが思い描いた通りに行かなかったりすることっていうのも、たくさんのプロジェクトを抱えてる中ありますし、あとはやっぱり僕1人で決めて僕1人だけが動くわけじゃなくて、チームで動いていくので、チームバランスの中でチームの状態が難しい状態の時とかもあったりとか。日比谷音楽祭とかも、たくさんの方々が関わって、それぞれがプロフェッショナルなんで、それぞれのこだわりもある、それぞれのプライドもあるし、それぞれの良さもある、それぞれの経験値もあるみたいなことを、やっぱり総合的に動かしていくと、どっかでハレーションが起きたりすることっていうのもいっぱいあるんですけど、かすり傷だったらいいんですよ。大怪我にならないように止める、なんかそこの感度みたいなものを、僕の、なんて言うんだろう、気配りであったり、アドバイスだったり、もしくは、大丈夫っていつも言うんですけど。
アイデア出して、これ失敗したら俺が始末書書くからって。この始末書の行き先はどこにもないんだけど、でもそう言うとみんな、じゃあ亀田さんがそこまで言うならみたいなところで協力してくれて、チームが動き始めると、やっぱりプロジェクトっていい方向に進み始めるんですよ。でもこれはいろんな経験を積み重ねながら。でもね、落ち込みはエブリデイです。本当にエブリデイある。
あとね、僕これ大学の授業の時に習ったんですけど、社会心理学の先生が、当時、昔の本当に、ごめん、みんな、40年ぐらい前の話だから、もう昭和の話だから当てにしなくていいんだけど、バイオリズムっていう言葉が昔流行って。このバイオリズム、人のメンタルの動きで、人間、心身と共に調子がいい日は年に3日しかないっていう。え、だからこんなに調子悪いんだ。ということは、調子悪くて当たり前なんだってのに僕は気がついたの。なるほど。基本は調子悪くて、嬉しいこと、いいことがあったら、それはもうラッキーだと、めちゃくちゃいいことが起こってんだっていう風に捉えるっていうことに。
大して面白くもない、って言ったらごめんなさい、社会心理学の先生の授業なんだけど、なんかでもね、そういう自分に都合のいい言葉を僕取ってくるのはめちゃくちゃ得意かも。自分に当てはめちゃうの。自分に都合のいいっていうか、自分にフィットするようには。
最近なんかありましたか?何年か前なんですけど、難しいことが起きて、やっぱり僕も気持ちが前向きになれない、ネガティブな予想ばっかりしてしまうっていう時に、こういうカウンセリングの方法があるんですけど。ノートの左ページにネガティブなことを書くわけですよ。例えば、今日の会議で、今日のプロジェクトミーティングで、会議が大荒れになったと、意見が合わずに。で、何人かは非常に落胆したり怒りの感情を持っている。で、僕はリーダーとして、これはネガティブな面ね、これは自分のせいではないかと、自分のコントロールができてないからではないかっていう風に考える。で、今度は右ページにポジティブな要素を考える。
会議で落胆してしまったAさん、そして怒り始めてしまったBさんにも、Bさんのビジョンと、Bさんの関わっているパートに問題があったかもしれない。全てが僕のせいではなく、それぞれがそれぞれのよかれと思って発言していること。これは会議が荒れているのではなくて、物事が、プロジェクトがいい方向に進んでいるんだっていう、ネガティブをポジティブに書き換えるっていう作業を、これをカウンセリングの先生に習ったんですけど、これをやっていると非常に安定します。よっぽどのことが起こってても、もう怖くない。本当に。
カウンセリングっていうのは、それどういうきっかけで?これはね、いつからか、でも随分前から受けていて、定期的に。そうなんです。本当に日常のこういう会話、定期的に月に1回、先生と、こういうことがあった時はどういう風に対応すればいいですかとか、そういう話の中でこういうヒントを、こういう方法があるよとか、そういうのを教えてもらってます。
確かに今結構カウンセリングを、カップルで行ったりとか、夫婦関係に使ったりとか、自分の自己研鑽に使う方も、海外だと普通だったりするっていう。そう。なかなか日本だとカウンセリングって、病んでんじゃないのみたいな風に捉えるけど、そういうもんじゃなくて、全然むちゃくちゃポジティブな感じです。サプリ飲むような感じ。僕はやってます。
あとはもう1個あって、空気が悪くなっちゃってる時ってあるじゃないですか。あります。どうしたらいいかわかんない。これやばいよ、やばいみたいな。やばいよ、おうみちゃん泣き出しちゃったとか。おうみちゃん泣き出しちゃったね。ためさん大声で怒ってるよみたいな。どうしよう、罵声飛んでる、どうしようみたいな時に、これもそのカウンセリングの中で学んだんですけど、その罵声が起きているのは反対側のホームで起きてることだっていう風にイメージする。なるほど。自分はこっち側のホームにいて、やがてこっち側行きの電車が来る。で、喧嘩が起きてる、罵声が起きてる。あっち側のホームはこっちから電車が来て、やがてあっちの電車に乗ってあっちに行ってしまう。これはずっと続くことではなくて今起きてることだけなんで、ここにフォーカスを当てて、自分がその一員になってめちゃくちゃ落ち込んじゃったりみたいなことになる必要はないっていうのを。
教わったんですか?すごく客観的な視点とか、もう1人の亀田さんがこの辺りにいる感じで。そう。これはでも僕ね、身についた。もう1人の自分がどんな時でも。もちろん心を込めてライブであったり、ステージの上とかでは演奏してるけど、やっぱりもう1人の客観的な自分っていうのは必ずどっかにいてくれるっていう。それは訓練というか、場数、経験。
仕事だけじゃなくて、本当にこれは大事なことなのかも。この観点でいられると、人のことを、なんて言うのかな、憎むみたいなことがなくなってくるんですよ。あいつ絶対嫌だみたいな、こういう気持ちにならなくなるわけ。やばい時は反対側のホームみたいな。あいつも反対側のホームに行っちゃうこともあるよなみたいな。でももしかしたらこれ山手線で、こっちに戻ってくるかもしんないじゃん。そしたら、こっちに戻ってくる時には収まってっかもしんないなみたいな。なんかそういう風にイメージすると、大抵のことは大丈夫になってくる。
今多分カメラを通してカウンセリングされたと思います、皆さん。そうですか。でもね、より良くなっていきたいっていうのは今でもあって、さっき言った、失敗して落ち込んだ、できなかった。で、これは僕の妻も僕に声をかけてくれるんですけど、やっぱりそういうのを持ち帰って、お家に帰ってちょっと引きずってることとかあるけど、できなかったところって伸び代でしょって、うちの奥さん言ってくれる。素敵。まだまだあるねなんつって。
お母様と重なるところがある。あるかもしんないです。本当にちょっと考え方と、あとは言霊っていうか。くそ、こんなことあったよ、もう2度とやんねえとかって言うんじゃなくて、できなかったってことはこれの伸び代なんだっていう風に言葉を変換すると、やっぱり次に待ってるものが変わってくると思うんですよね。
なかなかそこは本当に癖付けていかないと、すぐ変わるものではないというか。なんで癖付けるっていうか、癖にしていくっていうのは、だんだん身についてきますよ。そうなんですね。
でもネガティブって、これ皆さんどうなんですか?ほとんどはネガティブな状況を、未来を想像してません?うーん、そうか。何か起こるとか、これやばそうとか、うまくいかない、今日はちょっと気が重いやみたいな。怖いとか。怖いとかね。ネガティブなこと、何か良くないことが起こるみたいなことを想定しちゃうんですよ。で、またいけないのが、いくつかのビジネス書とか、こういうYouTubeの番組とかSNSとかでもそうですけど、どれだけリスクを察知することが大事かみたいなこととかおっしゃって、それも間違いじゃないんですよ。
間違いじゃないんですけれども、僕の経験上、やば、なんかネガティブなこと起こりそうっていう想像のうちの99パー起こらない。なんでその本当に99%起こらないことのために、ずっと重たい気持ちが続いているっていうのは、なんかすごく人生にとって良くない、ウェルビーイングじゃないよなっていう気がするんですよね。
もう1個コツを言うと、例えば3日後に重要なプレゼンがあるとか、あるでしょ。僕らで言うとライブの本番だったりとか。3日後に自分にとってちょっと大変なお仕事がある。うわあ、ドキドキする、なんか落ち着かないみたいな時って、3日前のことを想像するんですよ。3日前から3日後って、あ、こんなにあっという間に、いいことばっかりできてるかも。じゃあ3日後が来たら、きっとその時は何もかもうまくいってるんだみたいなイメージが湧きやすくなる。
いやあ、なんかそれもちょっと亀田さん、第2の亀田さんを置いて。あれ、おうみさんに今日教わったんですけど。すごく感じました。こうしたら相手が喜ぶかなとか、レモンケーキの話もそうですけど、場が和むかなとか、いつもここに第2の亀田さんが。ああ、そうかも。そこに従って自分の誠の道を進んでいる気がしました。誠の道、そうね。本当に人を喜ばせたいっていう気持ちが、亀田さんの全身から伝わってきますもんね、今の話聞いても。
サービス精神が過ぎるとよく周りの仲間からも言われて。日比谷音楽祭の去年のドキュメンタリー見たんですけど、直接関わらないスタッフの方にもみんなに挨拶されて回ってて、こんな大御所の方がこんなことをするんだっていうのにもう感動。
なんかでも、そこまでしなくてもとか、やっぱりそういうことってないと思ってて、やっぱり自分が逆の立場だったら嬉しいですし、何よりもやっぱり感謝の気持ちとか、そういうのって胸の中にしまっておいても、やっぱり実際言葉にするとか、こうやって会いに来るとかにしないと伝わらないと思うんですよ。これすごく僕の中で大事で、言葉にしないとか態度にしないっていうのは…幸せなら態度で示そうよじゃないですか。やっぱりアクションでちゃんと答えを返していくっていうのは、すごく大事なことだと思っていて。
できれば直接、時間があれば、例えばその日比谷音楽祭のスタッフの方もそうですし、関わってくださってる方に対してなんですけど、アーティストさんもそうですけど、なるだけもう全員会いに行きたいと思うし、会いに行けない人には手紙を書いたりとかもしますし、そうすることによって何か見返りを求めてるんじゃなくて、自分がすっきり整うっていうか。
はあ。それが一種の見返りなのかもしれないです。
あ、そうですね。いいこと言いますね。知らないうちに見返りになっているというか。うん。で、自分がやっぱり生きやすくというか、自分らしくいられるようになるっていうのはありますね。
ここで亀田さんから日比谷音楽祭のお知らせです。
日比谷音楽祭は東京の真ん中の日比谷公園と、お隣の東京ミッドタウン日比谷と、そして今年は東京国際フォーラムのホールAも使うんですけれども、この日比谷の街全体を使って繰り広げられるフリーイベントです。つまり入場無料。5つのステージに素晴らしいトップアーティストが出るんですけれども、どのステージも無料で見れます。
あとは楽器体験、しかもギターとかドラムとかね、ピアノとかそういう楽器だけじゃなくて、アコーディオンとか三味線とかバイオリンとか尺八とか、いろんなそういった楽器も無料で体験できたりとか、あとはワークショップで、1日で、1時間で「さくら」が弾けちゃう、弾けるようになっちゃう。お琴よ。お琴が弾けちゃうワークショップだったりとか、あとは楽器を作るワークショップだったりとか、あとはね、とにかく音楽にまつわる素敵な出会いがいっぱいあります。
5月の末の初夏の日比谷公園、本当に気持ちいい。新緑の緑が気持ちのいい日比谷公園をメイン会場として、僕が1人1人選んだ最高のアーティストが、音楽っていいなって親子孫3世代誰もが感じていただける、そんな都心の野外音楽フェスですので、ぜひ皆さん、日比谷音楽祭5月30日、31日いらしてください。
で、この無料開催はですね、企業からの協賛金、スポンサーしていただいたお金と、一般の皆様からクラウドファンディングしていただいた支援金、この2本で運営しています。クラファンのグッズがもういろんな種類があって可愛くて楽しくて、そのクラファンのグッズも皆さんの日常生活をきっと豊かにしてくれるもの、あとは日比谷音楽祭のスタッフになれるという権利を持てる。そういうクラウドファンディングもあったりする。
うん。ファンも嬉しいです。
はい。いや、私も当日行きますんで。
絶対来てください。
私もすごく楽しみにしているイベントなので、皆さんも、もうこんな声かけなくても皆さん集まると思うんですけれども、ぜひいらしてください。
ぜひいらしてください。はい。
亀田さんのスケジュール、1日どんな生活されてるのかってことも聞きたいんですけど、その中で例えば仕事にすごく繋がっている習慣とかマイルールとか、どういうことに気をつけて生活をしてるとかっていうこともお聞きしたいなと思ったんですが。
朝同じ時間に起きて、朝同じ時間に必ず音楽を作るっていう作業を、仕事を、大体午前中なんですけど。調子が悪い日もあるわけです。なんか作曲やアレンジのアイデアとか浮かばなくても、その日とにかく自分の仕事部屋、スタジオに行ってコンピューターに火を入れて、曲作りをやってみる。で、うまくいかなかったらやめる。途中でやめたりもしますけど、うまくいかないからやらないとかっていう風にはしないで、必ず習慣的に。なんで、僕は自分の家とスタジオは別な場所にあるんですけど、スタジオに毎朝出勤してます。
大体6時ぐらい、朝6時ぐらいに起きて。通勤の気分がいいんですよ。で、AFN、アメリカンの英語のAMのラジオを聞いて、なんかね、自分は今ロサンゼルスにいるようなとか、今日はロンドンにいる気分だみたいな感じで気持ちを上げて。で、よし、曲作るぞっつって、うまくいく時もあれば全くさえない日もあったりもするんだけど、それを繰り返していると、なんでさっき言った、調子悪くて当たり前じゃないですけど、アップダウンも自分で分かるし、今の自分の調子が分かるっていうのがあります。
あともう1個は、今日も実はこの収録の前に僕お風呂入ってきてるんですけど、1日、そう、お風呂本当好きで、1日4回。
それびっくりしました。
朝起きたらもうすぐ入るし。うん。で、今日はここに来るまでにお風呂入ってきて、ちょっとサウナも入っちゃったんで、ちょっと顔赤くなっちゃってね。メイクさん、多分苦労されたんじゃないか。次の現場に行く時も、僕いつも本当に気をつけてるのは、さっき言ったアーティストさんと接するっていうことにも通じるんですけど、前の現場の香りを次の現場に絶対に持ち込まないようにするの。
ええ、どうしてですか。
あなたの、おうみさんの僕で。
うわあ。
そうすることによってアーティストさんはやっぱり、あ、亀田さん私のことを考えてくれてる。なんで僕、スタジオでは必ず携帯を、何の通知も見えないようにしてあって。どうしても緊急連絡なんかあったら別なルートで呼び出されたりはしますけど、自分の携帯はもうバイブレーションも鳴らないし、ピコっていうあれも鳴らないようにし。それは、この現場に集中していますっていうことをちゃんとその方から入っていきたいっていう。
そこはどのタイミングで気づいて実践された?
自分がされて嫌だったから。
へえ。
すごい大事な会議なのに、なんかこうやってこうやってやってたりすると、もしかしてその会議の内容の調べ物とかはされてるのかもしれないけれど、ちょっと俺のプレゼンがなんか興味持ってもらえてないのかなとか、なんか他に色々あって今上の空なのかな、なんていう。
それもでも最終的には違うホームの話、あれ発動するの。
平気分がれてなやらないです。そうですか。
あと大事なルールとしては、遅刻をしない。
へえ。あ、今日ちょっと入り……。
あ、いい。大丈夫。遅刻をしない。締め切りを守る。締め切りを守るってすごく大事で、締め切りを守るってことは逆算するんですよ。で、締め切りから逆算した自分の作曲とかアレンジとかプロデュースとか、その企画の準備の期間っていうのを考えて、それはもう本当に自分のスケジュール表の中に事細かく、大体めがけて入れてます。
全部人が嫌な思いをしないための行動だなと思ってて、全部もう最初から聞いていって。
そうですね。でもこの、他が気持ちがいいのが自分が気持ちがいい。
いいのか。なるほど。
ギブすることとか相手を思いやることって、ちょっとめんどくさいというか、自分にこだわって生きていれば楽だけれども、ちょっとめんどくさい。そこに突っ込むことで自分も気持ちよくなるっていうこの循環が、やっぱりそれが人生大事なのかなっていうのは。なんかでもそれで自分はドライブっていうか、動いてるんでしょうね。
亀田さんの中で、選ばれなかった時代というか、芽が出なかった時代っていうのはあったりするんでしょうか?
今もですよ。
いやいや。
1番分かりやすく言うとこれね、新R25。ね、25前後の時にやっぱり僕はものすごくありました。
とにかく僕、中学生からプロのミュージシャンになりたくて、で、ずっともうバンドやったり、ユニットやったり、自分でも曲作ったりとかっていうので、いろんなオーディションとか事務所に提出したりとかして。で、22歳ぐらいからかな、いろんな自分の作るデモテープがいろんなコンテストやオーディションで優勝したり、最優秀なんとかとかグランプリとか取るようになってて、ほぼほぼ勝つっていうか、勝ってる、勝てる感じになってきていて。
うわあ、自分もうこれでプロにデビューできるチャンスだなっていう風に思っていたら、意外や意外、例えば僕が作ったサウンドでも僕が作った楽曲でも、デビューしていくのはボーカルの女の子だったり、イケメンのドラマーだったり、みたいなところで、なんか自分は相手にされていないっていうことを痛感した時代があって。
で、亀ちゃんはね、レコーディングスタジオとかさ、例えばね、おうみちゃん、おうみちゃんがボーカルでおうみちゃんデビュー決まったから、でもおうみちゃんのアレンジとプロデュースはこの人にやってもらうから、亀ちゃんはスタジオ見学でも来ればみたいな。
はあ。ちょっとえぐられる。
はい。えぐられるでしょ?
ところがね、僕えぐられなくて、え、スタジオ見れんの?と思って。
すごい。
え、行っちゃおうと思って。みんなに言われた。お前そんなんでいいのって。お前自分で音楽作りたいって言ってたじゃんって。そんな人にいいように使われてていいのって、もう山ほど友達とかからも助言されたけど、僕はなんかこのプロのスタジオに行って、自分の作ったサウンドがプロのアレンジャーの方によって、あとはプロのスタジオミュージシャンの、そのスタジオミュージシャンの中に今音楽祭で一緒にやってる橋さんとかもいたりとかして、なんかそういう人たちの演奏になって変わっていくのが見てても楽しかった。
あ、これは自分も精度を上げていけばすぐこのゾーンに飛び込めるかもっていう風に。
ああ、そこでも前向きなんですね。
なんでえぐられるっていうよりは楽しくて、もう毎日スタジオ行ってたらば、あ、分かった、じゃあ亀ちゃん、ちょっとこれ、コーラスの部分だけ、シングルの発売日も近くなっちゃってっから、コーラスのパートだけちょっと考えてくれる?とかっつって、ちょっとずつ仕事が来るようになって。で、それもニコニコ笑って、え、僕そんなのやりませんよじゃなくて、え、やれるんですか?なんつってパパってできちゃうから。だって自分が作った曲だったりするから。
そうしてるうちに、亀田ってなんか強いし、いつもニコニコ笑ってるし、みたいな、なんかそういう空気が音楽業界内にだんだん広がって、なんか自分の居場所ができた。
あともっと言うと、選ばれなかった時代で言うと、僕、妻と、さっき結婚の話したじゃないですか。で、28で結婚して、で、結婚した次の年、29の7月、なんかレコーディングが終わったらその後のスケジュールが一切入ってなくて、7月20何日で仕事納めになっちゃったわけ。
お、早めの。
めっちゃ早い仕事納めになって。あ、仕事入ってないわっつっても結婚してるしで。結婚してる時も、妻の方が全然売れっ子なの。妻の方が収入多かったし。
そうですか。
で、この仕事を納めちゃった時どうしたかって言うと、まずまた自分でアマチュアの時に戻ったみたく曲作りして、とは言ってももうプロになっていくつかのアーティストの仕事はしてるから、曲持って、新曲書いたからこれどうですかなんてプレゼンテーションを自分からディレクターさんのところにしに行ったりとか。それでも時間が余るから、妻がスタジオミュージシャンで忙しいから、妻のスタジオミュージシャンの運転手になって。
ええ、そうなん。
で、スタジオ行くわけ。で、それも全然、なんで俺こんなことやってんだろうっていう風に思うんじゃなくて、新しくスタジオを知れるのが楽しくて、あ、ここにこんなレコーディングスタジオあったの、ええ、これ船山先生のスタジオなんだとか、なんかリスペクトする先輩のスタジオだったりとかしたりとか、発見がいっぱいあるわけ。で、待ってる間は車の中でベースの練習とかしたりとかして、2時間とか3時間待って。なんかそういうことを繰り返してくうちに、また新しい仕事が入ってきて、みたいな。
ああ、じゃあ悔しいとかいう気持ちよりは楽しいっていうのがもう9割ぐらい。
そう。ちょっとあるんだよね。悔しいはありますよね。悔しいはあるけど、あ、やばいな、悔しいなってのはあるけれど、かと言って止めないというか。
よくうちの奥さんに言われたのは、あんたよくああいう時にゲームとかそういうのに走んないねっつって。僕ゲームやらないんですよ。っていうかギャンブルもやらないんですけど、で、僕ギャンブルとかゲームとかやらないですよっつったらば、みんな僕のミュージシャン友達笑いながら言います。だって亀ちゃん、亀ちゃんがやってる音楽自体がめっちゃくちゃ攻めてるし、めちゃくちゃあれギャンブルだよ。
もうそこにギャンブルがある。
そう、そう。ギャンブルがある、あれもゲームだよって言われる。
なるほどな。
無理してそういう風に自分を持ってってるわけじゃなくて、自然となってる感じですよ。あともう1個ある。もう1個いいですか?
はい。
忙しぶってますけど、俺めっちゃくちゃ色々サボってて。例えばね、今日おうみさんに会うためにお風呂入ってきたって言うじゃないですか。で、お風呂も例えば入る時間が1時間あったとしたらば、お風呂自体は20分ぐらいで終わって、その後30分とか昼寝とかしたりとかしてるんですよ。
へえ。
そういうの、もう小刻みにサボるのめちゃくちゃ上手。
そうなん。
昼、力うどんとか食っちゃって、なんか体あったまっちゃって、眠くなっちゃったって言ってソファーで1時間寝てから次の仕事したりとか。寝ないで頑張るみたいな。
あとよくわかんないのは、亀ちゃん寝てないでしょうとかってよく言われるんですけど、俺めっちゃくちゃ寝てるんですよ。6時間とかは寝てるんじゃないですか。で、この頃は加齢により、もう朝目覚める時間、じいちゃんばあちゃん目覚めるの早いじゃん。もうあの状態になってきちゃってて。なんで、とにかくよく寝ますし、よくサボってるし、寝ないで頑張るんだったらば、もうちょっと逆算をうまくやって、小刻みにもうちょっと前倒しにして、たっぷり寝たりとか、物食べたりとか、好きな人に会ったりとかね、みたいなことの時間に当てるといいんじゃないのかなみたいな。
亀田さんがいろんな方から愛される、人間力がすごいってその理由がすごく分かったなと思うんですけど、今このチャンネルを見てくださってる20代、30代の方々に、その年代だからこういうことしといた方がいいとか、そういうアドバイスがあればぜひいただきたいなと思うんですが。
そうですね。その時その時、目の前のことを一生懸命やるってのは1番大事です。30代の時にやっとけば良かったこととか、あ、これやっとけばいいよっていうのは語学、英語。
英語ね、僕、33、34の、30前後の頃かな、林檎さんとアルバムとかツアーしていて、海外のレコード会社の本社の偉い人とかが来て、お前がプロデューサーの亀田かみたいな話をされたりとか、話をする時に、僕がニューヨーク生まれにも関わらずすぐ日本に来てしまってるので、本当に受験と片言の英語しか喋れず、本当にビジネスに通用する英語っていうものが喋れなかったんですよ。
そっから僕、英語学校に自ら通うようになって、何年か頑張ったけど結局ね、挫折したんです、僕も。でもその挫折もまたよしっていう風に考えながら、語学とは限らないけれども、自分がやってみなきゃとか必要だって思うトライっていうのはやってみるといいかもっていうのがあります。本当にね、10年近くやったんですよ。10年やればもうすげえ身につくと思うでしょ。ところがそうでもなくて、今でもダメな時はもうガタガタになりますし、乗ってくると全然行けたりするんですけど、でも毎朝8時10分からの語学校の授業を受けて、そっから仕事の現場に行くっていう、なんかそういう動きですら自分の中で自分がアップデートされていく感覚っていうのが毎日あるわけ。
例えば先生、英語の先生とかね、外人の先生ですよ。めちゃくちゃ厳しく怒ったりするわけ。なんで誠治は復習してこないとか。で、この年になると怒られたりすることってあんまりないんだけど、先生に怒られるわけ。で、しかも先生音楽好きだったりとかして、先生に音楽の批評されちゃったりするわけ。でもその中で音楽の中身を英語で会話をするっていう、やっぱり普段は得られないような経験にもなってたりとかもするし。なんでね、何をやっても無駄になるってことはないです。
なんで、これ今トライしたらいいなと自分でまず思ったらやるっていうのは大事。あと逆、あるじゃないですか。なんかしんどいな、やめたいなっていう時。ここが難しい時です。でね、やめちゃった方がいい場合もあるし。
本当にそうですね。
ね、やめちゃった方がいいけど、続けなきゃっていう責任感から続ける場合もあるでしょ。でね、これね、両方あるんですよ。ハッピーエンドの場合もあるの。でも続けてハッピーエンドっていう時もあって。あのね、俺いつも言うんだけど、ちょっと大変でしんどいのちょっと先に、ハッピーエンド待ってんのよ。もう絵本とかもそうじゃん。最後狼とか出てきてもうダメかと思ったら、めちゃくちゃハッピーエンドだったりするじゃないですか。
なので、あと1ページめくる手前かもよっていうのは感じて欲しいかも。かと言って、なんだろう、げんなり病んでしまうまで頑張る必要もないと思いますし。
そこの感度を高めるには何をしておけばいいんですか?
自分1人だとモヤモヤしちゃうから、やっぱりいろんな、例えばこうやって今日もね、おうみ先生とか、誰かとおしゃべりすることも大事だ。
あはは。
これ極論ね。極論ね。失敗しても気にしないっていう手がある。これすごい重要で、これYouTubeとか今あるかな?昔のね、ドリフとかのネタを見てると、いかりや長介さんが出てきて最後に「だめだこりゃ、次行ってみよう」っつって、もうダメなことを途中でやめて新しいコントに行ったりとかするんですよ。で、この精神ってすごい大事だと思って。
ずっと引きずってね、なんとかしようと思って、みんなが苦しくなっちゃう時に、だめだこりゃ次行ってみようって言って次に行くっていうのは、終わることによって入ってくる新しいその空間っていうのもいっぱいありますから。本当の答えってなんで、僕もわかんないの。わかんなくて答え出して失敗してることもいっぱいあるし、うまくいってるのもあるし。
いつも思うんだけど、例えば音楽のアイデアでなかなか最後うまくいってない時あるわけ。自分でデモテープ作ってコンピューターの中でやって、なんかうまくいかない、どうしよう今日レコーディングだと思ったら、意外とミュージシャンやアーティスト本人やエンジニアさんからいいアイデアが出て、バーンって前に進んだりするんですよね。やっぱり1人でやるんじゃなくて、人と関わりながらやってくと、人との関わりっていう難しさもあるかもしれないけども、人からもらえるものもいっぱいあるから、なんか心を開いているといいのかなって思います。
亀田さんと今日はご一緒しました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
パチパチパチ
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